とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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とある竜のお話 第四章

 

 

―――ザァァァァァァァァァ…………。

 

 

文字通りバケツをひっくり返したような激しい豪雨が窓をガンガンと叩きつける音でイデアは強制的に覚醒させられた。

ムクリと起き上がって、喧しい騒音を奏でている窓を忌々しげに多分の眠気の混ざった眼で睨む。

 

 

昼間ならよく見える山々の絶景も見えず、それどころか隣接しているバルコニーさえも見えない。見えるのは窓にぶつかる豪雨と底知れない夜の深い闇だけ。

 

いつもの癖で時計を探そうとするが、そんな便利な物など、ここには無いことを思い出して止めた。

 

 

「ふぁぁ……」

 

 

ぐっと背筋を伸ばし、大きな欠伸を吐き、気分を入れ替える。

薄暗い部屋にパチパチと暖炉にくべられた薪が燃える音がやけに大きく聞こえた。

 

とりあえず、一度厠に行って用をたしてからもう一度眠ることにイデアはした。

 

 

まずは明かりが必要だ。足が引っかかったりして転倒したら危険だ。幸い自分はそれを持っている。

 

 

懐に手を伸ばし、純金の塊のような美しい竜石を顔の前に持ってくる。

最近、なんとなく動かす事に慣れてきた「エーギル」なるものをほんの少しだけ石に注入した。

 

 

音もなく竜石が黄金色に輝く。竜族の中でも自分の力そのものと言える竜石をトーチ代わりに使用するのはイデアぐらいだろう。

 

それを懐中電灯の様な明かり代わりにして大きすぎるベットから抜け出そうとするが……。

 

 

がっ。

 

 

何者かに毛布の中の裾を力強く掴まれた。身体がつんのめる。

 

 

「ひぃっあっあああ!!!」

 

 

予想もしていなかった事態にイデアの口から幼い子供特有の甲高い悲鳴が出る。

一気に背中に冷たいものが溢れてくるのを感じてながら、固まる。いや、どちらかというと凍りつく。

 

尖った耳が的確に心境を表して、天を突くばかりにそそり立つ。

 

 

隣のイドゥンは今、ぐっすりと寝ている筈だ。ならば一体誰が?

はっはっはっと、何度も小刻みに疲労した犬のような吐息を漏らしながら自分の裾をがっちりと掴んでいる何者かの手を見ようとするが……やはり勇気が湧かない。

 

 

思い浮かぶのは後悔の念。以前幽霊なんてかわいいものだとか思ってた自分を殴り飛ばしたいと彼は思った。

 

 

竜族の術で強化され、決して雨風程度の力では割れないほどの強度を誇る窓に、激しく雨が叩きつけられる音が部屋に響く。

 

 

バクバクと心臓が普段の二倍近い速度で鼓動を刻み、血液を猛烈な勢いで身体に送り出しているのをぼうっとした頭でどこか他人事のように感じながら、徐々に気を落ち着かせていく。

そうだ今の自分は竜なのだ、ただの人間ならともかく今の自分なら何とかなるはず。そう必死に自分に言い聞かせて、精神の安定を図る。

 

チラリと、意を決して力強く掴まれている裾を盗み見る。

 

 

小さな、細い、華奢な手が、そこにはあった。

 

 

大分引いて来ていた冷や汗がまたもや吹き出て、服を濡らしていくのを実感しながら、その手の先の腕を見て、更にその先にある筈の身体を探す。

長い彼の耳が心境を表すように伏せて耳を塞ぐ。

 

(まさか……)

 

 

腕を辿っていくに連れて、イデアは自分の中から恐怖が薄れていくのが分かった。何故ならばこの白くて細い腕に見覚えがあったからだ。

 

そして手を動かしていた身体――――姉の顔を見てイデアは喉を震わせた。

 

 

「……おきてたんだ、姉さん」

 

 

大きく、大きく深呼吸して緊張感やその他もろもろを自分から吐き出す。そして空気と一緒に安堵を吸い込む。

耳が安心したと言わんばかりに、力なくゆるゆると緩慢に起き上がり、いつもの定位置に戻った。

 

暗闇の中、竜石の仄かな明かりに照らし出されたイドゥンの顔は少しだけやつれていて、眼の下には黒い隈が出来ていた。

 

 

「いかないで……」

 

 

言葉と共に更に強くガッチリと皺が出来るほど強く力を込める。

イデアが内心やれやれと肩をすくめる。姉の手に自身の手を優しく添える。少しだけ力が弱くなった。

 

 

「すこし、かわやに行くだけだよ。すぐに戻ってくる」

 

 

柔らかな口調で言い聞かせながら手を離させようとするが、弱くなっていたのにまた強く握られてしまった。服に浮かんでいた皺が深くなる。

まだ、本格的に一日が始まっていないのにそろそろ二桁に到達しそうな溜め息をまた吐く。恐らくかなりの量の幸運が逃げているだろう。

 

 

「どうして?」

 

イデアが問う。どうして引きとめるの? と。少し用を足してくるだけじゃないか、と。

 

 

「暗いところに、一人はいや……」

 

 

「あぁ……」

 

 

なるほどと解を得て小さく頷く。確かに小さな子供が、真夜中にこんな大きくて暗い部屋に一人ぼっちにされるのは怖いだろう。しかも外は大嵐なのだ、余計に恐怖をかき立てるだろう。

もしかして起きていたのも嵐が原因かもしれない。いや、きっとそうだろう。

 

理由が分かればどうって事はない。対処法も至って簡単だった。

 

 

「じゃ、いっしょに行こうか?」

 

 

「えっ……?」

 

 

二人で行けば良いだけなのだから。

 

 

 

「しかし、まぁ、竜なのにくらい所が怖いとは……」

 

 

無事に用を済ませて、ベットの毛布の中に潜りこみ、外気に触れて冷えきった身体に暖を取り入れながらイデアが隣に横たわっている姉に呆れたように言う。

対するイドゥンはガンガンと先ほどよりも喧しく騒音を発生させている窓を勤めて気にしないようにしながら弟に答えた。

 

「……だって、こわいものは、こわいよ……」

 

 

そのままイデアの手を強く握りしめながら雨風の音を聞きたくないと毛布に潜る。

彼女の弟も仕方ないなと内心で呟きながら、姉を追うように自分も毛布に潜り姉の傍に寄り添う。何故だか嬉しくてたまらなかった。

 

残ったもう片方の手も姉と握る。

 

スゥスゥ、と、二人分の呼吸音だけが支配する暖かくも暗い空間で双子はがっちりと手を握りあったまま眠りについた。

 

この後、二人はナーガが朝食を運んで来るまで眠っていた。

 

 

 

 

これは余談だが、その日の朝食は以前イデアに激しく好評であった「日本食」だったそうだ。

 

 

 

 

 

 

トントンと、木製のドアが規則正しくノックされる。

その音に愛用の杖を何とか地面から1メートル辺りの場所まで手を使わず、超能力の様な力で持ち上げていたイデアが気を逸らした。

 

カランと、乾いた音を立てて杖が床に落ちる。そのままコロコロと転がっていく。

 

邪魔をされた事からむっとした表情を一瞬だけイデアが浮かべるが、すぐに表情を直して扉に向かって言う。

 

 

「どうぞ」

 

 

音もなく木製の扉が開き、幽鬼の様に白髪で細身の男、双子の「父」ナーガが入ってくる。

手に持った分厚い本に二人の視線が否応なく向けられた。

 

部屋の中の机がひとりでに動き出し、ナーガの前まで滑るように飛んでいく。まるで主に呼ばれた召使のように。そして彼の前でピタリと止まった。

ぱさっと、ナーガがその召使――机の上に手に持っていた分厚い茶色の本を丁寧に置く。

 

 

次に椅子が二つ机の前まで飛んできて、二人の前で座れと言ってるかのように停止する。

 

イドゥンとイデア、二人の子供がそれに座った。

 

そして、彼が言った一言でイデアのテンションは大いに高まる事になる。

 

 

「今日からお前達に魔道を教える」

 

 

イドゥンが魔道という単語の意味が分からず、首を傾げて頭上に「?」マークを浮かべた。

対する弟のイデアはというと、小さくガッツポーズを取っていた。

 

 

彼の脳内に克明に再生されるのは手から眩い光の矢を射出したり、姉に負わされた自分の傷を薬などを使わずに瞬時に癒した光。

あれを自分自身も使えるようになる。そう思うと不思議と気分が高揚してきて頬が知らず知らずの内に緩む。

 

 

「まずは概要からだ」

 

 

「へ?」

 

 

てっきり術の使い方から教えてくれるものだと思っていたイデアが間の抜けた声を出す。

ナーガがその鋭い眼でイデアを見据えた。ドキンっと睨まれたように錯覚したイデアの心臓が跳ね上がる。

 

 

「自分達がどのような力を手に入れようとしているか、それを知るのは当然の事だと思うが?」

 

 

いつになく厳しいその口調に肩を落とし、身を縮める。力なく垂れた耳が哀愁を誘う。

それを見届けたナーガが続ける。

 

 

「まず始めに、魔道士というのは単純に魔道の術を使う者を示すものではない」

 

 

ゆったりとしたローブの裾から片側式の眼鏡を取り出して装着する。まるで理系の教師のような風貌になった。

 

 

「【魔道士】というのは探求者だ。限りなく湧き出てくる知識に対する飢えに永遠に苛まれる者達。それが【魔道士】」

 

「「……」」

 

 

ナーガから放たれているいつものとは違う、言葉では言い表せない近寄りがたい独特の気配に完全に呑まれて双子は声も出せずにいた。

それをちらりと見て、一泊だけ空けてナーガが続ける。

 

 

「魔力や術など所詮は知識に付随してくるものに過ぎん。そして、これが最も重要な事なのだが――」

 

 

いつも通りの淡々とした喋り方が今はとても怖いと双子は思った。まるで人形が喋っているみたいに見えた。

 

 

「知識というのは魔物だ。姿もなく形もない、だがいつも魔道士についてまわる魔物だ。魔道士が己の分を弁えずに過ぎた知識を取り込んだ時、知識は魔道士を取り殺す」

 

 

「ど、どうなるの?」

 

 

イデアが青白い不健康な顔で問う。正直下手なホラー話より怖かった。ナーガはそちらの方面の語り部の才能があると思った。

 

 

「簡単な事だ。肉体的な死こそ迎えないが、魂が死ぬ。ただ息をして、食事を取り、排泄する「だけ」の生きた肉と血の塊に成り下がる」

 

 

人形と変わらんとナーガは続けた、なんでもないことだと言わんばかりに。それを聞いたイデアの顔が更に青くなり、白に近くなった。

 

 

「自分の器を遥かに超える知識を取り込もう等と思わなければ大丈夫だ。最もその見極めをするのは我ではなく、お前達自身であるがな」

 

 

そう言って、ポンと何気ない動きでイデアの頭の上に片手を置き、治癒魔法【レスト】を発動させる。イデアの顔色が幾分か健康的に戻る。

イデアが心地よさそうに眼を細めた。

 

 

「おとうさん」

 

 

不意に今まで黙っていたイドゥンに声を掛けられた「父」がイドゥンの方にその特徴的な眼だけを向ける。

 

 

「わたしも、撫でて」

 

 

「?……何故だ?」

 

 

言われた意味が分からず2、3瞬く。その行為には、何も理由など無いのに何故、撫でなければならないのかという彼の疑問が浮かんでいた。

本当に意味が分からず、固まっていると彼女の眼が潤んで来た。さしずめ決壊5秒前といったところか。

 

 

「撫でて……?」

 

 

なぜてくれないの? という疑問系。泣かせる分けにもいかず、仕方なく行動の意味も分からないままナーガが手をイデアの頭からイドゥンの頭へと移す。

 

 

「~~♪」

 

 

小鳥のさえずりの様な声を上げる。5秒ほどそうしていて、もういいだろうと判断した「父」が手を離す。娘がなにやら物足りなさそうな顔をしていたが気にしない。

 

 

「知識を取り込み、それを従えられるのは、ほんの一握りだ。だが、そういった者達も自身も気がつかない内に大切な何かを喰われているのが殆どだがな」

 

 

それでも、と続ける。

 

 

「それでも、その大切な何かと引き換えにしてでも知識を取り込み、力が欲しいという愚者は後をたたん。

  中には自分が力を求めていた理由さえも忘れて、力を求めるというどうしようもない馬鹿もいる。

   まぁ、生きて自分を維持したまま力を手に入れられるの者は述べたように本当に僅かしかおらん……」

 

 

ふむ、と、一旦口を止めて肺の中に空気を送り込む。喋るのに必要な分の空気を吸い込むと、また口を開く。

 

 

「これは、本当に珍しい事例で、ごく稀に、人の中でも魔道を歩いている内に人の【理】を超えて生を紡ぐ者がいるそうだ」

 

 

「【理】って?」

 

 

聞き慣れない単語に双子の姉が「父」に問う。

 

 

「人の法則ともいえるな。人間という生き物は元来、どんなに環境がいい場所でも100年程度しか生きられないように出来ている。しかし【理】を超えた者は寿命や睡眠等といった生物の縛りから開放される」

 

 

無論、そうなる前に殆どは知識に喰われて堕ちてしまうがな、と続ける。

 

 

「簡単に言ってしまえば、我々、竜に近い存在になるということだ」

 

 

「あぁ、なるほど……」

 

 

簡単に纏めたナーガに彼の息子が納得の声で答えた。つまりは人が進化したようなものだと思うことにした。

 

 

「名前も魔道に関係があるものだ」

 

 

「「……」」

 

 

黙って話に耳を傾ける子供達の顔を真正面から見据えながら続ける。

 

 

「他者に名乗る名前の他に、真名というものがあり。これはその者の本質を表すものだ。無論、お前達にもあるが……まだ、それを知るのは早い」

 

 

恐らくは自分達の真名は何なの? という質問が来るのを予期して最初に答えておく。ナーガの予想通り出鼻を挫かれたイデアが複雑な表情を浮かべている。

カチャリと、落ちて来た片側だけのレンズを上に押し上げる。

 

 

「真名を知っているのはその者の親と、番くらいだけだろうな」

 

 

「じゃ、おとうさんにも?」

 

 

「当然、ある」

 

 

当然だと頷く。イデアは少しばかりこの男の真名を知りたいと思ったが、命の危機を感じたので、訊くのは止めた。自殺願望は彼にはないのだ。

 

 

「さて、前置きはこれくらいにして……」

 

 

本がクルリとひとりでに回転して、双子の前に来る。イデアが何だろうと眼を通すと、そこにはびっしりと小さな文字が書かれていた。少しだけ頭痛がした。

 

 

「えぇっと……光魔法、…理、魔法?……闇、、まほ、う?」

 

 

あまりにも文字が小さすぎて読むのに手こずったが、苦戦しながら何とか大きめの文字だけを音読するとナーガが満足げに布擦れの音を鳴らしながら腕を組んだ。

 

 

「それには、各種系統の魔道の基礎的な説明が書かれている。よく読んで暗記しておけ」

 

 

同時に本の上に手を翳し、破れたりしないように魔力でコーティングを施す。これで貴重な本が破壊される恐れはなくなった。

 

 

「最後に、魔道の危険性について今まで述べたが、同時に魔道は素晴らしい可能性を内包していると言っておこう」

 

 

イドゥンとイデア、二人が本から眼を離し、自分達の「父」にして魔道士であるナーガに眼を向ける。

 

 

「食物の生産性を高めたり、飢饉に強い種を作り出したり、薬ではどうしようもない傷を癒す、泥水を飲める正常な水にする、火種無しで呪文1つで火を起こす、正しく無限の可能性を秘めている」

 

 

「……戦い、にも?」

 

 

遠慮がちにイデアが声を出す。

 

 

「もちろんだ。魔術を上手に使えば、味方の損害を最低限に抑えて勝利する事も可能だが、それは側面の1つに過ぎん。むしろそれ以外の分野の方が活用性に優れている」

 

 

そう締めくくると、ナーガが窓の外の雨が止んだ空を見る。太陽の位置は彼が来たときよりも少しだけ上昇していた。

音もなく立ち上がる。授業の終了の合図だった。

 

 

「では、昼食の時にまた来る」

 

 

それだけを言うと、来た時同様、音もなく扉を開いて文字通り幽鬼のようにその向こうに消えていった。

 

 

「ふぅぅぅぅ……」

 

 

緊張感が一気に途切れ、疲れたイデアが背もたれに脱力して思いっきりもたれかかる。何だか、いつもの数倍疲れた気がした。

危険性は高いが、万能の力、それがイデアのナーガの話を聞いた上での魔道に対する感想だった。

 

まぁ、自分は最低限自分の身と、姉を守れる力があればいいからそこまで堕ちる心配はないだろうとも考えていた。

 

よしと、気を取り直し、椅子に座りなおす。

 

 

「しかし、まぁ……どうしようか? これ」

 

 

眼の前には「父」が残していった分厚い、茶色の紙の頁が何枚も集まって出来た、魔道の術の教科書ともいえる本。まるで広辞苑という辞書のように分厚いそれをどこから読めばいいか少し、悩む。

 

 

「イデア」

 

 

「ん?」

 

 

姉に名を呼ばれて、答える。顔を向けると彼女はどこかワクワクした表情をしていた。自分の彼女にそっくり顔は今どんな表情をしているのか少しだけ気になった。

 

多分、彼女と同じような顔をしているのだろうとイデアは思った。

 

 

「がんばろうね!」

 

 

言葉と同時に弟に微笑む。イデアのやる気が内心で跳ね上がった。

 

 

「分かったよ、姉さん」

 

 

不快ではない、むしろ心地よい気分を感じながら双子の弟は分厚い本を読破しにかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペラ

 

 

小さな音と共に、白く華奢な幼児の手によって頁が一枚捲られる。紙が擦れる音がした。

 

 

ぺラ

 

10分ほどの時間を置いて、また読み終わった頁が小さな手によって一枚捲られる。紙が擦れる音がした。

 

 

ペ……。

 

また10分ほどして新しく頁を捲ろうとした手が何かに気がついた様にピタリと止まった。行き場を失った手は、しばし彷徨うと、頁に置かれ、そのまま表面のザラザラした紙をゆっくり撫でる。

 

 

「あれ?」

 

 

小さな手の主――イデアが拍子抜けした声を出す。しばらく表面の何ともいえない感覚を味わってから、手を動かし、またペラリと、頁を捲る。

そこにはあの病的に細かい文字は何も書いていなかった。読破したのだ。

 

念の為、最初から最後までもう一度ペラペラと軽く頁を捲っていく。頁が捲られる度に小さな風が起こり、心地よい。

 

 

何枚もの紙が規則正しく捲られていく光景は爽快とも言えた。

 

 

ペラ、ペラ

 

ペラ、ペラ、ペラ…。

 

ぺラ……。

 

 

捲り終わる。最後にパタンと硬い表紙が重々しく閉じた。

 

 

読み落とした所は無かった。完全に読破していた。読み終わった本人が驚くほど呆気なく。

実を言うと本のページを構築している紙の一枚一枚の厚さが、イデアの元いた世界のものよりもかなり分厚い事が影響しているのだが、当のイデアはその事には気がついてはいなかった。

 

 

一言で言うならば製紙技術の差である。

 

 

長時間細かい文字を読むため、酷使した眼を癒すべく一度揉み、外に眼を向ける、日が傾き、オレンジ色の鮮やかな太陽がベルン地方を照らしている。どんな世界でも夕陽の美しさは変わらなかった。

小さな黒い何かが集団で飛んでいるが、恐らくそれは巣に戻る飛竜の群れだろう。

 

 

「もう、夕方か……」

 

今の大体の時間が太陽、夜の場合は月や星の位置で計れるようになったイデアが薄暗くなった部屋で呟く。大雑把に言うならば今は4時か5時、季節が夏ならば6時くらいだろう。

気がつけば一日の大半を読書で潰していた。何かに集中すると時間の流れが早く感じるといった事が真実だと言う事を改めてイデアは知った。

 

 

そういえば、昼食は食べた事は覚えているが、何を食べたかまでは思い出せない。

 

 

まぁ、そんな事は些細な事だと割り切って眼球マッサージを行う。

 

「ふぁぁ……」

 

 

左手で閉じた瞼の上から眼球をマッサージしつつ残った右手を何かを掴むように伸ばす。

2~3秒ほどその体勢を維持しつつ腰を左右に捻る。

 

 

リフレッシュ、終、了。しかしまだまだ身体はだるい。いや、疲れを自覚した分、むしろもっと重くなったかもしれない。

 

 

 

気だるげに、ため息をひとつ吐く。そして数時間座っていた豪華な椅子からひょいっと飛び降りて、床に着地する。壁に掛けられている杖を竜の力で「掴み」こちらに向けて持ってくる。そして手に取った。

 

 

ふひぃと、間の抜けた声を出しながらズルズルという擬音が発生するほど緩慢に、補助の杖を突いてベットにヨタヨタ歩いていき、ブーツを脱ぎ散らかし、倒れこむ。杖も床に投げ捨てた。後で戻しておく。

集中している時は身を潜めていた疲労が集中が解けたら、どっと表に出てきて、とても疲れたのだ。

 

 

とりあえず、今は眠りたかった。

 

 

「………ふ……ぅ」

 

 

ポフッとイデアの倒れこんだ際の衝撃に先に寝ていた人物が紫銀の髪を僅かに揺らし、反応を示した。小さな文字を読み続けるのに疲れて先に眠りについていたイデアの姉、イドゥンである。

嵐を恐れて、昨夜はほとんど寝ていなかった彼女にとって今回の読書とは想像以上に大変なものだったのだ。

 

 

イデアが首を動かし、頭をそちらに向ける。美しい姉の寝顔が見えた。

 

 

「ふふ……」

 

 

何度みても飽きない、飽きる事などありえない。天使を思わせる無邪気な寝顔を見て身体の奥底から昇ってくる感情に任せて彼女の弟は薄く笑った。少しだけ疲れが減った気がした。

無防備にスヤスヤと安らかに眠る、自分「だけ」の姉の姿を横目に、仰向けに寝転がったイデアが両の掌を天蓋に向けて突き出す。とりあえず眠る前に、読んだ事を試して見たい。

 

 

伸ばした腕に夕日の光が当たり、細い影がベットに伸びて姉の顔にさす。

 

 

眼を瞑り、眠りそうな意識を必死に繋ぎとめながら本に書いてあった通りイメージを膨らませる。

イメージするのは“炎”草木を焼き、命を燃やし尽くす業火。多少大げさかもしれないが、これくらいが丁度いい。本に遠慮はいらないと書いてあったから。

 

 

今から、発動させるのは最下級の初級魔法【ファイアー】

効果は名の通り炎を生み出し、操るという至ってシンプルなものだ。しかしそれ故に用途は様々だ。

 

 

身体の中にある膨大な活力、―――恐らくこれが【エーギル】とナーガが呼んでいたものだろう。

 

 

イデアの懐の竜石が仄かに輝く。金色の霧が石から吹き出した。

 

 

それを掌に集めていく。細く短い、イデアの腕に蛇のような形の金色の霧――【エーギル】が纏わりつき、掌に向かってするすると腕を這って伸びていく。

蛇が掌の上でとぐろを巻き、身体を徐々に球体へと変化させていく。

 

 

やがて光の蛇は消え去り、イデアの手に残ったのは眼を焼くほどに眩く、それでいてとても小さな光球。

ここまでは簡単だ。問題はここから。

 

光球の形に固定された【エーギル】に思念を送る。燃え滾る炎のイメージを。

 

 

 

だが、次の瞬間。やはり――

 

 

 

“ボンっ!!”

 

 

光が間の抜けた音と共に爆ぜた。

 

 

「あっっっっ!!!???」

 

 

急激に炎に変換された光球が、花火のように爆発した。いや、爆発というよりは弾けとんだといった方が近い。

幸いな事に不完全に変換された火は直ぐに消滅し、元の金色の光となって暫く辺りを漂い、消えた。

 

 

「やっぱり、まだ無理だよなぁ……本がないと」

 

 

上げていた手をパタンと力を抜き、横に倒しつつ呟く。掌を念の為確認するが、幸運な事に火傷等は負ってなかった。

安堵のため息がイデアから漏れる。

 

 

 

本というのは魔道の術を発動させる際の補助のアイテムだ。さっきの本にそう書いてあったのだ。

高位の魔道士は本が無くても術を発動させられるが、下位の魔道士は本の補助を受けて発動させるそうだ。

 

 

更に言うならば魔道には3つの種類がある。

 

 

 

1つは自然の力や精霊の力を借りて使用する【理魔法】

 

正式な名称は【自然魔法】シンボルは、「炎」、「風」、「雷」を象徴する三つの円。

今、イデアが発動させようとした【ファイアー】もこの理魔法に属する術のひとつだ。

 

 

自然の精霊と対話して術を使うそうだが、イデアには精霊の声など少なくとも今は全く聞こえなかった。

 

 

この系統の術の特徴は自然に存在する様々な現象を引き起こし、それらを操作することにある。

高位の術者になると天候を操る事さえも不可能ではない。

 

火竜や氷竜等の竜はある意味、この理属性そのものが意思を持って歩いている存在と言える。

 

 

2つ目は【光魔法】

 

正式な名称は【神竜魔法】

その名の通り神竜族が好んで使用する術。シンボルは太陽とその光を彷彿とさせる円とそこから映える角。

 

 

主に【エーギル】を用いて、様々な超現象を引き起こす術が多い。

死にかけた命を救う事や、果ては【モルフ】と呼ばれる人造、否。竜造の仮初の命を創造することすら可能とする神の力。

 

治癒魔法なども大きく分けるとこの属性に入る。

 

……中にはかつて神竜族達が自らの反存在である【始祖竜】を葬りさる為に作り上げた攻撃用の超魔法もあるそうだが、詳細は不明。

 

 

3つ目は【闇魔法】

 

正式な名称は【混沌魔法】または【古代魔法】

 

 

伝承では主に神竜の反存在である始祖竜が好んで使用した魔法。

おぞましい原初の混沌の力を駆使して、神をも恐れぬ摂理を踏みにじる力を行使する。

 

 

三種の属性の中で最も強大な力を得られるが、それ故にリスクも最も高い。即ち【知識】に喰われる可能性が一番高い。

 

 

だが、無事に手にした力に比べれば些細な代償ともいえよう。

 

 

 

最後にあくまでこれらは大きく分けただけで、実際にはどれにも属さない術なども多数あるのだが、それらは割愛する。

そして魔法というのは生活を豊かにする為に使われるべきであると考える。

 

 

以上、竜族の書物より要約して抜粋。

 

 

 

 

 

 

 

「ふ、ぁぁあああ……」

 

ぼ~としながら天蓋を見つめつつ、書物の内容を思い出していたイデアが大口を開けて、欠伸を吐いた。眼から涙が出てくる。眠い。

何気なく隣で寝ている姉を見てみる。

 

「…………」

 

 

……やはり、寝ていた。すやすやと心地よさそうに。先ほどすぐ近くで爆発が起きたのに眼を覚まさない。

 

イデアが苦笑いを浮かべた。

 

身体をグルンと何回か回転させ、直ぐ近くまで移動する。

 

「ごめんね、姉さん……」

 

聞こえてはいないと知りつつも大きな音を立ててしまった事に謝罪すると、イデアは姉の腕を取り眠りについた。

 

 

 

 

トントン

 

双子が寝静まり日が落ちてから暫く立って、部屋の扉がノックされた。

 

しかし深い眠りに落ちた二人には起きる気配がない。

 

 

トントン

 

もう一度、今度はさっきよりも大分強くノックされる。

 

双子は起きない。ただ寝息を立てるだけだ。

 

 

音もなく木製のドアが開かれる。開かれた扉から白い長衣の男――ナーガが暗者のように物音ひとつ立てず入ってくる。傍には宙に浮く二つの銀の皿があった。

皿からは湯気が出ている。今晩の食事だ。

 

 

暖炉の火もなく月明かりだけが照らす室内をナーガが見回す。窓には昨夜の嵐が嘘に思える巨大な月が写っており、太陽の代わりに山々を照らしている。

 

 

「…………」

 

 

ベットで長年寄り添った夫婦のように眠っているイドゥンとイデアを見つけたナーガが小さく、まるで眩しい者を見る様に眉を顰めた。

起こそうとも思ったが、すぐにやめた。子供の睡眠を邪魔してはいけない。

 

 

「……」

 

 

傍に浮いていた皿が音もなく転移させられた。恐らくは料理人達のまかない食になるのだろう。

 

 

ナーガがゆったりと緩慢に動き出す。

近くに落ちていた杖を壁に掛けて、脱ぎ散らかされたブーツをベットの脇に揃えて置いてやる。

 

 

何処からか薪を取り出し、暖炉にくべて火をつける。これで用はすんだ。

何故だか名残惜しい気もしたが、仕事に戻るべく部屋を後にしようとする。

 

 

 

踵を返し、部屋から出ようとするナーガの耳に微かな音が届いた。

 

 

しばらく何かと思って耳を澄ましていた彼だったが、やがて誰がこの音を出しているか分かったらしく

 

 

「エイナールか……」

 

 

ぽつりと、独り言をもらした。

それだけを言うと彼は今晩の分の仕事を片付けるべく、部屋を後にした。

眠る必要のない彼には休む時間などないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“畏怖”

 

その光景を見て、まず胸に浮かぶのはそんな言葉であろう。

神竜族のシンボルである太陽をイメージさせる巨大な紋章が彫られた壁の前に、紋章に劣らない存在感を誇る真紅の椅子――

 

 

否。暴力的なまでの威圧感を振りまいているのは椅子や紋章などといったそこいらの城にもある瑣末なものなどではない。

空間が歪んでいるのでは? とさえ思わせる圧力は玉座に深々と、堂々と、腰掛ける白髪の線の細い男から噴出していた。

 

 

神竜王 ナーガ

 

 

それが王の椅子に腰を下ろす者の名だ。

外見こそ20代の後半辺りに見えるが、その実、人という種の誕生以前から生を紡ぎ、竜を導いてきた神にも等しい力を誇る最強の【竜】だ。

 

 

そして今、彼は一人の男の来訪を待っていた。以前彼に謁見を申し込んだ頭がオカシイ人間だ。

だってそうだろう? 護衛も付けず、たった一人で竜の本拠地に乗り込んでそこの王様に謁見を申し込むのだから。 

 

 

少なくとも健全な精神構造はしていない事は確かだろう。健全な精神をもった人間ならばそんな事はしない。

自分をいつでも殺せる人外の化け物の様な奴らがウヨウヨいる場所に、一人で行ったりする等断じてしない。

 

 

……例外としては知識欲に狂った魔道士というのがあるが。ナーガは今から来る者はこの種の人間だとあたりをつけている。

 

 

竜族の産まれた地にして、本拠地でもある「殿」の玉座の間は今、その役目を果たそうとしていた。

即ち、下々と王の唯一の謁見の場という高貴な役目を。

 

 

扉が開く。約束の時間だ。

まず部屋に入室したのは大胆なスリットの入った紅いドレスを身体の一部のように違和感なく着こなす、髪、眼、雰囲気さえも“紅い”女性――――火竜族のアンナ。

 

 

そして数瞬遅れて、誘導されるようにもう一人、黒いマントを纏った人間の男が入ってくる。

 

 

部屋の空気が変わった。張り詰めていた場が男の近くだけ、ぞぶり、という擬音がなりそうな程に生々しく濁った。

まるで戦争のすぐ後に出来る死体が散乱している場所のような空気だ。気のせいか腐臭もする。これで鴉が来たら完璧だ。

 

 

 

 

その男は【黒かった】ただ只管に、どこまでも【黒かった】

しかし、どこが? と、訊かれても具体的に答えられる者は少ないだろう。

 

 

顔は普通だ、少しだけそこいらの成人男性よりも整っている事を覗けば。

髪も普通だサカに住まう遊牧系の民族とは違った種類の黒い髪。よい生活を送っているのか明かりを反射して艶やかな光が見える。

眼、これも特に珍しくない。魔道士によく見られる煮え滾る狂気を胸の奥底に隠している者特有の、濁りきったどぶを連想させられる眼。

 

 

 

全て、今までナーガは見たことがある。特に三番はよく見る。大抵は自滅していったが。

 

考える。理解しようとする。読み取ろうとする。この男の何が、この【黒さ】を出しているかと。

 

 

 

何がオカシイ? 一体何が?

 

 

入ってきた男をまじまじと観察していたナーガはやがて気がついた。この男の【黒さ】に。

 

気がついたナーガの眼が射殺すように、まるで矢を獲物に放つ狩人のような冷たい鋭さを帯びた。いつもイドゥンやイデアに向ける物とは程遠い眼だ。

 

 

 

【エーギル】だ。エーギルが黒い。

もっと分かりやすい様、噛み砕いて言えば、魂が、黒い、濁っている。

 

 

【エーギル】とは生命力そのもの。その在り方はその存在そのものと言っても過言ではない。

それが濁っているのだ。まともな筈がない。

 

 

ナーガの中で、このアウダモーゼという男はかなり危険と判断された。澱んだ魂を持った魔道士など危険人物以外の何者でもないからだ。

 

 

見ればアンナはいつの間にかアウダモーゼの後ろに陣取っており、片手は懐の暗殺様の小型の武器へと、もう片方の手は後ろに回されている。

恐らくは、この男の危険性を理解したのだろう。万が一に備えている。

 

 

男――アウダモーゼが音もなくゆっくりとナーガの腰掛ける玉座に歩み寄っていく。まるで影が歩いているようだった。

 

這い寄る様に地を滑って動いていたが、王座の8メートル程手前で止まり、自然な動作で膝を地に突けて、頭を垂らし、玉座の主に臣下の礼を取る。

 

 

 

「お初に、お眼にかかります。偉大なる竜族の王よ」

 

 

外見通りの若い男の声。しかしどこか聞いていて不安になる。暗い闇の底から響いていると錯覚してしまいそうな声だった。

 

 

「何用だ」

 

 

答える玉座の主は簡潔にそれだけを口にする。

濁った空気が吹き飛び、きりきりという音が何処からか聞こえてきそうな程、場が再び張り詰め、空間が歪む。

 

 

「貴方様にお頼みしたいことがございまして……」

 

少しだけ顔を上げ、影がナーガを見る。内心は興奮しているのか、ギラギラと暗く、おぞましく輝いた眼がナーガに向けられた。

見ているだけで生理的な嫌悪感が湧き上ってくる眼だった。

 

 

「人間同士の闘争などに興味はないぞ?」

 

 

自分に向けられる瞳に若干の嫌悪感を抱きながらも、その感情を一滴たりとも面には出さずに言う。

 

 

当然、ナーガ自身こんな男が貴族や王族な訳はないと分かっているが、万が一の為に鎌をかけておく。

人は見かけによらないかもしれないからだ。

 

 

そして竜の力を使って国を奪いたい等のそちら方面の願いならば、即刻、お引取り願うつもりだった。

 

 

 

しかし影のような男――――アウダモーゼが首を横に振るい、否定の意を表す。

ナーガが内心、ほんの僅かだが、落胆した。追い出す口実が1つ消えてしまったからだ。

 

 

まぁ、元々期待はしていなかったからいいが。

 

 

「私めは、貴族や、ましては王族などではありません。私は只のしがない魔道士でございます」

 

 

「そのしがない魔道士が、我らに何の用だ」

 

 

色違いの瞳の狩人、否。絶対者の一対の瞳が影を射抜く。

深い影が、返事の変わりに懐から束ねられた紙を取り出し、ナーガに差し出す。

 

その手は少しだけだが、震えていた。

 

玉座の傍らに立っていた黒い髪と金色の瞳を持った男がそれを受け取り、主に渡した。

 

 

ナーガが眼を通す。

 

一枚、また一枚と、束ねられた紙を捲っていく。

 

 

「……ほう」

 

ナーガが彼には珍しく驚きを表に出す。その声には心底驚いたという気持ちが含まれていた。

 

ペラリ、ペラリ、と細い指で捲り、眼を通しながら影に疑問を投げかける。

 

 

 

「お前は、この情報を何処で知った?」

 

 

影が膝を突きながら恭しく答える。

 

 

「恐れながら。我々は貴方達、竜族を研究するものであります」

 

 

ナーガが更なる意識を影に向けた。影に凄まじい重圧がかかるが、影は気にせずに語り続ける。

いや、単に気がついていないのかもしれない。

 

 

「我々は、竜の、圧倒的なまでな力に魅入られた者。貴方方の忠実な僕……」

 

「質問に答えよ。お前は、お前達は、どこで、この情報を知った?」

 

 

言葉巧みに誤魔化そうとする影に、大きすぎもなく、小さすぎもない声で一喝。

 

 

――――部屋が、歪んだ。

 

 

彼の腰に差してある【覇者の剣】が金属質な音を立てる。

 

 

パサリと、王の手より書類が机に落とされた。

 

 

その書類に書かれていた事。それはかつて神竜に葬られた種――――始祖竜の事柄が詳しく書かれていた。

それは「殿」の図書館に保管されている古代の資料の内容に比べれば氷山の一角に過ぎない内容だったが、それでも見過ごす事は出来ない内容であった。

 

 

影が、ぶるっと小さく一度震えると、再び口を開いた。

 

 

「失礼を、お許しください。その特異な竜――始祖竜と呼ばれる竜の事を我々が知ったのは、最初は偶然でした。正直、今、貴方様にその書類を見せるまでは

 私もその存在を信じる事ができませんでした。しかし――貴方の反応を見て私は確信いたしました。その竜は実在したと」

 

 

「我で、試したのか?」

 

 

利用されたというのに口元に小さな笑みを浮かべながら王が聞く。

しかし、眼は欠片も笑ってはいなかった。眼球の中には極寒のイリア地方の吹雪もかくやという冷気が吹きすさぶっている。

 

 

「はい。恐れながらも利用させて頂きました」

 

 

申し開きもなく。只々、真実のみを口にする。この場で嘘を吐く事は得策ではないからだ。少なくとも影は腹を括っていた。

最も、竜の王を利用する時点で得策からはかけ離れているが。

 

 

王からの圧力が減衰した。

 

 

「………………よい、それで何用でこの殿に来た? 真実かどうか確かめたかっただけではないのだろう?」

 

 

ナーガが呆れ半分な口調で問う。内心、さっさと帰ってくれと、思いながら。こんなイカレタ魔道士には正直これ以上関わりたくなかった。

問答無用で殺さないのは心が広いのか、それとも人の間に竜族は尋ねて来た人間を殺した等という変な噂が立つのが嫌だからか。

 

 

影が頭をもう一度深く下げる。

 

 

「私に、この殿の、図書館を使用させて頂けないでしょうか?」

 

 

「いいだろう」

 

 

答えは簡潔。影が驚くほど呆気なく許可する。待機していたアンナが顔に驚愕を浮かべるが、直ぐに精神力で無表情に戻す。

 

 

「但し、資料紛失を防ぐ為、見張りをつける。それと――」

 

 

王が手を広げる。掌にて蒼紫の禍々しい炎が燃え出した。

 

 

「これに、今この場で、血で貴様の名を書いてもらう」

 

 

炎が消える。彼の掌には年季を感じる一枚の茶色い皮紙が存在していた。

紙がフワフワとアウダモーゼに飛んでいく。

 

 

影が皮紙を手に取った。

 

 

「これは……?」

 

 

アウダモーゼが紙を見て疑問の声を出す。

 

 

「その紙の名は【血の誓約書】かつて汝ら人の王族が我らと契約を結ぶ時に使用した一品だ」

 

 

ナーガが何時の間にかその手に出現させた銀のナイフを影に向けて柄から投げる。

 

 

「契約方法は至極単純。その紙に自分の血で自分の名を記せばよい」

 

 

 

一泊。

 

 

王が一度息を吸いなおす。

そして口を開き無表情だが、よく通る声を飛ばした。

 

 

「契約内容は『資料室の使用は3ヶ月のみ。それ以上は認めない』そして『資料及び、資料を写生した一切のものを殿の外に出さない』これだけだ。もしもこれが破られれば、契約の縛りによってお前は造作もなく死ぬ。さぁ、どうする」

 

 

あぁ、と、思い出した様にナーガが続ける。

 

 

「もしも、契約を結ばないのならば帰るといい。アンナに送らせよう。恐らくはもう二度合うこともないだろうな」

 

 

淡々と言外にもう来るなと言う。正直な話、この腐臭を纏った影は非常に不愉快な存在だった。

 

 

影が考えるように揺れる。否。考えるまでもなく最初から答えは決まっている。例え3月の間だけとはいえ竜の叡智が取り込めるのだごちゃごちゃ考える方が馬鹿らしい。

例えそれが呪いともいえる横暴な契約をその身に受けようともだ。影はつくづくどこまでも典型的な魔道士であった。

 

 

「分かりました、その誓約、受けましょう!」

 

 

影はそう言い放つと渡されたナイフを指に突き刺す。紅い、どこか粘り気のある液体が滴り、床を朱に染めて汚す。

影がそのまま指を筆代わりにして自分の名前を書き殴っていく。

 

 

 

【アウダモーゼ】 と。

 

   

 

 

 

インクとして使われなかった分の血が花吹雪のように飛び散る。

 

 

「書き終わりました。王よ」

 

 

影が何処か興奮した様子でナーガに告げ、サインを書き込んだ誓約書を差し出す。その眼は竜の知識が取り込める嬉しさから先ほど以上に狂気的にギラギラ輝いている。

誓約書が音もなく浮き上がり、玉座に向けて飛行し、そのまま王の手に収まった。

 

 

王が近くに控えていた黒い髪の人形のような中性的な人物に影を資料館に案内せよ、と、命ずる。

影は最後に深くナーガに礼をすると人形に案内され、部屋から退席した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に、よろしいので? 長」

 

影が完全に部屋から退去したのを見計らって今まで沈黙を続けていたアンナが主に尋ねた。

 

 

「構わん。滅びた種の事など幾らでも学ばせておけ」

 

 

それに、と続ける。

 

 

「資料館の文字は全て我らの言語で書かれている。それもかなり古いものだ」

 

 

竜族の古い文字、それは“読む”というよりは意味を“感じる”に近いものだ。あくまで竜族の超感覚で読む、竜族専用の文字を人間であるアウダモーゼは読め……感じられるかどうか。

それに始祖竜等の文献はともかく、竜族の術が記された書などは竜以外がその強大な力を利用できないように半ば暗号じみた物になっている。

 

 

いかにあの男が優柔な魔道士でも3月で言語の感じ方を覚え、更には難解な暗号を解き、竜の知識をその身に宿せるかどうか。

 

 

「それに、しつこく嗅ぎ回られ、万が一にでも【門】や【里】の事を知られる分けにはいかぬ」

 

 

最後にそう言うと、ナーガが眼前に今まで撤去されていた机を呼び出す。その行動は遠まわしにアンナに退室を促していた。

アンナも影と同じく一礼すると、入室時と同様に音もなく退室していった。

 

 

 

いつも通り、部屋に一人になったナーガが考える。

 

 

 

あの影――アウダモーゼという魔道士について。

 

 

度胸こそは買うが、愚か者。それがあの影についての評価だった。

 

 

もしも、訪ねてきたのが20年程早く、人と竜の関係が今よりも気にせずに良かったら、誓約書と偽り、呪いの書にサインさせていたかも知れない。

それほど不愉快な存在だった。

 

 

小さく、頭を振る。そして頭からあの影の見ているだけで不快な眼の記録を消し去る。

もう、あの影には鎖をつけておいた。不確定要素足りえない存在になったのだと自分を納得させる。

 

 

 

 

――そう、誓約書に書かれている3ヶ月のみといのは、人生全てを含めてだ。二度目はない。一生あの誓約はあの影についてまわる。

 

 

勿論、契約の重複など不可能だ。異常を感じ取った誓約の『呪い』は二度目の契約を受け付けないだろう。

 

 

一度施行された契約は竜王ナーガでも簡単には覆せない。【血の誓約】などと言う強力にして凶悪な契約ならば尚更だ。

もしも三ヶ月たってまたあの男が資料館に入りたいと言うならばこの事を教えてやろう。無論、一歩でも入ったら誓約で死ぬが。

 

 

 

ナーガの“小さな”嫌がらせであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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