とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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問題児の章が始まりました。
とんでもなく長いです。



とある竜のお話 第二部 五章 4 (実質13章)

 

 

 

西方三島。

 

 

文字通りエレブ大陸の西方に点在する島々であるソレらは、未だ奥地まで開拓の進まない、一言で言ってしまえば未開の大地である。

この島は辺境というには余りにも巨大で、その面積はほとんどが山に覆われているといっても全てを合計すればリキア地方全土を悠々と凌ぐ広大さがあるだろう。

ここに住まうのは開拓者精神逞しい者たちか、それとも国家の力を恐れて周囲に隠れ家を築いて現在進行形でその規模を巨大なモノにしている海賊や山賊たち。

この島の海域では年に数回はエトルリア王国と海賊の大規模な捕り物劇が見られることだ。だが、巻き添えを食らうので野次馬はお勧めできない。

 

 

 

 

無数に島に連なる鉱山からは豊富に金属や宝石、その他の貴重な資源が採掘されることも近頃わかってきた。

だがまだこの島の奥地は気候の変動などが激しく、それに輪を掛けるように凶暴極まりない原生の獣が群れを成して生息することもあって人の手は余り及んではいない。

その結果、三つの巨大な島の内、未だ人間達はその2つにしか足を踏み入れてはいなかった。

 

 

 

皆が皆、この島に夢を求めてやってきていた。賊たちは自由への展望と欲望の発散を、開拓者は豊かな生活を求めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イデアは緊張していた。

 

 

 

理由は幾つかあげられるが、やはり一番なのは姉をあの水晶の牢獄から開放できるかもしれないという期待感が大きな割合を占めている。

既に使い慣れた転移の術にいつもより多量の魔力を込めて発動させ、光に包まれた先の空気が

いつも吸っているナバタのソレとは違う淀んだモノを含んでいるのを感じたとき、それは最高潮に達した。

 

 

 

ここは西方三島の一つで、最も広大な領土を誇るフィベルニア島。

他二島であるカレドニア島とディア島などとは違い、この島にはまだ余り積極的な移住は行われてはいない。

何故ならば、この島は民草に語り継がれる歌の中では恐怖の象徴として紡がれてきたのだから。

 

 

 

【狂戦士テュルバン】

 

 

人を勝利に導いた英雄に数えられる一人なれど、その実は最も人間と言う枠から外れた男。

彼は戦後に齎された自ら勝ち取ったであろう平穏を自分の手で破壊しようとし、そして流刑に処されたのがこのフィベルニア島。

獣が群れを率いるが如くに彼に従順に付き従う彼の軍も共に流されて、彼らはこの地をまるで亡霊の如く彷徨い、そしてある日を境に忽然とその姿を消したのだ。

 

 

 

それ以来、このフィベルニア島はその顔を一変させる。

確かにこの島には危険な獣が住み着き、付近の海流の影響から船の座礁は多く、天候さえも安定しない地ではあるが、それでももっと違う何かが変わった。

もっと冒涜的で、もっと深淵に通じ、もっと人の心に蛇の様に絡みつく恐怖を伴う何かがこの島の空気を淀ませている。

 

 

 

だが、今のイデアにとってそんなことはどうでもいいことだ。ささやか極まりなく、とるにも足らない。

空気が淀んでいる? 人が足を踏み入れることなど出来ない? おぞましいエーギルの波動?

それがどうしたというのだ。下らない。そんなことで、俺が姉さんを助けるのを諦めるとでも思ったのか。

 

 

 

ハルトムートは死んだ。そして他の神将たちも程なくその後を追うだろう。

一足速くいったモノの残骸どもが何をしてこようとも、全て踏み潰せばいいのだから。

 

 

 

 

ここまで考えてからイデアは気が付いた。まるで自分がテュルバンと戦いたがっている様な考えをしていることに。

冗談ではない。何が悲しくて危険に自ら飛び込むような真似を望まなければならないのだろう。

だが、だ。少しだけ気になる。無意識に握り締めていた手を顔の前まで持ってきて、ゆっくりと開く。

 

 

 

 

 

 

暗く高く笑いがこみ上げてくるが、それは視界の端にソルトを見た瞬間消し飛んだ。

彼はイデアと眼があった瞬間、小さくはにかむように笑って頭を下げる。

冷や水を被せられたように興奮が収まり、それに変わって冷静な思考がイデアを支配していく。

 

 

 

もう一度だけ、イデアは気配探知能力を使って眼は使わずにその力でソルトを“見た”

そして、思わず瞠目する。彼の着ている鎧と武器に驚きを覚えたのだ。

 

 

 

ソルトがその身に来ているのは何やら複雑怪奇な文字が無数にビッシリと刻まれた皮の鎧。見た目だけは少しおかしい程度のそこいらにある茶色いくたびれた色の皮の鎧。

もちろん刻まれてるのはただの文字ではなく、それそのものが力を持つ竜族の呪文であり、それは鎧の軽量化や防御能力の向上を約束している。

それだけではなく体力と受けた傷の回復速度の上昇さえも見込めるほどの一品だとイデアの魔道士としての知識は予想をはじき出す。

 

 

 

もしもこれを例えばエトルリア王国の権威ある魔道士などに見せたら椅子から飛び降りてから足元にすがり付いて譲ってくれと喉が壊れるほどに叫んでもおかしくない品だろう。

正に地竜の加護を受けた防具。この世で最も頑強に精魂込められて作られたモノの一つだろう。

あの地竜の性格上、身に余る武具などは渡さないだろうから、つまりソルトはこれを着こなせると彼女は踏んだのだろう。

 

 

 

メディアン……そうか、そうだなとイデアは胸中で頷く。今回のこの行為は俺の我がままだからこそ絶対に成功させなければならない。

ソルトが自分についていくと言った際の彼女の悟りきっていたような、それと同時に心配で泣き出しそうな顔を思い出すと胸が針で刺されたように痛む。

 

 

 

成功とは誰も欠けることなく誰も怪我などを負わずにアルマーズを持ち帰り、なおかつソレを誰の仕業か判らないようにすることだ。

 

 

 

だが、とイデアは空を見上げる。そこにあるのは少しだけ雲が多く、決して快晴とはいえない夜空。見れば月は雲の隙間に見え隠れしており、周囲には霧が出始めている。

問題はそこではない。物理的で人間の視界でも見える自然現象ではないのだ。このフィベルニアにある問題は。

 

 

 

 

先ほども感じたが、やはりここいら一帯、フィベルニアという島全体の空間の異相が少しおかしい。

少し? 否。かなりおかしい。

言うならばあの殿に似ている。激しい戦いによって破壊された世界の狭間へと流された殿と同じようにこの西方三島のフィベルニアは歪んでいた。

 

 

 

 

これは正直な話、嬉しい誤算である。もってきた術式を使わないで済むとなればその分力を節約できる。

竜の力を使い地脈から力を組み上げるための井戸を掘り、そこから汲み取った力で周囲一帯を

世界ごと擬似的に殿の様にエレブから隔離してしまうつもりだったのだが、それも必要は無くなった。

 

 

 

 

「目的地の場所は既にメディアン様から聞いていますわ」

 

 

 

 

アンナが人差し指を立ててその先端に小さな火を灯す。

彼女がふっとそれに息を吹きかけると、産みだされた火の玉はふわふわと浮遊をはじめ、飛んでいく。

鬱蒼と茂る森林の闇を真紅の火が切り裂きながら進んでいくのをイデアとソルトは見て、同時に頷いた。

 

 

 

 

「付いて来い。ソルト、お前は俺の傍を離れるな」

 

 

 

 

顔は向けず、声だけを突き刺すように言うと、イデアは自信に満ちた足取りで歩を進め、その背後を人間と火竜が続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンナの産みだした火の玉を追って、ある程度歩いた三者はとある洞窟の前でぴたりとその足を止めることになる。

周囲を見渡してみれば、相も変わらず気が滅入ってしまいそうなほどの深い森に覆われており

特にここは樹齢何百か何千もの木が交互にその枝を伸ばして空を覆っているため、まったくといっていいほど月の明かりは入ってこない。

 

 

 

そして何よりイデアが違和感を覚えたのは、周囲に全く命の気配がないことだ。

普通、蟲にせよ、動物にせよ、そこに居れば何らかの音や空気の流れ、呼吸、無意識に放出している熱などでその存在を感知できるのだが、ここには全く何もない。

もう少しだけ範囲を広げて周囲の存在を“見て”みたが、結果は変わらない。動物どころか蟲さえもいない。

 

 

 

彼は既に一度この状況を体感している。あの夜【殿】へと戻った日に。

あの日よりも格段に向上を果たしている気配探知能力は一つだけあの時とは違うモノをイデアへと届ける。

興味深い波長をイデアは捉えた。彼はイドゥンやメディアンの様に精霊との対話こそ出来ないが、精霊の存在を薄く感じることぐらいならば出来るのだ。

 

 

 

 

 

そんな彼が精霊から受け取ったモノ、人間で言えば感情とも表せるソレは一つの意思に染まりきっていた。

即ち【恐怖】に。精霊達は何かを恐れていた。怖くて怖くてたまらないと幼子の様な叫びを上げながら、必死にその念を全方位へと飛ばしている。

あぁ、嫌な予感がしてきた、とイデアは内心ごちりつつ勤めて温和な笑みを浮かべてソルトに向き直り、小さく笑いかけた。

 

 

 

 

 

「今ならまだ間に合う。帰っても誰もお前を責めないし、俺が絶対に責めさせない。引き返すなら今の内だ」

 

 

 

 

出来るだけトゲを抜き取り、言葉を選びながら告げる。事実イデアはソルトの事を足手まといなどと欠片も思ってはいない。

だが彼には帰りを待つ母親が居て、ここから先は困ったことによく当たる直感が危機を次げている以上、碌なことにはならないだろうからこその言葉。

絶対などありえない。万が一にでもソルトを失ったら自分はメディアンにどう顔向けすればいいのか。

 

 

 

いや、違う。違うのだ。実際はそんな屁理屈をこねくり回した模範的な答えではない。単純にイデアは、ソルトを失いたくないのだ。

だが、困ったことにイデアはそれとは逆の思いも抱いている。

即ち、出来るならば共に戦いたいと。だが彼を危険に晒すのは嫌だ。

 

 

 

共に戦いたいのに、彼を戦わせたくない。ぐちぐちと理屈ばかり捏ね回す自分に本当に呆れをイデアは覚えた。

まるで駄々を捏ねる子供の如く要領を得ず、矛盾している心を出来るだけ押し殺してイデアはその裂けた瞳孔でソルトを覗き込む。

 

 

 

少しだけ髪と同じ紫がかった瞳を見せる人間は、千の言葉よりも一対の瞳で心象を語った。

無言で、しかし確たる意思を変わらず宿す人間の眼に遂にこの頑固で理屈ばかり捏ねる神竜は根をあげる。

大きく溜め息を吐いて、人差し指をソルトに向けて横に一閃。

 

 

 

宙に一筋の黄金が刻まれる。

指先から迸った黄金の力がソルトに纏わりつき、やがては包み込むように彼の体を覆ってから溶ける様に消える。

黄金の波動による守護。少しでもソルトを守るためにイデアは彼が着ている鎧に掛けられた守護に更に大幅な補正を掛けたのだ。

 

 

 

それは元々あった地竜の加護の効果を底上げさせ、そこに更に神竜の加護を加える。

例えばそれは筋力や体力の増加だったり、精神の安定を保つ守護、動体視力の上昇などなど。

まず間違いなく世界でも最強クラスの高位の術による加護を与えてもなお、イデアは満足できずにその頭をかしげる。

 

 

彼の頭に一つの術が浮かぶが、瞬時に彼はそれを却下する。

人間の身に与える加護としては強大に過ぎ、一日も身体が持たずに朽ち堕ちる術など掛けるわけにはいかない。

 

 

 

さて、もういいだろう。気を取り直して神竜はぽっかりと開いた洞穴へとその視線を走らせる。

匂いが、する。独特な肉の腐敗臭が。硫黄の匂い。鼻腔を蹂躙する死臭。

そして、それはこの洞窟の中から漂ってくる。おおよそ人外染みた圧倒的な敵意と共に。

 

 

 

またか、とイデアは思った。どうして、こう、俺の敵は皆が皆、化け物ばかりなのだろうか。

隣に佇むアンナの気配が急激に冷たくなっていくのを頼もしく思いつつも、イデアは大きく深呼吸をした。

二度三度、新鮮な空気を肺に取り入れて気分を丸ごと入れ替える。恐らく起こるであろう戦闘に備えて思考が冷たく冴え渡り始める。

 

 

 

 

金属が空気を切り裂く甲高い音と共にソルトが腰に固定していた一本の長剣を軽々と引き抜く。

見事な銀色の刀身は実用にも耐えられるほどに頑強であり、この剣にも一つカラクリがある。

刀身が薄っすらと紫色に輝きを放ち始め、その刃に不可思議な文様が浮かび上がった。

 

 

 

ぶぶぶと羽虫が羽ばたく際に発生させるだろうあの生々しい音にも似たうめき声を上げて、剣は発光している。

 

 

 

 

 

【ルーンソード】

 

 

 

 

この剣に切られたモノのエーギルを奪い取り、それを持ち主に還元させる。それがこの剣の能力。

当然、メディアンが丹念に術式を幾重にも重ねて加護を与えたこの剣は普通の剣として使うにも問題ないほどの力があるだろう。

更に言うならば、この剣はメディアンの加護の影響で純粋にこの大きさの剣としては“軽い”のも特徴の一つといえる。

 

 

 

 

しかし、イデアが一番驚いたのはそこではない。

確かにこの剣は素晴らしいが、殿から様々な武器などを回収してきたイデアにとっては余り珍しいとは思えないから。

メディアンという地竜の力を考えればこれぐらいの武器は、多少時間を掛ければ作れると知っている。

 

 

 

 

問題は、ソルトの眼だ。意識の切り替えを行った彼の眼は、既に少年ではなく、一人の戦士のソレだった。

冷静に全てを客観的に見る冷めた思考を宿し、周りを冷静に観測し、自らが何をするべきかを模索する眼。

そして、今の彼が纏う気配にはどうしようもないほどにメディアンの影が見える。

 

 

 

 

こうみると、あぁやっぱり彼は彼女の息子なのだと改めて実感せざるを得ない。

あの地竜に何年も鍛えられているのも知っているし

彼が誰を目標にして必死に自分を磨き上げているのも知っているイデアは眩しいモノを見るように眼をすぼめる。

 

 

 

 

気を取り直すように一度閉じた瞳を再び開くと、神竜の眼は剣呑な輝きを宿し、黒々とした穴を覗かせる洞窟を見据えた。

竜族の暗闇の中でも見通す眼は、確かにその中に存在する、隠すことなどかなわない狂気の渦を目視する。

殺意。敵意。悪意。狂喜。狂気。そして血と破壊。ただの言葉としての概念でしかないソレを、イデアは確かに物理的に感じて、見た。

 

 

 

それらの密度たるや、かつての殿に巣食っていた死に底ない共とは全てにおいて次元が違う。

もっと規則正しく統率されていて、それでいて戦意よりも更に深い何かが噴出している。

 

 

 

 

だが、神竜はソレら全てを直視しても平然と鼻で笑う。あぁ、また死にぞこないの掃除が始まるのかと、彼は思っただけだ。

ソルトとアンナの顔を見て、彼は小さく頷くと躊躇いもなく歩を進める。一歩一歩、まるで敵の陣地を蹂躙する騎馬の如く。

目指すはこの万魔殿の深層。そこから漏れ出る力は紛れもなく自らの望みをかなえるのだから。

 

 

そして空虚な穴を晒す漂う腐臭の根源へと、悪意に満ち満ちた深淵へ神竜は足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

洞窟の暗闇の中をトーチの光で切り裂きながら進みつつ、イデアは底知れない不快感に襲われていた。

針のむしろという言葉があるが、正にソレは今の彼の状況を的確に言い表している。

イデアの持つ能力の一つであり、常に彼を有利な状況へと導いてきた力である広範囲に渡る広く深い気配探知能力、今はその力が彼に負担を掛ける鎖となってしまっていた。

 

 

 

視線で人を殺せるとしたら、既にイデアたちは幾百回も死んでいたことだろう。

それほどまでに苛烈な殺意と悪意が来訪者たちを出迎えていた。

 

 

この洞窟に入り込んだ瞬間から一時の休みなく全方位から隙間なくびっしりと殺意を向けられ、その感覚が麻痺してきている。

あぁと溜め息を吐きたい衝動を必死にかみ殺しながらイデアは少しだけこの洞窟に巣食うものらへの評価をあげた。

なるほど、確かに竜を殺す方法はわかっているらしい。先ずはその鋭敏な感覚を封殺するところからくるとは。

 

 

 

だからこそ、自身の背後で意識を戦闘へと極限にまで研ぎ澄ませたことが見なくてもわかる火竜の存在が頼もしく思えた。

そして人間であるからこそ、全方位からの濃厚な殺気の嵐に惑わされず、慎重に明確な害意を探る男の存在もだ。

であれば、自分も遅れを取るわけにはいかないだろう。この身はただ守られるだけであってはならないのだから。

 

 

 

 

そう考えた瞬間、イデアの頭の中に巣食っていた傲慢な考えは身を潜め、彼の思考の中に人間が持つ臆病さが宿る。

慎重に、神経質なまでに精神を集中させてソルトがやっているのと同じように余分な情報を廃し、明確に、今自分たちを傷つけようとする殺気だけを探す。

それはまるでメディアンが精霊の声を聞き分けて、必要な言葉だけを拾い集めたのと同じ行為にも思える。

 

 

 

 

 

 

惑われてはいけない。周囲に飽和するほどの害意全てを相手にしていたら精神だけをすり減らす結果になる。

こんな単純な事実に気付けなかった自分と、何も言われずにソレを実行していた二人にイデアは内心小さく賞賛を送ると、視線を走らせる。

灯りに照らし出された周囲の壁や床はここがただの洞窟などではなく、何かの神殿であるかのように石のタイルなどに覆われている。

天井は高く、果てが見えず、ただ闇に支配されているだけ。眼を凝らして奥を見ると、時折壁にある亀裂から何やら危険な感じのする白濁したガスが勢い良く吹き出ていた。

 

 

 

 

どうやら洞窟の中に立ち込める硫黄の臭いはあのガスが原因らしい。

絶対にアレは浴びたくない。心底イデアは誓うと、歩を進める。

 

 

 

 

 

暫く歩き続けると、三人は多大な広がりを見せる奇妙な空間に出た。

今彼等が歩いている道は決して狭くはなく、むしろ高級な馬車を二、三台横に並べても大丈夫な程の横幅があり

加えて道そのものもある程度整地されており、歩く分には問題はない。

 

 

 

何故、このような場所に人の手が入っているのかイデアは疑問に思ったが、直ぐにそんな考えは消し飛ぶ。

そこから見えた景色は、ある意味人の記憶に焼きつくだろう。そして同時に、どれほど自分が矮小な存在かを理解させられる。

地獄という場所をイデアは信じていないが、ここをそうだと言われれば思わず頷いてしまうだろう。

 

 

 

 

ソコは、正にこの世とは思えない程に異界染みた場所だった。

 

 

 

道の端は崖の様に切り立っており、遥か奈落の底に続いている。

その底では流動する濁った川が流れており、竜の視力はその川が赤黒く濁った色彩を放つところまで見抜く。

そう、まるで人の鮮血を垂れ流している色のような。そこから漂う匂いも鉄が錆びた様な、鼻腔を苛める臭い。

よく見ると、川の表面には無数の気泡が発生しており、まるで川底に無数の生き物が居るようにも見える。

 

 

 

深淵から、何かが此方を狙っている。そんな想像が頭をよぎった。

遥か彼方に見えるのは無数の巨大な柱。殿を支えていたのと同規模の柱が幾本も天に屹立しており、この洞窟を支えていた。

柱は不気味に紫色に光りを放ち、この暗闇の空間に一定の光明を与え、視界を確保させる。

 

 

 

この洞窟に入ってから送られ続ける殺意と悪意は減衰するどころか、むしろよりその勢いを増していく。

肌がチリチリと痛み、知らず心臓の鼓動が早まる。だが、決して余裕は失わずにイデアは周囲を見渡して、気がついた。

此方に一際濃度の高い憎悪にも似た、既に怨根という領域にさえ到達する殺意を向ける存在に。

 

 

 

 

来るな、来るな、来るな、来るな──。

 

 

 

感じるのは明確な排斥の想い。それでいて、そこに混ざるのは矛盾染みたよくぞ来たという歓迎の思念。

二つの対極の意思を送る存在を探すように視線と過去最高の錬度で研ぎ澄まされた“眼”を走らせて……見つけた。

 

 

 

 

 

たどり着くのは、ちょうどイデアたちの正面にある巨大な石柱の前に微動だにせず座する存在。正確には台座の上に固定された像だった。

 

 

 

ソレは、人間ではなかった。ソレはもっと言うならば、生き物でさえない。こんな存在を生き物と認めるのは、全ての生物への愚弄だ。

鷲の翼と足を持ち、頭部には山羊の角を生やし、人間と同じ手を持つ存在。

全身に積もったのはこの存在がどれほど長い年月動かなかったのかを示す埃の山。

尾っぽには無数の鱗があしらわれており、その先端は巨大な戦斧となっている。

 

 

 

 

鷲とも人間とも取れる顔を持つ像が被った仮面の内側より不気味な光が零れる。ソレが全ての合図。

 

 

 

全身を青銅で作られ、ただの金属の塊でしかなかった存在に魔術の外法で仮初の意思を与えられた存在。

本来動くはずのないただの像が不気味に軋み鳴る。ぱらぱらと音を立てて積もりに積もった埃や石礫が像から剥がれる。

像が手に握るのは巨大な、人間が扱うことを想定していない太く、長いハルバード。一振りで、馬車さえも粉々に解体するだろう重量と威力を秘めた武器。

銀製のソレは魔術による加護の影響か、朽ちることなく鈍く輝いている。

 

 

 

 

 

 

───!!!!!

 

 

 

 

 

巨大な怪物は喜びの声をあげる。久しぶりの獲物を狩れるという事実に。

飛竜の如き翼が金属の擦れる音と共に広がり、その表面が不気味に、まるで生物の如くさざ波を立たせる。

青銅の羽が踊り、金属の翼が浮力を得て、この怪物は天へと飛び立った。

 

 

 

ソレの名前は、ガーゴイルといった。金属に特殊な加護を与え、作り出される存在。

モルフ・ワイバーンに代表されるモルフへの対策を人間がしていないはずがない。

戦闘竜やワイバーンに対抗するために人類が作り出した兵器が、その本来の役目を果たすべく動き出した。

 

 

 

 

 

 

───!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

ガーゴイルが再度、巨大な咆哮をあげる。人間の可聴領域を超えた絶叫が洞窟全体へ、そしてこのフィベルニアに轟き、浸透。

万象を揺らす号砲。それこそが開戦の火蓋。今この瞬間に戦いの幕は切って落とされた。

 

 

 

血の川が沸騰するお湯の様に激しく粟立ち、その中から無数の鎧兜を着込んだ亡霊共があふれ出す。

既に全ての者に肉など付いておらず、骨か、よくてもミイラ化している死者の軍勢。だが、肉体は滅べども戦意だけは最高のままだ。

その手に握るのは残らず竜殺しの剣であり、槍であり、斧、弓矢、ハルバードの数々。

各々が、歓喜と憎悪の入り混じった吐息とうめき声を漏らし、狂戦士の眷属らは嬉々として戦いへと赴く。

 

 

 

既に人であったときの精神はなく、今あるのは久方ぶりの戦いに酔いしれ、踊り狂う亡者。

骨しか残らない五指でしっかりと崖を罅割れる程に握り締め、のぼり始める。人であったときの三倍はある速さで無数の骸たちが崖を上る光景は、何ともおぞましい。

地獄の底から這いずってくるような錯覚さえ抱かせる光景を前に、イデアは溜め息を吐く。

 

 

 

 

イデアが肩を竦めた。三度目の戦いも、やはりまた化け物相手か、と。こいつらはもう見飽きたのだが。

おどけるように背後に振り返り、彼は軽口を叩く。まるでここが酒場で、友人と取りとめのない話をしているように。

 

 

 

 

「見ての通り化け物相手だが、怖くないか?」

 

 

 

「まさか! 怒った母さんの方が百倍怖いですよ」

 

 

 

「私は先代の長を知っていますので」

 

 

 

 

各々が、記憶の中にある最強にして最高の存在を引き合いに出し、眼前のガーゴイル、そして死者の軍団などソレの足元にも及ばないと断ずる。

全身に浴びていた殺気が更に膨れ上がり、全方位から先ほどとは次元が違う密度の害意を叩き込まれながらも、イデアたちの行動は早い。

ソルトが剣を引き抜き、片手で持って構え、アンナは竜の力の一部を竜石から引き出し、背から紅い光を吐き出す。眼が爛々と輝き、彼女の周りだけが陽炎の如く揺れる。

 

 

 

そして、イデアは自然体そのものな動作で棒の様に直立しつつ空を飛ぶ魔物の像をその縦に瞳孔が裂けた紅と蒼の眼で睥睨。

力の込められた竜の眼はこの魔道によって産みだされた存在の全てを軽々と解析する。解析妨害の為の術など、神竜の力の前ではゴミの様に破られ、全てを赤裸々に。

次いで、このガーゴイルの全てを“理解”したイデアはつまらなさそうに息を吐くと、右腕を胸の前まで持ち上げる。

 

 

 

神竜が邪魔だと言わんばかりに自らに空中から切り込んできたガーゴイルに狙いを定め、力を行使。

ギギギギギギとイデアの逆鱗を逆なでする、まるであの時の飛竜の如き声を聞いてイデアは顔を顰めた。

 

 

 

あぁ、うるさい。その声はもう俺のモルフ以外からは聞きたくない。

そんな意思と共に、イデア本人からすればささやかな力が発動する。

 

 

 

 

自らの自重を利用し、ハルバードを上空から振り下ろそうとしたガーゴイルの首に黄金の光が纏わり付き、強引にその軌道を捻じ曲げる。

これは首を締め上げるという行為の逆。首を中心に、ガーゴイルの体躯が強引に“沈む”

まるでそこだけ重力が異常に強くなったかのように、ガーゴイルが地面へと吸い込まれ、必死に空中に止まろうとする行動を嘲け笑う様に背から無遠慮に引きずり落とされた。

 

 

 

 

刹那、金属が砕けるような轟音が、空間を震わせ、蹂躙。

事実、落下の衝撃でガーゴイルの翼は砕け、半分ほどの大きさにまで小さくなり、これでもうこのガーゴイルは飛行できない。

大地を揺らす振動と共にガーゴイルが地面に縫い付けられ、無茶苦茶に尻尾を振って暴れまわる。

 

 

首輪の様に首に纏わり付いた光がガーゴイルを大地に縛りつけ、その動きを阻害した結果、この魔物は飛行能力やその巨大な武器を振り回すことさえも許されない。

尾の先端に植え込まれた巨大な戦斧が風切り音と共に振り回され、ようやく崖上に到達した死者の一部を崖下に叩き落す。

まるで出来の悪いコントの様に亡霊が叫び声を上げて奈落の底に強制退去させられる光景は傍から見れば滑稽にも見えるだろう。

 

 

だが、ガーゴイルは必死に自由に動く尾をもって、イデアたちをなぎ払おうとその全身を這い蹲りながらもじわじわと動く、その暴威を侵入者に与えるために。

そしてその行動は、イデアを不愉快にさせるだけだった。ただでさえ、この巨体が道を塞いでいて通れないのに。

 

 

 

この場で最も強い力を持つ神竜が、その尾を目障りと感じた瞬間、その意は速やかに実行された。

ただし、神竜は何もしていない。彼の意を迅速に汲み取り、動いたのは彼の部下であり、心からの信頼を与えられている者だった。

 

 

彼は一歩イデアの前に踏み出し、柄をしっかりと、しかし決して緊張などせずに握り締める。

今彼が立つその場所は無茶苦茶に振るわれる破壊の戦斧の次の動線上でもあるが、彼はそんなこと気にも留めない。

 

 

 

ふっと、腹の底から息を吐き出し、動作に乗せる呼吸。

全身の筋肉が収縮し、圧縮された力が一気に開放される気配。

イデアの頬を撫でるのは、小さな空気の揺らぎ。魔剣が暗の軌跡を残し、過ぎ去った残照だけ。

 

 

 

竜の眼は全てを事細かに見ていた。

カマイタチの様に振るわれたルーンソードの一太刀が、見事に無秩序に動き回るガーゴイルの尾を正確に捉えて、先端から半分ほど両断するのを。

切り刻まれたガーゴイルの尾が生き物の如く暫く震えた後、動かなくなるのも。

 

 

 

そのまま彼はガーゴイルの尾を俊足で駆け上がり、既に半分ほどの大きさにまで削られていた翼を根元から切り飛ばし

最後に両手で握った剣の一撃でガーゴイルの仮面を叩き割った後、余裕さえ感じさせる動作で飛び降り、大地に足をつける。

 

 

その軌跡を縫うように紫の残光が後を追い走りぬけ、光粉を撒き散らす。

ルーンソードによって奪い取られたエーギルと魔力が撒き散らされた結果だ。

 

 

 

だが、ガーゴイルは生き物ではないが故に痛覚など存在するはずもなく、怯まない。

身体の一部を失ったにも関わらず、取り乱すこともなく動き続ける。我武者羅に手足を動かしてもがく姿は滑稽で、哀れにも思える。

だが、既に手はうってある。そもそもの話、ルーンソードで切られた時点で全て終わっていたのだ。

 

 

 

ガーゴイルに宿る魔力が急速に薄れる。ソレは幻想的な粒子となり、かの怪物の身体から引き剥がされていく。

青銅の身体から青白い光が散華し、それは無数の光の粒子となり飛び交い、そして魔剣へと引きずり込まれて、食われる。

全ての活力を奪い取られ、この石魔は今度こそ二度と動かない、ただの彫像品へと堕ちる。

 

 

 

全身を支えていた妄執とも言える術式が機能を失い、ガーゴイルの四肢が長い年月の歩みの影響を受け、一瞬にしてボロボロと崩れていく。

数秒後には、そこにあったのはただの青銅の山だ。しかも、現在進行形で煙を上げて、猛烈な勢いで酸化していくボロ屑。

 

 

 

 

これこそ、ルーンソードの能力。刀身に宿る力は闇魔法【リザイア】と同等の威力を誇るエナジードレイン。

しかも厄介な事に本来ならば連続使用などは不可能なはずのこの剣は、地竜メディアンの加護によって無尽蔵の耐久力を誇る凶悪な武具へと化していた。

だが、ソルトはその剣に頼り切ることはない。彼にとってこの剣は母から貰った大切なモノではあるが、同時にただの道具に過ぎないのだから。

一番母が喜ぶのはこの剣を壊さないことではない。自分が無事に家に帰ること。それを理解しているからこそ、彼は何処までも冷淡に戦闘を行えた。

 

 

 

“欲しいなぁ”と胸の奥から燃え上がるように湧いてきた情感を封殺しつつ、イデアは周りに更に“眼”を送り、状況を第三者の視点から見渡す。

ワラワラと獲物に群がるハイエナの様に何百何千もの骸を晒した死人が真紅の川からあふれ出てくるのを“見て” 次いで彼はその瞳を空中に動かす。

 

 

 

 

──この遺跡に設置されていた全ての像魔から、不気味な唸り声がし、その口元から獰猛な敵意があふれ出す。

   仮面で隠された顔の奥には、隠しきれない、それだけは全てが作り物のガーゴイルの中でも唯一本物と言える殺意があった。

 

 

 

ソレは獲物を見つけた狩人の喜び。そしておぞましき竜族を見つけた防衛行動。

当然、ガーゴイルは、戦闘竜やモルフ・ワイバーンなどに対抗して作られた兵器であるが故に、あの一体だけではない。

そして、この魔窟に配備されているのはかつてテュルバンの軍団に属し、彼と共に戦い、そして彼と共に追放された個体たち。

 

 

 

その戦闘力と団結力は予想が付くだろう。

そしてそんな化外が動いているということは、この魔境の支配者もある程度は予測がつく。

 

 

 

 

あぁ、不愉快だ。不愉快極まりない。俺はただ、姉さんの為にアルマーズを“貰いに”来ただけなのに。お前達、どうして邪魔をする?

不愉快極まる障害物ども相手に無尽蔵に膨れ上がる不快感を意識しつつも、イデアは軽く腕を振るった。まるでハエを払いのけるように。

瞬間、ボロ屑の山が一つ残らず退かされ、崖下へと堕ちていく。金属の雨によって無数の死者どもを道連れにしながら。

 

 

 

 

 

少しだけ気分が爽快になったのを感じながら、一歩を踏み出し、再度宙に眼を向ける。

既に稼動を終えたガーゴイルが何体か、こちらに向けて飛翔してくるまでが認識したが、そこまでだ。

 

 

 

幾筋かの真紅の細い閃光が暗闇を縫うように走った。

竜の眼でなければ捉えられないほどの超高速の光は、狙いを絞られた矢の如くガーゴイルに命中。

周囲の空気が飲み込まれる様に収束し……瞬間、宙を舞っていた3体の青銅の魔物は轟音と共に砕け、無数の破片を撒き散らす。

 

 

呆気なく青銅の身体がバラバラに粉砕され、奈落の底へと堕ちていく。

そして最後に追い討ちをかけるように飛び散った青銅の破片が真紅の炎に包まれ、蒸発。周囲に焼けた鉄の嫌な匂いが撒き散らされ、空間を汚染。

 

 

 

 

通常の数倍の魔力を込めて発動したファイアーを、極限にまで圧縮して攻撃に転化させた結果がこれだ。

放たれた光弾は、着弾と同時に激しい衝撃波と熱を撒き散らし周囲を粉砕するモノ。その威力はこれをまともに喰らったガーゴイルを見れば判るだろう。

 

 

 

何が起きたかなど、考えるまでもない。こんな現象を起こせるのはこの場に居る中でもただ一人だけ。

神竜の背後に控える火竜の眼には何も映ってはいない。ただ、邪魔な存在を破壊した彼女はいつもと変わらないあの微笑を浮かべて無言で先に行こうと述べていた。

ただし気配だけは何時もの様に飄々とした柔らかいモノではなく、冷え切ったナイフの如き冷徹さを帯びている。

 

 

 

 

 

そんな火竜を見てソルトが苦く笑い、イデアは一瞥する。次いで神竜は首を傾げた。さて、どうしようか、と。

唸り声とも、喘ぎ声とも知れぬ恐ろしい息遣いをしたモノらが無数に這い上がってきているのを思い出したのだ。

 

 

 

使うか? 

 

 

 

直接戦っても勝てない事はないが、消耗するし、何よりも面倒くさい。それにわざわざそこいらの蚊にブレスを吐きかける竜などいない。

懐に忍ばせた魔道書に手をやって考える。時間にして数秒にも満たない時間だったが、直ぐに答えは出た。

見れば既に亡者の群れの第一波は崖を昇りきっており、その身に携えた武器を手にこちらに切り込もうとしているが、イデアは動じることはなかった。

 

 

 

一番槍を切って突っ込んできた亡者の首を無造作に伸ばした右手で締め上げ、そのままへし折る。

更に力を込めると首の骨が完全につぶれ、付け根から捻じ切られ、そこらへんに転がった。胴体だけが彼の手に残る。

 

 

ミイラのように砂が混じった肌にはほんのりと血液らしき液体が付着しており、既に頭部を失ったというのに胴体だけが無茶苦茶に痙攣を起こす。

お返しと言わんばかりにソレを思いっきり群れへとぶん投げてやると、亡者たちがドミノでも倒したみたいに次々と巻き込まれ、奈落の底へ帰還を果たす。

 

 

 

更に左の掌に全方位に今までは全方位に放たれていた波動を圧縮し、ソレを突き出す。

圧縮された黄金の波動は周囲に拡散していた時点で屈強な岩盤を灰に帰していたのだ、それが一点に収束したとなればその破壊力は推してしるべし。

巻き込まれた死者が十単位で塵に、灰に返り、華麗な雪のような結晶となり散っていく。

 

 

 

無論、こんなのでは時間稼ぎにもならないだろう。後列は次から次へとやってくる。

 

 

 

 

「アンナ」

 

 

 

 

呼びかけは一瞬。そしてアンナの行動も刹那の後に行われた。そこに言葉の応答はない。

黄金の波動が火竜に注ぎ込まれ、その力を大いに増幅し、何をすべきなのかを直接頭に焼き付ける様に送りこむ。

 

 

竜石が赤熱するように発光し、万物を焼き尽くす力が発動。

紅く、閃光を帯びた腕を今正に崖の頂上に到達し、溢れるばかりの狂気を骸に貼り付けた亡者達に向けて振るう。

 

 

 

 

 

 

【オーラ】 【ボルガノン】

 

 

 

 

神竜の力と火竜の力が合わさり、一つの大魔術を展開する。それは二つの術の複合技。

顕現したのは炎というよりも紅い光の壁であった。それがピッタリと通路の縁を覆いつくすように展開されている。

業火の様に音を立てながら燃えるのでもなく、雷撃の様に電流を纏っているわけでもない、ただの光の壁。

 

 

 

防御の術も、使い方を変えれば牢獄にも堤防にもなるのだ。

万象を焼き焦がす最大にして最上級の炎系理魔法と、神竜が行使するその身を守護する絶対の加護。

この二つが合わさり、その特性を融合させた結果でもある。

 

 

 

ステンドグラスの一種とさえ思えるその壁を見て、亡者は何も思わない。そもそもの話、彼らはこの壁を認識さえしていなかった。

もしも彼等が生前の思考能力を保っていたなら、絶対に何かあると思っていただろうが、それは全て仮定の話だ。

 

 

 

無数の白骨化した身体に鎧兜を纏った死者達が壁に群がり、そして唐突に消えてなくなった。後に残るのは無数の舞い散る粒子だけ。

全身を灰や錆に変えて、その身を瞬時に焼き焦がされていく。彼らは苦痛の声さえも上げずに一瞬の後に滅され、この世からその執念ごと焼却。

そんな光景が何十何百と繰り替えされ、洞窟の中に怨嗟の叫びが満ちた。

 

 

 

 

剣を、槍を、斧を、下級の魔術を壁にたたきつけ、武器が粘性を帯びた液体にまで溶けると、次は素手で掻き毟りに走り、燃やされる。

既に妄執、執念というべき領域で竜への敵対心を燃やし、強者との戦いを渇望する亡霊は、いっそ哀れにさえ見えた。

 

 

 

何故殺せない。何故竜を切れない。竜は殺さなければならないのに──。

 

 

 

そんな迸る想いを竜の敏感な直感で感じ取り、イデアは鼻で笑った。

喧しい。お前たちの願いなど知ったことか。そもそも、お前達が攻めて来なければ俺たちは平穏を謳歌できたのに。

 

 

 

 

 

「先を急ぎましょう。さっさとここから出たくて堪りませんわ」

 

 

 

 

「それは俺もだよ」

 

 

 

 

 

優雅に微笑むアンナに同意するイデア、それに朗らかに苦笑しながらもソルトはルーンソードを掲げ、刀身を空に翳す。

そこに無数に飛び散った先ほどまで亡霊の身体に宿っていたエーギルの残片が吸い込まれていく。

刀身が更に美しく、宝石の如く輝く。それを残光を残しながらくるっと一回転させ、そのまま肩に担いだ。

 

 

 

 

「そもそもこんな所に長くいたい人なんて、絶対にいませんよ」

 

 

 

「あら? 私達は人じゃありませんわ」

 

 

 

「あぁ……そういえばそうだった」

 

 

 

 

そういえばそうだ、とソルトは思う。

一見、人間にしか見えないが、その実この眼前の両者は竜であり、もっている力は想像を絶するモノがある。

内心彼は肩を竦めた。それがどうした、と。僕は僕で堂々としていればいいのだ。

 

 

だからこそ、この洞窟に巣食うモノらを彼は気に入らない。何故、竜を知ろうとしなかったのか。

何で、排除することしか考えられない? 話をすれば普通に会話は成立するのに。意思の疎通だって出来る。

それは自分が子供で、世界の事を知らないから吐ける大言壮語だと笑われるかもしれないが、それでも彼はその一線だけは決して譲らない。

 

 

 

だって自分は、竜と家族なのだから。そもそも、竜人という種族がある時点で……。

 

 

 

緩んだ場の空気を締めなおすようにイデアが鋭い声で言葉を綴る。

 

 

 

 

 

「行くぞ。ここから先、まだまだ厄介な奴がいるかもしれない。気を緩めるのはこれで最後にしよう」

 

 

 

その言葉と同時にアンナは薄ら笑いを消し、全ての感情を封じ込めた能面の様な顔になり、ソルトの顔からも笑みが消え、その眼光が鋭くなる。

配下の様子にイデアは内心で満足を覚えつつ、無数に焼かれる亡霊の群れを見据えた。こいつらに帰りの邪魔などされたくない。

最後にイデアは腕を一振りし、念には念をと【オーラ】に力を注ぎ込み、その強度を万全に補強してから彼は更に奥深くへと足を踏み入れる一歩を踏み出す。

 

 

 

それに、だ。【ボルガノン】は炎系の中でも最上級の術であり、その業火は物理的だけではなくエーギル的な薪をくべてやればその炎は絶えない。

この場合は、自分から火に飛び込む者達全てが薪となる。

 

 

 

背後から響き渡る無数の呪に塗れた絶叫を後にし、彼らは更に深く天雷の斧を求め深淵へと潜行を続ける。

何もかも歪みきったこの世界で一つだけ確かなのはこの世界の最深部より感じる、圧倒的な力の塊の存在だけ。

僅かに感じる力の性質は荒れ狂う“暴風” 何もかも全てを壊さんと猛り狂う狂気の渦。

 

 

 

 

ふと、何か違和感を感じたイデアがその元凶である腰に眼を向ける。

少しだけ鞘から覇者の剣を二人からは見えない位置で抜き出して、その刀身を見やった彼は眼を鋭く細めた。

 

 

 

 

本来は磨きぬかれたガラスの様な光沢を放つ銀色の刀身はどす黒く染まり、代わりに無限に濃縮された闇が全てを塗りつぶしている。

その奥に何があるのかは、今は全く見えなくなっており覗き込む気さえも起きない。

コレは極大のイベント・ホライズン。闇という言葉でさえも表しきれない超深淵。

 

 

 

かつて、殿で【ゲスペンスト】を発動させる際にもこの剣は同じ反応を示したが、今のはあの時よりも重く、深い。

懐に忍ばせた【エレシュキガル】から、確かにイデアは心臓の鼓動にも似た音を聞いた。

 

 

 

万象を飲み込む黒い“孔”が剣の形を取っている。

直感的にイデアはこの“孔”の中に何を投げ入れればいいか理解したが、行動には移さなかった。

ジリジリと胸の奥底の“太陽”が輝きを強めるが、それも無視。

 

 

 

彼は剣を鞘に戻すと、そのまま何もなかったかの様に歩を進める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この魔窟は外側から予想された広さよりも遥かに広大だった。

そもそもの話、自然が作り出した迷宮染みた構造の洞窟は決して軍団一つを収容できるほどの広さではなかったのだ。

だが、条理を超えた怪物にはその程度のことなど些細な問題だった。

 

 

 

狭いなら広げればいい。住み辛いのならば作り変えればいい。怪物の思考は単純にして困難な答えを軽々とはじき出す。

本来ならば思っても出来ないだろう無理難題だが、この怪物にはソレを成せるだけの力があった。

この“場”をフィベルニアごとねじ曲げ、外界、即ちエレブからという意味で隔離させる。

 

 

 

 

そしてその内部の空間では絶対の存在として怪物は君臨。

その“モノ”の目的は単純明快にして、それでいて決して常人には理解など及ばないだろう。

第一に、この存在の目的を果たすのにはある程度の広さを持った領域が必要になる。

 

 

 

簡単に占領できて、なおかつ配下の存在を全て内包させることが出来るほどの面積をもった土地が。

 

 

 

 

次にその獲得した領土ともいえる土地を丸ごと作り直す必要がある。

季節を捻じ曲げ、空間を汚染し、内部の領域の隅々まで自分の眼と鼻が行き届くようにしなければならない。

何故ならば、そうすれば魅力的な獲物が侵入すると同時にその存在の強さを計るために色々な手を打つことが可能になるからだ。

 

 

自分が狩るまでもない雑多なゴミなど、眷属の餌にくれてやればいい。

 

 

 

西方三島の中の一つである大島など全ての条件を満たした理想的な地だ。

獲物が入ってきたならば、空間を閉じて閉じ込めればこの島は巨大な殺人瓶の役目を喜んで果たす。

 

 

 

そして最後に抗し難い餌を用意する。人という生き物は好奇心を抑えきれない生物だ。

辺境の島で次々と人が行方を絶っている。あの島にはとんでもない財宝が埋まっている。

そんな噂を流してやれば、彼らは砂糖に群がる蟻の様に夢と栄光を夢想しつつこの地にこぞって足を踏み入れることだろう。

 

 

 

程ほどに殺し、程ほどに生かして送り返してやれば、その噂には信憑性が増すだろう。

もちろん、生還させる者の頭は弄ってやるが。

 

 

 

 

そして最後に必要なのは思い切りの良さだ。これこそがこの存在がこの地を異界と変貌させた最たる理由。

もしも怪物の願いが叶ったとき、全力での戦いが求められるから。

そうすればこの地は理想的な巨大な闘技場となり、粉々に崩壊しようが構わない。

 

 

 

密閉された世界の中では、どれほどの力を振るおうが問題などないのだから。

 

 

 

それに必要となれば、このフィベルニアをエレブの地図から消し事さえも怪物は躊躇わずに行うだろう。

 

 

 

これらの条件を全てクリアした理想的な強者を選別し、それと戦うための罠が歓迎すべき侵入者を相手に稼動を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不気味な金属が無理やり引き千切られるような怪音と共に空間が、千切れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「困ったことになりましたわね」

 

 

 

 

 

 

暗く腐臭に満ちた通路を歩きながら、アンナは彼女にしては珍しく困惑した感情を顔に浮かばせて唐突に呟いた。

周囲には相変わらず飽和するほどの殺意と、吐き気を催すほどの死臭が漂っており、むしろその密度は先ほどより濃く、粘性を帯びている。

床や壁の岩盤などがまるで殿の壁のように紫色に発光し、周囲は薄暗いといっても視界を完全に奪われるほどのモノではない。

 

 

それに、ある程度奥まで侵入すると何故かひっきりなしに続いていたガーゴイルや亡霊兵の襲撃はピタリと止んだのだ。

まるで台風の目の中に入ったように。

 

 

 

 

「どうした?」

 

 

 

 

三人で一列になり歩く中、先頭を行くイデアは眼さえも動かさずに声でだけ問うと

三者の中で一番後方を警戒しながら歩くアンナは注意力を散漫させず、的確かつ簡潔に答えた。

 

 

 

 

「洞窟の外の世界との空間の連続性を絶たれたようですわ。つまり、私達はこの腐った臭いしかしない場所に閉じ込められたわけですね」

 

 

 

 

精霊を通して空間の広がりを感じ取れる竜は、顔色一つ変えずに主に現状を報告。

 

 

 

 

 

「それで? それがどうかしたか?」

 

 

 

 

答えるイデアの声には一切の感情というものが抜け落ちている。根本的に興味さえないのだろう。

何故外に出れなくなったことが問題なのだ? そう暗に彼は言っていた。

それもそうだと、アンナが無言で同意するように頷き、ソルトは周囲を最大限に警戒しているためか何もしないし、出来ない。

 

 

 

 

 

「?」

 

 

 

 

突如イデアが歩を止める。前方の暗闇の中、彼は一つの異物を発見したのだ。

周囲を染める圧倒的な黒の中、それは何気ない様に道の真ん中に配置されていた。

それは木製の四角い箱。上部が開閉するようになっていて、所々に金属で補強を成されている箱。

 

 

だがこの箱はどうやら長い間ここにあったらしく、全体に満遍なく埃が積もっており年季を感じさせる。

 

 

俗な言葉でそれを表すならば、宝箱と言うのだろう。そんなものが何故か道の真ん中に安置されている。まるで開けてくれと言わんばかりに。

速く開けろ。中身が欲しいのだろう? 取れよ。無機物の箱の全身から迸るのはそんな言葉の奔流。

 

 

 

何だこれは? ふざけてるのか?  

 

 

 

じぃっと宝箱を見つめるイデアは思わず胸の内側から失笑が零れそうになるが、それを押し留め、ゆっくりと宝箱に近づいていき、そのまま無視をして横を通り抜けた。

ただの箱から凄まじいまでの悪意を感じるのは恐らくこれが産まれて始めてになるだろうし、出来れば二度と経験したくない。

 

 

 

 

 

イデアに続いてソルト、アンナが箱の横を通り抜けて一安心したと思った瞬間……。

 

 

 

 

箱に変化が訪れる。ガタガタと内部に凶悪な生物でも閉じ込めたかの如く振動し、くぐもった呻き声を盛らし開閉部分がパカリと開いた。

多量の水が一度に落ちて大地を汚す。少しばかり白く濁った液体はまるで唾液のようだ。糸を引いてその液体は止め処もなく箱の開閉部分から落ちる。

 

 

 

本来ならば宝物が収まっているであろう箱の内部は完全な暗闇を孕み、その奥は窺えない。

変わりに箱から飛び出し、強烈な自己主張を行っているのは人間のソレと酷似した一枚の巨大な舌。

大きさで言えば成人男性の半分ほどの長さを誇る舌がべろべろと虚空を舐め回している。

 

 

 

強烈な飢餓にでも襲われているのか箱は忙しく息を吐き出し、涎をぼろぼろと撒き散らしてその全身を激しく揺らす。

その姿は子供がご飯を食べたいと駄々を捏ねている様を連想するだろう。

だが、幾ら凶悪な外見をしていようとも、箱は箱だ。既にあの舌が届く範囲からは外れているし何も問題はない。

 

 

 

そうイデアは想い、ならば一応倒しておこうかと手を掲げ、魔力を収束させる。空気が揺らぎ、鉤爪のように広げられた五指に雷が宿る。

 

 

だが彼の予想は裏切られた。それも最悪の形で。だが、彼は悪くないだろう。誰がこんな事を想像できたというのか。

 

 

 

 

まず、最初に、箱に手が生えた。何の前触れもなく箱の側面から人間と同じ形をした石灰色の手が。

そして次に箱の地面と接している面から腕と同じ石灰色の長い足と胴体が。ツルツルと表面が光るソレに毛は一本も生えておらず、そこだけを見れば美しい彫像のようだ。

あっという間に胴体をもった人間がそこに産まれ、指を海洋の捕食生物の触覚の如くたゆまなく動かす。

 

 

見れば箱の開閉部分の淵には無数の肉食動物の牙が生え揃っており、それらは涎で濡れそぼっていた。

 

 

 

8頭身の宝箱が舞う。

 

 

 

奇怪な呻き声と共に、箱面をした人間がイデア達に飛びかかった。くるくると踊るように片方の足を軸にし、もう片方の足で回転蹴りをかましながら。

無駄に華麗で、優雅で、そして何ともコミカルな姿だったが、これに襲われる方としては堪ったものじゃない。

 

 

 

 

 

「────っっ!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

絶叫。恐らくは、イデアの生涯最大の。

 

 

 

それも余りに感情が篭もりすぎて声と言う形さえ取れない息の放出を漏らしながらイデアはとにかくありったけの力を込めて【サンダー】を指先から噴出させ、バックステップで距離を取る。

入れ替わるようにソルトが【サンダー】を浴びないように注意を払いながら数歩前に出て、先ほどルーンソードに吸収させた力を解放。

 

 

紫と黒をかき混ぜた色彩に刀身が染まり、先ほどこの剣に食われた亡者らのエーギルが解放を求めて暴れ狂い、空気を淀ませる。

そしてソルトは音に匹敵する速度でソレを躊躇なく横に振りぬいた。

雷の濁流の中をくるくると独楽を思わせる動きで突き抜けてくる箱面に紫色の刀身から伸びた透明の“斬撃”が大顎を開けて噛み付く。

 

 

 

エーギルを取り込めるルーンソードが、エーギルを放出できないという道理は何処にもない。

三日月を思わせる形をした純粋なエーギルの刃が箱面を真正面から殴りつけ、その全身を安々と吹き飛ばし、その身体を大きく損傷させた。

 

 

 

更に追い討ちとばかりにアンナの指先から圧縮されたファイアーが放たれ、それはピンポイントで箱面の足に命中。

紅蓮の爆砕が、そのおぞましい彫像染みた足を下半身ごともぎ取る。もちろん彼女は周囲に埃を撒き散らすという愚などおかさない。

 

 

 

 

 

「イデア様、落ち着いてください。あんなのただの……」

 

 

 

 

ソルトが冷え切った眼で箱面を視界に納めながら言葉を紡ぎ、一旦彼はこの存在をどう形容していいのか判らず、何とか言葉を見つける為の間をあけた。

そうだ。母さんは確かああいう存在をこう表していた。

 

 

 

 

 

「変態じゃないですか」

 

 

 

 

 

その姿を横目で見て、イデアは心底胸を撫で下ろしていた。あぁ、本当にこいつを連れてきてよかった、と。

眼を箱面の変態に移すと、どうやらあの存在は先ほどのガーゴイルと同じく無機物らしく血などは一滴も出しては居ない。

それに、よく見てみると意外と可愛いではないか。まぁ、今はどうでもいいことだが。

 

 

 

箱面は息のあがった犬の様に涎を撒き散らしながら無様に地面に這い蹲り、ナメクジの這うような速度でこちらに向ってきている。

 

 

 

 

だが、既にイデアはソレをみていない。視界には納めているが、彼の直感は別の存在を見ていた。

こんなモノよりも遥かにおぞましく、醜く、そして強い存在を。それも一つではなく、無数の。それでいて全体で一つの意思を共有している。

完全に連携の取れた、最高のコンビネーションを誇る存在。先ほどの亡霊兵など、これに比べれば赤子だ。

 

 

 

いや、そもこれは一つの脳しか持っていない。それも多数の脳髄を無茶苦茶にかき混ぜた混沌とした。

 

 

 

 

何かに試されているのか? そんな考えがイデアの脳裏をよぎる。

出し惜しみしているのか、それともこちらが四苦八苦する様を見て愉悦に浸っているのか。どちらにせよ、気に入らない。

 

 

 

 

べちょりと、重量のあるヘドロのようなものが天井から落下し、箱面に圧し掛かる。

最初は一つ。二つ。三つ。最後は夏場のスコールの様に無数のヘドロがびちゃびちゃと下品な音を立てて大地を埋め尽くしていく。

洞窟内に蜂の羽ばたきの様な音が響く。事実それは蟲の羽音だ。しかし蜂ではなく、死体に集るハエの。

 

 

 

 

それは泥ではない。肉だ。腐りきった、死体の肉。それらは意思をもっているように蠢いている。

見る見る箱面が腐肉の豪雨に飲み込まれ、悲鳴を上げながらその存在が塗りつぶされ、最後は軽い破砕音が聞こえた。

 

 

 

 

次に腐肉の中から腐乱汁をたっぷりと塗された盾が浮き上がり、成人男性3人分ほどの長さの鋭利な槍が突き出される。

それも一本ではない。何本も何本も。神経質なまでに盾と盾の隙間という隙間から槍が現れ、それは獲物を求めて鈍く輝く。

 

 

 

全身をハリネズミの如き装甲と槍の殻に守られた異形がそこにはあった。

この陣形の名前を取るならば、この異形の名はファランクスと言うべきだろうか。何十もの人間の腐肉をかき集めて、意志をもたせた存在。

異形は表面を無数のさざ波と蛆の群れが蠢きあい、至る場所から腐って体液を撒き散らし、ただその場にあるだけでその身体がボロボロと崩れ落ちていく。

 

 

だが、崩壊と同じ速度でファランクスは再生も行っているらしく、その全体の質量は変わらない。

 

 

 

臭い。臭い。臭い。もうここの死臭にはなれたかと思ったが、とんでもない。これは異常だ。死体と糞と蛆を鍋の中で腐乱汁で煮込んだかのような臭いだ。

鼻がおかしくなりそうな感覚にイデアは顔を限界まで顰め、魔術を発動するべく意識を更に深く研ぎ澄ませて行く。

 

 

 

 

 

【シャイン】

 

 

 

 

 

太陽を連想させる魔方陣が展開され、そこに光を凝縮して形作られた光剣が5本ほど生まれ落ちる。

小手調べとして、それらを無造作にファランクスへと叩きつける様に降り注がせた。

 

 

 

破砕の振動が空気を揺らす。腐乱した液体が飛び散り、槍が折れる。

 

 

 

あっさりとシャインの刃はファランクスの盾を粉砕し、その奥にある肉をそぎ落とし、不浄を浄化させるが……それだけだ。

口も何もないファランクスは悲鳴もあげず、淡々と動き、反撃に転ずる。肉の塊であるこの怪物が痛みなど感じるはずもない。

火力が足りない。一部の傷などこの存在には何の意味もなく、その全てを同時に滅さねばこれは幾度も復元を果たすだろう。

 

 

 

全身から焼き焦げた肉の香ばしい臭いと、どす黒い煙をあげながらもファランクスは動く。

もぞもぞと人間の何百倍の質量をもった身体をナメクジの様に動かしながら。

折れた槍と砕けた盾の代わりはすぐにファランクスの体内から湧き上がるように吐き出され、すぐに欠けた場所が補強される。

 

 

 

 

大本の肉の塊から、幾つかの子供とも言うべき大きさの肉塊が分離し、それらは一つの兵士の様に大本の数倍の速度で動き出す。

ただ早いのだけではなく、気が付けば接近される速度。一番意識の外を上手く掻い潜れる厭らしい動きだ。

それが数体、大地に粘液の後を残しながら迫る。槍のリーチを考えれば、後数秒でイデアは攻撃範囲に入る位置。

 

 

 

既に筋肉の繊維などないのに、ファランクスの振るう槍は強固な岩盤さえも打ち抜く。

竜殺しの術と、穢れた液を滴らせる銀槍は一度の攻撃で対象を即死に至らせなくとも、その毒をもって苦痛に満ちた緩やかな死を与えることだろう。

 

 

 

だがイデアは欠片も心配などしていない。あの槍は絶対に自分を害することが出来ないと判っていたから。

 

 

 

真紅と紫の閃光が踊る。イデアの両脇をすり抜けるように、人と言う姿が出せる限界ギリギリの速度で。

紅蓮の爆砕が飛び、小さなファランクスを粉々に打ち砕く。すみれ色の吸魂が発動し、ファランクスを物理的ではなく、エーギル的に削り取り、その機能を奪う。

 

 

 

吐き気を催すような音と共に、泥の塊にも見える肉がばら撒かれ、次の瞬間容赦なく炎の抱擁を受ける。。

 

 

 

消えろ消えろ消えろ。

粉々に打ち砕かれた腐肉を超高温の炎舞が飲み込み、その存在の一片さえも許さぬと滅却。

瞬く間に小さなファランクスが打ち砕かれ、削られ、食われ、消えた。

 

 

 

残った最後の異形がアンナへ槍を突き出すが、アンナは手さえも使わない。

口から吹き出した竜の息吹、灼熱のブレスを躊躇なく吐きかけ、攻防一体と成す。

槍が刹那の時間ももたずに溶解し、気化。次いでソレを持っていた異形が紅蓮に包まれて消える。

 

 

 

 

根源的に削られ、自身の身体の一部を抹消された異形の群れが声なき悲鳴を吐き出し、憎悪という感情をむき出しに動く。

竜が、竜が、殺さなくては。竜という種などあってはならぬ、と。

 

 

 

 

もぞもぞ大地を這い蹲る肉塊をアンナは一切の感情が窺えない瞳で見下し、

彼女にしては珍しく微笑みを消し去り、聞く者の心胆を凍えさせる声音で声を小さく発した。

ファランクスの持つ憎悪など、そよ風程度にしか感じられぬほどに濃密な憎悪と共に。

 

 

 

隣にいるソルトがその身を思わず竦めたといえば、それがどれほどのモノか判るだろう。

敵ではなく味方に恐怖を与えられた少年はやれやれと言った表情で小さく息を吐き、心を整える。

 

 

 

 

 

「醜いわ。本当に、見ているだけで吐き気がする」

 

 

 

 

 

それは、外見だけではない。この存在の全てを否定し尽くす言葉。アンナという女が吐ける最大の侮蔑用語。

こんな奴らが竜に戦いを挑んだのか。こんな奴らが数万年と続いていた竜と人の平穏を崩したのか。

おぞましい、何と醜い。気持ちが悪い。どれほど先代の長であるナーガが人と竜の関係について悩んでいたのか知らない痴愚が。

 

 

 

そして、こんな奴らに。

 

 

 

 

瞬間、火竜の中で何かが破裂する。表には出さない様に細心の注意を払いつつもそれは押さえが付かない。

平常を装いながらソルトに目配せをし、ルーンソードの刀身へとその手を翳し、胸中から吹き出る暴風をそこに注ぐ。

紅い粒子がアンナから飛び散り、刀身を血で濡れた様に染めあげ、火の力はそこに宿っていた地竜と神竜の加護との融合を果たす。

ルーンソードの刀身から業火が立ち昇り、激しい音と共にソレは破壊の意を秘めて雄雄しく輝く。

 

 

 

 

それを熱など欠片も感じてないように人間の少年は水平に構える。

あのファランクスと同じ、人間が。

 

 

 

 

はっきりと見据えるのはおぞましい肉塊。

目さえもないそれは既に直感で獲物を探し出しているのだろうか、ありとあらゆる場所にその槍を突き刺し、こちらの居場所を探っている。

人は、こんな姿にまで成っても生きていけるのか。一種の感動とさえ言える感情を一瞬だけ彼は抱くが、次に湧き上がるのは明確な嫌悪。

 

 

 

 

 

「吹っ飛ばしてやれ。安心しろ、俺も手伝う」

 

 

 

 

 

背後から掛かる優しげで、それでいて熱を帯びたイデアの声に心中で頷き、ソルトは剣を最大最高の速度で振り切る。

母から言われたことを全て守り、腰を入れ、腕を撓らせ、体重の移動を最大にし、それでいて身体のバランスは絶対に狂わせない。

そして何よりも大事なのは絶対に勝つという揺るがない意思と、敵に飲まれない強い心。

 

 

 

紅蓮の光が三日月の形を成して宙を征き、そしてドス黒く濁った肉に着弾。

着弾。正にその言葉を冠するに相応しい。巨大な攻城兵器の一撃が炸裂したかのような重低音を響かせ、洞窟全体に衝撃が行き渡る一撃。

 

 

 

 

かつてない規模で大地の岩や砂が熔解し燃え上がり、空気が更に収束。

強引にかき集められた気体が薪となり盛大に、豪快に轟音を響かせ燃え上がる。

 

 

 

 

地獄の焔の中、バラバラになったファランクスの肉体が再度再生を果たそうと醜く

往生際が悪く蠢くが、火葬に処された肉体は物理とエーギルの両面から崩壊を始めており、活動を徐々に停止。

 

 

 

それでも執念深く足掻く一際大きな残骸が幾つかあり、それらはまた一つになろうと蠢く。

後に完成するのはさっきよりも二周りほど小さいファランクス……。

 

 

 

 

 

 

【アルジローレ】

 

 

 

 

 

天から飛来する極大の光魔法。それは神竜のエーギルを塗り固め創られた裁きの鉄拳。

それは余りにも見るに耐えない存在への慈悲だったかもしれない。

無様な生を晒す怪物を終わらせてるのが、せめてもの情けか。

 

 

 

 

誰が存在を許した。さっさと消えて無くなれ。目障りだぞ。

この魔窟に足を踏み入れた際から感じていた全ての嫌悪と、絶対存在の傲慢さを混ぜ合わせた意と共に裁きが下される。

天と言う天を埋め尽くす光の柱とも言える超質量が堕ちると同時に、ファランクスの黒が黄金に飲み込まれ、末端から先ほどとは比べ物にならない規模と速度で浄化に犯された。

 

 

 

 

光。光。光。傲慢傲岸、お前の存在など知ったことではない。邪魔をするな。

愛おしく全ての存在を照らす太陽の光が一点に収束されれば、その顔は反転する。

砂漠の太陽と同じ、全ての命を枯れさせる滅相の光へと。

 

 

 

 

 

 

 

────!!

 

 

 

 

 

声なき悲嘆の絶叫をあげてファランクスは遂に完全にその存在を浄化される。

その最後にかつては人であった彼らの心に過ぎったのは何だったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暴虐の後、音という音が根こそぎ消え去った空間でイデアは先ほどまでファランクスが汚していた大地を見つめていた。

ぽっかりとクレーター状に深い穴が空いたそこには何もなく、先ほどまで巨大な質量の物体があったという痕跡さえない。

 

 

 

 

人間ね、あれは人間といえるのか。

嫌だと言っても忘れられないだろうファランクスの姿を思いやり、イデアは少しだけ、今までとは違う感情をあの亡者どもに抱いた。

即ち、哀れみを。あんな姿になってまでも死ねない存在への哀憐。人としての名残さえも残さない異形への哀悼。

同時に抱くのは底なしの暗い嫌悪。そこまでして竜を殺したかったのか? そこまで戦いが欲しかったのか?

 

 

消えてしまえばいいのに、一切合財全て。

 

 

本当に訳が判らない。そんなに平穏が嫌いなら、自分たちだけで殺しあっていればいい。

今は全てどうでもいいことだ。周囲に満ちる殺気はファランクスの退場と同時に幾ばくかは薄くなってきており、大分先ほどに比べれば居心地はよくなっている。

 

 

 

先へ、先へ。もう間もなく、この洞窟に入るときから感じていた力の場所へ到達する。

後はそこにあるであろう目当ての品を奪えばこの不愉快な旅行も終わる。

もう間もなく、この探索も終わるであろう事をイデアは確信していた。そして、一番疲れる作業がまだ残っていることを。

 

 

 

 

どれほど亡霊を倒そうと、ガーゴイルを打ち砕こうが、大本を潰さねば意味はないのだ。

そしてイデアは、その大元に用があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから先は、異常なまでに何もなかった。

ひっきりなしに浴びせ続けられる悪意と害意の暴風はその勢いを衰えさせ、変わりに深淵から飛んでくるのは、まるで獲物を品定めするかのような観察の視線。

獰猛で、貪欲な獣が舌の先から涎を垂らしながら草葉の影から欲望に満ちた視線を飛ばしているようにも思える。

 

 

 

亡霊兵の攻撃もなくなり、一切の障害がなくなった為かすんなりと探索は続き

やがては永遠に徘徊するのではとさえ思われた魔境の最深部へと到達。

途中幾つか宝箱があったが、イデアはその存在そのものを完全に無視して歩み続けた。

 

 

 

受刑者が一歩ずつ執行場へ送られる気分を味わいながらも三者は歩を進め、やがてとある箇所で足を止める。

魔窟の最深部にあったのは巨大な神殿。神を奉り、その加護を祈願する巨大な建築物。

所々の壁に幾多の戦士が闘争を行っている絵が刻まれており、それらは皆、人が竜を打ち払う壁画。

 

 

 

 

これは偉大な戦士を讃える神殿であると、直感的に見る者に悟らせる雰囲気と空気。

そして、筆舌に尽くしがたい存在が座する王宮でもある。

コレも殿に存在するあの祭壇に似ている構造をしており、その事実はいっそうイデアを不愉快にさせる。

 

 

 

 

既に周囲にはむせ返るほどの腐臭も殺意も何もない。あるのは永遠に続く平らな平穏。

音もなく、鼓動もなく、息遣いもない。全てが静止した清浄な世界。

 

 

 

 

一つずつ、慎重に真正面からその神殿へと足を踏み入れ、昇る。

一歩ごとに肌を焼くほどの念が神殿の最上部から吹き付けてくるが、それがどうしたと言わんばかりに三者は行く。

 

 

 

不意に空気が微かに揺れて、振動ではない魔術的な思念が確かに人の言葉として脳髄に突き刺さり、その意味を強制的に焼き付ける。

 

 

 

 

【ツワモノ ツワモノ リュウ? ナンダ? シラヌ シラヌ ナンダ キサマハ?】

 

 

 

 

それは疑問なのだろうか。微かに滲むのは未知の存在に対する戸惑いらしき感情。

声帯から発せられてないだろう言語は聞いているだけで壊れたカラクリを連想させるほどに歪んでいる。

 

 

 

その声を認識してるだけで、何故かイデアは全身に蕁麻疹染みた痒みが走るような錯覚を覚えてしまう。

薄皮の一枚下を、無数の蛆が這い回ってるような、そんな不快感。

 

 

 

【ワレハ “カイム” アノ オカタ ノ ダイイチ ノ シモベ】

 

 

 

 

飛ばされる思念は既に会話という意図など放棄した単語の羅列。

ただ意味だけ判ればいい。判らなくても構わない。コレはオマエタチを殺す者の名である。

 

 

 

 

神殿の頂点に到達した二人を迎えたのは広大な空間。一切の遮蔽物がなく、まったいらな床が延々と続くだけの頂点。

ここは一つの意思に基づき、とある場所を参考に設計をされた場所。

即ち、巨大な闘技場。ここは戦士たちがその命と誇りを賭けて死合を繰り広げる地。

 

 

 

もしくは、哀れな弱者を嬲り殺す処刑場か。人は高みの見物をしながら無力な人が死ぬところを眺めるのを愉悦とするのだ。

 

 

 

そしてこの戦場の主役がゆっくりとその鎌首をもたげて稼動。巨大な肉体が莫大なエーギルを血液の如く循環させ、緩慢に。

古く、無骨な甲冑がこすれて軋んだ音を甲高く叫ばせながら、それは何年ぶりに自分の足で動き出す。

漂うは無粋な死臭にあらず。その身に纏ったのは大気さえ焼ききるほどの高濃度の闘気。

 

 

 

既に朽ち果てた玉座から立ち上がり、ソレは大地を蹂躙するように踏み鳴らしながら進む。

ボロボロと表面の錆が崩れ落ち、体内に入り込んでいた蟲が次々と沸騰したように弾け飛ぶ小気味いい音をさせながら。

 

 

 

チリチリと喉の奥底が焼かれていく感覚をイデアは不思議そうに受け止めていた。

どうにも始めての身体の状態にどういう反応を取ればいいかわからない。

感じるこれは殺気ではない。もっと純粋で、もっと高揚を混ぜ込ませた感情。

 

 

 

 

闘技場のいたるところに配置された蜀台に次々と青い火が灯され、

視界が徐々に晴れ渡るに連れてその近づいてくる存在の全容が朧ながらに白日に晒されていく。

 

 

 

 

 

ソレは、全てにおいてこの魔窟に存在するありとあらゆる存在とは次元が違った。

外見はともかく、その圧倒的な威圧感、宿すエーギルの量と密度、そして確かな知性。

 

 

 

全身に着込むのは無骨で、それでいて機能美に富んだ若草色の分厚いフルメタルの甲冑。

頭部にも同じ色の兜があり、それはその存在の顔をスッポリと覆い隠す役目を果たしていた。

ただ、兜の覗き穴から覗く紅く丸い眼光だけが熟しきった果実の様に残酷に輝く。

 

 

あまりに人間離れした巨躯は、下手をすれば小さな小屋よりも大きいかもしれない。

両の腕は、それだけでも立派な凶器になりうるだろうほどに太く、引き締まり、何より人としての肉が付いている。

 

 

 

腰にぶら下げている幾つもの人間と思える存在の頭蓋骨がカタカタと乾いた音を叫ぶ。

 

 

 

柔らかな光の反射によって煌くのは、その手に持つ巨大なトマホークと、鋼鉄の盾。

いずれもかなりの業物であり、名の知られた武器なのかもしれない。

ただ、それに染み込んだ血の臭いだけは隠しようもないほどにこの存在がどれほどの数の敵を屠ったかを雄弁に語っているのが全てだ。

 

 

そして、その敵とは……考えるまでもない。

 

 

 

かの戦役で一躍全人類にその名を轟かせた八神将。だが、決して勘違いしてはならない。

人類は彼等がいただけで勝ったのではないと。その下にも、知名度こそ低いなれど、神将に次ぐ力を持ち戦った将がいることを。

 

 

 

彼の目的などただ一つだけ。彼は、戦うために存在している。この地に座するとある存在の為、そして自らの快楽の為に。

 

 

 

話し合いなど出来る訳がない。そも、言葉など通じないのだから。狩られる獲物と狩人が対話など馬鹿馬鹿しい話だ。

 

 

 

大きく迎え入れるように神竜がその手を広げ、抱擁を求むかの如く熱い視線をカイムと名乗ったこの勇士に底なしの殺意と共に向け、

彼は力を行使。蔑みと親愛が入り交ざったどうにも形容しがたい表情を顔に張り付かせ、術を使う。

 

 

 

 

 

【シャイン】

 

 

 

 

ファランクスを攻撃した際の数倍にも及ぶ量の光剣が次々と十数本ほど生み出され、その場でクルクルと螺旋を描くように回転。

その全てはイデアが指を動かすよりも速く心の中で願えば即座に八つ裂きにするだろう。

そして彼はその半分をけん制としてカイムに放ち、もう半分を自らの後方に待機。

 

 

 

切っ先を頂点にし、閃光へと変貌を遂げた神竜の意にカイムは鋭敏な反応を見せ、その手に持った盾でおもっきり剣を殴りつけ、全ての光剣を一撃で叩き割る。

どれほどの速度でその事象が引き起こされたのだろうか、彼の周囲の床は今のカイムの行動で発生した衝撃波で小さくひび割れが走った。

そのまま彼は身体を独楽の様に遠心力に身を任せて一回転させると、躊躇いなくその手にもった巨大なトマホークを投げつける。

 

 

 

 

大気を高速で切り裂く唸りと共に戦斧──あのガーゴイルの尾に付いていたモノよりも数段巨大で鋭利な斧が飛来。

馬車並の重量が、怖気を誘う速度で飛んでいる。

 

 

 

まず人間が喰らえば肉屋においてある肉塊の仲間入りは免れないだろうソレを三者は各々の判断で横に身を投げて回避。

弦を描く様に飛び去ったトマホークは、そのままカイムを発端に綺麗に円をなぞり、彼の手中へと回帰を果たす。

カイムの兜の中の紅い光が心なしか愉悦の色に染まる。それは強者への敬意か、もしくは歯ごたえのある獲物への冷たい欲望か。

 

 

 

 

まず一つ。見たことのない竜へ向ける未知の獲物への興味。

全てが未知数であり、久々にここまで来れた存在たちの恐らくはリーダー。

次に彼が見たのはあの戦役で戦った業火を宿す竜、これも魅力的な獲物だ。

その紅い首を切り落とせばさぞかし気分がよくなるだろう。

 

 

 

全て、彼のコレクションに加えるに相応しい。

全員腰から吊るされた存在の仲間入りを果たさせると彼は決めた。

 

 

 

そして、最後に彼は侵入者たちの中で最も弱いと思われる存在へ顔を向け、小さく頭を傾げた。

彼の頭脳はまだ人間であった時の思考を維持しており、見掛けによらず彼は他の異形に比べれば“頭がいい”

 

 

 

故に、彼は疑問に思う。何故、人間が竜と共にあるのだ? と。

どうでもいい。全て殺せば皆同じだ。彼の頭は直ぐに答えをはじき出す。

何でもいいのだ。相手の都合など。全て殺し、壊し、潰してしまえばいい。

 

 

 

 

 

彼の戦斧は、愉悦の為にある。

 

 

 

そしてそれは、彼の主も同じ……。

 

 

 

 

 

「判ってると思うけど、こいつの斧には気をつけろ。後、盾での殴打も……あぁもう! こいつの一挙手一動作、全部注意しろ!!」

 

 

 

 

「様は攻撃に当たるなって、ことですね……!」

 

 

 

 

叫ぶようにソルトに告げ、同じように銅鑼を叩いたような音量で叫び返すソルトにイデアは判ればいいとだけ返すと、カイムに視線を戻す。

流麗に腰から剣を抜き、柄を片手で握り締める。力は程ほどに、それでいて肩にも余計な力は入れすぎず、あくまで自然体に。

見よう見まねでソルトの握り方を真似してみたが……意外とこれはいいかもしれない。

 

 

 

 

純粋に、黒を塗り固めたような刀身をクルクルと弄ぶように回し、大きく下から振り上げる。

ちょうど、馬車の歯車の回転を想像すればよい。

先ほどファランクスへと向けてルーンソードから放たれたモノと同種の斬撃が覇者の剣より吐き出され、飛ぶ。

一つ、二つ、三つ。手首の動きにより縦へ高速回転する剣から次々と禍々しい三日月が放出。

 

 

 

その尽くをカイムは小賢しいと断じ、その手の巨大に過ぎるトマホークを大きく振り払う。

幾度も幾度も、三日月の着弾にタイミングを合わせて彼はその豪腕を薙ぐ。

交差の度に、ガラスが割れるような音と共に三日月が砕け、その残滓たる粒子を撒き散らし、周囲に漂う。

 

 

 

何発か、確かにその三日月は彼に突き刺さっているのだが、彼はビクともせず、気にも留めることはなかった。

 

 

 

 

しかし、粒子は消えない……空気が吸入されるように掲げられたルーンソードに引き込まれ、その中で鼓動を刻む。

ハエが。カイムの内心に宿るは不快な念。人間が、この狩りを邪魔するな。

その巨大な体躯から想像も出来ないほどの跳躍力。カイムは大地が砕けるほどの踏み込みを以ってその肉体を空へと舞わす。

 

 

 

 

空中で腰から上を器用に捻り、その反動を最大に利用し、ソルトの足元に向けてトマホークを投擲。

1にも満たない時間の中でソルトの頭脳は時間を切り分ける様に動き、今自分が何をすべきかを判断し、身体がそれに付随して動く。

一番簡単な回避動作、左方に飛び、4歩か5歩分の距離を一気に後退。

 

 

 

 

 

 

次の瞬間、今まで彼が立っていた場所に轟音と振動を伴いトマホークが突き刺さる。

全てがカイムの予想通りに。

 

 

 

カイムが着地する。“床に突き刺さったトマホークの柄の部分に”

鋼の武器が過度な負担をかけられ、軋んだ悲鳴を上げるが、まだ壊れない。

そこを基点とし、方向転換の後、足に力を込めて思いっきりソルトに飛びかかる。

 

 

 

衝撃でトマホークが弾け、大地を抉りながら宙を踊る。クルクルと回転しながら。

それをカイムは器用に頭の後ろにやった手で安々と掴み、そのまま処刑者が罪人の首を刎ねるように振り下ろす。

無慈悲に、作業染みた動作ながらも全ての無駄が省かれ、その上で神がかった技術と経験によって成せる行為。

 

 

 

 

 

 

──数の不利を何とかするには、まずは一番弱そうな相手を潰せばいいのさ。それを繰り返すと、あら不思議! 1対1さね。

   

 

 

 

──もしくは、逃げちゃえばいいのさ。

 

 

 

 

ソルトが思い起こすのは母の言葉。そして現実にあるのは一番自分が楽に倒せそうだと想い、追撃を欠ける巨大なる亡霊たちのリーダー。

舐められている。そんなことはどうだっていい。殺し安そうな相手だと思われている。むかつくが、ソレも今はどうでもいい些事。

身体が勝手に動く。幾度も幾度も圧倒的な存在に叩きのめされた経験を積む肉体は、既に条件反射を超えた脊髄レベルでの反応を可能とする。

 

 

 

 

咄嗟に持っていた武器、不気味に輝くルーンソードをカイムへとあらん限りの力を以って放り投げ、自分は全力で右方へ吹き飛ばされたように跳躍。

音速を超過した狂速で叩きつけられる巨大な凶器に相対して、放られたルーンソードのいかに儚げなことか。

事実、狂戦士はコレを障害とさえ思ってない。こんなものを放って何をしようというのか。

横に回避したところで、攻撃をつなげる手など幾らでもあるのだ。少しばかりの延命に何の価値がある。

 

 

 

やはり、人間……それも子供などこの程度か。カイムの胸を満たすのはささやかな落胆。

空中できりもみ回転を続ける剣は、腕の一振りで虚しく叩き落されるだろう。このままならば。

 

 

 

火竜が、小さくその裂けた瞳孔を残酷に輝かす。それは間違いなく、獲物を狩り殺す捕食者の眼。

 

 

 

彼女の人差し指から閃光が放たれ

それは熟練のスナイパーでも無理だろうと思わされる精度によって命中──ちょうど、ルーンソードの柄の先端、そのの真ん中を叩くように中規模の爆発が発生。

杭をハンマーで打ち出す要領でルーンソードの回転がとまり、一点に全ての力を結集させた無人の槍とそれは変貌する。

 

 

 

 

 

 

【ウ、ウ グ ウ ゥ ウ ウ ──!!!】

 

 

 

 

 

突如“爆発的”な加速を得て飛来する槍に、さしものカイムが反応が遅れる。

しかし彼は驚愕を顕にする愚こそ侵さず、鼓膜を蹂躙する咆哮と共に盾を構えようと……腕が、何かに縫い付けられた様に動かない。

見れば、黄金の光が蛇の如く纏わり付き、盾を構えた腕をその空間に磔刑にでも処しているかの様に固定。

 

 

 

 

【───!!!!】

 

 

 

 

意識の外で、イデアが舌を出して嘲笑を飛ばしているのを感知し、彼は獣染みた絶叫を発する。

残った片腕でトマホークの無骨な金属部分を自らの胴、心臓を守るように動線上へ配置。

 

 

 

瞬間、金属同士が擦れあい、削りあう奇音。飛び散る火花は無数の花になり、鮮やかにこの祭壇を彩るだろう。

カイムの長年使用され、幾重にも対竜の術式を刻まれたトマホークの盾はジェネラルの纏う屈強な鎧にも勝る防壁であり、安々と突破は不可能といえる。

 

 

 

実際、流星となったルーンソードの切っ先をこのトマホークの腹部は事も無げに防いでいる。

竜の剛爪を仮想の敵として精製されたのだからこの結果は当然だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

謳うように、神竜が更にその嘲りを深くした。

彼に一対一を守るなどという騎士道染みた心などないが故に、彼は何処までも戦闘という行為に対して残忍になれるのだから。

第一に、自分の部下であり、自分の為に何かしたいといってくれた男を少しでも死の危険から遠ざけることの何が悪いのだ。

 

 

 

既に魔力とエーギルの注入は完了。ソルトはいい時間を稼いでくれた。後は、締めの言葉を語るだけ。

 

 

 

 

── ξ Φ ψ θ Θ ──

 

 

 

 

片手に持って開いた書のページが捲られる。その内に孕むは、未曾有の大災厄か。それとも神の御業か。

ゲスペンストを発動した時とは違う感覚がイデアの内側で花咲く様に産まれ、充実感を彼に与えていく。

 

 

 

力、力、力。今、自分は圧倒的な力を支配しているという事実によって征服欲が満たされている。

 

 

 

その小さな口から紡ぎ、謳われるのはまだ人が居なかった時代の言語。

人には聞こえず、唱えることさえ不可能に等しい神の言霊。

だがこれは短い。ほんの一唱節に過ぎない。本来ならば十全の力を発揮させるには完全な形で詠唱を行わなければならないが、今回はソレはどうでもいい。

 

 

威力も規模も落ちるが、精度だけは確かならばいい。間違って味方ごと巻き込むなど、笑い話にもならない。

 

 

 

無理やりに、鋭利に研ぎ澄まされる魔術の刃。何百、何千、何万、億もの圧縮を加えて飛ばされる大気は、文字通り世界を切り裂く魔剣となる。

生み出されたのは都合一本の不可視の刃。長さはルーンソードにも満たない程度のソレだが、その存在感と密度は常軌を逸脱し、正しく神話の武器と評されるに相応しい。

 

 

 

 

見えざる神の刃が、征く。

 

 

 

 

【ギガスカリバー】

 

 

 

 

何が起きたのか、その場にいる誰もが……そう、術を発動させたイデアでさえも理解出来ない現象が、次の瞬間現実にその姿を晒す。

ナニカが駆け抜け、何かが変わり、何かが壊れる。全ては、誰も認識できない内に終わっていた。

 

 

 

 

最初に異変に気が付いたのは、他ならぬカイムだった。

彼は、自らの体に違和感を覚える。腕に、力が入らない、と。

 

 

 

始まりは唐突に、彼の右腕に小さな線がまるでキャンパスに描かれた直線の様に走った。

次いで、その断面から紅い液体の粒があふれ出し、最後に彼の体に内包されていたエーギルが間欠泉の様に噴出す。

 

 

紅い光の噴火はいっそ美しくさえあった。漂うどうしようもない鉄の臭いさえ気にしなければ。

 

 

彼のトマホークを握っていた右の腕は、二の腕辺りから宙を舞っていた。紅い液と光を放出しながら、滑稽に。

何千、何万もの戦いを乗り越えた、頑強な鎧にも勝る耐久力を誇る彼の体は、濡れた紙の様に切断されていた。

 

 

 

 

抵抗のなくなったルーンソードがトマホークごとカイムの身体を後方へと押しやる。

 

 

 

 

【──?】

 

 

 

 

 

理解できない光景を見た人間の様に彼の兜の中の光が真ん丸く見開かれる。

そして産まれるのは、あまりに大きすぎる隙。そのチャンスを逃すほど、イデア達は温情豊かではない。

まず最初に彼の体に四方八方から突き刺さるのはイデアの力によって精製され、彼の後方で待機を続けていた【シャイン】だ。

 

 

 

容赦のない剣の壮烈は彼の鎧に決して浅くない傷を刻み込み

間髪をいれずアンナのエルファイアーが爆砕し、彼の傷口辺りを更に深く抉り取り、肩口まで吹き飛ばす。

 

 

堪らずたたらを踏みながら数歩後退するカイムにイデアが先ほど亡霊達に向けて放ったのと同じ様に

掌に圧縮した波動を叩き込み、彼の巨体が打ち上げられた魚の様に吹き飛び、重厚な破砕音と共に墜落。

いや、よくもったというべきか。並の存在ならば波動を受けた瞬間に灰となっているのだから。

 

 

 

何度か地面に叩きつけられながら、先ほど座っていた玉座にカイムの巨躯が沈み、その全身を力なく垂らす。

宙に舞い上がって、堕ちて来たルーンソードをソルトが無造作に掴んだ。

 

 

 

 

しかし、まだ満足がいかなかったイデアはその“力”で、無造作にそこらにある石柱を根元から引き抜き、それを石弓の様に、ハンマーの様に投げつける。

一本の図太く、長い年月を重ねていたその柱は、まるで嵐の日に風に踊らされる木の葉の様に宙を踊り、先端からカイムに抉りこんだ。

甲殻類の殻を叩き割ったような音が絶叫し、濛々と土煙があがる。灰と黴と、火花が飛び、暫しの沈黙が場を支配する。

 

 

 

 

 

これで、終わりか?  本当に? メディアンが感じたという、アルマーズとテュルバンの気配は、どうなった?

 

 

 

 

イデアの脳裏をよぎるのは、その言葉。

 

 

どうにも、嫌な予感が消えない。背筋を凍りつかせる、この不愉快な冷たさが、なくらならない。

身体の中を無数の蛆が走りまわるような、そんな粘ついた感覚。

 

 

 

 

 

 

 

 

【────】

 

 

 

 

 

土煙が晴れ、そこに晒されるは無様ともいえる光景。

鎧には無数の皹が走り、片腕は喪失し、胴体を巨大な柱で半ば押しつぶされているカイムの姿。

盾など既に半分以上が砕け、その役割を行うことはできないだろう。

 

 

まだその手足が小さく動いているのを見ると、完全に二度目の死を迎えたわけではないらしい。

 

 

 

そして、彼の座っていた玉座──ここが神殿だとしたら、神体があるだろう場所は粉々になっており、哀愁さえも感じる。

何気なく、イデアがその場所に対して“眼”を向け、解析を行う。

 

 

 

 

──瞬間、イデアの中の危機感が極限にまで引きあがる。爆発するように溢れる感情は間違いなく“戦慄”だった。

 

 

 

 

 

 

「!!!」

 

 

 

 

イデアの中で、全てのピースがぴったりと嵌まる。何故、この島はこんなにも異界と化しているのか、その力の、発生源は何なのか。

そもそも、メディアンの言っていたあの気配の正体は何か。全て、全て、判った気がした。

 

 

 

 

 

マズイ、あの狂戦士を欠片も残さずに消し飛ばさなければならない。彼の心を満たす戦慄はそう謳う。

【エレシュキガル】の書を半ば投げるように取り出し、開き、魔力を込める。余りに乱雑な行為だったためか、必要以上に力を持っていかれるがそんなこと気にしていられない。

 

 

 

 

カイムが、残った隻腕を力なく振り、小さな瓦礫をどかして……何かを掴んだ。

ソレは瓦礫の奥底に埋まっていた。そしてソレは、元はここの神体とも言える存在で、奉られていた。

ここの全ての亡霊と、全ての悪意と殺意、狂気と死を支配しているのはカイムではなく、真実ソレだった。

 

 

 

 

ソレは意思を持っている。確固たる自分の意思を。

そして、ソレは歓喜していた。強者を迎え入れたことを。戦えることを。殺せることを。

 

 

 

膨れ上がる気配。そして、広く薄くフィベルニアに分散していた何かが収束する。

意思が集まり、確固たる形を得て、そして器を得る。カイムという男は非常に優れた器であり、ソレが生前の力を十全に振るうことが出来るに値する英雄の身体だ。

 

 

 

 

いや、最初からカイムはそのためにあったのだ。彼は言うなれば、【彼】の予備の身体で、戦いの為の道具だ。

視認出来るほどの雷が爆発し閃光を生み出す。余りの光にソルト、アンナ、イデアが思わず眼を腕でおさえ、顔を逸らす。

周囲の塵が炎上し、パチパチと不快な音を立てて燃える。

 

 

 

エレシュキガルの書が閉じ、術の発動が中止。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──あァ 見つけた。

 

 

 

 

 

 

紡がれたのは誰の言葉だったか。カイムの罅割れた声帯の壊れた声なのに、はっきりと認識できる声。

人間の声だった。重く、深く、そして根源的な不快感を覚える声音。

 

 

 

 

閃光が過ぎ去り、辺りに暗闇が戻ると同時にイデアは予想外の光景を眼にした。

 

 

 

 

先ほどカイムの身体を半ば踏み潰すように圧し掛かっていた石柱が、浮かび上がっている。

圧倒的な重量のはずのそれが浮いていた。もちろん、それを成したのはイデアではない。

 

 

 

 

たった一本の、カイムの丸太の様に太い腕が、石柱を鷲掴みにして、持ち上げていた。

石の中に深く食い込んだ五指が、どれほどの力を以ってそれを成しているか証明している。

先ほど奪われた片腕、肩まで喪失したそこに、彼の手にある眼に悪いほどの輝きを放つ武器から力が流れ、変わる。

骨、筋肉、血液、そしてエーギルが瞬く間に循環し、何もなかったかとでも言うように新しい腕が生えた。

 

 

 

 

彼の手にあるのは、夥しい量の稲妻を発生させ、それを支配する一つの巨大な斧。

ただその場にあるだけで空間が焼ききれるほどの天雷を纏うソレ。

斧の放つ波動は瞬く間にカイムの脳髄を焼き去り、彼の人格を滅した後に、そこに自らの思考を植え付けていく。

 

 

 

 

全身に負っていた傷は冗談の様に全て消え去り、彼の体には何の欠損も見当たらない。

 

 

 

 

兜の内側から覗くのは、先ほどと同じ紅い光。しかし、何かが決定的に違う。

理性もなく、知性もないのは変わらないが、そこに何か先ほどとは違う感情が宿っている。

 

 

 

イデアを熱に浮かされた様に凝視し、まるで極上の美女を前にした男の様な欲望がその中で渦巻き、歓喜と狂喜がかき混ぜられ、吐き気を催す視線を織り成す。

彼は……アンナも、ソルトも、もっと突き詰めるならば……イデアさえも見ていない。

 

 

 

やがて一度白紙に戻されたカイムだった身体の脳髄に新たな意思が植えつけられ、その息吹をあげる。

視界が右往左往し、そして……見つけた。

 

 

 

 

彼としての意識を完全に定着させた存在は呟く。複雑で、壊れた感情を滲ませつつ。

 

 

 

 

 

──見つけた。

 

 

 

 

 

 

静寂の中で落とされた言葉の一滴。最初は小さく、しかし徐々にソレは勢いを増して激しく燃え上がる。

彼の眼にイデアは映らない、映るのはあの男の影。あの男と同質の力を撒き散らす存在だけ。

故に彼は吼えた。待ち望んだ相手との再会を祝し、やっと殺したかった存在と出会えた、と。

 

 

 

擬似的な音の断層が全方位にたたきつけられる。

 

 

 

猛烈に、濁流の如く感情が吹き荒れ、眼球を焼く光と共に雷が走る。

膨れ上がるエーギルと魔力、それはこの世のモノとは思えないほどに暗く淀みきり、ただ一つの目標の為に統率されていく。

これは怪物。斧という姿を取り、神将器と持て囃されたソレの真実は、おぞましいほどの妄執と狂気によって形を成す異界の存在だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

───見つけた。見つけた。見つけた。見つけた。見つけた。見つけた。

 

 

 

 

 

かつてカイムと呼ばれていた男の手にあるソレ【天雷の斧・アルマーズ】は動き出す。その中に孕みし主……テュルバンの意志と共に。

願うのはあの日の再戦にして、強者との命を賭けた戦い。骨が砕け、血飛沫が飛ぶ闘争。

かの者の視線はイデアを見ていない。その後ろに存在するとある存在だけを射殺すほどに暗く、抱擁するほどに熱く見据えている。

 

 

 

竜にも及ぶほどの超質量を持ったエーギルの塊は一つの意思に従い、その全てを純粋な力へと変換。

狂戦士の体内を血液とエーギルが駆け巡り、戦意と殲意が膨らむ。

枯れ枝を踏み潰したような弾けた音と共に一本一本がサンダーストームにも匹敵する稲妻が幾本も生えて世界を揺らす。

 

 

 

三桁にも届くだろう稲妻がアルマーズを中心に吹き荒れているのだ。天も地も焼かれ、いたるところで“落雷”が発生している。

 

 

 

 

殺す。殺す。殺す。我を楽しませろ。我と戦え。

魔境全土を満たすのはそんな狂いきった思念。

この魔窟に存在していたありとあらゆる亡霊たちのエーギル……魂とでも言うべきモノが集まる。

 

 

 

豪雨の様に激しい地鳴りの音と共に至る場所から光の球が飛来する。

そして紫色の光の球になった魂たちが我先にとアルマーズの中に飛び込み、その燃料へと身を捧げていく。

百を超え、千を喰らい、狂戦士はかつての力を取り戻していく。薄く広くあった存在が、厚く、一点へと戻っていくのだ。

 

 

 

いっそう、天雷の密度が増す。物理的に、殺意さえ伴う莫大なエーギルの渦を伴い。

 

 

 

そこに居たのは“怪物”だった。人の皮を被ったおぞましき存在。

躊躇なく邪悪だと断じれる戦争と闘争の申し子。

 

 

 

 

ソレを見て、イデアの中にあった“戦慄”も“恐怖”も根こそぎ消し飛ぶ。あの狂い乱れる天雷の暴雨風に弾かれたように。

これが「誰」で、何を成そうとし……そして、直感的に「誰」を見ているか判ったから。

 

 

 

熔けた鋼鉄のような、熱く、粘性を帯びた感情が胸中で鎌首をもたげるのをはっきりと彼は感じた。

それに比例して、口から出る声は何処までも情感に満ちていて、それでいて友好的な響きを伴っている。

 

 

 

 

 

「俺も、お前に会いたかったよ」

 

 

 

 

 

一歩、神竜が踏み出す。空間を埋め尽くす雷が捻じ曲がり、イデアに襲い掛かる。

竜が黄金を纏った左腕を思いっきり振るうと全ての雷撃が弾かれ、あらぬ方向に飛んでいった。

 

 

 

 

竜が黒く染まりきった覇者の剣を構え、主の後ろで彼の部下達が構えを取る。

おぞましい。お前みたいな奴が姉さんにその斧を向けたと思うだけで気分が悪くなる。

イデアの口が開き、紡がれるのは一つの言霊。内容とは裏腹に心底この状況を楽しんでいる愉悦が含まれた言葉。

 

 

 

 

奇しくもそれは、アルマーズに宿った存在がカイムを通して三者に通告した言葉と同じ内容だった。一言一句、全てが。

 

 

 

 

 

 

───殺してやる

 

 

 

 

 

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