とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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とある竜のお話 第二部 六章 3 (実質14章)

 

 

注意 今回の話にも少しばかりグロテスクな表現があります。お気をつけ下さい。

 

 

 

 

屋内に咳が木霊する。激しくむせ返り、息を何度も吐き出すのはこの部屋の主であるソルトだ。

体が不自然に熱いのに、背筋は寒気を覚えており、心臓の鼓動が早くて煩い。

平行感覚がおかしくなっているのか、横になっていれば楽なのだが、立ち上がると世界がぐにゃぐにゃに歪んで見える。

 

 

 

足元の床が崩れ落ちていくような浮遊感は、嘔吐を誘発させかねない程に不快感を抱かせる。

はぁっと何時もよりも数段湿気の篭もった溜め息を漏らすと、喉がひりひりと痛んだ。

最初の頃は鼻水のせいで呼吸さえも満足に出来なかったことを考えると、今はまだマシな方だ。

 

 

 

 

部屋の扉が開く音を何処か遠くでの出来事の様に感じながら、彼は頭を左右に小さく揺すった。

聞きなれた足音と共に母親が入ってくるのを呆然と見やる。

 

 

 

手には湯気を立てている桶と、濡れた布を持って、彼女は息子へと近づく。

未だに力が入らない全身を何とか気力で動かそうとして、不意に彼は自分の体が温かい光に包まれているのに気がついた。

体を労わるように包み込む力の色は、赤黒い光……色だけを見れば禍々しいイメージを抱くが、それは間違いだ。

 

 

 

 

 

 

家族の力を恐れるなど馬鹿馬鹿しい。

 

ソルトが全身の力を抜いて全身に纏わりつく“力”に身を任せると、

 

その力はゆっくりと彼の上半身を起き上がらせてから、彼の上半身の服をゆっくりと剥ぎ取っていく。

多量の汗に塗れたソレが部屋の隅にあった篭の中に落ちると、次はソルトの全身が宙へと浮き上がる。

 

 

 

 

ちょうど成人男性一人分程度の高さまで持ち上げると、ベッドのシーツが勢いよく一人手に引き抜かれ、新しいシーツが“力”によって布かれていく。

他にも枕などが次から次へと移動し、あっという間にベッドメイキングは終了。気がつけばソルトは、汗の匂いなど全くしない、真新しいベッドの上に横になっていた。

眼を動かして、母を見るとメディアンは微笑を返す。

 

 

 

 

 

「気分はどうだい? まずは体を拭いて、着替えようか。その後に飲む薬とかも持って来たよ」

 

 

 

 

 

病など絶対に掛からない存在である地竜が軽い足取りで息子の横まで歩いていくと、彼女はその手に持った湯で湿った布でソルトの体を適度な力を込めて拭いて行く。

 

 

 

 

 

「い、いいよ。自分で拭くからさ……」

 

 

 

 

 

恥ずかし気に布に手を伸ばそうとする彼の手を、メディアンはやんわりと、しかし抵抗を許さない程に強い意思を込めて掴んだ。

地竜の真紅の鮮やかな瞳が燃えるように輝く。

 

 

 

 

「真っ直ぐ歩く事も出来ない病人が何を言ってるんだい?」

 

 

 

 

有無を言わせない。いいから黙って看病ぐらい受け入れろと視線で伝えると、息子は諦めたのか脱力して、眼を閉じる。

せっせとその体を拭いていく。半刻の半分にも及ばない時間で上半身の全てが拭き終わり、それに次いで乾拭きも終わる。

新しい上着を手際よく着せ替えると、メディアンは一つ息を漏らす。

 

 

 

 

「下はどうする? 拭いてあげようか?」

 

 

 

 

「いやだ! 絶対に、駄目! やめてぇ!!!」

 

 

 

 

熱のせいか、真っ赤な顔をしながら呂律の回らない舌で必死に叫ぶ息子を見て彼女は肩を竦めた。

微かな光を灯す右腕の一指し指を、息子の前に翳す。発動される魔法が何なのかを朧に理解したソルトの顔が引き攣った。

以心伝心、魔法のことなど何も知らない彼だが、こういうときにメディアンがどういう術を使うかは彼が一番よく判っている。

 

 

 

 

【スリープ】

 

 

 

 

 

魔法の発動と同時にソルトの掠れた悲鳴があがった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仕方がないじゃないか……全身をしっかりと拭かないといけないんだから、ほら、果物とかも持って来たんだから、食べて元気だしなよ!」

 

 

 

 

 

 

無言で自分に背を向けて横になる息子にメディアンは弱弱しい笑顔を浮かべて、ソルトの機嫌を取るように言った。

手に持ったリンゴを勧めるが、ソルトは涙眼でソレを一瞥し、また顔をぷいっと逸らしてしまう。

効果を限界にも絞って発動されたスリープは半刻の4分の1にも満たない時間でその効力を失い、彼は眼を覚ましたのだが……。

 

 

 

目覚めたソルトはまず最初に自分の下半身の衣服が全て着替えさせられた事を確かめてから、一気に泣きそうな顔になり、そのままずっとこの調子だ。

メディアンが何を言っても無視し、そのまま眼を合わせてくれない。

 

 

 

 

 

困ったと地竜は小さく肩を落とす。

まだ体を拭いただけなのに、やることはたくさん残っている。

ここは少しばかり強引に行くべきだろう、そう決断した彼女は即座に動いた。

 

 

 

 

 

“力”を使わず、自分の手でソルトの肩を掴むとそのまま引き込むように動かし、彼の体を仰向けにさせる。

病気のために判断能力がおちていて、自分が何をされているかまだ飲み込めていないソルトが眼を白黒させるが、メディアンは気にしない。

 

 

 

 

「な、なに……?」

 

 

 

 

熱のせいでリンゴを想起させるほどに真っ赤な顔をしたソルトが視界を埋める。

髪の毛をかき上げて、竜特有の尖った耳を露出させると息子の胸へと押し当てる。

リズムよく打ち寄せる鼓動の音と振動を感じながら、彼女は言った。

 

 

 

 

 

「何回か、大きく息を吸ったり吐いたりしてごらん」

 

 

 

 

 

母の声に含まれているモノを感じ取ったソルトは、大人しく従う。

現状で出来る限り胸と腹を動かして、何回も息を吸って吐く。

呼吸する度に喉から枯れた音が鳴るのがなんとも不愉快だと彼は感じた。

 

 

 

 

 

あぁ、これは少し胸がやられてるね。喉の方にも爛れがある。

呼吸するたびに爛れた胸の内側から発せられる“軋み”を敏感に聞き取ったメディアンはそう判断する。

人間が呼吸するのに使用している臓器は胸の内側にあり

その器官は無数の小さな袋が寄り集まり、一つの巨大な袋の姿を取っているということまで竜族は解析していた。

 

 

 

 

 

人間はよくこの部分に炎症を発生させることも知っている。

それが下手を打てば死に直結する病だということも。

 

 

 

 

 

竜族の知識を頭から引っ張り出しながら冷静に彼女は対処する。

まずは体力が肝心だ。病に対抗するために何よりも大切なのが体力なのだから。

顔を上げて、息子の顔を見る。真っ赤な顔で自分を見ている息子を。

 

 

 

ぜぇぜぇと息を苦し気に吐く息子を見て、メディアンは思った。

 

 

 

 

死なせるものか、絶対に。今更決意するまでもない当たり前の事を彼女は改めて確認すると。

胸に右手の人差し指を当てる。体内に直接【ライヴ】を発動させ、ソルトの炎症を起こした胸の内側を癒していく。

指先から伝わる感触が全てを告げている、体内の血液の流れ、エーギルの流れ、呼吸の流れ、体液の循環……それら全てを総合すると、彼女は人の内側を“見る”ことが出来る。

 

 

 

 

 

数瞬の間【ライヴ】を発動させて、あらかた息子の胸と喉の爛れが解消されたのを確認したメディアンは少しだけ脱力した。

とりあえず、これで一安心だと彼女は確信したのだ。

ほんの少しの時間で呼吸がかなり楽になったソルトは今まで満足に出来なかった呼吸を、水を飲むように堪能し、大きく胸と腹を動かす。

 

 

 

 

 

 

「かなり楽になった……何したの?」

 

 

 

 

 

「胸の内側と喉にある傷を治したんだ。とりあえず、そこを治しておけば命に関わる危険性は一気に下がるからね」

 

 

 

 

 

まぁ、だからといって油断しちゃ駄目だよ。

そう続けながらメディアンは何処から取り出したのか一つの湯で満ちた杯と、薄い紙の上に積もった粉末を取り出す。

 

 

 

 

 

「この粉は薬だよ。これを何日かお湯で飲み続ければ、治る。でも、体が楽になったからって、直ぐに外に出るのは禁止だけど」

 

 

 

 

 

完全に治るのには時間が掛かるのさ、そう伝えると息子は無言で判ったと頷く。

ソルトに杯と薬を差し出すと、彼がそれを飲み干す。途端に顔を薬の苦さによって歪める息子を見て、彼女は薄く笑った。

 

 

 

 

 

「後はもう寝ているだけさ。ゆっくりと休みな」

 

 

 

 

洗濯する予定のベッドのシーツと汗が染みた衣服が入った篭をもってメディアンが立ち去ろうとして……手を捕まれた。

ここで始めてメディアンはその顔に驚愕を浮かべて息子を見る。ソルトが掴んだ腕を放し、そのまま指をメディアンが持って来た果物にむける。

 

 

 

 

 

「食べさせて……駄目?」

 

 

 

 

 

赤い顔で、弱った調子に言葉を紡ぐ息子に少しばかり彼女は見惚れてしまった。

半秒ほど硬直した後に、彼女は何とか動き出しす。異常なまでに活力が体の底から湧いて来る。

 

 

 

 

 

「…………あ? あぁ、悪かったよ。そうだそうだ、しっかりと食べないと」

 

 

 

 

木製のバケットの中に入っている果物を取り出し、持って来たナイフで切ろうとして彼女はまたもや固まった。

幾つか果物を無造作に入れたのだが……いつの間に紛れ込んだのやら、普通のリンゴの倍以上はある黄金色のリンゴがそこにはあった。

ガタガタと食べられることに恐怖して震えているのか、小さく振動しているソレの隣にはよく研がれたナイフ。

 

 

 

 

中の小人は露出こそしていないが、視線を此方に送っているのが彼女にははっきりとわかった。

これ、やっぱり食べるのには向いてないね。地竜は小さく胸中で呟くとリンゴを優しく撫でてやった。

 

 

 

 

──お前は食べないよ。その代わり、息子の看病を頼む。

 

 

 

 

意思を込めたエーギルを送ってやると、リンゴの震えが止まり、内部からくぐもった鼻歌が聞こえてくる。

ゆらゆら左右に揺れているのを見るに、かなり上機嫌なのが窺えた。

 

 

 

 

 

 

そうして幾つか果物を切って食べさせてやると、何時の間にかソルトは眠りについており、ぐったりと動かない。

 

 

 

 

 

満腹になり、薬を飲んだ結果、体が休眠を求めたのだろう。

規則正しい寝息を吐く息子を見ながらメディアンはもう一度だけ、彼の胸へと耳を当てる。

鋭敏な感覚によって彼女は息子の体内を流れる血液の流れや、心臓の鼓動、筋肉に僅かに走る電流さえも読み取れた。

 

 

 

 

 

鼓動を聞いていると判る、エーギルの光、命の灯火。それは彼女にとっての炎の紋章だ。

だが、この炎はいずれ消える。死なない人間がいないように、絶対に。

しかし、だ。病になど絶対にくれてやるものか、この炎だけは絶対に渡さない。

 

 

 

 

 

念入りに胸の内側に炎症がないのを確認。

言葉では言い表せない微妙な気持ちに自分が陥るのを感じたメディアンが起き上がる。

 

 

 

 

 

「それじゃ、ソルトを頼んだよ」

 

 

 

 

 

息子の枕元に転がるリンゴに一声かけてから、彼女は部屋を後にする。

心の奥底にしっかりと息子の姿を焼き付けた彼女は意識を切り替えた。

 

 

 

この後に長と重要な話がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玉座の間にいつもの様にイデアは待っていた。

水晶を切り取ったような青白く透き通った石作りの玉座に腰を降ろした神竜はやってきたメディアンをこれまたいつもの様に歓迎する。

玉座の正面にある謁見者用のスペースで彼女は立ち止まり、そのまま頭を下げた。

 

 

 

 

「結界の補強と拡大、隠蔽術の展開、そしてその確認と微修正、全ての結界に関する仕事は完了しました」

 

 

 

 

朗々と自らが完了した仕事を伝え、彼女は沈黙する。

玉座のイデアがふぅと一息吐いたのを察して、彼女は長を見た。

 

 

 

 

 

 

「ご苦労だった。結界の件は何の問題もなく終わったようで何よりだよ……正直な話、少しだけハラハラしてた」

 

 

 

 

 

 

「……絶対に失敗なんかしませんよ。ここはあたし達の最後の居場所ですから、絶対に誰にも奪わせません」

 

 

 

 

 

 

無機質に答えるメディアンの眼を見て、イデアは頷く。

ここは誰にも渡さない。そのためのモルフ研究、そのための力の獲得なのだから。

姉と自分の家を誰にも侵されないための力が、それゆえに必要なのだ。

 

 

 

 

 

「さて、ここにお前を呼んだ最大の理由なんだが……お前は“アレ”についてどう思う?」

 

 

 

 

アレ、それが何を指しているのか理解しているメディアンは小さく俯き、考えを纏めてから口を開いた。

ローブの中の手がぎゅっと握り締められ、全身が強張る。

 

 

 

 

 

「かつてのテュルバン、アルマーズが撒き散らしていた波動に比べれば余りにもちっぽけだけど……あの“匂い”が気に入りません」

 

 

 

 

意図的に家族の前では隠していた、嫌悪に歪んだ表情。

 

 

 

遥か遠方からここまで漂ってくる気配は彼女も嗅ぎなれた匂い、腐肉の匂い、振りまかれる鮮血の香り。

しかもそれは、男や戦士のではなく、女や子供、老人といった弱者のソレ。

ただの賊にしては少々、血と魔道の匂いが強すぎる。

 

 

 

イデアとしてはテュルバンという極大の例外を見てしまったが故に、血と腐肉の匂いに嫌悪こそ感じるが、そこまでの脅威は感じていないが。

 

 

 

 

「早いうちに駆除すべきだと思います。絶対にアレは碌な物じゃないかと……アレの周囲の村々のエーギルの気配が凄い速さで消えていっている事を考えるに、油断なりません」

 

 

 

 

 

 

「だろうな」

 

 

 

 

 

さて、とイデアが続ける。誰が行くべきかと。

何があるか判らない以上、それなりの実力があり、咄嗟の事態に対応できて、様々な応用の利く魔道を収めた者が適任だろうと。

かなりの確率……いや、確実に戦闘が発生するのが見えているのだから、信頼できる強さを持った存在が必要だ。

 

 

 

 

俺が行くべきか、そうイデアの脳裏を考えがよぎった瞬間、彼の眼前の地竜は口を開いた。

見計らったようなタイミングで、淡々と彼女は言葉を紡いでいく。

 

 

 

 

「あたしが行きます。お一人ほど、念のため同伴を連れて行ってもいいでしょうか?」

 

 

 

 

 

言葉そのものは普通なのに、何処までも冷たい。普段の彼女とも、仕事中の彼女とも違う、凍りつくような低い感情を隠しきれていない声。

メディアン自身、自分が本当にこんな声を出しているのかと疑ってしまうほどに凍結した声だ。

腹の虫の居所が悪い。あの匂いの中に子供のソレが混ざっていると確信した瞬間から、どうしようもない。

 

 

 

 

 

しかも質が悪いことに、村人と思われる者達のエーギルが消えるたびに、アレから感じる歪な波動がどんどん増えているのだ。

この現実が何を意味しているかは……大体の想像が出来る。

 

 

 

 

 

「判った。では、アンナをお前に宛がうとしよう」

 

 

 

 

イデアが彼女の名前を出したその瞬間、既にこの場にアンナは現れていた。

最初からここに居たような気楽さでカツカツとメディアンの背後から歩いてきて、そのままイデアへと頭を下げる。

彼女が転移の術を使って後方へと現れるのも、少し離れた場所から術を使って自分たちの会話を聞いていたのも察知していたメディアンは慌てず、平然とした様子でアンナを見た。

 

 

 

 

 

「心強いね。あんたなら信頼できるよ」

 

 

 

 

「ご冗談を。私の力なんて、貴女に比べれば微々たるものですわ」

 

 

 

 

 

快活に笑いかける地竜に火竜は浮遊するような微笑で返す。

その様子を見ながら、イデアは彼女そっくりに無感動に言葉を発した。

 

 

 

 

 

 

「詳細は後で……そうだな、今日の夕方までには連絡する。それまで二人は諸々の準備を進めておいてくれ」

 

 

 

 

 

 

はい、と異口同音の返事を受け止めて、イデアは解散の意を二人に伝える。

玉座の間から退室するとき、メディアンが思ったのは息子に自分が人を殺すことになるだろう、この仕事をどうやって伝えるか、だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、まぁ。そういうわけだから、今夜のご飯は作り置きにするよ。鍋に火を通せば直ぐに食べられるはずさ」

 

 

 

 

火種は残しておくと続けながら彼女は手早く準備を進めていく。

 

 

 

動きやすい軽装に黒いマントとローブで身を固めた地竜はベッドの上に横たわっている息子へと向けて声を掛ける。

髪の毛をしっかりと後ろで結び直し、手ごろな槍を一本持つと、それに力を注入していく。

力を注入した瞬間、ただの鋼の槍に過ぎなかった槍は、不気味に赤黒く光を放ち、表面が沸騰する溶岩の如く粟立ち始める。

 

 

 

溶岩を塗り固めた様な槍、人間ではまず持つことさえ出来ない煉獄の魔槍を彼女は背負う。

出来栄えに満足したのか、地竜は数回頷くと、鼻歌交じりに準備を進めていく。

 

 

 

 

念の為、竜石を全体を半分に割って、2つの内の一つを体内に口から体内に送る。これで竜石を奪われたり、なくした場合でも安心だ。

もう片方はいつもの様に術で幾重にも防御を施し、懐に仕舞っておく。全てが終わったら、体内の石は一度エーギルに戻してから、外部へと放出し、固形化させればよい。

彼女の息子はと言うと、先ほどの彼女の治療の効果があったのか、大分顔の色も健康的になり、今では家の中を少しだけ歩けるまでになっていた。

 

 

 

 

だが、やはりまだ体調は万全とは言えないらしく、ベッドの上へ身を預けている。

上半身だけを起こし、自分の話をしっかりと噛み砕いている彼を見て、彼女は少しだけ肩を竦めた。

一応、自分が今夜留守にする事とその理由を話したのだが、どうにも反応がおかしい。

 

 

 

 

 

正直な話、色々とぼかして伝えたのだ。どうしてそうなったのかは彼女には判らなかった。

賊を殺す、ではなく討伐するといいまわしたり、やっつけると言ったり、極力【死】という言葉を連想する単語は避けて説明した。

後はさっさと仕事を片付けて終わらせればいいだけの話のはず。

 

 

 

何故かは知らないが、息子に自分が人を殺すと伝えることに彼女は躊躇いを覚えていたのだ。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

無言でソルトが手招きをする。

凄く軽い雰囲気で、取りとめのない会話を誰にも聞かれたくない人間がやるような空気と共に。

疑問に思いながら彼女は息子へと近づいていき、ベッドの隣で膝を付いて頭を近づける。

 

 

 

 

瞬間、ソルトは彼女の頭を抱きこんだ。そのままクシャクシャと髪を撫で回し始める。

余りの事態に頭が停止した彼女だが……瞬時に我に変えると思わず素っ頓狂な声が口から飛び出そうになるが、何とか必死に押さえ込む。

訳が判らない、全くもって理解が出来ない。

 

 

 

 

「───な………………!」

 

 

 

 

抵抗する、という選択肢はそもそも浮かびさえしなかった。その気になれば脱出など簡単なのに。

思えば、息子を抱きしめたことは多々あれど、その逆は今までになかった。

意外と悪い気分にはならないと彼女は思いながらも、どうしても恥ずかしいという感情が捨てきれない。

 

 

 

さわさわと頭部を弄くる掌の熱が、心地よかった。

 

 

 

メディアンにとっては心地よささえも感じる手の感触が突如頭部からなくなり、彼女は思わず息子の顔を見やる。

ソルトの、彼の顔は何処まで真剣で、矢の様にその視線が竜へと突き刺さった。

 

 

 

「いってらっしゃい」

 

 

 

 

 

胸中で溜め息を吐く。どうにもこの頃は、息子に色々と振り回されている気がしてならない。

 

 

 

 

「それじゃ……」

 

 

 

 

 

行って来る、そう伝えようとした瞬間、息子ではない第三者の視線を感じてメディアンをその方向を見て……見つけた。

あの黄金リンゴ型のモルフが、物陰から此方をじーっと眺めている。ご丁寧に置物の陰に隠れて、体の半分だけを此方に露出させながら。

まるで秘密の密会を見た家政婦の如き雰囲気で、リンゴは内部の小人を露出し、彼女と息子のふれあいを見ていたのだ。

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

 

地竜の視線と自らの視線が交差した事を自覚したリンゴは上半分に埋まっていた片腕を力技で引き抜くと、そのままひらひらと振るう。

「あ、どうぞ、続けてください」と言わんばかりに。

メディアンがわざとらしく咳払いをすると、力を使ってリンゴを持ち上げ、息子の膝の上にそっと降ろす。

 

 

 

息子の頭や首を冷やす布の取り替え、新鮮な冷水の調達、様々な面で今回助けてくれたこのモルフに彼女は感謝していた。

だが、それとこれは別だ。

 

 

 

 

 

「盗み見なんて、趣味が悪いね……コレは少しばかりお仕置きが必要かな?」

 

 

 

 

 

笑いながらリンゴを指で何度も突っつきまわし、悲鳴を上げさせつつ、今度こそ彼女は息子の顔を真正面からはっきりと見て言った。

 

 

 

 

 

「いってくるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

予定の時間よりも少しだけ速く、アンナとメディアンは里の外周へと出ていた。

既に日は傾き始めており、砂漠は熱砂の地獄から、極寒の地獄へと変わりつつある時間帯。

二人に手渡されている数枚の紙には今回行う仕事の概要と、詳しい内容、その他諸々が書かれており、二人はその内容を確認している最中だった。

 

 

 

今回赴くのは、ミスルの西南、カフチ地方に近い場所だ。

賊たちはそこにある小さなオアシスに建てられた砦の廃墟を根城にしているらしい。

その砦というのは、戦役が始まるよりも遥か以前から存在しており、まだ里が出来るよりも昔に人々が砂漠の開拓を夢見た跡地のようなものだ。

長らく放置されており、幾ら砂漠の劣化を対策されている砦とはいえ崩れていてもおかしくないのだが……。

 

 

 

 

今は西方三島の開拓も進んでおり、砂漠を横断せずに島から船でカフチへと移り住む者達も多い。

賊はどうやらそうやって移り住むものを標的にしていると推測される。

 

 

 

念のため、イデアから渡された神竜の竜石の欠片を懐に仕舞うと、彼女は頭を傾けた。

 

 

 

 

「妙だね」

 

 

 

 

メディアンは思わず声に出していた。それは独り言に近いモノだったが、どうやら隣のアンナにも聞こえていたらしく返事が返ってくる。

 

 

 

 

「……そうですわね。何かが引っかかります」

 

 

 

 

同意の声に地竜は頷いた。賊達の居場所はわかっている。

イデアの神竜としての力が満ちているナバタで、しかも地竜である彼女が気配を読めないはずがない。

 

 

 

だが、妙に何かが引っかかった。

 

 

 

 

ナバタで賊……確かにここで賊をすれば国家にも眼を付けられないだろう。

不毛の砂漠にわざわざリスクをおかして軍を派遣して賊を討伐する余裕など貴族や王族にはないはず。

長年の経験で、メディアンはそういった人種はほとんどが自らの利益になることしかしない事を知っている。

その短絡的思考が自分たちの首を絞めていることを理解している人間がほとんどいないことも。

 

 

 

 

話を戻そう。

 

 

 

 

ならば、何故南方なのだろうか。西方の開拓者から更に飛来してきたモノを狙うとしてもそれでは余りにも実入りが少ないではないか?

幾らオアシスとはいえ、食料の入手の難しさや、砂漠の砂嵐、蟲害、温度、ありとあらゆる環境が敵になるそんなところで賊?

エトルリアの領土に比較的に近い北方ならば、商人たちを襲いながら、砂漠へと逃走の繰り返しで国家をかく乱することも出来るのに。

 

 

 

 

自分が賊だったら、こんな所じゃ絶対にしない、そう思いながら思考を巡らせていく。

 

 

 

 

ある程度頭を程よく回転させてから彼女はフードを深く被った。

チリチリと昼の熱によって暖められた砂がローブを撫でていく。

判らない、ならば今は自分がやるべきことを考えよう。決断するとメディアンは横目でアンナを見やった。

 

 

 

 

どうやら彼女も同じ結論に達したらしく、此方を澄み切った紅い眼で見返してくる。

頷き合うと、二人同時に紙を焼却し、灰へと変える。足元に転移の術による円形の魔法陣が展開され、ゆっくりと回転を始めた。

 

 

 

最後に、もしも誰か人間と遭遇した場合を考えて人化の術を弄くる。

長く尖った耳を普通の人間と同じような丸みを帯びた耳へと変更。

 

 

 

一瞬、閃光が膨らみ、二柱の竜を飲み込むと直ぐにその光は役目を果たした蝋燭が燃え尽きるように消える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

転移を完了し、目的地の直ぐ傍に到着したメディアンが一番最初に感じ取ったのは、濃厚な死の匂いだった。

熟れて腐りきったトマトと、腐敗を極めた金属をかき混ぜたような鼻腔を苛める匂いが周囲に散乱している。

しかも、この匂いの強さからすると、まだ新しい。

 

 

 

既に太陽は沈み、周囲は暗闇が支配している。

ほんの少しだけ遠くに薄っすらと見えるのは、幾つものかがり火を掲げた小さな砦。

匂いはそこから漂ってくる。

 

 

 

 

無表情で地竜は精霊と会話をし、今までこの場で何があったかを問う。

直ぐに周囲を漂う精霊達は喜びながら、竜のエーギルへと直接自分たちが見た“イメージ”を送り込み始めた。

まず浮かぶのは、傷だらけの人間達。歳も性別も、全てがバラバラの人間達は一様に傷を負っている。

 

 

 

 

それも擦り傷などではなく、片腕の喪失、眼の喪失や他にも槍が突き刺さっていたり、傷口に蛆が沸いている者もいた。

人間達を強引に引きずりながら砦に連れて行くのは、屈強な体格の男達。

よく注視すると、男達の眼には光がない。それどころか、眼には黒目がなく、全員が全員、白濁した輝きを灯している。

 

 

 

 

感じる波動は、人に限りなく近いが……組み合わせが違う。

まるで人間という素材を使って、人間の姿をした出来損ないを作ったようなチグハグなエーギルの波長。

出来の悪い工作品を見た気がする。

 

 

 

 

【モルフ】か? それにしては随分とお粗末な出来だね。竜は胸の内でこれの製作者を蔑む。

恐らく遠くからはモルフと気がつかなかったのはこのせいだろう。

しかしモルフのなりそこないみたいな出来の人形達が【モルフ】よりも優れているとしたら、そこだけだ。

 

 

 

 

 

無言でアンナが全身に魔力を漲らせるのを傍で見つつ、メディアンは砦を見た。

砂嵐が吹き荒れ始め、人間ならばほんの少し先でも見えなくなるだろう状況下だが、竜の眼は目的の場所をしっかりと見据えている。

血と腐肉の濃すぎる匂いも、妙なエーギルの波動も、全てあそこから感じられた。

 

 

 

 

 

「アルマーズの時に近いのかね、コレは。お前さんは直接まだ“生きてた”頃のアルマーズを見たそうだけど、どうだい?」

 

 

 

 

話に聞くアルマーズ入手の際、息子達が体験した状況と、今のあの砦から漂う気配は似ているのか、そう問うメディアンにアンナはそっけなく返す。

苦笑いさえも込めた彼女の返事は、簡単に言えば侮蔑と嘲笑が多分に含まれていた。

 

 

 

 

「とんでもありませんわ……比べるのが馬鹿馬鹿しいくらいです」

 

 

 

 

 

あの極限まで濃縮された殺意の視線と、死の匂いに比べればこの程度児戯にも等しいとアンナは語り聞かせる。

神将という名の怪物テュルバンの魔界、アレを超えるモノなど滅多に見れるものじゃない。

否、あんな存在は有ってはならない。アレは滅ばなくてはいけなかったのだ。

 

 

 

その結果、あの怪物を超える【“怪物”】が産まれる可能性もあったが……。

 

 

 

 

「そうかい」

 

 

 

 

地竜が笑うと、そのまま堂々と進んでいく。

吹き荒れる砂嵐も、力を逃がして歩行を困難にする砂の足場も、二柱の竜には全く意味をもたない。

あっという間に砦の入り口にまでたどり着くと、閉められている砦の扉に竜は触れた。

 

 

 

 

金属の重厚な扉。裏側に“見える”閂の状態、扉の稼動部の錆具合、その全ての情報を読み取りメディアンは判断した。

この扉の使用状況から感じて、ここが賊の本拠地だというのは間違いない。

深く、遠く、そして精確に“眼”を使って扉の向こう、砦の内部へと意識を潜らせていく。

 

 

 

まず、感じたのは苦痛。想像を絶する程の肉体的痛苦によって生じた怨嗟の念が地竜の頭を焼いていく。

が、そんなもの歯牙にもかけずメディアンは読み取りを続ける。

哀れだとは思うし、何とかしてやりたいとは思うが……もはや手遅れならば、気に留める必要など無い。

 

 

 

 

 

血、血、血、肉、肉、臓、臓、骨、精肉店でもここまで濃厚な血の匂いと気配は味わえない。

この砦の主は、完全に狂っている、そこに一切の異論など挟む余地がない。

扉の向こう側、この砦の主となる内部の広間は製作者の狂気に満ちていた。

 

 

 

 

無数の金属の棘が床、壁、天井、ありとあらゆる場所に生えており、さながら湖に浮かぶ孤島の如く中央部だけは棘のないスペースがある。

だが……そのスペースには無数の血に塗れた拷問道具が設置されていて……つい最近まで使われた形跡さえあった。

砦の中には、やはりというべきかあのモルフもどきがうじゃうじゃいる。ざっと数は30程度か。

 

 

 

 

砦の中央にはっきりとした人間のエーギルの波長を捉えて……竜は脳裏をよぎった考えに苦笑した。

何とちっぽけな魔力量だと。だが次の瞬間に彼女はしっかりと意識を引き締める。

 

 

 

 

どれほど魔力がなかろうと、決して油断は出来ない。

彼女は紛れもなく強者だが、弱者が強者を倒すためにはどんな手をも使うだろうという事を知っている。

油断はしない。余裕は持つが、慢心はいらない。

 

 

 

 

魔力がなくても、自分を目標に成長を続け、今や育てた自分でさえも驚かせる男が一人いるのだから。

内部の構造と、賊の配置をほぼ読み取ったメディアンはゆっくりと扉から離れる。

この四角い構造の砦は何処から入っても、結局の所、目的の人物の所までは同じ時間しか掛からないのだから、ならば真正面から入るとする。

 

 

 

 

背負った槍を取り出して、その赤熱する刃先を扉へと近づけて“軽く”突っつくと、扉が熔けた。さながら炎の先端に炙られた砂糖菓子の如く。

真っ赤な熔けた鋼鉄が流れるのを、メディアンはゆっくりと事も無げに跨いで通ると、アンナを手招きする。

これぐらいならば出来るだろうと予想していたアンナは黙ってその後を続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

砦の中は、薄暗い闇が支配していた。光源になるのは、壁に掲げられた松明の炎と、開け放された窓から入る月の光だけ。

通路のいたるところに、何かを引きずった痕が残り、そこには必死に理不尽な暴力に抵抗した残り香さえ漂う。

しかし……どうやらその抵抗は何も意味を成さなかったらしい。

 

 

 

 

痛い、痛い、やめてくれ。どうしてこんな事をするの──竜の鋭敏な感覚は此処をどのような表情をした人間が何を叫びながら引きずられていったか見えてしまう。

少し進むと、外でメディアンが“見た”通り、大広間に出る。狂気に溺れた空間の全面に据え付けられた棘は、新たな獲物を歓迎するように鈍く光っている。

一体、何人の血を吸えばこんな濃厚な死の気配を撒き散らせるようになるのか、メディアンには判ろうとも思わない。

 

 

 

鉄で錆びているが……逆にその方が人を苦しめるのに丁度よい切れ味になるのだ。

 

 

 

ここだ、ここに外から感じたこの砦で唯一の人間のエーギルの反応を感じた。メディアンが物理的、概念的に眼を走らせると直ぐに対象は見つかった。

直ぐ、近く、それこそ会話が出来るほどの距離に……。

 

 

 

 

 

 

「ようこそ、私の砦へ」

 

 

 

 

 

その声は、聞くだけで不愉快になる類の声。

初老の男の声だというのは判るが、人を小馬鹿にした感情を孕んだ言葉。

 

 

 

 

 

「よくここが判ったな、歓迎するよ客人たち。私のエリミーヌ様へと捧ぐ作品達をゆっくりと堪能していってくれ」

 

 

 

 

 

ブーツが石をたたく音と共に人影が歩いてくる。背丈はメディアンよりも低く、腰も少し曲がった人間の男が。

メディアンとアンナは暗闇の中でもはっきりと男の顔を認識する。

眼光は爛熟した光を放ち、顔は歳による年輪が深く刻まれた男性。

 

 

 

 

 

そして何より

気になったのは、男の服装。所々に金で刺繍の施されたソレは華美な純白のローブだった。

俗に司教服と呼ばれる祭服。何故、そんなものをこの男は着ているのだろうか。

胸元には円形に配置された7つのシンボルが線によって繋がっているという紋章らしきモノが刻まれている。

7つのシンボルはそれぞれ、炎、氷、雷、魔術における【理】を意味するマーク、闇、光、風を象徴するかの様なマークに別けられるソレは……エリミーヌ教のシンボル。

 

 

 

イデアがアクレイアから持ち帰ったエリミーヌの教典を彼女は全て読んでおり、そこに確かにこの紋章は描かれていた。

 

 

 

 

 

「作品?」

 

 

 

 

 

怪訝な顔で、メディアンは男を見る。無表情で、心底興味なさそうに。

だが、男はそんな彼女の心境を汲み取れなかったのか、火がついたように語り出す。

その魚の様な大きな目をぎらぎらと輝かさせ、腸を振動させて声を絞りながら。

 

 

 

 

 

「そうだ! 私が作る、私のエリミーヌ様の為に働く作品、私の信仰を捧げるための道具達…………。 この竜を倒した英雄である私と共に歩む存在たちだ」

 

 

 

 

 

男はぱたりと口を閉じて、わざとらしく口元を両手で押さえながら含み笑いを零し、周囲の存在の鼓膜を汚していく。

無機質な眼で自分を観察する2対4つの視線へと彼は高らかに喋り続けた。

 

 

 

 

「しかし困ったな、私の信仰を俗人どもは理解できない……どうせお前たちもそうなのだろう? いけないけない、コレでは生かして帰すことは出来なくなってしまった……」

 

 

 

 

「白々しいね。どうせ、最初からそんなつもりはなかったんだろ」

 

 

 

 

 

一切の感情がそぎ落とされ、事実のみを突きつける言葉を浴びせられても男は余裕の表情を崩さない。

そこに今まで沈黙を貫いてきたアンナが始めて口を開いた。

 

 

 

 

 

「ここら辺の人たちを攫っていたのは、貴方?」

 

 

 

 

「そうだとも。私は無神論者である事に対しての神罰を彼らに下し、そして彼らを栄光ある存在へと生まれ変わらせたのだ」

 

 

 

 

嬉々を満面の笑みで

表現しながら、男は両腕を大きく天へと向けて広げる。さながら、神の抱擁を受けているかのごとくに。

彼の意識の影響を受けたのか、何時の間にか周囲を取り囲むように出現していたモルフもどき達が低い唸り声と共に武器を構える。

 

 

 

 

片腕がないモルフのなりそこないがいた。眼が腐り落ちているモルフのなりそこないがいた。皺くちゃの皮膚から骨を飛び出させている老人のモルフのなりそこないがいた。

まだ年端もいかない子供のモルフのなりそこないが全身傷だらけな姿で剣や槍、斧などの武器を構えていた……。

全てのなりそこないの胸元に金属のプレートが釘で縫い付けられ、そこには何かの名前が書かれているのが見える。

 

 

 

開いた瞼の奥、眼球にビッシリと木製の小さな針を突き刺されているモルフのなりそこないが調子の外れた笛の様な、甲高い音で啼いた。

 

 

 

 

 

“アイザック” “ロンド” “カース”“シェーラ”“リコール”…………。

 

 

 

 

 

多数のなりそこない達の金色の眼だけが煌々と輝き、広がりきった瞳孔が焦点も合わずに空虚な視線を両者へと注いでいる。

“眼”を用いてそれら全てを見渡し、理解し、その中で渦巻くエーギルの波長と叫ばれる意思を観測した竜は相変わらずの無表情。

 

 

 

 

更に眼を通すと砦の奥に一つの小部屋があるのが見える。

その中にはまだ産まれて間もないだろう●●が世にも醜悪なオブジェとなり幾つも幾つも飾られている、見世物にでもするかのように。

オブジェにされたその子はまだへその緒さえ切れていない。

 

 

 

 

ただ思った。何て無様。犠牲者達が、ではない。

 

 

 

 

「正直な話……私は君たちのような存在に構っている時間はない。時間と言うのは有限で、君たちに使うにはもったいない」

 

 

 

 

 

会話などせず、一方的に自分の言葉だけを喋り続けてから男は単純に一言、自分の作品達に言葉を飛ばす。

生きていた頃から、徹底的に痛めつけ、反抗する心を砕き、死してモルフに少しばかり似た存在に創りかえられ、死後も男に従う下僕どもに。

男──かつてのエリミーヌの使途は本気で信じていた。これは救いなのだと。エリミーヌの教えに従わない異教を裁く行為は正当で、素晴らしいことだと。

だから、自分を破門などの処置にしたあの教団の者らは間違っている、自分こそが教団の為に最も必要なことが出来るというのに。

 

 

 

 

 

 

「殺すのだ。出来るだけ速くやれよ」

 

 

 

 

 

言葉が終わるよりも速く、幾体ものモルフのなりそこない達は飛び出していた。

何故ならば、侵入者を排除するのに時間を掛ければ掛けるほど主に酷い仕置きをされるのを、こんな姿になってまで恐れていたから。

 

 

 

 

真紅の閃光が走る。さながら、黒い紙に筆で紅い線を走り書きでもするように。

少なくとも、男の眼には何も見えなかった。何時の間にか槍がメディアンの腕ごと消えたまでしか彼は認識できない。

 

 

 

 

極点にまで圧縮され、形を持つに至った“熱量”がその軌道上の全てを燃滅させる。

轟と空気が瞬時に暖められ、小さな気流が発生。

 

 

 

 

 

飛びかかったなりそこない共が瞬時に蒸発する。痛みも、何も感じずに永遠の安息へと旅立つ。

気がつくまでもない死、崩壊したなりそこないの体から微量なエーギル、元となった存在の命が粒子となり零れていく……。

その光を優しく、包み込むように炎が覆い隠し、やがてソレも宙に熔ける様に消える。

 

 

 

 

空気を焼く音と共にひんやりとした砦の内部の温度が上昇をはじめ、周囲から砂漠に存在するなけなしの水分が根こそぎ奪われ始める。

皮膚が乾燥し、唇が裂け、肺が苦しくなるほどの熱量。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

たった今、数体のモルフを文字通り“消し飛ばす”のに使用した赤熱の溶岩を固めたような槍を片手で容易く振り回し、地竜は小さな声で背後のアンナへ声を掛けた。

背中越しにしっかりとアンナが耳をすまして聞いているのを感じながらメディアンは淡々と零す。

まるで、必死に湧き上がる何かを懸命に堪えているような口調。男ではなく、なりそこない達に向けられる溢れんばかりの感情が隠された言葉。

 

 

 

 

「アンナ。この“人達”を倒す際は、出来るだけ苦痛を与えずに一気にやるよ。もう痛みを与えられるのは、ごめんだろうからね」

 

 

 

 

 

その言葉に無言で火竜は頷き、構える。両手に宿り轟々と燃え盛る炎の色は、夕焼けの様な紅。

男は暫し呆然とした後、瞳を輝かさせて舌をもつれさせる様な早口でまくし立てる。

まるで子供がお気に入りの玩具を壊された時に見せる怒りのような、そんな利己に満ちた怒りを男は撒き散らしていた。

 

 

 

 

 

「……何という事を……アレらは、あれらは出来損ないとはいえ、私の聖女に捧ぐ供物だというのに。 アレラの生殺与奪を握っているのは、私だけ──」

 

 

 

 

 

 

「もう喋るな」

 

 

 

 

 

 

思わず、途中で言葉を切ってしまう。それは脊髄の反射に近い。

自分の意思とは別に体が勝手にいう事を聞いてしまったのだ。

メディアンの言葉、つぅっと細く変えられた彼女の眼を見て、一瞬男は錯覚を覚えた。

 

 

 

 

縦に裂けた猛禽類の瞳孔が男を捕らえて離さない。

あの眼、確か何処かで見たことがある。あの大戦で似たような眼を見た気が……。

 

 

 

 

一瞬、記憶の淵を過ぎるのはあの恐ろしい悪魔の姿。

何万の人間を焼き尽くし、平然と揺らぎもしない煉獄の怪物ども。

 

 

 

 

足が無意識に後退しているのを認識し、男は言葉を紡ぐ。

ありえない、そんなことはあってはいけないのだ。

 

 

 

 

「さっさと片付けろ。肉片の一つも残すなよ」

 

 

 

 

 

 

魔力を行使し、逃げるように極短距離だけの転移の術を発動。

あっという間に砦の奥へと逃げ込んだ気配を絶対に逃さないと“眼”で追いかける地竜はこの砦に入り始めて感情を顕にした。

怒り……ただしソレは烈火の如く怒り狂うものではない。

 

 

 

 

冷たい、氷結した絶対零度の憤怒。

もしもここに彼女の息子がいたら、一目散に母から距離を取っているか、もしくは彼女と同じような怒り方をしただろう。

 

 

 

 

 

「絶対に逃がさないよ。ここで仕留めておかないと、里にさえ犠牲者が出る可能性もある」

 

 

 

 

 

返事の代わりにアンナは人差し指をメディアンへと向けた。その先端に魔力が収束し、開放。

放たれた【エルファイアー】の術は、メディアンの背後へと迫っていた一体のなりそこないを瞬時に蒸発させる。

当然、その程度の接近になど気がついていたメディアンは満足気に頷くと、槍を一振り。

 

 

 

 

轟と空気中に含まれていた塵や埃が発生した熱波により瞬時に燃え上がり、軽い小枝を踏み潰す音と同時に弾けた。

先ほど消したのは10体、アンナが吹き飛ばしたのは1体、砦の内部に感じた気配は30すこし……ならば、残りは20程度かそこらだろう。

“眼”を用いてしっかりと数を確認した彼女は自らの手札を確認する。出来るだけ苦痛を与えず、効率的にかつ確実に葬る術を探して……見つけた。

 

 

 

 

一体一体相手をしていたら、あの男はその間に恐らく逃げるだろう。

ああいう人間は自分への危機に関しては素晴らしい嗅覚を見せるのだから。

そしてメディアンにはあの男を逃がすつもりなど毛頭ない。

 

 

 

 

槍を地面に突き刺す。岩畳を圧縮された溶岩の穂先が安々と貫通し、そのまま粘土に指でも埋めるように槍が完全に柄の先まで地面へと沈んでいく。

膝を降ろし、片手を槍の埋まった白熱する穴へと触れさせて彼女は念を流し込んだ。

 

 

 

 

 

 

──大地よ、我が分身たる大地よ。

 

 

 

 

それは口から放たれたモノではなく、エーギルに直接宿され、流された思念の詠唱。

かつての終末の冬の最中、彼女が必死に押さえ込んだ大地の変動、巨大な地殻の移動によって生じる力。

大半は全て地殻の“調節”によって霧散し消えたが、まだ僅かばかりに残っていた力の一つを彼女は引き出して支配する。

 

 

 

 

念話によって浮遊して避けろと伝えられたアンナが流麗な動作でほんの少しばかりの力を使って、大地から拳一個分ほど浮上。

 

 

 

 

 

 

 

 

【メガクエイク】

 

 

 

 

 

 

 

最初は小さな揺れだった。壁に掲げられていた松明の炎が僅かにぶれる程度の微振動。

例えるならば、大地に亀裂が走り、少しづつその裂け目を広げていく際に生じた力が漏れ出して起こしているような振動……。

 

 

 

今の状況は決壊直前の堤防を連想させた。亀裂が走り、その断線より水が零れ落ちている状況。

溜まりに溜まった力は、開放の喜びに打ち震えその猛威を振るう。

 

 

 

 

突如、臨界点を超えた世界が地の底より“叩き上げられる”

足の底から思いっきりハンマーで突き上げられた様な衝撃が砦そのものを貫いた。

極小規模だが……一点に対しての圧倒的な破壊の振動波が建造物の隅々まで行き渡り、砦を軋ませ、至る所に軋みを入れて……振動は止まった。

 

 

 

 

終わりか? いや、まだだ。

本来の【メガクエイク】は大地の奥底、人間には想像も出来ない程の深淵に干渉し最低でも小島、最大になれば全大陸規模での大震災を発生させる極大の禁忌呪文。

それを考えるに、この規模は余りにも小さすぎる。いや、わざとこの程度で抑えたのだ。

 

 

 

 

 

そう、終わりではない。ここからがメディアンが行使したかった、“別の魔法”の本来の効果が発揮される時間なのだ。

 

 

 

 

 

砦の石畳の床が、蒸気を吹き上げた。熔けた石の一部が気化し、周囲に飛び交う。

表面がブツブツと粟立ち始め、赤熱し、そこから生み出される熱量は砦の内部の温度を火山もかくやと言うほどに上昇させ、人には住めない環境へと変貌させる。

もはや、人ならば触れただけで手が燃えるどころか“消える”程の熱を下部から加えられ、砦の床は熔け落ち、物質から液体へと変化を始めた。

 

 

 

 

 

ゴォオオオという重低の音波が砦の遥か大地の下から不気味に響き……深淵から真紅の破滅が鎌首をもたげ、現出。

世界が鮮やかに染め上げられた。まるで昼間の如く眼を焼く光が闇を飲み込んだのだ。

 

 

 

 

それは、緩やかな火山の噴火だった。仄暗い狂気と血肉で埋め尽くされた世界が、焼き滅んでいく。

至る箇所で噴火が始まり、濃縮された地竜のエーギルを濃厚に含んだ赤黒い液が噴出す。

石を安々と蒸発させ、進行方向上の存在全てを焼き潰し、飲み込みながら煉獄の行進は止まらない。

 

 

 

 

本来ならば、ここに火山噴火により噴出される汚染物質の拡散も追加されるのだが、今はアンナのことを考えてソレはない。

幾多もの人間を貫き苦しめ、死後も恐怖させてきた砦中央部、無数の金属の棘が生え茂る空間に煉獄から流れ出てきた粘性を帯びた溶岩が流れ込み、蹂躙。

恐らくは魔法で強化した鋼であろう棘が真っ白に変化し、次いで水に漬けた砂糖菓子を連想するほどに呆気なく液体として崩れ落ちていく。

 

 

 

 

 

叫びはなかった。苦痛による怨嗟の声もなかった。

砦の中に存在していたほぼ全てのモルフのなりそこないは流れる溶岩に抵抗も逃げることもせずに飲み込まれ、消えていく。

 

 

 

 

死を望むように、安らかな様相で。

 

 

 

 

メディアンが片手を溶岩へと翳すと、急速にその手に粘性を帯びた熱液が集い、一つの槍となる。

白熱していた流動体の槍は、やがて冷えて固まり、表面上は黒曜石と同じ漆黒の鉱石の地槍に変わり、ソレは彼女の手にしっかりと馴染んだ。

ぶんと空気をかき混ぜながら盛大に何回か地槍を回転させ、調子を確かめつつ竜は砦の内部へと再度“眼”を送り……瞳孔が細まる。

 

 

 

 

 

 

「何体か、新しいモルフを動かしたようだ。さっきのよりも結構強いね」

 

 

 

 

 

「では、私が全て潰してきますわ。貴女様はあの男を」

 

 

 

 

あくまでも強いといっても基準は先ほどのなりそこないだ。あの西方の魔境に跋扈していた異形達に比べればなんて事はない。

 

 

 

 

ありがとう、地竜は頷くと視線をアンナから逸らし、次の瞬間に彼女の姿と気配がこの場からなくなったのを感じながら、男が砦の奥底で蠢いているのを認識する。

その中にある“焦り”“恐怖”“狂信”そして相反する“羨望”を読み取り…………表情は変わらなかった。

男に対してはまあ、遅かれ早かれこうなるのは判っていた。それが少しばかり速く来ただけだな、としか思えない。

 

 

 

 

宗教というのが人を支えるのも知っていたし、それが人を狂わせるのも知っている。

あの男は極端な例になるだろうが。そもそもあの男が何故ここにいるのかも大体の見当がつく。

大方、ここでやっていたような事をエリミーヌに知られて、破門されたのか、もしくは教団内での権力闘争に負けたか。

 

 

 

 

処刑されなかったのか、処刑から逃げたのかは判らないが、そんなものは意味がない。何故ならば、あの男の死は既に確定しているから。

 

 

 

 

この地竜メディアンが逃がさないと言った。もはやその時点で全てが遅い。

地竜の瞳孔が裂けて、一つの魔法を更に追い込みとして発動させた。生物である以上、絶対に逃げれず、防ぐことも困難極まる最悪の魔法を。

恐らく、相手が生き物ならば……どんな魔法よりも極悪な効力を発揮する術。余りにも残忍で、極悪非道の術。

 

 

 

 

 

メディアン自身、この術を使う機会は滅多に訪れることはないだろうと思っていた。

 

 

 

 

 

 

【ウォーム】

 

 

 

 

 

 

 

極小にまで濃縮した悪意が、真紅に染まった地獄の中で黒く蠢いた。

 

 

 

絶望が、ここに降臨する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつてはナバタを探索、開拓するための拠点として作られた砦は、彼の支配地となってからは大幅な改造を行われていた。

ここを守護するのは芸術的とも言える、かつての竜族が使用していたモルフ・ワイバーンの技術を応用して作り出された素晴らしき武装信者の群れ。

それは正に彼にとっては理想の権化だった。

 

 

 

武装し、揺るがない信仰を与えられ、痛みを感じず、一切の異教徒への不要な情を“奪ってもらえた”者らは慈悲深き聖女エリミーヌの忠実な私兵となる。

あの【モノ】達は使い捨てにされることに喜びを感じなくてはならない。

 

 

 

 

エリミーヌは優しく、心が広いお方だ。きっと彼女は他者を殴ることなど出来ない。優しすぎるから、異端のものを認めてしまう。

だからこそ、自分たちが必要なのだと彼は未だに心の底から信じていた。

異教徒の【モノ】には知らしめる必要がある。自分たちは人間などではないということを。

 

 

 

 

人間とそっくりな姿をした、罪深き塵以下の存在だということを知らない【モノ】を彼は救ったのだ。

高貴なエトルリア人の血を引き、エリミーヌ教への死をも厭わない忠誠を持つ者だけが【人間】といえる。

 

 

 

 

だからこそ彼は正当な裁きを行ったのだ。エトルリアに存在する異教徒──。

未だに竜族、邪神への信仰という愚行を行う屑を刈り取り、その子孫を全て根絶やしにすべく彼は動いた。

自分の完全に完成したモルフ製造……正に神から賜った奇跡を用いて彼は準備を行ったのだ。

 

 

 

 

竜という邪神は滅ぼした。ならば次の敵は異教徒という人間の姿をした塵共だ、彼はそう思っていたのだから。

だが、世界は悲劇で満ちているという言葉の通りに、エリミーヌは騙されていたのだ。

 

 

 

 

なのに教団はよりによって、この私を! 自分を破門し、しかも処刑するなどと教団の上層は過ちを犯してしまった。

だからこそ彼女を救わなくてはならない。そして自分こそが教団の頂上に立つべきなのだと男は思っている。

私こそが教団をよき方向へと進ませることが出来る。私だけが異教徒をエレブから消し去ることが出来ると確信して疑わない。

 

 

 

 

あの忌々しいエリミーヌ様の護衛などとほざく、騎士団長め。彼女に上手く取り入り、彼女を惑わす塵め。

 

 

 

 

自分こそ、世界に、エレブに信仰を広めることの出来る存在。従わない者は悪であり正義と神の名の元に裁くべし。

だらこそ、今は雌伏の時。暫くの時間を置いて、彼はアクレイアに戻るつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、彼の夢は今正に粉々に砕かれようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

莫大な力が砦を震えさせる。モルフたちの気配が次々へと消えていく。血涙が流れた。どす黒く腐敗した肉汁があっという間に蒸留し、消えた。

感謝があった。謝罪があった。喜びがあった。無念があった。そのどれもが等しく形容することさえ出来ない力に抱かれて消えていく。

結果は既に出ていたのだ。何故ならば、この砦に来たのは竜……それも全ての竜の中でも上位に位置する存在だったから。

 

 

 

 

 

開いた口が塞がらない。正にそういう状況。精魂込めて作り出した作品がまるで路傍の塵の様に消し飛ばされ、戦いにさえならない。

剣、槍、斧、魔法、弓矢、全てが無意味だった。迫り来る混沌の熱海の前では何の慰めになるか。

まだこれでも地竜は手加減をしている。本来ならば“噴火”と同時に高濃度の有毒物質を撒き散らすことも出来たのに、それをしていないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつでも脱出できるように正門の裏側、中央部の棘の間を挟んで入り口の向かい側にある小さな個室に彼はいた。

戦況は不利などという言葉さえ生温い、絶望。

 

 

 

 

 

彼は現実を直視していなかった。

何故、私がこのような眼にあっている? 何故、正しいことをしている私があのような存在に襲われている。

いや、そもそもあの者達は何者なのだ。既に正気を失っている男の脳は冷静に状況を見ることさえ困難となっていた。

 

 

 

 

逃げるべきだ、ただ漠然とそう判断した夢見る男は鋼で作られた脱出口の扉に触れて──。

 

 

 

 

 

「っ!!」

 

 

 

 

蒸気があがる。同時に、肉を熱した鉄板の上に落とした様な音が響いた。

掌を焼かれ、思いっきり手を離す。熱によって接着された皮が音を立てて剥がれ落ち、激痛が走る。

扉の至る場所が紅く光を放ち、鋼鉄さえも熔解させる熱がそこに篭もっているのが見て取れた。

 

 

 

 

何時の間にか、恐らくは噴火が扉の向こう側でも起こっていたのだろう。

そして押し寄せた熱海はこの扉を熱によって溶接し、男を閉じ込めることに成功した。

せめて砦の外へとと思い、転移の術を使用するがこれも不可能。術の発動を何かが押さえ込んでいる。

 

 

 

 

既にこの砦そのものが今や閉じた牢獄と同じ役目を果たしていた。

 

 

 

 

 

「……嫌だぞ! 私は、まだやることがある!」

 

 

 

 

逃げられない、事実を悟った男の口から迸ったのは無様な声。

 

 

 

 

ヒステリックな叫びが口から無意識に生まれてくる。

ここで死ぬのは嫌だ、心の奥底から彼は願っていた。

自分は立派な「人間」だ、誰よりもエリミーヌ教を信仰し、誰よりもこの世界に必要とされる男なのに。

 

 

 

 

「おい、何をしている? さっさとこの扉を開けろ!!」

 

 

 

 

 

懐に控える並の人間の倍以上の背丈はあるモルフに彼は命令を飛ばす。

全身傷だらけの、至る箇所に矢、針、槍が突き刺さり、ツギハギだらけの最高傑作のモルフ。

幾多もの異教徒の肉体を一度分解し、ソレをつなぎ合わせたこのモルフは男の作品の中で最も強い。

 

 

 

 

男の、自らを恐怖で縛り上げる存在の命令に従いモルフは緩慢とした動作で動き出し、扉をその豪腕で殴りつける。

一度、二度、三度とと繰り返す度に皮が焼け、肉が零れ、筋肉がむき出しになるが、扉は壊れない。

斧を持ち出し、思いっきりその刃をぶつけるが、結果は散々だ。斧の刃は刃こぼれし、柄から折れてしまう。

 

 

 

 

扉は既に赤熱さえしていたが……それでも壊れない。

 

 

 

 

この、出来損ないが!

 

 

 

 

 

感情が篭もりすぎて、彼の口から発せられたのは声ではなく、掠れた、喉を枯らした鶏のような怪奇な音。

この塵屑が、せっかく私がそのような姿にしてやったのに、まだ使い物にならないのか──。

 

 

 

 

ここで彼は気がついた。何か、違和感を感じる。口の中、何か、小さな砂粒でも飲み込んだような、じゃりじゃりした感触……。

ペッと違和感の発生源を手の甲に吐き出す。かがり火に翳して見たソレは……小さな黒い砂粒。

極小の砂粒が、動き出す。わさわさと柔肌を撫でている感触を甲に感じるにコレは蟲か。

 

 

 

 

砂漠の繊細な砂よりもずっと小さく、それなりに視力はいいと自負する男が集中してようやく目視できる蟲。

 

 

 

 

 

蟲か、そうか………………脳髄が凍りついた。

 

 

 

 

 

ソレを意識した瞬間、彼は酷い痒みを覚えた。足、腕、顔、胸、全身が酷く痒く、チクチクする。

こう、無数の小さな蟲が全身を這いずり回っているような……感触。

叫び声さえもあげられず、彼はローブの裾を捲くり、自らの腕を見た。

 

 

 

 

はっきりと、見えたのは無数の小さな小さな常人ならば目視も出来ない黒い蟲。ゴマ粒にも似ている何匹もの蟲が皮膚の上を這いずり廻り───そのまま皮膚の内側に潜り込んだ。

毛穴に入ったのか、それとも皮膚を食い破って中に入ったのか。一つだけ確かなのはあの小さな針で刺されるような痛みは蟲が体内に入り込んだ際の痛みだったということ。

 

 

 

 

「あ……あ……」

 

 

 

 

口から声が漏れた。腕の内部が痒い。体の内側が痒い。そして、少しだけ痛い。

チクチクチクチク、小さな顎で絶え間なく噛まれている様に、痛い。

 

 

 

 

 

「───ぁあああああああ! ふざけるな! ふざけるな!! この、虫けらが!!!」

 

 

 

 

 

絶叫をあげて、自らの腕を、足を、腹を思いっきりたたきつける。衝撃を与えて中の蟲を殺すために。

腫れ上がり、肉が裂けて血が滲んでも拳をたたきつける。溢れた血の中から蟲が湧き出し、また自分に寄ってくるのを必死に何度も何度も踏み潰す。

狂ったように床を悶え転がりながら、手足を振り回していたその動きがぱたりと止まる。

 

 

 

 

違う、動けなくなったのだ。内部に潜り込んだ蟲達が召喚主から受け取った魔力を用いて人間の頭部から発せられる信号を阻害したから。

必死に魔力を搾り出して抵抗する男は何とか微動程度には動ける状態だが、既に立ち上がることさえ出来ない。

 

 

 

全身の自分から付けた傷跡から、黒い絨毯の様に床を埋め尽くす蟲達が雪崩の如く侵入してくるのを見る。

寒気が走り、激しい痒みと痛苦が全身を貫く。血管の中を蟲が移動しているのが判ってしまう。

 

 

 

 

 

「嫌だ……嫌だ!」

 

 

 

 

 

 

蟲が昇ってくる。腕から、足から腹から。

顔の頬の内側を蟲が移動し、皮膚が引っ張られる。

視界の中に黒い点が映る。それは外部に捉えた映像ではなく、網膜の内側を移動する蟲の影。

 

 

 

 

 

 

「何故、何故私がこんな眼に────」

 

 

 

 

 

音が聞こえる。水の中で認識するようなくぐもった音。それは、鼓膜の内側が捉えた音。

耳の奥、脳と頭蓋骨の外周を何かが這いずっている。

 

 

 

 

ゴリゴリゴリゴリゴリ───。

 

 

 

 

頭部の皮膚の内側から堅い何かを削る音が鳴る。

蟲達の小さなアギトが、凄く硬質な物体を削る響き。

 

 

蟲の顎の力は見た目よりも遥かに強い。

そう、やりようによっては大型の動物の皮膚を食いちぎり、時間を掛ければ鋼鉄さえ削ることが出来るほどには。

 

 

 

 

突如、激痛が走る。今までの痛みなど比ではない極限とさえ形容してもよい鈍痛。

頭が痛い、頭が痛い、頭が痛い。削られる、削られる、削られる──。

 

 

 

 

わ……私が死ぬ? いやだ……だれか、たすけ…………。

 

 

 

 

そこから先は思考だけがはっきりとした地獄だった。

思い通りに動かない体を震わせて、頭をかき混ぜられる激痛に耐えるのに言葉など不要、しかし考えることだけは出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地竜メディアンは眼の前で横たわり痙攣をしている男を何処までも冷めた眼で見下ろしていた。

彼は眼や鼻、口から濁った粘性のある液体を絶えず噴出しており、眼球は既に内側から食い破られた後なのか、大きな穴があいている。

だが、それでも生きている。死など許さないとメディアンは蟲を通じてエーギルを送り続け、最低限の生存だけは保障しているのだから。

 

 

 

 

もちろん、善意からなどではない。

 

 

 

 

確たる思考は残っている。

どれほど痛かろうと、体が動かなくても、何も見えず聞こえず喋れずも、生きて、しっかりと自我を保っている。

皮袋から空気が抜けるような空気の軽い流れと共に、男の腹部から何かが抜けていく。

 

 

 

 

腹が萎む。中身を食い荒らされた草食動物の残骸と同じように。

血が純白のローブを汚し、泥に塗れる。

 

 

 

 

 

そっとメディアンが男の傍に待機しているモルフの腕にそっと労わりをもって触れた。

攻撃はない。既に命令を与える存在がいなくなってしまった以上、ここにあるのは糸の切れた人形のようなものなのだから。

モルフのなりそこない。それに宿っている【エーギル】をメディアンは竜石を作る要領で抜き出し、そのまま霧散させた。

 

 

 

 

エーギルを抜かれた巨体のモルフが倒れる。手足の先からその体が崩れ落ちて、砂の山となる。

ものの数秒でモルフは白い灰に変わり、消え去ってしまった。

 

 

 

 

 

次いで彼女は未だに黒い臓物を溶かした液を全身の穴という穴から流出させている存在へと無遠慮な視線を送りその中身を“感じ取る”

まず、感じたのは底なしの、それこそ悲痛とさえ感じ入れる程の願い。

 

 

 

 

死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、私は永遠の命が欲しい──。

何故、私ではないのだ。何故、私は【理】を超えられない。私の何処がアトスやブラミモンドに劣っているのだ。

 

 

 

 

絶え間なく撒き散らされる念。彼の脳髄に侵入し、生きたまま喰らっている蟲達を通して伝わるのは彼の悲嘆。

彼が倒した戦闘竜との戦いの記憶、彼が行ったこと、彼の思想、彼の願い、その全てを追体験しメディアンは……鼻で笑った。

 

 

 

 

男が頭の中で絶叫をあげた。

自らの記憶を盗み取られていく感覚、脳幹を蟲に齧られる不快感、そして……自分が今まで何と戦っていたかを朧に理解してしまった絶望。

髄液の中を夥しいの数の蟲が泳ぎまわり、気まぐれに脳を刺激する激痛が彼の魂まで蹂躙する。

 

 

 

 

頭を破壊されつくされて死んでもいいはずなのに、竜の治癒の力がソレを許さない。

既に限界寸前にまで齧られて、溶かされた彼の脳髄はもう間もなく液状となり彼の顔面にある穴から流れ出す事となるだろう。

 

 

 

 

竜が無言で“力”を使い、砦の中央部で煌々と滾り続けている熔解した鋼鉄を手に引き寄せる。

今までどれほどの人間を苦しめてきたのか判らない拷問道具。粘性を帯びた液体となり、水あめの如く絡みつくソレをメディアンは涼し気に素手で持ち上げた。

熱せられ、表面が粟立つだいだい色の鋼だった液を彼女は……躊躇いなく垂らした。

 

 

 

 

それは、彼女なりの意趣返しなのか。散々に自らが使用した道具で、その最後を与えるというのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

──。

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉もなく、かつてはエリミーヌ教団の高位司祭にまで上り詰めた男が

その輝きに満ちた人生とは裏腹に何処までも滑稽に死んだのを確認すると地竜は溜め息を吐いた。

地槍を片手で弄くりつつも、彼女は砦の内部へと眼を走らせて、全てのモルフが機能を停止したのをしっかりと確認。

 

 

 

 

再度、今や冷えて固まり始めた鋼に覆い隠されている、さっきまで男が倒れ伏した場所を見やり、思う。

この男は“先駆け”だ。今はエリミーヌが生きているからこそ自浄効果があるが……彼女が死んだらどうなるかは容易く想像できる。

いや、既に腐敗は始まっているかもしれない。人の集まりで、一つの思想の元に集うといっても宗教と言うのは個々の認識によって教義など無視されるかもしれないのだから。

 

 

 

 

 

 

だが、どちらにしても。

 

 

 

 

 

「度し難いね」

 

 

 

 

 

結局、この男を殺そうと何も変わらない。ナバタにおける当面の危機は消えたが、だからといってエリミーヌ教団はあり続けるだろうし

何よりもコレを殺そうと、苦しめようと、この男が殺した者達は蘇らないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

永遠に生きたい、か。

 

 

 

 

彼女は、息子とイデアの会話を聞いていた。そして息子がイデアに何と言ったのかも。

 

 

 

末期に男が祈るように紡いだ思考、それを反芻させながら地竜はやれやれと頭を振って、振り返る。

そこには当然の様に先ほど別行動を取ったアンナが立っており、いつも通りの弾む様な笑顔で言葉を発した。

メディアンの優れた“眼”は彼女が懐に幾つか資料を回収して、仕舞いこんでいるのを目ざとく見つけたが、彼女はそれに対して何も言う気はない。

 

 

 

 

「砦の内部のモルフの殲滅はほぼ完了しましたわ。……ほとんどは貴女様の力に飲み込まれてしまってましたけど」

 

 

 

 

「ご苦労だったね。この砦そのものの後始末は私がやっとくよ、一度、外に転移をしてくれないかい?」

 

 

 

 

 

アンナが頷き返し、術を発動させる刹那、メディアンは最後に砦の全景を眼に焼き付ける様に“見る” 

恐らく、これから先、歴史上で発現する事となるであろう宗教の恐ろしさをしっかりと認識するために。

絶対に、誰にも自分たちの居場所を奪うことなど許さないと願いを込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暴風が、吹き荒れる。

何億、何京にも及ぶ熱砂が絶え間なく砦の外郭を削り取り、その形状を虫食いに晒された紙と同じように変貌させていくのだ。

音はなかった。砦の基礎の部分が砂に飲み込まれ、やがて徐々に砦そのものが地面の底へと沈んでいく。

 

 

 

さながらあり地獄に囚われた獲物が、深淵へと引きずり込まれるが如く、砦は四半時もせずに地竜が生じさせた大規模な流砂に飲まれ、消えてしまう。

最初からそこには何もなかったと錯覚するほど、綺麗に砦はなくなり、後に残るのは昼の暑さを未だに残した砂粒が、夜の冷気と共に叩き込まれる砂嵐だけ。

既にシナリオは書きあがっている。砂漠に発生した巨大な砂嵐により、賊達は消滅、砂漠を根城にしている以上、自然環境によって淘汰されるなど珍しくもない。

 

 

 

地竜が発生させた砂嵐は夜遅くまで吹き荒れることだろう。

 

 

 

それを全て見届けて、地竜は今度こそ里へと転移を行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜、何となく眼が覚めたソルトはふとした気配を感じて周りを見渡した。

既に付近での砂嵐はやんでおり、開かれた窓からは荒涼とした冷風が吹き込んでくる。

体は既に何時もの調子を取り戻しており、特に頭痛などの不快感はない。

 

 

 

だが、遠方から聞こえるのは不気味な風の唸り声。

遮蔽物など何もない砂漠では遥か遠くで発生している嵐の音も聞こえることがあるのだ。

 

 

 

 

月夜の光が部屋を照らしているお陰で人間の彼でも部屋の中を把握することが出来た。

だからこそ、直ぐに判った。枕元、肘掛椅子に腰掛けた母がうつらうつらと船を漕いでいるのを。

何時もならば部屋に戻るか、何か書類を書いて夜の時間を過ごす母にしては珍しいとソルトは思った。

 

 

 

 

 

 

既にほぼ完治した体を動かして上半身だけを起き上がらせる。

何となく、そういえば別々に寝るようになってからは母さんの寝顔を余り見たことがないという事に思い当たり、何となくその顔を見やった。

 

 

 

 

 

 

──思わず、息を呑む。

 

 

 

 

 

ただ、一言の言葉も紡げなかった。

一まとめに結んでいた髪を下ろし、はらはらと風に任せて揺れる栗色の髪も、真紅の眼を閉じて心地良さそうに揺れる姿も、全てに魅了される。

 

 

 

 

眼を瞑り安らかな様子で眠る母を見て、ソルトは無意識の内に見入ってしまっていた。

心臓が痛い、既に病は治まったというのに体が熱い。

この感情に襲われるのは初めてではない。もう、かなり昔から、彼が子供から大人への階段へ足を差し出したその瞬間からだ。

 

 

 

 

かつて母に問われたことがある。何か欲しいモノはあるか、と。

そうして自分は答えた。あの答えは本気だ。決して冗談なんかじゃない。

ソレの意味することを自分で考えて赤面したこともあるが、今でもあの答えは変えるつもりはない。

 

 

 

 

 

イデアに聞かれたこともある。長生きしたくないか、と。

そうして自分はその申し出を断った。アレに後悔はない。

きっと、長く生き続けたら、それは素晴らしいことなんだろうけど、自分が自分ではなくなるかもしれない。そんな思いがあったから。

 

 

 

 

とりあえず、母をこのままにしておくわけにはいかない。そう思いたったソルトは起き上がり、ベッドから降りると、母を部屋まで運ぶべく持ち上げるためにその手を差し出して……掴まれた。

反射的に全身が萎縮しビックリするが、直ぐにそんな感情は消えた。薄っすらと明けられた母の眼が自分を見ていることに気が付いたから。

今の母からは石鹸の華の匂いに混じって僅かに焼け焦げた肉の匂いがした。

 

 

 

 

 

「どうしたの? ……部屋に戻らないの?」

 

 

 

 

 

答えはない。代わりに母の眼が薄っすらと細まり、自分に向けられる意識が数段、鋭利さを増した。

ただ、何となく眼を離してはいけないような気がして彼は真正面から母の顔を見返す。

長い、長、それこそ一晩という時間の中では永遠にも感じられるほどの沈黙の後に地竜はようやく喋った。

 

 

 

 

 

「……最後に一緒に寝たのは何時だったかねぇ」

 

 

 

 

 

それはまるで独り言。語りかけている様でもあるが、自分に言い聞かせて、答えを探している様でもある。

 

 

 

 

「7年くらい前だったかな。……確か、僕が今みたいに病気で寝込んでて、夜に咳とかが酷くなるから一緒に寝たんだよね」

 

 

 

 

 

しみじみと思い出す。あの時は今よりも大変だった。

里と言う閉鎖された世界で病気を蔓延させるわけにはいかないから自分は何週かの間、完全に治癒を完了するまで閉じ込められた。

今はあの時よりも体力があるからそこまで酷くはならないが……それでも病気は恐ろしい。

 

 

 

 

 

 

「そうか……7年か」

 

 

 

 

また眼を瞑って、過去に思いを馳せる竜を見て、ソルトは釈然としない気持ちとなるのを自覚する。

僕はまだここにいて、こうして貴女と話しているのに、過去ばかり見ていないで欲しい、と。

一度や二度ならまだいいが、この頃彼女は、ちょうどあの竜の姿を見せてもらった日以来から過去を振り返ることが多くなった。

 

 

 

 

 

まるで、今の時間は楽しくないと言っている様に。それが気に入らない。

故に、少しばかり彼は意地悪をすることとする。

 

 

 

 

ぐっと足に力を込めて、椅子に腰掛けた母の首元と膝の裏に手を回して、思いっきり全身の筋肉を用いて、持ち上げる。

よく、絵本の中で王子様がお姫様にするように、彼はメディアンを持ち上げた。

決して軽くはないが……それでも持ち上げて運ぶのに苦労はない。

 

 

 

この頃病気のせいで余り立ってなかったせいか、足元が少しだけふらつく。

 

 

 

 

「へ?」

 

 

 

 

ソルトは吹き上がる笑いを堪えるのが精一杯だった。

今、自分の腕の中で眼をまん丸と見開いて、呆けた顔をする母の何と愉快なことか。

陸に打ち上げられた魚の如く口をぱくぱく動かしていたメディアンは状況を理解してから悶えた。

 

 

 

 

「どこにつれていくんだい!」

 

 

 

 

舌が上手く回らないせいか、口調が少しばかり幼くなったような声が自分の口から出て心底驚く。

長い間生きているが、こんな声を出したのは今日が初めてだ。

尖った耳が喧しいほどに上下に刎ねて、パタパタと音を立てる。

 

 

 

 

 

「何処って……母さんの部屋だけど?」

 

 

 

 

 

得意顔で悪戯染みた笑顔を浮かべる息子は、心底楽しそうだった。

いけない、いけない、どうにもこの頃は主導権を握られっぱなしだ。

何故かは判らないが、対抗心の様なモノを感じた彼女はやり返すべく、ほんの少しだけ力を使う。

 

 

 

 

 

一瞬だけ光が煌き、極短距離だけの転移は発動する。

ほんの少しの距離、同じ部屋の、極近くへの移動。

 

 

 

 

同じ部屋のちょうど先ほどまでソルトが眠っていたベッドの上に魔法陣が開かれ、転移は完了。

 

 

 

 

ぎゅっと胸に抱きしめた感触を楽しみながら彼女は頭を撫でてやる。さっきの仕返しとして思いっきり。

モガモガ暴れる感覚さえも楽しみながら彼女は胸に抱きしめていた息子を解放してやった。

開放されて、ぷはぁっと息を大きく吸う息子を見てクスクス笑う。

 

 

 

 

むっと怒った顔で自分を見つめ返してくる彼は今でも昔と変わらない。

 

 

 

 

「ねえ」

 

 

 

「なんだい?」

 

 

 

 

 

短い言葉でのやり取りさえ楽しみながらメディアンはソルトへ眼を向ける。

真剣な眼で自分を見ている彼に彼女は臆せず向き合った。

月明かりの暗闇の中でさえ判るほどに彼の顔は真っ赤、まるで病気がぶり返したみたいに。

喘ぐように、照れが多分に混ざったそれ一つでは何の意味もない言葉を途切れ途切れ彼は吐き出し、何とか言葉として成立させた。

 

 

 

 

 

 

「今から昔を懐かしんでたりしないでよ。僕は20年も生きてないし、まだまだ貴女と一緒にいたいのに」

 

 

 

 

 

「母さん」ではなく「貴女」と呼び、かつてないほどに熱い感情を入り混じった言葉を彼は吐いた。

その中で渦巻き、彼が自覚し始めている感情を「見て」「理解」し、メディアンは思わず顔が綻む。

決して不快ではない。むしろその逆だ。かつてない程に清々しい感情を味わいつつ内心で彼女は一つの諦めを抱いた。

 

 

 

認めよう。自分は彼に人ではない存在になってほしいと願っているが……それは無理だ、と。

永遠の命が欲しいとほざいたあの男。そして……彼に長寿を与えたいと何処かで考える自分。

昔、自分とソルトは喧嘩をしたことがある。今でもはっきりとその時に叩きつけられた言葉は思い出すことが可能だ。

 

 

 

 

 

“装飾品”として自分を育てているの? 僕がいつか死んだら、母さんは新しい“装飾品”を探すの?

 

 

 

 

同じだ。モルフのなりそこないを作り出して、道具として扱っていたあの男と

息子に、彼に望まないだろうモノを押し付けて、結局の所自分の為だけに長寿を無理強いすることを密かに考える自分。

 

 

 

 

自分は彼を“装飾品”として扱うところだったのだ。

それこそ、最もやってはならない事。絶対にそうはなるまいと誓った禁を彼女は犯しかけていたという事実を認めるに至るしかない。

 

 

 

 

 

だからこそ、彼女は言わなくてはならない。

ぼそぼそと耳元で、吹きかける様に流麗に言葉を紡ぐ。愛の告白をしているとさえ思えるほどに熱を込めて。

たった一言放つだけなのに、今までの生涯で最も緊張しながら竜は謝り、告げた。

 

 

 

 

自分の非を認めるというのは大人にとっては難しいことだが……それでも言う。

 

 

 

 

 

 

───。

 

 

 

 

 

 

余りにも感情が入り込みすぎたせいか、自分でも何を言っているのかがよく判らない。

自分の言葉に彼が満面の笑みを浮かべて、ごそごそと毛布に包まって逃げるように背を向けるのを微笑えましく思いつつ、メディアンは溜め息を吐いた。

一気にではなく、ゆっくりと肺から空気を吐き出すと、幾らか気分が晴れ渡ったのを感じ、地竜は瞼を閉じる。

 

 

 

 

 

全身に緩やかに満ちるのは倦怠感と疲労。

発生することを許した柔らかな眠気。

 

 

 

 

今日は、少し疲れた。いつもよりもちょっとだけ長く寝ようと思う。

竜は本来は睡眠など不要なのだが……ソルトの隣ならば話は別だ。

 

 

 

 

 

 

エリミーヌ教。神将器。里。寿命。エレブ。そして竜と人。

何もかもを忘れて今は眠りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっという間だったな……正直な話、もう少しばかり時間が掛かると思っていた」

 

 

 

 

 

玉座の間にてアンナが持ち帰ってきた資料を受け取りつつイデアは竜石を通して見ていた光景に対して端的に感想を述べていた。

圧倒的、今までイデアが見てきたメディアンと言う存在の力を考えれば妥当な結果なのだろうが……それでも彼女の力は里のどの竜よりも頭一つどころか、桁が違う。

今でこそ保有する力の総量では自分が勝っているが、切れる手札の数は彼女には格段に劣るだろう。

地震と火山活動を自由自在に操り、猛毒を宿す極小の蟲を無数に召喚し支配するなどもはや質の悪い冗談にしか見えない。

 

 

 

 

 

 

強い上にえげつない手段を幾つも隠し持っている彼女は、絶対に敵には回したくない存在だ。

石を通して見ていたあの男は本当に不愉快極まりない存在だったが……それでも少しばかりの同情を感じずにはいられない程にメディアンの力は凄まじい。

こう、道端を行く一匹の蟻を巨大な闘牛か何かの群れが蹂躙していくような、そんな殲滅光景だった。

 

 

 

 

新しい暇つぶしの術もほぼ完成を見て、鬱陶しい賊も消え、結界の構築も終わった現在の状況に大きな満足を覚えつつイデアは口を開く。

パラパラと手元の書類を捲り、流しながら中身を見ていくに連れてイデアは苦笑を浮かべた。

 

 

 

 

何だ、これは。全てが無茶苦茶だ。

中に記されていたあの男の研究の全容は幾らか参考になる所こそ少量程度はあるが、竜族の叡智を貪るイデアにとっては子供だましもいい所だ。

余りにもお粗末だが、師匠も資料も何もない独学だっただろう事を考えるにこれでもよくやった方だろう。

 

 

 

 

 

「下がっていいぞ。部屋に戻って休むといい」

 

 

 

 

 

アンナを退室させたイデアはグッと背伸びをしてまどろみながら思う。

たまにはこんな風に全てが順調に進むのも悪くない。

思えば今まで生きてきた中で、物事が思い通りに進んだことなど極僅かだった。

 

 

 

 

ふふふと苦笑いを滲ませて全身をリラックスさせつつイデアは懐古した。

そもそも、順調に全てがナーガの描いた通りだったら、俺は長なんてしていない、と。

あぁ、と溜め息を吐く。そういえば、この頃は忙しくて余り姉さんの所へ行っていない。

 

 

 

 

 

近々行くのも悪くない。色々とこの頃は報告することが多くて何を言おうか迷ってしまいそうだ。

そうだ、花火を行う前に一度彼女の元へ行ってみるかと決断した所でイデアは少しだけ違和感を覚えた。

 

 

 

 

 

花火、そうだ。花火だ。自分が行おうとして、もう既に決行まで時間の問題となっている花火……。

それがどういうものかは知っているし、見たこともある。その時の感動も変わらずに自分の中にあるが。

 

 

 

 

 

“自分は何処で花火を見たか”がよく思い出せない。

胸の内側に黒い霞が掛かっていて、情報が引き出せないのだ。

まるで虫食いに会ったように記憶が出てこない。

 

 

 

もやもやとした闇だけが記憶の中で渦を巻いている。

 

 

 

知識は残っているのに、それに纏わる記憶が出てこないという事態は異常だった。

物忘れとは違う、何かに記憶を持っていかれたと表現できる感覚。

 

 

 

 

 

小さく肩を落とす。ここで、こう来るか、と。

後悔はしない。その程度の記憶ならばくれてやる。

 

 

 

 

 

むしろコレはいい機会だ。

魔道という力のメリットとデメリットを再確認する上での。

 

 

 

 

あーあーと声をあげて欠伸交じりに彼は言の葉を紡いだ。

腰の覇者の剣を鞘ごと眼の前に持ってきて、撫でてやる。

自分に言い聞かせるように、あの白昼夢で見た怪物を思い浮かべつつ、明確にはっきりと。

 

 

 

 

 

俺は、目的を絶対に忘れないぞ。

俺だけならともかく、姉さんやソルト、メディアンにアンナ、フレイ、ヤアン、里の者達の居場所を守るのに力が必要なんだ。

力を手に入れる為にソレを壊すなんて本末転倒で馬鹿馬鹿しいにも程があるだろう。

 

 

 

 

忌々しいが、ナーガのあの言葉は今になって判る。

個人的にはあの流れ込んできた“怪物”の思想は判らなくもないし、むしろ肯定的な思いさえ抱けるが……状況が違う、自分はそこまで自棄になるような状態ではない。

 

 

 

 

少しだけ鞘から抜いた剣の刀身に自らの顔を映し出して言うと、イデアは笑った。

 

 

 

 

 

 

 

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