クレープを食べ終え、私は唯依様と一緒に公園の中を歩いていた。桜は落ちきっていたが、その花びらが池を覆い尽くしていたため、中々に壮観だ。
「ねぇ杏奈ちゃん。舞姫から聞いたのだけれど、《燕水會》の舞い手に選ばれたんですってね」
「はい。私以外にも適任の方がいらっしゃるとも思いましたが、王季様に名を呼ばれた時、とても嬉しかったのです。ですので、謹んで請けさせて頂きました」
そう。いくら取り繕うとも、私は嬉しかった。吉祥として咎められようとも、舞姫様に喜んでいただけることが。
「そっか。どこまでも杏奈ちゃんは舞姫の為に舞うのね」
「はい。それが私の喜びですから」
これだけは自信をもって頷ける。舞姫様に喜んでいただけるなら、私はどんなことだって出来るのだ。
「ふふふ、これじゃ、私に杏奈ちゃんのご主人様は務まらないわね」
「ご主人様?」
「ふふ、もうそれはいいわ。やっぱり杏奈ちゃんには名前を呼んで欲しいもの」
会社の方にお嬢様と呼んでもらうことはあるけれど、唯依様と呼んでくれるのは修凰の子達だけ。その中でも杏奈ちゃんに呼んでもらえるのが特に嬉しい。
「杏奈ちゃんはこの後時間はあるかしら?」
「はい。そこまで遅くならなければ大丈夫です」
「じゃあ私お薦めのお店を紹介させてちょうだい。電車に乗るけど大丈夫?」
修凰にいると、電車については実は結構気を遣う。修凰の子達の中には電車に殆ど乗らないような子もいるのだ。私は普通に使うけれど、舞姫や華琳は車で移動することが多いらしい。
「ご心配なさらなくても大丈夫ですよ。私もお休みの時にはよく利用しますから」
「じゃあ行きましょうか。そんなに遠くないからね」
杏奈ちゃんを伴って、お目当ての場所へと向かう。私が杏奈ちゃんに紹介したかったのは、ぬいぐるみの専門店だ。妹の音姫(おとめ)のためによく買うのだが、とても品揃えがいいのだ。目論見通りというべきか、杏奈ちゃんは目を輝かせてくれていた。
「ほぁぁぁ……」
「気に入ってくれたかしら? 音姫にプレゼントするときによく利用するのだけれど、可愛い子が沢山いるの……って、言うまでもないかしらね」
「ほぁぁ……はっ! し、失礼しました」
私の声にハッとする杏奈ちゃん。思わず笑ってしまったが、そんなに喜んでもらえたのであれば紹介した甲斐がある。
「せっかくだから、一緒に見てもいいかしら」
「勿論です。あっ、このお馬さんなんて、ロシナンテのパートナーにピッタリかと……」
そう言って馬のぬいぐるみに飛び付く杏奈ちゃんは、いつもと違って少し子供っぽかったので、音姫の相手をしているような気がした。
その後も色々な種類のぬいぐるみを抱き締めながら楽しんでいた杏奈ちゃんだったが、最初の馬のぬいぐるみが気に入ったのか、それを購入していた。
お店から出た後もぬいぐるみが入った袋を愛しげに抱き抱える杏奈ちゃん。その様子はいつもとのギャップで反則的な程可愛らしい。
「この子の名前はリヒトです。凛々しいからイケメン、いえ、イケホースですね」
「ふふふ、良いのが見つかって良かったわね」
「はい。唯依様が素敵なお店を紹介してくださったお陰です。お礼にお茶をご馳走させて下さい」
確かにお店でたくさんお話したので少し喉が渇いていた。
「それじゃあお言葉に甘えてご馳走に……」
「お姉さん達、これからお茶なの? それじゃあ俺達とお茶しようぜ」
何時如何なる時にも無粋な者とは存在するようで。私達の前に複数の柄の悪い男達がニヤニヤしながら立っていた。
が、私が反応する前に杏奈ちゃんが私の前に立っていた。その手には先程まで大事に抱えていたぬいぐるみの袋はない。
「唯依様はご連絡を。私の前からは決して出ないように」
杏奈ちゃんは私にだけ聞こえるように指示を与えてくれる。修凰の生徒は大企業の関係者が多いため、このようなトラブルの際のマニュアルがある。私は相手に気付かれないようにGPSの発信器のボタンを押す。これで警備部に連絡が行き対応をしてくれる。
私一人だけでは震えていたかもしれないが、今は杏奈ちゃんがいてくれる。だから、恐怖は少しもない。
「あん? こっちの話聞いてんの?」
「無視してんじゃねえよ!」
向こうは大声で威嚇してくるが、杏奈ちゃんは私を庇いつつも、一切手を出そうとしない。しかし、決して近付かせようとはせず、私と男達の距離を気付かれないように調整していた。
「てめぇ、何めんどくせぇことしてんだ!」
「我々はこの後も予定がございます。なので、お引き取りを」
杏奈ちゃんは静かに、それでいて威圧を込めて返事をした。その威圧感に、男達はたじろぎそれ以上近づこうとはしなかった。
異様な雰囲気の中、数分が経過するとその場に変化が起きる。すなわち、私が連絡した警備部から連絡を受けた警察の方が来たのである。
「失礼。君達は何をしているのかな?」
流石に警察が相手では強気に出られないのか、男達は舌打ちをしながら離れていった。
杏奈ちゃんが警察の方に感謝と謝罪をし、警備部に連絡を入れているのを見ていると、ふと足から力が抜けてしまった。恐怖は感じていなくても、緊張はしていたのだろう。膝をつく前に杏奈ちゃんが支えてくれる。
「唯依様、一度休憩しましょう。車は呼びましたからすぐに来ます」
「ありがとう。ふふふ、杏奈ちゃんとのお茶会がキャンセルにならなくてよかったわ」
「私も良かったです。立てますか?」
足には力が戻っていたので、ゆっくりと立ち上がる。そこで、杏奈ちゃんが手ぶらなのを思い出す。
「杏奈ちゃん、ぬいぐるみ……」
「あ、それでしたら」
杏奈ちゃんは、地面に落ちていた鞄とぬいぐるみが入った袋を拾った。鞄はともかく、ぬいぐるみの袋の方は少し汚れている。
「せっかく買ったのに汚れてしまったわね。ごめんなさい、私のせいで」
「そんなことはありません。唯依様のお陰でこの子に会えましたし、汚れているのは……この通り袋だけてすから。リヒトも《よくやった》って誉めてくれています」
杏奈ちゃんはリヒトの顔を袋から出して声真似をする。その声真似がとても格好よくて、つい吹き出してしまった。
「リヒトの声はこれじゃないでしょうか?」
「いいえ、とても格好いいわ。《騎士》のように頼り甲斐がありそうな声ね」
リヒトの頭を撫でて上げると、杏奈ちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
近くの喫茶店に入り、コーヒー等を頼むと自然に息を溢してしまった。
「いい雰囲気のお店ね」
「はい。依然屋敷の先輩に聞いていたのを思い出しまして。コーヒーの香りも素晴らしいですし、来られて良かったです」
どうやら凰メイド部隊お墨付きのお店みたいだ。舞姫お薦めのお店は行ったことがあるが、このようなお店はあまり来たことがない。
「それにしても杏奈ちゃんは凄いわね。あんな状況になっても毅然としているんだもの」
「私は戦闘訓練を受けていますし、迫力などは母達の方が上ですからね。ですが、唯依様の方が素晴らしい対応でした」
まさかそんなことを言われるとは思っていなかったので、首を傾げてしまった。
「私が? そうかしら?」
「はい。修凰のマニュアルを完璧にこなされていました。あの状況で最も正しい対応は唯依様がなさったことなのですから」
「そう言われると照れるわね。でも、杏奈ちゃん程の実力があれば大体のことは解決出来ると思っていたけど、そう簡単なことではないのね」
「そうですね。無論出来ないことはありませんし、いざというときは牙を剥くことを躊躇いません。ですが、大切なのはご主人様を傷付けないことで、相手を倒すことではありませんから。このように都心なら尚更ですね」
杏奈ちゃんや他のメイドの方々を見ていると何でも解決出来てしまいそうだが、彼女達は私達を守る為に多くのことを考えていてくれていた。
すると不意に杏奈ちゃんが眉を下げてしょぼんとしていた。少し分かりにくいけど。
「どうしたの?」
「いえ。先ほどえらそうなことを言ってしまいましたが、最も大切なことを出来ていなかったので……」
「最も大切なこと?」
杏奈ちゃんがこんなにも落ち込むこととはなんだろうか。
「はい……私は唯依様を怖がらせてしまいました。そのようなことはあってはいけないのに、です」
その言葉を聞いて、私はポカンとしてしまった。あんなに毅然とした佇まいで私を守ってくれたのに、しょんぼりしているだなんて、何だか許せなかった。
だから私は杏奈ちゃんの頭を撫でる。これは杏奈ちゃんが素晴らしいと誉めてくれたことだから。
「ゆ、唯依さ、はふぅ……」
あ、脱力した。
「杏奈ちゃんはとても頼もしかったわ。杏奈ちゃんがいてくれたから、私は安心していられたの。だから、そんなことを言わないで。ね?」
感謝の気持ちをたくさん込めて、杏奈ちゃんの頭を撫でる。そうしていると、しょぼんとした表情は消え、ポヤポヤっとしてきた。うん、これでいつもの可愛い杏奈ちゃんだ。だけど、楽しくなってきたので続行だ。
「ふふふ」
「あ、あの、とても気持ちはふぅぅ……気持ちいいのですが、そろそろはふぅぅぅ……止めていただけるとはふぅぅぅぅ……」
「ふふふ、駄目」
その後杏奈ちゃんが呼んでくれたお迎えの人が来るまで撫で撫でを堪能した。やり過ぎて杏奈ちゃんがしばらくはふぅとしか言えなくなってしまったのは、反省しなくては。
後悔はしていないけれど。
Another side out
これにて唯依(姫)篇は終了です。次からは輝夜……の前に華琳……の前にロリ杏奈回を挟む予定です。