モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 107-キッサキは決意の地

「キッサキは寒い、と」

 震える手でメモ帳にペンを走らせるモモナリを見て、そんなこといちいちメモする必要があるのかとキシは思った。もしかすると、自分も昔そんなことを思われていたのかもしれないな。

 しかし、たしかに寒い、それなりの服装をしてきたとは思っていたのだが、ただでさえ寒いシンオウ地方の最北端を完全に舐めきっていた。対策不足だったな、ここまでのことは考えていなかった、と笑った。

 チャンピオン決定戦でワタルを破り、十数年ぶりの新チャンピオンとなったキシの最初の仕事は、シンオウ地方への興行遠征だった。

 シンオウ最強のジムリーダー、デンジと戦い、見事勝利を収め役割を果たした彼は、オフの一日をキッサキで過ごしたいと願った。

 付き人のモモナリは相当に嫌がった。何でただでさえ寒い地方なのに、何が面白くて一番寒いキッサキシティに行かねばならないのか。どうせならヨスガに行こう、ヨスガが良い、寒さなんて大して変わらないと主張した。

 モモナリはキシにとって良い付き人だった。チャンピオンロード世代だから旅のイロハは抑えているし、露払いとしての実力も申し分ない、もっとも最近はオフのチャンピオンに挑もうなんて骨のあるトレーナーは少なくなった、それを最も嘆いているのが露払い役のモモナリであるところも頼もしい。

 しかし一番キシにとってありがたかったことは、モモナリの脳天気なところというか、緊張感の無さだった。

 新チャンピオンであるキシに対する世間の風当たりは、少々刺々しいところがあった。突然現れた若手に栄光を奪われて面白い思いをしていないリーグトレーナーも多いだろう、ただでさえチャンピオンの付き人にはある程度の屈辱と緊張が付き物だというのに。

 モモナリはそういう点において全くの無関心、無興味だった。キシに嫉妬もしなければ、必要以上に畏まることもない、「ホントのところは今すぐ戦いたいんだけどね」と笑っているが、どうやら過去に痛い思いをしたらしく、ぐっとこらえているようだった。

 と言うわけでキシは出来ることならモモナリの意見を尊重したかったが、キッサキに行くことと、飛行機に乗りたくないことの二点は頑なに譲らなかった。

 かくして、カントー出身の男二人がシンオウの人間ですら敬遠する冬のキッサキシティで震えることになったのである。おまけに勢い良く降り注ぐ雪は払っても払ってもコートを白に染める。

「で、どうするの?」

「まずは、スズナさんに挨拶を」

 キシはそう言ってキッサキジムに向かって足を踏み出した。小気味いい音を立てて右足が雪に埋まり、バランスを崩しかける。幸先は良くなさそうだった。

 キッサキジムジムリーダー、スズナはシンオウ最北端の地らしく氷タイプの使い手で、非常に高いレベルのトレーナーとして知られる。

 

「スズナ氏はジムリーダーを勤めながらトレーナーズスクールで講師もしている才女、と」

 メモ帳を雪で湿らせながらモモナリはそう書き込んだ、なぜかと言えばせっかく苦労してたどり着いたキッサキジムにスズナはおらず、受付のジムトレーナーにこの時期この時間はトレーナーズスクールで教鞭を振るっていると聞いたからだ。受付のジムトレーナーは急な珍客に苦笑いを浮かべていた、地元の人間もこの時期にジムに現れることはめったにないのだろう。

「この時期のキッサキシティに現れたカントー人は恐らく僕達が初めてだろう、と」

 降りかかる粉雪を払いながら、二人は目を凝らした。手渡された手描きの地図は随分と水分を吸ってしまったのか、折りたためないほどカチカチになってしまっていた。

「どっちだ、全然分からん」

 街のシンボルとして大きく、目立つように作られるジムとは違い。トレーナーズスクールは特別見分けのつくような建築物ではない。こうも雪が降りしきってしまっては、他の施設と見分けることが難しい。

「とりあえず一軒ずつ回ってみるしかなさそうですね」と、半ば諦めたようにキシが言った。

「何でせっかくのオフをこんなことに」

 モモナリももう諦めたのだろう、とりあえず風に逆らいながら、埋まった右足を引き抜いた。

 この時、この二人は目の前のことに必死で、気づいていなかった。

 今現在、キシがどのような存在で、その存在がトレーナーズスクールなんてものに行ってしまえば、どのようなことになるか。

 

 

 

 

 一先ずは、沈黙が教室を支配した。

 トレーナーズスクールの生徒達も、文字通り教鞭をとっていたスズナも、突然の来訪者にポカンとしていた。

 そして生徒と講師がとりあえず現状を理解した時、どっと悲鳴に近い歓声が沸き起こったのだ。

「チャンピオンだ!」

「すごい!」

「かっこいい!」

 もはや授業どころではない、生徒達は皆立ち上がりキシのもとに群がる。様々な歓声を受けながらコートが引っ張られ「ちょ、ちょっと」と珍しく慌てるキシの声は当然のごとく無視された。

「こ、こら、みんな席について!」とスズナは何とかそれを落ち着かせようとしたが、やはり声に迫力がない。スズナ自体も現状に半ば混乱しているので仕方がない。一方で全く興味を示されていないモモナリはニコニコ笑って「どーも、どーも」とスズナに挨拶した。

 

 自習、と言う力強いスズナの言葉でようやく生徒達は落ち着き、キシたちはスクールのロビーに案内された。

「前以て言っていただければもう少しまともな応対ができたのですけど」

 スズナは恨めしげにモモナリを見て言った。そういうのは付き添いのあなたの仕事でしょうがとの訴えは残念ながらモモナリには届かず、モモナリからはニコニコとした笑顔だけが返り「いえ、突然おじゃましたこちらが悪いのですから」と、キシの反省の言葉が返って来たのだった。

 ふう、とスズナは一つため息を付いた。モモナリに皮肉の一つは言ったものの、今業界の話題の中心であるカントージョウトリーグチャンピオンが目の前にいることに多少緊張していた。

「それでは、ご用件の方を」

 まさかチャンピオンがわざわざキッサキくんだりまで子供にコートの裾を引っ張られる為だけに来たわけではあるまい、もっと別の理由があるはずだろう。

 氷タイプへの意見を求めているのだろうか、とスズナは思っていた。キシが研究熱心なチャンピオンだということはシンオウの最北端キッサキにも届いていた。キッサキは野生のユキノオーが自生する珍しい土地でもある、『あられ』について自らにアドバイスを求める他地方のトレーナーは珍しくなかった。

「実は、キッサキ神殿に入る許可を貰いたくて」

 キシの発言に、スズナは一瞬思考が停止した。その意味がわからなかった。

 キッサキ神殿とは、キッサキシティの更に北に存在する巨大な神殿である。何を祀っているのかは全くわかっておらず、謎の多い施設だ。

 その神殿の地下には重要な歴史的資料があるのだが、同時に地下には強力なポケモン達が数多く生息し、並のトレーナーはもちろん、バッジをコンプリートしているリーグトレーナーですら入ることを禁止され、一部のトレーナーと殿堂入りトレーナーだけが入ることを許されている。あのチャンピオンロードよりも危険なダンジョンである。

 そして、キッサキジムリーダースズナは、その神殿の守り人としての役割を担っていた。彼女はもしキッサキ神殿から野生のポケモン達が出てくるようなことがあれば、真っ先にそれらに立ち向かい、応援が来るまでの時間稼ぎをする歴史ある義務があり、更にキッサキ神殿に入るトレーナーの力量を見極めると言う役目もあった。

「ええと」と、なんとか言葉を連ねた。判断をしかねる、難しい願いだった。

 キシは誰がなんと言おうとカントージョウトリーグチャンピオンで、実力は折り紙つきである。きっとスズナ本人よりも一枚上手だろう。

 しかし、彼は所謂『チャンピオンロード世代』ではない、無尽蔵に襲い掛かってくる野生のポケモン達を効率よく威嚇し、必要とあれば倒すと言うノウハウが高いレベルであるのかどうかは分からない。

 もし、キッサキ神殿で万が一のことが起きれば、と考えるとゾッとする。しかし断ればチャンピオンの威厳を傷つけることになる。

「一体、どういう理由で」

 とにかく理由を聞いてみようと思った、そうすれば体よく断ることが出来るかもしれない。研究目的と言われれば、あの神殿にバトルに関する資料はないと言えば良いし、修行のためだと言われれば、ならばキッサキジムへ、と言うことが出来る。

 しかし、キシは「いえ、それは」と言ったきり押し黙ってしまった。理由は言えぬが、それでも神殿に入ることは諦めていないというふうだった。

「いやあ、それが僕にも教えてくれないんですよ」

 モモナリの気の抜けたセリフに、スズナは心の中でため息を付いて、心の中で頭を抱えた。

 聞いていたのなら、止めて欲しかった。それを止めるのも付き人の役割だろう。

「でもまあ、別にスズナさんが悩むこともないんですよ」

 そう続けるモモナリに、スズナは顔を上げた。

「何かが起こってしまっても、僕の責任にすればいいんです」

 スズナとキシは、殆ど同時に戸惑いの声を上げた。

「最悪、一度は断られたけど僕が無理やりそそのかしたことにしてもいい、多分皆信用すると思いますよ」

 シンオウのトレーナーであるスズナにはいまいちピンとこなかったが、その言葉には絶対的な説得力があった。

「そんな無茶な」と、スズナは返した、キシも同調しようとしたのか、何か言葉を返そうとしたが、ぐっとそれを飲み込んだ。

「いやあ、でもねえ、チャンピオンが行きたいと言っている以上仕方ないでしょう。僕は付き人ですから」

 ニコッと笑うモモナリに、スズナは呆れ返った。モモナリと言う変わった名前のトレーナーが相当な変わり者だと言うことは知識としては知っていたが、まさかここまでとは思っていなかった。

 しかし、その提案が落とし所として理にかなっていることは間違いなかった。カントージョウトリーグチャンピオンであるキシを拒んでいるのは、もし万が一があった時のための責任の所在についてだったのだから。

「わかりました」

 スズナは立ち上がった、キシもそれを待っていたかのように立ち上がる。最後にモモナリがゆっくりと立ち上がって「また雪道か」と呟いた。

 

 

 

 

 吹雪は、まるでキッサキ神殿を訪れるキシを歓迎しているかのように、緩やかなものになっていた。

 最も、その幸運はトレーナーであるキシを祝福しているものなのか、はたまた獲物に飢えるキッサキ神殿のポケモン達を祝福しているものなのかはわからない。

「あの、本当に大丈夫ですか?」

 キッサキ神殿の入口で、スズナは心配そうにキシに問うた。雪道の中、まっすぐに神殿を見つめていたキシに、もはや説得は不可能だと思っていた。それならばせめて、確固たる安心が欲しかった。

 キシはコートをその場に脱ぎ捨てながら「ええ」とだけ答えた。彼はコートの下に、ポケモンレンジャーなどがよく着ている動きやすいトレーナースーツを着用していた。

「キッサキ神殿は、近くで見るとその神秘さよりも、巨大さに圧倒される、と」

 そうメモに走らせたモモナリは、それをコートの胸ポケットにしまい「キシくん」と彼に声をかける。

「何も、無理をすることはないんだよ」

 スズナは驚いた、あまりにも突然の引き止めだった。どうしてそれをもっと前にやらなかったのか。

「言いたい奴には言わせておけばいいんだよ、僕も、ワタルさんも、疑ってなんかいないさ。誰も疑っちゃいない」

 モモナリは、キシの意図をある程度理解していた。

 キシは、あのチャンピオン決定戦の印象から、チャンピオンとしてふさわしくないと世間からバッシングされている面があった。特に批評家や一部のファンなどからは『好きなだけ叩くことが出来る対象』として、必要以上の攻撃を受けていた。キシがワタルに対して露骨な対策をしていたことは確かだったし、優秀なポケモン育成スタッフの兄の存在も、それを増長させていた。

 モモナリは、それが気に食わなかった。対策で届くほど、チャンピオンの地位は低くないと彼は経験から知っていた。

「あれだけの対策をすれば勝てる」とキシを叩くことは、チャンピオンであるワタルへの冒涜だと激しく憤っていた、十数年もの間、チャンピオンの座を守り続けてきた男に「凡俗で恥知らずなトレーナーが対策した結果」敗北したなどと、一体どこの誰に言う権利があろうか。これ以上ないほどに誇りある勝利と、それと同等に誇りある敗北がそこにはあったと確信していた。

 そんな奴は捨てて行けばいいんだ、モモナリの言葉にはそのような意味も含まれていた。

 キシが優れたトレーナーであることは疑いようがない、今更それを何もわかっちゃいないド素人達にアピールするような真似をする必要なんてありはしない。

「いえ、これは自分の問題ですから」

 キシは、モモナリの言葉を噛み締めていた。気遣いも、謙遜もない、真っ直ぐで、それでいてあたたかい言葉だった。

「何かを言われることなんて、あのパーティを組んだ時から覚悟していました。それよりも、問題なのは」

 すう、とキシは一つ息を吸い込んで、吐き出されるそれの勢いに任せて続ける。

「僕は、僕自身を少しだけ疑っているんです。自分自身を疑っているチャンピオンなんていないでしょう。だから僕は、チャンピオンになりに行くんです」

 

 神殿の奥に消えたキシを、二人は見送った。

「チャンピオンになりに行く、ねえ」

 ふう、と白い息を吐き出しながら、モモナリはつぶやいた。言っていることが理解できるわけではないが、チャンピオンが言っているのだからある程度の事ではあるのだろうな、と頭を振っていた。

 スズナはキシが脱ぎ捨てたコートを丁寧に畳んでいた、そういうことをやらなければ気がすまない性分だった。

「じゃ、スクールに戻ろうか」

 踵を返したモモナリに、スズナは驚いて「え、待たないんですか」と叫ぶ。

 モモナリは、なぜ彼女がそのようなことを言うのが不思議でしかたがないといった風に首をひねって「どうして? 君も授業の途中でしょ」と返した。

「しかし、もし何かがあったら」

 スズナの焦りの声に、ハハハ、とモモナリは笑う。

「何も起こりゃしないよ、だってキシくんはチャンピオンだよ」

 そのあまりの脳天気さに呆然とするスズナにモモナリは「ところで、その格好寒くないの?」とスカートから伸びる足を指差して言った。

 

 

 

 

 キッサキ神殿のゴルバット達は、久しぶりに現れた人間に、我先にと襲いかかった。この場所では珍しい、明らかに自分達より「弱い」存在だった。

 しかし、その人間が繰り出した巨大なドラゴン、カイリューにゴルバット達は蹴散らされることになった。

 そうなるとゴルバット達の勢いは一旦収まる。カイリューを従えている時点で、その人間は「弱く」は無い。

 だがそれと同時に、同じポケモンであるはずなのに人間に従っているカイリューに対して憎悪の感情が生まれるのも事実だった。

 何匹かのゴルバット達が、今度はカイリューに襲いかかる。カイリューは軽く片腕を振ってそれを防ぐが、ゴルバット達はしつこくまとわりつく。

 カイリューがそれらに意識を奪われた一瞬、キシの死角から二匹のニューラが襲いかかってきた。強きに対抗するには数と連携であることを、神殿のポケモン達は理解していた。

 ニューラの爪がキシの首にかからんとした瞬間、二匹のニューラのほうが鈍い音とともに吹き飛んだ。

 カイリューとともにキシが新しく繰り出していたメタグロスの目にもとまらぬスピードの『バレットパンチ』がそれらを的確に捉えていたのだ。

 それを見て、神殿のポケモン達は彼らを『無防備な獲物』と考えるのをやめた。彼らが敵意を向けてこないかぎり、出来る限りの傍観を選択した。カイリューを襲っていたゴルバット達も、サッと引く。キシもメタグロスをボールに戻した。

 この程度の野生は予測の範囲内だった。チャンピオンロードを経験していないとはいえ、野生のポケモンと戦うことの経験が無いわけではない。

 暗闇の向こうから、何かが神殿の床を引きずる音が聞こえた。その方向からゴルバットの群れが一目散に逃げ出していた。

 鋼と鋼がこすれ合う不快な音を響かせながら、巨大なてつへびポケモンハガネールが現れた、この神殿の中でもかなり上位に位置する格のあるポケモンなのだろう。ハガネールはキシ達の行方を遮るようにその身を構えた。この先に進むために、自らを攻撃しても構わないが、その時にはそれなりの覚悟をしてもらうと言っているようだった。

 しかし、キシもここまで来て引くという選択肢はない、どうしてもその先に向かわなければならない。

「『かえんほうしゃ』」

 カイリューが口から炎を吐き出し、ハガネールを炙る。

 ハガネールが体表を鋼で覆っているとはいえ、内部は生物のそれである。炎のような特殊で熱を持った攻撃には弱い。

 二重にも三重にも響き渡るうめき声をあげながらも、ハガネールはその鋼鉄の尾『アイアンテール』をキシに向かって振り下ろす、自らに手を出した代償を払わせなければならない。

 その攻撃を、カイリューが体で受け止めた。並のポケモンならば間違いなく吹き飛ぶであろう重量を持った攻撃だったが、カイリューはびくともしない。ハガネールは驚いた、自らの『アイアンテール』を受け止められる事自体が始めての経験だった。

 カイリューはその尻尾を地面に叩きつけ、『かえんほうしゃ』で追撃をした。さすがのハガネールも二発目には耐え切れない、これ以上ないほどの屈辱を覚えながら、ハガネールは沈んだ。

「ごめん」と、キシは気絶しているハガネールに向かって言った。それが、自身のエゴであることは十分に理解していた。

「さあ、少し『はねやすめ』しよう」

 カイリューの体力には気を使わなければならない、キッサキ神殿の最下層に行き着くにはまだもう少し階を下らなければならないだろうから。

 

 

 

 

 トレーナーズスクールの生徒達は、チャンピオンのキシが居ないとわかると残酷なくらいにテンションを下げていた。彼らを満足させるのに、今のモモナリは地味すぎた。

「皆さん、モモナリさんは『すなあらし』のスペシャリストで『天気変更戦術』に対する決定的な対策を完成させた知性派のトレーナーなんですよ」 

 当人のモモナリ以上に、スズナのほうが必死になって彼の経歴を熱弁した。第三者が思わず気を使ってしまうほどに生徒達の興味は失われていたのである。

 当人のモモナリは、ニコニコ笑って「いやあ、仕方ないですね」と言うばかりだった。本人は全くの本心からそう言っているのであろうが、モモナリの本質をよく知らないスズナはその笑いが気を使っているものにも、怒りを隠しているものにも見えていたのである。

「しかし、キッサキは『あられ』の土地ですから、とんでもなく寒いですね」

 両手をこすり合わせながらのモモナリの言葉は、キッサキの子供たちには響かなかった、キッサキが寒いことくらい自分達は誰よりも知っているつもりだった。

「こんな寒い土地では、フリーザーを思い出すよ」

 その言葉には、子供たちも少し興味を示した。寒く氷ポケモンが豊富なキッサキの子供達には、氷タイプの伝説のポケモンフリーザーは特別な存在だった。

 それにモモナリも気づいたのか、調子づいて続ける。

「僕はフリーザーが戦うところを生で見たことがあるよ」

 子供たちの視線が、モモナリに集まった。

「カンナ、ワタル戦ですね」

 スズナも声のトーンを少しだけ上げてそう答えた。チャンピオン決定戦にフリーザーが登場したその試合は、伝説の試合として、知る人ぞ知るものとなっていた。

「そう、あの試合はポケモンと人間の関わりから、現代バトルの考え方までの全てにつながる、素晴らしいものだった。今でも展開がリアルに頭に浮かぶよ」

 はい、と、一人の女の子が手を上げた。スズナが彼女に「どうぞ」と言うと、彼女は立ち上がって「あの試合は、最後にフリーザーが『れいとうビーム』ではなく『ふぶき』を打てば、試合が決まっていたと思います、なぜカンナさんはあそこで『れいとうビーム』を選択したのでしょうか」と質問した。

 モモナリはまだ小さな彼女の知識に驚いたが、スズナが「彼女には歳の離れたトレーナーの兄が」と説明すると、納得し、それに答える。

「そうだね、その話を深く掘り下げると『天気変更戦術』にまで話が繋がるんだ、ちょっと長くなるけど、ホワイトボードを使っても大丈夫かな」

 スズナと子供たちはその言葉にすぐに好意を示した。子供たちはフリーザーの話をもっと聞きたかったし、スズナは天気変更に深い知識のあるモモナリがそれを子供たちに伝えてくれることを期待していた。

 モモナリはホワイトボードに『ふつう』『はれ』『あめ』『あられ』『すなあらし』と五つ書き込み、更にそこから少し離れたところに『トリックルーム』『ワンダールーム』『じゅうりょく』と書き加えた。

「『ふぶき』という技は環境に大きく影響を受ける技で、もし場が『あられ』状態ならばとんでもない範囲を攻撃することが出来るのだけれど、逆にそれ以外の環境だったらかわされる危険性も出てくる技なんだ」

 ウンウン、と頷く子供と、パラパラと教科書をめくる子供、スズナは彼らにその話がどのページに出てくるのか教えた。

「あの試合は環境がとても重要な試合だった、まずはフリーザーの特性から説明する必要があるね」

 ホワイトボードに雑にフリーザーの絵を描くモモナリは笑顔だった。彼は、本当に数分前の出来事を気にしていないんだなとスズナは思った。

 

 

 

 

 キッサキ神殿最深部、凍って踏みしめることができない床をカイリューのおかげでなんとか回避して、キシは目的の場所にたどり着いていた。

 そこにあったのは、一体の巨大なポケモンの像だった。しかし、これまでキシが図鑑などを含めても見たことのないポケモンだった、しかし、似たようなポケモンならば、キシは知っていた。

「文献のとおりだ」

 強力で、広範囲まで照らすことが出来るライトで、その像の全体を照らす。過去にこの神殿の調査を進めた何人かの勇敢な冒険者の記録が真実であることがようやく分かった。

 その像は、力を感じさせるものだった。まるで生きていて、例えばダルマモードのヒヒダルマのように一時的にその力を封印しているかのような。

 そしてキシは自分の目線に文字が書かれているのを発見した、それもまた文献の通り、キシは文献の答え合わせをするように、指でそれをなぞりながら声を出した。

「いわ、の、から、だ、こお、りの、からだ、はが、ね、のからだ」

 ゾクリ、と背筋が震えた。

「三つの、ポケモン、あつまりし、とき、おう、すがた、を、みせる」

 その言葉もまた、文献の通り、冒険者は「このポケモンの体についての情報がないので、研究はここで打ち切る事になった」と締めくくっているが、キシはそれらについて心当たりがあった。

 シンオウとは遥か真逆の、南国ホウエンに伝承レベルでしか記録の残っていない三匹のポケモン、レジアイス、レジスチル、レジロック、これらのポケモンは像のポケモンとよく似た姿をしており、きっと関連性があるのだろうと睨んでいた。

 キシと交流のある研究者の中にも、そのことについて関心のあるものが何人かいた。しかし、その研究を実行に移しているものはいなかった、往々にして、研究者と強さというものは釣り合いが持たれづらい。ホウエンの三体を捕らえようとすることも、キッサキ神殿を探索することも、彼らには危険すぎた。本来研究者はリーグトレーナーの強さを羨み、妬んでいる、その強さを持ってすれば、この世界の幾つかの謎を解明することも可能かもしれないというのに。

 キシは、腰につけたモンスターボールの内、三つを手に取り、像の前に差し出した。

 そこに入っているポケモンは、レジアイス、レジスチル、レジロックの三体だった。彼はホウエンの研究者と協力し、すでにその三体を捕獲、特別な許可をとって一時的にこうして携帯している。

 何かが起こるはずだと、キシは思っていた。岩と氷と鋼の体、それはこの三体のことだろう、像に書かれている言葉の通りその三体のポケモンを集めている以上、何かが起こり『王』が姿を表すのは間違いない。

 その時、神殿を住処にするゴルバット達やニューラ達が、一斉に最深部から逃げ出し始めた。いくつにも連なる羽ばたきのさざめきと、幾多ものポケモンが地面を蹴るどよめき、キシは思わずカイリューを繰り出し身構えたが、しばらくすると再び沈黙が訪れる、ポケモン達が全て逃げ出したのだろうか。

 しかし、その沈黙は、すぐに破られることになる。

 ズッ、ズッと、何か巨大なポケモンが地面を這いずるような物音が聞こえた。再びハガネールが現れたのかとキシとカイリューは思ったが、その様子はない。

 そして、気づいた、その物音は、目の前の像が僅かながらにその巨体を左右に揺れ動かしている音なのだと。

 キシは素早くカイリューに指示を出し、カイリューもまたそれを待っていたかのようにキシの体を自らに引き寄せ、その像と距離を取る。

 全く予測していなかったわけではなかった、その像がポケモンの姿を模していて、特殊な特性を持ったヒヒダルマなどが体力の減少を引き金に像のような姿になる事を知っていれば、全く無い話ではない。

 しかし、現実に、目の前の像がその全体を大きく震わせ、長年のうちに積り重なった砂埃や塵を振り落としながら、一匹のポケモンとして覚醒を始めようとしている事に、キシは動揺を隠せないでいた。

 そして、そのポケモンの全貌が明らかになった時、その幾つかの特徴から、キシの中で点と点が線となって繋がった。

「やはり、レジギガス」

 シンオウ地方に残る、古く数少ない伝承の中にしか存在しないポケモン、レジギガス。その巨大さから、かつては大陸を引っ張り、動かしていたという伝説すら残る。

 しかし、その実態はわからない、伝説というのは得てして後からついてくるものなのだ。

 地面を踏みしめるように、時間をかけて覚醒したレジギガスは、ゆっくりとあたりを見回し、キシとカイリューに気づくと。

 神殿が揺れんばかりの雄叫びを上げながら、体格に見合ったその巨大な腕から繰り出される『ばかぢから』を彼らに向かって振り下ろした。

 その攻撃に、カイリューは素早く対応し、キシの前に出ると、その全身でレジギガスの腕を受け止める。

 レジギガスが突然見せた凶暴性に、キシは少しも怯んだ様子は無かった。穏やかで人間や他のポケモンと共生できるような性格のポケモンならば、伝説にはなっていない。

 大陸を引いたという伝承が真実か否かはともかく、歴史の中にそう爪痕を残すほどの力があることは間違いないだろうと思った。

 彼の中で、一つの仮説が生まれる。

 このキッサキ神殿は、レジギガスという凶暴なポケモンを封印するためのものなのでは無いか、はるか昔、確かな実力を持ったトレーナーが、この地でレジギガスと戦い、像として封印することに成功した。そして再びこのポケモンを目覚めさせることが無いように、神殿という箱を作り、隔離した。

 レジギガスがカイリューに気を取られている隙に、キシはサッと移動し位置を取った。戦う相手がポケモンならば、何も変わりはないと自分に言い聞かせた。何も変わらない、今まで自分がやってきたこととなにも変わらないはずなんだ。

 カイリューがレジギガスの攻撃をはねのけたのを確認して「『はねやすめ』」と指示を出した。カイリューは地面に伏せるように休憩の体勢を取り、スタミナの回復を図る、体力に気を使えば、長丁場にも耐えることが出来るポテンシャルがカイリューにはある。

 力だけでは敵わぬ相手だと理解したのか、レジギガスは胸にある点のような幾つかの球体を、まばらにパチパチと光らせた。相手のポケモンの気を引かせる『あやしいひかり』だろう。

 これはまずい、とキシはカイリューをボールに戻した。せっかく回復した体力をつまらないことで消耗させてはならない。

 この『試合』には絶対に負けることができない、とキシは必死だった。

 封印が必要とされるほどに凶暴なこのポケモン相手にもし自分が負ける事があれば、このポケモンはたちまちのうちにこの神殿を駆け上がり、目につくもの全てをにぎりつぶそうとするかもしれない。

 チャンピオンとして、負けるわけにはいかなかった。否、チャンピオンだからこそ、負けるわけにはいかなかった。

 あの日、チャンピオン決定戦に勝利して以来、キシは数多くの批判の声を浴びせられる事になった。

 キシ自身、その批判の声が全くの的外れではないと思っていた。もし自分が何の関係もない第三者だったならば、批判する側に回っていたかもしれない、正々堂々とは口が裂けても言えない、少なくともポケモンリーグのこれまでの流れからは逸脱した勝利だったと思う。

 しかし、そうせねば仕方がなかった。自らが歴史に名前を残す為には、そのような手段でしか成しえることができなかっただろう。

 自分には飛び抜けた才能がない、エリート街道をひた走ってきたトレーナーとは思えない悩みを彼は抱えていた。

 歩いてきたエリート街道は、所詮兄弟子のキリューが作った獣道にすぎなかった。その獣道を歩むことすら、時折映しだされる自らの鏡像との戦いだった。この時すでに、キシは兄弟子キリューに単純な才能ならば劣っていると察していた。

 そうしてついにたどり着いたポケモンリーグの地で、ワタルやカリン、イツキ、そしてモモナリのような飛び抜けた才能を目の当たりにした時、彼の中で何かが弾けた。

 勝利のために、自らの全てを捧げなければ、伝説の住人にはなれないと思った。

 ポケモンへの知識を詰め込み、カントーでも最もポケモンを理解している人間の一人にならなければならなかった、孵化や育成、戦うこと以外全てをプロのスタッフに任せ、自らは戦いのことの全てに集中した、勝利に対する執念も、それを維持する精神力も、リーグトレーナーの多くを上回っている自信があった。そうすることで、初めて伝説の住人と対等になれると信じていた。

 孵化も育成もやりながら、エッセイを書いて酒も飲んで馬鹿騒ぎして遊んで、それでも戦うことの出来る才能は無かったのだ。それでも、師匠のキクコや兄弟子のキリュー、その他多くの才能あるリーグトレーナー達に認められるには、チャンピオンの座を掴むしか無かった。

 そのような類まれなる決意で掴んだチャンピオンの誇りは、今更誰になんと言われようと汚れるものではない。

 しかし、自分自身に嘘はつけない、ある日キシは、チャンピオンである自分自身が、自らの資質を疑っている事に気づいてしまった。

それではいけない、それでは、チャンピオンになることができない。

「何が王だ、こっちはチャンピオンだ」

 キシは、新たにメタグロスを繰り出した。

 メタグロスは、レジギガスの『ヘビーボンバー』をカイリューと同じく真正面から受け止めた、そしてその腕をしっかりと掴んで、レジギガスの懐に潜り込む。

「『アームハンマー』」

 強く叫び、メタグロスもその腕を高く振り上げる。力には力、戦うために生まれたと言っても過言ではないポケモンのそれならば、伝説とも渡り合えるだろうと睨んでいた。

 しかし、メタグロスの攻撃は空を切った、ついさっきまでそこに居たはずのレジギガスが、ふっと消えたのである。

「『かげぶんしん』か」

 キシは目を凝らして、もう一度レジギガスを捉える。メタグロスのわずか前方、消えた『かげぶんしん』のわずか後方にそれは居た、再び胸の球体の『あやしいひかり』を点灯させている。

 妙だ、とキシはメタグロスをボールに戻しながら考えた。これだけの力と凶暴性を持っているポケモンなのに、その戦い方は妙に大人しい。『あやしいひかり』に『かげぶんしん』野生のポケモンであるレジギガスがどれほどトレーナーのバトルを理解しているのかは分からないが、いたずらに時間を長引かせるような戦術だった。

 何かを待っているのか、とキシは一つの仮説を立てた。しかし、これほどの力を持っていながら、一体何を待つ必要がある。

 キシが新たに繰り出したのはロトムだった。チャンピオン決定戦の時と同じく、洗濯機の機構を取り込み水タイプを複合している。

 水タイプの弱点の一つである電気タイプに耐性がある上に、電気タイプ最大の弱点である地面タイプの技は『ふゆう』しているために効果がない、実質的な弱点は草タイプの攻撃のみであり、試合以外のプライベートでも随分と頼りにしているポケモンで、とにかく迷ったらコイツと言う信頼もあった。

 レジギガスの動きのリズムを確認しながら、キシがロトムに指示を出そうとした時、その変化は起こった。

 つい先程まで、鈍いとは言わないまでも、ゆったりとした動きだったレジギガスが、急にとんでもないスピードでロトムに襲いかかり、その両手でロトムを『にぎりつぶす』

 これか、とキシは目を見張った。先程までの緩慢な動きはレジギガスの身体能力が覚醒しきってなかったからなのだ。いたずらに時間を消費していたのは、身体能力が覚醒するまでの隙を消すためのもの。

 考えられないことではなかった、長期間像としてあり続けたその体が覚醒しきっていないことは十分に考えられる。

 しかし、これまでのレジギガスの動きは、その巨体を考えれば、むしろ機敏に動いているようにも思えたのだ。だが、今見せた動きは、これまでの倍ほどに素早かった。

 厄介なポケモンだ、とキシは思った、素早さだけではなく、単純な攻撃力も倍かそれ以上になっていると思ったほうが良いだろう。

 ロトムを握りつぶしたレジギガスは、その両手をなかなか解かなかった。どこから発しているのか、低い唸り声が聞こえ、ゆっくりと両手が開かれる。

 そこから生まれた隙間から、ロトムは飛び出した。大分ダメージを受けているもの、まだ戦闘不能とまではなっていない。

 レジギガスはとどめの『ヘビーボンバー』を叩きこもうとその手を振り上げる、しかし、その動きが再び緩慢になっていることに気づいたのか、困惑のような声を上げた。

 その隙にロトムは電撃を纏ってレジギガスに体当りし、『ボルトチェンジ』でキシのもとに戻る。

「『まひ』するのは初めてか」

 覚醒したレジギガスが見せた俊敏性にキシは確かに戸惑いはしたが、勝つための指示は怠らなかった。

 キシはロトムが『にぎりつぶす』を食らう寸前に『でんじは』の指示を出していた、ロトムもまたキシの指示を正確に受け取り、レジギガスを麻痺させていた。

 与えられたものを力まかせに振り回してくるだけの相手には、少しずつ、少しずつアドバンテージを取ればいい、そう言う相手には慣れていた。

 変わって繰り出されたメタグロスは、先ほどの失態を取り戻すかのようにレジギガスとの距離を一気に詰めた。

「『アイアンヘッド』」

 メタグロスの体の中でも特に硬度のある頭部を思い切りレジギガスに叩きつける。レジギガスはその攻撃にふらついた。伝説であろうともポケモンはポケモン、ダメージが通らないはずがない。

 キシは更に続けて『アームハンマー』の指示を出したが、メタグロスが腕を振り上げたところで、レジギガスの右腕を叩きつけられる。

 メタグロスの腕が力無く垂れた。妙だ、鋼タイプのメタグロスには、通常の打撃攻撃は効果がイマイチのはず。

 キシはレジギガスの右腕に目線を向けた。その右の拳は赤く光り、陽炎で空気を揺らめかせている。

「『ほのおのパンチ』か」

 キシはメタグロスをボールに戻した、鋼の体は熱に弱い、もちろん理解はしているが、まさかレジギガスに『ほのおのパンチ』の選択肢があるとは思っていなかった。

 わかっていなかったのならば仕方ない、と自らを肯定しようとしていた気持ちに「駄目だ駄目だ」と声を荒げて否定する。

「何もわからない、が当然だろうが」

 そう、わかっていれば勝てたなどと自分を甘やかせるのは辞めにしなければならない。それで肯定されるのであれば、ワタルに勝利した自分を否定することになる。

 そして、もし自分が死んで、魂だけになっても、その言葉で生き返ることができようか。戦いとは本来、生きるか死ぬかではないのか、自分は今日、生き残るためにこの地にやってきたのではないのか、自らは生き残るに値すると、チャンピオンは生き残るものだということを証明するのではないのか。

 新たにカイリューを繰り出し再び巨体と巨体が対峙する。だが、レジギガスはカイリューよりも一回り大きい。

 再び『にぎりつぶす』を狙ったのだろうか、カイリューに向かって伸ばされた左腕を、カイリューも左手で掴む。

 更に右手も組み合う形となり、手四つの状態で力比べが均衡する。

 腕力も、体格も、優っているのはレジギガス、グイグイと体重をかけ、押しつぶすようにカイリューに圧力をかける。

 キシはその光景を見ても迷わない。「『ばかぢから』」と指示を飛ばす。

 カイリューは一つ吐き出すように唸り声を上げると、地面につけた尾の力を借りて、レジギガスの巨体を持ち上げ、くるりとその体を反転させて、地面に叩きつけた。

 パワーで負ける事、もしくは自らが地面に突っ伏すということが初めての経験だったのだろうか、レジギガスは慣れない様子で体を起き上がらせる。

 そして『ばかぢから』を出した反動で息が荒いカイリューに、再び右の拳を打ち込んだ。

 カイリューは大きくよろめき、唸る。キシが確認すると、殴られた部分が凍傷のよう凍り、白い冷気を発していた。

「『れいとうパンチ』か、やはり持っている」

 レジギガスはその凶暴性に似合わず器用なポケモンだとキシは確信した。翼を持つドラゴンであるカイリューに氷タイプの技である『れいとうパンチ』は絶大な効果が有る。

 だが、カイリューの持つ先天的な特性であるタフネスさは、その攻撃すらも堪えた。『はねやすめ』の指示がこれ以上ない効果を生み出していたのだ。やはり、特性を持て余すガブリアスよりも、無駄のないカイリューのほうが、単体のドラゴンとしては格上。

 カイリューを手持ちに戻し、ロトムを再び繰り出す。時間を稼ぎ、カイリューの息を整えなければならない。

 もう一発、レジギガスが『れいとうパンチ』をロトムに叩き込むが、水タイプを複合しているロトムにとってその攻撃は何てことはない。

 キシの『リフレクター』の指示で、ロトムは自らの前面に特殊な電磁の壁を作り出した。この壁があるかぎり、物理的な攻撃はある程度軽減される。レジギガスは両腕を振り上げているが、その攻撃も物理的なものだろう。

 しかし、レジギガスの振り上げられた両腕は、その壁の妨害など何の意味もないというかのように、ロトムを上から押しつぶす。その体格を大いに生かした『ヘビーボンバー』だった。

 さすがのロトムも、体重差を押し付けられては仕方がない。『リフレクター』を貼れたことを良しとして、キシはロトムをボールに戻した。

 そして再び、カイリューを繰り出す。レジロック、レジスチル、レジアイスの三体を手持ちに加えている関係で、このカイリューが実質的なラスト。もしこのカイリューが倒れるようなことがあれば。

 レジギガスは、カイリューを見て唸り声を上げながら体を震わせた。それをするだけの強敵だとレジギガスは認識していたのだろう。

 終わらせるつもりだ、とキシは思った。一撃で勝負を決めるような攻撃を、打ち込んでくる。

 レジギガスが動き始める、キシはカイリューに指示を出す。カイリューは今から自分に打ち込まれるであろう強大な力に覚悟し、全身で地面を踏みしめる。地響きとともに、レジギガスが動き始めた。

 ロトムが作り出した『リフレクター』にレジギガスは体ごと突進する。信じられないことに、その電磁の壁はその突進の力に耐え切ることができず、弾ける。

 そして、その勢いを維持したまま、レジギガスはカイリューにぶち当たった。『ギガインパクト』と呼ぶに相応しい、古代からの衝撃だった。

 カイリューは踏ん張ったが、その衝撃は止めることができない、カイリューは倒れないように両足と尾を踏みしめるのがやっとで、そのまま、レジギガスに潰されるように神殿の壁に激突した。振動、土煙、レジギガスの雄叫び。

 だが、キシは信じていた、自らのカイリューの持ちうるポテンシャルを信じていた。長年チャンピオンとして君臨していたワタルに引導を渡したポケモンだった。もはや不可能だと思われていた偉業を達成したポケモンだった。自らの夢を、叶えてくれた相棒だった。あり得ない、ここで負けるなどあり得ない、自分達がこんなところで負けるなどあり得ないと心の底から信じていた。

 レジギガスの巨体を、押し返す力があった。

「『ぼうふう』」

 作り出された『ぼうふう』がレジギガスの巨体を煽る、レジギガスにとっては、その攻撃よりも、自らが倒したと思っていたカイリューにまだ余力がある事のほうが予想外だった。

 レジギガスの『ギガインパクト』を受ける直前、キシの『はねやすめ』の指示がしっかりとカイリューに届いていた。『はねやすめ』で体力を回復してしまえば、特性である『マルチスケイル』によって再びタフネスさを取り戻す。

 カイリューの作り出す『ぼうふう』はその勢いを増し、ついにレジギガスは吹き飛び、その巨体を地面に叩きつけられながら転がった。ポケモンとしては規格外の体格と重量は、必ずしも良いことばかりではない。

 上体を起こしたレジギガスの胸にある幾つかの球体が、不規則な点滅をしていた。撹乱目的の『あやしいひかり』ではない、それはレジギガスの感情の表れのようだった、今この時、レジギガスは何を思うのだろう。

 キシとカイリューは手を緩めない、カイリューはレジギガスのもとに一飛びで飛びかかると『ドラゴンダイブ』でその体をレジギガスに浴びせた。

 レジギガスは一際高い声を上げ、バチバチと胸の球体を幾つか点滅させる。

 まだやる気か、とカイリューは戦闘態勢を取り直す。『ばかぢから』を発揮する体力はまだ十分に残っていた。

「待て」と、キシはそれを制した。レジギガスの様子が明らかにおかしい。

 レジギガスは、ゆっくりとその体を起き上がらせた。隙だらけで、緩慢な動きだった。

 そして、キシとカイリューに一瞥もせず、ゆっくりと、自らが元いた場所に戻り始める。

「『はねやすめ』をしておけ」

 とてもまだ戦う体力が残っているようには見えなかったが、二度の覚醒を考えると、気を抜くことはできない。

 どこまでも付き合ってやる、とキシは思っていた。相手がポケモンである限り、どこまでも戦ってやる。

 レジギガスはもといた場所に陣取り、体を屈めて、像と同じ体勢をとった。

 そして、動かなくなった。

 不審に思ったカイリューが、レジギガスに近寄る、キシもそれを止めなかった。

 カイリューの指先が、レジギガスに触れる。しかし、レジギガスは動かない。

 キシもそれに恐る恐る近づいて、そっと触れてみた。信じられないことに、先程まであれほど凶暴に動いていたはずのレジギガスは、すでに冷たく、固くなっていた。

「なるほど」と、キシが漏らす「像に戻ったのか」

 元々が像であったことを考えると、不思議なことではない。はるか昔、封印された時も、同じことが起きたのだろう。

 ふう、とキシは一つ息を吐いて、膝に手をついた。

「生き残った」

 少し時間を置いて、もう一度吐き出すように「生き残った」と続ける。

 それが特別なものであってはいけないことは、理解しているつもりだった。それは何も珍しいことではないはずだった、チャンピオンが戦いに勝利し、生き残った、それに何を感慨深く思うことがある、数十年もの間、それは日常だった。

 しかし、もう少しだけ浸っていたかった。

 ようやく、ようやく掴んだチャンピオンの栄光を噛み締めながら、これまでの人生を思い返す時間くらいは、良いだろうと思った。

 

 

 

 

「この戦法の最大の弱点は、ゴルダックの働きを消滅させられつつ、『すなあらし』の起点役であるカバルドンを後出しで出しにくい状況にされることなんだ」

 トレーナーズスクールではモモナリがホワイトボードに何やらよくわからない独自の記号や単語を書き連ねつつ、講義を続けていた。

 しかし生徒の子供たちの殆どは首をひねったり、今にも泣き出しそうになったり、必死に教科書をめくったり、意味はわからないもののとにかくホワイトボードに書かれているものをノートに書き写していた。

 無理もない、とスズナは思っていた、天気とそれに対する特性についての話はまだわかりやすく、生徒達もついていっていた、しかし。

「例えば『あめ』が降っている時に『ちょすい』ヌオーを出されてしまうと厳しくなる、泥試合になるとヌオー側に主張があるし、カバルドンを後出しづらくなる。一応『ちょすい』マラカッチや『ちょすい』ニョロボンも想定はしていたんだけど、ニョロボンなら『しねんのずつき』で弱点をつけるし、マラカッチは僕の手持ちであるアーボックやアーマルドを考えると選出しづらいポケモンだし、そもそも『はれ』で使いたいポケモンだからね」

 確かに今言っている事が分かりづらいわけではない、『あられ』以外の『天気変更戦術』に対して造詣の深くないスズナにもわかりやすい説明だったのだが、いかんせん応用問題すぎる。特にいま説明している『アンチ天気変更戦術』に関しては、そもそもリーグトレーナーですら甲斐がないとさじを投げたようなシロモノなのに。

「となるとヌオーやその他水ポケモンを対策する必要があるんだけど、タイプの問題上電気タイプは論外だね、となると草タイプになるんだけど、ここでまた『あめ』の厄介なところで、炎技の威力を弱めてしまう『あめ』の関係上、炎に弱いポケモンも相対的に強化されているんだ。あ、ここは重要なんじゃないかな、『あめ』で実質的に強化されるのは特性や水タイプのポケモンだけじゃないんだよ。ここで僕が想定していたのは虫、鋼タイプのハッサムや虫、飛行タイプのメガヤンマだね、これらのポケモンを考えると安易に草タイプを入れるわけにもいかないんだ」

 明日か明後日あたりに補足の授業をしないといけないなあとスズナは頭を抱えた。

「そこで僕が考えたのは、水タイプのゴルダックに草タイプの『めざめるパワー』を習得させて、ヌオーや水タイプのポケモンとの対面を有利にすすめることなんだ。意図したタイプの『めざめるパワー』を習得させるのは困難だと言われてきたんだけど、実はそれほど難しいことでもなくて」

 ああ、またとんでもない方向に話が行く、とスズナが思ったその時、教室の扉が開き、事務を担当している女性職員が、スズナとモモナリを手招きした。

「ああ、チャンピオンが帰ってきたんだね」とモモナリはニッコリ笑ってマーカーを置いた。

 子供たちにとって、それは念願のはずだった。しかし、彼らは濃密な情報に頭脳を支配され、立ち上がることができなかった。

「じゃあ、君たち頑張ってね」とモモナリは手を振り、教室を後にした。スズナは慌てて「自習です」と付け加えてそれに続いた。

 

 コートを被り、戦いの疲れをなるべく見えないようにしていても、顔や髪についた泥のことまでは、キシは頭が回らなかったらしい。

「なんだか、大変だったようだね」と、モモナリは笑って、彼の肩を叩いた。

 そして、スズナに「ね、大丈夫だったでしょ」と、同じく笑いかける。

「貴方達が居ないから、もしかしたら僕を追ったのかと思って心配していたんですよ」

 キシは冗談めかしてそう笑った。その笑顔を見てようやくスズナはほっと安心することができた。

「神殿の中で一体何を」

「近々、然るべきところから発表することになると思いますよ」

 その言葉で、スズナはキシが神殿内の『何か』に触れ、そして帰ってきたことにサッと背筋が寒くなった。さすがはチャンピオン、安全のためとはいえ侮っていた自分が恥ずかしかった。

「随分と自信がついたように感じるね」

 モモナリは目を細めていた。そして、照れくさそうに笑うキシを少しばかり黙って見つめたかと思うと微笑みを崩さないままに「ねえ」と問う。

「今からさ、ちょっと戦おうよ」

 もぞもぞと、腰につけたボールを手のひらで撫でながらそう言った。キシは、その言葉を受け止めていた、言いかねない人だった、そして、少しだけ、その言葉が嬉しかった。

「あの」と、スズナがモモナリの肩に手を置く。

「冗談、ですよね」

 不安と、呆れと、ほんの少し含む所のある言葉だった。

 その一言に、モモナリは一瞬沈黙したが、すぐに「ハハ、もちろん」と微笑みを取り戻す。

 賢くなったんだな、とキシはちょっぴりがっかりしながら思った。




エッセイ部『11-キシ君と二人、雪の街に消える』付近の話になります。

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