PERSONA4【鏡合わせの世界】   作:OKAMEPON

49 / 49
【2011/07/28】

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 ━━目を醒ませ、悠希!!

 

 

 

 深い水底に沈む意識にまではっきりと届いた、魂を震わせる様な、ありったけの感情が込められた全身全霊の叫びに。

 

 自己と外界を隔てていた見えない壁は撃ち破られた。

 

 途端に、強烈な喉元の絞扼感と息苦しさを感じる。

 苦しさに霞みかける視界の中では。

 陰鬱な狂気をその顔に貼り付けた隻腕の『シャドウ』が、残された片手で首を掴んで潰そうとしてきていた。

 

 五体満足の状態ではあるが、これでは身動きの取り様が無い。

 もがいて逃れようとするも赤子の様なその手の力は異常な程強く、抵抗すれば抵抗する程、喉元の圧迫感は増大していく。

 

 その時。

 右手に握られた軍刀の存在に気が付いた。

 

 無我夢中でそれを『シャドウ』の腹部へと突き刺すと。

『シャドウ』は金切り声を上げてその場をのたうち回り、此方の喉を絞めていた手を投げ出す様にして離した。

 

 混乱から醒めぬままそれでも状況を把握しようと辺りを見回すと、其処は『シャドウ』と己しか存在しない虚ろな闇の中で、花村達の姿は何処にも見当たらない。

 

 今は何時だ、ここは何処だ、花村達は何処へ。

 

 疑問は後から後から沸き上がってくる。

 一体何がどうなっているんだ?

 困惑が深まったその時。

 

「早くこの手を掴め、悠希!!」

 

 上方から必死に此方を呼ぶ花村の声が聴こえてくる。

 反射的に上を見上げると。

 其処だけ闇が晴れている場所から花村が身を乗り出して、此方に手を精一杯伸ばしていた。

 状況はまだ呑み込み切れないが。

 地獄に垂らされた糸に縋り付く様に、差し伸べられているその手に向かってこちらも精一杯手を伸ばした。

 

 指先が僅かに触れ合うと、花村はそれを手繰り寄せる様にして手首を掴み、一気呵成に此方を引き揚げて抱き抱えてくれる。

 

 途端に眩しくなる視界に思わず瞼を閉じた。

 閉ざされた視界の中、風を切る感触を肌で感じる。

 

 目を開けると、自分は花村に手首を掴まれたままジライヤに花村諸共抱えられている状態であった。

 

 ふと振り返ると、『シャドウ』が纏うブロックの勇者がのたうち回る様に暴れている。

 それから距離を取った場所に降り立ったジライヤは、そっとこちらを壊れ物を扱うかの様に優しく下ろしてくれた。

 

 これは何だ。

 これはどんな状況だ……?

 一体、何が起きている?

 

 手を見ても、誰の血にも塗れてはいない。

 刀はこの手には握られておらず、『シャドウ』に突き刺してそれっきりだ。

 まだ今の所は、誰も殺した形跡は無い。

 

 周りを見回すと、未だ手首を掴んだままの花村だけではなく、里中さんが、天城さんが、巽くんが、りせが、クマが。

 何事も無かったかの様に掠り傷程度の状態で立っていた。

 

 

 何だ、これは。

 自分はまた、逃避する為に、自分に都合の良い“夢”を見ているのか……?

 

 ……自分の弱さに、殆嫌気が差してくる。

 “現実”から目を反らして虚構に逃避するなど、唾棄すべき行為以外の何物でも無いと言うのに。

 

 今度は、何だ……?

 花村が都合よく助けてくれたと言う“夢”なのか?

 

 擦り切れた思考では、最早何も真面に考えられない。

 その時。

 

「おい、悠希、しっかりしろ!!

 大丈夫か!?」

 

 こちらの手を掴んだままだった花村が、焦った様に顔を覗き込んで来る。

 心から此方を気遣う様なその顔に、磨耗しきった何かが僅かに動きそうになる。

 

 ……。

 ……“悠希”?

 

 狂った無間地獄の中で、花村が此方を『悠希』と呼んだ事は未だ一度たりともなく、出会ってから今まで一度も無い事だ。

 

 ここは、先程までの地獄の中とは、“違う”のではないだろうか。

 明確な根拠など何処にも無いのに、そんな益体も無い身勝手な希望が頭を擡げてくる。

 

「はな……むら……」

 

 花村の名を呼んだ。

 その行為に、意味は、無い。

 “夢”なのかどうかなど、問うた所で正しい答えが返って来る筈も無く。

 言わねばならぬ何かも、皆目見当も付かなかったのだから。

 だが、自分の声は、何処か縋る様な響きを秘めていた。

 

「おい、本当に大丈夫か、悠希?

 やっぱアイツに捕まっていた時に何かされてたんじゃ……!」

 

 名前を呼んだ途端に、慌てる様に周りを見回して、花村は皆を呼ぶ。

 すると途端に皆は急いで此方に駆け寄って来た。

 皆に揉みくちゃにされるが、状況の整理に忙しくそれ所では無い。

 

 アイツ……?

 捕まっていた……?

 

 アイツとは、この状況から判断するに久保美津雄の『シャドウ』の事なのであろう。

 だが、捕まっていた、とは……?

 そもそも、あの無間地獄で目覚める前。

 自分は、一体何をしていたんだ……?

 

 体感時間としては遥かに昔の事であるが、必死に記憶を漁って思い出そうと努める。

 

 確か、『シャドウ』と戦っていて。

 それで、アイツがあのブロックの鎧を纏うのを阻止しようと、『シャドウ』を攻撃しようとして……?

 ……其処から先の記憶は、途切れている。

 気が付いたら、この手は皆の血に塗れていたのだ。

 

 ……今の状況から類推するに。

 自分は『シャドウ』を攻撃しようとして、逆にアイツに囚われてしまった。

 そして、何らかの攻撃を……負傷が無い所を見るに精神攻撃の類いを受けていた……、と言う事なのであろうか。

 

 あの無間地獄はただの精神攻撃であり、今居るここは“現実”……なのか?

 

 ……今の自分には、ここが“現実”なのか“夢”であるのか、その区別を付ける事が出来ない。

 ここが“現実”であれば、と。

 “現実”であって欲しいとは、心の底から思っている。

 しかし、それは自分の願望でしか無く。

 それを根拠にしてここを“現実”と断じる事は出来ない。

 

 掴まれている手首から感じる温もりも、滴り落ちる程に手を濡らしていた血の温かさも、どちらも同じく“現実”である様にしか感じられなかった。

 二つを正しく識別する事が……出来ない。

 

 故に、此処が自分の逃避願望が見せている、都合良く事実が捏造された“夢”である事を、否定しきれないのだ。

 

「私……は……」

 

 ……どうすれば、良いのだろう。

 “夢”と“現実”の境が、最早自分には分からない。

 ……それでも。

 ここが“夢”だろうと“現実”だろうと。

 花村達を、守りたいのは変わらない。

 ならば。

 ……今やるべき事は、一つである。

 

 一度目を閉じて、意識を集中させた。

 

 大丈夫、自分は戦える。

 皆を『シャドウ』に殺させたりなんかは、させない。

 自らに絡み付く“悪夢”を夢で終らせる為にも。

 

 

「来い、リリス!」

 

 暴れまわる『シャドウ』に止めを刺す為に、《悪魔》の『リリス』を召喚する。

 何の問題もなく現れたリリスは、妖艶さを滲ませる仕草で『シャドウ』を指差し、そこにピンポイントに豪雷を降り注がせる。

 

 その攻撃に既に傷付いていたブロックの鎧は一気に崩され、本体である赤子の姿の『シャドウ』が引き摺り出された。

 その腹部には、あの時に突き刺した刀が束の辺りまで深々と突き刺さっている。

 その刀を通して雷に体内が感電したらしく、『シャドウ』はビクンビクンと身体を痙攣させていた。

 

「ヤツフサ、《チャージ》!」

 

 攻撃の手を休めず、直ぐ様リリスから《刑死者》の『ヤツフサ』へと切り換える。

 そして一瞬動きを止めて力を溜めたヤツフサは、次の瞬間『シャドウ』へと疾駆し、その喉元へと食らい付いた。

 即座に振り払われた為『シャドウ』の喉笛を噛み千切る事は叶わなかったが、《連鎖の炎刃》の効果により、身を苛み続ける炎が『シャドウ』の喉元を焼く。

 

『今だよ! 一気に決めちゃえっ!!』

 

 りせに促された皆が、『シャドウ』へと攻撃を集中させる。

 すると豪々と燃え盛る焔に包まれた『シャドウ』が、絶叫しながら狙いも定めずに無茶苦茶に魔法を放ち始めた。

 本来なら自らを鎧う筈のブロックは最早意味のある形を成さず、コントロールを喪ったかの様に滅茶苦茶に飛び回っている。

 

 

 ━━アアァァァァァァボボボボボボボククククククニニニニニハハハハナナナナナナナナニニニニニニィィィィィィモモモモモモモナナナイイイィィィィィィッッッ!!

 

 

 壊れた様に雑音を撒き散らす『シャドウ』の攻撃を。

 ジライヤが風で、トモエとタケミカヅチがその肉体で、コノハナサクヤが炎で、キントキドウジが氷で以てそれを相殺してくれた。

 

 皆の目が、「止めは任せた」と雄弁に語っている。

 それに確りと頷いて、ヤツフサからペルソナを切り換え、吼えた。

 

 

「決めろ、イザナギ!!」

 

 

 一気に『シャドウ』の懐に飛び込んだイザナギは、燃え盛る炎ごとその手の刃で『シャドウ』の首を一刀両断し、返す刀で残った身体も切り裂く。

 身体を完全に破壊された『シャドウ』は、黒い霧を吹き出しながら暴走する前の姿へと戻ったのだった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

『シャドウ』の暴走が収まって程無くして、小さく呻き声を上げながら、気絶していた久保美津雄は目を覚ました。

 

「気が付いたか?

 ったく、手間かけさせやがって」

 

 花村は身を起こそうとする久保美津雄を見下ろしながら、何処か刺のある声音でそう声を掛ける。

 

「なんだ……これ……。

 お前ら……、お、お前ら……一体、何なんだよ!?

 俺に何する気だよ!?」

 

 今の状況を全く呑み込めていない久保美津雄は、錯乱したかの様に酷く上擦った声で喚き散らした。

 酷く怯えて花村や此方を見上げる久保美津雄の姿は、呆れなどの感情は通り越して憐れにすら感じる程だ。

 そんな久保美津雄の様子を、『シャドウ』は何も言わずに虚ろな瞳で見詰めていた。

 

「お前を彼方に連れ戻す為に来た」

 

 簡潔に目的を伝えると、それが理解出来なかったのか、久保美津雄は茫然と「連れ、戻す……?」と鸚鵡返しに訊ねてくる。

 それに花村が一つ溜め息を吐いて説明した。

 

「警察がお前を追ってるんだよ。

 モロキン殺しの犯人……それに、その前の二件の犯人としても、な」

 

「俺が……殺した、犯人……」

 

 何も呑み込めていない様な顔で茫然としつつ久保美津雄は呟く。

 諸岡先生の件は久保美津雄の仕業であろうが、前の二件は彼の犯行では無い筈だ。

 しかし、久保美津雄は否定する素振りは見せない。

 

「お前が、諸岡先生を殺した犯人で間違いないか?」

 

 あれ程盛大に『シャドウ』を暴走させた後だ。

 抵抗する様な気力も体力も無いだろうが、万が一を考えて何時でも取り押さえられる様に久保美津雄の挙動を注視しつつ、事件について訊ねた。

 すると。

 

「諸岡……、殺した……。

 …………ああ。ああっ!

 そうだ、そうだよっ、ああそうだっ!!

 俺だ、俺が、俺こそがっ!!」

 

 狂った様な笑みを貼り付けながら、呆然としていた素振りから一転して久保美津雄は得意気に吠えた。

 

「俺こそが、諸岡のカスを殺してやったんだよっ!

 諸岡だけじゃないっ、あの不倫してた頭悪い女子アナもっ!

 小西とか言う女もっ!!

 俺が、全部俺がっ!

 殺してやったんだ!!

 俺こそが、全部っ! やってやったんだ!!」

 

 虚空を見上げて高笑いし悦に入った久保美津雄の目は、既に現実を見てはいない。

 その有り様を見詰めていた『シャドウ』は、何も言わずに黒い霧となって消滅した。

 

「えっ……? 何、今の……。

『シャドウ』が、消えちゃった……?」

 

 里中さんが信じられないとばかりに困惑する。

 

「はっ、はは、はははははははっっ!!

 どうだ、見ろよっ!

 ニセモノが消えやがった!

 何が“空っぽ”だ、“無”だ!

 ニセモノはニセモノらしく消えるべきなんだよっ!!」

 

『シャドウ』が居た場所を指差して、久保美津雄は狂った様に笑い続ける。

 

 ……『シャドウ』がペルソナになった様な形跡は、無い。

 つまりあの『シャドウ』は久保美津雄から完全に切り離されて、あの様子を見るに自ら消滅したのだろう。

 ……久保美津雄は、虚構に溺れ沈む事を、選んだと言う事なのかもしれない。

 

「何故、殺したんだ?」

 

 そう尋ねると、久保美津雄は待ってましたとばかりに引き攣った様に口の端を吊り上げる。

 

「何故って?

 町の様子を見てみろよ!

 どいつもこいつも事件事件事件!

 町中が大騒ぎだ……。

 俺がっ、やってやった事でなっ!

 そうさ、全部俺がやったんだ!

 自分だけでやってみせたんだっ!」

 

 目立ちたかった、自分を見て欲しかった。

 ……久保美津雄の動機は、そんな所か。

 

「でも、何で……」

 

 天城さんが理解出来ないと言いた気に溢す。

 すると、それを耳聡く聞き付けた久保美津雄は壊れた様に笑って答えた。

 

「はは、お前、雪子じゃん。

 今更俺と話したいとか、有り得ねぇよ。

 何でって?

 そんなの、誰でも良かったんだよッッ!

 どいつもこいつもっ! ムカつくヤツばっかだ!」

 

 ……久保美津雄があらゆる人間に不満を抱えていたのは確かかも知れないが、諸岡先生を殺した件についてはそんなフワフワしたモノでは無い理由があったんじゃないのだろうか。

 ……尤も、久保美津雄は既に正気とは言えない状態であり、その目は“現実”を見てはいない。

 最早此方の言葉が彼に正しく届く可能性はほぼ無いのだろう。

 

 久保美津雄は次第に笑う気力すら尽きたのか、黙りこんでしまった。

 

 

「……何はともあれ、早い所彼方に戻らなくてはな……」

 

 

 

 

……

…………

………………

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 随分と長い事聞いていなかった気がする店内BGMに溢れる家電売り場へと、久保美津雄を伴って帰還した。

 周囲の状況を理解出来ないのか久保美津雄は再び困惑していたが、テレビを目にするとあからさまに怯えて言葉にすらならない支離滅裂な音を溢す。

 ……その様子を見るに、久保美津雄は何者かにテレビへと落とされたのだろう、それも意識がハッキリとある状態で。

 

 念の為に久保美津雄単独でテレビの画面に触れさせてみたが、テレビには何の変化も無かった。

 その際の反応やこれまでの状況から、久保美津雄に彼方の世界へ行く為の“力”が元々存在していなかったのは、ほぼ間違いない。

 

「お前は、目が覚める前は何処に居たんだ?」

 

 そう訊ねてみて返ってきたのは支離滅裂な言葉で何を言いたいのかは殆ど分からなかったのだが、ただ一つ確かな事として、久保美津雄は何処かに行く為に家を出ていたらしい。

 何処に向かっていたのかは分からないが、少なくとも久保美津雄がテレビに落とされた直前に家には居なかったのは確かな様だ。

 

 ……【犯人】の手口と異なるその部分が引っ掛かるが……。

 しかし、久保美津雄に詳しく訊ね様としても、返ってくるのは「自分がやってやったんだ」と言う戯言ばかり。

 ……残念だが、これ以上は久保美津雄に訊ねた所で時間の無駄であろう。

 

 その後は、ジュネスのバックヤードの空き部屋まで連れて行った上で警察に通報した。

『ジュネスの従業員用通路を彷徨いていた不審者で、何やら様子がおかしく、話を聞いてみると人を殺したと主張しているので通報した』と言う設定である。

 

 警察が到着する迄に久保美津雄が逃げない様に、巽くんと花村と自分で見張る。

 俯いてブツブツと意味を成さない言葉を呟き続ける久保美津雄の様子を観察していると、突然に顔を上げてニィッと気味の悪い笑みを浮かべた。

 

「お前、そうだ、思い出した。

 お前、あの日、俺と雪子の仲を邪魔したウザいヤツだ。

 今まで忘れてたけど、あーぁ……お前も殺しとけば、良かったな……」

 

 そうとだけ言って、久保美津雄はまた俯いて虚ろにブツブツと呟き始める。

 だが、花村が勢い良く椅子を蹴る様にして立ち上がった音に驚いて、ビク付いた様に肩を跳ねさせた。

 

「お前っ……!」

 

 激しい怒りで今にも久保美津雄に殴り掛かりそうな花村の様子にも驚いたが、それを此方が止めようとする前に巽くんが花村を止めた事により驚く。

 

「花村先輩、こんな野郎にアンタが殴る様な価値なんか無えっスよ」

 

 そう言ってから、巽くんは久保美津雄につかつかと歩み寄って、その胸座を取って無理矢理立たせた。

 

「く、くく……。

 お、俺を殺そうっての?」

 

 巽くんの射殺す様な視線から目を反らしつつ、久保美津雄は虚勢を張る。

 だが。

 

「殺すだ? クソが、思い上がんじゃねえよ!

 てめぇにはそんな価値すらねえ!

 人を殺して粋がってるつもりかは知らねーが、てめえは人として取り返しがつかねえ事をしたんだよ!

 キッチリ償って落とし前付けやがれ!!

 くたばっていいのは、てめえのした事がどんだけ重い事か……骨身で分かった後だ!!!」

 

 そう啖呵を切ってから巽くんが胸座から手を離すと、久保美津雄はずるずると崩れ落ち、俯いたまま静かに震えている。

 それは、警察が到着し、署に連行されるまで続いたのであった。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 久保美津雄を無事警察に引き渡した後簡単な事情聴取を受る事になったのだが、それは花村と巽くんが引き受けてくれたので、自分は里中さん達と一緒に二人が帰ってくるのをフードコートで待った。

 少し日が傾き始めた時間帯だからか、或いは茹だる様な暑さの所為かは分からないが、何時もよりもフードコートの人影は心なしか少ない。

 

 軽い喧騒に紛れて、何処か遠くで蝉が煩く合唱しているのが聴こえてくる。

 軽く汗ばむ様な熱気に、頭が少し茫とした。

 あぁ……この光景は、まるで……。

 

「鳴上?」

 

 その時。

 いつの間にか帰ってきていた花村が、心配そうな声音で背後から軽くこちらの肩を叩いてくる。

 それに、振り返ろうとしたその時。

 

 ──視界に鮮血が飛び散った、……様な気がした。

 

 思わず思考が一瞬停まり、直ぐ様幻影を打ち払う為に目をきつく瞑って頭を振った。

 

 あれは“夢”だ、『シャドウ』の精神攻撃に依って見せられていた“悪夢”に過ぎない。

 あれらは“現実”ではないし、実際に起きた事ではない。

 自分は、ただそれを“現実”と誤認して錯覚しているだけだ……!

 

 必死に自分に言い聞かせるが、早鐘の様に打ち鳴らされた様な動悸は中々治まらない。

 

 そうだ、あれは“夢”だ。

 冷静になれ、よく思い返せ。

 あれは全て時間軸が狂っていた。

 前後の時間や状況に一切の整合性が取れていなかったではないか……!

 何度も何度も同じ時を繰り返したり、何度も何度も殺したり殺されたり……。

 そんな事は有り得ない。

 それは現実的には起こり得ない事だ!

 

 此方に戻って冷静になった頭では、ちゃんと理屈を理解はしていた。

 今自分が居る此処こそが、“現実”なのだと。

 しかし、知覚的には“現実”との識別が不可能な終わらない“悪夢”は、確実に己を蝕んでいた。

 

 ふとした瞬間に、唐突に“夢”と“現実”の境が曖昧になってしまう。

 “夢”の中の一場面が、ランダムに再生されていく。

 ふと見詰めた手が血に塗れていると錯覚したり、目の前の花村達が血塗れになっていると錯覚したり、ふとした瞬間に手に刀で肉を切り裂く生々しい感触が蘇ったりと……。

 明らかに、異常な状況であった。

 

 自分の認識が異常を来しているのは、自覚しているのに。

 それをどうすれば良いのかは分からない。

 

「おい、鳴上?

 どうかしたのか?」

 

 花村が、心配そうに見詰めてきた。

 心配してくれているのは、分かっている。

「大丈夫」「何もない」と返すべきだとも、分かっている。

 それなのに。

 その表情が、あの穏やかに狂わせていく“悪夢”の中の花村の表情と完全に重なった。

 途端に、今感じている“現実”が色褪せる様にして消え、あの“悪夢”の中に居る様な感覚を覚える。

 

 違う、違う、違う……!

 それは“現実”ではない、有りもしなかった事だ。

 それに囚われてはいけない……!

 

 理性はそう声を荒げるも、まるで蟻地獄の中をもがきながら滑り落ちていくかの様に、“悪夢”の残滓から逃れられない。

 

「はな、むら……」

 

 凍り付きそうな舌を動かして、辛うじて花村の名前を呼んだ。

 いや、呼んだつもりになったと言う方が正しい。

 最早、自分がちゃんと“現実”で話しているのかすら、あやふやになっているからだ。

 

「……ゆうき、と……。

 悠希と、呼んでくれないか……。

 すまない、頼む……」

 

 自分の頭の中でどれ程考えても無駄であるのなら、最早自分以外の誰かに、あの“悪夢”の中とは明確に違う部分を作るしかなかった。

 それに縋りでもしないと、今のこの状態では狂っていく一方だ。

 花村は急な頼みに少し戸惑った様な顔をしたが、直ぐに頷いてくれた。

 

「あ、ああ……。

 その、本当に大丈夫なのか、悠希?」

 

 花村に名を呼ばれた途端に、意識は“現実”へと固定される。

 “悪夢”の残滓は、既に跡形も無く何処かへ消えていた。

 だから、心配そうにする花村を安心させる為に、ゆっくりと頷く。

 

「……ああ、もう、大丈夫だ。

 急に変な頼み事をして、すまなかった」

 

「あ……いや……別に名前で呼ぶのは構わねーけど……。

 ……やっぱり、あの時に何かあったのか?」

 

 少し訊ね辛そうに、花村が尋ねてくる。

『シャドウ』の攻撃から助け出してくれたのは、花村だ。

 その時に、何かを見たのかもしれない。

 ……だが、自分が見せられていたモノを伝えても、花村を困惑させるだけだろう。

 だから、詳しくは語らない事にした。

 

「……大した事は、無いさ。

 少し……悪い夢を見せられていただけだから」

 

 事実としては夢を見せられていただけなのだから、嘘を述べてはいない。

 主観的には、少しどころの“悪夢”では無かったのだが。

 

 花村はそれ以上は無理に踏み込もうとはせず、だが気遣わし気に此方を見詰めてきた。

 それに対して、少々ぎこちなくはあったが、何とか笑みを取り繕って返す。

 

 花村は何故か複雑そうな表情を浮かべて一瞬口を開きかけるが、結局は何も言わずに席についたのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 皆が揃った所で、今回の件についての情報の整理を始める。

 

 久保美津雄は、“力”とは無縁なただの“模倣犯”であろう事。

 久保美津雄が彼方の世界に落とされた現場が何処かは不明であるが、少なくとも彼の自宅では無かった事。

 そこから今回の件に関しては、【犯人】の手口とは異なる部分が見受けられる事。

 何故テレビに取り上げられたりした訳でもなく、《マヨナカテレビ》に映った訳でも無い久保美津雄が、“被害者”になったのか。

 更には、【犯人】はどうやって久保美津雄の情報を入手して彼を特定したのか。

 

 そう言った部分を整理したり、情報の共有化を図る。

 尚、今回久保美津雄をテレビに落とした人物や、その人に近しい人物が警察関係者である可能性がある、と言う事は伏せておいた。

 憶測に過ぎぬ事で、皆に要らぬ心配をさせてはいけないからだ。

 

「……アイツ、結局最後まで『全部自分がやったんだ』って主張し続けてたよね……」

 

 議論に一段落付いた所で、ポツリと里中さんがそう溢した。

 その言葉に、皆が複雑そうな顔をする。

 

「“目立ちたいから”って理由でそんな事してるんだろうけど……。

 でも、そんなのって……」

 

 久保美津雄が諸岡先生を殺害したのは、間違いなく事実なのだろう。

 彼はその行為を裁かれるべきであるし、それは彼の一生に渡り消えない事実として残る。

 だが、やってもいない殺人までも自らの犯行だと声高に叫び続けるその理由は、自分には到底共感し得ないモノであった。

 目立ちたい、自らを見て欲しい。

 そんな願望から自ら何の益も無い虚構に溺れる久保美津雄は、恐らく既に正常な状態では無いのだろう。

 

「アイツの事は、後はもう警察に任せるしかないだろうな……」

 

 溜め息交じりに花村がそう溢す。

 久保美津雄は事実として、山野アナと小西先輩の死には何の関係も無い。

 ちゃんと捜査が行われていれば、それはただの虚言に過ぎない以上は確たる証拠は出ないだろうし立件出来ない筈だ。

 

 議論も終わりそろそろ夕刻が近付いてきたので、もう解散しようかとしたその時。

 急にりせが立ち上がって、“打ち上げ”をしようと言い出した。

 何故突然にそんな事を?と首を傾げていると。

 

「【事件】はまだ終わってないけど、私達が頑張ったから“模倣犯”が捕まったじゃない?

 一つの区切りって事で、パーッとやろうよ!」

 

 その提案に、クマと里中さんが途端に乗り気になったのかはしゃぎ始めた。

 

「はいはーい!

 クマはねー、ユキちゃんのお家行きたーい!

 宴会、お座敷、温泉、浴衣!

 皆でドンチャン騒ぎするクマー!」

 

 手を高く挙げてそうアピールするクマに、天城さんは少し困った様な顔をする。

 

「楽しそうだけど、今はシーズン中で空いてるお部屋が無いからちょっと無理かな……」

 

 そう言われると、余程期待していたのか、一気にクマは萎れてしまう。

 そんなクマに、「また今度ね」と天城さんは約束して、その頭を優しく擦った。

 そんなクマを優しく見守っていた花村は、ふと何か妙案を思い付いたかの様に此方を見る。

 

「打ち上げ、か……。

 なら、悠希の家とかどうだ?

 あ、いや……何の打ち上げか堂島さんに訊かれるとやり辛いか……」

 

 途中でその事に思い至り、「良い考えだと思ったんだけどな……」と、花村は頭を掻いた。

 

 確かに、叔父さんに理由を尋ねられると誤魔化すのが心苦しくなるが、今日に関してはその心配は不要である。

 久保美津雄が逮捕された事により、その処理に追われていて、今日は署の方に泊まり込みになると先程連絡が来たばかりだ。

 

「いや、今日は署の方に泊まり込みになるから叔父さんは家に帰ってこないし、一応確認は取るけど、理由はそんなに詳しくは訊かれないと思うぞ。

 家でやる以上は菜々子も一緒になるが、それで良いのなら私は構わない」

 

 皆に確認を取った所、菜々子の存在は寧ろ歓迎された。

 パーッと楽しむ事が主目的なのだから、人数は多い方が楽しい、との事だ。

 

「で、場所が決まったのは良いんスけど、打ち上げって何する気なんスか?」

 

 巽くんがそう訊ねてくる。

 確かに巽くんの言う通り、まだ場所を決めただけだ。

 具体的に何をするのかは未定である。

 

「何しよっかなー。

 皆でワイワイやれるのが良いよね……。

 もうそろそろ日も暮れるし、何が良いんだろ」

 

 里中さんが頭を捻る様にして考えている横で、天城さんがポンッと手を打って提案してきた。

 

「あっ、そうだ。

 もう少ししたらお夕飯時だし、皆で料理するってのはどう?」

 

 途端に、花村と巽くんの身体が硬直した様に固まり、顔が何やら引き攣り気味になる。

 きっと、何かと嫌な方向性に衝撃的だったカレーを思い出しているのだろう。

 が、あの悲劇を知らぬクマとりせは、天城さんの提案に途端に乗り気になる。

 

「おおぅ、ユキちゃんナイスアイディア!

 クマ、今日沢山動いたからもうお腹ペッコペコクマよ!」

 

「今日は色々あって疲れたもんね。

 私も賛成!

 ってか、悠希先輩が料理上手なのは知ってるけど、雪子先輩と千枝先輩も料理得意なの?」

 

 純粋に疑問に感じたりせが、そう天城さんと里中さんに訊ねると。

 二人はお互い顔を見合せ、少し考える様に首を捻ってから。

 二人同時に「まあまあ?」と答えた。

 途端に花村と巽くんの顔色が一気に悪くなる。

 

「いやいやいやいや、天城さんに里中さん?

 お二人とも、あの『物体X』の記憶を何処にお忘れに?

 つか、二人も作るつもりかよ!?」

 

 花村のツッコミに、あの惨劇がチラリと脳裡を掠めたのか、里中さんと天城さんは慌てた様にしどろもどろになりつつも弁明を始めた。

 

「えっ? あー、まあ、あの時は、ね、うん。

 あれからちょっとは上達したんだよ? 多分。

 それにほら、この人数分の料理を鳴上さん一人に作って貰うのはね?

 ね、雪子!」

 

「う、うん!

 鳴上さん一人を頼りっきりにするのも良くないし。

 私は、旅館の皆に料理を見て貰ってるから、ちょっとは出来る様になったんだよ? 多分」

 

 いや、別に自分はこの人数分を作ったって構わないのだが……。

 それより、多分を語尾の様に使用するのは止めてくれ。

 が、まあ……。

 あの『物体X』に関しては、二人ともちゃんと反省はしていたので、アレを越える様なシロモノは作らないのではないだろうか?

 ……自分がそう思いたいだけとも言えるが。

 

「ふーん、そっか……。

 あ、私はね、料理は得意なんだよ?

 私も一緒に作りたいな」

 

 良いよね?と訊ねてくるりせに、一つ頷いた。

 どうせなら皆で作る方が楽しいだろう。

 りせの言葉を聞いたクマが何かを思い付いた様で、再び元気よく手を挙げる。

 

「はいはーい!

 クマ、良い事思い付いちゃいましたー!

 料理対決でモッキュモキュ! みたいなぁー!」

 

 純粋により楽しくする為の提案だったのだろうが……。

 “料理対決”と言う響きは、否応無くあの『物体X』の悲劇を思い起こさせる。

 そして……、あの永遠に繰り返された“悪夢”の中の一日を。

 

「た、対決……。

 い、良いよ、受けて立とうじゃん!」

 

 あの“悪夢”の欠片に意識が囚われそうになっていると。

 対決と言う言葉に、里中さんは何処か冷や汗をかきつつも賛成した。

 

「へぇ、対決かぁ……。

 うん、良いね!

 ふふっ、千枝先輩や雪子先輩との対決なら、多分私が勝っちゃうんじゃないかな?」

 

 挑発する様なりせの言葉に、途端に直前まで何処か迷っていた天城さんも乗り気になる。

 

「一撃で仕留めるから」

 

 据わった目で、天城さんはそんな宣言をしていた。

 ……仕留めてどうする気だ。

 三人……と言うよりも、りせが天城さんと里中さんの二人とお互いに煽り合う中で。

 

「悠希先輩も作るよね?」

 

 と、不意にりせが話題を振ってきた。

 “悪夢”を振り払う事に意識を取られていた為、その急な振りに僅かに戸惑ったが、それを表に出さぬ様にして頷く。

 すると、りせはそれに満足気に笑って、一つ提案してきた。

 

「料理対決って事は、同じメニューで揃えた方が分かりやすいよね。

 折角だし、菜々子ちゃんの好きな料理にするってのはどうかな?」

 

 ……成る程、それは良い考えだ。

 早速菜々子に電話して訊ねてみた所、暫し考えた後に「オムライス食べたい!」と何処かワクワクした声で答えてくれた。

 オムライスか。

 極めるのは中々難しいが、そこそこ美味しく作るだけならば割りと簡単である。

 それなら、天城さんや里中さんでも何とかなるのかもしれない。

 

 早速メニューを伝えると、花村と巽くんを除いた面子は乗り気になり、早速意気揚々と食品売り場へと出掛ける。

 ……同じオムライスと言うメニューを作るのに、てんでバラバラな方向に散っていく事に、一抹の不安を感じるが……。

 ……まあ、きっと変わり種のオムライスにするつもりなのだろう、多分。

 

「そう言や、悠希は何を作るつもりなんだ?」

 

 側に居た花村がそう訊ねてきたので、基本的なオムライスにする予定だと答えた。

 デミグラスソースを使ったオムライスや、バターライスと醤油を使った和風オムライスに、お好み焼き風オムライス等も候補に入れていたのだが。

 きっと菜々子が食べたいのは、……叔母さんが作ってあげていた様な、“普通”のオムライスなのだろうから。

 勿論、トマトソースは一から作るし、他にも工夫はするつもりだが、それでもスタンダードなオムライスに近いモノに仕上げるつもりである。

 

 各自必要なモノを買い揃えてから、菜々子が待つ家へと皆で向かった。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 家で出迎えてくれた菜々子は、想像していた以上に賑やかな人数に驚いていたが。

 それでも初めて会った巽くんやクマとも直ぐ様馴染み、今は巽くんがクマと菜々子の二人に何やら複雑な折り紙の折り方を実演していた。

 巽くんが一つ折り紙を完成させる度に二人は歓声を上げ、それに巽くんは満更でも無い様な何処か照れた様な表情を浮かべる。

 

 元々、巽くんは性格自体は面倒見が良い方だ。

 子供受けの良いスキルも多く持っているし、案外小さな子供に何かを教えたりするのには向いているのかもしれない。

 まあ、ちょっと強面なのが子供的には玉に瑕なのであるが。

 

 そんな三人を見守りつつ、オムライスの準備を進める。

 コンロの方ではりせがライスを玉子で包んで一足早く完成させようとしていて、その横では火力を間違えた天城さんがあたふたとしている。

 更にその横では、里中さんが何故か肉を切っていた。

 三人でワイワイ騒ぎながら作っていく様子を、微笑ましく見詰める。

 

 だが、不意に。

 視界がグニャリと歪んだ様な気がした。

 咄嗟に目を閉じて軽く頭を振ってから再び目を開けた其処には──

 

「おい、悠希!」

 

 強く肩を揺すられて、焦点はいつの間にか目の前に居た花村に結ばれる。

 

 あれ、何で、花村が?

 ……そうだ、今は、打ち上げの為にオムライスを作っていて……。

 ……打ち上げ……?

 ──それは、()()()の打ち上げの事だ?

 

 いや、違う。それは。

 繰り返していたのは、あの“悪夢”の中での話だ。

 今居る此処は、“現実”だ。

 ……どうやらまた、“悪夢”と“現実”の境を見失ってしまっていたらしい。

 周りを見回した所、花村以外は誰も反応しては居ないので、それはほんの一瞬の事だったのだろうけれども。

 

 焦った様に此方の肩に手を置く花村の手を、「もう大丈夫だから」と、下ろす。

 そして、花村を安心させる様に少しだけ笑って「有難う」と礼を言った。

 ……それなのに、何故か花村はもどかしく苦しそうな顔をする。

 そして、花村が何か言おうとしたその時。

 

「はい、かーんせいっ!

 ほら花村先輩退いて退いて!」

 

 完成させたオムライスを皿に盛り付けたりせが、花村と此方の間に割って入る様にして通っていく。

 そして、何かトラブルでもあったのか里中さんが慌てていた。

 そちらに一瞬気を取られ、そして再び花村の方へと視線を向けるが。

 花村は言葉にする切っ掛けを喪ったかの様な顔をして、黙ってしまった。

 

 ……何はともあれ、コンロが空いたのだから自分のオムライスも完成させなくては……。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 程無くして、卓袱台の上には四つの大皿が並べられた。

 どのオムライスも、目に見えるのはソースと中身を包む卵の部分だけだ。

 各人が中に何を仕込んだのかは、パッと見では分からない。

 その皿以外にも、サラダとコーンポタージュも用意しているが、今のメインはオムライスだ。

 

 全員で手を合わせて「いただきます」と唱和したが、直ぐにはオムライスに手を付けなかった。

 前回のカレーの時の経験を活かし、里中さん達の分は先ずは誰かが毒味役を引き受けてから、菜々子にも食べて貰う様にする為だ。

 菜々子には万が一にもあの『物体X』の様なシロモノを口にさせる訳にはいかない、と里中さん達を説き伏せた所、一応は納得してくれたらしい。

 因みに、花村がりせの分を、巽くんが天城さんの分を、クマが里中さんの分を先ずは試食する。

 

「それじゃあ、私のは花村先輩が先ずは食べてみて!

 凄い自信作だから! 絶対に美味しいよ!」

 

 自信満々なりせにそう薦められた花村は、特に警戒する事無く、寧ろ嬉しそうにスプーンでりせのオムライスを一口分掬った。

 トマトベースのソースなのか……妙に赤いソースがオムライスに全面的にかかっているオムライスだ。

 ……何だか近くに居ると目が痛くなってくるオムライスなのだが……。

 まあ、花村はりせのファンなのだし、その辺りを考えるとこの状況は花村にとって中々感慨深いものなのだろう。

 そして、一口にそれを頬張ると。

 

 ──その瞬間、花村の表情が完全に固まった。

 

「どう? 美味しいでしょ!」

 

 花村の表情に一切気付いていないのか、りせは期待に満ちた顔で、花村の「美味しい」と言う言葉を待つ。

 だが、花村は恐らくはそれに気を配る処では無いのだろう。

 必死に激痛を堪える様な顔をしながら、花村は何とか口を開く。

 

「こっ……これは……。

 菜々子、ちゃんには……やれないな……」

 

 ……どうやらかなりの劇物であったらしい。

 花村は表情は平静を装っているが、その目からは生気が抜け落ちていく。

 だが、その事に気付いていないりせは、褒められたと勘違いして嬉しそうに歓声を上げた。

 

「やっだ、もう、花村先輩!

 美味しくて独り占め宣言!?」

 

 それに曖昧な答えを返す花村を横目に、天城さんが自分のホワイトソースがかかったオムライスを巽くんに勧めていた。

 あのカレーの件で警戒心が高まっている巽くんは、冷や汗をかきつつ恐る恐る一口掬って、ままよとばかりに一気に口に含む。

 この世の終わりの様な顔をして食べていた巽くんだが、次第に首を傾げ始め、何故か二口目を掬った。

 それを食べて、更に三口目。

 

 美味いとも不味いとも言わずに、ただオムライスを口にする巽くんに。

 

「えっ、何か言ってくれないと困るんだけど……」

 

 と、天城さんが溢すと。

 巽くんは首を捻りながら自分の中から適切な単語を探し、一拍置いてから答える。

 

「何つーのか……。

 ……“不毛な味”っスかね……」

 

「不毛!?

 “不毛”なんて味の表現に使わないでしょ!?

 美味しいのか不味いのかだけが知りたいんだけど!」

 

 喰ってかかってきた天城さんに、巽くんはどう言えば良いのか悩みつつも答えた。

 

「いや、本当に何の味もしないんスよ。

 お麩をそのまま囓ってるってのが一番近いっつーのか……。

 美味い不味いの前に味が全くしないんで、分からねーっつか……。

 まあ、美味しくはないんスけど。

 色々入ってる感じはあるのに、全く何の味もしないなんて、ある意味で才能っスね」

 

 そんな巽くんからの評価に天城さんは、「繊細な味が分からないだけ!」と主張するが、巽くんの味覚は至って正常なので、恐らくは本当に味を感じられないオムライスなのだろう。

 ……寧ろ作り方を知りたい位だ。

 不味いとすらも言って貰えず落ち込む天城さんを励まそうとしてか、菜々子は天城さんのオムライスを迷う事無く口にした。

 そして少し考えてから。

 

「……おいしいよ?」

 

 と天城さんに言うと、その優しさに打ち震えるかの様に天城さんの目が潤んだ。

 そんな様子を横目で見ていた里中さんは、少し緊張しつつも何処か自信あり気にスタンダードな自分のオムライスをクマに勧める。

 クマは何も気負わずに食べ始め、そのままパクパクと食べていく。

 少なくとも、口に含む事が出来る類いのモノではあるらしい。

 

「ど、……どうかな?」

 

 期待を込めつつ里中さんがクマにそう訊ねると。

 

「うん、不味い!」

 

 それはそれは良い笑顔でクマはそれをぶった切った。

 そして、そのオムライスを花村にも勧めてくる。

 

「いやお前……自分で“不味い”つったモンを人に勧めんなよ……」

 

 そうぼやきつつも一口そのオムライスを食べた花村は、納得した様に頷いた。

 

「あー……成る程な。

 確かに、普通に不味い。

 でも、まあ……あの時よりは進歩してるし良いんじゃね?」

 

 どう言う事なのだろうか、と自分も一口食べてみる。

 ……確かに、不味くはあった。

 間違いなくこれは不味いし、好んで食べたいとは思わない。

 ただ、あのカレーの惨劇を思えばこれは普通であった。

 調味料の量を間違えた、とか。

 焼き加減を間違えた、とか。

 そう言う普通の失敗を積み重ねた先にある不味さである。

 あの異次元の味のカレーから見れば、雲泥の差であった。

 

「ふ、……普通に不味いって……。

 何気に一番キツいかも……」

 

 落ち込む里中さんを励まそうと、また菜々子は里中さんのオムライスを食べる。

 そして、ゆっくりと頷き、少し震える声で「おいしいよ」と笑った。

 それに感極まったかの様に、里中さんの目も潤む。

 その横では、天城さんが里中さんの分のオムライスを食べて、どうやらその味が笑いのツボに入ったらしく、「普通に不味い」と楽しそうに爆笑していた。

 そこに悪意は全く無いのだが、自分の料理を貶されるのは良い気分にはならない。

 だから里中さんは不機嫌そうに、りせのオムライスを指差して、「りせちゃんのも食べてみなよ! 絶対にあたしのヤツの方が美味しいよ!」と言うと、天城さんは一度真顔になって、りせのオムライスを一口食べた。

 

 が、次の瞬間には軽く呻いてから天城さんは倒れてしまう。

 

「天城さん!?」

 

 慌てて天城さんの状態を見てみるが、どうやら激し過ぎる刺激に耐えきれず、一時的に気を失っているだけの様だ。

 オムライス作りの前に、天城さんはりせに「一撃で仕留める」と宣言していたが、仕留められたのはどうやら天城さんの方であった。

 

「一撃かよ……」

 

 巽くんが戦く様にりせのオムライスを見詰め、クマも遠慮する様にオムライスから目を逸らしている。

 

 ……一体、どんな味がするんだ?

 警戒しつつ一口分を掬って食べたのだが。

 直後、口腔と唇の激しい痛みと灼熱感を知覚する。

 

 何だこれは!

 

 突然口腔内に吹き荒れた暴力の嵐に依って若干涙目になりそうで、それをギリギリで堪えた。

 それと同時に、この灼熱感と痛みの正体に大まかながらも検討を付ける。

 

 これは、恐らく辛味……。

 しかも、カプサイシン受容体で受容されるカプサイシンの類いだ。

 唐辛子の辛さである。

 しかし、これ程の辛味を出すとは……一体何を使ったのだか、と思って台所をチラリと見やると。

 そこには開封された『デスソース』が転がっていた。

『デスソース』は一般の人でも手が届く調味料の中では断トツにスコヴィル値が高い、激辛党御用達の代物だ。

 罰ゲームに使われる位のモノである。

 堂島家にはそんなモノ置いていなかったので、あれを買ったのは今日の事……ジュネスに売っていたと言う事だ。

 何故ジュネスがそんな劇物を置いていたのかは分からないが。

 その所為でこんな、味の大殺界が誕生してしまったのかもしれない。

 

「こっ……子どもには分からない味なんだもん!

 大人の味なんだもん!

 先輩たちが、お子様なんだもん……。

 私、私……」

 

 口腔内の痛みに思わず無言になってしまうと、りせは泣き出しそうな顔になり、顔を手で覆ってしまう。

 すると、止める間もなく菜々子がりせのオムライスを一口食べてしまった。

 暫し無言になった菜々子は、一口水を飲んでからりせに笑いかける。

 

「からいけど、おいしいよ」

 

 少し汗をかきながら健気にもそんな事を言う菜々子を、りせは我慢出来ないとばかりに抱き締めた。

 

「……ねー、そうだよね!

 菜々子ちゃんが一番オトナ!」

 

 その顔には、涙の跡など何処にも無い。

 どうやら先程の涙は嘘泣きであった様だ。

 

「じゃあ、最後は真打ちの先輩のヤツっスね!」

 

 巽くんは待ってましたとばかりに声を上げた。

 真打ちになるのかは分からないが……。

 

 自分が作ったのは、パッと見た所は普通のオムライスに見える。

 ソースはトマトから作った特製のモノで、卵はスフレオムレツの様に作ったのでフワフワ、中はバター醤油で炒めたライスとなっている。

 

 一口掬って食べた菜々子は、途端に目を輝かせた。

 

「すっごい、おいしい!

 こんなオムライス、はじめてたべた!

 お姉ちゃん、すごい!

 すごい! おいしい!」

 

 幸せそうにオムライスを口にする菜々子を見ていると、自然と皆笑顔になる。

 そして、オムライス対決はそこで幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 途中で余っていたモノで炒飯などを作ったりしつつ、そろそろ皆は帰らないといけない様な時間になった頃には、皆の腹も膨れていた。

 

「そう言えば、8月の中頃には神社でお祭りがあるんだろ? 商店街がやってるヤツ。

 あれさ、皆で行かないか?」

 

 帰り支度を始めようか、という時に唐突に花村がそう提案してくる。

 

「あ、賛成」

 

「夏祭りっちゅー事は、浴衣クマね!

 むほーっ、楽しみー!!」

 

 直ぐにりせとクマが賛同の声を上げ、それに続く様に皆も頷いた。

 

「おまつり……」

 

 ポツンとそう何処か寂し気に呟いた菜々子の頭をそっと撫でて、「一緒に行かない?」と誘うと、途端に目をキラキラとさせて何度も何度も頷く。

 

「夏祭りも良いけど、夏の終わりの方には花火大会もやってるんだよ」

 

 里中さんのその言葉に、「じゃあそれも皆で行こう」から始まり、「そう言えば海は何時行く?」やら、「夏と言えば胆試しだよね」だとか、そんな遊びの計画が次々と立てられていく。

 その事に言葉では言い表せない程の幸せを感じながら、皆の帰り際まで共に計画を話し合った。

 

 

 この中ではここから家が一番遠い天城さんと、その天城さんを送る為に里中さんが先ず家を後にした。

 続いて商店街に家がある巽くんとりせが帰り、今は花村とクマが残っている。

 

 …………?

 何故かクマは少し寂しそうな顔をしていた。

 

「クマ? 何かあったのか?」

 

 そう訊ねると、クマは曖昧な顔で頷く。

 

「“ウチアゲ”をしていた時に気付いたんだけど、……もし【犯人】を捕まえて本当に事件が終わったら、クマ、あっちに帰らないといけないんだなって」

 

 そう寂しそうな顔をするクマに、「どうして?」と訊ねた。

 すると、クマは益々寂しそうな顔になり少し俯く。

 

「だって、それがセンセイとした“約束”だから……。

 だから、全部終わったなら、クマはここに居ちゃいけない」

 

 ……そんな事は全く無いのだが、クマにとっては“約束”とはそう思い悩む程に大切なモノであるのだ。

 

「そんな事は無いさ。

 確かに、私はクマと【犯人】を何とかして事件を終わらせると約束した。

 だけど、私とした約束はそれだけじゃないだろ?」

 

 そう言ってやると、クマはよく分からなかったのか首を傾げる。

 そして、話の流れはよく分かってはいないのだろうがずっと側で聞いていた菜々子が、そこで動いた。

 

「クマさん、どこかにいっちゃうの?」

 

「約束が果たされたら、クマは帰らなくちゃいけないんだ……」

 

 それはまだ先の事だけどね、とクマが言うと。

 菜々子は少し考える様に黙り、そして言った。

 

「それなら、そのやくそくがなくなっちゃうまえに、菜々子がクマさんとやくそくしたら、クマさんはどこにもいかなくてもいいの?」

 

 菜々子の質問にどう答えていいのか分からなかったのか、クマは視線をさ迷わせてから此方を見てくる。

 そんなクマを安心させる様に、ポンポンと軽く頭を撫でた。

 

「約束を守るのは良い事だ。

 しかし、クマが私とした約束は、まだあるだろ?

 クマが“答え”を探すのを手伝うって言う、大切な“約束”が。

 新しい“約束”を積み重ねていけば、何の問題も無いだろ?」

 

 勿論、クマが帰りたくなったのならば帰れば良い。

 しかし、此処に居たいと思うのならば、好きなだけ此処に居ても良いのだ。

 “約束”と言う名目が必要ならば、一つの“約束”が果たされる前にまた新たな“約束”を交わしていけば良いだけの話である。

 

「クマは……」

 

 まだ何処か悩んでいるクマに、菜々子が話し掛ける。

 

「じゃあクマさん。

 菜々子と“やくそく”しよ!

 いっしょにあそぶやくそく。

 これだったら、クマさんかえらなくてもいいんだよね?」

 

 満面のその笑みに、クマは少しぎこちなく頷いた。

 そして、事の成り行きを見守っていた花村が、クマの背後に立って唐突にグシャグシャとその髪を掻き混ぜる。

 少し混乱するクマに、花村は何処か呆れた様に言ってやった。

 

「ったく、お前今ウチの従業員だろ!

 マスコットが勝手に職務放棄すんなよ!

 ま、それにだな。

 そんな事考えて勝手に居なくなられるのは、寂しいだろ」

 

 やれやれ、とでも言いた気な溜め息を溢して苦笑する花村に。

 

「よ、ヨースケぇ……」

 

 感極まったかの様にクマがしがみつく。

 ……何はともあれ、クマの悩みは一先ず解決した様である。

 

 それから少ししてから花村とクマを見送って。

 その日は、何時もよりは浅い眠りに就いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




◆◆◆◆◆


《今回使用したペルソナ》

【刑死者】
『ヤツフサ』(火:吸、風:反、光:無)
・連鎖の炎刃
・マハラギダイン
・チャージ
・メディラマ
・火炎ブースタ
・三連の鎖、黄金連鎖、マハタルカオート


【悪魔】
『リリス』(雷:反、闇:無、光:弱)
・ジオダイン、マハジオダイン
・マハムドオン
・オールド・ワン、サロメの口付け
・マカラカーン、電撃ガードキル
・バステ成功率UP





◆◆◆◆◆





《現在のコミュ進行度》

【愚者(自称特別捜査隊)】:7/10
【魔術師(陽介)】:6/10
【女教皇(雪子)】:8/10
【女帝(マーガレット)】:7/10
【皇帝(完二)】:6/10
【法王(遼太郎)】:10/10(MAX!)
【恋愛(りせ)】:2/10
【戦車(千枝)】:5/10
【正義(菜々子)】:10/10(MAX!)
【隠者(狐)】:7/10
【剛毅(一条&長瀬)】:9/10
【???(???)】:???
【刑死者(尚紀)】:10/10(MAX!)
【死神(総一郎)】:5/10
【節制(俊)】:3/10
【悪魔(孝子)】:3/10
【塔(秀)】:8/10
【星(クマ)】:4/10
【月(誠治)】:5/10
【太陽(結実)】:6/10
【???(???)】:???
【道化師(足立)】:5/10
【永劫(マリー)】:4/10
【???】



◆◆◆◆◆



これにて『ミツオ編』は終了です。
次回からは『コミュ回その4(夏休み+α)』となります。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。