モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

217 / 219
セキエイに続く日常 211-怪人連盟 ②

 再開発の象徴、ホテルZ。その一角、ロビーに隣接した作戦会議室。

 

 淹れたてのカフェオレの香りが部屋の空気をわずかに湿らせている。

 しかし、その甘い香りは、そこに満ちる刺々しい緊張感を和らげるには至らない。

 

 タウニー、ピュール、デウロ。そして、部屋の隅で静かに座る少年。

 彼らを束ねるのは、探偵のコートを羽織ったマチエールだ。彼女が手元の資料をテーブルに置く音が、静寂の中に重く響く。

 議題は一つ。夜のバトルゾーンを蹂躙する『怪人』の排除だ。

 

「共有されている情報は断片的ですが、無視できないものばかりです」

 

 マチエールの言葉が、冷徹なロジックとして空間を支配する。

 圧倒的な実力。

 視界を奪う『すなあらし』そして、素顔を隠す不気味な仮面。

 

「最近流行りの配信者か何かじゃないの?」

 

 デウロが背もたれに体重を預け、何気なく呟いた。その言葉に、ピュールが静かな声で応じる。

 

「カナリィは関係ありませんよ。あの子はもっと、こう、ギリギリの部分で健全なエンターテインメントを追求しているので、こんな真似するはずがありません。配信者が素性を隠す必要なんてないでしょう」

 

 ピュールの反論は穏やかだったが、そこには確かな拒絶があった。

 一瞬だけ部屋の空気が緩む。だが、マチエールの鋭い視線がそれをすぐに引き締める。彼女は冗談を言いにここへ来たわけではなかった。

 

 彼女は古い資料をテーブルに広げた。色褪せた写真と、当時の被害記録。

 

「十数年前の『怪人』の再来と考えてます。」

 

 彼女の指が、かつてミアレを騒がせた事件の記録をなぞる。

 

 十数年前、この街に現れた『怪人』の都市伝説。

 天候を操り、理解できぬ言語を発し、ただひたすらにトレーナーを蹂躙した『災害』

 公式な記録として、ポケモンセンターのパンクが確認されているほどの異物である。

 

 今はまだ、小規模な衝突で済んでいる。

 だが、前例が示す結末は最悪だ。

 放置すれば被害は拡大し、街のポケモンセンターのシステムがパンクするほどの負傷者が出る。

 

「でもこれ、なんか怪しいオカルト雑誌ですよね?」

 

 ピュールはマチエールの言葉を訝しんだ。

 確かに、マチエールが『怪人』説の根拠にしている資料の一つは、はるか遠くの地方のカストリ雑誌だ。信ぴょう性を疑われてもおかしくない。

 

 だが、マチエールはそれに首を振った。

 

「現実問題として『すなあらし』を使用する謎のトレーナーはミアレに来ていますし、被害も出ています。これはあくまでも『正体の推測』でしかありません」

 

 さらに彼女は息を吐く。

 

「一週間後には、カルネさんの新作映画の初公開と舞台挨拶が控えています」

 

 その言葉に、全員の表情が引き締まった。

 

 大女優カルネ。

 災害の傷跡が残るこの街にとって、その事情を知ってなお訪れることを撤回しなかった彼女の来訪は復興の象徴であり、希望そのものだ。

 彼女を、この混乱に巻き込むわけにはいかない。

 

『仮面のトレーナー』を一週間以内に、確実に仕留める。それがMZ団に課せられた至上命題であった。

 

 もう少し、議論が続こうとしたその時、エントランスの重い扉が開く音がロビーに響いた。

 

 来客だ。信じられないが。

 

 タウニーたちは顔を見合わせ、一旦会議を中断してロビーへと出た。

 

 

 

 

 ロビーに立っていたのは、一人の男だった。

 それなりに整えられた身なりに、柔らかな笑み。どこからどう見ても、この街を訪れた普通の観光客にしか見えない。

 

「すみません。部屋を取りたいんですが、予約なしでも大丈夫ですか」

 

 場違いなほど朗らかな声だった。

 男は、きょろきょろとロビーを見回し、タウニーたちの視線を正面から受け止める。

 

「素敵なホテルだね。知人に教えてもらったんだ。ここなら、ミアレの『観光』を一番楽しめるって」

 

 彼は人懐っこい笑みを浮かべ、一歩、ロビーの中へと踏み出した。

 その足取りは軽く、淀みがない。

 だが、男は部屋の中に漂うカフェオレの香りを吸い込み、その奥にある『才能』の香りに、わずかに鼻を鳴らした。

 

 来客に対し、タウニーが即座にプロの顔を作って歩み寄る。

 十代の少女らしい瑞々しさを残しながらも、その足取りにはホテルスタッフとしての矜持が宿っている。

 

「いらっしゃいませ。ホテルZへようこそ。わたくし、スタッフのタウニーと申します」

 

 丁寧な一礼。だが、その背後でマチエールの視線が鋭く細められた。

 彼女は知っている。目の前に立つ、柔らかな笑みを浮かべた男。彼がミアレソシアルバトルクラブに招かれた特級の劇薬であることを。

 

「モモナリさん。あなたには、もっと相応しいホテルがあてがわれているはずですが」

 

 マチエールは仲間に聞こえるように言葉を紡ぐ。

 彼女の脳内にある要注意人物リスト。その最上位に刻まれた名であることを、暗にMZ団につたえる。

 

「カントー・ジョウトリーグのAリーガー。そしてユカリ嬢の招待客。そんな大物が、どうしてこのホテルに」

 

 説明ではない。確認だ。その言葉だけで、デウロやピュールの顔つきが変わる。

 目の前の男は、ただの観光客ではない。この街のシステムが最も警戒すべき、理屈の外側にいる強者だ。

 

「あー、なんだ。バレてるのかい」

 

 モモナリはマチエールの言葉を肯定するように、軽く右手を挙げた。隠すつもりもなかったのだろう。聞かれなかっただけで。

 彼はそのまま、釘を刺すように言葉を継ぐ。

 

「あ、でも僕は『仮面のトレーナー』じゃないからね。誤解されるのは面倒だ」

 

 疑われる前に、自ら否定を置く。

 その潔すぎる態度は、潔白の証明と断定はできないだろう。だが同時に、それは自らの実力に対する絶対的な自信の裏返しに見えた。

 疑いたければ疑えばいい。だが、邪魔はさせない。そんな無言の圧力が、ロビーの空気を重く沈ませる。

 

 その沈黙を確認してから、モモナリは続ける。

 

「知人から聞いたんだ。ここにはミアレ最強のトレーナーがいるとね。ええっと、宿泊料は前払いで十万円と聞いていたんだけど」

 

 モモナリはポケットから、無造作にまとめられた札束を取り出した。

 カラスバが吐いた法外な嘘。それを疑いもせず、あるいは疑った上でどうでもいいと切り捨てているのか。

 モモナリは、その札束をタウニーの前に置いた。

 

 十万円。

 

 それは彼にとって、ただの紙切れに過ぎない。

 タウニーは一瞬だけ息を呑んだが、すぐにプロの微笑みを取り戻し、その紙束を恭しく受け取った。

 

「はい。確かに。それでは、お部屋へご案内いたしますね」

 

 吹っ掛ける方も馬鹿なら、払う方も馬鹿だし、受け取るほうもバカだ。その異常なやり取りに、ピュールが眉をひそめる。

 金銭感覚の欠如ではない。目的のためなら、多少の多寡など眼中にないという狂気だ。

 

 モモナリはタウニーに促されながら、彼女と部屋の隅で静かに座る少年を見比べた。

 

「君たちと戦うのもいいが。機会があったら、僕もその『仮面のトレーナー』と会ってみようと思ってる」

 

 その言葉に、デウロやタウニーは、強力な助っ人の登場を歓迎するような表情を見せた。

 だが、ピュールだけは納得がいかない。彼は静かな、しかし鋭い視線をモモナリに向ける。

 

「どうしてです。あなたのような人が、わざわざ首を突っ込む理由は」

 

 ピュールの問いは、正義感ゆえの拒絶だ。利害関係のない強者の介入。それは現場を混乱させ、秩序をかき乱す不確定要素でしかない。

 彼が感じていたのは、モモナリという存在に対する生理的な恐怖に近い嫌悪だった。

 

 だが彼は、ケロリとした顔で答える。

 

「まあ、興味があるし。それに」

 

 モモナリは窓の外、再開発が進むミアレの街並みに視線を投げた。

 痛々しく折れたプリズムタワー。

 その傷跡を見つめる彼の瞳に、わずかな温度が宿る。

 

「この街のこと、嫌いではないんだ。良くも悪くも、思い出がある」

 

 男が漏らした、わずかな感傷。

 それは確かに、この街に対する愛着を思わせるものだった。

 だが、その感傷すらも、次の瞬間には乾いた笑みに塗り潰される。

 

「でも、今はちょっと休ませてもらおうかな。こっちに着いてから、全く眠ってなくてね」

 

 モモナリはあくびを噛み殺した。肩の力が抜け、動作の端々に隠しきれない疲労が滲む。

 不眠不休でバトルを繰り返し、渇望を吐き出し続けてきた肉体の悲鳴。

 

「こちらです、モモナリ様」

 

 タウニーが先導し、エレベーターへと導く。

 モモナリは重い足取りで彼女の後に続いた。

 案内も待たずに眠りたかったのだろうが、少女の真摯な仕事振りに、彼は辛うじて礼儀を保っているようだった。

 

 嵐が去った後のような静寂。ロビーには、冷めかけたカフェオレの匂いだけが残される。

 

 マチエールは、彼が去った扉をいつまでも凝視していた。唇を噛み、思考を巡らせる。

 

 思い出。

 

 そんな美しい言葉だけで動くような男には見えない。

 探偵の直感が、モモナリという存在がもたらす予測不能な事態を警告していた。

 

 

 

 

 深夜。ミアレシティの路地裏を『バトルゾーン』の赤い発光線が区切っている。

 

 檻の内側。

 吹き荒れる『すなあらし』は、もはや『仮面のトレーナー』の存在を知らせるものでしかない。

 

 視界を遮る薄い砂のカーテンを突き破り、ガチゴラスが咆哮を上げる。その咆哮は、都市に似合わぬ野生の嘶きであった。

 

 それに対峙するのは、二人のトレーナー。

 ミアレシティの自警団『ジャスティス会』のシローとムクだ。

 

 二人は『仮面のトレーナー』に食らいついていると言ってよかった。

 

 垂直な壁を登り、街頭の頂きを中心に重力を無視した軌道を描く。

 シローの超人的な身体能力は、三次元的な都市戦において、気を抜けぬ奇襲性がある。

 

 ムクもまた、冷静な指示とシャンデラの放つ高威力の特殊攻撃で、仮面のトレーナーの意識を自身一点から逃すことができなくさせている。

 

 意識して行っているのかはどうかはわからないが、二人は『仮面のトレーナー』を手こずらせるほどの『パワー』を持ち得ている。

 

 均衡を破ったのは、一振りの輝きだった。

 

『仮面のトレーナー』が掲げた腕から、光が溢れ出す。

 

 メガシンカ。

 

 ポケモンを包むような光の中から現れたのは、ほうようポケモン、メガサーナイトだった。

 

 砂嵐の中心から放たれるその美しくも体を震わせる鳴き声に、二人は一瞬たじろぐ。

 

 次の瞬間、圧倒的なサイコパワーが物理的な質量を伴い、赤い境界線を内側から叩く。

 神々しいまでの威圧感。

 

「関係ありません、パワーこそジャスティス!」

 

 その宣言のままに行われたシローの突撃が、目に見えない透明な壁に衝突し、火花を散らして押し戻される。

 

「なんだと!」

 

 再び立ち上がったシローは素早くバックステップを取り、奇襲のために距離を取ろうとした。

 だが、背中にぶつかる壁の感触、彼は距離を取ることができず、仮面のトレーナーの視野の中に閉じ込められる。

 

「『カゴ』を作ったのか」

 

 この一瞬で、サーナイトは複雑に入り組んだ『ひかりのかべ』を展開していた。厄介なシローの機動力を防ぎつつ、ムクのシャンデラの特殊攻撃も牽制している。

 

「大丈夫」と、ムクは仮面のトレーナーを見据えながら呟く。

 

「時間は十分使った」

 

 その言葉の次の瞬間だ。

 エリアを覆っていた『すなあらし』が晴れる。

 さらに、彼女は続けた。

 

「秘密兵器、投入」

 

 その瞬間だ。

 エリアの上空『カゴ』の外から、一人の少女が舞い降りる。

 

「カナ友の声に応えて、ぼく参上!」

 

 スマホロトムの落下防止機能で一瞬空中で制した彼女は、おそらく練習していたのだろう、彼女が思うかっこいいポーズで着地した。

 

 更にカナリィはボールから相棒のシビルドンを繰り出して『仮面のトレーナー』を指差す。

 

「コノヤロー、近日、この街はあんたの話題で持ちきりだ! この街でぼくより目立つことは許さーん!」

 

 場違いなほど明るい声。そして、胸元のメガストーンを叩く。

 それに合わせて『ジャスティス会』の二人もポーズを取った。

 

 シロー、ムク、カナリィ。

 三つのメガリングが同時に共鳴し、夜の闇を塗り潰すほどの閃光が爆発する。

 

 タイレーツ、シャンデラ、シビルドン。

 

 過剰なまでのメガシンカの奔流。

 

 二対一から、三対一へ。

 

「メガタイレーツも『かわらわり』!」

「『だいもんじ』」

「『ワイルドボルト』」

 

 メガサーナイトが展開するサイコパワーの防壁に、微かな、しかし決定的な亀裂が走る。

 ガラスが砕けるような不吉な音が、赤い檻の中に響き渡った。

 

「さっさと終わらせてその顔全世界にさらしてやる! 何ならコラボ配信とかもしてやるし! 素顔を使った落ちものパズルも配信してやる!」

 

 カナリィが指を鳴らす。

 決着の瞬間が、指先まで迫っていた。

 

 その時。

 

 不自然な突風が、ミアレの路地を駆け抜けた。

 再び、バトルゾーンに『すなあらし』が吹き荒れる。

 シローたちはそれを、仮面のトレーナーの逃走手段だと予測し、即座に追撃の構えを取った。

 

 だが、何かが違う。

 これまでの仮面のトレーナーが使っていた、視界を濁らせるだけの煙幕ではない。

 

 それは重く、鋭く、肺の奥まで削り取るような、物理的な質量を持った砂の壁。

 視界は完全に奪われ、わずか先もおぼつかないほどの視界の暴力。

 

 土砂崩れに正面から呑み込まれたかのような、圧倒的な圧力。

 それは技というよりも、自然災害そのものだった。

 

「なんだ、この重さは!」

 

 シローの叫びが砂の咆哮に掻き消される。

 彼の六点ゼロの視力を以てしても、わずか二メートルほど先しか見ることができない。

 これが逃走用の本気の『すなあらし』なのかと彼は思った。それならば、一体どれだけの力量を持ったトレーナーなのだろう。

 

「ちょっとなにこれ! ぼくのカメラ壊れちゃうって!」

「こうなってしまってはもう無理。自衛に集中する」

 

 ジャスティス会、そしてカナリィは、一旦仮面のトレーナーを追うことを諦めた。

 

 砂嵐の中心。

 メガサーナイトを傍らに置いた仮面のトレーナーもまた、その場に立ち尽くしていた。

 

 自分の意志ではない。

 自分のポケモンの技でもない。

 

 この暴力的な砂の主。

 その感触には、覚えがあった。

 だが、信じられない。

 なぜ、あの男がここにいるのか。

 なぜ、自分を助けるような真似をするのか。

 

「あの馬鹿」

 

 仮面の下で、彼女は小さく毒づいた。

 困惑を押し込め、彼女はプロとしての直感に従う。

 この異常事態こそが、唯一の脱出路である。

 仮面のトレーナーは『すなあらし』の向こう側へと、音もなく姿を消した。

 

 

 

 

 砂嵐が止んだ後、そこには誰もいなかった。

 赤いラインの内側に残されたのは、荒らされた石畳と、不快な沈黙だけだ。

 

 シローは顔を拭い、掌に残された砂の感触を確かめる。

 指先に残る、硬く、鋭い粒。

 

「これは、酷い」

 

 ムクの呟きが、夜の空気に溶ける。

 それは戦術としての技ではない。

 ただそこに存在するだけで周囲を蹂躙する、圧倒的な個の格の違い。

 正義も、数による優位も、すべてを無意味な塵へと変えるような、暴力的なまでの残響。

 

 シローたちは、ただその不気味な余韻の中に立ち尽くしていた。

 口の中に残る砂の感触が、いつまでも消えなかった。

 石畳に吐き出してしまいたいが、彼の正義はそれを許さないだろう。

 

 

 

 

 日の当たらぬ石畳から漂う苔の香り。

 路地裏に滞留する空気は重く、湿気が肺にまとわりつく。

 

 仮面のトレーナーは、煤けた壁に背を預けていた。

 肩が大きく上下し、仮面の奥から苦しげな吐息と、砂を吐き出すために咳が漏れている。

 

 ジャスティス会の追撃。

 そして、あの理不尽なまでの重さを伴った『すなあらし』

 連続した戦闘の疲労は、彼女の四肢を鉛のように重くしている。一歩を踏み出すことすら、今は贅沢な労働に等しい。

 

 ミアレの実力者が数で来れば、さすがにきつい。

 

 もう少し若ければ、と思わないでも無い。だが、それを認めたくは無かった。

 そして、認めることを検討もできなかった。

 

 路地裏の陰から、不釣り合いなほどに軽い声が響いたからだ。

 

「ずいぶん無茶をするねぇ」

 

 覚えのあるその声に、仮面のトレーナーは悪い予感が当たったことを理解し、即座に身構えようとしたが、その動作は途中で凍りついた。

 

 前方、路地の出口を塞ぐ巨大な影。

 後方、退路を断つ気配。

 そして頭上、屋根の縁で鋭い眼光を放つ妖精の光。

 

 音もなく現れたポケモンたちが、彼女の逃げ道を完璧に塗り潰していた。

 

 油断。

 

 否、それは慢心ではない。

 彼女の意識の隙間に、一滴の無駄もなく入り込まれていた。

 疲弊した今の自分では、この包囲網を突破する事に賭けるには分が悪い。

 

 彼女は静かに、その事実を受け入れるほかなかった。

 

「どうしてここがわかったのかしら」

 

 低く、しかし凛とした声。

 この場所は、とっておきのはずだった。

 あの場所から、最短距離で、わかりづらく、もし何かがあったとしても、逃げ道が多い。

 

 この街に馴染みのある彼女のような土地勘のある人間にしかわからない穴場のはずだった。

 

 だが、その声は軽快に答える。

 

「どうもこうも。あの位置からなら、ここに逃げ込むのが一番『わかりにくい』」

 

 その男、モモナリは、彼女の質問の意図がわからないとでもいうように肩をすくめた。

 

「少なくとも、僕ならそうする」

 

 彼はまるで、昼下がりのカフェで旧友を見つけたかのように微笑んでいる。

 実力者としての思考『強い生き物』としての感覚。

 

 モモナリは、彼女が選ぶ最適解を、同じ高さの視点から完全に読み切っていた。

 

「『何がしたいのか』なんて聞くのは野暮だね。大体、わかるよ」

 

 モモナリの視線は、仮面の下にある『渇望』を正確に射抜いている。

 

「これだけの遊び場に、溢れる若い力」

 

 わざとらしく身震いのジェスチャーを見せ、にやりと笑う。

 

「うずくさ、そりゃね。今の君の立場になれば、この街のすべてを味わえる。誰かを参考にしたのかな?」

 

 彼女が選んだ『怪人』というロールプレイ。

 モモナリは、その真意を本能で理解していた。

 

 仮面のトレーナーは、自分を包囲する一際巨大な影に視線を転じた。

 モモナリの相棒にして、末の娘、ガブリアスだ。

 

 彼女は恐れることなく、その強靭な首筋へと手を伸ばす。

 指先が、荒い鱗の感触をなぞる。

 ガブリアスは唸り声一つ上げず、静かにその接触を受け入れた。

 その手つき。

 きめ細かい指の腹が伝える、圧倒的な格。

 ガブリアスは、遠い記憶にある、あるトレーナーの感触を懐かしく思い出した。

 

「それで、どうするつもり? 私を差し出して、街のヒーローにでもなる?」

 

 仮面越しに響く声は、依然として気高かった。

 敗北を認めてなお、その魂は一歩も退いていない。

 この状況、敗者に選択肢は無く、そして、許しを懇願する気もなければ、すべてを相手にゆだねるしかないことを理解している。

 

 彼は愉快そうに笑う。

 

「まあ、それもいいかもね。MZ団の彼にお願いすれば、最高の一戦を組んでくれるかもしれない」

 

 だけど、と彼は言葉を継ぐ。

 その瞳に、隠しきれない凶暴な本能が宿る。

 

「それより、もっといい考えがある」

 

 モモナリが、泥に汚れた彼女へ向けて、優雅に手を差し出す。

 路地裏の暗がりに、彼の不敵な笑みが白く浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 シロー、ムク、カナリィの三人は『仮面のトレーナー』を追うため、彼らが知る限りの隠れ家、路地裏を探索していた。

 だが、そのどこにも怪しい人物は存在しなかった。

 

 今日はもう、終わりなのだろうか、あと一歩まで追い詰めたというのに。

 

 だが、彼らの中に『収穫』が無かったわけではない

『仮面のトレーナー』は確かに強いが、敵わぬわけではない。数的有利を作り出せば、必ず追い詰めることができる。

 

 ミアレの危機とあって、今回の件に関してジャスティス会とMZ団とは協力体制である。この報告を持ち帰り、更なる警戒態勢をとればよい。

 

 彼らの中に、わずかに希望が見え始めていたその時だ。

 

 夜の静寂を、乾いた断末魔のような風が切り裂く。

 

 そして、彼らを、再び重く乱暴な『すなあらし』が包み込んだ。

 

「来るぞ!」

 

 顔を腕で覆いながら、シローはムク、カナリィに叫ぶ。

 

 彼らの前方、砂嵐の向こう側に『仮面のトレーナー』とメガサーナイトの姿が現れたのは、それとほぼ同時だった。

 

 三人は、もはや躊躇わない。

 対話の余地などなく、何より、一度は退けた相手だった。

 

 シローたちの合図。

 三つのメガリングが同時に共鳴し、夜の闇を暴力的な閃光が貫いた。

 数と、質。

 正義が、今度こそ怪人の逃げ場を奪うべく、殺意を伴って殺到する。

 

 だが。

 

 彼らの背後から、聞きなれぬもう一つの声。

 

「『うずしお』」

 

 不意に現れた小規模な水流が、ムクとメガシャンデラを取り囲む。

 その規模、威力は大したものではない。

 

 だが、シャンデラの弱点を突くみずの攻撃と、不意に現れた、おそらくは味方ではない第三者の存在に、ムクを含める彼女らはわずかに動揺した。

 

「ムク!」とその名を叫びながら、カナリィがまだ見えぬ第三者に向かってメガシビルドンを向けた。

 

 三人の連携がわずかに乱れる。

 

『仮面のトレーナー』は、それを見逃さなかった。

 

「『サイコキネシス』」

 

 メガサーナイトがシローのメガタイレーツに向かって強力な念動力を放った。

 反応の遅れた彼らは効果抜群のその技をもろにくらい、せっかく組み上げたy軸の隊列を崩す。

 

「しまった!」

 

 そういうが早いか、シローはその爆発的なスプリントを生かし、せめて『仮面のトレーナー』の正体により近づこうとした。

 普通に考えれば無謀だが、彼の身体能力をもってすれば実現可能な可能性があるのが恐ろしい。

 

 だが、その試みは失敗に終わった。

 踏み出したシローの足を、何かが絡めとったのだ。

 彼は受け身をとろうとしたが、それは足に深く絡まり、手をついて石畳に顔を打たないようにするだけにとどまる。

 

 地面に伏しながら、彼は自分の足を確認した。痛みがあるわけではない。

 足元には足首までをがっちりと絡めとるツタのような植物があった。

 

「『くさむすび』か!」

 

 起き上がることはできない。

 

「マジ何なの!?」

 

 カナリィは再びメガサーナイトに意識を向ける。

 右往左往だ。敵を絞り切れない。

 

「『なみのり』」

 

 再び聞き慣れぬ男の声。

 

 反対方向から現れた波のようなみず攻撃に、メガシビルドンとメガシャンデラを飲み込む。

 

「ムク!」

 

 シローの焦りが含まれる呼びかけに『うずしお』の中から、ムクが答える。

 

「私達は大丈夫、ちょっと厄介だけど」

「誰だかわからないけど、初見なら挨拶ぐらいしろし! 『でんじほう』!」

 

 攻撃の方向にやみくもに放たれたその電撃の攻撃は『すなあらし』の向こう側に消えたのちに石畳を叩く音となる。敵には当たっていない。

 

 そして、そのスキを『仮面のトレーナー』が逃すはずもない。

 

「『ムーンフォース』」

 

 時刻は夜、月の力を借りた妖艶な攻撃が、メガシビルドンに向かて放たれた。

 

 ほとんど背後からの攻撃だ、それをもろに食らったシビルドンは力なく石畳に伏す。

 

「なんなのマジで!」

 

 カナリィの叫びを合図にしたかのように、ムクを取り囲んだ『うずしお』が力なくただの水となって石畳に染み込んだ。

 その目前には『すなあらし』の向こう側にある何らかの影。

 

 彼女は冷静で、強かだった。

 

「『シャドーボール』!」

 

 見えたそれに、すぐさまに迎撃する。

 すでに『仮面のトレーナー』を打ち破ることは絶望的であったが、ならばせめて見えぬ相手の正体だけでも暴きたい。

 

 その強力な攻撃は、そのまま『すなあらし』の向こう側にある陰に直撃した。

 わずかに晴れた『すなあらし』の隙間から、それが氷で作られた『みがわり』であることを彼女が理解したころには、すでに石畳を叩く音が死角から聞こえている。

 

 一匹のゴルダックが、メガシャンデラの懐に踏み込んでいた。

 そしてその背後、同じく簡素な仮面をつけた一人の男。

 

「『ハイドロポンプ』」

 

 至近距離からの効果抜群の一撃、先ほどの『なみのり』のダメージと合わさり、シャンデラが耐えられるものではなかった。

 

 

 

 

 完全に勝負がついたころに、『すなあらし』が、わずかに凪いだ。

 膝をつく三人の前で、二人の仮面が並び立つ。

 

 中性的な『仮面のトレーナー』にもう一人、仮面で正体不明の男のトレーナー。

 

 シローは、ようやくツタをほどいた足を震わせながら問う。

 

「お前達は、一体何者なんだ」

 

 その拳は怒りで震えていたが、それ以上に、理解不能な技術への屈辱が彼を支配していた。

 

 二人目の仮面は、悪びれる様子もなく口を開く。

 

「俺たちはモモナーー」

 

 言いかけたところで。

 隣の『仮面のトレーナー』が、容赦なく男の頭をひっぱたいた。

 乾いた音が路地に響く。

 

「あいたぁ!」

「余計なことは言わなくていいの。謎こそが、人を魅力的にするのよ」

 

 仮面越しに響く、凛とした、しかしどこか楽しげな女の声。

 彼女は、泥を舐めるシローたちを見下ろし、この街の新たな敵としての名を告げた。

 

「私達は『怪人連盟』」

 

 アングラな都市伝説を元にした、不敵な名。

 女は、わずかに首を傾け、冷徹な慈悲を付け加える。

 

「無礼は承知よ、だけど、ごめんなさい。もう少しだけ、楽しませて」

 

 それだけを残し、二人の影は再び吹き荒れた砂の帳の中へと消えた。

 追いかけようとする気力と権利は、今の彼らには残されていなかった。

 

 

 

 

 すでに赤の境界線は消滅しており、野生のポケモンの保護を目的とされた緑の境界線のみがミアレに現れている。

 

 ホテルZ、作戦会議室。そこにはカフェオレの香りと、不穏な緊張感が充満している。

 マチエールが捲った資料の音が、重苦しい沈黙を破った。

 

「昨日も、シローさん達がパトロールしていた『バトルゾーン』に『仮面のトレーナー』が現れました。応戦しましたが、逃げられたようです。そして何より、二人に増えていた、と」

 

 再び、沈黙。

 一人でも街が蹂躙されているというのに二人になればどうなってしまうのか。

 

 モモナリは、その緊張感の中心にいながら、まるで観客席にいるかのように足を組んでいる。

 そして「ああ、そうだ」と、口を開いた。

 

「『仮面のトレーナー』には会ったよ」

 

 その報告に、会議室の中がわずかにどよめく。

 

「いやあ、悪い奴らだった」

 

 嘘だ。

 だが、そうしといたほうがいいだろう。

 なぜならば。

 

「徹底的に叩いたほうがいい」

 

 彼の唇が、にやりと歪む

 

「出会ったというのは」と、タウニーがその詳細を問おうとした時だった。

 

 重厚な扉が開き『ジャスティス会』のシローとムクが現れる。

 怪我をしているわけではないが、二人の表情と歩き方からは満身創痍が見て取れた。

 

 ムクは、部屋に入った瞬間に足を止めた。

 その視線が、モモナリに釘付けになる。

 

「んん~?」と、首を傾げ、眉をひそめ、さらに半歩退く。

 

 確信はない。だが、女の直感が、目の前の男から漂う残り香のような違和感を猛烈に告げていた。

 

 昨晩の『すなあらし』

 あの理不尽なまでの圧力と、この男が纏う空気が、どこか決定的に重なる。

 

「何かな?」

 

 モモナリは、無垢な笑みで問いかけた。

 ムクは小さく首を振り、視線を外す。証拠はない。今はまだ。

 

 一方で、シローの反応は対照的だった。

 マチエールから『カントー・ジョウトリーグのAリーガー』と紹介された瞬間、彼の瞳に純粋無垢な尊敬の光が宿る。

 

「おお! あなたがモモナリさんですか! お噂はかねがね!」

 

 シローは前のめりで握手を求める。

 彼にとって、強者は無条件で尊敬すべき対象であり、そこに疑いなど挟む余地はないのだ。

 その純粋さが、今は逆に恐ろしい。

 

 ムクがため息をつきながら、シローの腕を引っ張って席に着かせた。

 

 しばらく情報を交換したのちに、シローは本題を伝える。

 

「奴らは二人に増え、名乗りました」

 

『仮面のトレーナー』に『ゴルダックを使う相棒』が現れたこと。

 そして『すなあらし』の質が明らかに変質していたこと。

 単なる目くらましではない。物理的な質量を持った、殺意の塊のような『すなあらし』

 

「『怪人連盟』と名乗っていました」

 

 その名乗り名に、MZ団は眉を顰める。

 マチエールの『仮説』がどうやら正解のようだった。

 

 マチエールとピュールの視線が、一斉にモモナリを射抜いた。

 

 疑念は確信に近づいている。

 だが、決定的な証拠がない。

 ただ、状況証拠だけが真っ黒に塗り潰されている。

 

「敵が増えたねぇ」

 

 モモナリは、自分に向けられた疑いの視線を、楽しむように受け流した。

 

「面白くなってきたじゃないか」

 

 ケロリとして、他人事のように喜んでみせる。

 その言葉の裏にある本心に気づいた者は、この場にはいない。

 

 ただただ、この街に対する彼の悪意を疑われていた。

 

 

 

 

 ホテルZの作戦会議室を、なんだかとても丁重に追い出されたモモナリは、しばらくベンチでまどろんだ後に、コーヒーの香りにつられるまま、キッチンカーのパイプ椅子に座りこんでいた。

 

 メティオプラザ。石畳を焼いた熱が、夕焼けに溶け出している。

 キッチンカーから漂うのは、焦げた砂糖と、濃いエスプレッソの香り。

 平和な匂いだ。

 

 モモナリは木箱にクロスを引いただけの簡素な椅子に浅く腰掛け、指先でテーブルの縁をなぞっていた。

 注文したひのこローストが届くまで、彼はしばし昨晩の余韻を楽しんでいた。

 

 神経の末端がチリチリと焦げているような、甘美な痺れ。

 すでに眠気はない。

 渇望だけが、喉の奥に張り付いている。

 

 その時、ドン、と重い音がした。

 マグカップがテーブルを叩く。中の黒い液体が跳ね、白いクロスに無粋な染みを作った。

 

 ずいぶんと不躾だな、と、モモナリは思ったが、別にそれに怒るわけでもなく、ただただ、ウエイトレスを見上げる。

 そのウエイトレス。赤と、灰色と呼べる髪をまとめた彼女、グリーズは、明らかに敵意を持った目でモモナリをにらみながら言った。

 

「てめえ、なんのつもりだ」

 

 モモナリは眉一つ動かさず、むしろ微笑みを称えて「ああ、どうも」と、マグカップを手に取った。

 

「なんのことかな」

 

 湯気の向こうで、グリーズの唇が歪む。

 

「とぼけるんじゃねえよ。昨日、あんたが『仮面のトレーナー』と組んでたことはわかってんだ」

 

 モモナリはその言葉に鼻を鳴らした。

 情報網。あるいは女の勘か。

 どちらにせよ、証拠はないはずだ。

 

 モモナリはコーヒーの香りを吸い込む。

 彼はコーヒーの良しあしなどよくわからないが、まあ、悪くはなさそうだった。

 

「へえ、よくわからないけど、よく調べたねぇ」

 

 賞賛とも皮肉とも取れる言葉。

 モモナリは一口すすり、さらに続ける。

 

「だけど残念ながら、僕は『仮面のトレーナー』と組んではいない」

 

 嘘ではない。嘘では。

 

「それに、彼らはこの街でただバトルをしているだけだろう?」

 

 その言葉が、導火線だった。

 

「わたしたちの街をかき回しやがって!」

 

 グリーズが激昂する。テーブルに手を突き、モモナリに詰め寄る。

 彼女が激高するのも無理は無かった。

 かつてフレア団としてこの街に生きた彼女たちが、それでも生き抜くことを決めたのがこの街だ。彼女らにとってこの街をいたずらに消費されることに対する憤りは、当然あるだろう。

 

 だが、モモナリには響かない。

 

「どこも同じさ。街の外だろうが、中だろうが。バトルができるのならね」

 

 彼にとって、街とはただの『姿』であった。バトルという前提の前に、彼にとっては街も道端も、洞窟も変わらない。

 温度差。

 決定的な断絶。

 

 グリーズの手が伸びる。胸倉を掴もうとする指先。

 それを見ながら、モモナリはそれはそれでもいいかなと思った。

 

 だが。

 

「よせ、グリーズ」

 

 その言葉に、グリーズの手が空中で止まった。

 その背後を見れば、片づけを終えたのだろうか、キッチンカーを閉めた男が、それを降りている。

 

 その男は、このカフェのマスターにして、かつてフレア団として彼女と活動していた男、グリ。

 

 その背後には、オレンジ色の皮膚を持つ竜、リザードンが静かに佇んでいた。

 尾の先の炎が揺れるたび、周囲の影が長く伸びる。

 

 モモナリは、わずかに右足を開いた。

 重心を落とす。

 テーブルと椅子の配置を確認し、利き手が自由に動くスペースをわずかに確保する。

 無意識の、しかし洗練された戦闘準備。

 

 グリは目を細め、その所作を見逃さなかった。

 

 挑発するでも、懇願するわけでも無い。

 ただただ、この先に起こることを当然のことと認識している。

 言葉で飼いならせる獣ではない。

 

「この手のお客様には、何を言っても無駄だ」

 

 グリの声は低い。

 諦めではなく、覚悟の低さだ。

 

「おれたちの街への思いなど、わかるはずがない」

「まあ、今日会ったばかりだしね」

 

 モモナリは肩をすくめた。

 理解など求めていない。

 ただ、目の前の男とリザードンが放つ、ヒリつくようなプレッシャーだけが心地よい。

 

「だけど、君たちの強さの理由が、この街への愛なら、僕にとってはありがたいことだ」

 

 それは、薪だ。

 戦いを燃え上がらせるための、上質な燃料。

 

 グリが深く息を吐く。

 リザードンの喉が、わずかに鳴った。

 

「ならば、貴方のルールで交渉しましょう」

 

 男は宣言する。

 この街の法ではなく『暴力』という名の共通言語で。

 

「負けたら、この街から出ていってください」

「あーそう」

 

 モモナリは残りのコーヒーを飲み干し、カップを置いた。

 乾いた音が鳴る。

 きつけならちょうどいい。

 

「それならちょうどよかった」

 

 立ち上がる。

 太陽が完全に沈んだ。

 

 世界の色が変わる。

 夕暮れの暖かなオレンジが消え、街灯の無機質な白が灯る。

 そして、石畳に浮かび上がる鮮烈な赤。

 

『バトルゾーン』起動。

 

 日常が終わり、闘争の許可が下りる。

 

「二人まとめてかかってくるといい」

 

 モモナリの足元から、風が生まれた。

 否、ただの風ではない。

 ジャリジャリと音を立てる、物理的な質量を持った粒子。

 

『すなあらし』

 

 視界を奪う茶色のカーテンが、モモナリの姿をすっぽりと覆った。

 その中から、一人の影が音もなく滲み出る。

 

 仮面をつけた女。

 そして、その傍らに立つサーナイト。

 

 打ち合わせなどない。

 ただ、匂いを嗅ぎつけた獣が、同じ獲物の前に現れただけのこと。

 

「さあ、お話ししようか」

 

 すでにモモナリはそこにおらず、そこには仮面をつけたもう一人のトレーナーが。

 

 

☆ 

 

 

 吹き荒れる『すなあらし』の中でも、グリとグリーズの連携が分断されることは無かった。善悪はどうあれ幼少のころから『組織』の中で培われたものは、そう簡単に別れることはない。

 

 だが、その連携をもってしても、仮面のトレーナーたち『怪人連盟』の連携を打ち破るには至っていない。彼等もまた、まるで相手の動きがわかっているかのように、アイコンタクトの必要もなく動いていた。

 

 バトルも終盤だ。

 すでにグリのリザードンも、グリーズのカエンジシもメガシンカのカードを切っている。

 

『仮面のトレーナー』のサーナイトも同じくメガシンカをしているが、もう一人のほうのポケモンがまだ見えない。

 

『すなあらし』の中に、巧みにその正体を隠している。

 その中で、そのポケモンは足音を散らしていた。視覚だけではなく音でも惑わせてくる。

 

「『ハイドロポンプ』」

 

 砂煙の向こう側から、強烈な水流が襲い掛かった。

 だが、グリーズとメガカエンジシは、わずかに身をよじるだけでそれをかわす。

 想像の範疇を越えない攻撃であった。

 そして、その攻撃は、自らの居場所を自白しているのと同じ。

 好戦的に見えて、グリーズは相手の出方を待つ戦略的な待ちができる優秀なトレーナーであった。

 

「『ハイパーボイス』!」

「『ドラゴンダイブ』!」

 

 メガカエンジシとメガリザードンが『すなあらし』の向こう側に攻撃を放った。

『ハイドロポンプ』はスキのある大技だ。メガシンカしていないそのポケモンを一度に叩けば戦局は大きくこちらに傾くと踏んでいる。

 

 しかし、『ハイパーボイス』は誰もいない『すなあらし』を巻き上げ、『ドラゴンダイブ』は空っぽの石畳を叩くだけに終わる。

 

 少なくともこれまでの経験では考えられなかった光景に、グリとグリーズは一瞬目を見開く。

 そこにある『不自然に傾きのあるひかりのかべ』に気づいたときには、すでに自分たちに攻撃のターンは無い。

 

「『ムーンフォース』」

 

 メガサーナイトが夜の妖艶な光を集め、メガリザードンに叩き込んだ。

 だが、グリは悲観よりも反撃のために考えを巡らせた。進化の力でほのおとドラゴンタイプになっているメガリザードンに、フェアリータイプの攻撃は効果抜群ではない。

 じめんや岩タイプの攻撃を叩きこまれない限りは、パワーでの攻勢は揺るがない。

 

 石畳を叩く重量感のある足音。

 

 グリ、グリーズ、その二人に唯一共通していたわずかな『死角』から現れたのは、メガではないが巨大で俊敏なドラゴン、ガブリアスだった。

 

「『じしん』」

 

 跳ね上がったガブリアスがメガリザードンを踏みつけ『じしん』の衝撃を与える。

 

 グリにとっても、グリーズにとっても、リザードンにとっても予想外のダメージであった。

 何故、そこから攻撃することができた。

 二人の頭を支配しているのはそれ一点であった。

 

 そしてグリが、そのわずか後にグリーズが気付く。

 

『ひかりのかべ』で『ハイドロポンプ』を屈折させて、攻撃の方向を偽装したのだ。

 それができれば、後は簡単だ、それにつられた二人の『死角』に悠々と潜り込めばいい。

 

 彼らは好戦的に見えて、相手の出方を待つ戦略的な待ちができる優秀なトレーナーであった。が、それを信頼し最大限利用してくる相手との経験は少なかった。

 

 倒れるメガリザードン、グリの手持ちはすでに無い。

 

 残ったグリーズとメガカエンジシは、雄大に身構えるメガサーナイトと『すなあらし』の向こう側に潜むもう一人を相手に身構える。

 

「上等だ! かかって来いよ!」

 

 司令塔を失い、蛮勇に身を任せる『群れ』が一つ。

 全力で狩りつくせばいい、その抵抗を楽しみながら。

 

 

 

 

『すなあらし』が晴れた。

 

 街灯の灯りが、頼りなく石畳を照らしている。

 

 グリのリザードンは、地に伏していた。

 その巨体がわずかに痙攣し、鼻孔から熱い蒸気を吐き出している。

 グリーズのポケモンもまた、主人の足元で沈黙を守っていた。

 

 圧倒的だった。

 

 グリとグリーズ。彼らの連携、街への愛、そして怒り。それらは確かに強力なエネルギーであり、戦略だった。

 

 だが『怪人連盟』の前では、それらはただの『一つの手段』に過ぎなかったのだろう。

 

『手段』をぶつけ合う。

 だがその先には本物の『暴力』が存在する。

 それがバトルの理屈だ。

 

 仮面のトレーナーは、ふうと息を吐いた。

 息が乱れているわけではない。

 一つの優れた『群れ』と闘争することができた興奮を、息を吐くことであらわしているだけだ。

 本質的には、息一つ乱れていない。

 隣の女もまた、優雅に佇んでいる。メガサーナイトの光が、夜の闇に溶けていく。

 

「化け物め」

 

 グリが呻く。

 その言葉は、恐怖というよりは、理解の範疇を超えた現象への畏怖に近い。

 

 そして、仮面のトレーナーは、にこりと笑ってそれに返す。

 

「いうほどじゃないさ、君たちもよかった」

 

 そこに畏怖は無く、勝者のみが持つ遥かな高みからの視線があった。

 

 そこへ、複数の足音が駆けつける。

 MZ団。

 マチエールを先頭に、ピュール、デウロ、タウニー、そしてあの少年。

 

『すなあらし』を辿ってきたのだろう。

 

 彼らは即座に展開し『怪人連盟』の前に立つ。

 

 だが、動けない。

 

 マチエールの足が止まる。ピュールが息を呑む。

 本能が告げているのだ。

 この領域に踏み込めば、少なくともただでは済まない、と。

 

『仮面のトレーナー』は、彼らの萎縮を肌で感じた。

 心地よい緊張感。だが、少し物足りない。

 

「遠慮はいらないのに」

 

 モモナリは、両手を広げてみせた。

 無防備なポーズ。それが最大の挑発であることを、彼は知っている。

 

「やろうよ。いつだっていいよ」

 

 その言葉は、招待状であり、宣告でもあった。

 ピュールがたじろぎ、一歩後退する。

 デウロが唇を噛む。

 

 だが、二人

 少年とタウニーだけは、退かなかった。

 無表情のまま、仮面のトレーナーの瞳を真っ直ぐに見返している。

 特に少年は、ただただ冷静に『怪人連盟』を見比べていた。

 

 多少の怒りはあるだろうが、そのに恐怖は無い。

 ただただ、自分達との『群れ』との比較するような目。

 

「良い目だねえ」

 

 仮面のトレーナーは、口の端をわずかに吊り上げる。

 最強のトレーナーという評判は、あながち間違いではないらしい。

 

 

 

 

 そこに、もう一人の人物が現れた。

 長いロングの三つ編みに、ホットパンツのメイド服という珍しいいでたち。

 

 ミアレソシアルバトルクラブ代表、ユカリの従者であるハルジオだ。

 

「失礼いたします」

 

 不自然なほど生真面目にお辞儀を行った彼女は、MZ団と『怪人連盟』を交互に見やって続けた。

 

「ユカリ様より伝言がございます」

 

 それだけ言って、一歩後ろに下がる。

 

 空間が歪む。

 青白い光が収束し、石畳の上に優雅なドレス姿を投影する。

 

『ごきげんよう』

 

 ユカリのホログラム。

 彼女は、この惨状を見ても眉一つ動かさず、口元を隠して微笑んだ。

 

 そして彼女は『怪人連盟』を見やり、勝ち誇ったように続ける。

 

『市長がついに口を割りましたわ』

 

 彼女の視線が、モモナリの隣、仮面の女へと流れた。

 

『そちらの方は言うまでもないとして、仮面のトレーナー様、あなたの正体は既に判明しています。大方わたくしの想像通りでしたが、驚いていないかと言われると嘘になりますわね』

 

 場に緊張が走る。

 マチエールたちが色めき立つ。

 犯人の特定。それは事件解決への最短ルートだ。

 

 だが、ユカリはその名を口にしない。

 ただ、楽しげに目を細めるだけだ。

 

 マチエールが困惑の表情を浮かべる。

 

「ユカリさん、それは」

 

 仮面の男は鼻を鳴らした。

 

 くだらない。

 

 彼女は『正体を知っている』と言っただけだ。『正体を暴く』とは言っていない。

 

 彼は仮面の下で、ユカリの意図を正確に読み取った。

 

「そんなもん、ただの水掛け論にしかならない。君がどんな誰の名前を口にしようと、僕たちが否定し続ける限り、それはこじつけにしかならないよ」

 

 あまりにも堂々とした開き直りに、MZ団たちは表情を歪ませる。

 だが、彼は至極当然と言うように言葉を続ける。

 

「正体なんてものは、戦って勝ち取るものだ。そうだろう?」

 

 その言葉に、ユカリのホログラムの瞳が輝いた。

 理解者がいたことへの歓喜。

 

『ええ、その通りですわ』

 

 彼女はうっとりと手を合わせて恍惚の表情を見せる。

 

 この街のシステムにおいて、真実は『与えられるもの』ではない。

『勝利の報酬』であるべきだ。

 それが、彼女の美学。

 

 ユカリは『怪人連盟』に対し、最終的な提案を突きつける。

 

「明日。その仮面を賭けて、私とハルジオが相手をしましょう」

 

 正体を賭けた、決戦である。

 

 彼の隣で、仮面の女が小さく息を吐いたのがわかった。

 怯えではない。

 わずかな覚悟と、猛烈な興奮。

 

 拒絶する理由が無かった。

 

「望むところだ」

 

 彼は短く答えた。

 隣の女と視線を交わす。言葉はいらない。

 二人は同時に背を向ける。

 

「待て!」

 

 マチエールの制止の声。

 だが、遅い。

 

 再び舞い上がった『すなあらし』が、二人の姿を夜の闇へと溶かしていった。

 

 

 

 

 砂が落ちる音が止むと、そこには誰もいなかった。

 残されたのは、敗北したグリ、グリーズ。そして、呆然と立ち尽くすMZ団。

 

 ユカリのホログラムだけが、依然として鮮明に輝いている。

 

 彼女は、膝をついたグリに歩み寄るような仕草を見せた。触れることはできない光の身体で、慈悲深く見下ろす。

 

「どうかお立ちになって。あなたたちの愛は、美しかったですわ」

 

 それは慰めではない。敗者の美学を愛でる、優しい言葉だ。

 

 マチエールが、意を決して問う。

 

「ユカリさん、どうして正体を明かさなかったのですか。わかっているのなら、今すぐ拘束すれば」

「無粋ですわね、探偵さん」

 

 ユカリは冷ややかに言い放った。

 

「『仮面のトレーナー』の正体は、安っぽい噂話や、警察の調書であってはなりません」

 

 彼女は夜空を見上げた。

 そこには、再開発中のプリズムタワーの影がある。

 

「それは、ユカリトーナメントの頂点に飾られるべき、最も輝かしい『トロフィー』なのですから」

 

 彼女にとって、この騒乱すらも、自らの心埋めるための壮大な演出に過ぎない。

 怪人も、暴走も、すべては、彼女のコレクションケースに収まるべき物語の一部なのだ。

 

 ユカリの姿が、ノイズと共に消える。

 後に残されたのは、やり場のない静寂と、夜風の冷たさだけだった。




次回投稿は2/26です。



感想、評価、批評、お気軽にどうぞ、質問等も出来る限り答えようと思っています。
誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。
ぜひとも評価の方よろしくおねがいします。
ここすき機能もご利用ください!

Twitter
マシュマロ

後書きによる作品語りは

  • いる
  • いらない
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。