とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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とある竜のお話 前日譚 一章 3 (実質15章)

 

 

 

 

ネルガルは眼前に置かれた一つの芸術品を前に言葉もなかった。

 

 

 

 

 

 

彼は優れた術者であると同時に、何処か芸術家に近い気質を持つ男だ。

拘りというべきか、それとも単に趣味の一言で片づけるべきかは判らないが、彼は【理】を超えた長い人生の中で、芸術という分野に重点を置く珍しい魔導士である。

 

 

 

 

サカやエトルリア、ベルンなど様々な場所で彼は魔道の他にも芸術を学んだことがある。

芸術とは、その地域に住む人の心をよく表すものであり文化や独特の思考回路を知りたければ芸術を学べばよい、というのが彼の持論だった。

 

 

 

 

 

そんな彼を以てしても、眼前の光景は想像だに出来ないものだった。

黄金の“繭”……新たな竜の命を宿した竜の母胎。心臓の鼓動の様な音を間隔よく刻み、力を組み込み、活力と変えていくソレは正に神秘の塊だ。

感動さえ覚えることが出来る極限の神秘性と神々しさ。そして力強く脈を吠え鳴らす膨大な力の流れ……全てが規格外。

 

 

 

 

 

 

既にこの里を訪れて数か月が経った二人は、出歩きなども許可されている。最初、二人は様々な場所を歩き回った。

里の中心部を歩き、外延部のオアシス、農園地帯を散策し、そして殿の地下部分をアンナという付き人と共に探索し、彼らは改めてこの里に建築技術の高さに驚くことになる。

様々な里の人と竜が好奇の目でこちらを眺めてくるのが印象深い。竜の縦に裂けた瞳孔は恐ろしいながらも、人とは違うという確定的な象徴にネルガルには見えた。

 

 

 

 

 

 

その中で紹介されたのがこれだ。最初イデアと対面した玉座の間の裏側、さながら大劇場の舞台裏の様に開けた空間に安置される巨大な……“繭”

新たな純粋な竜が産まれる瞬間というのは竜族にとっても貴重な光景らしく、そこにはいまだに多くの謎が残っているという。

貴重という言葉を幾ら繰り返しても足りない程に稀有な瞬間に、自分は立ち会っている。ネルガルは渋るイデアに何度も懇願し、こうやって定期的に繭を観察してもいいという承諾を得たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

監視されていようと関係ない。自分にはやましい事など何もないのだから。

彼は黙々と小さな木の机とイーゼルを設置すると、椅子に腰かけ、一枚の少しだけ黄味掛かった紙を平たい木製の板にかぶせて、動かないように重りを乗っける。

何度か紙を触って感触を確かめてから、ネルガルは棒状の木炭を取り出し、黙々と線を走らせていく。

 

 

 

 

 

 

 

音楽家が譜面に新たな曲を創造するように。

剣士が愛用の剣を磨くように、彼は緻密に満足がいくまで木炭を紙の上で躍らせ、新しいデッサンを書き上げるべく指を稼動させた。

大方の輪郭をまずは整え、次に全体に走る血管の様な皺、脈動する力の線を一本一本に至るまで神経質に書き込み、再現。

 

 

 

 

 

 

内部で胎動する巨大な新たな竜……脳が処理できる限り、今まで会得した技術の数々をつぎ込み、現実と胸の中に思い描く完成図をしっかりとかみ合わせる作業を続行。

 

 

 

 

 

 

どれほどの時間が掛かったかは判らないが、少なくともネルガルの感覚を主観とするならば“少しだけ休もうか”と思える程度の時間が経過し

彼は小さく息を吐き、額の汗などを拭うと、一通り完成したデッサンを見て満足したように眼を細め……次いで、少しばかりの不満と失望を抱いた。

違う。こうではない。ここが、違う。もっと、アレなのだ。幾千万の言葉でも表せない程の差異を彼は感じ、自らの表現能力の薄さに憤怒さえ覚えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

気を取り直して、椅子への座り方などを整えるネルガルが何気なく横に視線を走らせると………そこには描き始めた時にはいなかった人物が床に敷いた毛布の上に膝を抱えて座っていた。

長いすみれ色の髪を床の上に垂らしながらも、その人物は微動だにせず繭を眺めていた。

まるで人形の様に整った顔に、何処か普通の人間とは違う、異質な空気を纏った少女……ソフィーヤはゆっくりと顔を動かしてネルガルの顔を窺うように見ると、また繭に視線を返してしまう。

 

 

 

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 

 

 

 

確か、何度か里でこの少女を見たことがあったはずだ。

ネルガルは必死に記憶を探り、里を案内されたときに遠目にこの少女が母親と思わしき存在と一緒に自分たちを眺めていたのを思い出すに至る。

母親の方は、とても印象深い存在だったから直ぐに思い出すことが出来、そのまま芋づる式に彼女の存在も引っ張り出されてきた。

 

 

 

 

 

 

艶やかな栗色の髪の毛。平均的な男性よりも高身長の女性。感じる力と圧は、まぎれもなく竜、それもかなり高位のモノ……。

そんな女性の腰に抱き付くように寄り添ってこの少女は、佇んでいたはずだった。

よく見れば、成程。確かに親子だろうと思えるほどに顔の基本的な作りは似ていた。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

どうすればいいかとネルガルは咄嗟に考えた。まだまだ自分はこの里に来て日が浅く、言わば下っ端中の下っ端の様なものだ。

それにこの殿がどういう場所かは大体想像がつく。人間でいう所の王が座する王城と同じ役割をもっていることまでは推察可能。

ならば、そんな殿にふらりと足を踏み入れることが出来るこの少女もまた、この里の中では……かなり特別な存在なのだろうという所までは予想できた。

 

 

 

 

無視か、それとも友好か。下手に機嫌を損ねるという事は、そのままイデアと、彼女の母親の不興を買うことになる。

どう扱えばいいか、決めあぐねていると……不意に遠方から響く軽快な足音が耳朶を叩いた。

テンポよく刻まれる軽い音は、女性の足取りを想起させる。事実、この足音の主は女性だ。

 

 

 

 

 

柱の影から一人の女性が姿を現す。真っ赤な髪に真っ赤な眼、そして真紅のドレスを着こなす女性……アンナが。

彼女はネルガルとソフィーヤ、そして胎動を続ける繭を見ると、にっこりとほほ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

いつの間にか近くにいる女性、というのがネルガルの彼女への評価だった。

恐らく監視の役目というのもあるのだろうが、それを抜きにしても彼女は様々な面で助言を与えてくれる。

イデアがアンナを重視するのも頷ける程に彼女は万能な上に、社交的に動く事が出来るのだ。

 

 

 

 

 

 

「御機嫌よう。やはりここにいたのですね」

 

 

 

 

 

 

相変わらずの、何を考えているか読めない笑顔。彼女はこういう風に心を隠す術にも長けている。

 

 

 

 

 

 

「ああ……飽きが来なくてね。つい、夢中になってしまうんだ」

 

 

 

 

 

 

「少し、見せてもらってもいいですか?」

 

 

 

 

 

 

アンナが軽い足取りでネルガルに近寄ると、視線で承諾を得てから彼のデッサンを覗きこんだ。

何度か“二人”の頭が頷いた。一人はアンナの、そしてもう一人はいつの間にか彼女の横から割り込んでいたソフィーヤのすみれ色の頭。

 

 

 

 

 

 

彼女はデッサンと実物の繭を見比べて、眼を輝かさせていた。

芸術という文化を知ってはいるが、こうやって直に見るのは初めてだからこそ彼女は夢中になれる。

正直、最初からネルガルの絵を見たいとは思っていたのだ。だが、中々その機会が訪れず、アンナの行動に便乗するに至った。

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 

 

 

 

 

 

無言でアンナとネルガルに視線を向けられて、むふんとソフィーヤは満足気に息を吐く。絵の想像以上の出来栄えに、キラキラと瞳を輝かさせ、ぐっと手を胸の前で握りこむ。

次いで、今自分が余り知らない人物……ネルガルに凝視されていることを理解した彼女はアンナの背中に脱兎の如く回り込み、顔の一部だけを露出させてネルガルの様子を伺う。

500歳前後という年齢だけを見れば老人にも思えるのだろうが、半分竜である彼女にとっての500年など大したものではなく、それゆえに彼女はまだまだ子供染みた所がある。

 

 

 

 

 

 

彼女は……人見知りな部分がある。内気で顔だけは無表情だが、内面は感情豊かという少し矛盾した彼女は、他者へと気を許すまでが長い。

里の中の気心しれた幼馴染といった者や、家族、まだ赤子だった頃から面倒を見てくれたイデア、アンナ以外には中々寄り付かないし、隙も見せない。

そんな彼女がなぜここに居るのかというと、やはり絵が気になったのと、繭が見たかったからだ。

 

 

 

 

 

人間で言う10歳程度の彼女は、好奇心が旺盛でもあるのだから。

 

 

 

 

 

 

「……私の作品に感銘を受けてくれたようだね。ありがとう」

 

 

 

 

 

 

優しく、包み込むような声でネルガルは語り掛けた。

芸術に興味を持つのはいいことであり、何より、自分の絵に興味をもってもらうのは嬉しい事だから。

お世辞にも自分が名高い芸術家ほどの感性も、技術力もないとしっている彼にとって、こういったファンの卵というのは……掛け替えのないモノだ。

 

 

 

 

 

しかしソフィーヤはアンナの裏から出てこようとしない。

がっしりと彼女の腰を掴んだまま離れず、そのせいで両腕が塞がっているため、眼にかかった前髪を退かせなくなり、ふすーふすーと息を吹きかけて髪の毛を揺らして対処。

あらあら、と、アンナは朗らかに笑ってからソフィーヤの前髪を指で優しく退かす。

 

 

 

 

 

 

ソフィーヤと手を結び、何とか背後から引っ張り出すことに成功したアンナは再度ネルガルの絵に視線を返す。

 

 

 

 

 

 

 

「以前より思ってましたが、絵がお上手ですね……外界では画家を?」

 

 

 

 

 

 

 

「趣味みたいなものさ。本業には及びもしない」

 

 

 

 

 

 

 

 

小さく笑いながらも、何処か恥ずかしそうにネルガルは頬をかきながら言う。

何処か子供らしさ、無邪気さを感じる仕草だとアンナは思った。この男には、とても純粋な所がある。

年相応……最も外見はあてにはならないが……の冷静さもあるが、彼はとても……興味深い男だとアンナは考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかしだ、竜族というのは本当に……どうやって産まれるのだろうね? どこから来て、何処へ行くのだろう」

 

 

 

 

 

 

 

「行く場所───どうやって生きるかを決めるのは自分ですわ。

 何処から……と、言われると少し返答に困ってしまいますね。竜族の生まれ方には色々ありますから」

 

 

 

 

 

一つは純血の竜同士の婚約による出生。だがこれは少ない。

そもそも竜という種族そのものが子供を成す、という行為に余り興味をもっていないからだ。

果てのない寿命と莫大な力をもつ竜は、次世代を産み出す必要がない程に、生物として完成されすぎている。それゆえの弊害といえよう。

 

 

 

 

 

 

普通に産まれるだけならまだしも、中には生命操作、これも神竜のエーギル支配の技術の賜物ではあるが……によって産まれた存在さえいたと古い文献にはあった。

 

 

 

 

 

自分が産まれた時の事を思い出しながらアンナは語る。もう何千年も前の話になるか、想像さえつかない。

確か、この身も眼前の“繭”と同じように産まれたはずだった。

詳しくは覚えていないが、物心ついたときに見た景色の一つとして、最後にみた姿と全く変わらない先代の長……ナーガやその傍らに補佐としてあったフレイの姿がある。

 

 

 

 

 

産みの親、という存在は自分にはいない。育ての親ならばいるが……彼らは既に門を使ってナーガと共に旅立ってしまった。

 

 

 

 

 

 

産まれた時、世界はどうだったかを思い出そうとして……やめた。

そこにあるのは、気心知れた蒼い竜だけだった。

 

 

 

 

意味がない。今は過去に思いを馳せても何の利益もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「むずかしい、話ですね……」

 

 

 

 

 

 

ソフィーヤが腕を組んで大人の真似をするようにうんうんと頷きながら語る。自分が賢者になったように。

この人と竜の混血の少女は、ときどきこうやって背伸びをして、大人になった感覚を味わうことがあるのだ。

眼を光らせながら顎に指をやり、恰好をつけるソフィーヤの頭をアンナはくしゃくしゃと撫でまわしてやる。

 

 

 

 

 

 

 

低く唸る声で抗議をしてくる幼子にネルガルが苦笑し、アンナは手を止める。すると、ソフィーヤから恨めしい念が篭った視線が放たれ、彼女はうふふと含み笑いを優雅に浮かべる。

乱れたソフィーヤの髪の毛を懐から取り出した櫛で手早く正すと、ソフィーヤは嬉しそうに体を左右に揺すり……そして唐突に繭を見て動きを停止。

少しだけ乱れていた呼吸さえも完全に平常に戻り、瞬きの回数さえ半分以下に落としたソフィーヤはただ、黙って繭を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……これは?」

 

 

 

 

 

 

ネルガルがソフィーヤの変化に戸惑いを覚えつつ発した言葉にアンナは一回頷くと、膝を折って彼女の顔を真正面から覗きこんだ。

真摯な光を宿した紅い眼で、少女を見据えつつ、アンナは一言一句を大事にしながら語りかける。

何度かこうなったのを彼女は見たことがある。そして、今までそれは全て的中し、外したことはない。

 

 

 

 

 

 

イナゴをはじめとした害虫の大量発生、気候のちょっとした変化、感染病の散乱、そして彼女の父の死……その全てを彼女は“見て”当てたという実績がある。

 

 

 

 

 

 

「何か“見え”ました?」

 

 

 

 

 

 

言葉でソフィーヤは返さなかった。代わりに、彼女は片腕の人差し指で繭を指さした。

アンナとネルガル、両者が指を眼で追いかけて、ちょうど繭に視線が至った瞬間、繭が、力強く鼓動を刻んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬間、可視さえ可能な膨大な、とてつもなく多量の“力”が大渦を巻いて、繭に流れ込み始める。

最後の締めとして必要な分の力を必要なだけ暴食し、この世に確固たる自らの存在を築き上げる最終工程が、今始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは、そう、とても面白い場所だとアトスは改めて思った。

里の一角にある休憩所……二階建ての石造りの建物の内部は、外部の熱や冷気を完全に遮断する術を組み込まれ、常に人が生存するのにちょうどいい温度を維持する空間となっている。

幾つかそろえて置いてある椅子と長いテーブルのセットは、まるで街角にある食堂を思わせ、気さくな空気を演出する役目を果たしていた。

 

 

 

 

 

里の中は、何とも言えない平穏な空気に満ちている。平和で、そこそこ活気のある辺境の町の様な──老後を過ごすとしたらこのような場所が最適だろう。

休憩所の端の方に腰かけたアトスは、特にやることもなくそこから見える里の光景を見つめていた。

走る子供、行きかう大人、雑談する人と竜、おおよそ外では絶対にありえない場面がそこらかしらにある。

 

 

 

 

 

 

 

数か月経ち、ある程度の自由を手に入れた彼は時折こうしてぶらった里の中を意味なく散歩する。

ここにある現実を観察し、咀嚼し、理解するために。ありえない、なんて言葉はバカバカしい。

ゼロでない限り、どれだけ小さくても確率があるならばソレは起こり得るのだから。

 

 

 

 

 

 

いつの間にか手元に置かれていた果実のジュースに手を伸ばし、喉を潤わせると

彼の視線は自分の斜め前方の席にいつの間にか腰かけて遊戯版を延々と眺めている妙な男に向けられた。

 

 

 

 

 

 

 

屈強な肉体をした長身の男だ。

アンナと同じように紅い髪をした男は灰色のローブに身を包んでおり、ちらっと見えた両手の甲には特徴的な刺青が掘られている。

ルビーの原石の様な眼で男は遊戯版の上にある白と黒の駒を眺めた後、不意に幾つもの駒を手早く動かし、やがては白の陣営が詰みをかけられた所で停止。

 

 

 

 

 

 

 

そうして男は顔を傾げた。敗因が理解できないと。

言葉にこそしていないが、全身から敗北を認められないといった空気が痛い程に溢れ出ていた。

ふと、男が顔をあげるとアトスと視線が交差した。

 

 

 

 

 

 

暫し、無言の重圧が場を塗りつぶす。

男の表情は欠片も動かず、彼はやはり外見通りに冷静な口調で喋る。

その姿はアトスが戦役で戦った際に見た竜のあり方にそっくりだった。

 

 

 

 

 

 

 

「アトスか。確かこの里に長が長が招き入れたという人間の片割れ。八神将の一角」

 

 

 

 

 

 

「そうだ。そういうお主は……竜か?」

 

 

 

 

 

 

男は肯定として、言葉の代わりに一回だけ頷いて答えた。

 

 

 

 

 

 

 

「私の名前はヤアン。あの戦役の最後に殿で戦って、お前たちに敗れた竜の一柱だったらしい」

 

 

 

 

 

 

らしい、という言葉にアトスが引っかかりを覚えたが、彼は忍耐を発揮してじっとヤアンの次の言葉を待った。

ヤアンは一回言葉を区切って、首を少しだけ傾けた。そうしてから彼はそのまま何事でもないように言葉を発する。

他人事のように、つまらなさそうに。これは今の自分がアトス達と敵対する気はないという意思表示の一つだと言わんばかりに。

 

 

 

 

 

 

「戦役の最後に負った怪我……おそらくデュランダルあたりにつけられた傷によって私は生死の境を彷徨い、そして記憶のほとんどを無くしたのだ」

 

 

 

 

 

アトスが何と答えようか思案を巡らす中、ヤアンは更に淡々と言葉を紡いでいく。

ちらっと遊戯版に向けられた視線の中に、悔しさが混ざっているのをアトスは垣間見る。

誰かと戦って負けたか。だとすると、先ほどの負けた陣営を動かしていたのは彼か。

 

 

 

 

 

 

「ところで人間よ。お前は遊戯版は出来るか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「出来るぞ。それなりに強いと自負している」

 

 

 

 

 

 

 

これは事実だった。アトスはそういった娯楽にもそれなりに手をだしていた。たかが娯楽、されど娯楽だ。

人が遊ぶために創りだしたものというのは中々に侮れない。魔道と同じく、奥が深く、様々な用途があるし、精神を安らげるためには必要な事の一つだと彼は認識している。

そしてこの手の遊びはエトルリア王国に居た際にも弟子たちや、遊戯版が好きな貴族等とかなりの数をこなしたものだ。

 

 

 

 

 

 

あえて負けた時以外、アトスは滅多に負けたことがない。これも事実。

大賢者としての知識や、素晴らしい魔道の腕など全く関係ない遊戯の世界でもアトスは正しく天才的だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤアンが無言、無動作、視線だけで目の前に座る様にアトスを促す。

指示されたとおりに動くと、遊戯版の上の駒たちがヤアンの“力”によって動き出し、全てがゲーム開始前の所定配置に置かれた。

もはや問答無用だった。意地でも突き合わせる気の竜にアトスは微笑みを浮かべ、場の流れの赴くままに身を委ねる。

 

 

 

 

 

 

 

「持ち時間を測るのには、これを用いる」

 

 

 

 

 

 

ヤアンが小さな砂時計を二つ取り出し、一つを自分の所に、もう一つはアトスの傍らに置く。

両者の順番が来るたびにひっくり返し、全ての砂が下に落ちる前までにどこの駒を動かすか決めなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

「先手は譲る。何せ竜との対局など初めてだからな……年甲斐もなく緊張しておる」

 

 

 

 

 

 

 

ぶるぶる震えそうになっている拳を握りしめ、アトスは笑顔でヤアンの顔を見た。対して竜は何処までも鉄面皮を貫き、わかったと頷く。

 

 

 

 

 

 

竜は、駒を掴んで動かす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝敗は思ったよりも早く決まった。結果だけ言うならば勝ったのはアトスだった。

 

 

 

 

 

確かにヤアンは強い。

判断能力、先を読む能力、そして確固たる勝利への方程式を頭の中に築き上げ、綿密に駒を動かす腕は間違いなく今までアトスが戦った者の中でも最上位に位置する。

だが、一つだけヤアンには欠けているものがあることをアトスは気が付いていた。それは彼の性格上どうしてもなってしまう、いわば癖の様なものなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

ヤアンは余りにも計算通りに駒を動かしすぎる。彼の戦い方には、感情がない。

定石通りに、勝つために最短経路を通る。それは素晴らしい事だが、逆に言えばその道を知っている相手からすれば、返り討ちにする為に動かれてしまう。

今回の対局もそれが原因だった。ヤアンは素晴らしい打ち手だが、柔軟さが足りない。

 

 

 

 

 

 

 

恐らく彼が負けたのはそこに原因があるだろう。もちろん、基礎的な能力でも相手も十分に化け物じみた強さがあるのは間違いないだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

「私の負けか。礼を言う。参考になった」

 

 

 

 

 

 

 

無表情でヤアンは小さく頭を下げた。両手を顔の前で組んでから、彼は黙々と低く、重い声で呟き続ける。

真っ赤な眼がアトスに向けられて、その奥で小さく火花が散った。

負けは認めるが、まだ終わりではない、と。

 

 

 

 

 

 

 

子供の様な負けず嫌いな性分。かつてソルトが苦笑した火竜の人間味溢れる感情の渦がそこにはある。

アトスはそれを好奇の目で覗きこむ。貴重な宝石を鑑定する鑑定士の様に、楽しそうに、味わいながら。

かつて見た竜とはもっと感情がないものだった。人形の様に淡々としていながらも、その実傲慢だったが……彼は少し違う。

 

 

 

 

 

かつて見た冷たい竜と、この里で暮らす人間と全く変わらない暖かい竜の中間地点に位置する性質とも見える眼前の竜を理解すれば

竜の本質的な性質とは何か、という疑問に幾つかの面白い問いを投げかけることが出来るかもしれない。

それに、もっと単純に竜と親交を深めるというのも悪くない。だからこそアトスは言葉を発する。

 

 

 

 

 

 

 

「お主がよければ、まだ付き合うが……どうだ?」

 

 

 

 

 

 

「頼む」

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉は簡潔に、そして行動は迅速に。ヤアンは素晴らしい速さで駒を所定の位置に戻すと、アトスに先手を譲った。

彼の観察するような、研究者染みた視線を浴びせられながらもアトスは平然と動く。こちらも覗くのだ、相手に覗かれもするさ、と。

 

 

 

 

 

 

 

微笑ましい。アトスは胸中で浮かんだ感想に満足を覚える。

巨大な力をもっていて、かつては戦争さえした竜とまさかこうやって遊戯版で遊ぶことになるとは、夢にも思わなかった。

長生きはするものだ。本当に世界とは未知と刺激に溢れ、決して自分を退屈させることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

微笑みながら、孫でも相手する気分でアトスは駒を動かし始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後も何度か戦ったが、結局アトスはヤアンに1回しか負けることはなかった。

ヤアンが勝ったのは最後の一回だけだ。当然、これはアトスが手加減したなどではなく、純粋にヤアンがアトスに読み勝ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「改めて礼を言う。有意義な時間だった」

 

 

 

 

 

 

 

腕を組み、自らが勝利した盤面を満足げに見つめる竜の姿は少しだけ尖った耳を除けば人間と全く変わらない。

単純に今回アトスに勝てたのは、ヤアンがアトスが知らない定石を使ったからだ。

次は恐らく通用しないだろうという事は彼自身が誰よりも知っている。

 

 

 

 

 

 

抑えきれない勝利の喜びを、無表情ながら全身で表現する竜をアトスは眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

「こちらこそ礼を言う。まさかこんな手があったとは……」

 

 

 

 

 

 

「500年近く負け続けてきたからな。経験だけはあるのだ」

 

 

 

 

 

 

竜が少しだけ口角を釣り上げて笑う。初めて見た竜の表情変化にアトスはやれやれとため息を吐きたくなった。

これではまるで、本当に人間と変わらない。それはそれで興味深いが……ただ単純に楽しいだけではないか。

 

 

 

 

 

 

 

ヤアンが不意に視線をアトスから離し、施設の入口へと向ける。

アトスも同じく視線を動かし、ヤアンと同じ場所を見た。

階段を上ってくる足音の後に、金糸が開いたドアから覗く。

 

 

 

 

 

 

 

部屋に入ってきた存在……神竜イデアはアトスとヤアンを見ると、ほんの僅かばかりの驚きを顔に浮かべた。

すぐに余裕に満ちた笑顔に顔を切り替えると、彼は二人の近くの席に座り、何かの飲み物を頼む。

給仕がもってきた清水の入った盃を手に取りながら、彼は言う。

 

 

 

 

 

 

 

「何とまぁ、珍しい組み合わせだな」

 

 

 

 

 

 

竜のあんまりと言えばあんまりな言葉に老人は軽口を叩くように返した。

真っ白な髭を弄りながら、少しだけ疲れた顔でアトスは言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分でもそう思う。世の中何があるか本当に判らんものだ」

 

 

 

 

 

 

 

相も変わらずヤアンだけはイデアに軽く会釈をするだけで、何も言わない。

手早く、隠すように遊戯版を片付けるのをイデアは見つめながら、ふふんと鼻で笑い、懐から一つの道具を取り出した。

それは纏められた50枚程度の紙の札だ。一枚一枚に剣やこん棒、貴族、王様などの絵が描かれたカード。

 

 

 

 

 

 

 

外界のエトルリア王国で遊戯札と呼ばれ、流行りの、様々な遊びや賭け事、予言などにも使われる道具だった。

それを見てアトスは確信した。この竜は何度か外の世界にも出て行って行動したことがあると。

もちろん、それをアトスに教えるためにイデアがこのカードの束を見せたというのもあるだろう。

 

 

 

 

 

ただ里に引きこもって、外界の情報を知らない等という愚か者ではない、そうイデアは言いたいのだ。

 

 

 

 

 

 

ヤアンの眼の奥が轟々と燃えているのをアトスは見た。中にあるのは対抗心。

アトスは知らない事だったが、ヤアンはイデアにこの札を用いたゲームで散々に打ち負かされたり、賭け事で無慈悲に搾り取られたことがある。

 

 

 

 

 

 

 

「どうする? やってみるか?」

 

 

 

 

 

 

 

イデアがアトスとヤアンに問う。まるで友達と遊ぶ子供の様に。

 

 

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若い火竜が腕を組み、不承不承に頷き、アトスも同じように賛同の意を示そうとする瞬間……イデアは徐にその顔を里の中心、この里の“殿”へと向けた。

物理的ではない、概念の“眼”を使ってそこで何が起こっているのか把握した彼は、物静かにカードをしまった。

イデア程ではないにせよ火竜であり、極めて高位の竜であるヤアンも直ぐに気が付いたらしく、無言で了承したと告げる。

 

 

 

 

 

人間であるアトスは目の前の竜たちが何かを感知した、という所までは見えたが、判らずに眉を動かし首を傾げた。

よく判らないが、何かが起こっているらしい。目の前の神竜をしてここまで反応する何かが。

 

 

 

 

 

 

 

「悪いね。これはまた今度にしよう」

 

 

 

 

 

 

余裕を感じる動作で立ち上がると、イデアの足元に魔方陣が浮かび上がる。

転移の術だ。高位の術を無詠唱で、呼吸でもするように使いこなしている。

 

 

 

 

 

 

 

「何が起こったのだ? わしに出来ることならば力になるが」

 

 

 

 

 

 

 

アトスの言葉に、イデアは沈黙で返した。暫しの間アトスの鋭く、美しい蒼い瞳を竜の双眸がじっと真正面から眺める。

イデアの頭の中には色々な考えが大手を振りながら飛び交っているらしいが、アトスはそれが何なのかまでは見抜けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「判った。一緒に来てもらう。……お前も来るか?」

 

 

 

 

 

 

 

アトスに答えてから、ヤアンに向けてイデアが問うとヤアンは無言で立ち上がり、イデアの魔方陣の中に踏み込んでくる。

それを答えとして受け取ったイデアは、更に幾つかの思念を里の中の何人かに向けて放ちながらもまとめて全ての術を平然と行使。

長距離の思念通達、近距離転移、そして“繭”に注ぎ込まれる力の量の微量な調整。全てに余すことなく意識を配分し、竜は動く。

 

 

 

 

 

 

あらかじめこういった事は予想されており、全てが計画通りだった。

幾つかのイレギュラーが発生はしているものの、それも大きな問題にはらないし、むしろこれはチャンスだとさえ思っている。

そう、これは一つの“テスト”になる。自分にとっても、アトスやネルガルにとっても。

 

 

 

 

 

 

 

 

転移が発動した瞬間、その刹那、イデアの顔が僅かに高揚し笑っていたのをアトスは確かに見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一切の過程を無視して転移の術はイデアたちを里の中心部、殿の地下、玉座の間の背後へと輸送する。

青白く空間が光明を放ったと同時に、光さえ超えた速度でイデアたちは目的地へと到達した。

堂々と背後にヤアン、アトスを従えるように連れたイデアは繭の前へと歩を進める。

 

 

 

 

 

思念を受け取ると同時に、直ぐに転移を果たしていたメディアンとフレイが一歩前に踏み出て

傅き、恭しく主を出迎えたが、イデアはそれに手を振って今はいいと止めさせた。

 

 

 

 

 

 

 

「状況は?」

 

 

 

 

 

ちらりとイデアが繭に眼をやると、その表面には無数の断層が走り、そこからは半透明の液体が漏れ出ている。

あの液体を神竜は知っている。自分もあの中に漬かったことがあるのだから。

ドン、ドン、と中から何かが膜を突き破ろうと蠢く音をイデアの耳は確かに捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『既に力の吸収は安定化し、後は孵化するのを待つだけです』

 

 

 

 

 

 

「万が一ということもあります。ですが長がこの場にいれば……“子供”が産まれた際、何かがあっても迅速に対応できます」

 

 

 

 

 

 

 

ひび割れた声と、女性の凛とした声が簡潔に状況をまとめ上げ、主に報告を行う。

フレイとメディアンからの言葉を聞き、イデアは満足そうに肩をゆすった。

 

 

 

 

 

返答を行おうとしたが、その言葉は最後まで続くことなく、途切れてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

「そうか……それは……っ」

 

 

 

 

 

 

 

 

が、ふとした拍子に立ちくらみの様なモノが頭部を駆け抜け、視界がぐるっと回った。

倒れ込みかけるその刹那、誰も反応できない光の速度でイデアの“眼”が、アトスと、少し離れた場所で様子を見ているネルガルに向けられ……敵意がないのを“見た”

何度かたたらを踏み、倒れ込みかけた彼の肩を支えたのはヤアンだ。彼の太く、引き締まった筋肉質な腕がイデアの肩と腰を掴み、支えている。

 

 

 

 

 

 

 

少しばかり力を与えすぎたかもしれない。

いわば、この新しく産まれる竜は自らの子供であり、イドゥンに次ぐ半身。むしろ子供を産む苦しみがこの程度で済むならば安いほうだろう。

何しろあのメディアンでさえソフィーヤを産む際には苦痛で喘いでいたのだ。

想像を絶する痛みの代わりに、全てを根こそぎ奪われたような虚弱感をイデアは味わうが、この程度何の問題もないと竜は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、幾つか計算通りだったとはいえ、嬉しいこともある。

例えば眼前の地竜と老火竜、そして少し離れた位置で見守っているもう一柱の火竜は自分が倒れ掛かった時、真っ先に意識をネルガルとアトスに向けたことだ。

 

 

 

 

 

 

もしもこの自分が少しでも弱みを見せたチャンスにアトスかネルガル、もしくは両方が自分に襲い掛かろうとした瞬間……。

否、そういった考えを頭の何処かに沸かせた瞬間、彼らの肉体は一切の抵抗を許さずエレブから消滅していたかもしれない。

だがとても喜ばしいことにこの二人はそんな事を欠片も思ってはいなかったようだ。知らずの間に彼らは“テスト”に合格する事に成功したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

視線だけでヤアンに礼を言うと、この500年の付き合いがある火竜は何も言わずイデアから手を離した。

竜は内面の脱力感を一切表に出さず、背筋をしっかりと伸ばし、堂々とした体制で繭へと歩み寄る。

 

 

 

 

 

 

 

ネルガルが近くにまで歩きよってくる。彼の隣に立つのはアンナと、ソフィーヤ。

ソフィーヤが母であるメディアンの元へと走り寄り、その手を握るとメディアンは娘に優しく微笑みかけ、彼女を背後に庇うようにして立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビキン、と更程よりも大きな音が響く。

耳の奥まで届く特殊な音波が空気を震わせ、新たな命の誕生を祝福するラッパの様に高らかにその産声を主張。

割れた繭のスキマからこぼれ出るのは液体と、うめき声。甲高く、そして重い、新しい竜が発するこの世で最初の言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大きく繭の上半分が砕け、その全体の3割ほどが崩れ落ちると内部の様子、ひいては内部の竜の姿までもがはっきりとこの場に居る全員の眼に映った。

更にそこから竜は勢いよく内部から繭を砕き、遂にこの世界へとその身を晒す。母の子宮から生れ落ちた赤子が産声を上げるように、竜は一度、大きく、そして美しく鳴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

頭の上に乗せた繭の殻を放り投げ、竜は落ち着いた様子で好奇心の宿った眼で初めて直接、外界を見る。

 

 

 

 

 

 

 

濡れそぼり、てかてかと光を反射する全身の羽毛は黄金色……まだ鱗さえ竜はもってはいなかった。

まん丸く見開かれた眼は、少しばかり紫がかった翡翠色で、その中には確かな知性が見える。

背中に生えそろった翼は、イデアやイドゥンのソレとは違い一対だけだ。しかもまだ小さく、飛行が可能になるまでは時間が掛かるだろう。

 

 

 

 

 

 

馬車程の大きさの小さな小さな竜。飛竜よりも小さく、愛らしささえ見るモノに感じさせる新たな神竜。

しかしその幼い身が発する波動は紛れもなく神竜のモノ。間違いなくゆくゆくは世界に絶大な影響を与えることが可能になる存在。

至高の素質を生まれながらに持ち得る超越種の中の超越種。この竜は間違いなく最高の環境で育てて経験をつまされることが確定している。

 

 

 

 

 

 

 

 

後継者は必要だ。

いつか、それこそ数千年か、数万年、家族を取り戻した後も長としての仕事は終わらないが、この目の前の新しい神竜を育て切れば、後を託すことが出来る。

 

 

 

 

 

 

 

明らかにイドゥンやイデアが産まれた時に比べても竜は小さかった。

ナーガの力の影響をふんだんに受けて生まれた双子とイデアの力により誕生したこの竜では、やはり差があって当然だ。

ここでもイデアはナーガと自らの格の違いを見せつけられた気持ちになったが……直ぐにそんな感情は流れて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

無言で一歩、更に一歩、竜へと向けてイデアは近づく。竜化をするつもりはなかった。そんなことをしたら里の中心部が崩壊してしまう。

竜の目の前まで来ると、イデアは竜と見つめあう。首を持ち上げ、見上げると、竜は見下ろしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

遠目から、アトスやネルガル、メディアン、フレイ、アンナ、ヤアン、ソフィーヤ、全ての者が声も上げずに見守っている。これは素晴らしい安心をイデアに齎す。

 

 

 

 

 

 

 

 

視線を交わすと、竜は首を下げてイデアの差し出した手に、その顔を載せる。匂いを嗅ぎ、初めて嗅覚を用いる。

口の端からは繭の中に循環していた液体がこぼれ、床に落ちると同時に宙に溶ける様に掻き消えた。

さらさらとした液体はまるで、伝説の中に存在する金属、ミスリルでも溶かしたかの如く柔らかく、粘性がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

イデアは顔を寄せてきた竜の耳元に唇を押し当て、そっと呟く。今から言うべきことを知っているべきなのは、自分とこの竜だけだから。

これはもう、ずっと前から決めていたこと。繭に気がつき、あれが何なのかわかった時から考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

お前の名前は────フ───────ァ─────、だ。

 

 

 

 

 

 

長いが、おそらく人の耳では全体の8割も聞き取れないことは判っている。

その結果、人間からしてみれば、かなり滑稽に近い名前になることも理解しているが、これしかないとイデアは感じていた故に、躊躇いはない。

 

 

 

 

 

 

脳裏に一瞬だけ甦ったのは今はもう居ないあいつと、今この場にいる彼の娘。

彼の娘の名の由来をイデアは知っている。そこから更に繋げて名前をイデアは竜に与えた。

彼女が【輝く未来】の意を冠するならばこの子は【未来を照らす】という意味をもった竜族の名を授けようと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しく誕生した竜──ファは己に与えられた名前に満足したように、歓喜するように、一鳴きしてイデアに答え、その瞼をそっとおろした。

繭を砕き、出てきた時点で竜は体力を使い果たしたのだろう。疲れた子供が眠る様に、あっという間に眠りについてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

イデアが指を一振りし、術を発動する。500年前にナーガに掛けられた術を今度は自らが他者に掛ける。

黄金の光に包まれたファの身体が、馬車程の大きさから、小さく、小さく、圧縮された。

翼は消え、羽毛も全てなくなり、四肢をもった人の姿へと。

 

 

 

 

 

 

 

やはりファは小さかった。まだまだ幼子の姿、それも幼児からようやく抜け出した程度の外見。

人間の年齢にして、4歳程度の外見の姿だろう。赤紫、暁色にも見える髪の毛に、額に竜族の言語の様な紋章が存在する童女……それがファの人間としての姿だった。

竜族が人化した際に見られる尖った耳も当然ファは持っているが、今はペタン伏せていて長さなどはよく判らない。

 

 

 

 

 

眠りについているその姿を見て、イデアは自分が何を思っているのかさえ分からなくなりかけた。

何だろうか、何を言えばいいのだろう。どう接するべきか。

 

 

 

 

 

結果、彼の行動はとてもありきたりなものとなる。

 

 

 

 

 

 

手元に取り寄せた毛布で一糸まとわないファを包むと、両手で抱き上げる。とても軽い。力を使って体を強化する必要もない程に軽い。

あらかじめ用意していた部屋にこの子を連れていき、そうしてからネルガルやソフィーヤなど、この繭が変化を起こした瞬間に居合わせた者達に話を聞くつもりだった。

 

 

 

 

 

ファの小さな手が握っていたのは、幼児の掌にすっぽりと収まってしまいそうな程に小さな黄金の竜石。これが今のファの力の全て。

それをイデアはアトスやネルガルが気が付かない内に何食わぬ顔で自らの袖の中にしまい込み、振り返ってから部下に声を掛けた。

 

 

 

 

 

 

「少しの間、頼んだ」

 

 

 

 

 

 

 

フレイに命ずると、老火竜が恭しく腰を折り、答える。

それを見届けてからイデアは転移を発動させ、その体は飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殿の中の一室、新しく産まれた神竜ファをそっと柔らかく、真っ白なベッドの上に横たわらせたイデアは

自分がナーガと同じことをしていると思い出し、思わず顔を顰めそうになり……その代わりに乾いた笑みがこぼれた。

俺はあいつが嫌いだ。いや違う。今でもはっきりと断言できる程に“大嫌い”だ。

 

 

 

 

 

 

全く、笑い話でしかない。嫌い、嫌いといいつつ意識してしまう。まるで初恋をこじらせた乙女のようではないか。

 

 

 

 

 

年を重ねれば重ねる程に、いかにあの男が父親としてダメだったのかを採点出来るようになる。

言動、行動、思考、まとう空気、挙動、何もかも全部イデアは覚えているし、その全てにダメ出ししてやりたくてたまらない。

もう幾らそんな事を思っても無駄でしかないが、それでも腹ただしい男だったというのは確かだ。

 

 

 

 

 

 

眠り続けるファを、観察するように“眼”を向けると、そこには面白い光景があった。

彼女はまるで……宝石だ。黄金色に輝く原石、純粋で、純血の神竜の彼女の潜在能力は計り知れない。

ほんのわずかでも経験を積めば、この娘は文字通り神の名を継ぐに相応しい存在へと成長するのが見て取れる程に。

 

 

 

 

 

 

 

イデアは肩を竦めた。まだそんな何千年も先の話を考えても意味がないか、と。

 

 

 

 

 

成長の途中においてソフィーヤ辺りと絡ませるとよいかもしれない。イデアは思う。

あの娘はどうにもファがまだ繭だった頃、それもかなり初期の頃から気にかけていたし、彼女にとっても、ファにとっても、互いに刺激しあうよい関係になれるだろう。

自分がきっとファにとって必要になると、彼女は確信している部分がある。

 

 

 

 

 

 

次いでイデアはファの近い未来に対して頭を回す。どういう風に接するか、何を教えるか、まずはそこからだ。

まずは文字の読み書きを教えなくては。その次に力の使い方や竜の姿への戻り方。力を扱う際の注意事項、ここらへんは特に重要だ。

特に力の使い方や心構えに対しては手を抜くことは出来ない。強大な神竜であるからこそ、責任の重さは知らなくてはいけない。

 

 

 

 

経験も大事だ。イデアは彼女を部屋の奥深くに閉じ込めて外界から隔離するつもりはまるでない。

色々な経験という上質な食材を彼女の成長へと捧げる予定だ。世界の広さを知るという事は大事だから。

 

 

 

 

 

 

 

一通りの考えをまとめ上げた後、イデアはため息を吐くと今度は肉眼でファを見て、手を伸ばす。

艶やかな赤紫色の髪の毛を無意識の内に撫でてやると、少しだけ、イデアは自分が昔に戻った様な気がした。

まだ自分が何も知らなかった子供の頃。姉やナーガ、エイナール達と一緒にいた時代に思いを馳せ、胸の中の長として感じている重圧が少しだけ和らいだ。

 

 

 

 

 

 

 

ナーガの様に、俺はこの子を捨てない。絶対に。

そしてイドゥンを解放した際には、この子を紹介してやろう。その時姉はどんな顔をするかがとても楽しみである。

もう少し時間が掛かりそうだが、永遠ともいえる竜の命はそれを可能にする。

 

 

 

 

 

 

懐からファの竜石と、自分の竜石を取り出し、見比べるとやはり色々と大きさなどが違う。

自分のそれは成人男性の握りこぶし程もあるが、ファのそれは例えるならば小さな小さな小石で、石の内部の力も今は種火程度でしかない。

眼前で二つの石が共鳴するように輝きあい、発生させた黄金の光と光を絡み合わせ、その存在を称えるようにイデアの竜石からほとばしる力がファの石を包んだ。

 

 

 

 

 

 

念には念の為、母乳代わりに直接力をファに与えると、いっそうイデアは強い虚脱感を覚える。

代わりにファは、母親に抱かれてるかのように安らかな笑顔さえ浮かべて寝ていた。

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここからが忙しくなる。イデアは気を取り直し、意識を新たにする。

アトスとネルガルの件はひと段落してきたが、ここからも慎重に対処しなくてはならないし、長としての仕事も当然なくなるわけはない。

平行して姉を解放するための研究も続け、ファの教育などの子育てにかかる時間もここに加わるだろう。

 

 

 

 

 

 

つくづく竜が睡眠を必要としない種族でよかったと彼は痛感した。人間ならば間違いなく倒れてしまうだろう。

 

 

 

 

 

 

首に掛けていた鱗を取り出し、見てみるとそれは二つの石に照らし出されて何とも言えない輝きを反射していた。

蒼紫に、黄金色の光が纏わりつき、輝く。紐に結ばれて揺らされながらもそれは、奇妙な存在感を発している。

ただ照らし出されて揺れているだけだというのに、イデアにはまるでソレが頑張れと言っているようにも見えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

これはますます少し何処かで休暇を取るべきかもしれないな。

苦笑交じりに自嘲するように思い、最後にファをもう一度見てからイデアは二つの石と鱗を懐にしまった。

ファの石はまだ渡すつもりはない。彼女が力の使い方をある程度覚えたら返すつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

転移の術が発動し、そしてイデアは500年生き続ける竜の長の顔になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イデアが玉座の間を離れたのは時間にして半刻の更に半分程度の時間でしかないが、そのわずかな時間の間にフレイは全ての仕事片付けていた。

繭の残骸の撤去と、玉座の間の裏の掃除や状況をまとめた文章の作成、必要と思われる人物の選択、後はイデアが戻ってきて必要な所だけを行えばいい程に玉座の間の場はまとめ上げられていた。

フレイ、ネルガル、アトス、ソフィーヤとメディアン、アンナ、玉座の間でイデアを待っていたのはこのメンバーだ。

 

 

 

 

 

 

ヤアンは既に帰ってしまったらしく、この場にはいない。

元より彼は気まぐれの様なものでついてきただけで、この場に居ようと居まいと問題はないから、フレイも彼を帰らせたのだ。

ネルガルとアトス、ソフィーヤとメディアン、フレイとアンナ。見事に組み分けされたようにそれぞれの人物、または竜は玉座の間でそれぞれの場所で待機していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2柱の火竜は玉座の隣、主に付き添う様に、地竜の親子は玉座から離れた場所で主の声が掛かるまで待機し

そして2人の魔道士はこの里に来た当初の様に玉座の真正面、臣下が礼を尽くす場所で、竜の言葉を待った。

 

 

 

 

 

 

「正直、報告は色々聞いているから、あまり直接話をする意味はないんだけどね」

 

 

 

 

 

玉座に座り、この空間において絶対的な主導権を容易く握り取るイデアは内側にたまる疲労を一切感じさせないはきはきとした様子で喋った。

紅と蒼の眼はこれ以上ない程に煌々と輝きを孕み、その奥では意思という炎が猛っている。目の前に存在する、例外なく世界でも強大な存在達に彼は全く怯みさえしていない。

 

 

 

 

 

 

「一つ聞いても?」

 

 

 

 

 

ネルガルの言葉にイデアは無言で言葉の続きを促した。

 

 

 

 

 

 

「竜が誕生する光景というのは、その……竜の間でも珍しいものなのかい? 特にああいう形で産まれるというのは」

 

 

 

 

 

 

 

イデアはその言葉に頷き、発話した。

 

 

 

 

 

 

「正直に言ってしまえば、珍しいものだよ。竜族というのは、子供を創る能力や、そういった意欲が少ないモノが多い。

 特にあの神竜の様に世界から産み落とされた竜はこの500年間では初めてだな」

 

 

 

 

 

旧時代の最後の神竜が自分たちだとすれば、彼女は新時代の神竜となる。ナーガの殿時代から、イデアの時代への移り変わりの象徴に。

少しばかり詩的に、気取った表現でファを表すならば、始神竜とでも称号を与えるべきか。

 

 

 

 

 

 

その言葉にネルガルの顔が輝き、アトスも隠し切れない好奇心をあらわにしていた。

一人の学者として竜の生態を竜から聞かされる事は、素晴らしい経験なのだろう。

しかも、これから一柱の竜の成長を、この目で見続けることが出来るとなれば、尚更。

 

 

 

 

 

 

 

「あの存在は神竜か。となるとあの竜は……」

 

 

 

 

 

アトスがイデアを見つめながら遠まわしに問いかけを発してくるが、イデアはそれに泰然自若とした様子で答える。

 

 

 

 

 

 

「お前の想像している通りさ」

 

 

 

 

 

一切の口を挟めない強い念が篭った声に、ネルガルとアトスは何も言わなかった。

ただ、少しだけイデアはこの言葉に幾つか継ぎ足す。玉座から身を乗り出し、悪戯っぽく笑う。

 

 

 

 

 

「孫でも相手するような気分で機会があったら接してやってくれ」

 

 

 

 

「孫か、わしには今は子供はおらんのだがなぁ……」

 

 

 

 

 

老人が自分の頭を撫でると、彼はやれやれとため息を吐いた。

何百年も生きてきたが、全て魔道と趣味、探究に費やした結果として、愛してくれる者を捨てて生涯孤独になった自らの身を顧みて漏らした息は重く、切ないが、彼はすぐに顔を切り替えて堂々とした立ち振る舞いに戻る。

 

 

 

アンナは一瞬だけネルガルを見ると、すぐにその視線を逸らし、いつも通りの余裕を湛えた微笑みでイデアに頭を垂らす。

 

 

 

 

 

 

 

イデアがソフィーヤに眼を向けると、彼女はおずおずとした様子で母の隣から、一歩を踏み出した。

小さな歩幅で、ネルガルとアトスの隣を通り過ぎると、イデアの目の前で彼女は深く頭を下げる。

途切れ途切れの言葉だが、その声そのものははっきりとイデアは聞き取れる。

 

 

 

 

 

 

「……私も……時々でいいですから……」

 

 

 

 

 

 

伝えたい事実の、全体の一部程度の言葉だが、彼女が赤子だった頃から知っているイデアにとってソフィーヤの言いたいことを理解するのは欠伸が出る程に簡単な事だ。

500年の付き合いというのは、本当に長いもので、彼女は顔色を余り変えないが、その実内面の変化は非常に激しいものを抱く。

 

 

 

 

 

 

「判っている。むしろこちらから頼もうと思っていた」

 

 

 

 

 

 

その言葉にソフィーヤの顔が隠し切れない程の歓喜で輝いた。

眼がキラキラと輝き、その小さな全身は雷にでも打たれ、痺れたように震えている。

言葉を出そうとして出てこないのだろう。しきりに顔を縦にぶんぶんと振り、両手でしっかりと握りこぶしを作った彼女は感無量と言った言葉を全身で表していた。

 

 

 

 

 

 

 

ほぼ無意識で頭を下げて、下がるソフィーヤの足取りはもはや半ばスキップと化していた。

飛びつくように母の腕を掴むと、親子はそろって一礼し玉座の間から退室する。

手の動作でネルガルとアトスに退室を促し、イデアは玉座に深く座り、小さく、ふと思う。

 

 

 

明日、初めてファと会話するとき、どんな感じで話しかけようか、まだ決めていない。

教育方針などは決めてあったが、どういう風に話すかはまだ未定だったことに今更イデアは気が付いた。

さすがに父と自分の事を呼ばせるのは……まだまだそこまで自分は老人ではない……はず。

 

 

 

 

かなり下らない事だが、これはとても大事だ。

決めなくてはならない。

 

 

 

 

 

竜はまだ見ぬ明日に対して頭を悩ませる。

 

 

 

 

 

 

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