SAO『罪と罰』 〜何故彼は力を手にしながら表舞台に現れないのか?〜 作:トアール凡人
夢を見た。見覚えのあるところだ。昔よく来ていた下層の店。目の前には俺の好きな紅茶が湯気をだしていた。その向こうでは、口元に笑みを浮かべている少女がいた。彼女は少し幼いような印象を受けるが、おとぎ話の中に出てきそうなミステリアスで大人びた雰囲気もまた醸し出している。彼女が何かを言った。くだらない冗談だ。それに俺は呆れつつも答えた。彼女は笑った。俺はその笑顔を見て口元が自然と緩む。
パフェを注文するそうだ。俺は、ケーキを食べただろうと言うも、彼女は聞かない。どこからともなく甘ったるそうなフルーツの盛り付けがあらわれる。彼女はそれを俺に見せつけるように、美味そうな顔をする。俺はため息をつきながら、そんな彼女を温かく見つめた。こんな日常が俺の望みだった。
けれど、次の瞬間、彼女は不意に立ち上がる。
『行かなきゃ』
俺はなぜかと問う。
『わからないの?』
俺はわからないと言ってしまった。
『嘘つき……』
そんなことない!それよりどうしてだ……
『だって、わかるでしょ?』
彼女は笑顔のまま、遠のいていく。
待て、待ってくれ。
『もう、遅いのよ』
彼女の周りに黒い、煙のようなものが渦巻いていく。俺は必死で彼女の後を追うが、その距離は加速度的に広がっていく。
どうして……なんでお前は勝手に行くんだよ?
『そんなの決まってるじゃない』
気付いた時、俺の背後から鋭いものが突き出され、背中にドスッと鈍い音が伝わってきて、冷たい感触が感じられた。
『あ・な・た・が・気・付・い・て・く・れ・な・い・ん・だ・も・の』
ガタンっ!
気付いたら俺は床に倒れていた。椅子もろともハデに落っこちていた。
「いてえ……」
最悪な目覚めだな。……最近いつもこんな夢を見る。
俺はモソモソと立ち上がって、ふと時計を見た。
「なんだ、まだ少し早いじゃないか」
シリカとの朝稽古をはじめてどれくらいになるんだろう。俺は正直言って早起きが苦手だ。どうも俺の身体は太陽が地平線から出てくるだけじゃ、目覚めないらしく、せめて頭上に登ってくるくらいじゃないと起きた気にならないのだ。
しかし、不思議なことに、彼女との稽古を始めてからは朝起きるのは、もちろん苦痛ではあるが、自然とできるようになった。
「なんでだろうな……」
まあ、考えていてもしょうがないか。今日は久しぶりに仕事しなきゃならないし、雑念ははらって……
「あれ?」
ふと、机の上を見たわけだが、あのメモ書きがない。
「おかしいな……どこかに落としたってわけじゃないし……ん?」
机には代わりに、二つのマグカップが置かれていた。中身は、紅茶だろう。冷めきっていたけれど、俺は好奇心からそれに口をつける。
「冷てえ……でも」
紅茶っていうのはお茶なわけだから冷めてても飲める。そりゃ、誰だって夏にはキンキンに冷えた麦茶を飲むだろう。だから、冷めていても少しは劣っていても味はわかるんだ。
「少しいつものと違うな」
たぶんシリカが淹れてくれたんだろう。毎晩彼女が淹れてくれるお茶はも俺の基準からすると不満足だが、彼女の善意を無下にするのはさすがにはばかられる。そもそも俺のためにわざわざ一手間かけてくれるんだから文句はいえない。この毛布も彼女がかけてくれたのだろうな。
「…………待てよ、ということは」
俺はまさかと思った。突発的に、俺は自室を出て彼女の部屋にノックもせずに飛び込んだ。
「キャル!!!」
いきなり夢から覚めたピナが驚いている。だが、目的の少女は
「いない……」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
あたしは22層からすぐさま移動し、目的の場所へと向かった。そこは、不気味なくらい静かなうっそうとした沼地だった。到底、ふつうのプレイヤーだったら近づかないような、気味の悪いところで、歩くたびにぬかるみに足が沈んでいくような足場だらけだ。
けれども、ここに目的の集団がいるはずだ。あたしはメモを取り出してそれを眺めなおした。
「《ディオクレイ・パーティ》メンバーは10人。主に下層プレイヤーを狙い……」
腹がたつのは次の文言だ。
「……特に年少のプレイヤーをターゲットに強奪、PKを連続して実行」
あたしもこの世界では若年層に入る。あたしのようにフィールドに出る同世代はそう多くはない。けれども彼らは1日も早く、家に帰るために、家族に再会することを信じて生きているのだ。それはあたしもだ。だから、許せない。そんなあたしと同じくらいの子を狙って犯罪を行う奴らがいるなんて。
アルトさんに黙って出てきたのは本当に悪いことだ。最低だよ、勝手に彼のメモを持ち出して、恩師の言いつけを破ったんだ。でも、このメモを見つけたとき、あたしはどうしても黙って留守番している気にならなかった。
そうして歩を進めていくと、いよいよ敵のアジトに迫っていた。
沼地のほとりで、朝早くから徒党を組んでいる集団があった。あたしは大木に身を潜めて様子をうかがう。数えてみると10人。まちがいない、あれが目的のオレンジギルドだ。
「でも、どうしよう……」
ここは沼地が広がっていて視界が開けている。奇襲を仕掛けるにしても、すぐにバレてしまう。せめて、敵1人だけでも先に先制攻撃できたら、相手の足並みは崩れるはず。彼らもこんな朝早くから襲撃されるとは思ってもいないだろう。事実、彼らは宴会をしているし。
と、思った時あたしの潜んでいた大木に風をきるようにして何かが突き刺さった。
「ひっ!……」
突然のことに驚いたあたしは思わず木から飛び出してしまった。
「あらあら、やっぱり覗き見している悪い子がいるのね」
1人の男があたしの方を見て笑っていた。
「ダメじゃない。子供がこんな早くに外を出歩いちゃ……言われなかった?こうゆう時間に外に居ると」
その男、多分オレンジギルドの棟梁は立ち上がりながら武器を手に取ると、他のメンバーも一斉に立ち上がった。
「危ない人に遭遇しちゃうって、パパとママに言われたでしょう?」
「くっ、あたしは子供じゃない!」
すると、棟梁は驚いた顔をしていた。
「あらあら、威勢がいいわね。でも、それならどうしてこんなところにノコノコ来たのかしら?」
この男の口調はわざとなのだろうか。耳障りだ。
「あたしは……あなたたちを牢獄に送るために来た、それだけです」
すると、何かの栓が抜けたように、男たちは腹を抱えて笑いだした。
「あっはっはっはー……子どもの妄言ってスゴイわね〜私も笑っちゃったわ」
笑えばいい。あなたたちがそうしていられるのは今だけだ。
「だいたい、犯罪者狩りなんて《仮面》でもない限りやらないわよ。《仮面》だってどこまで本気なのかしらね。所詮、弱小オレンジギルドしか狩る能がない、無能よね、最近は音沙汰もないし……案外、ラフコフあたりにやられたのかしら?」
「棟梁!そりゃねえさ、ラフコフが《仮面》信仰なんて信じるわけないだろ」
「それもそうねオホホホ!!」
あたしその時、怒りの沸点をゆうに越していたのだろう。
「あたしはともかく……《仮面》を侮辱するなんて……ゆるなさい!!!」
あたしは次の瞬間、棟梁に向かって飛び出していった。すると、周りの部下もそれを阻止しようとしたが、あたしの敵ではない。
「うおっ!」
「なっ!」
あたしは彼の教えの通りに二振りで男たちをさばいた。もう1人、男が斧をあたしに振りかざしてきたが、その動きはあたしの目にはノロく思えた。
すかさず、その懐に切り込んだ。
「ぐわっ!」
斧を持った男は倒れた。すると、棟梁の男があたしの方を見ながら言った。
「あらっ!少しはやるようじゃない。だったら、私が相手するわ」
相手は鎌のような武器を取り出すと、あたしにそれを振りかざしてきた。あたしはすぐにそれをさばき、そのまま敵に斬りかかる。
「あらっ!ホッホッホ!」
敵は楽しんでいるかのようだった。けれどもあたしは容赦しない。ただ、身体の動くかぎり、彼から教わったことを次々に繰り出していく。
数十秒ほど攻防を続けると、徐々にあたしの方が優勢になってきた。すると、相手のみぞうちに隙がみえた。
ここだ!
あたしは迷わずにそこめがけて突きを入れようとした。が、その時に周りに目を配っていなかった。
ドスン
そんな鈍い音がした。すると、次の瞬間から頭がクラクラして、あたしはなんとか倒れまいとして、その場から離れていった。
「いっ……な、何を」
「あらあら、あたしの子分はまだ生きてるのよ、もう少し後ろに気を使うべきよ」
あたしはその場からできるだけ離れる、たぶん後ろから鈍器で殴られたのだろう。現実だったらすぐに意識を失うほどの強い衝撃だった。危なかった。
「ぼんやりしている暇なんてないわよ」
気付いた時、敵はあたしの懐に入り込んでいた。あたしは慌ててその攻撃をなんとか防いだが、その衝撃で思わず、自分の剣が飛ばされてしまった。奇しくも昨日の朝稽古に彼にやられたように、綺麗に剣は宙を舞って遠くに落ちてしまった。これでは、取りに行く余裕などない。
「んふふ、ジエンドね。やっぱり、子どもは子どもね。いつまでも正義のヒーローを追っていればいいわ。あの世でね」
ああ、これで終わりなの?これで、こんなので、あたしの人生が幕を閉じてしまうの?
『時には忍耐も必要さ』
もし、あたしが彼の言いつけを守っていれば、今頃あたしは彼との早朝稽古をいつものようにしていただろう。彼の庇護下であたしは生き伸びたのだろう。
「いや……」
「あら?今頃命乞い?残念ね、それはムリよ」
「ちがう……」
「?」
あたしは堂々とその犯罪者に言った。
「あなたたちは絶対に牢獄に送り込む!!!」
すると、敵はクスクス笑いながら
「ククク、言ってろ、ガキ」
あたしは目を背けることもなく、死神の鎌が自分に振り下ろされるところを見つめていた……
「合格だね、さすが俺の愛弟子だ」
今までこの場になかった声のする方を見る、ああ、やっぱりそうだ。
「あなた、まさか……」
鎌を振りかざした棟梁はその声の主の方を見て口を開けていた。
「《仮面》?」
「そいつは違うね」
《仮面》をつけたら男はいつもと一つだけ違っていた。それは彼が今日、赤と白を基調とする衣装であったことだ。
「《ディオクレ団》……おそらく、古代ローマ皇帝からとったんだろうな」
《仮面》はひょうひょうとした口調で解説を続けた。
「かつて、まだキリスト教が迫害されていた時代に1人の男がいたそうだ。彼は迫害を受けながらも、必死に生き、ある時は冤罪の民を救ったなんていう伝説もある。彼の名は聖ニコラス。後の、トナカイを連れたじいさん伝説のモデルとされている人物だ。
ちょうど、当時のローマ皇帝は大迫害の最中だった。でも、彼も仕方がなかったんだ。壊れかけている帝国をもう一度まとめるために、新興宗教は妨げになったんだろう。皇帝として帝国の統一はなんとしてやらなきゃいけなかったんだ、それが血を血で洗うような手段でもね。事実、彼の奥さんはキリスト教徒だったらしいが、彼は涙をのんで決断したそうだ……それなのに、そんな彼の名をかたるなんちゃ95億年早いわ、おかま野郎」
「くっ、あなた何者なのよ!」
《仮面》をつけていた彼は、名乗りを上げた。
「サンタさんってとこかな?」
棟梁はその言葉を鼻であしらう。
「サンタ?……ふざけるんじゃないわよ。おめえら、やっちまえ!」
残りの動けるメンバーが一同に《仮面》に襲いかかる。けれども、彼は眉一つ動かさない。
「素直にプレゼントだけ受け取ってくれよな」
言葉通り、彼は敵をなぎ払い蹴散らすと、倒れた敵たち一人一人に転移結晶を贈った。青い光が次々とおこっては消えていく。
「ちっ、だったらコレでどうかしら?」
すると、棟梁の男はあたしの首を掴み、あたしはなされるがままに空中に浮き、さらに首元に鎌をかけられた。
「くっ……ア、アルト……さん……」
空気の入り口が閉められ、まともに息ができない。
「ククク、さあ《仮面》!このガキが助かりたいならその剣を置きな!」
アルトさんは仮面越しにあたしのほうを見る。
「ダメ……こんな……やつの……言うこと……聞いちゃ……」
「黙りな!」
さらに男は鎌を首にかけていく。あたしの命は薄い皮膚を簡単に切り裂くこの死神の道具に左右されている。苦しい……でも、アルトさん、ダメです、元はと言えば、あたしが勝手にメモを持ち出してノコノコとここに来たから……
自分の力を過信して、結局あたしは少し前の自分と同じです……
彼はあたしの心中をエスパーのように読み取ったのだろうか。
「……いや、それは違うね」
彼はそう言うと、一歩前に進む。予想外の動きに、棟梁は身体をこわばらせて、余裕のない声で警告する。
「お、おい……おめえ、コイツがどうなってもいいのか!」
すると、彼はおもむろに仮面を顔から外した。素顔を現した彼の表情を見て、あたしは体に電気が流れるような衝撃を受けた。そうか……そうゆうことですね。
棟梁はさらなる不明瞭な展開にパニックになっていた。コレが狙いだ。敵の緊張が高まり、冷静さを失わせる。そうすると、おのずと隙は生まれる。
アルトさんはひょうひょうとした調子で男に最後の挑発を入れた。
「いいかい、オカマ野郎。その子は少なくともお前よりもよっぽど優秀なんだぜ」
男は挑発を受けて怒りの表情を浮かべた。今だ!あたしは自由になっている片足で男のみぞうちに蹴りを入れる。
「うっ!」
そうすれば、おのずとあたしの拘束は緩み、それを狙ってあたしはスルりと人質状態から脱した。
これは、アルトさんが教えてくれたことだ。彼の余裕に満ちた表情を見たら、なぜか思い出せた。ありがとうございます。あたしは急いでアルトさんの元へ駆け出した。
「な?シリカは俺の弟子だ。そこらの青二才とは比較にもならねえよ」
彼は笑みを浮かべている。敵の男は何が起こったのかもよく了解できていないようだ。アルトさんは茫然自失の敵に難なく切り込みをかけた。あっという間に敵の自由を奪った。
「あんたら……何なのよ……」
アルトさんはケラケラ笑いながら再び名乗りを上げた。
「言っただろ、サンタさんと……」
あたしもそれに便乗して
「見習いです!」
男はポカンとした顔をしていた。アルトさんは無抵抗の敵を結晶で牢獄送りにした。なぜ、男は女口調だったのかはわからないが、まあそれはどうでもいいことだろう。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「アルトさん……」
あたしはまず彼に謝ろうとしたのだが
彼は男を転移させると、あたしの方へとスタスタと近づく。あたしは彼が怒って平手打ちの一つでもされるのかと思って思わず目をつむってしまった。
のだが、予想とは裏腹に不意に自分の身体が大きなものに包み込まれた感触がした。目を開けると、彼に抱き寄せられ、自分の顔が彼の大きな胸板にうずくまっていたのがわかった。
「……生きててよかった」
「アルトさん……ごめんなさい」
「謝るな……俺は頭が悪いから……たぶんまたキミに余計なこと言って……」
彼は身体を震わせていた。怯えたうさぎのように。
「また……失うところだった……バカだな、俺は……」
あたしはなんとなくわかった。彼の今の苦しみ、それはきっとアルゴさんの言っていた通り『彼女』と深く結びついた彼の心のキズ。でも、その場であたしができたのはただ声を振り絞って謝ることだけだった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
そのままホームに戻ったあたしたちは、聖なる日のこともすっかり忘れていた。
そしてその晩、あたしは自分のベッドに潜り込んでいたが、どうも寝付けなかった。
「……アルトさん」
あたしは何となく彼が恋しくて、それで枕を抱えて、彼の寝室に忍び込んだ。
彼は規則的な寝息を立てていた。
「……おじゃまします」
彼は右の方を向いて目を閉じていた。あたしは彼の右側に枕を並べて、彼の右腕に顔をうずめた。
「……アルトさん、あたし3回も助けられちゃいました。……あたし、もっと強くなります。だから、もうしばらくは側にいてもいいですか?」
あたしは独白を口に出していた。すると、彼は寝返りをうったのだろうか、不意にあたしの身体が、昼間と同じように彼の両腕で抱きしめられた。、昼間と違うのはそれは力強さよりも暖かさがあった。
「……どこにも行かないでくれよ…」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
俺はその夜はどうも眠りにつけなかった。目をつむっているものも、なんだかここで寝てしまうと、またあの悪夢を見そうでそれが恐ろしかった。
突然、入口のドアが開いて誰かが入ってきた。俺は狸寝入りを決め込んでいたところ、その侵入者は俺のベッドに入り込んできた。
諸君、この状況どうするべきなのか。
夜に突然、同棲する女の子が僕のベッドに入ってきた!
こんな経験ないので、困った。
彼女は恐らく俺が眠っていると思っているのだろうが、正直言ってどうしよう。
「……アルトさん、あたし3回も助けられちゃいました。……あたし、もっと強くなります。だから、もうしばらくは側にいてもいいですか?」
助けられたねえ。たしかに、それはそうだけど、でもなシリカ、俺もお前に救われているんだよ。少なくとも、一人っきりの食事よりも2人の方が賑やかだし……それに、お前がいると、すごく落ち着くんだ、まるで彼女がいた頃みたいにな。
情けないだろ?俺はお前に頼りっきりなんだ、師匠とか言ってるけど、それ以前に男として恥ずかしい限りだよ。自分よりも年下の女の子のおかげで、自分が生きていることを実感できるんだ。それに、守りたいと深く思うようになった。これって結構重要だろ?そもそも、紳士としてレディを守るのは当たり前のことだ。もう一度手に入れた絆を、俺は失いたくない、彼女に消えてほしくない。
俺は彼女のお腹に手を回した。今回ばかりは甘えさせてくれてもいいだろ?
「……どこにも行かないでくれよ…」
彼女は一瞬身体をこわばらせながらも、俺の手を握ってくれた。
「……行きませんよ、あたしはここにいるんですから」
彼女の声は天使が降りてきたような、胸の奥で固まっていたものがほぐれるようなハーモニーに聞こえた。俺よりもひと回り小さく、華奢で柔らかい彼女のぬくもりは、何重にも毛布を重ねてもどこか冷えてしまっていた、俺の身体に安らかな温かみを感じさせてくれた。
ありがとう……
俺はその日、久しぶりに夢を見た。
草花の香りが漂う、辺りには水のせせらぎの音が聞こえ、心地よいそよ風に吹かれて見覚えのある少女の髪がゆれている。俺は彼女の名前を声に出す。すると、彼女は俺の方を振り向いた。その顔は見るものを魅了する美しい微笑みをともなっていた。
その光景は決して壊れることなく、いつまでも続いてほしいと願ってしまう、そんな夢だった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
既に、太陽は地平線のかなたに沈みかけていた。あたしは一年前のあのぬくもりを思い出していた。
「……アルトさん」
彼の名前を呼ぶが、返事はない。当たり前だ。彼は今何をしているのだろう。もう退院したのだろうか。
「去年は結局、何もできなかったしなあ」
すると、その時ドアをノックする音が聞こえた。あれ?もう看護師さんが来たのかな。あたしはドアの向こうにいる人に返事をした。
「圭子ちゃん入りますね」
そう言いながら中に入ってきた看護師さんは、顔に笑みを浮かべていた。笑みというより、ニヤニヤしていたと言った方が適切かもしれない。
「ふふふ……面会ですよ」
面会?両親は今日は来ないはずだが、誰だろう?白衣の女性はドアの向こうにまだいる人物に声をかけると、その人と入れ替わりに退出してしまった。
部屋に入ってきたのは男の人だった。
その人はあたしよりも少し年上のようだが、おとなびた雰囲気を醸し出していた。彼の目は少し鋭くて、でもその目はあたしを優しく見つめてくれていて、心を落ち着かせてくれる頼もしいものだ。
彼はあたしの顔を眺めると、まるでマジシャンが演技のはじめにする挨拶のように大げさに腕を広げて、ひょうひょうとした調子で声を発した。
「お初にお目にかかります。……あちらの世界では時にはアルト、闇にまぎれて《仮面》と名乗り、二年ぶりのこの世界では如月筝と再び称しております。会えて光栄です、太陽のようにまばゆく俺のお嬢さま♫」
あたしはポカンと口を開けていたが、すぐに我に返って彼に便乗してみた。
「は、はじめまして……あたしは綾野圭子、あちらの世界ではシリカと名乗っておりました。……お会いできてうれしいです、強くて優しいお師匠様……」
しばらく沈黙が続き、あたしはたまらなくなって吹き出してしまった。彼もあたしにつられて声を出して笑い出した。
彼はその優しい目をあたしに向けた。
「久しぶり、シリカ」
「はい、お久しぶりですね。アルトさん」
「おいおい、ここではアルトは止めてくれ」
「あなただって、シリカって……ええと、そ、筝さん」
あたしは勇気を出して彼の下の名前を声に出してしまった。は、恥ずかしい。
彼はクスクス笑っていた。
「わ、笑わないでくださいよ!」
「悪かったよ、圭子」
も、もう、せっかくの再開なのに台無しですよ!…………って?えっ!
「ああ、さっき看護師さんに聞いたけど、もうすぐ退院できるんだろ?よかったな、俺もこの前出てきたばっかりなんだよ、意外にも圭子の病院が近くにあったから、来ちゃったよ〜」
まったく、あたしがこんなに恥ずかしかったなのに、簡単にあたしの名前は余分ですねあなたは。
「どうした、圭子?」
「なんでもありません!……それで今日は何のご用ですか?あたし、そんなに暇ではありませんよ」
わざと意地悪を言ってみる。けど、すぐに後悔しちゃう。彼は少し居心地の悪そうな様子だった。
「あ、うん……えーとだな……」
彼は口の中に綿が詰まったように言葉を濁していた。
「去年、なんやかんやで何もできなかったから、その穴埋めっていうか、その……俺のささやかな気持ちっていうかな……別に俺はキリストを信奉しているわけじゃないが、なんというか、こればっかりはお決まりのことだから……」
彼は持っていた荷物から、一つの包みを取り出した。それをあたしに差し出した。
「メリークリスマス!!」
あたしは驚きを隠せなかった。彼が突然来たことにも心がふわふわしているのに、まして……
「あ……ありがとうございます」
あたしはその包みを受け取った。彼が開けてみてくれと勧められたので、丁寧に包装を開けていった。……これって。
「結構前だけど……キミがそれに似たのを眺めていたのを見てさ。なかなか、女性に物を贈るというのは決心がつかなくてな、それで、もしかしたら気に入ってくれるかな……なんて、思ってたんだけど……」
彼のプレゼントはハート形のチョーカーだ。覚えている、たしか街でちょっと気になって食いついていたものとよく似ている。まさか、彼が見ていたなんて思ってもいなかった。
あたしがそれに見入っていると、彼は不安気な顔をしていた。
「も、もしかして、気に入らなかったか?」
そんなこと絶対ありません。こんなに気を遣っていただけるなんて……ますます素敵な男性じゃないですか。いつまであたしのHP減らせば気がすむんですか?
「いえ……とってもうれしいです。さすがあたしのサンタさんですね」
彼はホッとしたような顔をして、また元の彼に戻った。
「筝さん……」
「なんだ?圭子」
あたしはこの世界に帰ってきて1番の笑顔で彼の方を見つめながら、聖なる日の魔法の言葉をかける。
「メリークリスマス!」
創作の中くらい夢見させてもイイじゃないか……
というわけで、アルトとシリカの甘い聖夜をお送りしました。いかがでしたでしょうか?
それでは、またしばらく消えることにします
ご機嫌よう