Tales of Zero【テイルズオブゼロ 無から始まるRPG】   作:フルカラー

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第17話「割れた鏡」 語り:ゾルク

「よ~し、到着っと! みんな、あたしのうちへようこそ♪」

 

 丘を登り切ると、フレソウムの館が俺達を出迎えてくれた。

 間近で見る朱色の館は壮観であり、少しばかり圧倒されてしまった。建物に比例して庭も広い。ミッシェルが裕福な環境で育ったことが(うかが)える。

 早速、ミッシェルは扉に手をかける。……と、ジーレイが不意に声を発した。

 

「お待ちください。館の中から気配を感じます」

 

「気配ですか? でも、ここにはミッシェルさんしか住んでいないはずじゃ……」

 

 ソシアの言う通りである。しかしジーレイの表情は真剣。冗談ではなさそうだ。

 不思議に思っていると、ミッシェルの顔色が一変する。

 

「……胸騒ぎがする」

 

 それだけを呟いた直後、彼女は館の扉を慎重に開けた。そして俺達は目撃する。

 

「この有様はどういうことだ!?」

 

 マリナも動揺を隠せないほどの光景。館のエントランスホールは空っぽではなかった。豪勢な装飾や気品ある家具などで満ちているからだと思うかもしれないが、そういう意味ではない。

 ミッシェルしか住んでいない館なのに、狼や怪鳥、突然変異した植物などのモンスターが、このエントランスホールや上階に通ずる階段を悠然と闊歩しているのだ。

 これだけでも異常だが、更に信じ難い事実がある。

 

「そこら中、絵具で出来たモンスターでいっぱいですね……!」

 

 ソシアが述べたままの現象が起きていた。目に映る全てのモンスターは、例外なく絵具で構成されているのだ。

 体色は個によって様々。だが一体につき、たった一種類の色しか持ち合わせていない。そしてドロドロとした絵具特有の質感があった。

 

「この術、嘘でしょ!? ……いいえ、疑いようなんてないわ。やっぱり、そう。きっと、そう……!」

 

 目の前の出来事が信じられないらしく、ミッシェルは目を見開いた。しかし同時に、なんとか状況を理解しようともしている。

 

「心当たりがあるのか?」

 

 マリナに問われた彼女は一旦呼吸を整え、そして教えてくれた。

 

「……これはメリエルが得意な筆術、レインボーアニマライズよ。モンスターの絵を描いて、まるで生きているかのように動かせるの」

 

「ということは現在、メリエルがこの館にいる、と?」

 

 ジーレイの問いに対し、ミッシェルは決然と答える。

 

「ええ、いるわ。エンシェントの欠片を回収しに来たと考えて間違いない。欠片の封印はフレソウム家の人間に反応して解除される仕組みだから、エグゾアがうちの欠片を奪うためには、どうしてもメリエルをここに来させなきゃならないの。……つまり、旅に出る手間が省けたってわけね。今日のあたし、なんだかツイてるみたい」

 

 そう言いながら彼女は絵具のモンスター達を見つめた。その視線は真っ直ぐで、貫けるほど鋭くなっている。朗らかに談笑していた姿はどこにもない。

 

「とりあえずモンスターを倒さないと、欠片を封印してる部屋には行けないわね。……みんな、強いんでしょ? 一緒に戦ってちょうだい。あたしの筆術で全力サポートするから」

 

「勿論です。敵の数は多い。喜んで協力しましょう」

 

 ジーレイは即決し、俺達も静かに頷く。ミッシェルはこちらの意思を確かめた後、付け加えるようにこう言った。

 

「それと、メリエルに会ったら……説得したいの。洗脳が解けるかわからないけど呼びかけたい。わがままばっかりで悪いけど、どうしても手伝ってほしいわ。みんな、お願い……!」

 

 懇願する彼女の願いを、聞き入れないわけが無い。

 

「メリエルが僕達を前にして黙っているとは思えませんが、その時は」

 

「私達が助けになります!」

 

「ミッシェルが説得に専念できるよう最大限、努めると約束する」

 

「これも救世主の役目ってね!」

 

 俺達はミッシェルの支えになることを誓うのであった。

 

「ありがとね、みんな……!」

 

 感激に震えるミッシェルだったが、いつまでも浸ってはいられない。持ち前の切り替えの良さを発揮し、両腕を突き上げた。

 

「それじゃ、張り切っていくわよー!」

 

 この気合いと共に、全員でフレソウムの館の扉をくぐるのであった。

 

 

 

 ‐Tales of Zero‐

 

 第17話「割れた鏡」

 

 

 

「……っとと、その前に」

 

 入ってすぐのエントランスホールを勢いに乗って突っ切るのかと思ったら、ミッシェルはモンスター達の位置や状態を確認し始めた。まだ館に深く入り込んでいないため、モンスターは俺達に気付いていない。しかし、どうするつもりなのだろう。

 

「描く余裕ありまくりね。んじゃゾルク、ちゃーんと受け取ってよ♪」

 

「えっ、何を!?」

 

 突拍子もなく指名されてしまった。受け取る? 何を……?

 ミッシェルは戸惑う俺を置いてきぼりにし、大筆(たいひつ)を両の手で握った。装飾された菱形のビットが輝き、筆先から虹色の絵具が溢れ出る。するとエントランスホールの床をキャンバス代わりに何か描き始めた。

 絵は、瞬く間に姿を現す。……真っ赤な色の剣だ。虹色の絵具で描かれたというのに、真っ赤なのだ。

 神速の筆先が止まり、天を向いた時。ミッシェルは合図のように叫んだ。

 

「刺激をどうぞ!」

 

 絵は呼応するかの如く光り輝いて……。

 

「ルビーブレイド!」

 

 なんと…………平面の体をむくりと起こし、跳ねた。

 

「うええええ!? なんだそれ!!」

 

「うそ……絵が、跳ねるなんて……!!」

 

 俺とソシアはあからさまに仰天した。無言だがマリナとジーレイも目が点になっている。

 剣の絵はぴょんぴょんと弾み、こちらへ寄ってきた。

 

「……ひえっ! 俺の剣にくっついたぁぁぁ!?」

 

 更なる怪異。「失礼しますよ」と言わんばかりの動きで身をくねらせた真っ赤な剣は、俺の両手剣と融合したのだ。両手剣に、赤く輝き始めた以外の変化は無いようだが……とりあえず説明が欲しい。

 

「これがあたしの筆術! ……なんだけど、みんな驚き過ぎじゃない? 特にゾルク」

 

「だって、絵が起き上がって跳ねまわるところなんて初めて見たし……」

 

「まーとにかく! バンバンぶった斬っちゃってー!」

 

「ほんとにこのまま戦っていいの!? ……しょうがないから、もう何も気にしないことにする! いくぞっ!!」

 

 促されるがまま、剣技を放った。

 

裂衝剣(れっしょうけん)!!」

 

 振り下ろした両手剣から生まれたのは、衝撃波。地を這い、何も知らないモンスターの群れへと突っ込んでいく。そして一匹の緑色の狼に命中した。

 狼は衝撃波をまともに喰らい、踏ん張れずに怯む。……ここまでは普段と同じ。いつもと違うのは、この先だ。

 通常なら裂衝剣(れっしょうけん)を数回は喰らわせないと、モンスターは倒れないだろう。……ところが緑色の狼は怯んだ後、自身の形を保てなくなり消滅。つまり俺は、たった一度の裂衝剣(れっしょうけん)でモンスターを倒してしまったのだ。

 

「威力が上がってる……!?」

 

 驚かないわけがない。両手剣をまじまじと見つめた。剣身は未だに赤く輝いている。ミッシェルの描いた真っ赤な剣は……もしかすると。

 

「なるほど。ルビーブレイドは物理面の攻撃力を強化するためのものであり、つまりミッシェルは味方を援護する筆術が得意なのか」

 

 ……せっかく気付いたのに、マリナに先を越されてしまった。どうせなら俺が言いたかった。

 

「そう、そのとーり! あたし、前に出て戦うのはちょっと苦手だけど、後ろからみんなをサポートするなら適任だと思うの♪」

 

 ミッシェルが微笑む一方で、ようやっと俺達の存在に気付いた絵具のモンスター達。その群れの中から狼のモンスターが三匹飛び出し、俺達の周囲を取り囲む。素早さでこちらを翻弄しようと企んだようだ。

 

「移動速度を上昇させる術はあるのか?」

 

「もっちのろーん!」

 

 マリナの要望に応え、ミッシェルは再び大筆を操る。虹色の筆先を走らせたが完成した絵は、やはりたったの一色。

 

「浮き足立つような感覚! アメジストウイング!」

 

 紫色に発光する一足のブーツの絵。だが、くるぶしに位置する部分からは鳥のような翼が生えており、ただのブーツではないことを物語っている。

 有翼のブーツは真っ赤な剣の時と同じく小刻みに跳ね、マリナの足にくっついた。その直後から、彼女が求めた通りの異変が起こる。

 

「この速さ……!」

 

 まるでエントランスホールに風が吹くかの如く、マリナはモンスター達の間をすり抜けてみせた。その事実に彼女自身も驚いている。現に俺は、駆けるマリナの姿を捉えられなかった。

 モンスター達も遅れて彼女の位置を把握し、やっと体を向き直していた。

 

「いける!」

 

 確信し、マリナは再びエントランスホールを駆けた。

 

落殺撃(らくさつげき)!」

 

 一気に間合いを詰めたかと思えば、ただ一匹に狙いを定めて足払いを繰り出し、宙を舞わせる。直後に、後方宙返りの動きで高く蹴り上げた。

 

「続けて、放墜鐘(ほうついしょう)!」

 

 宙返りから着地すると同時に、今度は残りの二匹を含めて銃撃。と言っても放たれたのはいつもの魔力弾ではなく、衝撃波だ。それは狼のモンスター三匹を易々と巻き込むほどの攻撃範囲を誇り、まとめて上方へ打ち上げつつ吹き飛ばした。

 連撃はまだ終わらない。それどころか。

 

「とどめだ! 爆陣蹴(ばくじんしゅう)!!」

 

 なんと、吹き飛ばされる三匹を走って追い抜き、あらかじめ落下地点を予測して脚技を繰り出したのだ。

 爆陣蹴(ばくじんしゅう)とは、前方に宙返りしてかかと落としを地にかまし、自身を中心に炎の円陣を生む技。この動作と非常に噛み合ったタイミングで三匹は落下。かかと落としと陣の炎の餌食となって力尽き、消滅していった。こちらを翻弄しようとした絵具の狼達は、逆に翻弄されたのである。

 マリナの攻撃は抑止力となったようだ。絵具のモンスター達は怖じ気づき、俺達に飛びかかってくるような素振りを見せなくなった。

 

「あたしの筆術、どーお? 強くて可愛くて独創的でしょ♪」

 

「可愛い……かどうかは判断しかねるが、素晴らしい効力だ。絵具のモンスターがこちらに恐れをなしている」

 

 マリナは筆術の効果を絶賛した。

 丁度その時、彼女の足に付加された有翼のブーツが紫色の光を失って静かに消えていくのを、俺は目にした。気付けば、両手剣からも赤の輝きが失われている。

 どうやら筆術の効果は永続的なものではなく時間制限があるらしい。ジーレイの攻撃魔術も発動したら永遠に発動しっぱなし……というわけではないのだから当たり前と言えば当たり前である。

 

「エンシェントの欠片の封印は、三階の奥の部屋にあるわ。急ぎましょ!」

 

 敵が動きを見せない今の内にとミッシェルは先を行く。俺達は彼女の背を追いかけた。

 

 

 

 ――三階の奥の部屋に辿り着いた時、ミッシェルは言葉を失った。

 エンシェントの欠片を安置するための台座の付近には、癖毛の男と真紅の女がいた。男は手に何か握っている。……あれこそ、エンシェントの欠片。どうやら遅かったようだ。

 だがミッシェルが絶句した理由は、欠片を奪われたこととは無関係。推測していたとはいえ、真紅の女の正体が彼女にとって衝撃的だったからである。

 

「メリエル……本物の、メリエル……!」

 

「むぅ?」

 

 かすれるような声で、ミッシェルは零す。癖毛の男がそれに気付き、真紅の女と共にゆっくりとこちらへ振り向いた。

 男は、土色の癖毛と漆黒の白衣、銀色の垂れ目が特徴的。初めて見る人間である。

 もう一人は、真紅の長髪をなびかせる、髪と同じ色のバトルドレスを身に纏った妖艶な女。……こちらは初対面ではない。過去に俺達と交戦したエグゾア六幹部の一員、鮮筆(せんひつ)のメリエルだ。両名とも服の左肩部にエグゾアエンブレムの装飾を施している。

 ミッシェルの姿を目撃し、癖毛の男が反応を示した。彼は何やら不可思議に思っていることがあるらしい。

 

「これはどうしたことでしょうかぁ? アナタは日中、絵を描きに外へ出かけ、帰宅するのは夕方以降のはずぅ。まさかこれほど早く帰ってくるとは……。データに頼り過ぎるのも考えものですねぇ。以後、改めるとしましょう」

 

 独特の語尾を交えてのフラフラとした喋り。あまりに奇妙で少したじろいでしまう。そんな俺をよそに、マリナは癖毛の男の名を叫んだ。

 

狂鋼(きょうこう)のナスター! メリエルだけでなく、お前もこの館に来ていたのか!」

 

「それはこちらの台詞ですよぉ。救世主様御一行もバレンテータルにいらしていたのですねぇ。その娘と一緒に現れるとは……運命すら感じます。それに、邪魔者除けとしてメリエルにばら撒かせていた絵具のモンスターをあしらってきたのでしょぉう? なかなかの実力。やりますねぇ!」

 

 狂鋼という二つ名がある点から察して、癖毛の男――ナスターも六幹部の一員のようだ。

 白々しい褒め言葉を無視しながらジーレイが忠告する。

 

「その手に握っているエンシェントの欠片、今すぐ返しなさい。さもなくば痛い目に遭わせますよ」

 

「どうやら我々エグゾアの企みに気付いたようですねぇ。そして、お返しするはずもございませぇん。アナタ方は一足遅かったのですから諦めてくださいなぁ」

 

 しかしナスターは余裕の態度を崩さない。口元を三日月のように尖らせて不気味な笑みを浮かべ、忠告を蹴るのだった。

 一方、ミッシェルは呼びかける。

 

「メリエル! ねえ、メリエルってば!!」

 

「あなた、誰? 気安く呼ばないでくれるかしら」

 

「誰って……あたしはミッシェル・フレソウム! あなたとあたしは双子の姉妹で、あなたはあたしの姉なの! 覚えてないの!?」

 

 メリエルは顔をしかめた後、鼻で笑う。

 

「突然なにを言い出すかと思ったら……私があなたの姉? 私には家族なんて一人もいない。ましてや、あなたのような妹なんて全く知らないわ」

 

「嘘よ! メリエル・フレソウムはあたしの姉よ! 双子だから、あたし達の姿はよく似てる! あなたはエグゾアに拉致されて、いいように操られてるの! いま居るこの館だって、あなたのうちでもあるのよ!? 思い出して!!」

 

 食い下がるように訴え続けた。だが……。

 

「何度言えばわかるのかしら? 家族と呼べる存在はいないわ。それにエグゾアは、なんの身寄りも無い私を拾ってくれた唯一の場所なの。拉致とか操られているとか家がどうのとか、ありえないわ!」

 

「そんな……!」

 

 必死の声も空しく、届かなかった。ミッシェルは全身の力が抜けたかのように座り込んでしまう。

 そんな彼女の様を、メリエルはまじまじと見つめていた。

 

「……あなた、本当に私とそっくりの容姿ね。大筆を持っているところまで同じなんて……どうして? 気味が悪いわ。不愉快だから、この世から消し去ってあげる!」

 

 そして排他的な感情を強め、攻撃に移ろうとする。そうはさせまいと俺達も戦闘態勢となり、隙だらけのミッシェルを庇うため前に出た。

 これから、エグゾア六幹部との戦いが始まる。

 

「……うっ!?」

 

 ――かと思われた。メリエルは急によろけ、自分の体を大筆で支える。その異変をナスターは見逃さなかった。

 

「おやぁ、メリエル?」

 

「う、ううっ……頭痛が……!?」

 

 途端、頭を抑えて苦しみ始めた。その姿は、見ているこちらにも痛みが伝わりそうな程。

 

「メリエル、どうしたの!? 苦しいの!?」

 

「なんなの、あのミッシェルという女……。双子……姉妹……家族……? 違う、私はずっと一人だった……うう……うわぁぁぁぁぁ!!」

 

「しっかりして!! メリエル!!」

 

 両膝を突いて絶叫するメリエル、それを案じるミッシェル……。両者の声は共に悲痛さを帯びている。

 ついにうずくまってしまったメリエルの背後では、ナスターが冷めた目をしていた。

 

「ふむぅ……仕方ありませんねぇ」

 

 そして不意に、彼の左手から電撃が走った。

 

「がっ!?」

 

 手から電撃が出ることにもびっくりしたが、それよりも驚いたのは……標的がメリエルだったこと。ナスターは自分の仲間を攻撃したのだ。彼女は気を失い、倒れてしまう。

 

「メリエル!? メリエルッ!! メリエルーッ!!」

 

 予期せぬ事態。ミッシェルは反射的に何度も叫ぶ。メリエルの元へ駆け寄ろうともした。だが、ナスターがいつまた電撃を放つかわからないため、俺とジーレイで肩や腕を掴み阻止した。……ミッシェルの心境がわかる分、とても苦しかった。

 

「どうして仲間に電撃を……まさか!?」

 

 ソシアが気付く……いや、ソシアだけではない。一連の光景を目の当たりにして全員が確信した。予想通り、メリエルは洗脳されているのだ。

 

「洗脳が解けるのを恐れ、わざと気絶させたか。どこまでも外道な奴め……!」

 

 マリナは激しく睨みつけた。するとナスターは素直に白状する。

 

「隠そうとしても無駄なようですねぇ……。ご想像の通り、メリエルにはボクが洗脳を施し、エグゾアの一員として迎え入れましたぁ。彼女の筆術の才能は本当に素晴らしく、戦闘組織にとって有ぅ用ぉ。その実力の高さから、すぐに六幹部の座に就きましたよぉ」

 

 漆黒の白衣を(ひるがえ)し、メリエルを軽々と肩に担ぎ上げ、ナスターは続ける。

 

「で・す・が、洗脳が解けかけてしまっては使い物になりませんねぇ。肉親の訴えが洗脳をも凌駕するとは……新たな課題を発見しましたぁ。次は、より強力な洗脳を施すことを目標としましょぉう」

 

「……ッ!!」

 

 言葉は無かったが、ミッシェルの激怒は伝わった。それは何故か。俺とジーレイによる拘束を強引に振りほどく程の力を、彼女が発揮したからだ。

 一歩前に踏み出し、唸るような声を押し付ける。

 

「すぐに、おろしなさい」

 

「ん~?」

 

 まともに返事をしないナスターだが、声の調子から拒否の意を感じた。構わずミッシェルは言い放つ。

 

「今ここでメリエルを返してもらうわ。そしてナスター、あなたは……ボッコボコに叩きのめしてあげる!! 覚悟なさい!!」

 

 大筆を握り締め、対峙した。激昂の叫びは俺達の心にまで届こうとする勢いだった。しかし奴は何とも思わないのか、取り合おうとしない。

 

「覚悟してあげられませぇん。今回の任務は達成したのです。これにてオサラバさせていただきますよぉ」

 

 怯みもせず、変わらぬ調子で退散を予告した。ふざけているようにしか見えないため、ミッシェルの怒りは更に増す。

 

「待ちなさい!! 逃げるんじゃないわよ!!」

 

「それでは、ごきげんよぉう」

 

 ミッシェルは床を蹴り、掴みかかろうと腕を伸ばした。だがナスターの足下にはいつの間にか、大人一人分の広さの小さな魔法陣が展開されていた。陣からは光が溢れ出し、漆黒の白衣を照らしていく。

 

「ナスター!!」

 

 あと、ほんの少し……ほんの少しで届くというところで、魔法陣の上のナスターは眩い光に包まれ、まるで幽霊のように姿を消した。担がれていたメリエルも一緒に。最後までナスターは、ミッシェルの怒りを受け止めようとしなかった。

 

「そん……な……。せっかく……会えたのに……」

 

 全身の力が抜けてしまったらしい。大筆は手から滑り落ち、腰はぺたんと床に下りる。声も、生気を失ったかのように、か細いものとなっていた。

 

「小型の転送魔法陣か……。ちぃっ、厄介なものを扱ってくれる」

 

 マリナは悔しさを滲ませた。言葉の通り、あの魔法陣は物体を転移させるためのものらしい。

 事前に情報を集めてミッシェルの留守を狙ったり、確実な逃走手段を用意していたりする辺りナスターは非常に用心深く、隙を見せてくれないことがわかった。

 

「ちくしょう、ナスターめ!!」

 

 俺は拳を握りしめ、天井めがけて奴の名を吐き捨てた。……しかし、やり場のない怒りを誰よりもぶつけたいのは、彼女のはず。

 

「……許さない」

 

 座り込んだまま(うつむ)き、ミッシェルは発した。真紅の長い髪が前に垂れ、彼女の顔を隠している。体と声は震えていた。

 

「ナスター……あたしはあなたを許さない……許さないから……!!」

 

 表情は見えなくとも、彼女の心は確かに見える。俺達は声をかけることなく、この場を保った。

 

 

 

 ミッシェルが普段の調子を取り戻すのに、充分な時間が経過した。

 気付くのが遅くなったが、館からは絵具のモンスター達が消滅していた。おそらく、メリエルが気絶した時点で術が解けたのだろう。先ほどまでは慌ただしい戦場だったのに今は、ひどく静まり返った、ただの立派な館である。

 エントランスホールまで下り、俺達がミッシェルに別れを告げようとした時。彼女は突如、こんなことを言い出した。

 

「ねえ、みんな。あたしも旅に加えてくれないかしら。……いいえ、この言い方はちょっと違うわね。あたしも旅に加わるわ!」

 

 胸を張った、堂々の宣言。意気込みはまだ続く。

 

「エンシェントの欠片は奪われたから守らなくてもよくなっちゃったし、メリエルを追いかけるなら、あなた達と一緒の方が色々と都合が良さそうだし! 断られても受け入れられなくても、何が何でもついていくつもりよ♪」

 

 まるで無邪気な子供のような、この上ない満面の笑みである。どうやら、こちらに選択権は無いらしい。

 俺がミッシェルの強引さに内心で困惑していると、ソシアが口を開いた。

 

「私は賛成です。家族を取り戻したいっていう気持ち、痛いほどわかりますから。それにミッシェルさんが来てくれたら、もっと賑やかな旅になりそうです!」

 

 ミッシェルに負けないくらいの、明るく可憐な笑顔を見せた。

 

「僕も構いませんよ。あなたの事情は把握しましたし、戦力としても申し分ないと思いますので」

 

 ジーレイもすんなりと同意した。こういうことに一番文句を言いそうだと思ったのだが、それは俺の見当違いだったようだ。

 

「私も異存は無い。ゾルク、お前はどうだ?」

 

 マリナも快諾。最後に意見を聞かれたが……そんなの決まっている。

 

「そりゃあもう、喜んで迎えるさ。ミッシェル、これからよろしく!」

 

「ええ。こちらこそよろしくね、みんな♪」

 

 ただならぬ想いを胸中に秘め、双子の姉を救いたいと願う筆術師(ひつじゅつし)ミッシェル・フレソウム。彼女を俺達の新たな仲間として加え、バレンテータルでの出来事は幕を下ろすのであった。


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