とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

21 / 53
とある竜のお話 第二部 五章 2 (実質13章)

 

 

 

 

 

 

エレブ新暦7年 

 

 

 

 

時代は流れる。竜が君臨した神話の時代は既に過去のモノとなり、世界は人の歩みの中でゆっくりと、しかし確実に変化を遂げていた。

覇王の興した国では王の妻と息子が相次いで病気で若くして逝去し、戦乱で活躍した悠久の時を生きる賢者は一人を好み華やかな国の表舞台から姿を消す。

同時期に謎多き者と称された変わり者のシャーマンも影へと消えていく。光の乙女が授ける教えと救済は人々の心に深く根を張り巡らせ、支えとなった。

戦乱にしか生きれない狂った男は新たな戦いを求めて旅立ち、蒼氷の騎士と烈火の勇者、そして草原の騎兵は武器を捨て、故郷の復興に力を注いでいた。

 

 

 

 

少なくとも今は平和と言える時代だった。人々は竜との戦いの末、永遠ではないが、長い平和を手に入れたのだ。

もう竜は居ない。神の如き力と叡智を持ち、人々を守り、知識を授け、そしてほぼ全ての人間にとって恐怖の象徴であった竜は。

 

 

 

そんなエレブの中で、ナバタの里は存在していた。ひっそりと、竜と、そして竜と共に生きることを決めた者達のゆりかごとして。

 

 

 

 

 

 

 

 

地竜メディアンは竜族の中でも特に人間と言う種に対して友好的な存在である。

人に神として崇められる竜は少数ながらも存在するが、彼女ほど人間とコミュニケーションをとり、共存を試みた存在は少ない。

これは非常に珍しい事例だ。竜族としてのプライドと誇りを保ちながらも、彼女は積極的に人とかかわり続けたのだ。

 

 

 

 

元来、地竜という種族は竜族全体の中でも凄まじい力を保有する種であり“進化”を果たした地竜の上位種である暗黒竜は、神竜、始祖竜に次ぐ力を持っていると言われている。

そんな存在が人に無償で力を貸し、笑いあって生きようとしたのだ、これがどれほど稀有なことか。

 

 

 

 

 

 

 

夜の暗闇の中、メディアンは自室の椅子に腰掛け、憮然とした表情で一冊の本を読んでいた。

古ぼけた一冊の本。既に表紙などは茶色く年季を刻んだ色になっており、魔術によって保護を掛けられていなければとっくの昔にぼろぼろと崩れていただろう。

そんな本を彼女は優しく丁寧に、いたわるように扱い、眼を通していく。

 

 

 

ほぅ……口の隙間から漏らすのは小さな吐息。それは遠い過去へと向ける懐古であり、そして近い過去に向けた親しみでもあった。

この書は別に特別な魔道書というわけでもなく、誰でも、それこそ富と時間に余裕のあるモノならば持っていてもおかしくない書物、日記である。

長い彼女の歴史の一部を書き綴った書物は、彼女がリキアからこのナバタへとやってきた際に持ち込んだ数少ない私物の一つ。

 

 

 

もう何百、何千年と遠い過去の印象的な出来事から、つい昨日の事の様に思い出せる比較的最近の事柄まで、全てがビッシリと書きつめられている。

時間にして一夜、息子が眠ってしまった後の暇つぶしの時間としてソレを読んでいた彼女だったが、ふと一つ気が付いたことがあった。

正しくは今までは見ないふりをしていたのだが、強制的に過去から現在を辿った結果、見てしまったこと。

 

 

 

そう、時の流れだ。判ってはいたが、やはり人と竜では寿命が、時間に対する絶対的な感覚が違う。

まぁ、仕方ない。メディアンは頭の中で割り切りを付ける。どうしようもない、と。

 

 

 

人の生死に深く触れたのは最初でもないし、最後にもならないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナバタの砂漠の朝は、本当に微妙な時間帯だと彼はつくづく思った。

砂漠の物凄く寒い夜の時間と、灼熱の昼間の境界線となる朝はどちらかというと、夜の極寒のほうが勝っていると体感的に思うし、実際そうなんだろう。

メディアンが言うには、朝と夜の温度の差であの岩に皹が入ったりするらしい。人なんて簡単に粉々になっちゃうんじゃないだろうかと彼は考える。

 

 

 

つまり、だ。言ってしまえば今の状況は一言で片付けられる。

 

 

 

 

「寒い……ねむいぃ……」

 

 

 

そう、どうしようもなく寒い。寒くてたまらない。そして同時に眠い。

窓に嵌められた板の隙間からは朝の木漏れ日と共に砂漠の熱気が少しずつ吹き込んでくるが、それでも寒いモノは寒い。

このまま二度寝してしまいそうになるが、それはいけない。絶対に。

 

 

 

何でも物凄く寒いところでは下手に眠ってしまうと、そのまま永遠に起きないこともあるらしい。

だから、ソルトがベッドの中で毛布に包まって必死に熱を溜め込むのは仕方ないことなのである。

絶対に間違ってないはずだ。だって人は竜みたいに熔けた岩の中で生きることやらなど出来ないのだから。

 

 

 

全力で眠たいと訴えてくる身体に鞭を打って何とか起き上がると、更に全身を容赦なく冷気が通り抜けていく。

まだ少しぼやけた視界を動かして部屋を見ると隣のベッドは既に空になっている。どうやら母はかなり先に起きたらしい。

いや、そもそもの話、彼の母には睡眠という行為そのものがいらないが、娯楽の一つで眠るのだって聞かされた。

 

 

 

昔は夜鳴きが酷かった乳飲み子だった息子の為に添い寝をはじめ、今では眠るという行為がそこそこに時間を潰すのに有効な手段だと気が付いたらしい。

何とも恥ずかしい理由だが、正直な話、彼は母が隣で眠っていてくれると安心していた。

暗闇というのは、やっぱり一人で相対するにはとても怖いものだから。

 

 

 

 

さすがに12歳になった今でも一人で眠れないなんて事はないが。

 

 

 

窓に嵌められていた砂避けの板を開けて、太陽の光を部屋の中に差し込ませると少しばかり部屋の中の温度が上昇した。

今の時間帯では丁度良い温度だが、日が高くなるにつれてやがては夜の極寒が恋しくなるほどの灼熱がやってくる。

そして夜になると、今度は昼の炎天下が愛しくてたまならい冷気が満ちる。これの繰り返しだ。

 

 

 

「ぶぇっ!」

 

 

 

窓を開けた時に板に積もっていた砂が少々舞い上がり、口の中に入ってしまい、吐き出す。

じゃりじゃりとした苦味を何とか窓の外に吐き出し、気分を入れ替えてから着替える。

 

 

 

全身をすっぽりと覆う茶色いローブとフードを着込んで、袖を少し捲くった。

6年とちょっとここで生活して判ったことは実はナバタという地域では、薄着をするよりも、全身を布で覆った方が涼しい。

それにこの衣服は彼の母が少々の魔力を込めて織り上げた一品で、着用者にとって最も心地よい温度に服の内部を調整してくれる。

 

 

 

常に母の力に全身を包まれる感覚。ソルトはコレが嫌いじゃない。

お気に入りの丈夫な皮製のブーツを履いて、これで完了。

 

 

 

「よしっ!」

 

 

 

 

部屋に備え付けられた鏡を見て、自分の姿を確認して、何処もおかしい所がないのをしっかりと見届けてから部屋の扉を開ける。

石造りの廊下を満たすのは香ばしい肉が焼ける匂いと、スープが沸騰した時のグツグツという音。

ソルトは竜みたいに眼で見なくても誰が何処にいるか判るなんて事出来ないが、それでも母さんの気配を感じ取る力だけは誰にも負けないって自負があった。

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう。まずは顔でも洗ってきなさいな」

 

 

 

 

少しだけ廊下を進み、台所と食卓を兼ねた部屋に到着すると、いつも通り母、メディアンはそこに居て、これまたいつもの様に笑顔を返してくれる。

鍋をぐるぐるとお玉でかき回しいて、見れば鍋の中には肉と野菜のスープが煮えていた。

メディアンの料理の種類は本当に多い、いつも何かしらの新鮮味に満ちた手料理を振舞ってくれて、今までマズイと感じたのはほんの数えるくらいだ。

 

 

 

 

最初にマズイってソルトが言ったのは、まだ物心さえ付かない程に昔の事らしいのなのだが

メディアンはその一言が相当に堪えたらしくて、その日から一回一回の料理にかなりの工夫を入れるようになったらしい。

 

 

 

桶に貯められた生ぬるいお湯で顔を流して、手を石鹸で洗う。

顔を渡されたタオルで拭いて、元の場所に戻して、ソルトは勢い良く席に着いた。

眼の前で母さんが背をこちらに向けて、料理に最後の仕込をしている姿はもう見慣れたものだ。

 

 

 

 

食卓の上に置かれていた多くの皿が母さんの力によって動かされ、メディアンの手元に引き寄せられていく。

昔、まだまだ幼かった彼もこれと同じことが出来るって思って結構努力したのだが、魔道士どころか、魔力さえない彼には出来なく、泣いてしまったりしていたのが懐かしい。

 

 

 

ソルトは過去を想い。そして自分と母の種族について考えを巡らす。

もう何度目になるかも判らないお題を、延々と幼いながらに考えるのだ。

物心が付き、ある程度の知能と分別を得て、世界を知った少年の悩み。

 

 

 

もう、自分が実の母の息子じゃない事ぐらいは知っている。

父親は居ない。正確には何処かにはいるのだろうが、もう興味はない。

 

 

 

竜じゃなくて僕は人間。そして母は地竜という、よく判らないけど凄く強くて長生きの竜。

でも僕達は親子。母さんは母さんで、僕は母さんの息子。これは何があっても絶対に変わらない。

今、重要なのは、いかにこの今という時間を大切にするか、それだけ。

 

 

 

 

 

気が付けば何時の間にか母の料理は皿に盛られて、食卓の上に並んでいる。

力を使って幾つもの事を同時に出来るからこその早業なんだろう。

便利そうだなぁって思うことはあるけど、別に羨ましいとは思わない。

 

 

 

 

 

舞うように全ての準備を終えたメディアンが軽やかに振り返る様にソルトは少しだけドキッとしてしまう。

12になる彼は、男としても順調に成長を遂げており、一般的に見れば美女と呼ばれる存在であるメディアンにそういう思いを抱いてしまうことがあるのだ。

 

 

 

スラリとした長身は女の人にしては凄く高いけど、全く嫌味にならないし、栗色の髪の毛は艶やかに上品な輝きを放っている。

その癖、手足と身体のバランスも完璧で……何より出る所はしっかりと出ている。

 

 

顔の造形? そんなの言うまでもない。

 

 

 

 

「じゃ、味わって食べようか!」

 

 

 

 

正面の席に座った母さんがエプロンを外して、自分が作った料理に向けて目礼する。

それは母さんなりの食材と敬意の表し方だと彼は知っているから、同じように目礼して心の中で「いただきまーす」と唱えた。

この言葉は時々我が家に来て食事をとっていくイデア様がいつも言っている言葉で、曰く「食事に対しての敬意だ」だそうな。

 

 

スプーンを使ってスープを掬って一口。凄く美味しい。

口の中に広がるのは肉のダシと、茹で上げられた野菜の素晴らしいマッチ。コショウのちょっとした辛味と塩加減もいい味を出してる。

今度メニューでも教えてもらおうかな、とソルトは思う。僕の料理を食べて母さんが美味しいって言ってくれると、凄く嬉しいし。

 

 

 

 

「美味しいかい?」

 

 

 

 

ニコニコと上品だが、何処か豪気な笑顔で母が問いかけてくる。

細くすぼめられた綺麗な赤い眼の奥には柔らかい光が宿っているのがはっきりと見えた。

紅い眼は人間のモノとは思えない程に綺麗だが、それは文字通り、彼の母が人じゃないって事を示してもいた。

 

 

 

 

咄嗟に答え様とする部分と、食事を続けようとする部分。

両者はどうやら同時に動いてしまったらしく、結果、ソルトは飲み込んだスープが変なところに入ってしまい、盛大にむせることになる。

器官に入ってしまった異物を排除すべく、当然の如くソルトは激しく咳き込んだ。

 

 

色々な液体が逆流してきて、喉が痛い。鼻が痛い。視界が涙で霞む……。

 

 

 

 

「ほら、水だ。ゆっくりと落ち着いて飲むんだ」

 

 

 

 

背中を優しく摩られ、杯に満たされた冷水をゆっくりと飲み干して何とか小さな子供は答えた。

未だに鼻水が止まらず、自分でも凄く恥ずかしいと思うけど、何とか罅割れた声を絞り出して。

 

 

 

 

「ずごぐ、おいじい!」

 

 

 

 

 

まさか返事を返されるとは思わなかったらしく、地竜は一瞬だけ眼をまん丸にした後、呆れた様に笑った。

少しだけ、それを見たソルトの頬が涙ながらに緩んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無事に朝ごはんを食べ終えてからソルトは何時もの様に外出をする。

向うところはその日によって決まってたり、決まってなかったりするが、今日の外出は最初から予定が入っている。

 

 

じりじりと太陽が焼き付けるように輝く中、親子はとある場所へと向っていた。

彼の数歩先を歩く母が持っているのは丈夫な木の枝が二本。茶色いそれは単純な一本の真っ直ぐとした棒だ。

大体長剣と同じぐらいの大きさのソレには魔力で加護が施されており、よっぽどの事じゃなければ折れない。

 

 

 

それにしても、と、何気なくソルトは先頭を行く母の背を見てみる。

見れば見るほど大きな背中だ。女性である母さんをこういう言葉で表すのは“しんしてきじゃない”とは思うが

やっぱり母さんの背中は大きい。物理的な意味でも、そして精神的な意味でもだ。

 

 

 

少年にとって母は母だが、父でもあった。それも、とびっきりに偉大な。

 

 

 

彼の年齢を数百倍にしてもたどり着かないほどの時間を生きてる母は、本当に大きな存在だとつくづく少年は思う。

だからこそ、人間ソルトは地竜メディアンの息子として恥ずかしくない男にならなければいけない。

別にコレは母に対する劣等感とか、そういうものから生じた願いなどではない、何と言葉で表せばいいのか判らないが……。

 

 

 

一つだけ言えるのは。

その様な醜い感情などでは、絶対にない。

 

 

 

 

とりあえず、何かとても強い衝動がソルトという男を動かしているのだ。

そう、つい最近から始めたコレもそういう意思が強いから行っていること──。

 

 

 

 

「着いたよ。まずは何時もの様に準備運動からだね。判ってると思うけど、しっかりとやるんだよ? こういうのに手を抜くと、後で自分に帰ってくるもんさ」

 

 

 

 

色々と考え事をしている内にいつもの目的地、鍛錬場にたどり着き、メディアンの凛とした声が少年を思考の海から現実へと引き戻していく。

ここは里を囲むように創られたオアシスの僻地。地面は熱せられた生気のない足引きの砂ではなく冷たくて堅い大地があり、草木が生い茂っている場所。

ひらけたここはまるで広場みたいに広く、丁度中心辺りには大きな見慣れた岩が一つ、でんっと居座っている。

 

 

ここならば木々のカーテンに覆われているから、太陽の光もあまり入ってこないから涼しい。

だからこそここは激しく動き回れる場所なのだ。

 

 

 

この場所には2日か3日に一回来る。母との鍛錬の為に。

ソルトとしては毎日来たいのだが、まだまだ小さい彼の身体にはあんまり過剰な無理をさせる訳にはいかないらしく、メディアンは断固として認めなかった。

黙々と持ってきた荷物を降ろして、大地に腰を降ろす。足を二本真っ直ぐに伸ばして、上半身を前に折る。

 

 

 

この準備運動も、汗が出るほどに全力でやらないと意味がないらしいから、無我夢中で行う。

少しでも自分の身体を強くするためには何かをやりたかったから。

ふと、母を見ると、岩に腰掛けた母さんはいつもと同じように真剣ながらも、何処か暖かさを含む眼でじっとこっちを見つめているのが見え、咄嗟に視線をずらす。

 

 

 

 

正直、少しだけ恥ずかしかった。身体の奥が、運動とは違った何かの熱を持って、じくじくと痛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間にして大体一刻ぐらい、みっちりと準備運動を行って体のありとあらゆる場所を暖め終えてから

持ってきた冷水を飲んで、少しだけ休憩した後、母が持ってきた枝を両手で掴んで、ソレを力を入れすぎないように構えて、向き合う。

同じ様に枝を片腕で掴んで相対するメディアンの眼には、ついさっきまでの温もりは消えてなくなり、何も宿さない、冷たい眼がソレに変わる。

 

 

 

 

 

 

メディアンが本気でこの鍛錬に付き合ってくれているという証拠だ。遊びなどいれず、本当に鍛えてくれるために、彼女はこの眼をする。

仮想の敵として、堂々と振舞うのだ。

 

 

 

 

ソルトにとってこの眼は正直、あまり好きじゃない。冷たくて、無機質で、凄く見ていると怖くなる。

人ではない竜の眼は、凄い圧力を持って圧倒してくる。少しでも気を抜けば、枝を落として、膝を付いてしまいそうな程に。

恐らくはコレでも最大限に抑えられているのだろうけど、それでも怖くてたまらない。

 

 

 

 

でも。

 

 

 

コレは鍍金だと彼は気がついていた。その証拠に、少し注意をして観察すれば

冷たい眼の奥底で、無理やり固められたあの温かみが決して消えることなく流動しているのが見えるのだから。

 

 

 

気を取り直す。今は鍛錬の最中で、無駄なことを考えるのはこれぐらいにしておいたほうがいい。

これは鍛錬といっても、両者とも本気でやっているのだから。

死ぬことはないとはいえ、怪我くらいならば十分にありうるし、何より自分が怪我をして、母さんが悲しそうな顔をするのが許せない。

 

 

 

 

まずは一撃。足が許す限りの疾走で飛び込み、逆袈裟に枝を腰辺りへと向けて身体を捻り、両手で叩き込む。

単に力を入れて打ち込むのではなく、教えられた通り持っている武器の重さと身体の動き、体重の移動、そして最も空気の抵抗が少なく鋭い動きを意識し、切り込む。

カァンという乾いた音と共に手が鋭い振動で痺れる。全力で、これいじょうない程の速度で切り込んだというのに、そこには既にもう一本の枝があり、それが簡単に少年の攻撃を防いでいた。

 

 

 

片手だ。メディアンは全ての体重を乗せられた一撃を片腕で容易く防いでいた。

 

 

 

 

緩やかな傾斜を付けてそこに配置された枝は攻撃を真正面から防ぐだけではなく、ガリガリと表面が削れる音と共に枝を受け流していく。

まるで斜めに立てかけた板に水を掛ける様に、いっそ面白くなるほどにその斜面を転がり落ちていくのが見える。

 

 

受け流されている。彼女は基本いつも攻撃を受け流す。頑丈な盾で防ぐ訳でもなく、こういう風に最低限の力で無力化してくるのだ。

咄嗟に後ろに下がろうとするが、それよりもメディアンの枝が辛うじて目視できる速度で動く。眼では終えるが、身体がついてこない。

 

 

 

円を描くように軌跡を残したソレが突如勢いを無くして、ピタッと息子の首元に当てられた。

冷たい感触が肌越しに伝わり、背筋が気持ち悪い。もしも彼女が殺す気ならば、既に首の骨を叩き潰されていただろう。

 

 

魔力もエーギルによるブーストもメディアンは行っていない。竜の力を一切使わずに戦っているのに、ソルトはあしらわれていた。

だが、心は折れない。たとえどれほどの差があろうと、心が折れたら全て終わりだと他でもない眼前の存在に教えられたのだから。

 

 

 

 

「まずは一回だ。踏み込みは大分よくなったよ」

 

 

 

 

一回、死んだという意味の一回。最初の頃など七十回近く“死んだ”こともあったが、今はそれの10分の一以下にまでなっている。

よくやったと。母さんは褒めるがまだまだだ。こんなのじゃ足りない。全然足りない。

何故ならば、母は本気だが、全力ではないのだから。

 

 

 

 

 

首元から、武器が引かれ、無言で彼女は数歩下がった。まだまだ続けるという意思表示。

 

 

 

急いでソルトが距離を取り、そのまま静寂を守る母を観察する。

片腕でロングソードほどの長さの枝を軽く握り、冷えた眼でこっちを見てくる。

 

 

 

もう一度、今度は先ほどよりも気力を搾り出し、かつ身体をなるべく低くするように心がけ肉薄を慣行。

そんな動きは予想していたと言わんばかりにロングソード並の長さを誇る枝が滑らかに、たかだか10年程度しか生きていない少年では足元にも及ばない技術の元に涼音と共に振るわれる。

綺麗な、まるで何かの道具で描いたかの様な華麗きわまる円形の軌跡を残し、ソレは正確無比にある一点に加速を付けて吸い込まれていく。

 

 

 

 

ピリピリとした感覚が左肩に向けて伝わってくるのが、はっきりと判った。ここが、狙われている。

それは殺気であり、そして明確な母からの忠告だった。防げ、という意思でもある。

 

 

 

もしも下手に直撃を食らえば、治癒の魔術を使っても数日は腕が使い物にならない事になる威力の一振り。

意地でも直撃するわけにはいかない。これをまともに浴びてしまえば、今日の鍛錬はコレで終わってしまうのだから。

 

 

 

両腕でしっかりと握っていた枝を咄嗟に右手に持ち替え、肩と枝の間に差し込み、無理やり迫っていた枝を上から叩くように動かす。

その瞬間、ズドンという打たれた鈍い音と共に左肩に激痛が走るけど、まだ動かせる。

乾いた音と共に持っていた枝が粉砕されて、無数の破片がやけにゆっくりと宙に舞う中、やってしまったといわんばかりの表情のメディアンが見えた。

 

 

 

 

痺れていた手から既に握っている部分を残して砕けた武器を躊躇なく放し、そのまま、がむしゃらに全身の体重を乗っけて突っ込む。

まるで怒り狂った猪の如き、単純だが、全てを掛けた疾走だった。一つ踏み出す度に、堅い大地にしっかりと足跡を残すほどの。

 

 

 

ほんの数歩分の距離。だけどこの鍛錬を始めてから一度も縮めたことのない距離を詰めていく。

それは今まで絶対の防衛の線として引かれていた一つの線。どれほど創意工夫を凝らそうが、決して届かなかった距離。

ソレを今正に自分は踏み越えたのだと思うと、充実感が湧き上がり、身体の芯が高揚を帯び、息をすることさえ忘れてしまいそうになる。

 

 

 

ここで彼は一つミスを犯した。単純に一つの壁を乗り越えた事実に夢中になりすぎてしまい

自分がまだ勝っていないということに気が付かなかったことだ。

秒にも遠く満たない刹那よりも短い時間の間、彼はその事実にようやく気が付き、徐々に迫ってくる母を見て、正直な話、慌てた。

 

 

 

そして、そして……アレ……アレ? 次の手を、次の手をと考えるが出てこない。

武器は壊れてしまったし、自分の身体能力じゃ軽くいなされて終わり。

 

 

 

どうしようか、どうする? いや、そもそも僕は何を──。

 

 

 

考えていた時間は一瞬だったかもしれないし、かなり長い間だったかもしれない。

だけど、どちらにせよ答えは出ず…………視界を白黒させている間に、勢いそのまま、何か柔らかくて、暖かいモノの中に突っ込んだ。

 

 

 

あぁ、始めて鍛錬中に母さんに触れることが出来たんだ。そう思った次の瞬間、達成感やら歓喜やら、色々なものが身体の奥底から湧き出てきて、思わず全身から力が抜けていく。

 

 

 

 

「先の事を考えてなかったのかい? 全く」

 

 

 

 

最後に耳朶に届いたのはそんな声。呆れと親しみ、そしてほんの僅かだけの喜悦が混ざった母の声。

瞬間、鈍いが、決して痛みを感じさせない衝撃、魔力による意識に対する攻撃が緩やかに身体を走り、ソルトの意識は暗闇に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その疑問を感じたときの事はよく覚えている。

 

 

 

最初に母と自分が違うと気がついたのは8つぐらいの時だった。

それは髪の色や、身長、筋力や容姿などと言った単純なことから始まり、水が地面に染み込んでいくように時間を掛けて深くなっていくのが自分でもはっきりと判っていた。

纏う空気さえも違い、内包した力はただの人間である自分から見ても強大極まりない彼女はどう考えても、自分の母には見えなくなったことがあったのだ。

 

 

 

自分と親の類似点を探し出して見つけ、親と自分は確かに親子なのだという自己のアイデンティティを確立させるという行為が彼は行えなかった。

そればかりかむしろ、見つかるのは類似点ではなく、見たくもない相違点のみ。

 

 

自分の髪の毛と母の髪の毛の色は何故違うのだろうか?

何故、自分には母の様な魔術が使えないのだ?

何で僕は母みたいに強くないのか?

 

 

 

幼心に、親と自分の違いを気にする度に増幅する鬱憤はまるで舞い散る落ち葉の様に積もっていった。

 

 

 

無意識に溜め込んでいたソレが爆発する切欠の一つに、とある火竜との会話がある。

紅い髪をし、屈強な肉体を持った彼は何度かソルトも見かけたことがある青年の竜だった。

両手の甲には不思議な魔術的な紋章があり、胸元には何か鋭いモノで深く切り裂かれた傷跡が残る竜。

 

 

メディアンと違い、表だった人間らしさなど皆無の竜との対話はソルトにとって衝撃だった。

彼は何の悪意もなく、同時に一欠けらの気遣いもなしにソルトの心の奥底に言葉という刃で切り込んできたのだ。

 

 

 

 

 

 

お前はあの地竜の子ではない。あの女に配偶者や血の繋がった子など存在しない。何故共に在れる?

 

 

恐ろしくないのか? あれはやろうと思えば貴様など容易く殺せるぞ?

 

 

アレにとってお前の一生など刹那にも満たない。違う時間を生きる者同士が、家族になどなれるのか?

 

 

 

 

彼の言葉に、何一つとして明確な返事を返すことが出来なかったのが悔しかった。

それと同じくらいに、火竜の言葉に少しだけとはいえ、共感してしまった自分が居るのが悲しい。

全て、胸の深遠に厳重に仕舞われていた、眼を背けたい現実の数々。

 

 

 

 

 

──何で僕は人間で、母さんは竜なの? お父さんは何処にいるの?

 

 

 

 

これらの疑問が積み重なり、癇癪を起こした彼は酷くメディアンに八つ当たりと共に激しい口調で質問を投げかけたことがある。

里を歩く、他の真っ当な母子、竜と竜、人と人のソレを見て、彼の中にあった暗い情念が爆発した結果のことだ。

 

 

 

 

母さんは本当に母さんなのか?

何で僕を育てているの?

 

 

 

長い時間を生きる竜の暇つぶしとして自分を育てているのか、結局の所、息子なんて呼び方は表向きだけで

実際は身につける装飾品程度の存在としか思われていないのか? 僕がいつか死んだら、母さんは新しい“装飾品”を探すのか。

 

 

全ての思いの丈をぶつけたソルトは、自棄になった思考で、もしもここでメディアンが怒り狂い、その結果自分が殺されたとしても構わないとさえ思うほどに。

結果、メディアンは怒りさえしなかった。怒りに任せて力を振るうことも、竜の力による威圧で煩わしい餓鬼を黙らせもしなかった。

 

 

 

 

彼女は、地竜は……泣いた。

涙を流し、顔を悲痛の色で真っ赤に染めて。

 

 

 

 

その時、彼は自分が言ってはいけない事を言ったのだと悟る。

母を泣かせてしまった自分が何かとても悪いことをしているように思えてソルトは泣いた。

泣いて。泣いて。二人で子供の様に泣いて、そして語り合った。

 

 

 

リキアでの生活。何故ソルトがメディアンの息子なのか。どうして育てているのかなど。

自分は元々は彼女が住んでいた神殿の前に数減らしか何かの理由で捨てられた赤子だったことを聞かされたソルトの胸中に驚愕はなかった。

むしろ、あぁ、やっぱりという納得の気持ちが強かったほどだ。

 

 

思えばそれからだろう。妙な、しかし決して不愉快ではない向上心が自分の中で鎌首をもたげてきたのは。

短い時間しか生きられないのなら、せめて閃光の様に生きて、竜の心中に残り続けたいと決心するに至ったのだ。

 

 

 

 

これは、そんな過去のお話──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで母の子宮の中に満たされた液体の中を漂っている様な、筆舌では表せない柔らかい感触に身を包まれつつソルトの意識は覚醒する。

眼を開けると、視界の暗闇が一気に変わり、瞳孔に飛び込んできた鋭い光に思わず彼は顔を顰めた。

少し起き上がってみるとまだじくじくと肩は痛む。見れば棒の当たった一部が青く変色しており、どうやら痣になってしまっているようだ。

 

 

これは数日間痛みが続くなぁ、と思ったソルトが小さく息を吐く。

 

 

周囲の空気は、ここがどこかを考えるまでもないほどに親しみに溢れている自室のモノだ。

身に掛けられていた毛布、それもメディアンの力が込められ、常に羽織ったモノの体温を適度に調整する昨日を付与されたソレがふわりと落ちた。

外に眼をやると、少々陽が傾き、徐々に夜へとナバタが向っていくのが判る。

 

 

 

 

 

「具合はどうだ?」

 

 

 

 

 

母の声ではない、別の、深さと甲高さを同居させたような奇妙な少年の声がソルトに掛けられた。

ソルトがそちらに眼を向けると、彼にとっては馴染み深い……この里に住んでいる者ならば誰でも知っているであろう存在が佇んでいる。

いつの間に、いつから、などという疑問は転移を使える彼には意味を成さない。

見舞い人、ソルトが子供の時から付き合いのあるこのナバタの里の長、イデアはこの里に来た時と全く変わらない姿でそこにあった。

 

 

 

 

 

「どうしてここに?」

 

 

 

 

「用事のついでさ」

 

 

 

 

あっけらかんとイデアは答え、懐から取り出したリンゴをソルトに放って、そのまま部屋の椅子の一つに静かに腰掛けた。

まるで自分の家の様に振舞うイデアにソルトは特に怒りは沸かなかった。

何故ならば、7年以上も前から彼は時折メディアンの元を訪れ、食事を取ったり、共に書物を読んだりしており、自分もかなりお世話になっていたりするのだから。

 

 

渡されたリンゴを片手で弄くりながらどうやって食べようか考えていると、視線を感じ、ソルトは顔を上げた。

紅と蒼の特徴的な眼が鈍く輝きながら自分を見ている。

 

 

 

 

「なんですか?」

 

 

 

 

暫し見つめ合っていた後に、痺れを切らしたソルトの声が部屋に響く。

 

 

 

どうする? 

 

 

 

イデアは口こそ開けてはいなかったが、何かを全身から迸る気配で十二分に語っていた。

問題はソレを彼が口にすべきかどうかを悩んでいるということだ。

腕をくみ、ほんの少しだけの間考えていた彼だったが、ようやく決心が付いたのか椅子から立ち上がると口を開いた。

 

 

そこから発せられた言葉はまるで何かを探るかのように、慎重極まりなく、同時に触れれば壊れてしまいそうな程に儚い。

 

 

 

 

 

お前は、何か夢はあるか?

 

 

 

 

 

ソレは、いきなりの言葉。唐突すぎて、困惑するであろう問い掛け。

圧倒的な存在である神竜がただの人間に投げかけるには余りにも訳が判らない質問だ。

 

 

 

だが、ソルトは応答した。一切の迷いもなく。

イデアの、神竜の眼を真っ向から見つめ返し、はっきりと答えた。

 

 

 

 

あります、と。

 

 

 

 

そうか、とイデアは答え、満足気に微笑む。

 

 

 

そうして彼は笑顔のまま少しメディアンと話があるから、寝て待っていてくれと言い残し部屋を後にした。

後に残るのは静寂のみ。外から聞こえてくる砂嵐の轟々という音だけが部屋に虚しく反響する。

 

 

 

 

うん? と部屋にひとり残されたソルトが顔を傾げた。

質問の意図が判らないのもそうだが、何よりも一つだけ気になったことがある。

 

 

 

 

何でイデアは、神竜である彼は一瞬だけとはいえ、自分を見る瞳の中に子供が見てもはっきりと判るほどの“羨望”の感情を浮かべたのだろうか。

 

 

まるで、輝かしい宝石を見るような、そんな眼を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イデアはソルトの部屋から出るとすぐに顔に浮かべていた微笑を消し、ただのイデアから、ナバタの里の長である神竜の顔を貼り付かせ。

先ほどまで纏っていた空気を一変させた。即ち、自らの目的へとひたすら前進を繰り返す一人の男のソレへと。

ふと、彼はソルトの顔を思い出し、思う。何と羨ましいのだろうと。

 

 

 

 

嘘偽りなく、イデアは彼を少しばかり尊敬していた。12歳のときの自分よりも遥かに大人びており、確固たる自分の意思を持ってメディアンに食いつく彼を。

彼はソルトが自らの母を目標とし、自身を磨いているという事を知っていた。それゆえに思うのだ。

 

 

 

自分と母が違う種族だというのに叶えるのが困難な夢を諦めない彼は、自分などよりも遥かに高潔だ、と。

失くしてから半身の価値と存在感に気が付いた自分とは大違いといえよう。

 

 

 

扉を一枚開け、メディアンの部屋へと入る。今日はソルトにも言ったとおり彼女に用があってきたのだ。

とても、とても大事な用件がある。

 

 

 

 

部屋の主である地竜は、椅子に腰掛け、客であるイデアを待っていた。

彼女は手織りのように見えるいつも来ている質素な茶色のローブを着込んでいて、艶やかな栗色の長髪をコレもいつも通りに後ろで纏めていた。

きちんと結った髪は一本も乱れておらず、首元から少しだけ見えるうなじはとてつもない色気を醸している。

 

 

 

ここ数年で彼女は少しだけ変わった。神竜は思う。

イデアと出会った当初は彼女は女性でこそあったが、その身の気配はどちらかといえば豪胆な男性のソレだったのに今では少しずつ女性の顔が強く出てき始めている。

 

 

一体何が彼女を変えたのだろうか。今は関係ないことだが。

 

 

 

テーブルを挟んだところにもう一つの椅子があり、そこにイデアは腰掛ける。

大きく溜め息とは近い深呼吸をした後、イデアは切り出した。

 

 

 

爛々と光る双眸が不気味に輝きを発し始め、彼がどれほどこの話を待ち望んだかが窺えよう。

 

 

 

 

「以前頼んだことだが、何処まで判った?」

 

 

 

 

「大まか程度ですが、長のお知りになりたい情報はほとんど入りました」

 

 

 

 

答えるメディアンは低く、冷たい声。一つの竜としてイデアに従う際の彼女の顔だ。

プライベートではイデアにも砕けた口調で話す彼女だが、こればっかりは彼女も譲るつもりはない一線らしい。

どうにも仕事と私事ははっきりと分ける主義なのだ、彼女は。

 

 

 

そして彼女はイデアにはない能力がある。精霊との対話という能力が。

精霊というのは世界のありとあらゆる場所に存在し、全てを見て聞いている第三者だ。

その声が聞けるという事は、彼女はこのナバタにあって、世界のありとあらゆる場所の情報を手に入れることが可能という意味でもある。

 

 

 

だが問題もある。それは、限られた地域ならともかく、エレブ全域の精霊から言葉を聞きだすということは、それだけ多くの言霊が一斉に飛んでくるということだ。

精霊というのは常に精霊以外の話し相手に飢えているらしく、嬉々として彼らは国家規模の陰謀の情報から、ご近所の何気ない世間話までのありとあらゆる出来事を報告してくるそうな。

 

 

しかも中には人間と同じように意地の悪い精霊もいて、そういう奴は嬉々として嘘の情報を流してくるらしい。

 

 

 

一度に飛んでくる情報の量が多すぎて、さすがの彼女も必要な情報と不要な情報、

幾つもの囁きの真贋を区別し、無数に並べられたソレを整理した後に、更に判りやすく噛み砕くのには時間が掛かったのだ。

 

 

 

 

「まずハルトムートの件ですが、彼はどうやら少し前に妻と息子を同時に失ってから明らかに衰弱を始めており、今では戦役時の見る影もないらしいです」

 

 

 

 

「……………」

 

 

 

イデアはゆったりと椅子に腰掛け、深く思慮を巡らすように指先をあわせた。

無言で彼の眼がメディアンに続けろと述べる。

 

 

 

ハルトムートの伴侶と息子が病死してからもう幾年たったろうか。

 

 

王女と王子。確か名前を何と言ったか? 何故かは判らないが、ベルンという国は余り最高権力に限りなく近しい地位にあるこの二人の存在を隠している節がある。

まぁ、名前など知らなくても問題はないだろう。何故ならば二人は既にこの世にはいないらしいのだから。

調べれば名前程度出てくるのだろうが、今はそんな無駄なことに労力を割くつもりはない。

 

 

 

 

 

「エリミーヌは知っての通り、今はアクレイアを中心に活動を続け、布教活動を続けているそうです」

 

 

 

 

イデアは眼を閉じて、何かを深く考え込むような仕草をした。

しかしその実、内心はエリミーヌに対する侮蔑と嫌悪と嘲笑で満たされている。

何が万物全てに平等であれ、だ。竜族を徹底的に悪と断言しておいて調子がいい事をべらべらと。

 

 

 

 

エリミーヌの逸話の一つ、“フクロウと大鷲”の話は中々に気に入っているが。

このお話で語られる自分の頭でじっくり考え、自分の中に一本の芯ともいうべき考えと信念を持てという言葉には共感も出来るが、エリミーヌそのものは好きになれない。

 

 

 

 

 

「次にローラン、ハノン、バリガン、この者らは恐らくはもう故郷から動くこともないかと、

 ローランに至っては【烈火の剣】の力のほとんどを大地の復興の為に使い、既に神将器にはかつての力はないでしょう」

 

 

 

 

ハノンの名を聞くとどうもイデアは複雑な気になる。彼女が居なければ自分たちは死んでいたかもしれないし、違うかもしれない。

あの時、ハノンがもしも死んでいれば後の竜族と人間の戦いはどうなっていたのだろうか。

ただ一つ確かなのは、あの時ハノンは自分たちの為に命をかけて戦ってくれたことだけ。

 

 

 

ハノンは姉さんに出会ったのだろうか。もしも出会ったのならば、一体どんな顔をしたのか、それが気になるのだ。

 

 

 

 

「アトス、ブラミモンドは両者の術者としての隠蔽能力が高すぎて精霊でさえ捕捉しきれておらず、行方は不明です」

 

 

 

厄介だなとイデアは言外に吐き捨てた。恐らくは竜族関連の術意外では己の上を行くであろう術者が二人も野放しになっているというのは中々に怖い。

いずれ対策は立てておきたいが、姿さえも掴めないのならばどうしようもない。

 

 

だが、いつかどうにかせねばなるまい。消すにせよ、捕獲するにせよ。

 

 

 

残るは一人だ。確か名前をテュルバンと言った男。

単なる戦闘狂で、戦役以前から度々竜族と揉め事を起こしていたらしい男。

彼の事は調べれば調べるほどに好ましいと思う情報が入ってこない。

 

 

 

何でもただの傭兵だったころなどは、敵はおろか、味方にも手を出し、酷いときは無抵抗の市民を虐殺することも躊躇わなかったという。

それでも彼が英雄となれたのは、ただ単純に強かったから。他の何を置いても、圧倒的に力があり、その力は国家にさえ恐れを抱かさせたに他ならない。

 

 

 

 

「最後にテュルバンについてなのですが…………」

 

 

 

 

 

その後の言葉をメディアンは簡潔な言葉で綴った。

余りにも簡単で、俗的すぎる言葉だったせいか、イデアは一瞬何を言われたのか理解出来ず、耳から飛び込んできた言葉によって頭を揺らされるという体験をすることになる。

頭を鈍重なハンマーか何かで叩かれたかのような衝撃を感じ、脳内に閃光が走った後、彼はふわりと身体を左右に揺すった。

 

 

様々な言霊が頭の中で嵐のように飛び交っていたが、直ぐにそんなものは意味をなくした。

代わりに沸いてきたのは、煮えるような愉悦。愉快で愉快でたまらない。自分の思い通りに物事を進めている人間が浮かべる晴れ渡った笑顔。

 

 

 

はぁと艶やかな溜め息を漏らし、彼は言った。狂喜に染まった笑みで。

長としてのイデアと個人としてのイデアが混ざった複雑な表情。

 

 

 

 

「礼を言うよメディアン。お前のお陰で大方の計画は立てられた」

 

 

 

「どういたしまして、というべきなのかね……貴方は“アレ”を手に入れるつもりなんだろ? あたしは碌な事にならないと思うよ」

 

 

 

本来のメディアンの口調に戻った彼女の言葉に込められた感情もまた複雑なものだった。

何故ならば、何となくではあるが、イデアが何をするか予測がついてしまったから。

やれやれと肩を大きくまわして身体を解す。そして両手を頭の後ろで組んで彼女は大きく息を吐いた。

 

 

 

 

「いずれはね、今はまだ時間じゃない。ゆっくりと衰弱したハルトムート辺りがくたばるのを待つとするさ」

 

 

 

そうだ。こういう事にはタイミングが重要。

例えば、神将器の強奪というハプニングから、人の眼を逸らせるほどの大事件が。

 

 

 

そう、具体的な例をあげるとすれば、人類を率いた英雄の死とか──。

 

 

 

 

興奮が抑えきれないと言った表情で、イデアが細やかな手つきで覇者の剣の柄を幾度も撫でてやる。

いずれ、こいつはまた血を吸うことになるのだろうと半ば確信めいた予感と共に。

まぁ、その時までゆっくりと知識を取り込んで自分を強くするさ。

 

 

 

 

話は終わりだといわんばかりにイデアが立ち上がり、足元に転移の陣を展開し、そこに魔力を注ぎ込む。

来た時と同じように、イデアはあっという間に、まるで影の様に去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふぅと小さく息を吐いたメディアンが椅子に身を任せ、脱力する。一つの大きな仕事を終え、どっと抑えていた疲れが噴出す。

何せ今まで何百何千もの言葉を頭の中で整理し、それら一つ一つの関係性を並べた後に真偽の判断をし、判りやすい様に要約して、噛み砕いたのだから。

エーギルそのものは余り減っていないが、神経的に疲れた。例えるならば、頭の中で絶えず何百、何千もの雑踏の声が響いていると思えばいい。

 

 

 

 

 

ようやくその雑音の海との対話という仕事から解放され、彼女は一息つくことが出来たのだ。

ふと今まで内面に収束させていた気配の探知能力を外側に向けると、彼女は部屋の外に息子の気配を感じた。

何をしているのだろうと思い、メディアンはいつもの様に何気なく、それでいて思いやりに溢れた声で息子の名を呼んだ。

 

 

 

直ぐに部屋の扉が開かれ、紫色の髪の毛を小さくそよがせてソルトが部屋に入ってきた。

ツゥッと地竜の眼が細まり、彼の布に包まれた左肩を注視する。魔力を宿した眼は服を透過し、その下にある傷を認識する。

 

 

 

青あざ、先ほどの稽古で自分が付けた傷だ。たまらず彼女は声をあげていた。

理由はどうにせよ、自分が子供に傷を付けたというのはいい気分にはなれないのだから。

 

 

 

 

「肩の調子はどうだい? 動かしづらいなら今すぐにでも──」

 

 

 

 

体内に存在する莫大な量のエーギルを編み上げ、行使されたリカバーの術はこの程度の怪我など瞬きの内に完治させてしまうだろう。

だが、術が行使される瞬間、彼は一歩下がり、首を横に振った。

 

 

 

「大丈夫。少し痛いけど直ぐに治るだろうし、何よりもこの傷は残しておきたいんだ」

 

 

 

だって、今日始めて母さんに訓練中に触ることが出来たんだもん。記念として残したいんだ。

そう言葉を続ける息子に、メディアンは言葉を失くす。

凛とした顔で自分の顔を真正面から見てくる息子に、メディアンはほんの少しだけ驚いていた。

これまで一緒に居たはずで、今までずっと成長を見てきた子が、何故か知らないがこの頃歩みを速めた気がする。

 

 

 

 

生き急いでいるとまでは言わないが、それでも何処か早期の成長を望んでいるように見える。

まるで何か目的を見出したかのように、彼は方向性を定めて何かに向けて突っ走っていた。

 

 

 

メディアンから見れば短い時間しか生きられない人間だからこそ出来る生き方……その目標として自分を選んでくれたとしたのなら、これほど嬉しいことはない。

 

 

 

「そうかい」

 

 

 

 

ポンッと頭に手を載せてクシャクシャと撫でてやるとソルトは余り幼く扱われたくないのか

その表情が一気に不機嫌になるが決して、手を払いのけたりはしない。

昔は素直に喜んでくれていたんだけどねぇ、と胸中でもらすが、もちろんそんな事を表に出したりはしない。

 

 

 

 

そしてそのまま、彼女は力を使い、息子の背を少しだけ強く押す。

いきなり背後から強い力を加えられたソルトは千鳥足を踏み、そのままメディアンの大きく広げられた両腕の中に納まった。

 

 

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 

 

もがもがと胸の中で息子がもがいている様を見て、ますます両腕に込められた力が強くなる。

以前は足の付け根辺りにあったソルトの頭が今では胸の少し下程度、早いものだと思う。

幾ら自分が人間の女性の姿としては大柄な部類に入るとはいえ、ソルトの身長も中々の高さになっているとしみじみ実感した。

 

 

 

10年たらずでこれだ。ならば、後10年経てばどうなるのだろうか。

そのまた10年、そして10年先にはどんな姿になる? そして更にそこから10年──。

 

 

 

そこまで考えた瞬間、地竜は寒気に襲われた。物理的な戦闘力、魔術による戦いでは現状のエレブでは最強クラスの力を誇る彼女が、だ。

30年か40年など彼女にとって見れば瞬きにも満たない時間だが、彼女の息子にとっては違う。

40年か、長くても50年60年の後に彼は死ぬのだろう。病気で、怪我で、もしくは寿命で。

 

 

 

 

 

 

両腕に込められる力が、強くなった。

物理的な意味ではほんの僅か。心理的な意味では筆舌に尽くしがたい程に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。