モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 番外編-After the Elitefour ①霊と氷

「つまらないねえ」

 はあ、とため息を一つついた後に、カントーリーグチャンピオン、キクコは呟いた。

 それは、あまりにもその場にふさわしいものではなかった、ヤマブキシティの一等地に堂々と存在する歴史あるホテル、しかもさらにその最上階のレストランで、 眩い星空のようにきらめく夜景を見渡しながら言うセリフにしては、絶望がすぎる。

「つまらない、ですか」

 似たようなことを思ったのだろう、キクコの対面に座る男はがっくりとわかりやすくうなだれながらそう言った。

 青年、というほどでもないが、まだまだ中年といった年齢ではない彼にとって、今回このレストランを押さえるのに、どれほどの気苦労と不安があったことか、それをこう言われてしまえば、うなだれる他ないだろう。もっともそれに激高しない分だけ、彼のキクコに対する感情が透けて見えるというもの。

 男の言葉に、彼女はようやくハッとして、彼女にしては少し慌てた様子で答える。

「悪かったね、ついつい思っていたことが口に出てしまったよ」

 男はうなだれるという表現のそれ以上がないほど肩を落とした。キクコは弁解のつもりだったその言葉が、よく考えれば、何一つその誤解をといていないことに気づき、それをただ受け入れてうなだれるだけの対面の男に、照れを隠すように逆に強い口調で続ける。

「なに、リーグのことさ、今日この日の事じゃない、久しぶりに一人の女として扱われて、嬉しかったよ」

 その言葉に関しては、何一つ嘘偽りのないものだった。ポケモンリーグの発足以来、鬼神のような強さでトップに君臨し続けるキクコを、一つの生物として脅威に思う人間は数多くいたが、その人間性の部分まで理解しようとする人間は少なく、男は、キクコを一人の人間として尊敬する数少ない人物の一人だった。

 彼は多少気分を持ち直したようで、安堵のため息をつき、自分がおすすめする食後酒をウェイターに告げた後に、ようやくキクコの発言の真意の部分を疑問に思った。

「ポケモンリーグ、つまらないですか」

「つまらないね、全部」と、キクコは言い切る。

「結局のところ、誰もあたしをぶっ殺そうだなんて考えていないじゃないか、程々に戦って、それで自分たちが生活できればそれでよし、そんな考えが透けて見える。あんたぐらいだよ、多少まともなのは」

 ポケモンリーグ協会発足以来、キクコはその発展と維持に尽力し続けてきた。リーグチャンピオンに格が必要だと思えばいつでもどこでも誰とでも手合わせをしたし、金が必要だと思えばスポンサー集めに奔走した、ようやくそれが形になろうとしてきたところであの男の離脱、眠れぬ夜を過ごした事もある。

 そして、それらの問題がすべて解決され、改めてポケモンリーグを眺めてみれば、ほとんどすべての人間が、本当の戦いをしてはいなかった。戦うことしか知らないように見える粗暴者たちは、その場を凌ぐことができればそれでいいと言う考えを持った怠け者でもあったのだ。

「皆諦めてるんですよ、キクコさんが強すぎるから」と、男は微笑んで言った。

「生ける伝説ですよ、キクコさんは」

 キクコはさらにため息をつく、そう言われることが嬉しくないわけではないが。

「だからつまらないと言っているんだよ、あたしゃ肉体的にはもう落ち目、そんなババアに戦う前から諦めちまってる連中に、誰も誇りを見いだしゃしないよ」

 それは事実だった。

 外見としては、年齢の割にはまだまだ美貌を保っていると言ってもいいキクコだったが、その実、その肉体はボロボロだった。特に腰が酷い、見繕ったドレスと対面の男に気を使って背筋を伸ばすことすら、多少の苦痛を伴っていたのだ。

「あたしがつまらないだけなら何の問題もないがね、このままじゃあたしが居なくなった後にこのリーグはダメになる。強さに限界はありゃしないんだよ」

 キクコが、自らの引退後のポケモンリーグのことまで感じている事自体に、男は特に疑問を持つことはなかった。彼女がポケモンリーグにここまでこだわる理由が、今や携帯獣学者として成功しつつあるオーキドに対する対抗心、もしくは、彼のポケモンリーグに対する未練、携帯獣学者への道を選択したことを後悔させる訳にはいかないという思いあってのことであることは知っていた、ただ、キクコを一人の人間として尊敬している彼が、絶対に勝つことができないその男の名を出すのをためらっているだけ。

「しかし、じゃあどうするんです。リーグトレーナーを集めて講習会なんかをしたって、何の意味もないでしょう」

「そうだねえ」と、キクコはそれに頷く、粗暴で、怠け者な連中が、今更誇りをもてと言われて、ハイそうですかとすべてが変われば苦労はしない。

 いつの間にかテーブルの上に置かれていた食後の強めの酒に手をつけながら、二人は考える。

 やがて、キクコがその答えを導き出した。

「そうだ、こっちから動けばいい」

 は、と、酔いに任せて男はわかりやすく首をひねった。

「受け入れるだけでなく、こっちから強豪トレーナーをスカウトに行くのさ、まだ世界にその存在がバレていない、若くて将来有望な若者をね」

 聞こえは良かったが、男はすぐにその計画の問題点を指摘する。

「しかし、それは時間がかかりますよ。そのトレーナーが準備を整えるのに数年、若けりゃもっとかかるかもしれない。そこからジムに挑戦してクリアするのに早くて一年、ちょっとてこずりゃ三年。そんでもってそいつらがリーグに慣れて、しかもその効果がリーグ全体に広がるのもすぐって訳にはいかないでしょう、ざっと見積もっても十年は必要じゃないですか」

「要は十年あたしがもちゃいいんだろ、そのくらいならなんとかなるさ」

 彼女はドレスの裾がシワになるんじゃないかというほど足を崩しながら興奮して何度も頷く。もはやそれは全く気にならないようだった。

「だったら話は早い。早速明日から行動開始するよ。勿論、あんたもついてくるんだ」

 ええ、と、男は少し赤くなった顔で驚きの表情を作りながら言う。

「あのね、僕にだって予定というものがですね」

「そんなもん、あたしの用事とどっちが大事なんだい」

 ぐいと、キクコが男の顔を覗き込む。カントーリーグのパッとしないトレーナーである男の運命は決まっていた。

「そりゃ、キクコさんですけど」

 

 

 

 

 

「なるほどねえ」

 男の手を借りながらその島に降り立ったキクコは、その全体をぐるりと見回しながら呟いた。

「そんな納得するようなものあります?」

 船乗りにいくらかの札を渡しながら、男はそう問う。その島は、彼から見れば自然と文明の調和が取れているとはとても言えぬ、殺風景で、とても人を集めて発展していこうという風には見えない、道路もなければ、おそらく水道も存在しないだろう、そんな光景だった。彼がたまにリゾートに通うイツシマとは似てもつかない。

 ナナシマ列島、一応はカントー地方の一部とされているが、実際にはカントー地方から遠く離れた七つの小島まで構成されている、彼等が降り立ったのは、その一つであるヨツノシマ、男の感じたとおり、小さく、人の少ない島だが、カントー地方には珍しく、氷タイプのポケモンたちの群生地である『いてだきのどうくつ』があった。

「噂ってのはね、シチュエーションが大事なんだよ」

「はは、たしかに、この島ならいそうですもんね『雪女』」

 近年、ヨツノシマにはある伝説が生まれつつあった。『いてだきのどうくつ』に存在する珍しい氷ポケモンを売りさばこうとする密猟者に容赦なく吹雪が襲いかかり、彼らがどれだけ抵抗しようとそれらが止むことはなく、やがて彼らの命を奪うという。それに遭遇したという何人もの密猟者の証言からそれはある程度信頼性のある『雪女伝説』として、その手のオカルトマニアたちの中では、割と有名な話だったのだ。

「ここまで来といてなんですけどねキクコさん」と、男が少し笑って言う。

「『雪女』の正体が凄腕のトレーナーだっていうのは、ちょっとはやりすぎなんじゃないですかね」

 キクコは、その伝説の正体を、トレーナーだと確信して動いていた。勿論物好きなオカルトマニア達の間の中でその説がないわけではなかったが、それよりも『高レベルポケモンの抵抗』のほうがよっぽど有り得そうな話だと彼は思う。

 ハン、と、キクコは男を鼻で笑った。

「馬鹿だね、大衆が理解できずにオカルトに逃げてしまう現象の殆どは、ポケモンと、それを理解しているトレーナーの仕業に決まってるのさ」

 まったくない話ではない、歴史をたどれば、炎を操る魔法と言われたものが、炎タイプのエキスパートたちの技術だったこともあり、超能力と言われるものが、エスパータイプのポケモン達の能力だったこともある。

 加えて、かつて霊魂と言う概念として恐れられていたゴーストポケモン達を完璧に手なづけているキクコが言えば、説得力の増す言葉だ。

「しかし」と、男が首を傾げる。

「よくそんな噂を知っていましたね。キクコさんって別にオカルト好きじゃなかったでしょ?」

 キクコは少し赤くなった顔をさとられぬように男の視線から外しながら、それを鼻で笑う。

「なに、知り合いの馬鹿がちょっと思わせぶりなこと言ってたのを聞いただけさ」

 ああ、と男は思った。キクコはそれで誤魔化せていると思っているのだろうが、基本的に品のある彼女がわざわざ馬鹿と冠をつけて呼ぶ相手なんて、数えるほどしか居ないじゃないか。

「じゃあ行くよ」とキクコは『いてだきのどうくつ』に歩を進め、防寒具を持った男が慌ててそれに続いた。

 彼等を見る目があった。あるいはキクコがもう少し若ければ、それに気づけたかもしれない。だが、彼女らはそれに気づくことができなかった。

 

 

「やれやれ」

 熱を逃がすようにニ、三防寒具をはためかせた後に、キクコは苦しげにつぶやく。

「腰が爆発しそうだよ」

 氷の張った床、足を取る泥混じりの地面、とてもじゃないが腰に不安のある女性が踏み込んでいい場所ではない。

 同じく額に浮き出た汗を拭いながら、「無理をしないでくださいよ、ポケモンリーグを良くしようとしてあなたになにかがあったら本末転倒なんですからね」と、男が彼女を心配する。

「馬鹿いえ」とキクコはそれを笑う。「もう目的地は目の前さ」

 そして彼女らは、洞窟の最深部に足を踏み入れた。

 僅かにさしている光が、水面の波紋を移したのを見て「湖か」と、男がつぶやいたその時だった。

 衝撃が、彼女らの体をぶん殴った。キクコは初めそれを攻撃だと思った、何か巨大な見えない力が、自分たちに攻撃しているのだと。

 だが、それは違った、それは、いてだきを纏った風だった。やがてそれはどこからか運び込んだ雪を舞わせ、彼等に吹きつけ、力をまして『ふぶき』になっているようだった。

 足場が悪く、踏ん張れない、倒れれば、二度と起き上がれないかもしれなかった。しかし、彼女らリーグトレーナーにも、それを防ぐ手が無いわけではない。

 男の名をキクコが叫び、彼もまたそれに答えてすぐさまボールを叩きつける。

 繰り出されたポケモン、カビゴンは、その分厚い壁のような肉体で、キクコたちを吹雪から守る。どっしりとした体格は風圧に負けず、蓄えられた脂肪はその寒さをものともしない。

「どうします?」

 さすがの男も、この吹雪が自然現象ではないことくらいは理解ができるが、それがどこから放たれているのか分からない。

 しかしキクコは、一つ息を吐くと、すぐさまボールを跳ね上げて「『さいみんじゅつ』」と叫ぶ。

 繰り出されたゴーストが、吹雪にダメージを負いながらも、キクコが指示した方向に『さいみんじゅつ』を放つ。

 そしてしばらくすると、『ふぶき』が晴れた。

「修行がたりないよ」

 ゴーストを手持ちに戻しながら、キクコが男を叱責する。肩をすくめながらカビゴンをボールに戻した男は、キクコの目線を追って地底湖に目をやり、「ああ」と、驚きの声を上げる。

 そこに居たのは、『さいみんじゅつ』によって意識を失っている一匹の巨大なラプラスだった。最も男はラプラスというポケモンを、シルフカンパニーでしか見たことがなかったので、それに比べれば大きいということくらいしかわからないが。

「頭が良くて、強力な氷ポケモンだよ」

 キクコの言葉に彼も頷く。実物こそ一度しか見たことがないが、ラプラスというポケモンの生態自体はドキュメンタリー番組などで何度か見ている。強力な『れいとうビーム』や『ふぶき』を操る一方で、唄を歌うことで仲間同士でのコミュニケーションを取り、更にはその高い知性から、人間の言葉をある程度高い次元で理解することもできる、珍しいポケモン。

「なるほど、仲間を守るために、密猟者達に攻撃していたわけか」

 ラプラスはその希少性から密猟者に狙われるポケモンであることも彼女らは知っていた。

「だけど」と、男が続ける。

「誰かのポケモン、ってわけじゃ無さそうですね」

 そう、彼が見る限り、そのラプラスは野生のポケモンだった。

 つまり、キクコの目論見は間違いだったということになる。

 首を傾げるキクコに、まあそんなこともありますよ、と、男が声をかけようとしたその時だった。

 再び彼女らを、衝撃、そして『ふぶき』が襲ったのだ。

「またかよ」と男は鬱陶しそうに呟きながら再びカビゴンを繰り出す。カビゴンはやる気満々に彼らの壁となった。だが、彼等はその異変に表情を歪ませることになる。

 まずそれに気づいたのはキクコだった。彼女は更に冷気を帯び始めた洞窟内の空気を感じながら「これは違うよ!」と大声で男に叫ぶ。

 しかし、その根拠を彼女が続けるより先に、「危ない!」と、男が彼女を自らの方に引き込み、カビゴンの壁から離れた。

 意識を失ったカビゴンが、地響きをたてながら崩れ落ちたのは、そのすぐ後だった。男がカビゴンの異変に気づかなければ、彼等はその分厚い壁のような肉体で押しつぶされていただろう。

 この状況で、カビゴンが意識を失ったその理由は一つしか考えられない。この『ふぶき』攻撃で、体全身が『こおり』漬けになったのだろう。

 しかし、男の知る限り、それはありえないことだった。カントーでも選りすぐりのトレーナーたちが集まるはずであるポケモンリーグですら、カビゴンが氷漬けになったところなど見たことがない。その判断ができたのは、本当にその寸前のことであった。

 だが、賢明なその判断は、同時により過酷な状況に自分たちを追い込むことになる。壁のなくなった今、カビゴンを氷漬けにさせるほどの吹雪は、彼等二人にそれを直接吹き付けていた。

 冷や汗がその名を変えて肌に張り付き初めていることを感じた男は、すぐさま次のポケモンを繰り出す。

 吹雪に抵抗するように、プクリンの『だいもんじ』が放たれる。彼の手持ちの中でもっともトリッキーな戦術を得意とするポケモンの技は、ポケモンリーグでも中々の威力のはずだった。

 しかし、その彼女の技もまた、『ふぶき』によってかき消される。こおりはほのおに弱い、男が戦いの中で培ってきた経験は、基本的には間違ってはいないが、今この状況では適応されない法則だった。

 動きが鈍くなるプクリンを目の当たりにしながら、男は判断した、今この『ふぶき』を作り出しているのが野生のポケモンだろうが、トレーナーであろうが、もしくは雪女であろうと、もはやそんな事はどうでもいい。

「キクコさん! ここは一旦引きましょう!」

 準備不足が明確だった。ブランドだけが取り柄の防寒具だけでは凌ぐことが出来ない。装備を揃え、対策を練り、再び向かえば何の問題もないかもしれないが、少なくとも今は、簡単にこの暴力を乗り越えることは出来ないだろう。

 無様に地面に突っ伏しながら、吹雪に煽られることに抵抗していたキクコは、渡りに船であるはずのその提案を「ふざけんじゃないよ!」と、声を荒げながら否定した。

「あんた、自分たちが負けることのその意味がわかっているのかい!」

 この状況を全く苦にしていないわけではない、むしろ男より老齢であるキクコのほうが、この状況は辛いはずだ。だが、今ここから逃げることは、それすなわちポケモンリーグの敗北を意味してしまうのだ、最強の共同体であるはずの自分達が、たとえ自然現象であろうともそれに屈してしまうことがあってはならない。背中を向けることは、恥だ。

 男だってそこまで愚かなわけではない、勿論その意味はわかっている。だが、彼は彼女に比べれば現実主義者。

 気づけば、プクリンも動かなくなっている、絶望的な状況だった。しかし、彼も逃げるわけには行かなかった、リーグのトップである彼女の覚悟を、自分が無碍にする訳にはいかない。彼は覚悟を決めた。

「一瞬で決めてくださいよ」と、叫びながら、男は三体目のポケモン、ベロリンガを繰り出す。

 ベロリンガはその冷気に体を震わせながら、雪を巻き取るようにその長い舌を蠢かせ、やがて体を凍りつかせながら、舌先をある一点に向ける。

 その行動の意味に、『ふぶき』を作り出した何者かが気づくよりも先に、キクコはそれを理解する。

 地面に伏しながらキクコが繰り出したゲンガーは、ベロリンガが指している方向に向かって『かなしばり』を放つ。

 それが効果を成すのかどうかはわからなかった、もし、何の効果もなければ、それなりの覚悟はしなければならない。

 しかし、ゲンガーをも氷漬けになろうかというその寸前、吹雪は止んだ。それは、その『ふぶき』がポケモンの能力で作られたものであることを意味していた、催眠術の一種である『かなしばり』は、ポケモンに技を使わせなくさせることができる技だからだ。

 手持ちをボールに戻しながら、キクコと男はベロリンガの指した方向に急ぐ、吹雪が吹き付けているときには気づかなかったが、そこにはおあつらえ向きの物陰が存在していた。

 キクコのゲンガーが先導し、彼等はその物陰を覗いた。

「ええ!」という男の大きな声が洞窟内に響く。キクコも声を上げこそはしないがそれに驚いていた。しかし同時に、それに納得してもいる。

 そこには、ポケモンを連れた少女が一人いるだけだった。しかも、そのポケモンは、熟練のトレーナーであるキクコたちも初めて目にするポケモンだったのだ。

 しかし、そのポケモンを知らないわけではない、絵画、小説、絵本、文献、歴史資料、数多くの媒体が、そのポケモンの存在を示している。

 その少女が必死に身を寄せていたのは、伝説とも称される鳥ポケモン、フリーザーだった。

「嘘だろ」

 男はもう一度驚きを口に出して示す。数多くのポケモンを目の当たりにしてきた、その中には当然珍しいと言われているポケモンもいた、しかし、その経験を持ってしても、それを受け入れるのには時間がかかるのだ。

「天才だね」と、キクコがそれに続ける。

「こんな女の子が、フリーザーを従えているだなんて、どこで言っても鼻で笑われて終わりさ」

 キクコの感嘆を、少女は言葉を震わせながら「違う」と否定する。

「私はフリーザーの力を借りているだけ」

 彼女は、自らとフリーザーとの関係を簡単に揶揄される事を嫌っているようだった。

 キクコはその言葉にさらに目を丸くする。

「驚いたね、その若さで、それを知っているのかい」

 ポケモンと、自らの力関係を見測り損なうことで失敗するトレーナーは数多い。彼らはポケモンが自らの力によってモンスターボールの中に収まっていると勘違いしているし、ポケモンが自らにひれ伏しているから、自らの指示に従うと思っている。その関係を一方的に崩壊させる権利を、常にポケモン側が有していることを忘れて。

「大したものだ」

 男も少女の言葉に感心していた。しかし彼がつぶやいたその言葉の多くは、彼女がフリーザーと心通わしていることへの感心だろう。

「言葉には気をつけることだよ」と、キクコは彼をたしなめる。

「この子にそう言えるほど、あんたは優れちゃいない」

 緊張感なく、笑いながら肩をすくめる男を眺めながら、その少女はキクコ達に問う。

「目的は何なの」

 彼女は絶望していただろう、すべての侵入者を排除してきた自分たちを、ここまであっさりと封じることができるトレーナー達だった。彼女らがその気になれば、今この洞窟内にいるすべてのポケモンを、狩りつくされてしまうだろう、それに、これほどの手練である彼女らが、フリーザーの価値を知らないわけがない、地獄だ、自分と氷タイプのポケモンたちの楽園だったこの場所が、地獄に姿を変えるだろう。

「この洞窟のポケモンにこれ以上手を出すようなら、私も容赦しない、フリーザーの力で、私ごと氷漬けにする」

 その若さにして、すでに氷タイプのポケモンの殆どに精通していた彼女は、自分たちの間には絶対に相容れない領域があることを知っていた、氷のポケモンたちにとっては快適でも、人間はその命を奪われる状況というものが存在することを知っていた。

 しかし、その若さゆえ、彼女のその脅しはあまりにも甘いものだった。だってそうだろう、本当の悪ならば、この場では彼女に媚びへつらいないがら、本拠地に戻った後に手のひらを翻し、腕扱きのトレーナーを何人も引き連れて、再びこの洞窟に舞い戻るはずだ。否、悪でなくともそうするかもしれない、希少なポケモンであるラプラスと、伝説のポケモンであるフリーザーの存在は、本来ならば善人である人間に、悪魔的な囁きをするのに十分な魅力だった。

 彼女はまだ人間というものがよくわかっていなかったのだ、善人は善人であり、悪人は悪人である、その主義主張は常に一貫しており、その途中に存在する心変わりというものを、全く考慮してはいない。

 そして、彼女はまだ知らないことがある。

「ほう、じゃあ、やってみな」

 ちょっと、と、声を荒げながらその発言を咎める男を無視しながら、キクコは少女の目を見据えてそう言った。

 男からすれば意味がわからない、これだけの苦労を、凍死してしまうかもしれない危機を乗り越えてまで遂にたどり着いた原石に、何故そのような、何もかもが無駄になってしまう挑発をする必要がある。

 悪人だ、と、少女は判断した。だって、善人がこんな挑発をするはずがないだろう。このまま彼女らを返す訳にはいかない。

 だから彼女は、思い切り叫んだ。それは、キクコや男には馴染みのない言葉だったが、それは彼女がフリーザーとの間に作り出していたある技だった。人間ならば絶対に耐えることのできない冷気を作り出し、すべての命を奪うその技を、彼女は躊躇なく叫んだ。

 しかし、彼女の命が尽きることはなかった。キクコも、男も、生きている。

 その原因は、明らかにフリーザーだった、彼はその場にじっと留まるだけで、彼女の指示した技を放ちはしなかったのだ。『かなしばり』によって封じられている技は『ふぶき』だけのはずなので、それは、フリーザー自身の判断ということになる。

「どうして!」と、少女は叫び、フリーザーの胸元に顔を埋めた。そこに触れた人間の体温は、氷タイプのポケモンにとっては熱すぎるほどのものであったが、彼は目を伏せながらそれを受け入れ、少女もまた、冷たすぎる彼の体温を、頬で受けていた。

「本当に、大したトレーナー」とまで言って、キクコは一瞬言葉を途切らせる、そして、彼女がその瞬間に決めた覚悟が、果たしてトレーナーという概念の範疇に収まるものかどうかをもう一度考えた後に、「いや、大した女だよ」と、続けた。

「あんたが優れたトレーナーだったら、今頃あたしたちはこの世には居なかっただろうね」

 フリーザーから離れ、視線でその続き、その根拠を求めた少女に、キクコは続ける。

「フリーザーとあんたの関係は素晴らしい、尊敬するよ、だがね、その力関係が、対等じゃなかったのさ」

 説明を求める視線が、背後からも突き刺さっていることを感じながら続ける。

「自分を殺せと言ったトレーナーに、ポケモンが首を振った。ただそれだけの話、フリーザーは、あんたを死なせたくなかったのさ」

 果たしてフリーザーはカンナの言葉を理解していたのだろうか、彼はそのクチバシで少女の冷たく焼けた頬を申し訳なさそうに撫でる。

 少女は、それに驚いていた。

 彼女は、伝説のポケモンである彼の力を借り続けていることに負い目を感じていた、その力を借りねば、自らの愛する土地を守ることすら出来ない自らの無力を恥じていた。自分と彼は遠く遠く離れた存在であり、自らの一方的な敬愛のみがそこに存在しているのだと思い続けていた。

 しかし、フリーザーもまた、その少女を特別な存在と見なしていたのだ。キクコの慧眼は、その感情のすれ違いを、見事に昇華した。

「安心しな、あたしらの目的はポケモンじゃない。生憎、これ以上ポケモンの面倒は見きれないんだ」

 友人たちを守ることができなかった自責を彼女が強く感じ始めるより先に、キクコはそう言って彼女に手を差し伸べる。

「あたしゃキクコ、嬢ちゃんの名前を教えてくれないかい」

 少女は、その手を取った。

「私はカンナ」

 その手は冷たくかじかんでいた。

「そうかい、いい名前だね」と、キクコはその手を暖めるように両手で握った。

「あたしはね、ポケモンリーグのチャンピオンさ、訳あってポケモンリーグにふさわしいトレーナーを探している。カンナちゃん、あたしゃあんたはそれにふさわしいと思ってる、ぜひとも、ポケモンリーグに来てはくれないかい」

 カンナはそれに複雑そうな表情を見せる。

「トレーナーは嫌い」と、彼女は目の前のキクコがそれのトップであることを知りながらそう答えた。

「たまにだけど、トレーナーもここに来るの、特訓とか言って野生のポケモンを嬲ったり、戦わせると言ってポケモンを捕らえたりする」

 あちゃあ、と、男は手で顔を覆う。

 リーグトレーナーが野生のポケモンと戦ったり、ポケモンを捕らえたりする、それは紛れもない事実だ。それに批判があることも知っているし、かと言ってそれをやめるわけには行かないことも知っていた。

 しかしキクコは、その返答をある程度覚悟していた。手付かずの自然があり、カントーでは珍しく氷タイプのポケモンが群生している、実力のあるトレーナーならば、この地の重要性を理解できるだろう。

「耳が痛いね、否定出来ないよ。実際あたしらは粗暴者とも呼ばれることもあるし、間違いではない」

 だけど、と続ける。

「その代わり、あたしらは世界で一番強い粗暴者さ」

 それではより厄介になっただけではないか、と、キクコを見つめる男の視線を無視して続ける。

「あたしらの中で生き残れるトレーナーになれば、大抵の卑怯者には負けなくなるよ。それに、強豪リーグトレーナーの縄張りとなれば、鼻の利く厄介な奴ほど、ここに寄り付かなくなる」

 ある程度理にかなった話だと思っているのだろう、カンナが何も返さないことを確認してから続ける。

「何かを守るには力がいるんだよ、知力、財力、精神力、影響力、そして、あたし達が持っている強さ、暴力と言うものは、それらすべての根源に存在する、強力な概念なんだ。それらがなくちゃ、到底何かを守ることは出来やしない」

 あまりにも原始的すぎる理論だったが、カンナはその言葉の持つ力強さを感じていた。暴力を盾にこの地を荒らす粗暴者、それを越える暴力を持ち、それを誇示するという発想、倫理的に優れたものではなかったが、彼女は時に人間というものが倫理を捨てる生き物だということを痛いほど知っていた。

 男も、カンナと同じようなことを感じていた、だが、彼はその言葉に、絶対的な説得力も感じていた。

 なぜなら男は今目の前で、ポケモンリーグという地を守るために、自らの持つ強さを振り絞るキクコを見ていたのだから。

「私なら、それができるの?」と、カンナがキクコに問う。

「ああ、できるさ」と、キクコがそれに答えた。

「むしろ、その才能を腐らせるほうが難しいさ」

 カンナは、もう少しだけじっと考えてから、更にキクコに問う。

「私がこの島に居ない間、一体誰がここを守るの?」

 キクコはそれを鼻で笑って答える。

「社交力のあるこの男と、影響力のあるあたしのお友達がなんとかするよ」

 突然自らに向けられた親指に、男は心底驚いた。

 後に男が、「ムチャ振り」と言う言葉とその用法を知ったとき、彼は真っ先に今この瞬間を思い出すのだった。




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