書いてたら長くなったので二つに割りました。
続きは5分後に。
それはそれとして……○十連やってもうた、ケルトビッチ出た、解せぬ。
どうしてこうなった
八月三日から開催される九校戦だが、出場選手たちは八月一日には会場入りする。
これは、その夕方に懇親会と呼ばれるパーティが予定されているためだ。
パーティとはいっても、実質的にはプレ開会式の性格が強く、和やかさよりは緊張感の方が目に付く。
実際、一部出場者たちからは「懇親会での鞘当ては九校戦の醍醐味」などと言われていたりする。
しかし世の中には、そんな空気を無視して好き勝手に過ごす者がいる。
例えば、根っからの従僕根性を満たすべく、ホテルスタッフに混じって給仕に勤しむ某とか。
「あ、桐原先輩。飲み物どうです?」
「お、おう…ありがとな」
「いえいえ、さて次は……むむ! 五時の方向に空のグラス発見! グラスを乾させたままでいさせて、何の
「生き生きしてんなぁ……」
「桐原、なんだあれは?」
「あぁ、なんつーか、その……丁稚、か?」
「俺に聞くな」
武明としても、竜貴のことを何と評していいかわからず、妙にずれた返答しか返せない。
だが、無理もなかろう。どこの世界に、プロに向かって接待の何たるかを熱弁する被接待者がいるというのか。
ちょうど今も、ヴィクトリア朝ドレス風味の制服を着たコンパニオンになにやら説教している。
「いいですか、お客様の動きの先の先のそのまた先を予想して動くんです。こういった立食パーティでは人の動きが多いですから、会場全体を俯瞰すると同時に、最低でも五手先まで動きを予想しないと、お客様の邪魔になってしまいます、いいですね!」
「は、はい!!」
どうも、突然振り返った生徒にぶつかりそうになったところをフォローした上での忠告らしい。
外見からすると二十歳は超えているであろうコンパニオンさんの目には、何やら妙な尊敬の色がうかがえる。
彼女もプロの端くれ、より優れた技量の持ち主からの訓戒を一語一句漏らさないよう真剣に受け止めているのだろう。
なんというかこう、色々間違っている気がするが。
「あと、可能であればお客様それぞれの好みを把握できるといいですね。どうせなら、好みのものを飲んでいただく方が気分も良いでしょう」
「ぇ、でもそれは……」
「始まって間もなくでは仕方ありませんが、少しすればある程度の傾向はわかります。それを頭にねじ込むんです」
「それはつまり、お客様全員の飲食の履歴を把握しろと?」
「それができずして、何の
「なぁっ!?」
「いいですか、従僕は一日にしてならずです!!
そして主に仕え、主をより満たす道に終わりはありません。日々精進です」
『はい、先生!!』
いつのまにか、彼の周りにはウェイターやらコンパニオンやらが集まっている。
しかも、抗議とかそういうのではなく、だれもが真剣に聞き入っている始末。
その光景を、渡辺摩利は死んだ魚のような目で見つめていた。
(………………………カリスマ
あいつ、生まれてくる家を間違えたんじゃないか?)
「どうしたの、摩利? なんというか、すごい顔してるわよ」
「ああ、いや、その……頭痛が痛くてな」
「? ところで、あの人込み何かしら? 摩利知ってる?」
「知らない、知りたくもない。行くぞ真由美、あれは私たちとは何の関係もない」
「そ、そう? なんだか聞き覚えのある声が聞こえる気がするんだけど……」
「気のせいだ」
「でも……」
「気のせいだ!」
「え、えっと……」
「 気 の せ い だ ! ! 」
「わ、わかったわ。そうね、どうも私の気のせいだったみたい」
大変釈然としないものの、親友の勢いに押されてその場を後にする。
(でも、やっぱりどこかで聞き覚えがある気がするのよねぇ……)
後ろ髪引かれながらも、結局真由美はその真相を知ることはできなかった。
それが幸いだったかどうかは、読者諸兄の判断に委ねたい。まぁ、委ねるまでもない気はするが。
ちなみに、余談ではあるが竜貴の姿は他校の目にばっちり映っており、後に真由美はその時のことを引き合いに出されて大変恥ずかしい思いをするのであった。反面、ホテルのスタッフからの受けは好評で、一高の面々は身に覚えのないことで感謝されることになる。ついでに、ホテルの接客の質も向上したりしたので、プラスマイナスは……あまり考えない方がいいだろう。
と、そんな具合に竜貴が懇親会そっちのけで全力で給仕を楽しんでいたところ、一人の男子生徒に呼び止められた。
「あ、ちょっと待ってくれないかな」
「はい、なんでしょう、えっと……」
「初めまして、僕は五十里啓。彼女は……」
「千代田花音よ」
「初めまして五十里先輩、千代田先輩。それで、何か御用でしょうか?」
「うん、少し話したいんだけど、いいかな?」
「……はい」
実を言えばもっと給仕に没頭したかったのだが、さすがに初対面の相手に「給仕したいので無理です」とは言えない。
なので、大変心残りはあるものの、竜貴は断腸の思いで啓の話とやらに付き合うことにした。極めて残念である。
「ありがとう。君とは前から話してみたかったんだけど、なかなか機会がなくてね」
「話ですか?」
「うん。前に、君とあと司波君たちが図書室で勉強会をしていたことがあっただろ。その時に僕も近くで勉強していてね。その時から興味があったんだ」
「はぁ……」
啓の言う時がいつであるかは竜貴も覚えている。
とはいえ、それがなぜこの先輩の興味を引いたのか、竜貴にはさっぱりわからず首をかしげるばかり。
しかしそこへ、微妙に不機嫌そうな顔をした花音が口をはさんでくる。どうも、竜貴の察しの悪さに苛立っているらしい。
「あのね! 啓の実家の五十里家は刻印魔法の権威なの! だから、あなたの言ってた魔法陣の話に興味があるって言ってるのよ、わかった!」
「花音……ごめんね。でも、僕が言いたいことはそういうこと。良ければ、少し話を聞かせてもらえないかな?」
「まぁ、いいですけど……」
と請け負いはしたものの、さすがに込み入った魔術の話をするわけにもいかない。
なので、魔術師どうこうより以前、一般教養に少し色を付けた程度の話題に終始する。
具体的には近現代における天使についてだったり、各方角に対応する色や数字あるいは属性、それらの結び付け方など、魔術というのもおこがましい初歩にも満たない内容。
だがそれでも、魔法師たちが切り捨ててきた考え方や知識は、啓にはなかなか興味深かったらしい。
「なるほど……でもそうなると、同じ術を同じ人物が使っても、必ずしも同じ効果を発揮しないんじゃないのかい? 本人の調子だけじゃなく、そんなにも周囲の環境の影響を受けるとなると……」
「ええ。魔法と違って、僕たちのそれは水物なんですよ。もちろん、そうじゃないのもありますし、パッと見ただけじゃ違いなんて分からないでしょうけど」
「そうか……」
「啓?」
「うん、面白い話を聞かせてもらえた。良ければまた聞かせてほしいんだけど、いいかな?」
「はぁ、構いませんけど」
「ありがとう。あ、花音、少し考えたいことがあるから隅に行きたいんだけど、いいかな?」
「え? ちょ、待ってよ啓! 啓ってば!」
いそいそとその場を後にする啓を追う花音。
取り残された形になった竜貴だが、残念ながら再度給仕に戻ることはできなかった。
それというのも、次なる客が現れたからである。どうやら、一度立ち止まってしまったのがそもそもの間違いだったらしい。
「初めまして、私は第三高校一年の一色愛梨、同じく十七夜栞と四十九院沓子よ。第一高校一年の衛宮竜貴さんとお見受けします」
「はい、確かに僕は衛宮ですけど」
「よろしければ、少しお話しさせていただけませんか?」
華やかな笑みを浮かべる少女だが、竜貴はさして感銘を受けた様子もなく中空を仰ぐ。
彼としてはいい加減給仕に戻りたいし、相手は初対面の相手、それも他校の生徒だ。啓のように立てる義理もない以上、さっさと切り上げてしまいたいというのが本音。
だが、そんな竜貴の脳裏にひとつの単語がこびりついていた。
(アイリ、ね。これも何かの縁か)
「どうでしょう。私としては、高名な衛宮のお話をぜひお聞きしたのですけど」
「…………少しでよければ」
「おい、誰だあいつ?」
「一高の生徒みたいだけど、知ってる奴いるか?」
「いや、衛宮なんて家名初めて聞いたぞ」
「大会とかでも見たことないし……」
「でも、あのエクレール・アイリが自分から声をかけるほどの相手だぞ。きっと相当名のある奴に違いない」
「よし、だれか知ってる奴いないか探せ! それと、どの競技に出るかもだ!」
「私、一高に親戚いるから聞いてみるね!」
(う~ん、なんか妙に目立ってる……この人、何者?)
当然と言えば当然ながら、竜貴は愛梨のことなど全く知らない。ついでに興味もない。
彼が話を聞こうと思ったのは、彼女の名前がセイバーから聞いた衛宮切嗣の妻の愛称と同じ「アイリ」だったからだ。そうでなければ、さっさと切り上げて退散していたに違いない。
そもそも、竜貴の方は彼女に聞きたいことなどないのである。
「今回は試技に参加されるとか。まだ私たちにはどの競技に出るかは知らされていませんが、非常に楽しみです。
「まぁ、期待に応えられるよう頑張りたいな、と」
「そして、現代に生きる魔法師の実力も、是非見ていただきたいですね。本当なら、お互いに競い合うのが一番だと思いますが、どのようにお考えでしょう?」
「ん~、僕そういうの苦手なんで、試技で済んでほっとしてるんですよ。通常日程で参加っていうのは、できれば避けたいですねぇ」
困ったように微笑みながら、竜貴は緊張感の薄い語調で答える。
その反応は、愛梨にとってあまり好ましいものではなかったらしい。
彼女の表情からは、うっすらとだが不満の色が浮かんでいた。
(覇気のない、腑抜けた表情。あなたのそれは平和主義ではなく、逃げ腰というのよ。これは、期待外れだったかしら)
正直、事ここに至るまで愛梨は小さくない期待を抱いていたのだ。
それなり以上の地位にある魔法師の間で語り継がれる。魔術師の存在。
彼らが隠者であることを選んだことは知っているが、それでも同じ人間。
その力を示す場に出るとなれば、それ相応の姿が見られるだろうと。
しかし今の竜貴の態度からは、必勝の気構えが感じられない。如何に試技とはいえ、それは彼らの力を示す場。そこで不甲斐ない結果を出せば、今後の彼らの立場を弱めることになる。
それを理解できないほど府抜けているのか、あるいは理解してなお気が入らないのか。
いずれにせよ、そこに彼女が期待していたものの片鱗すら見られないことに変わりはない。
だが、彼女は知らない。
そもそも衛宮にとって、競うべき相手などいないのだということを。
彼らが戦うべきは、常に自分自身に他ならない。
それなのに、どうして他者との競い合いに力など入ろうか。
(誰か助けてくれないかなぁ)
竜貴としては、きっかけさえあればさっさと切り上げてしまいたい。
彼女の話にはさっぱり興味がないうえに、何やら不満そうにされては居た堪れない。
とそこへ、竜貴の心の呟きを聞き届けたわけでもないだろうが、重厚な声音が助け舟を出してくれた。
「意外だな、衛宮。お前はこういう席では忙しなく動き回っていると思っていたが……」
「ああ、克人さん。ちょうど良い所「お初にお目にかかります、十文字克人殿」へ?」
「君は確か、一色家の……」
「一色愛梨と申します」
「そうか、高名はうかがっている。十文字克人だ、直接対することはないだろうがよろしく頼む」
「はい、こちらこそ」
(知り合い、じゃないよね?)
一応十師族のことは知っていても、師補十八家までは竜貴も憶えていない。
なので、このようなトンチンカンなことを考えてしまうのも無理はないだろう。
まぁ、魔法師社会の常識で考えれば、師補十八家のことを覚えていないという時点で十分すぎるほど非常識ではあるが……魔術師に常識を云々するのがそもそも間違いなのかもしれない。
「しかし、一色は衛宮に興味があるのか?」
「あった、というのが正しいでしょう。概ね、興味は満たさせていただきましたので」
「その様子だと、期待にそぐわなかったようだな」
「っ! ……それは」
「別に非難するつもりはない。こいつは、俺たちとは些か以上に毛色が違う。付き合いは悪くないが、望むような反応を返してくれるほど器用な男ではないのだ。知己として、そして先輩として代わって謝罪しよう」
「別に、あなたが謝罪するようなことでは……」
「感謝する……さて、いくぞ衛宮。そろそろお偉方の挨拶が始まる」
「あ、はい」
「それと一色」
「なにか?」
「衛宮の器、見定めるにはまだ早計だぞ。こいつは、お前が思う以上に強かだからな」
「そうは思えませんが……」
克人の言葉に対し、愛梨は懐疑的な表情を崩さない。
彼女から見れば、竜貴の言動は覇気に乏しく感じられるのだろう。
それが間違っているとは克人は思わない。ただ、それだけが人の器を図る基準ではないことを彼は知っている。
衛宮竜貴という魔術師、あるいは衛宮という家系そのものが一般的な基準に対応していないのではないか。
克人は、竜貴と初めて出会って以来そんな風に思うことがある。
「一口に器といっても、計るのは何も大小だけではない。お前とて、まさか湯呑に刺身を盛りつけはしないだろう? 俺たちと衛宮では、そもそも器の種類が違う……いや、そういう意味で考えるなら、こいつを『器』としてとらえるのが間違っているのかもしれんな」
「あの……克人さん、さりげなく僕の評価を変な方向にもっていくのやめてくれません? 何を勘違いしているのか知りませんけど、言うほど大層なものじゃないですよ」
「さて、お前の自己申告は当てにならんからな」
「嘘をついているとでも?」
「正当な自己評価、というものは存外難しいということだ」
訝しむ愛梨を他所に、なにやら慣れた調子で掛け合いを続ける二人。
結局彼女が口を挟む間もなく、二人はその場を後にしてしまった。
「なるほどなるほど、あの十文字克人にあそこまで言わせる男、なかなか興味深いの」
「珍しい……沓子がそんなことを言うなんて。あなたにはどう見えたの?」
「…………」
「沓子?」
「……なんと言えばいいのか、あやつはそもそも誰のことも見ておらん、そんな気がしたのじゃ」
「だれも、見ていない? それは直感?」
「うむ」
(十文字家の総領だけなら身贔屓とも取れる。でも、沓子の直感なら、きっとそうなのでしょうね。
だけど、どういう意味なのかしら? まだ対戦相手が決まっていないから? それとも、もっと別の……)
友人二人の会話を聞きながら、その意味するところを思案する。
沓子の直感には、愛梨もまたかなりの信を置いていた。
ただ、あまりに曖昧過ぎるためにその意味を図りかねる。
『誰も見ていない』とはいったい、どういうことなのだろうか、と。
だが、長く思索に耽っている時間は与えらなかった。
克人の言ったように、お偉方……懇親会に招待された来賓の挨拶が始まったのである。
真面目に傾聴している生徒もいれば、耳を傾けているフリをしている生徒もいる。
その割合は9:1と言ったところだが、フリをしている要領のいい生徒も、さすがに口は噤まざるを得ない。
そのため、会場内は必然的に魔法界の名士たちのスピーチを除き、静寂に包まれることになる。
とはいえ、仮にも相手は魔法界の名士たち。
ホテルスタッフを除けば、この場にいるものの大半は将来的に魔法に関わって生計を立てていこうと考える魔法師の卵たちだ。彼らからすれば、面白みに欠けるスピーチの内容はともかく、直接その顔を見るだけでも意義がある。
しかし、それはあくまでも魔法師たちにとっての話。
余程の事情がない限り、一高を卒業した後まで魔法と関与する気のない竜貴からすれば、彼らに対する関心度はたまに路上で演説する地方議会の議員レベル。要は、「偉そうな人がなんか言ってる」程度の認識なのである。
無論、誰一人として名前も顔も憶えがない。ついでに、それらを覚えようという気もない。
そんな竜貴からすれば、今が懇親会で最も退屈な時間なのであった。
(あ~ぁ、いっそ給仕でもできればいいんだけどなぁ……)
「……そうつまらなそうにするな。外面だけでもいいから、それらしくしておけ」
どうやらそんな竜貴の内心はもろに表に出ていたらしく、隣に立つ克人から小声で注意されてしまう。
「ぁ、ごめんなさい。でも、これだけ人がいたら気づかないと思いますけど?」
「お前にとってはどうでもいい相手でも、あちらにとっても同じとは限らん。お前は仮にも魔術師側の代表、魔法師側にとって決して軽んじることのできない存在だ。お前が思うより、注目を浴びていることを自覚しろ」
「むぅ……」
「第一、興味はなくても顔と名前、それに立場くらいは覚えておけ。いつ何時、彼らと顔を突き合わせることになるかわからんのだからな」
「いや~、その時は叔父に……本家に任せるつもりですから」
竜貴の立場を考えれば、魔法界の名士たちとの折衝に当たる可能性がないとは言い切れない。
だが、竜貴に言わせればその時は自分の出る幕などないのだ。
彼の役目は、あくまでも魔法師側との仲介役。両者の間に立ち、か細い両者のつながりを保つべくバランスをとるのが役目。交渉やらなんやらは管轄外なのである。
なにしろ、根本的に言って竜貴は交渉事などに向いていない。
一応それなりには熟せるだろうが、老練な狸や鋭利な狐を相手に器用に立ち回れる自信はない。
彼はその精神性や思考形態からバランス感覚こそ良いものの、交渉事を行うには利害や損得に対して疎すぎる。
だからこそ、竜貴は基本的に克人を通してしか交渉を行わない。彼は過去の経験から不必要に神秘側に近づくことに警戒感を持っているし、個人としても信頼できる間柄だ。
故に、その先の事態に発展するようなら、さっさと本家である遠坂に丸投げするつもりでいる。
そんな竜貴の腹の中は承知の上なのか、克人はわずかに肩を竦めて見せる。
「まぁ、無理に覚えろとは言わんが、それでもフリぐらいはしておけ。無視できない存在とはいえ、お前はあまりに若い。そんな相手に軽んじられたと思えば、お偉方から余計な干渉を受けることになりかねんぞ」
「な、なるほど……了解です」
さすがにそんな度量の小さな人物は少ないと思いたいが、誰も彼もが器の大きい人間とは限らない。
克人の言う通り、若輩者は若輩者らしく振る舞うのが吉だろう。
断じて、克人が高校生に見えないくらい老け……もとい、貫禄があることに突っ込みそうになって言い淀んだわけではない。
「それともう一つ」
「はい?」
「他のお歴々はともかくとしても、『老師』のことくらいは覚えておけ。お前も、一応とはいえ魔法科高校の一員なのだからな」
克人がそう忠告するのに続いて、司会が次の来賓の名を告げる。
「続いて、魔法協会理事『九島烈』様より、激励の言葉を賜りたいと存じます」
「誰です?」
「…………」
ある程度予想していたとはいえ、本当に知らないことに目を伏せる克人。
普段は泰然としている彼のそんな反応に、竜貴も若干だが焦りの色を浮かべる。
「い、いや、十師族の九島は知ってますよ、もちろん。今の当主は確か真言って人ですよね?」
「それだけ知っていて、なぜ老師を知らん……」
竜貴からすれば、現在の十師族とその当主さえ網羅していればとりあえず大丈夫だろう、という認識だったのだろう。しかし克人に言わせれば各家の主要な人物、秘密主義の四葉はともかく七草と九島といった特に有力な家についてはもっと掘り下げて然るべき、ということになる。
どちらがより常識的な考えかは、もちろん言うまでもない。
「かいつまんで話すが、老師こと九島烈殿は現在の十師族という序列を確立した人物であり、二十年程前までは世界最強の魔法師の一人と目されていた御仁だ。当主の座こそ退いたものの、今も師族会議において強い影響力を持っておられる」
(つまり、うちのおばあさんみたいなポジションの人ってことかな?)
齢百を超えて尚、遠坂と衛宮の両家に君臨する女傑を思い浮かべる。
本人は今更滅多なことがない限り口出しする気はないようだが、それでも両家にとって彼女の存在は無視できないものだ。
恐らく、イメージとしてはそう間違ってはいないだろう。
そう考えれば、さすがに竜貴としてもあまり気を抜くことはできない。
なにしろ、十師族によって構成される師族会議に対して強い影響力を持つということは、事実上魔法界全体に対して極めて強い影響力を持っているということだ。
万が一にもそんな相手の不況を買うようなことになれば、この先色々と不便になるのは間違いない。
いずれ折を見て魔法師と魔術師のつながりは絶たなければならないが、それは今ではないし、そのための布石を打つべき場でもないのだから。
故に、できる限り神妙に九島烈の登壇を待つ。
周りからも、息を呑む気配が伝わってくる。それだけ、彼らにとって九島烈の存在は大きいのだろう。
しかし、実際に壇上に上がったのは皆が抱く九島烈のイメージからはかけ離れた人物だった。
「っ!!!???」
危うく叫びそうになるのを必死に堪える竜貴。
暗い会場内で壇上を照らすスポットライトが灯され、その下に現れたのは黒髪の小柄な少女。
年齢的には12・3歳といったところか。緊張した様子もなく佇むその姿からは、どこか貫禄のようなものすら感じられた。また、鴉の濡れ羽のような艶やかな黒髪、一点の曇りもない白磁の肌、赤を基調としたシンプルなワンピースがそれらを引き立て、神秘的な美しさを生み出している。なにより、多分に幼さを残しながらも凛としたその顔立ちからは、数年後の美貌がありありと伺える。
きっと、時と場所さえ違えばこの上なく絵になる光景だったことだろう。
(な、なにやってんだあいつ――――――――――っ!?)
そう、どれほどの美少女であったとしても、今この場に現れるにはどうしようもなく不釣り合いだ。
あまりの衝撃に思考停止していた者たちも、復旧するとともに事の異常性に気づきざわめきが広がる。
各所で囁き声が交わされ、皆が当惑を露わにするなか、一部例外が存在した。
それは壇上の少女の顔に見覚えのある面々。達也であり、深雪であり、武明であり、そして竜貴の傍らに立つ克人もまたそうだ。彼らはこぞって竜貴の周りに集まってくる。
なにしろ、髪の色や年齢こそ異なるが、あの少女は数ヵ月前に竜貴が「王」と呼んだ女性とあまりに似すぎている。竜貴にその正体を確認しようと考えるのは、むしろ当然だ。
「衛宮、あれはどういうことだ」
「…………」
一同を代表して克人が問うが、竜貴はその声が聞こえていないのか金魚のように虚しく口を開閉させるのみ。
(驚きすぎて声にならない、といったところか?)
そんな竜貴の反応を冷静に分析する達也。
同時に、彼は壇上にも気を配り、今起きている事態の把握に努める。
壇上に現れた人物には確かに驚かされたものの、それは彼の冷静さを奪うには至らない。
一時は何らかのトラブルにより派遣された名代…つまり、九島家縁の者かとも思った。
しかし、彼女の顔立ちがその可能性を否定しているし、なにより…………少女の背後で影のように佇む老人の存在に達也は気が付いた。
(なるほど、精神干渉魔法か。会場すべてを覆う規模でありながら、その場にいる者の意識を誘導するという弱い魔法を発動させている。トリックに加えあんな目立つ人間を出されては、微弱な魔法でも十分。これが老師……)
老齢の男性が表れると思っていたところに、年端もいかない少女が表れた時のインパクトは相当なものだろう。
その上、壇上でスポットライトを浴びている少女は、方向性こそ異なるものの深雪と比較しても遜色ないレベルの美少女ときた。これでは、魔法がなくとも背後に控えた老人の存在に気付くのは至難の業だろう。
実際、これに気付いた者が会場内に何人いるか……。
(十文字会頭は気付いているな。あとは……一条の御曹司と他にも数人といったところか。竜貴は……さすがにインパクトが大き過ぎたな。まぁ、身内がいきなりあんなところに現れたとなれば、無理もないか)
まず間違いなく、この会場内で最もあの少女の登場に衝撃を受けたのが竜貴だろう。
身内というのは想像でしかないが、あの顔立ちと竜貴の反応を見る限りほぼ確定だ。
そんな竜貴をはじめとした大半の若者たちの反応を楽しむように、背後の老人が悪戯小僧のような笑みを浮かべる。よく見れば、その前に立つ少女もまた小悪魔的な表情であることに気付く。ただし彼女の視線は、未だ驚愕覚めやらぬ竜貴に注がれているが。
「苦労するな……」
知らず知らずのうちに、達也の口からそんな言葉が漏れる。
あの表情だけで、達也にはおおよそ何があったのかが理解できた。
大方、竜貴の身内が彼に何も知らせずに九校戦に足を運び、九島烈と結託したのだろう。竜貴を揶揄う、ただそのためだけに。凛とした面立ちとは裏腹に、その実かなり良い性格をしているらしい。
やがて、老人が少女に囁きかけると、彼女は優雅に一礼してからその場から退く。
ただし、完全に壇上を去ることはなく、老人の斜め後ろに控える形だ。
そこでようやく竜貴も衝撃から立ち直ったらしく、壇上の少女に向けて声を発しようと一歩前に出ようとした瞬間……少女の視線が竜貴を捉えた。
(あいつ~……)
発しようとした言葉を飲み込み、竜貴は自身の首筋を撫でる。
会場内のほとんどの者……それこそ、すぐ傍にいる老人すら気づかなかったかもしれないが、あの瞬間竜貴は自身の首が飛ぶ光景を幻視した。
殺気が放たれたわけではない。だが、殺意がなかったというわけでもない。
とはいえそれも、「余計なことを言ったら
問題なのは、あの瞬間彼女の唇が僅かに震えたこと。それこそが、竜貴に己が死を連想させた。
年齢でも経験でも竜貴は彼女の上を行っているが、魔術師としての技量は比べるのもバカバカしいほどに隔たっている。彼女がその気になれば、真実「一言」で人の首を落とすことができるのだ。
それを知るからこそ、竜貴は自身の死を幻視したのである。
やるかやらないかはともかく、できることを知っているが故に。
そんな竜貴の心中とは別に、会場全体に明かりが戻り、老人の姿がようやく皆の目に晒される。
ようやく老人の存在に気付いた者たちの間で、どよめきが広がるが老人は気にせず口を開いた。
「まずは、悪ふざけに付き合わせたことを謝罪する」
マイクを通したものではあるものの、九十歳近い年齢からは信じられないほど若々しくも力強い声が朗々と響き渡り、若き魔法師たちの意識を飲み込んでいく。最早、会場内で彼から視線を外せる者はほとんどいなかった。
「今のはちょっとした余興だ。魔法というより手品の類だが、手品のタネに気付いた者は私の見たところ5人だけだった。つまり、もし私が君たちの鏖殺を目論むテロリストで、来賓に紛れて毒ガスなり爆弾なりを仕掛けたとしても、それを阻むべく行動を起こすことが出来たのは5人だけだ、ということだ。
まぁ、弱冠一名、毛色が違うというべきか、今尚それどころではない者もいるようだがね」
それが誰を指しているか、達也や克人には分かった。
今現在、ほぼ全員が九島烈に視線を注ぐ中、ただ一人ジトッとした視線を傍らに控える少女に注ぐ竜貴のことだろう。彼は彼で烈の話を聞いていないのか、視線を向けられても全く反応しない。
まぁ、そんな彼の視線を向けられている少女もまた、「私何にも悪くありません」とばかりに素知らぬ顔をしているのだが。
とはいえ、竜貴からすれば烈の話に特に耳を傾けるべき点はいまのところない。
そもそも烈は気付いていないかもしれないが、竜貴は魔法とは関係なく烈を無視して奏を見ていたのだ。
魔術師にとって認識阻害の類は常套手段どころの話ではない。当然ながら、竜貴自身その対策は徹底している。つまり、彼にはそもそも会場全体を覆っていた大規模な精神干渉魔法自体が効力を発揮していないのだ。竜貴が一度として烈に視線を向けなかったのも、彼にとって九島烈よりも遠坂奏の存在の方があらゆる意味で重要で重大だったからに過ぎない。
とはいえ、そのことがなかったとしても彼は烈の言葉にさほど感銘は受けなかったはずだ。
もし今彼がいる場所にテロリストが立っていたとすれば、なるほど大惨事になっていたことだろう。
しかしその場合、竜貴は気付いていても特に行動を起こしはしなかった。
あるいは、声を上げて警告するなり取り押さえようとはしたかもしれないが、それ以上のことはしない。
なぜなら、彼にしてみればテロすらも含めて「人の正常な営み」の範疇。魔術師が魔術を以て関与していい領域ではない。魔術の存在が徒に露見すれば、それ以上の悲劇が起こることを知っているが故に。
だが、それはそれとして、「バレなければ別にいいよね」とも考えるのが衛宮竜貴だ。
要は、4月の事件の時のように誰にも気づかれない範囲でこっそりやる分にはオッケーなのである。魔術師的には、真っ黒寸前のグレーゾーンな思考だろう。具体的には、黒99.9999999に対して白0.0000001くらい。
「魔法を学ぶ若人諸君。
魔法とは手段であって、それ自体が目的ではない。
そのことを思い出して欲しくて、私はこのような悪戯を仕掛けた。
私が今用いた魔法は、規模こそ大きいものの、強度は極めて低い。魔法力の面から見れば、低ランクの魔法でしかない。
だが君たちはその弱い魔法に惑わされ、私がこの場に現れると分かっていたにも関わらず、私を認識できなかった。
魔法を磨くことはもちろん大切だ。魔法力を向上させる為の努力は、決して怠ってはならない。
しかし、それだけでは不十分だということを肝に銘じて欲しい。
使い方を誤った大魔法は、使い方を工夫した小魔法に劣るのだ。
明後日からの九校戦は、魔法を競う場であり、それ以上に魔法の使い方を競う場だということを覚えておいてもらいたい。
魔法を学ぶ若人諸君。私は諸君の工夫を楽しみにしている」
聴衆の全員が手を叩く。いい加減竜貴も、いくら睨んでも全く堪える様子のない奏に対する非難を諦めたらしい。
そんな彼の胸に去来するのは、九島烈に対する小さくない共感と、それを上回る遥かに大きな齟齬だった。
(『魔法の使い方を競う場』か。良いこと言うなぁ)
その言葉には、衛宮の後継者として全面的に賛意を送る。
研究・発表などの場ならともかく、実際に魔法を用いて競う以上、その使い方が重要なのは自明の理。
そもそも、魔法を競うだけなら魔法力を計れば事足りるのだ。
わざわざ様々な
優れた者が順当に勝つのを期待しているのではない。劣った者が優れた者を出し抜くべく工夫し、優れた者が劣った者に負けないよう策を巡らせる。それこそが、出場者たちに求められていることなのだろう。
だが同時に、彼の言葉に苦笑を浮かべる点もあった。
(でも『魔法とは手段であって、それ自体が目的ではない』ってのは、まっとうな魔術師にはちょっと当て嵌まらないんだけどねぇ……)
魔法というものを「一つの技術」として考えるのなら、彼の言うことは全く以て正しい。
しかしそれは、魔術には当て嵌まらない。何しろ彼らにとって「魔術とは手段ではなくそれ自体が目的」なのだから。魔術師にとって重要なのは、魔術それ自体とその深淵にある「魔法」そのもの。
魔術をどう使うかなどというのは、さほど重要視されない。
彼はきっとそのことを知らないし、魔術の存在を知る全ての魔法師たちもそうだろう。
そして、それを知らない限り魔法師と魔術師の間にある溝を、彼らが理解する日も来ない。
(ま、わざわざ教える理由もないから、僕からはノーコメントなんだけどさ)
「さて、私からの挨拶は以上だ。しかし、君たちにはもう少しこの老人に付き合ってほしい」
挨拶を締めくくり、壇上を去ると思われた烈だったが一向にその気配はない。
それどころか彼は半歩後ろに下がると、傍らに控えていた少女をマイクの前に立たせた。
烈の行動の意図が分からず、一度は静まった囁き声が再発する。
だが烈はそれに頓着することなく、良く響く声で皆に語り掛ける
「皆もよく知る通り、魔法が今の形になったのはおよそ百年ほど昔の話だ。
とある人物が核兵器テロを防ぐために用いた特殊能力を起源とし、膨大な時間と優れた頭脳の結晶として魔法は生み出された。無論、それ以前から存在する古式魔法の存在も、今更私が講義するまでもないことだろう。
だがその実、古式魔法の成立もまた現代魔法と時を同じくしていることを知る者は少ない」
思いもよらない烈の言葉に、会場内が騒然となる。
「古式魔法とは何なのか。それは、彼のテロより以前から存在する技術があり、古式魔法はその技法を雛形に生み出されたものだ。
では、なぜ古式魔法師たちはそんなことをせねばならなかったのか。なぜ彼らは以前より伝わる技法を使わないのか。詳しいことはわからない。一つ確かなことは、かつて存在したそれらの技術は現代ではほぼ失われているということだ。古式魔法とは、失われた技法を何とか再現しようとした結果生まれたのだ。
ここまで話せば、勘の良い者なら私が何を言いたいかわかるのではないかな。そう、すでに失われて久しいと思われていた技法、『魔術』あるいは『
紹介しよう、この度快く招待に応じてくれた『遠坂家』次期当主『遠坂奏』君だ」
「初めまして、ご紹介にあずかりました遠坂奏と申します」
烈の紹介を受け、一歩前に出た奏は透き通った声でその名を高らかに謡う。
彼女の一挙手一投足、言葉の一つ一つには僅かな硬さも気負いもない。
どこまでも自然体のまま、少女は数百にも上る視線を受け止める。
「我等は、誇るほどの歴史を持たない同胞の中でも新参の家系。
今なお魔術を伝えることができたのも、多くの幸運に恵まれた故のこと。
私自身もまた、次期当主という肩書を与えられただけの小娘に過ぎません。
閣下のおっしゃる通り、この度は皆さんの百年の研鑽を学ばせていただきたく参じました」
(よくもまぁ、口から出まかせをすらすらと……)
とはいえ、一から十まで嘘ばかりというわけではない。むしろ、嘘はついていない、というべきか。
まず、遠坂の歴史は約三百年。十分長いように思えるが、神秘の側では四桁以上もさほど珍しくはない。
なにしろ、ルネサンス期……十四世紀頃に起こった一族ですら「成り上がり」と称される世界だ。
やっかみもあっただろうが、それでも特別古い家系でないことに変わりはない。遠坂の歴史は、それよりさらに若いのだから「新参」というのもある意味正しい。
また、幸運に恵まれたというのも事実。遠坂凛という稀代の跡継ぎを得たこと、衛宮士郎やセイバーと出会ったこと、その他すべてを含めて幸運の賜物と言える。歴史に「if」はないが、「もし」遠坂凛と彼女に関連する一連の出会いなどがなければ、遠坂もまた他の多くの家系と同じく魔術を失っていたはずだ。
そして、魔法師側の研鑽を学ぶために来たというのも……大きな意味で言えば嘘ではない。ただ、会場内にいるほぼすべての人間がその意味を誤解している。彼女の言う「学ぶ」とは「参考にする」や「互いの交流を図る」という意味ではない。奏の言う「学ぶ」とは、要は「戦力分析」に他ならない。魔法師と共闘する時のために、あるいは彼らと戦う時のために「その力と考え方を学ぶ」というのが彼女の目的だ。
それを理解しているからこそ、竜貴は奏の言い回しに乾いた笑みしか浮かんでこない。
「ですが、頂いてばかりではあまりにも不義理というものでしょう。
そこで、我々からもささやかながら返礼をさせていただこうと思います」
「ん?」
奏が人差し指を立てると、会場内の明かりが消える。
続いて緩やか絵に円を描くと、竜貴の頭上から光が降り注いだ。
(マリーの仕業か? いや、これは……魔法か)
一瞬、マリーが電気系統に干渉したのかとも思ったが、頭上を見上げてそうでないことに気付く。
明かりが消えたとはいっても、会場内が真っ暗闇になるわけではない。残された僅かな光量の一部を集め、スポットライト代わりにしているのだ。
(いけないいけない。つい、
衛宮は本来、必要とあらば近代兵器だろうが何だろうが使うのが流儀。要は魔術とその他の技術全てを対等に見る一族。その衛宮の継承者である竜貴が、「魔術優先」で物事を考えてしまうのは良くない。それではいざというときの対処ができない。
思考は柔軟に、取れる選択肢は可能な限り多く。そうでなければ、大事なものを取りこぼしてしまう。
それに、よくよく考えなくてもこんなところでマリーの特性をさらすような真似をするはずがないのだ。
フランケンシュタインの怪物の雷撃を浴びて蘇生して以降、彼女が得た二つの特異体質は希少なもの。体内で魔力と電気エネルギーを相互に変換する能力も、大気中の
魔術で魔法に撥ね付けることはできても、科学を欺くのは難しい。しかし、多くの科学技術と電気は切っても切れない間柄。彼女の能力は、魔術と相性が良いとは言えない科学技術に対する、貴重な対抗手段となりうる。
できるできないで言えば可能なのだとしても、わざわざそのヒントを与えてやる理由はない。
(まぁ、それはそれとして、マリーはどこだ? ……それとも、克人さんたちに配慮したのか?)
なにしろ、あのとき廃工場にいた面々からすれば、マリーの姿を認めれば事情を知っていても心中穏やかではいられまい。竜貴の方から簡単な経緯の報告はしているとはいえ、あの事件以降一度も会っていないのだ。
頭ではわかっていても、とっさに臨戦態勢にならないとは言い切れない。
それだけ、あの時は割と危ない橋を渡っていたのだ。
などと考えている竜貴だが、そもそも今はそれどころではない。
「六日と十日の通常日程終了後、試技という形ではありますが彼もまた皆さんと同様の競技を行う予定となっています。彼と彼が参加する競技については……折角ですので、この後にでも調べられてはいかがでしょう」
(な、なに考えてんだよ、もぉ~……)
二重の意味で頭を抱えたくて仕方がない。
(わからない、奏が何考えてんだか全くわからない……ぁ、いや、半分は僕を揶揄う為ってのはわかるんだけど)
大方、この後質問攻めにされて四苦八苦する竜貴を眺めて楽しむ腹積もりなのだろう。
奏の性質の悪い所は、あくまでも「可愛い悪戯」の範囲で事を収めることだ。
怒ればどうにも大人げないし、かといって笑って流すには良い塩梅過ぎる。
どうすれば適度に竜貴を玩具にできるか、あれは知り尽くしているのだ。
そう、奏がわざわざあんなコメントをした理由はわかる。
わからないのは、なぜ彼女が「魔唱」を用いているのか、だ。
神言を身に付けている奏の声は、それ自体が半ば「魔」を帯びている。
術を編むまでもなく、ただ発するだけで聞く者の意識を惹き付け、魅了する。それ故の『魔唱』、あるいは『魔声』とでも呼ぶべきか。
普段の彼女は意図的にそれを行わないようにしているのだが、今はその制限を僅かではあるが外している。
無論、ただ言葉を発しただけで会場内にいる人間すべてを影響下に置けるわけではない。
後天的に身に付けた技術の副産物でしかないためか、さほど強力な物ではないのだ。
実際、会場内の魔法師たちもはっきりとわかるほど影響は受けていない。
ただし、そこに魔術を上乗せすればその限りではないが。
(にしても半端なんだよな。完全に素ってわけでもないし、かと言って制御が緩むなんてミスをする奴じゃ……あ、でも、割としょうもない失敗するのが遠坂だし、あり得る…のか?)
本来の彼女なら絶対にしないミス。しかし、時にそう言う凡ミスをかましてしまうのが遠坂でもある。
そのあたりを知っているが故に、竜貴としても判断に困る。
まぁ、何はともあれ、目下最大の懸案事項は……
「克人さん、僕逃げるんであとよろしく」
「…………………………………………まぁ、仕方があるまい」
「なんだ、がんばれよ」
「うん、それじゃ!」
来賓の挨拶が終わるのを今か今かと待つ、周囲の人垣をどう突破するかだ。
一度捕まったが最後、質問攻めにされた挙句にもみくちゃになるのは目に見えている。
ならば、ここは逃げの一手あるのみ。
と思ったが、竜貴は一つ見落としていることがあった。
大凡竜貴の行動パターンなど知り尽くしている奏が、彼の次の行動を予想していないはずがないのだという事を。
「
「は、謀ったな孔明!?」
「? 竜貴の言うこと、よく、わからない」
逃げようとしたところで後ろから羽交い絞めにされ、身長差の関係から宙ぶらりんになってしまう。
なんというか、マリーは我が薄いので気配が読み辛い。それも見越して、竜貴の足止めをさせたのだろう。
竜貴としても、さすがに純真無垢そのもののマリーに対してあまり暴れることはできない。
というか、それ以前の問題として彼にはしなければならないことがある。
「あ~……とりあえず皆、そんな微妙に距離とらなくても大丈夫ですよ?」
「「「「……」」」」
竜貴の周りに集まっていた四人は、それでも警戒心をひっこめることができない。
それだけ、4月の一件のインパクトが大きかったのだろう。
無理もない事とは思うが、あまり忌避されてはマリーの情操教育的によろしくない。
となれば当然、竜貴には彼らの間を取り持つ役目が生じる。
同時にそれは、竜貴が逃げる機会を逸したことも意味していた。
(伝言、話があるから後で部屋に来いって)
(了解)
皆が難しい顔をしている間に、マリーは竜貴の耳元で囁く。
どちらがついでかは知らないが、このためにマリーを寄越したのだろう。
竜貴としても折角いるのなら奏の意見も聞きたかったので、否はない。
ただ、一つ思うことがあるとしたら……
(今夜は長くなりそうだなぁ)