とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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後編です。
もしかしたら後日付け加えるかもしれませんが、とりあえずこれで完成という事で。


エレブ963 その4

 

 

 

 

 

 

 

天の月が中天より西に傾く。

夜空にはいつの間にか多くの雲が現れ、星々を覆い隠していく。

そんな中、アラフェンの宴の熱は最高潮に達していた。

 

 

もてなされる側である多くのキアラン兵士達は酔いに酔っていた。

彼らは潰れてこそはいないものの、ほぼ全員がふらついた足取りで更に多くの酒や料理を腹に詰め込んでいく。

中には気の合うアラフェンの兵士と肩を組み、歌を歌っている者、男同士で踊りを披露するもの、主君であるブランとマデリンのすばらしさを交互に語り合うものたちもいた。

 

 

ハサルの部下であるサカの民たちもキアランの者達ほどではないものの、やはり酒に酔ってはいた。

リキア名物の強力な蒸留酒は強靭な意思を持つサカの民たちの理性さえも溶かしてしまう破壊力がある。

 

 

そんな部下たちをレナートとハサルは致し方ないと思ってみていた。

彼らとて人間だ。ここ数日、一度たりとて精神的にも肉体的にも十分な休みは取れなかった。

更にはあの村での不可思議な出来事に、もっと遡るならばコミンテルンとの戦いとの疲れもあったのだろう。

 

 

 

多くの疲労が溜まっていたのは想像するに容易い。

マデリンを無事にアラフェンに届けた、という達成感が彼らの中の緊張を微かに緩め、そこにこの宴だ。

警備の仕事はアラフェンの勇者であるブレンダンが行い、更にはマデリン自身が休んでも構わないと命令したというのも大きい。

 

 

こうなってしまっても仕方がないと二人は考えていた。

そして、これも予想の範囲内であった。

 

 

「どうしたの、ハサル?」

 

 

余り酒に強くはなかったらしいブランが休憩の為に自室に戻ったのを見計らい、マデリンがハサルに歩み寄る。

僅かに赤みのかかった顔はまるで新鮮な果物の様に瑞々しい。

 

 

いうべきかどうかとハサルは悩んだ。

ただでさえ今の彼女は色々と負荷がかかっている状態だ。

そんな彼女に更に懸念を伝えるべきかと。

 

 

しかも相手は人間とは思えないおぞましいナニカだ。

人の暗殺者に狙われるならばまだ判る。

だが、理解に苦しむ異形に敵意を向けられるなど、どんな人物であっても心は揺れるだろう。

 

 

「……嫌な予感がする。一人で行動するのだけは避けろ。

 絶対に俺の眼の届くところに居ろ」

 

 

何とかかみ砕いて絞り出した言葉。マデリンはそれに笑って答えた。

 

 

「判ったわ。私の勇者様」

 

 

 

判ったならば良いと背を向けてまた周囲に気をやるハサルを見ながらマデリンは口内で零した。

 

隠し事が下手な人ね、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レナートがその違和に気付いたのはある意味必然だったのかもしれない。

彼はこの宴の参列者の中で最も死に深く関わっている男だ。

夥しい数の死を見てきた彼だからこそ、やはり彼が最初に気が付いた。

 

 

 

灯りが明らかに減っている。

人の数が減っている。

アラフェンの従者が何人か消えている。

 

 

それだけならば、交代制で何人かは休みに入ったのかもしれないとレナートは思っただろう。

だから彼は暫く行きかう人々を観察していた。

何人かの従者に目を付け、気付かれない範囲で監視をしていた。

 

 

その内の複数人はもう居なくなってしまったが。

消えた彼らは彼らはまるで主に呼び出された給仕の様に何もない所に顔を唐突に向け、にっこりと笑顔を振りまき、しっかりとした足取りで誰もいないであろう廊下の曲がり角や

個室に向かっていき、そのまま消えた。

 

 

後を追ったレナートが直ぐに確認しても誰もそこにはいない。

何処にも隠れる場所や窓などの脱出経路などなく、その手の経験豊富なレナートが調べても争った跡などはない。

 

 

消えたのだ。

そしておそらくもう戻ってくることはない。

これ以上はやめておくべきだと彼は決めた。

 

 

すぐに彼はハサルに相談することにした。

見えない驚異は間近まで迫り始めている。

マデリンに何もかも伝えてこの会場から避難してもらう事も既に頭の中に浮かび始めていた。

 

ブランの面目を丸つぶれにしてしまうかもしれないが、彼女の安全を考えればそれが一番だ。

その後は力のある司祭や僧侶……出来れば光魔法が使える者が望ましい……に援助を求めるべきだと。

 

 

足元を見ながら思考を回していた彼が顔を上げると目の前には「顔」があった。

しかし息を呑む間もなく直ぐに「顔」は消えた。

一瞬過ぎてどのような顔だったかは判らなかったが、少なくとも見知らぬ誰かの……いつも彼にまとわりついていた「友」とは別人の「顔」だ。

 

 

ますますもってこれはまずいとレナートは判断した。

もはや猶予はない。ナニカが来る。決してよくないナニカが。

 

 

見れば、ハサルはやはりマデリンから数歩離れた場所に立っており、彼女からワインで満たされた盃を受け取っている所であった。

そんな彼にレナートは務めて世間話でもするような調子で声を掛けようとして……。

 

 

……突如、全ての光が消えてなくなった。闇が場を飲み込む。

一瞬の静寂。そして現状を理解した全ての参加者の間にざわめきが広がっていく。

この突然の出来事もアラフェン候の仕込んだサプライズの前触れではと思ったものが多かったのだ。

 

 

 

しかしそんな涙ぐましい前向きな思考は直ぐに失われてしまう。

暗闇の中で響いたのはおぞましい幾つもの犬の唸り声、食器やテーブルをひっくり返したような音、そして、そして……ハ、ハ、ハ、ハ、と断続的に響くナニカの生臭い吐息と、硫黄の匂い。

ギチギチと音を立てて何かが千切れ、誰かの苦痛に満ちた悲鳴があがった。

 

 

適度な……そう、体温程度の温かさをもった新鮮な液体が周囲にばら撒かれ、強烈な匂いが多くの人々の鼻孔を抉った。

彼らの多くは兵士で、命のやり取りを生業にしていた故にこの液体が何なのか気が付いてしまう。

 

 

 

これは血だ。

 

 

びちゃり。ぐちゃ。ごきっ。

 

 

それは肉を解体する様な音であった。

巨大な鉈で肉を骨ごと砕いて切り刻んでいる様な音。

暗黒の中で更に深い者らが蠢いている。

 

 

 

暗闇の中、レナートは走り出していた。

光が消える直前に見た、ハサルとマデリンの位置を頼りに、一直線に。

何人かを突き飛ばし、テーブルを乗り越え、食器をぶちまけながら彼はハサルと思わしき者の腕を掴んだ。

 

 

 

「暗闇の中に何かが居る。お前はマデリン様を連れて早くこの場から逃げろ」

 

 

心臓の鼓動を抑えながら努めて冷静にレナートは言い放ち、直ぐに灯りを灯すために動き出そうとするが……二の腕を掴み返される。

恐ろしいまでの力であった。常人より遥かに頑強な彼の肉体が軋みを上げる程に握りしめられ、身体ごと引っ張られそうになる。

明らかにハサルのものではない長い爪がめり込み、生暖かい液体が服にしみ込む。

 

 

「っ!!」

 

 

違う。こいつは違う。

咄嗟にレナートは腰に挿していたナイフをこの何者かの腕に突き立て、抉る様に左右に捻ってやる。

だというのに、この「腕」は痙攣も何もせず、益々強く握力を込めていく。

 

 

「ぐっ……!」

 

 

何度も何度もナイフを突き刺し続けて必死に抵抗を続けるが「腕」は堪えた様子もなく、闇の奥へとレナートを引きずり込まんとする。

もしもこのまま引っ張り込まれたら、間違いなく死ぬとレナートは直感していた。

いや、死ぬだけならばまだ慈悲がある。下手をすれば死ぬより恐ろしい事になる。

 

 

目前に迫った「死」をレナートは微かに拒絶していた。

あれだけ死んでも構わないと何処かで考え、戦場でもそれを求めてさえいた彼が。

 

 

硫黄の匂い。そして腐臭が彼を包み込む。

天地の感覚がなくなり、自分が今どこに立っているのかさえ判らない程に全てが狂っていく。

闇に全てが溶けていく。自分と別の存在の境界が朧になり、「レナート」という存在が拡散する。

 

 

───これで終わりか。呆気ないものだな。

 

 

ふと頭の中でよぎった感情に身を任せそうになった瞬間、聞きなれた声が耳朶を叩いた。

とてもうるさく、こんな場だというのに活力と覇気に満ちた正者の声だ。

 

 

「レナート先生!!」

 

 

 

完全な暗闇の中でも判るほどの巨体が風切り音と共にレナートに突っ込み、宙を舞わせる。

真っ暗な視界ではあるが、グルグルと回る。

余りの衝撃に「腕」は剥がれ落ち、レナートは床に虫けらの様にたたきつけられた。

 

 

身じろぎするとあらゆる箇所が軋む。

痛くてたまらないが、それでも彼は鍛え上げられた忍耐を駆使して跳ねる様に起き上がる。

そして湧き上がる感情に任せて生を謳歌するように叫ぶ。

 

 

「少しは加減を考えろ! お前の体当たりの方が効いたぞ!!」

 

 

半ば笑い声が混ざった叫びだった。

真っすぐ過ぎる自分の弟子へ自分の生存を伝える声でもある。

そして叩けば鳴る銅鑼の様に更に大きな声が闇を震わせながら帰って来る。

 

 

「失礼しました!!  少々酔っていて力加減が難しく……!!」

 

 

ふん、っという掛け声と共に細枝が折れたような軽い音が響く。

続いてギャリギャリという石突か何かを擦る音。そしてから唐突に小さな灯りが闇の中で浮かび上がった。

 

 

灯り……蝋燭の炎に照らし出されたのはワレスの顔。

彼は何時もと変わらず真っ直ぐに前を向いていた。

直ぐにワレスは折ったテーブルの足に布を巻き付け、火を移して即席のトーチを作る。

 

 

 

トーチをレナートに投げ渡したワレスは持ってきていた銀の剣を床を滑らせてレナートの足元に送り込み、自らは銀の槍で武装する。

どちらも旅の前にハウゼンに支給されたピカピカの武器だ。

……いや違う、ワレスの槍は石突の部分が真っ赤に赤熱していて新品とは言えなくなっている。

 

 

「敵の数は不明だ。

 武装も……いや、そんな馬鹿なとは思うかもしれないが、人とは言えないかもしれない」

 

 

「それこそなんのそのです! 

 これでも私は、森の中でクマとじゃれ合った事もありましてですな!!」

 

 

 

違う、そうじゃないとレナートは声に出しそうになったが、一々修正するのも面倒だと思い直す。

こういう場面ではむしろワレスの底抜けに前向きな気質は非常に心強かった。

 

 

「フンッッッ!!」

 

 

室内で暗所という二重の枷がありながら、ワレスは片手で器用にも大振りで槍を横に薙ぐ。

この大男は一切の躊躇いを見せず、自らの背後を取ろうとしていた害意をもつナニカに刃を叩き込むと手応えを噛みしめる様に槍を握り直す。

 

 

「ふーむ……何とも言えませんな! 殺気だけは一人前の癖に、余りに動きがとろい!!」

 

 

更に一発、トーチでも照らせない程に深すぎる闇の中に刃を突き刺すと、くぐもった悲鳴が漏れる。

引き抜いた刃にびっしりとこびり付いていたのは真っ赤な血ではな、腐汁だ。

それを見てもワレスは顔色一つ変えずにふんっと鼻息を漏らすだけであった。

 

 

「まずは周囲に灯りを戻すぞ。この暗闇はどうにも普通じゃない」

 

 

レナートが背後から感じた気配に銀の剣を一閃すると、暗闇で蠢くナニカが怯んだ気配を発する。

先ほどはあれほどナイフで滅多刺しにても全く力を緩めなかったというのに。

銀か、とレナートは直感した。信心深い方ではなかったが、それでも銀がこのナニカにとって効果があるのは確かだと。

 

 

レナートとワレスは示し合わせたように背中合わせとなり、威嚇するようにトーチを振り回していた。

人間の腕程の大きさはあるトーチならば普通ならばこのホール全体を照らせるはずなのに、余りに濃すぎる闇は僅かにしか後退しない。

そもそも自分が今いる場所は本当にアラフェン城なのかさえレナートには判らなかった。

 

 

あれだけ多くの人が居て賑わっていたというのに、闇の中からは少なくともまともな人間の声は全くしない。

聞こえるのは獣の唸り声、ナニカが滴る音、こひゅーこひゅーという不気味な呼吸音。

 

 

「っっっ!!」

 

 

視界の隅、暗闇から音もなく伸びてきた「腕」をレナートは切りつける。

刃が通った瞬間「腕」は生きた人間には不可能な程に痙攣し、4回、5回と明らかに関節の数よりも多く折りたたまれながら闇の中に消えていく。

 

 

次に左、右、足元、あらゆる所に「腕」が伸びてくる。

爪が剥がれ、皮膚がぐじゅぐじゅに腐った「腕」が何本も何本も。

その全てをレナートとワレスは撃退し続け、隙を見計らっては周囲に散乱したテーブル掛けなどの燃えやすいモノを一か所に蹴りで纏めてからトーチを投げ入れる。

 

 

 

簡易的な焚火が灯され、光が薄っすらホール全体を満たすと「腕」たちは闇の中より決して出てこようとはしなくなり、闇の中で狂ったようにその影だけがのたうち回る。

ぐねぐねと骨がなくなったように暴れまわっていた腕たちは、なおも諦めずレナートとワレスを取り囲み消えようとはしない。

その動きからはけた外れの殺意と何らかの……目的さえも感じ取れる。

 

 

そして微かとは言え見渡せるようになったホールの中にはハサルとマデリンの姿はなく、床には多くの参加者たちが倒れていた。

 

 

目的……ここでレナートは気が付く。そもそも最初の「犬」は誰を見ていた?

彼の顔が苦々しく歪み、怒りと焦りが同時に吹き出す。

直ぐに感情を処理し、冷静に状況をかみ砕くと、ワレスにそれを伝える。

 

 

 

「マデリン様とアラフェン候……狙いは恐らくあの二人だ……!」

 

 

おぞましい「黒犬」の話、前兆にあった事をかいつまんでワレスに伝えると、彼は直ぐに迷わず答えた。

 

 

「ならば我々はまずアラフェン候をお助けしましょうぞ! 

 マデリン様にはハサルの奴がついております!」

 

 

主君よりもアラフェン候の救助を進言するワレスの眼には信頼がある。

例え何を相手にしようと、ハサルならば大丈夫だと。

対してアラフェン候は今は無防備だ、酒に酔って自室に戻ったきりで、最も信頼するブレンダンは城の警備に回ってしまっている。

 

 

そして相手は人の常識の外にいるナニカだ。

歴戦のレナートでさえワレスが居なければ危うかった化物であり、前知識もなく突然に襲われたら死は免れない。

 

もしもキアランとアラフェンの友好を願う宴でブランが死んでしまったらどうなる?

リキア第二位の経済を誇る領土を統べる彼が殺されてしまったら?

間違いなくそれはキアランへの不利益となる。

 

 

そしてこの城の兵士たちの指揮権を握っているのも彼だ。

彼を助け出し、状況を理解してもらえば一気にこのアラフェンの全てを総動員してマデリンとハサルを助けることができる。

それはたった二人で何処に逃げたか判らない彼女たちを探すよりも遥かに効率がよい。

 

 

ブランの自室の位置については問題ない。

レナートもワレスも、アラフェン城の構造は既に把握していた。

 

 

 

「アラフェン候の部屋まで走り抜けるぞ。

 行く先々で消えてる燭台があれば火を付けながら行く」

 

 

「ふはははははははは! 先鋒はお任せください! 

 進軍突撃はアーマーナイトの華!!」

 

 

右手に槍、左手に新しく作ったトーチを掲げたワレスは何時もと変わらぬ調子で「腕」が蠢く暗闇の中に飛び込む。

ズドン、という馬車同士が衝突した様な音と衝撃がホールを揺らし、無数の「腕」がワレスに伸びる。

 

 

「温い! 温い!! 温いぞ!!! 

 顔も見せられぬ臆病者共にこのワレスを止められるかァっっ!!」

 

 

だがワレスは止まらない。

彼はまとわりついてくる「腕」を片端から叩き落とし、ねじ伏せ、闘牛の如く全てを薙ぎ払う。

槍が闇をかき混ぜ、トーチの灯りが闇を押しのけ路を作り、あっという間にホールから脱出する。

 

 

 

廊下には一定の距離ごとに壁に火の消えた燭台が配置されており、その一つ一つにレナート達は火を灯し安全を確保していく。

 

 

────レナート、レナート、レナート、こっちです。助けてください。

────血が、血が止まらないのです……こっちに来てお願い、助けて。

 

 

 

不意に背後の暗闇より聞こえたのはマデリンの声だ。

苦痛に満ち、縋る様に絞り出される声は普段の彼女からはとても想像できない程である。

だがレナートは振り返らない。ここに彼女が居るわけがないからだ。

 

 

実に下らない。子供だましのおとぎ話の中にでも帰っていろとレナートは内心吐き捨てた。

 

 

 

───助けて、助けて、貴方はお父様より勲章を賜った勇者のはずです、少しだけでいいのです、こっちを見て。

 

───意気地なし、意気地なし! 何が勇者ですか! 貴方はただの臆病者です!! どうして、どうして、どうして!!

 

 

 

声に怒気が混ざり始めたのを聞きながら、随分と早くボロを出したなとレナートは冷静に考える。

自分のほんの少し後ろを大勢の誰か……いや、ナニカが足音を立ててついて来ているのを彼は感じ取っていた。

念のためワレスを見れば、彼は前しか見ていない。後ろからの声など全く入っていない。

 

 

 

無害な騒音を適当に聞き流しながら二人は歩く。

最も一人は時折暗闇から伸びてくる「腕」を捻りあげては闇の中に放り返しているのだが。

既に「腕」の主たちは力づくでは無理だと悟ったのか、先ほどの様に群がって来る事はなくなっていた。

 

 

 

その代わりに、背中にピタッと張り付くほど……それこそ息遣いを感じる程近くに形のない「誰か」が居座る様になったが、今の所は先ほどの「腕」ほど害はない。

ただ、ひたすらしつこく名前を呼んで振り向かせようとしてくるだけだ。

まるで売れない大道芸人がなりふり構わない様を見せているようだなとレナートは嘲った。

 

 

裏拳の一発でもかましてやれば少しは大人しくなるか? と彼が考え始めた頃に二人は丁度良くブランの部屋の前に到着していた。

やはりというべきか、本来は周囲を警固しているはずであろう兵士が誰もいない。これは明らかに異常な事であった。

ワレスの隣に並んだレナートは彼に頷きかけた。

 

 

 

ノックをして扉の奥に声をかけて僅かに待つが返事はない。

仕方ないとレナートが目配せをする。

ワレスの拳が炸裂し、金属で補強されていた筈の扉は木の葉の様に吹き飛んだ。

 

 

レナートを先導に二人が部屋に足を踏み入れた瞬間、物陰より何者かが飛び掛かる。

暗闇の中でよく見えないが、手には長剣の様なモノを持っていた。

咄嗟に迎撃しようと覇気を漲らせる弟子をレナートは片手で制し、人影に大声で呼びかける。

 

 

 

「我々です! キアランのレナートとワレスです!」

 

 

 

「ッ! なん、だ……貴様たちか」

 

 

 

人影……この部屋の主であるブランはトーチに照らし出された二人の顔を見て安堵したようであった。

見事な装飾の施された銀の剣を鞘に納めると、彼は怪訝な顔をする。

 

 

「貴様らは……いや、このような事を問うのはどうかと思うが……本物か?」

 

 

「はい。こちらが証拠になります。ブラン様、貴方を助けに参りました」

 

 

どうやら彼もこの異変に巻き込まれているらしく、その眼には明らかな警戒と怯えがあった。

一々説明する手間が省けたと胸中で喜びながらも、レナートは証拠としてローラン勲章を掲げて照らし出す。

精密にして美麗なそれは複製困難な一品であり、身分証にも等しい価値を持つ。

 

 

 

完全な身の証にはならないが、ブランがもしも変装した暗殺者を警戒しているならば多少は警戒を緩める要因になるだろう。

予想通りブランはため息を吐いて僅かばかりの緊張を逃がしたようであった。

 

 

「まぁ良い……それで“アレ”は何だ……?」

 

 

「刺客が多数城に潜り込んでおります。

 変声の技術などを駆使し、従者の中にも誘い出された犠牲者が」

 

 

違う、とブランがレナートの言葉を遮る。

僅かに震えている声には怒りと焦りが混ざっていた。

 

 

「私を馬鹿にしているのか? 

 ……聞きたいのはそんなことではない、

 私の城に“ナニ”が入り込んだかを聞いているのだ……! 

 下らない脚色はやめろ。ありのままの事実を話せ!!」

 

 

 

「……見たのですね」

 

 

あぁ、とブランは力なく項垂れた。

本来寛ぐ場であるはずの自室で抜刀し、まるで子供の様に闇夜を警戒していた彼はカーテンを閉め切った窓を指差した。

窓の先にはバルコニーなどはなく、あるのは断崖絶壁のみのはず。

 

 

 

「あの窓だ。

 あそこから人に近い姿をしたナニカが逆さづりの状態で私をずっと見ていたのだ。

 時には父の声で、母の声で、子供の声で、私をずっと呼んでいた……何なのだあれは!」

 

 

うんざりだとブランは零す。

貴族として暗殺を常に警戒するのは当然だが、意味不明の存在にひたすら呼ばれ続けるのは耐えがたい苦痛であったらしい。

 

 

「判りません。しかしどうやらアレらは光を嫌うようです。

 我々は宴の席からここまで通路にある全ての燭台に火を灯し、退けてきました」

 

 

淡々と対処法に聞き入っていたブランが唐突に眼を見開き、レナートを指さした。

ブランの指の先を視点で追ったレナートが自らの左肩に目を向ければそこには誰かの「手」が乗っていた。

隣にはワレス、前方にブランが居る現状では背後には誰もいないはずだというのに。

 

 

無言でレナートは振り返らず、手に持ったトーチで背後をつついた。

「手」が痙攣し全ての指の関節を逆向きに曲げながら闇の中に消えた。

何事もなかったかのようにレナートは言葉を続ける。

 

 

「至急ブレンダン殿に連絡を取り全てのまだ健在の兵士たちに灯りを絶やさない様に令を 発してください。

 恐らく日の出まで耐えれば我々の勝利です。

 後は光魔法を使えるエリミーヌ教団のお知り合いなどがおればより良いかと」

 

 

顔面を蒼白にするブランにレナートは極めて落ち着いた口調で提案を行う。

彼とて内心は穏やかではない。生きている暗殺者の相手は出来ても、既に死んでいるであろう化物の相手など初めての経験なのだから。

しかしここで彼が混乱してしまえばそれは敗北に直結する。

 

 

レナートはあの醜い化物たちの一部として永遠にエレブを彷徨うなどまっぴらごめんであった。

そして、と最後のダメ押しとしてレナートはブランの心に火が付くであろう言葉を切る事にした。

もしかしたら怒らせるかもしれないが、このまま怯え続けられるよりはマシだ。

 

 

「最後に。

 我々の主君、マデリン様はハサルと共に行方不明となりました……。

 なにとぞ、お力添えを」

 

 

その言葉にブランの眼の色が変わったことを見出し、レナートは内心でほくそ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハサルとマデリンは自分たちが今どこにいるかさえ判ってはいなかった。

全ては刹那の出来事であった。灯りが消え、足元の感覚さえ消えたと思った瞬間、ハサルは咄嗟にマデリンの腕を掴み……そして二人は纏めて“飛んだ”のだ。

飛んだ先の周囲にあるのは木々。月明かりさえ途絶えたここは何処かの森の中らしかった。

 

 

夜の森というのは畏怖と死に満ちている。

一切の灯りを排したここは正真正銘“深淵”と評するに相応しい。

 

 

「……無事か?」

 

 

決して離さなかった腕を手繰り寄せ、ハサルはマデリンを確認する。

周囲の闇は濃かったが、草原の民として特殊な訓練を受けた事もある彼の眼は既に闇に順応しており、問題なくマデリンの顔を見る事が出来た。

逆にマデリンはハサルの顔ははっきりと見れていないらしく、不安げに周囲に視線を彷徨わせている。

 

 

「私は大丈夫。でも……ここはどこかしら? 

 アラフェン城ではないみたいだけど……どこかの森……?」

 

 

不安はあるもののマデリンは努めて冷静であった。

余り魔道士を抱えてはいないキアランでは縁の薄い魔道に属する体験の中であっても取り乱すことなく現状の把握に努めている。

 

 

「俺から離れるな」

 

 

ハサルは自らの衣服の一部を破り去り、簡易的な縄を作るとそれを自分に結び付け、もう片側をマデリンに握りしめさせた。

 

 

「これを手離すな。たとえ俺がもう離していいと言っても絶対にだ」

 

 

「……わかったわ」

 

 

ただならぬ様子のハサルにマデリンは頷く。

薄々彼女も現状の異常さに気が付き始めていた。

暗殺者が自分の身を狙い、何らかの術などを用いて自分をここに飛ばしたのならば何故直ぐに襲わない?

送った後に複数の手練れや罠や毒などを撒いておけば簡単に片が付くだろうに。

 

 

幾らハサルが強かろうと一人では限界がある。

自分の様な足手まといを庇いながら幾つもの罠や刺客を相手に防衛戦など困難極まりない、と。

 

 

しかし実際は今の所は何もない。

あるのは完全な静けさ……動物はおろか虫の声さえ聞こえない。

いや……よく耳を澄ませば多くの囁きの様なモノが何処からか流れてきている。

 

 

余りに小さ過ぎて意識していても聞き逃してしまいそうな妙な「音」だ。

 

 

「ハサル、サカの民としての貴方に問います。何か“声”は聞こえますか?」

 

 

サカの民は風の声を聴き、大地の唸りに耳を澄まし、水の歌を拝聴できるとマデリンは聞き及んでいた。

実際はただのたとえ話かもしれないが、それを差し引いてもハサルの耳はとてもよい。

周囲に何かいれば直ぐに気が付くだろう。

 

 

しかし彼は顔を強張らせるだけで質問には何も答えない。

油断を完全に捨て去った臨戦態勢で言い聞かせるように念を押した。

 

 

 

「そんなことは気にするな。今は縄を握りしめる事にだけ気を回せ。……離したら死ぬと考えろ」

 

 

「そう、ね……全て貴方に委ねます」

 

 

ごちゃごちゃと考えることをマデリンはやめた。

死ぬとまで断ずるハサルを見て、今の状況が自分の想像より遥かに悪いモノなのだろうと悟ったのだ。

 

 

 

──っ──ぃ──ぃ。

 

 

 

「音」が徐々に大きくなる。

そしてマデリンは気が付いた。これは呼び声だと。

大勢の掠れた声が大合唱をして、自分たちを呼んでいる。

 

 

ハサルが懐に隠していた銀の剣を抜き去る。

未だ使われたことがない刀身は美しく輝くが、濃すぎる闇の中では光は吸収されマデリンにはハサルが何かを取り出した、程度にしか見えない。

 

 

闇の中をハサルは歩き出す。

そして彼は眼を瞑っていた。

闇は深まる一方で、既に彼の眼を以てしても隣にいるマデリンの顔さえ満足に見えない状況だ。

開いていても閉じていても黒しか映らないのならば、眼は必要ない。

 

 

視力に回していた全ての集中を他の部分に彼は回す。

匂い、音、触感、直感などに。そして頭に入って来る全てが最大の危機を警告していた。

 

 

 

─こぃ──こぃ──こぃ──こぃ─こぃ─こぃ─こぃ。

 

 

 

 

一定の間隔でひたすら繰り返されるのは呼び声だ。

マデリンはよく聞こえていないらしいが、ハサルは心からこんなものを彼女が聞かなくて済んでよかったと思っている。

感情も抑揚もなく、死人の様な冷たい声がひたすら誘ってくるなど悪夢でしかない。

 

 

 

ハサルは音のする方向とは違う方角に進む。

足音が響く。1つ2つ……3つ。

 

 

「ハサル……っ」

 

 

気付いてしまったマデリンが縄を強く握りしめれば、ハサルは己の中の恐怖が和らぐのを感じた。

誰であろうと関係ない、自分は彼女を守ると決意を新たにし……何かを踏んづけた。

 

 

 

とても柔らかく、適度に足を押し返してくるそれは岩や土の類ではない。

一度足を止めてから何度か足踏みをしてそれを確認する。

僅かにゴツゴツしたものが中にあって、表面は柔らかにソレはどうやら4本の枝の様なモノを伸ばしている様であった……。

 

 

 

まさか、と思い目を開けてみればハサルの事をソレは見返した。

暗がりの中であってもそれだけは不自然なまでにはっきりと見えてしまった。

瞬きのない瞳、固まり始めた全身、上下しない胸───それは死体だった。

 

 

 

それもただの死体ではない。“ハサル”の死体だ。

彼が死んでいた。その眼は苦痛に満ち、全身は泥と血で汚れている。

胴体より切り離された頭だけがハサルを見上げていた。

 

 

真っ赤な光が炸裂する。吹き上がるのは炎と悲鳴と死。

 

 

水。毒。死。駆ける馬。

 

 

闇が一転して真っ赤な夕焼けに染まる。

現れた光景にマデリンが息を呑み、ハサルが驚愕する。

死だ、あらゆる死がここに満ちている。

 

 

 

転がるのは夥しい数の死体、死体、死体───その顔は全てハサルとマデリンであった。

どれもこれも苦痛に満ちた表情をして虚空をねめつけている。

“お前たちの未来などこんなものだ”と何処からか嘲りがきこえた。

 

 

 

それでもハサルは止まらない。

呆然としそうになるマデリンの意識を縄を引っ張る事によって呼び戻し、死体を出来るだけ避けながら進みだす。

幾つか自分の顔を踏んでしまったが、マデリンだけは絶対に彼は踏まない。

 

 

 

────いかないでくれ。いかないでくれ。いかないで。いかないで。だめだ、やめてくれ。

 

 

 

うめき声が背後より聞こえる。自分の声で、マデリンの声で。

そっちに行ってはいけない。破滅しかないと忠告する声が。

 

 

「っっっ……!」

 

 

「………」

 

 

縄を握る手に力が篭る。返すようにハサルもまた縄を素手で掴み自分はここにいると無言で伝えた。

震えながらもマデリンもハサルも決して振り返ろうとはしない。

もしもそんなことをしたらその瞬間に何かが終わると確信していたから。

 

 

 

真っ赤な世界を抜け、再び周囲は闇に閉ざされる。

視界の奥の奥……果てに微かに見える灯りを目指して二人は進んでいた。

どれだけ進んでも果てなどないと思える深淵ではあったが、出口は確かにそこにあった。

 

 

 

 

─────って……まっ……い……な、ま……、やめろ……。

 

 

光に近づくにつれ背後より聞こえる声が小さくなる。

もうあとわずかで光に手が届く。

 

 

───一いかないでくれ……。

 

 

不意に聞こえたしゃがれ声にマデリンが足を止める。

彼女の知っているそれより少し枯れてはいるが、紛れもなくその声はハウゼンのものであった。

 

 

───マデリン、どうして……許しておくれ……。

 

 

慙愧に満ちた声で許しを請う父の声にマデリンは後ろ髪を引かれる。

ただの惑わしという言葉で片づけるにはこの声は余りに現実味があり過ぎた。

 

 

そしてマデリンは父を愛している。

全く弱みを見せず、母の分まで愛情を込めてくれたハウゼンを愛しているのだ。

そんな父が……例え偽物であろうとも悲しんでいるというならば駆け寄って悲しまないでと言ってあげたくてしょうがない。

 

 

 

「俺を信じろ」

 

 

 

思わず振り返りそうになったマデリンにハサルが声をかける。

一瞬でマデリンは自分が今何をしようとしていたか理解し、背筋が凍った。

なおも背後より絶えず聞こえてくる父の声にマデリンは胸中で呟いた。

 

 

 

“ごめんなさい。お父様……さようなら¨と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

闇の中を抜け、無事に灯りにたどり着いた二人を歓迎したのは完全武装したアラフェンとキアランの兵士達であった。

付近には所狭しと言わんばかりにトーチが掲げられ、徹底的に闇を排除し灯りに満ちた陣地を彼らは設営している。

その中を完全武装したレナートとワレス、そしてブランが闊歩し二人に近づく。

 

 

 

「マデリンど……」

 

 

の、とはブランは続けられなかった。

マデリンとハサルの姿を見た彼の顔はあっという間に青ざめる。

どうしたのだろうか? と首をかしげるマデリンにレナートが手鏡を渡し、彼女はそこに映った自分の顔に仰天することになる。

 

 

 

端的に言ってしまえば彼女とハサルは血まみれであった。

髪の先よりつま先まで体の前面は血の雨でも浴びた様に真っ赤。

そして背後は……真っ赤な手跡が大小関係なくビッチりと埋め尽くしている。

 

 

子供のモノから大人のモノ、大きすぎるモノもあれば赤子のソレよりも小さな痕もある。

マデリンは息を吐いた。ハサルも同調しため息を吐く。

折角の晴れ着が台無しだと。

 

 

「お怪我は無いですか?」

 

 

レナートがマデリンに言うと、彼女は自らの身体を隅々まで撫でまわし確認した後に「ないわ」と断言した。

ブランが安堵したように脱力すると、彼は従者に湯浴みの準備を進める様に言い渡し、マデリンに従者を数名付けてから、たった今マデリンとハサルが出てきた森の入り口を見た。

 

 

「夜が明けてから兵士を派遣して森の中を探索するべきか?」

 

 

それはブランにとって独り言にも近しい言葉であったが、それに答えたのは彼の隣の法衣を身に着けた男性であった。

コミンテルンとの戦後エトルリアのエリミーヌ教団から派遣され、アラフェンにて信者たちへの説法を行っていた彼の名前はヨーデルという。

 

 

「それはなりません。ここから先は死者の世。

 例え日が昇っていようと、危険な事には変わりはありません。

 暫くは決して何人たりとも近づけないように令を徹底させてください。」

 

 

「ただ封鎖するだけか?」

 

 

ブランの疑問は最もなモノであった。

ハサルとマデリンが引きずり込まれた森はアラフェン城の目と鼻の先だ。

彼からしてみれば、自分の居城の隣に理解不能な異形の巣窟があるなど考えたくもないのだろう。

 

 

「教団に応援を頼んでみましょう。

 報われぬ者らを聖女様の御許に旅立たせるのも我らが務めです……」

 

 

 

今はそれでいいと納得するブランにマデリンが声をかけた。

 

 

 

「ブラン様、お城の方ではあの後どうなったのです?」

 

 

 

自分とハサルが引き込まれた後、アラフェン城の会場の方はどうなったかとマデリンが問う。

ブランは曖昧な微笑みを浮かべながら答えた。

 

 

「城の方にも賊……コミンテルンの残党が侵入していたのですよ。

 しかしそう言った輩はブレンダンがしっかりと全てを捕らえてくれましたのでもう安心です」

 

 

半分は事実だ。

化物の騒ぎに乗じてコミンテルンの残党が城に潜入していてその全てがブレンダンに捕らえられたのは。

もう半分は……ブランとしては語りたくないのだろう。

自分の城によりにもよって化け物が出たなどさっさと忘れてしまいたいに決まっている。

 

 

灯りが戻ったアラフェン城のダンスホールはひどい有様であった。

無数の明らかに死後暫く放置された亡骸が多数横たわり、レナートの見ている前でいなくなった使用人たちの死体さえも転がっているという惨状だったのだ。

 

思わずそれを見たブランが戻してしまったのも仕方がない事だ。

 

 

捕縛した残党に軽い尋問を行ったが、やはりというべきか誰もあの化け物の事など知らないという。

むしろ彼らとしてはまだ自分たちが事を起こす前に何故ここまで城が騒ぎ立っているのかさえ判らなかったそうだ。

 

 

 

話はここまでだと踵を返すブランをマデリンは見送り、その隣にハサルが立つ。

そんな二人をレナートは無感情な眼で見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明け方。騒ぎも収まり、地平より太陽が昇り始めた時間帯。

レナートは一人でハサルとマデリンが引き込まれた無音の森の中を闊歩していた。

武器は銀の剣一本だけ。鎧も何もつけずこんな場所を歩くなど本来は自殺にも等しい。

 

 

明け方とはいえ天は枝で封鎖されているため、ここは言わば新緑の壺の底だ。

だが彼はそんなこと全く気にしない。むしろ自分はもう安全だという確信があった。

あいつらはもう襲ってはこない……否、襲ってこれないという。

 

 

「いるんだろう?」

 

 

やがて僅かに開けた場所に出ると、レナートは虚空に呼びかけた。

声は木々に吸収され……返答は当然の様に返された。

 

 

≪聞こえているよ。君が来るのは判っていた≫

 

 

音もなく幹の影より「顔」を覗かせるのは“影法師”だ。

相変わらず闇を湛えるだけで顔面など存在しない頭部をもち、黒い霧のローブを着込んだ異形である。

泥と闇を混ぜ合わせて作った不出来な人形の様なソレは見かけからは想像できない程に知的な声で話す。

 

 

「今回の騒動を仕組んだのはお前だな」

 

 

≪そうだ。彼らに機会を与えたのは私だ≫

 

 

予想通りの答えにレナートは動じることはなかった。

あの騒動は余りにも出来過ぎている。この人知を超えた化け物の関与を疑うのは当然だ。

 

 

「ならば何故忠告をした? 黙っていれば彼らの目的は達成できただろうに」

 

 

もしもこの異形がレナートに何の忠告も与えなかったら結果は明白だ。

一夜にしてアラフェンの当主と全ての宴の参加者は行方不明になり、後世にまで永遠の謎として語り継がれていただろう。

 

 

 

≪君に見せたかったからだよ≫

 

 

「何だと?」

 

 

影法師は背筋を伸ばし、非常に美しい姿勢でレナ―トの傍にまで歩み寄る。

仮にこの存在が元は人間だったとしたならば、非常に高い知性と社交性を併せ持つ魅力的な存在だったに違いない。

 

 

 

≪君が思っているほど“生きている”と“死んでいる”という状態の壁は厚くない。

 死してなおこの世に留まる方法があるのは判ったはずだ≫

 

 

「……アレらは醜かった。もしもお前が俺の願いを叶えたとしても───」

 

 

≪その心配は判る。友を呼び戻したとしても、腐った死体だったら誰もが激怒するだろう≫

 

 

レナ―トの脳裏にあるのは死してなお自らに幻想として付きまとう「友」の顔。

もしもあの顔そのままで黄泉がえりを成されたら……彼は耐えられそうにない。

そんな彼の心境を読んだかの様に影法師は優しく囁く。

 

 

≪私は詐欺師ではない。君の理想通りに全てを行おう。

 君がただ一つ、私に協力し……“神”のみに許された奇跡の模倣を手伝ってくれるならば≫

 

 

 

「……」

 

 

熟考するように沈黙したレナートを見て、異形は上機嫌そうに左右に揺れ、更に言葉の楔を彼に打ち込んでいく。

 

 

≪君の心が判るぞ。つまらない“常識”は捨てるべきだな。「死者は戻らない」 

 ……それは過ちだと今夜君は体験しただろう。

 死者からしてみても老衰の末の終わりならば受け入れられるだろう。

 だが、無作為な理不尽の果ての死など誰もが拒絶するに決まっている≫

 

 

このエレブにはそんな理不尽、命の収奪が多すぎると異形は吐き捨てた。

まるで今まで全ての理不尽と戦火を見て、体験してきたかのように。

 

 

≪考えて見るんだ。君が友に再び会いたいのは当然だろう。

 ならば……その「彼」は自らの復活の機会が訪れたことをどう思うのだろうね≫

 

 

 

「あいつが、どう思うか……?」

 

 

それはレナートにとって考えた事もない発想であった。

もしも死後のあいつにまだ自意識が残っていたならば、そして、もしも彼にとっての友である自分が蘇りのチャンスを掴もうとしていたならば、彼ならば何と言うか。

 

 

 

……………。

 

 

 

≪私は何時までも待とう。またキアランについた時にでも話をしようじゃないか≫

 

 

そう異形は続けてから周囲に意識を回す。

途端に目に見えない“ナニカ”がざわめき立ち始める。

レナートにはそれが恐怖の悲鳴に聞こえた。

クモの糸に囚われられた蝶が上げる絶望の声に。

 

 

≪機会は与えた。契約を履行させてもらうぞ≫

 

 

大きく腕を広げた異形に向けて無数のナニカが“落ちて”くる。

川が上流から下流に流れる様に、滝が下に落ちる様に、ナニカは異形には逆らうことは出来ず飲み込まれていく。

眼には見えないモノ……恐怖をばら撒いた者らに恐怖を与えながら影法師は飲み込んでいた。

 

 

瞬きする間もなく、森の中を覆っていた不穏な気配は全て消え去り、残るのは平穏な静寂のみ。

命の残照を飲み込んだ異形は手をこすり合わせてから、レナートに笑いかけた。

 

 

≪何も恐れる事はない。難しく思う事もない。

 ただ欲しいモノを欲しいと思うだけ。全ては単純な事だ≫

 

 

そうして異形は朝日から逃げる様に消え去った。

一人残されたレナートは暫し佇んでいたが、直ぐに歩みだし、そして誰もいなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして時は流れる。

エレブの歴史は血と涙と苦痛に彩られた歴史だ。

その内の一滴にとある男女が混ざる事になったとしても誰も気にも留めないだろう。

 

 

全ては些事だ。

身分違いの恋の果てに破滅と知りながら突き進んだ男女の話も。

自らの正しさを信じた結果男女を見逃した騎士の話も。

目障りな娘が消えた事によって自分にも支配者の座に付くチャンスが訪れたと歓喜するとある男の話も。

 

 

 

そして欲しいモノを願い、ようやく手に戻ってきたと確信を得た瞬間に「友」に拒絶され、再び眼前でその死にざまを見せつけられ、自身の思い上がりに気が付くことになった男の話も。

 

 

 

 

全ては等しくつまらない出来事であった。






あとがき


最後は駆け足になりましたがこれにてエレブ963は完結です。
本当はもっとダーレンとかパスカルとか出したかったのですが、そうなると収拾がつかなくなりますのでカットです。

色々と異色な話ではありましたが、書いている側としてネクロマンサーや屍兵や亡霊兵、ゾンビなどがFEには居るので案外違和感はないなと思ったり。

FE×ホラーの可能性を個人的に感じた話でした。

ここから色々と原作とはずれていきますが、何とか書いていきます。





最後に、↓に少しだけ続きがあります。









豪雨であった。
暴風が木々を薙ぎ、止むことなく轟く雷鳴は世界を幾度も白亜に染めては黒に塗り替えされる。
命を拒む嵐の闇夜の中、夜よりも濃い黒が立っていた。



黒……影法師は一軒の家を見ている。
嵐の轟音にかき消されて判りづらいが、その家からは悲鳴が絶えなかった。
破砕音、争いの音、食器が割れ、赤子が泣き叫ぶ。

魔法が発動され、命乞いの声が消え去り、家から一つの存在が転移の術で飛び出していくのを異形の眼は捉えていた。
転移の光の中にまだまだ生後間もない赤子が居る事も当然把握している。
だが彼はそんなモノに一切の興味を示さず、家の中から一人の女が出てくるまで微動だにしなかった。


『ご苦労。素晴らしい働きだ』


異形の口より言葉が出る。確かな音としての言葉が。
異形の顔の闇が凝固し、知的な男の顔を覗かせた。
顔……その顔は“右半分”だけであった。


左半分は……欠落している。
絶えず流動する闇が人の頭部らしき輪郭を作るだけで、そこに人の顔は存在しなかった。


「ありがたきお言葉です。────様。お望み通り、秘密をこの手に」


『ありがとう。これで我々の目的に大きく近づくことが出来る』


女……黒髪の妖艶な女は異形の前で跪き、狂信と愛情の入り混じった瞳で異形を見上げ、たった今入手した書物を異形に差し出す。
影法師は書物を受け取ると、女の手をとって立ち上がらせ血に塗れた手の甲にキスを落してやる。
それだけで女は歓喜で震えあがった。眼をギラギラと黄金色に輝かさせ、恋する少女の様に眦を潤ませた。



「あぁ! なんて、なんて事を……! お顔が汚れてしまいます……!」


『問題ない。お前は一度拠点に戻り、次の指示を待て。
 私はここの“後片付け”してから戻る』



影法師が振り返れば、いつの間にかそこには彼と同じ様ないで立ちの数体の異形達が立っていた。
闇を塗りこんだ様な黒染めで、ボロボロのローブ、生気の感じない異質な存在感。


そして、そして───頭部をすっぽりと覆い隠すのは竜と人の頭蓋骨を混ぜ合わせて作ったような巨大な仮面。
影法師の顔の左半分が変化する。異形達と同じような竜の骨を模したような巨大な仮面に。


『“片角”』


影法師がその名を呼べば、控える異形達の中でも最も大柄の異形が一歩前に踏み出る。
名前の通り被った仮面の角の一本が折れている異形は影法師の前に跪いた。
そんな様を女は軽蔑したように見て、影法師は信頼の篭った瞳を向ける。


『ここに。お望みを、長』


『あの家を焼き払え。全ての痕跡を消せ。誰にも見つかるな』


『お望みのままに。我らが偉大なる長よ』


『すべては貴方の御心のままに』


『すべては貴方の願いのために』


『すべては安息のために』


異形たちが一斉に傅き、心より称える。
まさしく彼らにとって影法師は神そのものであるのだろう。
そしてそれは影法師の隣に立つ女も同じであった。


彼女は本当に心苦しそうな顔を浮かべて、深く深く礼をした。


「偉大なる御方。では私はご指示通り拠点に向かいます」


光が女を包み瞬時に消える。
転移の術を用いて消えたのだ。


『さて、始めよう』


異形が手を大きく広げ、幾つもの術式を発動させた。
地面に複数の魔法陣が展開され、その数と同じだけの物体が取り寄せられる。


黒髪と金色の瞳の生気のない人形達。
骸の仮面を被り、死の匂いを濃く纏う異形達。
その数は合わせて20にも及ぶ。


言葉による指示を行うよりも早く20の人外らは散開する。
人間よりも遥かに優れた身体能力を披露し、雨風を跳ねのけながら縦横無尽に飛び回る。


次の瞬間、女が出てきた家屋は盛大な音を立てて炎上する。
中にあるであろう亡骸もこの調子では明日の朝までには炭を通り越して灰になっているであろう。
雨が降っているというのに火の勢いは収まる事はなく轟々と紅い世界を作り出す。


赤に照らされても決して侵食されない“黒”は部下の作業が終了したのを確認してから、影の中に溶ける様に消え去った。


この日、リキアのとある名門魔道士一家が行方不明となった。
当主であるユーグ、妻のアイリス、双子のカイとニノ、全員一夜の内に消えたのだ。
領主による必死の捜索と犯人などの調査も行われたが結局それは何の効果もあげることはなかった。


やがては誰もが事件を忘れていく。
誰もこのささやかな事件がどれだけ後のエレブに影響を及ぼす事になるかなど知りもしない。




全ては始まろうとしていた。





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