とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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こうして一気に最初からみると、本当にイデアは性格変わったなぁと思います。


とある竜のお話 第二部 二章 (実質10章)

 

蒼白い光に包まれた石造りの部屋。『里』で最も巨大な建造物の地下奥深くに存在する場所。

『里』に住まう者がどれほど使用しても底を付くことなどないであろう程の膨大な量の清潔な地下水が絶え間なく流れ込んでくる空間。

地下奥深くということを忘れてしまいそうな程に光と『力』に満ちた世界。

巨大な……そう、世界そのものが発する無尽蔵のエーギルにこの部屋は満たされているのだ。

 

 

 

 

ここは玉座の間。

里を統べる者が座する玉座が存在する神秘的な部屋。

そして部屋の奥には真っ赤な最上級の布と大量の金で装飾を施された煌びやかな玉座があった。

 

 

 

そして、つい数日前まで空席であったその椅子には一人の人物が座っていた。いや、正確には“人の姿をした者”が。

金色の無造作に切り分けた髪、手入れもあまりしていないのに、無駄に輝かしく、艶やかな髪だ。

この女性みたいな髪をあまりその人物は好きではなかった。

 

 

 

一回姉に「肩まで伸ばしたらどう? きっとかわいいよ」と提案されて泣く泣く伸ばした結果、色違いのイドゥンになったという事があったのだ。

だが、今となってはもう……彼の姉は傍に居ない。かつて彼女が居た場所にはぽっかりと穴が空いている。

 

 

 

その人物は特徴的な眼を持っていた。紅と蒼という眼だ。彼は交互で眼の色が違った。そしてその眼の下には深い隈が浮かんでいる。

 

 

 

この眼は人間のそれよりも遥かに優秀な視力を持っており、集中すれば遥か彼方の物体の輪郭はおろか、色までもはっきりと認識できる。

動体視力も恐ろしいほどに優秀で、飛んでくる矢の形や色、それに施された装飾さえも見えるかもしれないほどだ。

まぁ、話し合いと誤解の解けたおかげでハノンに矢を撃たれなくてすんだ事もあったが。

 

 

 

椅子に座る者の名前はイデア。この『里』唯一の神竜である。まだまだ幼い少年の姿をした『竜』だ。

この少年の姿はイデアのもう1つの姿であり、彼がこの世界に産まれてから最も長い時間を過ごしている姿ではあるが、本当の姿は違う。

 

 

 

彼は『竜』なのだ。比喩でもなんでもなく。本当の意味で。四枚の翼と小山程度の大きさの体躯を持った『竜』である。

まだ幼く歴代の神竜の中ではナーガはおろか、大戦時の神竜にも負ける程度の力しか持ってないが、それでもその力は凄まじい。

 

 

イデアは子供である。人間で例えるならば、ようやく文字や常識を覚え、確固たる自我をもち、自分が何たるかを理解し始めた程度の年齢。

時々癇癪を起こしたり、または信頼する者に甘えたり、ふざけて笑ったりする、そんな少年の竜がイデアだ。

 

 

 

今はその『信頼する者』は誰も彼の傍には居ないが。イドゥンもエイナールも、誰も。

そして、かつて『信頼していた者』が座っていたであろう椅子にイデアは座っている。

もっとも、イデアは絶対にかつてここに座っていた者を信頼していたなどと認めなどしないだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

ペラリとイデアが手に持った羊皮紙の分厚い束を捲る。

薄い茶色をし、手触りなども余りいいとは言えないソレらの束は現在の『里』の状況や住人達の要望や提案などが纏められた物である。

 

 

子供達を一堂に集めて、全員に勉学をさせる場所を作ってはどうか? などの提案がそこには書かれていた。

他には『里』の食料やら日常生活品などの生産具合なども書かれている。

 

 

一つ一つに眼を通し終えた後、イデアは傍らに立つ人影に話しかける。

まだ自分は経験が浅い。自分の一存で判断を下すのはマズイと知っているからこそ、経験も知恵も知識もある年長者に意見を求める。

イデアは自分が弱く、全くの無知である事を自覚していた。そして同時に、組織の強さも前の世界の経験として知っている。

 

故に今の長としてのイデアは恐ろしいまでに臆病的で、慎重である。一つ一つ、提示された情報を噛み砕いて、そして誰かの意見を聞き、

ソレラを統合した上で彼は思考を回転させる。少なくとも眼の前に提示された情報を鵜呑みにはしたくない。

 

 

「どう思う? 許可を出すべきかな? お前の意見を聞きたいんだけど……」

 

 

 

それに答えたのは傍らに立つ老人。紅いローブでその全身を覆っている“老人の姿をした者”だ。

僅かに残った紅い髪に、硬質でクシャクシャな肌と頭皮、そして真っ赤な眼を持った老竜。

しかし背筋は衰えを感じず、しっかりと真っ直ぐだし、彼の炎を凝縮したような紅い眼は新しい主である幼い神竜に頼られているという事実から来る喜びでぎらついていた。

 

 

老人とは思えない程の生命力に溢れている彼の名前は『フレイ』先代の長であるナーガに万年単位で仕えてきた竜である。

そして彼はナーガの命令ではなく、彼の『頼み』を聞き、イデアを補佐していた。そう、命令ではなく『頼み』によってだ。

 

 

彼は新しい主の質問に答えた。出来るだけ判りやすく、出来るだけ丁寧に、詳しく。

千年、万年単位で使い続け、既に枯れた喉の奥底から声を絞り出す。一度聞いたら耳に暫くは残りそうな声。

 

 

『中々にいい案かと。童らは将来の貴重な人材になりますからね、今の内に勉学に興味を持たせるのはよいことです。

 最低でも文字の読み書きや単純な計算などは覚えさせたい。紙の代わりに砂や岩に文字を書かせ、筆の代わりに石などを使えばあるいは……。

 場所は建物の空いている部屋などを使えば間に合いますね』

 

 

 

いい加減、この声にも慣れたいな、イデアはそう思った。何というか……正直とても聞きずづらい。

フレイの滑舌がとてもいいから言葉の意味は判るが、でも、やっぱり聞きづらいのだ。

玉座に深く座り込み、肘掛に肘を付き、頬杖しながらイデアがフレイの言葉を一言一句逃さず集中して聴く。

 

 

 

『紙の製造も早めなければなりませんね。余った藁や木、そしてケナフなどからの製造を急がせています。メディアン殿が広大な森林地帯とケナフの栽培所を創造してくれたお陰で

 予定よりも多く作れそうです。それと、筆の配備も進めたいところです』

 

 

 

紙というのも案外色々な物から作れる。

木綿や葉や木の幹、更には泥や魚の皮や動物の皮からも作れるのだ。

 

 

ちなみにケナフというのは一年草であり(稀に多年草)成長がとても早く、大体120日前後で成長しきる草だ。

この草は紙の原材料として優秀な草として前々から竜族に使われている草だ。但し、茎にトゲがあるのと、生命力が強すぎるのが問題点として上がっていた。

しかし、今のケナフは竜族のエーギル技術によって改造されており、成長の早さはそのままに、茎のトゲや、暴走しがちな繁殖能力は大分そぎ落とされている。

 

 

 

外見のイメージとしては、『緑色の長くて太い野菜の棒』と言ったところか。

 

 

 

しかしやっぱり紙というのは耐久力に問題があるため、人には想像することしか出来ない程の永い時を生きる竜族は製造した紙に魔術的な保護を掛けて使用している。

こうして使用することで竜は本などの資料を気の遠くなるほどの年月の間保管できるのだ。もちろん定期的に魔術は掛け直しているようだが。

 

 

どうも竜族は紙という物に対して特別なこだわりがあるようだ。食事などは娯楽の一つでしかないようだが、製紙技術はかなりのものがある。

イデアはこの玉座に座ってまだ数日しか経っていないが、そう思えて仕方なかった。

 

 

 

そして何より竜族の技術全体にイデアは感嘆を抱いてもいた。

あのベルンの山脈そのものを王都と成す『殿』や何処とも知れない場所との空間のつなぎ目である『門』を作り上げた建造技術

更にはこの製紙技術や、戦闘こそ出来ないものの、単調な作業なら行える竜造の人口生命体『モルフ』の生産。

 

 

 

生命力そのものであり、全ての生き物の魂とも言えるエーギル操作による植物の制御とそのあり方の人口的な変質。

まるで遺伝子操作だ。イデアは前の世界の単語でこの技術をそう表した。恐ろしいまでに便利な技術。何かしらのリスクはあるのだろうか?

 

 

 

他にもあげればキリがない。かつてナーガは魔導の本質は知識を追い求めること、と言った理由が何となくわかるものだ。

表面を知れば知るほど、より奥底にある魔道の奥底にある便利な力が見えてくる。

『力』というのは、知識を手に入れてから付いてくるものと言った彼の言葉には悔しいが納得せざるを得ない。

 

 

 

「判った、この子供の教育場所は空いている建物の1室を使って行わせよう。名前は『学校』とし、最初は10名前後の子供を試しに入れて様子を見たい。

 そして紙と食料についてはお前に任せるよ、後々詳しく報告してほしい。これでいいかな?」

 

 

 

イデアが恐る恐ると言った様子でフレイに確認を取る。

正直な話、胃に穴が空いてしまいそうだった。自分の決断に自信が持てないのだ。

何か自分は間違ったことをいってないだろうか? 何か間違ってはいないだろうか? 

 

 

 

恐々とイデアは返答を待つ。返事は直ぐに返ってきた。

 

 

 

『大丈夫ですよ。特に問題はありません、【学校】を作る際の、子らに勉学を教える者の選定もこちらでしておきます。

 それとイデア様、もっと自信を持ってください。貴方はもっと堂々とすべきですよ』

 

 

 

食料や製紙の報告は後々、と言い、フレイがイデアに臣下の礼を深々として玉座の間から退室していく。

蒼い水に満たされた孤島の様な部屋にイデアだけが残された。

 

 

机の上をイデアが見る。先ほどまでそこに大量にあった紙の束は全て消えていた。

今日の仕事はとりあえず終了だ。これからはイデアの自由時間となる。

 

 

 

 

「ふー……」

 

 

 

 

玉座の上でぐっと背伸び。数時間の執務から開放された喜びを噛み締める。その拍子にカチャリと腰に差した『覇者の剣』が金属的な音を鳴らした。

かつてナーガが持っていたこの剣は今はイデアが所有していた。ナーガが残したこの剣の正当な後継者はイドゥンとイデアだからだ。

 

 

 

何故この剣を倉庫に放り込んでしまわなかったのか、それはこの剣が欲しいと思ったイデアにも判らない。

ただ、無性に欲しかったのだ。このナーガが持っていた覇者の剣が。

 

 

「はぁ………」

 

 

 

陰鬱な溜め息を一つ吐く。何となく剣の柄に手をやって、滑らかなソレを撫でる。

長という仕事は……予想はしていたが、疲れる。何人もの人間や竜の上に立ち、その生活や安全を守るというのは、予想はしていたが大変だ。

 

 

 

しかし、それでも彼は『長』をやると決めた。ただ部屋で篭もって、泣いているのはもうウンザリなのだ。そんな行動は第三者から見れば道化師でしかない。

イドゥンを迎えに行きたいと心の奥底では思っているが、ソレをぐっと押し込め、今は自分のやるべき事をやる。

 

 

それに冷静になったイデアは本当は判っていた。今の自分は外では何も出来ないだろうという事が。

中途半端な力しかもっていない現在の自分は外の戦争に介入したとしても、大して何も出来ないという事が。

 

 

 

戦争の中、多数の敵対する竜が居る『殿』に行き、そこに居るであろうイドゥンを助け出す? 

それは一言で言ってしまえば『不可能』だ。幾らイデアが神竜であろうと、彼はまだ幼い。

今の『殿』にはナーガほど絶対的な力こそ待ってはいないが、それでもイデアよりも強い竜は小数ながらも存在している。

 

 

 

意識をかく乱させるための魔術などはおろか、転移の術さえも使えないイデアにそんな事出来るわけない。

姿を隠す術や技術さえも持っていないのに。

 

 

 

 

そう、今のイデアに足りないものは『力』だった。『力』があれば、イドゥンを助けることが出来るのに、弱いからそんな単純な事が出来ない。

 

 

 

 

弱いのだ。イデアは弱い。そしてその事実を自覚している。自分は無知で弱いと。

だからこそ悔しい。助けにいっても無駄だと知っていて、今の自分が何を信じて、何をやるべきかも知っている。

 

 

 

だからイデアは『長』をやっている。

そしてその根本にはイドゥンへの想いと、ナーガへの意地があった。

 

 

 

意地だ。単なる意地。ナーガに長が出来て、自分に出来ないはずがない。

そんな意地が『長』としてのイデアを支えていた。そしてイドゥンが生きていてくれているという願いが彼の今の精神の土台だ。

 

 

 

 

 

おもむろに玉座から立ち上がり、イデアの履いているブーツが蒼く光る石で作られた床と接して軽快な足音を鳴らす。

本当に面白い石だ。蒼く輝く石の床や天井、そして壁は、本来は暗闇が支配しているであろうこの玉座の間を夜だろうが昼だろうが変わらず眩く照らしている。

 

 

部屋の全体から発せられた多量の光を大量の水が更に幾重にも反射させ、美しく煌かせるこの玉座の間は一つの完成された芸術品と言っても過言ではないだろう。

 

 

 

そしてそんな玉座の間の支配者が自分であると言うのは、どうもしっくりこない。イデアはそう思った。

まぁいい、これから自分はやることがあるのだ。時間と言うのは有意義に使わなければならない。

間違っても部屋で過去を振り返りつつ泣き喚くなどしていてはいけないのだ。ただの時間の無駄である。

 

 

 

カツカツと軽快でリズムのいい足音を殊更大きく響かせて、大股で歩きながらイデアが玉座の間を後にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし本当に、よくこんなモノを作ったものだ。

神殿、いや、もう1つの竜殿と言える里の真ん中に存在する建物の廊下で立ち止まり、窓からみえる『里』の場景を見ながら感心した。

魔術で幾重にも強化を施された岩を、大量に組み上げ作られ、作られた建物が規則正しく並んでいるのがここからならばはっきりと見える。

見ていて何処か安心する光景だ。壮大な景色というのはいつ見てもいいものだ。地平線の彼方に沈んでいく太陽がまた美しい。

 

 

見れば住人達は皆足早に自分の住まう家に帰っていっている。そしてパタンと窓をしっかり閉め、家の中から灯りを灯す。

もう夜だ。ナバタに極寒の地獄がやってくる時間が来たのだ。

 

 

 

この新しい竜殿も凄い。イデアが自分が立っている足元、正確には自分の体重を預けている石の床を見た。

それにもやはり魔術による強化が施されていた。壁、天井、床、窓の枠、そして外壁、その全てに強化が施されている。

砂漠の日差しや、昼と夜の寒暖の差に耐えるためにされたのだろう。

 

 

この景色を見たイデアは改めて一瞬だけ思う。本当に自分が『長』でいいのか? と。

だが、そんな些細な問題は今の彼にはあまり重要ではない。この馬鹿馬鹿しい想いは直ぐに思考の濁流に飲み込まれて消えていく。

 

 

 

今の彼に最も必要なのはイドゥンという全てが解決できる存在を除外すれば

『力』が必要だ。もっと強く、賢くならねばならない。想いだけでは人は助けることなど出来ない。力と知恵と知識が必要だ、それと……少々の勇気が。

 

 

 

残念ながらイデアはこの全てを何一つ持ってはいない。

だから手に入れるのだ。

 

 

 

 

イデアが足を上げて、窓枠に足を掛ける。もちろん死ぬために身を投げるためなどではない。むしろその逆だ。

目的の場所に向かうための時間は少しでも短縮したかった。歩いていくよりも、飛んだ方が何倍も早いし楽しい。

転移の術を使うのが理想的だが、あれはまだ使えない。

 

 

 

 

イデアの背に2対4枚の黄金の翼が現れる。天馬の翼よりも壮麗で、飛竜の翼よりも巨大な、力強い黄金の輝きを放つ神竜の翼が。

迷わずイデアが窓から飛び出した。だが彼の身体は遥か下の地面に落下することなく、それどころか目的の場所に向かって弓から放たれた矢の様な速度で飛翔を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石畳で作られた地面にゆっくりとイデアが降り立つ。快適な空のたびは少々名残惜しいが、これにて終了だ。

イデアは空を飛ぶのは好きだった。少なくとも飛んでいる時は風が心地よいし、頭の中を空っぽに出来、あれこれ余計なことを考えずに済むからだ。

最初飛ぶ時はあれほど落下や高所に恐怖を感じていたのに。

 

 

 

だが、病的なまでに眠るのを拒んでいる今のイデアには安息と言える時間だ。

 

 

 

そう、彼は『長』になってから一度も眠ってない。本来は睡眠に使うはずの夜の時間を全てとある事に費やしている。

お陰で眼の下には隈が出来、イデアの紅と蒼の色違いの眼球に禍々しく、狂気的な装飾を施していた。

 

 

 

それに眠ると、夢に見るのだ。彼の不安に思っている光景を。

彼が最も、神竜イデアがこのエレブで一番恐怖と感じている最悪の光景が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               

 

 

 

イドゥンが死ぬ光景を。

 

 

 

 

 

苦痛と絶望しか感じない夢を稀に見るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから眠るのが怖いというのもある。

 

それに眠っている間は完全に無防備だと考えると、どうしても眠る気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

「さて……」

 

 

 

 

翼を折りたたみ、そして舞い散る光と共にソレを消したイデアが首をコキッと鳴らす。

これからまた一晩掛けた長い本との戦いが始まる。力を手に入れるために。

 

 

 

今、イデアが居るのは巨大な石造りの円筒の形をした建造物の入り口だ。

天高く聳える塔の様な建物は見上げるだけでも首が痛くなる。この空に向かって『里』の中でも一際大きな存在感を放っている建造物の名前は【図書館】という。

 

またの名を【知識の溜まり場】ともいう。

ベルンに在る『殿』に存在していた超巨大な図書館だ。竜族の全てが収められていると言っても過言ではない場所。

『殿』に居た時、イドゥンとイデアもよくここから資料を借りていた。

 

 

 

何故これがここに? 

イデアの素朴な疑問にあの老火竜は淡々と答えた。

さも何でもない事を言うかのように「転移の術で持ってきました」と言われた時に覚えたあのショックをイデアは未だに忘れられない。

 

 

 

中規模の城並みの大きさを持ち、その中に何十、何百万と言う数の資料を内包しているこの図書館をナーガは丸ごと持ってきたというのだ。

 

 

 

とんでもない。正にその一言に尽きる。だが同時にイデアはナーガなら出来るだろうとも思っていた。

それに何もコレは悪いことではない。むしろイデアにとっては好都合とさえ言えた。いや、最高と言える。

 

 

何だか全てナーガの掌の上で踊らされているような気もするが、この際そんなことはどうでもいいことだ。

 

 

 

重要なのはこの大きすぎる図書館の中には素晴らしい力が眠っているということだ。

何万という途方も無い年月に渡って蓄えられた偉大なる知識の数々はイデアを夢中にさせるだけの価値と魅力がある。

 

 

 

かつてナーガはこの図書館の存在を人間が知れば、押し寄せてくるといったが、正にその通りだ。

ここにはそれだけの力がある。

 

 

里を守るために作られた【エレシュキガル】や【ルーチェ】を始めとした、あの恐ろしい威力を持った魔導書の数々の製造方法やモルフの製造方法。

建設や薬学、それに算術の演算式の数々、子育て──他にもありとあらゆる分野の秘密や発見の積み重ねが【知識の溜まり場】には在る。

イデアはフレイにここの存在の説明を受けた時から、一日も欠かさず『長』としての仕事が終わってからは通い続けている。

まぁ、まだ『長』になって数日しか経ってないわけだが、これからも通い続けるだろう。それこそ千年でも一万年でも。

 

 

 

 

 

無言でイデアが歩を進め、片手を振って、重々しい金属質の扉を『力』で無造作に掴み、動かす。

何十キロもするであろう鋼の扉が音も無く軽快に開いた。ぶわっと部屋の中から暖かい空気が噴出し、イデアの髪を揺らす。

 

 

 

さぁ、今晩も勉強会の始まりだ。

 

 

 

かつてナーガは言った。初めて魔導についての概要を双子に説明するときに彼は言ったのだ。

その時の言葉がふと、唐突にイデアの頭に蘇る。

 

 

「大切な何かと引き換えにしてでも知識を取り込み、力が欲しいという愚者は後をたたない。

 中には自分が力を求めていた理由さえも忘れて、力を求めるというどうしようもない馬鹿もいる」と。

 

 

 

イデアが肩を竦めた。そして呆れたと言わんばかりに溜め息を吐き、記憶の中の彼をせせら笑った。

 

 

 

自分がイドゥン、真名ならば――ィ―――ど――ゥ ン―――――の事を忘れるなどありえない。逆にどうやれば忘れられるというのだろうか?

どんな術を使われようと、どんな力を手に入れようが、それだけは絶対にありえない。

 

 

 

まぁ、忠告は胸に留め置いてやるよ。そうイデアは想い、『力』を手に入れるために図書館に足を踏み入れた。

胸の中に知識を取り込むことによって得られる『力』に対しての興奮と期待を抱きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エレブが燃えていた。何処とも知れない荒野の様な場所で激しい戦いが起きていたのだ。

大地は血の川で塗りつぶされ、天には竜族の作ったモルフ・ワイバーンの軍団が残忍な咆哮と共に飛び交い、

偉大なる竜に楯突いた愚か者を葬ろうとその金色の眼で“獲物”の品定めをしている。

 

 

そんな光景をイデアは誰かの眼を通して“見て”いた。恐ろしい戦争の光景を。

この世界の全てが自分を殺そうとしているのだと思い知らされる胃の捻れそうな重圧と共に。

 

 

薄く濁った雲で覆われた空には純黒のカーテンを掛けたように、無数の飛竜の姿をモチーフに創られた生命体であるモルフ・ワイバーンの群れが何千と飛び交う。

 

 

ソレらはギャーギャーと背筋が凍るような野蛮で戦意を削り取る鳴き声をあげつつ、

地上に敷かれた何万という完全武装した人間で編み上げられた絨毯に向けてその口を開き

ブレスの一斉射撃という名前の火の豪雨を降らせる。その直後に無数の絶望と後悔が入り混じった悲鳴が戦場に轟き、人々は逃げ惑う。

超高度からのブレスの一斉射撃を防ぐ術など彼らにはないからだ。ひたすら逃げ惑うのみ。

 

 

 

共に訓練し、共に笑い合い、共に食事を取った仲間さえも見捨てて、人間達は我先と言わんばかりに必死な形相で逃げ回る。

 

 

 

そして無慈悲に着弾。世にも恐ろしい悲鳴が上がった。断末魔の悲鳴が。

何万という炎の雫は人間の編隊をズタズタに焼き尽くす。第二射、第三射とそれに続き、合計1万を超える炎の固まりが無茶苦茶に炸裂し、地響きと共に爆音を響かせる。

 

 

大地はあっという間に火の海に変えられた。人間の油を原料に燃え盛る海だ。人間の肉と油、そしてその絶望を糧にどこまでも広がる地獄。

 

 

着弾と同時に何百という人間は火達磨になったり、バラバラになったり、あるい業火の余りの熱量によって地面に影だけを残して着込んでいる鎧ごと蒸発していく。

しかし一発で即死できたものは運がいいといえる。意識を保ったまま炎に焼かれたり、煙に覆い隠され呼吸を阻害されて窒息するよりはマシな死に方といえる。

まぁ、即死したものは原型どころか、肉片の一つも残らないだろうが。

 

 

 

 

これは戦争、というよりは一方的な虐殺としかいえない光景だ。

 

 

遠くからこの光景を見れば神秘的で美しいと思えるかも知れない。叙事詩的な戦いであると判断を下す者もこの光景を見たならば、少なからず居るだろう。

だが、この戦いに実際に参加している者にとっては、コレはパニックと混乱でしかない。

そしてそういう事に考えを向け、注意を逸らしたた者から順に炎の洗礼を受け、このエレブより骨一つ残さず焼けて消えていく。

 

 

 

 

 

何だこれは?

 

 

一体何が起きている?

 

 

戦争? これが戦争? 

 

 

こんなことが実際に起きているのか?

 

 

 

 

イデアは訳がわからなかった。何故自分がここにいるのかさえも判らないし、自分が今は“何”なのかさえも判らない。

今のイデアは自分が神竜なのか、人間なのか、モルフなのかさえもわからない。いや、イデアはその全てであった。

 

 

この夢の中ではイデアは殺される人間でもあったし、殺害者であるモルフでもあった。

 

 

 

殺される人間の絶望と、殺すワイバーンの殺意。その二つをイデアは確かに自分の物として感じていた。

正反対のこの感情はイデアの中で混ざり合い、彼の心を困惑という感情で満たしていく。

今のイデアは均衡を失った天秤であった。左右の皿に乗った絶望と殺意で無茶苦茶に揺れ動く天秤。

 

 

 

これは悪夢である。酷く恐ろしい夢。しかし現実に起きている悪夢だ。

今このエレブに住む全ての人間が味わっている絶望でもある。そしてイデアの悪夢である。

 

 

そして竜族は総崩れになり、撤退する人間の軍を見て一つの判断を下した。

より人間に打撃を与え、その戦意を粉々にするために彼らは彼らの切り札を投入することにしたのだ。

 

 

 

荒野の奥底から現れたのは“竜”であった。

背から紅蓮の翼を放ち、その一歩で大地を揺らしながら堂々と征く火竜。その体躯はまるで小さな山の様にも見える。

鱗と敵意で構築された頑強な砦が炎を吹き出しながら、歩いているようにも見えるだろう。

 

 

 

 

しかしその体は普通の竜よりは2回り程度小さいし、少なくともイデアが感じられる力もそこまで大きくはない。

今のイデアでも竜の姿に戻れば難なく勝てるという確信があった。

それでも人間からしてみればかなり危険な存在であることに変わりはないだろうが、何百という人間が結束し挑めば勝てるだろう。

 

 

そしてイデアは、何故かこの“竜”に奇妙な親近感が自分の中で湧き上がっていることに気が付いた。

とても……言葉では表せないが、自分に近い存在の様な感じがする。

 

 

 

 

しかし、その“竜”を見た人間達は更に恐怖した。

鎧兜に包まれた彼らの顔が想像を絶する恐怖によってクシャクシャに歪んだのをイデアは確かに“見た”

 

 

 

何故か? 何故人間は恐怖したのか?

 

 

 

問題はその竜の大きさでも、全身に纏った炎の渦で作られた地獄の鎧でもない。

人々が恐怖した理由はもっと別にあった。

 

 

 

 

 

その数だ。

 

 

 

知ってのとおり、竜はその数が少ない。人間に比べれば彼らはあまり生殖などを行わない。

故に子の数も少ないし、必然的に大人の数もあまり多くない。ただでさえ、ナーガが率いていた勢力は根こそぎ戦争から撤退したのだ。

今、人間と戦っている竜の数はかつての全体の3割か4割程度。

 

 

 

だが、今人間の眼の前に現れた“竜”は違った。彼らは……違うのだ。

 

 

 

何十、何百という、途方も無い数の“竜”の群れが、アリの群れがうじゃうじゃと地面を埋め尽くす様に地を埋め尽くし、行進していたのだ。自分たちに向かって。

そのガラスを直接植え込んだような“竜”の眼は、まるで肉食の昆虫のように冷たく、恐ろしい。

何も映さず、何も反射しない眼。ただ眼の前で無様な叫び声を上げて逃げ惑う“障害”を事務的に排除することしか知らない眼だ。

少なくともこの“竜”にはまともな思考能力はないということがイデアには見て取れた。知性の無い眼。人形のような無感動な眼。

 

 

 

が、問題はそれよりも……そんなことよりも。

 

 

どこかで、見たことある……。どこかで、自分はコレに近い物をみたことがある。

 

 

 

“竜”を見たイデアの中にあったのは恐怖でもなければ、混乱でもなかった。

疑問だ。イデアは疑問を抱いていた。こんなワラワラと出てくる“竜”をイデアは知らなかったが、彼は直感的にこう思っていた。

 

 

この“竜”は自分の部下である、と。もし、この場所に本当に自分が居れば、自分はこの“竜”を支配することが出来る。

そう、感じ取っていた。根拠などない。ただ、事実はそうだろうな、と瞬時に思った。

 

 

 

“竜”の吐き散らすブレスは噴火した山から噴出すマグマの様に鮮やかで、残忍な色彩を荒野に撒き散らし、人の命を溶かしていく。

 

 

 

あぁ、人間はああいいう風にも死ねるのか。煉獄の炎で焼き殺される恐怖を確かに胸の内に注がれながらも、イデアは冷静にこの惨状を観察していた。

顔も知らない。名前も知らない。どんな信念を持っていて、どんな人生を歩んできたかも知らない赤の他人がどんな殺され方で、何人死のうが、イデアには関係ないことだから。

 

 

大事なのはこの焼き殺されている存在はイドゥンではない。

それだけだ。それしかない。イデアにとって重要なのはそれなのだ。

 

 

 

正直、イデアの興味は逃げ惑う人間には全く注がれていなかった。

イデアが興味を持っていたのは、殺害者である“竜”だった。

 

 

 

イデアは“竜”に意識を集中させる。その存在を探るために。この訳の判らない存在が何であるかを知りたかったから。

知的好奇心豊かな学者が興味深い古代の書物を読み漁る様にイデアは“竜”の存在を読み漁った。

 

 

この“竜”は全くの抵抗もなくイデアの意思を受け入れた。

最初からこの巨大火トカゲには抵抗の意思などなかったが、それでも恐ろしいまでにイデアと“馴染んだ”

まるで最初からこの身は全てイデアの所有物であると言わんばかりに彼を受け入れたのだ。

 

 

 

“竜”の視界はイデアの視界となり、その巨体から撒き散らす炎は彼の意思になり、その全てをイデアの前に差し出す。

 

 

 

そして、この“竜”の根源にあったのは──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

覚醒。やけに生暖かい空気が自分の身体を包み込んでいるのがイデアには判った。

やけにかったるい。肩が重く、喉はカラカラで、今の気分はお世辞にもいいとは言えない。

とりあえず何か硬いものに突っ伏していた頭を持ち上げ、軽くブンブンと左右に振る。

それだけで頭の中を満たしていた眠気は大分減少した。しかし、それでも胸の中にある違和感はまだ消えない。

 

 

 

頭を動かし、辺りをキョロキョロと見渡す。無数の天まで届きそうな巨大な本棚と、その中に収められている整理された資料の数々。

そして付近の椅子に腰掛けた何人かのローブを着込んだ人物は夢中でなにかの資料を読み込んでいた。

 

 

あぁ……ここは図書館か。ようやくイデアは自分が何処にいるかを思い出した。

そして自分が何をしていたのかも。

 

 

 

「……はぁ」

 

 

一気に息を吐き、次に新鮮な空気を吸い込む。気分が大分楽になった。腕をぐっと頭上に伸ばし、体をほぐし、リラックス。

これで大分気分は楽になった。少なくとも思考ははっきりとした。

 

 

そして彼は頭の中にある情報を一つ一つ分解し、順序良く整理していく。

 

 

なに、慣れれば簡単な作業だ。簡単に言ってしまえば、これは状況整理と対して変わらないから。

冷静に、粛々と、イデアは何故か覚えているあの“夢”の中の出来事を整理していく。

 

 

 

頭に焼きつけられた様にハッキリとイデアは“夢”の光景を想像の中で再現していく。

 

 

荒れ果てた荒野に、無数の飛竜、鎧兜で完全武装した何万という人間の軍隊。そしてあの奇妙な“竜”……。

全てが実体験した記憶のように鮮明に思い出すことが出来た。あまりに鮮明すぎて、恐ろしいぐらいだ。

 

 

まるで、全てが“夢”ではなく、現実の光景のようだった。あの戦闘は実際にあったものと言われても、イデアは納得できた。

 

 

 

──しかし、あれが実際にあった光景ならば、人は随分と負けているな。

  まるでトンボ取りのように次々と殺されてたじゃないか。

 

 

 

 

うーん、と、イデアが考え込む。あの戦闘に対しての感想はとりあえず頭の隅に追いやって、一番大事なことを考える。

 

 

 

即ち、あの“竜”は何なのか? という問題だ。いや、実際は答えは得ていた。

ただ、何とも判りづらかっただけだ。

“何”なのだろうか? あの“竜”は。

 

 

 

イデアはほぅと小さく息を吐き、両手を膝の上で組んだ。少しでも神経を集中させたかった。

 

 

 

本当に不可解であった。あの夢でイデアが得た答えは不可解極まりない。

今のイデアには、理解不能で、納得できなくて、そして、どうも腹ただしい事だった。

 

 

 

夢の中でイデアが感じた“竜”は……あの“竜”の存在の根源にあったのは……。

 

 

 

 

 

イドゥンだったから。イドゥンの【エーギル】をあの“竜”から感じたのだ。

 

 

 

 

 

 

だからこそ訳がわからない。

全長50メートル程度の巨大な殺人火トカゲ兵器と、あのイドゥンに接点が全く見当たらない。

 

 

あんな……あんな、戦闘兵器みたいな“竜”と、イドゥン、一体何の関わりがあるというのだ?

 

 

あの無邪気に笑って、リンゴをこよなく愛し、馬に変なあだ名を付けて振り下ろされたり

意味もなく自分を抱きしめたり、遊戯版でボロ負けしてへこんでたりしていた彼女とあの“竜”は一体どんな関係が?

 

 

 

…………。

 

 

 

何気なく腕を胸元に突っ込み、その中にあるものを掴んで取り出す。

取り出されたのは紫色に薄く発光する煌びやかな一枚の鱗。かつてイデアがイドゥンから剥ぎ取ってしまい、そのまま貰ったものだ。

 

 

あの時は鮮やかな金色だったのだが、今は紫色の光を放っている。禍々しくて、綺麗で、悲しい紫色を。

ソレのツルツルした表面をそぅっとイデアが撫でる。壊れ物を扱うかの様に、慎重に、そぉっと。

 

 

たった1個の鱗。竜の鱗と言ってもたった1つ。竜族にとって何とささやかで価値のないものだろうか。

 

 

 

が、今のイデアにとってこの鱗は宝であった。イドゥンを唯一感じれる至高の宝。

この小さくて、ツルツルの鱗はエレブに存在する全ての宝をあわせたほどの価値を持っている。

この鱗だけがイドゥンという姉、イデアの家族は確かに居たという証であり、繋がりだ。

時々、一人ぼっちである事に耐え切れなくなったイデアはこの鱗を見て、気分を入れ替えるのだ。

 

 

 

あの彼女と過ごした時間は決して夢なんかじゃなかったと思うことが出来る。

楽しかった時間は確かにあったのだと納得できる。

 

 

カチャカチャと音を鳴らしながら、鱗を掌で弄び、イデアは言った。

ありとあらゆる感情を込めて。

 

 

 

「姉さん……? 貴女は一体、どんな厄介ごとに巻き込まれたんだ?」

 

 

実際、彼にはもう判っていた。そうとも、心の奥ではもう判っていた。

この数週間という時間で世界の“何か”が変わったことを。そしてイドゥンの身に“何か”が起きたということを。

この変質した鱗、そして自分の中にある奇妙な違和感、更にあの“竜”……恐ろしい“何か”が起きている。

 

 

 

 

が、自分はそれに対して何も出来ない、弱いから。

だからこそ力が欲しい。想いや愛だけでは誰も救えないのだ。その事実をイデアはこの数週間で嫌と言うほど味わっていた。

圧倒的な力の前には力のない存在など蹂躙されるしかない、イデアは蹂躙されるのはごめんだった。自分は踏みにじられるぐらいならば、踏みにじる側になるほうがいい。

 

 

 

“誰にもイドゥンを奪われてたまるものか。姉さんは、俺だけの姉さんだ。俺だけの家族、俺を愛してくれる唯一の家族だ”

 

 

 

……。

 

 

まぁ、どんなに偉そうな事を考えても所詮は子供の強がりの枠を出ないわけだが、少なくとも今は。

 

 

 

「今は、判らない事を考えてもしょうがないか……」

 

 

 

自分に言い聞かせるように呟き、イデアが本に眼を落とす。

びっしりと刻まれた竜族言語は見ているだけで頭が痛くなりそうだが、イデアは文字の羅列を噛み付く様に睨みつけ、読み漁る。

結局のところ、どれほど叫ぼうが喚こうが、今のイデアに力が足りないのは純然たる事実であり、それ故にイデアがやるべき事は決まっていた。

 

 

既に殿での生活の最中に魔術の基礎を完成させていたイデアが今目指しているのは更なる高みだ。

恐ろしいほど高い山の山頂を目指して登っている。もしも道を踏み外し、“堕”ちてしまったら、まっているのは植物人間状態という。

 

 

イデアは、古代の竜の知識を己のモノにしようとしていた。ナーガが行使していた術の数々を手に入れようとしているのだ。

効率的な術の発動方法。転移の術。モルフの製造。エーギルを用いたマインド・コントロール。あげればキリがない。

 

 

現在必死に吸収している竜の知識に比べれば、今まで習ったことなど子供のお遊戯のようなものである。

 

 

いや、少し語弊があるか。あの殿での魔道を習った十数年間は、全てが今のためにあったのだ。

イデアは真価を問われていた。そして十数年の努力の結果を求められてもいた。

 

 

 

これこそが。こここそが。いまこそが。その全てを発揮する場だ。

それが無理ならば、イデアは大人しく部屋の隅に引きこもっているべきだろう。

 

 

 

十数年に渡るナーガの教育と、自分の努力で身につけた言語能力、そして魔道の知識を駆使し、

イデアは難解な古代の竜の文字らしきものの意味を直接“感じ”て、次にソレを一度バラバラに分解し

自分の判りやすい情報に組み替え、頭の中に保存していく。

 

 

 

言葉にしてしまえば随分と単純で簡単そうに見えるが、これが中々根気のいる作業なのだ。

本を丸ごと一冊翻訳して、その全ての内容を暗記している、と言えば判るだろうか? 

 

 

 

「………」

 

 

黙々とイデアが本のページに眼を通していく。

 

イデアはこの面倒な作業を途中で投げ出す気など全くなかった。

力を手に入れるのを諦める気など欠片も存在しない。

 

 

あの夢で見た人間の軍が彼の邪魔をしても、竜殺しの英雄が眼の前に立ち塞がろうが

このエレブの全てがイデアの邪魔をしようが彼は止まるつもりはなかった。

 

 

彼にあるのは単純で、なおかつ至高の目的のみ。

 

 

 

強くなり、イドゥンを助ける。

 

 

 

なんとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナバタの砂漠に建造された『里』──そこに作られた緑豊かなオアシスの外れ。

 

 

緑色の草花の絨毯の果てにあるのは何処までも黄色い砂の世界だ。

砂と岩だけで構築された死の世界。太陽光が無慈悲に降り注ぎ、全ての生物の水分と命を干乾びさせていくナバタ砂漠。

熱い。どこまでも熱い。正に焦熱地獄という言葉を体現したような光景。

 

 

 

 

ミスル半島の大半を覆うその地獄の世界をイデアは一人、砂の上に佇みながら見つめていた。

ジリジリと太陽光が焼き付けてくるが、彼にとってコレは特に問題はない。

常人なら1時間程度で脱水症状に襲われるような環境に居ても、イデアにはそれは問題ではなかった。

生物として人よりも、比べるのが馬鹿馬鹿しくなるほどに優れた存在である竜……その中でも超越種である神竜である彼の肉体はこの暑さには、既に“適応”しているのだ。

 

 

 

 

今のイデアに暑さを感じせたいのならば、煮えたぎる溶岩でも持ってくるといい。

そしてソレをぶっかければ、イデアもさすがに熱いと感じるだろう。まぁ、どうやって多量の溶岩を持ってくるかが第一の課題になるだろうが。

 

よってイデアはこの熱砂の海の中でも、汗一つたらさず、その表情は涼しいものだ。

事実イデアはあまり暑さを感じていない。この数ヶ月で完全に、この猛暑に“適応”……本人は慣れたと思っている。

結局のところ、本人がどう思おうが、結果は変わらないので、イデアの認識に意味はないか。

 

 

 

 

さて、ナバタの里の長でもあるイデアがこんな所にいるかというと。

決して彼はナバタの里から逃げてきた訳ではない。もう、そんな子供染みたことをする時間ではない。駄々を捏ねる時間は終わったのだ。

今の彼にはやらなくてはならない事がある。それには里の力が必要不可欠であり、長としての地位を投げ出すなど論外だ。

権力はわかりやすくて、最も大きな力の一つなのだ。利用しない手は無い。

 

 

 

それにあの図書館の資料は、形式的に見ればイデアの所有物と言っても過言ではない。

イデア自身は一度もそういう風に考えたことなどないが。いや、そういう実感が沸かない、というべきか。

 

 

事実、彼は図書館の資料を里の者に完全に公開している。

それと更に追加するなら、竜族は個人が書いた本を完全に写生した後、あの図書館へ納本することを義務づけていたりもする。

ありとあらゆる資料を網羅する情報の大規模な宝庫の作成と、、それの永久的な保存を図るのが目的だ。

 

 

事実。あの場所は財宝の山など霞んで見えるほどの、本当の意味での“宝の山”だ。

 

 

 

しかし、知識の溜まり場の資料の写生やら、持ち出しなどには長であるイデアの許可が必要になるし

何人かのお人よしな魔道士は、危険な書物に手を出そうとする者に注意を投げかけることもあるが。

 

 

 

 

彼の数キロほど背後には砂漠の熱によって蜃気楼の如くグニャグニャに歪んでこそいるが

そこには緑豊かな大森林地帯と農耕地帯の鮮やか深緑色が広がっており、そこから無数の生命の息吹とも思える清涼な風が吹きすさび、イデアの金糸の髪を撫でやる。

イデアの現在の位置は里からそう遠くない場所だ。背に翼を出せば、5分も掛からずにこれる場所。言ってしまえば、ここは近所。

 

 

大体これぐらいの距離ならばナバタの里を覆う隠蔽用の結界の外にも出ないし

それこそ【エレシュキガル】などに代表される大禁術レベルの大きな力を使わない限りは外の人間にも気が付かれることはない。

そも、一体どんな発想を持っていれば、死の世界であるナバタ砂漠にそこそこの規模の街とオアシスを作って暮らしているなどと考える?

 

 

 

話を戻そう。

 

 

 

ここは力試しをするには十分な距離だ。これほど離れていれば里に被害が出ることもないし、外に力の行使によって生じた余波が漏れることもない。正に理想の状況。

そう、今イデアがここに立っている理由は1つ。力試しだ。この数ヶ月間の努力の成果を、その結果を直接自分の眼で見てみたいが故に彼はここにいる。

 

 

 

手加減はする。外の世界で今現在戦争をしている人間に見つかったら目も当てられないことになってしまうし、それはイデアの望むことではない。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

イデアが何かを握りつぶす様に左手をグっと握りこんだ。いや、彼自身の感触では『掴んだ』というべきか。

そう、イデアは掴んだのだ。彼の眼前にある赤茶色をした無骨な岩を。そして彼は掴んだものを持ち上げた。

 

 

 

ゴゴゴという不気味な、巨大な生物の唸り声にも聞こえる音が砂漠に幾重にも響いた。

聞き様によっては死ぬほど腹が減っている飛竜の腹の音に聞こえなくも無い音だ。

同時に大量の、それこそ人間の小さな集落一つぐらいなら容易く飲み込めそうな圧倒的な

量の砂が背筋に寒気が走るほどの勢いで零れ落ち、周囲に擬似的な砂の嵐を作り上げる光景は圧巻だ。

 

 

 

 

岩が、持ち上がっていた。地中に埋まっていた部分も含め、根ごと毟り取られた雑草の様に丸ごと引っこ抜かれた巨大な岩から砂が絶え間なく血液のように滴っている。

背丈10メートル近い岩が宙を浮いている光景は第三者から見れば何処か神々しくもあり、恐ろしくもある。

 

 

 

岩にはよく見れば、薄い金色の光が纏わりついていた。イデアの手足の延長線上とも言える『力』が。

 

 

イデアにとって、これは素晴らしい事であった。それでいて、何処か物足りない。不満ともいう。

そう、足りないのだ。たかが大きさ10メートルの岩を持ち上げた程度では、全然足りない。

かつて小さな杖一つ持ち上げるのに苦労していた時から、これでは全く進歩していないではないか。

 

 

 

故に彼はもう少し力を使った。彼が持っている力の総量から見れば、微々たる物だが。

 

 

 

イデアが更に手を強く握り締める。その爪が白い肌に食い込むほどに強く。

同時にこの哀れな実験体の岩に向け、更に多量の『力』を破壊の意思と共に送り込んだ。

 

 

 

輝きを増した金色の光と共に“場”が神竜の力で捻れ、蜃気楼の様に赤茶の岩の姿が一瞬だけ虚ろになり、次いで岩は粉々に破砕する。

全てはイデアの望んだままに。粉々だ。岩は粉々になった。造作も無く。

背丈が10メートル以上もあり、金属を多分に含んだ頑強な岩がイデアの意思一つで地中から引きずり出され、バラバラになったのだ。

一つ一つが幼児の小指程度の大きさに砕けた岩の破片が雨の様に降り注ぎ、ソレラに多分に含まれた金属が日の光を反射して輝き、虹のような光の橋を作り出す。

 

 

 

ソレを何処か他人事の様にイデアは見ながら思った。足りないと。

ドス黒い隈が谷の様に刻まれた眼が不気味に輝く。

 

 

足りない。イデアはまだ満足してなかった。

『力』を使えば使うほど、胸の奥は熱くなり、底知れない力が湧いて来るのをイデアは感じ取っていた。

 

 

イデアの心臓のある場所には心臓の変わりに太陽があり、そこから無限に『エーギル』という名前の光と炎が噴出し、爆発し、イデアという神竜に永続的に力を与えている。

そしてその太陽を燃やしている薪になっているのは……イデアの感情だ。もっと言えば、イドゥンへの想いと、ナーガへの怒り。

 

 

 

知識というのはその太陽から吹き出た『力』を増幅させるか、もしくは方向性を与えるものだ。

『エーギル』という純粋で、根源的な力に対する道しるべとも言えるだろう。

 

 

イデアは知識をそういうものだとこの数ヶ月で理解した。知識は力であり、力の補助道具であり、そして『力』そのものだと。

知っているという事は力。知らないという事は弱い、罪であるということを。

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

イデアが自分の周りに散らばった岩の破片を見渡す。

何百、何千という年月も砂漠の仲に在ったのに、たった今イデアに砕かれたしまった岩の残骸を。

もう1つ、イデアはここでやりたい事があった。それを今から実行する。

これは……里でやったら少々危ない。

 

 

 

「さて、と……できるかな?」

 

 

 

竜石から力を引き出し、その背に4枚の翼を降臨させる。

全身に先ほどまでとは比べ物にならないほどの圧倒的な力の濁流を感じながらイデアはフワリと軽く浮き上がった。

体内に収まりきれずに漏れ出た力が黄金色の電の様な形状で彼の体の地表を這い回り、枯れ枝を踏み潰した様な耳障りな音を立て、空気を震わせる。

 

 

 

 

そのままイデアは四肢と翼を小さく丸め、母の子宮の中の胎児のような姿を取り──。

 

 

 

「っ!!!」

 

 

 

渇と共に、一気に体内のエーギルを破壊の力として、怒りと共に周囲に開放した。

否。開放などという上品なものではない。ぶちまけたのだ。イデアは怒りを力に乗せて、周囲にぶちまけた。

 

 

 

何処までも純粋で、凶悪な黄金の奔流が“場”を軋ませ、世界が声のない悲鳴を上げる。

長い年月と共に積み上げられた砂山はごっそり削り取られ、辺りに散らばった赤茶色の岩の欠片は白い灰の様な何かへと変化。

イデアを中心に発生した破滅の黄金の球が全てを等しく飲み込む。

 

 

 

砂の中に潜んでいた蟲や爬虫類はその衝撃波に飲まれ、全身を一瞬で焼き尽くされ白い灰となり、その灰さえも黄金は無慈悲に完全に奪い去る。

 

 

 

 

波動。神竜の波動。これは正にそう呼ぶに相応しい。

 

 

 

 

暴力的な黄金の放射は、イデアが消し去りたいもの全てを吹き飛ばして、余りある威力を誇る。

が、これは余りにも禍々しい。全ての命をまるで刈り取る光の発現でもあった。

 

 

 

かつて生き物であったモノの成れの果てである白い灰がヒラリヒラリと舞い落ちてくる様はまるで雪のよう。

砂漠に雪が降っている。

 

 

 

翼を一回大きく羽ばたかさせ、この雪を降らせた元凶であるイデアが砂の上に降り立つ。

そして自身が起こした現象をそこそこの満足と共に見やった。

 

 

 

「はは……」

 

 

 

周囲数十メートルは完全に抉られ、巨大なアリ地獄の様な形状に改変された地形を爛々と輝く紅と蒼の眼で見て、イデアが浅く哂う。

白い灰が雪の様に砂漠に降り注ぐ光景というのは中々に風流だな、と思いながら。

 

 

 

 

溜まりに溜まったストレスは今しがた全て波動として排出したので、頭の中は冷静だ。

そして、もう1つ。彼はこの地形を見て、判断を下した。

 

 

 

駄目だ、と。

 

まだ。これでは駄目だ。これでは良くて、戦術程度の力。もっと大きな、もっと強い力が欲しい。それこそ大陸の1つや2つ軽々と潰せる程度の。

 

 

 

 

イドゥン……もう数ヶ月も会っていない愛しい家族。心の底から生きていて欲しいと願う姉。

 

 

だが、もしも……この世界の人間が彼女を殺してしまった場合、その場合はその取り返しの付かない愚行に対する報いを与えなければならない。

今、イデアが欲しているのはそのための力でもある。言ってしまえば復讐のための力。

 

 

 

イデアはそろそろ精神的に限界が近かった。

数ヶ月も姉に会わず、それでいて戦争は継続されており、そして変わった鱗。全ての要因がイデアの心を拷問道具の様に締め付けあげる。

 

 

 

 

 

幾ら本を読もうが、長としての仕事に集中しようが、終いには絶えず声が聞こえてくるようになってしまう。

冷たい、冬のイリアの風の様に、無慈悲で、淡々と真実を声は告げる。恐ろしすぎて、考えたくも無い可能性を呟く。

声はイデアの頭蓋骨の中身を直接噛み締めるように囁くのだ。

 

 

 

──彼女は死ぬかもしれないぞ? これは戦争なんだ。お前も見ただろう? 戦争で死ぬのは当然のことなんだ。

  彼女は死ぬんだ。お前が一人だけ安全な所で暮らして、その間に彼女は死ぬんだ。

  お前があの時気絶なんかしたから、イドゥンは死ぬかもしれない。

 

 

 

 

 

この『里』は確かに安全だ。それは保障できる。

半島の大半を埋め尽くす広大な不毛の大地に、全ての命を拒絶する砂嵐の壁、そして超高度な隠蔽結界。この3つの要素が里を完全に覆い隠してくれる。

 

 

それ故にイデアはイラついている。幻聴の言っていることを否定できないのがとてつもなくイラつく。

あの時自分がナーガに歩み寄りさえしなければ……。

 

 

 

 

自分だけが安全な所に居て、イドゥンは“何か”が変わってしまっている。

それを考えるとイデアは恥ずかしくて、それでいて惨めでたまらなくなる。

自分だけがのうのうとこんな所に居ることを。

本来なら彼女が座るべきであろう長の椅子に座っていることさえ、時々間違いなのでは? とさえ思えてしまう。

 

 

 

 

が、これらに足を引っ張られるのは許されないことだ。うじうじ悩んで、延々と同じ事で悩み続けるのは愚者だ。

故にイデアは時折こうして、溜まりに溜まった混沌な感情を力と共に吐き出している。でなければ、やっていられない。

 

 

 

 

それに、いい進展もある。イデアとて遊んでいたわけでないのだ。

まだ確証こそないが。姉についてイデアは少し調べてみた。正確には姉の“変化”について。

紫色の鱗。夢で見た“竜”の群れ。それらは恐ろしいまでに一つの存在と一致した。まだ確証こそないが。

 

 

 

 

意外なまでに呆気なく、候補は出てきたのだ。

これらの要因は一つの予想を搾り出すに至った。

 

 

 

 

 

【魔竜】

 

 

かつての始祖竜と神竜の戦争の際、始祖竜達は深遠の闇の力を用いて数え切れないほどの異形を生み出し、それらを操り己が兵にした。

それに対抗するため神竜族の一部の者は神竜の王の令と自らの意思で改造を施し魔竜となり、新たな力を獲得して始祖竜とその眷属である異形達と戦った。

 

 

【魔】竜と呼ばれこそされど、この竜の本質は神竜である。魔竜が居なければ神竜族の勝利はなかったのかも知れない。

しかし魔竜は全てが戦で始祖竜と相打ちになり、戦死してしまったため今では記述のみが残る。

 

 

 

 

これだ。以前イドゥンと一緒に読んだ書物をもう一度発掘して読んでみたところ、こう書いてあったのだ。

あの時の光景はよく覚えている。この先のページに書いてある馬を見て、彼女は外の世界に行きたいと言い出したのだから。

 

 

 

 

【改造を施し魔竜となり、新たな力を獲得して始祖竜とその眷属である異形達と戦った】

 

 

 

 

特にイデアの興味をひいたのはこの事柄が書いてあった文節である。

 

 

“改造”はイドゥンに起きた変化。“新たな力”はあの“竜”についてのことなのではないか?

 

まだ憶測の域をでないが……この予想は恐ろしく適切で、状況にあっていて、それでいて……現実味がある。

 

 

ナーガが率いていた勢力が根こそぎ居なくなったとあれば、只でさえ絶対数がそこまで多くない竜の数は更に激減するだろう。

その減った数を埋め合わせるために、姉さんは……何かされた? 魔竜になったのか?

 

 

が、魔竜云々は正直どうでもいい。神竜だろうが、魔竜だろうが、イデアは彼女を愛している。これからもずっと愛し続けるだろう。

一番の問題はイドゥンが果たしてこの戦争を生き延びれるかどうかだ。それだけが怖い。幾ら信じても、声は聞きたくない事柄を囁き続ける。

 

 

 

 

 

──彼女は死ぬかもしれない。お前のせいで。

 

 

 

 

ぶんとイデアが頭を大きく振って、うざったい声を弾き飛ばした。コレは耳障り極まりない。

いつからこんな声が聞こえるようになったのか、思い出したくも無い。

 

 

 

姉さんはあれでも竜だ。並大抵の事では滅びるわけがない。

 

 

では、その並大抵の事が起きたらどうする?

 

 

 

 

この問いへの答えは決まっている。

報いを与えるだけだ。容赦なく。このエレブを完全に消してやる。

 

 

 

「はぁ……」

 

 

もはや癖になってしまった溜め息を吐き、怒りと言うガスを抜いた頭で考える。外の戦争はどうなっているのだろうか、と

背に翼を出し、そのまま里へ向けて飛行を開始。よほど遅く飛ばなければ3分程度で里には着く。

 

 

キラキラと太陽光を反射して輝く砂の海の上空を飛びながら、イデアが地平線の果て──東側をその隈が色濃く刻まれた眼で見る。

ここから東に何千キロも先にあるベルンでは何が起こっているのかが気になる。

 

 

 

あれから夢は一度も見ていない。理由は簡単だ。寝ていないから。

イデアはあの“竜”の夢を見てから数ヶ月、一度も眠っていない。

眠気は最初は感じていたが、より強くなった力への渇望がそれに勝った。

そして彼は、何時の間にか眠りという行為を必要としなくなるに至ったのだ。

 

 

 

 

 

代価として、彼の眼の下には常に深い隈が浮かぶようになり、紅と蒼の眼が炎の様に爛々と輝くようになったが。

戦争で家族が危ないというのに、それでいて自分にやれることがあるというのに、貴重な時間を眠ってなどいられない。

 

 

 

 

 

 

 

天空から見ると、規則正しく建物が並んでいるのが判る里の全景が、面白いほどの速さで大きくなっていく。

 

 

 

改めてみると、芸術的な街だ。規則正しく、秩序を感じさせ、それでいて清潔。

住みたいなと第一印象で思うことが出来る。ありがちに言ってしまえば、いい街だ。

 

 

 

自分が治めることになった街。竜と人と、それの愛の結晶である竜人が暮らすある意味での理想郷。

昔イドゥンの言った「仲良く暮らそう」が実現したここを自分が治めることになるとは、皮肉な運命を感じざるを得ない。

 

 

最も、彼女がここに来ていたら、彼女がここを統べることになっていたのだが。

本来のイデアは権力にはほとんど興味は無いのだ。精々あったらいいな程度の認識である。

 

 

今は権力が色々とあったほうが便利だから、長をやっているというのが本音の一つ。

図書館の資料を読むに当たって、長の権限を使って本棚の奥深くにある危険な術の書物を読むことさえ出来るのだから。

 

 

まぁ、まだあれらを読むには早いと、結構年を取ったお人よしな魔道士にイデアは注意されて今はまだ手をつけてはいないが

いずれあれらに記された知識を吸収する気だ。そうすればもっと強くなれる。

 

 

それにしても。あの老人の忠告の内容は一言一句ナーガと大して変わらなかったな、とイデアは思い出す。

 

 

 

──知識というのは魔物です。姿もなく形もない、だがいつも魔道士についてまわる魔物です、その魔物を飼いならせる力をまだ貴方は持っていない。

  どうか、おやめください。まだ貴方にはこの先の知識は早すぎる。

 

 

 

あぁ、判っている。イデアは苦々しく思いながら胸の中で答えを返す。

そんなこと、10年以上前から何度も“とても強くて賢い王様”に教えてもらったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑念を振り払い、飛ぶのに意識を集中させる。少しだけ飛行の速度を上昇させるため翼を力強く一煽ぎ。

エーギルを込められ、更なる力強さと輝きを増した翼はイデアに更なる速力を与えた。

 

 

いい気分だ。空を飛んで、風を全身に浴びている時だけは嫌なことは全て忘れられる。

姉がいないことも。ナーガが彼にした酷い裏切りも。自分自身の力の成長の遅さへのイラつきも、イドゥンの“変化”も、全てが風の彼方に置き去りに出来る。

 

 

 

 

が、直ぐに現実はイデアに追いついた。

イデアの感覚の一部は、前方のそれなりの大きさの建物の中に何人もの竜と人間、そして少数の竜人がいることを捉える。

それともう1つ。とても大きなエーギルの持ち主もその近くにはいる。このエーギルの波長をイデアは覚えていた。あの時、里の外縁部の森林で出会った女性のものだ。

 

 

地竜メディアン。神竜、始祖竜、魔竜、そして暗黒竜に次ぐ力を持った種である地竜族の女性。そして今のイデアよりも遥か高みに居る竜。

女性なのに何処か男っぽい印象をイデアはこの竜に抱いていた。まぁ、あの大きな胸部を見れば一発で誰が見てもメディアンは女性だと判るだろうが。

 

 

 

何をやっているのだろうか? 

部屋の中に集まっている人間と竜、そして竜人はエーギルの大きさから見ると、子供のようだ。大人の力の波動はもっと大きく、荒々しい。

 

 

 

……? ますます疑問だ。本当に何をやっている?

 

 

 

とりあえず、少しだけ速度を落として建物の屋根に降り立つ。背の翼を収納し、注意を下層のメディアンらに向ける。

最初はおぼろげにな、次第にはっきりとした声がイデアの聴覚が捉えた。

 

 

 

「……せん……ここはなんて……の?」

 

 

 

「これは……って読んで……と書く……」

 

 

 

「せんせー……ここは……」

 

 

 

せんせー……? あぁ、先生ね。なるほどなるほど。

直ぐにイデアが得心がいったと頷く。そして思い出した。そういえば、子供たちに文字の読み書きや算術を教える“学校”を作ったのだった。

つい数ヶ月前の出来事じゃないか。

 

 

 

そこの講師役としてメディアンが選ばれたのだろう。

確か、そんな内容の書類に眼を通した覚えがある。

この頃本ばかり読み漁っていたから、すっかりそのことは記憶の片隅に追いやられていた。

 

 

少しだけ、どんな風に講義しているのかが気になり、イデアが再び意識を集中させ、子供らとメディアンの会話を聞き取ろうとする。

傍目から見れば、怪し過ぎる行動だがイデアはそれには気が付いていない。

 

 

が。聞こえない。何も。いきなり完全に静かになったのだ。先ほどまでの部屋の中での生徒との楽しいやり取りの一切が聞こえない。

不審に思ったイデアが更に意識を鋭く集中させ、下の階層の中の音を聞くだけではなくその中まで具体的に“見よう”とすると──。 

 

 

 

 

「どうしましたか? イ・デ・ア・さ・ま?」

 

 

聞き覚えのある、はきはきとした口調の女性の声がイデアの鼓膜を揺らした。

それもかなり近くで。彼の長い尖耳にその生暖かい吐息が掛かるほどの距離から。

 

 

 

「いっぎゃぁあああああああ!!??」

 

 

 

全ての意識を屋内へ向けていたイデアは完全に不意をつかれ

子供らしい、それでいて面白くもある無様な叫びを上げる。

 

 

全身を稲妻が走ったように鋭く跳ねらせ、メディアンとの距離を一瞬で離す。

そして彼女にその細い両腕の指先を鍵づめの様に曲げながら向けて──その指の先端から青紫色の稲妻が迸った。

 

 

 

 

【サンダー】

 

 

 

理魔法の初歩に習う術の一つだ。

極限定的ではあるが、天候をほんの僅かだけ精霊の力を借りて弄くり雷を任意の場所に落とすという魔術。

 

 

その威力はやはり雷というだけあって、恐ろしいものがある。少なくとも魔力に抵抗力の無い生身の人間が受ければ、炭になること間違いなしだ。

純粋に威力と範囲、そして恐ろしいまでに射程を延ばした高位の同種の術には【サンダー・ストーム】や【トロン】などがある。

 

 

が、イデアは少々違った過程を経て、この術を発動させていた。いや、サンダーという術に少しだけ自分なりにアレンジを加えて使っているという方が適切か。

 

 

 

彼は精霊と対話していなかった。

存在そのものは感じ取れても、声は聞こえない彼に精霊というのはイデアにとってあやふやな存在であり、どうにも信用できない存在。

一応術の行使そのものは正規の方法でも出来る。しかしそれでもイデアは不安になった。いつか精霊が自分を裏切り、術を発動させないのではないか? と。

 

 

ならばもっと効果的に。もっと信頼できるように。イデアはこの術を凡用性を追求して、改変させた。

それもこれも、この術が最下級の術だから出来たこと。全てにおいて基本というのは千差万別の応用が利くものだ。

 

 

この改変された術に書はいらない。それの役目はイデアの体そのものが果たす。

そもそも熟練の魔道士は高位の術を使う時ぐらいしか書は使わない。もう、そんな補助道具がなくても普通に術を行使できるから。

 

 

 

体内を満たす【エーギル】を魔力に変換し

ソレに攻撃というイデアの意思と天地を揺るがす雷鳴というイメージを載せることによって魔力は稲妻に変換され、イデアの指先から飛び出る。

 

 

 

威力も効果の範囲もイデアのさじ加減一つで思いのまま。

余分な詠唱もいらないし、魔道書も不要。それでいて稲妻の速度はありとあらゆる矢よりも速い。

もちろん低位の術なので魔力もほとんど食わない。

 

 

 

実に便利な術だ。事実、イデアはこの術をかなり気にいっている。

 

 

 

まぁ、さすがに威力や範囲に限界もあるが。所詮は最下位の魔法の一つ。言うなれば初歩の初歩の初歩の術である。

それでも神竜の圧倒的なエーギルの持ち主から放出される【サンダー】は人間一人を煙の上がるボロ布に変える分には申し分ない威力を誇るが。

 

 

 

そして今回、この術はメディアンに向けて放たれていた。しまった、とイデアが思った時には遅い。

次の瞬間、メディアンは全身から煙を上げるこんがりと焼けた死体に…………ならなかった。

 

 

 

彼女は自分に迫る青紫色の稲妻に軽く片手の掌を差し出しただけだ。それだけ。

まるで子供がじゃれてポカポカと殴って来て、それを笑いながら受け止める親の様な、一種の余裕さえも持った表情で稲妻を見やる。

 

 

そして、全ての稲妻は彼女の女性として大きめな、しかしやはり何処か丸みを帯びた白い掌に吸い込まれ、あっという間に球状の魔力塊に変換されてしまった。

 

 

パチパチと紫電を放つソレをメディアンは。

 

 

 

「よっと」

 

 

 

クシャ。

 

そんな音がしそうな程容易く、まるで卵の殻を割るような気楽さで掌の中に収束させた魔力の塊を握りつぶした。

煙こそ少々あがっているが、握り潰した彼女の手には火傷どころか、傷一つない。

 

 

「……ごめん、少し気が動転してた。でも、いきなり声を掛ける貴女もどうかと思うよ?」

 

 

呆気なく自分の術が砕かれるのを見て、ほんの少しの苛立ちと、特に彼女に傷を負わせずに済んだという安堵をイデアは感じた。

本当によかった。びっくりして人を丸焦げにするなんて嫌だ。翌日の目覚めが悪すぎる。まぁ、もう寝ないが。

 

 

 

「申し訳ありませんでした。あたしも少々悪ふざけが過ぎました」

 

 

 

ペコりと頭を深く下げ、丁寧な敬語でメディアンは言う。

言葉や口調こそ丁寧なのに何故か少しだけ豪胆なイメージをイデアは彼女に対して抱いた。

 

 

それに、何か……彼女にこういう風に話されるのは違和感というか、何というか、むず痒い。もっと言うと似合わないのだ。

最初に出会った時のあの豪胆で大胆な、どこか男っぽい第一印象からすると、こういう彼女を見ると何処か騙されている様な気さえもした。

 

 

彼女の頭は下げられているため、表情は見えないが、もしかすると自分の様な子供に頭を下げるのを屈辱に思っているのかも知れない。

この仕草そのものも、もしかしたらただの表面的なものかもしれない。そういう風にさえ考えてしまう。

いや、それは考えすぎか。彼女が嘘や裏切りを嫌う性格だろう、というのは最初であったときの会話で何となくイデアはわかっている。

 

 

 

「いや、いいよ。言葉や態度ももっと砕けてくれていい。出来れば普段と同じにしてくれて構わない」

 

 

イデアが優しく手をふり、メディアンにそう促す。

事実、彼女の功績や持っている力の大きさを考えると、自分の様な名ばかりの神竜に敬語を使う必要などない。

そう彼は考えているのだ。最悪、彼女がその気になれば今の自分ではあっという間に殺されてもおかしくない。

 

 

 

「…………わかった。それで今日はどうしたのかな? まさか建物の上で行き倒れるわけないとは思うが……またリンゴでも食べるかい?」

 

 

 

クククと意地の悪い笑みを浮かべメディアンが言う。

まるでかわいい孫を弄っている様な心底楽しそうな表情で。

 

 

イデアの顔が羞恥で赤くなった。

 

 

考えなしに里を飛び出そうとして、空腹の余り倒れてしまいそのままメディアンに救出される。

なし崩し的に彼女の家で入浴し、料理をご馳走になり、挑発にのって強い酒を一気飲み。

そしてグルグルと廻る意識の中で気分の赴くままに何か色々と恥ずかしいことをぶちまけた事はイデアの中では黒歴史認定の印を押されていた。

 

 

それと同時に、いつか迷惑を掛けた彼女に謝らなければ、という思いもある。酔っ払いの相手はさぞ大変だったろう。

少なくとも自分が周囲に迷惑を掛けない『いい酔い方』をしたとは到底思えない。

 

 

「あ、あの時は少しばかり気が動転してたんだよ! ……でも、色々と迷惑掛けたみたいで、ごめんなさい」

 

 

謝罪の言葉と同時にイデアの身体は少しだけ萎んだように小さくなった。

少なくともメディアンにはそう見えた。やっぱりどこかで気にしていたのだろうか?

 

 

 

「いいって! アレを飲ませるように誘導したのはあたしだからね。なんにも長は悪くないさ。むしろ、本来ならあたしが裁かれるべきさね」

 

 

 

そこで彼女は一泊間をあけた。そして行動する。

 

ゆっくりと栗色の美しい長髪と共に深く頭を下げ、その身に纏っていた質素なローブの左右の裾をほんの少しだけ掴んで持ち上げた。

その動きが余りにも自然体でいて、それでいて美しかったため、イデアは何も言えなかった。

 

素直に綺麗という感情しか抱けず、それ以外の思いは全て頭の隅に追いやられてしまった。

 

 

 

「本当に、申し訳ありませんでした」

 

 

 

「…………判った。もう判ったから、謝らないで」

 

 

それしかいえない。まさか自分が謝られるなんて夢にも思わなかったから。

むしろ今思えば彼女は名前も何も知らない自分を拾い、食事や入浴場の提供さえも無償で行ったのだ。それのどこに非がある?

 

 

 

故に気がつけばイデアは命令とも取れる言葉を言ってしまっていた。

その言葉を待っていたと言わんばかりにメディアンの顔が綻ぶ。

笑顔もやっぱり何処か男性っぽい。イデアは素直にそう思った。

 

 

なんとも判りづらい竜だ。身体はともかく、内面がどうも読めない。

包容力が母親の様にあって、それでいて男性の戦士の様な覇気さえも感じる。

何ともチグハグだが、そうとしかいえないから困る。

 

 

エイナールの様にほわほわした雰囲気とは違うし、ナーガの様に何も見えない空虚さとも、勿論イドゥンの純粋さとも少し違う。

イデアが彼女について確実に判っているのは、この地竜は決して悪い奴ではないという事と物凄い力を持っているということだ。

 

 

 

「さて、今日は何でここに? 勉学の見学かい?」

 

 

 

さばさばとした口調は凄く聞きやすい。

少なくとも喉が潰れているような声を出すあの老火竜の声よりは。

 

 

 

「いや、単に少し気になったから来ただけ。特に用事はないさ」

 

 

 

そういって背に翼を出してイデアが飛び立とうとする。

事実ここに用はない。ただ単純に何故メディアンと子供らがここにいるか気になっただけで来たのだから。

 

 

そんなイデアに声が掛けられる。

 

 

「少し見ていったらどうだい? 何なら少し勉学を教えて行くってのもアリだよ? 

 他者に教えるという行為は、単純な復習と同時に、自分の理解も高められる……それに、少し、余裕を持つというのも大事だ」

 

 

メディアンがイデアの顔を見つめる。正確にはそこに刻まれた彼の深い隈を始めとする、彼の身体に現れた疲労と切迫を見ている。

気のせいか、彼女の紅い眼の中にイデアは心配そうな光を見た気がした。俺の身を心配してくれているのか?

 

 

ふむ。

 

 

イデアが少しだけ頭を左右に揺する。確かにこの言葉には一理ある。

余裕、余裕、余裕ね。今までのこの里についてからの自分は……お世辞にもあったとは言えない。

 

 

 

──姉さん姉さん、少しだけ、休んでもいいかい?

 

 

 

はぁ、とイデアが俯き、小さく溜め息を吐く。

僅かに残っていた小さな怒りの種火と、彼の全身を駆け巡っている狂おしいまでのイドゥンへの想いが少しだけ抜けていった。

 

 

抜け出ていったその感情をイデアは冷静に頭の奥深くに戻し、その中に慎重に保管する。

これらの感情は決して忘れてはいけない。失くしてはいけないモノだから。

特にイドゥンへの想いだけは絶対に失ってはならない。ゆえ、捨てずに厳重に保管した。

 

 

そう、これは少々の休止状態だ。

少しだけ、イデアは休むことにした。ほんのちょっとだけリラックスしてもバチは当たらないだろう。

 

 

イデアが年相応の、少年らしい笑顔を浮かべて答えた。

かつてイドゥンに向けていたモノと同じ笑み。

 

 

 

「判った。じゃ、今日は頼むよ!」

 

 

 

「そうこなくっちゃ! 子供達に長を紹介するよ!!」

 

 

がっしりとイデアの手を握り、そのままぐいぐいとメディアンは彼を引っ張り出した。

掴んでいる腕の握力はちゃんと痛くない程度の力に加減されている。

 

 

 

イデアは思った。あぁ、こういう強引な所は姉さんに似ているな、と。

 

昔、エイナールと一緒に湖に行った時の事を思い出しながらイデアは半ば引きずられていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が沈む時間帯。地平線の彼方に没する夕日は禍々しくもあり、それでいて恐ろしく綺麗だ。

幻想的とも言える光景。うっかり外の世界が戦争中だという事さえもこの太陽を見ていると忘れてしまいそうになる。

 

 

が、イデアはその太陽に何か、不気味なモノを感じていた。太陽だけではない。

足早に自分の部屋に戻っていく里の住人らにも、パタパタと木窓が閉められる音、ブーツで叩くとよい音を返してくれる石畳の通路

街の道を薄っすらと照らす石に刻まれた魔術的な文字、その全てが違って見えた。それも、よい意味ではない。

 

 

何もかも全てが安定しない。もっと言えば、イデアは嫌な予感を感じていた。

何かが起きる。決していいことではない何かが。かつてナーガに捨てられる直前にもこんな感情をイデアは感じた覚えがある。

 

 

 

 

胸の内、心臓に直接歯を入れられ、咀嚼されているかの様な不安と恐怖。それをイデアはまた感じていた。

 

 

 

唯一イデアが安心を抱けるのは繋いだ手の温もりと、その温もりを与えてくれる竜だけだった。

この両者はイデアの恐怖をやわらげ、その思考を冷静に戻してくれている。

 

 

 

今、イデアとメディアン、それと彼女の息子のソルトはメディアンの家に向かって歩いていた。

真ん中にメディアン、左右にイデアとソルトが手を繋いで歩いている。

 

 

メディアンの高い身長もあり、何も知らない第三者がこの光景を見たら仲睦まじい家族が歩いているといっても不思議ではない。

 

 

 

 

 

「今日は楽しかったかい?」

 

 

 

「うん! イデアさまがおもしろかった!!」

 

 

 

「それは何より」

 

 

 

楽しそうに母親の言葉に反応し、きゃっきゃっと笑うソルトにイデアが疲れを、ただしさっきまでの狂気的な

負の方向性しか感じないものではなく、いい意味での爽やかな疲れを宿した顔でやれやれと溜め息を吐いた。

 

 

本当に大変だった。子供達に群がられ、教えて教えてと尊敬の眼を向けられるのは思ったよりも疲れる。

あの純粋な眼、あの甲高い声、決して悪い感情こそ抱かなかったが、やはり疲れた。

 

 

子供の相手というのは疲れるものだ。

だが、彼らの底なしとも言える明るさからイドゥンを連想することが出来て、有意義な時間でもあった。

 

結局の話、イデアは子供に物事を教えるという行為を楽しんでいた。

服の裾をつかまれてグイグイと引っ張られるのも、左右で色の違う眼を興味深そうに眺める輝く顔の数々も、全てが何故か新鮮に感じられた。

 

 

いや、新鮮なんだろう。

確かにコレは始めての経験だった。愛情でもなく、忠誠でもなく、純粋な尊敬という感情を向けられるのはイデアは始めてだ。

今までそういう感情を自分に向けられたことなどないイデアがそれに何を感じたかは判らないが、決して悪い感情は抱いてないだろう。

 

 

 

だからこそついつい時間を忘れてしまう程に熱中してしまった。

気がつけばもう夜になる時間帯。極寒地獄がやってくる時間はもう間近だ。

 

 

そして、尊敬という美酒を煽り、酔っていたイデアが酔いから覚めて次に感じたのは、また不安と恐怖。

理由などわからない。だが、不安と恐怖だけが今のイデアにはあった。

 

 

怖い。また何か起こるのか? 何が起こる? また状況に流されるのか。

 

 

俯きながら考え込み、歩いていたイデアの手を、一回りも二周りも小さな手が握り締めた。

とても暖かい手。その手から命の脈動が確かに伝わってくる。子供というのは本当に、生命力に溢れている。

 

 

イデアが顔を動かし、その手の主、自分の顔を不安そうに握り締めているソルトを見た。

改めて正面から見るとメディアンには似ていない。

まず髪の色は紫色だし、何よりこの子の体内を血液の様に流れ、満たしているエーギルは完全に人間のもので、竜の力は一切感じない。

 

 

 

何故人間の子が、絶大な存在である地竜の子なのか? 疑問は多いが、それを指摘しようとは特に思わなかった。

イデアとて、ナーガと自分の関係をとやかく言われれば不機嫌になるだろう。それと同じだ。

 

 

 

「どうしたの?」

 

 

 

たった一言。しかしこの一言には様々な感情が含まれている。

恐らく、言った本人でさえ把握しきれない程の数の。

 

 

イデアは小さく笑って答えた。

 

 

「何でもないよ。お母さんと手を繋ぐといい」

 

 

 

やんわりとソルトの手を解き、ほんの少しだけ力を使ってメディアンの手まで持っていかせる。

直ぐにソルトは自分の手が勝手に動いているという今まで経験したことのない事柄に大いに興奮し、またキャッキャッと喜色満面の笑顔で母の腕に素早く抱きつく。

そんな息子の頭を彼女は柔らかく、壊れ物を扱うかのように繊細に愛情を込めて撫でてやる。

サラサラとした深い紫色の髪がメディアンの手の動きに合わせてサラサラと動く。

 

 

 

 

 

あぁ、うらやましい。

 

 

ふと、そんなことを思ったイデアが急いで頭を振った。何を考えているんだ自分は。

前の世界はともかくこの世界の自分に親などいない。親の温もりなんて欲して何になるというのだ。

そんなものは無駄だ。自分にはイドゥンさえいればよかったのだ。

 

 

ナーガは親なんかじゃ、なかった。

 

 

 

 

「イデア様」

 

 

 

「うん?」

 

 

 

返事をすると同時にイデアの頭の上に手が載せられた。

とても柔らかくて、暖かい、地竜の手が。

 

 

 

「竜の生涯は永い。これからも貴方は色々と大変な目にあうことは間違いないさ。

 でも、頑張りすぎるのは良くない。時には立ち止まって、周りを見渡すのも大事だよ。

 それに、まだ信用できないかも知れないけど、あたしは貴方の味方さ」

 

 

信頼はこれからの行動で勝ち取るさ、と続けながら大きく豪胆に笑う。

やっぱり男みたいだ。本当にこの竜は良く判らない。

 

 

 

「……………覚えておくよ」

 

 

 

逃げるようにメディアンから少しだけ離れると、ソルトに小さく手を振ってやる。

この後はまた図書館に……いや、今日は久々に少しだけ寝てみるか。寝れば少しだけこの不安と恐怖も薄くなると信じて。

 

 

 

 

 

「じゃ、ばいばい」

 

 

 

「ばいばーい!! また遊んでね! イデアさま!!」

 

 

 

ソルトにもう一回だけ笑顔を返してやり、イデアは自室へと向かい飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜。砂漠の完全な夜だ。

その寒さはイリアなどの寒冷地帯に匹敵するものがある。

イデアは自室の窓から呆然と夜の闇に覆われた里の全景を眺めていた。

窓の縁に肘を付き、ただ何となく里の明かりを見ている。それと、天に浮かぶ真っ赤な月を。

 

 

紅い月は普段見ている月の数倍の大きさはあり、そこから放射される血のような光はまるで夕方の様に辺りを薄く照らしている。

 

 

 

嫌な月だ。あの日もこんな色の月が空を照らしていた。

恐怖と不安は結局、少しだけ眠ったところで消えることはなかった。

 

 

むしろ、先ほどよりも悪化している。落ち着かない。

ゆえ、イデアは気分を安定させるために自らが統治することにされてしまった里を見ていた。

 

 

 

──彼女は死ぬかもしれないぞ。

 

 

 

黙れ。お前はとっとと失せろ。

胸の奥底、頭蓋骨の中核、イデアという存在の根源から湧いて来る恐怖を握りつぶすように手をギュッと握り締める。

恐怖や不安など、何の意味も持たない。そう自分に言い聞かせる。

もしも姉さんが、亡くなってしまったら……その時は報いを与えるだけだ。

 

 

 

心臓の変わりに胸の内にある太陽が少しだけ大きく輝きを増した。もっというなら、脅威の到来を伝えたのだ。無意識に。

神竜の優れた直感。気配探知能力。膨大なエーギル。そしてイデアが飲み込んできた知識。その全てが警報をかき鳴らす。

 

 

イデアの不安と恐怖の答え、ソレは驚くほどに判りやす形で示された。

 

 

 

 

 

 

ピシッ。最初は小さく、一回。

更に続けて数回ピシッという氷を踏み潰すような音が不気味に世界に響く。

 

 

空間がまるで蜃気楼の様に歪み、向こう側に映る光景が滅茶苦茶に屈折を始める。

そして、真っ赤な空に皹が入った。まるでガラスを鈍器か何かで強く叩いたような皹だ。

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

 

 

イデアが見間違いかと想い眼を擦る。まだ疲れているのか?空が割れるなど、ありえない。

そしてもう一回見やる。天空の満月を。

 

 

「なんだ……?」

 

 

 

しかし何度見ても結果は変わらない。

イデアの優秀な視力は眼の前の光景をありのままに捉える。

そう、巨大な月の輪郭が歪み、空に無数の『皹』が入っている光景を。

空が、割れかけていた。まるで過負荷を掛けられたガラスの様に。

 

 

 

ゾクリと、イデアの背筋を寒気が走り抜けた。

酷く、いやな予感がする。あれはマズイ。

 

 

 

何だあれは? 一体何が起きている?

 

 

 

 

が、自分は動かねばならない事だけは判っている。

あれが何なのかなど自分には知る由も無い。

今の自分に出来るのは補佐のフレイの意見を聞くことだけだ。

あれが何なのか、教えてもらわなければならない。

 

 

 

全身にエーギルを満たし、神竜である彼は自分自身でさえ驚くような素早さで走り出す。

 

 

 

イデアの胸元の鱗だけが、悲しそうに、それでいて美しく光輝いていた。

 

 

 

 

 

イデアが部屋から居なくなったほんの数瞬後。

無数の『皹』が入った空は、『秩序』と共に音を立てて崩壊した。

 

 

 

後に『人竜戦役』と呼ばれ、語り継がれる事になる戦争のクライマックスが始まったのだ。

世界はイデアの存在など嘲笑うかのように激しく音を立てて崩れ、運命は急速に回り出している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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