モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 135-彼が神を信じた日②

 実況ブース中に響き渡る怒声は、幸運な事に視聴者の耳に届くことはなかった。サザンドラが地面に叩きつけられた瞬間に怒気を感じたアナウンサーの放送関係者としての本能が、考えるより先にマイクの消音ボタンを押していたからだった。もし彼が、名声と生活のためだけにマイクの前に座っているような男だったら、とてつもない放送事故が引き起こされていだろう。

 フザケルナ、と言う怒号とともに机を叩き割らんばかりの勢いで拳を叩きつけたクロサワは、その一撃でなんとか正気と自分の役割が何であるかという記憶を取り戻したようで、ふうふうと荒い息を整えた後に「失礼」と、誰にも聞こえないマイクに向かって言った。誰かが聞いていたら、失礼ではすまないだろう。

 アナウンサーは選択を迫られていた。この荒れようを見るに、もう少し時間を置いてクロサワが落ち着くのを待ちたい。しかし、今は世紀のチャンピオン決定戦の終盤戦、しかも挑戦者のカリンが次のポケモンを考慮しており、動きの時間ではないと言う絶好の解説のチャンスだった。そもそも、独断でマイクを消音すること自体がすでに危ない橋を渡っていた。

 アナウンサーは、恐る恐るクロサワの顔を覗き込んだ、そして、彼の瞳がうっすらと光を反射していることに気づくと、そっとマイクの消音を解除した。

『クロサワさん、今、何が起こったのでしょうか』

 クロサワは、何事にも彼なりに筋を通そうと努める男だった。赤い顔を更に赤くさせながら、それに答える。

『本来ならば、キシの選択した『ドラゴンクロー』は安定性を求める技だ、博打にいかず確実に一定のダメージを与え、次の『しんそく』に全てをかける。それが、サザンドラの急所を突いちまった』

『急所、ですか』

『そう、ポケモンも生物の一つだから、叩かれて弱いところは存在する。だが、リーグトレーナーやそのパートナー達は努めてそれを回避しようとする。勿論それでも急所を捉えられることはある、あるが』

 そこで言葉を切って、まるで自分のことのように辛そうに次を絞り出した。

『殆ど運の領域と言っていい。恐らくキシは急所に当たるなどとは思っていなかったはずだし、カリンもそうだろう』

 遂にクロサワは、自らの長袖で、溢れださんとする涙を拭った。

『どうして、どうして、今、それが起こるんだ。Aリーグ一戦目で起こってもいい、最終戦で起こってもいい、挑戦者決定プレーオフで起こってもいい、この試合の序盤で起きてもいい、中盤で起きてもいい、どうして今この瞬間に運がチャンピオンに振れるんだ。不公平だろう、あまりにも不公平だ』

 

 

 

 

 

 一旦マイクが切られ、その後に不自然な声の震えとともに発せられたクロサワの解説は、勿論モニターで中継を写している控室にも届いていた。

 控室は、クロサワの言葉に何も反応することができないでいた。そこに集まっているトレーナーの殆どが、セキエイの不条理さを噛み締めていたからだ。

 彼らほどのレベルになれば、試合の途中に自らのポケモンが急所に攻撃を喰らい予想外の大ダメージを受けることは経験済みだった。そして、それがどうやっても防ぎようのないことだということもよく理解していた。

 急所も実力と、何の責任も無く結果だけを見て語ることの出来る立場の人間ならば言えるだろう。だが、全てのリーグトレーナーが避けたく、それでもなお起こってしまうこの現象は、もはや無差別に自分達を襲う最も大きなトラブルであることを認めざるをえない。

「こんなの、どう受け止めたらいいんだよ」

 絶望しきったニシキノの呟きに、クロセは沈黙を持って同意を示した。

 しかし、イツキはその怒りから淡々と呟きを作り出す。

「もし、セキエイに神がいるとすれば、僕はその神を思いっきりぶん殴ってやりたい。この素晴らしく崇高なる勝負を、自らを信じ高みを臨もうとするトレーナーとそのポケモン達を弄ぶ権利が、神ごときにあるわけがない」

 彼は、同じジョウトの古参同士として、カリンには特別思うところがあった。カリンはジョウト地方でも歴代トップクラスの才能を持っていたトレーナーだった。世界中を旅して周り、実力的には所属するリーグを選べる立場にすらあったイツキが、当時非公式だったジョウトリーグに籍を置いた理由の一つにも、彼女の存在があった。強すぎるこだわりを、同じく強すぎる実力で埋めようとしていたトレーナーだった。強いポケモンのほうが強いと言う当たり前の自然の摂理を、自らの手腕によって捻じ曲げようと考え、それをまさに今実現させつつあったトレーナーだった。その彼女に、この仕打ちはあまりにも酷いと震えていた。

 そのような控室の状況でも、モモナリは一人愚直に戦況を整理していた。

「キシくんのカイリューなら『かみなりパンチ』一発で落とすかもしれない、ドンカラスの『ふいうち』ならそこそこの威力だろうけど、あのカイリューのタフさを考えると厳しいかなあ」

 しかし、その展望はカリンにとってあまり有利なものとは言えなかった。

 対戦場のカリンは、上限ギリギリの考慮時間を使った後に、ドンカラスを繰り出した。ラストのブラッキーがほとんど戦闘不能に近いことを考えると、実質的なラストと言っても良さそうだった。

 モモナリが更に予想を進める。

「カイリューは『はねやすめ』の選択肢もあるなあ、いや、むしろ本命かも」

 カイリューは再び地面に降り立ち『はねやすめ』で体力を回復する、不本意ながら得ることになったアドバンテージを最大限に活かそうとしている。

 それは一瞬の隙と言っても良かった、しかし、その隙にカイリューに痛手を追わせることは、ドンカラスには厳しいだろうと控室は思っていた。『でんじは』で麻痺状態を誘発するくらいが精一杯だろう。

 しかしその時、対戦場に不気味な不協和音が響き渡った。控室も、観戦のファン達も、それが何なのかわからなかった。

 やがて、その不協和音はどうやら歌のようなものであり、それを発しているのがドンカラスだということが分かっても、その意味を理解するものは少なく、皆に一瞬の思考の空白が生まれた。

 やがて、控室の三人、イツキ、モモナリ、クロセと、モニターの向こう側のクロサワが、殆ど同時に気の抜けた声を上げる。

 

 

 

 

 

『『ほろびのうた』だ』

 クロサワの声は、正に間の抜けたという表現がぴったりのものだった。そして、その技の説明を求めるアナウンサーと視聴者を無視して、更に続ける。

『なるほど、なるほど、なるほど。理屈では正しい、正しい、が、理想論がすぎる。いや、実際に目の前で起こっていると言うことは理想論では無い、現実だ。だが、しかし、いや、待て』

「この手があったか」

 イツキは立ち上がっていた、リーグトレーナーとして長く生き、幾多もの対戦を見て、幾多もの修羅場をくぐり抜けた男をそうさせるだけの感動が、歪な才能が見せる一筋の希望にはあった。

「実戦で使用されるのは、初めて見ました」

 現在、天才という言葉を最も代名詞としているであろうクロセも、その声には僅かばかりの上ずりがあった。

「野試合で使ってる奴だって見たことねえ」とニシキノは激しく鼓動している心臓を、胸の上から押さえつけながら答えた。

「野試合で使えるような技でもねえしな」

 モモナリは言葉を失っていた。自らが最大限に尊敬し、憧れすら抱いているトレーナーが見せたある意味での極地に感無量だった。

 モニターの向こうのクロサワも同じ思いだったのだろうか、彼はアナウンサーの声をさらに無視して、自らの考えを声に出すことでより整然に整理しようとしていた。

『いや、問題はこの後、ちゃんと動けるのか、もはや未知の領域、前例は無いだろう』

 今、対戦場の状態を完璧に理解できている人間は非常に数少ない。戦いに関して全くの無知で、この試合をモニターを通じて観戦しているライトなファンは勿論、インターネットや戦術書などで熱心に情報を頭に積み込み、セキエイまで足を運んでいるようなコアなファンも、実際にポケモンと戦うアマチュアトレーナーも、もしかすればCリーグのトレーナーの何割かも、この戦況の素晴らしさと異様さを完璧には理解していない。

 アナウンサーは、半ば怒鳴りつけるように『クロサワさん』と彼の名を呼びつづけた。幸運なことに、クロサワはこの状況を理解できる何割かの人間の一人であるようだった。

 遂に立ち上がりクロサワの肩を押さえつけたアナウンサーの行動に、クロサワはようやく状況整理のつぶやきを止めた。更に肩を押さえつけられ、実況席に腰を掛けさせられる。

『状況の、説明をお願いします。多くの方達が、それを待っています』

 クロサワが我を取り戻し、状況の説明を始めようとしたその時、対戦場のカイリューが動いた。クロサワは『待て』とだけ言って戦況を見つめる。

 カイリューはその両腕に冷気をまとわせると、空中を飛び回るドンカラスを追って自らも空中へと躍動し、『れいとうパンチ』を振り込んだ。

 しかし、その拳は大きく空を切る事になった。否、ゆっくりとした動きだったそれは、それを必死に受けようとしたドンカラスを愚弄し『ちょうはつ』しているようだった。

「縛った」

 ニシキノが叫ぶ。

「ここに来て、なんと冷静な判断」

 イツキは自らの身体をカウンターに突いた両腕で支えながらフラフラと椅子に座った。勿論その行動など予想すらしていなかった。そこまでの流れに感動しきってしまい、何も考えられなくなってしまっていた。名のない傍観者の一人になってしまっていた。

『この技の選択は、チャンピオン個人の強かさと、豊富な知識から裏付けされる合理的戦略の極致といっていいだろう』

 モニターから聞こえたクロサワの言葉に、イツキは力無く頷いた。大した男だと思った、その責任感の強さは、とても張り合えそうにない。

『だが、先に説明しよう。先ほどドンカラスが歌っていた歌は『ほろびのうた』と呼ばれる技の一つだ』

『それは、どのような』

『定義としては、催眠術の一種になる。相当歴史ある技だが、ハッキリ言って俺は使ったことがないし、使おうと思ったことも無い。俺はリーグトレーナーとしてベテランの部類に入るだろうが、俺が新人だった頃から、この技は古い技で、使われることのない技だった。その効果は、至近距離でそれを聞いてしまったポケモンは数分の後に、仮死状態に陥るというものだ』

 その説明は、『ほろびのうた』の存在を知らなかった大多数の人間を、大変に驚かせたことだろう。アナウンサーもその一人だった。

『ならば、この試合は』

『そう思うだろう、残りが一体のカイリューがそれを聞いちまった。時間さえ経てばカリンの勝利だとそう思っただろう。だが、俺達が紡いできた戦いの歴史ってのは、そんなに甘いもんじゃねえ。ようは残りのポケモンを秒殺しちまえば何の問題もないし、『ほろびのうた』を歌う隙にやられちまうことだって考えられる。例えばこちらの残りが万全の状態の三匹で、相手が残り一匹などのような状況ならば確実な選択肢といえるかもしれないが。そもそもそのような状況になることが稀だし、そのような状況になればそんなことをしなくても勝てる』

『では、何故カリン選手はその技を』

『この状況ならばない選択肢ではない、理屈ではな。カイリューが『はねやすめ』で体力を回復してしまえば、ドンカラスの攻撃で沈めることが出来る可能性は低いし、その間相手も黙って攻撃を受けてくれるわけでもない。チャンピオン決定戦と言う舞台が、例えばチェスのように理屈に支配されているようなゲームだったならば、これ以上ないほどの最良の選択肢といえるだろう』

「その通り、理屈だけ見れば、そう」

 モモナリがクロサワの言葉に反応する。

『同時にチャンピオンの対応も最良の選択肢の一つ、それもかなり理想に近しい行動をしたと言っていいだろう。今、カイリューにとって最も厳しいのは『でんじは』などの状態異常を引き起こす攻撃、もしくは『かげぶんしん』などの勝負を不確定にする要素のある技、そして『まもる』や『みきり』などの悪戯に時間を稼ぐ戦略だ、それを防ぐために『ちょうはつ』でドンカラスの行動を縛った。ドンカラスは本来攻撃をするつもりなど毛頭なかった相手に攻撃しなければならなくなってしまった。そしてその間、カイリューは黙っているわけがない。『ちょうはつ』にあわせて攻撃をしなかったのも、恐らくは『でんじは』をする予定だったからだろう』

 しかし、クロサワの言葉とは裏腹に、ドンカラスは『ちょうはつ』を続けるカイリューに翼をひろげてみせた。

『ん、カリンめ、『ちょうはつ』を予想して攻撃技を選択していたか』

 ドンカラスはその翼を振り下ろすことで風を作り出し、カイリューに向けてそれを吹き付けた。同時にそれは冷気をまとった『こごえるかぜ』となり、カイリューを襲う。

 なるほど、と一つ呟いた後に、クロサワの声のトーンが一つ上がった。

『なるほど、『こごえるかぜ』は攻撃でありながら相手の筋肉を冷やし機敏な動きを封じる技だ、カリンはここまで読んでいたのか。だが素晴らしいのは集中力を切らさず精度の高い技を成立させたドンカラスも同じだな』

「その通りだ」と、控室のイツキがそれに同調した。ニシキノもモモナリもそれに頷いて同意を示す。控室全体も、もはやカリンに対して畏怖の感情を覚えていた。

『あの、それはどういう事でしょうか』

 アナウンサーの質問は、それをわからない者達にとって見れば当然のことだった。彼らからしてみれば、ポケモンが精度の高い技を打つのは当然のことであり、むしろそれこそがリーグトレーナーとアマチュアの線引きをしているものなのではないかと思っている。

『わからないか、わからないだろう。その理由こそが『ほろびのうた』という技を過去のものにした大きな要因なんだ。この技はつまり、相手と共に自分をも葬る技だ』

『しかし、それは『だいばくはつ』や『おきみやげ』などの技でも同じでは』

『理屈の上ではそうだろう。だが、現実はそうも行かない』

 考えても見ろ、と更に続ける。

『あのドンカラスは今、何故戦っているのか、相手を制するためでもなければ、自らが生き残るためでもない。『ほろびのうた』によって戦闘不能になるためにカイリューという強敵に立ち向かっているんだ。『だいばくはつ』や『おきみやげ』ではそのような状況にはならない。そして、その特殊な状況は、ポケモンの動きを鈍らせる。自らが仮死状態になり意識を失う恐怖を乗り越える精神力と、そのような状況にありながらトレーナーの指示に従うことの出来るだけの献身性は、本来ならば相反する能力だ』

 クロサワの説明によって、中継を見ている視聴者は、少なくとも今対戦場を支配している状況の、上辺の部分は理解することが出来ただろうとイツキは思った。しかし、それはあくまでも上澄みの部分だけであり、『ほろびのうた』という技とその選択の異様さが、完全に伝わっているわけでもない。

 対戦場では、カイリューが思い切り地面に踏み込んだ、『こごえるかぜ』で単純なスピードは殺されたかもしれないが、『しんそく』の攻撃ならば威力こそ低いが相手の先手を取ることが出来る。

 『しんそく』攻撃が直撃したドンカラスは、飛行能力を失い地面に叩きつけられんとする自身の肉体に何とか喝を入れ、地面と衝突寸前のところでなんとか翼を羽ばたかせた、更に、その際に両足で掴んだ対戦場の泥を、カイリューの目を狙って投げつけた。

『『どろかけ』だな、カイリューの目を潰し、技に正確性を欠かせるのが目的だろう。もう時間が無い、ここからは速いぞ』

 カイリューは涙でぼやける視界を気に留めず、攻撃態勢を取った。相手に先制は許すが、『つばめがえし』で確実にダメージを与える算段だった。

 しかし、攻撃が来ない。ようやく多少見えるようになった目を凝らしても、ドンカラスの姿らしきものが見えない。そのとき、ドンカラスは遥か上空に飛翔していたのである。

「『そらをとぶ』か、賭けに出たな」

 ニシキノの呟きは、もはや誰にも反応されない。

『時間稼ぎの『そらをとぶ』だが、リスクも大きい、攻撃の際に確実に隙ができるから、そこにデカイのを入れられてしまうと勝負が決まる。最もそのための『どろかけ』だったのだろうが』

 ドンカラスが、滑空を開始する。はるか上空から重力を味方につけて体当たりを行う『そらをとぶ』攻撃は威力の高い技だが、カイリューに致命的なダメージを与えるほどのものではない。

 カイリューはキシからの指示で、視界外からの攻撃を理解した。彼の言う方向に向き合い、攻撃を受ける。

 ドンカラスの突進は、カイリューの首筋に確実にヒットした。しかし、その痛みを目印に、カイリューは朧気ながらにドンカラスの居場所を捉える。

 痛みを生み出した物に向かって、カイリューは右腕を振りかぶった。ドンカラスもなんとかそれをかわそうと、カイリューの体を蹴り上げる。

 振り下ろされた『かみなりパンチ』はドンカラスを確実に捉えることは出来なかった。しかし、ドラゴンのパワーから放たれる攻撃は、ドンカラスの片翼を掠め、ドンカラスを地面に叩きつけることに成功した。

 控室は激闘の終わりが近づいていることを感じていた。恐らく、次の攻撃で勝負は決することになるだろう。

 その時、クロセが小さな声で「あっ」と呟いた。しかし、その小さな声は、隣にいたモモナリにのみ届いていた。

 叩きつけられたドンカラスは、片翼のダメージが酷いらしく、羽ばたきで空を飛ぶことができなくなっていた。しかし、まだ動く片翼を必死にばたつかせ、地面を蹴るようにはできていない両足で必死に地面を掻いて、なんとか次をつなげようともがく。全ては、自らが『ほろびのうた』で戦闘不能になるために。

 キシは選択を迫られていた、『かみなりパンチ』がクリーンヒットしていれば、『つばめがえし』でほぼ確実に勝負を決めることもできていただろう。しかし、あの当たり方では怪しい。同様の理由で『しんそく』も選択しづらかった。

 実践で『ほろびのうた』を食らったのは初めてだが、知識としては十分なほどにその技の性質を理解していた。恐らく、そろそろタイムリミットが来るだろう。だが、『ちょうはつ』の効力もそろそろ切れてもおかしくはない。もし『はねやすめ』を選択されてしまえば『れいとうビーム』や『十万ボルト』では足りないかも知れない。

 そして、キシは決断した。確実にドンカラスを沈めることが出来るだけの大ダメージを与える攻撃を選択する。

 カリンが彼に見せつけた虚像は、最後の最後で、合理性の塊のようなトレーナーであるキシに、運否天賦に身を任せる選択を選ばせたのだ。

 カイリューが敢行した『かみなり』攻撃は、発生さえしてしまえば、とんでもない速さで相手を攻撃することが出来る技だった。その技が『かみなり』と呼ばれる理由の一つでもある。

 その攻撃は、地面を這うドンカラスから、少し離れたところに着弾した。

『はずした』

 クロサワの大声を数多くの視聴者が耳にした。その声の大きさで、感の良い視聴者は、この試合の結末を理解した。

「離れ際に『どろかけ』を」

 クロセはモモナリにそう説明していた。

「なるほど、『どろかけ』を二回もされてしまえば、『かみなり』を外すのも不思議じゃないね」

 カイリューは、もう一度攻撃態勢を取る。一回外したところで大した問題ではない、あの相手は確実に沈めなければならない。生物界の頂点に立っていると言っても過言ではない種族のドラゴンが、全てを投げうって攻撃をしようとしていた。

 しかし、カイリューのその決意は、自身の意識が薄れ、視界が暗くなることで終わりを迎えた。『ほろびのうた』の終末は、たとえ相手がドラゴンであろうとも、ある意味平等に訪れる。

 ドンカラスもまた、痛む体を地面に預けながら、対面の巨大なドラゴンが膝をつくのを見届けて、自身にも訪れていた暗闇に身を任せた。カリンにはまだ、あのクソ生意気なブラッキーが残っている。つまり、彼女は勝ったのだということを、噛み締めていた。

 

 

 

 

 

 

『俺は、この試合を一生忘れることが出来ないだろう』

 両選手が退場し、長い長いハイライトの解説も終わった。試合の余韻を楽しんでいるファン達もいるにはいたが、観客席はもう人がまばらになり、いつものセキエイのような静けさを取り戻しつつあった。

 クロサワは、アナウンサーに促されるよりも先に、感想を語り始めた。言いたいことは山ほどあった。

『キシは間違いなく近年で最も強いトレーナーの一人だった。そして、ポケモンと人間との関係においても、その極地にたどり着かんとしていた人間の一人であったと思う』

『ポケモンと人間との関係、と言いますと』

『ポケモンと、トレーナーの関係の原点は、協力し、生き残ることだと俺は思っている。人間はか弱い、例えばそこら辺の草むらから飛び出してきたような小さなコラッタにすら無傷で勝利することは出来ないだろう。ポケモン達もそれは同じで、小さなコラッタでは大きなラッタには敵わない。弱肉強食というものは本来はそんなものだ。人間がトレーナーになった背景は、か弱き生物たちがこの弱肉強食の摂理から逃れようとしたからだ。人間は生き残るために知性と判断力でポケモンに指示を出し、ポケモンは生き残るためにそれに従う。もし自らが倒れることになっても、人間は彼らを治療することが出来る技術がある。不意に現れるかもしれない脅威に対する共同体なんだ、やがてそれは技術を高め合う段階に昇華され、ポケモンリーグが生まれた』

『なるほど、キシ選手がその極地にたどり着かんとしているというのは』

『キシは近代対戦の象徴のようなトレーナーだ。自身は情報と戦略を網羅し、従えるポケモンも強く格のある、言い換えればその一匹だけでもこの自然界を生きていけるようなポケモンばかりだが、キシはその知識の合理性を彼らに提示することによって、彼らをまとめ上げるだけの生物としての格を得た。良くアマチュアが強いポケモンを使えば強くなれると勘違いしているが、自身の身の丈もわからない馬鹿共の戯れ言さ。俺達旧世代とはアプローチが違ったが、キシは人間とポケモンの共同体と言う概念の、一つの極地に近づかんとしている存在なんだ』

 そして、と続ける。

『カリンは、俺達旧世代が目指していた極地にただ一人到達したトレーナーに、今日なった。カリンが従えているポケモンは、決してその全てに格があるわけではない。勿論、サザンドラは格がある側のポケモンだろうが、皮肉にもこの試合ではその格が発揮されることはなかった。彼女はポケモンの格よりも、自身が真に信頼を寄せることが出来るポケモン達と戦うことを選んだ。いや、カリンからすれば、ポケモンの格などどうでもよい事なのかもしれないが。そして、彼女は証明した、トレーナーの能力と、ポケモン達との信頼関係が、究極的な合理性をも上回ることがあるということを。神のいたずらとしか思えない不運すら、ねじ伏せることが出来るということを』

『サザンドラの急所のことですね』

『その通り、あの時、あの瞬間、俺はセキエイの神がキシに微笑んだのだと思った。合理性を持ちながら、運命をも味方につけることが出来たのだと、チャンピオンという星の加護を見たような気がした。しかし、カリンはそれを上回った』

『同世代のトレーナーとして、やはり思う所はあるのでしょうか』

『正直、今俺は引退してしまったことを少しばかり後悔している。俺はカリンほどの才覚には恵まれていなかったが、トレーナーの可能性というものを、これでもかと見せつけられる試合だった。トレーナーとポケモンが、ここまでなれるのだったら、もう少しばかり辛い思いをしても良かったのかもしれないな』

 

 

 

 

 

 

「長かった」

 随分と人が減り、モニターの電源も落とされた控室で、イツキがポツリそう呟いた。

 横に座るニシキノも、感慨深そうに目頭を押さえている。

「クロセくん、帰ろうか」

 モモナリはイツキの表情を見つめ、クロセと共に控室を後にした。涙など見せたことのない人だった。

 会場から一歩出ると、あたりは随分と暗くなり、吐く息は白く色づいていた。

「カリンさん、強かったッスね」

 同じく白いものを吐き出しながら、クロセが呟いた。独り言のようだったが、モモナリの返答を期待しているようにも聞こえた。

「そうだね」と、モモナリは答えた。

「僕は、あの人に憧れているんだよ」

「わかる気がします」と、クロセはモモナリを見た。

「来期、戦えるかもしれないんスよね」

 その言葉の意味することを、モモナリはすぐには理解できず、一瞬だけ、空白が生まれた。

 そして、それが来期のチャンピオン決定戦のことを意味しているらしいことを理解したモモナリは「そうだね、僕達はそういう立場なんだね」とクロセの肩を叩いた。

 モモナリは確認することが出来なかった。その時のクロセの表情は、テレビモニターの向こう側にある料理に目を輝かせるような、歳相応の少年のものだった。

 




エッセイ部「モモナリですから。ノーてんきに行きましょう。」の「37-僕が神を信じた日」付近の話です。
またエッセイ部「37-僕が神を信じた日」を一部修正しました。

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誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。

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