SAO『罪と罰』 〜何故彼は力を手にしながら表舞台に現れないのか?〜 作:トアール凡人
創作意欲が抑えられず、2話だけ特別に投稿することにします。
お楽しみいただければ幸いです。
「圭子ちゃん、今日もおつかれさま」
「はい!明日もがんばります」
「でも、無理しちゃダメですよ。夕食まではゆっくり休んでいてくださいね」
「はーい!」
元気よく返事をすると若い看護師の女性は笑みを浮かべながら病室から退出した。あたしは看護師さんがドアを閉め終わるのを確認して、枕の下に隠しておいた紙の媒体を取り出した 。中身は小説ではない。中学校レベルの学習用テキストだ。あたしがあの世界に閉じ込められたときまだ12歳だった。それでも今は2年が経過していて、来年の春には学校がはじまる。なんとなく勉強しておこうと思ったのだ。もちろん知らないことを自分で学ぶのは難しい。それでも今やっておかないといけない、そんな気がした。将来のことはまだ何にも考えられない。これは単に自分自身のためなのだ。たぶん……いえ、彼だってそうすると思うから。
冬の寒さがいよいよ本格化し、外に出る時にはコートにマフラー、それと毎年しもやけになってしまうあたしは手袋が欠かせない、そんな12月下旬。あたしは外の空っ風にさらされることはなく、病室のベッドにいた。
アインクラッドから帰還して早くも1ヶ月と半月が過ぎた。あたしは目が覚めてからすぐにリハビリに入ったが、成長期だったのに育ち盛りの体がまったく機能していなかったことが災いしたのだろう、思うように進まなかった。お医者さんの話では年末年始あたりには遅くとも退院できるらしい。けれども、あたしはもっと早く自由になりたかった。
だって、約束したんだもの。また会おうって。でも、自分の身体なのになかなか言うことを聞いてくれない。あたしは焦り始めていた。本当にあたしは彼と再会できるのだろうか。不安がますます募ってきた。
ダメだ、頭の中に入ってこない。仕方なく、本にしおりを挟んで閉じて、枕の下に再び隠した。本当は休まなきゃいけないのにこうして本を読んでいるところを見られたら没収されてしまうからだ。別に本くらいならいいと思うのに。
あたしは気分転換に病室の外に目を向けた。ここは市の総合病院の6階だ。市街地に程近いこともあって、外には華やかな赤と青の光の装飾が施されているのが見える。まだ日は沈んではいない。
「今日は……24日か……」
近くにあるはずの外の景色は年に一度の特別な日にふさわしい、どこか浮ついた、けれども暖かく、幸福に満ち溢れていた。でも、ヒーターで人工的に火照っているこの部屋にいるあたしはそれを共有することはなかった。
「あれから1年なんだ……」
あたしは今の自分から目を背けたかった。だから思い返すことにする。去年の12月下旬のことを。あたしはまだ彼と出会って、それほど長い時間が経ってはいなかった……
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12月23日、早朝。あたり一面の森の木々から漂う緑のにおいが嗅覚器官を刺激し、澄んだ空気が肺の中を浄化するような心地がした。あたしはまだ慣れない早起きをして完全に頭が起きていない状態であった。彼はあくびをしながらも黙々と準備体操をしていた。
「うーー、今日は寒いな〜ここまで厳密な設定しなくてもいいのに」
「はい、そう、ですね……」
アルトさんはあたしの顔を見ると、頬を緩めた。
「なんだ?まだ目が覚めていないのか、シリカ?」
「い、いえ……ごめんなさい、あたしが頼んで付き合ってもらっているのに」
早朝稽古をお願いしたのはあたしからだった。まだまだアルトさんの足元にも及ばないどころか、彼が高層ビルの屋上に立ってパノラマを満喫しているとしたら、あたしはそのビルの下からはるか上を眺めているようなくらい、実力差があったため、あたしは特訓と称してアルトさんに直接剣の鍛錬を申し出たのだった。
それでもアルトさんは嫌な顔ひとつしなかった……いや、正確には少しはしていた。
「朝は辛いな…俺は昔から早起きが苦手なんだ」
だが、アルトさんは優しい目をして続けてこう言った。
「でも、それで女の子の頼みを断るのは紳士としてあるまじきことだからな。それに俺がシリカの力になるんなら、喜んで協力するさ。キミは俺の弟子なんだからな!」
彼の優しさはとりつくろいが感じられない、表面上ではなく、心の奥から出てきているもの。だからあたしはついつい彼に甘えてしまう。それがいけないのに。彼の欠点を言うなら、それはさっきみたいに少し余計な一言があることだけれど、それはそれで彼の人間像があふれていてあたしは好きだ。
「さてと、そろそろ始めるぞ、構えろ」
「はい!」
あたしは言われた通り剣を抜いて体勢を整えた。アルトさんは稽古になると目つきは少し厳しくなる。
「……剣先」
「は、はい!」
おそらく普通はこんな細かいところはみんな気にしないだろうが、彼は構えたときから勝負を意識している。敵に……特にあたしたちがこれから相手にする犯罪者に少しでも威圧を与えることを意識しなければならない。
慌てて修正して再び構えなおした。
「じゃあ、打ち込んでこい……」
その指示とともにあたしは地面を蹴ってアルトさんに切り込んでいく。アルトさんはあたしの動きにピタリと合わせてすべての剣撃をかわしていく。そうだ、この時にあたしはまだまだ、アルトさんには指ひとつ触れられないくらい腕がなかった。
「シリカ、剣だけ見るなよ、相手の身体全体を眺めるんだ……」
「は、はい!」
あたしがどんなに下手な動きをしてもアルトさんは決して声を荒げはしない。ただ、冷静な声であたしの剣の悪いところを指摘する。それを聞きながらあたしはなんとか頭をフル回転させて彼の身体になんとか剣をかすめようとするが、うまくいかない。
「……」
アルトさんはしばらく受けの体勢に入っているが、徐々にあたしの攻撃を返し始めて、隙をついてくる。まだそのときは彼も実力の10パーセントも使っていなかっただろう。それでもあたしが明確に見せた決定的な穴を彼は見逃さない。
「ここ……危ないよ、今のはいけない」
「クッ……」
まただ。昨日も同じところを指摘されてしまった。
と、そのときなぜか自然に身体が操られるように動くと、あたしの剣がアルトさんのふところにあるわずかな隙にするするとはいった。
「……!!」
やった!これなら一撃が入るはずだ!
……と思ったけれど
「……おっとっと」
彼は器用に身体を曲げながら、スルリとあたしの剣から免れた。こうなると行き場を失った剣はバランスを崩すわけで
「それじゃあ、ここだ!」
「えっ!ちょ、まっ……」
彼はひょうひょうとした動きであたしの剣を巻くようにして、ポイッと空に飛ばしてしまった。あたしは剣をなくして何もできなくなってしまった。
ドサッという音を立てて剣は草むらに着地した。
「うん、今日はここまで、おつかれさま」
「ううーー、またやられちゃいました……」
最後のあれは絶対に行けたと思ったのに。どうしてなんだろう。
「まあ、はじめはこんなもんさ。気にするな、明日少しでも強くなっていたらいいことさ」
はあ……それ昨日も言われましたよ。あたし大丈夫なんでしょうか。
「俺だって最初からうまくできたわけじゃないよ」
アルトさんはあたしの剣を拾い、あたしに手渡した。
「忍耐も時には必要さ、それにさっきのは少し俺も焦ったよ」
「はぁ」
その割には綺麗に避けていましたけど。
「まあね。さあ、そろそろ朝飯にしよう。お腹いっぱいになれば悩みも薄れてくるよ」
「わかりました。じゃあ用意しましょうか」
あたしたちは家の中に戻って、あたしはさっそく朝食の準備をした。このときはアルトさんと交代で作っていたのだが、今日はあたしの当番だ。アルトさんはさっそく席についていたが、よっぽど待ち遠しいのだろう。
「お腹すいた……シリカ、まだ〜〜?」
「さっき忍耐とかなんとか言ってたのは誰ですか!」
「食欲は例外にしてくれ」
朝稽古を終えた後の彼はいつもこんな感じだ。本当によくわからない性格の人です。
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その日の午後にあたしはアルトさんに連れられてとある層の主街区に行った。森の家に暮らし始めてからほとんど街に出ていなかったのでなんだか久しぶりでワクワクしていた。ついつい、目に付いたものに引き寄せられて足が遅くなってしまう。今も素敵なチョーカーがあったので足を止めていたらアルトさんと距離ができてしまっていた。いけない、いけない今日は遊びに来たわけではないのだ。といっても、この街に来たということは目的は一つしかないだろう。
「本当は俺一人でも大丈夫なのにアイツがうるさくてな。シリカと一緒じゃなきゃ情報はやらないと言い出したんだ」
そうなんだ。あたしもあの人にはお世話になったから一回ちゃんとお礼を言いたかった。彼女がいなければあたしはこうして今の環境に収まることはできなかったわけだし。
「しかし、なんか今日は人が多いな。なんかあるのか?」
「……さあ?」
たしかに、数日ほど前から街はどうも落ち着かない雰囲気だ。去年、あたしはそれを一度体験しているが、ちょうどその日に特別に雪が降っただけで、別にそんなに気にはならなかったが、今年はどうも周りの雰囲気からもわかるように、某企業の謀略に乗せられているはずもないのに、みんなソワソワしている。多分、一年経って新たにこの世界で築き上げてきた友人、あるいは大切な人と、その日を一緒に楽しく過ごしたいと思っているからだろう。日本人は12月に入ると、いや10月最終の某仮装イベントが終わってからかもしれないが、その日に向けて意味もなく落ち着かなくなる。これは悪いことなのだろうか?悪癖なのかもしれない。でも、そんなことを言っているあたしも実は期待をしていたりするのだ。特に、今回はアルトさんがいるから……
「はぁ、人混みは嫌いなんだよな……」
けれど、アルトさんはそんなことに気づいていないようで、情けないことをのたまっていた。
「まあまあ、もうすぐでしょ?アルゴさんの家は」
ともかく、今は彼女に呼ばれたことに集中することにしよう。
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「やあやあ、よく来たネ。アルトに、それにシリカちゃん♫」
「来てやったよ」
「おじゃましまーす」
アルゴさんはあたしたちに席に着くように言った。
「今、お茶をいれるゾ」
「あっ、あたしも手伝います!」
「そうかい、じゃあお願いするヨ」
アルゴさんと台所に行くと、意外にも彼女は料理心得ているようで、調理道具は充実していたし、驚きのはお茶の種類の多様さだ。
「意外っていうのは心外だな〜」
「ご、ごめんなさい」
彼女はニヤニヤしながらも優しい声で
「ま、いいさ、ええと……今日は寒いから緑茶はやめて……」
「えっ?どうしてです?」
「ああ、緑茶って意外に身体を温めるよりも、冷やす作用があるんダ。まあ、この世界ではどうなのか知らないけどね。……今日はアルトの好きな紅茶にするかナ」
そう言って、アルゴさんは手慣れた様子でお茶を淹れる。
「シリカちゃん、カップをとってくれる?」
「は、はい!」
戸棚から、同じ大きさのマグカップを見つけて出すと、良い香りがしてきた。
「よし、それじゃあ、試しに注いでもらおうかナ」
注ぐのあたしがやるんですか?
「まあまあ試しにネ」
あたしは何も考えずにお茶を一つのカップに注いでいく。
「シ、シリカちゃん……もしかして学校で習わなかったのか?」
「えっ?」
アルゴさんは少し困ったような顔で
「あのね、同じカップに一気に注ぐと、前と後のカップで濃さが違ってきちゃうでしょ。だから、こう均一に注ぐもので……」
「はっ!そういえば、そんなことをお母さんに言われたことも……」
もしかして、あたしってアルゴさんのことを意外がる以前に、家庭的から程遠いのかも……あたしはいささかの自己嫌悪になった。
「ま、まあ、大丈夫だよ!誰だってそうなんだカラ!そ、それにな……」
アルゴさんは少し恥ずかしがりながらあたしに告白してくれた。
「オイラも最初はお茶の淹れ方なんて、さっぱりだったんだ。でも、ほら……アイツは紅茶にはうるさいダロ?」
アルゴさんはリビングでソファに腰掛けている彼をこっそり指差しながら続けた。
「彼がオイラとカフェにいた時にな、言われたんだ『美味しい紅茶はな、少しの工夫さえすれば誰でも淹れられるんだ。その一手間さえかけられないのはただの怠惰だ』ってナ」
「あの人なら言いそうですけど、一言余分ですね」
「まあ多分いつものように何も考えずに言ったんだろうけど、なんかオイラの中ではその言葉が残っちまって、それでオイラも意識しだしたんダ」
へえ、そんなことがあったんだ。なるほど、だからこんなにお茶の種類が豊富で、しかも淹れ方もうまいんですね。
あたしが納得して話を聞いているとアルゴさんはあたしの耳元でボソボソとつぶやいた。
「彼を落とすんだったら、まずはそこから意識するといいゾ♫」
もしかして、この一言を言いたくてあたしを呼んだのだろうか。
アルゴさんはケラケラ笑いながら改めて紅茶を淹れなおしていた。
「シリカちゃんにも今度ちゃんと教えてあげるヨ」
それから、アルトさんとアルゴさんはお茶を飲みながら話を始めた。オレンジギルドの新しい情報らしい。話が終わったらようだ。
「あー、ゴホンゴホン。アルト、オイラはこれからちょーーとシリカちゃんと話があるんダ。だから……」
「話?……まあ、いいだろう。しばらく席を外すよ」
アルトさんは近くの喫茶店で待っているとあたしに告げ、先に退出した。
すると、アルゴさんは待ってましたとばかりに、あたしの方へ顔を近づけて、お決まりの不敵な笑みを浮かべていた。
「ふっふっふっ、さてさて、さっきの続きといこうじゃないカ!」
「お茶の話ですか?」
「あー、それもあるけど……」
アルゴさんは口元をさらに緩めながらあたしに語りかける。
「明日のことちゃーんと、考えてるのカ?」
「な!な、な、な、な、何を言っておっしゃって申し上げているんですか!あたしは別にそんな……」
「シリカちゃん、落ち着いて!敬語がゴッチャになってるゾ」
あたしはカップに残っている冷めた紅茶を一気に飲み干した。
「…………あたし、どうすればいいんでしょう?」
「シリカちゃんの好きにするのが一番ダヨ」
アルゴさんはわざと手を広げながら言う。
「彼と特別なディナーをとるもよし、彼と雪の降る夜を一緒に眺めるもよし、ゆっくりと森の家で過ごすのもだってね。でもね、シリカちゃん」
アルゴさんは人差し指を立てながらあたしに優しい声で言ってくれた。
「彼のことを知っているのはキミとオイラだけ。彼の過去を理解しているのはね。……彼の心を変えられるのはオイラじゃちょっと難しいからナ」
アルゴさん……
「お姉さんから言えるのはココまで!ちゃんとやるんダヨ。女は度胸さ!」
「……はい」
そうだね。やってみないとわかんないよね。ありがとうございます。
でも、最後にアルゴさんはあたしから顔を背けて独り言のように呟いていた。
「あんまりゆっくりしてるようだったらオネエサンだってね……」
「アルゴさん?」
「うんうん、なんでもないサ!」
あたしはこのときはまだまだ、アルゴさんのことをよく見ていなかったみたい。
……まさか、後になって彼女もまた好敵手になるとは、1年前のあたしは知るよしもなかったのだ。
その後、あたしはアルトさんと合流した。彼はお店で一人で物思いにふけっていた。そのたたずまいは、いつもの軽口を叩く彼とはまったく違って見えた。目は鋭く、どこか遠くを見ていて、なんだか彼もその得体の知れないどこかに行ってしまいそうな……
あたしは思い切って声をかけた。
「アルトさん!お待たせしました」
「……ガールズトークに男はいらないからな。ま、充実したみたいじゃないか」
もしかして、顔に出ていたのだろうか。
それなら、早い所言った方がいいかも、あたしは彼に思い切って提案をすることにした。
「あ、あのアルトさん、明日のことなんですけど……」
しかし、あたしと同時に彼も話を始めていた。
「シリカ、明日俺は外出するから、すまないが留守を頼めるか」
は、はい?あたしは戸惑いを隠せなかった。
「……《仮面》としての仕事が最近滞っていたからな。明日は朝稽古をしたらすぐに出かけるよ」
彼は淡々と言った。あたしは困った。これでは明日一緒に過ごしませんか、なんて言えない。そ、そうだ!
「あ、そ、それだったら、あたしもついていきますよ!アルトさんのチカラになれば……」
「それはダメだ」
彼は顔色を変えずに言い放った。あたしはその瞬間から冷静さを完全に失っていた。
「ど、どうしてです!」
「危険だ、相手は犯罪者だ」
「でも、あたしだって少しはマトモに戦えるようになれました!アルトさんに教わったんですよ!」
彼は困ったような顔で続ける。
「アレはプレイヤー相手の戦闘に慣れてるんだ。修業をはじめたといっても、まだ実戦に入るには足りない。たしかにキミは強くなっている。だけどな、モンスターとの戦闘がレベルによるものであるが、プレイヤー相手は違う。絶対評価でなんとかならないんだ、奴らとの戦闘はいわば相対的なもんだ、いくらキミが実力をつけても、もしそれよりも相手が上だったらどうする?」
「それはアルトさんも同じじゃないですか!」
アルトさんはたじろぎながらも強い口調で言った。
「いずれにせよ、お前には荷が重い……」
「なっ!……」
あたしはその瞬間に右手を挙げかけた。でも、その手を振り下ろすまでには行かなかった。
ふと、あの森での出来事が頭によぎったからだ。
『強くなりたいと望む子に、あんな軽いこと言ってしまうなんて、バカなことだ。本当に悪かった…』
そうだ、この人の言葉はあたしのことを思ってなんだ。もしここで彼に平手打ちをしてしまったら、あたしは何一つ進歩していないことになってしまう。
「……わかりました、出過ぎたことを言ってしまい、すみません」
「……悪い」
あたしはすぐに作り笑顔をして、いつもの感じを取り繕った。アルトさんも少しぎこちないながらも、すぐに元の彼に戻ってくれた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
その夜のことだ。アルトさんが自室で何か作業をしているようだったので、あたしはその日にアルゴさんに教わったことを意識して紅茶を淹れてみた。
「アルトさん、お茶ですよ」
あたしは彼の部屋にノックしたが、返事がなかった。そっと、ドアを開けると、彼は机の上で舟を漕いでいた。
「寝てるのかな?」
あたしは確認しようと、机のもとに向かった。
「もう、こんなところで寝たら風邪を……ってこの世界では引かないんだった」
すると、あたしは机の上に一枚の紙が広げられているのを見つけた。
「もしかして……これって……」
その紙には何かの組織名とその根城とする場所が書いてあった。たぶん、昼間にアルゴさんの話を一生懸命メモしていたのがコレだろう。
そのとき、ふと何かが頭の上から降ってきて、それがあたしの身体の中に浸透していく感じがした。今考えれば、これこそ『魔がさした』のだろう。
あたしは淹れたての紅茶を机の上に置き、その代わりにその紙切れを自分の懐に入れた。そして、彼の背中に毛布をかけて部屋の明かりを消し、自分の部屋に静かに戻った。ピナはすでにベッドの上で寝ていた。あたしはポケットから紙切れを取り出して入念に読み込み、そして剣と防具の点検をした。その日はベッドでなく、リビングの堅い椅子で仮眠をとった。ベッドだと寝過ごしてしまうかもしれないからだ。日課の早朝稽古が始まる少し前に、あたしは音を立てないようにして、まだ暗がりの外へと駆けだした。
12月24日の早朝のことであった。