とある竜のお話 改正版 FE オリ主転生 独自解釈 独自設定あり   作:マスク@ハーメルン

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とある竜のお話 第五章

 

 

“ポンッ!!”

 

どこか拍子抜けしそうな間抜けな音が部屋に響く。

コルクを力ずくで思い切り引き抜いた時に発せられる音に酷似しているそれは、残念ながら上質なワインの瓶の栓を抜いたから発生した訳ではなかった。

 

 

ならば何処からあの独特で間抜けな音は響いたか? その疑問に対する解は簡単だ、今暖炉先端からもくもくと煙を立ち上らせている指を向けて椅子に座っている童――――イデアの人指し指からだ。

 

 

「あ~~~、難しいなぁ……」

 

 

ふぅ、と軽く息を漏らしたイデアが暖炉に向けていた人差し指を眼の前に持ってくる。

少しだけ焦げ臭い、灰色の煙を上げるそれをまじまじと暫く見つめ、分からないと言わんばかりに首を力なく左右に振る。

 

 

そう現在は魔道の練習中なのだ。

 

 

 

そして視線を指から下、白い布に包まれた正面の腰に、正確にはそこに置いてある確かな重みを訴えてくる一冊の所々に染みがある分厚い本に送る。

この年季を感じさせる本の名前は【ファイアーの魔道書】 なんて事はない只のそこらへんにある下級魔術の発動媒体である。

 

 

そしてこの古ぼけた、最下級の希少価値など欠片もない魔道書こそイドゥンとイデアの魔道の練習の道具にして教科書である。

 

 

いや、もしかしたら後々神竜の姉弟が練習に使っていたという理由で価値がでてくるかも知れないが、少なくとも今は只の最下級の魔道書である。

 

 

魔道書にエーギルを送り込み、魔道書が送られたエーギルを魔力に変換し、変換した魔力を【炎を生み出す】という事象に変えて、その事象の操作権をイデアに送る。

それと同時にあまった魔力は操作権と同時にイデアに返され、体内でエーギルに再変換される。

 

 

そして操作権を得たイデアが炎を操るといった具合だ。

以上が魔道書を使った魔道の発動の仕方とその原理である。

 

 

 

 

しかし魔道書はあくまでも補助の道具、卓越した魔道士ならば書に頼る必要はない。何よりも術を使うのに大事なのは書ではなく、力のイメージとその力を従える強い精神力なのだ。

なお、余談ではあるが竜族等の最高位の魔道士がエーギルを余りにも書に注ぎこみすぎると、許容量を超えた力を送られた書が壊れてしまうこともあるらしい。

 

 

だが、例外というのいつでも、何処にでも存在する。中には補助の道具という枠から著しく逸脱した、それこそ手に取っただけで精神を、魂を侵食し食い荒らす程の

とてつもない力を内包した魔道書というのも確かに存在するらしい。

 

 

だが、今姉弟が手に取っているのは世に溢れんばかりにある魔道書、いわば魔術を習うものたちの教科書のような物なので特に侵食されるなどの心配は無い。

 

 

ナーガはこの練習用の魔道書を二人に渡し、簡単な使い方と術を使うときは暖炉に向けてやれと言った後水の入った木の桶を置いて、急いでいるのか直ぐに部屋から出て行ってしまった。

何処か慌しいその様子をイデアは「父」に似て意識的に作った無感動な顔で、イドゥンはお父さんが自分に構ってくれない不満を多分に込めた眼で見ていた。

 

 

 

「ま、きらくにやるさ……」

 

 

何処かおどけた調子でそう言うと、手を小さく二、三回ぶるんと振るってまだ少し残っていた煙と焦げ臭いにおいを払い飛ばし、何気なく、特に理由などないが、眼を隣の人物に向ける。

 

 

そして思わず

 

 

「……凄い………」

 

こう零してしまった。

 

 

隣の人物―――自分の姉であり、唯一この世界で気の許せる存在であるイドゥンの練習の進み具合を見たイデアの口からは驚嘆の声が出ていた。

大きな宝石のような赤と蒼の両目が眼前の世界をその二つのレンズに映し出す。

 

 

 

それは本当に幻想的で、何よりも神秘的な光景だった。

 

 

 

補助の【ファイアー】の魔道書は真ん中程度の頁から開かれており、まるでイドゥンを守護しているかのように彼女の胸元近くで滞空していて

彼女から送られるエーギルに反応し淡く、赤い炎のような色を帯びている。

 

 

瞼を閉じて意識を集中させている彼女の、暖炉へと伸ばした細い人差し指の先端へと赤い光は集中していき――

 

 

 

【ファイアー】

 

 

 

――ちいさな、本当に小さな、束ねられた藁に火を付けるのがやっとのぐらいの大きさの、炎とさえ呼べないちっぽけ過ぎる火の球が放たれた。

 

 

しかし、勢いよく射出された球は暖炉にくべられた薪にも火をつけることは適わず、薪の乾燥した表面に弾かれて、火の球は消えてしまった。効果は薪の表面から少しだけ煙が出たが、それだけだ。

 

 

「ぅん……」

 

 

最下級の術とはいえ慣れない魔術を行使した疲れを少しだけ宿した眼を開けると、じっと見ているイデアの視線に気がついたのか顔を弟のほうに向ける。

そのまま首を少しだけ、斜めにゆったりとした動作で傾けてその美しい眼にイデアを捉えた。

 

 

「どうしたの?」

 

 

「いや……あ~……」

 

 

ただ、何気なく見てただけとは気恥ずかしくて言えない。ましてはあの光景に見惚れてたなどそれこそ口が裂けても言える分けがない。

何とか元の世界の頃から、お世辞にも余り優秀とは言えない平凡な頭脳を全速力で回転させて言葉を選ぶ。

 

 

「ね、姉さんはどういうふうに魔術を、つかったの!?」

 

 

 

そして咄嗟に出て来た言葉がこれだ。

 

 

両手と両耳を大きく飛竜の翼のように上下にばたつかせながら半ば叫んで言うイデアの姿は第三者から見ればとても微笑ましく映るだろう。

だが当の本人、いや、本竜はこれ以上ないほどの捻りがない言葉に自身の無学を恨み、自分を殴りたいと思っていたが。

 

 

しかし弟の内心がそんなものとは露知らない彼の姉は細い指を顎に当ててイデアに答えるべく頭を動かす。

ある意味ではイデアの誤魔化すという目的は達成されていた。

 

 

「こう、ながれてきて、ぽんっ! みたいかな?」

 

 

「ぽ、ぽんっ?」

 

 

「うん。ぽんっだよ」

 

 

忙しなく華奢な手を先ほどの自分のように動かしてその感覚を説明するイドゥンにイデアが聞き返す。

いや、言葉の中の流れてくるものというのは力の流れの事だというのは何となく分かったが、それに続くポンっという擬音がどうしても理解できなかった。

 

 

イドゥンの、姉の説明を頭で理解しようとしたが……。

 

 

「やーめたっ!」

 

とりあえず難しく考えるのを放棄した。要は竜化の時と同じ感覚で理解するものだと自身に言い聞かせる。

自転車と同じで何度も諦めずに続けていれば慣れてくるだろうと楽観的に考える事にイデアはした。

 

 

「……」

 

そんなころころと表情を変える弟を不思議そうにみていたイドゥンだったが……。

何を思ったのか、今座っている大人用の足がつかない椅子から飛び降りると、そのまますぐ隣のもう1つのイデアが座っている椅子に歩み寄り。

 

 

金色の光を宿した手を一振りした。光が宙で固まり擬似的な竜石となる。

 

 

「えいっ」

 

 

空中に自分の金色のエーギルを固めて足場を作ると、それを足がかりに弟の椅子に飛び乗る。その衝撃で頑丈なつくりの椅子が少しだけ揺れた。

 

 

「ね、姉さん?!」

 

 

余りにも突飛な姉の行動にイデアが驚きの声を出す。

だが、彼の姉はそんな事は関係ないと言わんばかりにイデアに擦り寄る。

 

 

元々、ナーガ程度の体格の大人が座ってもスペースに結構余裕がある椅子なので、子供二人で座っても特に動きづらくなどはない。

 

 

イデアが身体を捻り、隣に当然のように座っているイドゥンを見る。そこに居て、確かな温もりを伝えてくるイドゥンは嬉しそうに、心の底から太陽の様に笑っていた。

それを見ていたら何故かイデアも腹のそこから笑いたいという欲求がこみ上げて来た。

 

 

 

おかしい事なんて1つもないのに、何故か面白くてたまらなかった。

いや、厳密には少し違うか。これは面白いから笑うのではなく。嬉しいから笑うのだ。

 

 

そう、こうして二人でいれるのが嬉しいからだ。幸せだからだ。

だから笑う。

 

 

 

ひとしきり小さくクスクスと似た声で笑い合うと、イデアは口を動かし、今度は意味のある言葉を出した。今なら今まで気になっていた事を聞けると思ったからだ。

 

 

「ねえ、姉さん。すこしきいていいかな?」

 

 

「なぁに?」

 

 

イドゥンが何でも聞けと! と、言わんばかりにそのまだまだ発達していない平らな胸を張り、答える。

そんな姉に少しだけ前の世界で言われていた「萌え」なるものを感じながらイデアが言う。

 

 

「姉さんは魔術のちからを手に入れたら、そのちからで何をしたい?」

 

 

予想外な質問にイデアの姉がほんの少しだけ固まった。てっきりあの魔道の入門書に書かれている事に対しての質問が来ると思っていた彼女には

この質問は本当に予想外だった。

 

 

実は彼女、少しだけだが寝る時間も削ってあの本の中身を完全に暗記しているのだ。

……最も、イデアも何とかあの本を暗記していることをイドゥンはまだ知らないが。

 

 

だが、予想外ではあったが、決して難しい質問ではなかった為イドゥンは答えられた。要は自分が手に入れた力の振るい方を答えればいいのだから。

 

 

彼女は力の振るい方などという哲学染みた小難しい事を理解できる程、成熟などしていないので心のあるがままに答えた。

 

 

「なにもしないよ」

 

 

「え?」

 

 

イデアが驚きとは少し違う、ぽかーんとした顔になった。そんな彼にイドゥンは続ける。

 

 

「だって、イデアやお父さんと一緒に入られれば、わたしは満足だもん」

 

 

つまり、彼女は、イドゥンは、家族と一緒に居られればそれでいい、と、いうことだ。力を使って何かを手に入れたいとは思わない、それが彼女の答えだった。

 

 

「イデアは?」

 

 

今度は逆にイドゥンがイデアに問う。力を手に入れたらその力で何をするのかと。

少しだけう~と唸って考えてたイデアだったが、やがて口を動かし答えた。

 

 

「とりあえず、自分と姉さんを守るぐらいかな?」

 

 

「父」であるナーガは庇護の対象には入れない。あれは守るとかそういう次元の存在ではないからだ。むしろ相手が飛竜の大群だろうと、いつか見た竜の大群だろうと

眉ひとつ動かさない無表情のまま次々と敵対するものを容赦なく八つ裂きにしていく様子がイデアにはまざまざとイメージできた。そんな男を守れる筈がない。

 

 

「じゃ、私もイデアを守りたいなぁ……」

 

 

「いやいや、それは……」

 

 

笑いながらそれは男として色々と面子の問題が、と、言おうとしたイデアだったが……、不意に聞こえてきた音に言葉を止めた。

イドゥンもイデアの裾を握ったまま音が聞こえてくる方向――窓に眼を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

             それは「音」ではなく「音楽」数ヶ月前に一度聴いたあの春の陽気を表した様な音色。イデアが飛べる様になったら奏者に会いに行こうと交わした約束。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きたね」

 

 

「うん」

 

 

手短にそれだけを言うと、双子が椅子から降りて窓に向かって駆け寄っていく。大きな装飾の入った窓を手で開けてバルコニーに出る。

太陽はまだ高く昇っており、今日もベルン地方をその暖かい光で照らしている。

 

 

窓を閉める前にイドゥンがその手に厚いローブを2つ招きよせる。今は前回の夜とは違い、昼前とはいえ上空では寒いかもしれないからだ。

 

 

「はい」

 

 

紫と白のローブの内、白い方をイデアに渡す。

 

 

「ありがとう」

 

 

弟の感謝に笑顔で答える。そして自分は残った紫色のローブを羽織る。予想していたとはいえ、やはり少しだけ暑かった。

 

 

 

「うわぁ……」

 

 

イデアがバルコニーからの眺めに心底驚嘆した声を出した。

雲ひとつない今日は地平線の先までベルン地方の山々がはっきりと見えて、姉弟の部屋から望める景色は正にこの世に並ぶものなき絶景としか表せなかった。

 

 

もしかするとナーガがこの部屋を姉弟に与えたのはこの景色を見せたかったからかも知れない。

ずっと先に小さく空に見える点は多分飛竜だろう。

 

 

「この、上からだね」

 

 

イドゥンが音楽が聞こえてくる遥か高みを見上げながら言う。正に断崖絶壁なその城壁の傾斜にイデアが吸い込まれる様な錯覚を覚えた。

しかし、今からそこを飛んで昇るのだ。そう思うと少しだけの恐怖感がイデアを侵食する。

 

 

 

音色が変わった。今度は春の陽気から一転して冬の氷を思わせる音色に。

 

 

イドゥンが懐から金色の竜石を取り出す。そしてそこから自身の竜としての巨大な力の一部を引き出す。

光が一瞬だけ周囲を包むと彼女の背には二対四翼のまだまだ未発達とはいえ、立派な竜の翼があった。ローブから顔を覗かせたそれがパタパタと上下に動く。

 

 

「ほら? イデアも……」

 

 

イドゥンがイデアに翼を出すように言う。

 

 

「う、、、ん」

 

 

イデアが躊躇いがちな声を出す。正直な話、出来るとは思っているが、あくまでも思うだけなのでもしかしたら失敗するかも知れない事を彼は恐れていた。

だが、そんな彼の心配を彼の姉はいとも簡単に吹き飛ばす。

 

 

「ほら、いこ?」

 

 

イデアの両手を握りしめ、笑いかける。それだけでイデアの不安は消し飛んだ。

そうだ、自分は姉さんと一緒に奏者に会うんだ、こんな所でチンタラやってる暇はないと。

 

 

イデアが力強く頷き、竜石を取り出す。そして竜の姿に戻った時の独特な感覚を思い出しつつ力を引き出していく。

 

 

 

 

 

 

光が、エーギルが、はじけた。

そして辺りに撒き散らされた光がイデアの、主の背中に集まり翼の形状をとる。

 

 

最後に光が固まり、固体となる。

 

 

 

それだけ、たったそれだけでイデアの背には四枚の彼の姉と同じ形状の翼が誕生した。

 

 

 

「あれ?」

 

 

余りにも予想外れの呆気なさにイデアが小さく首をかしげた。

しかし背中に新たに生まれた4つの感覚は翼の展開に無事成功したことを伝えてきていた。

 

 

試しに動けという「意思」を送ってみる。ちゃんと四枚の翼はイデアの脳が命じた通りに動いた。

 

 

「きれいだよ」

 

 

姉がイデアの翼をまじまじと見つめながら何処か興奮した声音で言う。彼女も弟がまた一歩成長した事が嬉しいのだ。もしかすると当の本人以上に喜んでいるのかも知れない。

 

 

 

「あの、姉さん……手、握ったままでいい?」

 

 

その本人、イデアが遠慮がちに姉にお願いをする。竜の姿ではなく人の姿での飛行は初めてだから色々と怖いのだ。何故ならば、落ちたら即死の可能性が竜の姿の時より遥かに高いからだ。

そんなイデアに彼の姉は万人が見惚れる笑みで「いいよ」と返した。

 

 

「絶対に離さないでよ?」

 

 

二人で並び、音色を響かせてくる殿の山肌の様な絶壁を見上げる。少しだけ緊張でイデアの声が震えた。

 

 

「うん」

 

 

双子が僅かな誤差も無く、全く同じタイミングで、全く同じ形状の翼を羽ばたかせる。

2、3回慣れるように小さく翼を動かすと、翼が羽を最大にまで広げて地を打つ。

 

 

1回

 

 

2回

 

 

そして3回めの力強い羽ばたき。

 

 

フワリと、二人の身体が宙に浮き上がった。そのままグングンと高度を上げていく。

少しづづだが、確実に上昇を続け、風に乗って飛んでくる音色を頼りに奏者の元に近づいていく。

 

 

途中何度かイデアが風に煽られるなどしてバランスを崩したが、それらは全てイドゥンが支えて、事なきを得た。

 

 

どんどん二人のいたバルコニーが小さくなっていく。

 

 

そして、遂に、奏者がいるバルコニーまでついた。奏者がいるのは間違いなかった。何故ならば直ぐそこから音楽が聞こえてくるからだ。

今なら、この音楽がどんな楽器から産み出されているかもはっきりと分かった。

 

 

 

独特な、柔らかい音色。金管楽器では無理な優しい音色。木製の楽器。

恐らくは笛か何かだろう。イデアはそう思った。

 

 

 

 

「姉、さん……見てみる?」

 

 

「う……ん」

 

 

二人が恐る恐る、手すりに手を伸ばして、身体を乗り出して、顔を覗かせる。

ごくりと、二人のどちらかが生唾を飲み込んだ。

 

 

そこに奏者はいた。イデアの予想通り木製の横笛を吹き鳴らしながら。蒼い髪の女性だった。

バルコニーに置いた木製の黒い椅子に座り、笛を口元にあてて、鳴らしている。

 

 

 

イドゥンが女性の口から音をだしている物体(笛)に興味の視線を向ける。

 

 

だが、イデアは笛よりもその奏者を観察していた。そう、彼の「父」であるナーガのように。

 

 

イデアの眼を惹いたのは、その、人間離れした美しさと女性の纏っているオーラとでも言うべきものだ。

ナーガと同じようなゆったりと身体を覆う白いローブに包まれても分かる豊満な肉体、深海の澄み切った水を連想させる腰まである長髪。

 

 

白く健康的な肌。眼は今は閉じられているが、遠目でも分かる優しそうなまなじり。そして何より纏っている「母性」とでも言うべきオーラにイデアは強く惹かれ、魅力された。

 

 

少なくともイデアはこれほどまでに美しい女性はイドゥンを除けば見た事がなかった。いや、まだまだ子供のイドゥンではこの女性の美しさには勝てないだろう。

 

 

 

ぼーと双子が女性を観察している内に曲が終わり、女性が瞼を開け、その特徴的な赤い眼で世界を見る。

そして、視線を感じたのか、首を上げて、バルコニーの手すりに掴まり浮遊している双子を見た。

 

 

 

イドゥンとイデアの視線が女性の視線と交差する。そのまま3秒間三人は時間が止まったかの如く硬直した。

女性が何とか眼だけを動かし二人の背の翼を見る。金色の翼……神竜族の翼を。

 

 

「え? ええええぇぇぇ?」

 

 

女性の、戸惑いの声が辺りに虚しく響き渡り、その声は山彦で何重にも反射された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「情けない姿をお見せしてしまい、誠に申し訳ありません……」

 

 

 

 

唐突だが、イデアは酷く困惑していた。眼の前の光景にだ。

幻想的な音色に強く惹かれて、その音色を奏でている奏者に一目会いたいと想い、姉と共に空を飛び奏者の下に向かい、無事に奏者である美しい女性に会うことには成功した。

 

 

 

 

ここまではいい。予想通りだ。何も問題はない。その次に自分達二人を見た女性が驚き、悲鳴とも取れる絶叫を上げたが、これも特に驚く事ではない。

……だって、視線を感じて瞼を開けてみたら、視界に映ったのが宙に浮く子供だったら驚くだろう? 少なくとも卒倒する自信がイデアにはあった。

 

 

 

イデアはそう考えていた。

 

 

だが、真実は少しだけイデアの思っていた物とは違う。

 

 

 

 

本当は女性が驚いた理由は二人が神竜族だったからなのだ。だが、その事をイドゥンとイデアは知る由もなかった。自分達が竜族の間でどのような存在なのか姉弟はまだ自覚してはいない。

女性からしてみれば、眼の前にいきなり人間で言う所の王族、それも第一王子と第一王女が居たことになるのだ。その衝撃は推して知るべきである。

 

 

 

そして、衝撃から何とか立ち直った女性が次に取った行動にイデアは大いに困惑することになる。

反動で椅子が倒れるほど激しく慌てて立ち上がり、少しだけ乱れていたローブを急いで正すと、足早に手すりの奥にいる、姉弟の前に歩み寄り深く頭を下げた。

 

 

 

 

まるで二人の臣下であるかの様に。

 

 

 

 

 

そして、冒頭の言葉につながる。

 

 

 

「え、え~~っと……」

 

 

 

イデアがどうすればいいのか分からず、困った声を出す。前の世界も含めて今まで誰かに頭を下げられた事なんてない彼には、どう対応すればいいのか何て皆目見当もつかなかった。

しかも、初めて自分に頭を下げたのが絶世という言葉が陳腐に思える程の美女なのだ、この状況を如何すればいいのかなんて分かる訳がない。

 

 

 

と、そこで彼の姉が行動を起こした。繋いでいたイデアの手をやんわりと解くと、手すりを飛んで乗り越えバルコニーの敷地内に入る。同時に四枚の翼を消す。

そして女性の前に行くと、弟から習った初対面の人にまず行う「お辞儀」をして声を掛けた。

 

 

 

「はじめまして、わたしはイドゥン。おねえさんの名前は?」

 

 

 

女性がその赤い眼にイデア以上の困惑を宿し、顔を上げた。その顔には今言われた事の意味がよく分からないという戸惑いの感情があった。

 

 

 

「…………」

 

 

 

少しの間女性は呆気に取られて、イドゥンを見ていたが……、数瞬の間を使って、持ち直すと口を開いた。但し、吐き出された声は少しだけ震えていたが。

 

 

 

「わ、私は、イリアのエイナールと言います……」

 

 

 

「よろしくね エイナールさん!」

 

 

 

イドゥンが弟に教わった他人とのコミュニケーション術のひとつである「握手」をすべく右手を伸ばす。

エイナールが伸ばされたその手と自分の手を交互に数回みて、更に困った顔を浮かべる。

 

 

 

しかし上の者が握手を求めているのに、下の存在である自分がそれに応じない訳にはいかない。

 

 

 

 

更に数秒悩んだ彼女は、緊張でガクガク震える腕を何とか気合で動かし、イドゥンの手を握った。自分の主の娘の手を、だ。

 

 

 

「よ、よろしくお願いします……」

 

 

 

2、3秒、がっちりと手を握り合うと、離す。

 

 

 

イドゥンとエイナールのやり取り……いや、正確にはエイナールを、彼女を食い入るように見ていたイデアが動いた。

翼を小さく動かすと、手すりを飛び越えバルコニーの石畳の上に降り立つ。そして姉と同じように翼を収納する。

 

 

 

小さな歩幅でエイナールの近くまで歩み寄ると

 

 

 

「イデアといいます。よろしくお願いします」

 

 

 

挨拶をしてペコリと頭を下げた。エイナールの動きがほんの少しだけだが、完全に停止した。くどい様だが、この姉弟は人で言う所の王族である。

そしてイデアはこの世界での「頭を下げる」という行為の重要性をまだあまり理解してはいなかった。

 

 

 

「よ、よろしくおねが、、、い、、します……?」

 

 

 

最後が疑問系な口調になったのは彼女の内心の表れだろう。つまり、パニック状態だ。

エイナールが胸にそれとなく手をあてて、姉弟に気がつかれない様に注意して何度か深呼吸をする。混乱しきっていた頭が少しだけ正常になった。

 

 

 

しかし、まだどちらかというと混乱気味だ。

 

 

 

先ずは何でここにこの二人がいるのかを聞かねばなるまい。エイナールは膝を折り、目線を二人に合わせ、口を開いた。

 

 

 

「あの、よろしいでしょうか?」

 

 

 

「なぁに? エイナールさん?」

 

 

 

イドゥンが首を傾げてクエスチョンマークを出す。何? と、全身で聞いてくるその様子はとても可愛らしくエイナールには見えた。

 

 

 

「どうして……このような所に?」

 

 

 

彼女の質問には弟のイデアが答えた。まだ産まれて1年もたっていないのに、目上の人に接する大人みたいな態度でだ。

だが、エイナールはイデアの頬がほんの僅かだけ普段より赤みを帯びていた事に気がつかなかった。

 

 

 

「笛の、音に惹かれてきました」

 

 

「あ……」

 

 

エイナールがしまったと言わんばかりに声をだす。まさか姉弟の部屋まで音が届くとは思わなかったのだ。

 

 

 

「ふ、不愉快でしたか?」

 

 

 

恐る恐るエイナールが訪ねると……姉弟が違うと首を横に大きく振る。

 

 

 

そして全く同時にズイ、と、身を乗り出しエイナールに顔を近づけた。

 

 

 

「「すごかった!!」」

 

 

 

姉弟が声を合わせ、憧れと好奇心に眼を、太陽の光を反射させている氷の様に輝かせながら、同じ言葉を発する。

 

 

 

その小動物を思わせる姉弟の様子が余りにも可愛らしく微笑ましかった為……。

 

 

 

「……ん……」

 

 

 

思わずエイナールは笑っていた。手を口元に当てて上品にクスクスと美しく笑う。

さっきまでの緊張が自分の身体から抜けていくのが彼女には分かった。

 

 

 

ふぅ、と、今度はさっきよりも穏やかに小さく息を吐き、精神を落ち着かせ、心を完全に平常に戻す。

 

 

 

完全に普段の状態に戻ったエイナールが二人に視線を戻すと、姉弟はまだ彼女を見ていた。竜族の中でも特徴的な紅と蒼の眼が無邪気に輝いていて、とても美しい。

 

 

 

「あの音はどうやって出すの?」

 

 

 

イドゥンが興味深々に訪ねる。まだまだ幼く、ナーガとイデアに教えられた事意外はほとんど知らない彼女は、あの音を出す物体の正体を一刻も早く知りたかった。

 

 

 

「あ、はい。あの音を出していたのはですねぇ……」

 

 

 

ゴソゴソと純白の長衣の懐に手を差し入れ、先ほどそこに放り込んだ笛を探して、取り出す。

 

 

 

「おお~~」

 

 

 

イドゥンが取り出された木製の横笛を見て喜びと好奇心の混じった声を出す。

 

 

 

「えっ、と」

 

 

 

さっきは気が動転していて乱暴に懐に放り込んだため、そのせいで傷などがついてないか心配なのでグルッと一通り回して見る。

 

 

「よかったぁ……」

 

 

傷1つ付いてない事を確認するとエイナールは安堵の息を漏らした。そのまま笛を愛おしそうに優しく、さするように撫でる。

 

 

 

「大切な物なんですね」

 

 

イデアがエイナールの仕草に見惚れながら、言う。

エイナールが頷き、小さな子供がするような無邪気な微笑をその端正な顔に浮かべて答えた。

 

 

 

「はい。すごく、すごく、思い入れがあるものなんです……」

 

 

 

間違いなく万人を魅力する笑みで笛を撫でるエイナールは酷く艶やかだった。少なくともイデアの視線を釘付けにするほどには。

 

 

 

「あの、イデア様? よろしいでしょうか?」

 

 

 

「な、何ですか? エイナールさん」

 

 

 

笛を撫でるのを止めたエイナールに突然自分の名を呼ばれ、エイナールに見入っていたイデアが慌てて答える。

 

 

 

「私に敬語は不要です。エイナールと呼び捨てにしてください」

 

 

「なんで?」

 

 

イドゥンが眼を瞬かせながらイデアの疑問を代弁した。

エイナールが優しげな、しかし凛とした、確たる意思を宿した赤い眼で双子の色違いの眼を真正面から見る。

 

 

 

声を少し低くして、まるで母が子に言い聞かせるように姉弟に語りかける。

 

 

 

 

「御二方は神竜族、我ら竜族の頂点に君臨する者。その様な方が私のような一氷竜に気を使う必要など御座いません」

 

 

 

「「……」」

 

 

 

姉弟がエイナールの言葉の意味が分からないと言わんばかりに沈黙する。

びゅうっと一陣の生暖かい風が吹き、姉弟のローブとエイナールの蒼い長髪を揺らした。美しい髪に隠されていた彼女の耳はやはり長かった。

 

 

 

重々しい空気がバルコニーを完全に支配する。

 

 

と。

 

 

エイナールが破顔し、正しく氷の竜に相応しい凛とした顔が、実の子を見守る母親のような優しげな顔になる。

そして何とか二人でも理解できそうな言葉を脳内で検索する。

 

 

 

そして出て来た言葉が――

 

 

 

「つまりは、気さくに接してくださいという事です」

 

 

 

「「分かった!」」

 

 

 

イドゥンが笑顔で、イデアが少し納得いかない顔で頷く。

 

 

「ねぇ、エイナール……神竜って、そんなに凄いの?」

 

 

「さん」と続けそうになるのを意識的に押さえ込み、イデアがまだナーガからも詳しく学んでないことを問う。

【神竜】という種族なだけでここまで他に尊重される理由がイデアにはよく分からなかった。

 

 

 

 

「神竜族は文字通り、我ら竜族にとっての【神】といえます。

 神竜はその力で竜族を守り育み、知識と知恵で導く。

 神竜と言うのはそんな存在なんです」

 

 

 

 

本来は【エーギル】の量と質やら、神竜だけの能力やら、竜族の歴史などの深い部分もあるのだが

そういった小難しい部分はいずれ彼らの父が教える事になるので極力排除して、今は子供でも分かりやすく噛み砕いてエイナールは教える。

 

 

 

「……」

 

 

 

イデアが無言で首を緩慢に上下に動かす。

言われた意味は何となく分かるが、火の玉1つ出すのに四苦八苦している自分が、彼女にそこまで言われるほど強大な存在だとは到底思えなかった。

 

 

 

それに何より思った事が―――

 

 

(宗教、なのかな……?)

 

 

実際、竜族が神竜に向ける想いと信頼は人が神に向ける物と寸分も違わないのだが、何かを信仰した事など今までで一度もないイデアにはよく分からなかった。

イデアの前の世界の宗教と違う点と言えば、神がその場に形を持って居ると言う事と、その神が責任を負う事もあるという事ぐらいか。

 

 

 

(ま、今考えても意味なんてないか)

 

 

 

どうせ長く生きれば詳しく知る機会もあるだろと思い、今の所は「強大な存在だから他者に頼られる」と自己完結する。

 

 

 

そして同時に自分がそんな大勢に信仰される様な存在に成るなんて無理だなと、

イデアは胸の中で思った。

 

 

 

 

「エイナール、あのきれいな音はどうやって出すの?」

 

 

少しだけ欝に陥りかけたイデアの思考を無邪気な姉の声が強引に現実に引き戻す。見れば、イドゥンがエイナールに「笛」について聞いていた。

 

 

「それは、こうして、ですね……」

 

 

エイナールが「失礼」とイドゥンに断りを入れて、立ち上がり笛を唇の少しだけ下に当てる。その細く白い指で、細長い横笛の表面にある穴を塞ぐ。瞼を降ろし、集中する。

 

 

 

先ずは基本的な音階。ドレミファソラシドに近い音を出す。そして次はその逆にドシラソファミレドと音階を落としていく。

その次はランダムに低いドから高いドまでの音を吹き鳴らす。

 

 

 

同じ音でも強弱をという表情を付け、決して聞きなれさせない。

轟々と濁流のように激しく、サラサラと湧き水のように優しく、音程を変え、様々な音色を横笛一本で生み出していく。

 

 

 

 

 

既にそれが1つの名だたる曲として成立してしまいそうな程にエイナールの奏でる音色は美しく洗練されていた。

 

 

 

「すごいなぁ……」

 

 

 

イドゥンが感嘆の声を出す。イデアも同じ気持ちだった。音楽に詳しくないイデアも、エイナールは非凡な奏者なのだと分かった。

 

 

一通り演奏を終えたエイナールが笛を口元から離す。そして瞼を開けて、集中を解く。

 

 

 

「どうでしょうか?」

 

 

 

そして自らの技を二人に誇るように無邪気に笑う。しかし、彼女の言葉に答えたのはイドゥンでもイデアでもなく、全くの第三者だった。

 

 

 

 

 

 

 

「見事だ」

 

 

 

 

喜怒哀楽と言う物が全く含まれていないのに、不思議なほどよく通る声がバルコニーに響いた。

三人が声の主の方を見る。

 

 

 

 

 

姉弟の「父」ナーガが手すりの外側――――足場などない宙に翼も出さずに立っていた。そして相も変わらず、何も感情を読めない眼で三人を見ている。

 

 

 

ナーガの姿に気がついたエイナールが静かにその場で自身らの主に平伏す。

 

 

 

「面を上げよ」

 

 

宙を滑るようにナーガがエイナール達に近づく。

人が歩くとき特有の肩の上下の動きが全く無い、その朧気な動きはナーガの無表情な顔と希薄な気配も合わさってイデアには亡霊が自分達に近づいてくる様に見えた。

 

 

 

ここにナーガが現れた事に関してはイデアは特に疑問には思わなかった。何故ならばこの男ならばどんな所に現れても不思議ではないと思っていたからだ。

 

 

 

「子らが世話になった」

 

 

 

それだけをエイナールに言うと、次は視線を姉弟に移し

 

 

 

「昼食の時間だ。続きは後にせよ」

 

 

 

二人に手招きをする。イドゥンが翼を出現させると大好きな「父」に文字通り飛び込んだ。父の手を取り、甘えるように笑う。

ナーガがイドゥンの背に現れた四枚の竜の翼をみて、その眼をほんの僅かに細めた。

 

 

 

そして探るように自分の娘に聞く。

 

 

 

「もう人の姿のままで飛行できるようになったのか?」

 

 

 

「うん! それにイデアも出来るよ!!」

 

 

 

ナーガが眼を動かし、イデアに向ける。

 

 

 

「出して見せよ」

 

 

 

「う、うん……」

 

 

 

イデアが少しだけ冷や汗で背を濡らしながら頷く。さながらその気分は竜に睨まれた人間と言った所か。

石を取り出し、先ほどと同じ要領で竜の力を操り金色の「翼」を出現させる。

 

 

ナーガが一言も発さずにその翼をしげしげと見極める様に眺める。

 

 

 

「…………」

 

 

 

「ど、どう、かな……?」

 

 

 

「いや、目出度い事だ。だが、飛行するのは快晴で吹く風が弱い時だけにせよ。そして夜間の飛行は許可せん」

 

 

少しだけの圧力を込めた声で注意する。二人がナーガの怒気ともいえる物を敏感に感じ取り必死に首を縦に振る。

落ちたら即死なのだ。これぐらいの釘は必要だろう。念の為、後で二人の部屋のバルコニーの下方一帯に投網の様な形状の結界をナーガは張って置く事にした。

 

 

 

ぐ~~。

 

 

 

「父」の言葉が終わると同時に、間抜けな空腹を知らせるあの音がイドゥンとイデアの腹から同時に響いた。

何処までも共鳴している姉弟にナーガがやれやれと溜め息を吐いた。

 

 

 

お前もこっちに来いとイデアに手招きし。自分の前に立たせる。

 

 

 

「ではな、エイナール。また暇を持て余した時にでも二人の相手をしてやってくれ」

 

 

 

「またね、エイナール! また笛で呼んでね」

 

 

二人が一先ずの別れの挨拶をし、イデアも無言ながら少し青い顔のまま笑顔で手を振る。

そして神竜の父子は自らの部屋に帰っていった。

 

 

 

 

その光景を見てエイナールがクスクスと上品に笑う。余りにもあの三人が、

強いてはイドゥンと自身の主が幸せそうだったから、何だか自分も胸の辺りがポカポカしてきたから笑った。

 

 

 

そして、また快晴の日にでも笛を吹いて、あの神竜の姉弟と楽しい時間を共にしたいと思った。

 

 

 

エイナールの趣味である笛の演奏に、もう1つの楽しみが追加されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飛竜も寝静まる月と星だけが煌々と輝く深夜、愛用の横笛の手入れを行っていたエイナールは自室の扉に近づく1つの気配を感じて顔を上げた。

こんな時間に誰かな? と思い、竜族の優れた気配探知能力をそちらに仕向ける。

 

 

 

あの双子の姉弟が近づいてきた時は全神経を音と楽器に集中させるほど演奏に夢中になっていて、二人の接近に気がつく事は出来なかったが

エイナールは、というよりも氷竜全般は、神竜に匹敵するほどの優れた探知力を持ってるのだ。

 

 

 

人で言うところの第6感、神竜を除く様々な竜族の中でも、氷竜族はそれが異常に発達した種とも言えるほどだ。

 

 

 

探知能力が鋭い氷竜や神竜の中には、極まれにある程度確定された未来がはっきりと「見える」という竜もいるそうだが

そんな事が出来る竜をエイナールは知らなかった。全能とも言える成体の神竜でも未来を完全に見通せる存在はほぼいない。

 

 

 

あの最強の神竜ナーガでさえも未来は「予想」することしか出来ない。

 

 

 

 

だが、未来予知の能力が無くともエイナールは気配を読むことに特化した竜であり、その中でもかなり鋭い部類に入る。

そして裏を返せば、その探知能力がその剣よりも鋭い効力を全くと言って発揮しなくなるほど、エイナールは本気で演奏を行っているという事になる。

 

 

 

 

話を戻そう。

 

 

 

エイナールはほんの数秒だけ意識を接近してくる気配に向けていたが直ぐにそれを霧散させる。誰が近づいて来ているのかが特定できたからだ。

自分の氷という属性とは正反対――この炎の様なエーギルの持ち主は自身の友だから。

 

 

 

石造りの廊下を、足音どころかありとあらゆる物音1つ立てずその「友」は移動する。そしてエイナールの部屋の前に来ると、ピタリとその動きを止めた。

まるでエイナールが気がついて声を掛けてくれるのを待っているかの様に。

 

 

 

 

フフフと、小さくエイナールは愉快だと言わんばかりに笑みを零すと、扉に向かって―――正確にはその向こう側にいるであろう「親友」にお望み通り悪戯っぽく声を掛けた。

 

 

 

「入ってもいいですよぉ? アンナ」

 

 

ビシリと名前を当てられた扉の向こう側の「友」は少しの間固まった後、諦めた様に扉を開けて部屋に入ってきた。

入室した「友」一目で“紅”を連想させる女性――火竜族のアンナは苦笑いを浮かべながら、後ろ手で扉を閉めて、自分とは正反対の種族である氷竜エイナールに声を掛ける。

 

 

 

「やっぱり、分かっちゃうのね……」

 

 

肩を竦めて言うアンナにエイナールが少しだけ意地の悪い笑顔でにこやかに答えた。

 

 

 

「えぇ、それはもう、手に取るように」

 

 

アンナが小さく溜め息を吐く。気配を完全に絶つ等つ事を始めとした「そちらの方面」の自分の能力に少なからず自身がある彼女には少し耳が痛い言葉だった。

だが誤解してはいけない。決してアンナの能力が低い訳ではないのだ。むしろその逆、アンナのそういった能力は達人並と言っても過言ではない。

 

 

 

ただ、エイナールの――しいては氷竜の気配探知能力が鋭すぎる。ただそれだけだ。

 

 

 

「笛を吹いてる時なら楽なのに」

 

 

 

アンナが薄ら笑いを口に浮かべ、炎の様な紅い眼でエイナールの手元の笛を見つめて言う。

演奏中のエイナールは全ての集中力を笛にまわしており(自分の世界に入ってるとも言える)無防備なのだ。

 

 

 

 

「笛の演奏は私の数少ない特技の一つですから」

 

 

 

優しく手元の笛を布で撫でてから、布で柔らかく包み込み、机の上の置き場に安置する。

 

 

 

「一杯いかがかしら?」

 

 

どこから取り出したのか、何時の間にか肩に掲げた樽を親友に示してアンナは言った。

樽から少しだけ漏れ出ているワイン特有の独特の葡萄の甘い香りを感じた氷竜は自分の小腹が空くのを敏感に感じた。

 

 

 

「ええ。喜んで」

 

 

 

席から立ち上がりアンナの座る椅子を用意しつつエイナールはそう言うと、ワインを割るための水と氷、そして焼き菓子を用意しにかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、何か話でもあるのですか?」

 

 

赤とも紫とも見えるワインの入った銀色の杯を小さく揺らしながら、エイナールが言う。

 

 

「ええ、その為に来たんだもの」

 

 

そう答えるアンナの顔は何処か暗い。エイナールはこんなアンナの表情は久しぶりに見た。

 

 

「どうしたの?」

 

 

返事の変わりにアンナは一枚の丸められた羊皮紙を懐から取り出し、エイナールに差し出した。

エイナールがそれを受け取り、広げて中身に眼を通す。

 

 

「これって……」

 

 

 

少し読み進めたエイナールの表情が険しくなり、その紅い眼が爛々と怪しい輝きを宿す。

 

 

 

「最終的に完成するのは10年程先になるでしょうが、それまでに【残る】か【行く】か決めておくのね」

 

 

 

エイナールの顔の険が深くなった。残された時間が余りにも少ない。

 

 

 

10年と言う年月は長い様で案外短い。特に人と違い寿命等無いに等しい竜にとってはあっという間だ。

エイナールが羊皮紙を丸めてアンナに返す。

 

 

 

「まだ……正直な話、私には決められませんね……」

 

 

 

その瞳は少しだけ揺れていた。揺れの中にあるのは故郷に対する強い想い。

 

 

 

「……そう」

 

 

アンナが何処か無理して作ったと思わせる笑みを浮かべて、羊皮紙を受け取り

 

 

「失礼するわね」

 

 

 

“ボッ”

 

 

 

紙が彼女の手から消えた。いや、正確に言うと燃えているという過程が見えない程の速度で燃え尽きた。

残った灰も更に竜の火に焼かれて極小の火の粉になって宙に飲み込まれる様に消えていく。

 

 

 

エイナールがパラパラと消えていく火の粉を遠い物を見るような眼で見ながら、ちびりと杯に口を付けて、ワインを少しだけ飲む。

甘いような酸っぱいような何とも言えない味がした。心なしか、いつも飲んでいる物より味が濃い気がする。

 

 

 

しかし少しだけ胸の中のモヤモヤが晴れた気がした。

 

 

 

「早いうちに決めなさい」

 

 

気楽な、しかし何処か強い口調でそう言うと、アンナも用意された自分の杯に手を伸ばして、優雅にワインを飲み干す。

そして次に小皿に盛られた焼き菓子を指で掴み、食す。凄く、甘い。

 

 

 

「まぁ、暗い話は部屋の隅にでも置いといて……今はこの時間を楽しみましょ」

 

 

 

アンナが大丈夫と慰めるように、満面の笑みを浮かべる。あの神竜の姉弟の笑み程の効果はないが、それでもエイナールは胸が少しだけ軽くなった気がした。

グイッと杯を傾け、中身を一気に飲み干す。

 

 

「何か、近況で変わった事とかありますの?」

 

 

 

エイナールと自分の杯に新しいワインを注ぎながら、純粋な好奇心でアンナが訊ねる。そして自分の杯をエイナールの方に近づける。

 

 

 

エイナールの脳裏に浮かんだのは今日出会ったあの神竜の姉弟。しかし、幼い子供に気付かれずに接近されたなんて言う気にはなれなかったので違う話題を

記憶から検索する。暫く検索すると1つだけあった。

 

 

 

「そう言えば、面白い人間がいたんですよ」

 

 

 

差し出された杯にエイナールが少しだけ竜の「力」を込めてフッと息を軽く吹きかける、それだけで杯の中身のワインが程よく冷やされた。

 

 

 

「面白い人間?」

 

 

 

アンナが冷やされた杯を傾けて中身を飲む。外見を平常に保ち、内心をなるべく外には出さない様にしながら。

彼女の頭の中には面白い人間と聞いて見ているだけで不愉快に、そして不安になる「あの男」が浮かんでいたのだ。

 

 

 

 

……もしかして、エイナールに接触したのか?

 

 

 

アンナの脳裏をふと、そんな不安がよぎる。この人間に特別優しい氷竜を騙そうと言うのか? 

もしも、そんな事をしたらナーガが生かしてはおかない。今度こそあの「影」はエレブから完全に消し去られるだろう。

 

 

……最も、アンナにはあの「影」がそこまで愚かとは思えないが、もし、という場合もあるのだ。

 

 

「画家だそうで、私の絵を描いてくれたんです。それが凄く上手なんですよ……」

 

 

嬉しそうに、ある程度語るとワインを飲み、一区切りつける。葡萄が醗酵した液体で喉を潤してから再び口を開く。

 

 

 

「何というか、見ていて凄く穏やかな気持ちになれる絵を描く人でしたねぇ」

 

 

「その人の名前は?」

 

 

ワインがまわって来たのか、エイナールが少し赤くなった顔で考える。

 

 

「え~~、っと、忘れちゃいました」

 

 

 

アンナがハァと溜め息を吐く。

印象に残ってるなら名前ぐらい覚えてやれよと内心思った。

 

 

 

「顔は覚えて?」

 

 

 

「はい。そこまでは忘れませんよ~、濃い緑色の髪の毛の、まだまだ少年でしたね」

 

 

 

「具体的には何歳ぐらいですの?」

 

 

 

「えっと……多分、14~5歳だと思いますよ?」

 

 

 

エイナールが艶やかな赤い顔で、身体を上下左右に揺らしながら答える。そろそろ本格的に酔っ払ってきたらしい。

 

 

 

アンナがほっと胸を撫で下ろす。以前ここを訪ねたアウダモーゼとかいう男はどう見ても14~5歳には見えないからだ。

自分の考えすぎだと分かって安心したのだ。

 

 

アンナが安心していると……。

 

 

どさり

 

 

エイナールが盛大に椅子から落ちた。そのまま絨毯の敷かれた床に倒れて動かない。見るとスゥスゥという寝息と共に肩が上下に動いている。

 

 

 

「……思ったよりも早かったわね……」

 

 

アンナがふぅ、と、息を吐く。この氷竜と長い付き合いの彼女にはエイナールが酒の類に極端に弱いことを知っていた。

それでも合えて、いつも飲んでいる物よりかなり純度の高いワインを持ってきて彼女に飲ませたのだ。

 

 

「今はゆっくり眠りなさいな……」

 

 

 

“あんな事”を知って、更には決断をする様に求められたのだ。

受けたショックは決して小さくないだろう。

今は酒の力でも何でもいいから何も考えずに眠って欲しい。

 

 

 

取りあえず、床に眠っているエイナールを力を使って「持ち上げる」とそのままベットの上に横たわらせ、上に毛布をかける。

アンナがチラリと寝顔を盗み見る。彼女の視界に映ったのはイリア地方の人間達に氷竜様と呼ばれ、崇められているとはとても思えない程、無防備な寝顔だった。

 

 

 

こうなってしまえば、気配探知能力なんて使える訳が無い。

 

 

 

「ふふふ……今度は私の勝ちね?」

 

 

見事騙しきってエイナールを寝かせたアンナはそう呟く。これで気配を悟られた時の借りは返したとばかりに。

何も気配の遮断だけが「そちらの方面」の能力ではないのだ。

 

 

「お休み」

 

 

最後に杯や小皿等を片付けると、アンナはまだ多量のワインの入った樽を持って自室に戻る。勿論部屋に術で外側から鍵を掛けるのを忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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