8月6日--今日の天気は上天気になった。
雲ひとつない快晴、正しく野球日和だ。
開会式の為に球場入りを行うと既に何校か集まっており、空気は緊張が漂ったものとなっている。
その中に何人か見覚えのある選手がいる。
「藤内に蛇島…帝王実業か」
「シニアの時と比べて、身体が大きくなってる。相当鍛えてるみたいだね」
「そうで無かったら1年からベンチ入り、甲子園で登板なんて事出来ないだろうからな。あの程度なら妥当なところだ」
優勝旗を返還しに来た昨年の覇者帝王の姿がある。 その姿は伊達に甲子園を制していない。 主力選手と思われる人物らからは威圧感の様なオーラが出ている。
「あれ、見覚えのある顔だと思ったら--御薗シニアの2人じゃん。何でここにいるんだ?」
その集団の中で1人、目が合った人物がこちらへと向かって来た。
---藤内 直哉。
2年生ながらエースナンバーを背負っている投手だ。 U-15の抑えを務めたこともある経験豊富な人材で、スカウト評価は僕たちの世代で1番高いとされている。
「…何でって、予選を勝ち抜いたからに決まっているだろう。笑えない冗談は好かないな」
「わかってるよ、そんな怒るなって友沢。お前--投手辞めたんだってな?」
藤内君の言葉に亮が顔色を変える。 情報が回るのが思っていたよりも早い。
「…どこでそれを?」
「予選に出てなかったら誰だって不思議に思うだろ。今回10番を付けてるところから野手として復帰したってとこか」
「その通りだ--お前たちと当たることになっても俺たちは負けない」
「ふん、言ってろ。まずは目の前の相手を見るんだな、パワフル高校だったか?あそこは中々強いぞ」
何たって、アイツらがいるからなと藤内君は笑みを作る。
「友沢、お前は一緒にプレイしたことあるから分かるだろ?」
「…観月のことか」
「それもある。まぁでもアイツは肩やっちまって、今は野手だからな。投げれるっちゃ投げれるだろうが球速はそれ程出ていないらしい」
観月君と言うのはパワフル高校の3番を務める選手の事だ。彼も代表を経験しており、その時は投手だった様だが、現在は野手をしているみたいだ。
「それよか、ぶっちゃけ怖いのは打線だな。俺が言うのもあれだが--大力・東條のコンビは脅威だな」
大力と言うのは「パワプロ」のあだ名があるという大力颯呂君のことで、東條と言うのは今年入った5番打者の東條小次郎君の事だ。
「帝王は“さわやか波乗り高校”だったよね?」
僕の言葉に対して藤内君は頷き、言葉を返す。
「無難に行くなら優勝するのは
藤内君は視線の先に立つ人物--柊 和弥 君の姿を捉えていた。丁度昨夜にスポーツニュースで取り上げられており、球八高校を甲子園に導いたとして今大会注目の選手として紹介されていた。 まだ2年生と言うことは同じ世代で、これから当たるかもしれないという選手。 伝説の少年野球チーム「ガンバーズ」の主将を務めていたこともあり、「神童」と呼ばれているらしい。 他にも多彩な変化球を使うことから
「まぁ、頑張ってくれ」
そう残して藤内君はその場を去っていった。
「デカイな…アイツが背負っているモノは」
「うん…強豪の宿命と言えばそれまでだけどね…」
さっきまで等身大だった彼の姿が大きく見える--彼の強さが垣間見れた気がした。
*
「そろそろ時間だ。みんな準備しろ」
坂内さんの言葉に僕たちは頷き控え室を出る。 これから行うのは入場行進だ。 会場には既に「大会行進曲--栄冠は君に輝く」が流れ、歓声が聞こえてくる。 始めに昨年度優勝高校である「帝王実業高校」が優勝旗を持って入場を行い、各校入場をしていく。
出場する49校が出揃うと国旗が掲揚される。 続いて大会主催者によるお言葉の後、優勝旗返還が行われ、レプリカ優勝旗が帝王実業に贈呈される。 その後お偉いさん方のお言葉があり、いよいよ選手宣誓が行われる。
今年の代表は親切、つまり僕らだ。 坂内さんはいつもと変わらない雰囲気のままマイクの前に立ち、言葉を綴った。
「我々選手一同は日ごろの練習の成果を存分に発揮するとともに、今日ここで戦えるということに感謝し-----ここまで支えてくださった方々に誇れるよう正々堂々と全力で挑むことを誓います」
坂内さんが途中で噛むこと無く完璧に文を言い切った。 会場から惜しみ無い拍手が飛び交い、吹奏楽による演奏が始まる。 演奏が行われていく中、僕たちは1塁側ベンチと3塁側ベンチの双方から順に退場していく。
これで最初の波は乗り切った。
ここからは目の前の試合に集中するだけだ!
*
両チーム共に守備練習が終了し、いよいよ試合開始の時刻となる。 僕たちは後攻めとなるのでグローブを手に、主審の掛け声を合図にしてベンチ前から飛び出した。
「--礼!」
お願いします!と双方強く答え、僕たち親切ナインは守りに付くため、甲子園のグラウンドを駆ける。
守備位置に付くと心臓が激しく鼓動を立てているのがわかる。期待と興奮と緊張が入り混じったもの。 前日練習では味わえなかった大勢の人々に見られているというこの感覚。 その歓声が地鳴りとなって響き、お腹を抉りに来る。
凄いな、これが甲子園か。
始球式が執り行われ、無事に終了。 会場からは拍手が溢れ出る。
今回僕の守備位置は
『1回表 パワフル高校の攻撃は 1番
甲子園独特のけたたましいサイレンが鳴り響き、試合開始の声を告げる。
パワフル高校の先頭打者は3年生--円谷さん。
彼はリードオフマンとしてチームを引っ張っている存在だ。 坂内さん曰く--フライが少なく、叩きつけるバッティングを主としているらしい。 叩きつけると言うことは即ちゴロが来るということだ。 初対戦と言うことで寺河さんのデータを集めに来るだろう来ることが考えられる。
この辺かなぁと漠然と
この分なら心配することは余り無さそうだ。
大きく振りかぶり、寺河さんから第1球を投じられた。
球種はストレート。 白い糸を引くようなそれは寸分の狂いなく坂内さんの構えるミットに収まる。
電光掲示板に表示された球速は148km/hを指した。
これが与える衝撃は大きいだろうと言うことが安易に予想できる。
初球からストライクを取れたことによって、先手は取れた。 このまま流れに乗れれば大きいものとなる。
---ギィン!
4球目、
大丈夫、いつも通りに。
打球にそれ程勢いが無いため、送球に備えて回り込む様な形で捕球し一塁へ送球する。
判定は、アウト。
無事に1アウトを取ることに成功し、2番打者である不知火君を迎える。 彼は50mを5秒台で走り切る俊足の持ち主で、足を生かしたプレーを行う。 ポジションは
「--ストライーク!バッターアウトッ!」
『3番 右翼手 観月君 背番号9 』
左打席に立つのは日本代表にも選出された経験を持つ観月春君。 肩に怪我を負ったとは言え左打席に入るということは少なくとも影響が少ないくらい回復はしていると取れる。
ややオープンスタンス気味に構え、両の目で寺河さんを捉えているように見える。 次に控えているのは4番打者である主砲--大力 颯呂 君だ。 初回から彼にはなるべく回したくは無い。 ここで終えるのがベストだ。
初球は左打者
「ストライクッ!」
主審の右腕が上がり、坂内さんからの返球を受けて寺河さんは軽く肩を回す。
2球目はストレート。
これを観月君は思っ切り引っぱたいた--しかし、打球は僅かに右に逸れていく。
先ほどまでの打者に見せたストレートより、球速が出ていないからだ。 抜いた分、観月君のタイミングは早くなり打球はファールになった。
簡単に追い込むと1球高めに外してから最後はボールゾーンでの勝負--ボールは坂内さんのミットに収まった。
2球目にハーフスピードのストレートを投げたのはこの球で打ち取る為である。
----何だあの球は…スライダー、いや違う。
その正体は--スラーブ。
スライダーとカーブの中間のような変化をする球種だ。 寺河さんは秋から今に掛けて、縦の変化に加えて、横の変化も強化を行った。 それが先程の成果だろう。
初回を3人で切り取るなど素晴らしい立ち上がりを見せる。 次は僕たちの攻撃だ、しっかり球を見ていこうと思う。
*
--鈴本 大輔
彼と対戦するのはこれで2度目になるけど、以前より身体付きがしっかりとしている、っとこれは誰にでも言えることか。 あれから日は経っているんだし、何を当たり前のことをって感じだ。
そんな感じでネクストバッターサークル内で思考に潜っていた僕を現実へと呼び戻したのは思わず目を見開く様な乾いた音だった。
--148km/h
先程計測した寺河さんの最速と並ぶ球速。 予選でのデータは140前半がいい所だったと言うのに…。 どうやら僕たちは寺河さんレベルの投手を相手にしなければならないようだ。 決して、相手を舐めていたりする訳じゃない。 あくまでも気持ちの問題だ。
そんな隠し球に、更に上が存在した。
----ボールが、来ないっ!
「そんな、あれは…」
鈴本君が投じた球に対して、僕は自分の目を疑った。 それ程衝撃的なものだったんだ、さっき彼が投げたのは。
「--
シニアの時から制球力には目を引くものがあった。 実際予選でも四死球の少なさがそれを顕著に表していたように思える。 あれから日は経っているんだから武器が1つや2つ増えていても何らおかしなことでは無いけど、それにしてもまさか、ナックルボールを習得してくるとは夢にも思わない。
『2番
甲子園初打席--ここは何としてでもヒットを打ちたい。
そんな気持ち一心で打席に立った僕だったけど、鈴本君は完全に僕を見下ろして投げていた。
「ストライークッ!バッターアウト!」
外、内、外のコンビネーションにタイミングを崩しに来るナックルボールに見事に翻弄されてしまった。 低めのボールゾーンに外れるナックルに手を出しそうになったけど、それはギリギリ防いだ。 でも一度ズレてしまった視線を戻そうとなると1打席内では簡単には行えない。 結果僕は147km/hのストレート--ナックルと約30km/h以上の差の前に簡単に打ち取られてしまう。
----くっ、スライダーか
続く坂内さんはナックルが来る前にと初球から果敢に打ちに行くも変化量の小さいスライダーの前に倒れてしまう。
投手戦を思わせる、そんな両者の立ち上がりとなった。
以前僕たちが倒した相手は更に大きくなって目の前に帰ってきた。 初戦から大きな壁が立ち塞がっているけど、「壁は高ければ高いほど超えた時が気持ちいい」と言う言葉を聞いたことがある。
鈴本君、君の強さは僕たち親切が先に進む為の糧にさせて貰おうと思うんだ。
まだ勝負は始まったばかりだ!
『2回表 パワフル高校の攻撃は 4番
右打席に入り、しっかりと足場を慣らすのは2年生ながらにしてパワフル高校の主砲に座った大力颯呂君。 名は体を表すと言うけど、正にその通り。 打球の速さが半端ないらしい。 それに備えて、いつもより少し深めに守ることにする。
---ズバァァァン!
坂内さんのミットから出る音が変わった。 少しの硬直の後、ぱっと後ろを振り返るとその表示に目を丸くした。
--150km/h
速い。 文字通り速い。
球速も、その成長の速度も。
選ばれた者しか入れない
パワプロ君…もとい大力君、続く東條君、鈴本君を全く寄せ付けず三者連続三振に切ってとる。
これが
--これは、投手戦になる。
さっき感じたそれは実現することになる。
*
---ギン!
『 --詰まった当たりは
「ナイス湊叶!」
「寺河さんもナイスピッチです!」
ベンチへの帰り際にパンっと互いのグローブでハイタッチを交わす。
ここまで寺河さんは最高のピッチングで流れを造ろうとしてくれている。
でも、そうは問屋が卸さない。
『--際どいぞ!どうだ!…アウトッ!神谷の絶妙なセーフティーバントは鈴本が見事なフィールディングで制しました!スリーアウトチェンジ!鈴本も負けじと三者凡退!三塁を踏ませません!打たれたヒットは1本と見事な投手戦!』
「皆、聞いてくれ」
パワフル高校・主将境井はベンチで険しい表情を作っているチームメイトへと声を掛ける。
「鈴本は、頑張ってくれている」
塩分と水分を同時に補給できる飲料水を飲み終え、顔にタオルを当て壁にもたれかかる鈴本を見る。
「…この回だ、この回繋ごう」
打順はトップバッターから。 これまでリードオフマンとしてチームを牽引してきた円谷から始まる。 三年生としての矜持にも期待が持てる。
「1点だ。それを取れば流れはコチラだ。勝とう」
「やりましょう!このまま終わるのは悔しすぎます」
ここまで2三振と打棒が奮わない大力は4番に座る者として渡したくない気持ちがある。
「行けますよ!ここで、踏ん張りましょう!」
バッティングに定評のある観月もこの試合は寺河に完璧に抑え込まれている。 チーム全体が
「まずは先頭から、円谷!バットは浅く構えて、スイングをコンパクトに!」
境井からの激に円谷は大きく頷く。 打席に入る前に大きく息を吐き、集中した顔付きになり右打席へと足を入れた。
足場を慣らし終えた寺河がゆったりと振りかぶり、初球を投じる。
--ズバァァァン
球速表示は145km/hと未だに球威は衰えを見せない。
----この炎天下の中独りでここまで投げ抜いているんだ。バテていないはずが無い。
2球目もストレート。 今日はストレートの配球率が高い。 残念ながら“フォッシュ”と呼ばれる変化球の前に殆どの場合で打ち取られている。 落ちるスライダーも見極めが難しく、打ち取られる要因の1つだ。 低めの際どい所は徹底的に捨て、ストレートに的を絞るという作戦を境井は取る。
その後2球のボール球を見極めることに成功した円谷。 長年1番打者として試合に出場している事はあるなと、親切高校捕手坂内は思う。
----今日のお前はストレートが良い。それで押し切るぞ。
----ストレート!
狙っていた球種が来たことにより、円谷は鋭くバットを振り抜く。
---ズバァァァン
勝ったのは捕球音。 外に球1個分外れた所に制球された精密さが円谷の執念を上回る。
「すまん…」
重い足取りでベンチにへと戻る円谷を見、次打者不知火は決起を起こす。
----勝負は一度きり。失敗は出来ない。
グッと、身体に力が入るのが分かる。 ここが山場と自分達を率いてくれている主将がそう判断したのだ。 あの人は波を読む力を持っている。 その事について誰も異論は無かった。
----落ち着け。大丈夫、やれる。
まずは気持ちから、という言葉通り前向きな思いを胸に不知火は左打席に入った。
----足は確かに疾いが、力はそれほど無い。 内野は少し前進気味で行くか。
ハンドシグナルによる
二遊間が共に少し前に出て構える。
----んー…これは予想していなかったな。でも、手のうち用はある。
自身に対するシフトを敷かれたことに、驚きを持つが手が出ない訳では無い。
---ギン!
「ファール!」
バットをコンパクトに振り抜くことにより打球の強さを高めていく。 これは相手の投手の球に力があればあるほど有効であり、反発力により、速度の分だけより飛ぶというものだ。
----強く振ってきている。ここは
再びハンドシグナルによりサインを伝達する。 これにより
----来た。ここが勝負。
3球目、ベルト付近への速球を不知火はバントの構えで迎え撃つ。
----バントか!
投手の寺河がそれに反応し、マウンドから圧力を掛けに走る。 それを不知火は見逃さない。
----バントはバントでも、一味違うぞ!
プッシュバント。
バントに備えて飛び出してきた親切内野陣を嘲笑うかのようなそれは、的確に効果を示した。
その三選手を線で結んだ地点--各選手から一番離れたポイントに見事に決めてみせる。
『プッシュバントが決まったァ!寺河のダッシュ力を逆手に取った策は見事にハマりました!寺河のノーヒットノーランがここで潰えます』
1塁ベース上で不知火はベンチに向かって、小さくガッツポーズを取る。
今のバントは自分の足を活かす為に、と円谷がここ最近夜遅くまで特訓に付き合ってくれたものだ。 その成果が出せたことに喜びは隠さないが、まだ点を取った訳では無い。 慎重に行くという意味も込めて、小さいものを採用した。
「…颯呂、繋ぐからな」
3番観月も強い気持ちを持って打席に立つ。
----自分に出来る最低限の事は
外の球を逆らわずに流し打つ。
『さぁ、パワフル高校この試合初となる
「颯呂!…焦らずな、お前なら大丈夫だ」
「はい。やってきます」
右打席に入り、寺河を睨みつけるかのような形で構えをとる。
----おー怖。真剣そのものって感じ、でも、俺たちにも譲れないってモノはあるんだよ!
『初球外に外れてボール。この試合初めての
この場面でのハーフスピードのストレートに大力のバットは振れ過ぎてしまい、それが災いとなる形でファールになった。
----くそ!抜いてきた分ポイントが前になった!追い込まれたら
5球目、牽制を挟んでから寺河は
途中まではストレートの様なノビがあり、ガッと急ブレーキが掛かったかのようシンカー気味にストンと落ちる--フォッシュだ。
----これは、奥行!っ、止まれ!!!
際どいコースを見逃して三振に倒れるなど絶対に嫌だ。 大力はかつてない集中力を纏い、強敵寺河と対峙する。
「…っボールッ!」
『わ、僅かに外れてボールッ!良く見定めました、打席上の大力!今のは“奥行”という部分を狙った高度な投球でしたが、惜しくもここはボールとなります。坂内からの返球を受け取り第6球、投げました!--ファール!粘りを見せます!』
----不思議だ。ボールがいつもより見える気がする。
あれだけ手玉に取られていた寺河の球に臆することなく踏み込んで行く。
大力もまた
大力に対しての10球目、大力の視界から
---カキィィィン!
遂に甲子園球場に快音が響いた。
「帰って来い!不知火!!!」
打球は鋭さを保ちながら伸びていき、親切外野陣・右中間を破って行く。
『捉えたァ!4番大力颯呂の待ち望んだ待望の一撃〜!打球は右中間を割っていく! 2塁走者・不知火が帰ってくる!ホームイン!打った大力は2塁へ進む! 1-0!遂に試合が動きました!パワフル高校先制! 初得点はやっぱりこの人からでした、主砲大力の会心の当たり!低めのフォッシュを上手く捉えました!』
「っしゃあぁぁぁぁ!」
2塁上で自軍ベンチに向かって大きなガッツポーズを作る。 ここまで2三振と役割を果たすことが出来ていなかった。 今それを果たすことが出来た--と大力は素直に嬉しく思う。
「すまん…狙い球を要求してしまった」
「まだ1点だ、大丈夫だろう」
険しい表情を作る坂内に対し、同じく3年である基宗は諭す様に言葉を落とす。
「取られたなら
試合に出ている親切高校の3年生は寺河、坂内、基宗の3人だ。その中でも基宗は守備について独り奮闘している。 寡黙な印象を抱く者が多いが、その背中は頼もしく見える。
長い翠髪を風を受けて揺らしながら、パワフル高校5番・東條小次郎が左打席にへと立つ。 1年生ながらいきなりクリーンナップに抜擢された逸材だ。
---キィィィン
小気味よい快音が鳴り、打球は鋭く地面を這う。
----これで、2点差に!
打った瞬間好スタートを見せた大力は勢いそのまま3塁ベースを勢い良く蹴ろうとした時、3塁コーチャーがストップをかける。
「っ、止まれ!もう返球が返ってきた!」
「げっ…」
急遽走塁を止めるためにブレーキを掛けたところで、打球の先から白い光線が本塁へと届く。
----せめて守備でチームに貢献したい。
打てないなら、守りきる。
その強い気持ちを胸に、チームは指揮をあげる。
この
----ここまでして貰ったんだ。絶対打つ。
打者としても非凡な才能を持つ鈴本。 その気合いは充分だ。 右打者から闘気を放つ姿に寺河は思わず笑みが浮かぶ。
----顔付きが変わったな。でも悪いな。ここで流れを変えさせてもらうぞ!
----初球から勝負だ!大丈夫、見える!
---ギィン! パシッ
打球音の後に聞こえたのは捕球音。
----甘いと思ったから振りに行ったけど、あれは“フォッシュ”か。 それに…
『--アウトッ!6番鈴本を投手ゴロに切ってとりました。しかしこの回、遂にパワフル高校が先取点を上げました!試合の流れをこのまま掴めるか!一方反撃を狙いたい親切打線は上位から始まります。2番天道がどの様に動けるか、が肝となりそうです』
この場面でいきなり僕かぁ…嬉しいような悲しいような、とりあえず緊張するってことには変わりはない。
でもそんな甘い事を言っている暇はない、ここに立った以上は責任を果すべきだと思うんだ。
さぁ--勝負だよ鈴本君。
*
スパンッとミットが乾いた音を立てる。
さほど先程までとは球威が変わりないように周囲には映るが、2人の男の目は違う捉え方をしていた。
----球に力が無い、回転が甘くなったというべきか?
ここまで鈴本の球を受けてきたパワフル高校
----球速自体はある。コースを丁寧について行けば非力な天道は抑えられるはず。
左打席に入った天道湊叶は先程投じられた球に違う意味で苦い表情を浮かべる。
----あんな甘い球を見逃すなんて、もう来ないだろうなぁ。
続く2球目、持ち前の制球力で低めにコントロールされたストレートは変わらず乾いた音を立てる。
----あれま…簡単に追い込まれたよ。参ったなぁ本当に。でも、こっからだよね勝負は!
3球目のストレートが外に外れ、カウントは1-2となる。 追い込んだパワフル高校バッテリーはここで打ち取っておきたい。
4球目、首を横に振ることなく鈴本が投じる。
選ばれたのはスライダー。 ここまで幾つもの凡打の山を築き上げてきた。
しかし、その球種が今度は快音を響かせることになる。
---キィィィン!
『--打ったァ!打球は
----良し!やっぱり球威が落ちてきてる!
「鈴本」
「すみません、甘く入りましたね。次は気をつけます」
駆け付けた先輩
----
右打席外から親切ベンチを見つめる3番坂内に対して車坂は待てのサインを出す。 パワフル高校バッテリーの動きを見るためだ。
「監督、ちょっといいですか?」
「何だ友沢」
「ここは、迷わず盗塁をさせるべきです」
「ほう?俺に意見するということはそれなりの根拠があるということだな?」
「はい--それは今から
「ふん。それでは今回はお前の言うアレとやらに期待しようじゃないか。お前の作戦が成功すれば確かに好機は広がるからな」
「ありがとうございます」
----取り消しだ。ここは天道に走らせる。
新たにサインを送り直し、坂内がそれに頷く。 湊叶は大きくリードを取る。
素早く反転し、鈴本が牽制を試みるも湊叶もそれに応じて頭から1塁に滑り込む。
「セーフッ!」
『執拗な牽制です、何と今のが5球目でした!相当天道君の足を警戒しているパワフル高校バッテリーです』
----ちょこまかと鬱陶しい、だから僕は君を警戒していたんだ、湊叶!
「っ、セーフッ!」
鈴本に返球が戻ったのを見て、湊叶は立ち上がりユニフォームに付いた砂を払う。
----吸って、吐いた。吸って、吐いた。吸って…止まった。 行ける!
「スチールッ!」
鈴本の左足が僅かに地面から浮かび上がった瞬間、湊叶はスタートを切る。
鈴本の執拗な牽制に何かを感じた石原はウエスト球を要求していたが、それでも投げられない。
『盗塁成功!完璧に盗んでみせました!
「ふん、あの野郎やるじゃないか」
「湊叶は、
----打っていけ。お前に任せる。
キィン!と音が響き打球は
----さぁ、お膳立ては済んだ。暴れて来い、佳月!
1塁上で
----ここまで上手く遇われている理由は分かっとる。決め球を打つことに拘っとるからや。球速自体にはもう慣れた。それでも大振りしてまうのは約110km/hという遅球が平然と投げ込まれとるからや。
「ストライーック!」
初球から決め球であるナックルが投じられる。 不規則に変化するその球は強振されたバットをすり抜ける様にミットに収まる。
「振り回し過ぎだ!コンパクトに行け!」
ネクストサークルから友沢の激が飛ぶ。
「タイムお願いします」
----そうやな、ここは個人の満足よりチームを優先するべき。それが出来やんくって、何が4番や。
大きく息を吐いて気持ちにリセットをかける。
----雰囲気が変わった。ここは慎重に行くぞ、鈴本!
---ギィン!
先程まで全くと言っていいほどタイミングが合っていなかったナックルに当てた。 3塁に
「(--勝っているのは俺たちだ!)自信を持ってこい!」
石原の言葉に鈴本が力強く頷く。
--ナックルボールに佳月は慣れ始めている。 しかし、それは本来なら有り得ないことだ。 ナックルとは不規則に変化を促すもの。
従って、慣れるということは有り得るはずが無いのだ。
それを目の前に立つ男は成し遂げ様としている。
「ッ、ボール!」
際どいコースに投げ込み空振りを誘うが佳月はそれを見極める。 荒削りだったセンスが今磨かれようとしている。
----ストレートに目が慣れている今だからこそ、ナックルは効果的だ!思いっ切り来い、鈴本!
----はい、石原さん!
来た球を返す。
佳月の思考に有るのはそれだけだった。
クイックモーションから投じられたその
カキィィィン! という快音が辺りを切り裂く様に木霊する。
『--打ったァ!何という打球でしょう!
----手の痺れが取れない中、
ふぅ、と一息吐き出す。 先程の打席において、バットの根っこと呼ばれる部分でボールを捉えた反動は大きかった。 金属バットは重く、衝撃は手に残っていた。
--
構えの段階から両足を広げて重心を下げ、下半身の動きを最小限に抑える。それによって“低めのボール球を振ることが少なくなり、甘く来たのをしっかりとらえられる”。頭はバットの軌道に集中できる為、素直に逆方向に打ち返す事も可能とされている。 ナックルの様なタイミング自体も狂わせにくる球種に対して有効とされている打法だ。
佳月の働きは非常に大きいものだった。
ここまで力投を続けてきた鈴本を止めた、この表現は過言でないと言えるだろう。
実際、続く5番友沢は
本塁のバックアップにも向かわずマウンドで佇む鈴本を見て思うことは1つ。
糸が切れたという事だ。
「鈴本…お前」
先輩
*
「まだだ!まだ終わってない!」
最終回--既に2アウトを取り、マウンドから威圧感を飛ばす寺河に対し、パワフル高校観月春は闘志を燃やす。
試合は佳境に差し掛かり、9回表が始まろうという時、パワフル高校ベンチの空気は重かった。
その中で観月はまだ諦めの心を見せなかった。
----試合は終わっていない。
その思いで必死に目の前に立ち塞がる壁に立ち向かう。
5球目、真ん中から低めへと角度を付け変化する球種に上手くバットを合わせる。
---キィン!
----肩を怪我したとは言え、縦スラは俺も投げる。その球種については他の奴らとは気持ちが違うんだよ!
『掬ったァ!低めに落ちる縦スラを弾き返します!まだパワフル高校の夏は終わらない!迎えるは前回の打席、この試合初得点を放っている大力!1本出れば試合は振り出しに戻ります!!』
----まだ、終わらせない。終わらせたくない!
「ファール!」
必死に迫り来る速球へと付いていく大力。 最終回に来て尚、球威の落ちない寺河から1発を得るのは最早至難の業だ。
----繋げばまだ希望はある!
その思いでバットを振るうが進化を見せた親切高校エース・寺河が前に立ち塞がる。
「ストライクッ!バッターアウト! ゲームセットッ!」
試合終了を告げる声が無常にもパワフル高校野球部に突き刺さる。
「3-1!親切高校の勝利!礼!!」
『試合終了!緊迫した投手戦の軍配は寺河に上がりました!親切高校2回戦進出決定です!実に見応えある、見事な試合でした!敗れたとは言え、パワフル高校も先制点を上げるなど力を見せつけました。途中崩れはしたものの、強打を誇る親切打線を3点に抑えた鈴本はまだ2年生。観月や大力等という主力選手も同じくです。先が非常に楽しみな高校と言えるでしょう。さぁ、親切高校校歌斉唱です』
双方礼を言った後、親切高校野球部は校歌を斉唱する為に1列に並び直す。
少し経って音楽が流れ始める。
そして、それと同時に涙を流す者もいる。
この試合で引退が決定した3年生の面々や、最後の打者となってしまった大力、逆転を許した鈴本。 多数が涙を見せる中、2人の男は違った。
「坂内」
校歌斉唱が終了し、応援団への挨拶が済んだ後、各ベンチにへと戻る前にパワフル高校主将境井は敗れた相手の主将に言葉をかける。
「…ありがとう。最後に良い試合が出来たように思う。相手が親切で良かったよ。リベンジは、俺らの次の代が成し遂げてくれることを信じているぞ」
「あぁ…頑張るよ」
主将同士で熱い握手を交わす。
「梓真、負けれないな」
「…当たり前だ。ここでの勝利の意味は重いな」
----俺たちの分まで頑張ってくれよ、親切高校。
勝者が進み、敗者は去ることしか許されない。
「観月、お前、砂持ち帰らないのか?」
「…また、来ますから。もう二度と、こんな思いはしたくないですから」
観月は振り返らない。 その瞳が捉える先、未来の自分たちの姿。
「次は、絶対負けないからな」
--3-1。 親切高校・2回戦進出決定。