魔法科高校の劣等生~Lost Code~   作:やみなべ

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気がつくと、竜貴はどこまでも続く赤土の荒野に立っていた。

 

(ああ……………またか)

 

手近な場所に突き立っている剣に手を添えながら、竜貴はこれが夢であり、同時に夢ではない事を理解する。

 

僅か百年、それも一代空白を挟んでいるとはいえ、たかだか三代程度の積み重ねしかない衛宮の魔術刻印は、質・量ともに貧弱だ。

そのため、刻印の継承自体は十歳の誕生日を迎える前に終わってしまった。

 

それからだ、時折この夢を見る様になったのは。

刻印と関連している事は直に気付いたので、母に相談したりもしたが、「そのうちわかる」と言ってはぐらかされてしまった。

とはいえ、今ならこの夢の正体もわかっている。

一族の秘奥たる大禁呪を曲がりなりにも展開できるようになったことで、その一事を以って正式に後を継いだ。

その際に母に教えられたが、そもそも秘奥を為せば自ずと答えは知れるので、あんまり意味はなかったのだが。

 

右を向いても、左を向いても、前も後ろも果てしなく続く荒野と無数に突き立つ墓標の如き古今東西の剣、剣、剣…………………どこまで行っても剣ばかり。

地平線の彼方まで続く荒野はあまりに変化に乏しく、正直溜め息しか出て来ない。

 

どこぞの王はこれを見て「みすぼらしい」と評したらしいが、心底同意する。

よくもまぁ、こんな不毛な世界を形作れた物だ。

いや、一応死の間際の頃には少しはマシになっていたらしいが……。

 

それはそれとして、初代であり、衛宮の祖である曾祖父の来歴は知っているが、かつてはこんな世界しか抱けなかったと言うのだから…………本当に、良くも悪くも普通ではなかった、あるいは普通ではいられなかった人なのだろう。

同情も憐憫も的外れだと理解しているからこそ、どう受け止めていいか反応に困る。

 

(ま、『座』に至ってしまう様な人が、そもそも普通な筈ないか)

 

そういえば、結局この時間軸のあの人は招かれたのか、それとも至ったのか、どちらだったのだろう。

届いていない、とは思わない。なぜなら彼は「始まりの魔法師」として、人類史にその名を刻んでいる。

英雄としてではなく、魔術師としてでもなく、もちろんテロリストや罪人としてでもない。

知る人ぞ知ると言う程度だが、それでも彼は確かに人類と世界にその存在を示したのだ。

契約などなくとも、これなら充分「座」にその席を得る事ができた筈。

 

ならきっと、彼は「守護者」になどなっていない。

この時間軸上に限ったことではあろうが、それこそが曽祖母やその従者の願いだった。

何しろその為に、遠坂の六代目は節を曲げて世界に「キッカケ」を与えたのだから。

 

吹き荒ぶ乾き切った風を受けながら、竜貴は自身の右腕に視線を落とす。

そこにあったのは、ギチギチと気味の悪い音を奏でる、剣で覆われた何かだった。

 

「にしても、こればっかりはどうにかならないかな、ホント」

 

痛いし、耳触りだし、なにより自分が自分でなくなっていくようで、もう最悪の気分だ。

衛宮の魔術の性質上、刻印の継承は初代の精神の一部を受け継ぐことを意味する。

なにしろ、初代の為した魔術とはこれ即ち彼の心を顕す法に他ならないのだから。

表面的な部分は当代の術者のそれが反映されるが、本質はあくまで初代の物。

それによる恩恵も少なくないが、同時に良くも悪くも非凡だった初代の影響がジワジワと来ているのが分かる。

完全に彼の様になる事はないだろうが、本能的な嫌悪感は如何ともしがたい。

 

別に初代を嫌っていたり軽蔑していたりするわけではなく、「己」を守らんとする生物としての本能だから、こればかりはどうにもならない。

まぁ、次代に受け継ぐかいつか捨てる時が来るまでは付き合っていかなければならない事なので、なんとか折り合いをつけていくしかないのだろう。

 

「はぁ……………ホント、痛いなぁ」

 

夢のくせに、どうしてこう痛みがリアルなのか。幾ら耐性があるとはいえ、それでも痛いものは痛いのである。

あくまでも耐えられるだけで、痛みを感じないわけではないし、ましてや反転して気持ち良くなったりなんかしないのだ。

 

文句を言っても仕方が無い、って言うか相手もいないし……と思っていたら、屹立する剣群の中に、人影を発見する。

いつからいたのか、それともはじめからいたのに見逃していたかは、この際重要ではない。

文句を言うべき相手はいない。確かにそうだ、その相手はとうの昔にこの世を去っている。

 

だが、この夢の中に限ってはそうではない。

あの…こちらに背を向ける、赤い外套に身を包んだ白髪の偉丈夫。

彼にだけは、文句を言っても許される。なにしろ、彼こそが衛宮の根幹なのだから。

 

(………………………よしっ!)

 

しばしの逡巡の後、竜貴は意を決して偉丈夫へと足を向ける。

まず投げかける言葉は……「よくも面倒な物を残してくれやがったな、おかげで色々助かる時もあります。ありがとうございます、クソジジイ」と言ったところか。

文句と感謝、ついでに先達への敬意と先祖への親しみをごった煮にした実に的確なものだと思う。

 

そうして足を進めて良く竜貴だが、近づけば近づくほどに…………その表情は不貞腐れた物へ変わっていく。

なんというか……あれだ。その揺るぎない背中が、どうにも気高く見えて仕方ない。

にもかかわらず、そこには一抹の哀愁、あるいは寂しさが見て取れた。

 

やがてあと三歩で手が届くと言う所まで来た頃には、なんだか馬鹿らしくなって文句を言うのはやめにする。

背中しか見えないのに、大の大人が今にも泣き出しそうに見えたのだ。

だから、もっと別の言葉が、自然と口から零れ落ちた。

 

「だれかを、待ってるんですか?」

「………………………ああ、相棒をな。少しだけ、先走りが過ぎてしまったらしい」

「だったら、ずっと一緒に歩いていればよかったんですよ。そうすれば、待つ必要もなかったのに」

「全くだ。ただあの頃は……生き急いでいたんだろう。それに、アイツならすぐに追いつくと思っていた。

 まさか、アイツが追い付くのにこんなに時間がかかる程、先走っていたとは思わなかったよ」

「甘えてますね」

「ああ、俺はずっと……アイツに甘えていたんだろうな。我ながら、情けない限りだが」

 

あくまでも竜貴の方を見ようとはせず、40センチは上にある顔が苦笑を洩らす。

 

「まぁ、幾らあの人でもさすがにもう少し待ってれば追いつくと思いますから。

 そしたら、ちゃんと…………大切にしてあげてくださいよ。あの人も、ずっと走っていたんですしね」

「ああ、わかっているさ。いい加減、孝行の一つもしないと後が怖い」

「追いついて早々、雷が落ちないとは保証できませんけど?」

「そら恐ろしい事を言わないでくれ、逃げ出したくなる」

「逃げられると思ってるんですか?」

「ああ…………………………うん、無理かな、やっぱり」

「あの人が獲物を逃がすとか、月が西から上るくらいあり得ませんね」

「だよなぁ……それにしても、アイツ全然変わってないのか」

「昔は知りませんけど、たぶん」

 

何しろ、百年以上の付き合いの従者曰く『貴女のそういう所は昔から変わらない』とこぼしていたから間違いあるまい。

多少の変化はもちろんあるだろうが、肝心要、根っこの部分は変わっていないのだろう。

 

「また会えたら、どうするんです?」

「まずは、ひたすら謝り倒すことになるだろうな。その後は……」

「その後は?」

「そうだな。アイツに会いに行くのも良いか」

「アイツ? ……ああ、なるほど」

「俺達にずっと付き合ってくれていたんだ。なら今度は、俺達の方から会いに行くべきだろう?」

 

そう言って、男は初めて竜貴の方を振り向いた。

ただし、その視線は竜貴を捉えてはいない。

彼が見ているのはそのさらに後ろだ。つられて、竜貴も自身の背後を振り返る。

するとそこには、どこまでも広がる荒野ではなく……黄金に輝く草原が取って代わっていた。

とそこで、男は竜貴の背を軽く押す。

 

「行け、ここはお前がいるべき場所じゃない」

「でも、ここは僕達の……」

「ここは始まりだ、決して行きつく先じゃない。俺はともかく、お前達にとってはな。

 お前も、お前たちなりのやり方で追いかけてみろ」

 

気がつくと、痛みも耳障りな音もいつの間にか消えていた。

見れば、右腕は元の姿を取り戻している。

体が軽い、今ならどこまでも行けそうだ。

この黄金の草原の先…………………………遥か遠き、理想郷まで。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

そんな、夢を見た。

 

「くぁ~……ん、朝か」

 

ようやく顔を出したばかりの陽の光を浴びつつ、上半身を起こす。

何か夢を見ていた気がするが、寝ぼけた頭はうまく働いてくれず、どんな夢だったか判然としない。

ただ、なんだかとても……心と体が軽い気がした。

 

「……良い夢、だったのかな」

 

憶えていないのが少々残念だが、気持ちを切り替えて布団から出る。

時刻は朝の五時半。朝食の準備を含めても、学校まで徒歩十分の身としては早すぎる朝だが、竜貴に時間を持て余すと言う事はない。

時間があるのなら、やりたい事は幾らでもある。

そう、例えば体が鈍らない様に軽く体を動かすとか。

 

「よし、こんなもんか」

 

手早く身支度を整え、ジャージ姿でアパートの外へと出て来る竜貴。

ちらほらと早朝から出勤しているお父さんの姿が見られるが、数は大変少ない。

車やバイクも当然まばらなので、これなら周囲に迷惑をかける事もないだろう。

 

「………………」

 

目を閉じ、精神を集中させる。腕はだらりとさげられ、姿勢は自然体を維持。

そのまま、深く深く己の内に埋没する。

イメージするのは、飾り気のない質実剛健な剣。それを、勢いよく大地へと突きたてる。

剣から光の線が走り、魔力特有の異物感が体の隅々まで満ちて行く。

 

「……………………ふぅ」

 

具合を確かめる様に、腕や首を回し、軽く足を上げては降ろすを繰り返す。

どうやら、特に問題らしい問題はないらしい。

まぁ、物心ついた頃からやって来た事だ。今となっては、歩き出すのと同じくらいの自然さで行える。

 

ただ、それでも魔術が命の危険を伴うものであることに変わりはない。

過去には、他者の魔力の流れを暴走させると言う、悪辣極まりない礼装を使う者もいたのだ…というか、思い切り縁者だが。

別に、丁寧にやったからと言ってそれを防げるわけではないとはいえ……まぁ気分の問題だ。

それに、偶にはこうして基礎を振り返るのも良いと思う。

 

「さて、行くか」

 

小さく呟いて、竜貴は勢いよく走りだす。

そのスピードは時速にしておよそ30~40キロほど。まだまだ余裕はあるし、強化の魔術を用いればさらに上がる。まぁ、さすがに人目のある場所では自重すべきなので、こうして身体に魔力を満たすだけにとどめているのだが。

 

いや、本来ならそれですらアウトだ。

ただ、ここは国立魔法大学付属第一高校が鎮座する土地。

魔法を用いれば同等以上の速度を出すことも可能なため、これ位なら怪しまれないのがありがたい。

 

冬木の実家にいた頃は、筋トレや剣の鍛錬はともかく、これと同等かそれ以上のペースで走ろうと思うと、円蔵山の山中や郊外の森まで行き、人目を忍ばなければならなった。

生憎、都会ではそう言った場所も中々ないので、人々の思い込みに付け込むしかない。

 

なにしろ、衛宮の魔術を十全に運用するには、術者自身の肉体性能の向上が不可欠だ。

比率で言えば魔術の研鑽と半々位の為、鍛錬を欠かすことはできない。

そして、かつて曽祖母が提示した目標が「並の代行者くらい」とのこと。

実物の代行者には竜貴もまだ会った事はないが、母はそのレベルに到達……いや、凌駕している。

 

その走力たるや、今でも平地を時速45キロ近くで走り抜けるレベルだ。

しかも、ほとんど素の身体能力で。ちなみに、100mを10秒で走ったとしても時速36キロ程度なので、どれだけ異常かわかると言うもの。しかもこの母、全盛期にはそのペースを小一時間維持してのけたと言う。これに強化の魔術を用いた日には、さらに上がると言うのだから悪い冗談だ。

 

息子ながら、いや息子だからこそ思う「曽祖母とは別の意味で、あの母は化け物だ」と。

単純な肉体の性能のみで言えば、本家である遠坂家を含めて歴代随一と言うのは伊達ではない。まぁ、だからこそあの性格もあって、遠坂ではなく衛宮を継ぐことになったのだろうが。

付け加えるなら、曽祖母の代から親交のあるアイルランドの「フラガ家」の当主と、3分限定だが互角に渡り合ったと言うのだから恐ろしい。あの家は戦闘に特化しているので、遠坂や衛宮では正面から渡り合うのは無理な筈なのだが……。

もちろん、今の竜貴では到底及ぶべくもない。喧嘩になったら、一分で撲殺される自信がある。

 

「でも、たしか魔法師はあの母さん以上のスピードで動けるんだよね……凄い話だなぁ」

 

自己加速術式とやらに長じている魔法師なら、直線で時速80キロ以上を叩きだすと言う。

正直、白兵戦に長けた魔法師と「フラガ」を闘わせてみたいと思う。

一応竜貴も魔術師の端くれなので、「フラガ」に勝ってもらいたい所ではあるが……。

 

ただ、竜貴は一つ思い違いをしている。

確かに、自己加速術式は文字通り「高速で動く為の魔法」ではある。だが、あくまでも「早く動ける」だけでしかない。筋力それ自体が向上する訳ではないし、反射神経もそのまま。

そういう意味では、身体能力全般の底上げが可能な「魔術による強化」も負けてはいないのだが……まぁ、やってみなければわからないことに変わりはない。

 

竜貴はその後、一時間に渡る走り込みを終え、帰宅。

そのまま朝食と弁当の準備を済ませ、家伝の礼装である赤の外套を着ていくべきかやや悩み……正式に風紀委員になってからでいいだろうと、トランクの中に逆戻り。

時間の問題とは言え、入学二日目であまり悪目立ちはしたくない。

そして、誰もいない部屋に一抹の寂しさを覚えつつ家を出た。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

魔法科高校と言っても、在籍しているのは十代半ばのティーンエイジャーばかり。

当然、授業以外の場面では雑然とした物だ。

ある者は共に切磋琢磨する級友達との雑談を楽しみ、またある者は静かにこれからの予定を確認したりしている。

そんな中、衛宮竜貴はと言うと……

 

「zzz…………」

 

特にすることもないので、なんとなく寝てみる事にした。

別に、寝不足と言うわけではない。ただ、何もせずに座っているとついつい眠くなる体質なのだ。

なにか…それこそ授業を聞いたり精神統一をしていたりする分には問題ないのだが……。

また、彼が持ついくつかの特技の一つに、いつ、どんなところでも、どのような体勢でも寝られると言うものがある。それこそ立ったままでも寝られるし、分単位の仮眠もとれる。時と場合によっては、中々重宝する特技だろう………………学校生活では役に立たないが。

 

とはいえ、本人はともかく外部から見るとこれは中々凄い光景だ。

何しろ今日はまだ入学二日目。にもかかわらず、早速腕を枕に眠っている新入生がいるのだ。

A組の生徒たちが、程度の差はあれ竜貴に非難がましい視線を向けるのも仕方が無いだろう。

 

彼らからすれば、ついに念願かなって入る事の出来た一高だ。それも一科生として。

身の引き締まる思いで登校してきたら、そんな緊張感を頭から無視して眠っている奴がいる。

なんというか、侮辱された様な気になっても仕方があるまい。

例え、本人にそんな気が全くないとしても…いや、悪目立ちしたくないとか考えているくせにこういう事をやっているのだから、単に注意と配慮が不足しているだけか。

せめてもの救いは、誰も彼もが竜貴に対して反感を抱いているわけではない事だろう。

 

「寝てる、よね?」

「うん、気持ちよさそうに寝てる」

 

入学式の折、竜貴と言葉を交わしその人となりを多少なりとも知っているほのかや雫にはわかる。

彼は別に自分達を馬鹿にしているわけではなく、単に恐ろしく自然体なのだ。

それが、外部には侮辱されているように見えるだけで、本人に他意はないのだと言う事を。

 

「起こした方が…いいよね?」

「うん、周りの視線が痛い」

「衛宮君に悪気はないのはわかるけど、私も気付いた時はちょっと…その、ムッとしたし……」

「無理もないと思う。彼、ちょっとマイペース過ぎる所があるみたいだし」

「それで誤解されちゃうタイプ…かぁ」

 

別に悪いことではないのだが、それが受け入れられるには周囲の寛容さが必要だ。

ただ、それを高校生に求めるのは些か難しい。

二人は反感を抱く前に好意的な印象があったので流せるが、0からのスタートになる大半の級友にとっては、マイナスの印象しか持てないだろう。

はじめだけでも、周囲と同じような態度をとっていれば話は別だったろうが……。

 

「とにかくまずは、起こすのが先決。これ以上、悪い印象を持たれたら挽回が大変」

「だ、だよね。衛宮君、ねぇ衛宮君ってばぁ……!?」

 

はじめは大き過ぎない声量で声をかけていたのだが、ちっとも起きそうにない。

肩を揺すったりもしてみたが、これもダメ。

よほど眠りが深い性質なのか……と思っていると、ようやくモソモソと身動ぎを始めた。

 

「ふぁ~~~~……(キョロキョロ)」

「えっと……おはよう、衛宮君」

「おはよう」

「ん~………………あぁ、オハヨー。北山さん、光井さん」

 

ようやく現状を認識したらしく、やや遅れて挨拶を返す竜貴。

まだ眠いのか目元を擦ってはいるが、改めて寝る素振りは見られないことに安堵する。

 

「起こしてくれたんだ、ありがとう」

「あ、ううん。別に……でも、中々起きなかったけど、寝不足?」

「ああ、いや……実家にいた時は、寝坊すると踵落としが降って来てたからさ。あんな風に揺すられると、かえって眠たく……ふぁ~、なるんだよね」

「か、踵落としって……誰に?」

「妹達、あと偶に母。母さんのはホントシャレにならないから……アレは充分人が死ぬ」

 

なにせ、代行者級の身体能力から繰り出される踵落としだ、畳を貫通するくらいは余裕。あれはもう凶器を通り越して兵器の域だと、個人的には思う。

なので、優しく起こされることに慣れていない。

元々あまり寝坊したりしないので、そういった事態になり難いのもある。

むしろ殺気とか敵意とか、あるいは怒気を放っていてくれたりすれば直に起きられるのだが。

そういう時は、直感が働いて近づかれた段階で目が覚める。

 

「ユ、ユニークなお母さんなんだ」

「外面おっとり系、中身は鉄拳制裁上等の武闘派だからね。周りはみんな騙されてる」

 

どうやら、曽祖母の猫被りはそちら側に遺伝したらしい。

などと言う話をしていると、教室の戸が開けられた。

 

ただ、それまでと違う点が一つ。

今までは皆それぞれの雑談や予定の確認に集中して、ほとんど見向きもしなかったのだが、今回は違う。

教室内は静まり返り、その視線は入ってきた生徒一人に集中していた。

無論、それはほのかと雫も例外ではない。例外は、竜貴一人だけだ。

 

(みんな、どうしたんだろ?)

 

皆の視線を追い、竜貴も戸の方に視線を向ける。

そこには、新入生総代を務めた絶世の美少女「司波深雪」の姿があった。

 

(すごっ……教室の空気と視線を全部もってっちゃったよ、あの人)

 

間の抜けた表情で感心するが、竜貴自身の目にはほとんど深雪は写っていない。

むしろ彼が見ているのは、深雪に見惚れているA組の生徒達。

全生徒が登校済みと言うわけではないとはいえ、教室内にいる生徒全員(竜貴は除く)の視線が集まっていることを確認して、その事に感心しているのだ。

やがて、級友達も次々と我に帰り「総代の司波さんだ」「やっぱりこのクラスだったんだ」などというひそひそ声がかわされ出す。

ただ、中には一向にこちら側に帰ってこない人物もおり……

 

「光井さん? お~い……ねぇ、大丈夫なの?」

「大丈夫、ちょっとフリーズしてるだけで、直に戻る。

 ほのか、司波さん私の後ろの席かもしれない」

「えぇっ!? そ、そういう事は早く言ってよ、雫~!」

「ね?」

「ホントだ」

 

雫の一言に、意味もなく慌てふためくほのか。

すっかり扱いを心得た様子の雫の手際に、竜貴は深雪が入ってきた時以上に感心する。

 

そうしている間にも深雪は流麗な歩調で足を進め、雫の言う通り彼女の鞄の置かれた机の後ろに座った。

ほのかとしては直にでも話しかけに行きたいが、何も言わずに竜貴をほったらかすのも気が引ける。

『なんて言って離れよう』などと迷っていると、その間にも深雪の周囲に人の壁が築かれてしまった。

 

「ぁ、あぁ~……私の馬鹿……」

「? もしかして光井さん、えっと……司波さん、だっけ? 彼女と話したいの?」

「え!? そ、その…別に、なんというか……」

「うん、ほのかは司波さんのファンだから」

「ちょ、雫!? 変なこと言わないでよ!」

「へぇ……まぁ、アレだけの美人ならそういう事もあるのかなぁ」

「だから違うの~、そう言うんじゃないんだってばぁ~」

 

ほのかの言い分はさらっと流し、話を進める二人。

出会って日が浅いにもかかわらず、中々いいコンビネーションである。

 

「そういえば、昨日もなんか落ち着かなそうにしてたけど、もしかして……」

「うん、司波さんに話しかけようと思ってたみたい。まぁ、結局人の波が凄いのと、明後日の方向を向いたガッツは出なかったからあきらめたんだけど」

「なるほどね……じゃ、ちょっとお節介してみようかな」

「え?」

「ほら、さっき起こしてもらったし…それに、僕の事を気にしてタイミング逸しちゃったみたいだからさ」

 

そう言い残し、竜貴は席から立ち上がるが…別に壁の方に向かおうとはしない。

しかし、それも当然だろう。人並み以上に背の低い竜貴だ。いくら壁の大半が女生徒とはいえ、それでもほとんどが竜貴より背が高い。仮に近づいて行っても、できる事はないだろう。

と思っていると、竜貴は二人が思ってもみない手段に打って出た。

 

「す・み・ま・せ~ん!! 司波さん!! ちょっといいですかぁ~!!」

(ただの大声~!?)

(………………………………凄い力づく)

 

雑然とした教室内でもなおかき消されない程の大音量で深雪に呼び掛ける竜貴。

これは、雫が言う所の『明後日の方向を向いたガッツ』に他ならない。

確かに周囲の意表を突く行動に、一瞬教室内が静まり返り、全員の視線が竜貴に集中する。

まぁ、そりゃ教室内でいきなり大声で叫んだりすれば、そうなって当然だが。

 

だが、竜貴は周囲の視線を完全に無視。

代わりに、ほのかの腕を引くと、そのまま深雪の方に向かって押し出した。

 

「えっ、まさか…ちょ、ちょっと待って!?」

「ごめんね、待ちません」

「お願いだからちょっと待って~~~~~~~~~~~~~~~~……あっ」

 

半分涙目になりながらの訴えは、軽くスルー。

気付けば、ほのかの目の前には唖然とした表情の深雪がいた。

 

「え、えと、あの…その……」

 

確かに深雪と話す場は設けられたが、その前段階が酷過ぎる。

これでは、一体何を話せばいいのやら……というか、相手にも周囲にも迷惑過ぎるだろう。

などと思っていると、突然目の前の深雪が口元に手を当てて「クスクス」と笑いだした。

 

(わぁ~、笑ってもすんごく綺麗~…じゃなくて!

 うぅ、そりゃ笑われるよね……もう、これどうすればいいの?)

 

と思っていたのだが、深雪の方は別にほのかを笑っているわけではなかったらしい。

 

「面白いお友達ですね」

「え?」

「加害者は自分、私や皆さんは被害者。特に、あなたは無茶な事をさせられた一番の被害者と言う形にしたんでしょう。少し突飛過ぎて驚きましたけど、優しい人ですね」

「ぇ、あ……」

 

小さく、ほのかにだけ聞こえる音量で深雪はそう竜貴の意図を推察する。

実際、周りから向けられる視線は同情的な物がほとんどだ。

なるほど、途中経過は色々アレだが、結果は申し分ないと言えるだろう。

 

「以前からのお友達なんですか?」

「い、いえ! その、昨日初めて……」

「うん、入学式で隣の席になったのが初対面」

 

まだ動揺が抜けず、上手く応えられないほのかに代わり、いつの間にか追い着いてきた雫が答える。

どうやら、彼女も竜貴に押し出された口らしい。

 

「そうなんですか? てっきり、以前からのお知り合いなのかとばかり……良い友人は得難い物ですから、少し羨ましいです。えっと……」

「光井、光井ほのかです!」

「司波深雪です。光井さん、よろしくお願いしますね」

「はい、こちらこそ!」

 

こうして、ほのかはなんとか念願叶って深雪との友誼を結ぶことに成功する。

 

「すみません、司波さん。驚かせちゃって」

「いえ、彼も光井さんの事を思ってのことでしょうし…それに、こういう驚きなら悪い気はしません」

「でも、何度もされると困る?」

「さすがに……何度もはちょっと。と、失礼しました。司波深雪です。あなたは……」

「北山雫です、お名前はかねがね。それと、衛宮君の事は大目に見てください。ほのかが司波さんの大ファンだって聞いて、ひと肌脱いでくれたんです」

「? どこかでお会いしたことがありましたか?」

「雫ぅ…やめてよ、恥ずかしい……」

「衛宮君の為」

「うぅ~、それを言われると……」

 

などと言う会話が三人の間でなされ、終始淑女の微笑みを絶やさない深雪。

ただその実、一つの単語を拾い上げ、心の中に深く刻み込んでいた。

 

(衛宮…そう、彼があの……)

 

決して怪しまれない様に注意深く、視界の端でその姿を確認する。

自身の兄を除けば、一高最大のイレギュラー。

そんな彼の存在は、兄至上主義の深雪にとっても無視しえないものだった。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

その後、オリエンテーションや専門授業の見学などがあったりはしたものの、特にこれと言った事もなく時間は流れていく。

強いて言うなら専門授業見学の際、教師からの問いに自信が無いのに無理に答えようとして撃沈した森崎某の後、何故か竜貴に問いが振られた。恐らく、この教師も衛宮の名が何を意味するか知っているのだろう。もしかしたら、今までにない答えを期待していたのかもしれないが、竜貴にそんな者に付き合う理由はない。

なので、彼は胸を張って簡潔にこう答えた。

 

「わかりません!」

 

取り繕う素振りの欠片もなく、いっそ清々しいまでに堂々と彼は断言した。

数名の心ないクラスメイトは失笑を漏らしたりもしたが、教師からの反応は存外悪くなかったりする。

 

「よろしい。わからない事をわからないと素直に認めるのは、実はかなり勇気のいることです。

 まぁ、あまり胸を張って言う様な事ではありませんが、その逆よりはよほどいい。

 皆さんも、誤りを認める勇気、知らない・わからないことを認める勇気を忘れないでください。

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と言います。謙虚な姿勢をどうか大切にしてほしい」

 

と、この様に評価された。魔法を学んで日の浅い本人は本当にわからないからそう言っただけなのだが、ほのかや雫、更には深雪からは結果的に高評価を得てしまう。

竜貴には、それが不思議でならなかった。

なにしろ、幼い頃より難解な神秘学を学んできた彼からすれば、『わからない』事が当たり前だった。

『わからない』事を『わかる』為に学ぶのだ。はじめからわかっているのなら学ぶ必要はない。

故に、『なにがわからない』かを知る事が学ぶための第一歩。『わからない』事を受け入れずに、一体何を学ぶと言うのだろう、と考えている。

むしろ、わかったフリをした時の方が恐ろしい。特に、偶に顔を出す曽祖母はその辺り物凄く厳しかった。

おかげで、変に取り繕う様な害にしかならないプライドはとっくの昔に捨てている。

 

ただ、この件があってからと言うもの、妙に一部男子からの視線に慣れない敵意が帯び始めたのが、竜貴にとっては頭が痛かった。

そしてそれは昼を跨ぎ、二日目のカリキュラムが全て終わるまで続いた。

 

「………………………」

「大丈夫?」

「つ、疲れた。体力的には何でもないけど、精神的に凄く疲れた」

 

机に突っ伏し、今にも溶けそうなほど脱力する竜貴。

本人には理由がさっぱりわからないのだが、専門授業の見学の最中から妙に不穏な視線を感じるようになり、それが徐々に…だが着実に増え、ついにはクラスの半数近くからそれが向けられている。

敵意や殺意などには割と慣れているつもりなのだが、あんな妙にねっとりした視線は初めてだ。

おかげで、なんだかよくわからないうちに疲労が蓄積して今に至る。

 

「なんなの、アレ? なんかこう……対処に困る視線を感じるんだけど」

「無理もないよね。お兄さんを除けば、司波さんが唯一自分から話しかけた男子ってなれば……」

「うん、男子からすれば抜け駆けも同然だろうし、嫉妬とか色々混ざってそう」

「どういうこと?」

 

やっぱり良く分かっていないらしく、二人の会話に首を傾げる。

件の専門授業見学がひと段落した後、竜貴は何故か深雪に話しかけられた。

と言っても、話の内容は雑談以下だし、かけた時間も十秒足らず。せいぜいが「先生もおっしゃっていましたが、わからない事を素直に認められるのはとても素晴らしいと思います。私も見習わなければなりませんね」と言う感じで、実質的には竜貴は何も言っていない。

本当に、竜貴にとっては良い迷惑だろう。

 

「この調子だと、学食に行かなかったのは正解かも」

「うん。ラッキーだったね」

「僕が屋上で弁当食べてる間になにがあったの?」

 

聞きたい様な聞きたくない様な、竜貴は曖昧な表情を浮かべる。

深雪をはじめ、A組のほとんどは午前のカリキュラムが終わった後、学食へ向った。

弁当を用意していた竜貴は、混雑していることが容易に予想できたこともあり、学食を食べる訳でもないのに席の一つを埋めるのは忍びないと別行動を取った。

ほのかや雫はどっちについて行くか迷ったが、ほのかがもっと深雪と話したいと思っている事を察し、「またあとで」と言い残してさっさと離脱したのだが……なにやら面倒事の匂いがプンプンする。

なるほど、二人の言う通り行かなくて正解だったようだ。ついでに、精神衛生上何があったかは聞かないのが正解だろう。

 

(これは、さっさと帰るか、適当に時間を潰してから出た方がいいかも)

 

などと、面倒事から逃げる気満々の竜貴だったが、どうやらそうは問屋が卸してくれないらしい。

 

「あの、光井さん?」

「お願い、一緒に来て! またなにかあったら、私どうしたらいいか……!!」

「いや、そんなこと言われても……」

「私からもお願い。衛宮君、結構要領良さそうだし」

 

美少女二人に頼りにされて悪い気はしないが、自然竜貴の表情は困り果てた物となる。

どちらかというと、要領は良くない方だと思う。出なければ、一族の女性陣に玩具にされる事はないだろう。

朝の件は、単に自分が悪者になると言う、衛宮の悪い特技を応用しただけだ。

ここでノコノコついて行っても、男子達からのあのねっとりした視線に晒された揚句、面倒事に巻き込まれたのでは目も当てられない。

彼の直感と本能は満場一致で戦略的撤退を可決している。

そう、可決しているのだが……

 

「う~…………」

「………………」

 

半涙目と、感情の窺えない眼差し、二種の視線に晒されるとどうにも身動きが取れない。

曾祖父に似たのか、できない事はできないとはっきり言えるのだが、できる事を頼まれると断れないのが、竜貴自身も認める悪い癖だった。

やがて、竜貴は逡巡の末、腹を決める。

 

「……………はぁ。わかった、行くよ。でも、あんまり期待しないでね」

「あ、ありがとう!!」

「なんか、その……ごめんね」

「そう思うなら頼まないでよ」

 

力なくぼやきながら、竜貴は急いで深雪を追い掛ける二人を追い掛けるのであった。

 

 

 

で、案の定…あるいは期待通り、正門前で面倒事は勃発した。

 

「深雪さんはお兄さんと帰るって言ってるでしょう! 一緒に帰りたいならついてくればいいですし、嫌ならあきらめれば良いじゃないですか! 自分達の都合ばかり押し付けないでください!!」

(お~、大人しそうに見えて言うなぁ…あの人)

 

今時珍しい眼鏡をかけた大人しそうな少女が、その雰囲気に反して語気を荒げて猛抗議している。

言っている事は至って正論で、精神的には限りなく傍観者に近い竜貴としてはただただ頷くばかり。

どう見ても聞いても、理は二科生側にあるとしか思えない。

 

ただ、彼女は一つ見落としている。

正論で抑え込めるのは理性だけ、感情は正論では動かない。

動くように見えても、その実抑え込まれた理性が感情をさらに抑えているだけ。

この年代は、まだまだ理性と感情の均衡が取れているとは言い難い。理性より感情が優位に立ち易いのだ。

つまり、どれだけ至極まっとうな正論でぶん殴ってやっても、効果はいまいちなのである。

 

「昼もあまり話せなかったし、何より二科生にはわからない話もあるんだ!」

(カリキュラムの内容は同じだし、そんなのあったっけ?)

「そうよ! 少し時間を借りて相談に乗ってもらうだけよ!」

(そういうのは、まず本人に許可を取るのが筋じゃないかなぁ……)

 

やはり、一科生側の主張に理と呼べるものはない。

ただただ感情的に、自分達の要望を垂れているだけ。冷静になればすぐにわかりそうなものだが、今の彼らにはわからないのだろう。そして、「冷静になろう」と言ってもなれない。これが、感情的になった人間の厄介さだ。

 

(まったく、これではどちらが一科生でどちらが二科生かわかったもんじゃない)

 

まったく、あきれ果てて物も言えないとはこの事だ。

言うべき事は山とあるのだが、それを口にする気力がガリガリと削れていき、とっくの昔に地下一万メートルな気分である。

 

(これをなんとかしてくれって言われてもなぁ……)

 

一科生の集団の最後尾でチラリと視線を横に向ければ、助けを求める二対の眼差し。

いやホント、どうすればいいのか自分が教えてほしいとさえ思う。

腕づくで制圧するなら5秒と掛けずにやる自信はあるが、そこまでする様な事態でもない。

かと言って、朝の些か強引過ぎるやり口のせいで、ほのかと雫、それに深雪以外とはほぼ交流を持てていないも同然の自分の言葉が聞き入れられる筈も無し。特に、男子は絶望的だろう。

 

昨日までは「男子の友達欲しいなぁ」とか思っていたが、もう悟った。

少なくとも、このクラスで同性の友人を持つ事は衛宮が二流の魔術師になるくらい難しい。

こう言うと簡単そうだが、衛宮にとって二流と三流の間にある断崖はチョモランマよりも高く、マリアナ海溝よりも深い。早い話、ほぼ不可能と言う事だ。

なにしろ、男子生徒達からは妙な敵意の視線を向けられ、今語られている聞くに絶えない身勝手な理屈は、正直「友達にはなれない」と思えてしまう。あとはもう、他クラスと別の学年に希望を見出すより他はない。

だがそれはそれとして、竜貴には一つ気になる事…いや、人がいた。

 

(ふ~ん。まさか、アレが司波さんのお兄さんとはね。世間は狭いなぁ)

 

気付かれないように視線を向けた先には、昨日見かけた異物。

なんとなくだが、彼はとてもとてもトラブルに愛されていそうな気がする。

衛宮の初代も大概だったらしいし、きっと彼もその口に違いない。

 

なんて現実逃避している間に、事態はさらにこじれにこじれていく。

ただし、これには二科生側に全く非が無い事もないが。

 

「なんの権利があって二人の中を引き裂こうとするんですか!!」

(あれ? なんか話が微妙にズレている様な……司波さんも、挙動不審っぽいし)

「み、美月は何を勘違いしているんでしょうね?」

「深雪、何故お前が焦る」

「い、いえ! 焦ってなどいませんよ?」

「そして、何故に疑問形?」

(なんだろう、あの二人の周りだけ空気が違う)

 

なんというかこう、胃にもたれる系の空気が感じられるのは気のせいだろうか。

 

「まったく、君たちはなぜ楯突くんだ? この魔法科高校は実力主義、君たちだってそれは承知の上だろう。

 その実力において僕達ブルームは上、君たちウィードは下と判断されたんだ。

 その序列は守られなければならない、そんなこともわからないのか?」

(それはあくまでも総合力の話だよ、森…山君。魔法に限定しても、細分化した一つ一つの能力はその限りじゃない。彼らの中…あるいは全員が、ある分野では君を上回るかもしれない。

そして、状況次第ではそれ一つで充分挽回はできるし、そもそも序列は入れ替わる物だよ?)

 

なにしろ、衛宮がその好例だ。

彼らはある一点の身に特化した魔術師。それ以外の面では、すべてにおいて他の魔術師に劣る。

だが、それでも彼らは数多くの魔術師を凌駕してきた。

それはひとえに、唯一の武器を最大限活用してきたからだ。

そういう一族の出であるが故に、竜貴には森崎の発言が空虚に感じられてならない。

 

「同じ新入生なのに! 今の時点で、あなた達ブルームがどれだけ優れてるって言うんですか!」

「ふ~ん、これは…………痛い目に遭うのも、丁度良い薬かなぁ」

 

『美月』と呼ばれた眼鏡の少女の訴えに、竜貴は肩を竦めて小さく呟く。

普通なら誰にも届かないだろうが、竜貴の動向を注視していたほのかと雫には聞こえてしまった。

 

「ちょ、衛宮君!」

「いくらなんでも、それは酷い……」

 

『見損なった』とばかりに厳しい視線を向けて来る二人。

その間にも、美月の発言が癪に障ったらしい森崎から不穏な空気が漏れだす。

見れば、二科生側の男子の一人が挑発を仕掛けて、それを煽る始末。

この先の顛末は、僅かでも想像力があれば容易く思い至るだろう。

そしてそれは、間もなく現実の物になった。

 

「お前達と同列に語るな。才能の差を教えてやる!」

 

森崎が下校の際に返却されたCAD(術式補助演算機)を抜き放つ。

それも、物は機能を一部制限した代わりに攻撃力を重視した特化型。

CADを抜き放つ動作にも淀みはなく、一科生の名に恥じぬ迅速さだ。

それに気付いた二人はこのすぐに訪れるであろう惨事を予感し、悲鳴に似た声を漏らす。

 

「「あっ!?」」

「彼女は大丈夫だよ、二人とも。痛い目を見るのは……………彼の方だから」

 

しかし、竜貴は動じない。彼は気付いていた、森崎を挑発した大柄な少年と美月の後ろに立つ、赤毛の少女がすでに臨戦態勢を整えている事に。

そしてその技量が……魔法以前の、純粋な体術において抜きんでた技量の持ち主である事にも。

 

「ま、ちょっとは反省しなよ、木山君」

 

今回の非は明らかに一科生側にある。あまりやり過ぎるようなら止めに入るつもりだが、そうでないなら荒療治と思って手出しはしないつもりなのだ。

もちろん、もしもの時の為に制圧する準備だけは怠っていない。

森崎だけなら彼女の技量であれば問題はないだろうが、問題はその後の展開次第。

 

その間に、少女は身体を影にして隠していた特殊警棒を手に森崎に接近。

引き金を引くよりも速く、CADを天高く弾き飛ばした。

 

「お見事」

 

思わず、竜貴の声から称賛の言葉が漏れる。

凄まじいと言っていい技量の持ち主だと思っていたが、どうやらそれでも評価は甘かったらしい。

手ではなく心が得物を握った瞬間、彼女の全てが豹変した。

 

さながら、大型の猫型獣を想起させる獰猛さと冷静さ、そしてその身のこなし。

彼女も、ある種の本物だ。得物を握ることでスイッチが切り変わる。

人間から、敵対者を破壊する暴力装置へと。丁度、魔術師が魔術回路を入れる様な、それほどの鮮やかさだ。

技量で彼女の上を行く人間はいるだろうが、その中でもこのレベルで自己の切り替えができる者は多くはないだろう。

 

(それに、一瞬雰囲気が変わりかけた所からすると、司波さんのお兄さんもそうかな?

 ちょっと魔法科高校舐めてたかも。一年生であんなのが少なくとも二人……おっかないなぁ)

 

何をしようとしていたかは分からないが、少女がしくじれば確実に彼が“何か”をやっていた。

いま美月に「エリカ」と呼ばれている少女とはやや違うが、あちらからは氷山の印象を受けたので間違いないだろう。もうすでに、その残り香すら在りはしないが。

 

それにしても、竜貴も人の事は言えないが、どんな育ち方をしたらあの年齢で……と思ってしまう。

確実に、二人とも一般家庭の生まれではない。

そして、別の意味で驚いたのがもう一人、森崎を挑発していたあの少年だ。

 

「テメェ、今俺の手ごとぶったたこうとしただろ」

「あ~ら、そんなことしないわよ」

「わざとらしく笑って誤魔化すな!!」

(彼なら避ける位できるだろうけど、あそこで無策のまま前に出るかね、普通)

 

身体能力が高いのはわかっていた。咄嗟の判断力と機転も予想の範疇。

とはいえ、敵の武器を直接掴みに行くと言うのは、無謀と言うかなんというか。

 

「スゴイ……」

「でも、これでなんとか収まりそう」

「だと良いんだけど」

「え、まさか……」

「魔法も使わずに………ふざけやがって!」

「なめないでよね!」

「はぁ……やっぱり」

 

当たってほしくない予想が当たってしまった。

森崎を一蹴され、大半のA組連中が頭に血が上って暴走してしまっている。

これはもう、言葉では止まりそうにない。

 

「と、止めないと!」

「うん!」

「やめた方が良いよ。どうせ聞こえちゃいないし」

「でも、それじゃ……」

 

止めに入ろうとする二人の腕を掴み、それは無意味だと告げる。

当然二人は納得できないようだが、皆の冷静さを失った様子を見れば理解するしかなかった。

かといって、これを放置することもできる筈が無い。

 

「こうなったら、私の魔法で!」

「ダメ、ほのか!」

「いぃ!? いやいや、それは不味いって!」

 

テンパってしまったのか、得意の閃光魔法で場を収めようと動き出すほのかに、二人は待ったをかける。

 

「でも!」

「まぁ、なんとかしてみるよ。ダメなら実力行使になるけど、勘弁してね。あんまり自信ないから」

「っていうか、私はダメで自分はやるの?」

「少なくとも、光井さんよりは冷静なつもりだよ? こういう時、慌てても良い結果にはならないさ」

「うぅ……」

 

事実なだけに言い返せないほのかは一歩下がる。

ただ、竜貴が何をするつもりかは分からないが、上手くいかない可能性は拭えない。

念の為、用意した閃光魔法は引っ込めずに残しておく。

 

「でも、なんとかってどうやって……?」

「こうやって」

 

竜貴は、魔法科高校に入学するに当たり一応購入したCADで、『あらかじめ準備を進めていた魔法』を起動させる。同時に、一族の秘奥を展開する時のことをイメージする、これがコツだ。

そしてその瞬間、竜貴を中心とした半径10メートルほどの範囲の空気が変わった。

 

「な、なんだこれ!?」

「魔法が、使えない!」

「どうなってるんだ!?」

 

魔法を使おうとし、発動直前でそれが不発に終わった一科生たちの間で動揺が広がった。

もう誰も、二科生相手に実力行使に出ようとは露ほども思わない。

想う余裕すらない、と言うべきか。

そんな彼らと同じく、はじめは何が起こったか理解できずにいたほのかと雫だが、やがて竜貴が使用した魔法の正体に思い至る。

 

「まさかこれ、領域干渉?」

「で、でもこんな……こんな干渉強度、普通じゃないよ!」

 

『領域干渉』。それは、一定領域に対して「自分がその領域に干渉している」「事象が改変されない」という定義内容のみを持たせた魔法式を作用させ、その領域内で他者の魔法の発動を妨害する対抗魔法。

それ自体は何らおかしなものではないし、珍しくもない。

対抗魔法としては対象物のエイドスの一部もしくは全部を複写し、それを魔法式として対象に投写しエイドスの可変性を抑制する「情報強化」と並んで、もっともポピュラーな物の一つ。

 

問題なのは、それを行う干渉強度。

干渉強度とは、魔法を使う上での地力を現す『魔法力』、「処理速度」「演算規模(キャパシティ)」に並ぶ三要素の一つ。端的に言えば、それぞれが使う魔法の「処理速度=速さ」「演算規模(キャパシティ)=複雑さ」「干渉強度=強さ」を表わしている。

ほのかも雫も一科生だけあり、並以上の魔法力…干渉強度を有している。

 

にも関わらず、疑う余地もなく確信させられた。

自分達とでは、干渉力の桁が違う、と、

 

「さて、みんな少しは落ち着いてもらえたかな?」

「……これは、お前がやったのか?」

「うん、まぁ一応」

 

先ほどまで混乱の極みであったにもかかわらず、気付けば皆竜貴に注目していた。

彼らも魔法師。この領域干渉を誰が行ったか、感覚的に理解できたからだろう。

ただ、理解と納得は別物なのか、クラスメイトの一人からの問いかけに竜貴は平然と頷き返す。

 

「いったい…一体どういうつもりだ!」

「どうもいうつもりも何も、幾らなんでもやり過ぎでしょ?

 魔法を、それもこんな大人数で」

「ちょっと~、魔法ならさっきも使われそうだったんですけど~」

 

困ったように首を傾げる竜貴に、エリカが茶々を入れる。

しかし、竜貴は気を悪くした素振りも見せず、当たり前のように答えた。

 

「それは大丈夫だってわかってたから」

「ふ~ん……わかってたんだ」

 

それだけで十分だったのか、それ以上エリカは何も言わない。

一科生達もようやく冷静さを取り戻したらしく、魔法の使用がやり過ぎである事を実感していた。

結果、なんとも言えない沈黙が場を満たしていたのだが、竜貴は唐突に横合いに視線を向ける。

 

「というわけで、一応穏便に片が付いたので見逃してもらえませんか?」

『え……』

 

竜貴につられて大半の生徒がそちらを向くと、そこにいたのは一高の三巨頭の二人、七草真由美と渡辺摩利の二人。

その瞬間、一科生たちの顔から血の気が引いた。

 

「生徒会長…それに、渡辺委員長まで」

「そうね、できれば私もそうしてあげたいけど」

「自衛以外の魔法による対人攻撃は校則以前に法律違反だ。

 未遂とはいえ、お咎めなしとはいかん」

 

摩利の厳しい一言に、場は沈痛な空気に包まれる。

竜貴としても、そう言われると反論のしようが無い。

法律違反なのは事実で、幾ら未遂とはいえそれは自分たちで止めたのではなく、竜貴が腕づくで止めただけの話。

もし竜貴が止めず、摩利も真由美もいなかったら魔法は確かに使われていただろう。

ならば、罰則とはいかないまでも厳重注意くらいは甘んじて受け入れねばなるまい。

と竜貴が思っていると、それまで半ば以上場に埋没していた達也が一歩前に出る。

 

「すみません、悪ふざけが過ぎました」

「悪ふざけだと?」

 

思っても見ない達也の一言に、竜貴も含めて意表を突かれた様な表情を浮かべる。

 

「はい。森崎一門のクイックドロウは有名ですから、後学の為に見せてもらうだけのつもりだったのですが、あまりに真に迫っていた物で、つい手が出てしまったのでしょう。なぁ、エリカ」

「え? あ、うん」

「ほぉ…では聞くが、その後の混乱はどう説明する? 私には、一科生側が無秩序に魔法を使おうとしていた様に見えたが……中には、攻撃性の魔法を使おうとしていた者もいたぞ。まぁ、彼女の場合は彼と同じように場を収めようとしていたようにも見えたが……それにしても、些かやり過ぎのきらいは拭えないぞ」

「……」

 

摩利に指摘され、ほのかは制服の裾を堅く握りながら俯く。

彼女の言う通り、場を収めるためとはいえ攻撃性の魔法の使用が許される訳ではない。

ほのかが使おうとしていたのは強い光を放って皆の意識を一点に集中させる事を目的とした閃光魔法だが、そこまでわかれというのは無理な話だ。

 

(嫌われ、ちゃったかな……)

 

誰に、とは言うまでもない。

場を収めようとしてこれでは、そう思われても無理はないと思う。

頭ではわかってはいるが、そう思うとただただ悲しかった。

せめて、迷惑をかけてしまった生徒会長や風紀委員長には誠心誠意謝ろうと思う。

しかしそこで、達也が再度口を開いた。

 

「いえ、彼女が意図していたのは目くらまし程度の閃光魔法でしょう。それも、失明したり視力障害をおこしたりする程のレベルではありませんでした」

 

正確に、寸分違わずほのかの意図を読み取り、達也は断言する。

あれは、どう転んでも周囲に危害を加える様な類の魔法ではなかったと。

 

「ほぉ、君は起動式が読み取れるとでも?」

「実技はともかく、分析は得意ですので」

(かばって、くれた?)

 

彼からすれば、自分も含めて鼻もちならない一科生と思われていた筈だ。

にもかかわらず、自分の意図をくみ取り、こうして弁護してくれる。

そんな達也の姿に、ほのかは己が胸中がじんわりと暖かくなるのを自覚した。

入試の際、初めて見かけた時はその無駄のない綺麗な魔法に憧れさえ抱いた。

そして今は、なんの得もないのに見ず知らずの自分を庇ってくれている。

それが、ほのかにはとても嬉しかった。

 

「摩利、もういいじゃない。見た所、みんな十分反省してくれている様だし。

 実際、何事もなかったんだから」

「あのなぁ……はぁ、もういい。会長もこうおっしゃられている事だし、今回は不問に付す。

 以後、この様な事が無い様に。それにしても……今年は面白い奴が多いな」

 

それまでの委員長としての顔ではなく、素の彼女が顔を出す。

その視線の先には起動式を読み取ると言う非常識を「分析」の一言で片づけた達也と、何故か竜貴の姿があった。

 

「君の名前は?」

「一年E組、司波達也です」

「覚えておこう。それと、衛宮くん」

「はい?」

「さきほど正式に十文字会頭から指名されたばかりだと言うのに、もう成果を上げたな。

実に有望だ、風紀委員会は君を歓迎するよ」

「はぁ…どうも」

 

そんなつもりはサラサラなかっただけに、竜貴としても反応に困る。

しかし、周りはそうではない。入学二日目にして、それも生徒の情報をほぼ把握している教職員推薦枠ではなく、部活連枠で既に風紀委員会入りが決定しているというのは、尋常ではない。

つまり、それだけ衛宮竜貴と言う少年の事を“あの”十文字克人は買っていると言う事だ…と思うのは自然な流れだろう。

 

「それに、良い物も見せてもらった。一高始まって以来…いや、非公式ながら事象干渉力においてギネス記録を越えたと言う君の力を見れたのは収穫だったよ」

『えぇっ!?』

 

皆が驚くのも無理はない。

ギネス記録を越えたと言う事は、つまりこと干渉力においては竜貴は世界一の魔法師と言う事になる。

それこそ、この一点にかけては主席の深雪をも上回るということだ。

それどころか、十師族の直系をも上回るなど異常事態と言っていい。

ただ、竜貴からすればその評価は正確性に欠けていると思う。

 

「あの、委員長?」

「なんだね?」

「そりゃ、確かにそういう事になってるらしいですけど……僕、干渉力以外は軒並み平均以下なんですが。

 それこそ処理速度と演算規模は二科にも引っかからないレベルですし。一高に入れたのも、干渉力が他の二つを補ったからってご存知ですよね?」

「もちろん知っている。私も初めて聞いた時は耳を疑ったが、君はとてつもなくピーキーなようだな」

「ええ、自覚してます」

 

そう、確かに干渉力においてはギネス記録を塗り替える結果が出た。

出たことには出たのだが、代わりに処理速度と演算規模が低すぎる。

おかげで、特化型のCADを用いてすら、魔法の発動速度が大変遅い。

その上、少しでも工程の多い魔法などは起動させることすらできない。

先ほど、あらかじめ領域干渉の魔法式を用意していたのも、事態が動き始めてからCADを操作していたのでは間に合わなかったからだ。

 

「しかし、風紀委員としてはあの領域干渉だけでもお釣りがくる。

 君がアレを展開している間、領域内で魔法を使うのはほぼ不可能だ。

 外部から発生した効果をぶつけるなら、その限りではないが」

「その範囲にしたって、いいとこ10メートルが精々なんですけど」

「それで充分だろう。ネックは発動までの時間だが、それ一本でなんとかなるならそれだけを用意していれば問題にはならん。攻撃力には欠けるが、制圧力や防御力はピカ一だろう」

「まぁ、そうですけどね。どの道、他の魔法ほとんど使えませんし」

 

後半部分は聞こえないようにボソッと、その事実と原因を知られると後が凄くメンドくさい。

真由美と摩利の二人はおそらく知っているだろうからいいのだが、一科生たちに知られるのが、だ。

 

まぁそれはそれとして、魔法の訓練を積んでみてわかったのだが、竜貴に適性のある魔法はほぼ二つに絞られる。

一つは、もちろん領域干渉。一族の秘奥を展開する様な感覚でやると、この通り異常な干渉力を出すことができる事がわかった。まぁ、理由はなんとなく想像がつく。衛宮の秘奥は世界に干渉するのではなく、世界を塗り潰す大禁呪。魔法の源流が魔術にある事を考えれば、その辺りが影響しているのだろう。

そして、もう一つと言うのが……ある意味、実に衛宮らしい魔法だったりする。

 

「まだ話したい事はあるが……」

「摩利、あまり引き留めちゃダメよ」

「わかっている。続きは、また日を改めることにしよう。

幸い、明日からは頻繁に顔を合わすことになるからな、楽しみにしているよ」

「衛宮君、私にも今度お話聞かせてね。達也君と深雪さんも、さようなら」

 

そう言い残し、二人は校舎へと消えて行った。

その後、一科生たちは消沈した様子で解散。ただ、例の森崎だけは最後に達也に喰ってかかっていたが、たいしたことではないので省略。

むしろ重要なのは、帰ろうとする達也達のグループにほのかが勇気を出して突貫。

達也に謝罪と弁護に対する感謝を丁寧に述べた上で、晴れて共に下校と相成った。

 

竜貴としては、それを見届けた段階で「良かった良かった」と満足して帰ろうとしたのだが……思わぬ伏兵がいた。

チェシャ猫の笑みを浮かべるエリカが近付いてきたかと思うと、「逃がすものか」とばかりに腕を拘束。

というか、見事な手際で関節を極められてしまい、抜け出せない。

結果、そのまま引きずられる様にして、竜貴は皆を駅まで送る羽目になってしまったのだった。


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