ブ、ブ、ブラ……ブラなんとかの暗躍から始まり、全然関係ない筈の連中に横から持って行かれた騒動が一応の終結を見てから数日後。
竜貴は休日を利用し、本人にとっても思いの外早い里帰りを果たすことになった。
「っ―――――――――――はぁ……お婆さんの言う通り、旅費はケチるもんじゃないなぁ」
ほどほどにお土産の入ったカバンを持ったまま、グッと背筋を伸ばす。
決して貧乏な訳ではないのだが、なんとなく節約体質が染み付いてしまっている。
そのため、時間がかかると分かっていながら、結局東京から九州まで陸路で移動する事にしたのが失敗だった。
日付が変わる直前のリニア列車に乗り込み、福岡からは
その上、時間を有効に使おうと睡眠時間を移動時間にあてたのが運のつき。
数時間に渡って狭苦しい座席に同じ姿勢で押し込められ続けた結果、身体は全く休まらなかった。
単独での遠出は初めてではないのだが、いつもは体調を優先してそれなりの交通手段を選んできた。
今回はそれを考慮する必要はないと思っての選択だったのだが、物の見事に失敗だったと痛感する。
次はケチったりせず、いっそ空路を選ぶくらいの気概で臨もうと決意した。
「さて、とりあえず急ぎますか。明後日には学校だし、そのためにも明日の夕方にはこっちを出ないと不味い。
はぁ……スケジュールがキツキツだよなぁ」
残念ながら、今回の帰郷は純粋な里帰りではない。
むしろ、衛宮の当主としての仕事の一環と言っていいだろう。
どう考えても気分のいい話にならないのはわかりきっている。
そんな先行きを暗示する様に、見上げた空は曇天に包まれていた。
折角気持ちの良い春だというのに、これでは益々気が滅入るばかりである。
「とはいえ、戻ってきた以上少しは実家にも顔を出したいしなぁ……」
せめてもの気分転換の為にも、一度は実家に顔を出しておきたい。
折角お土産も用意した事だし、家族の顔を見ていきたいというのが人情だろう。
そんな事を考えつつ、体を解しながら街の様子を眺めつつ歩を進める。
しかし、さすがに一ヶ月も経っていない状況ではあまり変化はない。
ただ、その事に安堵を覚えるのも事実。
都会は中々に刺激的だし、何もかもが新鮮だったのは事実だ。
中学時代のクラスメイト達が上京したがる気持ちも、ある程度は理解できるようになった。
だがそれでも、竜貴は何かと窮屈な都会よりも故郷の方が落ち着くと思う。
衛宮の当主としての責務を抜きにしても、結局自分はこの地に残り続けるのだろうと思う位には。
「ん~と、深山行きのバスはっと……」
冬木市はそれなりの広さを持つ地方都市なのだが、生憎今も昔も駅は新都に一つあるだけだ。
未遠川を挟んだ深山町に向かうには、徒歩では少々距離がある。
なので、新都から深山町に向かうには何かしらの交通手段を使うのが一般的だ。
竜貴もその例にもれず、バスで自宅最寄りのバス停に向かおうと考えていたのだが……。
「ぐっ……20分待ち、こういう所は都会の方が便利だなぁ。仕方がない、歩くか」
地方都市の、それも早朝ともなればまぁこんなものだろう。
本当はできるだけ急ぐべきなのだろうが、かといって走ってまで急ぐ気にはなれない。
まぁこれも巡り合わせと考えて、精々故郷の風を楽しむことにする。
「ぁ―――――――――――――潮の香りだ」
深山町と新都を繋ぐ大橋を渡りながら、風が運んできた香を胸いっぱい吸い込む。
『帰って来たんだ』そんな感慨が、これをきっかけに湧き上がってくる。
どうやら、竜貴自身が思っていた以上に故郷が恋しかったらしい。
一ヶ月以上故郷を離れていた事もあるが、遠からず帰ることが分かっていた。
しかし、今は違う。予定通りいけば、向こう三年は偶に帰る程度になるだろう。
そういう先の長い話だからこそ、郷愁の念も強くなるのかもしれない。
竜貴はそのまま見慣れている筈の、何でもない筈なのに胸を震わせる街の風景を網膜に焼きつける。
そうして、本来よりもやや時間をかけて自宅にたどり着く。
かなり先まで続く白壁は経て来た年月を感じさせ、独特の味わいを感じさせた。
生まれた時から見慣れた家が、こうして見るとどこか新鮮に趣き深く感じられるのだから不思議だ。
いや、築百年以上の武家屋敷となれば、それが普通なのかもしれないが。
「ただいま」
門をくぐり、鍵のかかっていない玄関の引き戸を開けて帰宅を告げた。
早寝はともかく衛宮の住人は早起きが染み付いているので、休日であろうと6時には全員が目を覚ましている。
それがわかっているので特に声をひそめたりもしなかったのだが、反応は思いの外早かった。
「遊ぼ、お兄ちゃん!」
「お兄ちゃん、お土産!」
「お前ら、長旅で疲れている兄に他に言う事はないのか?」
「「………………………友達できた?」」
「『おかえり』くらい言おうね!? っていうか、友達がいないみたいに言うのやめて!」
竜貴の名誉のために言っておくと、穂群原中学時代にも決して友人がいなかった訳ではない。
まぁ、親しい友人となると片手で数えるほどだったのだが……その辺りは人それぞれだろう。
「じゃ、友達できたの?」
「いる。陛下から聞いてないのか?」
「言ってたっけ?」
「言ってたかも」
「じゃ、彼女は?」
「いないよ、悪いか」
「そっか~」
「奏ちゃんも大変だね~」
「ねぇ~」
「なんでそこで奏が出るんだ?」
真奈と御奈の反応の意味がよくわからず、首を傾げながら居間へと向かう。
障子を開けばそこにはよく見知った、だが少し意外な人がそこにいた。
「あれ、父さんいたんだ?」
「ああ、おかえり竜貴」
「……………………」
「? どうしたんだい?」
「いや、父さんはやっぱり常識人だなぁと改めて実感してた」
「よくわからないけど、よかったね」
「うん、ホントによかった」
父親の極々ありふれた反応に、物凄く安堵したような表情を浮かべる竜貴。
教師なんてものをしているのだから、常識人で当然なのだが……帰宅早々の妹達の対応がアレだった事もあり、ありがたみを感じてしまったのだろう。
「ところで、今日は学校は良いの?」
「部活は午後からだからね。偶には家族サービスでもしないと」
「婿養子は肩身が狭い?」
「まぁね」
からかい気味に尋ねてみれば、父もそれに乗って肩を竦めて見せてくれた。
実際にはそんな事もないのだろうが、常識人らしく父は家族を大切にしてくれている。
常々思うのだが、どうしてこんな常識人で良識人な父が、常識とは無縁な魔術師の家に婿入りして来たのやら。
詳しい所はおろか大まかな馴れ初めすらさっぱり教えてくれないので、疑問は深まるばかりである。
「あらあら、この子ったら……折角帰って来たのに、私には何もなし?」
「ああ、うん、ただいま母さん」
「ぞんざいねぇ……どうしてこんな子に育っちゃったのかしら?」
「はいはい、コレお土産」
エプロンで手を吹きながら台所から出てきた母に、土産の入った紙袋をつきだす。
真面目に話に付き合うと、一方的におもちゃにされるのがオチだ。
「ふ~ん……あら、これって」
土産の包装紙を見て、母が僅かに驚いたように目を見開く。
「ねぇ、竜貴」
「ん?」
「これ、誰に選んでもらったの?」
「僕が選んだとは思わないわけ?」
「だってあなた、お土産の類は王道だけど面白みのない物しか選ばないじゃない。
あとは、精々漬物とか乾物とかのご当地名産品くらいでしょ。
そんなあなたが、今話題のスイーツを買ってくるとか……怪しいわぁ~」
「なんでさ……」
とは言うものの、母の言う事は大体正解である。
今回だけこんな洒落たものを買ってきたのは、ひとえに相談相手が良かったからだ。
まぁ、それが母の妙な好奇心を刺激してしまったのは予想外ではあるが。
「男の子でもこのチョイスはなくはないけど……でも、やっぱり女の子の気配がするわ」
「いやまぁ、確かに友達に教えてもらったんだけどさ」
事件後、詳しい事情は知らないにしても、竜貴たちがある程度以上かかわっていた事はほのかや雫、それに美月には容易く察する事ができた。
その為、早々に安否を問う連絡が寄越され、その中で竜貴が一度里帰りする事も伝わる事に。
まだ上京して一ヶ月も経っていない上に急に決まった事だ、丁度良いお土産の当てなどある筈もなく。
なんとなくアドバイスを求めた所、比較的リーズナブルな話題のスイーツを紹介されたわけである。
竜貴からすれば、本当にただそれだけのことなのだが……この母はそうは思っていないらしい。
あるいは、わかっていてそう言う話に持って行こうとしている。
「あらあらまあまあ……あなたも年頃ですものねぇ。孫の顔を見る日も遠くなさそう……うふふふ。
それでそれで、どんな子なの? コッソリお母さんに教えなさいな」
「いや、別にそんなんじゃなくて、ホントにただの友達だから」
「あら、この子ったら照れちゃって、もぉ~」
「別に照れてれてないし」
「あなたがそう思ってても、あちらはそうじゃないかもしれないのよ。
お爺さんも無自覚に異性を引っ掛ける所のある人だったらしいし、充分可能性はあると思うわ。
あなただって別に嫌な気もしないでしょ?」
「まぁ、ねぇ……」
実際みんな水準以上の美少女で、深雪は少々アレだが、それ以外なら特に問題はない。
むしろ、彼女達の誰かと交際できるとしたら、かなり恵まれた青春と言えるだろう。
無自覚に異性を引っ掛ける、というのはさすがにどうかと思うが。
「ふふふ……ほらほら、それでどうなの? もう誰か、気になる子くらいいるんじゃない?」
「話が逸れてるよ、母さん」
「青春と恋は切っても切れないものよ」
「わくわく♪」
「わくわく♪」
「お前らまで…………ああもぅ! ちょっと道場行ってくる!」
いつの間にか正面だけでなく両サイドまで妹たちに固められ、期待の眼差しを向けられる事に耐えられなくなり足早にその場から離脱する。
いくつであろうと女は女、恋バナの類は大好物であるらしい。
「「あ~、お兄ちゃんが逃げた~」」
「ヘタレ~」
「甲斐性なし~」
「もう、あの子ったら……まだまだ若いわねぇ」
(すまないね竜貴、助けになれない父さんを許してくれ)
居間を出ていく長男に向けられる、非難がましかったり生温かかったりする女性陣の声。
それを広げた新聞で遮りながら、知らぬ存ぜぬを通す薄情な父。
これで本当に衛宮家の当主と言っていいのだろうか、と竜貴が思ったかどうかは定かではない。
ただ、当主と言う肩書が名前と仕事ばかりで、実権が無い事だけは確かなのだろう。
「ぁ、ところで母さん」
「どうかしたの、お父さん?」
「道場にはあの子がいたんじゃなかったかい?」
「ああ……まぁ、良いんじゃないかしら。結果は同じですもの」
「呼ばれてること知らないけど」
「行ってるなら同じだよね」
「「ね~♪」」
「まぁ、そうか」
あちらも竜貴が来る事は知っているわけだし、何も知らないのは勝手に道場へ向っている竜貴一人。
薄情な気がしないでもないが、今更追いかけても微妙なタイミング。
なら、このままでいいだろうと結論する、やはり薄情な父であった。
「まったく、一応僕が当主の筈なんだけどなぁ……」
ぶつぶつと文句を言いながら廊下を抜け、サンダルをつっかけて母屋からやや離れた道場へ向う。
朝食にはまだ少しある様なので、素振りでもして適当に時間を潰し、女性陣の熱が冷めた頃に戻る腹積もりだった……のだが、静謐さすら宿る板張りの空間に、見間違えようのない奴が、我が物顔で居座っていやがりました。
「―――――――――――――――――――――――そうだ、先に土蔵の様子を見て来よう」
良く掃除の行き届いた、陽光を照らし返す床板に乗せかけた足を引きもどし、そそくさと道場に背を向ける。
(僕はなにも見なかった、ここには何もいない。そう、全ては春の日差しが見せた幻……)
「従妹の顔を見て踵を返すなんて、少し見ない間に随分と失礼になりましたね、竜貴?」
(まぼ、ろし……)
「とはいえ、その様子だとおばさまに聞いてきたわけでもなさそうですね。
なら、あなたにも心の準備が必要でしょうし、少しだけ待ってあげます。
まさかとは思いますが、このまま逃げたりはしませんよね?」
(…………諦めよう、これは現実だ)
優しく、慈愛に満ちた声音でありながら、竜貴の胸中を吹雪が吹き抜けていく。
きっと、振り向いた先では親愛なる従妹殿が花の様な笑顔を浮かべているに違いない。
その様子が目に映る様なのだが、同時にこれが最後通牒である事も自明の理。
ここで逃げれば、後に待つのは決定的な破滅だけだ。
ならば当然、竜貴に遺された選択肢は一つしかない。
「…………」
『ギギギ』と油の切れたロボットの様な動作で振りむけば、そこには案の定柔らかく微笑む遠坂奏の姿。
鴉の濡れ羽の様に艶やかな黒髪とエメラルドを想わせる碧眼を持ち、正座しながらそっと微笑むその姿には年に見合わぬ気品が備わっている。
また、今年中学生になったばかりと言う事もあり、まだまだ女性と言うよりは女の子と言う言葉がしっくりくるのだが、生来のものか環境に由来するものか、どこか神秘的な怪しさを帯びている辺り幼くとも『遠坂の魔女』に違いないと感心するばかりだ。
そして、何より目を引くのはその顔立ち。竜貴はその造形に見覚えがあった。従妹であるからとか言う理由ではなく、もっと以前……彼が生まれた時から見て来た顔なのだから、それも当然だろう。
「ああ、その……久しぶり、奏。今帰ったよ」
「ええ、おかえりなさい、竜貴。そんな所にいないで、入ってきたらどうです?」
「ああ、うん。なんていうか、また一段と似てきたんじゃないか?」
「まったく、人の顔をまじまじと見ているから何かと思えば……そこは『一段と綺麗になった』と褒めるべきところですよ。そんなだから、あなたは恋人の一人もできないんです。わかっていますか?」
「な、なるほど……そういうものか」
若干の苦手意識と言うか負い目と言うか、そんなものもあってどうにも愛想笑いに力が無い。
頬は僅かにひきつり、後頭部をかく手の動きもどこかぎこちない。
だが、それを知ってか知らずか、奏は徐々に距離の近づいて来た竜貴に上目づかいで問いかける。
「…………………………………ところで、今のは本音?」
「へ?」
「だ、だから、その……言ってたじゃないですか。お姉さまに似て来たって……」
「…………ああ、本当だよ」
恥じらうように頬を染める奏に、今度こそ本心からわき上がった笑顔で答えた。
竜貴が言った事には微塵の嘘もない。奏は本当に、年を経るごとに彼女……セイバーに似て来る。
外見年齢が近付いてきた事もあり、もう数年もすれば瓜二つになるだろう。
それこそ、髪を染めてしまえば見分けが付かない程に。
奏は奏で、尊敬し憧れとするセイバーに似て来る事が嬉しいらしく、容姿に関する褒め言葉は大抵聞き流すのに、この話題に関してだけは素直に喜ぶ。それだけ、彼女にとってもセイバーと言う存在は特別なのだろう。
(どうやら、機嫌は悪くないみたいだな……)
その事に少しだけほっとする。
実を言うと、竜貴には彼女が不機嫌になる心当たりがない訳でもないので、できれば奏には会わずに……会っても最小限で済ませたかったのだが、どうやら杞憂だったらしい。
と思ったのが運の尽き。
「ありがとう竜貴。ところで……怪我をしたというのは本当ですか?」
「へ? あ、それは……その、いや別に……全然元気だし」
「言い淀みましたね。有罪確定、お仕置きです!」
「ちょ、待っ……」
竜貴が間合いに入るや否や、立ち上がりつつ顎めがけて掌打が放たれる。
咄嗟にそれを半身になって避けるも、奏の攻撃は終わらない。
掌打と同時に放たれた膝蹴りを、両腕を交差して防御。
容赦の欠片もない一撃は、防御していなければモロに金的に入っていた事だろう。
しかしそれに安堵する間もなく、引き戻されようとしていた掌で首根っこを掴み、そのまま一息に投げ飛ばされる。
「甘い」
「いぃ!?」
まるで羽毛のように軽々と竜貴の体が宙を舞う。
男子高校生としては大変小柄な竜貴だが、それでも奏とはほぼ同じような体格だ。
それをこうも軽々と投げ飛ばすなど、そう簡単にできる事ではない。
その上……
「ハァッ!」
受け身を取ったそばから追撃の踵落とし。
床を転がって回避し、なんとか起き上がった時には既に懐に入られ、八極拳得意の接近戦に持ち込まれてしまう。
「怪我した事怒ってるのにこれって、どういうつもりだよ!?」
「別に怪我はさせません。ただ、痛い目にあってもらうだけです!」
「この……とりあえず、スカートで蹴りは止めろって!」
「罪状追加、中学生の従妹の下着覗いて欲情する変態死すべし」
「理不尽だろ! ってか見てないし! 見えそうだっただけだって!!」
「問答無用!!」
――――――3分後
「ぐ、ぐぅ……三つも年下の女の子に完封って……」
「腕を上げましたね、竜貴」
「一方的にぼこられたのにどこがだよ。それも、宣言通り痛いだけで怪我無いし」
奏が才能豊かな事は知っていたが、それでもさすがに手も足も出なかったのはショックだったのだろう。
一応竜貴は竜貴なりに「稽古の範疇」で本気で抵抗したのだが、全く歯が立たなかった。
そのあんまりな事実に、目に見える程に影を背負いこんで消沈している。
「いいえ、本当ですよ。あなたが腕を上げたからこそ、私はあなたを無傷で倒せたんです。
忘れたのですか、私にはむしろ……」
「ところで奏で、ちょっといい?」
「なんです、人が大事な話をしているのに」
「いや、なんで無理して陛下みたいな話し方してるのかなぁって」
「べ、べべべべべ別に、お姉さまのことなんて意識ししししてないの事でございますよ!?」
「いや、口調乱れまくってるし、キャラブレまくりだって」
普段は強気だが、図星や意表を突かれたりすると素が出るのは遠坂一族の性質である。
同時に、一度火が付くと手とか足とかいろいろ出るのも。
「~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
「いて、痛い!? な、何すんのさ! ってか蹴るなって!?」
「コノコノコノコノコノコノコノコノコノ!!!!」
「あ、もしかして厨二病ってやつか! なんか無駄にカッコイイと思う事したくなるって言う!」
「ちっがぁぁぁぁぁぁぁう!! 私は! ただお姉さまを目標にしてるだけ! そんなのと一緒にしないすんな!!」
「お前、どれだけ陛下が好きなんだよ……むしろ、中身はお婆さん似だろうに」
「あんたにだけは言われたくない!
だいたい、私はあんな強欲ばーさんみたいになんて絶対絶対ぜ~~~ったいにならないんだからぁ!!」
つまり、厨二病とかそういうのではなく、偉大な曽祖母に対する反抗期らしい。
それがどういうわけか捩じれまくって、元からあったセイバーに対する崇拝と混じり合い、彼女の振る舞いや口調をマネる方向に向いたようだ。
恐らく、道場で正座して竜貴を待っていたのもそう言う理由だろう。
(やれやれ、人の事は言えないけど、こいつもなぁ……)
「竜貴のくせに、その知った風な顔はなに! わ、私は別に……」
「はいはい」
「こ……殺す、すぐ殺す、すごく殺す!!」
「いやいやいや! 稽古、これって一応稽古だよね!?」
「ええ、KEIKOよ」
「音は同じなのになんか違う!?」
「あらあら、仲がいいわね、あなた達」
「「……………………………………え”」」
その瞬間、空気が凍りついた。
「お、おばさま……」
「母さん、なんで……」
「あなた達がいつまでも帰ってこないからじゃない。
ほら、もう朝ごはんができてるから早くなさい。奏ちゃん、あなたも食べていくでしょ」
「は、はい……」
「竜貴も」
「う、うん」
「ああ、でも……最後に一本稽古をつけてあげようかしら」
「「いぃ!?」」
「あら、そんなに喜んでくれておばさん嬉しいわぁ♪」
「じゃ、竜貴、私は先に行ってますので」
「逃げるなぁ!」
「離しなさい竜貴! 私はお腹が空きました!」
「そんなとこまで陛下のマネか!?」
「あ、竜貴ってばお姉さまの事そんな風に見てるんだ、へぇ~」
「おい、キャラまた崩れてるぞ」
「うぐっ……こほん、竜貴あなたはお姉さまの事をそんな目で見ているのですね」
「今更取り繕っても遅いって!」
「なんですって! そもそも竜貴が……!」
従兄妹間で繰り広げられる醜くもくだらない足の引っ張り合い。
はじめは微笑ましそうにしていた天音だが、そろそろ見るに堪えなくなってきた。
「あなた達」
「「ひゃいっ!?」」
「仲が良いのは結構だけど、ふざけていると怪我するわよ」
「こうなったらやるしかない。幾ら母さんでも、二人がかりなら……」
「無理無理無理無理無理! 私じゃおばさまに勝てるわけないでしょ!」
「そう言う所結構ヘタレだよな、お前って!」
「ヘタレ言うな!」
「まったく…………反省なさい」
「「うきゃぁぁぁっぁあっぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁっぁぁ!?」」
* * * * *
「あいたたた……」
「まったく、情けないですよ竜貴。それくらいで音を上げるなんて」
(どうあってもその路線で行くつもりか……自分だって痛いだろうに)
あの後、二人仲好く母に折檻され、良い具合にボロボロになった所でようやく解放。
そのまま食事を済ませ、身支度を整え、今は郊外の森へと向かうコミューターの中。
竜貴は痛む節々を摩っているが、奏はそんな素振りは一切見せない。
この辺りのプライドの高さと猫被りには、さすがに竜貴も頭が下がる。
「にしても、お前って本当に『勝てる相手にしか勝てない』んだな」
「むしろ、勝てない相手に勝つという方が異常でしょう」
「そんなもんかなぁ……」
奏が言う事もわからないではない。普通、自分より強い相手だからこそ勝てないのだ。
大抵の場合、相手より勝っている部分を駆使して勝ちに行くし、奏の場合でもそうする。
そしてそんな相手は「勝てない相手」ではない。
竜貴達の言う「勝てない相手」と言うのは、「大凡全ての面で自分を上回る相手」の事を指す。
まぁ、竜貴の場合……と言うか衛宮の場合、稽古の範疇ならまだしも、実戦ともなればそう言う相手でも勝ちを取りに行く事ができるのは確かだが。
「…………そういえばさ」
「?」
「さっき、腕を上げたって言ってただろ。あれ、ホント?」
「ええ。なにしろ竜貴、私に手も足も出なかったじゃないですか。以前なら、一矢報いる位はできたでしょうに」
「普通、それはそっちが強くなったって言うんじゃないか?」
「そうかもしれません。でも、それ以上に以前より竜貴の流れが理に適っていたからこそですよ。
おかげで、あなたの流れがとてもつかみやすかったですから」
「はぁ、なるほど……」
奏は、武術の技量はともかく、およそ身体能力の面全てで竜貴に劣る。
筋力も敏捷も耐久も竜貴の方が上。技量に関しては、ほとんど差はないと言っていいだろう。
にもかかわらず竜貴が完封されたのは、奏が持つ稀有な才能が理由。
奏は生来、物事の流れを感じ取る感性に優れていたが故に、竜貴の流れが悉く読まれてしまったのだ。
「物事には全て流れがあります。小は人の一挙手一投足から、大は世界に至るまで。流れに身をまかせればただ泳ぐよりも早く進めるし、逆らえば中々前には進めない。当然、動きの流れを無理に変えようとすれば、それだけ無駄も生じます。ならば、流れを乱してやれば思う様には動けなくなってしまうのは必然でしょう」
「で僕は、自分の流れを徹底して乱された訳、か」
「武術と言うのは、人の身体を効率良く動かす為の技術ですから。
これを修め、理合いを身につければつけるほど、その動きの流れは整い無理が無くなっていきますからね。まぁ、この辺りは魔術も大差はありませんけど。
しかし、整えば整う程に読みやすくなるのもまた必然です。丁度、今回のあなたがそうだったように」
「そんなもんかねぇ……」
普通、動きの流れなどというものはそう簡単に読み取れるものではない。
大抵の人間は、流れではなく敵がどう動こうとしているかを予測するものだ。
仮に流れを捉えられても、それでこうまで敵を翻弄する事は極めて難しい。
鍛錬と経験の成果としてではなく、生まれながらにそれを為すとすれば正に神童と呼ぶに相応しい才だろう。
そして、それができるからこそ奏は容易く竜貴を制する事ができるのだ。
その上、その才能は何も武術にのみ活かされる程度の物ではない。
そもそも、この世の全ては無数の小さな流れをより合わせた大きな流れの中にある。
流れを感じ取ることに長けた奏に言わせれば、魔術もまた大きな流れを構成する小さな流れの一つ。
そのため奏は、魔術と武術は限りなく等しく見ている。
奇しくもそれは、遠坂家の始祖「永人」と同種の思想であった。
「流れって言うなら、フェイントだっていれた筈なんだけどなぁ」
「私に言わせれば、それすら流れの内ですよ。虚を混ぜてかえって流れが乱れては、それこそ本末転倒です。
そして、私自身に対しては身体と技の求める流れに沿って動いた、それだけに過ぎません」
「ま、それはわかってるんだけどね……」
だからこそ、奏と手合わせをするのは大変なストレスが伴う。
なにしろ、こちらがやろうとしている事を悉く邪魔されてしまうのだ。
先の先を読んで、先手を打って封じるのではない。今ある流れを受け流し、時に自分の流れを絡めて敵の流れを乱す。ある意味では場当たり的と言える戦法で、数手先を読むというものではない。
ただ、流れそのものが乱されては数手先も何もあったものではない。
真の狙いとなる数手先自体にたどり着けなくなってしまうのだから、これほどいやらしい事はないだろう。
「だからだっけ、技も何もない相手と喧嘩するのは……」
「正直やりづらいですね。彼らには流れも何もありませんから、読みにくいったらありません」
「弱い相手は苦手で、そこそこ強い相手には強い、ねぇ。でもって、強い相手はそれはそれで苦手か。難儀だね」
「おばさまやお姉さまは正にそうです。あの人たちくらいになると、逆に呑まれてしまいますから」
どれほどうまく流れを感じ取り、それに合わせた所で、濁流の如き流れの前では意味を為さない。
乱す事も断ち切る事も、ましてや受け流す事もできずに押し流されてしまう。
奏達の言う「勝てない相手」と言うのはそう言う領域に入った存在だ。
「というか、私に言わせればそう言う相手に起死回生を狙えるあなたの方がよっぽど異常ですよ」
「そうかな? 僕達の場合、結局道具頼みなんだけど」
「足りないのなら別の何かで補うのは当然でしょう。道具頼み、それの一体何がいけないのですか。
まぁ、その為に無理無茶無謀を連発されるのはどうかと思いますけど」
「別に、好きでしてる訳じゃないんだけどなぁ」
そう、竜貴とて好き好んで無茶をしているわけではない。
如何に道具頼みとはいえ、それを効果的に運用する為には多少の無理が必要になるというだけの事。
勝つ為に必要だからしているのであって、そこに個人的な嗜好は一切絡んでいない……というのが本人の主張だ。
「ま、別にいいんじゃない。奏の場合、そんな物に頼らなくてもなんとかなるだろうし」
「良くありません。私は結局、殻の中で巧くやっているだけ。その殻を壊さない限り、私は遠坂の後継にはふさわしくありませんから」
「そんな事はないと思うけど……」
奏の言う事も間違ってはいない。彼女には自分の流れすらも感じ取れる。
だからこそ、技の繋ぎではなくその流れを意識している。
相手の流れを乱す時とは逆に、身体と技が求める最も理に適った流れを選択していくわけだ。
それはつまり、「常に自分の全力を出せる」と思ってもらっていいだろう。
いや、それどころか武術にせよ魔術にせよ、それぞれの術が求める流れに乗る事ができれば、行きつく所まで行く事さえ夢ではない。
丁度、奏が曽祖母より伝授された秘儀を若くして修め、その先を目指そうとしている様に。
だがそれは結局のところ、自身という殻の中における発展でしかない。
『発展』以上を求めるのであれば、殻その物を打破することが不可欠だ。
ただ、今の自分が持つ物だけで大抵の事は乗り越えられてしまうが故に、その殻は厚く堅い。
しかし、その殻を破る事が出来たなら、彼女は一つ上の階梯へと昇るだろう。
「そんなことあります。なにより、私が許せません」
「さいですか……」
「それに、私には竜貴を管理監督する責任があります」
「ん? いや待て、なんだその……管理だの監督だの、僕はお前の所有物か」
「え?」
発せられた音は一音。にもかかわらず、竜貴はその裏にある意味を正確に読み取った。
つまり「何当たり前のこと言ってんの、このバカは」である。
「はぁ……まったく、自覚がなかったのですね」
「なんの自覚だよ、なんの」
「いいですか。私にはあなたの面倒をちゃんと見てくれる人が見つかるまで、あなたを管理し過不足なく譲り渡す責任があるんです。なのに、私の許可もなく怪我をするなんて、自覚が足りなさすぎます」
「だから、なんの自覚だよ! 僕はお前のペットか!」
「違うんですか?」
(…………こ、この女王様め)
そもそも、ナチュラルに竜貴の人権は無視である。
手下扱いされているのは今に始まった事ではないが、まさかそれ以下だったとは……。
竜貴にとっても、この扱いの低さは驚きを通り越して呆れるしかない。
「大体面倒って……」
「当たり前です。あなたの様に無理無茶無謀ばかりする人には、ちゃんと面倒を見てくれる人が必要なんですから。おばさまはそうでもないのに、これだから男の人というのは……。
いいですね、私の目が黒いうちは変な人には渡しませんよ。そう、ちゃんとあなたの手綱を握って、いざという時には連れ戻してくれる、そう言う人じゃないと許しません」
「はいはい」
何が最も性質が悪いかと言うと、奏は心底から竜貴の今と未来を心配して、その幸せを願っている事だ。
彼女はその為には、今言った様な条件を満たす相手が必要だと本気で考えている。
更に悪い事に、言い方や考え方にはやや難があるものの、根底にあるのが掛け値なしの善意であり、しかもそれが本当に自身のためになるときた。
(だから逆らえないんだよなぁ……)
その上、単に他者を自身より下に見ているだけであれば傲慢なだけで済むのだが、奏の場合は自身の下にいる者たちを心底慈しみ、背負い、正しく導こうとしているのだ。
その貴族的な考えを無理なく身につけているからこそ、彼女は遠坂の後継者なのだろう。
「だから、良いですね。もう二度と、私の許可なく怪我したりしてはいけませんよ」
「…………」
「わ・か・り・ま・し・た・ね!」
「え~……っと、それは……」
「返事!!」
「わ、わかったわかった。善処するって」
「…………………………仕方がありませんね。私も、そこで妥協します。
はぁ、早くあなたの面倒を見てくれる人は現れないものでしょうか」
「それ、やっぱりマジなんだ」
「当たり前です。一日でも早く安心したいので、急いでいい人を見つけてください」
「年下の女の子に、高校生のうちからそんな心配されるとは……」
そうこうしているうちに、コミューターは目的地である郊外の森の前で停車する。
深山町から直線距離で西に三十キロ以上離れた郊外に広がるこの森は、かつてその全てがアインツベルン家の所有地であった。とはいえそれも、登録上の名義では実在も怪しい外資系企業の私有地と言う扱いではあったが。
ただそれにした所で百年近く昔の話。第五次聖杯戦争終結後、大聖杯の解体を機に、アインツベルンは事実上この地から撤退。その後は、遠坂が手を回して接収して今に至る。まぁ、それもアインツベルンが来る理由が無くなりもったいない、と言う理由からだったので、正式に撤退したかは分からないままだったのだが。
閑話休題
なにはともあれ、今はこの土地は名実ともに立派な遠坂の土地なのである。
法手続き上もそうだし、結界を張って魔術的にも遠坂縁の者でなければ入る事さえできない。
例えその為の手段がちょっと褒められたものではないとしても、既成事実が全てなのだ。
「って考えると、お婆さんも大概あくどいよなぁ」
「だから言ってるでしょうに。あの強欲ばーさんの様には絶対になりたくないんです」
「いいのか。まだ結界の外とはいえ聞こえるぞ」
「良いんです、聞こえるように言ってるんですから」
(怖いもの知らずだよなぁ、くわばらくわばら)
竜貴には恐ろしくて絶対できない暴挙である。
痺れも憧れもしないが、あの曽祖母に喧嘩を売る度胸だけは見上げたものだ。
ただし、言った直後に自分の影に隠れなければ、だが。
「さ、行きますよ」
「なにしてんのさ。まさか、僕を盾にするつもりじゃないだろうね」
「一兵卒が将の盾になるのは当然では?」
「人を弾よけにすんなぁ!」
「ま、もちろん冗談ですが……」
「ぐぬぬ……」
「自分の言葉に位責任は持ちますよ、人として当たり前じゃないですか。
ほら、そんな所にいないで急ぎますよ。お姉さまと、あとついでにお婆様がお待ちです」
そう言って、奏は勝手知ったるなんとやらと言った調子で森の中へと入っていく。
竜貴は慌ててその後を追い掛けつつ、油断なく自身の背後に注意を払う。
「で、どうすんのさ。まだついてきてるけど」
「やりたいようにさせて問題ないでしょう。どうせ、途中で迷子になるのがオチですし」
「まぁ、それもそうだけどさ」
既にアインツベルンがこの地に張った結界は綻んで久しい。
全く力を失っているというわけではないが、正しく手を加えているわけではないのでザルも同然。
元々あった奇妙な都市伝説「御伽の城」については、既に「何かの廃墟がある」という事で決着がついている。
城…………かもしれない基礎部分はあるものの、残っているのはそれくらい。
一時期は周辺住民やその手の愛好家などが群がったりはしたものの、今となってはその波も遠ざかってしまってい、ここを訪れる者はいない。
強いて言うなら、未だ残された広大な土地と原生林を有効活用しないのはもったいない……と言う声が、数年に一度思い出したように湧いてくる程度。
この土地の「裏側に隠された本当の姿」を知る者は、衛宮と遠坂の縁者以外にはいない。
「それで竜貴、門はどこに?」
「ちょって待って……ああ、割と離れてるな。っていうか、奏だってわかるだろ?」
「わかりますけど、あなたの方が速くて正確ですからね。私だと術を使って探さなければなりませんが、あなたなら感覚的にわかる訳ですし」
確かにその通りなので、竜貴としてもこれ以上文句は言えない。
『あちら側』へ行くにはいくつかの条件がある。
まず第一に、門の場所を見つける事。これはランダムに場所が変わるので、その都度自分たちで探さなければならない。空間の異常に敏感な衛宮や、この結界を張った張本人である遠坂でなければ、その場所を見つける事すら困難なのだ。
第二に鍵を持っている事。これは衛宮と遠坂の魔術刻印がそれに当たるので、やはり両家の者でなければ入る事は出来ない。あるいは両家の想像も及ばない方法で入ってくる者もいるかもしれないが、その場合には『あちら側』に用意された十重二十重の結界と無数の魔術防御の数々が侵入者を迎え撃つ。その上、あちら側にはとびきりの番人もいる。むしろ、遠坂伝来のウッカリが発動して誰かが入りこんだりしないかのほうが心配な位だ。
「とはいえ、いきなり消えたりすれば不審に思われるぞ」
「不審と言うなら、こんな森の中に入った時点で不審ですよ。とはいえ、わざわざその瞬間を見せる理由もありませんし、撒くとしましょうか」
「ん、了解」
そう言って、二人は適当な木の影に入った所で全身を強化。
庭の様に知り尽くした森の中を、風の様に走り抜けていく。
特別な訓練を受けてもなお、不慣れな森の中をスピードを出して移動するのは危険を伴う。
それも魔術師縁の地となれば、当然相応に警戒し注意を払うだろう。
そうなれば尚の事、竜貴達を追い掛けるのは至難の業。
なにしろ、場所によってはまだアインツベルンの結界の作用が残っている。
竜貴達はそれも含めてこの森を把握しているが、追跡者はそうではないのだ。
この森の中に限定すれば、他者を撒くのに強化以外の魔術は必要ない。
そうして、速度を緩めることなく、ついでに遊び半分で適度に合流と離脱、蛇行等々を繰り返しながら走り続けること30分。
竜貴と奏は、当初の目的地であるそれまでと変わり映えのしない木々に覆われた森の中に立っていた。
「撒けたかな?」
「……………ええ、都合良くアインツベルンの幻覚結界に惑わされてくれたようです。
まぁ、いつまでも彷徨わせるのも可哀そうですし、半日ほどで帰れるよう誘導してあげましょう」
「ん、任せた」
この土地そのものにはほとんど結界は張っていないとはいえ、それでも探知用の結界くらいはある。
奏が追跡者たちの位置を把握できているのは、それに接続しているからだ。
「さて、それでは行きましょう。『我は我の望む地へ』
「『我は我の望む法を』」
二人がそう呟くと、両者の魔術刻印に光が灯る。
竜貴の場合は右腕に、奏の場合は胸に。
それぞれの魔術刻印が光を発し、この場所にある不可視の門に鍵を差し込む。
「「『開け、冬の城』」」
刻印に光を灯しながら二人が一歩を踏み出すと――――――――――――――――――――世界は一変した。
「やれやれ、相も変わらずここは寒いねぇ」
「仕方がないでしょう。ここはアインツベルンの影響で、常冬の情景が染み付いているんですから」
見えざる門を潜ると、その先は一面の銀世界。
大地と木々は真っ白に覆われ、空からは季節外れの雪が深々と降り注ぐ。
それはまさに、アインツベルンの心象風景と呼べる世界だった。
「…………固有結界、じゃないんだよね」
「あなたがそれを聞きますか?」
「いや、だってさ……なんかそれっぽいし」
「違いますよ。元々霊地としての下地があり、アインツベルンの影響を受けて歪んだ土地に、お婆様が世界の裏側との境界線上、その間隙に創った鏡面界。まぁ、吸血鬼達の根城と似た様な物ですよ。
ただし、祖の城に匹敵し得る異界ですけれど」
「な、なるほど……」
わかってるんだかわかってないんだか怪しい反応を見せる竜貴。
奏は奏で、竜貴が本当に理解しているのか確かめる気はないらしく、さっさと足を進めていく。
「しかし、こんなものを作っちゃう辺り、お婆さんもつくづく怪物だよね」
「まさか、幾らお婆様でもお一人でここまでの事はできませんよ。虚数属性の大おば様と協力してあらゆる裏技を駆使し、なおかつ楔に聖槍まで用いたからできた事です。もう一つ作ろうとしてもできるものじゃありません」
「陛下の聖槍、か。こっちにあるのはお爺さんの造った投影品なんだっけ」
「ええ、オリジナルは変わらず霊園の方で管理されていますよ。衛宮が鞘を下賜された様に、代々受け継いできたものを取り上げるのは好まれなかったのでしょう、お姉さまらしい事です」
「なら、もう一つ投影すればできなくはない?」
「あなたにお爺様並みの投影が可能なら、可能性はありますね。まぁ、それでも大おば様の様な虚数属性の術者の協力なしには厳しいでしょうが」
「あ、うん、それ無理」
曾祖父の魔術を受け継いでいるとはいえ、やはり竜貴はあくまでもそれを納める「鞘」でしかない。
とてもではないが、衛宮士郎ほど彼の魔術を操る事は出来ないのが実情だ。
もし別の異界を作ろうとすれば、この地の楔に使っている槍を転用するしかないだろう。
それはつまりこの世界の消失を意味するので、やはり一回限りの大技ということに違いない。
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!』
「ああ、お爺さんは今日も元気だね」
「案外、私達を歓迎してくれてるのかもしれませんよ。
来ると、大抵ああやって声を上げてますし」
「言われてみれば、そうかも。会ってあいさつした方が良いかな?」
「止めておきなさい。理性が残ってるかすら怪しいんですから、下手に会いに行っても迷惑をかけるだけですよ」
「そっか」
奏の言葉にそれだけ答えて、竜貴も彼女の後を追う。
遠坂の七代目、竜貴達の祖父に当たる人物はもう随分前に人間ではなくなっている。
それこそ、竜貴達が生まれるよりもさらに前に。
理由は簡単。衛宮と遠坂に引き継がれた因子、その力を借り過ぎたのだ。
本来人の身には余る力、それを使い続ければ相応の代償を支払うのは自明の理。
彼とてわかっていなかった筈はないが、それでも使い続けたのにはそれなりに理由があるのだろう。
少なくとも、彼が使い続けたおかげで竜貴達はそれがどういうものであるかを正しく知る事ができている。
(まぁ、理性を敢えて残さず完全にそうなったのは、やっぱり陛下の為なんだろうな)
理性を残そうとすれば、かえって中途半端な状態になってしまう。
それどころか、人としての部分を因子に食らい尽され死にいたる。
だからこそ、敢えて人としての自分を捨てることで活路を見出したのだろう。
自分のためではなく、彼女から受け継いだ物のせいで自分が死ぬ、そんな形にだけはしたくなかったから。
まぁつまり、何が言いたいのかと言うと……衛宮と遠坂は、どうしようもなく彼女にゾッコンだという事だ。
それこそ、祖父の初恋が彼女だったとしても不思議がない位には。
「ほら、見えてきましたよ、竜貴」
言われて顔を上げれば、いつの間にかそれなりに歩いていたようで巨大な円形の空間に出ていた。
深い森の奥に建てられ、外の世界では既に廃墟と化したアインツベルンの城。
それが、ここでは未だにその荘厳な姿を保っている。
とはいえ、これ自体は既に竜貴達にとっては見慣れたもの。
コレと言った感慨を抱く事もなく、二人は我が家の様に城門を開けて中へと入っていく。
「コレ確か、半分くらいは投影したパチもんなんだよね」
「逆に言うと、半分は本物と言うことになりますね」
「呆れればいいのか、感心すればいいのか、わからなくなるなぁ」
場内に足を踏み入れれば、そこは城の名に相応しい煌びやかな世界が広がっていた。
床には真紅の絨毯が敷かれ、壁には刀剣類を中心に古今東西の魔術に関わる品々が飾られている。
魔術協会が事実上崩壊する際、外部に流出しようとした品々を生き残った魔術師たちはこぞって回収した。
これらはそのほんの一部。既に基盤の消失により意味をなくしたものもあれば、いまなおその力を残しているものもある。中には、この異界を創り上げる上で重要な役割を担った物も含まれていた。
ただ、そう言った魔術的な価値を除いても歴史的に価値のある物は多い。
この城に収蔵されている品々は下手な博物館を軽く凌駕する。
それこそ、投影した宝具や概念武装も含めれば、質の意味で言えば国立博物館にも引けを取らない。
「しっかし、なんで投影品まで飾ってるのかな? まさか、変な顕示欲じゃないよね」
「見せる相手がいる訳でもないのに、そんなわけないでしょう。単純にあなた達の場合、いつ魔術を捨てるかわかったものではないので、資料として残しているだけです」
「ああ、なるほど……と、失礼しました陛下。衛宮竜貴、ここに罷り越しました」
「同じく遠坂奏、罷り越してございます」
「ええ、二人ともよく来ましたね。さ、凛が待っています。こちらへ」
階段の上から姿を現したセイバーに促され、二人はその後を追って場内奥、真冬の環境でありながら花々が咲き乱れる中庭へと移る。
そこには、紅茶の注がれたティーカップを優雅に口へ運ぶ女性の姿があった。
「待ちくたびれたわよ、二人とも」
「ご無沙汰してます、お婆さん」
「お元気そうでなによりです」
「おや、こんな強欲ババァになんて会いたくないんじゃなかったのかしら?」
「いいえ、私はお婆様の様な欲の皮の突っ張った女になりたくないだけです。
それ以外であれば、一魔術師としても、一人の女としても……憧れています」
「御世辞の巧い事。とりあえず、二人ともかけなさい。セイバーあなたも」
「「「はい」」」
言われるがままに、三人はあらかじめ用意されていた椅子に座ってテーブルを囲む。
この周囲一帯に魔術でもかけてあるのか、中庭だけは常春と言っていい温暖な気候だ。
なので、魔力で冷気をレジストしなくても、特に問題なく過ごす事ができる。
ただ、それより気になるのは……
(これで120近いって言うんだから、とんでもないな)
かつては黒かった髪はその色を失い真っ白に染まり、顔や手には深い皺がいくつも刻まれている。
それら一つ一つが、遠坂凛と言う女性の生きた時間を感じさせた。
だがそれにしても、どう見ても60台程度にしか見えない
それはつまり実年齢のおよそ半分程度の外見という事だ。背筋はピンと伸び、カップを口に運ぶ動作には淀みの欠片もなく優雅そのもの。先ほど掛けられた声にしても、年相応の弱々しさなど微塵もない。
『老いてなお衰えず』、正にその言葉を体現したような人物だ。
(魔術で若づくり……なんて性格じゃないしなぁ。ヤバい、真面目に勝てる気がしない)
『人間として』とかそう言う迂遠な話ではなく、実際に闘ったとしても一蹴されるのがオチだろう。
超一流の魔術師は化け者揃いと言うが、まさしくとしか思えない。
「まったく、こんな老婆をそんな目で見るものじゃないわよ、竜貴」
(ば、バレてる……)
「竜貴、まさかあなた……熟女、いえ老婆趣味」
「違う!」
「120近い老婆、それも曽祖母に懸想する曾孫、中々斬新ね」
「だから違いますって!」
「竜貴、ムキにならない方が良い。ムキになる程遊ばれるだけですよ」
「ぐぅ~……」
役者が違うというのもあるのだろうが、曽祖母は人をからかって遊ぶのが趣味な困った人なのだ。
曾祖父が健在な頃は、彼も相当に弄ばれたと聞く。
奏は奏で巧い事乗っかって回避している辺り、さすがに良く流れを掴んでいる。
「ふふふ、悪いわね。この年になると、これ位しか楽しみが無くって」
「まぁ、いいですけど」
「それじゃ、聞かせてちょうだい。親元を離れての気楽な高校生活は楽しい?」
「? 今回の顛末とかは……」
「そんなもの後でいいわ。この年になって、今更そんなことに首を突っ込む気もないしね。今の時代の事は、あなた達でなんとかしなさいな。ま、いざという時は手を貸してあげてもいいわよ。もちろん貸しだけど」
「曾孫にまで貸し付ける気ですか」
「当たり前よ。孫でも曾孫でも、甘やかし過ぎるのは良くないわ」
曽祖母がスパルタ教育なのは今に始まった事ではないが、これだけの事があってもそのスタンスを崩す気はないらしい。
こう言ったからには、本当に貸しなしでは助けてくれないに違いない。
せめてもの救いは、セイバーが少しだけ同情的な視線を向けてくれている事か。
「はぁ……じゃあ、とりあえず友達のことから」
そうして、学友たちのことから始まり学校生活や風紀委員の仕事の事。
果ては、良くお世話になっている食料品を扱っている店の顔なじみについてまで。
本当に、先日の一件とは全然関係ない話を続ける。
とはいえ、一ヶ月にも満たない間の事なので、その話の種もすぐに尽きる。
必然的に、話は先日の一件へと進んでいく。
「それで、アレってやっぱりアインツベルンで間違いないんですか?」
「あれだけのホムンクルスを鋳造できるとなれば、アインツベルン以外にはいないでしょうね。
仮にも第三の系譜、今の時代に生き残っていても不思議はないし」
「はっきりしませんね、お婆様。何かあるんですか?」
「竜貴が感じた通りよ、あまりにもアインツベルンらしくない。
あの連中は碌でもないけど、魔術師何て基本そんなものだし、碌でもないにしても方向性がね。
そもそも、そんな半端な形で英霊を召喚しても、聖杯を満たすのにどれだけの数が必要になる事か……」
「十か二十、じゃなさそうですね?」
「少なくとも百。ホムンクルスでそれなら、魔法師に降ろせるようにするとなると更に下がるでしょうね」
「やっぱりお婆さんも、アイツらがやっていたのは魔法師の疑似サーヴァント化の実験だと思いますか?」
「竜貴の話から考えても、そうとしか考えられないわね。そして、魔法師に降ろせるレベルにまで落としこむとなると、ホムンクルスでやる場合の数倍は必要でしょう」
「それはまた……」
「現実的ではありませんね」
魔術回路をベースに造られるホムンクルスですら、その程度の許容量しかないのだ。
魔法師に降ろすとなれば、当然それだけスケールダウンせざるを得ない。
しかも、降ろした魔法師の命は保証されないとなると、誰が好き好んで召喚するだろうか。
少なくとも、聖杯戦争の常識で考えれば参加者を募る事すら不可能に近いだろう。
「それに、わざわざ魔法師に手を出したのも不自然です」
「どういうことさ、奏」
「わかりませんか。ホムンクルスで事足りるなら、それだけの数を鋳造すればいいんです。
多少時間はかかるでしょうがその方が現実的、なのにそれをしなかったのは……」
「ホムンクルスが造れない?」
竜貴の問いに、奏は静かに首肯を返す。
確かにそれなら、魔法師を利用しようとする事にも納得がいく。
「…………いずれにしろ、一度本格的に調査した方が良いでしょうね。
あなたもそのつもりなのでしょう、竜貴」
「ええ。次のゴールデンウィークにでも、アインツベルンに行こうと思っています」
「そうですか……凛」
「わかってるわよ。あなたも行くつもりなんでしょ」
「ええ。今アインツベルンがどうなっているにせよ、案内役は必要でしょう。
アインツベルンまでの道のりであれば、ある程度はわかります。
さすがに昔の事なので、細部はあやふやですが」
「そうね、さすがにこの子一人じゃ不安だし……わかったわ、行ってきなさい。
ただし、さすがに国外までとなると魔力供給も不安だから、竜貴とラインだけは繋いでおく事。いいわね」
「ありがとうございます、凛」
「あのお婆様、私は……」
「あなたはダメ」
「えぇ~」
「公司ならともかく、まだ跡目もついでいない未熟者を行かせられる訳ないでしょ。
それに、あの子の事はどうするの?」
「うぅ……わかりました」
凛の指摘を受け、明らかにションボリする奏。
奏としては竜貴が心配だったり、他の魔術師の領域に興味があったりするのだろう。
ただし凛の言う通り、奏にはこの地でやるべき事がある。
それは次代の継承者としての修練であり、今彼女が執心しているある人物のことだったりだ。
「あの子?」
「例のホムンクルスですよ。どうやら奏の庇護欲をそそったようで、甲斐甲斐しく世話をしています」
「あぁ~……」
面倒見が良いというよりも、奏は世話焼き気質な所がある。
所謂「弱者」と呼ばれる存在に対し、彼女は率先して手を差し伸べる傾向があるのだ。
無論、ただ助けるだけではなく、自立していけるように厳しく接したりもするあたり、正しく面倒見がよい。
「目、覚ましそうなんですか」
「難しいですね。一命は取り留めましたが、まがりなりにも英霊を降ろしたのです。
目覚める可能性は低いと言わざるを得ないでしょう。ただでさえ、ホムンクルスは自我が希薄な事も珍しくありません。如何にこの土地の霊脈がアインツベルンとそれなりに相性が良いとはいえ、分は悪いでしょう」
「起きますよ、お姉さま」
「奏?」
「あの子は起きます。だってあの子は、フランケンシュタインですもの」
「どういう事?」
その意味がわからず首を傾げる竜貴に、奏は一枚の紙片をつきだす。
それは、あの時竜貴が見つけたフランケンシュタインの設計図だった。
「これがどうしたの?」
「ほら、ここ見て」
「ん? “この雷撃はただの雷ではなく、フランケンシュタインの意思が介在する力である。それがある限り、彼女は決して滅びない”?」
「そう、あの子はフランケンシュタインになっている間に宝具を使って、宝具を打ち切る前に戻ったんでしょ?
ならあの子は、その雷撃を一番近くで浴びたの! その雷撃が、死ぬはずだったあの子を生かしたんだわ!
つまりあの子は第二のフランケンシュタイン、それがこのまま死ぬなんてあるわけないもの!」
「なるほどね……そういえば、自分で自分の雷撃を浴びてたっけ。
って言うか奏、口調」
どうやら本人的にはかなり興奮するポイントならしく、すっかり口調が素に戻っている。
それを指摘してやると、奏は慌てて咳払いを一つ。
「っ! こほん。つまりなにが言いたいかというとですね、彼女は目を覚まします。明日か、来月か、来年かはわかりません。でもきっと、必ず目を覚まします。それだけは間違いありません」
「目を覚ました後は?」
「もちろん、私がしっかり面倒を見ます。あの子は私の物ですから」
どういう基準かはさっぱりわからないが、奏の中でそれは決定事項らしい。
こうなると、外野が何を言っても聞きやしない。
アインツベルンの情報を得ようとか、サーヴァント化の術式についてとかいろいろ理由はあるだろうが、一番は間違いなく奏が直感的に彼女の事を気に入ったからだろう。
理由も言わずに面倒をみると言い切るあたり、理由なんてない事が伺える。
「それはそうと、お婆さん」
「ん?」
「あの疑似サーヴァント、どう対処したらいいでしょう」
「そんなの、宝具なり概念武装なりで対処するしかないでしょ。
奏なら魔術か魔力を直接ぶつけるかでしょうけど、生半可なのは効かないでしょうね」
「じゃなくて、魔術師以外がやるとしたらどうすればいいのかなぁと」
「………………つまり、魔法師が対処するにはってこと?」
「まぁ、そうです」
実際、以前克人にはそれなりに情報を提供したりはしたが、具体的な対処法は伝えていない。
竜貴自身にも、どうすれば魔法師が疑似サーヴァント相手に立ち回れるかわからなかったからだ。
英霊という外郭を得て、外界からの攻撃はほぼ無効化。少なくとも、同種である神秘を介した攻撃でなければ受け付けない。これでは、魔法師では一切対抗できない事になってしまう。
それはつまり、実際には逃げる以外に対処も何もあったものではないという事だ。
「…………あの子の治療で分かった事があるわ」
「それは?」
「あくまでも英霊の外郭を纏うだけで、中身までは変わらないって事。
実際、あの子の身体は限界以上の動きをしてボロボロだったわ。
つまり、何かしらの方法で体の内側に攻撃を届かせられれば、芽はあるでしょうね」
「何かしらの方法、ですか」
それはつまり、非常に強固な鎧を纏っている様な物なのだろう。
その鎧の外側からの攻撃では今一つ効果が薄いが、鎧の内側は脆弱。
ならば、そこに干渉する術さえあれば……。
「でも良いんですか、お婆様。そんな事まで魔法師に教えちゃって」
「別にいいわよ。むしろ、そんな面倒な連中を処理してくれるなら情報くらい幾らでもあげて構わないわ。
それでセイバーを攻略できる訳じゃないしね」
なにしろ、セイバーは素体など必要としない正真正銘のサーヴァント。
外郭だけでなく、内部すらも幻想と魔力で編まれた特級の神秘なのだ。
以前克人が言っていた様に、夢幻の存在を相手に物理的な攻撃など意味はないのだから。
ただ、かと言って全く警戒しないという訳でもない。
魔法はまだ発生して百年足らずの幼い技術だ。
それこそ、何かの拍子に神秘の側に干渉し得る術式なんてものが出て来ないとも限らない。
「むしろ、問題なのはあなた達の方よ。特に竜貴」
「はい?」
「例の“二騎”、万が一にも遭遇したら何を置いても逃げなさい。
あなたじゃ、“絶対”に勝ち目なんてないんだから」
「…………ですね。その意味でも、魔法師には頑張ってもらった方が良さそうだ」
* * * * *
「とまぁ、大体こんな所ですね」
「なるほど。承知した、参考にさせてもらう」
第一高校、部活連本部。
別に部活連の一員でもないのに、割と足繁く通うことになってしまっているこの部屋で、竜貴は克人に先日の帰郷の折に得た情報のうち、話してもかまわない部分だけに絞って話していた。
「だが、こちらに多少なりとも押し付けるからには、それなりに情報提供はしてもらうぞ」
「わかっていますよ。その辺りはお婆さんの許可をとって来たんで、少なくともうちの一族で文句を言う人はいませんから」
そして、魔術協会無き今となっては、同族である魔術師からの文句など意に介す必要もない。
中には魔術師としての律を重視するだけでなく、行動に移す物好きもいるかもしれないが、冬木で迎え撃つ限り衛宮と遠坂の優位は揺らがない。いくつかの魔術師で徒党を組めば話は別だが、それこそ魔術協会がない現状では不可能に近いだろう。魔術師の領地に踏み込むという事はそう言う事だ。
その意味で言えば、他の魔術師からの掣肘もまた気にする必要はない。
なにより、疑似的な英霊化が正常な営みの中に進出していく事こそ、魔術師の律から外れているのだから。
むしろ、他の連中こそ協力しろと言いたい所である。生憎、連絡のつく魔術師など両手の指で足りてしまうので、あまり意味がないのだが。
「とはいえ、さっき言った対処法以外だと、遭遇した英霊の情報から真名と宝具を考察。その上で対策を練るしかないんで、基本後手に回る訳ですけどね」
「確かにな……その上、その対策にした所で魔法師に取れるものとは限らん。お前が得物を提供してくれれば、まだマシなのだが」
「あははは、さすがにそれは無理ですよぉ~。魔術師ならいざ知らず、魔法師じゃ扱えませんから」
「…………まぁ、そう言う事にしておこう」
克人とて、竜貴の言う事を一から十まで信用しているわけではない。
とはいえ、現状唯一の情報源である竜貴との関係を拗らせるのは好ましくない以上、強硬手段に出るわけにもいかない。
しかし、それならそれでやり方はある。
「そう言うからには、基本的な対処は任せるぞ」
「まぁ、当然そうなりますよねぇ……」
「当たり前だ。武器を提供しないからには、戦力を提供してもらう。こちらを一方的に働かせられると思うな」
「一応対処法は教えたじゃないですか」
「外殻の力の及ばない素体に干渉する方法を考えろ、ほとんどこちらに丸投げではないか」
「だって、僕の付け焼刃の知識より専門家に考えてもらった方が良いじゃないですか」
竜貴の言う事はそれはそれで正論なのだが、やはり丸投げである事に変わりはない。
まぁ、克人にもその方法に当てがないわけではないので、こうして文句を言う程度にとどめているわけだが。
「それに、お婆さんの予想ではあの時程の再現はされないだろうって話ですし」
「高度に再現できる程の素体が用意できない、か。そうあってほしいものだが」
それならば、ある程度以上魔法をはじめとした物理攻撃も有効になる可能性がある。
なにしろそれは、素体を覆う鎧が薄くなるという事だ。
概念武装などが特に有効であることに変わりはないだろうが、魔法が届く可能性は格段に上がる。
ならば、それで十分だ。
「さて、とりあえずはこんな所ですか」
「休日にわざわざすまんな」
「それはお互い様ですよ。まぁ、この後に用事があったんで丁度良かったですしね」
「用事?」
「ええ、この前の騒動の……まぁ慰労会みたいなものですよ」
「ほぉ」
あの時の関係者となると、そのほとんどが一年生。
それも、竜貴とは友人関係にある者たちばかりだ。
ならば、そうした集まりがあったとしても不思議はないのかもしれない。
「克人さんも来ます?」
「いや、遠慮させてもらう。俺が行っては気が休まらないだろうからな」
「気にしなくていいと思いますけど……」
「まぁ、代わりと言ってはなんだが衛宮、端末を出してくれ」
「? はぁ」
言われるがまま、竜貴はポケットから出した端末を克人の前に置く。
克人もまた自身の端末をその上に翳し、手早く操作し何らかの処理を行っていく。
「もういいぞ」
「なにしたんですか?」
「なに、ささやかな労いだ。支払いはそれで立て替えると良い、それくらいあれば十分だろう」
「……カッコイイなぁ、克人さんは」
「これでも先輩だからな。後輩に奢る位の甲斐性はある」
「では、受け取らないのはかえって失礼ですね。有り難く、残さず使い切らせてもらいます。
なにか、伝言はありますか?」
「必要なかろう。もし出所を聞かれたら、適当にはぐらかしておいてくれ」
「了解」
確かに、こういう事は敢えて口にしない方が有難味が増すというものだろう。
あるいは、これは克人なりの照れ隠しなのかもしれないが。
いずれにせよ、それがスポンサーの意向では是非も無し。
みんなへの上手い言い訳を考えながら、竜貴は部活連本部を後にする。
それから、数十分後。
「みんな、飲み物ない人はいない? よし、それじゃ……」
「「「「「「「「かんぱーい!」」」」」」」」
駅と一高を繋ぐ通学路の一角にあるカフェ「アイネブリーゼ」を貸し切り、慰労会が行われていた。
「さぁ、今日は飲むわよー!」
「おー!」
「エリカちゃんも竜貴君も、早速盛り上がってるね」
「おいおい、酒入ってねぇだろうな」
「え?」
「おい待て、『え』ってなんだ『え』って」
レオに睨まれると、竜貴はさっと身体の影に何かのビンを隠す。
それがまた怪しいったらなく、レオだけでなく美月からも怪訝な眼差しが向けられている。
「竜貴君、何を隠したんですか?」
「なにって、ジュースだよジュース。芋とか麦とか、あと米の自家製ジュース」
「どう考えても酒だろそれ!!」
ちなみに、酒類の製造には免許と公的機関の許可を必要とする。
つまり、飲食店内への飲食物の持ち込みと言ったモラル以前、未成年の飲酒以上の立派な犯罪行為なのだ。
まぁ、本当に自家製の酒類だとすればの話だが。
「冗談冗談。不思議とちょっと気持ち良くなるだけのジュースだよ」
「充分過ぎる程に怪しい気が……」
「あ、ちなみにマスターの許可はとってるから」
「衛宮君には紅茶の淹れ方でアドバイスしてもらってるからねぇ」
「プロにアドバイスって……例えばどんな?」
「そうだねぇ、硬水と軟水の比率とか? 日本の水は基本的に軟水なんだけど、硬水には硬水の良さがあるから。上手くブレンドすると味と香りが引き立つんだよねぇ」
「水のブレンドって……」
「拘り過ぎだろ……」
「す、凄いんですね……」
別に喫茶店のマスターがその辺りに拘るのは良い。
が、別に飲食業をやっている訳でもない竜貴がプロにアドバイスできる程精通しているのが異常なのだ。
「向こうはなにやってるんだろう?」
「さぁ?」
(水のブレンド、まさかそこまでしているなんて……いっそ、恥を忍んで教えを乞うべきかしら。お兄様によりおいしいお茶を召し上がっていただく為と思えば、それくらい)
「どうした深雪、深刻な顔をしているようだが……」
「い、いえ! 何でもありませんお兄様!」
深雪も達也のために日々精進し、竜貴と出会ってからは料理の腕は成長目覚ましい。
だが、さすがに軟水と硬水を料理によって使い分けたり、独自の配合を研究したりといった事まではしていない。
追いつこうにも追いつけない現状を考えれば、いっそ開き直る事を考慮するのも無理はないだろう。
重要なのは達也に喜んでもらうことであり、その前では自身のプライドなど取るに足らない。
「まぁ、深雪がそう言うのなら深くは追求しないが……とりあえず竜貴、いい加減少しは腰を落ち着けたらどうだ」
「え? ああ、僕の事は気にしないで」
「気にしないでって言われても、ねぇ?」
「そんなにウロウロされたら嫌でも気になる」
「二人もこう言っている。なにより、人の世話ばかりでさっきから何も食べてないだろう」
「う~ん、こういう場でじっとしてるのってなんだか落ち着かなくってさぁ」
達也達がこんな事を言い出すのも無理はあるまい。
乾杯した直後から、竜貴は一度として席に腰を下ろすことなく、皆に食事をとり分けたりコップにジュースを注いだりと大忙し。
ひたすら給仕に徹し、当の本人は最初の一杯以降はほとんど飲まず食わずなのだから。
しかもそうしている方が落ち着くというのだから、骨の髄まで従僕根性が染みついている。
「そうだぜ、折角のお疲れ会だってのによ」
「うん。それに、割勘なんだからもったいない」
「そうそう♪ ま、達也君は別なんだけどね」
「「「「「え?」」」」」
「だってこれ、達也君のお誕生日会でもあるんだから、主賓からお金取っちゃダメでしょ」
「「「「「はぁっ!?」」」」」
エリカの発言に、驚きを露わにする一同。
どうやら竜貴達には全く知らされていなかったようだ。
「エリカちゃん、なんで教えてくれなかったの!?」
「いやー、正確な日付は知らないんだけどね。4月中なのは確かなんだし、これ位は誤差の範囲かなって、深雪に……」
「そう、良く知ってたのねってびっくりしたわ」
「ん? まさか、本当に今日?」
「ああ、驚いたよ。ありがとう」
「は、謀られた~……」
「あら、人聞きの悪い事を言わないで。昨日だって否定しなかったじゃない」
企画した本人すら予期しないサプライズに、その場で思わず突っ伏してしまうエリカ。
深雪は澄ました表情を崩さないが、むしろ問題なのは他の面々。
企画したエリカが知らなかった以上、皆がその事を知っている筈もなく。
当然、プレゼントの類を用意している者などいるわけがない。
「しまった、プレゼント……」
「うぅ~……」
「ど、どうしましょう!?」
「どうしようもねぇんじゃねぇか。俺らも全く知らなかった訳だしよ」
(プレゼントねぇ……)
プレゼントを用意していなかったのは竜貴も同じ。
一応何かないかと懐を探ってみるが、当然そんな都合よくいくわけがない。
いや、なくはないのだが、立場上守護の護符など渡すわけにもいかない。
(それに仮にあったとしても、僕だけ渡すってのもなぁ……)
さすがにそれは空気が読めないにも程がある。
あるいは、即興で皆の協力を得て完成させられるとなれば話は別なのだが……。
(いっそ色紙を投影して皆で寄せ書きでもするか……いや、それじゃ送別会だ。
第一、そんな都合よく色紙を持ってるなんて明らかに不自然過ぎるし、投影がバレるのはちょっとなぁ……)
固有結界よりはマシとはいえ、それでもバレたら不味い事に違いはないのだ。
大原則である秘匿に対して大変いい加減な竜貴でも、自身にとって不利益となる情報を漏らす程抜けてはいない。
そう言った諸問題さえなければ、プレゼントくらいは割となんとかなるのだが……。
(ん、待てよ。寄せ書き……意味はないけど、気持ちって考えれば……)
そこでふっと、一つのアイディアが浮かびあがる。
「ねぇ、ちょっといいかな」
「どうかしたの?」
「皆さえよければなんだけど、これに寄せ書きするっていうのはどうかな?」
そう言って竜貴がポケットから出したのは、柔らかな色合いの小石が計6つ。
宝石ほどではないが、下位の触媒にはなる程度の天然石だ。
「寄せ書きったってよ。んなちいせぇもんになに書けってんだ?」
「まぁ、文章を書くのは難しいと思うけど、それぞれ一文字ずつルーンを刻むくらいはできるんじゃないかな」
「ルーンって言うと、刻印魔法の一種だっけ?」
「ああ、魔法としてはそういう風に残ってるんだ」
「それじゃあ、魔術としてのですか?」
「でも、私達がやって効果あるのかな?」
「ないよ」
「「「「「ないの!?」」」」」
まぁ、そう都合のいい話はない。
魔術師である竜貴が全て刻んだのであればまだしも、そうでなければルーン魔術として成立はしないだろう。
というか、そもそも根本的な問題として……。
「そもそも、ルーン魔術自体門外漢だからね。まぁ、一応基本的な所は抑えてるけど」
「つまり、どういうこと?」
「ちょっとした御守りみたいなものだよ。
なんていうか……そう、みんなで絵馬を買ってそこに寄せ書きする、位の感覚で良いと思う」
「つまり、大事なのは気持ち?」
「そうそう」
「え、えっと……プレゼントの基本は気持ちだもんね!!」
「まぁ、なんもないよりかはマシか」
「そうね」
そうして竜貴の指導の下、皆はその場でせっせと小さな小石にルーンを刻む作業に移る。
刻むルーンは六種、魔除けの「
一応竜貴の持つ短剣を使って刻んだので、全く意味がないという事はないだろう。
もしかしたら、星の巡りと大安吉日が重なり合い、万が一にも何かの拍子で歯車が噛み合えば、あるいは効果を発揮する可能性も無きにしも非ず……くらいの確率だが。
まぁ、御守りなどと言うものは元からそう言うものだろう。
* * * * *
入学早々派手な騒動に見舞われたりもしたが、そんな事が早々頻発する筈もなく。
彼らの高校生活は、その後は極々穏やかに過ぎていった。
日々の授業と次々に振りかかる課題、少しばかり刺激的な放課後、そして気の置けない友人達。
それらで構成される、平凡で……だからこそ尊い日常。
しかし、立場上それに浸ってばかりもいられない者たちがいる。
十師族の一員である克人は、魔法協会の上層部に先日の一件について報告すると共に、A級魔法師達に注意を喚起し、同時に対抗するための方策を模索する日々。
達也もまた、直接的な事象改変を受け付けない敵との相性の悪さから、弱点克服のために早々に動き出している。
そしてそれは、竜貴とて例外ではない。
「――――――――――――」
「着きましたよ、竜貴」
「はぁ、ようやくですか」
ゴーグルを持ち上げながら、竜貴はセイバーに倣って気持ち視線を持ち上げる。
成田空港でセイバーと合流し、約半日かけてデュッセルドルフへ飛んだのがゴールデンウィーク前日の夜。旅費を“あまり”ケチらなかった分乗り心地の良い客席で眠っているうちに到着した空港からキャビネットに乗り換え、更にコミューターに乗ることこれまた十数時間。ようやくたどり着いた最寄りの村で宿をとり、翌朝からはオフロード車でも踏破困難な雪と氷で閉ざされた山岳地帯を登り続け、ここまで来るのに日本を発ってから早5日が経過していた。
なにしろ、案内人であるセイバーがこの地から日本へ渡ったのは百年以上昔の話。しかもたった一度きりの事なので、記憶は不鮮明どころの話ではない。加えて、案内人の持つスキル「直感」は基本的に戦闘をはじめとした勝負事でこそ真価を発揮する物。間違っても、帰巣本能の類ではない。おかげで、道に迷い掛けること3回、野生の狼や徘徊する怨霊に襲われること7回、魔力不足という名目の下で空腹を訴えられて野営という名の小休止を入れる事25回、雪崩と吹雪に見舞われる事2回。
特に、雪崩と吹雪のコンボのせいで丸一日足止めされたのが効いている。予定では移動に片道三日、現地調査に二日の計十日の旅程だった筈が、既に半分を費やしてしまった。
曾祖父の養父が二週間家を空けるのがザラだったというのも、この地を訪れていたと考えれば理解出来るというもの。
健康体の竜貴ですら、スムーズに移動したとしても一週間近く必要なのだ。当時既に余命幾許もなかったであろう衛宮切嗣では、それだけかかるのも無理はあるまい。
イヤ、本来であればそれですら見積もりが甘いと考えるべきだろう。結界をはじめとした空間の異常に敏感な衛宮である竜貴と、最高ランクの対魔力を有するセイバーの組み合わせだからこそ、“スムーズな移動”を想定する事ができるのだから。
竜貴としても、ここまでたどり着くまでに無数の艱難辛苦が待ち受けていると覚悟していた。片道三日というのは、あくまでも「移動に必要な時間」でしかない。この地を覆っているであろう無数の守りを突破、ないし抜けていく事を考えると、事と次第によってはゴールデンウィーク中に帰国できない可能性さえ考慮していた。
所が蓋を開けて見れば、実際に二人を阻んだのは自然の猛威だけ。あと強いて言えば、敬愛する主君にひもじい思いをさせてはならないという使命感か。
しかし、彼らを阻んだのは本当にそれだけでしかなかった。
覚悟していた結界や魔術防御、あるいは戦闘用ホムンクルスの歓迎と言った物は一切無し。
自然の猛威を除けば、ほぼ素通りでここまで来れたと言っていい。まぁ、多少道に迷ったりはしたが。
持ち上げた視線の先には、遠坂と衛宮が接収した冬木市の城よりなお荘厳な古城がそびえ立っている。
冬木のそれが第三次の折に移築した別荘でしかないという話も、目の前の千年級の城を前にしては納得するしかない。だが、それにしても……
「天然の要塞と言えば確かにそうですけど……随分と穴だらけでしたね。
まぁ、普通の人間なら結界なんかがなくても、ここに来るだけで命がけでしょうが」
「確かに。この様子では、やはりそういうことなのかもしれませんね。
とはいえ、それを確かめるために来たのです。行きますよ」
「ぁ、はい!」
アインツベルンの本城へ向けて、よどみなく進んでいくセイバーの後を追う。
やはり相当巨大な構造物であるらしく、進めど進めど中々距離が詰まらない。
無論そんなものは錯覚でしかないのだが、そう思わせるだけの威容を誇っているのも事実。
ただそれも、ある程度距離が縮まってくると異なる物が見えて来る。
「これは……」
間近に迫った城の外壁は、至る所にひび割れや剥離が見られた。
木造建築よりは頑丈とはいえ、長きにわたって風雪に晒されながら碌に手入れがされていない事が一目で分かる。
「……」
僅かに歩調を緩め、目を細めるセイバー。その胸中に如何なる感情が湧きあがっているかは、余人には知る由もない。だが彼女はそれをすぐさま振り払い、決然とした眼差しで巨大な門扉に手を掛ける。
重々しい音と共に軋みを上げる門を開けば、出迎えたのは人でもなければ魔術でもなく、濛々と立ち込める埃。
「陛下、ないとは思いますけど、アインツベルンには使う場所しか掃除しないなんていう変な合理性はないですよね?」
「馬鹿な事を言っていないで早く来なさい」
(ウズウズ……)
「一応言っておきますが、まさか調査そっちのけで掃除を始めたりはしないでしょうね」
「や、やだなぁ! いくら僕でもそこまで空気読めなくはないですよ……ええ、もちろん」
(目を逸らしながら言っても説得力がないというのに……)
「それにしても、なんというか、その……随分寂れてますね」
「元から活気や明るさとは無縁の場所でしたが、これほどではありませんでしたよ」
なにしろ、これでは疑いようもなく廃墟そのものだ。
埃は厚く降り積もり、一歩進むだけで埃が宙を舞う。
ただでさえ重く暗鬱とした城内は、生気も人気も失い、完全に過去の遺物と化している。
結界が碌に機能していない時点で予想していたが、案の定だったようだ。
「…………」
その場で膝を折り、手を床について意識を集中する竜貴。
解析の魔術を用い、この場の記録を読み取ろうとしているのだろう。
「何かわかりましたか?」
「…………ダメですね。わかってはいましたけど、ここ数日の事じゃありません。
間違いなく、放棄されてから数年……それこそ百年経ってても不思議じゃありませんよ」
「ですか。とはいえ、ここで引き返すわけにもいきませんね。とりあえず、二手に分かれて調べられるだけ調べてみましょう。アインツベルンになにがあったのかを知る手掛かりくらいはあるかもしれません」
幸い、放棄されて久しい様なので結界をはじめとした防衛機能も碌に働いていまい。
もちろん油断して良いわけではないが、これならセイバーが同伴しなくてもなんとかなるだろう。
二人で手分けして調べる事ができれば、それだけ能率も上がる。
当然、竜貴に否はなく、二人は3時間後に入り口前で合流する事を決め、調査に乗り出す。
だが、その内容は決して芳しいとは言えないものだった。
「…………………………見事に何もないなぁ」
そう、本当に何もないのだ。
いや、机や椅子と言った家具類は残されているのだが、魔術の痕跡を帯びた触媒や礼装の類は一つも見当たらない。城内に仕掛けられていたであろう、魔術的機構さえも無くなっているおかげで大変動きやすいが、幾ら探しても全く手掛かりがない。
あまりの徹底ぶりに、本拠地を移す為に引き払った、という可能性が脳裏をよぎるが即座にそれを否定する。
(それだと家具類が残されているのは不自然だし、そもそも拠点替えは魔術師として命取りだ)
魔術師にとって、本拠地と言うのは早々移せるものではない。
魔術基盤はその地に根ざしている場合も少なくないし、自身の一族と土地に満ちる魔力…マナとの相性の問題もある。本拠地を移した事で没落していった魔術師というのは枚挙に暇がないほどだ。
だいたいアインツベルンなら、この城ごと移築する事も出来ただろうに。
(誰かが持ち去った可能性もない訳じゃないけど……それなら、戦闘痕すらないのはどういうことだ?)
凍てついた深山を分け入り、無数の魔術防御を突破する様な手練れだ。
アインツベルンとて、相応の対応をしたに違いない。
如何にアインツベルンが戦闘向きでないとはいえ、城内の魔術に関連した品々を悉く強奪され、あまつさえ抵抗の痕跡すら残っていないというのは不自然どころの話ではない。
何らかの理由で迎え入れ、そこで造反された可能性もあるが……やはり、荒事が行われた形跡がないのはおかしい。
そうして、当てもなく城内を探し回ってどれほど経っただろう。
数えるのが馬鹿らしくなるほどの数がある部屋の一つを支える四隅の柱の影に、忘れ去られた様にそれは転がっていた。
「ぬいぐるみ、か。また、似合わないものがあったもんだ」
見つけたのは、なんの変哲もない……ただし、素材と作りだけは良い高級品であっただろう、小汚くなってしまったクマのぬいぐるみ。
魔術的な痕跡もなく、どう見ても手掛かりにはなりえないもの。
なのに、竜貴はそれが酷く気になって仕方ない。
捨てて行って何ら問題のない物の筈だが、敢えて竜貴はそれの埃を軽く払って懐にしまい込む。
これは全然全く欠片も手掛かりにはならないし、持ち帰ることには何の意味もない。
もしこれを持ち帰ることに意味があるのだとすれば、それは……
(小さな女の子だったらしいし、喜んでくれるかな)
冬木の城の一角に造られた小さな墓に埋葬された少女に供える位だろう。
ホムンクルスに成長や発達、発育という過程は存在しない。なので、彼女がこんなもので遊んでいた事はないと思う。ただ、妹達ももうヌイグルミで遊ぶような年ではなくなりつつあるので、送り先として浮かぶんだのがそれくらいだったという、本当にそれだけの話だった。
(竜貴、何か見つかりましたか?)
(いえ、こちらには何も)
(そうですか……では、こちらに来てください。少し気になる物があるので、貴方にも見てほしい)
(わかりました)
簡易のラインを使って送られてきたセイバーからの念話を受け、竜貴はその部屋を後にする。
向かう先は、城の中でも最深部に位置する礼拝堂。もちろん、アインツベルンは神の恩寵など求めてはいなかったし、縋った事もないだろう。この場は、ただ魔導の式典を執り行う祭儀の間だ。
ただし、そんな由緒ある礼拝堂も……いや、そんな場所だからだろう。
魔術に関連した品は持ち出され、その結果「部屋」という名の空箱が残された様な状態だ。
「ここは……」
「第四次の折に、私が切嗣に召喚された場所です」
「なるほど……それで、なにかありましたか?」
今となっては彼の行いや考えにもある程度の理解を示しているセイバーだが、蟠りがない訳ではないのだ。
そんな衛宮切嗣とセイバーの確執は聞き及んでいるので、敢えて藪を突くようなマネはしない。
「……」
「これは……また豪快ですね」
無言で指し示すセイバーに倣い、祭壇があったであろう礼拝堂奥に視線を向ける。
するとそこは、まるで抉り取られたかのようにぽっかりと丸く穴が空いていた。
しかも、かなり乱暴な手段に出たのだろう、穴の周りにはひび割れが目立ち、強引にくり抜いて行ったのがよく分かる。
「もしかして、あそこにあったのは召喚陣ですか?」
「ええ。ですが問題なのは……」
「掘削機……で、いいんですかね。ほら、道路工事でコンクリートを剥がすのに使うあれでやったみたいになってますよ」
「みたい、ではないのでしょう。見なさい、所々にタイヤの跡があります。恐らく、台車の類を使って持ち込んだのでしょう」
それはつまり、アインツベルン城から魔術に関連した品々を持ち去ったのは、魔術師ではなく人間の仕業ということになる。
「でも、どうやって? それが事実ならアインツベルンが抵抗しない筈がないですし、なのに城内にはその痕跡すらないなんて……」
「……もしかすると、持ち去った犯人とアインツベルンが抵抗しなかった理由とは別の問題なのかもしれません」
「と、言いますと?」
「例えば…そう、何者かがアインツベルンに抵抗すらさせずに殲滅し、その後これらを持ち去ったあと誰かがここを訪れたのだとすれば……」
確かにそれなら、道理が通らない事もない。
科学技術ないし魔法だけではアインツベルンの警戒を擦り抜けてこの城に侵入し、抵抗すらさせずに殲滅することは不可能だろう。上空から爆撃すると言った力技に訴えれば一方的に蹂躙できるだろうが、それだと今の状況は成立しないので、その手の強硬策に出ていない事は明らかだ。
反面、神秘の側の存在ならばあり得ないとは言い切れない。
こちら側の世界には、一夜のうちに祖を筆頭とした百を越える吸血鬼を壊滅させた怪物がいる。
一切の流血もなく、城壁も庭園も、カーテンに傷一つつけることなく、だ。
ならば、抵抗の痕跡すら残させないうちにアインツベルンを皆殺しにできる者がいても、不思議はない。
その後、意図してか偶然かはともかく、この地に辿り着いた何者かに魔術の知識があり、関連した品々を持ち去ったとすれば、とりあえず筋は通るだろう。
現状では、これが最も有力な線だ。ただし、アインツベルンのホムンクルスが現れた理由も、疑似サーヴァントを生みだす目的も不明のままだが。
「残念ながら不正解だ、騎士王。
面白い推理ではあるが、事実はもっとくだらない。我等は何者かの手によって滅んだのではなく、自らの手で電源を落としたのだ」
朗々と礼拝堂内に響き渡る声。
反響に次ぐ反響で出所は判然としないが、二人は慌てることなく背中を合わせ周囲を警戒する。
「電源を切った、とはどういう事です」
「そのままの意味だ。我らは千年前に起きた奇跡の再現のために造られた、聖杯を起動させるための道具に過ぎない。その点においては、アインツベルン最後の当主アハト翁でさえ例外ではない。
だからこそ、その役目を果たせない道具に価値はない。イリヤスフィールというアインツベルンの到達点が敗れた時点で、結論は出た。千年に及ぶ研鑽だったが、なんの価値もなかったのだと」
口調そのものは淡々としていながら、微かに笑いの粒子が紛れている。
無論、それは決して陽気なものではなく、陰鬱とした自嘲に似た響きを帯びている。
どこか他人事のように語るその声は、竜貴に第三者の可能性を感じさせた。
「じゃあ、お前はなんだ? アインツベルンが自らに終止符を打ったのなら、何故お前はまだ動いている。まさか……」
「それも間違いだ、我らが仇敵の末裔よ。私はアインツベルンの
「その時代遅れの人形が、ここに人の手が入る様に手引きして一体何を考えている」
声の主の言っている事が事実なら、確かに話の筋は通る。
抵抗の痕らしきものがなかった事も、魔術に関連した品だけに絞って持ち出されている事も。
問題なのは、廃墟と化した城の中で何故か目覚めてしまったそれが、敢えて人をこの地に招き入れた事だ。
まさか、アインツベルンの歴史資料館でも造るつもりではあるまいに。
「証を残す為」
「証?」
「二百年を生きたアハト翁の身体は活動限界を迎えつつあった。故に、次の当主となるべく鋳造されたのが私だ。だが、イリヤスフィールの誕生により、不要となって廃棄された。彼女と言う到達点が生まれた時点で、成就するにせよ打ち切るにせよ、結論が出るのは確定していたからだ」
「つまりお前は、存在しない
「魂の物質化、人間の救済か。答えは否だ、その結論は既に出ている。私は今更、その結論を覆そうとは思わない」
「潔いんだ」
「その様な概念は私にはない。我等は道具、使われる側の存在だ。第三の成就という役目が果たせない事はわかっている。故に、次善としてアインツベルンが存在したことを証明する。
衛宮が、魔法という形で世界に名を刻んだ様に」
その一言で、竜貴は仮称「ノイン」の考えをある程度理解する。
つまりどんな形であれ、名を残すことを重要視しているのだろう。
その為に英霊と魔法師を利用する、それがこいつの出した結論なのだ。
(でも、具体的にどうするつもりだ? 魔法師を疑似的なサーヴァントにする術式を編み出した程度で良しとするとは思えない。術式はあくまでも目的のための手段、こいつの目的は一体……)
「士郎は名を残す事を望んだ訳ではありませんが、貴方の考えはわかりました。
しかし、貴方の配下はどうです。先日の件から考えても、貴方の他にも活動しているホムンクルスがいる筈。彼らはそれに納得しているのですか」
「その問いに意味はない。先日そちらに送ったホムンクルスが、こちらの最後の駒だ」
「なに?」
「鋳造の途中で廃棄されたせいか、私はアインツベルンの術式の全てを受け継いではいない。
故に、私にホムンクルスの精製はできない。できるのは、壊れかけのそれを修復する程度だ」
「じゃあ、この前の二人は……」
「この城の地下で廃棄されていた個体の内、比較的状態の良い物を修復し再起動したものだ。
しかしそれも、英霊化の実験に使い潰し、底を尽いたがな」
「彼女達は、貴方の目的に賛同していたのですか」
「知れば、自ら機能を停止しただろう。それでは意味がない」
方法はわからないが、何らかの形で未だアインツベルンが存続していると思いこませたのだろう。
そして、それを知っていてなお動き続けるこいつは、既に根本的な部分が壊れている。
起動した事自体が、既にバグの様な物なのかもしれない。
それならば、この様な突飛かつ出鱈目な手段に打って出るのもわからないではない。
元から正気ではない相手に、正気を問うことほど無意味な事もないのだから。
「まぁ、僕たちがお前に付き合う理由はない。やりたいのなら勝手にやれ。出来損ないとはいえ、わざわざ英霊の相手をするなんて割に合わない事をするつもりはない」
「それでは困る。聖杯戦争を、サーヴァントを誰よりもよく知るお前達の参加は必須事項だ」
「それはそっちの都合だろ」
「然り。故に、報酬を与えよう」
その言葉と共に、二人の眼の前に何かが落下してくる。
それは甲高い音を立てて大理石の床にぶつかり、最終的に竜貴の足元へと転がって来た。
「黄金の杯?」
「……まさか、これは!?」
「聖杯……と言いたい所だが、紛い物だ。イリヤスフィールのそれとは比べるべくもない。大聖杯があったとしても、ヘブンズフィールの成就も根源への道も通せない欠陥品だ。
しかし、器を満たせばある程度の願いは叶える力がある。それが報酬ならば、参加するメリットもあるのではないか」
(メリットだって? 馬鹿を言うな、むしろデメリットだらけだっての!!)
できるなら突っ返したい所だが、時既に遅し。
そもそも、この地を訪れてしまった事自体が失敗だったのだと悟る。
仮にここで聖杯を破壊ないし突き返したとしても、状況は全く好転しない。
どういった人間がわざわざ英霊化などというリスクを負うかは定かではないが、彼らはこぞってこの聖杯を求めて来るだろう。なにしろ、これを奪えば願いを叶える事ができるし、聖杯とその所有者の周りには必然的に他の参加者も集まってくるので、器を満たすのもやりやすくなる。
それはつまり、英霊化した魔法師達の第一目標となる事が決まったも同然なのだ。
例え破壊したとしても、彼らがそれを鵜呑みにする理由はない。
持っていることを証明する事は出来ても、持っていないことを証明する事は難しい。
仮に破片を見せたとしても、それで納得するかはまた別の問題なのだから。
この地を訪れた時点で、竜貴はこのバカバカしい儀式への参加が決まっていたのだ。
「喜べ、我等が憎くも愛おしい仇敵よ。ここに、最新の神話の開演を宣言する。
そなた等の奮戦を、心から祈るとしよう」
それだけを告げて、僅かにあった魔術の気配が消える。
大方、使い魔か何かで声だけを届けさせたのだろう。
一応話の間索敵を試みたが、成果は無し。
いや、仮にノインを捕らえた所で、状況を打開できたかは怪しい所だが。
「陛下。結局、あの要請ってどこから来たか知ってます?」
「………………………」
「てっきり魔法師側の何かに備えてだと思ってたんですけど、違うんでしょうね。
僕は、『魔法師を巻きこむ為』に一高に……」
「いえ、それは違うでしょう」
「でも」
「……まぁ、もう隠す事もないですね。あの要請自体は、宝石翁からもたらされた物です」
「げぇ……」
要請の出所を聞いた時点で、もうこれ以上ないという程にうんざりした顔をする。
アトラスやカルデアと当初は予想していたが、それは半分希望的観測でもあった。
魔法使いからの要請という可能性もなくはなかったのだが、全力で考えない様にしていたのである。
その最悪中の最悪が正解だったのだから、救いがない。
「大師父は何と?」
「いつもの秘密主義で、詳しくは。ただ、彼はこの事態を予期…ないし知っていたのでしょうね」
「まぁ、あの人なら……でもそれなら、尚の事僕が巻きこんだ事になるんじゃ」
「どの道、あの様子では魔法師側が巻きこまれた事に変わりはありません。
恐らく、巻きこまれた上で対処する為に貴方を動かしたのでしょう。
実際、貴方が一校に入学していなければ、あの日彼らは全滅していたかもしれないのですから」
「まぁ、確かに……」
歴史に「if」はないとはいえ、その可能性は否定できない。
少なくとも、竜貴の有している情報では皆にあの状況を打破する事は不可能に近いだろう。
「恐らく、この先も何かしらの動きがある筈です。
それが貴方から及ぶか、それとも別の方向から及ぶかはわかりません。
ですが、事が動き出してしまった以上、貴方は貴方にできる事をしなさい」
「……わかりました。それが、僕の責任ですね」
知るべき事は知れた。最早、この地にこれ以上留まる理由はない。
竜貴達は足早に役目を終えた廃墟を後にし、急ぎ日本への帰路につく。
今になって振り返れば、フランケンシュタインの雷撃は開演のブザーに等しかったのだろう。
この世界初となる、本来の目的からは遠く離れた亜種聖杯戦争。
ノインが宣言したように、魔法が跋扈するこの世界に神話が再現される日は遠くない。
魔術と魔法、神秘と科学。本来相容れないそれらは深く深く絡み合っていく。
とりあえず区切りがついたので、少しの間休憩します。
できれば、一ヶ月以内に次を更新したいなぁとは思いますが。
ちなみに、これは亜種聖杯戦争と呼ぶべき物です。聖杯には第三も根源への道を通す事も出来ず、あるのは願望器としての機能だけ。
さらに、サーヴァントとマスターは一蓮托生どころかマスターがサーヴァント。
しかも、英霊を肉体に降ろす関係上、殺される以前に参戦するだけで命がヤバいという本家とは違った意味での敷居の高さ。
加えて、聖杯を満たす為に必要なサーヴァントの数は通常よりもずっと多く、月の聖杯戦争に匹敵しかねない。しかもトーナメントではなくバトルロイヤルなので、同盟や裏切り、奇襲や乱入もやりたい放題の鬼畜仕様。
そして、最後まで生き残っても聖杯を持っているのはモノホンの英霊(セイバー)がいる一族ときた。下手をすると、参加者全員が一丸となって仕掛けてきかねません。
その癖、仕掛け人の目的は聖杯の成就ではなく、自身の仕込みで闘いが起こることそれ自体。うん、果てしなく迷惑ですね。