3の関ヶ原の戦いの後、家康が天下を取ったその十五年後に大坂の陣が起こったと過程した話です。
慶次視点、戦や派手な戦闘シーン等はありません。

1 / 1
散りゆく華に餞を

 誰もが悲しむことなく笑って過ごせる世が来れば良いと思っていた。力を得るために愛する人を殺し、あえて人道を外れた友は俺の初恋の人と同様儚い人となり、その友人の跡を継いだ男もまた何かを遺すことなくこの世を去った。今、天下を治めているのはかつての友を殺めた男であり……同時に俺の友でもある。今は将軍様として日ノ本を統べているけれども、魔王さんや秀吉とは違って力に溺れることもなくただ穏やかな顔で民の笑顔を守っていた。

 

「お前のしたこと、もう責める気はないよ。秀吉は斃されるだけのことをやった、十分そいつは分かってんだ。ずっとあいつが何を思って死んでいったのか気になってたけど……いや、端から俺に責める権利なんかねぇんだよな。だって、結局俺は……何もしなかったんだからさ」

 

 三河から江戸の地に移り、そこに幕府を立てた家康は日々を忙しく過ごしている。そいつを知りながらもふらりと立ち寄った俺を昔と変わらずに受け入れて、当たり前のように城の縁側で肩を並べて茶なんぞ飲んでいる。いくら前田の縁の者とはいえ一介の風来坊と将軍様が肩を並べて茶を飲む、なんてことは普通なら有り得ない。これも家康の人柄だろうと、この国の王になったこの男の変わらずの気さくさには俺もまた苦笑したもんだ。

 

 訪ねて行って語るのは日ノ本の情勢や民の暮らしぶり、そんな政に関わるようなことから俺の近況や家康の身近なことなど多岐に渡る。今日はたまたま昔の話になったから長いこと口にすることのなかった秀吉の名を言葉にしている。決して忘れたわけじゃないし、まだ引き摺っているわけでもない。けど、割り切れないものは未だこの胸に残っているから、思い出すことがまだ少し辛い。けれども家康とならば語っても良いかと茶菓子を食いながらのんびり広い中庭を眺めてそんな話をするんだが、秀吉の話になると家康の穏やかな表情が崩れ少しばかり悲しそうなものに変わるのはきっと気のせいじゃないはずだ。最終的には敵になったとはいえ一時は身を寄せ心を寄せた場所。石田三成、あの人のことは良く知らないけれども家康にとって無類の友であったのは語ってもらわなくても見ていりゃ分かる。天下を獲る為、家康はあえて居心地の良い場所を捨てて友も捨てた。自分の大事なもんを捨てて天下人になった家康は、誰もが渇望した泰平の世を作り上げたというのに幸せだという顔を少しもしなかった。笑顔の裏に隠された苦悩、そんなもんが俺でも分かるほど、重苦しいものを背負っている。天下人、そいつが想像以上に重いことは俺も何となく分かるけど、この平和は家康の犠牲の上に立ってるような気がしちまうんだよな。

 

「何かをしたからと、それが正解とは限らない。ただ、やらずして後悔をするのならばやって後悔をしたい……ワシはそう思った。だからこそ、秀吉公を討つと決めた」

 

 家康は寂しそうに笑いながら自分の拳を見ていた。過去の戦で負った無数の傷が今も尚家康の拳に刻まれている。武器を捨てて絆の力で人を統べると決意してから拳で戦うようになったとは言うが……俺にしてみりゃ疑問は尽きなかった。絆の力で、そう言うのならば何故家康は戦を起こす道を選んだのだろうか、と。あの乱世を知っている奴ならば、武士が吐く絆なんてもんは綺麗事であるのは分かっていたはずだ。それを堂々と掲げ、その道に向かって嘘偽りなく走っていく姿は俺も共感出来るものはあった。でも、石田と戦って奴を斃し西軍に組した人間に大なり小なり処罰を与えたこと、それが家康が掲げる絆なのかと心のどこかで疑問が燻っている。日ノ本を東西に二分したあの関ヶ原の戦い、あれからもう十五年以上の月日が流れているのに未だに許しを得られず武士に戻ることを許されない奴もいる。例えば甲斐の真田幸村、あいつもまた若くして蟄居という形で山に押し込められた。何度か監視の目を掻い潜って会いに行ったりもしたもんだが、幸村の扱いも含めてどうにも納得出来なかった。

 

 無論、こんなことをやる理由は分かる。東軍、つまりは家康に組した奴と敵対した奴の扱いが同格であっては示しがつかないばかりか、それが原因で反感を買い幕府を開いた途端に味方であった奴に謀反を起こされる可能性もある。それを見越して罰を与えざるを得なかったのだろうということは。どういう意図であれ戦は起こってしまった。起こってしまったのならば後始末まできちんとしなけりゃならねぇ。それが、武士としての務めなのだから。だからあの戦の後始末をそういう形で決めただけ、俺はそれが嫌だから家を離れて風来坊として生きることを決めたんだ。勿論それが全部ではないけどさ。

 

「あの戦いから十五年……あれ程当たり前のように続いていた戦は納まり、誰もが笑顔で日々を過ごしている。絆の力で世を統べる……言葉通りになっていただろうか」

 

「家康の言う絆、ってのは……自分に味方してくれる人間だけに限るのかい?」

 

 零した家康に対して辛辣であるのは分かっているにも関わらず、ずっと胸にあった疑問を口にした。しまった、と思わなくも無かったが、これももう今更な話だろう。俺がどう言おうが何かが変わるわけでもねぇ。それ以前に変えたいとも思っていない。今更こんな話をしたところで、もう何もかもが遅いのだから。

 

「否定は出来ない。慶次が言いたいのは、西軍に付いた者の扱いだろう? ……言い訳に聞こえるかも知れないが、今の状態を維持する為にはあの処遇が最大限の譲歩だった。敵方にも情けをかける……悪く言えばそういうことだが、それをするにも一応の罰は与えなければならんのだ。……真田の処遇はワシもどうにかしたいと思っていた。だが、西軍で置かれた立場や働きを思えばどうあっても死罪は免れられない。信之が助命を嘆願し徳川の為に働いてくれたからこそ、あの処遇で落ち着いた」

 

「そこが疑問なんじゃねぇよ。絆を掲げるのならば、何故あんな大戦を起こした。秀吉を斃したこと、そいつはある意味じゃ必然だったのかも知れない。あいつが家康の言うことをまともに聞いて取り合うとは思えないしな」

 

「ならば関ヶ原の戦いが起こることも必然だった――そういうことではないのか。ワシは力で秀吉公を排した。何かを排する為に力を使えば当然返りが来る。その返りがあの戦だった、という話だ。事実、遺された豊臣とは話し合いでどうにか出来る状況ではなかった。……何もせずに戦うことだけを考えていたわけじゃないんだ、慶次」

 

 どうあれ、秀吉を斃したことであの戦いが起こることも決まっていた、ってのか。それが引き金だった、と。家康が大人しくしていて秀吉に天下を獲らせていたら、今のこの国の状況は無かったはずだ。だからいずれ誰かが秀吉を止めに走るとは思ってたが、どんな手を使っても結局は争いの火種にしかならなかったのか。

 

「だったら、この久々の戦も必然ってことかい? 今、家康に敵対している連中全て西軍に与した奴らばかりじゃないか」

 

 追い打ちをかけるように口にしたそれに、家康は何も言わなかった。ただ悲しそうな顔をするばかりで否定も言い訳もしようとしない。そのくせ目ばかりはギラギラして……ああ、嫌だねぇ。戦人(いくさびと)の目をしちまってさ。

 

 昨年の冬、大阪城を拠点に戦が起こった。秀吉の正統な後継を名乗る人間を筆頭に、かつて西軍に組していて不遇な扱いを受けた連中が挙って一つの軍を作り上げていた。そいつらは豊臣最後の抵抗とばかりに戦を起こし、平和で久しく戦を忘れていた徳川方を相当に追い詰めたが徳川の強みは兵力が多いことだ。いくら策略を以ってしても数で押されては太刀打ち出来ないとばかりに押し返されて、首を獲られない代わりにまた処罰を申し付けられて戦は終わったかのように見えた。大阪城を難攻不落の城にしていた城内の堀という堀を全て埋められ、事実上籠城する城を奪われる形になったわけだけどこれで諦めてくれるようならそもそも戦そのものを考えるはずもねぇ。今度こそ徳川を斃す、と再び戦を起こした。

 

 着々と進む戦の準備、家康も今度ばかりは情けをかけるつもりは無いんだろう。腹の底で抱えてるものは全て切り捨てて、一人残らず叩き伏せる気でいやがる。出来れば穏便に済ませたいとか殺したくはないとか、そんな甘さは押し殺して。

 

 いつからこんなに不器用になっちまったんだかね。本当……罪も痛みも何もかもを誰にも明かさず一人で背負い込むなんて、らしくもねぇ。昔はもっと明るくて周りを頼りにしていたし、周りも頼られることを誇りにしていたように見える。みんなが「家康様のために」と笑って支えてたってのに……せめて少しはお前を慕う側近にその重荷を分けてやんなよ、そう言いたくもなった。だが、こいつは口にするだけ野暮ってもんだ。本多さんも人にそれを指摘させるのは本意じゃないってのは聞かなくても分かる。

 

 分かってんのかねぇ、家康は。いつも無表情な本多さんが家康を見る時だけは随分と心配そうな目をすることを。俺よりもずっと長い間一緒にいるから分かっているんだろうが、きっと家康は気付かないふりをしてる。今の家康は昔の家康に比べりゃずっと頼もしくなったし、日ノ本を安心して任せられるだけの男になった。けれど、腹の底が見えなくなったというか、誰も彼もを欺いて君主のふりをしているようにも見える。自分を殺して誰もが望む王になった、ずっとあの戦いの後からそう見えてならなかった。

 

「慶次、次の戦は」

 

「俺はもう戦に出る気はないよ。徳川の味方をする気もないし、豊臣に手を貸すつもりもない。俺は風来坊、武士じゃない。……家康、どうであれこれでまた禍根は残るぜ? 覚悟は出来てるかい?」

 

 しっかりと俺の目を見て頷いた家康に、俺は背を叩いて笑った。結局背負う気でいることには変わりないのかと呆れもしたけど、それが家康の覚悟なら他人がどうこう言うべきじゃない。それになにより家康がそのつもりでいるのならば、ここでのんびりと構えている暇はない。

 

 何も言わずに立ち上がった俺に、家康もまた茶碗を置いて立ち上がった。

 

「今度は何処へ行くんだ」

 

 何処か不安を残した声色は、敵対することを望んでいないのは分かった。惜しまれる、ってのは悪くないもんだ、なんて馬鹿なことを考えたもんだけど……俺は敵に回るつもりはないんだ。

 

「豊臣方に行ってくる。次の戦、負けるのは豊臣方なんだろ? 町で専らの噂さ、豊臣の残党は負け戦を起こそうとしているってな」

 

「それは」

 

「言ったろ、手は貸さないってさ。別れの挨拶くらい、済ませてきても良いだろ? 秀吉みたいに、何も言葉を交わせずに別れるってのは、俺ももうたくさんだ」

 

 一度くらい、ゆっくりと話をしたい。幸村とも、あの忍とも。九度山では監視の目があるせいか、思うように話が出来なかった。差し入れで持って行った団子ですら謀反を起こす暗号でもあるのではないかと取り上げられて、会話の最中でもずっと人の気配がして……本当にうんざりしたもんだった。普通の奴があんなところに押し込められたらたちまち狂っちまうだろうが……今度こそ気兼ねなく話をしたい。

 

「許さない、と言ったら?」

 

「人の絆に口出す野暮を、絆を掲げる家康がするのかい?」

 

 にやりと笑って見せた俺に、家康が負けたとばかりに軽く両手を挙げて苦笑している。止める気はない、だから好きにやって来いと言わんばかりの表情はどうやら俺を止める気は端から無かったようだ。きっと俺がいなくなった後、忍の一人や二人は付いて来るんだろうが、そういう奴らは軽くぶちのめして撒くとしようか。そんなことをやったからと、敵方に寝返ったなんて報告を聞いて真に受けるほど家康も馬鹿じゃねぇしな。

 

 

 

 

 大阪に向かう道中、俺に監視の目は付かなかった。きっと俺を監視して敵に手を貸さないようにとするだろう、そう思っていたのに拍子抜けしたような気になっちまう。信用してくれた、そうなら嬉しいがおそらくはそうじゃない。俺一人があちらに付いたところでどうにでもなる、それが本音なんだろう。確かに俺が豊臣方に付いたからと前田そのものが動くわけじゃない。俺一人の力で出来ることなんて高が知れてる、そいつが分かっているからこそ監視を付けなかった。

 

 堀を埋められて丸裸同然になった大阪城は難攻不落とは言い難く、籠城戦になれば間違いなく落ちるのは一目見れば十分過ぎるほどだった。数日前に立ち寄った江戸城のように戦の準備に追われているここも人の出入りが激しく慌ただしい。ゆっくりと話を、なんて思ったが考えてもみりゃそんなこと出来るはずもないよな。これからあの時代の名残とも言える大戦が始まろうとしてんだ、誰も彼もが次の戦のために必死になるのは当たり前か。

 

 こりゃ、機会を完全に逃したかねぇ……酒樽担いで城に来た俺が馬鹿みてぇじゃんか。

 

「おや、こりゃまた珍しい御客人だ。江戸城にいた人間が、何の用?」

 

 上から投げかけられた声に釣られて見上げると、門の修繕をやっている甲斐の忍に出くわした。忍が修繕作業かよ、なんて思わなくも無かったけども人手が足りずにこんな作業にも駆り出されてるんだろう。どうやらあちらさんは俺の動向をきちんと押さえているからのんびりと声を掛けてきたみたいだな、特別攻撃する様子が無いってのがこっちの意図を分かってくれてるような気がする。

 

「差し入れさ。京から酒を持ってきた。夕刻頃にゃ全員が飲めるくらいの量が運ばれてくるから、存分に飲んでくれよ」

 

「おっ、そりゃ嬉しいねぇ。酒なんか最後に呑んだのはいつだったっけな。おーい、みんな! 前田の旦那から酒の差し入れだ! 夕刻には大量の酒が届くってよ!」

 

 忍が叫んだ途端、作業に追われていた他の連中が手を止めて雄叫びを挙げる。忍に限らず他の連中も酒は久しぶりだったようで、どいつもこいつも良い顔して喜んでやがる。酒樽なんぞ担いで来やがって、何を考えてるんだ、なんて顔して俺を見てたのに今じゃすっかり友達でも迎えるような顔をして城に招いてくれる。全く、調子がいいもんだぜ。ま、辛気臭い顔を見続けているよりかはいいか。

 

「幸村はいるかい? あいつにも土産を持って来たんだ。団子、好きだったろ?」

 

「真田の旦那ならこの門潜って左に曲がったところを真っ直ぐ行けば会えるはずだよ。次の戦の打ち合わせだって、難しい顔してお偉いさん達と話してる」

 

 へぇ、幸村が、ねぇ……猪突猛進、って印象しかないんだけど、そういうこともやるんだ。あ、いや、こんなこと実際に口にしたら流石に怒られるかな、この忍に。

 

「旦那もこの十五年の間に成長してんのさ。ま、他の連中も初めはあんたと同じ反応してたけどね」

 

 やっぱみんなそう思ってるわけかい。ま、真田幸村と言ったら無謀にも単騎駆けする印象の方が強いしな。

 

 これ以上作業の邪魔をしちゃ悪いと忍に言われた通りに進み、一人槍を振るう幸村を見つけた。打ち合わせをしていると言っちゃいたが辺りに幸村以外の人はいない。どうも打ち合わせとやらは終わったみたいだけど、表情が険しいのが気にかかる。

 

「……む? おお、これは前田殿! お久しゅうござるな!」

 

 何処か怒りを抱えているような表情をしていた幸村が、俺を見た途端その表情を解いて嬉しそうに駆け寄って来る。担いでいた酒樽を下ろし、懐にしまった団子の包みを取り出してそいつを土産と言って渡してやったら子供のように喜んでいた。本当、こういうところは全然変わらないね。

 

「忝のうござる! 団子など久方ぶりだ……」

 

「何だい、毎日団子食ってんのかと思ってたのに」

 

「先の戦で敗北し、思うように城の外に出られず……食料を買いに外に出ても謀反人には売りたくないと断られることも多く、団子どころか食事を用意することもままなりませぬ。そのせいもあって酒どころか食うものさえも得られぬと城内の者達が苛立っておりました。団子を食いに外に出たいとは思っておりますが、一度は幽閉された身……迂闊に外に出ることもなかなか」

 

 なるほどね、先の戦は和睦って形で納めているが世間の豊臣に対する風当たりはより冷たくなったと。案外徳川が裏で手を回しているのかも知れないとは思ったが、確証もないのに言うことじゃない。それに、町の人達がそういう態度を取る理由も分からなくもないんだ。折角訪れた泰平の世、それを崩そうとしている人間に味方をしたくないという気持ちは誰にだってある。一昔前はそんな気持ちがあっても止む無く手を貸していたのに、今は誰もが突っ撥ねる……それだけ家康の力は大きく人の心もそちらに向いている、ということか。そこで突っ撥ねても徳川が守ってくれるとそんな意識があるからこそ断るんだろうけど……世間じゃ徳川は正義で豊臣は悪、だもんな。

 

「失敗したな、それなら酒だけでなく食い物も何か買ってくりゃ良かった」

 

「酒……? そういえば、この酒樽は」

 

「これから戦だろ? 景気付けにとこっちに来る最中に京の町に寄って酒を大量に買い込んでこっちに送ってもらったんだ。今日の夕刻には届くんだけどさ、その様子だと食うものにも困ってんだろ?」

 

 そんな事情など何も考えずに酒だけ集めちまったことが悔しい。考えてもみりゃ、この状況は当然だったな。京の町でも大阪城に送りたいって話をしたら渋られたし、俺が客だからってことで運んで貰えたけれどこんなやり取りで食い物も不足してるってことを考えておくべきだった。

 

 まつ姉ちゃんにもいつも怒られるんだよなぁ……慶次は詰めが甘いって。まさかこんなところでそんなことを思い出すとは思わなかった。

 

「いや、前田殿の御心遣い感謝致しまする。城門から聞こえた雄叫び、なるほどあれは酒が飲めると歓喜してのことでしたか」

 

 何事かと思った、そう言わんばかりに苦笑する幸村に俺もまた苦笑をした。まさかあそこで雄叫びを挙げられるとは俺も思わなかった。そもそも、それほどここの人達が飢えているとは想像もしていなかった。

 

「して……今日は如何様でこちらに? まさか、酒や団子を届ける為だけに参られたわけではありますまい」

 

 首を傾げて問う幸村に、再び苦笑をする。目的という目的は無い、ただ話をしたかっただけ、と言ったらどういう顔をするだろうか。今回の戦、どちらにも俺は手を貸すつもりはない。ま、酒を送り付けたのは何も豊臣に取り入ろうとするわけじゃなくてただの景気付けだ。俺も長居をしようとは思わねぇし、簡単に話せればそれでいいとさえ思っている。だから、迷惑だと追い返されてもそれはそれで良かった。

 

「あんたに会いに来た、それだけさ。深い意味は無いよ、今回の戦は俺はどちらにも味方するつもりはないしな」

 

「某に? 今の状況を御存知でありましょう、手を貸すつもりは無いと言ってもこちらにおれば、後に謀反人の疑いを」

 

「俺は傾奇者さ。次の『負け戦』を起こす相手に塩くらい贈ったって罰は当たんないだろ?」

 

 にやりと笑ってみせる俺に、今度は幸村が苦笑する。これは手厳しい、そう言いたげな表情を浮かべるばかりで否定をしないのは、幸村もまた負け戦になると分かっているからか。

 

「前田殿、もてなすことは出来ぬが一晩こちらで過ごされよ」

 

 一晩、そう期限を付ける理由を俺は問わなかった。幸村が口にしなくても一晩はここで過ごす予定だった。追い返されれば早々に立ち去るつもりではあったけれど、迎え入れてくれたのはこちらとしても好都合だ。

 

「気にしなくていいって、もてなして貰いたくて来たわけじゃない。それじゃあ一晩、世話になるよ」

 

 にやりと笑った俺に、幸村もまた笑っている。久しぶりに幸村にあったけれど、表情は昔と比べたら大分穏やかになったような気がする。最も、昔と言ってもまだこの国が戦乱の真っ只中にあった頃の話だけど。

 

 夕刻になって俺が注文した酒と同時に大量の食材が届いた。流石にそこまで頼んでいないと思った俺に忍が渡したのは食材の中に入っていた文で、俺宛に書かれたものだった。見慣れたその字はまつねえちゃんのもので、京で大量の酒を購入してその代金を前田の家に請求するようにと言ったことで事の次第を知ったらしく、酒どころか食い物もない状況を見越して食材も発注してくれたようだ。酒ばかりでは身体を壊すから、栄養になるものを食して戴きなさいとあって頭の下がる思いがした。

 

「前田家には感謝しなきゃね。あそこも徳川の傘下にいるってのに援助してもらったわけだしさ」

 

 確かに援助と言えばそうなんだろう。送られた食材は日持ちするものばかりで、今日一日では到底食い切れないほどの量がある。敵に塩を送る、なんて昔甲斐の虎と謙信の間にそんなことがあったらしいけどさ、今の状況はまさにそれだ。けれど、まつねえちゃんが送った意図はきっと違う。

 

「戦の為に送り付けて来たわけじゃないよ、まつねえちゃんは。あの人は前田のみならず、加賀藩の母親だぜ? ここで食うものも食えずに酒ばかり飲んでるなんて状況を知ったら、母親としちゃあ口を出さないわけにはいかねぇだろ?」

 

「そりゃ道理だ」

 

 笑う忍にその場を任せ、俺は城の人間に案内されて狭い客間へと通された。今は準備に忙しいのでそこで待機していろということらしい。途中幸村の長男である大助と会ったが、最後に顔を見た時と比べれば随分と大きくなった。最後にあったのはもう三年四年、それくらい前のことだったか。この戦には大助を連れて来ているらしいが、戦を経験しているせいか随分と大人びた顔をするようになったと思う。このまま大きくなればきっと立派な武者になるだろう、そう思うだけに悲しくなった。

 

 大助は十三、くらいだったか? そのくらいならまだまだ親に甘えたり遊んだりしたい年頃のはずだ。こんな事態にならなければ、大助もまだそうやって生活をしていた。昔ならば武士は元服を迎えりゃ戦場に出て戦うことが当たり前だったけれど、今は戦なんかしなくても良い時代。しかもこの戦は負け戦と専らの噂で、仮に生き残ったとしても家康は二度と同じことを起こさぬように殺すのだろう。死ぬ為に生まれた命、そう哀れんでしまいそうで挨拶することもなく大助から目を逸らしていた。

 

 その日の夜は、久しぶりの豪勢な食事と酒に誰もが浮足立っていた。秀吉の息子を名乗る秀頼さんはあいつとは似ても似つかない顔をしていたけど、何処となく酒の飲み方があいつに似ているような気がした。何を考えて豊臣の名乗りを挙げたのかは知らないけど、今はそれよりも楽しそうに振る舞うみんなの顔を見ていたい。

 

「前田殿」

 

 然して酔っている様子もない幸村に連れ出され、宴の席を後にする。俺や幸村が出て行ったことに気付かない皆は楽しそうだったけれど、俺を連れ出した幸村は何処か沈んだ表情をしていた。

 

「楽しまれているところ申し訳ござらぬ。情けないことに、夜更かしが得意ではござらぬゆえ……」

 

 渋い顔をして部屋に招く幸村に、悪いと思いつつ笑っちまった。これは本当、それは実際に九度山へ足を運んだ時に知っている。宵の口まで話し込んでいたら居眠りを初めて、半時も経たずに眠っちまったのをこの目で見ているからだ。日の出と共に起き、日の入りと共に寝る……そんな健康的な生活を長年送っていた人が昼寝も無しに起きていられないことは確かだろうな。けれども沈んだ表情が気にかかる。幸村に哀愁なんてもんは似合わない。それは、初めて出会った頃から現在に至るまで、感想は変わっちゃいない。

 

 幸村の部屋で荒れた庭を眺めながら酒を飲む。関ヶ原の戦いをしていた頃にここから見た庭は美しく、それを好んでいたと幸村が話してくれた。幸村が客間として通したこの部屋は、元は西軍の総大将を務めた石田三成の私室であったのだとか。

 

「石田殿は常に何かに苛立っておられる印象はあったが、それでも味方となった者には格別の配慮をして下された……石田殿は飾りの大将、そう揶揄する者も少なくは無かったが、出来ることならばあの方を日ノ本の頂点に立たせて差し上げたかった、と今は思いまする」

 

「石田を? 御館様でなくて?」

 

 何が無くとも御館様がいればそれで良かった幸村が石田を天下人に、なんて言うとはね。これには幸村も苦笑をするばかりで、反論をしようとはしない。考えてもみりゃ、甲斐の虎はあの頃余命幾許もない状態だったし、関ヶ原の戦いの最中に没している。この状況では御館様に天下を、というのは無理な話だ。甲斐の虎が没して自分が天下を取ろうとは思わなかったみたいだしな。ならば石田に、と思うのは味方をした立場としては思うところなのかもしれない。

 

「無論、御館様が生きておられれば御館様のために迷いなく槍を振るったことでしょう。しかし……あの頃の石田殿は徳川殿を斃すことだけに全てを懸けておりました。己が生きることに何ら興味も無く、寧ろ死に場所を探していたようにさえ思うのです。石田殿がもしあの時徳川殿を討っていたとしたら……石田殿は遅かれ早かれ自ら命を絶ったことでしょう。徳川殿が石田殿の生きるよすがであったのだから」

 

「それを分かっていて天下人にってのが俺には分からないね。そんな奴が上に立ったら日ノ本はあの頃以上に混乱する」

 

「無論……しかし、そうならぬ為に我らがいるのでござる。微力ながらこの日ノ本の安寧の為、槍を捨ててでも尽力する覚悟はあり申した。長曾我部殿も鶴姫殿も毛利殿でさえも、皆方向は違えど願ったものは同じ。……石田殿は主を失って何もかもを失くしたと思い込んでおられた。そうではない、まだ石田殿は全てを失ってはいないのだと、戦いを排して示したかったのです。それに、石田殿の手で守れるものもあるのだと」

 

 何もかも、か。話を聞く限りでしか知らないけれど、石田も幸村も共通点は多い。似ている、と言っちまえばそれまでだが、だからこそ思うところはあったんだろう。あの頃の幸村も甲斐の虎を病で喪い、先を見失っちまっていた。だが、石田のように怒りのままに兵を向けて争うことを選ばなかったのは、失った原因が病で何処にも腹の底に抱えたものをぶつけようがなかったからだ。もしこれが病ではなく誰かが殺したとなれば、幸村も同じように憎しみや怒りを力に変えて仇討ちの為に奔走したのだろうか。石田は秀吉を病で亡くしていたら、その後どうするつもりだったのだろうか。

 

 全てはもしもの話、東軍が勝ち徳川が日ノ本の大将になった今じゃ話すだけ詮無いこと……そう思っていても考えずにはいられない。この戦が家康が行ったことへの返りだというのならば、余計に考えちまう。こうするしか道はないのか、と。

 

「安寧の為、それなら何故今になって戦を起こすんだい? 泰平の世は訪れただろ、誰もが望む泰平が」

 

「仰る通り、誰もが望む泰平は訪れた……しかし、日ノ本に住む全ての民が享受しているわけではござらぬ」

 

 荒々しく杯を床に置く幸村は、何処か怒っているようでもあった。幸村の立場を思えば怒りたくなるのも無理はないだろう。十五年、幸村は一所に置かれて過ごさざるを得なくなった。絆を掲げるくせに、と家康に言ったがやはりこの疑問は未だ拭えていない。

 

「某は、あの戦で死にたかったのです。十五年、武士としての生き方を奪われ死んだように穏やかな年月を過ごさねばならなかった苦痛、前田殿に理解出来まするか!? それは俺に限らず、他の者達もそうだ……この十五年の間、誰もが武士に戻ることを許されず、死んだように生きることを突き付けられた! ……分かっておりまする、それが徳川殿の掲げる絆であることは。そして同時に処断を躊躇う残酷な優しさであることも」

 

「理解は出来ねぇな、俺は武士じゃねぇから。だが、死にたかった、なんて安易に言われるのだけは納得出来ないな。あんたが死ねば、大助が生まれることも無かったし、他の子供達もこの世に生まれることは無かった。……十五年幽閉されたこと、俺もそいつは疑問に思ってる。けど、全く苦痛ばかりじゃなかったんだろ? 武士としての死に方に拘れるほど、あんたは不幸せだったのかい?」

 

 この十五年、幸村はおそらく無念だけを抱き続けて生きて来たわけじゃないと思う。次男が生まれたばかりの頃、訪ねて行った俺に嬉しそうに生まれたばかりの赤ん坊を見せてくれた。自ら抱き上げて可愛いでござろう、なんて聞いて来た時の幸村は幸せそうで……それを忘れて十五年を語って貰いたくはねぇ。全てが不幸だった、なんて語られたら幸村を支えた奥さんも子供達も居た堪れなくなる。

 

「武士って奴は、みんなそうだ。好いた人よりも家族よりも、何よりてめぇを大事にする。主への忠義だなんだと言ったって、結局はてめぇの自己満足だ。……それで、どれだけ遺された人が悲しむかなんて考えちゃいねぇ。だから俺は、武士を捨ててこの道を選んだ。武士なんて看板に煩わされて本当に守りたいものを切り捨てることがないように」

 

「本当に、でござるか」

 

「ああ。武士としての矜持、それを根っから否定するつもりはないよ。でも、それの為に人として大切なものを切り捨てるのは無しだと思う。今の幸村に大事なものは、武士としての在り方かい? 俺は決してそうじゃねぇと思うけどな」

 

 違う、と怒りを露にせず、反論さえもしなかった幸村は何かを黙って考えていた。けれども首を左右に振って苦笑するそれは、結局行く道を変えられないのだと言われているようで悲しかった。

 

「ここに集まった者達は、皆戦場で果てることを夢見ている……、佐助もそうだ、某の為と言いながらも戦忍として命を全うすることを望んでいる。死ぬ為に戦を起こす、そう貴殿からは見えるのだろうが……これは生き様を賭けた戦いなのだ。某もまた、失ってしまったものを取り返したい……確かに前田殿の仰ることも分かり申す。某も、その……な、何というか、前田殿の御得意の、こ、ここここ恋というものも、経験致しましたゆえ……」

 

 幸村の口から思いもよらない単語が出てきて、思わず含んだ酒を噴いちまった。まさか幸村の口から恋なんてものが出て来るとは。しかも経験したとか、三十過ぎても初心さの抜けないこの男から聞くことになろうとはね。

 

「武田の勧めもあり、同盟をより強固にする為大谷殿の御息女を嫁に貰いましたが……このような境遇になっても愚痴一つ零さず、家族を守る為にと尽力する姿には頭の下がる思いです。某が死しても後追いなどせず、子供達を守ってくれと頼み申したが……本当に、酷なことばかりをさせております。後にいろいろと事情があり側女を幾人か貰いましたが、この幸村が真に惚れた女子は後にも先にも利世一人でしょう」

 

 ほんのりと赤みを残した顔で穏やかに笑うそれは、幸せだった過去を懐かしんでいるようで尚更居た堪れない。武士としての生き様を取り戻したい、それは武士として死にたいと言っているのと同義だ。今の幸せがあるのにどうしてそれに拘るのか。惚れた女のところで穏やかに過ごすという選択肢はないのか。

 

「人の生き方はそれぞれにござる。それに、某には果たさねばならぬ誓いがある……政宗殿と雌雄を決すること、これを果たさず穏やかに生きる道は選べませぬ。先の戦、落ちぶれた某と対峙した政宗殿は……いつもの不敵な笑みを浮かべて戦いを挑んで参りました。ようやくこの時を待っていた、そう言わんばかりの顔をなされて」

 

 なるほど、結局そこへ辿り着いちまうわけかい。幸村のいい人は奥さんでなく独眼竜……想い人と死合うことが一番の望みとなりゃあ惚れた女やその子供達と穏やかな時を過ごすという選択なんざ出来るわけもない。人ってのは薄情なもんで、大切なもの全てを優先するんじゃなく自分が一番だと思うものを優先して考える。幸村の言う独眼竜と雌雄を決するってのが一番なら……俺の言ったことなんか野暮以外の何者でもねぇじゃねぇか。

 

「やっぱり、俺は武士って奴を好きにはなれないや。俺は惚れた女を守り抜いて生きていきたい、野郎と殺し合うための恋なんか、俺は御免だね」

 

「こっ、恋!? そ、そそそ、そのような破廉恥な感情、まっ、政宗殿に抱いてはおらぬ!!!」

 

 昔から変わらない動揺の仕方に笑うしか無かった。恋を経験して子作りまでして、とどめに側室何人もいるくせにそれでも恋って言葉一つで慌てちまう。俺は、武士が好敵手を見つけるっていうのは恋とそう変わらねぇと思うんだ。たった一人だけを想い、睦み合うように互いに剣を交わらせて絶頂を迎える。引き分けってのは愛撫のまま何もせずに終わっちまったようなもん、温い快楽に浸ってるだけに過ぎない。たった一度の、想い人との刹那の絶頂を迎えたいがために武士は剣を振るうことを止められない。

 

戦場(いくさば)で人を殺すのと、絶頂を迎えること……感覚としては同じことだよ。……女にとっちゃあ絶頂ってもんは深くて長いらしいけど、男のそれは刹那に過ぎねぇ。一度その快楽に酔ったら次もまた欲しくなる……戦で人を斬るのは、何処か似たような感覚があると俺は思うよ」

 

 殺さずを貫く俺であっても全く人を殺したことがないのかと言われりゃそうでもない。今は風来坊をしているが、それでも家を出る前は前田軍の一員として戦場を駆け回っていた。利と競争をして敵を殺していたこともある。だから分からない感覚じゃない。分からないわけではないのに冷めちまったのは身体の絶頂を知ったせいだろうな。女を初めて知った日、初めて迎えた絶頂が人を殺した時に感じるそれと酷く似通っていると思った。それを求めるために俺は人を殺していたんじゃないかと思っちまったらもう駄目。戦に出て人は殺せない、そう思ったからこそ武士を捨てて風来坊になる道を選んだ……武士について思うところは山ほどあったけど、決め手となったのはそのせいだな。

 

 幸村は一体どう考えているんだろう、なんて顔を見たら真っ赤になってぶっ倒れてやがった。破廉恥でござる、なんて小声で呟いて気を失ってんだもん。流石にこれは俺も腹を抱えて笑ったよ。とっくに三十過ぎてるのに未だにこの話題が駄目なんざ、ある意味国宝級だよ。どうやったらここまで純粋なまま成長出来るものなのかね。

 

「風来坊の旦那、真田の旦那の前でそんな話しちゃ駄目だよ。この人未だに耐性無いって分かってんだろ?」

 

 突然幸村の前に現れた忍は真っ赤になって倒れている幸村を見て呆れたように溜息を吐いている。俺も分かってはいるんだがどうしてもそういう話がしたくなる。特に幸村相手だと反応が良いから余計にしたくなる……と言ったら怒られるだろうか。昔からこの手の話ではからかいがいがあるからなぁ、幸村は。

 

「分かっていても話したくなるのさ。でも、言い得て妙だろ?」

 

「ま……分からなくはないね。俺様も人を初めて殺した時はそんな感覚を覚えてた。でも、嵌ったのは一瞬、あんたは武士から風来坊になったから分からねぇだろうけどさ、忍ってのは殺す相手を選べないんだよ。それが仕事ならどんな奴でも殺さなきゃならない。たとえそれが……そうだな、腹の底から惚れた女であってもね」

 

 自嘲気味に笑うそれは人を殺す快楽から冷めちまったってことを言いたいんだと思う。戦場で興奮した状態で人を殺すのと、暗殺なんかで人を殺すのとでは全然違うとそれは想像がつく。俺も戦以外で人を殺していたらそんなこと思いもしなかったかもしれねぇな。

 

「そいつに嵌っちまって抜け出せなくなった御人はもう何人も知ってる。例えば片倉の旦那、あの人はその典型さ。過去に戦場で何度も切り結んでいるけど、追い詰められれば追い詰められるほどやらしい顔をするんだ。あの御人は戦場で切り結んだ相手の命が消える瞬間を見ないと絶頂を迎えられねぇ変態だよ、間違いなく。いや、子供がいるから身体はそうでもないんだろうけど心はどうもそうだったみてぇだ。関ヶ原の戦いが終わった後にこっそり何度か野菜を貰いに行ったことがあるんだけどさ、時が経つに連れて何もかもがつまらねぇって顔をするようになって……初めてそこで俺は忍で良かったと思ったよ。武士なんざろくなもんじゃない、忍の俺様が言うことじゃないけどテメェで気付かないうちに大事なものを落としちまうんだから」

 

 そいつは確かにおっかねぇ話だ。そんな人間は泰平の世の今は生きていけない。あの人はまだ自分が竜の右目で独眼竜の補佐をしなければならないという意識があるから大きく踏み外すことは無かったんだろうけど、もし何もなかったら人斬りになっていたかもしれない。女好きが女を断つことが困難なように、戦で人を殺すことの魅力にとり憑かれちまった奴がその快楽を手放すのは酷く困難だ。そいつに飽きちまうか目が覚めるかしなけりゃ逃げ出すことは出来ないが、竜の右目はずっとそれを持ち続けて拗らせちまったわけか。

 

 忍は人として持たなきゃならないものを自ら進んで捨てる、武士は気付かない間にそいつを何処かに落としてきちまう……どちらがマシなのか、とは比較しない。俺にはどっちもどっちとしか思えないから。

 

「俺達が戦をするのは、そんな瑣末な快楽を手に入れるためじゃない。旦那が言った通り矜持の問題さ。俺には俺の矜持があって、旦那にゃ旦那の矜持がある。人はそういうものを持たなきゃ生きていけない……あんたのように誰もが根無し草でふらふらやっていられるわけじゃないのは分かってんだろ?」

 

「分かってるさ。この豊臣にいる連中は考え方を変えられない頭の固い奴らだってこともな。……今回の戦、俺があんたらにしてやれんのは酒と飯を届けた程度だ。それ以上先は何もするつもりはない。だが俺は風来坊、あんたらの散り際は見物させてもらうよ」

 

 にやりと笑う俺に、忍もにやりと笑う。何を説いたところで一度坂を転がっちまったら石は勢いを止められない。結局何も出来なかった、と今回はきっと嘆かないだろう。俺は自らの意思で今回は何もしないことを決めた。この中には見知った連中も数多くいる。今は機嫌よく笑っていてもこれからは戦況も厳しくなりどうなるか分からねぇ。本当は手を貸してやりたいような気にはなっているが、死に花を咲かせることを決めているのならば、生きるつもりでいる俺に出来ることは何もない。

 

「夏とはいえ夜は冷える……温かいところで寝かせてやりな。俺はみんなのところに戻って……悔いが残らないように話をするよ」

 

 酒と杯を持って立ち上がる俺に、忍が小さく溜息を吐く。

 

「あんたも分からない御人だ、何もしなかったことを後悔して嘆いていたのに結局ここでも何もしないのかよ。一体あんた、何しに来たんだ。自分の意見が言いたかっただけか?」

 

 何しに、か。本当、何しに来たんだろうな。少なくとも俺はどうにかしようとは思っちゃいない。死ぬんなら死ねばいいとは流石に思わないが、どうあっても止められないことは分かった。幸村と話をしてみて止められそうならばそうしただろう。けれど、幸村は戦いの中で死ぬつもりでいる。独眼竜と心中をするつもりなのか、それとも家康と心中するのか……何処かで討たれて死ぬことを選ぶのか。ともあれ生きる、という選択肢は何処にもない。それは幸村と話す前に他の連中と話していただけでも十分過ぎるほどに伝わった。ここにいる連中は自死を望んでいる。その死に方もひっそりと腹を切るのではなく、無関係な連中を巻き込んでの心中劇と来た。こんな馬鹿げた茶番に付き合えるほど、俺も物好きじゃない。

 

「本気で日ノ本をどうにかしたくて戦を起こしたってんなら……俺も互いの考えを聞いて良い方向に転ぶようにと奔走したかもしれない。でも、ここにいる連中はどんな理由を付けたって結局は死に場所を求めて戦をするだけだろ? 俺は……見極めたかったのかもしれない。俺が動けるような、いや、動く価値のある喧嘩かどうか、ってね」

 

 そう、これは俺の動く価値の無い喧嘩だ。どう足掻いてもこちらは負けを認めている。それを分かっていて戦を仕掛けて仲良く死に花を咲かそうってんだから俺もどうする気にもなりゃしない。

 

「確かに……あんたが動くような喧嘩じゃないね。それが分かっているんなら今すぐここから出て行きな。こちらはあんたが徳川の間者じゃないかと疑っている。こちらの弱みに付け込んで取り入る術は忍が用いる常套手段だ。……こっちはあんたを歓迎する奴は誰もいない。厄介事に巻き込まれる前に出て行ってくれ」

 

 幸村を連れて出て行ってしまった忍の背を見送り、俺は苦笑を零す。何だかんだと言いながら俺を見逃してくれるわけだからなぁ……あの忍もお人好しだよ。もしかして、ここに通した時にしていた幸村の顔は、俺の腹を探れとでも言われてたのかもしれねぇな。内部を探ってどうにかしようなんて腹はないけど、そんな忠告をされちまったらお暇するしか無さそうだ。幸い久しぶりの酒と飯に城内は浮かれている。長居をせず今のうちに出て行った方が互いのためなのかもしれない。

 

 こっそりと城を出た俺は、そのまま京の俺の住処へと向かう。追手がかかるんじゃねぇのかとも思ったが、その辺りはあの忍が上手くやってくれたようだ。やはり夜のうちに出て良かった、夜が明けたらどうなっていたことやら。

 

 死ぬなよ、と口にするのは野暮だと思い別れすら言わずに城を出た。きっと、近いうちに戦が始まって誰も彼もが死んじまうんだろう。幸村も武士としての死に花を咲かすことを喜んで散っていく。残された者のことなんか何も考えず、歓喜のまま命を落としていくんだろう。それも幸村が望んだ形で。

 

 ああ、面倒臭ぇ……俺はやっぱり武士は好まないよ。惚れた女のために命を懸けて、そういう生き方がしたいから。

 

 

 

 

 それから一月後、家康は豊臣の残党を討つべく戦を起こし、何度か敗北の危機を感じながらもどうにか勝利を手にした。豊臣の関係者は全て処断し、重要な役目を帯びた人間もその場で殺されたと噂話で聞いている。幸村も天下に仇なす大罪人として晒し首になり、七日もの間大坂城の前で死に顔を晒していた。

 

 幸せな最期だったんだろう、とは言わねぇ。そいつは幸村の首を見ても特に何も思わなかったせいってのもあると思う。鬼のような面相の男だの何だのといかにも恐ろしいようなことを口々に見物人は言うけれど、真田幸村の首として晒されたそれが全くの偽物であると分かっちまったら何の感想も抱かねぇ。ま、真田幸村に仕立てられちまった奴は哀れとは思うけどさ。

 

 首を見た後、俺は家康に会うこと無く奥州に向かい、竜の右目の居城である白石城の門を叩いた。ここに来たのは何も気まぐれじゃない。ここに足を運ぶだけの価値がある情報を得ていたから奥州に来た。俺を出迎えたのは右目の息子で今回の戦で大手柄を立てたという重綱だった。重綱も十七、八くらいでまだまだ青い年頃……昔はそのくらいの歳なら戦に出ても全くおかしくは無かったけど、泰平の世で刀を持たせるというのは不憫でならない。冬と夏、二つの戦に出て一軍の将を任されたと聞いている。でも、それだけではなくて実はこの戦、竜の右目の代わりを務めたってんだからよくやったと思うよ。

 

 竜の右目は一年くらい前から病で体調を崩し、ずっと臥せっているらしい。今回の戦も出陣すると言って聞かなかったらしいんだけどさ、結局独眼竜がそれを許さずにいたらしい。ならばと息子に自分の小十郎の名前を与えて出陣させる辺り、相当戦に出向きたかったんだろうな。待ち望んだであろう戦を逃したのは大きな痛手……より病を悪化させなきゃいいけど。

 

「お越しいただいたのが前田殿で良うございました……正直に申しますと、徳川の使者であったらどうしようかと思っておりましたので」

 

 客間に通した重綱が俺にそんなことを言う。苦笑するその顔は竜の右目にそっくりで、若い頃はきっとこんな顔だったんだろうなと思った。

 

「随分と戦では手柄を立てたらしいじゃないか。五十もの首を獲ったんだろ? 二度目の戦でそれだけやれりゃあ立派な武士だ。親父さんも鼻が高いだろう」

 

「いえ……将たる者が前線に出るなどと何を考えているのかと怒鳴られました。政宗様と二人で正座をして、父上に一時ばかり説教をされております。政宗様は戦に出られなかった腹いせをこちらにぶつけているだけだと仰っておりましたが……そればかりではないのでしょう」

 

 静かに開け放っている戸の外を見る重綱の視線の先には小さな子供達がいる。どれもこれも、幸村にそっくりな子供達……中庭で遊ばせているのは子供達の母親、つまり幸村の嫁だ。実を言うと片倉が真田の家族を引き取ったという噂話を聞いたから奥州に来たわけで、そうでなかったら俺は家康のところに出向いて何があったのかを聞いていたはずだ。

 

 独眼竜との戦いで満身創痍だった幸村は、どうにか独眼竜を打ち倒すことが出来たものの首を獲るほどの気力は無く、生かしたまま家康を狙いに向かったらしい。情けをかけるのか、と独眼竜は騒いだみたいだけど幸村は取り合わなかった。どうにか家康の首を、と向かった幸村がかち合ったのは重綱であり……その時に幸村に頼まれたそうだ。どうか家族を頼む、と。普通は敵将にそんなことを頼まれれば断るもんだけど、何を考えてか重綱は即座に承知した、と答えた。日本一の兵と言われた男の最期の頼みと思ったからなのか、それとも別の思惑があったのかは分からないがこのやり取りがあって重綱は真田の人間を城に招いている。当然このことは独眼竜も知っていて、何も言わずに知らぬふりを通しているのだとか。ま、竜の右目は真田家を連れて来たことで大激怒したってのは何となく想像出来るけど、戦に出た奴からこんな話を聞いたから家康には確かめずに奥州へ来たんだ。そしてその話は真実だった、ってね。

 

「どうして……引き取ったんだい? 情けをかけたのかい?」

 

 俺の問いかけに静かに首を振る重綱は何処か寂しそうでもあった。

 

「これ以上の悲劇は必要ない、と考えたのです。これからの時代を担う命を簡単に吹き消してしまうのは泰平の在り方に反しましょう」

 

「そうは言っても相手は天下の徳川に弓引いた大罪人の家族だぜ?」

 

「だからですよ」

 

 笑って立ち上がり、庭へと歩いて行く重綱の考えは俺には理解出来なかった。いや、人としては理解出来るんだ、だが武士としては理解出来なかった。生かしておけばいずれまた同じようなことが起こる。家康は西軍に属した人間を半端に残したことで禍根を後にまで引き摺っちまった。ここで厳しく断罪したのはその禍根を出来る限り潰すためなのは俺も分かっているし、その方法でしかどうにも出来ないことも分かっている。なのに重綱はその禍根を手元に置いて育てることを選んだ。

 

「分からないな、俺には。禍根は残せば災いになって振りかかるもんだろ。少なくとも武士はそれを払うことを考えなけりゃならねぇ、自ら手元に置いて育てるなんてさ」

 

 縁側に座って尚も問う俺に、幼子を抱き上げた重綱が苦笑する。だけど、その目には信念があって間違ったことはしていないと言っているように見えた。

 

「戦乱の世であれば、力に対して力で返してもそれは間違いではなかったのでしょう。しかし、今は泰平の世、絆を謳う家康様の下この日ノ本は成り立っています。禍根は力で潰せば返りが起こりましょう、しかし慈悲や慈愛、そういったもので溶かしていけばいずれは消えてなくなると私は思うのです。……前田殿の仰ることは分かります。私も父上が怒るように、これが悪手だということも。少しでも間違えれば伊達に叛意ありと見做されお家を潰されることも有り得ますから。ですが……いい加減断ち切らねばならぬのです。争いの芽を争いによって叩き潰す、このようなやり方は永劫の泰平を求めるのならばここで断ち切らねば」

 

 甘い考えだ、と思うのはあの時代を生きてきた証だ。人の生き死にが当たり前に転がっていたあの時代、風来坊という立場とはいえ全く無関係だったわけじゃない。尤も、人を殺すことを厭って避け続けた俺が言うべきことじゃないのは分かってる。それでも災いは殺してしまえ、と即物的な考え方が武士として正しいと思っちまうのは俺も古い証拠なんだろうな。もう次の世代は家康が求めるものをきちんと汲み取って、そいつをどうやって長続きさせていくのかを模索している。誰もが望んだ泰平が一時で終わらないように……重綱がやろうとしていることは、片倉や伊達なんてそんな枠に囚われない日ノ本全体を考えたもんだ。理解を得るのは難しくてもきっとやり通すんだろう。

 

「だから、幸村も助けたのかい?」

 

 にやりと笑う俺に重綱が酷くばつの悪そうな顔を見せた。気付かれてない、と思っていたのかもしれないけど……流石に分かるよ、付き合いのある人間ならさ。だって、幸村とは全く似ても似つかない首だったんだもの。流石に家族だけでなく敵軍の将まで助けたとあっては右目が激怒するのも分かる。

 

「真田殿は、あの戦を起こした一人として生きて見届けねばなりませぬ。戦によって齎された悲劇を、そしてこれからの世がどのように動いていくのかを。もう、戦乱の世は終わったのだと、今は泰平の世なのだとこの城から見ていただかねば」

 

「甘いねぇ……、けど、そういう考えは好きだよ。竜の右目は絶対に受け入れないだろうけどね」

 

 仰る通りと言わんばかりに笑った重綱は、俺を城の離れへと案内してくれる。幸村の子供達も無邪気に後を付いて来て、重綱遊ぼうと笑っている。五十もの首を刎ねた男とは思えないほど優しい笑みでお客様を案内したらね、と答えていた。良い関係が築けているのも重綱だからなんだろうな。竜の右目なら泣かれそうな気がするわ。

 

 通された部屋には幸村が一人で座っていて、何か文をしたためているようだった。俺に気付いて柔らかく笑う幸村の姿に少しばかり眉を潜めたのは……右腕が無かったせいではない。

 

「これは前田殿、お久しゅうござる……この挨拶も二度目ですな」

 

「しばらく見ないうちに随分と様変わりしたねぇ……武士は廃業かい?」

 

 長い髪を短く切ってはいるが、頭を丸めている様子はない。それでも着ているものは僧服だ。出家をした、いや、させられたのかもしれねぇが、それ以上に気になったのは武人としての覇気は綺麗に無くなっちまったような気がしたことか。燃え盛る炎みてぇな気迫が消えて、今は清流のような穏やかさしか感じない。真田幸村を知っている人間ならば、これはもう幸村じゃないとそう思っちまうほどの変わり様だ。

 

「さて、どうでしょうな。まだ左腕が残っておりますゆえ、こうして左でも自力で成せるようにと訓練をしておるのですが些か時間はかかるかと……しかし、槍を振るう分には問題ありませぬぞ。流石に二槍とは参りませぬが」

 

 にやりと笑う幸村に、俺もまたにやりと笑う。発する気は穏やかだけど考え方は変わらねぇみてぇだな。しかし、これほどまでに穏やかな気を放てるようになったのは何故かくらいは聞いてみたい。考えを変えていないのならば尚更。

 

「そんな穏やかな気を発して言われても説得力がないよ。綺麗に憑き物が落とされちまったみたいだ。絶頂を迎えちまったのかい?」

 

「なっ……は、破廉恥でござるぞ!! そ、そのようなもの、某には関係ござらぬ!!」

 

 途端に真っ赤になって動揺する幸村には悪いと思いながらも腹を抱えて笑い転げちまった。だって、雰囲気変わったと思ったら途端にこれだもの、俺も笑うしかねぇよ。子供もゴロゴロいるのにこういう話を出した途端慌てるんだからさ……天下の大罪人が初心なんて洒落でしかねぇ。

 

「じゃあ、言い方を変えるよ。満足しちまったんだろ、独眼竜とも雌雄を決して。首を獲らなかったのは生死はどうでも良くなっちまったのかい?」

 

 命を獲らなかっただけで勝敗は決していた。そこで満足しちまったんだと俺は思う。二人のわだかまりは結局そこなんだから、勝敗が付けばそれでもう終わり……未練になるようなものはないんだろう。そう俺は考えたけれど、苦笑する幸村の様子を見ているとどうも違うらしい。

 

「満足、と言うと少々違うやもしれませぬな。政宗殿と雌雄を決した後、某に残された力は僅かなものでござった。とてもではないが政宗殿の首を獲るほどの余力など残されては……ならばせめてこの戦の目的を遂げねばと某は最後の力を振り絞り徳川殿を討たんと本陣へ向かい申した。その最中、重綱殿と相対し死闘を繰り広げたのです。しかし、某は満身創痍……戦いは長くは続かず重綱殿に敗れました。首を獲られることも覚悟をしておりましたが、重綱殿は某の首を獲らずに代わりにこのようなことを口になされた。何のために無関係な者を巻き込んでこの泰平の世に戦を起こしたのか、と」

 

「無関係?」

 

「豊臣や徳川、いずれの軍においても全ての者が互いの主張に賛同して戦に望むわけではない。我ら将は皆志は同じ、なれど近隣の村より半ば強要され戦に赴く者らは同じではござらぬ。それに何より、戦が起これば田畑が焼かれ、乱取りというような民を犠牲にする行いも増える。……此度の戦、双方に多大なる被害を出しておりまするが、その被害の大半は戦など知らずとも良い民にござった。望まずに死した者は我らが戦など起こさねば当たり前のようにこの泰平を享受し、生きることに希望を持っていた者達……我らが望みのために無関係な者を巻き込み幸せを奪った。重綱殿はそれが許せなかったのでありましょう」

 

 つくづく甘いことを、と言いたいところだけど……俺もそこに憤るのは賛成だ。俺は風来坊だけど過去に武士をやっていたから考え方はわりと武士に近いところにあるのだと思う。だけど、完全な武士じゃないから個人の幸せって奴を踏みにじってまで戦をしてもいいとは思わない。あの戦、豊臣側にも大義名分があったんだと思う。けれどその下で動く連中は武士としての死に場所を求めただけに過ぎない。重綱もそいつが分かったからこそ口にしたんじゃねぇのかな。

 

「重綱殿は、関が原の戦いで徳川の敵となった我らのことを政宗殿より同じ日ノ本の安寧を目指しながら志の違いでぶつからざるを得なかった者と聞かされてきたと話しておりました。巷で言われるような大罪人ではなく、我らもまた今の泰平を築いた礎であるのだと。……詭弁、とあの時代を生きた者が口にすればそうも思ったことでしょう。しかし、口にしたのは重綱殿……新たな時代を築く者にそのように責められては戦を続けることなど出来ませぬ。……某は一体ここで何をしているのだろうかと己を深く恥じました」

 

 我に返っちまった、ってのかい。そうだろうな……武士としての矜持だ何だと言いながら、泰平の世を維持させようとか新たに時代を切り開こうとか、そんな意思は見えなかった。家康が天下人になる前ならみんながみんなじゃないけど、多くの人間はそう考えて動いていた節はある。幸村も御館様を天下人にして泰平の世を作る礎となるつもりだった。少なくとも、死に場所を探すために戦なんかするような奴じゃなかった。

 

「かつては日ノ本の安寧のため、御館様を天下人にするためにと槍を振るって参りました。しかし、御館様が病に没し、某の手に武田が委ねられてから己の中で何かが変わってしまったのやもしれませぬ。このような戦になっても尚、御館様の意思を継いで某が天下人に、と思い至れなかったのは……御館様の志も何もかも、真に受け継いだものは何も無かったからなのでしょうな」

 

 自嘲気味に笑った幸村に俺は掛ける言葉を持たなかった。燃え盛るような炎が凪いだのは絶頂を迎えたからじゃない、時代の変化をはっきりと感じちまったせいか。重綱が言うこと、そいつは全部甘ったれた戯言だと思う。どうせ上手くいきやしない、何処かでそう思っている自分もいる。あの時代、それを唱えて戦を捨てた連中はみんな殺された。俺は武士であることを辞めちまったからこうして生きているけど、そうでなかったら今頃この場にはいない。でも、重綱は本当に出来ると考えて動いている。そしてそれが次の世代の考え方なのだとしたたかに示してくれた。そうだよな、あの頃は戦があったからこそ上手くいかなかったけど、今はもう戦が無いんだ。考えなけりゃならねぇのは生き残ることじゃなくて、どう泰平を維持していくのか、だ。だったらその甘いと思うそれを現実のものにするにはどうするのかを考えなけりゃならない。

 

「俺らはもう、過去の遺物として大人しくしているべきなのかな。出番はおしまい、後は若い連中に任せて行く末を見守ることくらいしか出来なさそうだ。あんたはこれからどうするんだい、重綱に付いて来たってことはもう自害する気も傍迷惑な心中もするつもりはないんだろうけど」

 

「某もまた、この城より日ノ本の行く末を見守りまする。かつては許された武士の有り方も、十五年の間にすっかり変わってしまった……もう一度どうあるべきかと見つめ直し某が出来ることを見定めたいと思います。重綱殿も生きて日ノ本の安寧のために尽くし、償いをせよと……あの者の望む真の泰平を、某もまた見届けたいと願っておりますゆえ」

 

 なるほどね、そいつが幸村に科した罰ってわけかい。一番平和的に見えてきつい罰だね、死んで逃げることだって出来ないってことだろ? 流石は右目の息子だよ、穏やかに見えて厳しい罰を与えるんだもん。でも、これで幸村も少しは救われることになるのかね。重綱はどうあれ幸村に武士としての生き方を与えるつもりでいるみたいだから。それが幸村が望むものかどうかは別としても。

 

 幸村と別れて今度は竜の右目を見舞う。賑やかな庭を部屋の戸を開けて見ていた右目の看病を忍がしているという奇妙な図には正直笑いそうになっちまったけど、主が片倉の家臣になったんだからこれくらい当然だろと言わんばかりの顔をする忍の図太さは潔いと思った。

 

「似てるのは顔だけで性格は全然だと思ったけど、意志の強さは父親譲りだねぇ」

 

 先程の重綱や幸村の話を思い出してこんなことを言ってみたら、忍の方が俺に同意してくれる。右目は渋い顔をして黙ってるけど。

 

「頑固なところなんかそっくりだよ。自分が正しいと思ったことは刀向けられたって意見譲らないもんね。なんたって堂々と“上様”相手に交渉してんだもん、俺達だけでなく敵対した連中全員の命を救えってさ」

 

 苦笑しながら話されて、流石にこれには俺も驚いた。竜の右目も知らなかったのか同じように驚いた顔をする。ってことは何? 幸村達が今ここにいるのは秘密裏に連れて来たわけでなくて、公認なわけかい? いくら何でも家康がそれを許すとは思えねぇんだけどな。重綱も徳川の人間が来るんじゃねぇのかと気を揉んでいるようだし、どうにも辻褄が合わない。

 

「おい……徳川がそれを許したのか?」

 

 こいつを聞いちまったら聞かないわけにはいかなかったんだろう、竜の右目の問いに忍が笑って首を横に振る。

 

「許されたわけじゃねぇさ、あの戦場から江戸城に戻るまでにあったことはどんなことであっても見なかったことにするってことで話がまとまっただけ。真田の旦那については独眼竜に……いや、“政宗様”に任せるってことで話が付いてる。とはいっても当たり前のように家臣には出来ねぇからって政宗様は真田の旦那は死んだと徳川に報告してるし、家族についても与り知らぬで通すつもりみてぇだ。あちらもそれ以上踏み込むつもりは今のところなさそうだけど、何処までそのお義理が続くかね」

 

「一体どうして……家康が許すとは思えねぇんだけど。どういうからくりなんだい」

 

「からくりも何も……重綱の真っ直ぐ過ぎる物言いに徳川の心が動いちまっただけさ。あの子、真田の旦那に向かって、『これが日本一の兵が望んだ未来なのか』って堂々と言いやがったんだよ。そして、こんなくだらない戦のために泰平を壊し、それを待ち望んでいた人達を巻き込んだのか、って。真田の旦那にとってこの戦は武士の矜持を守るためのもの、俺にとっても他の連中にも同じような意味があった。徳川もそれが分かっていたからこそ余計に戦に乗ってくれたんだろうよ。あちらさんもいずれこんなことが起きるのは分かっていた、というより、案外こうなることを望んでいたのかもしれねぇな。絆だ何だと言っても所詮はあの時代を生きた武士の成れの果て、現状維持を保つことしか出来ず死んだように生かすしか無かった。だからこそ時代の波に乗れなかった俺達のような奴らを望む形で最期を迎えられる場所を用意してくれたんだと今は思う。だけど、それを次代が許さなかった」

 

 右目に飲ませる薬を用意しながら、忍もまた穏やかに笑う。この人はこんな風に笑うんだっけ、と思った。その笑い方は幸村と同じ、何もかもを受け入れて腹の底でずっとわだかまっていたものが綺麗に流れちまったんだろう。絶頂を迎えたんじゃねぇ、この人もまた我に返ったんだ。

 

「重綱は同じようなことを徳川にも言ったんだよ、『これが絆を説く統治者のすることか』ってね。今じゃ誰もが上様と言って頭を垂れる存在なのに、そんな相手に向かって説教をかますんだもん。流石は右目の息子だと思ったよ。徳川の掲げる絆とはこういうことを言うのかって、戦を望む一部の愚か者のために多くの人間を死なせ不幸に陥れるのが徳川の望む世だったのか、なんて恐れずに言うんだ。そう思っていても誰も言えなかったことを口にした……徳川に冷水をぶっ掛けるには十分だったのかもね」

 

「……やはり聞いても分からねぇな、何故それで正気に戻れる。俺ならきっと、甘えたことを抜かすなと殴り飛ばすと思うが」

 

 右目はそう言うが、俺には分かるような気がする。いや、やっと腹の底から分かったような気がする。あの頃誰もが戦をしていたのは殺し合いの末に平和が待っていると信じていたからだ。そうでない奴もいたけど、大抵はそいつを望んでいたんだ。今は誰もが望んだ泰平の世、戦なんてものはお伽話でなけりゃならなかった。なのに武士の矜持やら利益やらを考えて互いに叩き潰すことを選んで、また力による排除をしようとした……そいつをこれからの世を背負って生きていく奴に突き付けられちゃあ正気に戻らねぇ方がおかしい。それこそ、そいつこそがこれから先の世にあってはならねぇものだ。本当、俺達の考えは過去の遺物……改めてそいつに気付かされたような気がするよ。

 

「勿論それだけじゃない、あの子が目指したいのは誰もが笑って生きられる世の中だからね。それも、誰かの犠牲の上に立つ泰平じゃなくて、全ての人間に泰平を享受出来る世の中に変えたいと考えてた。しかもその犠牲ってのが俺達だけでなく上様も含めてだもんね。それを馬鹿真面目に語って……こいつは大物だって流石の俺様も思っちまったよ」

 

 そりゃあ、俺もその場に居合わせたら同じことを思っちまうような気がする。勿論それは腹の底から感心して、でなくて呆れの意味を大きく含んでる。でも、今ここで聞くのとその場で聞くのとでは違ったんだろう。心を動かされたからこそ、幸村もこの忍もここにいる。家康も、家康が作った泰平の更に先を目指していることを聞いて思うところはあったはずだ。

 

「だけどさ、少なくともそれを甘っちょろい理想論だと思わなかったからこそ、徳川も生き残った連中については処罰をせず、豊臣に付いた連中の先について見て見ぬふりをすることに決めたんだし、政宗様も俺達を受け入れることを決めた。あの場にいてあの子の言葉を聞いた連中は皆正気に戻っちまったんだ。片倉の旦那はそれがいつ腹の底から分かるかな……あんたの場合はもうちっと時間がかかるのかも」

 

 眉間に皺を寄せる右目はやはりよく分かっていないように見えた。多分、この人も頭では理解してんだろう。だけど、腹の底から納得したというわけではないんだと思う。戦で得られる快楽をまだ右目は欲している……そう見えちまうから。

 

「あんたはさっさと病を治して仕事に戻らないと。あんたの主はこれから先、どうやって生きるのかを決めちまった。俺も真田の旦那もあの頃に置いた心はもう捨てて、今の世の中を生きると決めちまってる。あんただけがあの頃に残されてるんだよ。俺達の時代は終わっちまったけど、だからと言ってさっさと死んじまうには早過ぎる。……あの時代にやった責任は、俺達が果たさなけりゃならねぇんだ。この世を作っていく若い連中に押し付けて勝手に死ぬことなんか許されないんだよ、旦那」

 

「……分からねぇ、俺にはそいつが」

 

 言葉少なに口にし、目を伏せた竜の右目は弱々しく見えた。この人が真剣勝負を望んで戦場を走り回っていたって話は独眼竜から聞いたことがある。独眼竜もそれを由として好きにさせていたって言うし、そいつを望んでいたのは何も竜の右目だけじゃなかった。右目よりもっと狂っていた奴はいくらでもいたし、それに上に立つ連中は大抵それを望んでいて、戦をしてどうなるのかよりもまずてめぇが勝つことしか考えない。殺した先に何があるのかなんて考えず、刹那の快楽を求めて突っ走る、それが武士の正しい在り方だった。現実を見ずに夢を追うことを許された時代だったからこそ、人と人とが殺しあってその末に平和がある、なんて本気で信じたのかもしれねぇ。いや、この快楽をずっと味わっていたいからこそこの選択しか出来なかったのかもな。もう十五年、囚われ続けるには長すぎる。いい加減解放されても良いんじゃねぇのかい、そう言っても無意味なのは俺も分かっているから言わないだけだ。あの時代の名残に囚われて戦を起こした馬鹿な奴らを少し前に見たばかりなんだから。

 

「重綱を見てりゃ気付くんじゃないかね。あの子の目に何が映っているのか、そいつを怒りでなく竜の右目の鋭い目で見てみなよ。それとも、目を見ることも怖いかい?」

 

 にやりと笑ってやったら右目にはおっかねぇ目で睨まれちまった。ま、この人もどうなるか分からないけど、病に負けて死ぬこともないだろう。おそらくそれは右目の周囲が許さねぇ、たった一人快楽に酔ったまま死んでいく我儘を独眼竜だって許しゃしない。でも、それって逆に幸せなことなんだと右目は何処で気付けるかねぇ。多分、分からないんじゃなくて分かりたくないだけなんだと思うからさ。

 

 これ以上話をしていると身体に障ると、俺はそのまま城を離れることにした。独眼竜に挨拶をして行こうかとも思ったけど、何となくあの時の話をするのは野暮のような気がして会わずに行くことにする。家康にも会って話をしてみるのもいいかもしれない、けれどもそいつは今は止しておこう。きっと家康もあの二人のようにいろいろと考えることが多いんだろうからね。今の家康には俺よりも本多さんの方が良いんだろう。家康を真に支えられる人はやっぱりあの人しかいねぇから。

 

 関ヶ原の戦いで幕を引けなかった禍根にようやく決着が付いた。誰も彼もが我に返れたのならこれから先きっと戦は起こらない。小競り合いはこれからも続くのかもしれないけれど、もう誰もが戦に怯えて生きる世の中はしっかりと幕を引いた。あの頃秀吉が作りたかった未来の形とは違うかもしれない、でも今のこの在り方を見てあいつはどう言うんだろう。惰弱、の一言で切り捨てるんだろうか。誰の顔にも笑顔が浮かぶ今の世の中を。

 

 奥州を出て、次は何処へ行こう。もう争いのない世の中なら大刀を背負って歩くのも時代遅れかもしれねぇ。京に戻ってこいつそっくりの竹光でも拵えて歩いてみるとするかね。俺は傾奇者だ、飾りの大刀を担いで歩くのも面白い。そうだ、そいつを片手に酒でも持って元親んとこにでも行ってみるかね。久しぶりにゆっくりと話したいし、たまには美味い魚も御馳走してもらいたいし。

 

 次、ここに足を運んだ時にはどうなっているんだろう。出来ることなら重綱が望むような平和であってくれれば良いけど。一度だけ振り向いて独眼竜の住まいである青葉城を守るためにある堅牢な城を眺める。この方角は青葉城にとっては守りが最も薄くなる場所、だからこそ竜の右目の居城としては最も相応しいと独眼竜が酔った勢いで話していたことを思い出す。その役目を果たす日が来ることがないよう、そしてどうかこのまま幸せが続くように、そう願いながら俺は再び振り向くことなく京を目指して歩き始めた。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。