遊戯絶唱シンフォギアG~歌の苦手な決闘者系オリ主黙示録~   作:特撮仮面

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Gが終わり、GXに行く間のお話


GX番外編~オペレーションB~

「今日はよく集まってくれた」

 

 ブラインドによって日光が遮られ、蛍光灯の無機質な光が降り注ぐ薄暗い会議室。その中心にある円卓の下座に座った一人の男がその場に集まった面々を見て言った。

 

 円卓を囲む一同は、老若男女、性別も年齢もバラバラであり、そこに共通点を見出すことは出来ない。

 

「当たり前じゃないですか。今回は長年計画していた、アレの最終確認の為の集いなんですから」

 

 彼の右隣に座りつつ、彼の言葉にニヤリ、と笑みを浮かべる少女。

 

 そう、今回彼らが集まったのは他でもない。彼の者に対するある作戦を発動するための最終確認。計画決起の為の集いだ。

 

「集まるのは当然のことだよ、ね?」

 

 左隣の席を確保していたもう一人の少女が、円卓より物を取り分けながら言う。

 

「けどよぉ、本当に成功んのか?」

 

 計画に関して少し不安を感じているらしく、また別の少女が眉をよせて呟く。

 

「なに? ここまで入念に計画しているんだぞ。今のところ標的が気づいたという報告は来ていない」

「だからこそだよ。あの人の直感が鋭いことは分かってんだろ?」

 

 この計画では全員が一斉に動くことになる。場所の確保は出来ているし、大まかな作業工程は全て済んでいる。この計画を知らないのは、現在仕事の関係で一時的に海外で活動中の彼女のみ。

 しかし、彼女は自身の座右の銘のように、常に刃の如く神経を尖らせている存在。ならばこちらが少しでも怪しい行動をすれば勘付かれる可能性は高い。否、可能性どころではなく、この計画には確信を得てしまうような大きな欠点が存在していた。

 

「他でもない、お前が居るってのが問題なんだよ」

 

 彼の存在、それは大きなアドバンテージとなると同時に凶悪なまでのディスアドバンテージを生んでしまう。

 

 彼と言う存在は全くのイレギュラー。その奇抜な発想や馬鹿みたいな行動力は目を見張るモノが在り、自分たちは何度も彼のそういう性質に助けられてきた。

 だからこそ、彼が行動するということは同時に対象に対して『何か企んでいるのではないか?』という不審を抱かせる可能性が大いにあるのだ。

 

「はたしてそうかしら?」

「なに? …どういうことだよ」

 

 クスクスと笑う女性。

 

 彼女は訝し気な視線を送ってくる少女に対して人差し指を立てて言った。

 

「甘いわね。サモサモキャットベルンベルンを相手に手札誘発カードを引いてないくらい甘いわね」

「なっ!? …ガイウスぶつけんぞ!!」

 

 チッチッチッ、と流し目で言われてしまえば、思わずカッとなってしまう少女。

 

「確かに、私たちの計画に勘付く可能性は大いにあるわ。それは認める」

「だろ! だから――」

「でも、その程度織り込み積みよ? 彼が計画した時点でその程度の弱点くらい対策出来ているわ」

「対策ゥ?」

 

 何のことだ、と首を傾げる少女に対し、女性は側に控える少女に、説明してあげて、と目配せする。

 

「この計画のスタート時、彼には対象に接触してもらう」

「なっ!? 馬鹿じゃねえか!? これはバレちまったら――」

「そう、バレでしまったらいっかんの終わり。彼は確かにこういう状況では爆弾となりうる存在。だからそれを利用する」

 

 少女の言葉に追従するように、先程まで円卓から物を自分の元に引き込んでいた少女が続ける。

 

「仮に彼一人が居なくてって話なら、確かにヤバいって感じるかもデスが、あえて彼が一緒に居ることで、対象に対して、こいつは何も企んでいないんだなって錯覚させることが出来るデス」

「もう一人の私も言っているけど、この中で彼は一番私たちと近い存在。その行動原理に沿った行動をすれば、彼女は日常の中での判断しか出来ない」

「つまり、信頼を利用するの」

 

 対象は世間知らずで天然な一面もあるが、基本的に勘が鋭く頼れる先輩だ。だが、そうであるが故に、彼や都市の近い女性との間での彼女は完全に気が抜けている――つまり、オフの精神であることの方が多い。

 

 人間誰しも、どれだけ完璧とされる人間であっても、必ず無防備な状態となる時は来る。そういう無防備な状態と言うのは、すべからく自分のテリトリーであったり、信頼できる者と共に居るとき。

 つまり、一定以上の信頼を得、オフの思考でいることが出来る間柄である彼を対象に接触させることで、こちらの行動に勘付くその思考能力、直観力自体を封じてしまおうと言う計画なのである。

 

「安心しなさい。この計画、絶対に成功させて見せるから」

「そこまでいうんなら、まあ大丈夫か…」

 

 にっこりと微笑まれ、それ以上言葉を発すること無く引き下がる少女。

 

 少女たちの話し合いが終了したことを確認して、少年が上座の男性に声をかける。

 

「このようになりましたが、構いませんか?」

「うむ…こちらも既に準備は整っている」

「おうよ。その日はあの頑固者にもしっかり休暇をとらせてるからな」

 

 二人の男性の了承も得た。

 

 これで最早恐れるものは何もない。彼は満足そうに頷くと、再度円卓に集まった者たちの顔を見渡す。

 

「諸君、このオペレーションは絶対に失敗してはならない。皆の活躍に期待している。以上だ!」

『応ッ!!』

 

「あのー、大盛餡かけ炒飯注文――」

「あ、俺です!」

 

 部屋に入ってきたチャイナ服をイメージした制服を着た女性に手を挙げる少年。

 

 中華飯店『炎の料理人』での一幕である。

 

 そして、この時点をもって『オペレーションBirthday』が始動したのであった。

 

 

 

※※※※※※※※※

 

 

 

 すっかりと日の暮れた夜の街。帰宅するスーツ姿のサラリーマンの間を縫うようにして駅から出てきた一人の女性が大きなため息を吐いた。

 

「ようやく帰ってこれたのだが、もう夜か…」

 

 蒼色のシャツにジーンズ、そして黒色のリムレスフレームの眼鏡。ちょっとした旅行帰りといった風のラフな服装の長身の女性。

 

 彼女の名前は、風鳴翼。日本が誇るアーティストコンビであった『ツヴァイ・ウィング』の元片翼であり、現在はソロとして活動している、世界中でも注目されているトップアーティストだ。

 

 現在の日本で知らない人は居ないとすら言われている彼女。普通、そんな彼女がこんな人通りの多い駅に現れれば野次馬が湧いて大変なことになってしまう筈なのだが、今の彼女は長身の物凄いスタイルの良い美人として目を向けられているものの、彼女に視線を送っている人間は誰も彼女が風鳴翼であるとは思っていないようであった。

 

 それも当然と言えるだろう。

 今の彼女は普段髪飾りで整えている髪を解き、首元のあたりでシュシュを使って軽く縛っている。それに加えて伊達眼鏡やラフな格好。

 人間と言う生き物は、どうしても第一印象と言うものを物事の判断基準としてしまいがちである。人々にとって、歌姫風鳴翼とは即ち、格好良くてクールな女性である。人々は、そうした特有の雰囲気や髪形というものを人を識別する判断基準の大半としているため、髪形を変え、想像しづらいラフな格好をしている彼女に気づくことが出来ないのだ。

 

 とはいえ、どれだけ格好を変えていようが、彼女は優美な日本刀を思わせるスラリとした長身の女性。容姿の良さで人の眼を惹いてしまうのは確実であり、あまり同じ場所に居るのは得策ではない。

 

「これから人を呼ぶのも悪いだろうし…仕方がないか」

 

 歩いて自分のマンションに帰ると言う方法はあるが、海外の仕事を終えてようやく帰ってこれたのだ。多少割高になってもいいから今日はタクシーで帰ることにしよう。

 そう考えてタクシー乗り場に向けて歩き出す彼女であったが、彼女の視界にふと止まるものがあった。

 

「あ、そうか…」

 

 それは駅構内にあるコンビニエンスストアの入り口に貼られたチラシ。

 

 それを見て、ふと今日はその日だったなと思いだす。

 とても大切な日だと言うのに、仕事が忙しかったり、鍛錬などですっかりと忘れていたことに気が付いて思わず苦笑してしまう。

 

 折角だし、何か買って帰ろうか。そう考えて自然と脚がコンビニに向かおうとするのだが、そんな彼女の耳に甲高い音が響く。

 

 それは、蟲の羽音と言うにはあまりにも低く美しい音色。それはとある乗り物に搭載された機関で無ければ発することのない音であり、その音が鳴る乗り物に乗っている人間なんて、世界広しどこの日本に一人だけだろう。

 

「丁度だったみたいだな。お帰り、翼」

「アトラスか。迎えに来てくれたのか?」

 

 彼女の丁度真横にDホイールをつけた黒いコート姿の男性――遊吾・アトラスが、ゴーグルを引き上げて彼女に声をかける。彼の笑顔を見て、毎度毎度のことながら彼女は思わず彼に問いかけてしまう。

 

 何故か分からないが、彼女が仕事で遠出をしたり、一人で帰宅するときに限って彼は必ず彼女を迎えに来るのだ。彼曰く、暇だから、とか、一ファンとして送迎できるとかご褒美だから、とか色々理由をつけてくれるのだが、毎回毎回送迎してもらっていれば、流石に申し訳なくも思ってしまう。

 

「すまないな、いつもいつも」

「何のことやら。今日は暇だから来ただけだ」

 

 乗るんだろ? 背中を指さす彼に頷きそうになるが、翼は気が付いた。

 

 今の自分の荷物には、スーツケースが存在している。

 Dホイールとは、この世界のどんな乗り物よりも万能な乗り物のようなモノであるが、その形状はあくまでも大型バイクに類似した代物。一応のところは大型自動二輪車ということで処理されているため、なんとか公道を走ることを許されているが、その為大型自動二輪車としての制約を受けなければならなくなっている。

 

 二人乗りこそ出来るものの、そこにスーツケースが乗るとなると話は別だ。

 

「だが、今の私にはスーツケースがあるから」

「ふっ、俺がその程度で送迎を止めるとでも?」

「しかし、道路交通法の関係では――」

「まあまあ、こっち見てみろって」

 

 手招きする遊吾に従って、彼女はDホイールに近づいていく。

 外見は全く変化の無い、彼女の知るDホイールのまんまだ。何か対策がされているということであるが、これのどこが対策されているのであろうか。首を傾げる彼女であったが、そんな彼女の視界に不可解なものが映り込んだ。

 それは車体だ。先程述べたように、遊吾・アトラスのDホイールの形状は大型バイク。普通、バイクの側面に車体などあるはずが無いのだ。

 

「なん…だと…」

 

 彼女の眼に飛び込んできたのは、サイドカー。Dホイールと同じ赤色の車体を持つ側車である。

 

 何故だ、彼女は思わず彼の顔を見た。彼女が最後にDホイールを確認した数日前には、このようなサイドカーは取り付けられてい無かったはずだ。よくよく見てみれば、サイドカーとしっかり連結するために新たにフレームが増設されていたり、見たことのないパーツが取り付けられている。

 

「どうよ、これなら乗せられるだろう?」

「いや、乗せられるだろうがこれはどうしたのだ」

「作ったに決ってんだろ」

「いや、それは分かるが本当に大丈夫――」

「車検だってしっかり通してるっての!」

 

 対策はバッチリなんだよねぇ! 渾身のキメ顔を披露してくる遊吾に苦笑してしまう。

 

 行きの時はそれこそスーツケースを増設した格納スペースに無理矢理押し込んでいたものだが、まさかその対策にサイドカーを増設してくるとは。流石の私でも予想外だ。

 

「仕方がない。ここまでしてもらったのだから折角なんで乗せてもらうとしよう」

 

 荷物をサイドカーに乗せ、翼は後部シートヘルメットを受け取るとしっかりと彼の腰に手を回す。

 

「よし、じゃあ――転んでも文句はなしな」

「待て、それはどういう意味だあとら――きゃぁっ!?」

 

 急制動。跳ね上がる車体に悲鳴を上げギュッと腕の力を強める翼。そんな彼女に大笑いしながら彼は家に向かって走り出すのであった。

 

 それから暫く無言の時間が続く。Dホイーラーのヘルメットには無線機が取り付けられている為、フルフェイスヘルメットを被る翼の耳には、ご機嫌な彼の鼻唄が聞こえてくる。

 彼の歌は彼女のニューシングルのものだ。音が低いのは性別ゆえに仕方のないことだろう。

 

「アトラス、皆はどうしたんだ?」

「ん? ああ、響と未来は何か重要なやつとかなんとか。クリスも何かあるらしいぞ」

 

 調と切歌もやることあるんだと、と少しつまらなさそうに言う彼。

 

 珍しいこともあるものだ。

 

 基本的に彼と彼女らは一セット。課題などがあっても、さっさと終わらせて彼と共に遊ぶことを優先するような彼女たちが課題に追われていると言うのは珍しい。

 

 しかし、それも仕方のないことかもしれない、と翼は考えた。

 

 自分達三年生が卒業し、響と未来は三年生、つまり今後の身の振りを考えなければならなくなる年となるし、クリスたち二年生は今後の進路を考えて動き始めるものが出てきてもおかしくない。そうなれば彼と共に居る時間は必然的に少なくなってくるだろう。

 それに、遊吾自身、彼女たちと一緒に居ることが好きであるが、それ以上に彼女たちの為にならないのであれば自ら距離を離すことに躊躇することは無い。

 

「そうか、なら今夜は私が独占できるということだな」

「何でそんなに男らしく言いきれるんですかねぇ」

 

 ニヤリと笑って言えば、遊吾はため息交じりに、相変わらず防人してんなぁと笑う。

 

 しかし、それは困ったな、と心の中で呟いた。

 

 もし彼女たちに用事が無いのであれば家に呼ぼうかなどと考えていたものの、そういう理由があるのなら呼ぶのは忍びない。

 だからと言って、自分が言ったように遊吾を独占すると言う考えは無い。むしろ進路などの話をするのであれば、家族以外で身近な存在である彼と共に考えると言うのも一つの手だろう。話題に出すということはつまり彼なりに彼女たちのことを心配している証拠であるし、ならば下手にこちらの都合に突き合せるのは悪い。

 

 信号が赤に変わりDホイールが停車する。すると彼が振り返って彼女に尋ねた。

 

「なあ、さっきから俺の腹が鯖折りになりそうでヤバいんだけど」

「へ? ……ああ! す、すまないアトラス」

 

 どうやら無意識の内に力を入れ過ぎていたらしい。慌てて手を組み直す翼を見て苦笑してしまう遊吾。

 

 彼は少し悩んだようなそぶりをすると、彼女に向かっていった。

 

「なあ翼。お前飯食ってる?」

「どうした突然。…まあ、食べてはいないが」

 

 唐突だな、と首を傾げる彼女に対し、彼は笑いながら言う。

 

「飯食いに行かねぇ?」

「…私は構わないが、アトラスは良いのか?」

「良いんだよ」

 

 じゃあそうするか。信号が青に変わり、彼がアクセルを開ける。流れる景色を横目に彼女が問う。

 

「ところで、どこに食べに行くんだ?」

「んー、そりゃあれだ。着いてからのお楽しみってやつ」

 

 ニヤリ、と何度も見たことがある悪戯小僧のような笑みを見て、翼は思った。

 

 あ、こいつ何か企んでるわ、と。しかし、止める術は無いので彼のやりたいようにやらせることにする。それに、仮に何か企んでいたとしてもそこまで悪いことにはならないだろう。ある種の確信を抱きつつ、彼女は再度手を組み直すのであった。

 

 

 

「よし、着いたぞ」

「………」

「おい、どうした翼」

 

 着いた、と言われて見上げた建物を見て翼は思わず絶句した。

 

 彼が大きな道を逸れていき、妙に見覚えのある小さな道を走りだした段階で何となく察するべきだったのだ。否、察していたが、あえてそれを考えないようにしていただけだ。

 

 彼女の目の前にあるのは、数百はあるかもしれない巨大な石造りの階段と、その頂上に控える巨大な門。

 

 その門の先に何があるかなんて良く知っている。その先にあるのは屋敷と、巨大な要石。

 

 日本守護の要。旧い時代から現代に至るまで常にこの日本国の守護を務めてきた防人の一族、風鳴家の屋敷。つまるところ風鳴翼の実家である。

 

「アトラス…どういうことだ?」

「どういうって、何が」

 

 本気で何とも思っていないらしい遊吾に対し、お前は、と語気を強めて言う。

 

「お前は人の実家を何だと思っているんだ!!」

「いや、だって…」

「だってもらっきょうもあるかッ! 正直、実家に戻りたくないとか色々あるけどそれはこの際どうでもいい。何をどうしたら私の実家を食事処のように扱えるんだッ!?」

「司令に、今晩一緒に飯食わないかとか言われたからさ」

「…まったく、あの人は」

 

 遊吾とはまた違った破天荒さのある自分の叔父が笑っている姿を幻視してしまい、頭が痛いと言わんばかりにため息を吐く翼。

 

 まったく、と彼女はDホイールから降りると当てつけるように彼にヘルメットを押し付けながら言った。

 

「アトラス、はやく駐車場にしまって来い」

「お? なんだ案外乗り気だな」

 

 からかうように言う遊吾に対し、腕を組んで仁王立ちするように彼女は言った。

 

「馬鹿を言うな。私は叔父様たちに少し文句を言いたいだけだ」

「そいつぁ何より」

 

 それじゃあ俺、置いてくるからとDホイールを走らせる遊吾。

 

 その背中を見送り、一つ息を吐くと翼は階段を登り始めた。

 

 しかし、その足取りはまるで亀のように遅く鈍い。いつもの風鳴翼と比べると有り得ないほどに彼女の心はこの家を恐れ、遠ざかろうとしていた。

 

 風鳴翼にとって実家とは、彼女の人生の転機となった場所であるとともに、彼女にとってあまりいい思い出の無い場所でもある。故に彼女は必要が無いときは実家に一切近づかなかったし、実家も翼に一切の接触を行うことは無かった。

 

「まさかこんなタイミングで里帰りをするハメになるとは…」

 

 予想外の帰宅は二度目。一度目は遊吾の戸籍問題で、二度目は今日。そのどれもが遊吾・アトラスが関係している事柄であり、思わず心の中で、怨むぞ遊吾、と恨み節など呟いてしまう。

 

 そうして時間をかけつつも何とか頂上まで登り切った彼女であったが、そんな彼女の目の前に現れる人影が一つ。

 

「…翼か」

「――ッ!? …お父様」

 

 苦々しく、心の底から捻りだすようにしてその人影を認識する翼。

 

 彼女の瞳にあるのは、明らかな畏れと拒絶。

 

 鋭い瞳は鋼鉄の如き理性の光を放ち、身に纏う雰囲気は静かではあるが何物をも威圧し、恐れを抱かせる。正しく冷たい刃の如き男性。彼の名前は風鳴八紘。風鳴翼の父親となっている男性であり、同時に日本国の内閣情報官である。

 

 風鳴翼にとって、八紘という人物は恐怖の対象の一人であった。否、恐怖、と言うよりは怖い人、と言ったほうが正しいか。

 

 鋼鉄のような人である、というのが彼女から見た八紘という人物だ。常に冷静沈着であり、情と言うものを見せることなく常に最善の行動を行うある種のロボット染みた冷たさすら感じる人。そして、その冷たさは幼い頃の翼にとっては恐怖以外の何物でも無かったのだ。

 

 防人の家系と言う、普通の家庭とは違う過程であるということは幼い頃であっても何となく察していたし、八紘のことが昔から嫌いだったわけではない。

 昔の八紘は、本当に時々であるが、とても暖かい眼を向けてくれることがあった。幼い頃から防人としての教えを教え込まれてきた翼にとって、叔父である風鳴弦十郎や父である八紘、そして時々家に訪れる緒川慎次との交流。ほんの少しでも与えられる暖かさは何よりも大切なものであったのだ。

 

 だが、そんな彼女を八紘は拒絶した。

 

 ある種の狂気染みた鋼鉄の理性をもって翼を遠ざけたのだ。

 

 どれだけ呼びかけようと、どれだけ近づこうと決して触れさせてももらえない冷たい鋼。幼い翼にとってその冷たい鋼鉄は何物をも上回る刃であり、その刃は無慈悲に彼女の心を切り裂いた。

 

 そうした背景も影響して、彼女は歌手となるべくこの家を飛び出し、現在に至るのである。

 

「…何故此処に居る」

「その…アトラスが、夕餉を、と」

「そうか…」

 

 それだけ言って彼は彼女の横を通り過ぎていく。

 

 下駄が石を蹴る音が通り過ぎる。

 

「お父様ッ!!」

 

 反射的に声を挙げる翼。

 

 彼女の声を聞いて立ち止まる八紘であったが、その背中はあまりにも大きく、そして冷たかった。

 

 振り返ることなく、どうした、と声をかけられてしまえば、彼女は思わず口を噤んでしまう。

 

「いえ、その…なんでもありません」

「…そうか」

 

 カラン、カラン、と下駄の音が遠ざかる。唇を噛み締め、顔を伏く彼女の頭に、温もり。ハッとして顔をあげれば、いつの間に隣に居たのか、遊吾が彼女の頭に手を置いていた。

 

「ほら、湿気臭い顔してないでさっさと行こうぜ」

「あ、ああ…」

 

 身体が鉛のように重かったのだが、彼に腕を掴まれて強引に引っ張られてしまえば動かないわけにはいかず。結局なし崩しに実家への帰省を果たしてしまう翼。

 

 そんなに回数この家に来ていない筈なのに、迷うことなく屋敷を進む遊吾。そんな彼の背中を眺め、そして掴まれた己の腕を見る。

 

 力強く、だが痛くないように加減されて掴まれた腕。しかし、それでも掴まれた部分が少し白いのは彼の手加減が下手くそなせいだろう。女性とは違う、そして同時に叔父のようなものとも違う、男の掌。

 恋人や仲の良い友人同士がするような手を繋ぐ、というものとは違った、まるで荷物でも引っ張るような手首をつかむという行為。それが少しだけもやもやするようで、でもこうして引っ張られるということが嬉しいようで。

 

 そうしてジッと見つめていたからだろう。彼が急に立ち止まったせいで思い切り顔を彼の背中にぶつけてしまう。

 

「あうっ」

「おいおい、大丈夫かよ」

 

 額を丁度コートの肩――このコートは疾走決闘用のライディングスーツでもあるため、肩にパッドが入っている――に打ち付けて思わず呻いてしまう翼。急に立ち止まったの俺だけどさ、と心配する遊吾に大丈夫だと手を挙げつつ彼女は目の前の扉を見る。

 

「ここ…風の間ではないか」

 

 風の間、それは主に宴会であったり、重要な会合でしようするような大きな畳張りの座敷部屋というものである。

 

 まさか、高々数人の為だけにこんな場所を使用するのか、相変わらずやること為すことスケールが大きいのか小さいのか分からない男どもに頭が痛いと言わんばかりに息を吐く翼。

 

 そんな翼の反応を見て、彼は笑みを浮かべて言う。

 

「まあいいじゃねえか。今日は宴なんだしよ」

「人の家で宴とは、随分と良い身分じゃないか」

「そう言うなって。今日はお前の為に色々――」

「私の為?」

 

 あっ、ヤベッ! 口を滑らせたことに気が付いた彼が大慌てで扉を開いた。

 

 待て、どういうことだアトラス! そう放とうとした口は、響き渡る爆音によって硬直した。

 

「お帰り、翼くん!!」

「お帰りなさい翼さん!!」

「お帰りなさい」

「お帰り、先輩」

「お帰り」

「お帰りなさいデース!!」

「お帰りなさい、遅かったわね」

 

 口々に彼女の帰宅を祝う言葉を放つ装者と、二課の人々。

 

 皆の手にはクラッカー。奥の方では挨拶もそこそこに巨大なクラッカーの後始末に奔走する弦十郎と慎次の姿が見える。

 そして、彼女の視線の先、丁度扉の真正面には一つの横断幕が掲げられていた。

 

 書いた人間の性格が滲み出ているような、非常にかっちりとした達筆で書かれた横断幕。そこに書かれていた文字は――

 

『風鳴翼! 海外のお仕事お疲れ様! そして、誕生日おめでとう!!』

 

「これは――」

「あれだ、サプライズバースデー、とか、バースデーサプライズって言われてるやつ」

 

 どうよ、と渾身の笑みを浮かべる遊吾を見て、翼は目頭が熱くなるのを感じた。

 

 これまで何度も誕生日と言うものはあった。だが、幼い頃はまだしも、家を出た後では誕生日と言うものはあくまでもそういう日でしかなく、祝うなどと言うことはここ数年忙しさなどにかまかけて全く行っていなかったように思う。

 

 だが、ここで泣いてしまってはいけない。グッとこぼれそうになるものを我慢して、皆に礼を言おうとした彼女の背後で、パンッという小さな音が響いた。

 

 その音に驚いて振り返ってみれば、そこに居たのは、着物姿の男性と、白のポロシャツ姿の男性の姿。

 

「お父様…それに、響一郎さんも」

「おう、久しぶりだな翼ちゃん! 誕生日おめでとう!」

 

 軽く片手を挙げて祝い言葉を投げかける響一郎。そんな彼の隣では、クラッカーを片手に視線を何処かに彷徨わせつつ何やらブツブツと呟く八紘の姿が。

 

 これはどういうことなんだ。驚愕で固まる翼を他所に、八紘と響一郎は何やらあーだこーだと言い争っている。

 

 お前、父親なら父親らしくしっかり祝えよ。馬鹿を言え! 俺はもう大人なんだぞ。それに今更どの面で祝えるかッ! おいおい、男のツンデレなんて誰得だよ。とっとと祝えってんだこのすっとこどっこい。うるせぇこの愚兄ッ!! 元はと言えばお前がなぁ…。ああ? やるか八つ橋ィ? 激おこだぞこっちは。俺は八紘だっつってんだろうッ!!

 

 一触即発といった空気になりつつある二人のやり取りを茫然と眺めていた翼の背中に、バンッという鈍い衝撃。思わず前に一歩踏み出してしまい、振り返ればそこには何やら楽しそうに笑う遊吾の姿。

 彼の言いたいことが分かった彼女は、本当に強引だな、と微笑みを浮かべて彼に、八紘に声をかける。

 

「あの、お父様」

「なんだ! ……ごほんっ、なんだ翼」

 

 咳払いをして誤魔化そうとしているが、誤魔化しきれていないのは明らかで、思わずクスリと笑ってしまった翼を見て、不機嫌そうに眉を寄せる八紘。

 

「ああ! えっと、その、これは――」

「構わない」

 

 そんな彼の表情を見て必死に言い訳を考えてしまう翼。そんな彼女を手で制すと、八紘は静かに目を閉じた。

 

 一体何を言われるのだろう。先程までの雰囲気とは違う、いつもの冷たい雰囲気を纏い始めた八紘に背筋が凍るような、心が冷えていく感覚を覚える。

 

 何分とも、何十分ともとれる長い沈黙を経て、八紘は大きく息を吸った。その音で思わず首を竦めて身構えてしまう翼。

 

「おめでとう」

「………え? あの」

 

 今、この人は何と言った。目を見開く翼に、八紘は目を逸らしつつ、だが確かに口元に笑みをたたえて言った。

 

「誕生日おめでとう、翼」

「あっ」

 

 それだけ言ってさっさと退散しようとする八紘であったが、彼の腕に絡まる腕――響一郎がニヤニヤと笑いながら彼に告げる。

 

「まあまあ、待てよ弟よ。折角の娘の誕生日なのにさっさと帰る奴が居るか? んん?」

「…俺には明日も仕事が――」

「そういうと思って、許可、とっといたで?」

 

 懐から書類を取り出し八紘に渡す響一郎。

 

 その書類を最初は涼しい顔で見ていたのだが、読み進めていく内に徐々にその額には青筋が浮かびはじめ、読み終わる頃には歯をこれでもかと食いしばり、書類を握りつぶさんと言わんばかりに筋肉は膨張し、書類はくしゃくしゃとなっていた。

 

「ちなみに、それ許可とるように進言したの、弦十郎な」

「げェエエエエンッ!!」

「うおぉ!? なんでそんなに怒っているんだ!?」

 

 貴様ぁッ! こんなことで休暇を取らせおって!! でも、翼くんの誕生日を祝いたいと言っていたのはそっちだろう!! あれはっ、あれは酒の席での戯言でしかないわッ!! またまたぁ、俺知ってんだぜ? お前が必死で翼ちゃんの好きな歌手のCD探してたの。いつの話をしているんだ愚兄ッ!!

 

 風鳴兄弟が人智を越えた喧嘩を始めた音を聞きつつ、遊吾は側の翼を見て言った。

 

「どうだ? 言った通りだろ」

「…ふふ、なるほど。重要なこと、ね。確かにそうだな」

 

 常日頃から、誕生日などの祝い事は絶対にするべきだ、と宣言して止まない彼のことだ。むしろやらないはずが無かった。

 

 誕生日を祝ってもらって嬉しい、なんて子供じゃないのに、少しでも残念に思っていたからこそ嬉しくてたまらない。

 

 ドンドンと派手になっていく座敷の音を聞き、このままここでこうしているのもいけないな、とゴシゴシと目を擦ると彼女は大きく深呼吸して一歩踏み出した。

 

「ああ、そうだ」

 

 彼女の背中に投げかけられる声。どうかしたのだろうか、振り返って尋ねれば、何やら言い辛そうに、あー、だの、うー、だの唸る彼の姿。

 だが、覚悟を決めたのだろう、頬を掻きながら彼は笑って言う。

 

「誕生日おめでとう、翼」

 

 先程まであれだけ色々やっていたのに、肝心な時になると照れくさくなって上手く動けない彼に、思わず笑みがこぼれてしまう。

 

 彼女は楽しそうに笑った。

 

「ありがとう、遊吾」

 

 さっと会場の方に向き直り、会場に歩き出す翼。

 

 背後から聞こえてくる、うぉぉぉぉ、という獣のような呻き声に笑みを深めつつ、既に混沌と化しつつある会場を見回して一喝した。

 

「こら、お前たちッ! 主役を差し置いて盛り上がるとは何事かッ!!」

 

 

 この日、風鳴翼はまた一つ大人となったのである。

 

 

 

 

 

「あ、そうだ翼、誕生日プレゼントなんか要る?」

「む? …そうだな。遊吾、来週のこの日は空いているか?」

「ああ、空いてるけど」

「ならツーリングに行かないか? 丁度良い温泉を見つけてな」

「マジでッ!? よし、じゃあ行こうぜ!!」

「ああ。楽しみにしているぞ、遊吾」

 

「…ねえ、クリスちゃん」

「どうしたんだ」

「翼さんって遊吾のこと名前で呼び捨てにしてたっけ?」

「さあ?」

「うーん、私の気のせい?」




一日遅れで誕生日を祝っていくスタイル。

翼さん、誕生日おめでとうございます!!

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