モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 30-親友

 ピジョットと男は、自分達が空気を切り裂いていることを肌で感じながら、クチバの海上を飛行していた。

 巻き上げられた海水が、彼等の背後に白い泡の道を作っていた。最も、ピジョットと男はそれが現象として存在することは知っていただろうが、それを目にすることはない。ピジョットと男は頑丈な革の拘束具でピッタリと流線型になるように繋がれており、男が自由に動かせるのは首が少しと手綱を握った両腕が少しだけだった。

 やがて、遠くに大きな旗を持った男が見えた。そう思った次の瞬間には、自分達は男を追い抜いている。男は手綱を少しだけ引き、ピジョットは大きくスピードを落としながら上体をもたげ、高度を上げた。

 随分と早かったな、と男は驚いていた。しかし、もしかするとそれは自分があえて『飛ぶこと以外何も考えないようにしていたから』かもしれないな、とも思っていた。何かから逃げるための、楽しい時間は、思っていたよりも早くすぎるから。

 

 クチバシティ海上飛行訓練場、記録員の男は降り立ったピジョットから降機した馴染みの男に笑顔で語りかけた。

「キリュー、これまでで一番早いぞ」

 リーグトレーナー、キリューはその言葉に、少しだけ表情を曇らせた。

「測ってたのか」

 クチバジムトレーナーで、かつてマチスと同じ部隊に所属していた父の影響で、幼い頃から『飛行ポケモン乗り』と慣れ親しんできたキリューにとって、同じように飛行ポケモンに乗ってだだっ広く障害物のない海上を突っ切るのは、殆ど遊びと変わらなかった。

「こっちばっかり上達しても困るんだがなあ」と、キリューはヘルメットで押しつぶされていた短髪をグシャグシャと掻いた。好きこそものの上手なれとは言うが、殆どうまくなることを意識していないこっちの遊びばかりが上達していることに、嬉しさと焦りが半々だった。

「なあ、何度も言うけど公式の記録会に出ちまえよ。遊びでこのタイムが出せるなら上手く行けば国も背負えるぜ」

 記録員の男は目を輝かせていた。キリューがまだほんの子供だった頃から彼を知っている男には、キリューが飛行士として国を背負うかもしれない人材だと言うことを世間に知らしめたいという欲もあったし、自らが叶えることができなかった夢を繋いでくれるかもしれないという羨望もあった。

 しかしキリューは、とんでもないと言った風に手を振った。

「勘弁してくれよ、先生に殺されちまう」

 先生、とは元四天王のキクコのことである。キリューはキクコが引退後に精力的に勧誘を始めた『弟子』の最初の一人であり、現在最も成功している弟子の一人である。

 キリューはキクコにポケモンリーグを脱退して別の活動に力を入れたトレーナーに対しての恨み節をこれでもかという程に聞いていた、特に優秀なトレーナーだったのに携帯獣学一本に絞って喧嘩別れしたオーキド博士への愚痴はもうそれだけで本が一冊かけるのではないかというほど多岐にわたるバリエーションで耳にしていた。

「正直、こっちもビクつきながらやってんだからさあ」

 そうかい、と記録員の男は残念そうに笑った。キリューが師匠であるキクコへの恩義に報いるために必死なことを彼も十分なほどに理解していた。

「でもまあ、本業の方も調子がいいじゃねえか、明日勝てば昇格なんだろ?」

 ああ、とキリューは答えた。彼はBリーグを九戦終えて八勝一敗と大きく勝ち越している、次の試合で勝てば最終戦の結果にかかわらず昇格が決定していた。

「明日は皆テレビに釘付けだろうな、俺も祝勝会に呼ばれてんだ」

「気が早いよ」と、キリューは笑った。

 部下の息子と言うこともあり、キリューはクチバジムリーダーマチスのお気に入りの一人だった。マチスだけではない、マチスの関係者は全員キリューの親衛隊に近しい存在だった。そうなれば、クチバ全体がキリューのファンと言っても過言ではない。

「頑張ってくれよ、相手はモモナリって奴なんだろ? 一体どんなやつなんだ?」

 記録員の男は、キリューとモモナリが親しい友人であることを知らなかった。

 キリューはすこしばかり考えて「良い奴だよ、友人だし」と答え、またぐっと考えこんでしまった。

 男は自分の軽口に後悔した。勝負の世界に生きていなくとも、昇格をかけた一戦の相手が友人であることが普通ではなく、いつものような闘争心が出ないかもしれないと言うことは理解していているつもりだった。

 しかし、キリューはもっと別な部分で悩んでいた。その悩みを吹っ切るために遊びに来たつもりだったのに、またこうやってその考えが頭をめぐってしまう。最もそれは記録員の男が原因なのではなく、結局それは速いか遅いかの問題であった。

 自分とモモナリは、良い友人である、それは確かだと思う。モモナリは自分によく懐いているし、自分もモモナリにはある程度心を開けるだろう。

 だがその一方で、彼はもう一つ、モモナリに対して激しく燃えたぎる感情があったのだ。

 

 

 

 

 キリューとモモナリの対戦は、光り輝く大都会、ヤマブキシティで行われる。

 交通の便がよく、四つの街に隣接しているヤマブキシティの対戦場には多くのファンが駆けつける。十戦目でありながら昇格が確定するかもしれないという状況も大いにファンを沸かせていた。

 対戦相手であるモモナリはここまで九戦で六勝三敗、悪くない数字である。ここでキリューに勝てればBリーグは急に混戦めいてくる。どちらが勝っても白けることのない買いの試合だった。

 ヤマブキシティ、ポケモンリーグ対戦場控室。キリューは手を組み静かにキクコの到着を待っていた。

 待ちに待っていたノックの音が聞こえ、どうぞ、と答えた。

「入るよ」

 随分と年齢を重ねたというのに、キクコはまだまだ元気だった。試合前に少し話がしたいという弟子の願いも難なく受け入れた。

 後から付いてきたリーグトレーナーのキシが、キリューにペコリと頭を下げた。彼自身がキリューに呼ばれたわけではないが、キクコがキリューに呼ばれたと聞いて付いてきたのだろう。キシ自体も今期Cリーグを一期抜けした逸材で、この二人の弟子の活躍は、キクコ一門の大きな中心だった。

「珍しいね、あんたがこういう事をするなんてさ」

 キクコにとってキリューは手のかからない一番弟子だった。幾つかの基礎を教えればそれを応用できる柔軟性を持ち、敵を作らず人柄も良い、弟子の数が増えても兄弟子として彼等を熱心にサポートしていた。高い壁に行く手を阻まれてもそれを打ち破ることのできる力を持った自慢の弟子だった。

「キリューさん、僕達にできることなら何でも」

 キシにとっても、キリューは良き兄弟子であり、本当の弟のように接してくれる兄貴分でもあった。常に自分の先を行くキリューは、トレーナーとしても尊敬できる存在だった。

「モモナリさんの手持ちの情報は抑えてあります。傾向と対策もバッチリです」

 キシはカントー・ジョウトポケモンリーグでも屈指の対策派で、ポケモンとバトルに対する知識量は相当なものだった。こういう時、縦の結束力のある一門は強い。

 しかし、キリューは首を振った。

「悪い、そういうのじゃ無いんだ。悪いが、俺が出るまでちょっと外にいてくれないか」

 その言葉に、キシは少し気を落としたが、キリューに一礼して控室を後にした。

「こりゃあ、ただ事じゃないねえ」

 キクコは笑いながらもその胸騒ぎを抑えきれてはいなかった。手のかからない弟子だっただけに、この大一番前にどんなことを言い出すのか想像できなかった。

「先生、正直に答えてください。先生は今日の試合、どちらが勝つと思っていますか?」

 真面目な顔をしてはいたが、キリューの質問は彼らしくない要領を得ないものだった。ある程度の覚悟はしていたが、興奮か不安か、相当にテンパっているなとキクコは思った。

「回りくどいのは嫌いだよ、言いたいことはハッキリ言いな」

 このようなときに「お前が勝つ」と無責任に言い放つことはキクコは嫌いだった。

 キリューはふう、と一つため息をつき、そりゃそうだろうなと言いたげに髪を掻いた。言いたくない言葉だが、もう言わなければ仕方がないのだろう。そう覚悟を決めてしまえば、キリューもまた、ハッキリとした男だった。

「先生、モモナリは良い奴です。俺はポケモンリーグで腹を割って話すことができる奴ができるとは思っていなかった」

 元四天王のキクコの一番弟子だという背景は、必ずしも彼にとって良いことばかりではなかった。

 キクコはポケモンリーグでも屈指の影響力を持つトレーナーの一人だった。彼女が一声あげればポケモンリーグ全体が動きかねない、キクコの直接の息がかかっている新人トレーナーであったキリューは、若手トレーナー達にまさに腫れ物のように扱われていた。

 強きは孤独である、と自分に言い聞かせ、彼は孤独を受け入れつつあった。自らを慕ってくれる弟弟子達に弱みを見せるわけにもいかず、師であるキクコに心配をさせたくもなかった。自らの孤独が、彼女の格のせいであるなど言えるわけなかった。

 彼女もまた、彼の孤独を理解していながらも、どうすることもできなかった。そのことについて声を上げてしまえば、それこそ大事な一番弟子をますます孤独にしてしまうだろう。宿命、自分自身のこれまでのツケと割り切るしか無かった。

 モモナリは、彼を孤独から救ったトレーナーだった。リーグトレーナーとしては一年後輩、年齢では三歳年下であったが、彼はキリューを恐れること無く「あなたの師匠ってキクコさんなんでしょう?」と無邪気に話しかけてきたのである。人間としての波長が合ったのだろうか、キリューとモモナリはそれからも遊び、語らい、戦った。キリューにとって、かけがえのない友人の一人だった。

「良い奴だから、戦いたくないのかい?」

 キクコは挑発的に結論を急いだ。そうであったら良いのにという望みがあった。もしキリューがそんな腑抜けに近いことを言い出したのならば、ピシャリ引っ叩いて一喝すればいいだけの話だ。しかし、手のかからないこの男のことだから、そんな単純な話ではないのだろう。

「先生、逆なんです、俺はあいつと一刻も早く戦いたい。俺は、あいつが憎くて憎くてたまらないんです」

「そりゃあ一体どういうことだい」

「先生、俺は知っています。先生は俺よりもモモナリの方に惚れ込んでいることを」

 その言葉を、キクコは否定しなかった。事実、キクコは事あるごとにモモナリを気にかけ、時には叱責した。新人時代のモモナリがどれだけ光り輝く存在だったか、一年先輩でCリーグでも戦ったキリューには痛いほどわかっていた。しかし、それでも納得のできない部分はある。

 元四天王であるキクコの一番最初の弟子であるということには、父を含め、クチバの皆の自慢だった。キリュー自身も。そのことは誇りに思っていた、だが、その直後に現れたモモナリは、業界はもとより、師匠であるキクコをも魅了しているように思えた。嫉妬していた。もし、彼が決して良い奴などではなく、自らと友人でもなければ、その嫉妬を上手く闘争心に昇華出来ていただろう。しかし、キリューはその憎しみの感情に戸惑い、受け入れきれずにいた。

「先生、今日の試合は特別なモノが多すぎる。俺はどうしても勝ちたい、あいつを恨めしく思うこの感情をぶつけてまで勝つべきなのでしょうか」

 今日の試合、勝てばキリューは自身初のAリーグ昇格を手に入れる。そしてそれはキクコ一門初めてのAリーグ昇格をも意味しており、それによって一門の格も大きく上がる、弟弟子達の励みにもなるだろう。

 また、モモナリを蹴落としての昇格となれば、若手筆頭株の差し替えをも意味する。キリューは若手の顔となり、落ち目と称されていたモモナリの立場は更に厳しいものになるだろう。

 彼はこの特別な試合に、憎しみという私情をぶつけていいものかどうか悩んでいた。親しみが私情ならば、憎しみもまた私情である。

「もしかしたら俺は、あいつを潰してしまうのではないかと不安なんです」

 その言葉は、彼の大きな自信の現れであった。結局のところ、彼はこの試合の勝敗についてナーバスになっているわけではなく、この試合での勝ち方についてナーバスになっているというわけだった。

 なんとも、頼もしいことじゃないかと、キクコは歯抜け笑いを漏らした。

「それで力が出せるのなら、やってみることだね。トレーナー同士の友人関係のコツってのはね、恨み辛みや鬱憤を試合で晴らすことさ。それができなくなったから、わたしゃオーキドを恨みっぱなしだよ」

 

 

 

 

 キリューが繰り出したハリテヤマが、モモナリのアーボックめがけて『とっしん』する。

 アーボックは迎撃の体制をとったが、急な目の前の破裂音に驚き、ハリテヤマを見失った。ハリテヤマの『ねこだまし』が文句なく決まっている。

 これを機と判断したキリューとハリテヤマは、背後からアーボックを踏みつけ『じしん』の振動で攻撃しようとしたが、アーボックはモモナリの指示の下、そのしなやかな体を跳ね上げて、その攻撃から身を『まもる』。

 もう一度、とキリューは指示を飛ばしたが、ハリテヤマの体は鈍くとしか動かない。アーボックの超能力による『かなしばり』で『じしん』攻撃を封じ込められていた。

 こうなるとモモナリ側が圧倒的に有利、このマッチアップはタイプ相性上アーボックに分がある。

 キリューはハリテヤマに交代の指示を出し、ボールを投げた。凡俗で工夫のない交代だが、マッチアップが悪かったと諦める他無い。アーボックは自身の皮をはいで『みがわり』を作り出し、その後ろに隠れた。

 交代先の無防備な相手に攻撃、もしくは妨害的な技を打ち込むこともできる、むしろアーボックは補助的な技が豊富で『へびにらみ』によって地面タイプを麻痺状態にできるところに主張がある。一連の流れは、モモナリの方が消極的に見えた。

「流石だね、目先の欲にもくれず、安易な選択肢にも逃げなかった」

 モニタから戦況を見つめていたキクコはフン、と一つ鼻息を鳴らした。その後ろでノート片手に戦況を見つめるキシも同じく興奮で鼻を鳴らした。しかしそれはモモナリの判断に向けてではなく、兄弟子キリューの勇姿に向けてのものだった。

「やはりそのくらいキリューさんのネイティオは脅威なんですよ」

 キリューはポケモンリーグでもかなり攻めっけの強いタイプのトレーナーだった。イッシュ出身であるマチスの影響を色濃く受けている。彼はサイクル戦に強く、ハマればAリーガーでも押しつぶせる圧力を持っていたが、一方で妨害攻撃に徹されると弱い一面があった。キリューも様々な策を巡らせはしたが、どれもこれといったものはなかった。

 その状況を劇的に変えたのは精神修行のために立ち寄ったアルフの遺跡で出会ったネイティオであった。妨害攻撃を跳ね返す特殊な特性『マジックミラー』はまさにキリューのパーティーにぴったりだった。複合的に付いてきたもう一つの戦略とともに、キリューの快進撃を支えている。

 キリューはヤドランを繰り出し、相性で有利に立つ。エースを繰り出すと言う選択肢も合ったのだが、アーボックの『みがわり』が実にいやらしく、この状態ではいかに『マジックミラー』でも妨害攻撃を相手に跳ね返すことはできない、エースを妨害技豊富なアーボックの前に晒す選択肢はあまりにもリスクが高すぎた。

「とりあえずは身代わりを消したいですね、一瞬消極的に見える選択肢だけど、こうなるとめんどくさいですね。一匹犠牲にする必要があるかも」

 先手を取ったのはアーボックの方だった。タイプ相性の上では不利だが、ヤドランに『ふいうち』でダメージを与える。ヤドランも『サイコキネシス』で身代わりを吹き飛ばしたが、体力の上ではアーボックが有利だろう。

 ここでキリューはヤドランをボールに戻した。キリューのヤドランはその特性『さいせいりょく』によって、ボールの中である程度体力を回復することができる。サイクル戦を重視するキリューにあったポケモンだった。

 しかし、アーボックは新しく繰り出されたポケモンに『どくどく』を吐き出した。繰り出されたポケモン、ハリテヤマはその毒を全身に浴び、猛毒状態になってしまう。

「ああ」とキシは叫んだ。

「してやられたね」

二人はしばし沈黙、そして二、三回ノートにペンを走らせたキシが「ああ、なるほど」と納得する。

「アーボックの『かみくだく』を考えるとネイティオは出せない、『どくどく』を撃つならこのタイミングがベストなのか。しかしヤドランに居座られていたらと考えるととてもできない、サイクル戦においてキリューさんがコントロールされる側になるなんて」

「多分モモナリはそこまで考えちゃいないけどね、何となく感覚でこういうことができちまうんだよ。まったく、こういうタイプを弟子にしても甲斐がないんだよねえ、弄れば弄るほどダメになるかもしれない」

 キクコの愚痴を、キシは流した。

「だけど、まだキリューさんにも『からげんき』の主張がある」

 まだ試合は始まったばかり、ここでの差が直接勝敗に結びつくことは少ない。しかし、この妙な緊張感は、対戦場全体を包みつつあった。

 

 試合も中盤にさしかかり、残るポケモンはお互いに四体ずつとなった。キリューは何とか持ち直したが、持ち直すのが精一杯といったところで、試合の主導権を握るとまではいっていない。

 お互いがポケモンをボールに戻し、出し合いとなる。

 心の底から、憎たらしい。キリューの舌打ちは、歓声に消えた。

 対戦成績は悪くない、五分か、一つ二つ自分が負け越しているくらいだろう。なのに、よりにもよってこの大事な試合にここまでの馬鹿力を発揮する。否、モモナリと言う男は特定の試合に合わせて馬鹿力を発揮するようなタイプではない。ならば、この特別な試合に無駄に力が入っているのはきっと自分のほうなのだろう。

 しかし、今の自分には力がある。モモナリはいつまでも成長しないが、自分は成長しているという自負もある。ならば勝てる、勝てるはずなんだ。

 キリューはネイティオを繰り出した。観戦場のファンからは歓声とざわめきが沸き起こる。そのポケモンがキリューの快進撃の主役だということは有名だった。

 対するモモナリが繰り出したポケモンはゴルダック、知る人ぞ知るモモナリと最も付き合いの古いエースである。

「来た!」キシがノートをたわませながら叫んだ。

「理想的な展開ではないけど、どう『みらいよち』をねじ込むかねえ」

 ネイティオによって複合的にもたらされたもう一つの戦術、それは『みらいよち』による時間差攻撃である。時間差で強力な特殊攻撃を誘発する『みらいよち』に他のタイプや物理攻撃などの攻撃を重ね打ちすることによって、どんなポケモンでも一撃で沈める事ができる。ネイティオの『マジックコート』によるサイクルの強制とキリュー自身のサイクル戦の豊富な経験により可能な連携である。

 繰り出されてすぐに、ネイティオの胸にある二つの目がコウコウと光る、一時的に無防備になるが攻撃を『みらいよち』した。

「さっそくだね、ちょっと安直すぎやしないかい?」

 キクコはそう疑問を呈した。一時的に無防備になる『みらいよち』はできれば相手の交代時などのリスクがない場所で打ち込みたい技だが、焦りだろうか。

 しかし、モモナリのゴルダックは攻撃には動かなかった。不思議に思ったキシが注目してみると、ゴルダックは呆けた顔で突っ立っている。

「『ドわすれ』?」

「『みらいよち』を『ドわすれ』で受けようっていうのかい? らしくないね、ちょっと凡手すぎるよ」

 しかし、二人共これといった行動が思いつくわけでもない、そもそもネイティオ相手に攻撃を入れない事自体が不可解だった。

 そして、キリューは俄然興奮する。一か八かでの『みらいよち』だったが、どうやら上手く行ったようだ。これならいける。

 ネイティオはゴルダックの『れいとうビーム』を『みきり』でかわしたが、『アクアジェット』の追撃を食らってしまう。しかし、それは致命傷ではない。ネイティオは両翼で『おいかぜ』を作り出し、後続への形を盤石のものとして、キリューのもとに戻った。

「完璧だ、これ以上ない」

 ネイティオが作り出すことのできる完璧なシチュエーションだった。キシの興奮も不思議では無い。

「やっぱり妙だねえ、たしかに完璧にこなしてはいるんだけど、ちょっと素直にやられ過ぎじゃないかい?」

 キクコの知る限り、モモナリと言うトレーナーはもっともっと一筋縄ではいかない曲者である。キシもその意見には概ね同意だったが、次の展開に頭が一杯で、具体的なことは考えられない。彼はゴルダックを見据えて「来る」と呟いた。

 具現化された超能力が、ゴルダックを襲う。ゴルダックは踏ん張ってこらえるが、こらえるだけで精一杯である。

 その隙に、キリューは勝負の主導権を握る為の切り札を投入する。

 超重量級ポケモン、ドサイドンが、対戦場に現れ、雄叫びを上げた。

 タイプ相性的にはもちろん不利、しかし、キリューには絶対の自信がある。『ドわすれ』によって精神力を高め『みらいよち』を受け切ったとしても、防御力はゴルダックそのもののままである、ゴルダックは防御力に特筆すべきものはない。ドサイドンの巨体から繰り出される攻撃を撃ちこめば確実に沈む。

 もっとも、キリューはゴルダックがそのまま居座るとは考えていはいなかった。恐らくモモナリは第二陣の攻撃を入れ替えで受ける考えに違いないと彼は睨んでいた。『みらいよち』とその他の強力なポケモンの攻撃の重ね打ちをそうやって凌ごうとしたトレーナーはこれまでにも数多くいた。しかし、サイクル戦に豊富な経験があるキリューはその考えをも逆手に取って勝ち星を稼いでいた。だからこその相性上は不利なドサイドンの選出、ゴルダックが居座るならそのまま沈め、受けるために出てきたポケモンもただでは済ませない。

 モモナリの控えを考えれば、撃つ技は『じしん』以外にありえない、ジバコイルには言わずもがな、アーマルドには追撃の『ストーンエッジ』で勝負を決めることができる。カバルドンの砂嵐は現状ならばドサイドンに有利に働くだろう。

 モモナリは動く様子がない、このままゴルダックでドサイドンの攻撃を受けるつもりだろう『アクアジェット』の最後っ屁があるかとも思ったが、それもないようだ。

 決まった、と『じしん』の指示を出しながらキリューは確信した。

 ドサイドンの巨体がゴルダックを踏み潰し『じしん』の衝撃を全身に浴びせる。ここに来てようやくキリューが試合の主導権を握った。観客の席のファンが湧いた。控室のキシもそう確信していた。キクコですらどこか訝しみながらも、モニタから見える状況を客観的に捉えればそうであることには疑いようがないと思っていた。

 しかし、事態は思わぬ方向に転がった。ゴルダックを踏み潰したはずのドサイドンがぐらりと揺れる、何事だ、とキリューも、ドサイドン自身も思った。

 『じしん』をまともに受けたはずのゴルダックが盛り返し、ドサイドンを跳ね除けた。体力はまだまだ有り余っているようだった。

 そのままゴルダックはドサイドンに水流を吹き付け、それに沿うようにドサイドンに『たきのぼり』のような突進攻撃を加えた。

「ミスだ! ドサイドンに直接攻撃は有効じゃない」

 キシはその状況を理解できたわけではないが、殆ど脊髄反射のようにそれを指摘した。

 しかし、その指摘もまたハズレに終わる。

 『たきのぼり』を食らったドサイドンは、そのまま膝から地面に突っ伏してしまったのである。審判員も、よく意味がわからなかったが、とりあえず戦闘不能であることには間違いなさそうなので、それを宣言した。

 その場にいたモモナリ以外のトレーナー全てが混乱していた。仮にモモナリがとんでもなく優れていたトレーナーだったとしても、ネイティオの『みらいよち』とドサイドンの『じしん』を同時に食らって倒れないということはありえるのだろうか。

「あ」とまずモニタの前のキシが気づいた。そしてキリューも何かに気づいたように目つきを険しい物にしながらドサイドンをボールに戻す。

「『ワンダールーム』か」

 キシがノートをパラパラめくり、白紙の部分にペンを走らせる。

 その言葉で、キクコもようやく理解した。

「末恐ろしいね、そんなややこしいことをよくやる気になるよ」

 『ワンダールーム』とはメンタルとフィジカルを一時的に入れ替える特殊な空間を作り出す技である。同系統の技『トリックルーム』に比べれば使用率も知名度も低い。

 つまりゴルダックは『みらいよち』を『ドわすれ』で鍛え上げたメンタルで受け『ワンダールーム』を発動、その後のドサイドンの『じしん』を入れ替わったメンタルで受けたということである。『たきのぼり』という直接的な攻撃で装甲の厚いドサイドンを沈めることができたのも、ドサイドンのフィジカルとメンタルが入れ替わっていたからである。

「まさか」

 キシは生唾を飲み込んだ、考えれば考えるほど、その戦略はあまりにも理想論過ぎて、自分がやろうとはとても思えない。

「これ、アドリブじゃないですよね?」

 その言葉は殆ど懇願に近かった、もしこんな戦略を試合中に思いついて実践できたのだとしたら、あまりにも異次元すぎる。同じトレーナーだとは思えない。

「あの不自然な大人しさからいって、流石に用意していた動きだろうね。有効な対策かもしれないけど、誰が真似するかねえ」

 

 先生が惚れるわけだよ、とキリューは表情を険しくさせ、思考を巡らせた。

 憎らしい男だった、とんでもない才能を持っているはずなのに、そのように傲慢に振る舞うわけでもなく、かと思えば実戦でとんでもないことをサラリとやってのけ、本人はどこまでも素直で無邪気にひょうひょうとしている。

 わかっている、彼が強者に愛される理由も、彼がそれだけに値する人物かどうかも、それがわかっているからこそ、彼を憎んでいる自分自身が、時折小さく見える。苛まれ、追われる。どこか彼の欠点を探している自分が悪魔のように感じる。

 しかし、そんな気持ちは、ドサイドンが倒れたことで、吹っ切れた。

 これ以上無いほどに、憎しみを込めた戦略だった。『みらいよち』に『じしん』モモナリの相棒たちにそれを叩きつけることで、これまで何年間も密かに貯めこんできた鬱憤を、晴らそうとしていた。だから、ゴルダックが『じしん』を受け止めようとしていた時、これ以上ない達成感があった。考えが甘いと、そんなもので俺の鬱憤を受け止めきれるわけがないと、戦いにおいては常に自分の上をいき、どこか達観していたモモナリでも、この憎しみの重さは想定することができないだろうと、負の自信に満ち触れていた。

 だが、その戦略は、誰よりもその戦略に精通しているはずの自分ですら考えもしなかった方法で破られた。否、戦略そのものに対して何らかの対策をしてくるトレーナーは数多くいたが、あれほど自分の主張を通した後にひっくり返されるとは、全く考えてもいなかったのである。

 そして、同時に嬉しく思った。

 その戦略は、自分の戦略に対する明確な対策だった。

 常に自分の上を行き、自分のことなんか眼中に無いだろうと思っていた男は、その実しっかりと自分の対策を何処かで考え、実行したのである。それは、トレーナーとして対等に見られていたということの証明だった。

 勝てない、と思った。

 憎しみでは、この男には勝てない、と。

 モモナリ自身は、自分が憎まれているなどとは微塵も思っていないだろう。当然だ、キリューとモモナリは親友同士なのだから。

 しかし、この戦いの場において、彼に憎しみを向けても、無意味だと理解した。

 彼は残されたボールの中で、最も安価で、最も傷ついたものを手にとり、投げた。

 繰り出されたポケモンは、カントー地方では相当な希少種である電気ポケモン、ロトムだった。

 海外やシンオウ地方の個体がクチバ港を経由してきたのか、はたまた元々捨ててあったモーターに取り付いたのか、クチバジムのゴミ箱から飛び出したそのポケモンは、クチバジムでよく遊んでいたキリュー少年に、すぐに懐いた。彼の最も古いパートナーだった。

 電化製品の構造を取り込むことによってタイプと技構成を変化させることができるそのポケモンは、キリューのパーティーの良き調整役だった。今は電子レンジの構造を取り込み炎タイプとの複合になっている。

 マッチアップ自体はどちらも弱点で縛られている状態で、このチョイスは必ずしもベストな選択肢とはいえないだろう。観戦していた多くのファンも戸惑ったに違いない。しかしそれはキリューの決意の現れだった。

 勝ちたい、と思った。目の前の男に勝ちたい。これまでの経歴や、これから成しえるかもしれないこともどうでもいい、とにかく今、目の前の男に勝ちたい。一人のトレーナーとして、この男の上に行ってみたい。精神論を重視する方ではないが、執念と呼ばれるものは、このようなものなのだろう。

「ここからだね」

 不可解な選出に慌てふためくキシを何とかなだめながら、キクコがつぶやいた。

 

 

 

 

「よくやったね」

 死闘、と呼ぶにふさわしかったのではないだろうか。

 流れと勢いは、完全にモモナリ側にあったし、単純に数の上でもモモナリ側が有利だった。

 だが、キリューは見事その試合を物にしてみせた。全てを投げうって食らいついた。

 どうしてそこまでする必要がある、と観客の多くは思っただろう。別にここで無理をしなくても、今期のキリューの調子なら昇格はほぼ確定だというのに。

 泥まみれの、華麗とは程遠いところにある勝利だった。観客たちはニュースや新聞で今日の対戦表を目にするたびに「あ、そうか。あの試合はキリューが勝ったんだった」と独りごちるだろう。

 しかし、キクコは控室に戻ってきたキリューに、短いが最大級の賛辞を送った。単純に一門初のAリーグ昇格を決めたからではない、そんなものは彼女の中では通過点でしかなかった。

 キリューは感無量といったふうに言葉を発さなかった。キクコから送られた賛辞と、この試合の勝利を、噛み締めていた。

 キシはあらかたの褒め言葉をキリューに浴びせた後に、新しいノートにペンを走らせていた。収穫が多い試合だった。帰って録画もチェックするだろう。

 その時、控室の扉が勢い良く開き、キリューを呼ぶ声がした。モモナリだった。

 彼は、つい先程負けたとは思えないほどに爽やかだった、しかし、控室にキクコとキシがいることを確認すると「あっ」と声を上げ、気まずそうに扉を締めた。

 キリューは彼の目的がわかっていた、対戦の後に一緒に飯を食べることは、彼等の一つのパターンだった。対戦者同士がそんなことをするのは気まずく、稀であるはずだったが、モモナリの押しの強さに負け一度行ってみると、思っていたほど気まずくはなかった。

「先生」

 キリューは気まずそうにキクコを見た。あれだけのことを言ってしまった以上、彼にどう向き合えばいいのか自信がなかった。

「行きな、わたしゃなんにも聞いてないよ」

 キクコは笑い、モモナリを追って控室を出た愛弟子を見送った。

 

「キシ、これが戦いなんだよ」と、キクコはキシからノートを取り上げて言った。

「単純に才能だけで測れば、キリューはモモナリより格下だろうね」

 キシは、ハッとしてキクコを見上げた。キクコは何があっても弟子を悪くいうことはない人物だっただけに驚きが大きかった。

「人間によってポケモンが発揮できる力の上限を十割とするならば、モモナリは何時でもほぼ十割を引き出すことができる、それが才能だね」

 彼女はモモナリをべた褒めしたが、その後にニヤリと笑ってみせた。

「だが、あの男には才能しか無い。十一割の力を出すことができれば、奴には絶対に勝てるのさ。キリューは執念でそれを実現した。あれほどの執念はモモナリには無いものだよ。私はそういう奴しか弟子にしないのさ。あんたもこの先名を残すには、純粋な才能を凌駕することができる何かが必要だよ、執念でもいい、狡猾さでもいい、もちろん、知識でもね」

 キクコはノートをキシに返し「さて、じゃあ帰ろうかねえ」と杖をついた。

 キシはしばらくぼうっと手渡されたノートを眺めていた。




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