Tales of Zero【テイルズオブゼロ 無から始まるRPG】 作:フルカラー
攻城兵器『逆さ花火』に乗り込んだ俺達。ミカヅチの領域を目指してふわふわと飛行し、スサノオの居場所であるミカヅチ城天守閣の上空まで差しかかった。
スメラギの里が晴れ始めたのとは対照的に、ミカヅチ城の近辺は猛烈な吹雪に包まれている。バランスを絶妙に保ちながら猛吹雪の中を慎重に進んでいくも、天守閣から不意の攻撃が飛来し、逆さ花火に直撃。俺とマリナとまさきの乗った逆さ花火は、雪で真っ白に塗られた庭園に不時着してしまうのだった。
「い、生きてる……!? 生きてるんだな、俺達! 良かったぁ~……!」
命が助かり、涙が出るほど嬉しかった。
逆さ花火の内装が優れた対衝撃構造だったおかげで、墜落したにもかかわらず無事でいられたようだ。……だが攻撃を受けず予定通り天守閣に突っ込んでいたとしても、結局は墜落と同様の状況だったのではないのか……という思いが頭から離れない。
「理論上は安全であると父上から説明があったであろう……」
「そんなこと言って! まさきだって不安がってたくせに!」
「ゾルク。気持ちはよくわかるが、喧嘩するより外に出るのが先決だ」
どこか誇らしげな態度のまさきに指摘を入れるも、マリナに制止されてしまう。……スメラギ城に帰ったら逆さ花火の感想を、まきりさんにこれでもかとぶつけたい。
噴射口が潰れ、姿勢制御翼も折れてしまった橙色の鋼鉄の卵。その扉を中からこじ開けて脱出した。
猛吹雪のため視界は悪いが幸いにも庭園にスサノオ軍の姿は無い。兵が集まってくるより早く行動しなければと、俺は意を決して足を踏み出した。……ところが。
「いだぁっ!? ……墜落の衝撃で足を痛めちゃったみたいだ」
右足に生じる違和感。俺だけ、軽い打撲を負ってしまっていた。逆さ花火は衝撃に強いはずなのに、なんと不幸なことか。
我慢すればどうということはないのだが、万全な状態で戦いに臨めないのはまずい。
「拙者に任せるがよい……」
まさきは頼もしく声を発した。
「傷を癒すのだ。
痛む箇所に手をかざし、念を込める。すると淡い緑の光が俺の右脚を包んだ。
この
「驚いたよ。まさきも治癒の魔力を持ってるんだな」
「しかし拙者に宿るものは微弱なため応急処置程度の治癒術しか扱えぬ。ゾルクよ、あまり無茶をするでないぞ……」
「わかった。ありがとう」
感謝すると共に、まさきの言葉を念頭に置くのだった。
次に、どうしても言いたかったことを遠慮なく吐き出す。
「逆さ花火の窓から見えたけど、天守閣から飛んできたのはキラメイの攻撃だったな。剣技で乗り物を撃ち落とすだなんて、デタラメにも限度ってものがあるだろ!」
「お互い様だろう。今頃、スサノオ側も逆さ花火のことを『非常識だ』とかなんとか言っているに違いない。それにキラメイや師範はデタラメに強いからこそエグゾア六幹部の座に君臨しているんだ。愚痴を零したところで埒が明かない」
マリナのこの発言には納得させられる要素しかなかった。
「とにかく口よりも足を動かせ。天守閣の最上部へ急ぐんだ。キラメイがあそこにいるのなら師範もスサノオも、みつね姫も居ると考えてほぼ間違いないだろう」
「確かにそうだな!」
「拙者も同意見なり。いざ、猛進せん……!!」
俺達三人は吹雪く庭園を走り抜け、天守閣へと侵入。最上部を目指して、なりふり構わず駆け上がっていくのみである。
ミカヅチ城天守閣の最上部にて。
スサノオは冷や汗を流し、配下の兵を怒鳴りつけていた。
「装置はいつ動くのだ!?」
「も、申し訳ありません! 起動完了には、まだしばらくの時間を要します……」
「ぐぬぬぅ~……! ぐずぐずしていると、スメラギの連中がここまで来てしまうではないか……!!」
みつね姫を閉じ込めた謎の装置の前で、こんなやり取りを繰り広げるスサノオ達。キラメイとボルストは特に何も話そうとはせず、みつね姫もじっとしている。
――その時だった。
「もう手遅れだ! やってきたぞ!」
「な、なにぃ~!?」
最上部の出入り口である引き戸を勢いよく蹴り破り、俺は叫んだ。天守閣を全力で突破し、ついに到達したのだ。
赤く厳つい鎧と兜、一振りの太刀を装備した小柄な男。眉尻を下げて怯えるこいつこそがミカヅチの領域を治める王、スサノオなのだ。大袈裟に驚く顔が滑稽である。こんなに臆病そうな男が王だとは。てんじ王とは正反対の印象だ。
「なんなのだ、あの機械は……!!」
まさきは謎の装置に閉じ込められたみつね姫を見つけ、一目散に駆け寄った。透明な壁に隔てられたまま二人は言葉を交わす。
「姫、ご無事ですか……!?」
「まさき様……! ゾルク様とマリナ様もご一緒なのですね! わたくしはなんともありません。……身勝手な判断でスメラギの里を離れてしまい、誠に申し訳ございませんでした」
みつね姫は喜ぶと同時に、自責の念に駆られた。そんな彼女を、まさきは咎めない。
「何をおっしゃるのですか。姫のおかげで救われた者もいるのです。あれが最善だったと言えましょう……。とにかく、すぐにそこからお助け致します……!」
宣言し、彼は左腰の鞘から刀を引き抜こうとする。――だが。
「そうはいかん」
突如、まさきとみつね姫の間に割って入った、紺色の衣を纏う巨漢の老武闘家。エグゾア六幹部の一員、
彼は介入と同時に、まさきをしっかりと掴み。
「せいやあああああッ!!」
背負い投げを繰り出した。
ほんの一、二秒の出来事。あまりの速さと身のこなしに、まさきは訳が分からないまま宙を舞った。装置から大きく引き離されて背中を強打してしまう。
「まさき様!?」
「くっ……接近に気付けぬとは不覚……」
まさきは素早く起き上がるも、不意の一撃に面喰らっていた。そこにボルストが言い放つ。
「姫君を助けたくば、わしらを倒してみよ」
「どこまでも拙者の邪魔をする気か。ならば……!」
まだ鞘に収まったままの刀へ手をかけ、ボルストに対抗する意思を示した。しかし、マリナが止める。
「待ってくれ、私が引き受ける。あの武闘家は私の体術の師で因縁があるんだ。まさきは、みつね姫の救出に専念してほしい」
「師弟対決というわけか。マリナよ、臆することなく挑めるのか……?」
彼女は真っ直ぐな眼差しで答えた。
「もちろんだ」
「……承知した。お主を信じよう。足止めは任せたぞ……」
マリナとまさきが言葉を交わす一方。俺の目前には黒髪紫眼の魔剣士が立ちはだかっていた。
「ククク……ハーッハッハッハッハ!! 会いたかった……会いたかったぞ、救世主!!」
「キラメイ……!」
高笑いする魔剣のキラメイ。その眼は禍々しく輝いており、俺との再会を心から羨望していたらしい。
異様さに圧倒されてしまうが……駄目だ、気後れしてはいけない。これから嫌でも戦わなければならないのだから。
「キラメイ殿、ボルスト殿! 頼みましたぞ! このスサノオ、お二方の邪魔にならぬよう兵と共に退避しておきますゆえ!」
スサノオは鬼面の兵達と共に、天守閣の片隅へと後退りする。奇想天外の事態に慌てふためいているせいか彼の声は若干ながら裏返っていた。持ち主がこんなでは、せっかく着込んだ赤く厳つい鎧兜も泣いていることだろう。
気弱なスサノオに返されるのは理不尽な戦意に満ち溢れた声と、年季の入った重々しい声。
「ふん。言われるまでもないな……!」
「わしらに任せておくがよい」
ボルストは目に見えない『気』を発し、俺達の精神を圧迫。体術の構えをとってマリナを挑発する。対する彼女も二丁の無限拳銃を手に取り、銃口を向けた。
「わざわざ
「あなたが本気で向かってくるのは百も承知。その上で選んだのです。師範、私の意志を侮らないでいただきたい!」
キラメイも行動を始める。
左手の平を自分の前に持っていき、闇の渦を生み出した。渦の中に右手を忍ばせ、ぐっと力を込めて引き抜く。その手に握られたものは、∞の字に交差した刃を有する禍々しい黒の魔剣。切っ先は、俺の命を狙い澄ましているかの如く鋭かった。
「願えば叶う、なんて言葉は信じていないが、まさか本当に救世主が現れてくれるとはな。今日の俺は運が良いらしい……!!」
邪悪な笑みから発せられる戦意の念が俺の全身を締めつけようとする。でも臆病になることは許されない。手の震えを強引に止めながら鋼色の両手剣を突き出し、対峙する。
「お前達は、俺が救世主なんかじゃないって最初から知ってたんだろ!? 『救世主』だなんて呼ぶなよ!!」
「ククク……! いいぞ、怒りは闘争心を刺激する。もっと怒れ!」
「うるさい、ふざけるな!! 今日こそ俺は、お前に勝つ!!」
「そうだ、その意気込みが必要だ! 相手の威勢が強くなければ、戦いは何の面白みも無い。せいぜい俺を楽しませてくれよ、救世主!!」
キラメイとまともに戦うためには怒りに任せて恐怖を忘れるしかない。俺は無我夢中の状態を求め、ただ必死に両手剣を握り締めるのみだった。
‐Tales of Zero‐
第31話「決戦、ミカヅチ城」
「はあああっ!
「どりゃあッ!
マリナとボルストは互いに脚技を打ち合い、激しい格闘戦となった。
そして俺も力の限りでキラメイとの勝負に臨む。
「
振り下ろし、振り上げ、再びの振り下ろし。連続で両手剣を振るうと同時に風属性の衝撃波を放つ奥義である。
これに対してキラメイは。
「
振り上げ、振り下ろし、再度の振り上げという動きで衝撃波を飛ばす、
それぞれが三度放った地を這う衝撃波は、相手に向かって勢い良く走っていく。が、ぶつかり合った瞬間、相殺した。
「ならば!
通用しないと判断したキラメイは、すぐさま戦法を切り替えた。闇属性の魔法陣を俺の足元に出現させ、その場に縛り付けようと図ったのだ。
「うわぁっ!?」
キラメイの意図を知らない俺は魔法陣から伸びる影に胴体を縛り付けられ、まんまと捕らえられてしまう。
「どうした! 俺に勝つんじゃあなかったのか!!」
間髪容れず、魔剣を持ち上げて俺を両断せんと目論む。
このままでは真っ二つ。しかし、打つ手が無いわけではない。
「
両手剣の刃に光を纏わせて突貫。身体を縛る影を斬り裂き、勢いのままにキラメイへと突き進んだ。
「なにっ!?」
予想外の反撃に、キラメイは即座に回避行動をとる。閃空弾そのものは避けられてしまったが、俺もどうにか斬られずに済んだのであった。
剣技の応酬は終わらない。キラメイの魔剣が猛々しい炎に包まれた。そして遠慮なしに振り下ろされる。
「
「
すかさず、俺は両手剣に水流を纏わせる。燃え盛る魔剣にぶつけて炎を打ち消した。
相殺の反動で弾かれ、互いに距離を取らざるを得なくなる。だがキラメイはそれを逆手に取り、中距離から仕掛けてきた。
「この奥義ではどうだ!
魔剣を振り上げ、自身の前方に炎の衝撃波を撃ち出した後。
「
即座に刃を床へ叩きつけ、天井へと立ち昇る複数の火柱を走らせて追撃。先ほどの爆炎剣とは比べ物にならないほどの灼炎が、部屋を焼きながら俺に迫る。
初撃である炎の衝撃波は、慌てず横に跳躍してやり過ごした。けれども追撃の火柱を回避する気は無い。何故ならば。
「
それをも打ち消すことの出来る奥義を習得しているからである。
足元から真上に両手剣を振るうと、火柱に負けず劣らずの巨大な水の柱が目の前に生まれた。この水柱を中央から叩き斬り、前方と左右に分断。迫りくる幾つもの火柱を三つの水流で受け止め、見事に消し止めてみせた。
「これも防ぐか……! だったら、こいつを見舞ってやろう!」
狂喜するキラメイ。魔剣に変化が起こる。黒き剣身から発せられる紫色のオーラが嵐のような勢いで逆巻き始めたのだ。
彼が今から発動する剣技……それは、これまでとは一線を画すもの。紛れもなく秘奥義である。
「俺に葬られること、光栄に思え!」
両手で掲げた魔剣が瞬く間に膨張。元の大きさの何倍にも巨大化。俺は呆然と見上げてしまった。
キラメイはニヤリと笑う。実に楽しげなその表情を捉えた俺は、やっと我に返った。そして身体が反射的に動き、両手剣の柄に付加された蒼のビットに精神力が込められる。
「
巨大な魔剣が襲い掛かる。しかも一度のみではない。キラメイは幾重にも渡って魔剣を振り回した。魔剣自体に接触せずとも、逆巻く闇のオーラが肌を削るかの如くなぞってくる。
「こなくそおおおお!!
すんでのところで俺も秘奥義を発動した。
得物である両手剣が見る見るうちに大きさを増していく。けれど、この秘奥義は明確な目的を持って放ったわけではない。前述の通り、身体が反射的に動いて繰り出してしまったのだ。
この無自覚な行動は俺自身を救うこととなる。巨大化した両手剣は暴れる魔剣へとぶつかり盾となり、連続攻撃の全てを受け止めた。その間、俺は全力で踏ん張り両手剣を支え続けた。
――そして。無理矢理な形ではあったが、俺の
「や、やり過ごせた! ……って、のわああああ!?」
防御には成功したものの、問題はその直後にあった。
役目を終えた両手剣は元の大きさへと戻った。しかし、場には闇のオーラの余波が。盾となるものを失って踏ん張れなくなった俺は余波によって吹き飛ばされ、床を転がる破目となったのだ。
「秘奥義を攻撃ではなく防御のために使い、被害を最小限に抑えたか。……ククク。先の術技の相殺といい、スラウの森で戦った時よりも成長しているようだな。面白い、面白いぞ救世主!」
いったん魔剣を下ろし、手応えを感じるキラメイ。自らの剣技を何度も防がれたことに憤慨するどころか歓喜しており、純粋に戦いの味を噛み締めている。
そんな彼に対し、俺は。
「うおおおお!!」
「……むっ!?」
その隙をチャンスと見て、体勢を立て直しつつ斬りかかる。卑怯だとは微塵も思わなかった。けれどもキラメイはすぐに察知し、バックステップによって避けてみせた。
「なんだ、余韻に浸らせてもくれないのか。どうしてそんなに焦っている? 戦いは始まったばかりだぞ。この俺を、より長く楽しませてみせろ!」
「黙れ!! お前達エグゾアのせいで俺の身体は……!!」
「埋め込まれたエンシェントビットのことか? 怨むなら総司令を怨め。全ては総司令の目的である『世界の破壊と創造』のためなんだからな」
怒りに燃える俺を視界に捉えてもキラメイは怖じ気づくことなく、変わらぬ態度で話を続ける。
「……とは言っても、俺は総司令の野望に関心が無い。この魔剣を操り、面白い奴と戦えれば後はどうでもいいからな。だから救世主よ、お前は俺の渇きを癒すため更に実力を発揮しろ。そしてエンシェントビットを埋め込まれた未知数の力を持つアムノイドとして、俺の前に立ちはだかれ!」
――心の芯が凍り、針で貫かれた――
「俺をっ……!! 俺を『救世主』だなんて呼ぶな!! 『アムノイド』だなんて呼ぶな!! 俺は……俺はっ…………うああああ!!」
この感情、隠し通せるわけがなかった。容易く取り乱した俺は何も言い返せなくなり、無様に大声を出しながら両手剣を振りかざす。
悲しき叫びはマリナにも届いていた。
「ゾルク……」
闇雲にキラメイへと走る俺を目の当たりにした後、彼女は急にボルストとの間合いを取った。そして攻撃の手を休め、なんと対話を試みたのだ。
「……師範、無駄を承知でお尋ねします。ゾルクからエンシェントビットを取り除く方法を、お教えください。デウスが発した『マリナ・ウィルバートンの真実』という言葉の意味も。そして師範達は、リゾリュート大陸で何をやろうとしているのですか……!?」
マリナは強く訴え続ける。
「私が時空転移によってこの地に舞い降りた時、転移の光を受けたスサノオ兵が撤退に追い込まれたと聞きました。当初は理由がさっぱりわかりませんでしたが、師範達エグゾアが関わっているとなれば話は変わってきます。心当たりがあるとすれば、それは『ビット』。もしもビットとスサノオ兵の間に何か関係があるのだとしたら、時空転移の光がスサノオ兵に何らかの影響を及ぼしたとも充分に考えられるはず……!」
空気を読んだのかボルストも体術の構えを一時的に解いた。……解いたのだが、その目付きは鋭いままであり返事は淡々としていた。
「エンシェントビットを取り除く方法の有無や、お主の真実を知っているのは、総司令のみ。そして、わしらがどうしてスサノオに加担しているのか、その理由を教える義理など無かろうて。転移の光で兵が退いた件についてもな」
「……やはり愚問でしたね。しかし、もう一つお尋ねしたい」
大きく息を吸い、自らを落ち着かせる仕草。その直後、マリナは毅然として開口した。
「どうして師範ほどのお方がエグゾアに属し、デウスを助けるのですか? 『世界の破壊と創造』などというめちゃくちゃな野望を、あなたが容認しているのはおかしい!」
「これはまた不可解な問いだな」
「私は旅の中で記憶の矛盾を発見しました。矛盾の原因はおそらく、エグゾアによって記憶を操作されたことにあるはず。だからこそ、エグゾアからエンシェントビットを持ち去ろうと決意した一年前のあの日まで『世界征服』という偽の建前すらも知らなかったのです。そしてデウスの手の平の上で踊らされて救世主を探し出し、旅を続け……その結果として仲間を窮地に追い込んでしまった……」
これは彼女の憶測ではあるが、実際に騙されていたのだから記憶操作の線も確かに有り得る。
「師範も記憶を操作され、デウスから都合のいいように扱われているという可能性を考えたことはありますか? もしも思い当たる節が……記憶の食い違いがあるのであれば、一刻も早くエグゾアを抜けるべきです!」
悔しさを滲ませながら、説得を始めた。
「私は今まで一度も自分の記憶を疑ったことがありませんでした。……とは言うものの、自分の記憶が本物か偽物かと悩むなど、きっかけが無ければ誰も考えないようなことですが……。とにかくこれらの理由により、師範のように良識ある人間がエグゾアに属していることも仕組まれたものなのではないか、と思ったのです」
マリナはボルストを『良識ある人間』と称したが、俺はそんな印象を少しも持ってはいない。俺達の邪魔をする『敵』という認識しかないのだ。
だが彼女にとっては、エグゾアに属していた頃に世話になった体術の師範。俺が知らないだけでボルスト・キアグという人物は、マリナがあれほど熱心に説得するだけの価値を有した人物なのかもしれない。
「何かと思えば、そんなこと。わしの記憶は操作されてなどおらぬ。全ての記憶が本物だという確証もある」
……だが。熱く語るマリナとは対照的に、ボルストは「そんなこと」呼ばわり。
「では、どうしてエグゾアに!?」
「……恩があるのだ。わしは過去に、総司令によって命を救われたことがある。その時、忠誠を誓ったのだ。『たとえこの先、どのようなことがあろうとも総司令に付き従う』とな」
両目を閉じ、昔を思い返すかのようにゆっくりと呟いた。その声色からは感慨深さすら受け取れる。
「恩のためなら世界も人々もどうなってもいい、とおっしゃるのですか!」
「いかにも」
キッと目を見開き、威圧的に信念をぶつけるボルスト。彼の気持ちに、揺らぐ隙間など無いらしい。
ボルストの返答で、マリナは少なからずショックを受けた様子。僅かにうなだれると共に説得を諦めてしまった。
「私の考えが……甘かったようです。師範なら私の話を受け入れてくださると、心の片隅で思い込んでいました。ですが、やはりあなたはエグゾアの人間なのですね」
「笑止千万! マリナよ、そこまで腑抜けた思考をするようになっていたとは嘆かわしいぞ」
ボルストが己の意思を知らしめた後。マリナはそれまでの熱心さを殺して、次のように零した。
「……私の記憶が実際に操作されているとしたら……。頭の中にある師範やリフとの鍛練の日々は、全て捏造されたものなのでしょうか。厳しくも優しく接してくださった師範の背中や、下手を打っても挫けず努力していたリフの姿は、虚像なのでしょうか……。自分の記憶を信じられなくなった私にはもう、わかりません。あなたから真実を聞き出すことすらも本当は……恐ろしいと感じています……」
弱々しく小さな声で大気を泳いだ、彼女の言葉。ボルストはこれを耳にした途端、双眼を点にした。しかし、うなだれたままのマリナがボルストの表情を拝むことはなく、ボルストもすぐに平静を取り戻す。
――この時、彼は何を想っていたのだろうか。
「……用件は済んだようだな。ならば、続きを始めるとしようぞ!!」
暑苦しき再開の号。逆立った白髪を揺らし、早くも体術を繰り出そうとしている。
否応なくマリナの耳に飛び込んだこの叫びは、彼女の意識を現実へと即座に引き戻す。
「くっ……師範……!」
マリナは顔を上げ、無限拳銃のグリップを握り締める。そして僅かに滲んだ翠眼で師を睨み、再び激戦に身を投じるのであった。