壁一面に張られた大型の鏡に向かって立ち、
ここは、四木女子高校のグラウンドの一角にある、ボクシング部の練習場。広さ約30坪。中央には、試合にも使えそうな立派なリングがあり、そのそばには、天井から吊るされた大小のサンドバッグ、ウエイト・トレーニングを行うバーベルやダンベル、そして、あらかじめ設定された時間に合わせて鳴るタイマー・ゴングと大型の鏡。ちょっとしたボクシングジムにも匹敵する設備である。決してメジャーとは言えない高校の女子ボクシング部に、これだけの設備投資をしている所は、全国的にもあまりないだろう。
再びゴングが鳴り、茉優はシャドー・ボクシングを再開する。世界にゾンビが溢れるアウトブレイクが発生してから2ヶ月。春に予定されていた高校選抜大会は中止(と言うよりは、自然消滅と言った方が正しいが)となり、2ヶ月後の7月下旬に開催予定のインターハイも、開催の見込みは無い。それでも茉優は、トレーニングを欠かしたことはなかった。ゾンビ相手の護身術として十分役立つ、というのはもちろんだが、ボクシング部の顧問でありコーチでもある教師への恩返しの意味もあった。
ゴングが鳴り、再び1分のインターバルの後、もう1ラウンドシャドー・ボクシングで汗を流す。合せて3ラウンドのシャドーを終えた茉優はリング側のイスに座り、スポーツドリンクを飲んだ。失われた水分が補充され、身体中が潤って行く。茉優は大きく息を吐き出し、天井を見上げた。
ゴトリ……何かが崩れたような低い音が聞こえた。
練習場内には茉優1人しかいない。グラウンドの一角にあるこの練習場を訪れる生徒は、今はもう、ほとんどいなかった。
茉優は、物音を気にした風もなく、ただ、天井を見つめ続ける。
――と。
「――おはようございまーす!」
入口のドアが開き、室内に可愛らしい声が響く。現れたのは、ツインテールの小柄な女生徒。2年の
「茉優先輩、今日も朝練、お疲れ様です」美青は茉優に向かってにっこりと微笑んだ。
「美青、ここには来るなって、いつも言ってるだろ?」茉優は呆れ口調で言う。四木高のグラウンドの一角にあるこの練習場に来るには、多数のゾンビがうろついているグラウンドを通らなければならず、危険な行為なのである。
「先輩だって、1人で来てるじゃないですか」美青は悪びれる様子も無い。「それに、あたしが来なかったら、先輩、校則違反になる所だったんですよ? 『校舎の外に出るには担任教師の許可を取り、必ず2人以上で』。大野先生には、先輩とあたしの2人で練習場に行く、と言って来たんで、安心してください」
「そりゃ、わざわざどうも」
「まあ、朝練の様子を見るのも、マネージャーの務めですからね」
「マネージャーなんか、今さら必要ないっての」茉優は小さく笑いながら言った。美青がボクシング部のマネージャーになると言い出したのは、アウトブレイク後のことなのだ。
「まあ、そう言わないでください。はい、コレどうぞ」美青は笑顔のままタオルを差し出す。茉優は苦笑しながら受け取り、汗をぬぐった。
2年前、茉優と顧問の教師のたった2人だけで始まったボクシング部。その頃はまだこの練習場はなく、体育館やグラウンドの隅で、ひっそりと練習するだけだった。それが、今では小さなボクシングジムにも匹敵する豪華な設備を与えられている。アウトブレイクさえなければ、春には大勢の部員が入部するはずだった。それが今は、茉優と、自称マネージャーの美青の2人だけになってしまった。
しかし。
――先生。ボクシング部は、まだ続いてるよ。
茉優は、再び天井を見上げた。
ゾンビだらけの世界になっても、部員が1人になっても、茉優は、このボクシング部を続けていくつもりだ。自分がこの四木女子高校にいる限りは、ずっと。
それが。
茉優にボクシングを教えてくれた