魔法科高校の劣等生~Lost Code~   作:やみなべ

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風呂のシーンになぜ一万字も掛けているのか……我ながら訳が分からない。
しかも色気ほぼ皆無。ますます解せぬ。私はいったい何がしたいのだろう……。
そんなお話……次回こそ話が進む、といいなぁ。
見捨てずにお付き合いくだされば幸いです。


018

 

九校戦出場者をはじめとした関係者の宿泊するホテルの地下には、大浴場がある。

大浴場とはいってもその収容人数は十人前後と少なく、軍の療養施設としての面が強い。

要は大勢の観光客が娯楽のために利用するのではなく、軍人たちが医者が指定した時間、湯に浸かることを目的としている。

とはいえ、それでも温泉は温泉。例えそれが、外の風景など見えない味気ない造りで、アルカリ性泉質の冷泉水を沸かしただけの物であったとしても、広い浴場というのは良い文化だ。心も体も開放的になり、大いにリラックスすることができる。

 

そんな地下大浴場の脱衣場では今、第一高校の女子数名がミニ丈の浴衣とも言える湯着の用意を済ませたところだった。

 

「                                   」

「ねぇ、雫。なんか、声聞こえない?」

「……ホントだ」

「エイミィ、大浴場はグループ制ではなかったかしら?」

「うん、そうだよ。でも、ちょうど私が申請しに行ったら先着の人がいてね、どうせ二人だからご一緒にって言ってくれたの。言ってなかったっけ?」

「「「「「「聞いてない」」」」」」

「大丈夫大丈夫、みんな知ってる人だから。あ、もちろん女の子」

「そうじゃなかったら色々大問題」

「だよね」

 

あっけらかんと答えるエイミィの表情には、罪悪感の欠片もない。

これも人徳というべきなのか、これくらいならば「エイミィなら仕方ない」と思ってしまう。

 

「でも、これは……歌、かしら?」

「うん。すごく綺麗な声」

 

大浴場から漏れ聞こえる声に耳を澄ませていた深雪の言葉に、雫もまた同意する。

扉越しという事もあり些か不明瞭ではあるが、それでも聞く者を酔いしれさせる澄んだ声。

知らず知らずのうちに、皆の間で交わされる声は小さく密やかなものになっていた。

この歌声に対し、雑音を交えることを憚るように。

 

「あ、開けていいのかな?」

「え~、もっとちゃんと聞きたいし早く入ろうよ」

「いや、まぁ……」

「気持ちはわかるんだけど、ね」

「エイミィ、ある意味大物」

 

気持ちはわかるが邪魔をするのも忍びない、というのが大方の意見。

そんな中、物怖じせずさっさと扉に手をかけるエイミィに呆れたような視線が集中する。

見習いたいとは思わないが、ここまでくると尊敬してしまいそうになるのも確かだ。

 

とはいえ、さすがにエイミィとて不躾に扉を開け放つような真似はしない。

静かに、できるだけ物音を立てないよう細心の注意を払って扉を開く。

そこに来て、ようやく浴場内で奏でられる調が明らかになった。

 

「♪ Die schönste Jungfrau sitzet

Dort oben wunderbar, ♪」

 

浴場という狭い空間という事もあってか、湯の流れる音と共に歌声もまた反響する。

しかし反響した歌声も、湯の流れる不規則な音も、決して不協和音を生み出しはしない。

それどころか、それらの音を巻き込んでハーモニーを重ね、すべてと唱和している。

耳慣れないメロディーに、意味を読み取ることのできない歌詞。

どうやら日本語の歌詞ではなく、もしかすると英語とも違うかもしれない。

だがその歌声には、包み込むような優しさが込められていた。

 

「♪ Ihr goldnes Geschmeide blitzet,

Sie kämmt ihr goldenes Haar. ♪」

 

その歌声に7人は誰もが聞き惚れ、浴場内に入ることを忘れて立ち尽くす。

歌声に導かれるように横手に視線を向ければ、浴場に入ってすぐのところに設けられたシャワーブースに二つの人影があることに気付く。

シャワーブースは半透明の板で間仕切りされているだけのため、扉もなく入り口から中を伺うことができる。

当然、皆の目にはブース内の様子が見て取ることができた。

 

「♪ Sie kämmt es mit goldenem Kamme,

Und singt ein Lied dabei; ♪」

 

そこにいたのは、シャワーの前で正座する銀髪の女性と、その髪を洗う黒髪の少女の姿。

よほど機嫌がいいのか、実に楽しそうに少女は歌う。

軽やかに、清らかに、溢れんばかりの愛おしさを込めるかのように。

それはまるで、母が我が子に謡い聞かせる子守歌のようだった。

だが、妙なる調べは何の前触れもなく中断する。

 

「♪ Das hat eine wundersame,

Gewaltige Mel……ああ、どうやら人が来たようですね。今はここまでにしておきましょうか」

「むぅ……」

「公共の場で、あまり騒がしくするものではありません。そんな顔をしなくても、続きはまた後程。

 さ、あなた方もそんなところに立っていないで、入ってはどうですか。大事な試合が近いのに風邪などひいては、格好がつかないでしょう?」

「ぁ、は、はい」

 

女性の頭を覆う泡を洗い流しながら促され、ようやく皆は我に返る。

同時に、そこにいる人物が先ほど懇親会で九島烈より紹介のあった少女であることにも気づく。

ただ、その様子はまだどこか戸惑い気味で、エイミィからすら気後れのようなものが感じられた。

 

「そ、それじゃ、失礼しま~す」

「ええ。私たちは先にお風呂をいただきますから、ごゆっくり。

 さ、行きますよマリー」

「ん」

 

泡を洗い流した銀髪を手早く結い上げ、お互いに湯着を身に着けると、奏はマリーの手を引いて湯船へと向かう。

その姿は、まるで手のかかる妹の世話を焼く姉のよう。

背格好を考えれば明らかに立場が逆なのだが、そのことにまるで違和感を覚えさせない。

 

どこか微笑ましい二人を見送りつつ、シャワーブースへと移る。

そのまま『人間洗濯機』の異名をとる全自動シャワーブースで身体を洗い、湯着に袖を通す。

その頃には、皆も少しは調子を取り戻していた。

 

「マリーさん、だっけ? なんというか、色々スゴイですよね~」

「全くだ。まぁ、スゴイといえばほのかも意外と……」

「まぁ、マリーさんには敵わないけど、それでも」

「な、なによっ! 別に、私は……」

「これ、大きい?」

 

皆の視線にさらされ、恥ずかしがりつつもどこか元気のないほのかの反応に、首を傾げつつ寄せて上げてみるマリー。何を、とは言うまでもないだろう。

自然、皆の視線が白く豊かなそれに釘付けになる。

単純なサイズだけで言えば、間違いなくこの場で最大。さらに形も整っている上に、本人のプロポーションも抜群と来た。これでは、同性といえども視線を逸らすことは難しい。

ただし、そういったものが通じない相手というのもいるわけで。

 

「やめなさいマリー、はしたない」

「ん」

「何を食べて、どうしたらそんなに……」

「動き辛いし、結構邪魔」

「い、一度でいいから言ってみたいセリフ……」

「富の偏在かぁ……世の中は不公平だよ」

 

奏に注意されて湯船にそれを浮かべなおすマリーに、怨嗟のようなものを込めて呟く者は一人や二人ではない。

ただし、彼女たちは知らない。マリーの場合、食事や行動とは無関係に「初めから」こうなのだという事を。

無論、真実を知る奏も、彼女らを絶望させるようなことは言わない。

まぁ、軽々に話せるようなことでもないので当然と言えば当然なのだが。

 

「でも、スタイルというかバランスでは深雪」

「ああ、それは確かに。マリーさんのインパクトは絶大だが、深雪のそれは黄金比という奴だな」

「うんうん、性別なんて関係ないって気になってくるよね」

「ねぇ、みんな。なんだか視線が怖いのだけど、もちろん私の気のせいよね?」

『気のせい気のせい……たぶん』

 

笑顔ながら、深雪の目に尋常ではない力が籠っている。

一時場を支配しかけた怪しい雰囲気もそれで吹き飛ばされ、皆は壊れた人形のように首をカクカクと縦に振っていた。

 

「クスクス……」

「ほ、ほら! 遠坂さんに笑われてるじゃないの! もう、恥ずかしい……」

「あぁ、いや……その、なんていうか、ほら、ね?」

「私たちも結構動揺してたっていうか……」

「ごめんね、恥ずかしいところ見せて」

(うわっ……可愛いっていうよりも美人系だけど、笑えば十分すぎるくらいに可愛い)

(マズッ、そんな気はないつもりだけど、変な気起こしそう……)

 

年下の女の子に笑われたと思い顔を真っ赤にして羞恥に耐えるほのかと、バツが悪そうにしている女子数名。

ただし、中には変な方向に傾きそうな己を何とか保っている者もチラホラ。

だが奏は、雫のフォローにも特に気にした素振りもなく如才なく答える。

 

「いえ、お気になさらず。むしろ、先ほどまでのように硬くなられている方が困ってしまいます。

 あと、私のことは『奏』で構いません。あなた方の方が年上ですから」

(そんな気がしないんですけどぉ……)

 

間違いなくこの場では一番年下であるにもかかわらず、場を取り成す姿には貫禄すらある。

呼び捨てにするには抵抗が大きく、どうしても敬語になってしまうのだ。

 

「本番になれば、どうしても緊張してしまうでしょう。

今のうちにリラックスしておくことは良いことだと思いますよ」

(この子、ホントに中学生?)

(衛宮君は親しみやすいんだけどなぁ……)

 

別段上から目線で言われているわけではないのだが、言う事が一々尤も過ぎる。

奏と話していると、どうにも年下と話している気になれない。

恥ずかしい姿は見せられないと、無意識に内に心身に力が入ってしまうのだ。

これまでに彼女らと接点のあった魔術師は竜貴な訳だが、彼は親しみやす過ぎるほどに親しみやすかった。

なので、いつの間にか一高ではロスト・コードの継承者であるという魔術師に対し、気安く接することのできるイメージが出来上がっていたのだが……奏の存在がそのイメージを根本から覆す。

とてもではないが、エイミィですら竜貴と話すように気軽には慣れない。

 

だが、全員が全員そうなわけでもない。

彼とそれなりに親しくしているほのかや雫、特に深雪は竜貴がただ親しみやすいだけの人間ではないことを知っている。だから、彼女は奏がこの大浴場にいることを知ってから抱いていた疑問をぶつけてみる。

 

「ねぇ、遠さ…奏さん。あなたは人に素肌をさらしてもいいの?

 竜貴君はずいぶん気を使っているみたいだったけど」

「ええ、私は別に必要ありませんから」

(つまり、肌をさらせないのは衛宮の事情、という事かしら?)

(私の場合、“まだ”因子の開発はしていませんしね)

 

因子の開発は、両家では正式に跡を継ぐ際に行われる。

途中で後継者が変わらないとも限らないし、一度開発してしまうともう取り消しが効かないためだ。

なので、正式に跡を継いだ竜貴は手袋を決して外さないが、まだ「次期当主」でしかない奏は問題なく肌を晒すことができる。

彼女がわざわざ大浴場を利用したのは、「入れるうちに入っておく」為なのだ。

いずれ遠くない将来、彼女は公衆浴場などを利用することができなくなるのだから。

 

(クイッ、クイッ)

「なんですか、マリー」

「歌、続き」

「さっきも言ったでしょう。私たちだけならともかく、公共の場のマナーは守るべきです」

「むぅ~……」

「いや、あまり気にしないでください。むしろ、もしよければ是非聞かせてほしいくらいですから」

「うん、さっきの歌ホントにきれいだったよね」

「お金が取れるレベル」

「確かに、プロ顔負けって感じだった」

「……ふぅ、わかりました。では、僭越ながら一曲」

 

周囲から集まる期待の視線に、奏もついに折れて軽く息を吸い込む。

 

神代に失われた神言を紡ぐ奏の声帯は、既に人間の域を逸脱している。

音域や声量などという次元ではない。一つ一つの言葉の重みが、凡百の魔術師とは違うのだ。

彼女に勝る者がいるとすれば、より優れた真言の詠い手か、あるいは統一言語くらいなものだろう。

奏の声で紡がれる調は、一切の神秘と魔力を込めずとも人々の心を震わせる力を持っていた。

 

故に、彼女らが奏の歌声に魅了されたのはある意味当然の結果なのだろう。

有形無形を問わず、美しいものに惹かれ、心震わされるのは人の性。

その意味で言えば、奏の歌声は確かに一つの美として成立していた。

 

Ich weiß nicht, was soll es bedeuten,(どうしてこんなに悲しいのか)

Daß ich so traurig bin;(私は訳が分からない)

Ein Märchen aus alten Zeiten,(遠い昔の語り草)

Das kommt mir nicht aus dem Sinn.(胸からいつも離れない)

Die Luft ist kühl und es dunkelt,(風は冷たく暗くなり)

Und ruhig fließt der Rhein;(静かに流れるライン川)

Der Gipfel des Berges funkelt(沈む夕日に赤々と)

Im Abend sonnen schein.(山の頂照り映えて)

 

皆の息遣いと湯の流れる音をバックミュージックに紡がれる歌。

決して明るく楽しい歌詞ではないことは、内容がわからずとも察することができる。

 

Die schönste Jungfrau sitzet(彼方の岩にえも言えぬ)

Dort oben wunderbar,(綺麗な乙女が腰降ろし)

Ihr goldnes Geschmeide blitzet,(金の飾りを輝かせ)

Sie kämmt ihr goldenes Haar.(黄金の髪を梳いている)

Sie kämmt es mit goldenem Kamme,(黄金の櫛で梳きながら)

Und singt ein Lied dabei;(乙女は歌を口遊む)

Das hat eine wundersame,(その旋律はすばらしい)

Gewaltige Melodei.(不思議な力を漂わす)

 

しかし、奏の歌声と独唱という方式が、この歌の幻想的な色合いを際立たせているのもまた事実。

誰もがその調べにそっと酔いしれ、夢見心地のようだ。

 

Den Schiffer im kleinen Schiffe,(小舟操る船人は)

Ergreift es mit wildem Weh;(心を忽ち乱されて)

Er schaut nicht die Felsenriffe,(流れの暗礁も目に入らず)

Er schaut nur hinauf in die Höh'.(ただ上ばかり仰ぎ見る)

Ich glaube, die Wellen verschlingen(ついには舟も舟人も)

Am Ende Schiffer und Kahn;(波に呑まれてしまうだろう)

Und das hat mit ihrem Singen(それこそ妖しくうた歌う)

Die Lorelei getan(ローレライの魔の仕業)

 

だが、そんな時間も長くは続かず、歌はやがて終わりを迎える。

壁からの反響も消え失せ、しばしの間余韻に浸った後、知らず知らずの内に彼女らの手は惜しみない拍手を送っていた。

 

『お~……!』

「ご清聴、ありがとうございます」

「いや、なんというか…スゴイな。スゴイとしか表現できない、自分の語彙の少なさが情けない限りだ」

「ホントホント! しかも私たちだけっていうのが、なんか得した気分!」

「ねぇ、歌手になってみる気とかないの? 奏さんなら売り出したらすぐにでも一流の仲間入りだよ」

「そうそう、お人形さんみたいに可愛いし、歌もすっごい上手だし……あ、踊りとかは?」

「嗜み程度なら……まぁ、今のところそういった予定はありませんが」

 

実際、奏には舞踊の覚えもある。

ただ、彼女が歌唱や舞踊に通じているのは、本人の好みとはやや違う。

歌唱や舞踊と魔術は非常に密接な間柄にある。

凛が復活させた神言だが、遠坂の系譜ですら使えたのは奏で二人目。つまり、習得できない可能性の方が遥かに高い高難度技法。そのため、これを習得できなかった歴代の継承者はその代りになるものを身に付けた。

 

呪文の詠唱に歌と舞を取り入れ、微かな音階の変化や紡ぐ言の葉の抑揚、あるいはステップのタイミング、または指先のミリ単位の動き、それら全てに意味を持たせ、可能な限りの情報を詰め込む。

同時に、歌と舞に没頭することにより、通常の呪文詠唱以上に術者をトランス状態にもっていく。

これにより、通常の詠唱よりも数段上の効果発揮し、さらに長時間の詠唱が必要になる大魔術の詠唱時間の短縮も可能になった。とはいえこれは、わずかでも集中を乱され、音階・抑揚・ステップ・指先の位置、それらの何か一つでも狂えば術が起動しなくなってしまう、非常に繊細な詠唱方式。

正直、万難を排することのできる魔術実験ならいざ知らず、実戦には全く向いていない。その上、これだけやっても神言の方がはるかに優れている。

文字通り、神言を習得できなかった時のための苦肉の策なわけだ。

神言を習得できるとわかるまでの間はそちらの修練と並行してこの訓練も行っていたので、奏も一応ある程度はこれを操ることができる。最早使うことのない技法ではあるが。

 

「え~、そっか~……」

「コンサートとかあれば絶対行くのになぁ」

「ありがとうございます。なら、そうですね……皆さんが今回の九校戦で総合優勝された時には、もう一度披露する、というのは如何ですか?」

「あ~……それはつまり、勝たないと聴かせてくれない、と?」

「はい、その通りです」

「厳し~」

「でも、やる気も出るよね! いや、別にやる気がなかったわけじゃないんだけどさ」

(みんな、完全に手玉に取られているわね……)

 

開放的な浴場であり、別に駆け引きの場でもない。

そういった事情があるにせよ、奏が彼女らを手玉に取っているのは紛れもない事実。

まぁ、不利益を被るようなものでもないので、「手玉に取る」という表現自体が不適切なのかもしれないが。

しかし、飴をうまく使って年長者のやる気を引き出す手腕は、彼女の年齢を考えれば驚くべきものだろう。

よく「飴と鞭」というが、彼女らを操るのに鞭は必要ない、という事か。

 

「まぁ、それはそれとして時と場合、それに報酬次第では相談に乗りますよ?

 ただし、私は結構高いですけど」

「うわっ、ちゃっかりしてる……」

「深窓のお嬢様かと思ったら、意外と生臭い」

「お高く止まっているだけでは、今の時代やっていけませんから。

 それに、私も本業がありますので副業にかまけてもいられません」

 

つまり、副業としてなら歌手活動をしてもいいという事か。

実際、それで収入を得られるなら遠坂的にも割とありがたい。

ただ、あまりそちらに本腰を入れ過ぎて本分がおろそかになっては目も当てられないので、こういう言い回しになるわけだが。

しかし、何が一番問題なのかと言えば、そういう俗世間的な部分を見せられても、彼女の人間的魅力が一切損なわれないことだろう。むしろ、近寄りがたい雰囲気が薄れ、適度な親しみさえ感じる。

これらすべて計算付くなのだとしたら、大した女優だ。

 

「そういえば、あなた方は第一高校の生徒でしたよね」

「うん」

「なら、衛宮竜貴とは親しいのですか?」

「ん~、あたしはそんなでもないなぁ。少し話したことがあるくらい」

「時々雑用を手伝ってもらったりはしているけど、僕らもあまり接点がないかな。

 ただ、ほのかや雫たちは結構親しくしているようだよ。一高でも目立つグループだしね」

「そうなのですか?」

「えっと……うん」

「竜貴くんから聞いてないの?」

 

ほのかは少し腰が引けながらも肯定し、雫は逆に奏が竜貴のプライベートを知らないことが意外そうにしている。

先ほどの烈の紹介や竜貴の話では、遠坂と衛宮は本家と分家の間柄。

本来なら、それなり以上に密な間柄にあるはずなのだが。

 

「以前、叔母様が問い詰めたことがあるのですが、結局逃げられてしまって……」

 

その時のことを思い出してか、奏の口元が不穏な形に吊り上がる。

どうやら、竜貴が隠し事をしていることが気に食わないらしい。

 

「まったく、早く好い人の一人でも見つけてこちらを安心させてくれないものでしょうか」

「好い人?」

「安心って……」

「なんていうか、心配の仕方が保護者?」

「何を言っているのですか? 私は本家の人間、分家の者を監督するのは当然でしょう?」

(がんばれ~、衛宮く~ん)

 

皆は苦笑いを浮かべているが、これで奏でからすればかなりソフトな表現に抑えたものだ。

本来なら、もっと竜貴の人権とか尊厳とかを無視した内容になる。

竜貴から「魔法師は一部例外はいるみたいだけど基本一般人だよ」と聞いていたので、彼女なりに配慮したのだ。

 

「まぁ、そのことはいいです。とりあえず、竜貴に好い人はいないのですか?

 なんでしたら、あなた方がお嫁に来ていただいても……」

「いやいやいや、いいのかいそれで? なんというか……結婚相手とかは色々考えないといけないんじゃ」

「遠坂はまだしも衛宮はそのあたり緩いので、特に問題ありません。

 強いて言えば、アレの面倒をしっかり見てくれる心の広い女性、というくらいでしょう」

『は、はぁ……』

「むしろ、あんなのでよければ是非貰ってくださいと言いたいくらいというか……」

「竜貴君は、別に『あんなの』じゃ……」

『ほほぅ』

 

小声で、それこそ消え入りそうなほど小さく、顔を半分近く湯船に沈めながら抗議の声を漏らす。

普通なら聞こえなさそうなものだが、奏はしっかりその声を聞き取っていた。

 

いや、この場合奏だけではない。

気付けば声の主……つまり、雫に皆の視線が集中していた。

 

「……そういえば、少し前に雫と衛宮君が二人でいるところを見たという噂が立っていたが……」

「ああ、そういうこと……」

「へぇ~、ふぅ~ん、雫がねぇ~」

「あ、あたし二人が手を繋いでるのを見たっていうのを聞いたことあるよ。えっと、確か……友達の先輩と部活が同じ人の弟さん情報!!」

「エイミィ、それは信憑性があると言えるの?」

「水臭いよ、雫! 私にも教えてくれないなんて!」

「ほ、ほのかまで……別にそんなんじゃ、ない」

 

すっかり周囲の勢いに押され、たじろいでいる雫。

まぁ、なんだ。修学旅行などの学校行事の旅先における恋バナは、ある種の伝統である。

この場合、そんな隙を見せてしまった雫が悪い。

 

当然、話題は完全に雫と竜貴のことに方向転換。

表情こそいつもと変わらないながらも、弱冠顔が赤いのは湯に浸かっていることだけが理由ではないだろう。

少なくとも、場の女性陣の大半はそう「決めつけていた」。

 

(まぁ、雫の様子だと実際にはまだそこまでは行っていないのでしょうけど)

 

数少ない冷静な人物の一人である深雪は、雫の反応から皆が期待しているような段階ではない事を理解している。

あの様子だと芽がないわけではなさそうだが、まだ恋愛的な意味での「好意」ではないのだろう。

言わば「友情以上恋愛感情未満」といったところか。

ただそれも、周りにああも煽られれば意識しないではいられなさそうだが。

まぁ、その結果として火種が潰えるか燃え上がるかは、深雪にはわからないことだ。

 

しかしそこで、深雪は自身と同じく姦しい騒ぎから離れた人物の存在に気付く。

というか、ある意味この騒ぎの元凶ともいえる人物が、いつの間にかちゃっかり避難している。

 

「…………少し、安心しました」

「え?」

「竜貴は良い友人に囲まれているようですね」

「雫やほのかはともかく、他のみんなはあまり接点がないわ。それでも?」

「ええ、それでもですよ。ああして、竜貴のことを話題にして笑い合ってくれる人たちがいるのなら、竜貴は十分恵まれています」

「…………あなたは、彼のことを好きじゃないの?」

 

そんな深雪の問いかけに、奏は少し驚いたように目を見開く。

 

「驚きました。深雪さん、でしたか。あなたも意外と……いえ、この場合はやはり……と言うべきでしょうか。普通の、色恋話が好きな女性なのですね」

「どういう意味かしら?」

「他意はありませんよ。本当に、あなたは“普通”の女性なんだな、と思っただけですから」

 

実際、奏の言葉には微塵の他意もない。

強いて言うなら、事前に聞いていた「司波深雪」の人物像を修正したという程度。

確かに竜貴は自身の交友関係については、ほとんど奏たちに教えていない。

 

ただし、要注意人物と思われる人間に関してはその限りではない。

より正確には、要注意人物なのは兄の達也の方で、そのついでという具合に深雪の報告を聞いた形だ。

だが、その時に聞いた内容と実際に会ってみた印象に、些かのズレがあっただけのこと。

 

(まったく、竜貴も見る目がありませんね。

 なにが『達也君ほどじゃないけど、普通の範疇から外れてるかも』ですか。

 やや倒錯的なきらいはありますが、十分『普通』の範疇でしょうに)

 

兄の話題が出た時の反応には、竜貴からの報告にもあった通りの反応が見られた。

なるほど、それは確かに世間一般では倒錯的な性質と言えるだろう。

 

しかし、奏に言わせれば別にそれくらいは魔術師の世界ではさして珍しくもない。

長い年月にわたり血統操作をしているような家系では、よく見られることだ。

女として男を愛する、なにも不思議なことではない。偶々その相手が兄だっただけのことだ。

深雪は、兄だから達也を愛しているのではないのだから。

 

とはいえ、何も奏が言っているのは彼女のそういった嗜好のことだけではない。

 

(優れた才能の持ち主ではあるのでしょうが、逸脱するほどではありませんね。

 そういう意味で言えば、私たちと大差はないでしょう。特別、注視する必要はありませんね)

 

枠組みの違いこそあるが、どちらもその「枠の中で優れている」だけだ。

本当に注視すべきは、属する枠組みから逸脱した存在。

少なくとも、司波深雪はそういう存在ではない。

まぁ、そもそも早々いるはずもないから「逸脱者」というのだが。

 

(遠めに見てもわかるほど、司波達也は逸脱していました。よくもまぁ、あんな人が表向きだけでも高校生をやっていられるものです。一度会って、人柄も確認しておくべきかもしれませんね)

 

奏と言えど全知全能ではない。遠目に見ただけでは、司波達也が通常の魔法師の枠組みから外れていることはわかっても、もっと細かいところまではわからない。

いや、遠目に見ただけでもわかるだけで十分以上か。ただ彼女の場合、形は違えども逸脱した人間が身近にいたが故に、看破することができたのだろう。何しろ、曾祖母もそうだがなにより彼女らの王こそが正真正銘の「逸脱者」なのだから。彼が彼女に比肩する器かどうかは、さすがにまだ計れないが。

 

(とはいえ、今の最優先は結界の方ですか。

 試したみた感じだと、使えそうなのは多くありませんね)

 

今後のことを考えつつ、奏は小さく息を吐く。

竜貴にはイマイチ見る目がないと思うが、かと言ってあてにならないというほどでもない。

彼の言う通り、魔法師は基本的には一般人と同じだ。

彼女の視線の先で他愛もない話題ではしゃぐ少女たちの姿は、それを裏付けるもの。

 

ならば、目前にある危機に抗する力無き者を見捨てるようなことはできない。

彼女らの王の王道は一握りの強者のためのものではなく、より多くの、力持たぬ者たちのためのもの。

万人にとっての善き生活、善き人生。それを守ることこそが王の願い、王の理想。

ならば、その臣下が主君の王道を蔑ろにしていいわけがない。

 

(やれやれ、お姉さまにお仕えるのも楽ではありません。

 まぁ、それでこそお仕えする甲斐もあるというものですか)

 

なにより、彼女の理想は正しく美しい。

その正しさが、美しさが、奏にとっては何よりも心地よい。

曾祖母と同じで、彼女はキッチリとした仕組みが好きだ。

頑張った者には、頑張った分だけの報酬があってほしい。

実際には世界はそんなに優しくはないけれど、ならその分だけ報いてやればいい。

世界のすべてに伸ばすほど、この手は長くも大きくもない。

ならばせめて、この手の届く(が支配する)範囲にいる人々を庇護し、享受すべき幸福を。

 

そのためならば、非情な決断も下そう。

けれども、必要な犠牲は必要な分だけ。それを超えれば、王の臣を名乗る資格はない。

なんともはや、無理難題としか言えない在り様だ。

しかし、それを善しとしたが故の今日の遠坂であり衛宮なのだ。

 

それがたとえ、魔術師の正道から外れたものだとしても……遠坂奏に躊躇はない。


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