Tales of Zero【テイルズオブゼロ 無から始まるRPG】   作:フルカラー

57 / 67
第53話「異彩の双極」 語り:ミッシェル

「冗談じゃないわ……!」

 

 あたしだけは義手に捕まらず、足場に残っていた。いや、「残された」と言うべきか。

 痺れる手足に意識を集中し、最低限の感覚を取り戻す。そして場外に飛び出したナスターの両義手が戻ってくる前にと、筆術(ひつじゅつ)の発動を即決した。描いたのは、真珠色の魔法陣。

 

(やく)(あらが)う浄化の雨となれ、無垢(むく)なる真珠(しんじゅ)! パールライト!」

 

 魔法陣から光が立ち昇った後、輝く雨が自分を中心に広く降り注ぐ。――皆が落ちていった奈落にも。あたし自身の状態異常の回復はもちろんのことだが、浄化の雨が仲間に届くことを願って、一か八かで発動したのだ。ウィスタリアミストの効果も洗い流せたらしく、これでようやっと体調が正常に戻った。

 

「グフ、グフフフフフ……! 計画通り、計画通りぃ……!!」

 

 隠しきれない喜びがナスターから漏れ出る。

 ……直後、天から広間へと雷鳴が轟いた。すっかり忘れていたが天井は開いており、上空は雷雲に覆われていたのだった。あの雷鳴、奴の心中――喜びの爆発を現しているようで、気分が悪くなってしまう。

 そしてナスターは唐突に自分語りを始めた。歓喜から一転、困り果てた表情となって。

 

「……正直に申し上げますと、救世主が行使すると噂の『エンシェントビットによる世界の理の書き換え』や『自由に飛行する能力』を、ボクは大変警戒していました。絶大な力を持つ総司令が致命傷を負ってしまわれたレベルですからねぇ。業界ではチートプレイと呼称されるような、非常に遺憾な行為なのですよぉ」

 

 更に一回転して、気味の悪く明るい笑顔が戻ってきた。

 

「しかぁし! ある日とつぜん手に入った未知なる特殊能力など、ただの剣士がそう簡単に扱えるようになるはずがありませぇん。この類の能力は、集中を途切れさせるだけで発動を防げると踏みましたぁ。バーミリオンファングによるダメージも加わったおかげか想定通りに飛行能力の発動を防ぎ、奈落の底に落とせたので御の字でぇす!」

 

 さっきは、ゾルクへの対策も兼ねた上で状態異常攻撃を仕掛けたというわけか。双翼飛翔剣(そうよくひしょうけん)の際に状態異常を用いなかったのは、奈落を利用し皆をまとめて始末することを考えて秘匿したかったからだろう。恐ろしいほどの用意周到さである。

 

「仮に史上最強を(うた)う戦士がいたとしても、不治(ふじ)(やまい)には勝てず死、あるのみぃ。肉体の内側から蝕み、全てを破壊していく状態異常の美学。いつの日も素晴らしすぎて身体の震えが止まりませぇん! ボクの技術力って、どうです! すごいでしょぉう!!」

 

「はいはい、すごいすごい」

 

 自己陶酔し、拍手喝采を浴びているかのように両手を広げている。おめでたい奴だ。感情の無い相槌で流してやった。

 

「……そんなことよりもね。あたし、びっくりしてるの。一人になっちゃうなんて思わなかったわ。でもこれって、わざとなんでしょ?」

 

 ナスターは無垢な子供のような目をしながら回答し、戦う意思を見せた。

 

「ご名答! 散々邪魔をしてくださったアナタだけは、ボクがこの手で直接! 心臓を抉り出して差し上げまぁす!!」

 

「ノーサンキューよ!!」

 

 楽しさすら含んだ狂気に気圧されることなく、自分の大筆(たいひつ)をしっかりと握り締めた。

 ……落下した仲間を救うために出来ることは、パールライト発動が最初で最後だった。後はもう、生きていることを願うのみ。ここからの戦闘は、たった一人でもやるしかない……!

 

「あたしの本気!」

 

 白の足場という巨大なキャンバスの上で、ビットの煌く大筆を縦横無尽に駆け巡らせた。筆先からは虹色の絵具が多量に溢れ出ており、込められた魔力や気力、そして想いの大きさを物語っている。

 

「傑作『ソルフェグラッフォレーチェ』召喚せり」

 

 描き上げたのは、フレソウム家の象徴と言っても過言ではない壮大な作品。あたしの引き締まった声が、平面に描かれたそれを立体へと叩き起こした。

 ――縦に長い直方体型の純白の胴体を、ひょろっとした細長い脚で支え、極端に長く鞭のようにしなる腕を持った人形。胴体の上には真っ黒で大きな瞳と、ナスター以上に自己主張の強い三日月型の口を有した、まん丸の頭が乗っかっている。それが、この場の誰よりも背の高い傑作人形『ソルフェグラッフォレーチェ』なのである。

 

「幻惑の魔手(ましゅ)にて暴虐(ぼうぎゃく)の限りを尽くせ!」

 

 傑作はあたしの指示に従って、巨体をグルンとくねらせてナスターに対面し、捻じ伏せようとする。

 

「アナタの秘奥義、初見ですが解析済みなのです! 報告は受けていたのでねぇ!」

 

 奴は物怖じせず、純白の巨体を大胆にも正面から……と思いきや。漆黒の白衣を(ひるがえ)し、持ち前の俊足で背後に回り込む。

 

「マシンブラスター!!」

 

 呆気なかった。光線銃に変形した左の義手は、白く太い閃光を放出。傑作は胴体に大きな空洞をこしらえて床にへばりつく。その様は、大木が倒れるかの如く騒々しかった。そして消滅するかしないかの狭間となり、停止してしまう。

 

「研ぎ澄ます紅玉(こうぎょく)! 守り抜く柘榴石(ざくろいし)!」

 

 大筆は、まだ走る。

 

「ルビーブレイド! ガーネットアーマー!」

 

 傷付けられる傑作に目もくれず、物理面の攻守を強化する筆術を描いた。剣と鎧の絵があたしに飛びつくと同時に、ナスターは傑作の真の役目に気付く。

 

「なるほど、秘奥義を囮にして能力強化ですか。考えましたねぇ。で・す・が、発動後は隙だらけぇ! 強化など無意味ですよぉ!」

 

 隙がどうした。次なる秘奥義の線を引くのみ。あなたが近寄ってこようと関係ない。それが今のあたしに可能な、全身全霊をかけた戦い方なのだから。

 

「あたしの! もっと本気!!」

 

 筆先の絵具は、まだ輝きを保っている。そして集中力は一瞬にして極限へ。

 

(えが)き生み出すは鮮やかなる癒しの輝き。我らを導け、慈愛満ちる聖域へと」

 

 虹色の筆先で、白く透き通った水晶色の魔法陣を繊細に描き込んでいく。ガーネットアーマーで物理防御力が上昇しているので、奴から射撃を受けても踏ん張れており怯みはしない。

 完成した魔法陣は自ずと拡大し、楽園とも見紛うほどの聖域を幻影として立体的に映した。

 

「クリスタル・サンクチュアリ!」

 

 聖域が放つは、攻防一体の水晶色の光。発動者や味方を包み込んで傷を癒しつつ、外部からの攻撃を完全防御。そして敵を光で照らして焼き焦がすのである。

 

「その秘奥義の情報も取得済みぃ! この際、多少のダメージなど問題ではありませぇん! マシンソード!!」

 

 奴は身を焼き焦がす光などそっちのけで、聖域へ侵入。内側に入り込んでしまえば遮られず直接攻撃できると判断したのだろう。義手を剣状に変形させ、中心に居るあたしの命を今まさに奪おうとした。

 

 確かに、内部からの直接攻撃は通る。正しい判断だと褒めてあげよう。

 

 ――しかし奴は、ここまでの流れこそが、あたしの作戦だったとは知らない。

 

特攻刺(とっこうし)っ!!」

 

「ぎゃあああああっ!?」

 

 ナスターが刃の義手を振り下ろすよりも早く踏み込み、大筆の石突きを突出させた。

 ……先日、トローク坑道でみつね姫が披露したジオギドラに対する騙し討ち。それを参考にして、一癖も二癖もあるナスターの裏をかいたのだ。

 ルビーブレイドで強化された石突きに腹部を深く貫かれ、さぞ後悔したことだろう。おびただしい流血が白の足場を染めた。この致命傷によって気絶してくれれば、あたしの勝利となる。

 

「まっ……まだっ、まだまだまだまだぁ……!! やられるわけにはいきませぇん!!」

 

 ……はずだった。

 本命の特攻刺(とっこうし)でナスターを撃破できなかったのだ。至る所から脂汗を流しつつもギリギリで意識を保っている。そして奴は反撃のため、右の義手を振りかざした。

 由々しき事態である。あたしがとったのは捨て身の戦法。大筆を突き刺しているこの状態だと筆術を描けない。作戦が失敗したとなれば、自身に返ってくる代償も半端ではないのだ。

 

「マシンチェーンソー!! 心臓を目指して一直線に切り裂いてあげましょぉう!!」

 

 右の義手は大型チェーンソーに形を変えた。大筆に貫かれたまま攻撃に転ずるというあまりの執念に圧倒され、次にとるべき行動が即座に浮かばなかった。

 

「ぎっ……!? ううっ……わああああああああっ!!」

 

 激痛は、当然のように絶叫と涙を生んだ。

 エンジンからの動力を受けて回転する鎖鋸(くさりのこ)が、否応無しに振り下ろされた。黒の衣服ごとあたしの左肩をズタズタに切断していく。激しい振動を伴っているため皮や血肉が飛び散り、骨も容易く砕けた。ガーネットアーマーを使用していなければ、もっと酷い有様だったことだろう。

 明らかに再起不能レベルの重傷なのだが、鎖鋸が心臓に到達することも、身体が分断されることもない。その秘密は――クリスタル・サンクチュアリにある。未だ残る水晶色の聖域が、傷付く身体を超常的な回復力で治癒し続けており、治ったそばからチェーンソーを押し戻しているのだ。

 ……命が助かっても、これは永遠の地獄と言って差し支えない。あまりの痛みに、脳が何もかも遮断してしまいそうである。

 

「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い……!! 痛いぃぃぃっ……!!」

 

 少しでも声に出して激痛を和らげようとするが、無駄な抵抗である。涙が止まらず、頭は朦朧(もうろう)としてきた。

 

「でしたらその手を離せばいいでしょう! アナタは意味なく持ちこたえているだけぇ!」

 

「離さ、ない……!!」

 

 ナスターは、鬼気迫る表情で睨みつけられてしまう。あたしと目が合った途端、柄にも無くたじろいだ。そのせいか鎖鋸の威力も少し弱まった。

 

「な、なんなのですかアナタ……もう諦めなさい! いくらなんでも非常識なのではぁ!?」

 

「非常識……ですって!? それ、あなたは絶対しちゃいけない指摘よ……!!」

 

 体力とは裏腹に、あたしの炎は衰えを覚えない。

 

「だいたいね! あたしには、ここまでする筋合いがあるわ! 落とされた仲間を助けに行くためにも、家族達の仇を討つためにも、メリエルを連れて帰るためにも! あなたを倒さなきゃならないの! 諦めるわけ……ないじゃない!!」

 

「ぎゃあっ!? 筆を……捻っては、いけませぇん……!」

 

 大筆で奴の身体をどうにか抉ってみせたのだが、倒すにはまだ足りなかった。

 クリスタル・サンクチュアリも、いつかは効果を終えて消滅する。そうなればあたしは、ボロ切れのように裂かれて死んでしまうだろう。

 

 ――最後の希望があるとするなら、それはメリエルと『ソルフェグラッフォレーチェ』である。

 

 傑作は不思議なことに、伏せて消えかかったまま停止した状態を未だに保っていた。メリエルがあれを重ね塗りしてくれれば、後はあたしの意思で再び動かすことが出来る。

 

「メリエル!! お願い、起きて!! あなたの力が必要なの!!」

 

 気付けば、無我夢中で声を張り上げていた。あたし達から離れたまま気絶している彼女へ届くように。しかし反応は返ってこない……。

 

「『ソルフェグラッフォレーチェ』を重ね塗りして!! 秘奥義の上描きなんて、あなたにしかできない!! だから目を覚ましてよ、メリエルーッ!!」

 

 懸命に呼びかけるが、やはり動きはなかった。

 その様子を、あたしの眼前でナスターが気弱く見守っていた。奴の傷も深く、右義手の大型チェーンソーを支えるのに精一杯。呼びかけの阻止や、傑作を抹消する手段がないのだ。

 

「い、いいのですかぁ? 洗脳は解けてなどいませんよぉ……?」

 

「……強がるのやめたら? あたしの説得は、とっくに通じてるの。だからこうして呼んでるのよ」

 

「何を根拠に……!!」

 

「根拠ですって? 決まってるじゃない」

 

 誰かさんのように嫌味ったらしく、不敵な笑顔を浮かべる。

 

「メリエルが……あたしの双子の姉で! たった二人だけの!! 家族だからよ!!」

 

「こ、根拠って、そんなことぉ? やはり非常識ですよ、アナタはぁ……!」

 

 あたしが発する異様な気迫と自信は、ナスターの身を僅かに仰け反らせた。隠しきれない焦燥が、奴の体中から滲み出ている。

 

 ――と、その時。どぎつい発光が視界を掌握し、爆音が轟いた。

 

「きゃあああっ!!」

「ぎょへあっ!?」

 

 落雷である。ずっと上空で蠢いていた黒雲が、まさかのタイミングで戯れたのだ。壁の一部の蛍光照明が破損し焼け焦げている。どうやらそこに落ちたようだ。

 同時に、雷は衝撃波をもたらした。あたしとナスターと気絶中のメリエルは波をまともに受けてしまう。大筆は奴の腹部から抜け、あたしの左肩はチェーンソーから解放された。そして三人とも無力に床を転がらざるを得なかった。

 

「ぐはぁぁぁっ……雷に助けられましたか……。しかし、いくらボクでもこの状況は、マズいですねぇ……。ミッシェル・フレソウムめ……!」

 

「はぁっ、はぁっ……。あいつ、まだやられてないの……!? もうあたし、リミット超えてるのに……。ムカつくったら……ありゃしない……!!」

 

 離れた場所で互いに起き上がれないまま、血溜まりと恨み言を生んだ。

 あたしの左肩から流血は続いているが、幸いなことに怪我自体は最低限のところまで治癒できていた。しかし頼みの綱のクリスタル・サンクチュアリは落雷の衝撃波で完全に消滅してしまった。もう捨て身の攻撃は望めないし、疲弊を極めているため勝負をつけられるかすら怪しい。それはナスターも同じことだった。大筆で開けられた腹部の風穴のせいで、攻勢に転ずることができずにいる。

 ……とは言ったものの、分があるとすれば向こうの方だ。奴はエグゾア六幹部の一人、狂鋼(きょうこう)のナスター。あたし達六人を全滅寸前まで追い詰めた、紛れもない強敵である。動けないふりをして、次の瞬間には飛び道具を放ってくるかもしれない。形勢逆転するような奇策だって隠し持っているかもしれないのだ。

 絶対に諦めたくはないのだが……あたしに講じられる手立ては残されていなかった。

 

「なんなの? さっきの音は……」

 

 あたし達の間へふらりと割って入ったのは、紅のバトルドレスを揺らめかせた人影。立位はとれているが、覚醒しきっていないような、ぼーっとした声を出している。

 

「メリエル! 良かった、気が付いたのね……!」

 

 喜び見上げると、その手には彼女の大筆がしっかりと握られている。あたしの声は届いていたのか。

 

「……ナスター? 私、長い悪夢を見ていたみたい」

 

 話しかけた相手は、あたしではなかった。すぐに、奴の勝ち誇った台詞が飛び込んでくる。

 

「ほぉぉぉら、ご覧なさい! ボクの洗脳は完璧でした!! ミッシェル・フレソウム、アナタの負けですよぉ!!」

 

「メ、メリエル……」

 

 彼女の眼差しには、冷徹さがしっかりと残っていた。

 

 

 

 ――まさしく「絶望」だった。

 

 助けるためにいくら行動しても。

 

 洗脳を解くと本気で信じていても。

 

 このような現実が訪れてしまったのなら……心は折れるしかなかった。

 

 メリエルが誘拐された、あの日から三年。

 

 取り戻せる日が来るのを待ち望み、努力してきたのに。

 

 救い出せず幕が下りるなんて……最悪で、悔しくて、己を嫌悪した。

 

 ……ダメだ。視界が滲んで、何も見えない。

 

 全て終わってしまった――

 

 

 

「さぁ! とどめを刺しなさぁい!」

 

 這いつくばったまま、いつになく嬉しそうに命令を下した。するとメリエルは、ナスターに次のような返事をする。

 

「とどめ……ね。もちろんだけれど、先に言っておかなければいけないことがあるわ」

 

「ボクも限界なので、手短にお願い致しまぁす」

 

 そして神速で大筆を操った。

 

「私の……家族をっ!!」

 

 ――憎悪を真紅の瞳に宿し、限りない怒声を叩きつけながら。

 

「……え?」

 

 目が点になるナスター。舞い踊るバトルドレスと筆先の動きに合わせ、消えかかっていた傑作は虹色に包まれていき、虚ろだった眼を光らせる。

 

「泣かせるなぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 

 ‐Tales of Zero‐

 

 第53話「異彩の双極」

 

 

 

 三秒と経たなかった。『ソルフェグラッフォレーチェ』は全身から虹色の輝きを放ち、見事に再臨したのである。

 直前まで感じていたものとは正反対の現実になり戸惑ったが、すぐに理解した。後は、あたしが傑作に意思を込めるのみ。

 

「せ、洗脳が」

 

 ナスターが言えたのは、そこまでだった。

 高く跳躍した傑作は奴の胴体の風穴を目掛けて落下し、まず一撃。極端に長い右腕で潰すように殴りつけた。次は両腕を使い、床ごとぶち抜いても構わないつもりでマシンガンのような連打を浴びせる。奴の下に溜まった血は、重い殴打音を伴奏にして跳ね続けている。

 最後は細長い脚に最大の力を込め……万感の思いで踏みつけた。そして役割を果たした傑作は、光る砂のように揺れて消えていった。

 拡大した血溜まりの上で、ナスターは悲鳴も上げられないまま気を失った。それを確認したメリエルはこちらに歩み寄り、倒れているあたしを覗き込む。……エグゾア六幹部としての闇は一切、真紅の瞳から消え去っていた。

 

「やっぱり何度描いても苦手よ。『ソルフェグラッフォレーチェ』なんて」

 

「でもね、思った通り。前よりも立派に描けてたわ」

 

 お互い、泣き出しそうに笑った。そしてメリエルは膝を突き、横たわったあたしを抱き起こす。

 ――それじゃあ、お迎えの言葉を贈ってあげましょっか。

 

「……とっても、とーっても長い、お出かけだったわね」

 

「帰りが遅くなってしまって……本当にごめんなさい」

 

「おかえり、メリエル」

 

「ただいま、ミッシェル」

 

 四つの紅い源泉は決壊した。

 強く、強く、強く、三年分の想いごと抱擁する。

 二度と離れ離れになるまいと、約束を交わすように――

 

 

 

「ボ…………」

 

 二人して、咄嗟に身構えた。先ほど気を失ったはずのナスターが、もう口を開けたからである。『ソルフェグラッフォレーチェ』による怒りの猛攻を受けたというのに、なんという生命力だろうか。

 

「ボクは本気で戦ったのに……負けたぁ? ありえません、ありえませんよ、このようなことぉ……」

 

 だが、身体は血溜まりで黒雲を仰いだまま、頭だけをこちらに向けるのみ。さすがに反撃の意思も体力もないようであり、今にも消え入りそうな声だった。

 それが判ると、気持ちはすぐに落ち着いた。そしてあたしがキツく言い放つ。

 

「ありのままを受け入れなさいよ。あなたは負けたの。あたしとメリエルの『想いの力』の前に」

 

「『想いの力』ぁ……? そんなもの有り得ませぇん……。相手を想うことなどにエネルギーは生じない。ただの空虚。ゼロでしかないはずぅ……」

 

「ゼロなんかじゃないわ。あたし達にとってはエネルギーそのものよ。『愛』って言えばわかりやすいかしら」

 

 と、ここまで述べてから思い出した。マリナとボルストの絆を理解できていなかったことに。

 

「……いいえ、教えるだけ無駄だったわね。あなたには一生わからないし、あなたが求めてるものじゃないってことは間違いないわ」

 

 メリエルの腕の中から、ひどく憐れんでやった。

 

双極(ふたご)の愛に敗れたなど……信じられ……ませぇん……。理解不能……解析不能…………」

 

 そしてナスターは不信を抱いてブツブツと呟くと、今度こそ完全に気を失うのだった。

 ――すぐ後で。メリエル救出、ナスター撃破に続き、心配事の答えが文字通り飛行してきた。

 

「ミッシェル!! 大丈夫か!?」

 

「ゾルク……!」

 

 金髪蒼眼の彼が、天翔来(てんしょうらい)によって光る二対の翼を背に携え、奈落の底から舞い戻ってきたのだ。翼を消して着地し、疲れを押して駆け寄ってくる。

 

「ボロボロになっちゃったけど大丈夫! ナスターはコテンパンにやっつけといた!! メリエルも、この通り!」

 

 傷付いたあたしを優しく抱き締めているメリエルを見て、目を丸くした。

 

「ああっ!?」

 

 そして彼らしく、自分のことのように喜んでくれた。

 

「……そっか、ついに助け出せたんだ。ミッシェル、やったな!」

 

「にっひーん♪ あたし、やる時はやる女なんだから!」

 

 右手でピースサインを作り、得意げに突き出した。大勝利の証明である。

 今度は、皆のことについて恐る恐る尋ねた。

 

「そっちはどうだったの? みんな、ちゃんと生きてる……?」

 

「無事だよ! ミッシェルが身体を浄化してくれたから底に着くギリギリで飛べて、みんなを拾えたんだ。そのあと戦闘員に囲まれちゃったから、なかなか上がって来られなかったんだけど……力を合わせて何とか倒した。そろそろ、みんな戻って来るはずさ」

 

 奈落へ降らせたパールライトは届いていた。これでやっと胸を撫で下ろせる。

 しかし、ゾルクのように飛べない皆は、どうやって戻るつもりなのだろうか。……その答えも、すぐにわかった。

 

「上手くいったようですね。解析が容易に済んで助かりました。さて、戦況のほどは」

 

「どうやら終わっているようだ。……それも、良い結果で」

 

 青白く四角い陣――転送魔法陣が、瞬く間に現れたのだ。その上には武器を構えた残りの四人の姿が。確かに別状ない様子で立っていた。……後で聞いた話だが、戦闘員が奈落の底での奇襲用に使っていた転送魔法陣の術式をジーレイが解析し、逆に利用したという。自分にとって未知の術式を解析するのは楽ではないだろうに、流石は偉大なる魔術師様だと感服した。

 ジーレイとマリナの会話のあと、皆は武器を仕舞う。そして魔法陣が消え切るのを待たず、ソシアがポニーテールを揺らして走り出した。

 

「ミッシェルさん、成し遂げたんですね……! おめでとうございます……! メリエル……さんも、おかえりなさい……!」

 

 あたしとメリエルに飛びつくと、涙声で祝福してくれた。ソシアはエグゾアに母親を奪われた身。あたしと似た立場であるからこそ、この感情が痛いほどわかるのだろう。

 

「ありがとね、ソシア」

 

 だからあたしは彼女も抱き締め、震える頭をそっと撫でた。

 仲間が帰ってきてから一言も喋らなかったメリエル。ようやく、静かに口を開く。

 

「私、洗脳されていた間の記憶も、まばらだけど残っているの。あなた達を傷付けたことも覚えているから……その……」

 

 後ろめたい、と言いたいのだろう。だが、ここにはメリエルを責める人間など、一人として居ない。

 

「あー、気にしなくていいって! 全員、全部わかってて救出に協力してくれたんだから。みんな、本当にありがとね! ほら、メリエルも!」

 

「……ええ。助けてくれて、ありがとう……!」

 

 メリエルの緊張は解れ切っていなかったが、皆の温かな表情を認めると、心からの感謝を述べた。その返事は、ゾルクが代表して送った。

 

「どういたしまして。救世主として当然の行いだからね!」

 

 しかしどういうわけか、ボサボサの金髪を照れ臭そうに掻いている。

 ……もしかして、本来のメリエルの美貌にあてられちゃった? でもあなたにはマリナがいるでしょ、まったくもう。

 

 一段落つき、身体を癒した後。改めて、あたしとメリエルでナスターを倒したことを知らせる。当のナスターは依然として血溜まりの上。念のためソシアが弓を手にしながら接近し、状態を確認する。

 

「まだ呼吸があるようですね。出血量はとんでもないのに、おかしなくらいタフです……」

 

 彼女が気味悪そうに伝えると、まさきが判断を下した。

 

「こやつが存命だと危険極まりない。生かしたところで、拙者達に協力などせぬことは明白。故に斬首(ざんしゅ)を薦める。執行は拙者に任せるがよい……」

 

「賛成です。では早速、お願い致します」

 

 ジーレイが促し、彼は左腰の刀を抜いて奴に近づこうとした。――その瞬間。

 

「あ」

 

 ゾルクの発した一文字だけが響いた。

 ナスターは一言も発さず起き上がると全力疾走で奈落へ突き進み、そのまま落ちていった。乱心して身投げしたのか、はたまた脱出経路がそこにあったのか、知る由は無い。

 

「物凄い逃げ足だったな……。でも、あの怪我でどうして動けたんだろう?」

 

 皆、ゾルクと同じ疑問を持った。だが、ソシアはすぐに見破る。

 

「あの光、治癒術の……! ナスターは治癒術も使えたんですね」

 

 ソシアの視線の先には例の血溜まりがあったのだが、よく見るとその上には淡い光の軌跡が残っていた。あたしも凝視したが、確かに治癒術を発動した時に生じる光だった。

 

「気絶は演技であり、逃走可能になるまで体力を回復していたのか。最後の最後まで奥の手を隠していたとは、敵ながら天晴(あっぱ)れなり……」

 

 まさきは、やむなく刀を鞘に収め、肩を落とした。取り逃がしてしまったことに責任を感じているらしいが、もう仕方のないことだ。次に出くわす機会があれば、その時に叩きのめすまで。

 ――直後、ピピピピと機械音が鳴り始めた。通信機の着信音である。マリナは山吹色のジャケットの内側からそれを取り出し、ボタンを押した。通信相手はアシュトンである。

 

『おい、マリナ! 聞こえるか!?』

 

「タイミングが良いな。丁度、迎えを頼もうとしていたところだ。予定通り、私達の居場所は通信機の発信地点で合っている。ビームキャノンで道をこじ開けてくれ」

 

『だったら話が早ぇな。すぐに次の目的地へ飛ぶぜ!』

 

 明らかに、アシュトンの様子がいつもと違う。とても焦っているようだ。

 

「何かあったのか?」

 

 マリナが問うと、彼は急いで教えてくれた。

 

『スメラギの隠密部隊から連絡があったんだ! コルトナ将軍率いるクリスミッド軍が、まもなくケンヴィクス王国へ侵攻を開始するってよ!!』

 

 ……このエグゾアテクノロジーベースで激闘を繰り広げたあたし達だが、安息の時間はまだ訪れないらしい。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。