朝というものは、日差しの差し込まない魔法の森にも当然訪れる。
日頃の習慣から、すぐに目は覚めた。
最近は魔法の練習で徹夜することも無く、実に気持ちの良い目覚めだ。
机の上に置いておいた着替えを手に取る。
黒を主色にした洋服だ。母さんは洋服を好むのだが、それそのまま私の好みでもあった。和服も嫌いではないが、動きづらいのが難点だ。
着替えを終え、黒の手袋を装着。鏡の前で身だしなみを整える。
鏡に映るのは見慣れた私自身の顔。それがこちらを見返している。
至って普通。顔の作りも際立って美しいわけでもなく、セミロングの黒髪だって珍しくない。着ている洋服くらいだろうか、人里に行って目立つと言えば。
母さんは美人なのに、その辺はやはり似ても似つかない。気にはしないが、やはり女に生まれた身としては綺麗に生まれたかったというのが本音である。
所詮は無いものねだりだ。
鏡に背を向け立ち上がる。
「よし、祈里」
動けと念じる。
もうすでに魔力糸は右手に付けており、魔力も送ってある。行動については乱数を元に設定してあるので、念じる動きについては大雑把で問題ない。
私の動きに合わせて、祈里は私の肩の位置まで浮き上がった。
「じゃあ、母さんを起こしに行くか」
私の言葉に大きく頷いてくれる祈里。良い気合だ、今回も祈里には助けられることになるだろう。乱数様さまである。
気合充分。私は祈里を脇に従えながら、自室を出た。
◇ ◇ ◇ ◇
「母さん、朝だぞ。起きろー」
呼びかけても、布団から顔を覗かせる金髪はピクリともしない。
毎度のことながら、母さんの寝起きの悪さはピカイチだ。かれこれ十分間ずっと呼びかけているのだが、まったく反応を返さない。枕元に置かれている上海も、母さんからの魔力供給がないので動きは無しだ。
視線を部屋中へと巡らせる。
「片付けくらいしてくれよな、本当」
母さんの部屋は私の部屋とあまり構造は変わらない。ベッドもあるし本棚もある。もちろん机だって。だが、その規模が私とは全く違う。
私の部屋にも本棚はあるが、母さんの部屋の本棚は規格外だ。天井に届くくらいの大きさで、横幅は軽く2m以上。奥行は50cmもある。そこに満遍なく本が並べられているのだ。一体何冊あるのか、見た限りでは分からない。
それらの大半が魔道書であるのだから、私も含め魔法使いが如何に本の虫なのか理解出来ると思う。
「また今度、この中の何冊か借りようかな」
本棚から覗く本の題名。その中に何冊か興味深い物を見つけた。また今度、貸してもらえるように頼んでみよう。
まあ私の読む魔道書は全て母さんのお古なのだが、それはつまり母さんがその本をすでに読み終えていることを意味している。単純な知識量では、長い時間を生きてきた母さんに私は一生勝てないのだろう。
母さんは魔法使いとして、私のずっと先を歩いている存在なのだ。
軽く本棚を眺めていた私の肩を、祈里が叩く。
「ん? なんだ祈里。勝手にいじるなよ、怒られるから」
見れば、祈里は机の上に置かれている魔道書を指差していた。
本は開けられたままだ。きっと眠気に負けて、閉じることを放棄したのだろう。
「絶対に触るなよ、変な魔法が発動しかねん」
祈里に念押しして、乱数内の可能性から一部の行動を消去する。これで、祈里が勝手にこの部屋を物色することは無いだろう。
人形操作という魔法は、魔力糸を通して人形に魔力を送り、人形自身に移動系の魔法を使わせることによって、とくに糸を弄ることなく人形を動かす魔法だ。例えば、人形に前進をさせたいと思えば、前進させるための魔法を人形に行使させる。それのちょっと高等な技術が、私が一般的に使っている乱数を駆使した操作方法。私が意図せず、それこそ乱数でその場その場で違う移動系の魔法を発動させる。
ある程度には行動の内容を制限しているが、これを使えるだけで人形にまるで人間のような自然な動作をさせることが可能になるのだ。
その乱数によって、導き出された一つの行動。
祈里は机を離れ、私の肩へと着地する。どうも、祈里は私の肩がお気に入りのようだ。けっこう頻繁に、祈里は私の肩に乗ってくる。愛いやつめ。
「えらいえらい」
左手の人差し指で、祈里の頭を撫でてやる。嬉しそうに表情を和ませる祈里。
「じゃあちょっと大人しくしててくれな。そろそろ本気出すからさ」
向けていた視線を祈里から外し、私は再びベッドと向き合う。
そこには相変わらず気持ちよさそうに眠る母さんの顔があった。本当に幸せそうである。これを叩き起すのは気が引けるが、母さんたっての依頼なのだからやるしかない。
私は右手を振り上げ、力強く振り下ろした。
「――っ」
――受け止められた!
恐ろしい限りだが、私の本気の拳を意識の無いまま防いで見せた母さん。思わず息を飲む。
なんて超人なんだ、魔法使いは皆これほど人外なのか。私も軽く片足くらいそっち側に突っ込んでいるが、こんな芸当はもちろんできない。
咄嗟に祈里へと魔力を送る。
「くっ、祈里!!」
即座に行動を起こす祈里。
今回は乱数ではなく、私の思い通りの行動を取ってもらう。脳内で祈里の軌道を想定、あとはそれを祈里に実行させる。ここで重要なのは、移動させる位置。
「やばっ」
体が回る。母さんによってベッドへと引き込まれる中、しっかりと祈里を定位置へと移動させ終える。そこは1秒後、母さんの右手が通る場所。
「祈里、頼む!」
母さんの右手が通過するその一瞬、祈里は驚くべき早業でその拘束を解く。
自由になった私の体。それでも慣性の法則には逆らえず、体はベッドへ一直線。
「よっしゃ! あとは……」
右足をベッドに沈ませ衝撃を吸収、そのまま左足も使い大きく跳躍。
私は地面へと綺麗な着地を決めた。うん、10点満点。
「ふっ、勝った!」
祈里とハイタッチ。
前までなら一緒に二度寝コースだったのだが、長年の経験と祈里の協力を経て、今ではこのように拘束から逃れることが出来るようになっていた。それに、これのおかげか知らないが身体能力も上がっている。最近の魔法使いは脳筋なのだ。
「さて、母さんどうすっかなぁ」
あれだけの動きをしたというのに、母さんは起きる気配すらない。
なんという睡眠への執念。未だに睡眠を貪る様は恐ろしくすらあった。
「まあ、ここまでやってもダメならいいよな。何しても起きそうにないし」
母さんからは、どうしても起きなかったら放っておいてくれていいと言われている。
それでも一度だけはどうしても死闘を演じる必要があるのだが、二度目は無い。
「さて、朝食作るか。行くぞ、祈里ー」
ベッドから背を向け、祈里を引き連れ下へと降りる。
母さんの朝食は、ラップに包んでおけば大丈夫だろう。
結論から言えば、母さんの分の朝食は昼食になった。
起きてきた時間が正午を過ぎていた時点で、既にいろいろとアレである。
だが別段珍しいことでもなく、割とよくある事なのがまた問題だ。本当に何とも思っていないのだろう、横に上海を従わせ居間に入ってきた母さん。そんな母さんの前に、レンジで温めた朝食を普通に置く私。親子揃って仕方がない。
私自身も昼食を食べ終え、現在は居間で祈里のブラッシング中。
ソファーに腰掛け、祈里の綺麗な金髪に櫛を通していく。髪に引っかかるということもなく、櫛は綺麗に通る。
「気持ちいいか?」
そう聞けば、祈里は小さくだが頷いてくれる。私のブラッシングの邪魔にならないようにとの配慮だろうか。乱数恐るべし。
そんな風に祈里とスキンシップを取っていたら、後ろから母さんの声がかかった。
「サツキ、押入れにあるボタン取ってもらっていい?」
「はーい」
自分で取ればいいではないか、上海を使えばいいのに。そんなことを思いもするが、母さんは人形の製作中。両手はフル稼働だし、魔力糸も付けていない。
たぶん取れないこともないのだろうが、かなりの時間ロスになってしまうのだろう。
しょうがないなと思いつつも、押入れからボタンを取り出す。形も大きさも同じものしかないのだから、間違えようもない。
「ほい、ボタン」
「ありがとう、そこに置いておいてくれる?」
指示通りに、ボタンを机の上に置いておく。
その最中も母さんは脇目も降らず、コツコツと両手を動かしていた。何でも、今使っている人形の一体がそろそろ寿命なんだとか。人形に使われている素材は全て一般の物だ。当然、寿命だってある。だから寿命が訪れるとこうして、母さんは新しい人形を作るのだ。
「もう名前とかも考えてあるの?」
「まだよ。出来上がるのもまだ先だしね」
「へぇ」
邪魔しては悪いと思い、それだけ聞いてソファーに戻る。
待ってましたとばかりに膝の上に乗ってくる祈里。苦笑いしながらも、ブラッシングを再開してやる。今こうして、私の膝の上で気持ちよさそうにしている祈里も、元は母さんが作ってくれた人形だ。あれは確か、私の5歳の誕生日プレゼントだった。魔法を習いたいと言い出したのも、確かその時くらい。
「にしても、そんなに気持ちいいのかねぇ」
膝の上でだらしない表情を浮かべる祈里を見ていると、少し興味が沸いてくる。
自分で自分の頭を撫でるなんてことをしても馬鹿らしいだけだし、ここは同じ乱数人形で試してみたい。
「なあ母さん。蓬莱借りてもいい?」
「ええ、どうぞ」
母さんはあっさりと許可してくれる。だが、その時も顔はこちらを向かない。
本当は上海が良かったのだが、上海は母さんにとって一番の人形である。おいそれと借りることはできない。
「祈里、ちょっと降りてくれ」
気持ちよさそうな所申し訳ない。若干むくれているが、ここは私の知的好奇心のために我慢してもらおう。
窓の所に置かれている蓬莱を手に取り、魔法糸を繋ぐ。
この蓬莱、すごく上海に似ている。母さんが上海を元に作ったのだから当然だが、この蓬莱はいわゆる二番手さん。上海の次に母さんの大事な人形なのだ。
ちなみに上海と蓬莱には魔法が掛けられており、ある程度までなら壊れても修復できるようになっている。それは私の祈里も同じだ。だが、それが大きな傷ならその魔法も効かない。まあ、日常生活を送る上ではそんな傷を負うことは有り得ないだろう。
「これでよしっと。蓬莱」
魔力を送り、操作は乱数。
呼びかければ元気に右手を上げてくれる蓬莱。
「今からちょっと私が操作するけどいいか?」
何回も頷いてくれる蓬莱、本当に元気がいい。
先ほどのソファーに腰掛け、蓬莱を膝に置く。祈里は私の肩、何時もの定位置だ。
そして、蓬莱の金髪に櫛を通していく。
「うわっ、これは祈里のよりも……」
その感触に思わず息を呑む。
抵抗というか、感触自体が限りなく無に近い。例えるならば空気だ。一応、触れているんだなという感じはするのだが、それが限りなく薄い。だが、別に蓬莱が薄毛だとかそういうわけではなく、そりゃあもうフサフサだ。そこは勘違いしてはいけない。
「母さん、すげえ」
一体どんなケアをすれば、ここまでの感触を生み出すことができるのか。
今もなに食わぬ顔で人形を作り続けている母さん。やはり、人形術師としての完成度は私なんかとは桁違いだ。
「軽く凹むなぁ」
そりゃ、母さんに追いついたなんて思っていない。
まだまだ勉強不足だし、人形の反応にしたって遠く及ばない。それでも、私自身それなりに上達したつもりだったのだが。目標は遠く険しいようだ。
落ち込んだ私の首筋を、祈里の小さな手が触れる。
「おう、頑張ろうな」
祈里なりの励ましなのだろう、感謝の印にこちらも撫で返してやれば、嬉しそうに微笑む祈里。やはりウチの祈里は女神であった。
そんな私の胸を叩く存在があった。言うまでもない、蓬莱だ。
「ん? どうした、蓬莱?」
見れば、小さくだが頬を膨らませている蓬莱。これは怒っているのだろうか。
「あーはいはい、すいませんお嬢様」
どうやらブラッシングを止められたことが不服だったらしい。
苦笑いしながらも、すぐに再開してやる。すると、蓬莱の表情も先ほどの祈里同様、だらしなく歪んだ。
「ほれほれ、気持ちいいかー?」
何度も頷く蓬莱。感情表現が激しいのは構わないが、これではブラッシングがしづらい。
「いたっ、祈里?」
首に痛みが走ったので見てみれば、祈里が首の皮を抓っていた。
地味に痛いので止めていただきたい。嫉妬なのだろうか、笑えない。
蓬莱に構えば祈里が、祈里に構えば蓬莱が。どうしろと言うのか。私は母さんみたいに、同時にたくさんの人形の面倒を見ることはできないのだ。
「あら、好かれてるみたいじゃない。羨ましいわ」
「なら代わってくれよ母さん」
「嫌よ、修羅場はゴメンだわ」
嫌味かこの野郎。
確かに、こんな状況を誰が好き好んで代わるというのだろうか。修羅場は見てる分には楽しいのだが、いざ自分が味わうと胃が軋む。
というか、母さんなら普通にこの状況を収集できそうなのだが。再び人形作りに取り掛かっている母さんには望むべくもなし。
「はぁ、いっそのこと糸を切るか」
二体に囲まれ、私は心からの溜め息を吐き出した。
人形は笑わない? ――魔法だよ魔法。