モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 195-モモナリさん家の何もない一日

 カントー地方、ハナダシティ。

 チョウジのように名物となる湖を有するわけでもなく、クチバやアサギのように多文化との交流が豊かな港町でもない。

 それでもこの町が水タイプのエキスパートであるジムリーダー有する『水の町』であるのは、大きくはないが水質の良い湖と、それを作り出す河川の影響が大きいだろう。ギャラドスのような大型ポケモンが数少ないハナダの水辺は、おとなしい水棲ポケモンや人間の子どもたちにとっては楽園のような環境だった。

 そんな楽園を、決していてはならないはずのポケモンが悠々と遊泳していた。頑丈な甲羅に覆われた大きな体に、伸び縮みする大きな二本の爪、大昔に絶滅したはずのかっちゅうポケモン、アーマルドだ。

 もし彼が野生のポケモンであるのならばハナダシティは騒然とするだろう。実は絶滅していなかったのか、それとも持て余したトレーナーが捨てたのか、そのどちらにしてもただ事ではない。

 だが、彼を見るハナダの人々の目は穏やかなものだった。日常の風景の一部として全く興味を持たない者もいるし、ゴールデンボールブリッジから彼に向かって大きく手をふる子供もいる。ハナダの岬で生まれたばかりの愛を確かめあっているカップルは、突然視界に入ってきた彼の存在に驚きながらも、そそくさと退散する彼を苦笑しながら見送るだろう。最も、今は早朝であるので、彼を目に止める人間はそうはいないだろうが。

 別に彼らの常識が改変されているわけではない、彼らにとって彼の存在がそこまで珍しくないのには理由がある。

 彼はハナダシティの水辺に住居を構えるリーグトレーナー、モモナリの手持ちであった。

 

 

 

 

 ハナダの河川を悠々と泳ぐアーマルドの後には、何匹もの水棲低レベルポケモン達が続いていた。岩の陰や草の陰に隠れるよりも、彼のそばにいる方が彼らにとっては安全だったからだ。

 だが、ある振動が水を伝って彼らの耳に入ったとき、彼らはパッとアーマルドの周りから散った。何よりも生きることに敏感な彼らの判断を、アーマルドは特に不思議には思わない。水流に逆らいながらとんでもないスピードでこちらに向かっているその気配に彼が気づかないはずがなかった。

 よく澄んだハナダの水の向こう側から、その影は近づいてきた。

 鍛え上げられた尾びれが水をかき、優雅とは程遠いほどいびつに筋肉のついた不格好な肉体は一見すると不自然なスピードで移動する。彼の頭についている何よりも硬いそのツノが、その影を弾丸に変貌させていた。水棲ポケモンにとって、それはこの世で最も恐ろしいものの一つだった。

 だが、アーマルドはそれに立ち向かった。甲羅は飾りではない、かつて太古の海で培った誇りが彼に自信を与える。

 そして、それらを見守るポケモンたちがあっと思う暇もなく、その両者は激突した。彼らを中心に巻き起こった衝撃は水を伝った。上方では水しぶきとなり、下方ではポケモンたちを驚かせる振動となったそれは、おおよそ彼らの激突を知る由も無いハナダシティの反対側にまで伝わっただろう。

 アーマルドは弾け飛んだが、同時にぶつかってきたものを弾き飛ばしてもいた。ダメージがないわけではないが、自慢の甲羅には傷一つついていない。

 吹き飛ばされたそれは、しばらくふわふわと水中を漂ったが、やがて気を取り戻して再びアーマルドに向かう。

 だが、アーマルドは今度はそれに反応しなかった。否、もう遊びは終わったということを彼は理解していたのだ。

 向かってきたポケモン、きんぎょポケモンのアズマオウは、これまたとんでもないスピードでぐるぐるとアーマルドの周りを回った。

 アーマルドは少し呆れながら首を振ってそれに付き合った。自分がいるからいいものの、自分がいなくなったら果たしてこいつはどうするつもりなのだろうか。

 対するアズマオウはまだアーマルドの周りをぐるぐると回りながら、全身で喜びを表現している。

 かつて『生まれついてのとんでもない強さ』をトサキントのブリーダーから見抜かれ、リーグトレーナーであるモモナリの手持ちとなったアズマオウは、自身の全力をぶつけることができる仲間を見つけてからは幸せに、そして厳格にハナダの河川を支配していた。

 やがてアズマオウはアーマルドの周りを回るのをやめた。もう一日ほどそれを続ける体力はあったが、アーマルドの目的がそれに付き合うことではないことを彼は知っていたし、それを不満にも思ってはいなかった。

 

 

 

 

 ハナダの洞窟のそばに存在するその水辺は、アズマオウの縄張りであり、住処でもあった。強力なポケモンたちが現れるかもしれないそこを住処にできるのは、ハナダ広しといえどモモナリのアズマオウくらいだろう。

 太陽の光がよく入る浅瀬にアズマオウがなんの苦労もなく掘ったそのスペースを、彼とアーマルドは頭を突っ込むようにして眺めている。

 そこには様々な小物があった。

 いつのものかもわからない瓶飲料の王冠、なんのためらいもなく捨てられたであろう指輪、観光地を勘違いしたに違いない小銭が多少に、ただただきれいなだけの石。雑多に集められているそれらの共通点は、太陽の光を反射してキラキラと綺羅びやかに光っていることだろう。

 アーマルドは首をひねりながらそれらを品定めしている。これは光が鈍い、これは光りすぎている。ギラギラとした品のない光り方では駄目なのだ、大事なのは少しくすんでいること、それがより強く光り輝くことを想像できる余地のある幅のあるものだ。

 アズマオウは泥を吹いて少し沈んでいるそれらを陽の目に晒していた。彼にそれらの良し悪しはわからない、おおよそ美的感覚というものがない彼はとりあえず水中で光り輝いているものを集めてきただけ。彼個人に得のある趣味ではなかったが、全力をぶつけることのできる戦友が望んでいるものを集めているのだから、彼はそれに悪い気はしなかった。

 やがてアーマルドはいくつかのそれらを選ぶと、それを器用に甲羅のどこかにおさめた。それが一体どういうシステムなのかは、戦友であるアズマオウにもとんとわからなかった。

 

 

 

 ハナダシティの水辺に面した庭を持つその家、リーグトレーナーモモナリの住処では、何匹かのポケモンがそれぞれ好き好きに朝を過ごしていた。

 庭先ではいわつぼポケモンのユレイドルが朝日を楽しみ、じゅうりょうポケモンのカバルドンはまだまだぐっすりと眠っている。

 その時、大きな水しぶきを上げながら、アーマルドが川から上陸した。ユレイドルはそれを気にもとめなかったが、カバルドンの方はその騒がしさに一瞬だけ目を覚まし、ノシノシと庭を歩くアーマルドに鼻息で挨拶をして再びまどろみに身を任せた。

 アーマルドはよく日の当たる場所にどっかりと腰掛けると、濡れた甲羅を乾かし始めた。濡れたまま家に入っても強烈に怒られることはないが、家主のモモナリは露骨に呆れと悲しみの顔をするのだ。

 愛しのあの子にはすぐに会いたいが、ここはしばらくの我慢だ、と、そよそよと触手で甲羅の水滴を払ってくれるユレイドルに礼をあらわす鳴き声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 アーマルドがまだほんの少し甲羅に湿り気を感じている頃、その室内でもまたポケモン達の朝が訪れている。

 一匹のガブリアスが、首をひねりながらじっとゴルダックを見つめていた。

 正確に言えば、彼女が見つめているのはゴルダックの額にある赤い部分であった。瞑想中なのだろうか、ゴルダックは瞳を閉じてじっと動かないが、ガブリアスが見つめているその部分は鈍く赤色に輝いている。

 ガブリアスの幼生であるガバイトには、光り輝くものを集める習性がある。普通それらの習性は進化とともに失われることが多いが、彼女は最終進化系のガブリアスになった今でも光り輝くものに対する興味が消えてはいなかった。

 それは彼女がガバイトであった期間が非常に短かったことが関係しているのかもしれないし、ただ単に彼女の個性であるかもしれない。ただ、彼女が他のガブリアスに比べて光るものが好きであるということは事実だった。

 ゴルダックのそれを見つめるのは彼女の大事な日課であり、お気に入りのジンクスでもあった。

 

 

 

 しっかりと甲羅を乾かしたアーマルドがガラス戸を異様に器用に開きながら家の中へと入ってきたのは、彼女が首を右に捻りながらそれを見つめることをやめ、今度は左に傾けながらそれを見つめようとした時だった。

 アーマルドはマットでしつこいほどに足の裏を拭いた。それをせずに部屋に入っても良かったが、家主のモモナリは露骨に呆れと悲しみの顔をする。愛しいあの子にすぐに戦利品を見せつけてやりたいが、ここはしばらくの我慢だ。

 ガブリアスはアーマルドのそのような様子に笑いながら、ゴルダックのそばを離れてテーブルへと移動した。彼女は物静かな兄のようなゴルダックのことが好きだったが、何かと自分をかわいがってくれる祖父のようなアーマルドのことも好きだった。

 ようやく足を拭き終えたアーマルドも同じくいそいそとテーブルのそばへと移動して、甲羅の隙間に器用に保存していた戦利品をそれの上に並べた。

 

 今日の戦利品は四つ。

 朝日を受けてキラキラと光る小さな石がはめ込まれた指輪。

 チャリンと入れればスロットが回せるであろうコイン。

 チャリンと入れればおいしい水が買えるであろう方のコイン。

 だれかのきんのたま。

 

 ガブリアスの好みについて造詣の深いアーマルドが選んだそれらは、彼の予想通り彼女の好みの光り方をしていた。

 彼女はうっとりとそれらを眺めていたが、やがて頭を振って我を取り戻すと、小さく鳴き声を上げながらアーマルドの甲羅にかぶりついた。

 当然攻撃ではない、彼女の礼だ。

 アーマルドは甲羅から伝わる小さな痛みにニッコリと笑って彼女の頭を爪でなでた。アズマオウの『つのでつく』にガブリアスの『かみつく』それらは硬い甲羅を持つ彼であっても無視のできない痛みではあったが、それでも可愛いこの子のスキンシップを考えるならば、実質無痛のようなものだ。それに、この子の欲求不満がモモナリに向かってしまえばまた大変なことになってしまう。

 しばらくガリガリとそれを楽しんだ後に、ガブリアスは再びうっとりとテーブルに並べられた戦利品を眺める。そして、ガリガリとそれを楽しんでいた彼女を楽しんでいたアーマルドは、再びうっとりとテーブルに並べられた戦利品を眺める彼女を優しく眺めていた。

 

 

 

 

「おー、やってるな」

 ロフトベットから降りたモモナリは、一つ伸びをしながらそう呟いた。その視線の先にはテーブルの上に並べられた小物をしげしげと眺めるガブリアスがいる。

 アーマルドがガブリアスに光り物を『献上』していることは当然モモナリも知っていたし、それを悪いとも思っていなかった。むしろ、ユレイドル以外にあまり馴れ合わないように見えたアーマルドにもそんな一面があったのかと感心しきりだ。それを禁止するつもりもないし、かと言って推進するつもりもない。

 大好きな親がベッドから降りてくるのを待ち望んでいたガブリアスは、少し飛び上がるようにしてモモナリの方を向くと、全力の笑顔を見せながら大股で彼の胸に飛び込んだ。そのままスリスリとモモナリに頬ずりする。自分自身の鱗が他のガブリアスのように『さめはだ』でないことは彼女の自慢の一つだった。

 普段はこんなに甘えたなわけではない、だが、ここ数日は忙しかったこともあった。

「はいはい、おはようさん」

 首の後ろあたりを鱗の流れに沿って撫でながらモモナリはそう言った。これまでの手持ちにはなかった陽気で甘えたな全力のスキンシップだったが、もはやそれには慣れたし、こうやってスキンシップが取れることだけでも奇跡なことなのだと、モモナリは学んでいた。

 そんな様子をアーマルドが心の底から羨ましそうに眺めていることをモモナリは気づいている。だが、だからといってそれを申し訳ないとは思わない。自分が『親』としてガブリアスに好かれているのと同じように、アーマルドもまた『世話好きな仲間』としてガブリアスに好かれているのだ。

 自分だって、できることならばハナダの河川の中に潜って、アズマオウと真正面からぶつかり合い、戦友と認められてガブリアスが好みそうな光り物をいただきたいものだ。だが、それはできない。それと同じ。

 それを知っているからこそ、モモナリはガブリアスのガブリアスなりの愛情表現を否定しないし、アーマルドのアーマルドなりの愛情表現を否定しない。そして、自分には自分にしかできない愛情表現というものがある。

 だが、どうしても見逃せないこともあるのだ。

「あー、これは駄目だなあ」

 机の上の戦利品を覗き込んだモモナリは、おいしいみずが買える方のコインと指輪を交互に見やりながら呟いた。

 それらの戦利品がハナダを流れる河川や湖から拾ってこられていることはモモナリも把握している。きんのたまやゲームコーナーのコインならともかく、硬貨や指輪となるとさすがのモモナリも取るべき行動が変わってくる。

「これとこれは交番だな」

 ヒョイヒョイとモモナリにつまみ上げられたものを、ガブリアスは少しだけ名残惜しそうに見つめ、もう一度甘えるようにモモナリに頬ずりする。

「これか?」

 モモナリが硬貨の方を彼女の前に提示すると、彼女は小さく頷いた。人間の目から見れば薄汚れて鈍い輝きしか放っていないようにしか見えないそれは、彼女からすれば魅力的な輝きのようだった。

「こっちはいいのか?」

 一方、目の前に提示された指輪には、ガブリアスはそっけない態度だ。仕方がないことだ、女性の心をつかむにはその指輪についている石のサイズは小さすぎる。

「まあ、こっちはなあ」

 モモナリもまた、その指輪には渋い顔だ。恋多き町であるハナダにおいて、川底に眠っていた指輪というものは、その大体があれだ。一応拾得物になるであろうから交番に持っては行くが、それが正しい行為なのかと問われれば微妙なところ。

「じゃあ、これはいいぞ」

 そう言って硬貨の方は机の上に戻した。何の問題もない、交番の方には自分の財布の中から同じ金額を取り出して届ければいいのだ。

 モモナリの許しをもらったガブリアスは、器用に机の上の小物を手に取ると、そのままいそいそと部屋の隅へと向かう。

 大小様々なトロフィーと、まるで漫画から飛び出してきたような宝箱があるその一角は、彼女がコレクションを保管するプライベートスペースだった。

 それなりに権威ある大会であるサントアンヌ杯の優勝トロフィーも、フエンタウンの町おこしイベントの優勝トロフィーも、彼女にとっては同列のもの。最近特にお気に入りなのは凝った装飾が施された大きなトロフィーで、彼女はそれを眺めるだけで半日は潰すことができる。『第四回ガブリアスナンバーワン決定戦優勝者』と彫り込まれたそのトロフィーがどんな意味を持つかは彼女にはわからない。

 これまた器用に宝箱を開きながら、ガブリアスは持っていた戦利品をその中に入れて、うっとりとそれらを眺める。

 日がよく入るそこに置かれた宝箱は、中の物をよく輝かせた。

 

 

 

 

 よく磨かれたジバコイルのボディは、向かい合うものをよく写す。

 だがなめらかな曲面である彼のボディは、その対象をグンニョリと捻じ曲げて写すのだ。

 今彼のボディに映し出されているのは、首を傾げたガブリアスの怪訝な表情であった。

 彼女はモモナリによって良く手入れのされたジバコイルのボディが好きだが、それに映る自分自身も好きだった、首を傾げたりするだけでグニョグニョと映るものが変わり、それは毎日毎日違ったものになる。自分だけでなくジバコイルの角度も調整すればもうそこに映るパターンは無限大だ。

 ジバコイルは彼女の興味の赴くままに好き勝手に体勢を弄くられていたが、全く意に介さずといった風だった。元々感情表現が少なめな方であるし、背後を取られて緊張しているのもある。だが、抜群の威力と精度を誇る『ラスターカノン』を生み出すことのできる自身のボディを気に入ってくれることに悪い気はしていない。ついうっかりバチンといってしまっても、彼女に電気技は効果がないから安心もできる。

 しかし、ガブリアスは多少退屈していた。

 親であるモモナリはあの小さな輝きを持ったまま家を出てしまった。

 アーマルドは川のパトロールに行ってしまったし、ゴルダックは未だ瞑想中、カバルドンとユレイドルは基本外にいる。

 くあぁ、と彼女が一つ欠伸をした頃に、玄関の向こう側から足音が聞こえてきた。モモナリが帰ってきたのだろう。

 彼女はジバコイルを優しく元の体勢に戻すと、いそいそと玄関の方へと向かった。

 そして、ドアが開くと同時にモモナリにお帰りのハグをしようとした。

 が。

 

 それを出迎えたのはコブラポケモン、アーボックの威嚇の鳴き声だった。

 

 大きめの体格を持ったアーボックは我が物顔で扉をくぐると、ガブリアスを見下げて睨みつける。

 ガブリアスはそれに驚き、思わずアーボックから目をそらした。

 わかっている。

 自分のほうが力が強い、いくらアーボックが『いかく』でガブリアスを萎縮させようと、彼女の『じしん』攻撃にアーボックは耐えられない。

 自分の方が速い、アーボックがどれだけ頑張ろうと、自分の脚力には追いつけない。

 喧嘩をすれば、自分だって多少は勝てるだろう、否、今ならばほとんど勝てるかもしれない。

 だが、それでも自分がアーボックの『へびにらみ』に萎縮してしまうのは、アーボックが持つ風格のせいなのだろう。

「おいおい、あんまりいじめるなよ」

 アーボックの後ろからひょいと現れたモモナリが、アーボックとガブリアスをそれぞれ見やりながら言った。

 ガブリアスをかばうような発言と表情であったが、ガブリアスは短く鳴くと一歩二歩後退りしてアーボックたちに道を譲る。

 譲られた道をモモナリと共に行くアーボックは、それ以上ガブリアスを威嚇することはない。多少大人気ないことをした自覚は、彼女自身にもある。

 モモナリの手持ちの中でもかなりの古株である彼女は、ガブリアスがそれに加わるまでは彼の手持ちの中でも最も彼になついているポケモンだった。そして、親としてモモナリになついているガブリアスと違い、彼女はパートナーとしてモモナリになついている。

 ガブリアスもまた、それに不満の表情を見せることはなかった。今日はそういう日なのだと納得する。モモナリと同じ家に暮らしている自分と違い、アーボックはハナダ郊外のアーボたちをまとめていることを彼女は知っていた。

 モモナリが彼女の父のような存在であるのならば、アーボックは彼女にとって母でもあり姉でもあった。

 男所帯で蝶よ花よと育てられていた彼女に、アーボックはポケモン目線からでのしきたりと序列を教え込んだ。モモナリの腕に噛み付いてしまってふさぎ込んでいた彼女を最も気にかけ、正面から向き合い、次が無いようにとしつけたのもアーボックだった。

「さて、と」

 座椅子に座ってノートパソコンを開いたモモナリに、アーボックはぐるりと巻き付いた。

 いつもよりウキウキしてるな。と、ガブリアスはその様子を見て思う。自分がモモナリの帰りを待ち望んでいたように、アーボックもまた、モモナリの来訪を待ち望んでいたのだろう。

 ふと窓の外に目を向ければ、八本の触手が魅力的に揺れている。室内の様子を察したユレイドルが、ガブリアスを遊びに誘っていた。

 

 

 

 

 

 

 ユレイドルと泥まみれになるほど遊び、アーマルドと水浸しになるほど遊んだ彼女は、体を乾かすためにカバルドンと共に日向ぼっこしていた。

 カバルドンの周りは、時間がゆっくり流れているのだろうとガブリアスは考える。彼女の知る限り、カバルドンはモモナリの手持ちの中で最も「なにもしない」を楽しめるポケモンだった。

 彼の大きな『あくび』を機会にガブリアスは体を起こした。これに付き合っていては、いつまで経っても起き上がることができないだろう。

 マットでしっかりと足の裏を拭いてから、彼女はガラス戸を器用に開けた。

「だから、やるって言ってるでしょうよ」

 モモナリは電話中だった。旧型のポケギアを右手に早口にまくしたてる。

「大丈夫ですってポケモンは向こうで借りますから……はいはい分かってますよ持ち込みませんし持って帰りません。そのくらいの常識分かってますよ……ルチャブルのときはまだ子供だったんですよそのくらいわかるでしょうよ」

 モモナリの表情は穏やかなものだったが、彼に巻き付くアーボックはそこにはいやしない電話の相手に向かって威嚇をしている。電話口の向こう側の人間が、モモナリの意に反していることを彼女は感じ取っていた。

 だが、モモナリは電話口の向こう側の人間をよく知っている。なんだかんだで、最終的には折れてくれる、信頼できる人だ。

「はい……はい……大丈夫です大丈夫です……だーいじょうぶです。はい……はい……それじゃあよろしくおねがいします」

 ポケギアの向こうからはまだ何らかの声が聞こえたような気もしたが、モモナリは慣れた手付きでそれを切った。

 そして、腹部に巻き付いていたアーボックの胴体を二、三度叩く。

「締めてる、締めてる」

 アーボックはそれにハッとした表情をしてすぐさまにそれを緩めた。たまにだが、ついうっかりそれをやってしまうことがある。モモナリの腕に噛み付いたフカマルに寄り添ったのも、自身のそういう性を理解しているからこそだった。

 ガブリアスは少しウキウキした。大抵、こういう事があると楽しいことがある。モモナリたちとどこか遠いところに行って、力いっぱい遊ぶのだ。

 腹部の痛みを確かめるように一つ大きな深呼吸をしたモモナリは、ガブリアスとアーボック、そしてちらりとだけゴルダックを見やって、そして最後にはガブリアスを見つめながら「うーん」と神妙な面持ちとなった。

 その表情の意味が、その時ガブリアスにはまだわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 夜だった。

 食事をして、今日あったことをよく考え、そして、明日やるべきことをほんのりと考えた。つまり、もう彼女らにやることはない。

 モモナリもまた、食事をして風呂に入ってしまえば、もうやることはなかった。不安に思っていた書き物の仕事が一発オーケーだったことが嬉しくも、少し予想外だった。

「それじゃ、おやすみ」

 特に見たいテレビ番組があるわけでもない、夜遅くまで電話をするような相手がいるわけでもない、最近皆忙しいのか、飲みの誘いもさっぱりだ。そういう時は寝るのに限る。寝て悪いことはない。

 ロフトベッドに登ろうとしたモモナリの寝間着の裾を、何者かが引っ張った。おっとっと、と独りごちながら、彼はその方を見る。

 下着が見えるほど強い力でそれを引っ張っていたのは、アーボックだった。彼女はつぶらな瞳でモモナリをじっと見つめている、あの強烈な『へびにらみ』をするのと同じ目だというのに、こうしてうまく使い分けることにモモナリは感心する。

 蛇の嫉妬は恐ろしいとは言うが、彼女は布団や枕にもジェラシーを感じているようだった。

「はいはい」

 彼は笑ってその申し入れを受け入れた。拒否をする理由などなかったし、今更恥ずかしがるようなことでもない。

 促されるままに床に転がり、ゴルダックに一つ目配せをした後にアーボックの胴体を適当に枕にする。アーボックもまたその適当さを受けいれ、体を器用にくねらせてモモナリと添う体勢となった。

「思い出すなあ」

 モモナリとほとんど同じ言葉をアーボックも思う。

 野宿の時はいつもこの体勢だった。自分がモモナリに寄り添い、それから少しだけ離れたところにジバコイル、もっと離れたところにゴルダック。誰かがそうしようと言い始めたわけではない、だが、今思えばあの位置関係がやはりベストだったのだろうと思う。

 しばらくアーボックが感慨にふけっている間に、モモナリはすでに寝息を立て始めていた。相変わらず眠るのが速い、悩んだことなど無いのだろう。

 いつもの癖で周りを確認しながらアーボックも眠りにつこうとする、その時、彼女はこちらをじっと見つめるガブリアスに気がついた。

 ガブリアスのあまりにも何かをこらえている表情に、アーボックはついうっかり笑ってしまった。

 アーボックは彼女に一つ目配せをすると、モモナリを起こさないように静かに胴体を動かしてスペースを作った。

 その意図することを理解し、ガブリアスはぱっと表情を明るくさせて、モモナリを起こさないように静かにゆっくりと彼のそばに移動する。

 その様子を、アーボックは愛おしく眺めていた。

 モモナリの取り合いになることは多いが、彼女はガブリアスのことは嫌いではない、否、むしろ好きだ。モモナリを助けるであろうその強さには尊敬すら覚えるし、それでいて時には自分にモモナリを譲ってくれる優しさも好きだ。自分が同じ立場だったら、きっと彼女に容赦しないだろう。蛇の嫉妬とは恐ろしいのだ。

 そして、だからこそ彼女はガブリアスを厳しくしつけた、その優しさがモモナリに幻滅されるヌルさにならぬように。

 いそいそと移動を終えたガブリアスは、少し遠慮気味にアーボックの様子をうかがいながらモモナリの胸元に顔をうずめた。懐かしいリズムが小さく聞こえるそこが、彼女が最も落ち着く場所だった。

 それに気づいたのだろうか、モモナリは少しだけ覚醒した意識でガブリアスの首元に手をやる。

「おやすみ」

 彼らが寝息を立て始めたのを確認してから、アーボックも床に体を預ける。

 一瞬目配されたゴルダックが小さく頷いた。

 

 

 

 

 たまには、こんな日があっても悪くない。だが、最高かどうかと聞かれれば、よくはない日だと答えるだろう。

 楽しい夢を見ているのだろうか、ごきげんに揺れるガブリアスのしっぽをサイコパワーでコントロールしながら、ゴルダックは思っていた。

 何もない日だった。戦いも、昂りも、歓喜も、屈辱もない。なにもない日。

 それは全く悪いことじゃない。それはそれでと楽しむことができる仲間もいる、カバルドンやジバコイルなどは、そんな暇を上手に消化できるだろう。

 だが、自分には物足りない。

 戦いが欲しい、昂りが欲しい、勝利による歓喜が欲しい、自分の想像を超える強者に出会い、なすすべもなく戦闘不能になり、恐れながら、後悔しながら、屈辱の中で、それでも戦うためにどうすればよかったかを薄れる意識の中で思い、どういう理屈かは知らないが人間の手によって回復し、命があることに喜び、その恐れを払拭し、屈辱と後悔を噛み締めながら、その次の戦いに挑む。そういう日常が欲しい。

 同胞たちに比べて血の気が多いことは分かっていた。だからこそ一番『わかってそうな』人間のもとに飛び込んだ。そして、その判断は正しかった。

 今度はご機嫌に揺れるアーボックのしっぽをコントロールしながら、ゴルダックは考えを続ける。

 モモナリも、この日が素晴らしいものだとは思っていなかっただろう。だが、この日常こそを喜ぶ人間もいるだろうし、同胞もいる。

 たまに体を動かすための遊泳で出会った同胞に「お前はおかしい」と遠回しに表現されることがある。そのたびに彼は「そうだとも」と、それを誇りながら答えるのだ。

 自分も、モモナリも、もっと年月を重ねれば、この日の良さがわかるようになるのだろうか。

 そう思った時、ゴルダックは小さく笑ってしまった。朝から続けていた瞑想がそれで途切れてしまったが、それは仕方のないことだと彼は思う。

 想像ができない、一体、自分たちがどうなればそうなってしまうのだろうか。

 くだらないことを考えてしまったな、と、彼にしては珍しく長く笑いながら思った。

 そんなことは、止まってから考えればいいのだ。




感想、評価、批評、お気軽にどうぞ、質問等も出来る限り答えようと思っています。
誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。

手持ちポケモン達のキャラ付けがようやく固まってきました。

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