私のご主人様   作:天神神楽

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とはいいつつ、紫さんsideです。


ろり杏奈 その一

Another side 紫

 

 「紫さーん」

 夕食の仕込みをしていると、扉の方から愛らしい声が聞こえる。そちらに顔を向けると、馬のぬいぐるみを抱きしめた杏奈ちゃんがいた。

 「あら、杏奈ちゃん。また、つまみ食いをしに来たの?」

 「んぅ……だっていい匂いがしたので」

 「ふふふ。まだお料理はしていないから、味見は出来ないわよ」

 そう言うと、杏奈ちゃんはしょんぼりとしてしまった。そんな姿もとってもキュート。

 「いま舞姫様はお稽古の時間かしら?」

 そう尋ねると杏奈ちゃんは頷いた。

 「はい。ご一緒したかったのですが、白夜さんが紫さんと一緒にいなさいって」

 「あら、白夜ったら。それじゃあ、少しだけお手伝いしてくれるかしら?」

 「はい!」

 杏奈ちゃんは元気よく返事をすると、叶の元へと向かった。

 

 杏奈ちゃんは一月前に倒れた。私や白夜でも原因が分からず、気休め程度の治療しか出来なかったが、杏奈ちゃんは耐えきってくれた。

 目をさましたのは倒れてから三日後。目を覚ましたばかりのときは混乱していたようだが、すぐに優しい杏奈ちゃんに戻っていた。

 改めて検査をしてみても、疲れや不調は見えたが、何かに感染している様子もなく、安静にしていれば大丈夫という状態になっていた。

 目を覚まして一週間過ぎた日の夕食に、刹那の天麩羅と私のアップルパイを美味しいと言ってくれたとき、私と刹那は嬉しさと安堵で涙を堪えることが出来なかった。

 大事を取って幼稚園は休んでいるが、杏奈ちゃんは元気になってくると、すぐに舞姫様の周りに赴こうとしていた。舞姫様や奥様も喜んではいたが、無理はさせられないと、なるべく安静にさせようとしていた。

 その為、叶と一緒に食材の皮剥きをしてもらったり、藤姫様とおままごとをしてもらったりしたのだが……。

 藤姫様とのおままごとはいい。杏奈ちゃんの一番のお気に入り、馬のロシナンテと一緒に藤姫様と遊んでいる姿は、この世のものと思えない程に愛らしい。堤や神楽が息を荒くして撮影をするくらいに微笑ましい光景であった。

 

 しかし、叶。貴女はいけません。

 

 叶は刃物の扱いが巧みである。凰家のメイドでも随一である。そのため、調理では下拵えや皮剥きを担当することが多い。

 普段は素早く、とても丁寧な仕事を淡々とこなす人物なのだが、杏奈ちゃんが来ると何故かネジが外れる。

 『おぉ……』

 杏奈ちゃんの静かな感嘆の声が聞こえる。頭を抱えつつそちらを見れば、杏奈ちゃんの手の上に、前足を上げ勢いよく嘶く馬の形をしたリンゴが乗っていた。まぁ、ダヴィッドの絵なのだろうが、モデルがロシナンテなので少し可愛い。

 叶の悪い癖、というかなんというか。叶は杏奈ちゃんが来ると曲芸を披露するのだ。

 今回は空中に放り投げたリンゴを手に戻ってくる前にロシナンテ(ボナパルトVer)を完成させていた。この間は、居合い抜きで大根を十六分割していた。

 ともあれ、曲芸切り自体は、まぁ、いいだろう。決して良くはないのだが、面倒だ。

 しかし、曲芸切りに関しては、杏奈ちゃんが真似をしようとするのだ。しかも、筋がいいらしく、日に日に上達している。

 舞姫様や藤姫様は喜んで下さっているが、奥様は苦笑いを浮かべていらっしゃった。それはそうだろう。刹那でさえ、頭を抱えていたのだから。

 さらに頭の痛いことに、何度折檻しても、叶が曲芸披露をやめようとしないのだ。何があの子をそうさせているのか全く不明である。

 「叶さん、私も叶さんのようなことをできるようになるのでしょうか?」

 少し眉を下げて心配そうに呟く杏奈ちゃん。叶の域に達せるか不安なのだろう。大丈夫ですよ、そのような技術は全く不要ですから。

 「確かに、すぐには身に付かないかもしれません。ですが、杏奈ちゃんでしたら、絶対に私以上の腕前になります」

 何を言ってやがりますか。

 このままにしていては、杏奈ちゃんが大道芸人になりかねない。

 「杏奈ちゃん、頼んでおいて悪いのだけど、奥様の所に行って、お茶を入れて差し上げてもらえないかしら?」

 奥様に押し付けてしまうようで申し訳ないが、この時間帯ならば奥様も手が空いていらっしゃる。最近、杏奈ちゃんとお話できないと嘆いていらっしゃったから問題はない。

 「叶さん、私、もっと頑張りますね!」

 杏奈ちゃんはグッとすると、ティーセットを持って調理場を出て行った。

 「杏奈ちゃんったら……あれ、涙が」

 「いい話のようにもっていこうと思っても無駄です」

 とりあえず、叶には奥義を九つほど伝授して差し上げましょう。

 伝授法? 当たって砕けろ……いえ、砕けて覚えろ、でしょうか。

 「とりあえず、まずは全力全壊でいきましょうか」

 「……私が悪いことは重々承知していますが、その恐ろしい言葉には納得がいきません」

 あら、奥義を授けようと思っていたことは本当なのですがね。

 

 

「全く、貴女ももう四十路なのですから、少しは落ち着いたらどうなのです?」

 「あら、せっかくお肌を若く保てているのですから、心も若くありませんと」

 「……まぁ、修行を終えた後でも、同じことが言えるか楽しみにしていましょうか」

 「えっ」

 




とりあえず、《ろり杏奈》は番外編扱いでいきます。たまに差し込むのでご了承ください。
ちなみに、書く予定があるのは今回出てきた
・藤姫と杏奈のおままごと(とそれを撮影する先輩組)
・先輩メイド叶さん~華麗なる剣戟~
の二つのお話です。

《ろり杏奈》は、今後も別視点がメインになるかと思います。

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