「あれが、始まりの魔法師の末裔…か」
深雪より一足早く着替えを済ませた達也は、自宅のソファに身を預けて微かに呟く。
掌で灯りを遮りながら思い浮かべるのは、本日知己を得たばかりの外見上は大変幼く見える少年。
まさか、入学二日目にして関わることになるとは思ってもみなかった。
それこそ、かなり高い確率で「顔を知っている」という程度の間柄に留まったことだろう。
それもその筈。なにしろクラスが違うどころか、一科と二科と言う壁すらあるのだ。
両者の間に横たわる区別意識は根強く、これを忘れて互いに言葉を交わすことは思いの外難しい。
にもかかわらず、想定外の…それも割とどうでもいいトラブルのおかげで、こうして知り合う事になった。
どちらかと言えば、嬉しい誤算…と言っていいだろう。
達也としても、未だ謎に包まれている魔術師と彼らが保有する技術と知識には並々ならぬ関心がある。
自分達魔法師には未だ届かぬ領域でも、遥かな過去から研鑽を続けて来た彼らなら、既に手中に収めている物もあるかもしれない。物によっては、自らが目指す命題への足掛かりにもなるだろう。
そんな期待があった事は否定しない……否定、しないのだが……。
「いや…だが、うん……まさか、あんなことになるとは……」
珍しく…本当に珍しい事に、達也の表情と声音に濃厚な困惑の色が浮かぶ。
無理もない。言われてみれば納得できるが、今日までの流れを考えるとあり得ないとしか思えない。
それも、当の本人のどうでも好さそうな態度と言ったら……今まで魔術師について思い悩んだことのない達也ですら、頭を抱えたくなる。
何せ魔術師と言えば、十師族の中でも特に秘密主義で知られる『四葉』と少なくとも同等以上、と考えられ、事実そうあり続けてきた存在。
だと言うのに、実際に顔を合わせて見れば……外見と実年齢のギャップを除けば、拍子抜けする程普通だった。
いや、普通どころかオープン過ぎる。なにしろ……
「今まであれだけ関わらせなかったくせに、自分から暴露するか…普通」
思い返すのは、まだ一時間も経っていないであろう下校中の出来事。
ことは、駅とは真逆に位置するアパートへと帰ろうとした竜貴を、何を思ったのかエリカが捕縛した後。
竜貴自身が「やれやれしょうがない」とばかりに苦笑しながら、特に抗議することもなく連行されていたので、なし崩し的に歩いていた時のことだ。
さすがにエリカの傍若無人ぶりが目に余ったのか、やや非難がましい視線で美月が注意したのが発端である。
「エリカちゃん、幾らなんでも強引過ぎだよ」
「いいのいいの。こんな可愛い女の子と手を繋げてるんだから、報酬としては充分でしょ」
「繋ぐと言うより、極められている気がするのは僕の気のせいだろうか……」
「そう、気のせい気のせい♪」
連行されることには一言も文句を言わなかった竜貴から向けられる、精一杯の抗議を込められた視線。
しかしそれを、エリカは柳に風とばかりに受け流す。
その瞬間、竜貴の口から微かにこぼれた「うちの女傑と同じあくま系かぁ」という声をしっかり達也は拾い上げ、慣れと諦めで彩られたその声音に無性に同情したくなった。
「ごめんなさい、衛宮君。もう、エリカったら……」
「まぁいいよ。駅から帰っても、多分みんなより着くのは速いし、帰っても特にすることないし」
「悪いな、俺からも謝罪する」
「そして元凶のこいつはあやまらねぇわけか」
「なんか言った?」
「いんや、なにも」
言うだけ無駄と判断したのか、それともあまり長引かせても口では勝てないと早々に悟ったのか。
大柄な少年「西城レオンハルト」は、あっさり引いて見せたのだが、エリカの口車に乗せられて結局口論じみた夫婦漫才に発展。
まぁ、いい意味で賑やかなのは事実なので、誰もが「喧嘩する程仲が良い」と言わんばかりの態度だ。
その後も、深雪のCADの調整を達也がしている事やエリカの特殊警棒型CADの話などしながら、のんびりと帰路に着く。
まぁ竜貴の場合、話の内容を半分も理解できず、精々が『刻印型の術式』とやらが魔術っぽいなぁと思ったり、兜割りなんて言葉が平然と出てくるあたり、やっぱり只者じゃないと思うのだった。
「ところでさ、竜貴君」
「ん?」
エリカの提案で、司波兄妹のこともあって全員が基本的に(強制ではないので例外はいる)名前呼びになった所で、エリカが唐突に竜貴に話を振る。
「竜貴君ってさ、衛宮なんだよね?」
「そうだけど?」
「それってやっぱり……………あの衛宮?」
それまでのにこやかな表情から一変し、エリカは凄味の溢れた剣士の表情を浮かべる。
同時に、司波兄妹もまた密かに警戒レベルを上げた。
考えて見れば、何も不思議な事はない。
エリカは百家の一角、「千葉家」の娘。達也は千葉家にエリカと言う娘がいるとは知らなかったので判断を保留していたが、兜割りなんて奥義級の技をこともなげに口にする以上、間違いあるまい。
また、そんな彼女なら、衛宮の存在を知っていても不思議はない。
何しろ彼女は別名「剣の魔法師」と呼ばれている、千葉家の娘。
知っているからには、同じく『剣』を象徴する身として流すことはできなかったのだろう。
強引に同道させたのも、この為と言う事か。
「あ~……魔術師のって言うんだったら、うん」
「ふぅん、認めちゃうんだ」
「別に隠すような……………………………あ、まだ隠さなきゃいけないんだったっけ、これ」
「うわ、いい加減!?」
(いいのか、それで?)
エリカではないが、達也としても竜貴の隠すことそのものを忘れていた素振りには呆れてしまう。
これが、百年に渡って謎に包まれていた一族だと言うのだから、信じがたいにも程がある。
よもや、自分からその単語を口にするとは……。
正直、竜貴がそれを口にした瞬間の動揺は計り知れない。
達也も深雪も辛うじて表には出さなかったが、抑えるために動員した自制心は過去最高レベルである。
そんな二人の努力を知ってか知らずか…いや、確実に気付いていないだろうが、竜貴はのんびりとした調子でその先を紡いでいく。
「いやぁ、隠すまでもなく大抵の人は知らないし、はじめから知ってる人には隠す必要ないからさ、つい」
知らない筈の人間にばれるのが問題なのであって、知っている人間に誤魔化す意味はない。
今回のケースで言えば、知っているエリカに素直に白状するのは問題ではない。
聴いているのが、エリカ一人であれば。
そう、この場にいる友人たちのほとんどが知らない筈の人間なので、充分過ぎる大問題だ。
なのに、竜貴からは一切の焦りが見られない。
これには、さしものエリカも若干後ろめたそうにお伺いを立てる。
「私が言うのも変だけど、良いのそれで? ここには皆もいるし」
「どの道遅かれ早かれだよ、きっと。僕の存在そのものが不審の塊みたいなものだし、勘の良い人なら早い段階で違和感に気付く。さっき会長さん達の前でも言ったけど、干渉力以外は平均以下どころの話じゃないしね。
そんな体たらくで、どうして一科生なんだってさ」
「むぅ……」
確かに竜貴の言う事にも一理ある。
魔法科高校である以上、魔法の実技は欠かせない。にもかかわらず、その実技の現場で明らかに一科生に相応しくない技量を示せば、あっという間に疑いの目を向けられる筈だ。
干渉力で残りの二つを成績の上では補えるとは言え、生徒達から何も言われないとは思えない。
そうして怪しまれた時点で、『隠す』と言う意味ではほぼ失敗と言えるだろう。
確かにその理屈は分かるが、だからと言って知らない人間の前でその単語を口にするか…と、達也が内心で唖然としていると、案の定と言うべきか、ほのかと雫から確信に迫る問いが放たれる。
「魔術師?」
「竜貴君って、もしかして古式魔法師なんですか?」
(まぁ、当然聞かれるな……)
反対側を見れば、レオや美月も声にこそ出していないが興味津々と言った様子。
達也と深雪も怪しまれないように振舞う…まぁ、気になると言うのは嘘ではない。
ただ、他の面々とはベクトルが異なるだけだ。
一体どうやって誤魔化すつもりなのかと思っていると、竜貴は予想の斜め上を遥かに超えた答えを口にする。
「ううん、魔術って言うのは魔法の原型になったもので、古式魔法は魔術から魔法に乗り換えた……」
「げぇっ!?」
(おいおい……!?)
まさか、バカ正直に答えるとは思っていなかった。しかも、こんな天下の往来で。
それはエリカも同様の様で、年頃の少女らしからぬ声が漏れている。
無理もない、と達也も思う。達也自身はなんとかポーカーフェイスを保っているが、深雪は既に仮面がはがれている。幸い、皆の注目が竜貴に集中しているおかげで気付かれていないが、その反応は明らかに知っている側のそれだ。
「ちょっと、竜貴君こっち!」
「え、え?」
「良いから来い!!!」
困惑する竜貴を思い切り怒鳴りつけ、近くのカフェへ連行するエリカ。
話を振ったのは彼女だが、こんなことになるとは思いもしなかったのだろう。普通はそうだし、達也も同情する。
この場合、相手が悪すぎた。
恐らくエリカは、秘密を知っている事を利用して会話…あるいは交渉の主導権を握ろうとしたのだろうが、相手がアレでは意味が無い。
むしろ、当の本人が平然と語り出す物だから、エリカが配慮に回らなければならない始末。これでは立場がアベコベである。
そんな二人に困惑しつつ、後を追う一同。
カフェに乗り込んだエリカは、そのまま迷うことなく一番奥にある個室へ向う。昨日の帰りに深雪達と利用した店だったので、構造を知っていたのが幸いしたのだろう。それ以前を考えると、なんの慰めにもならないが。
傍若無人なお客に店員が何か言おうとするも、それを眼力一つで黙らせ、人目に付かない部屋に陣取る。
そこまで来て、ようやくエリカは竜貴の腕を離し深々とため息をつく。
「はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~……」
「大丈夫?」
(ギロッ!)
心配そうにのぞきこむ竜貴に、殺意さえ籠りそうな睨みを返すエリカ。
常人なら腰を抜かしそうな視線だが、竜貴はそれをどこ吹く風と受け流す。
全然、全く、これっぽっちも動じた様子は見られない。その点に関して言えば、前評判通りと言えるだろう。
それ以外に関しては、意表を突かれっぱなしだが。
「…………………で、どういうつもり?」
「なにが?」
「あんな所で! よりにもよって魔術の話をする事が!!」
「話を振ったのはエリカさんじゃないか」
「それは! それは、たしかにそうだけど……」
激昂寸前のエリカに対し、竜貴は平然としたもの。
事情を知らないと、竜貴がまっとうな事を言っているように聞こえるから不思議である。
実際には、エリカの反応が正しいのだが。
「なぁ、達也。アイツ何怒ってんだ?」
エリカ達に遅れて腰を落ち着けたレオに聞かれるが、達也に聞かれても困る。
もちろんわからないからではなく、わかっていても答えられないからだが。
とはいえ、このままでは埒が明かないのも事実。
気が付けば、達也に場の調整役としての期待の視線が集まる。先ほどの、校門前での事が原因だろう。
抵抗が許されないその視線に、已む無く達也は面倒事を引き受ける。
もちろん、「何も知らない」という立場から。
「ああ、エリカ。一体何をそんなに怒ってるんだ?」
「怒ってる訳じゃないわよ!!」
「怒ってるようにしか見えないけど?」
「わかった、確かにエリカは怒ってない。実に冷静だ。それと竜貴、頼むから今は余計な事は言わないでくれ」
一切の悪気なく首を傾げる竜貴に、「黙っていろ」と釘を刺す。
どうも、自分達と竜貴との間には、何か大きな認識のずれがある様に思えてならない。
魔術師との価値観の違いか、それとももっと別の要因かは分からないが。
とにかく今は、腰を据えて話し合う事が重要だと、らしくもない事を考える。
「まずは竜貴、さっきの魔術師とやらについてだが……」
エリカはまず落ち着いてもらうが先決と考え、竜貴に話を振る。
返って来た答え自体は、達也や深雪などからすれば元より承知の上のことばかり。
とある魔術師の行動が魔法開発の発端になり、魔術師たちもそれに協力し、やがて闇へと消えて行った。
竜貴はそんな魔術師の一員であり、古式魔法とは魔術を魔法に転用したもの、などである。
そういった魔法と言う存在の裏事情を初めて耳にした面々は、ただただその真実に感嘆の声を上げる。
「「「「へぇ~」」」」
「じゃあ、竜貴さん達のおかげでいま魔法があるんですね」
「そんな大層なものじゃないよ~。魔法の開発だって昔のことで、僕が何をした訳でもないし」
そうは言うが、美月の感想はある意味で的を射ている。
なにしろ、そもそも衛宮が魔術を用いてテロを防がなければ、魔法の研究自体が始まらなかったのだから。
当然、その辺りのことも知っているエリカから、疲労し切ったツッコミが入る。
どうやら冷静になった分、一気に疲労が噴出したらしい。
「良く言うわ。たしか、竜貴君の先祖なんでしょ。テロを止めた警察官って」
「「「「え!?」」」」
「そうらしいね。僕も前におじさんに聞くまで知らなかったけど」
「知らなかったのかよ」
「世界中で色々やってたらしいし、僕達にとってはあんまり重要じゃないから」
では、一体何が彼らにとって重要なのか聞こうとした所で、注文していた菓子や紅茶、あるいはコーヒーをウェイトレスが届けて来る。
竜貴がさっさと紅茶を口に運ぶ物だから、何やらタイミングを逸してしまい、全員一度一服入れることに。
ただ、一口紅茶を啜った竜貴はと言うと、なんとも言えない微妙な表情をしていたが。
「でも、いいの? それ、聞いた限りじゃ秘密にしなきゃいけない事なんじゃ」
一服入れ、各々喉を潤したり焼き菓子をつまんだりした所で、改めて雫が問う。
そう、竜貴が答えた所によれば、魔術とは元来隠蔽するものであり、そう易々と人に教えたり、自分が魔術師である事を告げたりしていいものではない筈だ。少なくとも、(表面的には)エリカ以外には隠さなければならない事になるだろう
にもかかわらず、当の竜貴にその意思がまるで見られない。
それを懸念してのことだろうが、竜貴は相変わらず軽い調子で答える。
「基本的にはね。まぁ、今は例外と言うかなんというか……」
「例外って、どういうこと?」
「一高に入る時点で、そういうのは全部承知の上だからね。僕の魔法技能だと、怪しまれるのは確実だし。公言されたらそれなりに対処しなきゃいけないけど、魔法師だけならギリギリセーフって事で話はついてるんだ。もちろん、本家からも許可は出てるよ。あんまりいい顔はしてなかったけど、諦めたみたい」
(それは、お前に対して諦めてるってことじゃないよな?)
正直、これまでの竜貴の振舞いを見るに、その可能性はかなり高い様に思う。
その本家の当主とやらは、実は相当苦労しているのではなかろうか。
などという本音は全く伺わせず、達也は全く別の点に言及する。
「それはつまり、近いうちに全校生徒に公表すると言う事か?」
「どうだろう? そこまではまだ詰めてないからなぁ」
クッキーをポリポリとかじりながらの返答は、相も変わらずに軽い。
まさか本当に興味が無い訳でもないだろうが、本当にそう思っているように感じさせもする。
掴み所が無い、それが達也の竜貴に対する正直な感想だった。
胡散臭い訳ではなく、腹が読めない相手、という訳でもない…いや、そもそも読むべき腹の内が無い様に感じさせる、そんな相手だ。
これが一般人ならば「善良」の一言で済むだろうが、厄介なことである。
「にしたって、あんな所で話す内容じゃないでしょ」
「そうね。校内ならともかく、あんな場所じゃ色々な人に聞かれてしまうわ」
「その辺は大丈夫。一応ちょっとした術で聞こえないようにしてたから」
「……それは、音波を遮断していたと言う事か?」
竜貴の一言に、達也の警戒心が高まる。
はっきり言えば、達也はその事に気付かなかった。
達也には、「
にもかかわらず、竜貴は当たり前の様に達也の目を擦り抜けて見せた。これを警戒するなと言う方が無理だろう。
「いやいや、そんな大層な事はしてないよ。
せいぜい、周りの視界と視線を適当に逸らしてるだけ」
「視界と視線を逸らす?」
「まぁ、簡単に言うと、周りの人が『つい余所見をする』ように仕向けたって事」
竜貴に言わせれば、さほど高度な魔術ではない。
それこそ、『所詮は衛宮でしかない』自分でも使える程度の魔術だ。
結界と言うほど大仰ではないし、一人一人に術をかけている訳でもない。
ただ周辺にぼんやりと、視線の向き難いエリアを作っただけ。
酷く曖昧で、不確かなそれ。だがそれこそが、達也の目を擦り抜けた要因。
達也自身、『少し遡って視た』事でようやく理解する。確かにあの時、僅かな違和感の様な物が自分達の周りに現れていた。言われなければ、あるいはよほど注意していなければ気付けない『靄』の様な物が覆っていたのだ。
境界ははっきりとせず、『在る様な無い様な何か』。在るのであれば必ず気付くだろうが、リアルタイムでイデアと接続していたとしても、果たして即座に気付けたかどうか……。
「それって、精神干渉系魔法なんじゃ」
「ううん。確か、古式魔法にそういう結界を張る魔法があった様な……」
「いや、だから魔術だってば。それに、その手の結界は扱いが難しいんだよ」
「そうなの?」
確かに、古式魔法の中には対象者の認識を利用し、他者が近づけない結界を張る術が存在する。
この手の人払い系の術は魔術としての特性を割と濃く残しており、雫の推測は良い線まで言っている、と言えるだろう。
ただ、竜貴に言わせればそう言った魔法…正確には結界の類は、下策と言う事になる。
「なんで? 見つからないようにするには有効だと思うけど」
「でもさ、それってつまり何かを隠す為に『人が近づけない場所』って言う異常を創るって事だよ?
見つかったら困るから隠すのに、別の異常を作ってるんじゃ世話ないよ」
「あ……」
「結界の基本にして究極は、『見つからない』ことであり『異常を悟らせない』こと。
中の何かは隠せても『結界がある』っていう異常が残ったら意味が無い。
だから、変に思うかもしれないけど『結界を張らない』っていうのも一つの手なわけ。
それこそ、『工事中』の立て札の方がよっぽど効果的だったりするしね。
大抵の人は、それを見たら回り道をするでしょ?
ま、これはこれで後で問い合わせればばれちゃうんだけど…見方によっては、これもある種の結界みたいなものだよ」
その言葉に、達也は素直に感心する。
先ほど竜貴が掛けていた術は、結界と呼べるほどはっきりとした境界の存在しない何かだった。
それはある意味、とても良くできたものだったのだろう。
実際、達也を含めその場にいた誰もその存在に気付けなかった。
そして、『立て札を立てる』という行為もまたある種の結界であると言う見方は、中々に興味深い。
人は魔術も魔法も使わずとも、結界を張る事ができる。魔法排斥を訴える連中に、是非とも聞かせてみたい一言だ、と達也の意地の悪い部分が考える。
(なるほど、これが魔術師か。長年世界の裏側に隠れて来たのは伊達じゃないらしい)
竜貴の言葉は、つまり結界という安易な方法による隠蔽に対する警告であり、魔術師と言う人種の経験から来る訓戒だろう。
結界の存在が返って、隠すべき存在があることを明らかにしてしまう可能性。
長い年月の間に、様々な対抗策や問題が発生してはそれらに対処してきた彼らには、膨大なまでのノウハウが蓄積されている。
僅か百年程度の歴史しかない魔法師には、それだけでも喉から手が出るほどの価値があるだろう。
達也は、衛宮竜貴が紛れもない魔術の継承者である事を理解する。
ただ、例えの為に「工事中の立て札」なんてものを持ち出す当たりが、実に衛宮らしい事を彼はまだ知らない。
普通の魔術師なら、絶対にそんな庶民的な例えはしないのだから。
「って、そうじゃなくて!!」
「うぉっ! どうした、いきなり」
「だから、私が聞きたかったのはそういう事じゃないって事!」
「そういえば、エリカは衛宮君が魔術師って知っていたのよね」
さも、自分は初めて知りました、という顔をする深雪。
達也も大概だが、深雪も中々どうして負けていない。
「当たり前よ! だって、衛宮は『剣の魔術師』なんて言われてるのよ!」
「なるほど、確かにそれならエリカが知っているのも納得だわ」
「? どういうこと?」
深雪は納得して見せているが、竜貴はさっぱり意味がわかっていないらしい。
それがまた、エリカの何かを燃え上がらせる。
まぁ、彼女の出自を少しでも知っていれば、それも無理からぬことと理解できるだろうが、竜貴にはできないようだ。
「竜貴、エリカは千葉家の娘だ」
「いや、それくらい知ってるよ。自分で千葉エリカって名乗ってる訳だし」
「そうじゃない。お前、千葉家についてどの程度知ってる」
「どの程度って言われても……」
まぁ、途中からわかりきっていた事ではあるが、案の定何も知らないらしい。
妙なことに、竜貴は魔法科高校を自ら受験していながら、魔法やその周辺に関する知識が恐ろしく乏しい。
これはつまり、本格的に魔法を学ぶために受験した訳ではない事を示している。
何かしらの思惑があるのだろうが、それを追求する気は今の達也にはない。
念のため一応の報告はするつもりだが、『踏み込む必要はない』とも言われているからだ。
代わりと言うわけではないにしろ、理解の足りていない竜貴に事情を説明することになるわけだが。
「いいか、竜貴。千葉家は『剣の魔法師』の異名を持つ百家本流の一つで、剣技と魔法の複合白兵戦闘技術『剣術』に秀でた家だ。つまり……」
「竜貴に対抗心燃やしてるってことか?」
「少なくとも、意識はしているんだろうな」
そうでなければ、ああもぐいぐい踏み込んでは来ないだろう。
あまり豊富な情報ではないが、それでも十分だろうと思って竜貴を見ると……相変わらず、良く分かっていない様子だった。
「? それで、なんでうちに対抗心なんか燃やすの?」
「「「「「「「…………………………」」」」」」」
場を、沈黙が満たした。普通、ここまで言えば何が言いたいかわかる筈だろう。
にもかかわらず、竜貴は首をかしげて見せる。
しかも性質の悪いことに、そこに一切の含みが感じられない。
本当に、心の底から竜貴はエリカがなぜこんなにも衛宮に拘っているか理解できないのだ。
「ふ~ん、そう…うちのこと知らないんじゃしょうが無いと思ったけど……」
「いや、お前…それはそれで全然しょうがないって思ってねぇよな」
「しょうが無いと思ったけど、まさか根本的に眼中にないとは思わなかったわ」
場の空気が、加速度的に悪化していく。
無論、ギスギスした空気の発生源はエリカであり、彼女の機嫌は最悪のさらに下だ。
理由は理解できる。できるからこそ、誰も口を挟む事ができない。
「え、え~っと、エリカさ…いえ、千葉さん? なんか、雰囲気が怖いんだけど……」
「『剣聖』とも呼ばれてる衛宮の竜貴君からしたら、千葉の娘の私なんて相手にする価値もないってわけ?
ふ~ん、へぇ~」
(ん? ケンセイ? なんでエリカさんがそんな事を……)
エリカの零した一言が、竜貴の中で引っかかる。
知っている事が問題なのではなく、意識している事が問題なのだ。
エリカが魔法を用いた剣士の一族の出である事はわかった。それで衛宮を意識するのはわからないでもないが、対抗心を燃やすと言う事が繋がらなかったのだが…ようやく理解が及ぶ。
つまりエリカは、根本的な所で勘違いしているのかもしれないと言う事に。
「あの、エリカさん、ちょっと聞いても良いかな?」
「なに? ちょっと私、いま爆発寸前なんだけど」
それは見ただけでもわかるし、不機嫌さを隠しもしない声音は恐ろしい限りだ。
ただ、不幸な行き違いを避けるためにも、ここは勇気を振り絞るより他にない。
「えっとね、エリカさんいまケンセイって言ったでしょ? それって、どういう字?」
「はぁ?」
「いや、だからどういう字を書くのかなって……」
「そんなの聞くまでもないでしょ!
“聖”なる“剣”と書いて剣聖!! それ以外に何があるって言うのよ!!!」
念の為、深雪が音波遮断の魔法を展開していなければ、今頃店員に追い出されているであろう大声が響き渡る。
まぁ、それも無理はないだろう。なにしろ、竜貴を除く全員が「何を当たり前のことを聞いている」と言う顔をしているのだから。
ただここにきて、ようやく竜貴の疑念は確信に変わった。
それまでどこか怯えた小動物みたいだった竜貴は、あっけらかんとエリカの思い違いを指摘する。
「あ、うん、それ勘違いだから」
「…………へ?」
「衛宮のケンセイはね、“剣”を“製”造すると書いて剣製なの。
僕たちは作る側の人間であって、闘うのはあんまり得意じゃないんだよねぇ。
いやまぁ、一応それなりにはできるけど」
「…………………………………………………………うそ」
「ほんとほんと」
「じゃ、仮に私と勝負したらどうなると思う?」
「そりゃ、エリカさんが勝つんじゃない?
魔法師と闘った事はないけど、校門での踏み込みを見た限り、技量ならエリカさんの方が上だろうし」
「…………」
エリカの表情が硬直した。
いや、エリカだけではない。他の面々…それこそ達也でさえも唖然とし、続いてエリカに同情の眼差しを向ける。
確かに衛宮に冠された異名の中に「ケンセイ」と言うものはあったが、達也でさえも「剣聖」だと思っていた。
だが蓋を開けて見れば、正しくは『剣製』だという。まさか、そんなしょうもない勘違いがあったとは夢にも思わないし…わかってしまえば、ただただバカバカしい限りである。
そしてそれを、バカバカしいでは済ませられないエリカが、本当に哀れだった。
「そ」
「そ?」
「そんなの、ありぃ~~~~~……」
「え、エリカちゃん!?」
「エリカ、しっかり!!」
ヘナヘナと、情けなくも崩れおちていくエリカ。
そんな彼女を、慌てて両脇の美月と深雪が支える。
「それ、本当なの?」
「うん。なんでそんな勘違いをされたのか不思議だけど、衛宮がケンセイって呼ばれてるのは…まぁ、不思議じゃないよ。でも、僕たちはあくまでも鍛冶師とか刀匠とか、そういうタイプなんだよね。
いつか、あの人は在るべき場所に帰る。そして、剣を手放すんだ。だからその後に、あの人に相応しい剣を創って、捧げる。それが僕達の悲願であり、夢であり、恩返しなんだ」
(あの人?)
それまでと一転して、竜貴は手袋に覆われた己が掌をまるで宝物でも見る様に見つめる。
正確には、いつかその手に握るであろう…あるいは、握ることを目指す剣を思い描いて。
その声音と瞳には、限りない憧憬と親愛、そして尊敬で溢れている。
誰のことかは分からないが、彼らにとってよほど重要な人物なのだろう。
まぁそれはそれとして、エリカの方は大分酷い事になっていた。
「あ”あ"あ”~~~~~~~~~~~~~~」
頭を抱えて身悶えするエリカと、そんな彼女をどう慰めたものか困惑する美少女が二人。
レオでさえ憎まれ口を叩くことなく、心底痛ましそうな視線を向けている。
ただ、本人からすればそれがまた居た堪れないのだろうが。
などと、エリカがなんだかとてもカワイソウなことになっていたその時、偶々彼女の肘が空になったティーカップに当たってしまう。
「あ」
と言う声は一体だれのものだったか。
しかし、誰の反応も間に合う事はなく、重力に引かれたカップは瞬く間のうちに床に激突。
澄んだ音と共に割れてしまった。
「大丈夫か、エリカ」
「私はね。でも……弁償かな、これ」
割れたカップの一部を拾い上げ、エリカは深々とため息をつく。
泣きっ面にハチと言うほどではないが、追い打ちであることに変わりはない。
どうやら、今日はあまり星のめぐりが良くないらしい。
などと思っていると、身を乗り出す様にして竜貴がカップに手を伸ばす。
「エリカさん、それちょっと貸して」
「え?」
「まぁ、半分以上僕の責任だし、なんとかできると思うからさ」
実際にはほぼエリカ自身の責任の筈だが、竜貴はそんな事を気にした様子もなく、エリカの手からカップの破片を取り上げる。
そして、一度手袋を取ろうとした所で、停止。
こそこそと皆に背を向けるその動きに、雫が首を傾げる。
「どうしたの?」
「ああ…いや、僕の手ってちょっと人に見せられたものじゃないからさ」
「見られたら困るの?」
「それもあるけど…………見て気持ちのいいものじゃないからね」
そう言いながら、竜貴は今度こそ右手の手袋を取り、割れたカップの先端で指先を切ると血を一滴垂らす。
もちろん、周囲から絶対に見られない様に身体で覆い隠しながら。
何しろその手は、うっすらと鱗の様な物で覆われていた。
衛宮と遠坂がその身に引き入れたある因子は、人の身には強過ぎる。
取り込んだ筈なのに、逆に取り込まれそうになる程に。
最優種と言うのは伊達ではない。魔術を知ってはいても身につけてはいない妹たちはそんな事はないが、一度魔術を学び神秘に身を浸せば…御覧の通り。
今はまだ大丈夫だが、下手な事をするとどうなるかわかったものではない。
まぁそれも、今日明日でどうこうなる問題ではないし、それこそ下手な事をしなければ良いだけのこと。
彼の祖父の場合、その下手を打ち過ぎたわけだが……。
そんな具合に横道に逸れかけた思考を本筋に復帰させる。
続いて、テーブルの上に戻した破片の上に手袋をはめ直した手をかざし、小さく言葉を紡ぐ。
「リライト……」
大まかには『書き換え』を意味する単語を呟いたかと思うと、ひとりでにカップの破片が組み合わさり、数秒とかからずに元の姿を取り戻していた。
「うそ……」
「スゴイ」
「はい、これで元通り。ま、こんなの魔力の無駄遣いなんだけど、僕のせいでもあるしこれ位はね」
本人は相変わらず軽い調子で言っているが、魔法師達にとっては軽く流せるようなものではない。
現行の魔法技術では、カップを割る事はできる、割れた破片を集めて元の形に組み合わせることもできなくはないだろう。しかし、元の状態には絶対に戻らない。
たった一人の例外を除き、そんな魔法は使えないのだから。
「竜貴さん、今のどうやったんですか?」
「? なにって、カップの状態を少し戻しただけだけど?」
美月の問いに、さもそれが当たり前の様にかえす。
彼からすれば、本当にこの程度はなんてことはないのだ。
硝子ほどではないにしても、なんの神秘も魔術も絡んでいない陶器の扱いなど、初歩中の初歩。
この程度であれば、どの門派であろうと入門試験程度。竜貴自身にした所で、5つか6つの頃には出来ていたと思う。それくらいに簡単なことだし、そもそも直す意味すらない。そんな事をするくらいなら、普通に同じ物を買い直せばいいだけなのだから。今直して見せたのは、単に友人に無駄な出費をさせるのが心苦しかっただけである。
しかし、技術の方向性などなどが違えば、常識も、それぞれの技術の難度も異なってくる。
例えば、斧を使えば樹を斬り倒すことは可能だろうが、細やかな彫刻はできない。反対に、ナイフなら彫刻はできても、樹を斬り倒すのは困難なようなものだ。
「……あぁ、そうか。魔法だと状態の逆行とかできないんだっけ」
それまですっかり忘れていたのか、「そうだそうだ」とばかりに竜貴は両の手を打つ。
「逆行?」
「うん。詳しく話すと時間がいくらあっても足りないからはしょるけど、魔術の基本は逆行と歪曲なんだ。
この手の術に秀でた術者なら、人体を治癒や回復じゃ無くて逆行させることで復元したりもできるしね」
(状態を上書きする俺の『再成』とも異なるが、結果だけを見れば似たようなものか。
この調子だと、『分解』の方もどうかわからないな)
達也の固有魔法は、他に類を見ない物だが…魔術師にとってはその限りではない。
その事が、達也はどうしようもなくおかしく思う。
彼はこれらの魔法に演算領域を占有されているが故に、それら以外の魔法がまともに扱えない。
そうであるが故に、一族内での扱いは酷いものだったのだが……そんな魔法をたいしたこと無い様に扱われると、むしろ清々しくすらあった。
ただ一つ懸念事項があるとすれば、深雪の様子が少々不穏な事だが……さすがにこんな場で何かしでかしたりはしないだろう。
「う~ん、それにしてもこれも一種のカルチャーショックなのかな? 前の時も凄い顔されたし」
「えっと、カルチャーショックはなんか違うんじゃ……」
「っていうか、前の時って? 誰かに魔術を見せた事があるの?」
「何年か前にね。まぁ、今言ってるのは最近のことなんだけど」
「どういうこと?」
「実は、僕って普通の魔法あんまり使えないんだよね。
代わりに、毒にも薬にもならない変な魔法は使えるんだけど」
雫の問いに応えながら、竜貴は達也にも見覚えのない魔法式を展開・起動する。
すると、竜貴の掌の周りに細かい何かが集まりだし、やがて球体を為して行く。
間もなくそれは終わりを迎え、残ったのはパチンコ玉程度のサイズの灰色の球だった。
それを見ていた面々の反応は、今ひとつ芳しくない。
先のカップの修復のインパクトが大きかったからだろう。次は何が起きるのかという期待があったのだろうが、結果を見れば小さな灰色の玉ができただけ。
あまりに地味で、肩すかしをくらったような気持ちになるのも無理はない。
だがただ一人、達也だけはその魔法の異常性に気付いていた。
これは達也のそれとは別の意味で、魔法の常識を覆す。
(……なるほど。確かに、こんな魔法を常駐させているとしたら、他の魔法をまともに使えないのは当然だろう)
自身がそうであるが故に、達也にはその事が良く理解できた。
彼との間に違いがあるとすれば、達也には二つの魔法が常駐しているのに対し、竜貴には一つしかない事か。
そのおかげで、竜貴にはある程度通常の魔法が使えるのだろう。
「……まったく、とんでもない物を見せてくれたな、竜貴」
「わっ、ホントに達也君魔法式読めるんだ」
実際、竜貴の驚きは当然の物だ。
彼の固有魔法は、その結果だけを見ても一体何をしているのか良く分からない。
魔法師にはどんな魔法が使われたかある程度分かる感覚があるが、それを持ってしてもわからないことに変化はない。
大別すれば無系統に属するが、竜貴の魔法は過去に例を見ない分類不能の魔法なのだから。
「お兄さま、今の魔法は……」
周囲を見れば、深雪だけでなく竜貴を除く全員が答えを求めている。
どうやらと言うべきか、やはりと言うべきか、達也以外にはその正体がわからなかったらしい、
竜貴には種明かしをする気はなさそうだし、となれば達也が答えるより他はない。
「竜貴、お前今…………エイドスを創ったな」
「「「「「「え……」」」」」」
「情報強化は対象物のエイドスを複写し、それを魔法式として対象に投写する訳だが…お前の魔法はこれに近い。
ただし、イデア上に直接エイドスを投影するなんて、仮説レベルでさえ聞いたこともないが」
「正解、一目で分かるなんてすごいね……」
「ですが、そんな事が本当に可能なのですか?」
「厳密に言えば、アイツはエイドスそのものを創っているわけじゃない。魔法式をエイドスの一時的な代わりにしているだけだ。
ただ、そこにエイドスらしきものがあるにもかかわらず、実際に何もないのでは矛盾する。そこで辻褄を合せる為に、周囲のチリや埃などが集まり魔法式に沿った形を形成しているんだ。そして、そうやって形を為した以上、魔法式が消えても代わりに本当のエイドスが出現する、と言うわけだ」
エイドスは言わば存在に付随する影の様なもの。存在が動けば影が動くは必定。
反対に、影が動いているのに存在が元のままでは矛盾するので、これに沿って存在が動くのが魔法の大雑把な原理だ。竜貴は疑似的なエイドスをイデア上に創り上げることで、最終的には本当にその存在を創りだしてしまう。
あくまでも竜貴がやっているのは疑似エイドスを創る事までで、あとは勝手に世界がその矛盾を解消しようと動いているだけではあるが…これが驚異的な事に変わりはない。
魔法の勉強を始めて間もない頃に発覚し、さして興味もないので一高受験の際に正直に申告した所…………場は騒然となった。
竜貴は念のために別会場で試験を受けていたのだが、試験後に付け加える様にしてもたらされた情報に、試験官達と監視カメラで見ていたお偉方は上を下への大騒ぎに発展。
竜貴本人をそっちのけで場が紛糾する中、彼は用は済んだとばかりにさっさと帰宅したのだが……後日、彼の魔法には本人の預かり知らぬ所で「創成」の名が与えられた。
とはいえこの魔法、名称や経過と結果こそ大仰な物だが、その実使い勝手は最悪だったりする。
「みんな、なんでそんなに驚くのかなぁ? これ、さっぱり使い道ないのに」
「待て待て待て! んなわけあるか!」
「そうよ! それってつまり、物質の創造ってことでしょ!」
「うん、神様みたいな魔法」
唖然として固まっているほのかと美月を除く三人は、竜貴の言葉を全力で否定する。
確かにこんな“一見”すると神の如き魔法が待機していては、他の魔法が阻害されるのは物の道理だろう。
ただ、魔法式の内容と共にその真実を知った達也には、竜貴の言葉の意味が分かる。
「いや、確かに竜貴の言う通りだ。この魔法は、実用と言う意味で言えばまるで使い道が無い」
「そ、そうなのですか?」
「ああ。竜貴、その球を貸し…いや、落としてみてくれ」
「テーブルの上で良い?」
「ああ、それで十分だろう」
誰もがいぶかしむ中、達也に言われた通り竜貴はテーブルの上に掌の玉を落とす。
すると、それは衝突音を立てることもなく粉々に砕け散った。
「これって……どういうこと?」
「この魔法は、決して無から有を生み出す魔法じゃない。言ったろ、周囲のチリや埃なんかを集めるって。
疑似エイドスに沿った形は創られるが、それはあくまでもそういう形でしかない。
寄せ集めにすぎないそれは、言わば固めていない雪玉も同然だ」
「そういうこと。決められるのは形状くらいで、材質とか指定しても意味が無いんだ。何しろ、これで動いてくれるのは塵や埃みたいに軽い物だけだからね。金属なんかピクリとも動いてくれないし、変に細かく指定してもエラーが出るだけ。ついでに、大きいものなんかも材料が足らなくなるのがほとんどだからダメなわけ」
矛盾を解消するとは言っても、竜貴の干渉力を持ってしても疑似エイドスはあまりに弱い。
疑似エイドスの持続時間はもって3秒。その間に疑似エイドスに沿って形を為せなければ、こちらの方が消えてしまう。
そのため、創りだせるのは非常に軽い物質を寄せ集めた、使い道のない何かだけ。
竜貴が「毒にも薬にもならない」と言った由縁だ。
ただそれは、あくまでも実用的に見た場合の話。
「竜貴の魔法の真価は、実用よりも理論…学術的な方面にある。
疑似エイドスの他にも、エイドスではなくイデアそのものに干渉する為の基礎理論に繋がるだろうし、復元力の研究などにも通じるだろう。魔法そのものと言うより、魔法を発展させる上での可能性の宝庫…と言うわけだ」
「「「「「「へぇ~」」」」」」
達也は内心の“動揺”を可能な限り抑え込み、『創成』と言う魔法の表向きの価値を語る。
しかしその実、気付いてしまったある可能性に……言葉にできない感覚を覚えていた。
恐怖ではない、かと言って親しみでもない。嫌悪ではないが、好意でもない。敵意はないが、警戒心だけはどこまでも高まっていく。
(こいつは、逆だ。ある意味で、俺とは対極の存在……)
そのことを、一体どう受け止めれば良いのか、達也にはわからない。
一つ確かなのは、その可能性は…………深雪にも知られてはならないと言う事。
少なくとも、今はまだ。
その後、実は竜貴は干渉力に偏重している以外にも、創成以外の魔法を大いに苦手としていることなども明かされた。
つまり、彼は先天性の魔法以外に適性が無い…ないし低いBS魔法師に区分され、通常この手の魔法師が一高に入る事はまずない。にもかかわらず、魔術師であると言う理由から一科に入れられた事を心苦しく思っていると言った、比較的ささやかな話題に終始した。
皆としても思う所が無いわけではなかったが、彼の魔術的・魔法的価値の高さは理解できるし、本人が本当に迷惑そうにしているのもあって、割とあっさり受け止められた。むしろ、同情すらされていた。
そうして、喫茶店を出た後は駅まで行って自然と解散。
今に至るわけだが、達也は改めて自身が気付いたある可能性に、再度思考を割く。
(確かに、竜貴の創成は無から有を生み出す魔法ではない。ただそれは、今の段階では…と言う事だ)
達也は、竜貴を自身とは対極の存在であると考える。
それは、彼が保有する二つの固有魔法の一つが理由。
その名は「分解」。時に魔法式を分解することで無効化し、時に物質を元素やイオン、あるいはエネルギーにまで分解する、破壊と言う意味では究極の一と呼んでいい、達也だけに許された魔法。
しかしもし、竜貴の『創成』の神髄が、彼の『分解』と真逆の物だとしたら……。
(塵や埃を集める分には実用性の欠片もない。
だが、既存の物質ではなく、エネルギーそのものを集める形で魔法式を組む事ができたとしたら……)
それはつまり、達也が物質をエネルギーに分解するのとは逆に、エネルギーを集めて物質に変換すると言う事。
もちろん、達也とてこんなことが可能だとは思っていない。確かに、竜貴の魔法は質量の軽い物しか集められないらしいが、逆に言えばエネルギーを集めることは可能だろう。
とはいえ、幾らエネルギーを集めた所で、それだけで物質化できるわけではない。
それこそ、先ほどのチリや埃の様にただ「集まっただけ」で終わるだろう。
物質化のためには、数限りない課題がある筈だ。
如何に彼の干渉力が深雪すら上回っているとしても、それは無理だろう。
魔術と併用すれば、と言う可能性はあるが……
(それは考えるだけ無駄だな。俺にはそもそも、魔術に関する知識が絶望的に足りない)
だがそれらはあくまでも、将来…あるいは遥か未来の課題として考えれば良い。
その可能性があるだけでも、竜貴の魔法には無限の可能性が秘められていることになる。
それにもしかしたら、世界からの修正力が働いた結果、竜貴自身ではなく世界の力で物質化される可能性もないではない。
達也が真に問題視しているのは、『エネルギーを集める』と言う事象そのもの。
通常の魔法でも似たようなことは可能だが、それはあくまでも魔法でエネルギーを動かしているだけに過ぎない。
その動かせる範囲と規模は、魔法師の力量に左右される。
しかし、竜貴の場合は違う。
彼がこれをする場合、エネルギーを動かすのは竜貴ではなく世界と言う事になる。
もし仮に、できないと分かっていてエネルギー…例えば熱エネルギーに焦点を絞って集まる様に魔法式を組んで起動させた場合、最悪…………世界は地獄に変わる。
(僅かな質量を分解させるだけでも、莫大なエネルギーを生む。なら、その逆をする為に必要なエネルギーは計り知れない。それこそ、周囲数キロは何事もなかったかのように凍りつくことになる)
液体窒素をぶちまけるとか、そういうレベルの話ではない。
大気中の熱量を奪い切るだけで、人は死ぬ。
しかも、一度集まったエネルギーが物質化できずに拡散すれば、結局は分解による物質のエネルギー化と同じ事が起こる。
(アイツは神と悪魔、その両方の可能性を持っている……いや、破滅の後でしか創造できない以上、人間にとっては悪魔でしかないのかもしれないな)
何しろ、仮にエネルギーの物質化が実現できても、そんなものを地表で使えば結局は同じこと。
発動地点から数キロ圏内にいる人間は、根こそぎ死に絶える。それも僅か一キロにも満たない物質を創るために。
(いや、考えが飛躍しすぎか……そのエネルギーの集約にした所で、本当に可能かどうか。
可能だとしても、どの程度の規模になるかわからない以上、やはり口にすべき事じゃ無いな)
そう、達也の考えはあくまでも可能性…それも非常にわずかな可能性だ。
それこそ、普通なら考慮するに値しないレベルの。
これは単に、彼が竜貴の魔法が自分とは真逆の代物であると思ってしまったが故に抱いた懸念に過ぎない。
ただ、達也は知らない。
そもそも、衛宮の魔術師である竜貴にとって「物質の創成」など、今更価値を見出すこともない代物である事を。
なにしろ彼らは一切の破滅を生むことなく、イメージと僅かな魔力だけで物質を“複製”し、時には世界すら創り変える事ができるのだから。
* * * * *
場所は変わって、竜貴の住むアパート。
部屋の片隅が定位置となったトランク内の工房に潜った竜貴は、鍛練用のスペースで禅を組みつつ、静かに自身の中に埋没していた。
「
それこそが、竜貴の呪文。
自己に埋没し、魔術を行使するための装置へと改編する自己暗示。
―――――創造の理念を鑑定し
―――――基本となる骨子を想定し
―――――構成された材質を複製し
―――――製作に及ぶ技術を模倣する
本来であればまだいくつかの工程を必要とする魔術だが、今はこれで良い。
初代の衛宮は自身の魔術を突き詰め過ぎた…というのが、後代の結論だ。
なるほど、確かに魔術の精度を上げるのは必要かつ重要な事だろう。
とはいえ、それも場合によりけり。時には、適度に手を抜くのも悪くない。
多少精度を犠牲にする代わりに、負荷と速度を上げることに繋がるのだから。
とはいっても、負荷はともかく速度に関しては、実の所あまり変化はない。
むしろ、負荷を軽減することにこそ意味がある。
なにしろそれなら、通常なら負荷が強過ぎてできないことも、可能になると言う事なのだから。
まぁその分、色々犠牲にせねばならない訳で、曲がりなりにもある一点においては誰にも負けない自負があるだけに、そうせざるを得ない物があることには忸怩たるものがあるのだが。
いや、今はそれは置いておこう。
竜貴は余計な思考を振り払うと、掌にあるバネに視線を落とす。
「ん、手を抜いた割には上出来かな。さて、次々」
その後も、幾度か同じ魔術を繰り返す。
その度に、竜貴の掌の中には素人には用途不明の金属が出現する。
第三者がいれば手品の類に思うだろうし、達也が見れば驚愕することだろう。
何しろ竜貴は、何もない所から忽然とそれらの金属を出現させている。
同時に、これこそが竜貴が自身の魔法へ関心を持たない理由。
『創成』は確かに学術的価値の高い魔法だが、竜貴には無価値極まりない。
なぜなら、衛宮の魔術はそんな領域の遥か先にある。
その名は「投影魔術」。別名『グラデーション・エア』とも呼ばれる、自己のイメージからそれに沿ったオリジナルの鏡像を魔力によって複製する魔術。
イメージが自分の中で完璧でなければ投影はできないが、逆に言えば術者の知識が完全に近いほど現実においても真に迫ることになる。また、イメージと魔力で編まれているため、綻びが生じると存在強度を失い霧散してしまうのも特徴一つだろう。
これだけ聞くと、なんとも使い勝手が良さそうに聞こえるから不思議だが、実際にはそうではない。
なにしろ、投影でレプリカを作るよりもちゃんとした材料でレプリカを作ったほうが手軽で実用に耐える。そもそも人間のイメージなど穴だらけなため、「真に迫る」には程遠い。その上、魔力は外部に出ると気化する性質があり、短時間で消滅してしまう欠陥品しか作れない、極めて効率の悪い魔術だ。
だが、衛宮はこの魔術を家伝の魔術としている。
なぜかと聞かれれば、彼らはこう答えるだろう「それしかできないからだ」と。
衛宮と言う魔術師は、ただただ投影にのみ特化した魔術師だ。
それ以外の魔術を使えない訳ではないが、そのレベルはようやく一人前三歩手前程度。
初代に至っては、終生半人前の域を出なかったらしい。
故に、彼らは唯一の活路である投影に磨きをかける。
初代は、ひたすらに自身の投影の完成度を高めることに。
二代目以降は幅を広げたり、そこから派生する物の深度を深めるなど、応用に力を注いでいる。
なぜなら、彼らの投影は投影にあらず。
創り出された器物は、相性が良い物ならオリジナルと寸分違わぬ性能を有し、なおかつほぼ永続する。
あまり相性の良くない物や構造が複雑な物の場合は外見のみの複製に留まるが、構成上はオリジナルと同じな上、これまた永続するのでよほどの術者でもなければ見抜くのは不可能と言うデタラメぶり。
衛宮の魔術は決して「物質の創造」などと言う奇跡ではないが、「物質の複製」を可能にする。
竜貴からすれば、自身の魔法『創成』はそのさらに数段下のものとしか思えないのだろう。
それこそ、通常の投影よりも使い勝手が悪いとすら思っているかもしれない。
だからこそ、彼には自身の魔法に対する興味も関心もない。
そのため魔法師の大げさな反応は、彼にとって首を傾げるばかりなのだ。
『こんな不出来な物の、一体何がすごいのか』と。精々、『部屋の掃除に便利だなぁ』くらいの認識である。
「さて、これで必要な物は大体できたかな。あとは……」
そういう彼の前面に広がるのは、大小無数の金属の数々。
竜貴はそれらの中の一つをおもむろに取り上げると、次々に組み合わせて行き一分と経たないうちにその全貌を露わにした。その手に握られていたのは、紛れもない……拳銃であった。
「……うん、動作・強度共に問題無し。これなら十分実用に耐えるかな……『
その一言と共に、竜貴の手にあった拳銃が霧消する。
衛宮の性質的に、拳銃との相性はあまり良くない。
むしろ、構造が複雑なためまともに複製しようとしても外見だけの張りぼてにしかならない。
しかし、そこで逆転の発想が生まれた。
構造が複雑で作れないなら、ばらばらに分解した状態で作ればいい、と。
そうして、竜貴は拳銃をパーツごとに投影し、その上でそれらを組み立てる方法を考案。
結果はご覧の通り。実用にも耐える、満足のいく複製が可能になった。
まぁ、一々組み立てなければならないのは面倒だが、難点を一つ克服したことに違いはない。
それに、これはこれで使い道がある。例えば、始祖の養父が用いていた礼装…とか。
「ま、今の時代に魔術師とやり合うことなんて滅多にないんだけどね……」
苦笑と共にそうこぼしながら、竜貴は改めて自身のうちに埋没する。
脳裏に浮かぶのは、燦然と輝く黄金の剣。
それに手を伸ばそうとするが、脳髄の芯に走る激痛に手を引っ込める。
「はっはっ…はっ……はぁ……。やっぱり、陛下の剣はまだまだ遠いなぁ。
投影でこれなのに、実際にアレ並みの剣を創ろうなんて…我ながら無謀と言うかなんというか……」
投影に特化した衛宮の魔術回路を持ってしても、彼の聖剣はあまりに遠い。
一応、この百年で不完全ながら複製する方法は考案されたが、あまりする気にはならない。
他の兵装ならいざ知らず、この聖剣だけは彼らにとって特別な物。
不出来な物を複製するなど元より衛宮にとっては不本意極まりないが、それ以上に彼らの王を汚すようなマネは許されない。
同様に、彼の王に献上する剣もまた、複製品などで許される筈も無し。
衛宮の本分はあくまでも『贋作者』であるにもかかわらず、彼らは敢えて槌を取り、自らの手で剣を創る道を選んだ。
彼らの王への思いは言葉で表せるようなものではない。だからこそ、想いの丈の全てを剣に込める。
例え理想には届かなかったとしても、少しでも彼女に相応しい剣を。
それだけが、衛宮と言う一族の「魔術師としての悲願」なのだから。
「まぁ、しょうがないよね。だって僕たちは、あの人の『鞘』なんだから」
仰向けに横たわり、自身の胸に手を当てる。
その奥の奥、全身の隅々にまで行きわたる宝物の感触に身を委ねる。
衛宮は剣の魔術師と言われている。
それは別に間違ってはいないが、正解でもない。
確かに初代の衛宮は起源・属性共に『剣』で、『剣』と格別に相性の良い魔術師だった。
だが、竜貴は違う。いや、初代以降の衛宮で属性や起源を同じくする者は現れないのではないかと思う。
むしろ、何故彼は「剣」だったのだろう。
だってそうだ、鞘と一つになったのなら、自身も鞘になるのが普通の筈。
にもかかわらず、彼は鞘ではなく剣になった。
鞘と一つになるのではなく、鞘と対の存在になった。
きっと、その時点で彼は既に非凡だったのだろう。
生憎と、凡庸な後代では大人しく「鞘」になる事しかできないようだが。
なにしろ、この大いなる鞘に並ぶ存在になるなどと、竜貴には思う事すらできない。
「まぁ、いいさ。それぞれ分相応ってものがあるし、僕らという鞘にはこれ位の剣が丁度良い」
衛宮の魔術は剣の魔術、そして衛宮の術者はそれを納める鞘。
それが、衛宮と言う一族の実態だ。
とはいえ、その身に修める剣は生半可なものではない。
質の面では色々と難癖の付けようもあるが、規模においては他の追随を許さない。
なにしろ果てはなく、終わりはなく、どこまでも際限なく広がっていく。
他の同種の魔術は、どれも一つの形で完結しているのに対し、衛宮のそれは違う。
彼らの“世界”は貪欲に全てを呑み込み、今も広がり続けている。
こんな物をまともな人間、あるいは魔術師の身体に納めて、果たして無事に済むのだろうか。
生憎と検証した事が無いので不明だが、最悪内側から破裂…なんて末路も考えられる。
だが、剣は鞘に納まるのが必定。だから、初代以降の衛宮が“鞘”であることにも意味があるのだろう。