来ると思って期待していた再臨素材入手クエストAP1/2がきたおかげです。
今後の座右の銘は「果報は寝て待て」になりそう。別に努力はしてませんが。
夕焼け色に染まった空を埋め尽くす無数の剣。
数えるのも馬鹿らしくなるような数のそれらが、雨霰と降り注ぐ様は魔法師達にとっても現実味に乏しい光景だった。
同じ様な光景であれば、魔法で充分再現可能だろう。ただし、そうすることには全く意味が無い。
彼らがこの光景を再現するには、まず手始めに無数の剣を用意する必要がある。
この時点で既に無駄以外の何物でもない。
そんな不必要な手間をかける位なら、周囲の構造物を破壊して瓦礫を作るか、あるいは大気中の二酸化炭素からドライアイスでも作りだして飛ばした方がよほどマシだろう。
鋭利な剣を高速で飛ばすことによる殺傷力の高さ、わかりやすい凶器によって与える視覚効果は認めるが、攻撃手段としては他に特に見るべき点はない。
しかし、だからこそ決して目にすることのない光景に、誰もが思わず息を呑まずにはいられない。
『剣』という、人を傷つけ殺す事を目的とする道具が際限なく降り注ぐ様は、本能的な恐怖を喚起するに充分過ぎた。
ましてや、続く轟雷と花の盾の衝突も合わさって、御伽噺の世界にでも迷い込んだような錯覚を覚えてしまう。
だが、そんな幻想的な光景も長くは続かない。
間もなく雷はその勢いを失い終息し、残されたのは花の盾とそれを掲げる竜貴、そして地面に倒れ伏すマリーカと呼ばれた女の姿。
「……終わった、のでしょうか?」
「どうやら、そのようだな」
最後に残された七枚の花弁が空に解けて消えていくのと同時に、疲れ果てたようにその場に座り込む竜貴。
皆はそれを合図にするように身を潜めていた茂みから立ち上がり、彼の下へと向かう。
ただし、達也は決して警戒を怠るようなマネはしない。
視線こそ竜貴の方を向いているが、マリーカの動向にも充分注意を払っている。
もし仮に再度襲いかかって来たとしても、達也は一切の遅滞なく深雪を抱えて離脱できるだろう。
無論、達也としてもあの状態で動けるとは思えないのだが。
(変身……と言えばいいのか。それは解けているようだが、損傷が激しい。
骨折に筋断裂、内臓も損傷しているな……それに全身至る所に火傷を負っている。あの雷撃の余波……と見るべきか)
降り注ぐ剣を受けた箇所以外にも、全身余すことなく損傷している事が分かる。
それだけ、あの“変身”の負荷が大きかったのだろう。
特に、雷撃の最中に変身が解けたせいで、自分自身であの雷撃を受ける結果になってしまった。
それなりに距離があるにも関わらず、全身に蛇の如き雷撃の痕が刻まれているのが目視でもわかる。
それだけの損傷があっては、再度仕掛けて来る事はおろか、立ち上がる可能性すらないに等しい。
ただ、竜貴からすればまた違った感想が湧いてくるようだが。
「無事か、衛宮」
「ま、なんとか生き残れましたよ。それより、アレはまだ生きてるんですか?」
「そのようだな。といっても、虫の息のようだが」
「へぇ……」
変身が解けた理由はおおよそ見当がつく。宝具より先に素体となるホムンクルスに限界が来たのだろう。
宝具の使用は負荷が大き過ぎたのか、それとも活動限界時間でもあったのか。
理由までは定かではないが、それでまず間違いない。
重要なのは、そうであるにもかかわらずまだ息がある事だ。
竜貴の見立てでは、変身が解ける頃には……
「てっきり魂ごと押し潰されて、解けたら即死すると思ったんだけどなぁ」
「おい、よくわかんねぇがえげつねぇ事言ってるのだけはわかるぞ……」
「もしかして竜貴君、さっきのがなんだったか知ってるの?」
「…………」
エリカの質問には答えず、竜貴は再度立ち上がり些か頼りない足取りでマリーカへと近づく。
武明が「お、おいっ!」と引き留めようとするのも無視し、竜貴は彼女の状態を確認する。
(令呪……は、もうないか。これじゃ、本物かどうかも確認できないな)
マリーカの身体を仰向けにさせ、はだけた胸元を検める。
令呪の痕らしきものはあるが、それも雷撃による火傷で半ば以上消えていた。
まぁ、元々本当の意味での令呪とは思っていない。
そもそも、令呪は召喚のためのものではないのだ。あれは召喚の資格であり、召喚した存在を律する為の物。
間違っても、令呪を使って召喚する訳ではない。
恐らく、必要なものを作ってみたらそれらしくなったので名称を拝借したとか、衛宮の関心を引く為に付けたとか、そのあたりだろう。
続いて全身の状態を確認するが、達也が視た以上の事はわからない。
ただし、それは肉体面に限っての話だ。
(魂の方は…………辛うじて無事っぽいかな。普通、口寄せや降霊術で力の一端を借り受ける程度なのに、あの規模で英霊なんて降ろしたら、自前の魂なんて潰れて消えそうなものだけど)
生憎、こんな術の前例は知らないので推測以上の事は出来ない。
ただ、ホムンクルスと言えども魂の質量は人間とそう大差はない。
肉体を依り代に英霊を再現するとなれば、さほど大きくもない器に目一杯降ろさなければまず不可能。
だがそれをすれば、元からあった魂は確実に押しつぶされて消えうせる。
後に残るは魂を失った空っぽの器。そうなれば、最早生命活動を行う事すらできない。
眼前のホムンクルスにまがりなりにも息があるという事は、なんとか魂の消滅は避けられたという事だ。
それが、この個体のポテンシャル故なのか、それとももっと別の理由なのかは竜貴にはわからない。
そのまま何か手掛かりになる物はないかと物色しようとした所で、一枚の古めかしい紙片がメイド服の懐に差し込まれている事に気付く。
取り出したそれに目を通し、様々な疑問が氷解する。
(なるほど、そう言う事か)
「なにか見つけたのか?」
竜貴の後を追ってきた皆だが、さすがに先ほどまで猛威を振るっていたマリーカに近づくのは抵抗があるのだろう。
やや距離を空けて立ち止まり、一同を代表して克人が問う。
その問いに対し、竜貴はどう応じたものか思案する。
(教えたとして……特に不利益はないか。あの人にしても、伝承を調べれば弱点が分かるとはいえ、魔法師にその手段をとれる訳じゃないし。問題があるとすれば、あの人の事を知られて捕らえようとした場合だけど)
それも難しいと言わざるを得ない。
倒すならまだしも、生け捕りとなればまず不可能だ。
そして、彼女の事を調べようとすれば、生け捕り以外に方法が無い。
なにしろ、彼女にとって死とは現世からの消滅に他ならないのだから。
そう言う意味で考えれば、知られた所で困るものではない。
ただ竜貴の立場上、それだけで物事を判断する訳にもいかない。
(不利益はないけど、話す必要は……)
そこで気付く。ない、とは口が裂けても言えない事を。
むしろ、今後の事を考えるなら知らせておくべきなのだろう。
今回出て来たのはあくまでも駒に過ぎない。確実に、裏で糸を引く誰かないし何かがいる。
十中八九、今回の事はあちら側に知られている筈だ。
となれば、今後皆が何かしらの形で巻き込まれる可能性は低くない。
特に克人や深雪の場合、魔法師としてのポテンシャルがぬきんでている。
次のターゲットにされないとはとても断言できない。
「……………………………………話してもいいですけど、条件付きですよ」
「聞こう」
克人だけでなく、皆もいずれ自分たちが巻き込まれる可能性には気付いているらしい。
普通ならこの状況で「条件をつける」と言えば、反発の一つや二つある。
それが出て来ないのは、皆も竜貴の立場を理解してくれているからだろう。
唯一竜貴の立場を知らない武明が何も言ってこない辺り、彼にも既にある程度話している可能性が高い。
なので、竜貴も無駄に話を逸らしたりせず、単刀直入に本題に入る。
「まず、ここの事後処理は克人さんにお願いしたいんですけど」
「いいだろう」
「どうも。じゃ次に、皆には今回の事は口外してほしくないんだ」
「俺は良いぜ」
「俺もだ」
「あたしも」
武明とレオ、それにエリカは快く了承してくれる。
エリカは一応百家本流千葉家の娘ではあるが、家の中でも少々難しい立ち位置という事もあってか、敢えて報告しようという気はないらしい。
問題なのは達也と深雪、そして十文字家の克人だ。
ただ、自身の素性を知られる訳にはいかない達也達は、表向きは皆と同じ答えを返すしかない。
「俺達も構わない」
「お兄様がそうおっしゃるなら」
「ありがとう。克人さんは?」
「……難しいな。お前の立場は理解してる。だが、俺にも十師族『十文字家』の総領としての立場と責任がある。今回の事は、魔法師社会全体にとって無視できないものだ」
「でしょうね」
克人には日本魔法界全体に対する責任がある。
今回の事は、場合によっては魔法界全体に関係するかもしれない事案だ。
少なくとも十師族クラスのポテンシャルを持つ魔法師には、十分な警戒が必要だろう。
それを口外しないという事は、克人の立場上不可能に近い。
「なら、上層部や危険のありそうな魔法師にだけ伝えて、他には伝えないというのは?」
「………………………………その辺りが妥当か。しかしいいのか、お前にとっては俺達全員を始末する方が都合は良いだろう」
「都合は良いですけど、無理ですね。万全でもわからないのに、このコンディションじゃとてもとても。
あの時だって、それができないから契約なんて手段を取った訳ですし」
「そうだったな」
実のところ、こんなものは言い訳に過ぎない。
できるできない以前に、竜貴としても友人を手にかけたくはないし、克人も武明も人間的に好いている。
討たねばならない相手を殺すことに躊躇はない。だが、殺すべき……というのは気が進まないのだ。
今回も前回も、丁度良い言い訳があるからそれを使っている。その自覚は、竜貴にもあった。
「なら、今回も契約か?」
「ええ、と言っても今の体調だと不安なので、また後日ですけど。ただ、もう一つ」
「なんだ?」
「コレ、僕が預かります」
そう言って指し示したのは、自身の足元に倒れたホムンクルス。
その勝手な言い分には、さすがに克人の視線も険しくなる。
「事後処理はこちら任せ。その上、重要参考人を持っていくつもりか?」
「不快に思うのは当然だと思います。でも、そちらでは満足に治療もできないでしょうから」
「彼女が一体なんだというんだ?」
「この人、ホムンクルスですよ」
「ホムンクルス……確か、錬金術で造られる人造人間だったな。調整体魔法師とは違うのか?」
「大違いです。調整体といってもベースは人間でしょ?
彼女たちは人間の精といくつかの要素を組み合わせて造られた生命です。人間の様な外見をしていても、機能的にも生態的にも人間とは別物ですよ。そんなもの、どうやって治療するつもりですか?」
「むぅ……」
彼らにあるのは人間や既存の生物に対する治療の技術であり知識だ。
しかしその中に、ホムンクルスなどという生命を治す術は含まれていない。
このまま克人が引き取っても、満足に治療する事すらできずに衰弱死させてしまうかもしれない。
それを考えれば、確かに竜貴に……というか、衛宮に預けるのが得策だろう。
「治せるのか?」
「専門ではないんで確約はできませんが、あてはあります」
「…………………………いいだろう」
「では、交渉成立ですね。ま、何かわかったら極力伝えますよ」
元々、竜貴の側に圧倒的に有利な交渉だった事もあり、結論は早々に出た。
克人が力づくで竜貴から情報をはかせるという選択肢もあったのだろうが、彼は安易に力に訴える事を良しとはしない。
それは決して彼の良識だけが理由ではなく、衛宮竜貴という魔術師を多少なりとも知っているから。
竜貴はこの場で全員を始末する事などできないという。
だが、克人はその言葉をあまり信用していない。
この少年はこれで用心深く周到な所がある。
そうでなければ生き残れない世界に生きているのだ。
確証はないが、力に訴えれば手痛いしっぺ返しを受けるかもしれない。
それくらいの奥の手は隠し持っているのではないか。
そう言った懸念が、克人に慎重な対応をさせているのだ。
「とりあえず……何から話しましょうか? できれば、質問も後日にしてほしいんですけど」
「どのみち、事後処理を担当する者たちへの指示も必要な以上、少しここで待て。
先ほど連絡はしたが、到着まではもう少しかかる。
とはいえ、お前も疲れているだろうし、今日のところは二点だけだ。アインツベルンとは何だ? そして、彼女が変身したのはどういう事だ?」
「それが全てな気もしますけど……いいや。
アインツベルンについてですが、ドイツに拠点を持つ錬金術の大家で、軽く千年以上の歴史がありますね。
うちの本家とは三百年くらい前にある儀式で関わったんですけど、それが終わってからここ百年は全く交流がありません」
「もっと詳しい情報はないのか?」
「と言われましてもね。彼らは戦闘向きじゃないとか、領地から出て来るのは相当珍しいとか、それくらいですよ? 正直、今回の件に本当に関与してるかすら怪しいですね。それこそ、何らかの取引でアインツベルンのホムンクルスを買い取って利用してる、って言う方がまだありそうなくらいです」
「ふむ。彼らの魔術についてはまた後日聞くとして、ではユスティーツァと……」
その問いに対し、竜貴は口元に人差し指を立てて制する。
「先に、さっきの変身の話をしましょう。そっちの方が重要ですし、ユスティーツァも関わってますから」
「……いいだろう」
「じゃ、みんなこれを見て。さっき僕たちが闘った奴の正体が、これ」
差し出された古めかしい紙に、皆の視線が集中する。
右下に殴り書きで「理想の人間」と書かれた人体図だ。
「なんだこりゃ?」
「フランケンシュタインの怪物の設計図」
「は?」
「フランケン、シュタイン?」
「って、確かアレだよな。頭にボルトが刺さってて、顔に縫い目の付いた大男」
「うわっ、ベッタベタなイメージ」
「うるせぇよ!!」
割とポピュラーな怪物という事もあり、知らない者はいないらしい。
おかげで説明する手間も省けたので、竜貴はさっさと話を進める。
「これを触媒にして召喚、憑依、そんでもって疑似実体化させたんだろうね」
「それはフランケンシュタインを、という事か?」
「正確には、フランケンシュタインは怪物を造った人の名前で、アレに名前はないけどね」
「いえ、でも、それはフィクションなのでは……」
「そこはあんまり重要じゃないかな。重要なのは、確かな知名度と信仰だから」
「知名度と信仰ですか?」
深雪の問いに、そこから先の説明に困る。
彼らにもわかるように説明するには、竜貴にはあまりにも魔法に対する知識が乏しい。
一体何を例にすればより正確に伝わるのか、それがわからないのである。
「う~~~~~~~~……………簡単に言うと、僕達のイメージが生み出した存在、かな?
ああいう怪物がいる、ああいう英雄がいた、ならきっとそれはこんな存在なんだろう。
そんなイメージが不特定多数集まって形作られたのが彼らなんだ。実在した人物の場合、その人の魂なんかを核に肉付けしてる感じ、かな」
「はぁ……」
「その多くは生前に偉大な功績を上げ、死後に霊格を昇華させ、精霊や聖霊と同格になった人達なんだ。言わば人類史や物語なんかにその存在を刻みつけ、長い年月に渡ってその存在を認知され続ける存在ってこと。
わかりやすい所だと、『関聖帝君』は三国志の関羽が神格化された存在だし、『天満天神』の菅原道真なんかもそう。彼らの様に、死後に人間以上の存在として確立された存在を、僕たちは英霊と呼ぶ。
格は大分下がるけど、フランケンシュタインの怪物も色々な作品で様々な形で描写されてるからね。一応要件は満たしているよ。ま、英霊って言うよりはやっぱり怪物としてではあるけど」
そう言う意味で言えば、どちらかというと「反英雄」に近い属性の持ち主だろう。
ただし、そこまで言及すると話が逸れてしまうし面倒なので、謹んで黙秘する。
「それを、肉体を依り代に憑依させて実体化させたのが、アレな訳。
色々と人間離れしてたのは、彼らが『人間以上の存在』である英雄であり怪物だからかな。
人間より弱い英雄や怪物なんて、それこそ矛盾するからね」
「わかった、ような気はするな、うん」
「ホントにわかってんの?」
「そう言うお前はどうなんだよ」
「もちろんわかってるわよ、たぶん」
「自信ねぇんじゃねぇか!」
「アンタに言われたかないわよ!!」
「仲良いのな、お前ら」
「「良くない!」」
「お、おぉ……」
いつもの調子が戻って来たのか、エリカとレオの夫婦漫才が場を和ませる。
そんな中、達也は二人のやり取りを適当に聞き流しつつ、手持ちの知識に照らし合わせながら竜貴の話を理解しようと努めていた。
(現代魔法で言う所の精霊とは、プシオンを核にもつサイオン孤立情報体の事だ。
英霊というのは恐らくこれに近い。自然現象ではなく歴史や伝承から人々が抱いたイメージが、本人の魂…プシオンを核に集まった特殊情報体、と言ったところか)
もちろん、達也とてこれが完全な正解とは思っていない。
仮に正解に近いとしても、本人の魂がどうやって長い年月の間この世界に残り続けているかの説明が付かないからだ。
ただそれでも、実際に目にしてしまった以上、多少の矛盾を無視してでも理解し納得しなければならない。
そうでなければ、もし次があった時に、適切な対処ができなくなってしまう。
(魔術によるものか、それとも英霊が独自に持つ特性なのかは分からないが、実体化自体は化成体の様なものだろう。つまり、彼らの本体は俺達の様な物質的なものではなく、エイドスの側と考えるべきか。それなら……)
克人の障壁が、容易く破壊された事も納得がいかない訳ではない。
彼らの攻撃は、物質的なものよりもエイドスに働きかける方が主なのだろう。
力が加えられたから動くのではなく、エイドスが動いたから実体も動く。
そう言う意味で考えれば、魔法による事象改変に近いと言える。
もちろん物質的な破壊力も持っているので、そちらも無視して良いわけではない。
ただより重要なのはエイドスに直接触れ、それを動かしたり壊したりできる事。
だから、例え彼らの攻撃力を上回る障壁を張ったとしても、その障壁を作る魔法式や存在の影であるエイドスを破壊されれば結果的に障壁は突破されてしまう。
アレだけのサイオンの塊だ。魔法式の破壊くらいは容易いだろうし、下手をすれば魔法による干渉を受けた直後ないし受けている最中のエイドスの破壊も可能かもしれない。
(もしこれが、魔術や概念武装とやらにも言えるとしたら、厄介なことになるかもしれないな……)
仮にこの事を竜貴が知れば、さすがに苦笑を禁じ得なかっただろう。
概念武装はともかく、魔術でそれだけの事をしようとすれば、それこそ大魔術級の魔術行使が必要だ。
並の魔術では、そんなマネはできないのだから。
「では、最後の雷撃はなんだ? 原作は読んだ事が無いが、フランケンシュタインにはそんな能力があるのか?」
「原作は僕も読んだ事無いですけど、雷が彼……じゃなかった、彼女に深い関連があるのは確かですね。うろ覚えですけど、確か雷の力を借りて起動してた気がしますし。
たぶん、そのあたりを自身の宝具として昇華したんでしょう」
「宝具というのは?」
「人間の幻想を骨子にして作り上げられた武装で、伝説上の奇跡を再現したりする代物です。
基本は愛用した武器や防具だけど、中には盾や指輪みたいな補助的な武装を持つ英霊もいるし、そもそも一つの宝具という言葉が意味するのは一つの武器というだけじゃなく、一つの特殊能力、一種類の攻撃手段といった場合もあります。それらは言わば英霊の一部であり、概念武装に近いものなんです」
「そうなの?」
「うん。概念武装にしろ宝具にしろ、歴史と伝承、概念と人々の想念の蓄積で出来ている事に変わりはないからね。本質的によく似たものと言え……」
そこまで話した所で、竜貴は口を閉ざしあらぬ方向に視線を向ける。
いや、それはなにも竜貴一人に限った事ではない。
この場にいる全員が、多少のずれはあっても同じ方向を向いていた。
それもその筈、廃工場に向かうに当たり通って来た道の先から、小さいがはっきりとしたエンジン音が聞こえて来たのだから。
余談だが、この時代の自動車や二輪車はよっぽど特殊な場合を除きすべて電動だ。
にもかかわらず、そのほぼ全てがエンジン音を響かせて走行する。
理由は単純、わざとそういう音を鳴らしているのだ。
なにしろ、そうしていないと静かすぎて歩行者などが車が来ている事に気付かない場合がある。
そのため、大凡全ての車両には走らせる際にエンジン音を鳴らす装置を設置する事が義務付けられていた。
とはいえ、軍を始め特殊な事情がある場合にはその装置を外して行動するのが常なのも事実。
つまりなにが言いたいのかというと、廃工場に向かっている何者かがおり、その相手は接近を隠す意図が全くないという事だ。
「流石会頭、早いですね……」
「いや、早すぎる! 到着するまであと十数分はある筈だ!」
武明は克人の部下が来たと思ったようだが、克人自身の言葉がそれを否定する。
それは、誰にとっても予期しない何者かが接近している事を意味していた。
達也と竜貴、そして克人を除く全員が三人にやや遅れて臨戦態勢を取る。
身を隠して逃げる事も考慮したが、それをするにはあまりにも接近し過ぎていた。
何しろ、道の先には既に音の出どころと思われる大型二輪車の姿がある。
間違いなく、あちらもこちらを視認した筈だ。
とはいえ、敵と決まった訳でもない。
それこそ、真由美辺りがよこした援軍なりなんなりという可能性もある。
その為彼らとしても先制攻撃をする訳にはいかず、ただ相手の出方を待つより他にないのが実情。
そんな彼らの事情を察知してか、二輪車は彼らよりかなり手前の所で停車。
降りて来たのは、ライダースーツとヘルメットに身を包んだ想像以上に小柄な人物だった。
目算だが、身長で言えば竜貴よりやや高い位。男性としては大変小さく、女性としても小柄な部類だ。
距離が遠い事もあり、身体のラインを浮き彫りにするライダースーツを纏っていながら性別は不明。
顔もヘルメットを被っているためにわからず、敵か味方かすら判然としない。
にもかかわらず、その人物を視認した瞬間、竜貴の口からなんとも珍妙な音が漏れた。
「んげっ!?」
そのあまりに場違いな音に、一瞬……達也でさえも謎の人物から視線を外し、竜貴の方を見てしまう。
だが、その理由を問うより前に、彼らのすぐ後ろから音楽的とさえ言える程に流麗な、されど凛とした声が不満げに放たれた。
「『んげっ』とはなんですか、『んげっ』とは。貴方には一度私に対する認識について、じっくりと話す必要がありそうですね、竜貴」
全員が弾かれたように振り向くと、そこには先ほどまで百メートル以上先にいたライダースーツの小柄な人物が立っていた。
誰もが咄嗟に臨戦態勢を通り越して攻撃行動に移ろうとする中、その全てを無視しヘルメットに手を掛ける。
そうして、彼らが魔法を発動させるよりわずかに速く、その人物はヘルメットを外してその素顔をあらわにした。
「「「「「「……っ」」」」」」
その瞬間、その場にいた全員が直前の行動を忘れ思わず息を呑む。
武骨で無個性なヘルメットの下から現れたのは、結い上げてなお軽さと柔らかさが見て取れる金紗の如き髪と、清澄に張りつめた眼差しのよく似合う美貌の少女。
深雪とは全く異質でありながら、同等かそれ以上に人の眼を惹きつけてやまない。
年齢は深雪達よりわずかに下に見える。だが、そこに年相応のか弱さや儚さは感じられない。
むしろ、ただそこにいるだけで空気を浄化し、引き締める凛冽で厳格な風格すらあった。
何より特筆すべきは、その存在感だろう。
彼女を前にしては、達也をして「巌」と表現した克人ですら霞んでしまう。
圧倒的……などという言葉では到底足りない。最早どう形容していいかわからないほどに、その少女の存在感は傑出していた。
ただ、そんな明らかに只者ではない少女が、竜貴一人に対し不満を隠そうともしていない。
眉をひそめ、明らかに不機嫌そうにしていながら、その美貌には一点の曇りもない。むしろ、これだけの美少女にそんな目で見られれば、萎縮してしまいそうなものだが……竜貴は萎縮するというよりも、むしろビビっていた。あの怪物を前にしても一歩も引かなかった竜貴が、である。
「へ、陛……じゃなかった、セイバー?」
「はい。貴方には私が他の何に見えるのです」
「い、いえ、確かにセイバーにしか見えませんけど……ってか、なんでここに?」
「野暮用ですよ。しかし、いざあなたの部屋に行ってみれば未だ帰宅しておらず、学校に確認してみればテロがあったというではありませんか。貴方は、というか貴方達は昔から危なっかしい。
まぁ、貴方ももう衛宮の当主だ。私が一々口出しする事でもないと思いましたが、少々気になり、こうして追い掛けて来た次第です。それで、一体何があったのですか? 先ほどの雷は、まるで……」
「ああ、一応説明しますんでちょっとこっちに……」
「ここでしなさい」
「いえ、でも……」
「しなさい」
「だけど、ここは、その……」
「三度は言いませんよ」
「わかりました」
根負けして……というよりも、絶対的力関係に屈してがっくりとうなだれる竜貴。
已む無く、その場で大まかな経緯を説明する。もちろん、達也達に聞かれて困りそうなところはぼかしながら、要点だけを纏めて。
その間、皆セイバーと呼ばれた少女の事を聞きたそうにしていたが、口を挟む事はなかった。
なんというか、機会を逸したというのもあるが、それ以上に彼女の存在に呑まれてしまったのが大きいだろう。
「なるほど、疑似的なサーヴァントですか」
「ええ、完全な状態からは程遠いと思いますけど……」
「いえ、そもそも英霊の完全召喚などあり得ません。私達ですら、クラスという型に嵌める形で一面を召喚しているにすぎないのですから」
「そう言えば、そうでしたっけ」
「しかし、疑似的とはいえサーヴァントを召喚し、アインツベルンのホムンクルスまで出て来たとなれば、由々しき事態です。この件は凛に報告しますが、構いませんね」
「はい」
セイバーの問いに、竜貴は畏まった態度で答える。
その様子から、どちらが上でどちらが下かは誰の目にも明らかだった。
「それで……彼らはどうするのですか?」
一通りの顛末がわかったからだろう、セイバーの視線が達也達を射抜く。
宝石の様な青緑の瞳に敵意や悪意と言った物は微塵もなく、にもかかわらず微動だにできない力がある。
「今回の事は完全にこちら側の事案です。本来なら、記憶を消すなり口止めするなりの対処が必要ですが……」
「一応、後日契約で縛ることになりました」
竜貴の答えを聞いて、セイバーの視線が竜貴へと戻る。
そこにいったいどんな感情が込められているかは達也達には知る由もない。
だが、一つだけ確かな事があった。きっと彼女は竜貴の対応が「甘い」事を無言で訴えているのだろう。
それは達也もまた同感だった。それ以上をされるとなれば達也も相応の対処をするが、同じ立場ならそんな手緩いマネはすまい。
竜貴とてそれがわかっていない筈が無いし、この明らかに只者ではない少女がいれば、それこそ対処は思うがままだろう。少なくとも、竜貴はそう考える事ができる筈だ。
にもかかわらず、竜貴は真正面からセイバーを見返し決然と答える。
「セイバー、もうそれは決まったことなんですよ」
「…………」
「それに、僕たちは人に胸を張れる生き方はしてませんけど、それでも数少ない自慢があるとすれば、それはあなただ。だから……僕はそんな事であなたの手を煩わせたくありません」
「まったく、この子は……そう言う言葉は、好いた相手にでも言ってあげなさい」
「? 僕、というか僕たちはみんなあなたの事が好きですよ」
「………………………………似ていないようで、やっぱりあなたはシロウの血筋だ。
忠告しておきますが、気をつけないと色々苦労しますよ。見て来た私が言うのですから間違いありません」
「はぁ……気をつけます」
疲労を滲ませながら眉間を揉みほぐすセイバーに、よくわかっていない表情で答える竜貴。
セイバーはさりげなく添えていた右腕のブレスレットから手を離し、呆然と立ち尽くす皆に視線を向けた。
「…………それと、あなた方はこの子の友人ですか。
私はセイバー、訳あって名乗る事ができない事をどうか許してほしい」
「十文字克人と言います」
「そうですか、あなたが。克人、貴方の事は竜貴から聞いています。
なるほど、確かにこの子の言う通りのようだ。この時代にも、一角の人物はいるのですね」
「恐縮です」
それは社交辞令でも何でもなく、克人の口から自然とこぼれた言葉だった。
あるいは、彼も本能的に理解していたのかもしれない。
目の前の人物が外見こそ少女であっても、その本質が自分をはるかに凌駕する存在である事を。
何しろ、差し出された手を握り返し、深々と頭を下げても全く違和感が無い。
むしろ、これでもなお礼が足りぬという気さえ湧いてくるほどなのだから。
克人以降、次々に簡単な自己紹介が続き、最後に達也の番が回ってきた。
差し出された華奢な手を軽く握り返し、達也はまるで吸いついたかのように離せそうにないその手に驚く。
決して強く握られているわけではないのに、巨大な引力で引きつけられているかのような感覚。
達也を見る目は優しく、まるで我が子の友人を慈しむかのようだ。
なのに、何一つとしてその様な感覚を抱く理由はないというのに、達也はこの手が何よりも巨大に感じられた。
湧き上がろうとする畏怖を抑え込み、達也はあくまでも平常心のまま名を告げる。
「司波達也です」
「達也、どうかこの先もあの子の良き友人であってほしい。あの子はあれで危なっかしい所がある物ですから」
「それは……」
「それと」
「?」
「あなたはあなた自身の幸福を探すべきだ。その為にも、もっと人と繋がった方がいい。
あなたを導き、幸福を与えてくれる人と出会うためにも」
「どういう、意味でしょう」
「単なるお節介です。ですが、強いて言うなら……貴方は少し私の大切な人に似ている。彼も、自分自身を幸福にできない人でしたから」
「っ!」
その瞬間、達也の総身を言葉にできない何かが走りぬけた。
この少女は一体、今の一瞬で自分の中に何を見たのかと。
「あなたが、俺の何を知っていると……」
「何も知りません。ただ、それでもわかる事がある。
貴方が空っぽで、そう言う人を他にも知っていた。ただ、それだけの事です」
それまではどうやっても外れる気のしなかった手が外れ、達也の驚愕をよそにセイバーは距離を取る。
再度一同を見回してから、彼女はその場で深々と頭を垂れた。
「竜貴は友に恵まれた様ですね。
この出会いに感謝を。どうか、あなた達の道行に幸多からん事を願っています」
そう告げると、セイバーは竜貴の傍を横切ってマリーカの下へと向かう。
「では、私は彼女を先に運びます。場所は城で構いませんね」
「はい、お願いします」
「近いうちに一度顔を出しなさい。改めて、詳しい話も聞きたいですし、学校や彼らの事も聞きたいですしね」
「わかりました」
「それと」
「はい?」
マリーカを背負い、二輪車の方へと引き返す途中、竜貴の前で立ち止まる。
セイバーはそのまま器用に片手でマリーカを支えながら、空いた手を竜貴の頭に伸ばす。
そして、優しい手つきと眼差しで彼を誉める。
「よく、頑張りましたね。まがりなりにも英霊を相手取り退けた、並大抵のことではありません。
彼らを守る為に闘ったあなたを、私は誇りに思います」
「え!? あ、その……」
「ですが、あまり無理をしないでください。貴方が傷つけば、多くの人が悲しむ事を忘れないでほしい。
無論、私もです。強くなれとは望みません。ただ健やかに、幸せになりなさい。
それだけが、私があなた達に望む事なのですから」
「…………ご、ごめんなさい」
続く言葉に、竜貴は心底申し訳なさそうに俯く。
褒められた事が嬉しかった。だがそれ以上に、心配をかけてしまった事が申し訳ない。
竜貴達にとって、セイバーは絶対に近い存在だ。彼女は師であり、姉であり、主であり、そして母だった。
そんな彼女に痛みに耐える様な顔をされては、反論の余地はない。
その上、身の内に封入した宝物の加護により傷もあらかた癒えている。
本当に、毎度のことながらつくづく彼女には頭が上がらない。
そうして、セイバーは一足先にその場を後にした。
残されたのは、夢でも見ていたかのような面持ちの面々と、未だ厳しい表情の達也。
それと……
「あれ、竜貴君……もしかしなくても、泣いてる?」
「な、泣いてない! 全然泣いてないから!」
エリカに指摘され、慌てて目元をぬぐう。
他の皆は武士の情けで指摘しなかったが、その目には明らかに涙の雫が浮かんでいた。
(さ、最悪だ~……いくらなんでも、こんなの情けなさすぎるって……)
セイバーの性格はよく知っているので、嘘の類ではない事はわかっている。
あれは、彼女の紛れもない本心だった。
それが嬉しくない訳が無い、本当は小躍りして奇声を発したい位に嬉しい。
しかし、さすがにそれを友人たちの見ている前で出来るわけが無いし、泣いていただけでも赤っ恥だ。
まぁ、時既に遅しだが。
「なぁ、竜貴。今の人ってもしかしてよ……」
「ああ、多分思ってる通りだと思うよ」
正体を隠す為の右腕のブレスレットは終始外さなかったが、まがりなりにもサーヴァントを見た彼らならわかっても不思議はない。
何しろ彼女は、フランケンシュタインの怪物と同位ではあっても同格ではない。遥かに格上の、祖国から遠く離れた日本でも知らぬ者のいない、正真正銘の大英雄なのだから。
「さっきの続きだけど、英霊は人間以上の存在なんだ。だから、本来なら人間には使役はおろか召喚だってできない。でも、三百年前から百年前までの約二百年、英霊を召喚する儀式が僕の故郷で行われていたんだ。
っていっても、召喚していられる時間はせいぜい二週間程度、さらに次の儀式を行うまでのスパンが六十年もある代物だったけど。その儀式の中枢をなしていたのがユスティーツァであり、儀式を行っていたのがアインツベルンと遠坂、あとマキリって家。まぁそれも、色々不具合があって結局解体しちゃったんだけどね」
「では、まさか先ほどのあの方は……」
「百年前に召喚された英霊って事?」
「そう。約百年、曽祖母に仕え続けて来たうちの実質的なナンバー2だよ」
「それってよ、やっぱすげぇのか?」
「色々な意味で。第一に彼女を維持するだけでも凡百な魔術師じゃ無理です。お婆さんは色々ぶっ飛んだ人ですけど、それでも色々な制約付きでやっと維持してる状態ですから」
英霊の話が出た時点で、それはある程度推察できたことだ。
竜貴は英霊について非常に詳しく、それとある程度以上闘う事が出来ていた。
単純に考えれば、英霊と何かしらの関わりがあると考えるのが普通だろう。
英霊との闘い方を身につける上で、実際に英霊に手解きを受ける以上の事はないのだから。
だから、竜貴の話自体は実のところそれほど驚く事ではない。
にもかかわらず、皆が声を失っているのは、正真正銘の英霊と向かい合ったからだろう。
過去に偉業を為した英雄というのは伊達ではない。
そんな彼女と言葉を交わし、僅かでも触れあったからこそその凄まじさが理解できる。
百年彼女を維持し続けた事も、英霊から手解きを受けた事も、どれも奇跡に等しい事だ。
だから、克人の口からこんな言葉がこぼれたのも無理からぬことだろう。
「しかし、お前達はあれほどの人物を従えているのか」
「克人さん、訂正してください」
「む……っ! どういうつもりだ、衛宮」
克人のすぐ目の前に突きつけられたのは、先ほどまで竜貴が使用していた双剣の片割れである黒剣。
彼の眼には、憤怒に近い激情が宿っていた。
「あの人は別に、僕達に仕えているわけじゃないんですよ。
セイバーはお婆さんに仕えているんです。それを間違えないでください。幾ら克人さんでも、それはちょっと許容できませんから」
「待て、それはつまりその曽祖母が亡くなったら……」
「あの人は消えます。あの人の主は曽祖父母の二人だけ、僕達に契約が引き継がれる事はありません。
そもそも、みんな酷い勘違いしているよ。あの人が僕達に仕えているんじゃない。僕たちがあの人に仕えるんだ。僕たちは誰にも従わない。僕達の魂も、血も、この身体も全てをあの人に捧げている。
そう、あの人こそが―――――――――――僕達の王だ」
普通に考えれば、大仰なだけの言葉に思えるだろう。
しかし、竜貴の目に宿る激情が、それが本気であることを如実に物語っている。
それに誰もが言葉を失う中、深雪だけは竜貴の気持ちが理解できた。
つまり、竜貴達にとってのセイバーとは、深雪にとっての達也に等しいのだろう。
だからこそわかる。そんな相手を自分より下に見られる事は、到底許す事は出来ないと。
そんな竜貴の心情を理解できたわけではないだろうが、克人もまたこれが越えてはならない一線である事は理解した。
故に、彼は自らの思い違いを素直に謝罪する。
「すまなかった。お前にとって、それほど彼女が重い存在とは思わなかった」
「……いえ、僕の方こそすみません。つい、頭に血が上っちゃいまして」
竜貴も、それが余人に理解出来る様なものではない事はわかっているのだろう。
大人しく刃を引き、目を伏せて謝罪する。
一瞬場を満たした緊張は徐々に薄れていくが、まだどこか気不味い。
そんな空気を感じ取ってか、あるいは我慢できなくなったのか、エリカが別の意味で踏み込んではならない領域に踏み込む。
「と・こ・ろ・で、た~つ~き~く~ん~」
「な、なに?」
「竜貴君たちにとってあの人がすっっっっっっごく大事な事はわかったんだけど。
普通、褒められたくらいで泣いたりはしないよね~」
「そ、それは……」
「もしかして~、竜貴君って結構シスコン? ううん、この場合はマザコンに近いのかな?
セイバーさんも、なんかお母さんっぽい感じだったしぃ~」
「ぐぁ~、それは言わないで~!?」
割と自覚があるのか、その場で身悶えし出す竜貴。
顔は林檎のように真っ赤になり、先ほどとは別種の涙が浮かんでいる。
余程恥ずかしいのだろう。
克人の部下が到着するまでのしばらくの間、竜貴はエリカの玩具にされ、尺取り虫の如く羞恥に身をよじらせることになるのであった。
* * * * *
その後、やや遅れて克人の部下たちが現場に到着。
克人の指示の下、事後処理に移った後。
あの場にいた面々のうち、責任者である克人を除いた皆は十文字家の車で駅や自宅まで送られることになった。
さすがに疲れたのだろう。最早車内で雑談を交わす者はおらず、中には舟を漕ぎだしている者までいる。
そんな中、達也はこれまでに得て来た情報と先ほどの光景を併せて分析する。
衛宮の魔術、あるいは彼が持ち出した剣とは如何なるものなのかを。
(あの光景を作りだす為に考えられる可能性は三つ。
竜貴が魔術によってアレらの剣を創造しているのが一つ目。
もう一つは、同じく魔術によってどこからか運んでいる……つまりは空間転移と呼ばれるもの。
最後に、魔術かあの剣の能力かはともかくとして、対象を増殖させている……といったところか)
魔法は魔術から生まれた。つまり、一人の術者の魔法特性と魔術特性は全く同じではないにしても、何かしらの共通点があるのではないか。
戦闘中、剣を失う度に竜貴が次々に剣を取りだしている事を確認した際、達也は当初そのように推測した。
つまり、衛宮の魔術とは竜貴の固有魔法である「創成」のさらに上位互換。以前達也が「飛躍しすぎ」として切り捨てた可能性が事実であったという事。それも、あの時に考えていた以上の形で。
しかし達也は、一度は脳裏をよぎったその可能性を静かに否定する。
(いや、そんなことは不可能だ。
竜貴の周囲で、物質はおろか熱量をはじめとしたエネルギーの総量に変化はなかった。もし一つ目の可能性が当たりだとすれば、それは完全な意味で『無から有を生み出している』事になる。それはもう神の領域の力だ。
例え魔術がどれほど奇々怪々な代物であったとしても、明らかに人の領分を越えている)
そう、一切の物質を消費せず、エネルギーさえも消費せずに物質を生みだすなど「神の奇跡」に他ならない。
あるいは竜貴の中では何かが消費されているかもしれないが、人が賄える程度の何かで為し得る事で無い事に変化はない。
(ならば、あり得るとすれば二番か三番。そのうち、より現実的な可能性は……)
そこまで考えて、達也はその問いの無意味さに気付く。
仮に二番であったとして、空間転移の前後で周囲にどのような前兆や影響が表れるかわからず、達也自身それを観測する事が出来ていない。アレらの剣は忽然と、脈絡もなくそこに出現しているのだ。
これでは、例え二番が正解だったとしてもそれを証明する事はできない。
そもそも「空間転移」とて、未だ人類の手の届かない代物だ。
不可能さで言えば、現状『物質の創成』と大差はない。
となると、あとはもう三番しか残されていない。
(もし仮に、竜貴が俺と同じようにエイドスのデータをフルコピーできれば、可能性はある。
あの剣のエイドスをコピーした上で創成か、似た魔術を使えばあるいは……いや、それでも結局は同じ事か)
確かに、理屈の上では全く同じ存在を創り出す事も可能かもしれない。その上で、やはり達也はこれもまた不可能であると結論する
まず竜貴の魔法では、形は似せる事ができても構造も材質もオリジナルと同じにはまずならない。仮に同じにするべく魔法式を構築したとしても、必要な物質が揃わずに失敗するだろう。ならば魔術ならどうかというと、こちらにも『物質の創成』と同じ問題が立ちはだかる。
どちらにしろ、竜貴が「物質を創造する魔術」を有していない限り不可能であることに変わりはなく、それが人の領分を越えた力である以上、可能性は皆無と結論せざるを得ないのだ。
それに、達也がこれを困難極まると考える理由がもう一つ。
(あれは、まるで地層のようだった。あの剣本体のエイドスが、まるで見えてこないほどに)
サイオンの輝きに眼を凝らし、達也はさらにその奥を視ようと努めたのだ。
竜貴がはじめに使っていた双剣と武明に貸し出していた刀には、達也の眼から視て一つの共通点があった。
それは、あの変身した女に勝るとも劣らないサイオンを帯びている事。正確には、サイオンらしきもの、と言うべきだろう。何しろ、彼の知るそれとはどこか違和感があった。それは決して無視して良いものではあるまい。
それが、剣本体を覆う様に無数になおかつ複雑……いや、無秩序に積み重なっていたのだ。
本来、サイオンやプシオンは意思や思考に付随する存在。
噛み砕いてしまえば、程度はともかく知性を有する存在でなければこれらを帯びる事はないのだ。
その意味で言えば、知性を有する訳でもない剣がサイオンやプシオンを帯びる事はない。
にもかかわらず、アレらの剣がサイオンを帯びているからには理由がある。
(概念武装、だったか。レオたちの話だと、歴史や伝承の蓄積で出来るという話だったが……)
歴史にしても伝承にしても、人間の認識は不可欠な要素の一つだ。
言わば、歴史や伝承を蓄積するという事は、それを認識する人々の思考の断片が蓄積するのと同じと解釈する事ができる。この思考の断片を構築するのがサイオンであり、これを蓄積したものが概念武装であり、英霊や宝具もまた同様なのだろうと達也は解釈していた。
無論、それだけでは底の抜けた桶の如くサイオンは流出し、イデアに溶けて消えて行ってしまう。
だが、本来なら消えていくだけの筈のサイオンを引き寄せ、留める要素があったとすればどうだろう。
人々の思考の断片は無数に積み重なっていき、まさに地層の如き厚みと複雑さを形作っていく。
そうなれば、最早達也の眼を以ってしてもその最深部を見通すことは困難だし、剣本体の情報改変など夢のまた夢だ。
つまり、概念武装を取り巻くサイオンはそれ本体が生みだしているわけではなく、世界中の人々、場合によっては過去から現在に至る人間の想念によるものということ。
そして、そんな不特定多数のサイオンを引き寄せ、留める要素を持たせる事が、竜貴の言う『加工』なのだろう。
あるいは、長い年月の間の蓄積で核の様な物が生まれるのかもしれない。
しかし、そうであるが故に竜貴があの剣のエイドスをフルコピーする事の困難さが際立つ。
(俺に視えない領域までアイツに視えたとしても、それは問題じゃない。そう言う事もあるだろう。
問題なのは、その情報量だ。俺の推測が正しければ、剣本体のエイドスだけではなくそれを取り巻くサイオンさえもコピーしなければ、概念武装は概念武装として成立しなくなる。
だが、そんなことは不可能だ。そんな途轍もない情報量を処理しようとすれば、先に脳が焼き切れる)
なにしろ数百年、あるいは数千年に及ぶ歴史とそこに付随する無数の思考の断片だ。
また、歴史にしても伝承にしても、時代によって、土地によって、あるいは人種、性別、年齢、立場etc……人の数だけ受け取り方は異なる。その情報量たるや、最早人知の及ぶものではない。
達也の推測は正しい。不可能だという結論も当然だろう。
剣本体を取り巻くサイオンとは、つまりは魔術師が言う所の「魔力」であり「神秘」の事だ。
例え魔術師でも、あれ程の魔力と神秘を帯びた存在を複製はおろか解析しようとは思わない。
そんな事をすれば、理解するよりも前に自身が破綻すると分かり切っているからだ。
あるいは、解析したとしてもその全てをつまびらかにする事は出来ない。
衛宮だけが概念武装を、そして宝具を完全に解析し、複製できる。
そうであるが故に、彼らの初代は「錬鉄の魔術師」と呼ばれたことを、達也はまだ知らない。
(となると、残る可能性は一つ。剣が増殖したのは、剣自体の能力という事になる。
刀にしても双剣にしても、そう言った特性をもった武器だった訳か。
それはそれで不可解な点はあるが、まだしも現実的だろう)
達也とて、完全にそれで納得しているわけではない。
ただ、よりあり得ない可能性を除外していった結果、残された可能性がこれだっただけの事。
それに、救いがない訳でもない。
能力は確かに現代文明の域を逸脱していると言える。
しかし、大地に無数に突き立っていた剣の数々は、双剣も刀も全て闘いが終われば幻であったかのように消滅していった。増殖すると言っても、永続する類の代物ではないという事だろう。
それに、剣が増殖する能力自体も、実のところそれほど脅威ではない。
(同等かそれ以上の破壊ならば、魔法で十分可能だ。
確かに驚異的な能力ではあるが、脅威というわけではない。人間にとっては、多少物騒な武器であり能力という程度。アレの本質は、英霊の様なエイドスに本体を置いた存在と闘う事なのだろう)
エイドスそのものを傷つける事ができるが故に、エイドスに主体を置いた存在にこそ真価を発揮するのだ。
達也は魔法力こそ低いが生まれ持ったサイオン量はずば抜けている。
その為、それを圧縮した砲弾として魔法式を吹き飛ばす対抗魔法を習得していた。
とはいえ、それで干渉できるのは精々魔法式まで。エイドスそのものに影響は与えられない。
英霊や概念武装は、それと同種にしてはるかに強力な力を持っていると考えれば良い。
(それにしても人類史に名を刻んだ存在、か。
竜貴の口ぶりからすると、その中でもよほど高位の存在だろう。
それこそ、一国の王として名を馳せたであろう人物。俺に測れるような器じゃ無いな、アレは)
自身の全てを見通した訳ではないだろうが、彼女は確実に司波達也という存在をある程度見抜いていた。
それがどの程度かは分からないが、その確信が達也にはある。
本来なら、その事に脅威を感じ危険視しなければならない。
なのに、不思議と達也にはそう思う事が出来なかった。
それはきっと、彼女があくまでも達也の事を竜貴の友人として捉え、真摯にその行く末を慮っていたから。
同時に、見抜かれた事に対する不快感もない。非礼だとも思わない。
外見こそ十代半ばの少女であったが、その風格と威厳は達也が今までに出会ってきた誰よりも優れていた。
正に「一国の王」たるに相応しい貫禄を備えていたのだ。
『百戦錬磨の将』など生温い。アレは人の上に立つのではなく、当たり前の様に民を背負う。
そんな相手に見定められた事を、どうして非礼と思えるだろう。
(それに、正直興味も湧いた。
あの容姿からすると西洋系だろう。
折りを見て、西洋の女王を調べて見るのもいいかもしれないな)
実はそれが、既に根本的に大間違いだったりするのだが、達也の勘違いも無理はあるまい。
まさか、あの容姿で「男」として振舞っていたなどと思うまい。
(それにしても、竜貴の奴が妙に律義なのは、やはり彼女の影響なんだろうか)
竜貴は言った、彼女こそが自らの王だと。
一目見てわかる程に清廉潔白な人物に仕えるとなれば、あまり後ろ暗い事は出来まい。
まぁ、それとは関係なく元からの気質もあるのだろうが。
なにしろ、車に乗り込んだ際に、念を押す様に武明に「ホントにあれでよかったのか」と問われた時竜貴はこう答えた。
「魔術師なんて疑心暗鬼が家業の碌でもない商売ですからね。
だからこそ、契約や約束は大切にしなきゃいけないんですよ。
僕たちが信じられるものは、あんまり多くありませんから」
その言葉が全て偽りだとは思わない。
しかし、大事なものであるという事は、それだけ上手く使うべきものという事だ。それこそ裏切りなども含めて。
にもかかわらず、あの時竜貴は最強の後ろ盾を得ながら何もせずに、当初の決まりごとを順守した。
彼女にそんな事をやらせたくなかったのも事実だろうが、達也にはそれらが言い訳の様に思える。
結局のところ、彼は達也達に手荒な事をするのが嫌だったのだろう。
記憶を消したり、命を奪ったりする事は元より、契約で縛る事すら不本意だったのかもしれない。
特に理由はないが、なんとなくそう思う。そしてそんな彼の在り様が、存外達也は気に入っていた。
「なんでだろうな。そんな甘さは俺には不要なものだし、いっそ害悪と言ってもいい。
なのに、アイツがそうである事が……」
少しだけ、胸を軽くしてくれる。
形は違えど、彼もまた凄惨な世界にその本質を置いている事は今日の様子からわかった。
血を流し浴びる事を厭わず、人の死を当然の物として受け入れ、敵対者の命も尊厳も全て踏みにじる事ができる。
生き死にの闘いを知り、その中で生き延びて来た者特有の気配が竜貴にはあった。
なのに、本来はとうに捨てている筈の……少なくとも達也達に向けるべきではない人間らしさを、竜貴は当たり前の様に達也達にも向ける。
いや、きっと達也達だけではない。多くの相手に対し、彼はそれを向けるのだろう。それは言わば……
「人間らしい人でなし、か。案外、アイツに似合っているのかもな」
それが偽善の類である事を達也は理解している。
理解した上で、彼はそれでいいのだろうと思う。
本当に、世界も自分自身の中も、不思議な事ばかりの一日だった。
おっかしぃなぁ~、ホントならここで入学編終わるつもりだったんですけど、何故か妙に長引いてしまいました。
というわけで、次回はまだ入学編……の延長です。
九校戦はまだまだ先だなぁ。なんでこんなことに?