とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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とある竜のお話 第二部 幕間 【草原の少女】

 

 

 

 

 

 

 

 

雨。

 

 

 

 

 

 

その光景を見てまず最初に目に付くのは地平線までだくだくと音を立てて降り注ぐ豪雨。

奇妙な雨だった。普通の雨は降ってくると冷たいのに、その雨は“人肌の様に暖かった”

そして何よりこの雨が普通とは違うのはその色と、肌に絡みつくような粘性。

 

 

 

 

 

 

その雨は“黒い” 

岩盤などを巻き込んだ土石流などとは全く違う性質の黒。

墨でもなく泥でもない。始祖が司る根源の闇をこの世に顕現させたが如く、何処までも純粋な暗黒色。

 

 

 

 

 

黒を極限まで圧縮した結果、液体になったようなおぞましい色彩と濃度。

 

 

 

 

 

降り注ぐだけで世界は漆黒に塗りつぶされる。夜が丸ごと墜落したように。そして堕ちた空の変わりとなってソレはいた。

 

 

 

 

 

 

雨が一滴大地に落ちるたびに世界が悲鳴をあげていた。食べられる、取り込まれる、弄ばれる、声もなく音もない悲鳴を確かに彼女は感じた。

父なる天をその巨躯で覆い隠し、母なる大地さえもその指先一本で微塵に砕く“怪物”が全ての災禍を操り、そして太陽の瞳を燃やしながら万象を嘲っている。

ただその場に居るだけだというのに、意識はおろか、魂さえも叩き割られるほどの圧倒的な波動をもって世界を駄菓子の様に易々と食いちぎるどうしようもない災厄。

 

 

 

 

 

 

 

全てを喰い潰すモノ、“胃界”の竜がそこには、居た。

何もかもを喰い尽くし、力と成して滅相するモノが。

 

 

 

 

 

 

“怪物”が息を漏らすたびに口内にズラッと並んだ凶悪な牙の隙間より吐息が漏れ出て……それが霧となり、黒い雨を降らせる災厄の暗黒雲へと変異。

余りにもこの存在は巨大すぎて、全景など把握は不可能。さながら人が世界の大きさを測ることが出来ないように。

 

 

 

 

 

 

かの存在にとって人との戦いは戦いでさえない。いうなればすべてが自らの気分を紛らせる暇つぶしか、もしくは食事の前の運動程度。

烈火の剣は砕け、天雷の斧は微塵に磨り潰され、氷雪の槍を芯から両断し、英武の大剣は鱗に傷一つつけられずに刃こぼれし、業火の理を吐息一つで産み出す黒雨でかき消して、温いと囀る。

黙示の闇は更に深い極限の闇に溶かされ、至高の光はそれさえも上回る“怪物”の放つ魔光に塗りつぶされ効力を発揮できない。

 

 

 

 

 

 

そして今、最後の希望だった封印の剣がその刀身を破砕されていた。

柄に嵌められていた炎の紋章は光を失い、剣を持っていた者はバラバラに消し飛ぶ。

知覚さえ許さない速度で“怪物”の力が発動し、降り注いでいた黒雨が刃の如き鋭さを以て剣の持ち手を攻撃し、微塵の肉塊へと変貌させる。

 

 

 

 

 

 

周囲に転がるのは無数の死体、死体、死体。屍山血河が世界の果てまで続いている。

流れる血が海を作り、うず高くある肉の山は城の尖塔よりも天に向かっていた。

 

 

 

 

 

 

彼女は自分の持っている弓矢を見やった。【疾風の弓】と呼ばれる神将器を。

最大級の風の加護を持ったソレは本来ならば三千世界の何よりも早く矢を放ち、矢は自らの意思を宿したような軌道を描いてどんな敵でも打ち抜くはずの神の武器。

だが“怪物”相手にそんなもの何の役にたつ。無限大に爆発し増加を続けるエーギルの質量の前にそんなもの、意味がない。

 

 

 

 

 

 

既にすべての神将器を用いての竜の力の“封印”は試されている。

確かにあの喰世竜の力は少しは堕ちているはずなのに、勝機が見えないのだ。

それどころか、封印を試みた神将器は内部から歪み、悲鳴を上げた所を彼女は夢とはいえ覚えている。

 

 

 

 

 

震える手で矢をつがえて“怪物”と向かい合う。

勝機などない。こんなつまらない玩具では何の痛苦も与えられずに終わるのは目に見えている。

 

 

 

 

 

心の底から噴き出る恐怖、恐怖、恐怖。

絶望と入り混じった負の感情さえも咀嚼するように巨大な紅と蒼の眼を細め、自分を観察する“怪物”と視線が交差する。

 

 

 

 

 

何処かで見たような眼をしている“怪物”の世界を見通す瞳はこう言っていた。

まるで無垢な少女の様に、無邪気な子供が好物を前にした時の様な眼で……。

 

 

 

 

 

 

 

 

──いただきます、と。

 

 

 

 

 

 

 

彼女が見たのは天から堕ちてくる、あまりにも巨大な“怪物”の指。それが彼女の目の前で何かを握るように大きく開いた。

そこに砕かれた封印の剣の破片が招かれたように引き寄せられ、微塵となった刀身の破片と“怪物”のエーギルが混ざり合い、新たな力となる。

人類を守るための希望が、人類と世界に最後のダメ押しとなる絶望を与える、その因果を喰世竜は好んだ。

 

 

 

 

 

 

誕生したのは世界を切るための巨大な剣。黒く輝く黄金の光を刀身とし、周囲に紫色の雷撃を纏う極大の世界という【食材】専用の“包丁”

“怪物”は自分なりにアレンジした封印の剣を満足そうに竜の巨大な5指で握りしめ、低く喉の奥底で嗤う。

飢えと渇きに満ちた太陽がその勢いを増す。延々と膨れ上がり、肥大化を続けるエーギルの総量が、更に数十桁単位で跳ね上がった。

 

 

 

 

 

 

 

もはや剣といえない。轟々と噴火する溶岩の様に噴き出る喰世竜の無尽蔵のエーギルが、ただ巨大な棒状の形をとっているだけ。

そこに封印の剣の力である意思を効力へと変える能力が付加され、増幅しているに過ぎない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──剣が、天が、万象を押しつぶしながら光さえも遥か彼方に超過した速度で堕ちてくる。それが彼女の夢の、幕引きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

覚醒の瞬間、彼女は叫んでいた。わめき散らすように、子供が親に許しを請うように。

喉から血が出るほどの音量で叫んだ彼女は自分を心配そうに抱きかかえ、背中を撫でさする男の腕の中で正気を取り戻す。

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か?」

 

 

 

 

 

 

 

心配そうに自分の眼を見つめてくるのは一人の男。彼女が愛し、そして愛してくれる存在。

周囲に眼をやるとまだ時間は夜なのだろう。灯された蝋燭の灯だけが怪しくゲルの内部を照らしていた。

薄着の自分を心配したのか、一枚の毛布を肩からかけてくれる気遣いに彼女は優しく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「もう大丈夫だ。ありがとう」

 

 

 

 

 

 

彼女──ハノンはゆっくりと寝床から立ち上がると夫の頬を撫でる。

無骨だが、確かな優しさを持つ愛しい伴侶の顔を見て、心が落ち着いていくのを感じた。

汗でべたついた黒髪が胸にへばりついているのを指で退かしながら彼女は起き上がる。

 

 

 

 

「少し夜風にあたってくる……夢見が悪くてすまない」

 

 

 

 

 

「気にしていない。それよりも、お前の体の方が心配だ。余りこんなことが続くのなら」

 

 

 

 

 

 

その先の言葉をハノンは言わせなかった。

人差し指で男の口をそっと押えると、一回だけ微笑んでからゲルを後にする。

 

 

 

 

 

 

持ち物として愛用の弓であるミュルグレとその矢を一本だけ掴み、彼女はサカの夜の中を歩いていた。

質素な木を削りだして作ったようなその弓は、おおよそ神将器とは思えない程に地味だが、そんなこと彼女はどうでもよかった。

名前は大事だが、この弓は私の第二の相棒。ただ、それだけでいいじゃないか。

 

 

 

 

 

 

またあの夢だ。ハノンは全身に打ち付ける夜風の冷気によって思考を冷やしつつ思う。

あの夢を見るのは初めてではない。もう何度もあの“怪物”を彼女は見ていた。

そしてその度に叩き付けられるのは極大の恐怖と絶望。あの戦役で味わったすべてを置き去りにする絶対的な悪夢。

 

 

 

 

 

 

 

初めてそれを見たのは、あの日飛竜の群れと戦い、そして竜の双子と出会って数日後の事だった。

最初はわけもわからない光景に泣き叫び、ただ恐怖した。まだ神将でさえなかった彼女は少しばかり気の強く、大人びた少女でしかなかったから。

次に“怪物”を見たのは戦役が始まる寸前の事。彼女が崇拝するサカの大地と天から虫の知らせの如く部族に帰るのだとお言葉を頂いた日の夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

彼女は恐怖した。世界の終焉を何度も見せられるたびに感じる戦慄と絶望、そして虚無感は一人の人間が背負うにはあまりにも大きすぎたのだから。

 

 

 

 

 

 

かつて部族を追い出されたときシャーマンは言った。お前にはやるべき事がある、それを探してこいと。

自分は何年もの間、サカを彷徨い続けてその自らの使命を探したのだ。そして結局、それは見つけることが叶わないままにあの戦役は始まった。

 

 

 

 

 

 

帰還した彼女を部族の者たちは手厚く迎え入れた。自分の中での明確な目的こそ見つからなかったが

数年という期間は一人の少女を立派な一人前へと変貌させており、皆がそれを認めたのだ。

そして何より、サカの天と大地の声を聴くことの出来る部族の者たちは彼女が飛竜の群れに挑んだ事を知っていた。

 

 

 

 

 

 

実の両親にはその成長ぶりを褒め称えられた時に流した涙の感覚は忘れられない。

 

 

 

 

 

サカの部族の者たちは皆が口をそろえて言う。お前の成すべきことは、あの飛竜の群れを阻止することだったのよ、と。

どういう理屈かは判らないが、あの双子の父親がやった飛竜の群れの殲滅は、自分がやったという事になっていた。

曰く、ブルガルに移動していた群れの頭目を自分と数人の仲間が倒し、群れを撃退、したとか。

 

 

 

 

 

朧に理解した。世界の声さえ捻じ曲げることが出来るだろう存在に、彼女は一度会っていたのだから。

 

 

 

 

 

 

違う、それは自分じゃない。そう言おうとしてやめた。

誰が信じられるか。たった一人の人間の姿をした竜が世界ごと千を超えるほどの飛竜の群れを消し飛ばしたなど。

まだ群れの頭目が倒され、残った竜たちはベルンへと帰って行った、という筋書きの方が信憑性がある。

 

 

 

 

 

 

 

夜風が頬を撫でていく。少しばかり歩いた彼女がたどり着いたのは馬小屋。彼女には馴染の深い匂いが鼻孔をくすぐった。

無数の馬が寝息を立てている中、一頭だけが起き上がり、こっちに向かってくる。

嬉しそうに鼻を鳴らしながら頭を擦り付けてくる馬を優しく撫でてやると、ハノンの顔は綻んだ。

 

 

 

 

 

多少年こそ取ったが、こいつは何も変わっていない。あの頃のままだ。

 

 

 

 

愛馬、そう、確かあの双子の姉に「ウィルソン」と名付けられそうになっていた第一の相棒に鐙もなく跨ると、ハノンはゆっくりと馬を走らせた。

背中にミュルグレとその矢を一本だけ質素な皮の矢筒に入れる。

 

 

 

 

手綱をもって走り出そうとする彼女を部族の者は止めようともしなかった、

いつもの散歩だという事を知っていたし、何より彼女は部族最強の存在であり神将の一角なのだ。人間では彼女に勝てるものなどほぼ居ない。

 

 

 

 

 

暫く集落から離れるように月夜の中を馬で走り、小高い丘の上で彼女は相棒から降りた。

ちょうど緩やかな山の様な形状の丘を相棒を先導しつつ歩き、その頂点で彼女は胡坐をかいた。

天に浮かぶ月と、周りを取り囲む微小な星々の光。そして周囲を流れる優しい風。その全てを彼女は愛している。

 

 

 

 

 

この為に自分は戦った。自分と同じく世界を愛し、そこで生きていきたいと願う全ての人の為に。

チクリと胸が痛む。違う。全ての人ではない、全ての存在の為にだ。

 

 

 

 

 

相棒が音もなく座り込み、彼女を温めたいのかその身で包むように陣取る。

 

 

 

 

 

世界がそんな綺麗ごとだけで回っているんじゃないことを知ってこそいるが、それでも彼女は何時もここに来ると黙とうを捧げる。

あの戦役で死んだ竜も含める全ての命に対して。せめて、母にして父なる世界の中で永遠の安らぎを得られますように。

 

 

 

 

 

一しきり黙とうを捧げた後にハノンは薄目を開けて後ろをふりかえらずに声だけを飛ばした。

凛とした声だった。サカの巨大部族をまとめ上げ、戦役で竜を相手に大立ち回りを演じた英雄に相応しい格のある声。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうした。隠れる必要などないだろうに」

 

 

 

 

 

 

「やはり、お主にはこういう小細工は意味をもたないか」

 

 

 

 

 

 

答える声は男だった。しわがれている声。

しかし滑舌は素晴らしくよく、それでいて確かな知性と落ち着きを感じる老荘とした声。

空気が曲がり、風が歪む。魔術によって操られていた光の反射術が解かれて一人の人間が姿を現す。

 

 

 

 

 

空を溶かし込んだような青く上品なローブを身に纏い、長い白髪を後ろで纏めた初老の男だった。

全身は枯れ枝の様に細く、肌は無数の皺が刻まれている程の年長の男だが、全身から感じる英気と精力は部族のどの男よりも強く、若く、雄々しい。

獲物を見つけた鷹の如く鋭い眼だが、その中に宿るのは知性と友情の念。それがハノンに向けられていた。

 

 

 

 

 

ハノンは小さくため息を吐いた。昔からこの翁は変わらない。何処か子供のような悪戯や行動を時々起こす。

だが、久しぶりに戦友にあえて嬉しいのは確かだった。

 

 

 

 

 

 

「すまないな、こんな場所では歓迎の茶も出せん。部族まで来るといい、皆も喜んでくれるだろう」

 

 

 

 

 

「お主ならそう言うと思っていた。 だから、ほれ」

 

 

 

 

 

 

男が人差し指で空中に円を描き、そこに魔力を込めると赤い魔方陣が浮かび上がり、何かを取り寄せる。

次の刹那に男が握っていたのは小さな二人分の小さな陶器の湯呑。湯気が漂ってくることを見るに、中身が入っているのだろう。

 

 

 

 

差し出してくるそれを受け取り、中を見ると少しだけ赤みの掛かったお茶が入っていた。

いい香りだった。満開の花の様な、飲み物というよりは、そういう娯楽品と言われても通用するような素晴らしい茶。

確かエトルリア王国の貴族、それも王族に連なるほどの大貴族はこういう茶を飲んでいるらしいが、今ハノンが持っている茶はまさにそれだった。

 

 

 

 

 

 

「いいのか?」

 

 

 

 

 

「構わんよ、そもそもワシはお前と話すために来たのだからな。土産の一つも持ってこなくては礼を欠くというものだ」

 

 

 

 

 

 

失礼と一声を入れてからハノンは茶を飲み干す。少しばかり彼女は頭が陶酔しそうになるのを何とか堪える。

美味しい。今までいろんな茶を飲んできたが、ここまで美味しいのは初めてだ。

舌が疼き、菓子の類をよこせと訴えてくるが、残念なことに今は所持しておらず、真面目に集落にまで取りに戻ろうと考えてしまうほどの茶。

 

 

 

 

 

「ほれ、こういうのも持ってきたぞ」

 

 

 

 

 

 

男がまたもや転移の術を利用し、今度はバスケットを取り出す。

中身はエトルリア王国の王族が愛好する最高級の菓子類。

どういう原理かはわからないが、まだ焼きたてのころの熱を維持しているように仄かな熱気が籠から漏れている。

 

 

 

 

 

 

ハノンは少しばかり小腹が減っているのを思い出し……視線がバスケットにくぎ付けにされそうになりながらも男を見る。そして言った。

 

 

 

 

 

 

 

「気持ちはありがたいが、話とは何だ?」

 

 

 

 

 

 

「そのことなんだがな……まぁ、いい。食べながら話すとしよう」

 

 

 

 

 

彼女の友であるこの男にしては珍しく歯切れが悪い様子を不審に思いながらもハノンは相棒を引き連れて立ち上がり、男の正面に座った。

男も腰をよっこいしょと下ろすと、今度は家畜を育成するための牧草を取り寄せて、ハノンの相棒へと与える。

上機嫌に鼻を鳴らしながら牧草を咀嚼する馬を横目で見やりつつ、ハノンはわずかに背中が震えているのに気が付く。

 

 

 

 

 

何だろうとみると、ミュルグレが薄く翡翠色に発光し振動を起こしていた。

目の前の男も同じような現象が起こっているらしく、彼はそれを予想していたみたいで軽く笑うと懐から一冊の魔道書を取り出す。

 

 

 

 

所々に貴金属で美麗かつ、繊細な装飾を施され、本全体を金属で塗り固めたような質感を持つ真紅の魔書。

表紙さえも金属で固められたそれはもはや本というよりは、何か別の道具のようだった。

 

 

 

 

 

 

本の名前は【業火の理】フォルブレイズ。

八神将が一角【大賢者】アトスが用いる理最強の対竜の最強魔法にして戦略兵器。

万象全てを焼き尽くす究極の熱を孕んだ魔書だ。

 

 

 

 

 

【業火の理】と【疾風の弓】二つの神将器はまるで再開を喜ぶように震え、そして放たれる翡翠と真紅のオーラが混ざり合う。

 

 

 

 

 

 

「共鳴、だな。神将器同士のこの現象を見るのも久しぶりと言ったところか」

 

 

 

 

 

冷静に、見た目の派手さに惑わされずにこの現象を説明する男はさすが【大賢者】というだけの事はあった。

それでいて、妙に説明臭さが抜けないのは、今現在この男がエトルリアで大量の生徒を相手に教鞭を振っている事実が透けて見える。

 

 

 

 

 

「しかしアトス、いいのか? お前は確か今はエトルリアで後進を育ててると聞いたが、勝手に王国を離れても」

 

 

 

 

 

アトス、八神将の一人であり今はエトルリア王国の魔道部門の頂点にたっている老人は頷くと、腕をぐるっと回した。

 

 

 

 

 

 

「ちょっとした息抜きだ。あそこの資料はもうほとんど読みつくしていてな……新鮮味がない。 

 それに、対等に語り合える友が居ないというのもつまらないものだ」

 

 

 

 

 

同じエトルリア王国に定住しているエリミーヌは今や、巨大な組織の頂点となってしまい、暇な時間などゼロに等しい。

 

 

 

 

 

「それで、私に話とは?」

 

 

 

 

 

 

「お主、以前、ワシに夢見が悪いとぼやいていたことがあったな?」

 

 

 

 

 

 

 

考える。確かに自分は戦役の最中、アトスに夢の事を話したことがある。

何気なく、世間話でもするような気軽さで話したが、まさかそれだけが用事でこの男はここまできたのか。

 

 

 

 

 

そんな彼女の内心を見透かしたようにアトスは口を開いた。

 

 

 

 

 

「夢、というのはお主が思っているよりも、魔道の中では重要なモノなのだ。

 無論、ただの夢ということも多いが、人が近い未来や、ありえたかもしれない世界を朧に夢として見るという事もある」

 

 

 

 

 

「シャーマンの占星術に近いものなのか?」

 

 

 

 

 

「その解釈で大体はあっとるよ」

 

 

 

 

 

 

さて、と。アトスは一息吐くと、懐から人間の頭部ほどの大きさがある水晶球を取り出す。

水晶は表面が白く濁っていて、まるで埃でも被っているように表面はかさかさだった。

 

 

 

 

 

 

 

「これは?」

 

 

 

 

 

ハノンが頭を傾げる。

大体何に使うのかは判るが、このアトスが取り出したからには何か別の意味があるのかもしれない。

 

 

 

 

 

「お主の夢をワシが見るための道具だ。人は忘れたと思ったことでも、必ず断片としてでも頭の何処かで覚えているものでな。

 これはワシの魔力でその記憶を呼び覚まし、そのイメージを此方に送るための媒介だ」

 

 

 

 

 

 

「一つ聞きたいが、なぜそこまで私の夢に拘る? 

 確かにアレは普通の夢とは思えないが、お前がそこまでして見てみたいと思うものでもないと思うのだが」

 

 

 

 

 

 

指摘にアトスの眼が細まった。好々爺として雰囲気はなりを潜め、そこにいたのは魔道士としての彼。

人の為にではなく、竜族が保有していたという莫大な書物、至高の知識を求めて戦役に参加した魔道の鬼だった。

 

 

 

 

 

 

 

「……アルマーズ、いや、テュルバンが何者かに倒され、神将器の一角が行方不明となった」

 

 

 

 

 

一瞬、ハノンの全身に得も言えぬ衝撃が駆け巡り、小さく肩が跳ねあがった。

 

 

 

 

 

ハノンは思わず耳を疑う。よりによって、アルマーズが? あのテュルバンが、倒された?

単純な戦闘能力ならばハルトムートに次ぐ力を持つあの狂った戦争狂が?

 

 

 

 

 

彼らは知っていた。西方へと追放されたテュルバンが異形の存在と化して生きながらえていたことを。

もはや竜と同等の脅威として世界に存続していた怪物を、神将の者たちは何時か倒そうと考えていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてテュルバンという名前を聞くと、彼女は胸の内側が深く痛み出す様な思いを感じる。

 

 

 

 

 

正直に言ってしまおう。ハノンはテュルバンが嫌いだった。

あのあり方をどうしても受け入れることが出来なかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

命への敬意を欠片ももたず、全てを自分中心に考え、人の幸せを嘲り、嬉々として不幸を撒き散らすあの男を彼女は心底唾棄している。

戦役の最中にもあの男は幾度も問題を起こしてきた、味方を巻き添えにしての神将器の力の行使、物資不足となれば近場の住人を虐殺しての調達、口減らしと称しての自軍内のけが人、病人の大量殺害。

女子供を何処からか拉致してきては、おそらくは親族同士のそのもの達を殺しあわせてそれを己の肴にし

気に入った女がいたら無理やり犯し、飽きたらゴミの様に部下どもの性欲処理の道具と成したり、あげればキリがない。

 

 

 

 

 

そんな横暴が許されたのは、彼が強かったからだ。強く、凶暴で、その力を人々は必要とした故に彼の罪は一切咎められなかった。

力は正義、力こそが全てを支配する。その言葉を体現したような男だった。

 

 

 

 

 

魔竜……彼女にとってはどうしても越えられない一線、誰にも侵食されたくもない領域さえあの男は犯しつくした。

 

 

 

 

 

 

 

魔竜を始めてみたとき、ハノンは固まった。

事前にハルトムート等から魔竜がどういう経緯で誕生したのかを聞かされていた彼女は嫌な予感はしていたのだが、それは最悪の結果となって目の前に現れることになる。

それを、あの男は殺そうとした。それも人類の為などではなく、己が欲望のためだけに。それだけは許せなかった。

 

 

 

 

 

 

自分は正しいことをしたとは思えなかった。だが、あの状況では出来うる限りの最善を尽くしたと信じていたい。

もしも、もしもだ。自分が【彼女】にしたことを“彼”が許さなかったら? 

その報復として世界を再び混乱に落とすため、今は準備をしているとしたら?

 

 

 

 

 

彼女は忘れてはいない。自分が握りしめた封印の剣によって“彼女”に傷をつけ、封印していく様を。

 

 

 

絶対に犯してはならない裏切りを行った。それはどうしようもない事実。

 

 

 

 

 

 

 

「……それをやったのが何者かはわかっていないのか?」

 

 

 

 

 

 

無意識に震える唇と体。音を立てて自分の顔が青くなっていくのがありありと判るのが、恐ろしい。

今の自分の状態をアトスは神将器が奪われたことによるモノだと予想しているだろうが、実際は違う。

 

 

 

 

 

確信だ。確信を得ていた。自分は知っている。誰がテュルバンを葬り、アルマーズを奪い去ったか。

だが、それを言うつもりなどない。絶対に。

例えそれがかつての仲間であり、今も親しく思っている親友の一人だろうと、世界を終わりへと導きかねない決断であっても。

 

 

 

 

 

 

「判らぬ。そもそも、アルマーズの領土だったあの島は外界から隔離されていたからな、あの中で何があったのかは判らんのだ」

 

 

 

 

 

精霊の声さえもあやふやで何を言っているかわからない、こんな現象は初めてだ。そう大賢者は漏らした。

 

 

 

 

 

 

「今は全くと言っていいほどに手がかりはない。

 そんな中、何気なしにお前の夢の話を思い出したのだよ。直感の様なものだが、やってみる価値はあるとワシは判断した」

 

 

 

 

 

「なるほど、では早速頼む。私は何をすればいい?」

 

 

 

 

 

アトスは水晶玉をグイッとハノンへと近づけて、その手に持たせた。

両腕でしっかりハノンが水晶玉を持つと、彼は数回頷く。

 

 

 

 

 

 

「眼を瞑り、意識を深く落とすのだ。瞑想をして、夢で見た光景をどんな断片でもよいから、思い起こせ」

 

 

 

 

 

 

言葉に従い、瞼を下ろすと視界が闇に染まる。慎重に、それでいて必死に思考を冴え渡らせ、無心へと至る。

何時も彼女が愛するサカの風の声、大地のささやきを聞くために到達している領域へ、堕ちていく。

 

 

 

 

 

堕ちて、堕ちて、その最深部。そこにたどり着くと同時に、ハノンは無意識に身震いしていた。

無我の極地。真っ白な世界に“怪物”は居た。彼女の頭の片隅に根を張り、恐怖という毒で魂を嬲る化け物が。

紅と蒼、対となる色彩を滲ませた瞳が煌々と輝き、自分を見返してくる。

 

 

 

 

全身に走る赤黒い光の線を不気味に輝かさせ、太陽そのものを凝縮したような眼が、哀れでちっぽけな女を淡々と観察し、細く窄められた。

 

 

 

 

 

吐息を感じ、自分との生命力の質量の桁の違いを理解し、狂気を送り込まれ、ハノンは呼吸が荒くなる。

激しく揺れる胸、嫌な汗が止まらない、全身が震え、意識が朧に霞んでいく……。

この化け物はただの自分の中に作り上げたイメージ。夢という幻想を構築する欠片でしかないはずだというのに、ハノンは必死に無意識の内に謝っていた。

 

 

 

 

 

しかしそれは命乞いではない、むしろその逆、何一つ約束を果たせなかった自分の命などどうでもいい、ただ、ひたすら謝罪の言葉を心の底から振り絞っている。

 

 

 

 

 

断罪する様に喰世の竜は咢を開く。

世界を咀嚼するための口を大きく展開し、ハノンという一人の人間の世界を蹂躙しようとし……その瞳を別の所に向け、焦点を合わせた後に、歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハノンは目の前のアトスの顔さえ最初は認識できなかった。呼吸が出来ず、何度もむせ返りながら、務めてゆったりと周りを見渡す。

ここはサカの草原の小高い丘の上。時間は夜。そうだ、自分はアトスと話をしていて……。

ぺろぺろと自分の顔を心配そうに相棒が舐めてくれる。大丈夫だと一声かけてから頭を撫でてやり、大きく深呼吸し呼吸を整える。

 

 

 

 

 

一瞬だけ暖かい光が走ると体がだいぶ楽になったのを見るに、アトスが【ライヴ】でも使ったのだろう。

 

 

 

 

最後に視線をさりげなくアトスに戻すと、彼の顔は今まで彼女が見たどんな顔よりも皺深く、疲れと焦燥、そして恐怖と好奇の念がにじみ出ていた。

大賢者ではなく、ただ一人の魔道士としてのアトスが、極めて重要な未知を理解しようとする際に浮かべる顔だ。

滅多に見れない顔、それほどまでにアレは重要な存在なのか。

 

 

 

 

 

ハノンでなければ見抜けない程の刹那の間にアトスは顔を変えた。温和で人当たりのよい好々爺然とした顔へ。

 

 

 

 

 

「……見たか?」

 

 

 

 

 

「ああ」

 

 

 

 

 

返答は軽いものだった。ただの日常会話で使われていてもおかしくない程に呆気ない口調。

そして彼は一つずつ、言い聞かせるようにハノンに向けて言葉を発した。

まるで泣きわめく子供をなだめるように、お前は悪くないと親が慰めるかの如く。

 

 

 

 

 

「アレはお前の中に、お前自身が作り出した存在だな。戦役などでたまった心的な負担が、今になって噴き出てきたのだろう。事実、戦を経験した兵士などにそういった症状はよく見られる」

 

 

 

 

 

 

無言で言葉を聞くハノンが頷いた。否定できない部分は確かにあるからだ。あの戦役で彼女は……疲れた。

竜との戦いもそうだが、人間にも疲れたのだ。英雄となった彼女を利用しようとする者、人類の総力戦だというのに、自らの利益だけを考える者。

更には彼女が草原の生まれだからといって、野蛮人扱いし、挙句には罠に嵌めようとした愚者に、ハルトムートの怒りを買ったとある魔道士たち。

 

 

 

 

 

 

心理的な負担は体内の生命を乱すというのはサカにも伝わる健康の考え方の一つ。

そうやって彼女は自分を無理やりにでも納得させた。

 

 

 

 

 

 

「忘れろとは言わん。だが、戦役に囚われ過ぎて自分で作った未来に目を向けないのは愚かなこと」

 

 

 

 

 

「……判っている」

 

 

 

 

 

 

自分は自分で出来る範囲内で最善の行動を行った。そのはずだ。何度も何度も自分の心に言い聞かせ、彼女は答えた。

心の片隅でアトスは何かを誤魔化している。追及しないのか? そう問うてくる声を黙殺しながら。

 

 

 

 

 

 

「さて、辛気臭い話題はここまでにしよう。ここからは、両者の思い出話にでも花を咲かせるとするかの」

 

 

 

 

 

 

 

小気味のいい笑顔を浮かべたアトスがまたもや虚空から何かを取り出す。それは人間の子供の胴体ぐらいはあるタル。

ハノンの嗅覚はそこから漏れ出る甘い匂いと、発酵仕切った果実の匂いが複雑に入り混じった酒独特の香りを敏感にかぎ分けることが出来た。

 

 

 

いつの間にか目の前には青銅製の盃が浮いていた。ハノンに取れと言わんばかりに。

 

 

 

 

 

「たまにはハメを外して飲むといい。部族の方にはワシが送ってやる」

 

 

 

 

 

アトスの友に対する心遣い、自らへの労り、それらを受け取ったハノンは無言で頷くと、盃を両手で握りしめて、少しだけ力を込める。

少しばかり視界が滲むのは気のせいではないだろう。戦役が終わり、悪夢に苦しめられていた日々の中で、初めて本当の意味で安らぎを得られた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの後、ささやかに行われた宴会によって酒に酔ってしまったハノンを部族へと無事に送り届けたアトスは、集落のゲルを一つ貸し与えられていた。

ゲルの内部を灯すのは幾つかの蝋燭のみで、部屋の隅まで灯は届いては居ない。風通しもよく、それでいて適度な温度の室内は、安眠を提供してくれるだろう。

最も、既に睡眠という人間的な行為を超越している彼にとってはゲルの中の安眠性などどうでもいいことだが。

 

 

 

 

 

 

最初はハノンと共に集落に現れた彼に対して警戒の念が向けられたが

ハノンの紹介と、そしてアトスを知っていたものが部族に居たことによって、彼は歓迎を受ける事となったのだ。

 

 

 

 

純粋に自分へ対する尊敬の念をアトスは心地よく感じ取っていた。実に清々しく、清純な意思を向けられるのは気持ちがよいものだ。

エトルリア王国で様々な人間が自分へと向けてくる感情は様々な不純物が混ざっている。さながら、無茶苦茶な鉱石で剣を作った時の様に。

しかもそのどれもが不愉快極まりないものだ。

 

 

 

 

 

 

侮蔑。軽視。嫉妬。悪意。時と場合によっては殺意さえも感じることがある。

エトルリア王国にとって彼は重要な人物だが、同時に邪魔な存在でもあるのだから。

いや、正確にいうならば、近頃力を付けてきた貴族達と、エリミーヌ教団の一部の者たちからすれば、だ。

 

 

 

 

 

彼が育てる教え子は非常に優秀だ。魔道的な意味だけではなく、知力的にも、人格的にも。そして家柄さえも高位の者が多い。

それらが集まり、アトスを中心とした派閥を作り、発言力を高めているというのが気に入らないという存在が多いのだろう。

特に戦役でも活躍した、彼の弟子であるリグレ公爵家の現代当主など、次期魔道軍将の地位は約束されているも同然。

 

 

 

 

 

 

神将の陰に隠れがちだが、あの男も立派な英雄の一人だ。

 

 

 

 

 

賄賂でも落とせず、脅しもできず、知力の差で策略さえ通じない強力な力と叡智をもった派閥……不愉快と思われても仕方ない。

結局の所、竜という共通の敵がいなくなったら、今度は人間同士で争いが始まりかけているのだ。

 

 

 

 

少し昔では、エリミーヌ教団から過激な思想を持つ男が一人、処刑されかかったのを逃げたらしいが。

竜族の技術の端くれを手に入れて狂喜乱舞していたその男をアトスは冷たい目で見ていたことがある。

身の程を弁えずに力を手にしようとする男の末路など、どうせ大したことはないと思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

アトスは一枚の紙を取り出し、眺める。

そこに描かれているのは、エレブ大陸。至るところにバツ印が付けられたそれは、もはや大陸の全景が見えなくなるほどにバツで埋め尽くされている。

 

 

 

 

 

 

最近、アトスはテュルバンの件とは別に大規模な力の行使を朧に感じたのだ。もしかしたら、ただの気のせいなのかもしれないが、調べてみる必要はあると感じた。

それは小さな小さな地震。大陸の奥底で流動する溶岩が動いたような気配。

 

 

 

 

 

 

これは、精霊を通してその力が感じ取れた場所なのだが……おかしい。

“ありとあらゆる場所”から反応が出ているのだ。北はイリアの極北、南はミスル半島の先、西は西方三島に、東はベルンの果て、文字通り世界全体からだ。

まるで攪乱されているようだ。全く訳が分からない。何をされているのかさえ理解できない。

 

 

 

 

 

 

 

しかも精霊は日によっていう事が違う。

ある日はリキアが原因だ。とある日は力の発現などなかった、また違う日はイリアが──。

 

 

 

 

 

 

 

考えられるとしたら、幾つかの予想が浮かび上がってくる。

 

 

 

 

一つは自分の気のせいだった。力の行使などなく、自分も人の子で、間違いを起こすこともあるということ。

二つ目は本当に何者かが力を使った。それもかなり大規模な範囲で。そしてそれを隠すための妨害を行っている。

三つ目、原因は何者かという一個人が負っているものではなく、あの終末の冬の時と同じように、世界にはまだ自分の知らない現象が起こっていて、それを自分は追いかけているということ。

 

 

 

 

 

 

 

1か3であればよいとアトスは願った。もしも2だったら、相当に厄介なことになる。

一応は、人間という範囲の中では魔道を最も深く身に着けているだろうと自負する自分さえ超えかねない魔導士が存在するということになるのだから。

自分と互角、もしくはそれ以上の魔道の知識と力を持つ存在が世界に対して害意を以て行動をすれば、どうなるかを瞬時に考え、予想しうる被害規模に背筋が寒くなる。

 

 

 

 

 

心当たりがあるとすれば、彼の友であるハルトムートの怒りを買ったあの男。しかし、アレも違うだろう。

竜と人、双方に通じて利を得ようとしたあの男は今や地獄の底へと送られてしまった故に、今回とは無関係だろうと彼は断じた。

 

 

 

 

 

「アトス、少しいいか?」

 

 

 

 

 

 

風の様に澄んだ声がアトスの耳朶を打つ。

先ほどに比べて幾らか音程が高くなっているが、芯となっている力強さは変わらない声。

先ほどと少し違うのは、その腰に差した一本の倭刀。鞘の上から見ても刀身は太く、恐らくは男性用の武器だろう。

 

 

 

 

 

 

「どうした? 寝ているのではなかったのか?」

 

 

 

 

 

ゲルの入り口に立つハノンは黒い長髪を指でかき上げると、堂々とした様子で中に入る。

少しばかり頬が赤く、酒が抜けきってない彼女はアトスの前に腰を下ろすと、懐の倭刀を鞘ごとアトスへと差し出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「これを持って行ってくれ」

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

アトスは頭を傾げた。何故だろうか。この倭刀をアトスは知っている。

彼女が戦役の最中に使っていた女性用の倭刀【マー二・カティ】の姉妹剣、確か銘を【ソール・カティ】と刻まれていた刀。

彼女は接近戦になると【マー二・カティ】【ソール・カティ】の二本の刃を軽々と振り回して敵を薙ぎ払うのだ。

 

 

 

 

 

 

「いいのか? これはお前の家に代々伝わる家宝の様なものなのだろう?」

 

 

 

 

 

「二言はない。持って行ってくれ、きっと何処かで役に立つときが来るはずだ……それに、私にはもう必要がなくなるものだからな」

 

 

 

 

 

それは彼女の意思。少なくとも、自分が生きている間にこの刃を人に向けて使うことは起こさせないという決意。

永遠の平和などないが、神将たる己が生き残っている内ぐらいはサカの部族同士の抗争も、外部との戦争もゼロにしたい。

そしてサカの部族の象徴という意味なら【疾風の弓】が果たしてくれるだろう。

 

 

 

 

 

アトスが刀を受けると、思わず驚く。刃と柄の厚みから知っていたが、うっかり落としそうになるほどの重量感を感じたからだ。

考えていたよりもずっと重い。こんなものを彼女は女の身で振り回していたのか。

 

 

 

 

 

 

「ではな、私の用事は本当に終わりだ。何か欲しいものでもあったら、ゲルの外に警備の者がいるから、彼らに言ってくれ」

 

 

 

 

 

 

 

それだけ言うと、ハノンは足早にゲルから出て行ってしまう。

一人残されたアトスは渡された倭刀を少しだけ鞘から解放し、その刀身を眺めてみる。

磨き抜かれたガラスの様な刀身に自分の顔が映り、青白く発光。

 

 

 

 

 

 

 

強い【理】の力、刀に宿る精霊の力をアトスは読み取り、刀身を鞘に戻す。

 

 

 

 

 

 

眼を閉じて、座禅を組み、彼は何時も夜にやっているように瞑想を始めた。少しばかり頭を整理したい。

この頃は物事が多く起こりすぎた。ハルトムートの死。アルマーズの強奪。得体の知れない力の行使……。

 

 

 

 

 

 

そして、そして、あのナニかだ。

 

 

 

 

 

 

彼は嘘をついていた。

あの“ナニか”はハノンのイメージではない。戦争で脳裏に刻まれた悪夢ではない。

 

 

 

 

 

もっと具体的で、近くて、遠い存在にも見て取れる。

未来か、過去か、何処かに確かにアレは存在して、確実に万象を蝕んでいる。

 

 

 

 

 

アトスは見た。ハノンの脳裏に焼き付けられた姿を。力を。

一目で理解した。アレは産まれた時点で全てが終わる存在だと。

今のエレブには居ない。これからも産まれるかは判らない。

 

 

 

 

 

 

深淵を覗き、アトスは逆に深淵そのものを凝固させたような存在に覗きかえされた。

そこで全てが途切れ、その先には何もなかった。

 

 

 

 

 

何故ハノンがアレを見ていたのか。全て判らない。

この世には判らないことがまだまだある。真理には程遠い今の自分ではこの問題を解き明かすのは難しいだろう。

もっと知識を。もっと力を。更なる高みを目指さなければならない事態。

 

 

 

 

 

 

必要ならば、友に相談することさえ視野に入れる。

アレは自分と同等の魔道士だが……少々話しづらいのが問題だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハノンは自らのゲルに戻ることなく、集落から少しだけ離れた草原の丘の上に直に倒れこみ、微睡の中で回想をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ世界が平和で、自分がただ一人の少女だったころの思い出。

神将器もなく、英雄でもなく、戦争もない世界に自分は一人で旅をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

何処までも続く空と大地に抱擁を受け、一人と相棒の一頭でサカのあちらこちらを行き来していた時代。

そして奇妙な出会い。まさしく天啓とも思えるほどの偶然にして必然の出来事。

自分は、弓矢を携え、その訪問者に矢を向けていた。

 

 

 

 

 

 

視線の先に居るのは、小さな小さな幼子二人。

自分に向けられる眼は、余りにも弱弱しく、懇願するような眼。紅と蒼の鮮やかな瞳は吸い込まれそうな程に綺麗だった。

姉弟の二人は、人間の子供が恐怖に怯えるのと同じように手を繋ぎ、決して離れまいとしている。

 

 

 

 

 

 

 

悪いことをしたと思う。今考えても少しばかり自分は焦り過ぎていた。

幾ら勘違いしたとはいえ、明確な敵意を浴びせかけてしまったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は謝罪をし、二人を自分のゲルの中に案内する。

正直な話、他者と話すのが久しぶりなことで、楽しみでもあったのだ。

弓矢を置き、倭刀に興味津々な弟の要求に答えようとしたのだが、何故か倭刀は鞘から抜けずに失敗。

 

 

 

 

 

 

面白い時間だった。様々な事を話した。

自分の身の上話、相棒の事、二振りの倭刀の事、そして竜の姉弟の事。

 

 

 

 

 

正直な話、弟と姉は最初は逆だと思ったものだ。

しっかりとしている何処か大人びた弟と、天然気ままを絵に描いた様な姉。

だがやはり姉弟というべきか、根本的な所の“気配”は酷似しており、呼吸の間隔なども似通っている。

 

 

 

 

 

 

そして訪れるのは飛竜の群れ。自分は必死に戦い、そして敗れた。

当時の自分はまだ少しばかり腕の立つ少女でしかなく、とてもじゃないが勝てるはずのない戦いだった。

飛竜に貪られ、世界は少女一人の死など関係なく回るのが運命のはず。

 

 

 

 

 

本当ならばあそこで自分は死んでいた。

神将ハノンは、生まれる前に消えるはずだったのだ。

あの姉弟が、そして姉弟の父が、自分の命を繋いでくれたから今の自分がある

 

 

 

 

 

だからこそ歯がゆい。自分は何をやっていたのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと、何かが頬に触れたような感じがした。

眼を覚まし、それを確認してハノンは息を呑む。

紅い宝玉が、そこにはあった。いつもは大切に棚の奥にしまっておいたはずのソレが。

 

 

 

 

 

あの日、姉弟の父親より譲り受けた品だ。

最初は拒否したのだが、あの男の有無を言わせない雰囲気に負けてもらい受けた逸品。

内部に炎の如き煌めきを宿す宝玉は、まるでかの“炎の紋章”の様だった。

 

 

 

 

 

 

 

何時の間に? いや、自分はこれを動かしたか?

考えても答えは出ない。朧に周囲の気配を辿り、彼女は嬉しさの余りに微笑む。

活力だけが湧き上がってくる。久しぶりに心の底から、自然に発生する喜の感情を得た気さえもした。

 

 

 

 

 

 

全く。不器用なのだから。

 

 

 

 

 

数少ない自分の気配探知の隙間を縫うことが出来る存在。自分が完全に心を許している“彼”の微かな残り香。

言葉を濁してゲルを出た自分への繊細な気遣い、心配と信頼、何時までも帰ってくるまで待つという意思。

 

 

 

 

 

宝玉を胸の辺りに持ってきて、力強く、そして優しく握りこむ。

 

 

 

 

 

ハノンは大きく息を吸って、眼を細めた。視界の先にあるのは何万もの星の光。

鼻をくすぐるのは風に乗って運ばれる草の匂い。

瞳を閉じると思い出すのは、あの双子の姿。

 

 

 

 

 

 

手を繋いで、こちらを見ているあの子達。自分があの時、守ろうとした命。

あのおぞましい“怪物”の姿はなかった。綺麗に消えてなくなっている。

何処にもいない。さながら蜃気楼の様に。

 

 

 

 

全てからの解放感をハノンは味わっていた。もう、やるべきことはすべてやり遂げたような奇妙な満足に体と心を揺さぶられる。

 

 

 

 

 

本当に久しぶりに、ただの草原の民に戻れたハノンは、ゆっくりと眠りに吸い込まれ、視界が心地よい暗闇に染まる。

最後に見た天には時間外れの鳥が一匹、自由に舞っていた。あの日の様に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後の歴史では、他の神将と比べて【神騎兵】ハノンの伝承は少ないとされている。

王国を築いたハルトムート。全ての騎士達の見本となったバリガン。魔道を究めし2人の賢者。

教団を作り上げたエリミーヌ。狂いし獣と仇名されたテュルバン。絵本ともなった小さな勇者。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼らの生涯の物語に比べてハノンの戦役の後の資料は本当に大雑把に纏められた程度だ。

だが、サカの民達は例え千年経とうとも、決して彼女の信念と、彼女から脈々と受け継がれた草原への愛を忘れることはなかったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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