病みつき物語   作:勠b

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色々とあって更新遅れました。すいません。


病みつき楓

「プロデューサー、お仕事はまだ終わらないんですか?」

 

キーボードを叩く音が淡々と流れる事務所の空気に耐えきれないのか、ソファーに腰掛けている彼女、楓さんが何度目になるかわからない質問を投げかけてきた。

「すいません、もう少しかかりそうで」

「もぅ、それさっきから聞いてます」

「数分毎に同じ質問されたら、同じ答えしか返ってきませんよ」

俺の返答に不満足なのか、目の前のテーブルに身体を預け、唇を尖らせる彼女。

どうやら、相当鬱憤をため込んでいるらしい。

まぁ、俺が悪いんだけど。

 

「せっかくよお酒が逃げちゃいますよ」

「酒は逃げないから安心して下さい」

「お店は閉まりますよ?」

「そんな時間になる頃にはとっくに仕事は終わってますよ」

「閉店ギリギリにならないようキリキリ働いて下さい」

 

……何時ものダジャレか?

だとしたら切れがないな。

切れ……いや、何時も……。

止めておこう、いつもは切れがある、よね?

そんな雑念に長くは構ってられない。

目の前のモニターに映し出される書類をミスがないよう確認しながら作っていく。

ふたたびキーボードの音が事務所内に鳴り響く。

すると、楓さんは背もたれに体を預けるように座り直すと、ジッと俺を見つめてきた。

どうしたんだろうか。

気になってしまうが、構ってあげれない。

これ以上死語とが長引くと、後々愚痴を聞かされるのは明確なのだから。

 

「キーボードを叩く音がぼーっと鳴る」

 

ぼーっと鳴るってなんだろうか。

それは言葉として成り立ってない気がする。

 

「雑念に駆られて……駆られて……あっ、プロデューサー私唐揚げ食べたいです」

「終わったら食べに行きましょう」

 

頭が柔らかいのか発想が自由なのか本当にわからない。

担当アイドルとして付き合いは長いが、それても彼女の考えは今一上手く掴めれない。

 

「唐揚げを食べるため、その書類を早く仕上げましょう」

 

満足したのかふふふっ、笑みを浮かべる。

そんな、これはどうですかと言わんばかりの顔をされても反応に困ってしまう。

とりあえず、苦笑いをしておく。

 

「駄目ですか?

 面白いのに」

 

俺の反応を見て肩を落とす楓さん。

先程とは打って変わって沈んだ顔をする彼女を見ると、笑って上げられなかったことに少し後悔してしまう。

とりあえず、先ずはご機嫌取りから頑張ろう。

出来た書類を保存して、楓さんの傍に行く。

 

「終わりましたよ、行きましょう」

「もう、待ちわびましたよ」

 

唇を尖らせ、顔を背ける彼女。

そんな彼女の反応を可愛いと思ってしまった。

やっぱり、楓さんは可愛い人だ。

 

 

 

 

━━━━━━

彼女、高垣楓は俺が担当するアイドルだ。

どこか掴めない思考から出されるその表情は、彼女の神秘的な魅力を引き出している。

華奢すぎる身体は強く抱きしめたら壊れてしまいそうで、そんな彼女の歌とダンスは聞くもの、見るものを魅了させる。

傍にいる俺も、彼女のファンの1人だ。

だからこそだろう。

そんな彼女と飲みに行くというのは、何回やっても何処か緊張してしまうものがある。

 

楓さんはお酒が好きだ。

しかも、かなりの酒豪。

彼女に合わせて飲んでいると潰れるのは何時も俺だ。

情けない話かもしれないが、残念なことに彼女にはとてもじゃないが叶わない。

まぁ、とりあえず彼女はお酒が好き。

だからこそ、お互いに時間がある時はよく飲みに行く。

初めは軽いスキンシップのつもりで誘っていたのが始まりだ。

最近では楓さんから俺を誘ってくれる事が多くなってきた。

嬉しい話だ。

ただ、毎日誘うのは止めて下さい。

まぁ、嬉しい悩みかな。

今日は楓さんからの誘いでこうして飲みにいくことになった。

行く店は事務所の近くにある居酒屋だ。

事務所傍ということもあり、何かと融通が効く。

 

居酒屋に着いて、適当に空いていた席に案内される。

対面に座る彼女と共にメニューを眺めながら、熱燗を頼む。

楓さんが好きだから飲んでいたら、俺も好きになっていた。

それだけだ。

 

「こうして飲みに行くの、久し振りですね」

「先週来たじゃないですか」

「毎日でも飲みたいんですよ」

 

どんだけ飲むんだろうか。

思わず苦笑してしまう。

本当に、何もかも予想を裏切る人だ。

 

「それに、飲みたいなら家で飲めるじゃないですか」

「1人で飲んでも寂しいですから、それに」

 

そう続けると俺の瞳を真っ直ぐに見据え、綺麗な笑みを見せてくれた。

「私は、プロデューサーと飲みたいんです」

 

思わず顔が赤くなる。

頼むからからかわないでくれ。

そう思いつつ、逃げるように視線をメニューに向ける。

 

「あっ、無視は寂しいですよ。

 何か反応して下さい。

 でないと、拗ねちゃいますよ?」

 

ムスッとした顔で顔を横に向ける楓さん。

そんな彼女の反応に思わず笑みがこぼれる。

本当に、何を考えてるんだろうか。

 

「すいません、照れちゃって」

「照れてるプロデューサーも可愛いですよ」

「拗ねてる楓さんも可愛いですよ」

 

可愛いという言葉に反応したのか、少しだけ顔を赤くして、目線を反らしながら照れくさそうな顔をする。

「可愛いだなんて、女の人に気軽に言ったらメッ、ですよ」

「気をつけます」

可愛い人だ。

本当にそう思ってしまう。

そんな雑談をしていると、テーブルに熱燗と杯が2つずつ置かれる。

俺は熱燗を1つ持つと、彼女は杯を手にする。

慣れた手つきでお酌をすると、ありがとうございますっと笑顔で応えてくれた。

今度は反対。

彼女が熱燗を持ったから、俺は杯を手にする。

彼女もまた、慣れた手つきでお酌をしてくれた。

俺もまた、楓さん同様に感謝の言葉を伝える。

 

「それじゃ」

「一週間ぶりの」

「「乾杯」」

 

零れないように気をつけながら、2人で杯をぶつけあう。

一週間ぶりか。

もう少し、行けるように頑張ろうかな。

そんな事を思いながら、今はこの飲みを楽しむことにした。

 

 

 

━━━━━━

飲み始めこと数時間。

閉店時間ということで俺と楓さんはお店を出た。

寒い夜風が温まった身体にこたえる。

 

「プロデューサー、今日はありがとうございました」

「俺の方こそ、楽しかったですよ」

 

終始和やかに終わった飲みを振り返る。

下らない雑談しかしてなかったが、飲みの席ではそれぐらいが丁度良い。

 

「ふふふっ、また飲みましょうね」

「そうですね」

 

隣に並んで歩く楓さんは少しだけ肌を赤く染めている。

たぶん、俺は真っ赤なんだろうな。

そう思うと苦笑してしまう。

俺よりも飲んでいた彼女の方が平気な顔をしているというのは、やはりどこか可笑しいと思う。

 

「プロデューサー、送ってくれませんか?

 私、飲みすぎたみたいで……」

 

猫なで声で甘えてこられる。

俺の腕を組み、身体をその腕に預けてくる。

正直に言えば、嬉しい。

でも……。

 

「楓さんならまだ平気じゃないですか。

 それに、プロデューサーにそんな甘えないでください」

「むぅ、プロデューサーにじゃなくて、あなたに甘えてるんですよ?」

 

思わずドキッとしてしまう。

でも、ならなおさら。

 

「楓さん、アイドルなんですからスキャンダルとかありますし、余り男に抱きつかないで下さい」

「じゃ、人目のつかないところならいいですか?」

「……極力止めてほしいですけど、気をつけると約束してくれるなら」

「なら、我慢します」

 

そう言うと俺からゆっくりと離れていく。

少し寂しいが、仕方がない。

彼女はアイドルで、俺はプロデューサー。

恋人ではなく、仕事仲間なんだから。

 

「ですが、送ってほしいです。

 女1人で歩くには、夜道は怖いですから」

「それぐらいなら、大丈夫ですよ」

 

もともとそのつもりだ。

楓さんとの飲みは彼女の家まで送ることも含まれている。

最近は物騒だし、アイドルを1人で帰らせるなんて危険だ。

それに、楓さんと俺の家はそこまで離れていない。

 

「プロデューサー」

 

透き通る声で呼ばれた。

どうかしたのだろうか、気になって彼女を見ると楓さんは上を見て歩いていた。

「危ないですよ、前を向いて下さい」

「星空、綺麗ですよ」

聞いてくれないのか。

そう思いつつ、俺も吊られて夜空を見る。

都会ということもあり、綺麗な星が沢山……とは言えないが、それでも輝く星がポツポツと空を照らしていた。

「私も、星になれますか?」

急な質問に、耳を傾ける。

「あんな輝く星のようなアイドルに」

「……なりましょう、一緒に」

 

俺の言葉に満足してくれたのか、満面の笑みで返してくれた。

楓さん。

頑張りましょう一緒に。

そんな気持ちを抱きながら、ゆっくりと俺達は歩いていった。

 

 

 

 

━━━━━━

楓さんと星を見て、互いの思いを改めてから数ヶ月がすぎた。

今でも週に一回は2人で飲むだけの時間を作っている。

楓さんからは不満の声があがっているけど、妥協してほしい。

でも、そんな我が儘はもう聞くことができない。

そう思うと、悲しくなってくる。

 

「プロデューサー、大切なお話があるってどうしたんですか?」

 

就業時間を過ぎ、1人事務所で佇んでいた所に楓さんが来てくれた。

大切な話をするためにメールで呼んでから数十分。

予想よりも遥かに早く来てくれた彼女は、走ってきたのだろうか肩で呼吸をし額には汗が滲んでいた。

そんな楓さんを見ると、申し訳ないと思う気持ちが湧き出るが仕方がない。

少しでも早く、伝えたかったから。

 

「すいません、こんな時間にお呼びして」

「いえ、プロデューサーの頼みでしたらどんな時でも私は来ますよ。

 プロデューサーは、私の素敵な相棒ですから」

 

クスクスと笑う彼女と話すと胸が痛む。

 

「その……楓さんに伝えなきゃいけないことがありまして」

「伝えなきゃいけないこと、ですか」

 

楓さんは笑みを消し、真剣な眼差しで俺を見つめる。

色が違う綺麗な両目が、俺の顔を映す。

 

「その、急な話なんですが転勤することになりまして」

「転勤……ですか」

 

言葉こそ落ち着いて話しているが、その顔は驚きを隠しきれていない。

そもそうだろう。

ここまで順調に仕事をしてきたと思っていたのに、急な転勤だなんて……。

理由が理由だから、納得はしたけど、それでも腑に落ちない所はある。

俺自身、その話を聞いたときは驚きを隠せれ無かったから。

 

「……とりあえず、コーヒーでも飲みながら落ち着いて今後のことを話しましょう」

 

一瞬の間をおいて、笑顔になる楓さん。

それは、俺の予想よりも遥かにあっさりとした対応だ。

なんというか、もっと悲しんでくれると思ってた。

自惚れ、だったかな。

内心苦笑をしつつ俺は彼女の提案に乗ることにした。

 

 

 

 

━━━━━━

ソファーで腰掛けていると、楓さんがコーヒーを淹れてくれた。

迷うことなく俺の隣に座ると、前のテーブルにコーヒーを置いてくれる。

 

「ちょっと熱いですのでちょっとずつ飲んで下さいね…ふふふっ」

 

何時もの冗談が何だか今日は面白く感じる。

これも、もう聞けなくなるのか。

そう思うと、やっぱり転勤が嫌になる。

 

「それで、転勤先はどちらになるんですか?」

「大阪に新しく出来る事業所ですよ。

 経験ある人が欲しいとの事で、嬉しいことに俺が選ばれたんです」

「それはもう、プロデューサーの手腕は私が保証してますから」

 

クスクスと笑いながら言ってくれと、心強い。

こうやって見送られるのは嬉しいな。

反対されたらどうしようって思ってた自分が情けなく感じてくる。

楓さんだって大人なんだ、仕事仲間が転勤でいなくなるなんて事で取り乱しはしないか。

 

「ですが、大阪ですか……お引越されるんですよね?」

「そうですね、早い内に新しい部屋も探さないといけまさん」

「私、居酒屋が近くにあるところがいいです」

「楓さんは本当にお酒が好きですね」

 

彼女らしい提案に思わず笑いが零れてしまう。

もしも、近くに居酒屋があるところにしたら遊びに来てくれるかな?

いや、アイドルが男の家に遊びに来たら問題か。

 

「ですが、大阪ですか……お仕事以外で行ったことないんですよね」

「俺もですよ。

 転勤して落ち着いたら色々と遊んでみたいなって」

「大阪っていったらお笑いとか食べ物とかで色々遊べる所がありますしね」

「そうですね」

 

微笑ましい談笑を何時ものように続ける。

楓さんと話してるとやっぱり落ち着くな。

転勤って聞いて慌ててた自分が恥ずかしくなってきた。

 

「大阪ですか、今から楽しみですね」

 

楽しみっか。

そうだよな、転勤はもう決まったことなんだし前向きに考えないとな。

 

「ふふふっ、思い切って2人で住むとかどうですか?

 そうすば居酒屋が遠くても宅飲みで楽しめますしね」

 

そうだな、2人で住めば家賃も割り勘で住めるし。

居酒屋で飲むよりも宅飲みの方が安上がりだし……?。

 

「それに、宅飲みでしたら毎日2人で飲めれますしね。

 毎日が楽しくなりますね」

 

……あれ?

なんで楓さんも大阪に行くんだ?

 

「あっ、私お酒のおつまみ作るの得意なんですよ?

 毎日プロデューサーにご馳走してあげますね。

 おつまみを2人でつまみながら毎日宅飲みですよ。

 約束ですからね、プロデューサー」

「まっ、待って!!」

 

今後の事であろう幸せ話を遮るように声を荒げる。

そんな俺の様子がおかしく見えたのか首を傾げてジッと見つめてきた。

 

「あの、楓さんは大阪には行きませんよ?」

 

この言葉がどれだけ重く響いたのだろうか。

すくなくとも、普段冷静で落ち着いている彼女が手にしていたカップを手放し床に叩き落とすぐらいの重さだったんだろう。

 

「ちょっ、か、楓さん!?」

 とりあえず、今布巾を━━━」

「待って」

 

慌てて立ち上がった俺の手を細い手が掴む。

見かけ以上に力が込められたその手には、まるで離さないという意志が強く込められてるように感じた。

普段の神秘的な笑顔をした彼女の顔が呆然とした表情に変わる。

 

「あっ、あの、もう一度、言ってもらってもよろしいですか?」

「えっと……」

 

大きく見開いた瞳が、細かぐらい揺れる。

そんなにも響いていたのだろうか。

目の前の彼女は、俺の知る冷静な彼女ではない。

少なくとも、見たことのない程取り乱した彼女の様子に言葉が出ない。

 

「プロデューサー、もう一度言って下さい」

 

か細い言葉にも関わらず、強い思いが伝わる。

俺は楓さんに目線を合わせて自由ながら手を彼女の肩に乗せる。

少しでも、落ち着いて貰えるように願ながら。

 

「俺は大阪に転勤します。

 俺だけです。

 楓さんは、ここに残ります」

「なんでですか?」

 

小さな声が静かな事務所内に響く。

楓さんはまるで何処か壊れた人形のように口元に薄い笑みを作り、首を傾げる。

綺麗なオッドアイは大きく見開かれたまま、目の前を見つめる。

これから先の未来ではなく、今だけを強く見つめているように感じた。

今、俺が傍にいるという事実だけを。

 

「プロデューサーは私の傍にいて、一緒にお仕事して、一緒にお酒を飲んで、一緒に楽しく過ごすんですよね?

 これからもずっっっっとそうやって過ごしてくれるんですよね?

 だって、プロデューサーは私の素敵な相棒ですもんね?

 なら、転勤だなんてたちの悪い冗談ですよね。

 だって、プロデューサーは私だけのプロデューサーですから。

 私と仕事もプライベートも共にしてくれる人ですもんね。

 でしたら、転勤なんてしないですよね。

 仮にそんな話が来ても断ってくれますから。

 プロデューサーは私の傍にいてくれる人ですからね。

 そう信じて傍にいたんですよ?

 私はそう信じてたから傍にいたんですよ?

 2人で毎日飲みたいのに、プロデューサーが我が儘言うから我慢して週一で妥協しました。

 本当は抱きしめたくて、抱かれたいのにプロデューサーがダメだって言うから我慢してきました。

 なのに

 ━━━なのに

 これが、その仕打ちなんですか?」

 

息つく間もなく淡々と責められる。

思いの丈を言い切ったのだろうか、楓さんの瞳から涙が零れ落ちてくる。

俺は、何も言えず何も出来ずにただ彼女の言葉を受け入れる。

 

「━━━ない」

 

だからこそだろう。

 

「━━━いらない」

 

親の敵を見るかのように、俺を見る彼女。

そんな彼女の顔に息を詰まらせる。

 

「私の傍にいないプロデューサーなんて、いりません」

 

その冷たい宣告を最後に楓さんは事務所から逃げるように走り出す。

足音が遠くなり扉が勢いよく閉まる音を最後に事務所は再び静かな空間とかした。

 

……楓さん、ショック受けてたな。

あんな顔を見るのも、あんな事を言うのも始めてみた。

普段の落ち着いた彼女とは思えない、かけ離れた様子に何も言えなかったな。

 

目の前に広がる割れたカップを見つめる。

 

……後片付けして、帰ろう。

 

目の前から過ぎ去った現実から目を反らすように俺は後片付けを始めた。

 

 

 

━━━━━━

あれからの話をしつつ、今の話をしていこう。

楓さんは、あれ以来口を聞いてくれなくなった。

結局まともな挨拶も出来ないまま、俺は大阪に転勤することになった。

大阪に来てから早くも数ヶ月。

俺は楓さんの次の相棒……今担当しているアイドルと共にトップアイドルを目指している。

何処か寂しさを感じつつも、それでも仕方がないと割り切る。

それに、プロデューサーとして働いていたら何時かはあえると思うし。

その時は、口を開いてくれるといいな。

楓さんが映る番組やcmをみる度に、会ってちゃんと話をしたいって思ってしまう。

最後の彼女の顔が、忘れられないから。

 

そう思っていたからこそだろうか、俺は彼女と会える機会を得た。

 

それは、所謂ファン感謝祭だった。

事務所の売れているアイドル達と新人アイドル達と共に行うこのイベントで、俺達が出ることになった。

そして、売れているアイドルとして楓さんも。

だから、会えたら話をしよう。

そう思っていた。

 

「それじゃ、頑張ってね」

 

舞台袖で緊張してる彼女に優しく言い掛ける。

その言葉に対して静かに頷く彼女。

そんな彼女のステージへと上がっていく後ろ姿を目に焼き付ける。

まだまだ売り始めてから日が浅い彼女。

名も余り知られていない彼女の存在を大きく売り出すこのチャンス。

頑張ろう。

その思いだけで、その言葉だけで胸が埋まる。

だからこそだろう。

俺は、背後に立っていた彼女の存在に全く気づかなかった。

 

「はじめまして」

 

聞き慣れていた声での挨拶は俺の予想を大きく逸らした言葉。

 

「……楓…さん?」

 

間違えるはずがなかった。

聞きたかったその声の主を。

だからこそだろう。

はじめまして

その言葉に驚きを隠せない。

恐る恐る後ろを振り向くと綺麗な営業スマイルを浮かべて俺を見つめる楓さんがそこにはいた。

 

「楓さん、はじめましてって何を━━━」

「以前お会いしたことがありましたか?それは失礼しました」

 

気持ちのこもっていない淡々とした口調のまま頭を下げられる。

 

「いや、だって俺は」

「あの子のプロデューサーですか?」

 

頭の中をかき回な疑問の波を抱く俺に目も向けず、楓さんは俺の横に立つとステージで歌う彼女を見つめる。

何を考えてるか、何を感じているのか読ませないような横顔で。

まるで、始めてあった彼女のような神秘的な雰囲気を醸し出すその横顔で。

 

「素敵ですね」

 

……そっか。

そこで俺は始めて理解する。

この状況に。

彼女の内心に。

 

いらない、か。

 

もしかしたら、楓さんは俺のことを忘れたがってるのかもしれない。

きっと、忘れたがってるんだろう。

なら、俺は。

 

「はい、つい先日デビューしたんですよ」

 

楓さんと共に彼女を見つめる。

必死に歌い、踊る彼女を。

 

「そうですか、なら私も先輩としてお手本を見せるように頑張らないといけませんね」

「勉強させて頂きます」

 

横目で楓さんの顔を見る。

綺麗な微笑みが少し恋しく感じる。

でも、それはもう俺に向けられないのだろう。

そう思うと胸を締め付ける。

 

「そうだ、実は急遽出演順番に変更があったことを伝えに来たんですよ」

 

手を叩きわざとらしく切り出した彼女。

出演の変更?

そんな話は確かに聞いていない。

 

「私の出番が早くなりまして、次は私の番になることになりました」

 

楓さんが次をやる?

俺は手帳を取り出して今回の出演順番を再確認する。

楓さんはもう少し先の出番。

それは、俺の記憶通りだ。

 

「なので、お手本になるように頑張りますから」

 

手帳のメモを修正しつつ彼女の言葉に耳を貸す。

 

「そこで、見ていて下さいねプロデューさん」

 

プロデューサーさん

その言葉に思わず手が止まる。

優しい微笑みが真っ直ぐに俺を見つめる。

それは、以前の彼女が向けてくれていた笑顔。

恋しく思っていた笑顔。

 

「楓さん━━━」

 

か細い声が大きな歓声に飲まれ、消えていく。

静まっていく歓声と共に彼女が俺の元へと戻ってくる。

入れ替わるように楓さんはステージへと向かって歩き始める。

まるで、俺の元から離れるように。

 

「……お疲れ様。次は楓さんの番だから見ていかない?」

 

そんな彼女の後ろ姿に視線を注ぎつつ俺は思ったことを口にする。

楓さんは今の彼女……デビューしたての彼女にとってきっといい勉強になる。

そんな彼女のステージを間近で見れる機会。

共に歩んでいた彼女の姿を改めて見守れる機会。

俺としても、彼女としてもこのステージを近くで見学出来るというのはためになる話だ。

だからこそ、俺達は舞台袖で楓さんのステージを見守っていた。

見学していた。

して、しまった。

 

 

 

━━━━━

結論から話すとしよう。

楓さんのステージは……素晴らしかった。

俺が傍にいたころよりも数段レベルがあがったパフォーマンス。

声だけで聞くものを魅了する歌声は更に透き通った美声となり、ファンを含めた観客達はその声に聞き入り。

真新しいドレスを着こなした姿で、ゆっくりとしたダンスを躍り、その一挙一動に誰もが目を奪われる。

そんな、素晴らしいステージを俺達は傍で見ていた。

さっきまで彼女を包んでいた声援を遥かに越える賛美の言葉の嵐が楓さんを包みこむ。

間違いなくその日一番のファンからの暖かい言葉達。

その日一番の興奮。

そんなステージになった。

 

結果から見たら、感謝祭は成功した。

楓さんのお陰……とまでは言えないが、それでも一番貢献したのは楓さんだろう。

同じプロダクションの人間として嬉しい限りだ。

ここまでは。

 

俺が担当している彼女は、この舞台で……いや、あのステージで何かを感じたんだろう。

それはきっと、トップアイドルとしての壁の高さ。

自分ではあんなステージを作れない、演じきれないという不安。

当然だ。

デビューしたての彼女が間近であんなステージを見たんだから。

こうなるなんて考えてなかった。

先輩の後ろ姿を見て、目的を見つけて少しずつ段差を登っていこうという意識をもってほしかっただけなんだ。

だからこそ、この結果は予想もしてなかった。

あんなに凄いステージを見せつけられるなんて。

それを、彼女に見せてしまうなんて。

今の彼女には早すぎる。

だからこそ

だからこそ、彼女の決断を止めれなかった。

 

退職願い

 

それは、感謝祭が終わって数日後に突きつけられたもの。

それは、彼女の決断。

必死に止めた。

でも、駄目だった。

どれだけレッスンをしても、何回ステージに立ってもあんな風になれる気がしない。

そう伝えると、彼女は俺の元から去っていった。

強く引き留めることはできなかった。

かける言葉が見つからなかった。

 

そんな無力な自分から目を反らすように俺は自宅近くの居酒屋に逃げ込んだ。

ゆっくりと久々の酒を味わいつつ周りの雑音に耳を傾ける。

テレビを見ながらアイドルの話をしているサラリーマン達は自分達の好きな娘の話で盛り上がっていたから。

出される名前はよく聞く名前もあれば、聞き覚えがない名前まで様々だった。

そこに、彼女の名前はなかった。

サラリーマン立ちの後ろ姿を眺めつつ、狭いテーブルを埋めるように置かれた料理を口にする。

頼みすぎたかな。

少し後悔しつつも、寂しさを誤魔化すように淡々と食べ始める。

料理の味がわからない。

落ち着かない。

傍にいた人が唐突に離れるのはこんなにも悲しいことなんだろうか。

寂しいんだろうか。

俺は……

俺は楓さんにこんな気持ちを与えたのだろうか。

 

頭の中が楓さんの顔で埋め尽くされる。

二人で飲んでる時の楽しそうな笑顔。

会える時間が減ったことに落ち込む姿。

失敗して落ち込んだ時の後ろ姿。

急な別れに動揺していた姿。

そして

久々に再開した時の姿。

 

そこまで長い付き合いではない。

それでもたくさんの思い出があった。

そんな、彼女の事を思い出していた時だ。

 

「ご一緒してもいいですか」

 

聞き覚えのある優しい声が舞い降りる。

慌てて顔を上げるとそこには笑顔の楓さんがいた。

 

「え……え?」

事態を飲み込めず頭を真っ白にした俺を置き去るように彼女は対面の席に座り、早々にビールを頼む。

「か、楓さん!?」

「はい、貴方の楓ですよ」

子供をあやすような優しい微笑みはどこか懐かしく感じる。

その冗談めいた口調も、様子を細かく観察しているような眼差しも。

全て、俺が知ってる楓さんのもの。

もう、見られないと思っていた楓さんのもの。

 

「プロデューサーさんがフリーになったと聞いたので、スカウトに来ました」

 

目の前の光景に驚愕している俺を置いて彼女は語る。

 

「どうですか、また私と一緒にお仕事しませんか?」

優しい口調で出された条件は今の俺からしたら喉から手が出るような程魅力的に感じた。

楓さんとまた仕事ができる。

それは、俺が棄てたモノをまた得ることができると言うこと。

「事務所にもお願いはしてきました」

優しい微笑みはまるで女神のように俺を見つめる。

「どうですか、プロデューサーさん」

彼女の言葉に不安を感じない。

もしかしたら、どこかで確信してるのかもしれない。

俺が、肯定することを。

それもそうか。

俺が否定する理由もない。

でも、それは。

 

「俺は、楓さんを棄てたんですよ?」

「プロデューサーさんは自分の仕事を全うしたたけで、私を棄てたんじゃありません」

「俺のこと嫌いになったんじゃないんですか?」

「そんなことありませんよ、今も昔も大好きです」

「俺は……」

「プロデューサーさん」

 

彼女は真っ直ぐに瞳をみる。

綺麗な瞳で。

歪みない瞳で。

 

「私はプロデューサーさんの事を愛してますよ、今も昔も変わりなく。

 永遠に、ずっと。

 愛してますから。

 だから、プロデューサーさんしだいですよ。

 私を嫌うか、私を愛すか、ね」

 

言い終わると満面の笑みを向けられる。

卑怯な人だ。

楓さんを嫌いになるはずがない。

だから━━━

 

「俺でよければ、あなたのプロデューサーにさせて下さい」

 

言い終わると彼女は満足気に頷く。

それと同時に彼女の前にジョッキが置かれた。

お互いに目の前のジョッキを手に取り、静かに乾杯をした。

これからもよろしく

そう思いを込めて。

 

 

 

━━━━━━

後日談、というか1人のアイドルの話し。

彼女、高垣楓のアイドルとしての人生は短いものだったと思う。

トップアイドルとまではいかなかったが、それでも国民的なアイドルとして周りに認知される程度には有名になった彼女の最後は、幸せなものだった。

結婚

その二文字か彼女のアイドルとしての最後。

相手はプロデューサーである俺だ。

もちろん、そんな事を世間に言えるはずがなく……。

相手は伏せてもらっている。

初めは断っていたモノの楓さんは結婚しないと死んでやると本気の目をして言ってきて……なんて言い訳はまた、語るときがきたら語るとしよう。

楓さんはアイドルを止める。

それは、彼女の意志だ。

自分を見つめる人は1人でいいから。

そんなことを言っていた。

 

俺はプロデューサーとしてまだ仕事をしている。

楓には余りいい顔をされないけど……。

玄関に立つと楓はそそくさと俺の元に来る。

笑顔で俺のネクタイをキツく締める。

まるで、逃げられないと言わんばかりに。

困った笑顔をすると、それとは対照的に嬉しそうに微笑む彼女は俺に小さく手を振ってくれた。

薬指にある指輪を見せつけるように。

そんな彼女に思わず笑みがこぼれる。

 

ただ一言、行ってきますと伝えると綺麗な声で返事をくれた。

そんな日常の為に、今日も頑張ろう。

キツく締められたらネクタイに触れながらただただ笑顔を零した。




少しばかし忙しくて更新が大分遅くなりました。すいません。
次は何を書こうか……何かリクエストがあれば活動報告にリクエスト募集してますので記入してくれると幸いです。

一話完結の話がいいか、数話かかるストーリーがいいか、どちらがお好みでしょうか?

  • 一話完結
  • ストーリー物

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