人形術師の義娘   作:霞音

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7.始まりを告げる人形劇

 手に握る長剣へと視線を向ける。

 日が差し込まない森の中、それでもその輝きが失われることはない。純白の刀身は、黒の少女とは対象的であり、そのコントラストが一種の芸術というレベルにまで昇華していた。

 

 黒の少女――サツキ・マーガトロイドは手を振るい、長剣を宙へと離す。持ち主の手から離れた長剣は、虚空へとその姿を溶かした。純白の粒子となって消えていく様を見届け、サツキは強張っていた体から力を抜く。

 確かに感じる達成感を抱き、一つ溜息を吐く。肩には、もはや定位置である祈里の姿があった。

 

「やっと形になったな。それまでに四年かかるなんて、思ってもなかったけど」

 

 肩に座る祈里が、主に賛同するかのように首を縦に振る。乱数は未だ健在だ。

 

 この四年で、サツキは大きく成長した。精神的にも、身体的にも――――そしてもちろん、技術的にも。

 背丈は軽く母であるアリスを抜き、その顔付きは凛々しい女性の顔へと変化している。それなりに長かった黒髪は腰まで伸ばされており、薄い光にも輝く光沢は黒曜石のよう。鋭い眼付きは健在で、彼女の凛とした雰囲気を際立たせている。黒を主色とした洋服も合わさり、サツキを見て未成年だと気づける者は少ないだろう。

 齢十七の少女は、女性として十分な雰囲気を身につけていた。

 

「私としては十分に早かったわよ。少なくとも、あと三年は掛かると思っていたもの」

 

 サツキを見上げるアリスの表情には、ある種の感慨が宿っていた。成長した娘へ改めて、母は言葉を送る。

 

「さすがに、あと三年は長すぎるよ。あっちも私のことを忘れちゃうだろ」

 

 言いながら、祈里の頭を撫でるサツキ。この四年間、ただあの時の少女に会うために修行をこなしてきた。四年という長い年月が掛かってしまったが、ついに今日、サツキはこの魔法の森を出る。

 大人っぽくなった娘の言葉を聞き、アリスは苦笑いを浮かべる。そして、木々で見えぬはずの空を見上げ、母は娘の背を押した。

 

「そうね。じゃあ、もう行きなさい。人形劇を見せるのなら、それなりに時間が掛かるわ」

 

「ああ。母さんに教えてもらった人形劇、完璧に披露してくるよ」

 

「しっかりね。蓬莱達のこともよろしく」

 

 アリスの言葉に、サツキは頷く。

 手渡されるのは計三体の人形たち。その中には、アリスにとって大切な人形である蓬莱の姿もあった。

 サツキはそれら全ての人形たちに魔力糸を繋ぐ。操作は乱数。

 

「今日はよろしくな」

 

 蓬莱を筆頭に、他の人形たちも任せろとばかりに頷いてくれる。その光景に頬を緩めながら、サツキは右手を家の玄関へと向けた。そこにはたくさんの小道具が積まれている。それら全てが、今日の人形劇に使用する物だ。

 

「よっし。早速で悪いけど、あの小道具を運んでくれ。壊さないように慎重に頼む」

 

 サツキの指示に忠実に従う人形たち。どこにそんな力があるのか、蓬莱は自分の身長よりもずっと大きい舞台用の背景板を両手で担いでいた。しかもそれでいて安定しているのだから、人形操作というものは便利な魔法である。

 

 あらかた小物を人形たちが持ってくれたのを確認して、サツキはアリスへと向き直る。

 

「じゃあ、本当に行ってくる。蓬莱たちを貸してくれてありがとう」

 

「気にしないで。人形劇には最低でも三人以上は必要だもの。貴女は祈里一人しか持っていなかったし、蓬莱たちも嫌がっていないわ。蓬莱たちは人形劇の経験が豊富だし、きっと助けになってくれるはずよ」

 

 蓬莱や他の人形たちは、アリスと何度も人形劇を披露してきた歴戦の猛者だ。人生初の人形劇を披露するサツキを補助する役目も込めて、アリスは人形たちをサツキへと貸したのである。

 サツキも、そんな母の心遣いはよく分かっていた。

 

「必ず成功させてくるよ。期待しててくれ」

 

 だからこそ、サツキは母へ成功を約束する。

 

 頼もしい言葉だ。

 サツキはしっかりしているし、自衛の魔法についても完璧に習得している。アリス自身は心配していないのだが、娘の成長というものは嬉しくも悲しい。完全に親離れというわけではないのだが、サツキは今日、確実に大人の階段を数段上る。

 相反する思いを抱き、アリスは娘の頭へと手を伸ばす。身長差からどうしてもほんの少しだけ背伸びをしなくてはならないのだが、気にはしない。

 綺麗な漆黒の髪を、優しく撫でる。

 

「いってらっしゃい。頑張ってね」

 

「うん。頑張ってくるよ、母さん」

 

 名残惜しくも、アリスはサツキの頭から手を退ける。

 祈里を肩に乗せ、左右に蓬莱たちを連れ、サツキはアリスに背を向けた。

 

 遠ざかる後ろ姿に、アリスは嬉し涙を滲ませる。その後ろ姿は昔と比べればとても大きく、頼もしいものだった。

 子は自分の成長を自覚しないが、親は違う。サツキは己がどれほど成長したのかを自覚していない。だがアリスはずっとサツキの成長を傍で見守ってきた。だからこそ分かる。今日も明日も、サツキは家に帰ってきてくれる。だが、近い将来にサツキは帰ってこなくなるだろう。こことは違う――自分の帰るべき場所をサツキは見つける。今日という日は、その来るべき未来へと繋がる重要な日になるはずだ。

 もう見えなくなった娘の後ろ姿を、それでもまだ見つめ続ける。

 

 サツキが完全に親離れする時期は、もうすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 眼下を流れる自然の風景は、すでに見慣れたものだった。

 祈里や蓬莱たちは空を飛ぶということが不得手だ。だから、私の飛行速度もそれに合わせて緩慢なものになる。無理をして、演劇用の小道具なんかを落としてしまった日には目も当てられない事態になってしまうだろう。運が悪ければ死人が出てしまう。自然と、空の旅はゆっくりとしたものになった。

 

 視界を横切っていく白い雲を一瞥し、髪を揺らす向かい風に頬を綻ばせる。やはり、空は気持ちいい。

 

 後ろを追随する祈里たちへ意識を割きながら、思考を別の所へと持っていく。

 並列思考なんて技術が存在するが、魔法使いならば容易に修得できる技術である。使えれば便利なもので、二つのことを同時に考えることができるという優れた技術だ。

 それを使い、思考するのは目的地。

 

 目指す先は博麗神社。

 私は、私を助けてくれた少女の身元をしっかりと確認していなかった。覚えているのは、彼女の服装と顔。そんなものでは、少女がどこに住んでいるのか分かりはしない。だが、それとは別に一つだけ。私は少女から一つの単語を聞いていた。

 

 ――――博麗の巫女

 

 妖怪退治を請け負う、幻想郷ただ一人の巫女。そんな彼女の居場所は、この幻想郷に住む人間ならば誰でも一度は耳にすることだ。

 里の東。幻想郷の東端にある山。その麓にある神社が彼女の住まいなのだそうだ。徒歩で行くのなら軽く半日は掛かってしまう距離である。だが飛んでいけばそれほど時間も掛からない。

 実際、その山に着くまでに二時間も掛からなかった。

 

 祈里や蓬莱たちを引き連れ、ゆっくりと降下する。飛行していた時よりも強い風が耳元で唸るが、私の足はしっかりと地を捉えることができた。これくらいの減速など容易いことである。

 

「鋪装されてる。この道を進めばいいのか」

 

 左右を見れば、木々は見事に丸裸。冬の風に吹かれ、寒そうにその身を震わせていた。冬でも関係なく緑を生やす木々が立ち並ぶ魔法の森とは違い、少し目を見張る。魔法の森には、冬でも枯れない種の木が生えているから、仕方のないことかもしれない。

 視線を正面に向ければ、私が立つ場所から真っ直ぐに、綺麗に鋪装された道が続いている。

 

「……静かだな」

 

 聞こえるのは自分の声と、木々の擦れあう音。時折、どこからか動物の鳴き声が聞こえてくる。たったそれだけの静かな森だ。人の気はなく、見渡す限り人の姿は見当たらない。

 

「これが参道ってやつなのかな」

 

 雑草や大きな石が退けられ整備された、真っ直ぐに続く道を眺める。神社に詳しくないが、他にそれらしき物も見当たらない。となれば、これが参道というやつなのだろう。ならば、ここを進めば神社にたどり着くことができるはずだ。

 

 そんな私の確信を証明するように、少し進めば石段を見つけた。

 

「……たけぇ」

 

 頭上を眺め、思わず声が漏れる。

 見えるのは何百と続く石段。その終わりはここからでは見えない。これを登ると考えただけで挫けそうになる。それだけ、眼前に聳える石段の山は長く高く続いていた。

 

「……飛ぼう。これを徒歩で登りきるのは無理だ」

 

 即座にそう判断する。そこに迷いや躊躇いはない。これだけの石段をバカ正直に登るのは、私にはとても無理だ。後ろに続く人形たちに顔を向ける。

 

「というわけで、ついて来てくれ。今からこれを飛び越えるから」

 

 そう言えば、祈里を含めた総勢四体の人形たちが一斉に頷いてくれる。といっても、人形は常時飛んでいるようなものなので、この問いはあまり意味がなかったりする。それでも声をかけるのは、それが彼女たちとのコミュニケーションだからだ。コミュニケーションが大切なのは、人間も人形も変わらない。

 

 青空を見上げ、体に魔力を循環させる。体を、魔法を使える状態へと変化させる。そうして、私は地面を強く蹴った。そして感じる浮遊感。私の体は重力を無視して、上へ上へと登っていく。そして一気に、石段を登りきった。

 

「よし、登頂完了っと」

 

 石段の上には、やはりというべきか立派な神社が建っていた。私の立つ場所から真っ直ぐに続く石造りの道、その両脇には砂利が敷き詰められており、本殿まで灯篭が等間隔で建てられている。美しい神社だった。

 生きてきた中で見たことが無い、綺麗な風景。

 

「……」

 

 思わず見惚れる。

 長い間、私は魔法の森に篭っていた。魔法の勉強をすることに必死になっていたのだから、あまり他のことに労力を裂く余裕は無かった。だから、私が知っていることは書物から得た知識がほとんどだ。自分で直に見て、体験して、蓄積した知識はほとんどない。我ながら、なんとも悲しい幼少期なのだろうか。だが、それに後悔は無い。

 現にこうして、私は見たことのない景色を見て、感動しているのだから。

 

「……すごいな」

 

 どれだけ眺めていただろう。気づけば、肩には祈里が腰を下ろしていた。そのことに気づかないほどに、私は意識をどこかに飛ばしていた。意識が戻ると共に、目的を思い出す。

 

「そうだ、あの子は……」

 

 情報が確かなら、彼女はここで生活をしているはずだ。留守ということでなければ、今もあの家の中にいるのだろう。久しぶりの再会だ、そう思えば自然と手に汗を握る。

 

 辺り一帯を見渡しても人の姿はない。となれば家の中だろうか。

 とりあえず呼び鈴を鳴らそうと思い、足を踏み出した時――玄関から一人の女性が顔を出した。

 

「――っ」

 

 知らず、息を呑む。

 それはとても美しい女性だった。腰まで伸びた光沢のある美しい茶髪。整った美しい顔立ちに、凛とした佇まい。身に纏うのは、目を引く紅白の巫女服。品の良さが全身から滲み出ている、そんな女性。

 それは、私が再会を待ち望んでいた女性だった。

 

 女性は私に気が付くと、その美しい唇を開く。

 

「あら、お客様なんて珍しい。ようこそ博麗神社へ。今回は何用ですか?」

 

 思考が正常に機能しない。声をかけられた私は、馬鹿みたいに間抜け面を晒していることだろう。

 答えない私をしばらく眺めていた女性は、やがてその表情を驚きへと変えた。

 

「もしかして――サツキですか?」

 

 問われ、ようやく脳が機能を取り戻す。問いの内容を理解するのに暫く掛かったが、ゆっくりと首を縦に振る。それを見た女性の顔が喜色を帯びた。

 

「やっぱり! 見違えましたね、綺麗になりました」

 

「――花梨こそ、一瞬見惚れたよ」

 

 女性――博麗花梨との距離は歩幅一歩分にまで縮まっていた。身長差から見下げることになるのだが、見える花梨の表情は嬉しそうに輝いている。神秘的な雰囲気を纏う彼女だが、今はまるで幼子のように屈託の無い笑顔を浮かべていた。

 

「四年振りですね。元気でしたか?」

 

「ああ。元気も元気、病気にもならなかったしな」

 

「へぇ。それは何よりですね」

 

 そんな、取り留めもない話をする。私は正直、ホッとしていた。

 何せ花梨が言っていた通り、四年ぶりの再会なのだ。会ったのだって、以前の一度きり。名乗りあったが、それでも記憶に留めておくにはあまりにも薄い縁だった。それでも彼女は、私のことを覚えてくれていた。

 

「約束通り、来たぜ」

 

「ええ、待っていました。こうして貴女と再会出来たこと、とても嬉しく思います」

 

「ああ、私もだよ」

 

 花梨の視線が、後ろの祈里に向く。

 

「あら、貴女は確か……祈里さんでしたか?」

 

 その問いに答えるように、肩に座る祈里はコクりと頷いた。

 

「やはり祈里さんでしたか。でも、後ろにも沢山の人形さんがいますね」

 

 彼女の視線は私の後ろに控える蓬莱たちに向けられている。花梨は蓬莱たちと会うのは始めてになるはずだ。軽く説明した方がいいかと考えるが、それも太陽の位置を見て考え直す。

 

「後で紹介するよ。それよりも、先に見せたいものがあるんだ」

 

「見せたいものって――」

 

「ああ。約束、まだあっただろ?」

 

「人形劇、ですか?」

 

 それは、花梨と交わしたもう一つの約束。

 魔法の練習と兼ねて、ずっと人形劇の技術も磨いてきた。母からは形になっていると判子を押された腕前だが、未だに母以外へ見せた事はない。

 つまりは、人生初の人形劇。

 

「見てくれるよな」

 

 少し間が空き、花梨は一つ頷いた。

 背後へと視線を向ければ、既に組み立てられている小さな舞台がある。会話中にせっせと人形たちに組み立ててもらっていたのだ。

 

 用意していた組み立て式の椅子を花梨へと差し出し、腕を舞台の上へと移動させる。

 

 すでに舞台は整っている。役者は四体の人形たち。

 観客はたった一人、だがそれは決して寂しい劇などではない。私は少しの緊張と、それ以上の興奮を込めて、人形たちへと魂を吹き込む。

 

「始めようか」

 

 呟いた声は宙に消える。

 注がれる期待の眼差し。それを正面から受け止め、武者震いに両腕を僅かに震わせる。

 

 こうして、人生初の人形劇――その幕が上がった。

 

 

 

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