とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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とある竜のお話 異界 【IF 異伝その3】

 

やっと、やっと帰る事が出来る。

 

 

 

 

 

イドゥンは天にある月の位置を見上げながら、そう内心で呟いた。

紅と蒼の色違いの瞳は、隠し切れない興奮で爛々と輝きを放ち、普段の長としては物静かな姿を演じている彼女しか知らないモノが見れば、驚くほどの覇気を彼女は纏っている。

手足を震わせ、頬は高揚の為に紅く染まっている彼女の姿は、欲しいモノを手に入れた子供そのものであり、女性としての艶やかさを手に入れ始めた少女にも見える。

 

 

 

 

 

自室の窓から見た月は、とても大きくて美しい。黄色に光るソレは、天空に巨大な眼が現れたようにさえ思えてしまうほどだ。

秩序が修復されたナバタの夜を駆け抜けるのは、人の体ならば数刻で死に至らしめる荒涼とした夜風。

微小な砂を孕んだソレが頬を撫で、髪の毛を揺らし、駆けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

懐に忍ばせた一冊の本。ナーガが幾つか残していった、里を守るための力。古代の禁忌が刻まれたモノの一冊を彼女は改めて手に取って眺めてみる。

黄金色の表紙、分厚いページの枚数、内部に神経質なまでに書き込まれた術の発動術式の数々。強力な竜の加護を与えられたこれは、幾ら使おうと破損などを発生させない兵器だ。

 

 

 

 

 

 

【ルーチェ】

 

 

 

 

 

 

 

表紙を撫でてから、この本を“眼”で見てみる。その結果彼女が認識したものは、書の内部に渦巻く途方もない力。

天から降り注ぐ裁きを支配し、断罪を行うこの術を発動した際の世界への影響を“理解”してしまった彼女は思わず身震いする。

発動させるような時が来ない事を祈りつつ、彼女は魔道書を腰のベルトの、魔道書をしまい込む箇所に固定。

 

 

 

 

 

 

今の彼女の服装は何時もの質素なローブ姿ではない。動きやすさだけを重視し、アンナ等に意見を求めた所、勧められたのは男性用の衣服。

もしも戦闘などが発生した場合、普段着ているローブの様な、丈の長いワンピースではとてもではないが動きづらいと言われ

その結果、彼女は男性用のズボンなどを履くことにしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

黒い絹のズボンを皮のベルトでしっかり固める。

ブーツもいつもとは違う、騎士などが好んで使用するような頑丈な作りのロングブーツを履き込み、何歩か歩いて調子を確かめた後に、悪くないと頷く。

後は、お気に入りの紫色のフード付きマントを頭からすっぽりと被って、何度か鏡の前で色々と微調整。

 

 

 

 

 

 

調子に乗って色々とポーズを決めてみるが、どれもしっくり来ない。

メディアンなら、こういう男性用の服も似合いそうなものだが、自分では駄目だと結論する。

 

 

 

 

 

 

飾りっ気がない。その一言に尽きた。

自分は余り服装などに興味はもたない方だとは思っていたが、それでもこれは怪しいような、つまらないような。

それに、上の服まで男性用のモノにしたせいで、胸の部分が苦しくてたまらない。

 

 

 

 

 

 

家族を迎えにいく今夜だけの服装だと割り切ってから、腰に差した覇者の剣を引き抜いてみる。

半年間体を鍛えたおかげか、剣の重さに振り回されること自体は少なくなったものの、それでもやはりこの長剣は重い。

透き通るような銀色の刃に自分の顔が映りこんでいるのを何となく見つめた後、剣を鞘に戻した。

 

 

 

 

 

 

 

よく判らない剣。怖いのか、怖くないのか。

始祖そのものであると父は言っていたが、意味がよく判らなかった。

剣を“眼”で見ても見えるのは真っ暗闇だけ。何も感じることが出来ない。

 

 

 

 

 

 

ただ、冷たい闇だけがこの剣の中にはある。他には、何もない。

 

 

 

 

 

 

 

闇は、好きではない。

余り思い出したくないが、家族も、友達も、半身さえもいない状況で闇の中に放り出された時の恐怖は未だに焼き付いて離れない。

それが凝固したようなこの剣を、ならば自分は怖がるべきだろうか。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

イドゥンは最後にもう一度、確認するように繋がりを辿り、イデアの存在を確認する。

その結果、何時もと同じように小さな灯の様な、ちっぽけな力の波動が点滅を繰り返し、その存在を主張していた。

呼ばれている。きっと、イデアは私を待っている。余りに自分でも都合がよすぎると思いながらも、そう願うと少しは気が楽になった。

 

 

 

 

 

実際、怒っているだろう。勝手に捨てていったと思われても仕方ない。どんな罵詈雑言でも受け止めるつもりだった。

一緒に居たくないと言われても、ただ生きててくれれば、それが最高の結果だ。

 

 

 

 

 

 

 

…………………………。

 

 

 

 

 

 

 

手が、震えている。歯が、かみ合わず、全身を寒気が襲う。

本当に? 本当にイデアは生きているのだろうか? この目で見るまでは信じられない。

恐怖という怪物が、頭の奥底で不気味な死を囁き、絶望を振りまこうとするのをイドゥンは頭を振って追い出す。

 

 

 

 

 

そろそろ時間だ。いかなくては。アンナが待っている。

 

 

 

 

 

部屋を出る前に一つ気が付く。そうだ、これをもっていこう。

机の上に置かれた真っ赤なリンゴを二つ、自分とイデアのモノを掴むと懐にしまい込み、彼女は自室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

留守中をフレイに任せて、アンナと共に殿へと転移を果たしたイドゥンが見たモノは、殿の姿ではなく、何の変哲もない森の景色だった。

木々が鬱蒼と生い茂り、月の光さえも届かない森の中は完全に静まり返っている。

全方位を見渡しても、木、木、木しかない。

 

 

 

 

更に“眼”を使い、広範囲を立体的に確認してもやはりここは森だった。

突如として来訪した竜に周囲の精霊たちが声をかけてくるが、今はそれに付きあう時間はなく、イドゥンはアンナへと視線を向け、喋る。

彼女が転移の術を使用した以上、やはり彼女に聞くしかないと思ったから。

 

 

 

 

 

 

 

「ここは……? 転移地点を、間違えたのですか?」

 

 

 

 

 

「いえ、確かに、殿へと直接転移を行ったはずなのですが………………」

 

 

 

 

 

 

普段は泰然自若を素で行くアンナが頭を傾けて考え込む。真っ赤な髪の毛が揺れて、ふわふわと舞う。

何気なく彼女に“眼”を向けたイドゥンは彼女の内心に巣食う【焦り】を見てしまい、アンナと同じように頭を傾げた。

彼女は、全く持って意味が判らない事に、この事態に焦っているのではなかった。

表にこそ出さないが、彼女は全く別の事柄にどうやら心を悩ませているらしい……。

 

 

 

 

 

 

表に出さないだけで、彼女の心の中は嵐の様に乱れに乱れていた。

更に深く力を使って探究すれば、その理由もわかっただろうが、イドゥンはそれをしようとは思わなかった。

 

 

 

 

 

やめよう。悪趣味だ。

 

 

 

 

 

アンナの心はアンナだけのモノであり、それを勝手に盗み見することはよくないという考えに至り

神竜は改めて周囲に更に広範囲に“眼”を走らせ、原因を探る。

山があり、川があり、森があるのに、不思議なまでに動物たちがいない。

 

 

 

 

 

 

 

視覚 聴覚 嗅覚 感覚 

その全てを蜘蛛の巣の様に張り巡らせて、一切の異変を見逃すまいと全てを刀剣に等しいまでに研ぎ澄ましていく。

理由はすぐに見つかった。それと同時に納得した。転移の術でなぜ殿まで至れなかったのかを。

 

 

 

 

 

 

空間が、歪んでいた。殿を構成する大規模な山脈群一個が、丸ごと空間の歪みに飲み込まれ、エレブから隔離されていた。

“眼”を通して見えるその景色は圧巻だった。大地も、空も、そして世界を流れる血管である竜脈でさえぷっつりと歪みの地点を境に途切れている。

途切れた先に感じるのは、完全な虚無。何があるか判らない、深淵だけがあった。

 

 

 

 

 

───おおきなちから ぶつかりあって こわれちゃった。 みんな、みぃんな こわれちゃった。

 

 

 

 

 

 

周囲の精霊が耳元で囁きを発した。あの【秩序】が壊れた時に起こったことを。

世界の根源が崩壊する規模の力の衝突が殿で発生し、その余波で殿は完全にエレブから脱落してしまったと。

空間が断絶するほどの力の衝突、ここがどれほどの激戦区だったかを雄弁に示す事態。

 

 

 

 

 

 

 

だが、イドゥンはこの程度で諦めるつもりはなかった。

“場”を弄るのは初めてではない。かつてサカでハノンを救助した際にも空間を捻じ曲げて、無理やり彼女を引き寄せた事もあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

少しの時間歩くと、かつては殿の入口へと続く整備された道へと二人は出る。

かつてはエトルリア王国の王都の大通りにも劣らない幅を持ち、何百年経とうと使用が可能な程にしっかりと作られた街道はその顔を変えていた。

 

 

 

 

 

石畳の街道は、所々にひび割れが走っており、大地には無数の巨大な足跡や、蹄の跡が存在している。

大戦の際、ここを何が通ったかよく判る様相。そして辺りに少しばかり残るのは、発酵した肉の腐敗臭。

ブーツを履いて来てよかったとイドゥンは改めて思う、今のこの道は少しばかり歩きづらい。

 

 

 

 

 

 

 

デコボコだらけの街道を四苦八苦し、しばらくいくと、これまた不可思議な光景を彼女たちは見ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

殿の入り口へと続く、森の出口から山脈地帯の入り口周辺が、丸ごと“削られて”いる。

ないのだ。物理的に。向こう側を覗き見ようとしても景色は蜃気楼の様に無茶苦茶に屈折し、理解に困る景色を映していた。

試しに小石を一つその歪みの中に放り込むと、投げたはずの小石が、こちらに“戻って”飛んできてしまう。

 

 

 

 

 

 

家に入ったのに、家から出ている、進んだはずなのに、戻っている。

無限螺旋にとらわれた男の話をイドゥンは弟から聞いたことがあり、今目の前のこれがそれなのだと彼女は思った。

あの話では確か、結局男は無限の捩じれから出ることが叶わなかったはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

壊れた世界の歪んだ蛇の輪が、ここにはある。

 

 

 

 

 

「どういたしますか?」

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 

 

 

 

アンナの言葉にイドゥンは一瞬だけそちらに目を向けると、音もなく小さな歩幅で一歩踏み出る。

砂利を踏みしめる音を鳴らしながら、彼女は歪みに対して無造作に手を翳した。

歪んだ空間と正常な空間、両方の“場”の境界線を見極め、その境目に彼女は指を掛けた……扉の取っ手を掴むように、空間を神竜は両手で掴む。

 

 

 

 

 

 

そのまま力を込めて、左右に開いていく。長年油を差していない扉をこじ開けるように、時間をかけて空間をこじ開け……欠落した世界が何処にあるかを“眼”で確認。

崩落した狭間の世界、位相のずれた世界の海、エレブという安定した世界から脱落した殿は、言ってしまえば“浮島”だ。

壊れた狭間を浮かびながら彷徨う殿は、余りにも遠い場所にある。人や魔道士ではまず到達できない場所、徒歩ではどう足掻こうとたどり着けない異界。

 

 

 

 

 

 

 

神竜の血が、答えを教えてくれる。誰に教わったわけでもなく、彼女は答えを自分の内部から引っ張り出していた。

橋を架ければよい。やり方は、秩序を修復した時と同じ要領だ。

神竜から放出される黄金の波動が“場”を固定していく。海が大地に、大地が橋に。

 

 

 

 

 

人では到達できない領域の奇跡を神竜はいとも容易く引き起こす。

 

 

 

 

 

七色の色彩の歪んだ世界に、一つの“道”を創造する。距離という概念さえも弄られたソレは、限りなく長いが、一跨ぎで目的地にたどり着ける程に短いという、矛盾した存在。

イドゥンはこじ開けた空間の狭間に足を踏み入れて……自らが作り上げた新たな大地を踏みしめた。

何回か調子を確かめるようにその場で足踏みをした後に、彼女はアンナを振り返ってからまるで命令するように言う。

 

 

 

 

 

 

 

「行きましょう」

 

 

 

 

 

 

 

その言葉にアンナは無意識に頭を下げて従属の意を示していた。

【秩序】を修復し、自分への自信を身に着けてから、目の前の少女は少しずつ竜族の長に相応しい存在へと成長していることを理解したから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歪んだ世界を抜けた先にたどり着いた生まれ故郷は、既にかつての栄華など見る影もない程に退廃的としたものだった。

空に蓋をするのは淀んだ灰色の雲。夜空を埋めるソレは星の光さえも遮断し、殿を完全な闇へと染め上げている。

殿を支える巨大な柱は幾つも砕け、その破片は周囲に無造作に転がり、通行の邪魔立てをしていた。

 

 

 

 

 

だが、何よりも【死】がここにはあった。何重にも折り重なって、無造作に【死】は道端に転がっていた。

それは柱の隙間、街道の至る箇所、殿の広間、ありとあらゆる場所にうち捨てられている。

戦役での死者たちの亡骸が至る所に放置し、それらは異臭を放ち、鼻孔を狂わせ、壊す。

 

 

 

 

 

 

仄かに灰色の雲の隙間より漏れる星の光を、亡骸たちが纏う銀色の鎧が反射しキラキラと点滅する光景は禍々しくも美しい。

もう動くことのない人や竜の死体は、誰にも弔われずにここで朽ちていくのだろう。

 

 

 

 

 

 

砕けた大地。

強力な魔法が炸裂し、抉り取られた場所は谷の様な地形に変化している所さえもある。

そういった場所に注意しながらイドゥンとアンナは慎重に歩を進めていた。

 

 

 

 

 

 

視界に映っている範囲だけでこれだ。殿の中となればどのような状態になっているかわかったものではない。

イドゥンはこみ上げてくる甘酸っぱい液体を精神力で抑え込みつつ、弟の力を感じる方向へと進んでいく。

死体から誕生した羽虫たちが纏わりついて来ようとするのを、アンナが微量の力を用いて焼き払い、神竜の美しい髪などに虫を触らせないようにする。

 

 

 

 

 

 

そういったアンナの心遣いをイドゥンは嬉しく思い、感謝の言葉を掛けると彼女は年上の女性らしい余裕のある笑顔で「どういたしまして」と返してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

「随分、変わってしまいましたね……」

 

 

 

 

 

 

立ち止まり、周囲を見渡す。変わり果てた殿の姿は痛々しい。柱に刻まれた傷痕、いたるところに散乱した死体に、血の跡──。

彼女はこの殿で育ち、この殿で生まれた。ここは幼い彼女にとって絶対の安息の地だった。それが今や見る影もない。

体が震える。これは恐怖ではない、どうしようもない悲しみのせいだった。

 

 

 

 

 

 

無残に砕かれた巨木の如く柱の群れを見る。

あの柱を私は知っている。昔イデアと殿から出た時に初めてみた柱だ。

凄く太く、大きくて圧倒されたのを覚えている。

 

 

 

 

弟が目を輝かせながらじぃっと見ていた姿は印象的で、眼に焼き付いている。

 

 

 

 

 

あそこにあった装飾品の数々を自分は知っている。エイナールが色々と説明してくれたモノ。確かエトルリア王国の高名な芸術家が竜の為に作っていった彫像とかだったはず。

それが今はバラバラに粉砕されて、何も残っていない。

 

 

 

 

 

何万年、何十万年と続いていた殿の歴史は、たった1年足らずで全てが灰となった。

そこに暮らしていた全ての竜族と一緒に、ガラクタになり下がった。

 

 

 

 

 

 

竜族と共に。

 

 

 

 

全てが灰になった。

 

 

 

 

灰と塵に。

 

 

 

 

 

 

更に、もしかしたら……。

 

 

 

 

 

 

 

人、竜、双方にあった願いも、想いも、意思も、信念も、何もかも全てが根こそぎ壊され、奪われ、踏みにじられた。

なぜなら戦争とはそういうものだったから。あの戦争は種の存続をかけた絶滅競争だったが故に、そこには一切の理性も慈悲もなかった。

 

 

 

 

 

 

アンナがそっとイドゥンの震える手を握ってくれた。

暖かい火竜の手は、この不気味な程に無機質な荒涼さに支配された廃墟の中にあっても、沁み渡る程に心地よい熱を発していた。

数秒経って、震えと恐怖を体から追い出した竜の新しい長はしっかりと前を見据える。殿の奥へと続く通路、そこに広がる闇を彼女は色彩の異なる双眼で眼光炯々し、逃げないと意思を固めた。

 

 

 

 

弟の力は微弱だが、殿の深淵から発せられていた。頭の中の冷静な部分が、何かおかしいと伝えてくるが、イドゥンはそれでも、と受けいれる。

恐怖はある、期待もある、そして僅かな戦意と覚悟もある。ならば、もういくしかない。結局のところ、行動するしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

「アンナ……私について来てください」

 

 

 

 

 

 

 

「当然ですわ」

 

 

 

 

 

 

 

当然だと言わんばかりにアンナは即答する。

不敵に、優雅に笑う火竜の姿はとても頼もしく感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殿の内部は、外部よりも凄惨とした光景の巣窟だった。

無数の死体が積み重なり、それらから発生した腐敗臭に満ち満ちており、ともすれば嗅覚がマヒしてしまいそうな程の悪臭が立ち込めている。

100か1000か、数えることさえ放棄したくなるほどの無数の死体、死体、死体。

 

 

 

 

 

二人分のブーツの足音だけが殿に反響する。

神竜であるイドゥンの帰還によって、殿の一部の機能が作動し、床や天井、壁などが淡い光源となり、周囲の光景を照らし出していた。

この死体1つ1つに人生があり、家族があり、想いがあった。そう考えるとイドゥンはいたたまれない気分になる。

 

 

 

 

 

命に価値がない。そんなことを思いたくはない。

 

 

 

 

 

 

殿の地下に存在する大回廊、かつて自分と弟が生まれ落ちた場所。知らず、足はそこへと向かっていた。

竜殿の一部の機能が動き出し、視界を妨げるものは山と連なった死体だけ。

戦闘竜の死骸、首を絶たれて機能を停止したソレをイドゥンは横目で見やりつつ、少しだけ“眼”を用いてこの竜を構築している力を調べる。

 

 

 

 

 

 

「……………」

 

 

 

 

 

 

やはり、この戦闘竜を創りだしたのは、イデアだ。

理屈と本能、両方がその答えを告げている。

戦闘竜を構築するエーギル。かつて宿っていた意思、神竜の力はこの残骸全体からイデアの気配を感じ取ることが出来てしまう。

 

 

 

 

 

 

 

この戦闘竜に孕んでいるとてつもない悪意さえも、弟のモノなのだろう。

陣形を踏みにじり、ただ人を殺すだけの兵器。そんなものをイデアが作ったという事実は受け入れがたい……。

 

 

 

 

 

自分の意思で? それとも強制されて?

どちらにせよ、再会したら話をしなくては。そして言ってあげるのだ。もう戦う必要などないんだよ、と。

 

 

 

 

 

 

少しずつ、弟の元に近づくたびに神竜は胸にざわめきを覚えていた。

本能と理性が、分裂を起こしていた。心は半身との再会を期待し、歓喜に打ち震えているというのに

本能はおかしい、と冷静に状況をまとめ上げ、危機感として主に伝えている。

 

 

 

 

 

 

幾つかの小部屋を抜け、四半時ほど歩いた先に大回廊へと二人は出た。

ここもやはりというべきか、無数の亡骸に埋め尽くされている。

周囲に漂う死臭は、殿の中で最も濃厚で、魂を犯すほどの濃度。

 

 

 

 

 

 

毒霧、地雷、自爆用の戦闘竜、小蟲による集団感染病の散布

ありとあらゆる手を使ってかつて殿に引きこもった存在は応戦し、その結果この地には夥しい骸が転がることになった。

もはや甘美。死地という地の一つの到達点。何万、何十万という死者を積み上げた地獄の底、それがここだ。

 

 

 

 

 

イドゥンは腕を使って鼻を含めた顔の下半分を覆い隠しながら進む。余りにも酷い匂いはそれでも嗅覚を刺激するが、それでも少しはマシになる。

ほんの少しでも吸い込むだけで、胸の中から体が腐り堕ちる幻覚さえ見てしまいそうな程の死臭。

竜の視力で大回廊の果てを見ると、何かがそこにはあった。

 

 

 

 

 

成体の竜と比較してもなお巨大な生誕の祭壇、その奥に祭壇よりも巨大な何かが転がっている。

 

 

 

 

 

 

そしてちょうど、弟の力もそこから発せられている。奇しくもそこは、正真正銘、姉弟の生誕の祭壇。

少しずつそこに近づく。少女の歩幅は、余りにも小さいが、それでも懸命に差し出される両足はなかなかの速度となる。

匂いが濃くなるのも構わず神竜は歩み寄っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

ソレの全景が見えてきた。どうやら巨大な竜……おそらくは戦闘竜ではない純粋種の体の一部のようだった。

 

 

 

 

 

階段を駆け上がる。ソレは切断された巨大な竜の下半身だった。上半身は無く、腹部の辺りから綺麗に両断されている。

 

 

 

 

階段が終わりに差し掛かる。何処かで見たような竜の姿に、彼女の心は軋みをあげた。

 

 

 

 

段を上り終える。ソレは今はくすんでこそいるが、鮮やかな色調の、紫色の重殻を身に纏った巨大な竜の残骸だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

かつて殿の最深部に籠城し、英雄たちと激戦を繰り広げた魔王の亡骸、それがこの竜の正体。

本来は不滅に等しい存在である神竜を完全に殺しきった英雄たちの功績の象徴、人類の栄光の陰。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───で──ぁ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その声は誰のものだったか、イドゥンには全く判らなかった。

眼を疑う? 違う、自分の眼は、誰の視界を映している? いや、違う……彼女は、自分の眼を抉りたいと思った。

ふるふると震えた両手の指を目に押し付けて爪を立てようとすると、アンナがそれを力強く腕を握りしめてやめさせる。

 

 

 

 

 

パァンという軽快な音が無音の殿に木霊した。途端に頬に走るのは鋭い痛み。

痛みという刺激が、濁った思考を消し飛ばし、頭にかかる霞みを消し去る。

 

 

 

 

 

 

 

「……私は」

 

 

 

 

 

 

 

我に返った神竜が、今自分が何をしようとしていたかを考える前に、無意識に“眼”を使用し、目の前の竜の残骸を冷静に観察。

心は何処までも冷たく、鋭利だった。無駄な雑念、感情を全て封殺し、淡々と事実だけを確認。

 

 

 

 

 

その結果が出る。

違う。これはただの残骸だった。何も感じず、何も発しない。もう喋る事も、動くとこもない、死骸。

呼吸を落ち着けながら、彼女は諦めずに半身の力の場所を探す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近くだ、すぐ近くに居る。何処だろうか、何処にいる。

もっと深く、正確に。かつてない深度と精密さで“眼”を行使し……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イデアの気配が、イデアのモノではない嘲りを浮かべた。獲物を罠に嵌めた狩人の如く。

陰惨に、無尽の狂気と狂喜、殺意を孕んだ笑みは、断じて弟のモノではない。

正にそれは擬態だった。蛹が脱皮するように、外郭を脱ぎ捨て去り、獲物をおびき寄せた化け物はその本性をむき出しにする。

 

 

 

 

 

 

 

蜘蛛だった。化け物は蜘蛛の巣として極上の獲物をおびき寄せるために彼女の大切な存在を食いつぶし、その皮を被っていただけ。

そして見事にイドゥンはそれに引っかかってしまった。

逃れられないエサに引っかかった羽虫、いや、極上の獲物。それが化け物から見た神竜への評価だった。

 

 

 

 

 

弟の力が、ボロボロと崩れ落ちる。半身の気配を飲み込むように、今までは巧妙に隠れ蓑の中に息を潜めていた存在のエーギルの質量が跳ねあがる。

 

 

 

 

 

 

雷光、吹き荒れるは世界さえも打ち壊す膨大な量の【天雷】

かつての最終決戦にて唯一落命した8つの英雄の一つ。英雄であり、英雄ではない、人の世に生まれた獣。

その思念と力を宿した存在はたった一つの目的の為に生にしがみ付き、異形の存在に成り果て、動く災いとなってまでも変わらない。

 

 

 

 

 

 

すなわち、戦いのみを追い求めていた。それ以外の全てなど、一切合財どうでもいいし、気にもとめる必要はない。

殿の暗闇が、黄金の極光で薙がれる。色だけ見れば神々しいが、その実態は吐き気を催す程の凶年とエーギルの集合体だ。

一本の斧、巨大な、余りにも巨大な、人が使うことは想定されてない黄金のソレが浮遊する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今までは無数の屍の中に潜り込み、息を潜めて獲物が掛かるのを待っていた化け物が動き出す。

ズルズルと、液体の詰まった皮袋を固い道で引きずるような音と共に、無数の屍が斧へと引き寄せられる。

骨が折れ、肉が砕け、粘土を捏ね回すように、死体のまだ“使える”部分が不可視の力によって引きちぎられ、無理やり他の肉体との再結合を果たされていく。

 

 

 

 

 

 

 

何本もの腕をかき集めて作られる常人の数倍の密度と太さを持った巨腕。

幾重もの名も知らない兵士たちの足を引っこ抜き、骨を継ぎはぎし、作り上げられる頑強な足。

多々の胴の肉と骨、贓物をごちゃ混ぜにして創りだされる人間離れした巨躯の胴体。

 

 

 

 

 

 

 

神を侮辱する光景だった。人間の残骸を再利用し、ただ自分の思い通りに動く人形を作り上げる。

異常極まりない精神構造をした獣だからこそ、そこに躊躇いはない。

 

 

 

 

 

 

 

「っ!!」

 

 

 

 

 

 

 

呆然と異形の肉体が構築されていく様を棒立ちで眺めているイドゥンとは別にアンナは直感で危機を悟り、何発もの【エルファイアー】を今まさに体を組み立て上げている魔物へと放つが

その悉くが斧から放出される【天雷】の、稲妻がその全てを雷速で迎撃し、叩き落とす。

下級、中級魔術程度など、放出される力だけで消し去り、何の意味も齎せない。

 

 

 

 

 

 

そして、最後の締めと言わんばかりに新たに喰って取り込んだ存在の能力を行使し、継ぎはぎだらけの新しい体を確固たる一つの存在として固定。

戦闘竜を創るのと同じように、存在を自らの力だけで産み出したのだ。

そうだ。魔竜と同じことをこの獣は出来る。何故ならば、もはや魔竜など彼の血肉の一部でしかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

伝説の英雄らに討ち滅ぼされた魔竜。

魔竜との激戦によって人としての生を終えた男は、己が武器との同化により異形の化け物としての第二の生を得ることに成功した。

意識を取り戻した獣の目の前には、極上の“エサ”が落ちており、片や己は力などが足りなかったとき……結果、獣は魔竜の残骸を、更に壊しつくしす。

 

 

 

 

 

死者への尊敬など、獣にはない。

 

 

 

 

 

 

巡りに廻った因果の輪。かつて人であった頃の屈辱の記憶。ソレを超えるために獣は何でもした。

そして遂にたどり着くに至る。竜の頂を飲み込み、その先に居る神を殺す。

今やこの世界に神はいないのなら、出向いて行って殺してやる。

 

 

 

 

 

 

 

組み込んだ竜の砂嵐が掛かった記憶を読み込み、獣は行動に移す。

我が子の力で殺されるとき、あの男はどんな顔をするのだろうか。ソレを想像するだけで疼きが止まらない。

まずは弟から、その後に姉も飲み込んでやる。

 

 

 

 

 

 

殿の機能が動き出す。魔竜の波動に呼応し、その隅々までに力を循環させ、膨大な意思が駆け巡る。

竜族の王都にしてかつての戦役の際に、8人の英雄たち率いる人類の総戦力を半ば壊滅同然まで追い込んだ最悪の竜族への能力補正が、獣に加えられ……獣から一つの号令が下された。

 

 

 

 

 

 

殿に転げ落ちるありとあらゆる屍、人、竜、大小問わない全てに殿から力が供給。

不気味な唸り声と共に、強制的に死から帰還させられた残骸たちはノロノロと立ち上がると、生前使っていた、武器、魔道書などを構え動き出す。

そこに彼らの願いや思考など存在しない【私】というものをそぎ落とされた彼らは今や人形だ。

 

 

 

 

 

 

 

哀れな英雄たち。

人類の為、世界の為に命を懸けて懸命に戦った輝かしい魂の持ち主たちは、最後の最後に、理性など欠片もない狂える獣の走狗に落とされ、汚される。

うじゃうじゃと殿のいたるところからアンナとイドゥンを殺すために歩み寄る死者達の姿は、上空から見ると獲物に群がるアリにも見えるだろう。

 

 

 

 

 

「長、一度逃げますよ! ここにいたら、私達の命はありません!」

 

 

 

 

 

 

目の前で創造した体の具合を確かめるように手足を軽く動かし

フルフェイスの兜で覆われた頭部を怪音と共に左右に振る獣に最大の注意を払いつつアンナは茫然自失とした様子のイドゥンへと叫ぶように告げた。

だが、イドゥンの反応は何もない。焦点の合わない瞳で、彼女は獣を凝視し、静止したまま。

 

 

 

 

 

紅と蒼の眼は、獣の一点だけをじぃっと見つめ、動こうともしなかった。

 

 

 

 

 

「長!! 長ッ!!!」

 

 

 

 

 

 

肩を掴んでゆさぶっても、言葉は帰らない。つまらなさそうに獣が黄金の斧を振りかぶる。そこに集うのは目視さえ可能な絶大な“力”の渦。

何重もの稲妻が吹き荒れ、空気を掻き毟りながら圧縮され、一本の“線”となる。

周囲には一切の破壊を発生させないが、その進行方向の存在全てを飲み込む破壊の権化。

 

 

 

 

 

斧を獣は振り下ろした。竜の眼でも見きれない、真実雷速と呼応すべき速度で。

稲妻の断層が轟雷を伴い迫りくる光景を前にしても、イドゥンは獣から眼を離さない。

 

 

 

 

 

 

 

 

【ファイアーテイル】

 

 

 

 

 

アンナが竜石を輝かさせ、全力で純粋なエーギルをふんだんに練り込んだ術を発動させ、エルファイアーの数十倍にも及ぶ威力を誇る火球を断層へと翳した両手の掌から産み出し、勢いよく放つ。

発射の衝撃で踏みしめた足元が陥没し、周囲の水分が急速に蒸発、多量の水蒸気を発生させながらも火球は飛び……稲妻の断層の前に呆気なく両断された。

竜殺しの極地と、竜の頂点を飲み込んだ獣相手に、火竜など太刀打ちできるわけがない。それが真理。

 

 

 

 

 

 

アンナが咄嗟にイドゥンを抱えて横に飛ぶと、半秒前に二人が居た地点を稲妻が空間ごと焼き滅ぼし“場”に亀裂が走る。

空間に隙間の様な亀裂が走った場所の先は、淀んだ色彩のあの壊れた秩序と同じ空の色が見えた。

何回も玉の様に転がりながらも、力を使って着地の衝撃を和らげ、イドゥンを庇うように全身で彼女を覆い、傷がないかを確認する。

 

 

 

 

 

投げ出された衝撃で彼女の腰に固定していた覇者の剣が飛び去り、何処かへと消えていく。

 

 

 

 

 

 

背中を周囲に拡散した稲妻が焼き、激痛が走るがアンナはそれでも新しい竜族の長だけには傷をつかせまいと守り通す。

汗と血が入り混じった液体が体に降りかかるのを感じて、ようやくイドゥンは正気に返る。

目の前には息を荒げ、苦痛に染まった気を撒き散らす臣下の顔があった。

 

 

 

 

 

サカのあの時の弟と、彼女の顔が重なった。

 

 

 

 

 

 

「怪我などはありませんか?」

 

 

 

 

 

 

息を整え、背中の傷の痛みなど感じてもいないような、いつも通りの口調で彼女は言う。

嘘だ、痛いに決まっている。ただ、心配をかけさせまいと意地を張っているだけ。

事実、彼女の背からは肉の焼ける音と、黒い煙があがっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

眼の焦点が合う。今度こそしっかりとアンナを見据え、彼女に手を伸ばして術を発動。

危なかった。あの時と、同じ過ちを犯す所だったことにイドゥンは気が付く。

 

 

 

 

 

 

 

【リライヴ】

 

 

 

 

 

 

まだリカバーを使う事が出来ない自分ではこれが精いっぱい。

彼女の顔から苦痛の色が消えるのを見て、イドゥンは一つ行動に移す。

 

 

 

 

 

 

頭の中の、氷山の様に冷静な部分が囁く。

激情が膨れ上がり、胸が引き裂けそうな自分を見ているもう一人の自分は何処までも冷めきった思考で判断を下していく。

相手は今までに見たことのない存在だ。あの戦役で感じた竜を滅ぼした9つの内の1つ。しかもその存在は竜の力さえ得ている。

 

 

 

 

 

アンナはむしろ一緒にいたら危険な状況に陥るぞ、好ましく思っている存在がもしも命の危機に陥ったら、冷静でいられるのか。

そもそもこの場ではアンナではどうあっても力不足だ。竜殺しと、決して逆らえない格上の竜の力相手では、分が悪すぎる。

 

 

 

 

 

 

黄金の力がアンナを包み込み、その身を強制的に神竜の上から引きはがした。

宙へと浮かばされた彼女は驚愕に眼を剝いているが、そんなことをお構いなしにイドゥンは力を使う

ハノンを救出した時とは全くの逆のことを行う。ただそれだけ。

 

 

 

 

 

 

「……外で、待っていてください。絶対に私は戻りますから」

 

 

 

 

 

 

 

何かを言いたげな顔の火竜に一言告げると、彼女は小さく項垂れた。

先ほどの攻撃で開いた空間への隙間。その中にアンナを放り込む。

彼女を覆う神竜の力は、空間の狭間を渡り、エレブへと帰還させる船の役割を果たしてくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

アンナが空間の向こう側へと消えるのを確認すると同時に、殿が慄いた。

直後、金属がきしむ様な音と共に空間の連続性が断たれ、転移の術などによる逃亡はこれで不可能となる。

ここから出る方法はただ一つ、目の前の異形を滅ぼすしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

起き上がり、観察するような気配でこちらを眺める獣へと向き直る。

ズボンなどについた汚れを払落し、イドゥンはただ一点だけを最初と同じように見つめる。

先ほどとは違う、自分自身が篭った眼、それを見て獣はほぅっと感心したように息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

獣の事を見ているのに、獣を見ていない。イドゥンの興味は違う所にある。

それは獣の体から飛び出した一本の布きれ、ボロボロの状態になってこそいるが、見間違うはずがない。

無数の屍の肉の間から飛び出たソレだけを神竜は眺めて、観察している。

 

 

 

 

 

 

全ての元凶ともいえる、あのマフラー。

アレがなければ、自分とイデアの立場は逆だったかもしれないし、もしかしたら二人揃って里にいけたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

イドゥンが、家族へ作ってあげようとしたマフラーだった。

そして、所々ほつれた布に絡みついているのは、腐液などで汚れてしまったせいで、黒く染まった金糸。

返して、と。“手”を伸ばそうとした彼女の腹部に、深々と拳が突き刺さる。

 

 

 

 

 

目の前には、何時の間にやら肉薄していた獣の巨体があった。

 

 

 

 

 

獣の剛腕はそのまま振りぬかれ、肋骨に罅が入る音、臓物がかき乱される吐き気を催す痛覚と共にイドゥンの身は軽々と宙を舞う。

無様に受け身も取れずに台座の端に落下した彼女は、そのまま音もなく立ち上がり、腹部へとエーギルを収束させる。

体内で骨が軋み、臓腑の肉が再生していく異音を響かせながら、彼女は初めての実戦に無我で挑む。

 

 

 

 

 

 

追撃を掛けようとした獣の動きが止まる。そのまま警戒するように一定の距離を保ち、唸りを漏らす。まるでおあずけをされた肉食動物の様に。

 

 

 

 

 

 

 

 

脳内で再生されるのは、自らに戦闘技術を教え込んでくれたメディアンやアンナの言葉。

相手が自分よりも多勢だったら、何としても数を減らせ。もしくは一対一の連続になる様な状況を整え、地の利を得るべきだと二人は言っていた。

神竜の規格外の気配探知能力は夥しい数の亡霊どもを捉え、それらに襲い掛かられた場合の危険性を彼女は考える。

 

 

 

 

 

人刺し指を一本立ててから、彼女がクルット舞踏するようにその場で回る。残光を散らしながら拡散するのは、竜の力。

そこに含められたのは、拒絶の意。何人たりとも通過を許すことのない、防御領域を神竜は展開する。

 

 

 

 

 

 

 

【オーラ】

 

 

 

 

 

 

 

 

半透明の光の壁がイドゥンと獣が存在する祭壇の頂上部分を完全に封鎖。

四角形の巨大な箱の中に閉じ込められたような形となった獣は、そんなこを意にも返さずにその竜殺しの斧を構えて淡々と竜に狙いを定める。

元より、他の者にこの獲物を与えるつもりなどなかった彼にとって、この隔離された闘技場の様な空間は願ったり叶ったりだ。

 

 

 

 

 

 

斧が唸りをあげて振われる。稼働する腕ごと消滅するほどの速度で薙がれる刃は、破滅の領域を生み出す。

稲妻を孕んだ天雷の軌跡を阻むのは、隔離結界を構成する【オーラ】とは別にイドゥンが自分自身を守るために編み上げた【オーラ】

片手で装備する盾の様に、小さな傾斜のついたオーラを手の甲に装着するように創りだし、それを使って斧の攻撃を少しずらして受け切る。

まともに浴びたら【オーラ】ごと粉砕され、腕を両断されてしまうという事実を彼女は理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

体重を移動し、両足でしっかりと地面を踏みしめ、常時体にエーギルを循環させて身体能力を強化しながらでも、一撃ごとに【オーラ】に罅が走り、腕が歪む様な衝撃を与えられ続ける。

殿の竜族への能力補正がなければ、彼女は既にバラバラになっていたかもしれない。何とか見切りながらも、彼女は必死に英雄の攻撃に耐える。

体が悲鳴を上げるが、歯を食いしばり、膨れる願いと、そこから手に入る力のありったけを【オーラ】に込めて立ち回った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「返して、返して、返して───!」

 

 

 

 

 

 

嵐の様に何十も押しては返す攻撃を受け流しつつ、イドゥンの口から洩れるのはその言葉。

それは貴方のモノではない。何故、私から奪い取る? そもそもここは私たちの家なのに、何で勝手に上がり込んで、無茶苦茶にする?

吹き上がるのは理不尽に対する憎悪と、この現実を認めたくない回顧の念。

 

 

 

 

 

 

 

小さな神竜の必死の叫びに獣は、腹の底から這いあがるような不気味な嘲笑を撒き散らし、一つ思いつく。

体内を駆け巡る欠けた記憶の数々をくみ上げ、最も効率よくこの哀れな竜を挑発する方法が閃いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───そうか、ならば返してやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

不意に、獣の攻撃が止んだ。

たった一歩下がるだけで常人の数歩分の距離を悠々と後退した獣は、兜の奥で燃え上がる瞳を凝らしてイドゥンを眺めていた。

 

 

 

 

 

水面が高温で泡立つような、水泡が破裂する音が周囲に響く。

実際に泡立っていた、獣の腹部当たりの無数の屍肉の塊が、泡立ち、黒い血液を垂れ流す。

マフラーの端っこが、絡みついていた物体諸共獣の肉体から盛り上がり、地面に汚い音を立てて落下。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眼を逸らしたくなるほどの惨状だった。

 

 

 

 

 

 

見るも無残で、強さのみが全てを支配するという世界の理の中で、負けたらどうなるかを最もわかりやすく教えてくれる【モノ】がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

獣はソレを片腕で掴み上げると、見せつけるようにイドゥンへと晒す。まるで勝者が討ち取った敵の首を掲げるように。

 

 

 

 

 

 

 

【モノ】の首に掛かっているのは、小奇麗な黄金色の鱗。

 

 

 

 

 

 

「っ……!」

 

 

 

 

 

 

 

最初にまず漏れたのは込みあがる嘔吐感を抑え込むための嗚咽。

次いで、自分の内側の“太陽”に、無数の断裂線が入る。

獣が誰を見せつけているのか、本能で理解したから、そう、理解してしまった。

 

 

 

 

 

 

「……あ?  ──え? …………え?」

 

 

 

 

 

脳髄が理解しても、心が理解を拒む彼女が間の抜けた声を漏らしてしまったのは仕方ない事だろう。

 

 

 

 

 

半分どころか、3割程度の大きさにまで小さくなってしまった【モノ】を獣は足元に落とすと、それを一切の躊躇なく踏みつけた。

轟音と共に【モノ】が痙攣するように跳ね、その下の石に亀裂が走る。

 

 

 

 

 

 

「何を───」

 

 

 

 

 

 

 

言葉の続きが放たれるよりも先に獣の足は何度も何度も残骸を踏みにじる。

残った手を、腹部を、頭部を念入りに、執拗に、存在そのものを否定するように。

 

 

 

 

 

 

 

潰れる。ベッドの中で何度も握ったあの腕が音を立てて形を失った。

 

 

 

 

壊れる。確かな鼓動を刻んでいた胸部が、丸ごと陥没する。

 

 

 

 

 

砕ける。ゴリュっという固いナニかが削れる音、頭部が歪な方向へと首の骨ごと向いた。

 

 

 

 

 

 

 

凄惨な光景だった。止めて、とさえ言えない程に衝撃的で、人の道を外れた行い、残酷な肉食の獣でさえこんなことはしないだろう。

魔竜は確かに人類の総数を何割という単位で削り取り、数えきれなほどの死者の海を創りだしたが、その遺骸までも徹底的に蹂躙される謂れはないはずだった。

獣の眼がイドゥンを再度見て、細められた。彼女の元に向けて【モノ】が蹴りつけられる。

 

 

 

 

 

空中で幾つかに四散しながら“遺骸だったモノ”は彼女の前に落着。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

震える体を押しとどめながら、イドゥンは膝を折った。違う、折れてしまったのだ、全身に力が入らない。

敵意のある存在が目の前に居て、今まさに自分を殺そうとしている事実さえどうでもいいと思うほどの衝撃が彼女を襲う。

頭が麻痺したようにぼーっとする。まるで寝起きの時の、意識が覚醒しきってないときの様に。

 

 

 

 

 

 

そういう時はいつも先に起きていた弟がお湯で濡らしたタオルを持ってきてくれた。

 

 

 

 

 

 

這いつくばり、四つん這いになりながらも【モノ】に彼女は近づき、少しだけ躊躇ってから触れた。

爪が剥げ、何本か指が欠損し、原型を失いかけている残骸の手に触れてみる。土気色の肌、冷たくて固い肉の塊。

昔、手を握った時に感じた命の脈動、体温はそこには存在しない。

 

 

 

 

 

 

死は無残だった。いつか見ていた夢での光景など比にも出来ない程に残忍で、冷たい。

 

 

 

 

 

 

 

「……イデア……いであ……ぃ………あ……あぁぁあぁ………」

 

 

 

 

 

 

低い声で、縋る様に半身の名を呼んだ。ほんの少し前ならば、それだけで返答は帰ってきたはずだった。

 

 

 

 

 

今は名前を呼んでも何も返らない。

 

 

 

 

 

 

数えきれない恩がある、計り知れない程に教えてくれたことがある。

何時か恩返しをしたかった。長として頑張る自分を見て、ただ一言労いの言葉でもいいから、褒めて欲しかった。

自分が長としてどんな仕事をしているかを話し、強くなるために頑張っていることを話し、それからお父さんを恨まないで、と伝えたかった。

 

 

 

 

 

 

返せていない。果たせていない。そしてその機会は永遠にもう来ない。

 

 

 

 

 

 

これは何か間違いなのではないか。きっとそうだ、こんな、こんなバカなことがあるわけない。

何度か揺さぶっても【モノ】は起きなかった。何時もならば、昼寝などを邪魔されると不機嫌そうに眉を顰めながらでも起き上がるのに。

せめて眼だけでも見たいと頭らしき部分の前髪をかき分けて……イドゥンはそっとマフラーを引っ張ると【モノ】の頭部を覆うように巻きつける。

 

 

 

 

 

 

その場に蹲り、縋る様に【モノ】に顔を埋めて、両手で強く握りしめた。

色違いの瞳にはあらゆる種類の感情が轟々と渦を巻いており神竜の存在そのものに無数の破壊線が走っていく。

どんっと、後ろから背中辺りを強く押されたような衝撃を彼女は感じる。同時に背中から胸部に掛けて違和感を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

一本の剣、先ほど弾き飛ばされた覇者の剣が、胸から生えている。柄を握りこむのは獣だった。

獣は茶番など見飽きたと言わんばかりに刀身を心臓に深々と突き刺し、柄を回し込み、傷口を抉る。

真っ赤な血液が、残骸に垂れて、あっという間に真紅の血だまりを作り上げ、祭壇を汚す。

 

 

 

 

 

そのまま刃は貫通し【モノ】へと突き刺さる。マフラーが切り裂かれ、黒い液体で汚れた。

 

 

 

 

 

今の彼女は祭壇の上に捧げられた供物のようだった。

獣は愉悦に満ちた笑いを漏らし、イドゥンは茫然とした様子で刀身を指でなぞりながら思う。

口と、眼から真っ赤な血があふれ出し、脳髄まで溶かしていく中、思った事は一つ。

 

 

 

 

 

 

 

真っ赤な液。紅い、凄く紅い。熱い、熱い……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

獣は、愛を語るような熱さを宿した視線を彼女に向けながら、その唇を竜の耳元に近づけ───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

獣から放たれる波動が、そこに宿った映像が頭に直接流れ込む。

 

 

 

 

 

 

 

金色の髪をした、自分そっくりの顔立ちの少年。対峙する8人の英雄。

膨れ上がる闇。現れる巨大な魔竜とその軍勢、激戦、そして敗北。一本の長剣と、そこに宿す意思によって両断された───の姿。

残骸となり、放置される彼。何日も何日も。闇の底に一人ぼっちで。

 

 

 

 

 

 

だがこれは仕方ない。それだけの事を───はやったのだから。ここまでなら、彼も覚悟の上だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

問題は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな───を、この獣は……踏みにじり、喰った。

嘲笑い遺骸を踏みにじり、砕き、汚し、唾棄しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“お前の弟は、中々に美味かったぞ”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな小さな囁きをイドゥンは聞いた。獣が人の言葉で“飲み込んだ存在の声”で告げるソレは嘲笑と侮蔑の毒に塗れ、果てもない程の悪意に満ちており……何より弟の死を嘲るものだった。

悲嘆を絶望に変換させ、力へと成し、そして戦意へと至らせるに足る言葉。真実、竜の逆鱗と呼ばれる箇所。

 

 

 

 

 

 

覇者の剣の銀色の刀身が、暗黒に染まった。

深い、深い、深淵へと至る色彩に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗黒の“太陽”が、爆発を開始する。

同時にエーギルの、無限連鎖が始まった。

胸中の、冷静な部分が深く、黒く、亀裂の様な笑顔を浮かべ、次いで逆鱗を踏みにじる存在への殺意へと変換された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

半身と引き離された理不尽に対する怒り、この獣の存在、故郷を破壊された憤怒、人に対するささやかな失望。

長になってから貯めこんでいた感情の悉くが無尽の反応を発生させる燃料だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色違いの眼に確かな願いと、強靭な意思が宿る。口から噴き出る血が止まる。

冷静な心が、砕けた部分を継ぎはぎし、流入してきた闇を用いて悲嘆に満たされる胸の中身を丸ごと入れ替える。

メディアンという地竜が行う意識の切り替え、それを模倣し、竜は脳髄の中身を切り替えていく。

 

 

 

 

 

 

 

嘆きよりも怒りを。絶望を支配するほどの憎悪を。そして憎悪を超越した冷酷さを。

今、やるべきこと。これからすべきこと。その為には何をすればよいか。

 

 

 

 

 

 

 

死ぬのは嫌だ。まだ自分にはやることがある。例え家族がいなくなっても、やることがある。

違う、自分が死ねば、本当の意味でイデアは消えてしまう。誰もイデアの事を知らない。

どんな顔で笑っていたか、どんな顔で怒り、泣いたか、それを知っているのは自分だけ。

 

 

 

 

 

 

私まで消えたら、イデアは存在そのものが消えてしまう。それだけは絶対にダメだ。

 

 

 

 

 

 

 

吹き荒れるほどに跳ね上がる力の総量を理解し、何処か他人事のようにソレを感じながら竜は思考を回していた。

弟の亡骸を供養しなくてはいけない。こんな場所に一人ぼっちで置き去りにする気など毛頭ない。

その為には帰らなくてはいけない。ならば、それを邪魔するコレはさっさと排除すべきだ。

 

 

 

 

 

 

 

神竜。始祖竜。両者の力を強制的に混ぜ合わせ、新しい種へと異次元の領域でクラスチェンジしながらもイドゥンは変わらない。

流れ込む闇を片端から制御し、奪い取り、支配。絶対に自分の大切な記憶などには触れさせない。

ただ一念。弟を連れて帰るという願いだけが、始祖の闇を支配する程の強さを生み出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

竜化を行うつもりはなかった。家を壊したくない。

何よりイデアを傷つけてしまうかもしれない。

これは戦いではない。作業だ。自宅から害虫を駆除する作業。

 

 

 

 

 

 

 

獣は静電気でも流されたように覇者の剣から手を離し、後ろへと飛び去る。彼の見ている前で覇者の剣は竜の体の中に“巻き込まれて”いく。

刀身が貫通した部分も含めて突き刺したはずの心臓へと飲み込まれていく、鼓動を刻むたびに刃は音もなく竜の胸の内側に沈み、柄の先端まで飲み込まれ、消える。

 

 

 

 

 

 

 

ここで獣は喪失感を抱く。今までこの殿を支配し、思うがままに操っていた彼から、奪われる。殿を支配できない。

竜の殿は、真の主にその支配権を譲渡し、獣を拒んでいた。そればかりか──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──!」

 

 

 

 

 

 

体から紫色の小さな光の玉が飛び出し、それは目の前の獲物へと吸収されるように華奢な体に溶けて消える。

見間違うはずがない、自分が取り込んだはずの魔竜の力の一部だった。それが独りでに体を飛び出し、奪われている。

驚愕に立ち尽くし、体から飛び出る光を必死に掴もうとする獣に無機質な声が掛けられた。

 

 

 

 

 

 

「元々貴方の物ではないでしょう…………」

 

 

 

 

 

 

立ち上がり、血で濡れた服を纏いながらも彼女は獣に向き直る。

大きく露出した胸元、、そこにあった傷は既にない。

 

 

 

 

 

 

 

 

獣は見た。暗闇の中で爛々と捕食生物の様に輝く紅と蒼を。自分を見ている様で、その実見ていない眼を。

何処までも父親そっくりの眼だった。興味どころか、存在そのものを認識していない眼。

憎悪もなかった。弟の死骸を踏みにじった獣に対し、彼女は憤怒を一時は抱き、そして超越した。

 

 

 

 

 

 

振り切りすぎた感情は、既に無我の領域へと至っていた。

 

 

 

 

 

 

そんな領域は既に超越している。もはや彼女の中で、獣の駆除は決まったことだ。

冷静に、冷酷に、弟や里の同胞たちには決して見せない凍り付いた思考と、行動。

自らの平穏と安息を壊す存在に、彼女は絶対に容赦しない。

 

 

 

 

 

 

無限に膨れ上がる力を、竜は味わい、観察し、理解し、至って平常心でその扱い方を決める。

力の再分配を、攻撃、防御、回復、補助、周囲への威嚇、平等に振り分ける。

 

 

 

 

 

 

 

掲げた彼女の右腕、その骨が変形する。

華奢で白い少女の細腕から、黄金色の甲殻に覆われた巨大な竜の前足に。

一部分だけの限定的竜化。極限まで力の解放を抑えつつ、彼女は軽く前足を振った。

 

 

 

 

 

 

 

竜の五指が、空間を撫でやった。鋭利極まりない、竜の爪が躍る。砦の城門さえ木端微塵にして有り余る破壊力をもった、単純質量の一撃。

 

 

 

 

 

衝撃波が巻き起こる、轟音と共に“軽く”撫でるように振り払われた前足は獣の体を軽々と跳ね飛ばし、無数の肉塊を砕いてぶちまける。

【オーラ】の壁に直撃し、背中を焼き上げられた獣がうめき声をあげたのを見てから、イドゥンは気が付く。そういえば、外には無数の敵がいたのだった、と。

 

 

 

 

 

 

 

「……少しだけ、待って。直ぐに新しい家に連れていくから」

 

 

 

 

 

 

 

この場には不釣合いな、労りに満ちた声。精一杯頑張った弟への労いが篭った声。

 

 

 

 

 

 

 

【オーラ】を新たに弟を覆うように展開。

四角形の箱。継ぎ目のない棺の様な形状で編み上げられたソレを竜の剛腕でいたわる様に撫でてやってから、右腕を元の人の姿へと戻す。

棺の上に、彼女はもってきたリンゴを一個、置いた。

 

 

 

 

 

 

 

竜の長として命令を彼女は飛ばす。取り込んだ魔竜の、異常なまでに馴染の早い新たな力を以て。

 

 

 

 

 

当然の帰結だった。半身ともいえる存在との力の融合は、自分との融合ともいえる。

真実イドゥンとイデアは、二人で一つの竜だった。それが、あるべき形に、2つのピースがかみ合っただけ。

 

 

 

 

 

 

強く 美しく そして哀しい竜。

その力の扱い方は、遥か前より知っている。

 

 

 

 

 

 

彼女の号令は殿の壁や天井、空間を伝わり、あっという間に拡散する。

【戦闘竜】達が、慄き叫ぶ。新たな、真なる主の命令をうけたことへの歓喜を孕んだ絶叫を。

金色の瞳が、亡霊兵たちに向けられ……腐敗のブレスが吐きかけられた。

 

 

 

 

 

 

絶叫、絶叫、絶叫。鏖殺が始まる。

英雄もおらず、貧弱な竜殺しの武器しか持っていない亡霊兵たちは次々と改造された【戦闘竜】達に血祭りにあげられていく。

ブレスで、牙で、爪で、喰われて、戦役の最中に経験したありとあらゆる万の死を再現し、滅び去る。

 

 

 

 

 

 

 

 

竜の咆哮。亡霊の怨嗟。さながら、それは戦役最後の戦いを再現したような光景。だが、竜はそれを見てもいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

壊れた車輪があげるような、奇怪な叫びをあげて突っ込んでくる獣を前に、竜は片手の指を何か、剣を握るような形状にし、構える。

集うのは深淵。質量をもった闇が集まり、古の記憶を再現。それは始祖の記録。かつて使われた神話の武器をここに再現し、使う。

現れたのは一本の長剣。黒曜石を削って創りだした様な漆黒の刃に、多少の飾りを施された柄。

 

 

 

 

 

 

 

【ヘズルの魔剣】

 

 

 

 

 

 

 

生き血を啜り、世界へと災いを齎すとされる魔剣。

竜が剣を振り払い、迫る【天雷】の斧を真っ向から迎撃。

発生した衝撃が殿を揺らした。膨れ上がる稲妻を魔剣が生み出す漆黒の気泡が飲み込み、膨れ上がる。

 

 

 

 

 

 

 

金属同士を高速で衝突させた際に発生する、表面を削りあうような音。

黒と黄金が跳ね飛び、周囲に拡散する破壊。

 

 

 

 

 

 

さっさと片を付けよう。新たに生まれた別次元の力を持つ竜は時間を掛けることを嫌った。

残りの半身の力を直ぐにでもあのけだものから解放してあげたかった。

意識を向けるのは、懐にしまった一冊の魔道書。古代の禁術が収められた書に無数の力が集う。

 

 

 

 

 

 

 

一切の詠唱も、動作も省いて発動される古代竜族魔法。

光を圧縮し、力を収束し、まん丸いの、太陽の様に輝く円形魔方陣が黄金色に輝く。

 

 

 

 

 

 

 

【ルーチェ】

 

 

 

 

 

 

 

 

本来ならば天から無数の光を降り注がせ、世界に平等なる裁きを与える術。

広範囲、世界規模の術を竜は“圧縮”して扱うことに決めた。

殿に被害を出さない為、これ以上、自分の故郷を壊すことに彼女は耐えられなかった。

 

 

 

 

 

 

白亜の光が編み上げられ、一つの像を成す。

奇しくも、その形は今手にもっている剣と同じ形状……長剣。

 

 

 

 

 

黒と白。二つの対となる色彩の剣を竜は扱う。

この純白の、無垢とさえ取れる美しい剣に竜は始祖と神の血が教えてくれる古の記憶を読み取り、咀嚼し、銘を付けた。

神々しい光を放ち、羽毛の如き軽量さで手に吸い付いてくる光の剣の名は、これしかない。

 

 

 

 

 

 

【バルドの聖剣】

 

 

 

 

 

 

 

剣を握った瞬間に漲るのは、不屈の闘志と、廃滅の意。

お前はここで消えてなくなれ、竜の願いに呼応するように聖剣は退魔の光を放ち、殿に巣食う闇を照らし出す。

稲妻の斧と聖剣が打ち合う、数回打ち合っただけで斧の刃が欠け、総体に罅が走った。

 

 

 

 

 

絶望的な力の質量差による違い。巨大な岩に、剣を打ち付けたら刃こぼれするのと同じ原理。

 

 

 

 

 

間髪入れずに振りぬかれる魔剣が獣の体を切り刻んでいく、血と魂を啜り、その中にため込んだ魔竜の力を簒奪し、竜の力は更に強くなっていく。

奇跡の光景。本来決して交わらないはずの3つの窮極の力が混ざり合い、創世期よりどんな存在でさえ成しえなかった融和を果たしているのだ。

 

 

 

 

 

 

始祖の闇と神の光の間に、潤滑油の様に魔竜の力は流れ込み、竜としてのイドゥンの存在を安定させ、決して始祖の闇に蝕まれることの無いように盾となり、力を安定させ、循環させる役割を果たした。

まるで、力そのものが意思を持っているように、驚くほどに少女に力は馴染み、溶け込む。

 

 

 

 

 

 

産み出される力を込めて彼女は剣を振った。一切の技巧も駆け引きもない、純粋な力と速度を用いて。

相手がどう動くか、どう反撃するか、そして戦いの幕はどうなるか。何もかも全てが“見えている”

これは戦いではない。たった一つの結末があり、そこに向かう過程と作業だ。

 

 

 

 

 

 

 

体は考える前に動いた。まるで、自分の体を使って全くの別人……歴戦の戦士が動いているようだった。

これが誰が為の戦いなのかさえ、本人は判らない。

 

 

 

 

 

黒と白が霞を創りだしながら踊る。黄金の稲妻はそのたびに存在を削り取られ、徐々に小さくなっていく。

勢いを増すのは、黒と白。そして両方が混ざりきった混沌の波動。

自らの体そのものである斧が磨り潰されていく様を見て、獣は歓喜に満ち溢れた呻きを漏らしていた。

 

 

 

 

 

 

素晴らしい、素晴らしい、この存在が外の世界に仮に出たら、とても楽しいことになる。

獣が思うのはソレだけ。仮に自分が滅んでも構わない。ただ、願うのはこの“怪物”が世界にとても楽しい戦禍を撒き散らしてくれること。

 

 

 

 

 

 

 

竜は一切の感情を見せず、ただ存在を削ぎ取る作業だけを延々と繰り返し────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……ぐっ……」

 

 

 

 

 

 

背が焼けるように痛かった。竜殺しの武器から与えられた傷は、治りが遅く、重度の火傷の如くジワジワと染み込んでくる。

 

 

 

 

 

殿の存在する隔離異界から強制的に放り出されたアンナは、未だに動くと激痛が走る背中を気にしつつ、自分を殿から排出した、空間に刻まれる裂け目を凝視していた。

背の痛みなどこの際どうでもいい。問題は長だった。彼女はこの世界に残された唯一無二の神竜であり、失うという事は竜族の緩やかな滅亡への引き金を引くという事だ。

下手をすれば全てが無駄になる、ナーガが作った里も、知識の溜まり場を転移させたのも、そして“彼女”の事も。

 

 

 

 

 

深夜の森に一人、大木に背を預けながらも彼女は竜石を取り出す。

 

 

 

 

何が何でも戻らなくてはいけない。

彼女は戻ると約束したが、それを黙って信じる程アンナはイドゥンの力を凄まじいモノとは思ってはいなかった。

確かに強いだろう、確かに神竜に相応しいモノだ。だが、彼女はまだ10代なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

たった10年。竜の10代は人の10代とは全く違う。赤子の様なものなのだ。

メディアンも、フレイも、そしてアンナもそこに負い目を感じている。

子供を長として祭り上げ、全てを押し付けてしまっている現状が恥ずかしくてたまらなかった。

 

 

 

 

 

 

だからこそ、アンナは思う。自分が彼女を支えなくては、と。

彼女の親友が愛し、誇っていた神竜を支えるのは自分たちの役割なのだ。

 

 

 

 

 

 

何としてでも殿に戻ろうと力を使おうにも、うまく竜の力が引き出せない。

背中の傷が激痛を発し、集中と体内のエーギルの循環を乱す。

命が削れて行くような痛みは、余り経験したことのないもの。

 

 

 

 

 

 

だが、それでも必要なことをしなくてはならない。痛みを原因にするなど、ただの言い訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

「!!」

 

 

 

 

 

 

歯を食いしばり、漏らす声は普段の彼女にはあり得ないもの。

火竜の力を引き出し、空間の狭間を再度渡るための“船”を編み上げようとする彼女の眼前で“場”の歪みから何かが出てくる。

 

 

 

 

 

 

「長……!」

 

 

 

 

 

 

所々が破けた黒い服に、夥しい量の血液を付着させた少女……イドゥンは背後に何かを背負いながら出てくる。

白銀の長髪を靡かせ、その足取りは背負うモノの重さを確かめるように深く、遅く、重厚だった。

アンナは咄嗟に彼女が背負う……神竜のエーギルで編みこまれた棺らしきモノに眼を向け……息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 

ここに来る前は紫銀色をしていた少女の髪は、色素が抜けきり、白く染まり、白銀色と化している。

彼女の父親とうり二つの色、間違いなく親子と断言できるほどにその色は似ていた。

 

 

 

 

何も言えなかった。少女が何のためにここに来たかアンナは知っている。そしてその期待が最悪の形で裏切られたことも。

 

 

 

 

 

竜の色違いの瞳が臣下を見つけると、その背にある傷口に視線が刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

「アンナ、傷口を見せてください……」

 

 

 

 

 

 

イドゥンはよっこいしょという小さな掛け声と違うに棺を傍らにそっと降ろすと、細く白い指を一本向ける。

力が集い、一つの術が発動する。先ほどの【リライヴ】とは次元が違う回復術。死んでさえいなければ、ありとあらゆる状態からの回復を可能とする、復元術。

大量の竜の力を飲み込んだ彼女にとって、この程度の術は容易いものだった

 

 

 

 

 

 

 

 

【マトローナ】

 

 

 

 

 

 

 

竜殺しを更に上回る規模の力が傷口の呪いを押し流し、消し去る。放射される黄金の暖かな光は、正に太陽光。

焼け爛れた真っ赤な皮膚が、根元から巻き戻され、復元する。後に残るのは純白の、手入れされた皮膚だけ。

全ての痛みと倦怠感が一気に消し飛びアンナは内心驚愕を覚えていた。術の凄まじさに、ではない。

 

 

 

 

 

 

 

目の前の竜の成長に、だ。もはや殿に入る前と今の彼女は別の存在といえる程に違う。

神竜、なのか? と疑問を挟む程。確かに神竜の力なのだが、何処か違う。大きすぎて力の全景が見えない、氷山の一角を眺めている様な気配。

 

 

 

 

 

そして何より気にかかったのは、彼女のわざとらしく作り上げられた無表情な顔。

明らかに、無理をして作った顔だった。堪え切れない激情に蓋をし、抑え込んでいる顔。

 

 

 

 

 

 

 

 

長になってからこの少女は父であるナーガを真似してか、あまり表情を表には出さなくなったが……これは違った。

何かを我慢している顔だった。その裏側にあるのは……後ろめたさ、諦め、納得、敗北感さえも入り混じっている。

理屈ではない。同じ女だからこそわかる。彼女は、とてつもなく重いモノを一人で背負っているのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

イドゥンが懐に手を突っ込み、何かを取り出す。小さくて丸いソレは、精巧なガラス玉の様だった。

だが実際はもっと抽象的で、彼女の手のソレは物質ではない。

圧縮された“場”だった。切り取った異界を圧縮し、掌に収まるほどの大きさにまで縮めただけ。

 

 

 

 

 

 

それを竜は一瞬だけ躊躇うような動作をし、大口を開けて飲み込む。

殿を、彼女は、喰った。もう誰にも手を出されたくない、故郷を竜は“胃界”に飲み込む。

故郷が宿す竜族に対する能力補正が“太陽”と融合し、乗数的に力を上げていくことさえ竜にとっては些事だった。

 

 

 

 

 

そこに居たはずの、僅かな生存者さえも消化し、力と成すが……彼女は気が付かなかった。

気が付いた所でどうでもいいと、思うだろうが。

 

 

 

 

 

 

アンナに背を翻し、棺を背負おうとした彼女に背後からアンナは声を掛けるべく口を開けた。

ここで、何か言わなければ、決定的に彼女は道を違えそうな気がしたから。

彼女の顔は見えない。その果ても見えない。暗闇に続く道へ、一人で入り込んでいくようだった。

 

 

 

 

 

今しかなかった。彼女が完全に心を閉ざす前に、たった一人で鬱屈とした念を抱く前に、何としてでも、彼女の心に刺激を与えなくてはいけないと思った。

アンナには未来は見えないが、それでも嫌な予感があった。このままでは“怪物”が産まれるのではないか。

慕っていた父を失い、全幅の信頼と愛情を向けていた家族を失う。子供が歪んでしまうには十分すぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

何か言わなくては。言葉を掛ける必要がある。

 

 

 

 

 

 

「長……何が、あったのです?」

 

 

 

 

 

 

びくっとイドゥンの背が揺れた。まるで親に悪さを見つかった子供の様に。

振り向きたいが、振り向けない。彼女は葛藤しているように小さく震えると、リンゴを取り出し、食べようとして、落としてしまった。

掴み上げようとして……思い切ったようにそのまま彼女はリンゴを蹴り飛ばした。癇癪を起した子供のように。

これを食べるのは弟と一緒になってからだと決めていた彼女にとって、もう必要ないものだから。

 

 

 

 

 

 

 

うつむく。

世界で最も強大な力を持つ竜は項垂れ、絞る様に、喘ぐように言葉を吐く。

淡々朗々と、些事を吐き捨てるような声音を取り繕いながら。

 

 

 

 

 

 

 

「………お腹が、減りました。はやく、帰って何かを食べたいよ」

 

 

 

 

 

 

静かな言葉には億千万の感情がこもっていた。長としての口調と、彼女本来の口調がごちゃ混ぜになっていた。

一泊おいて、彼女は続けた。言葉の節々が震えながらも、しっかりと単語を吐く。

 

 

 

 

 

「アンナ、焼き菓子を、作れますか? エイナールとイデアはよく作ってくれたんだ」

 

 

 

 

 

 

自分で言っていてチグハグな言葉を列挙しているという事実に気が付いたイドゥンは顔を傾げた。

アンナが蹴り飛ばしたリンゴを力で包んで差し出してくれる。近くの流水で洗ったリンゴの表面はてかてかと光沢を放っていて、とても美味しそうだった。

蹴り飛ばした場所が、少しだけへこんでいる。骨が折れて陥没した頬を思い出す。

 

 

 

 

 

 

「長──」

 

 

 

 

 

 

続きの言葉をアンナが語る前にイドゥンは口を動かし、絡繰りの様にしゃべり始めた。一切の感情を感じさせないように努めながら。

じくじくと胸が痛んだ。余りに大きすぎる喪失感が彼女を蝕み、心を齧りとる。火傷をしたような熱と、体の一部を抉り取られた違和感が、消えない。

 

 

 

 

 

 

「私は、彼らを全て葬りました」

 

 

 

 

 

 

切り替えが終わり、冷酷な思考を引っ込めた彼女は、ただの少女だった。

失った痛みが戻ってくる。麻酔が切れた病の如く。

 

 

 

 

 

 

「彼らは、獣です……」

 

 

 

 

 

 

徐々に、抑えきれなくなった感情が顔を覗かせる。

たった一人の少女、一人の姉に戻っていく心に引きずられるようにその言葉は勢いを増していく。

 

 

 

 

 

 

「だから、獣と同じように………!」

 

 

 

 

 

 

初めての覚悟を決めた戦闘。そして勝利。そこに勝利の高揚はない。あったのは虚しさと、圧倒的な力による蹂躙。

少女にはその空虚さが何なのか理解が出来ない。だから感情のままに叫びを上げ、心で渦を巻く理解できないモノを片っ端から放出していく。

 

 

 

堰を切った濁流の様に彼女は絶叫と憤怒をぶちまけた。

もしも異界理論通りの世界があれば、そこに逃げ込みたい程の念が噴き出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が魔竜になっていればよかった……! そうすれば、少なくとも───」

 

 

 

 

 

 

 

例え抵抗し、そのせいで心を奪われようとも、そっちの方が遥かにマシだったと彼女は声を捻る様に絞り出す。

 

 

 

 

 

 

「長は、弟君を今の自分と同じ目に合わせたいのですか?」

 

 

 

 

 

 

突き刺すようなアンナの声にイドゥンは萎んだ様に身を縮め、今自分が言った言葉を反芻し、何かを堪えるように顔をしかめる。

何故ならば、それはイデアの行い全てを否定するものだったから。あの戦役で弟がやったこと、彼の犠牲になった者……。

 

 

 

 

 

 

「違う……それは、違い、ます、絶対に、ぜ、ったい……」

 

 

 

 

 

 

 

言葉という明確な形で心を表現する。

自分は弟と最後に何を話たのかさえ朧にしか覚えていない。

その事実に思い当り、今度こそ彼女はその場にしゃがみこみ、肩を震わせて啜り泣きはじめる。

 

 

 

 

 

アンナが屈みこみ、視線を彼女に合わせてその手を握ると、涙をこぼしながら少女は大声で泣き声ををあげた。

 

 

 

 

 

エイナールならば、もっと気の利いた慰め方もできるだろうが、自分ではこれが精いっぱいだ。

胸元にしがみ付きながら、泣いている少女の頭を撫でながらアンナは無力感を噛みしめ、少しだけ先代のナーガを恨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

こんないい子に理不尽を押し付ける、ナーガを一人の女性としてほんの少しだけ軽蔑し

同時にそうなってしまった世界の構造が判っているからこそ、何も出来ない自分が憎い。

 

 

 

 

 

そして一つ決意する。この少女が成長し、自分の意思で選択し、未来を創れるようになるまでは自分だけは彼女の絶対的な味方でいよう、と。

自らの親友がそうした様に、彼女の跡を継ぐなどとは言わないが、それでも何かが出来るはずと信じて。

 

 

 

 

 

 

 

少女の慟哭が木霊するベルン地方、その夜空には何時の日か半身と一緒に見た星たちだけが瞬いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






あとがき 




とりあえずIF編はいったんここまで。一度書くと止まらなくなりそうなのでここいらでストップです。
また本編が進んで烈火編、もしくは封印編、つまり全ストーリーを終了させたらその裏で進むIFとして書くかもしれません。
それにしても暗闇の巫女を聞きながら書くと、筆が進むこと進むこと。






彼女は出来れば泣かせたくはありませんが、やはりイデアが魔竜になった場合、どうやっても生き残るビジョンが見えずこういう話となりました。
そして彼女の口調なども原作の無機質な喋り方とこのお話での第一部の混ざり具合の調整には結構苦労しました。






姉と違ってイデアは自分の意思で戦いそうで、そうなるとやはり本編でも少し触れた通り、本領を発揮した魔竜の地球防衛軍ばりの数と質の暴力や、前の世界の知識を利用した悪辣な戦い方
そしてエーギルを感情で爆発させた全力の、殿による補正を得た魔竜イデア相手では、ハルトムート達でも苦戦し、一歩間違えれば負けてしまいかねないので、手加減や哀れみをかける余地が残りません。
そもそも自分の意思で戦っている時点でイドゥンと違い、ハノンやハルトムートが哀れみをかけられず、そのまま封印の剣による力で戦死、という流れになります。




獣ことテュルバンは……少々かませになってしまいましたが、今回の話でかなりこいつは好き勝手動いてくれました。





↓ に少しだけ蛇足があります。ほんのちょっとだけ、お話は続きます。
































イドゥンは瞼を閉じ、瞑想をしていた。空けはなされた自室の窓から流れ込む冷気と、果てのない空に光る星夜は、彼女に癒しを齎してくれるが今の彼女はそれらを意識していない。
深く、自分の内側に意識を潜らせ、自分という存在を客観的に見つめる。神竜、始祖竜、魔竜、そして殿、おおよそこの世に存在する竜の力の源泉全てを取り込んだ彼女は、それらの安定に努めていた。
超大にして絶大無比な力は、使い方を間違えれば己さえも滅ぼしかねない力。それを彼女は判っているが故に、心を強くするべく鍛錬を続ける。





考えることをやめるな。流されるままになるな。感情、心、エーギルを理解し、制御しろ──。
繰り返し思うのはその信念。失って泣いているままでは、変われない。もうサカで泣いていた子供ではない。





まずは心の揺らぎを制御する術を会得しなくてはいけない。
胸中の“黒い太陽”の爆発を支配し、噴き出る力の量を制御しなくては、いつか自分自身が内側から焼かれてしまう。





始祖の闇を見つめかえし、頷く。闇は悪く思われがちだが、適度な付き合いさえ守っていれば心強い隣人だと彼女は思っている。
神竜の光を見据え、思う。光とは輝き、眩しいモノ。だからこそ気を付けなくてはならない。太陽でさえ、この砂漠では死を齎す故に、時として光は恐ろしい焼き尽くす暴力を生み出す。






神と始祖の間に存在する魔竜の……弟の力を眺め、読み取り、彼女は俯く。
そこに宿る念に姉や父への負の感情はなかった。様々な思いが飛び回り、要領を得ない言葉の羅列ばっかり
諦観、不屈、否定、全てイデアが自分自身へと向けたものだ。







残骸が告げる思い。アレにこびりついていた感情は、所々が破けた日記帳の様なモノ。
彼は捨てられたと思ってこそいたが、恨みを抱かず、全て自分の責任だと受け入れていた。
それどころか、死に瀕して安堵さえあった。一体、何に安心したのか。負い目の様なモノさえ感じていた弟は、何を思っていたのか。






捨てたわけではない。私が家族を捨てるなどありえない。そう訴えてあげたいが、もはや今になっては無駄な事。
思いに返す存在はいないが、もう慣れ始めた自分がいることに彼女は気が付いていた。
慣れはある、だが穴は塞がらない。穴の大きさは皆目見当さえつかない。






弟が存在していたという証は、自分の中にしかない。宿した魔竜としての力だけがイデアの存在証明。







瞼を開け、天の光を見る。小さな手を伸ばし、それを掴みとるような仕草をしながら竜は思った。
私一人でも、いつかあの星を見に行って見せる。そうして記憶に残した光景を本として残したい。
その為にはもっと大きくならなければ。今のままでは、自分は小さすぎて、星の全景を瞳に映す事さえかなわない。








“眼”にありったけの力を込めて夜空を望遠すると、そこには異次元の光景が見て取れる。
無数の光が、無限の色彩と共に流れ、巨大な渦を形成する幻想の世界。
何万、何十万、何億という悠久の過去の光を可視化し、観察する映像は竜という存在さえちっぽけなモノだと思うに十分。








窓際から身を乗り出し、望遠を停止し肉眼でナバタの里の全景を眺める。そして果てに続く砂漠──数日前に火葬した弟の灰をばら撒いた砂漠。
ここだけが最後の安息の地。ここを守るためならば、何でも出来る。安息と安定を求める心は時として猛毒ともなる。
一番簡単に永遠の安息と安寧を手に入れる方法は、多少強引な事になるが、一つ思いついた。






だが、やる気はない。安息と安定が欲しいのに、世界中に混乱を撒き散らすことになる。
自分と同じ目に誰かを合わせるつもりなどない。








戦争があった。イデアは戦った。そして居なくなった。
戦死は……仕方ない、無理にでも割り切りをつけなくてはいけない。
復讐は、不毛だ。理屈を唱え、心を納得させる。イデアはそれだけの事をやったのだ、と。







サカでは死者は星や世界の一部になり、生者を見守っているという教えがあるらしいが、今のイドゥンは少しばかりその教えを信じてもいいかと考えていた。
だって、そういう考え方は凄く素敵だと感じたから。星はいい、いつも変わらずそこにある。







ベッドに歩み寄り、全身を預ける。白銀の髪が柔らかくシーツの上に広がった。純白のバスローブの柔らかい肌触りが全身を包み込んでくれる。
包み込まれるような安息と安心の中で、本当に久しぶりに彼女は熟睡するために意識を手放す為に努力をするが、中々寝付けない。
お腹が空腹を訴えるように小さく鳴き声をあげたが、彼女はそれを黙殺する。







物理的な意味では満たされているのに、何かが足りない欠落感と飢餓だけが残り、離れることなくへばりついてなくならない。
欠落感を埋め合わせようと力を生み出し、一時的に満たされたと錯覚しても、すぐに飢餓は戻ってくる。
更にまた埋め合わせようと力を爆発させ……無限に続くエーギルの連鎖の正体は、空腹と飢餓、欠落感。







一枚の黄金色の鱗を懐から取り出し、眺めた。最期の最期まで弟の傍にあった自分の一部。
黄金の光を生み出し、形を捏ね回して整える。形成されたのは一羽の鳥。弟が作ってくれた鳥と同じ姿をしたもの。





生きているように部屋の中を飛び回り、最後はイドゥンの腹部に降り立ち、そのまま胸辺りまで昇ってくる。






胸元で鱗と鳥を抱きしめ、竜は今度こそ眠りにつく。明日からまた忙しくなる。
長として、イデアとお父さんに恥じないような、立派な存在になるべく修練の日々が始まるから。





やることはまだ残っている。絶望して全て投げ出すのは、嫌だ。
それでは、この世界からいなくなったお父さんと一緒、私はお父さんみたいに全てを捨てる気はない。







暗闇の底に意識が落ち、白い夢が幕をあける。




夢と現実が切り替わる刹那、家族と友の姿を一瞬だけ、見たような気がした。










これは異界の物語。とある竜のお話。




もしも続きがあれば、それは何時の日か──。


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