んにゃ。
目を覚ますと、そこは慣れ親しんだ私の部屋。隣には藤姫様から貰ったお馬のロシナンテ(ぬいぐるみ)。ロバでなく馬である。
何となくロシナンテを抱き寄せると、枕元にコップが置いてあったので、喉を潤す。ん、やっぱり戦いの後の一杯はうまい。
そんな、どうでもいいようなことを考えていると、扉が開き舞姫様が入ってきた。
「杏奈、目が覚めたのね?」
「はい。ご心配をお掛けしてしまいました」
心配してもらえるのは、ちょっぴり嬉しいのだが、やはり申し訳ない。だが、舞姫様は苦笑を浮かべると、ぺちんと私のおでこを叩く。
「あぅ」
「いつも私達のことを護ってくれる貴女が寝込んでいるのだもの。心配位させて頂戴」
「……はい」
これは甘んじて受けておくべき。舞姫様はそれで許してくれたらしく、おでこを撫でてくれる。
「待ってて、今紫さんに目を覚ましたことを連絡するから」
そう言うと舞姫様は再び部屋を出ていってしまった。手持ちぶさたになってしまったので、ロシナンテをクワトロ・アクセルさせていると、すぐに扉が開く。入ってきたのは、舞姫様ではなく藤姫様。
「杏奈さん、入っても大丈夫でしたか?」
「はい。ベッドの中から失礼ですが……」
布団から出ようとすると、駆け寄ってきた藤姫様に押し留められる。
「杏奈さんはそのままにしてて下さい! 痛いところなどはありませんか?」
藤姫様に心配そうな顔をされてしまった。これはメイド失格である。
「心配させてしまい申し訳ありません。でも、私は大丈夫ですよ」
グッと小さくガッツポーズを見せると、藤姫様は笑ってくれた。
「もぅ、杏奈さんったら。でも、大丈夫そうで安心しました。あ、でも、今日は私とお風呂に入ってもらいますからね!」
白夜様達との訓練の日は、藤姫様に背中を流されるのがお約束なのだ。私としては恐縮なのだけれども、藤姫様や奥様が譲ってくれないのだ。ちなみに、舞姫様にはご飯のときお世話をされる。
「でも、杏奈さんはどうして、そんなに痛いのに強くなろうとするんですか?」
ロシナンテを抱き抱えた藤姫様が、首を傾げながら聞いてくる。
ふむ、どうして強くなりたいか、ですか。
「そうですね……一言で言えるものではありませんが、皆さんに笑っていてほしいから、でしょうか」
これが正解かどうかは分からないが、私がこう思っているのは確かだ。
「笑って、ですか?」
「はい。舞姫様や藤姫様、奥様や旦那様、それに楓お嬢様やソフィアさんなど、私にはいつでも笑顔でいていただきたいと思っている方々がたくさんいるのです。だから、そんな方々が笑顔でいられなくなってしまったときに、助けて差し上げられるように、強くありたいと思うのです」
それは、単に腕っぷしが強いだけでは駄目である。心も強くなければいけないのだ。だからこそ母さん達との訓練で力と心を鍛えるのだ。
「……でも、私は杏奈さんが傷付くと悲しくなってしまいます」
「それは、私がまだまだ未熟者、ということなのでしょう。だから、ご迷惑をおかけしてしまうかもしれません。それでも、私は藤姫様が、皆様が笑顔でいられるように努力していきたいのです」
不安げに私のことを見上げてくる藤姫様のお顔を抱き締める。藤姫様は大きな心をお持ちだ。だけど、まだまだ小さなお嬢様。
今の私にはこんなことしか出来ないが、これで少しでも心安らかになってもらえるのならば、いくらでもやらせていただこう。
「杏奈さんは、どこにもいきませんよね?」
「はい。私は何があろうとも、藤姫様や舞姫様のお側におります。だから、そんな不安そうなお顔をなさらないでください」
ちょっと困ったような顔をすると、藤姫様は笑顔を浮かべてくれた。
「ふふふ、藤姫様の笑顔を見たら、お腹が空いてきてしまいました」
「杏奈さんったら。あ、でも、紫さんがキッチンにいましたから、多分……」
噂をすれば何とやら。舞姫様とともに紫さんと白夜様、それに母さんが部屋に入ってきた。
……って、紫さんが持ってるのって!
「ふふふ、すっかり元気みたいね。杏奈ちゃんへのご褒美よ。杏奈ちゃんが大好きなアップルパイ。腕によりをかけて作ったわ」
「それと、私の紅茶もお付けします。ほら、刹那も出してあげなさい」
「わ、わかってます。ほら、天麩羅だ。好物だろう?」
ふぉぉぉぉぉぉぉっ!?
なに!? 私、死ぬの!? なに、この幸せ尽くし!?
紫さんのアップルパイは言うまでもなく、白夜様の淹れた紅茶は、正しく世界一。それに、母さんの天麩羅は、私が未だに作り出せない至高の逸品。
つまりは、天国。
「ふふふ、杏奈ったら、気絶していたのに、そんなにはしゃいで大丈夫なの?」
「はい。藤姫様の笑顔を見て、元気になりましたから。だから、お腹がペコペコなんです」
だって、私の大好物が並んでいるのですから。
「もぅ。分かったわ。私が食べさせてあげますから、落ち着きなさい」
クスクスと笑いながら舞姫様が席につく。私も急いで舞姫様の隣に座る。
「はい、最初はワラビの天麩羅ね。はい、あーん」
あーん、んむ。……あぁ、生まれ変わっても日本人でよかった。
餌を与えられる雛鳥の如く、パクパクと母さんの天麩羅を食す。どれもこれも、最高の一言であり、完食してしまった。
「さぁ、杏奈ちゃんの大好物のアップルパイよ。舞姫様と藤姫様も是非食べてください」
紫さんに勧められ、藤姫様も私の隣に座る。そこに、紫さんのアップルパイと白夜様の紅茶が並ぶ。あぁ、至福。
「ふふふ、やっぱりこの時の杏奈ちゃんは昔から変わらず可愛いわ」
「はい。見ていて心が和みますな」
何だか子供を見つめる親みたいな視線を感じるが、美味しいので気にしない。
「杏奈、今日は私も一緒にお風呂に入ってもいいかしら?」
「舞姫様もですか? 私としては恐縮なのですが……」
何も考えなければ特に断るつもりはないのだが、舞姫様は私のご主人様である。メイドとしては、あまり褒められることではない。
「いいじゃないか。主従の仲を深めるのは大事だぞ」
「遠慮のしすぎも良くないですよ杏奈」
と思ったら、二人からあっさりOKが出た。
「では……よろしいのでしょうか?」
「もちろん。藤姫もいいかしら?」
「はいっ! 三人で入るのは久しぶりですから楽しみです!」
その後、紫さんから怪我も問題ないと太鼓判をいただき、藤姫様と手を繋ぎながらお風呂に行く。
凰家のお風呂は大きいが、とても落ち着いた内装である。素早く服を脱ぐと、お二人に椅子に座らされた。
「今日は私が髪を洗うわね。ふふふ、杏奈の髪を洗うのも久しぶり」
纏めていた髪をスルリとほどくと、舞姫は鼻唄を歌いながら私の髪を洗ってくれる。普段は纏めているが、実は結構長いのである。奥様を筆頭に髪を切ることは禁じられているので、毎日髪を洗うのには苦労しているのだが、舞姫様や藤姫様に髪を洗っていただくのはとても気持ちいいので大好きなのです。
「杏奈、気持ちいい?」
「はい。天にも昇るかのようです」
「まぁ、大袈裟よ、もぅ」
しっかりと時間をかけて髪を洗い、藤姫様に背中を流してもらってから湯船に入る。
脱力していると、お二人も隣に入ってきた。
「杏奈、体は大丈夫?」
「はい。痛みはしますけど、大きな問題はありません」
あれほどの手合わせをしたので、筋肉などは痛い。だが、後に引くような深刻なものはなかった。
「うぅ、私も体を鍛えた方がいいんでしょうか」
藤姫様がグッと筋肉を出そうとするが、殆ど出てこない。寧ろ、柔らかい綺麗な腕である。
「ふふふ、戦闘訓練は必要ないと思いますが、運動は健康にもいいですから、それもいいかもしれませんね。ジョギング等でしたらお手伝いします」
お嬢様な藤姫様とはいえど、ジョギングなどは体にもよい。私達はフルマラソンの後に組み手などもやるが、それはまた違うので割愛だ。
「そうね、私もお披露目が近いし、調整がしら走ろうかしら」
舞姫様は舞をするため、中々体力がある。時に重い着物を着て舞うのだから、体力は必須なのだ。
「じゃあ、私も頑張ります! 最初はバテてしまうかもしれませんけど……」
少し自信がなさげな藤姫様に、私と舞姫様は思わず笑ってしまったのだった。
次回は恋愛要素ありです。
……あ、杏奈はそういうの興味ないですから。