Tales of Zero【テイルズオブゼロ 無から始まるRPG】   作:フルカラー

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第16話「異彩の創色(そうしょく)」 語り:ゾルク

 人間の腕を模したような、機械の長腕。手術も行えるほどに設備の整った作業台。幾つものランプが点滅する用途不明の装置。輝く文字や記号を浮かべる透き通った板。数々の小さなボタンが敷き詰められた操作盤……。

 真っ黒な壁と天井に囲まれた広い研究室の中に、それらは存在している。

 

 奥では何者かが、たった一人で作業に取り組んでいた。土色の癖毛と漆黒の白衣が印象的な、銀の垂れ目の男だ。

 何が楽しいのか常に口元を三日月のように歪め、時おり奇妙な独り言を発しつつ操作盤を指で叩いている。

 

 しばらくして別の誰かが研究室へと入ってきた。ゆっくりと癖毛の男に歩み寄っていく。

 足音に気付いた彼は、指を止めて振り返った。

 

「これはこれは、総司令ではありませんかぁ」

 

 妙に間延びした語尾である……。総司令と呼ばれた人物は、癖毛の男の独特な語尾など気にしていない。

 

「相変わらず研究に没頭しているようだね、ナスター。ゴウゼルの試作兵器製造施設が一つ、救世主達に壊滅させられたようだけれど……特に問題は生じていないよね?」

 

「ああ、その件ですかぁ。ボクの配下であるアシュトン・アドバーレがミスを犯してしまったようで……。ですがご安心を。ゴウゼルに構えた施設の数は百を超えます。一つや二つ潰されたところで支障はありませぇん」

 

「うんうん。君のことだから、その辺に抜かりはないと思っていたよ。それにしても、予想していたよりもやってくれる救世主だ。先が楽しみでたまらない……! ナスター、君もそう思うだろう?」

 

「ええ。ボクも救世主には期待していますよぉ。グフフフフ」

 

 癖毛の男――ナスターは、総司令と共に意味ありげな笑みを浮かべた。何を企んでいるのか知る由はない。

 不意に総司令が尋ねる。

 

「ところでエンシェントの欠片の捜索は進んでいるかい?」

 

「順調でぇす。芸術の町バレンテータルで、新たな欠片の反応がありましたよぉ」

 

 ナスターは軽快に答えた。しかし。

 

「ただ、一つだけ問題がありまぁす」

 

「ほう。なんだい?」

 

「調査によりますと、その欠片は町中とはいえ少々面倒な場所にありましてぇ……。メリエルを同行させなければ回収できない、と思われまぁす」

 

「バレンテータルにメリエルを、ね……」

 

 ナスターの言葉を聞いた総司令は、何か懸念がある様子。が、それも束の間。結論はすぐに出た。

 

「厄介だが、君が彼女のそばについていれば問題は無いだろう。二人で行ってきてくれるかい?」

 

「もちろんでございまぁす。全ては、総司令の意のままにぃ……」

 

「では、よろしく頼むよ」

 

 爽やかな笑顔を残し、総司令は研究室を去っていく。そしてナスターは、すぐさま準備に取りかかるのだった。

 戦闘組織エグゾアがエンシェントの欠片を求める理由、依然として不明のまま……。

 

 

 

 ‐Tales of Zero‐

 

 第16話「異彩の創色(そうしょく)

 

 

 

 正午にはゴウゼル発の連絡船に乗り、数時間を海上で過ごした。そして、やっとバレンテータルに到着。夕刻も終わりなのだが、海に沈む太陽は曇り空に阻まれて拝めない。

 辺りは暗くなり、港も夜の闇に包まれようとしている。しかしマリナの青ざめた顔は、はっきりと認識できた。

 

「マリナさん、大丈夫ですか? まだ具合が悪いんじゃ……」

 

「ああ……。こうも毎回のように船酔いしていては、身が持たないな……。みんな、迷惑をかけて済まない」

 

 マリナにいつもの覇気は無い。心配するソシアが、彼女の歩行の支えとなっている。

 俺も、俺なりの言葉で気遣った。

 

「酔いやすい体質なら仕方ないよ。それに巨人と戦った時の疲れが残ってるかもしれないし。早く宿屋を見つけて休もう」

 

「ジーレイさん、バレンテータルの宿屋の場所はわかりますか?」

 

「港からそう遠くないところにあるはずです。行きましょう」

 

 ジーレイの言った通り、宿屋にはすぐに到着した。

 手続きを済ませ、割り当てられた部屋へと入っていく。ソシアがマリナをベッドに座らせると、ジーレイが次のように提案した。

 

「マリナの体調のこともありますし、今夜はゆっくり休養しましょう。情報収集は明日からでも問題ないでしょうし」

 

 異論はない。皆も彼に賛成した。その後は夕食をとって解散し、個々に過ごすことに。

 部屋に戻った俺は両手剣や軽鎧の手入れ、その他の道具の確認を済ませた。

 やることがなくなると窓際のベッドに潜り込む。すると、すぐに眠気が襲ってきた。マリナだけでなく俺にも疲れが溜まっていたらしい。

 このまま身を任せて深い眠りにつこう。そう思い、目を閉じようとした。――その時だった。

 

「ん……? なんだろう、あの光」

 

 窓の向こうに見える丘の付近で、闇夜を塗り替えるように何かがふわっと発光し、そして一瞬で消えていった。

 規模は小さかったが、町を照らす街灯よりも遥かに目立つ桃色の光だった。しかも一度ではない。何度も何度も光っては消え、光っては消え。光の色も、その都度に赤であったり青であったり黄色であったりと様々。

 普段の俺ならば好奇心に突き動かされて、不思議な光景の正体を突き止めずにはいられないだろう。

 

「まあいいや……寝よっと……」

 

 しかし、現在は眠くてたまらない。ぼーっとした頭で断続的な発光を眺めつつ夢の世界へと向かい、この光景のことはすっかり忘れてしまうのであった。

 

 

 

 いつも通りの曇り空に迎えられた、次の日の朝。

 マリナの体調も万全となったので、早速エンシェントの欠片の情報収集を開始した。

 

 バレンテータルは、セリアル大陸中の芸術家が集う町である。町全体が庭園のようになっており、整えられた草花が壁や道となって悠然たる態度で人々を見守っている。

 次に目を引くのは水路だ。町の至る所に張り巡らされているので、涼しげな水の流れは麗しいだけでなく癒しの効果ももたらしている。

 ……と、ここまで全てジーレイが教えてくれた。

 

 芸術家が集うというだけあり、音楽家や彫刻家、画家などの美術や芸術に精通した人間がごまんといる。草木の道の所々には有名らしき芸術家の作品が展示されていたり、その場で絵を描いたり音楽を演奏したりしている者もいた。

 さながら、町ではなく一つの広大な美術館のよう。マリナ達は強く関心を示していたが、俺は興味が湧かなかった。……芸術ってなんだか難しそうなんだよなぁ。

 それはさておき、肝心の情報収集は。

 

「ビットの魔力を凌駕するほどの力を持った、エンシェントの欠片? 聞いたことがあるような、ないような……あったかな? ……いや、やっぱりないか……」

 

「欠片ねぇ。ただのビットや石っころなら、腐るほど見てきたんだがなぁ。……時に、黒髪の君。彫刻のモデルになってくれないかい? なにかこう、有機的であり無機的であるというか、すごくそそるものを感じるんだ……! なあ、モデルになってくれよ。いいだろう? なあ……!」

 

「うーん、ごめんなさいね。私にはわからないわ。それはそうと演奏を聴いていってくださらない? ほんの二時間でいいから」

 

 ……まるで成果が無かった。

 途中、マリナは彫刻のモデルをやらされそうになっていたが、本人は断固拒否。

 

「あの彫刻家め……私を見る目が尋常ではなかった……! まるで舐めるように……駄目だ、思い出したくない……!」

 

 筆舌し難い恐怖を感じたらしく、自分の肩を抱くようにして身を震わせていた。あのマリナをここまで怯えさせるなんて、芸術家とはなんと恐ろしい生き物なのだろう。

 迷惑を被ったのは彼女だけではない。無理やり音楽を聴かされそうになった時には皆で声を揃えて断り、逃げるように去った。聞き込みをするたび、ろくな目に遭っていない。

 

「あのう、ジーレイさん……。本当にこの町にエンシェントの欠片があるんですか?」

 

「『期待はしないでください』と事前に釘を刺しておいたはずですよ。噂を耳にしただけであり確証は無かったのですから」

 

 ソシアの疑問に対し、ジーレイは仕方なさそうに答えた。バレンテータルを目指すと決めた際、確かに彼は「期待するな」と言っていた。しかし何一つ情報が手に入らないとなると、どうしようもない。

 お手上げ状態となった俺達は、とぼとぼと町を歩く。

 

 そうしていると、パレットと絵筆を持ち、キャンバスに町の風景を描いている一人の画家の姿が目に入った。――真紅の長い髪が麗しい、若い大人の女性である。

 腹部を露出した黒のノースリーブと赤いミニスカートを着用していて、様々な色の染みが付着したカバンを肩にかけていた。背は高く、俺に届くか届かないかというところ。

 体型には女性らしさが存分に現れており、たわわな出っ張りと引き締まったへこみの対比が最高。言うなれば抜群である。

 そして注目すべきは、身の丈以上もある巨大な絵筆を背負っている点だ。……真紅の長髪に巨大な絵筆と言えば、スラウの森での出来事が記憶に新しい……。

 

「ふんふふーんふーん♪」

 

 美しい外見とは裏腹に、陽気に鼻歌を歌いながら活発な子供のように絵筆を走らせている。

 気付かれないように物陰からこっそりキャンバスを覗いてみたが、描かれているものはかなり独創的な色遣いであり、モデルとしている風景とは程遠い。とても抽象的な絵画だった。やはり芸術はよくわからない……。

 女性について、俺は皆に尋ねた。

 

「なあ、みんな。あそこで絵を描いてる赤い髪の人、どう思う? 引っかかる要素がありまくりなんだけど」

 

「やっぱりゾルクさんも気になりますか? 私もあの人を見ていると、鮮筆(せんひつ)のメリエルが思い浮かぶんですよね。あまりにも似過ぎていて……」

 

「確かに瓜二つだが別人だろう。第一、戦闘組織の幹部がこんなところで無邪気に絵を描いているわけがない。戦闘のための筆術ならともかく、メリエルが趣味として絵を嗜むなどエグゾアに所属していた私ですら聞いたことがないからな」

 

「でもさ、ひょっとすると同一人物かもしれないぞ……? あんなに似てる人間、他にいないだろうしさ。今までずっと趣味を隠してた可能性だってあるよ」

 

 メリエルか、はたまた他人の空似か。三人で談義を重ねているとジーレイが口を開いた。

 

「ふむ……。そこまで気になるのであれば直接尋ねてみてはいかがですか? 十中八九メリエルではない、と僕は思いますけれどね」

 

 なるほど。ジーレイの言葉に納得し、すぐに俺は立候補した。

 

「だったら確かめてくるよ。メリエル本人じゃなくても、何か関係があるかもしれないし。みんなはここで待ってて」

 

 特に他意は無かった……のだが、ここでマリナが思いもよらぬ発言をかます。

 

「……お前、やけに積極的だな。あの女性に下心でもあるのか?」

 

 翠の眼を細め、俺をじぃーっと見つめる。呆れと疑いの意が込められているように思えた。

 

「ええっ!? マリナ、なに言い出すんだよ!」

 

「確かに彼女はスタイルも良く美人ですからね。しかし自ら名乗りをあげるとは……いやはや、お若いこと」

 

 続いてジーレイまでもがマリナの側につく。……彼の場合、単に俺で遊んでいるだけのような気もするが。

 

「……そういえばゾルクさん、年頃の男の子でしたもんねぇ」

 

 とどめとして、ソシアまでもが敬遠の意を示す。微妙な笑みを浮かべ、怪しむような声を出していた。

 

「ちょっと待ってよ!! やましいことなんて考えてないから!! みんなひどいぞ……!?」

 

「はいはいわかったわかった。本人の前で鼻の下を伸ばさないように気を付けろよ」

 

「マーリーナー! 下心なんか無いってばー!」

 

 どうしていじられてしまうのだろう。ジーレイなんて二人の背に隠れて意地悪く笑っている。どうにも腹が立つので、ジーレイにだけは後で必ず仕返ししてやる。そう心に決めた。

 ……ともあれ。気を取り直した俺は、仲間を物陰に残して女性に近付いた。

 

「あのー、すみません」

 

「あら、なーに?」

 

「お訊きしたいことがあるんですが、ちょっといいですか?」

 

「はいはーい。どうぞどうぞ♪」

 

 筆を止めた女性は真紅の眼で俺を見つめ、笑顔を返してくれた。この天真爛漫な雰囲気、演技で表現できるものとは思えない。メリエルとは別人だと、もう確信できた。

 

「あなた、見かけない顔ね。旅の剣士さんかしら? 道に迷っちゃったなら、あたしが案内してあげてもいいわよ♪」

 

「いやー、その、迷子じゃなくって……」

 

 間近で見ると尚更美人であるため、急に照れくさくなってしまう。今となってはもう、マリナ達との会話において反論できる自信が無い……。

 動揺しつつも、鮮筆のメリエルとの関係を確かめるため質問する。

 

「え、えっと……メリエルっていう女性を知ってますか?」

 

「……!!」

 

 女性は『メリエル』の名前を耳にした瞬間、真紅の眼を大きく見開いて驚きを露にした。だが、照れくさいあまり女性の顔から視線を逸らしていた俺は、その異変に気付かない。

 

「丁度、あなたが背負っているものと同じくらい大きな筆を……って、え?」

 

 視線を戻し、唖然とした。女性が笑顔を消し去っていたからだ。先ほどまでの柔らかい表情とは打って変わって凄まじい剣幕を見せており、背負っていたはずの大筆(たいひつ)も両の手の中にある。

 

「ど、どうしたんですか?」

 

 汗を垂らして恐る恐る尋ねた。しかし俺の質問に答える気配はない。

 

「メリエルを……メリエルをさらったのはお前かぁぁぁ!!」

 

「へ!? あの、ちょっと待っ」

 

「メリエルを返せぇぇぇ!!」

 

 大筆を真上に振りかざしたかと思うと、すぐさま俺の頭に叩き込む。……避ける時間は無かった。直撃を受けた俺は鈍い音を響かせ、背中から地面に倒れてしまう。

 

「た、大変です! ゾルクさんが!」

 

「よくわからないが、しくじったようだな」

 

「誤解されたのであれば僕達で解きましょう。ソシアは、ゾルクに治癒術を」

 

 見守っていた皆が物陰から出てくるのを、音だけで感じた。この瞬間からしばらく、俺の意識は途絶えるのだった……。

 

 

 

「う~ん……いててっ、頭が割れそう……割れた……?」

 

 ……痛い。とにかく頭が痛い。背中には柔らかい感触。ここはベッドの上か。

 

「あ、ゾルクさん! 気が付いたんですね。大丈夫、頭なら割れていませんよ」

 

 正確に言うとまだ完全に目覚めたわけではなかったが、ソシアの声がきっかけで目を開き、はっきりと意識を取り戻した。……天井が見える。しかもこれは、昨夜も今朝も見た天井。俺は宿屋に運ばれたようだ。

 ソシアが俺を看てくれていたらしい。部屋にはマリナもジーレイも居る。そして……。

 

「頭、やっぱりまだ痛いわよね……? あたしったら気が動転して、つい勢いのまま叩いちゃって……。ごめんなさい! ホントにごめんなさい!」

 

 真紅の長髪の女性も居た。彼女は俺に接近するや否や、何度も何度も頭を下げてきた。俺は上体を起こし、対応する。

 

「あはは……このくらい平気平気。モンスターと戦うのに比べたら遥かにマシだから」

 

「……ホントに? それなら良かったわぁ……」

 

 彼女は大きくゆっくりと息を吐いた。ひとまず安心してくれたようだ。

 

「その様子だと誤解は解けたみたいだね。気にしないでいいから。……えっと……」

 

 そういえば、この女性の名前を知らない。言い淀んでいると、向こうから名乗ってくれた。……驚くべき内容も含みながら。

 

「あー、自己紹介がまだだったわね。あたしはミッシェル・フレソウム! バレンテータルで一番大きな館に住んでる画家で、筆術師(ひつじゅつし)なの♪」

 

「ミッシェル……フレソウム!? フレソウムっていえば、メリエルと同じ名前じゃ……!」

 

「ゾルクだっけ? 気絶してる間に、あなたの仲間とちょっとだけ話をさせてもらったわ。それでね、あたしとメリエルは双子の姉妹なの。あっちが姉で、あたしが妹ね」

 

「双子ぉ!? どうりでメリエルとそっくりなわけだ……! でもミッシェルはエグゾアの人間じゃあないんだよね? 一体どうなってるんだ……?」

 

 疑問はどんどん湧いてくる。するとミッシェルは全員の顔を見て、次のように述べた。

 

「詳しい事情は、まだマリナ達にも話してなかったわよね? エグゾアに立ち向かってるあなた達には是非とも聞いてもらいたいわ」

 

「ああ。聞かせてくれ」

 

 マリナが返事をし、皆も静かに頷く。ミッシェルは明るさを一切消し去り、真剣な面持ちで語り始めた。

 

「……今から三年前にね、メリエルは連れ去られたの。セリアル大陸で暗躍してる戦闘組織、エグゾアに」

 

 衝撃の事実。エグゾア六幹部のメリエルは、フレソウム家より拉致されていたのだ。

 驚きも止まぬ内にミッシェルは続ける。

 

「フレソウム家は代々、プロの画家や腕の立つ筆術師を何人も輩出してきたの。筆術師っていうのは、ビットの力を備えた大きな魔筆で特殊な魔術を操る、フレソウム家の人間しかなれない魔術師のこと。大筆で何かを描いて術を発動するの。ふふっ、珍しいでしょ?」

 

 彼女は微笑んだが、つらさを誤魔化しているようにも見えた。

 

「あたしとメリエルは画家として腕を磨き、筆術師として修行に励んでた。厳しくもあったけど、とても楽しい毎日だったわ。でも、全部あの日に崩れ去った……」

 

 皆、固唾を呑んで沈黙を破らない。

 

「筆術師の中で一番の実力を誇っていたメリエルは、戦力増強を企むエグゾアに目を付けられてしまったの……。ある日、エグゾアの特殊部隊がうちの館を奇襲した。もちろんメリエルは抵抗して、あたしや家族、使用人達も加わったんだけど……数で攻められて歯が立たなかった。町の人が気付いて加勢に来てくれた頃には、エグゾアはもういなくなってたわ。そして家族や使用人はみんな、息絶えた……」

 

「みんな……ってことは天涯孤独……」

 

 俺の口からは自然と声が漏れてしまっていた。はっと口を塞いだ時にはもう遅かったが、ミッシェルは咎めなかった。

 

「いいのよ、気にしなくても。……うん。最後の最後でみんなに守られて、あたしだけ生き残っちゃった……。今も、思い出の詰まった館に一人で住んでるわ」

 

 ミッシェルの生い立ちは想像を絶するものだった。

 誤解で俺を襲った時の気迫は、この過去に起因していたのだ。そして『メリエル』という名前について過敏になっていたため、直感的に俺をエグゾアの人間だと思い込んでしまったのだろう。

 

「さぞ、無念でしょうね。一人ではエグゾアに喧嘩を売るのも困難ですし」

 

 ジーレイも神妙な面持ちとなっている。そんな彼に対し、ミッシェルは気丈に振る舞った。

 

「その通り、すごく難しいわ。それでも、メリエルを連れ戻したいという想いと覚悟はある。あの日からずっと! ……けど不本意ながら、あたしは未だバレンテータルにいるの。本当はすぐにでも行動したいんだけど、この町を離れられない理由があってねぇ……」

 

「どんな理由なんですか?」

 

 それとなくソシアが質問した。するとミッシェルは、徐々に元の調子を取り戻していく。

 

「館に封印されてる、特殊な魔力の塊を守るという役目。フレソウム家の人間があたししかいなくなっちゃったもんだから、どうしても離れられないのよねぇ。家族の遺言でもあるし」

 

「特殊な魔力の塊……それはもしかするとエンシェントの欠片だろうか?」

 

 マリナの勘は当たったらしい。ミッシェルは目を大きくして答える。

 

「あら、よく知ってるわね。バレンテータルでもフレソウム家の人間しか知らないくらい珍しいものなのに。なんか、悪用されたら困るから~みたいな理由で封印されてるんだけど……今のあたしにとっては正直、悩みの種なのよねぇ。あれさえなければ、メリエルを連れ戻す旅に出られるんだけど……」

 

「ミッシェルさん。もしよかったら、エンシェントの欠片を私達に譲ってもらえませんか?」

 

「そりゃまたどうして?」

 

「実は……」

 

 ソシアの申し出を皮切りに、俺達は旅の目的の全てをミッシェルに話した。聞き終えた彼女の反応は……。

 

「なーるほど。エグゾアに利用させないように、あなた達もエンシェントの欠片を集めて妨害してるってわけね。そういうことならエンシェントの欠片、持ってってくれてオッケーよ♪」

 

 とんでもなく快活に了承してくれた。満面の笑みである。俺達にとっては最高の返事なのだが、本当にこれでいいのだろうか。

 

「え、そんなにあっさりと……」

 

「いーのいーの。あたし一人で欠片を守るより、強そうな人達が持ってた方が安全でしょ?」

 

「う、うーん……それもそうかもだけど」

 

「じゃ! そうと決まったら、あたしのうちに行きましょ。バレンテータルの真ん中の丘に見える、あのでっかい館よ。わかりやすいでしょ♪ 町の人からは『フレソウムの館』って呼ばれることもあるわ。ただの家なんだけど、いつの間にかこの町の名所みたいなものになっちゃったみたい」

 

 俺がはっきりとした返事を伝える前に、ミッシェルが外を指差す。

 宿屋の窓から見えたのは彼女の言う通りの、とても大きな館。加えて、橙に近い朱色で染められた非常に目立つ外観のため、バレンテータルのどこにいても視界に入りそうである。特別な呼称が生まれるのも納得だ。

 そしてこのフレソウムの館の所在地だが、ゆうべ俺が謎の光を目撃した丘の上と一致する。

 

「ほーら、早く行きましょ♪」

 

「そ、そんなに急かさなくてもいいって!」

 

 しかし。ミッシェルによる半ば強引な案内が始まったため、それを思い出すことはなかった。

 

 

 

 宿屋から館へ続く、草花に彩られた歩道を歩く最中。俺はふとした点に気付いた。

 

「エグゾアはさ、メリエルを連れ去って、どうやって言うことを聞かせたんだろう? 素直に協力するはずないと思うんだけど……」

 

「きっと洗脳したのよ」

 

 即答するミッシェル。心なしか声は低くなり、彼女の内側に潜む怒りが感じ取れた。

 

「エグゾアのことを調べる内に、とっても腕の立つ技術研究者がいるっていう話を知ったの。本人がどんなに拒んでいたとしても、その研究者にかかれば簡単に洗脳されて言いなりになっちゃうらしいわ」

 

「ミッシェルの言う通り、エグゾアには気が触れた研究員がいる。自分達にとって有益となり得る人物を拉致し、洗脳を施している可能性が高い。きっとメリエルもその限りだろう」

 

「やっぱりそうなのね……」

 

 マリナは、メリエルの洗脳を裏付けるような発言をした。ミッシェルの表情が曇る。

 

「しかし……エグゾアがそんなことをしていたなど私は知る由も無かった。人体実験やアムノイドの件といい、調べるまで組織の腐った現実に気付けなかったのは恥ずべきことだ……」

 

 反省の意を示し、マリナは落ち込む。更に、疑問も零した。

 

「そしてもうひとつ。ミッシェルは『メリエルが拉致されたのは三年前』だと言ったな。本当に三年前の出来事なんだろうか?」

 

「え? んー……」

 

 言われて、ミッシェルは目を閉じて腕組みするが……。

 

「確かに三年前のことよ」

 

 間違ってはいないようだ。

 今度はジーレイが疑念を抱く。

 

「マリナは何故、拉致された時期が気になるのですか」

 

「食い違っているんだ。私の記憶では……」

 

 途端、マリナの言葉が止まる。何かを察知したかのような、はっとした表情を見せた。かと思えば、次の瞬間には平静に戻る。彼女の心境に何があったのだろうか。

 

「……いや、なんでもない。少し記憶が曖昧になっているだけのようだ。今言ったことは忘れてくれ。ミッシェル、疑うような口を利いて済まなかった」

 

「ううん、だいじょーぶ。全然気にしてないわよ♪」

 

 ミッシェルは寛大な心の持ち主のようだ。文字通り笑って許してくれている。

 僅かの間だったが、普段とは異なる反応を見せたマリナ。そこへ何を思ったのか、ジーレイが追求し始めた。

 

「僕は気になりますね。マリナ、あなたは僕達に隠し事でもしているのでは」

 

「そんなことは万に一つもない」

 

 きっぱりと言い切った。しかしジーレイはまだ勘ぐる。

 

「本当でしょうか」

 

「本当だ。……信じてほしい」

 

 鋭い眼差しでマリナを突き刺す。微かにだが険悪な空気が漂った。……しかし、これを塗り替えるのもまた、ジーレイだった。

 

「……ふふっ、すみません。ちょっとした意地悪をしてしまいました」

 

 ジーレイは先ほどまでの眼光を消し去り、穏やかな微笑を浮かべた。彼の意図がまるで理解できず俺は混乱する。

 

「意地悪って……ジーレイ、なに考えてるんだよ……」

 

「裏切ったとはいえ、マリナがエグゾアに所属していたという事実に変わりはありません。もしかすると正体はスパイであり、僕達を騙した上で始末しようとしている可能性も無いとは言えない。ですから、警戒して損はないと思いまして」

 

 にこやかに語ったが、その内容は気持ちの良いものではなかった。

 

「ジーレイさん! 仲間に向かってそんなこと……!!」

 

「そうよ! いくらなんでも、あんまりじゃない?」

 

 今まで黙っていたソシアとミッシェルが、眉を吊り上げて反論した。けれどもマリナは彼女達をなだめる。

 

「いいんだ、二人とも。どう足掻いても私は元エグゾアの人間で、怪しまれても文句を言えない存在なんだから。それに、いかなる場合でも警戒を怠らない用心深さがジーレイの長所だと、私は思う」

 

「そういうものなんですか……? 釈然としないです……」

 

 俺もソシアと同意見だ。まるで仲間を攻撃するかのような態度、簡単に納得など出来ない。

 ――などと考えていると、ジーレイは今までの発言をひっくり返すような呟きをした。

 

「……というような考えを述べてみましたが、僕達を始末するつもりであれば今までに機会は何度もありましたからね。スパイである可能性は限りなくゼロに近いでしょう」

 

「はぁっ!? じゃあ、なんであんなひどいこと言ったのよ!?」

 

「ですから申し上げたではありませんか。意地悪をしてしまいました、と」

 

「わけわかんな~い!」

 

 困惑するミッシェルの叫びが空に響いた。

 ジーレイの思考は一緒に旅をしている俺達でさえ、よくわからない。他人の意図を掴むことが出来ないのは当然だが、ジーレイの掴みどころの無さは常軌を逸している。今の「意地悪」も、本当は裏があるのではと思ってしまう。疑われるべきはマリナよりジーレイではないだろうか。

 

「え~っと……別のこと話そう!」

 

 こんな話を続けても埒が明かない。今しがた思い出した事柄があるので急遽、俺は話題を切り替えた。

 

「丘の上の館と言えばさ。昨夜、色んな色の光が宿屋から見えたんだ。ポワッと出たり、サッと消えたりしてた。あれってなんだったんだろう?」

 

 身振り手振りを交えて表現する。が、動きで色や光が伝わるはずもなく皆に首を傾げられる。そんな中、ミッシェルだけは理解していた。

 

「それは間違いなく、あたしの筆術ね。ビットの魔力と絵具を混ぜ合わせて使う術だから、すっごく幻想的な光景になるの♪」

 

「そういえばメリエルも、光る文字を描いて術を放ってたっけ。ゆっくり眺める余裕がなかったからうろ覚えだけど、昨夜の光と似てると思う! でも、なんで夜に筆術を……?」

 

 素朴な疑問の答えは、実にわかりやすいものだった。

 

「メリエル救出の旅にいつでも出られるように、毎日欠かさず筆術の修行をしてるの。昨日も庭で、術の精度を上げるために頑張ったわ」

 

「つまり、昼は画家として絵を描いて、夜は筆術師として努力しているんですね。ミッシェルさん、凄いです!」

 

 ソシアが尊敬の意を伝えると、照れながら頬を緩める。

 

「それほどでもないわよ。メリエルを連れ戻すために全力を尽くしてるってだけのこと。……もう二度とエグゾアなんかに負けたくないし、ね」

 

 俺はミッシェルから恐れや憂いを感じなかった。理由はわからない。強いて言えば、彼女の最後の一言が揺るぎなき決心に裏付けられていたから……なのかもしれない。


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