唯依姫と呼びたくなるのは仕方がないと思う。
『――さん?』
どこからか声が聞こえる。
聞き覚えがあるような、ないような。
でも、この声を聞くと、胸が熱くなる。
『もぅ。――さんったら、寝惚けちゃダメですよ?』
クスクスと微笑むその声の主の姿は見えない。だけど、その空間がとても暖かなものということは分かった。
『じゃあ、明日はいっーぱい遊んでもらいますね。ふふっ、――さんと一緒に遊ぶのなんて、久しぶりだから楽しみです』
――私もです。
そう答えようとしても、声が出なかった。
「……んなちゃん、杏奈ちゃん?」
「ん……あれ、唯依様」
揺り動かされて目を開ければ、そこには唯依様がいた。
「あれ、じゃないわ。起こすのも悪いかと思ったのだけど、これを見たらね」
そう言うと、唯依様は私の目元を優しく拭ってくれた。
「何か悲しい夢でも見たの?」
夢……確かに何か夢を見ていたような気がする。だけど、それは悲しいものではなく、確かに。
「楽しい夢、だったように思います」
「そうなの?」
そう。内容は思い出せないが、とても楽しい夢だった気がする。
「はい。とても、暖かくて……そう、確か、どこか遊びに行くと言っていたような気がします」
だから、よほど大切な誰かと遊びに行く約束をしていたのだろう。
そんなとりとめのないことを考えていると、突然唯依様が私の手を取った。
「唯依様?」
「せっかくそんな夢を見たのなら、遊びに行きましょう? 今日は放課後空いているのでしょう?」
確かに今日の放課後はフリーだ。《燕水會》でのことが決まったので、これから忙しくなる。そのため、そうなる前にと、奥様がお休みを下さったのだ。
「でも、唯依様もご予定があるのでは」
「私から誘っているのだから、気にしないでいいのよ。それに理由はどうあれ、涙を浮かべている可愛い後輩を放ってなんておけないしね」
そう言われては断れない。
「では、精一杯エスコートをさせていただきますね」
であれば、全力でおもてなしをせねばなるまい。私のメイドぢからは73万M(aid)P(oint)あります。
「あら、また舞姫に嫉妬されてしまうわね。じゃあ、今だけはご主人様って、呼んでくれないかしら?」
「畏まりました、ご主人様」
そうして、唯依様との不思議なお出掛けが始まったのであった。
Another side 唯依
私には大切な親友が二人いる。
凰舞姫と冷泉華琳。
二人のお陰で、楽しい学園生活が出来ている。恥ずかしいから絶対に言わないけど。
そして、とても可愛く、凛々しい後輩も出来た。
それが今腕を組ませてくれている杏奈ちゃんだ。
私の大槻家は舞姫の凰家や華琳の冷泉家のように、古くから続く家ではない。多くのライバル達を押し退けて成長した、俗に言う成り上がりの家である。
それ故、敵も多いのだが、舞姫達はそんなこと気にもせず私と付き合ってくれている。
……まぁ、修凰の人達はほとんど気にしていないといえばそうなのだが。
だが、そのような風潮となったのは、舞姫や華琳が入学してからであり、それが磐石となったのは、杏奈ちゃんが入学してからである。
彼女達が何かをしたわけではない。ただ、普通に振る舞っていただけである。
だけど、誰もがその姿に魅了され、恋い焦がれ、そうありたいと願うようになったのである。
……もう、貴女達は何者なのかとは何度呟いただろうか。
「ご主人様?」
そんなことを考えていただろうか。少し歩みが遅くなってしまい、杏奈ちゃんに首を傾げられた。
「何でもないわ。それにしても今日はとても心地よいわね。杏奈ちゃんがお昼寝してしまったのにも納得よ」
そう誤魔化したら、杏奈ちゃんはアッサリと信じてしまった。
「はい。ポカポカとしていたのでスズメ達を見ていたら、つい」
普段は凛々しいのに、こんなに可愛いだなんて反則だ。
少し抱きつく力を強めると、杏奈ちゃんは歩く速度を少し弛めてくれた。
「せっかくですから、ゆっくり歩きましょう。ご主人様をエスコートする機会なんて滅多にありませんから」
「……もぅ」
本当に反則である。こんなセリフ、殺し文句だ。これを日常的に受けている舞姫を尊敬してしまう。
熱くなる頬を無視しつつ歩いている内に、学園から少し離れた所にある公園に着いた。
離れたといっても歩いていける距離だし、セキュリティもしっかりとしているので修凰の生徒はよく訪れるスポットだ。
公園には綺麗な池もあり、少し暖かな陽気な今日にはぴったりの場所だ。
「お待たせしましたご主人様」
そう言いながら杏奈ちゃんがクレープを渡してくれた。
「ありがとう。あら、杏奈ちゃん、私がイチゴ好きなこと知ってたかしら?」
杏奈ちゃんには話していなかったと思ったのだけど。
「以前、舞姫様から教えていただきました。あ、もしかして、他のものの方がよろしかったですか?」
「いいえ、ありがとう」
こういう気遣いが、修凰の女の子にモテる秘訣なのだろう。
二人でクレープを食べていると、公園に来ている修凰の子達に注目されていることに気が付く。チラリと横を見れば、杏奈ちゃんがモフモフとバナナのクレープをとても美味しそうに食べていた。
《騎士様》と呼ばれる杏奈ちゃんだが、甘いもの好きで、可愛いもの好きなのだ。
そんな杏奈ちゃんを見ていたら気付かれた。コテリと首を傾げる姿は反則なほど可愛い。
「ご主人様?」
加えて《ご主人様》だなんて呼ばれては赤面せざるを得ない。
「何でもないわ。杏奈ちゃんも食べてみて。イチゴが甘くて美味しいわよ」
そう言ってクレープを差し出してみると、杏奈ちゃんはむむむと唸る。
「ですが……」
「じゃあ、私も杏奈ちゃんのを頂くわ。食べ合いっこしましょ」
そう言うと、杏奈ちゃんは観念してくれた。
してくれたのだが、手を下に添えながら口元にクレープを持ってくるのは勘弁して欲しい。周りの視線が恥ずかし過ぎるから。
だが、杏奈ちゃんはそんなこと知らぬというかのようにキョトンとしていた。
……舞姫、貴女はいつもこんなことをしているの?
親友の趣味を疑いつつ、私も観念して杏奈ちゃんのクレープを口にする。
「いかがですか?」
うん、確かに美味しいのだが、周りから聞こえる黄色い歓声に気がいってしまうので、素直に楽しめない。
だが、このままされるがままというのも悔しい。
「私からもお返しよ。はい、あーん」
私も杏奈ちゃんと同じようにしてクレープを差し出す。
すると、杏奈ちゃんは何の戸惑いも見せずにクレープを口にした。歓声が大きくなった。
「ど、どうかしら?」
「はい。とても美味しいです。ありがとうございます、ご主人様」
ふわりと浮かべた笑みは、もう落ちきった桜の再来かと感じてしまう程華やかで、それでいてとても繊細で。
そんな笑顔を間近で見た私は、もう何も言えなくなってしまった。
……舞姫。いつも杏奈ちゃんからこんな表情を向けられているだなんて、嫉妬してしまうわ。
同時に尊敬もしてしまうのだけれど。だって、私じゃ嬉し恥ずかし過ぎて耐えられないもの。
Another side out
周りの人メインは初めてかもしれません。
その一人目が唯依なのは、私が唯依姫先輩が好きだからです。
因みに、本文でも触れていますが、唯依は華琳や舞姫達のような歴史ある名家ではありません。