人形術師の義娘   作:霞音

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第弐章 『春待つ寒き季節』
8.二人の距離感


 

 

「さむ……」

 

 現実逃避気味に小さく呟き、両の手のひらを擦り合わせる。

 頬は冬の寒さからヒリヒリ痛み、耳はきっと林檎のように真っ赤になっていることだろう。時折吹く冬風が何とも憎らしい。

 

 博麗神社、その玄関前で立ち尽くすこと十分あまり。

 何をするでもなく、ただ立ち尽くす私の姿は非常に哀れなものだ。客観的に見てみれば、挙動不審ですらあるだろう。心なしか、人目は無いのに誰かに見られているのではないかという形容しがたい羞恥心のようなものが芽生える。

 

 友達の家を訪ねるというのは、これほどまでに緊張するものなのか。

 

 未だかつて、友達というものを得たことがない私にとって、この感情は抱いたことがないものだった。齢十八とはいえ、こういうことに対しての経験は皆無なのだ。情けないと思いながらも、私の体は緊張に縮み上がってしまう。

 

「どうしよう祈里、指先が震えて仕方ないんだけど……」

 

 その震えは寒さからくるものではない。

 理由を理解し、そしてそれが自分ではどうしようもない事だと悟り、逃げるように我が娘に助けを求める。だが、それは些か無理があるというもの。肩に座り此方を見る祈里の表情にも、心なしか緊張の色が見て取れる。

 それを見て、逆に少し落ち着くことができた。

 

「なんでお前が緊張してるんだよ」

 

 苦笑いしながら、頭を撫でてやる。指先の感覚は酷く曖昧で、撫で方は少し雑になってしまう。それでも嬉しそうに首をひねる祈里を見ていると、不思議と穏やかな気持ちになれた。

 

 改めて、目の前にぶら下がる紐と睨み合う。

 

「よし、何時までもこうしていたって仕方ないし……鳴らすぞ」

 

 固唾を飲む。

 まだ少し指先が震えるが、先ほどと比べると緩和的であった。ゆっくりと、紐を引っ張る。

 

 一歩下がり、待つこと二分。返事はない。

 

「……あれ?」

 

 再び紐を引っ張るも、やはり返事はなかった。どうしたことかと頭を捻る。

 そして行き着いた答えは一つ。実に簡単なことだった。

 

「留守か」

 

 家を出たのが三十分前だということを考えれば、現在は午前十時くらいか。外出をしていても何らおかしくない時間帯だ。

 つまり、どれだけ待とうが花梨は出てこない。

 

 それを自覚すると同時に、肩の力が抜けた。

 

「……出直すか」

 

 このまま玄関前に張り付くのは、私の精神的にも体裁的にもよろしくない。

 溜息を吐き、帰宅しようと歩を進めた私の耳に、聞き覚えのある声が流れてきた。

 

「あれ、サツキ?」

 

 ぴたりと足が止まる。

 恐る恐る振り返った視界に、亜麻色の髪をした美女の姿が映る。脇を露出させた紅白の巫女服を身に纏い、右手に桶を持った花梨が、驚いた表情でこちらを見ていた。

 

「……花梨? あれ、外出してたんじゃ」

 

 突然の事に、何故という疑問が真っ先に思い浮かぶ。

 だが、そんな疑問に彼女はすぐ答えてくれた。

 

「ちょっと裏で禊を行ってまして。そういうサツキこそどうしたんですか?」

 

 つまりはあれか、私の勘違いか。

 羞恥心から、私の頬は赤く染めてしまっていることだろう。

 首から上だけを後ろに向け、驚愕に染まる表情。我ながら間抜けな姿を晒しながら、ポツリと呟く。

 

「……心臓に悪い」

 

 吐いた言葉は、冬の澄み渡った青空に溶けて消えた。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 畳敷きの居間に腰掛ける。

 下には座布団が敷かれており、視線を部屋の隅へと向ければ、そこには仄かに赤く光る火鉢が鎮座していた。我が家は暖炉なので、火鉢など知識でしか知らなかったのだが。これはこれで風情があって良い。

 上半身はもちろん、炬燵に入れている下半身も含めてとても温かい。先ほどの寒さが嘘のようだ。

 

 火鉢へ向ける視線の隅に、少女の姿を捉える。

 亜麻色の美しい髪に、優しげな眼差しをした美女。だがそれは、常時の場合の話だ。非常時と言い表しても誤りではない現状において、彼女の優しげな眼差しは鳴りを潜めていた。整った顔は強張り、表情からは緊張の色が見て取れる。それでも彼女の美しさが損なわれることはない。それに、それを言えば私も同じこと。

 

 いざこうして二人っきりになると、緊張して仕方がない。

 

「……」

 

「……」

 

 双方無言。

 時折視線が合えば、頬を染め、どちらからともなく目をそらす。傍から見たら、酷く間抜けな絵になっていることだろう。それを理解していても、目を合わすことが出来ないのだから仕方がない。

 この空気が耐えられず、終いには畳の縫い目を目で追い出す始末。一言だけ言いたい、これはお見合いかナニかか。幾ら何でも緊張しすぎだ。縮み上がる己を無理矢理に鼓舞し、顔を上げる。

 

 花梨と目があった。

 

「――!」

 

 私と花梨は、お互いに無言で目を逸らす。

先ほど鼓舞した己の心が萎えるのを自覚する。私の覚悟は容易く鎮火されてしまったようだ。

 先ほどからこれの繰り返し。会話は無く、沈黙がこの空間を支配する。まるで見えない溝が、私たちの間に横たわっているようだった。この状況を打破出来ず、かれこれ三十分。それだけの間、緊張していれば、思考は変なところへと流れていく。こんな状況が永遠に続くのではないかと、馬鹿なことを考え始める。

 

 だが、何事にも終わりというものはやって来るもので。

 

「あの……」

 

 おずおずと、花梨が口を開く。無言が支配する居間においては、彼女の声は酷く大きく、そして木霊するように聞こえた。

 目を合わせることは出来ないが、それでもやや目線を上げる。視界の端で捉えた彼女の顔は、熟れたトマトのように真っ赤だった。

 

「私、友達というものを持ったことが無くて。恥ずかしい話ですが、緊張でサツキの顔を直視できません。失礼だとは思うんですが……」

 

 花梨の言葉は尻すぼみになり、やがて途切れる。それと引き換えに、彼女の頬は赤みを増していった。この空間の異様な雰囲気のせいか、言葉を発するだけでも恥ずかしかったのだろう。私だってそうだ。

 ただ、彼女が最初に踏み出してくれたおかげで、会話の切っ掛けが出来た。彼女の頑張りを無駄にしてはいけない。

 

 この雰囲気を壊すために、私も勇気を出そうと決めた。

 

「それを言うなら、私も同じだよ。花梨が始めての友達で、正直かなり緊張してる。だから、別に失礼とか思ってないから」

 

 意を決して、視線を花梨へと向ける。

 そうすれば、彼女の綺麗な黒い瞳がこちらを見つめ返していた。咄嗟に逸らしたいという感情に苛まれるが、それを必死に押さえつける。

 

「あ、あの……えっと。友達付きあいというものが分からないので、何が正解か分からないのですが……私、こうしてサツキと一緒にいられるだけで楽しいというか、何というか……」

 

「あー、言いたいことは分かるよ」

 

 私には、彼女の言葉の続きが何となく理解できた。

 何といえばいいのか、こうして花梨と話しをしているだけで楽しいのだ。特別なことをしているわけでもなく、何気ない話しを交わす今に胸躍らせる。

 

「私たちはお互いに、その道においては初心者なんだ。あまり気負わず、気を遣わず。楽しくやっていこう」

 

 友達付きあいにマニュアルなどあるはずもなく、ここにいる二人は互いに経験が皆無。手探り状態であることは自覚しているが、だからと言って逆に気負うのは違うと思う。

 

「たぶん、友達っていうのはそういうものだと思うんだ」

 

 気を遣うことなく、それでいて共にいることに苦痛など感じない。

 楽しいから一緒にいる。それがあるべき姿なのではないだろうか。

 

「……そうですね。その通りだと思います」

 

 ゆっくりと頭を振る花梨。

 

 他人から見た私たちは、きっと拙く見えることだろう。だが、それでもいい。ゆっくりと、それこそ何年掛かろうとも気にしない。私たちのペースで、この関係に慣れていけばいいのだ。

 

 程よく緊張が解けてきた頃、花梨は何かを思い出したかのように口を開く。

 

「あの、サツキ……」

 

 呼ばれ、顔を向ける。

 

「早速で申し訳ないんですが……」

 

 少し溜め、やがて言い辛そうに花梨は口を開いた。

 

「サツキは料理って出来ますか?」

 

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 出来上がった料理を、炬燵の上に並べる。

 献立はごくごく普通のものだ。白ご飯に味噌汁、それに沢庵。手の込んだ物など何もなく、時間をかけたという点においては味噌汁くらいのものである。

 

 どうやら花梨は朝食を食べていなかったようだ。それでお腹が空いていたらしく、そして本人は料理が不得手だということで、急遽わたしが台所を預かることとなった。

 

 ちなみに、材料などは神社の物をお借りした次第だ。

 

「いただきます」

 

 お腹が空いているだろうに、礼儀正しく両手を合わせる花梨。右手に箸を持ち、優雅な所作でお味噌汁へと手を伸ばした。

 そして、喉が動く。

 

「……どう?」

 

 少し不安になって、私は問うた。

 だが返ってくる言葉はなく、花梨は黙ってしまっている。料理に関しては自信があったのだが、これはしくじってしまったか。

 しかし、どうやらそれは杞憂だったようで。

 

「美味しい……すごく美味しいです!」

 

 何やら感激に打ち震えているらしい花梨。満面の笑みを咲かせ、今度は白ご飯へと手を伸ばす。優雅さを損なわないと思われる限界の速度で、彼女は食事を進めていく。

 

「すごい……白ご飯ってこんなに美味しいものなんですね」

 

 確かに、白ご飯に大した味はない。だが、それでも作り手の工夫で差というものは出てくるものだ。例えば硬さだったり水気だったり。その辺は個人によって好みが分かれるので、今回はあまり考慮していない。作ったのはマーガトロイド家で好まれる物である。少量のダシを加えた、少し固めの米だ。

 

 花梨はどうやら、それがお気に召した様子。

 

「サツキは料理が上手なんですね。このお味噌汁、とても美味しいです」

 

 一通り食べ終えた花梨は、満足げに言葉を発した。

 

「ああ。一応、料理歴は八年くらいになるからな。それなりに自信はあるんだ」

 

「そうなんですか……」

 

 美味しそうに食べる花梨の姿は、作り手にとっては非常に喜ばしいものだ。自分の料理を褒められるというものは、やはり嬉しい。

 照れながら、机の上に腰を下ろした祈里の頭を撫でる。

 

 しかし、料理を始めてそんなに経つのかと純粋に驚く。魔導と近しい時間をかけているという事実に、内心は戦々恐々だ。

 

「こんなに美味しい料理なら、毎日食べたいです」

 

 その言葉には、とても力が込もっていた。そう、言うなれば真に迫るというか。鬼気迫るというか。それが、花梨の本音であるかのような、そんな声。

 

「あの、サツキ……非常に申し上げにくいんですが」

 

 少し猫背になり、上目遣い。

 同性であっても可愛いと思う仕草で、花梨は言葉を発する。

 

「また、料理を作ってくれませんか? 私、料理は苦手で……」

 

「それはさっきも聞いたけど、そんなに?」

 

「はい。お恥ずかしながら、焼くだけなら問題ないんですが。味付けの方が……」

 

 正直、意外だった。まだ出会って一週間も経っていないのだが、花梨には何でも出来るような印象を抱いていた。

 本人曰く、焼き魚とかなら問題はないのだが、肉じゃがとかの料理になるとてんでダメなんだそうだ。もう流石に、そういう食事も飽きてきたと、花梨は恥ずかしそうに語る。

 

「そういうことなら、私が明日から作りに来るよ。朝からでも問題ないか?」

 

「え、いいんですか? 朝からは流石に迷惑なんじゃ……」

 

「いいよいいよ。用事がある時は無理だけど、無い時は作りに来れるし」

 

 自宅にいても、やることといえば魔法の勉強くらいだし、母も料理は自分で出来る。それに、そんな食生活は余りにも不便だ。

 

 恐縮して首を横に振る花梨。

 だが、欲に負けたのか、最後には申し訳なさそうに首を縦に振った。

 

「すいません、お願いしてもいいですか?」

 

 任せろと、大きく頷く。

 ぼんやりと新しい日常が構築されつつあることを悟りながら、それが良い変化だという確信もある。

 少しずつ、私と花梨との間にある溝を埋めていけたらと思った。

 

 

 

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