魔法少女リリカルなのは~優しい嘘~   作:アマネ・リィラ

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第十二章〝風は夜空に〟

 

 ――あまりにも、唐突だった。

 八神はやての足下に展開された魔法陣から、無数の触手が出現。それはファイムを貫いた後、薙ぎ払うようにその体を吹き飛ばした。

 ファイムはその一撃を耐えることができず、壁に叩きつけられる。薄れゆく視界。その先に、一筋の光を見た。

 傷ついた体で、手を伸ばす。

 届かないと、知っていて――

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

『緊急召集!! カグラ・ランバード一佐!! いますぐ第一会議室へ!! 緊急――』

「うるさい。黙ってろ」

 

 メキッ、という音が響き、がなり立てていた通信機が握り潰される。カグラは通信機の残骸を廊下に設置してあるゴミ箱に投げ捨てると、目的地へと向かう足を速めた。

 

「雁首並べた所で出てくる意見なんて知れてんだよ。どうせまた切り捨てるんだろうが」

 

 苛立たしげに吐き捨てながら、ツカツカと鋭い音を立ててカグラは足早に歩いている。今彼が歩いているのは、本局の廊下だ。

 彼は上層部からの呼び出しを無視し、とある場所を目指していた。

 状況はわかっている。ファイムが想定していた状況で、一番最悪な状況を更に上回ってきた。しかし、この場所からではどうにもできない。

 ――だから。

 

「失礼すんぜ」

 

 目的の場所に辿り着いたカグラは、そう言って扉を開けた。感じるのは、無重力独特の浮遊感。カグラの視線の先には、一人の青年がいる。

 

「ゆっくり挨拶といきてぇんだが、その余裕はねぇ。階級云々の話も抜きだ。手ぇ貸してくれ、司書長」

 

 カグラはそう言うと、一切の躊躇もなく頭を下げた。相手は――ユーノ・スクライアはそんなカグラの姿を見て真剣な表情で頷く。

 

「勿論です。彼女たちを助けるのに、協力は惜しみません。……アルフ」

「ああ。現場から退いた身でもやれることはあるさ。ねぇ?」

 

 ユーノが呼びかけると、近くにいた赤髪の少女はそう言って笑った。その手には大量の本が抱えられている。

 カグラは、ありがとう、と礼を言うと、呟くように言う。

 

「これまで苦しんできた奴らが幸せにならなくて、誰が救われるんだよ」

 

 それが、彼の理由だった。

 彼にだけ通じて、そして――大切な、理由だった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

『ヴォルフラム』は、文字通り混乱していた。闇の書の復活に加え、主戦力の負傷、もしくは消耗。更には、指揮官の不在。

 ファイムだけは意識を失ったリィンフォースを連れて戻ってきたが、彼自身も重体で、とても前線に出られるような状態ではない。

 

「負傷者の応急処置急いで!! シグナム!! そっちはどうなってるの!?」

『避難勧告は出した!! これより我々は『奴』の掃討に出る!!』

 

 医務室で聞いたシグナムのその言葉に、シャマルは目を見開いた。そのまま、焦りと共にダメよ、と言葉を返す。

 

「いくらなんでも無茶だわ!! 何の準備もなしに!!」

『我々がやらずして、誰がやるというのだ!! それにもし『あれ』が『そう』なのだとしたら……それこそ、我々がやらねばならん!!』

「シグナム!!」

 

 通信が切れる。相変わらず、人の話を聞いてくれない。

 どうすれば――シャマルがそう考えた時。

 

「シャマル先生!!」

 

 医務員の一人が、シャマルを呼んだ。シャマルは振り返り、そして、目を見開く。

 

「ララウェイ執務官が……!」

 

 そこには、血で汚れ、しかし、誰もいなくなったベッドが一つ。

 ファイムの姿は、なくなっていた。

 

「そんな……!」

 

 シャマルは弾かれたように、モニターへと視線を向けた。

 晴天だったはずの空はいつしか曇天に覆われ、雷音が轟き始めていた――

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 闇の書と思われるロストロギアが復活した『ソルトルージュ』から離れた次元世界。

 その世界で、ホムラはぼんやりと空を見ていた。

 

「主。結果を見届けられなくてもよろしいのですか?」

「エリアか……興味あらへんな。見ても胸糞悪くなるだけや」

 

 ふん、とホムラは鼻を鳴らす。エリアは、隣、失礼しますとホムラの隣に座った。

 ――沈黙が流れる。

 優しい……静けさだ。風の音だけが、二人の耳に響き渡る。

 しばらく二人は沈黙。そして不意にその優しい静けさを打ち破るようにホムラが口を開いた。

 

「なあ、エリア。わし、間違っとったか?」

「……私はあなたの刃です。その判断は、身に余ります」

「さよか」

「それに」

 

 エリアは、微笑を浮かべる。

 

「既に答えが出ていることを他者に問うのはあなたらしくありませんよ、我が主」

「…………適わへんなぁ」

 

 ホムラは苦笑。空を見上げる。

 思わず眉をひそめてしまうくらいに、晴れ渡った空だった。

 

「……組織としては、作戦成功や。おそらく管理局は八神はやてを切り捨てる。それに逆らえば特務部隊は立場が悪くなって、動きがとりづらくなる。最悪解散や。八神はやても助かったところで、復帰までは時間がかかる。なんせ、14年かけてやってきたことが一瞬で無駄になるんやからな」

「残酷ですね」

「……まあ、わしにはあのガキのがキツい運命背負いそうに見えるけどな」

 

 ホムラは欠伸をしつつ、ふん、とつまらなさそうに言った。

 

「管理局に従えば、大切な人間を殺さなアカン。裏切れば、大切な人を守れても今までの自分を全て否定することになる。難儀なもんや。運命に磔にされるっちゅーんは、こういうことをいうんやろね」

 

 敢えて言わなかったが、もう一つ、彼には咎がある。

 ロストロギアの使用。

 どんな理由があろうと、状況であろうと、使えば管理局を敵に回すことになる。

 残酷過ぎる運命は、どれを選んでも滅びの道。

 

「ま、選べるだけマシっちゃマシやさかい、後悔せん道を選んで欲しいもんやねぇ」

 

 その言葉に、感情は込められていなかった。

 込めるつもりも、なかった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 戦闘が始まってから、約三時間。事態はいよいよ深刻になってきた。

 ただでさえ、各々が互角かそれ以上の敵と相対した直後なのだ。闇の書などという、文字通りの規格外を相手取るのはかなり厳しいのが現実だった。

 まず、最初からティアナ、スバルの二人は戦闘不能の状態だった。命に別状はないとはいえ、戦えるようになるまではまだ時間がかかる。

 また、ファイムとはやて、リィンフォースも戦える状態ではない。特にはやては、おそらくはあの紛い物の『闇の書』の中にいる。戦力どころか、現状において彼女は敵だ。

 

「その姿で……これ以上、好き勝手はさせん!!」

 

 シグナムが吠え、こちらに向かってくる触手を打ち払う。

 炎を纏う騎士、シグナムの視線の先にいるのは――はやて。

 主、はやての姿を象る、憎き敵。

 

「その御姿を、これ以上汚すな!!」

 

 数百という触手の嵐を突破し、シグナムははやてに――否、闇の書に迫る。

 しかし、生気を失ったその顔を見た瞬間、その手が止まる。

 

「――――ッ!!」

 

 声にならない声が、大気を震わせ。

 その体を、触手が深々と貫いた。

 

「……かはっ……!?」

「シグナム!?」

 

 ヴィータが叫ぶが、時すでに遅し。シグナムは、空より落ちる。

 

「シグナム!!」

《sonic move》

 

 そのシグナムを、フェイトが助け出す。そして注意を逸らすため、なのはが砲撃魔法を展開した。

 

「ブラスター2!! リミットリリース!!」

《Divine Buster》

「ディバイン……バスターッ!!」

 

 桜色の砲撃が空を駆ける。しかし、闇の書が何重にも展開する障壁の前では、たった一発では届かない。

 

 ……かつて、エースたちが闇の書の完全破壊という偉業を成し遂げた。しかしそれは、様々な要因が重なったからこそである。

『闇の書の闇』を夜天の書から切り離した、八神はやての意志。

 高町なのは、フェイト・T・ハラオウンという二人のエース。

 ヴォルケンリッターという、四人の規格外の騎士たち。アルフという優秀な使い魔と、闇の書の情報を全て揃えてきたユーノ・スクライアという少年。

 当時最高峰の技術を投じて造られた艦船『アースラ』と、それを指揮する『奇跡の女神』リンディ・ハラオウン。

 そして、かのギル・グレアム提督より直々の師事を受け、対闇の書用のデバイスを携えた、史上最年少執務官試験突破の記録保持者、クロノ・ハラオウン。

 何の奇跡か、今日の管理局を支える英雄たちがその場に集ったからこそ、闇の書の破壊という偉業を成し遂げることができた。

 

 ――しかし、今は。

 突然の降臨と、成長したとはいえ、消耗した状態のエースたち。

 結果は――見えていた。

 

「はやてちゃん!! 目を覚まして!!」

「はやてぇ!!」

 

 なのはとヴィータが叫ぶが、その言葉は届かない。

 

「……世界の破滅を。終焉を」

 

 ――はやての声で。

 はやてではない、何者かが。

 言葉を、紡ぐ。

 

「ブラッディダガー」

 

 召喚されるは、千を超える刃の葬列。

 血塗られた刃が、展開される。

 

「射出」

 

 そして、なのはたちが身構える暇もなく、それは放たれる。

 

「「「つうっ!?」」」

 

 全員がそれぞれ障壁を展開し、それを防ぐ。一発一発の威力は弱くとも、絶対的な数が多すぎる。徐々に削り取られていってしまう。

 

「キャロ!?」

「…………ッ!?」

 

 最初に限界を迎えたのはキャロだった。フリードを包むように障壁を張った結果、他のメンバーよりも被弾数が多くなり、障壁にダメージが蓄積していったのだ。

 

 ――ピシッ。

 

 障壁に皹が入り、砕けていく。エリオが前に出、キャロを庇おうとした瞬間。

 

 

「リンネ」

《Yes,AMF StandーBy》

 

 

 刃が――消えた。

 

 本来ならば、輝く程に美しいはずの白を宿すバリアジャケットを血で紅く染め上げ、合間から見える包帯には血が滲んだその姿で。

 その青年は、微笑んでいた。

 

「二人とも、大丈夫?」

「ファイム、さん?」

「そんな、医務室にいたはずじゃ……」

 

 キャロとエリオが呆然と口にする。ファイムは、うん、と頷いた。

 

「少しだけ休んだから、もう大丈夫。休んでられないよ」

 

 ガチャン、という音と共に、ファイムはカートリッジをロード。右腕のバリアジャケットが弾け飛び、そこからワイヤーが飛び出す。

 

「ファイムくん!?」

「ファイム!?」

 

 なのはとヴィータが叫ぶ。ファイムは、大丈夫ですよ、と呟いた。

 

「あれは『闇の書』ではなく、『闇の書という現象』です。その原因を撃ち抜けば、止めることは不可能ではありません」

 

 ファイムは、闇の書を見据える。

 そして、はやての姿をしたそれに、拳を向けた。

 

「僕はあなたに救われた。今度は、僕が救う番です」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 ロストロギア『リバースエンド』。それに対する知識を、ファイムはある程度であるが蓄えていた。

 奪われたとされるロストロギアのうち、名称、特徴がわかるものはわかるだけ資料を集め、揃えておいたのだ。『リバースエンド』は、その資料の一つに記載されていた。その能力についても把握している。

 

『ララウェイ。いけるのか?』

 

 ザフィーラがこちらへ念話で問いかけてくる。ファイムは、はい、と頷くと、この場にいる全員に念話を繋げた。

 

「あれは闇の書ではありません。過去の『闇の書の暴走』を再生しているだけです」

『どういうこと?』

 

 フェイトの問いかけ。ファイムは頷くと、簡潔に答えた。

 

「おそらく、使用されたのは危険度AA級封印指定ロストロギア『リバースエンド』です。それ自身が意志を持つ寄生型ロストロギアで、その能力は『対象の過去の現象を再生すること』。おそらくはやてさんは、そのロストロギアに囚われている」

 

 だから、とファイムは言った。

 助ける方法は、一つと。

 

「はやてさんの精神に干渉し、『リバースエンド』を引き剥がします。そうすれば、闇の書も消える」

 

 ファイムが言うと同時、闇の書が動き出す。ファイムは短く息を吐くと、こちらへ迫ってきた触手を拳で打ち払った。

 

「なめるなよロストロギア。人を、馬鹿にするな!!」

 

 ファイムが吠え、その背に白き翼が宿る。ファイムのフルドライブだ。

 

「闇へと沈め。……スターライト」

 

 闇の書が、収束砲を放とうとする。しかし、その過程でその表情が固まった。

 

 ――ボウッ。

 

 夜の帳が落ち始めた世界に、翡翠色の無数の線が浮かび上がる。ファイムが放ったワイヤーであるそれらは、夜空に無数に張り巡らされていた。

 

「三次元型古代魔法陣だ。緑風さえも封じ込めた力、侮るな」

 

 魔法とは古来、今とは違い、その発動に莫大な労力が必要とされた。

 それこそ発動の度に複雑怪奇な魔法陣を描き、長々と詠唱を行わなければならなかった。

 しかし、魔法が普及するにつれ――特に戦争で魔法が必要とされていくにつれ、魔法は簡略化を目指していくこととなる。

 魔法陣をより簡単にし。

 詠唱を短くし。

 時には、その威力を削ってでも利便性が求められた。

 その過程でデバイスが生み出され、魔法陣は記録式になり、魔力収束さえもデバイスが補助するようになり、今の魔法が出来上がる。

 しかし、ファイムが用いたのはそんな現代の魔法ではなく古代の魔法。

『威力を犠牲にする』という過程を通っていない、純然たる魔法。

 ――その力は、例え相手が闇の書であろうと十二分に通用する。

 

「教えてください!! 闇の書事件では、はやてさんの姿で闇の書は暴走したんですか!?」

 

 ギリギリと、無理矢理強引に魔法陣を維持しながらファイムは叫ぶ。その問いには、なのはが答えた。

 

『ううん!! 夜天の書の管制人格のリィンフォースさんが出てきてたよ!! それがどうしたの!?』

「それなら……まだ間に合う!!」

 

 ファイムは叫んだ。凄まじい魔力でファイムの結界を打ち破ろうとしている闇の書を見据える。圧倒的な力に体が震える。だけど――退けない。

 退くわけには――いかないのだ!!

 

「僕が調べた情報が正しければ!! 『リバースエンド』は寄生者の闇に取り付く!! そうして過去を再生するんです!! まだ再生されきっていないなら、それははやてさんが抗っている証拠だ!!」

 

 

 ――パァァァアン……!!

 

 

 ファイムの結界が、吹き飛ぶ。それを理解すると同時に、ファイムは懐から蒼い宝石を取り出した。

 

「今なら届く。届けてみせる!!」

 

 そして、ファイムが魔力を込めようとした瞬間。

 

 ――ツゥ。

 

 ファイムの口から、血が滴った。次いで、腹から何かがせり上がってくる。

 

「げほっ、えほっ!!」

 

 ファイムは大量の血を吐き出す。無理を重ね過ぎた。正真正銘の限界を、体が告げている。

 だが、ファイムは決して膝をつくことはない。

 ――屈することは、できない。できるはずがない。

 悲鳴のような、自らを呼ぶ声を聞きながら……ファイムは再び『ネームレス』を手にし――

 

 

『聞こえるか特務部隊機動六課!! こちらは管理局本局理事会だ!!』

 

 

 その声が。

 ファイムには、悪魔の声に聞こえた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「ふざけんなッ!!」

 

 拳から血が滴り落ちるほどに強く叩きつけられた拳が、室内に音を響かせた。音の主は、ふざけんなよ、と言葉を紡ぐ。

 

「ホントにどうしようもねぇ奴らだなテメェらは!!」

 

 叫んだのは、カグラ。怒鳴られたのは、理事会。

 だが、理事会の長でもあるミゼットは動じない。

 

「坊やが何を言ったところで、決定は覆らないよ。理事会は、八神はやてを闇の書共々『抹殺』することを決定した」

「ババァ……!!」

 

 カグラはミゼットを睨む。そのカグラの肩を、クロノが掴んだ。

 

「やめろ、カグラ」

「ッ、テメェ!!」

 

 カグラは、クロノの胸倉を掴み上げる。

 

「テメェは納得できんのかよ!? こんな時まで仏頂面しやがって!!」

「納得の話じゃない。理事会の決定だ」

「この……ッ!! テメェそれでもあいつらの兄貴分かよ!!」

 

 カグラは拳を振るう。それをクロノは掌で受け止め、二人は睨み合う。ミゼットは、やれやれと嘆息した。

 

「政治を覚えなさい坊や。クロ坊はそこのところ、賢明だよ?」

「願い下げだよ……!! んなもん覚えてテメェらみてぇになるくらいなら、死んだ方がマシだ!!」

 

 理事会が相手であっても、カグラの罵倒は留まりを見せない。ミゼットは、残念だねぇ、と呟いた。

 

「その言葉遣いは少しばかり目に余るけど、それ以外は酷く優秀で期待してたんだけどねぇ」

「……はっ、願い下げだ」

「まあ、今回は特務部隊の監督官であるあなたは呼ぶべきだと感じたがら呼んだだけ。あなたの言葉では、何も変わりやしないのよ、坊や」

 

 ミゼットは言う。それとほぼ同時に、一本の通信が入った。

 

『報告します!! 『ノア』が『ソルトルージュ』に到着しました!!』

 

 そして映った画像に、カグラは眉をひそめた。

 

「なんだ? 小型艦か?」

「…………」

 

 言いながらクロノに視線を送るが、彼も知らないと首を横に振った。使えない男である。

 そんな二人の様子を見たミゼットが、これは新兵器よ、と説明した。

 

「無人型次元航行艦『ノア』。武装は主砲の『アルカンシェル』のみの、管理局の新兵器よ」

「なん、だと……!?」

 

 わなわなと、カグラの体が震え、遂に、怒りの限界を迎える。

 

「ふざけんな!! んなもんただの質量兵器じゃねぇか!! レジアスのおっさんをあんだけ否定しておいて!! いい加減にしろよテメェら!! 管理局法はどうした!? 憲章はどうした!? テメェらの誇りはどこへ消えたんだ!?」

 

 質量兵器を用いないからこその、管理局であったはずなのに。

『アルカンシェル』を積んだ無人航行艦――いや、最早移動砲台となった『アルカンシェル』は、十二分に質量兵器のそれだった。

 ミゼットはそれには応じず、『SOUND ONLY』となっている通信画面を見た。

 

「聞こえているんだろう、坊や? 特務部隊は早急に撤退を――」

 

 ミゼットが、早急の撤退を促そうとした瞬間。

 

 

『拒否します』

 

 

 明確な拒絶の言葉が、響き渡った。

 それは、カグラにとっては二度目の体験。

 あの青年が、『緑風事件』の時のように再び上に逆らってでも『管理局の正義』を貫くのだと、すぐに考えた。

 ――だが。

 次の瞬間、それが過ちと知る。

 

『はやてさんを見捨てる選択肢は、ありえません』

 

 それは、彼がようやく、彼だけの理由を管理局に対して口にした瞬間。

 そして。

 彼は、世界を敵に回す。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 ――驚いていた。

 管理局に従い、管理局が正義であり続けるために戦い、償っていく。

 そう誓い、12年もの間、命を削って戦ってきたのに。

 今、自分は、管理局に逆らっている。

 自らの誓いよりも。

 歩んできた人生よりも。

 目の前の人が――大切だから。

 

「…………」

 

 耳に感じる音の中に、一つ、違和感が転がり込んでくる。

 振り返ると、そこには魔導砲『アルカンシェル』を積んだ無人艦船『ノア』の姿。

 ファイムは、すぅ、と息を吸い込むと、『ネームレス』を右手に持った。

 

《マスター!?》

「ごめんね、リンネ」

 

 ――セットアップ。

 紡がれたその言葉を合図に、ファイムの腕に破壊の砲身が宿る。

 右腕と一体化したそれは、ジュエルシードを内蔵している。

 かつての戦いにおいて、ガンゲイルを撃ち抜いたファイムの砲撃。それを再現するため、ジュエルシードを組み込み、演算能力特化にのみ重点を置いて六課の技師エレン・ローグが開発したデバイス『ネームレス』。

 砲門に、魔力が収束する。

 

 

「バーストストーム」

 

 

 放たれた砲撃は、『ノア』に直撃。有無を言わせず撃墜する。相手は『アルカンシェル』を積んでいるといっても、所詮は小型艦。真竜さえをも撃ち抜いた魔法で、撃ち抜けないわけがない。

 静寂が流れる。

 誰も、何も言わない。闇の書でさえも、動きを止めていた。

 そこに――

 

『貴様!! 理事会の決定を無視し、あまつさえ『ノア』を撃ち落とすとは!! なんのつもりだ!!』

「答えなら、すでに述べたはずです」

 

 理事の怒鳴り声に、ファイムは平静に応じる。

 いや……平静を装って応じた。口から、血が滴っている。

 

『黙れ!! それは闇の書なのだ!! 破壊せねばならん!! 封印せねばならんのだ!! そのための犠牲はやむを得ん!!』

「……やはりですね。昔からずっと思っていましたが、一番肝が座っているのは現場です」

 

 バシュッ、と、『ネームレス』が蒸気を吐き出す。

 

「救うだの守るだの平和だのと散々耳障りのよいことを言っておいて……誰が出てくるのかと思えば、無人艦ですか? 馬鹿にするのもいい加減にしてください」

『何だと!?』

「現場の意見は全て元より聞く気はない。安全圏から指一つ動かさず、手を汚せと命令する。あなたたちの目は、耳は飾りですか? どうして助けることを初めから放棄するのです?」

 

 ファイムの目は、最早通信機越しの理事たちなど見ていない。

 

「14年……14年間ですよ? ただ、偶然選ばれた。それだけの理由で逃れ得ぬ運命に飲み込まれ、それでも耐えて、償うと決めて働いてきた局員を切り捨てて。それが管理局の正義なのですか? 仁義一つ通せぬ正義に、何の意味があるのですか?」

『貴様……!!』

「正義のために戦ってきました。しかし、その答えがこれだというなら。管理局など、滅びてしまえばいい」

 

 静かな怒りが、言葉となって大気を震わせる。

 大切な人を殺せと言われて、黙っていられる道理はなかった。

 

「たった一人を救えぬ組織に、世界を守れるはずがありません。ただ、僕は許せない」

 

 あなたたちが、と、ファイムは言い。

 そして、彼は空を駆ける。

 

「安全圏から見ているだけなら――指をくわえて黙って見てろ!!」

《wind move》

 

 ファイムは闇の書との距離を一気に詰める。闇の書は触手で迎え撃ち、ファイムに何本もの触手が迫る。

 ファイムはそれを避けていくが、しかし、避けきれず、吹き飛ばされる。

 

「あ゛、かはっ……!?」

 

 空に放り出されるファイム。そのファイムに、更なる追撃が迫る。

 

「闇に、溺れよ」

「…………ッ!?」

 

 叩きつけるように迫ってきた触手を、ギリギリで避ける。肉体的な限界が、訪れていた。

 傷口から血が噴き出し、視界が歪む。

 

『ファイムくん!!』

 

 なのはの声が聞こえた。視界の端に、なのはが援護の砲撃を放つ瞬間が映る。ファイムは、念話でなのはたちに言葉を飛ばした。

 

「僕が、はやてさんの精神に干渉します……急がなければ、はやてさんが……ッ!!」

 

 ポタポタと滴り落ちる血を拭い。

 ファイムは、再び空を駆ける。

 

「ダークネス・エアライズ」

 

 だが、それを阻むように、なのはの援護砲撃を防ぎながら闇の書がファイムに向かって砲撃魔法を放った。ファイムは、くそっ、という言葉と共に急停止。

 空中に張り巡らされたワイヤーが再び躍動し、巨大な魔法陣を描く。今回描かれたのは、闇の書の砲撃を防ぐ防御陣。

 

「はやてさん……ッ!!」

 

 ファイムが呼びかけるが、はやてには届かない。闇の書が、言葉を紡ぐ。

 

「抗ったところで、より残酷な未来が待っている……ならば、ここで消えてしまえばいい」

「ふざ、けるなぁっ!!」

「ならば、永劫の闇に呑まれなさい……スターライト」

 

 闇の書は砲撃魔法の放出を止めると、新たな魔法を紡ぎ始めた。ファイムは腹を括る。

 

 ――ここで、やらなければ。

 優しいあの人を、取り戻すんだ!!

 

 

〝ファイムくんになら、幸せになる権利がある〟

 

 

 初めて言ってもらった。そんな言葉は。

 あなたのおかげで、僕は生きようと思った。生きられると知った。

 結局、変わることはできなかったけど。

 ファイム・ララウェイは――あなたに救われた!!

 

「バースト!!」

 

 ファイムも、砲門を闇の書へと向け。

 そして、二人の魔法がぶつかり合う。

 

「ストーム!!」

「ブレイカー」

 

 巨大な純エネルギー同士の衝突は、大気を揺さぶり、大地を震わせる。

 そして、数秒後。

 大爆発が……起こった。

 

「「「ファイム!?」」」

 

 その場の全員が叫んだ。爆煙の中から、その名を呼ばれた青年が口元を押さえながら出てくる。

 

「…………ッ、ゲホッ!!」

 

 吐血。もう、口の中は鉄の味しかしない。

 口の中のものを吐き出し、相手を見ようとするファイム。煙が晴れ、姿が現れる。

 

「…………そんな」

 

 ……そこにあったのは、絶望。

 その姿は、八神はやてから銀色の長髪を宿した赤目の女性に変わっていた。

 

「闇の書……!!」

「……お前も、私をその名で呼ぶのだな」

 

 闇の書が、悲しげに言う。ファイムは闇の書に問いかけた。

 

「はやてさんをどうした?」

「主はここにはいない。主は永遠を望まれた。夢と現実の狭間の世界……そこは、永遠だ」

「永遠がどうなんて問答をする気はない。僕の目的は一つだ。はやてさんを返せ」

 

 ガシャン、という重い音と共に、『ネームレス』がスライド。通常よりも大きな、特性のカートリッジがロードされる。

 闇の書は、首を左右に振る。

 

「主は――」

「もう一度だけ言う」

 

 闇の書の言葉を遮り、ファイムは言った。

 

「返せと言ってるんだ。彼女を、返せ!!」

 

 翡翠の閃光が、瞬いた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「テメェらは、これを見て何も思わねぇのか?」

 

 カグラは、最早怒りではなく、純粋に疑問として問いかけていた。

 

「ファイムはたかがA+ランク程度の魔導師だぞ? そんなあいつがここまでの立ち回りをしてるのは、命を使って全力疾走してるからだ。マラソンを最初から100メートル走る勢いで走ったらどうなる? そうだよ、すぐに限界迎えちまう。それをあいつはやってんだ。たった一人の女を救うために。限界なんてとっくに来てんのに、色んなもん捨ててそれでも気張ってんだよ。それを見て何も思わねぇってんなら、もういい。テメェらは人間じゃねぇ」

「……私たちは、常に合理的な判断を下さなければなりません」

 

 静かに言ったのは、リンディだ。カグラはその言葉に、わかってる、と首を振りながら返した。

 

「俺たちは結局、軍人だ。管理局はどれだけ誤魔化しても所詮は軍隊。それはわかってる。けどな、それだけじゃ誰もついてこねぇんだよ」

 

 カグラは、そんなこともわかんねぇのか、と言葉を紡いだ。

 

「結局は軍隊っていっても、管理局はそれだけじゃねぇんだ。有無を言わさず殺すなんてのは銃でも握らせりゃ、ガキでもできる。管理局は違うだろ? 救うために、守るためにあるんじゃねぇのかよ?」

 

 そうでなければ、管理局は存在意義を失ってしまう。

 その力は、守るためのものであるはずなのだ。

 

「テメェらに欠片でも、ほんの一欠片でも仁義ってもんが残ってんなら、話を聞けよ。その目で見ろよ。上から見下すんじゃなくて、同じ目線で人を救う努力をしてみろよ。それすらできねぇってんなら、テメェらは局員どころか人として失格だ。ファイムの言う通り、指でもくわえて黙って見てろ」

 

 吐き捨て、立ち去ろうとするカグラ。その背中に、ミゼットが声をかけた。

 

「待ちなさい坊や。あなたには仕事がある」

「…………」

「理事長命令よ。逆らうことは許さない。六課の監督官であるあなたには、責任があるのだから。……任務は一つ。――――…………」

 

 ミゼットの言葉を聞き、カグラの目が見開く。そして彼は、ババァ、と唸るように言った。

 

「これはケジメよ坊や。組織を成り立たせるためには、見せしめが必要なの」

 

 ミゼットの、冷たい言葉を聞いて。

 カグラは、拳を握り締めた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「リィンフォースさん……!?」

「いや、違ぇ。あいつは、はやてに名前をもらう前のリィンフォースだ」

 

 なのはの言葉に対し、ヴィータが応じる。その隣をシグナムが駆け抜け、レヴァンティンを振り抜いた。

 

「――――」

 

 闇の書は、シグナムの一撃を拳で受け止める。シグナムは、顔を伏せた状態で言葉を紡いだ。

 

「主はやてを、どうした?」

「将か。……お前たちは忘れているだけだ。闇の書は、完成と共に暴走してしまう」

 

 だから、主は、と闇の書は言葉を濁らせた。シグナムは、そうか、と頷く。

 

「貴様がリィンフォースではないというのなら。躊躇う理由はない」

『いくよシグナム!!』

「ああ。レヴァンティン!!」

《Jabowl!!》

 

 ガシャン、という音と共にカートリッジがロードされ、レヴァンティンの刀身に炎が宿る。

 

『「紫電一閃!!」』

 

 直撃。闇の書は後方へ吹き飛ばされるが、何とか持ち直す。だがその表情には、驚愕の色が張り付いていた。

 

「将……この力……!?」

「リィンフォースではないお前は知らぬ力だろうな。この十年に何があり、我らがどのように生きてきたか。すまぬが私は口下手なのでな。この剣で語るとしよう」

 

 シグナムはレヴァンティンを構え、言い切る。

 

「私には戦う理由と退けぬ理由がある。主はやてをお前に任されたこと。家族を守るためということ。そして……ララウェイに頼まれたこと」

『シグナム……』

 

 アギトが呟くようにシグナムを呼ぶ。シグナムは、鋭い眼光で闇の書を射抜いた。

 

「奴は必ず主はやてを取り戻してくると言った。それまで頼むと。あれだけのことをした奴に何が待っているかなど、私にさえ容易に想像できる。それでも奴は、主はやてを自分よりも優先した。ララウェイを、私は信じる」

 

 刃が、唸る。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 白と黒。光と闇。善と悪。

 おおよそこの世に存在する全てを混ぜ合わせたような、気持ち悪い感覚。それが、この空間に対してファイムが抱いた感想だった。

 

「…………」

 

 上も下も右も左もわからないその場所に、ファイムは佇んでいた。

 ――ここは、夢と現実の狭間。

 闇の書は、その固有技能として異空間を生み出す力がある。はやてに聞いたことだ。

 だが、ここは違う。

 ここは、『リバースエンド』が創り出した、八神はやての心の世界。

 

「見ているのでしょう? 出て来ては如何ですか?」

 

 虚空に向かい、ファイムは言った。声は反響することなく、すぐに消える。

 ――だが。

 

『ほう。まさかここに第三者が足を踏み入れることができるとは。初めて知ったぞ』

 

 応じる声があった。ファイムは視線を上に上げるが、何もいない。

 しかし……いる。

 この戦いの元凶が、存在している。

 

「趣味がロストロギアの研究でして。一部のロストロギアは共鳴し合うんです。『リバースエンド』と『ジュエルシード』は古文書によれば同時代同世界のロストロギア。共鳴し合うと考えました」

『ほう、なるほど。そうやってここへの道を開いたか。中々やるではないか人間』

「……そんな問答、求めていません。はやてさんはどこです?」

 

 ファイムは、声――『リバースエンド』に対して問いかけた。『リバースエンド』は、さて、と言葉を濁す。

 

『あの者は停滞を望んだ。進まぬことを望んだ。本人の望みのままにするのが、正しいことではないのか?』

「いいえ。起きてもらいます。彼女はただ、弱っているだけだ」

 

 はやてが望んだというそれを、ファイムは否定した。

 

「誰だって、卑屈になることはあります。弱音を吐きたくなることもあります。はやてさんは、今、偶然そういう時なだけです。あの人は僕なんかよりずっと強い」

 

 あの人の強さに、ファイム・ララウェイは救われた。

 あれが嘘で、あるはずがないから。

 

「彼女を返してもらう。はやてさんはどこだ?」

『……障害となるならば、消すのもやむを得まい』

 

 ――キィン。

 

 澄んだ金属音が響き渡る。見れば、空間内を覆い尽くすかのような刃の葬列が出現していた。その切っ先は、全てがファイムに向けられている。

 

「どういうつもりだ?」

『ここは貴様の世界ではない。貴様はただの不純物に過ぎん。だから排除するのさ』

「……排除か。成程、わかりやすいね」

 

 ファイムは拳を握る。ここは精神世界。気持ちが折れなければ、負けることはないはずだ。

 そんな風に考えるファイムを嘲笑うように、『リバースエンド』が言葉を紡ぐ。

 

『ここは夢と現実の狭間。想いの強さがそのまま力となるが、肉体は現実のもの。限界を超えれば壊れていき、ここで傷を負えば傷を負う。死ねば……死ぬ』

「……だとしても、やることは変わらない。『リバースエンド』。はやてさんを解放しろ。お前が、人類の叡智が生み出したものだというのなら」

『答えは否だ。我は破滅を望み、主も破滅を望んだ。その願いを叶えるために創られた』

「……人類の叡智が生み出した存在だというのなら」

 

 ファイムはカートリッジをロード。走り出す。

 

「人を!! 救ってみせろ!!」

 

 刃がファイム目掛けて飛来する。ファイムは、吠えながら突っ込んでいく。

 はやてがいなければ、ファイムは生きている理由がない。

 彼女が許しをくれ、そして、生きろと言ってくれたから、生きてみたいと思ったのだ。

 空が無ければ、風は世界を歩めない。

 だからこそ――

 

「風は夜空に!!」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 閃光が瞬き、同時に凄まじい魔力同士の衝突が繰り返される。

 破壊不可能、封印不可能とされた最早災害級のロストロギア『闇の書』。

 対するは、『エース・オブ・エース』を筆頭とする、管理局を支えるエースたち。

『雷光の死神』

『烈火の将』

『烈火の剣精』

『鉄槌の騎士』

『盾の守護獣』

 現場にいるのは、今やたった六人。しかし、彼らに想いを託した者たちもまた、懸命に戦った。

 ある者は届かぬと理解しながらも引き金を引き。

 ある者は必死の想いを届けるため、刃を交えた。

 だから、彼女たちエースは退くことをしない。

 退けば、想いを託してくれた者たちを裏切ることになる。

 ――何より。

 全てを捨ててでも大切な人を助けようとする青年を、無視などできるはずがなかった。

 

「エクセリオン……バスターッ!!」

 

 桜色の閃光が空を覆い尽くす。だが、闇の書は『エース・オブ・エース』の力でさえ、防ぎきる。

 

「鋼の楔っ!!」

 

 ザフィーラが吠え、地面より生えた白銀の刃が闇の書の障壁を貫く。そうして止まった一瞬の隙を、上空からヴィータが打ち抜く。

 

「アイゼン!!」

《Jabowl!!》

 

 カートリッジがロードされ、ラケーテンフォームになったグラーフアイゼンが障壁を叩く。

 

 ――ピシッ。

 

 障壁に罅。そして、それは徐々に広がっていき……割れる。

 

「シグナムッ!!」

「心得た!! レヴァンティン!!」

《Jabowl!!》

 

 ガチャン、と、レヴァンティンがカートリッジをロード。ヴィータが飛び退くその瞬間、シグナムが追撃を加える。

 

『「飛竜!! 一閃!!」』

 

 連結刃が走り、闇の書を打ち抜く。だが、闇の書はそれさえも耐えきった。

 そこへ。

 

《Jet Zanber》

 

 金色の刃が闇の書を撃った。離脱したエリオとキャロを下がらせていたフェイトが、戻ってきたのだ。

 

「テスタロッサ。エリオたちはどうした?」

「命に別状はありません。……まだ、届かないみたいですね」

 

 フェイトは眉をひそめる。彼女の視線の先には、傷を負ってこそいるが健在な姿の闇の書がいる。

 

「……古代ベルカでさえも恐れられたロストロギアだ。簡単には沈まん」

 

 あの『聖王』や『覇王』が生きた群雄割拠の時代でさえ、闇の書は恐れられたのだ。その力はやはり、異常の一言に尽きる。敵に回してみれば尚更だ。

 

「ファイムくんは、大丈夫かな……?」

「どうしたんだよなのは。らしくねぇぞ?」

 

 なのはの呟きに、ヴィータが笑みを浮かべる。ザフィーラが口を開いた。

 

「ララウェイは必ず戻ると言っていた。我らは奴を信じるだけだ」

「……そうですね」

 

 なのはは頷き、そして、前を見る。

 闇の書が、こちらを見ていた。

 

「何故抗う? 抗えば、絶望が続いていくだけだ。希望は、容易く絶望にすり替わる」

「信じてるからだよ」

 

 なのはは、即答した。

 

「足を止めてしまったら、絶望に飲み込まれてしまう。それを知ってるから。私たちは、戦うんだ。はやてちゃんを救おうとしてるファイムくんを信じて、一緒に!!」

 

 そして、戦いが始まる。

 絶望の、いつ終わるともしれない耐えるための戦いが。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「…………ッ!!」

 

 迫り来る刃を避け、あるいは叩き落とし、ファイムは進む。だが、行けども行けども終わりを見せず、ただただ精神と肉体がすり減っていく。

 

 ――ヒュン。

 

 風切り音。ファイムを刃が切り裂き、鮮血が舞う。

 

「――――ッ!!」

《Wind Buster!!》

 

 リンネが魔法を紡ぎ、ファイムの右腕の『ネームレス』が火を噴く。

 刃が薙ぎ払われ、しかし、すぐに復活する。ファイムは、くそっ、と血を吐いた。

 

『何故、抗う?』

 

 迫り来る刃を打ち払い、避け、時には吹き飛ばす。そうして凌ぎ続けるファイムに、声が届く。

 

『肉体の苦痛は、精神を砕くに十分な程であるはず。この世界の権限は全て私にある。貴様の目的は叶わない』

 

 ズンッ、とファイムの右足。その太ももを剣が貫く。ファイムは叫ぶことを堪え、それを引き抜く。だが、動きを止めたその一瞬を狙い、刃が飛来する。

 

『貴様は愚か者ではない。私にはそれがわかる。だからこそ理解できん。届かぬと知りながら、何故お前は抗う?』

 

 ――バキン。

 

『ネームレス』に何本もの剣が突き刺さり、その砲身が砕ける。ファイムは、宙に飛び出したジュエルシードを右手で掴んだ。

 

『奇跡など起きない。例え起きたとしても、同等の絶望がどこかで振りまかれるだけだ』

 

 諦めろ、と声は言った。

 ファイムは、ジュエルシードを握り締めた。

 

「サイクロン!!」

 

 ファイムの周囲を風が渦巻き、剣を吹き飛ばした。ファイムは、吐く息の中にさえ血を滲ませながら、言葉を紡ぐ。

 

「諦めたら、全部、終わってしまう。何も為さないままにお前はよくやった、って、自分を褒めでもするの? それこそ、無意味だ」

 

 ――ファイムは、折れない。

 

「別に、都合のいいことなんて言ってない。はやてさんを返せって、言ってるだけだ」

 

 ――屈しない。

 

「僕の命とはやてさんの命の、等価な取引だ。残り少ない命だけど、命が等価値なら、間違ってはいないはずだ」

 

 ――その先に待つ死を、受け入れられはしないから。

 

「はやてさんを救えないと感じた時、考えた時、僕は『絶望』という『死』に飲み込まれる。それを理解してる。だから、僕は止まらない。諦めない」

 

 はやてを救うまで。

 決して諦めないと、心に誓ったのだ。

 声が、言葉を叩きつけてくる。

 

『だが、現実として貴様は限界だ。魔力などもう、欠片もなかろう?』

「命がある」

『その背に宿っていた翼。最早、見る影もない。貴様の未来そのものだ』

「翼が折れた。それがどうした?」

 

 フルドライブ時に現れる風の翼は、既に潰えていた。しかし。

 

「――心なら、ここにある」

 

 ファイムは、自分自身の胸を指差した。そして。

 

「それに、力ならまだ残ってる」

 

 ファイムは、右手に持ったジュエルシードを見つめる。

 彼は、それを。

 

『貴様、まさか』

 

 ――呑み込んだ。

 

「――――ッ!?」

 

 瞬間、ファイムの体から血が噴き出す。ロストロギアなどという異物を取り込んだ体が拒否反応を起こし、傷口が開いたのだ。

 だが。

 ファイムは、それをねじ伏せる。

 

「何か、おかしいか?」

『貴様、ロストロギアを取り込み、何故平然としていられる?』

 

 声は、驚愕を隠そうともしない。ファイムは、わからないのか、と応じた。

 

「人をなめるなロストロギア。ジュエルシードは願いを叶えるロストロギア。その能力は、『願いを魔力に変換し、その力をもって願いを叶えること』だ。ねじ伏せると願った、それだけだ」

『あり得ん……できるはずがない』

「もう一度言うよ。……『人を、なめるな』。人間の欲望は、闇は、心は。お前如きに理解できるものじゃない。その強さを、侮るな!!」

 

 人は、欲望だけでここまで発展してきた生物だ。その心が、ロストロギア如きに負けることはない。

 

「はやてさんが貴様に取り付かれたのは!! あの人があまりにも綺麗だからだ!! 純粋で!! 真っ直ぐで!! だからこそ抗えなかった!!」

 

 八神はやては、優しすぎる。純粋すぎる。

 だからこそ、『リバースエンド』に取り込まれたのだ。

 だが、人は誰しもあの人のように美しくはない。

 人はもっと、醜い生物だ。

 

「『リバースエンド』!! 僕の心を見てみろ……!! お前に教えてやる!! 人の心が、どういうものなのか!!」

 

 ファイムは、走り出す。

 血を滴らせる体を。

 軋み、悲鳴を上げる体を。

 苦痛で、すぐにでも心を折ろうとする体を。

 前へと、押し出す。

 

「恨まなかった日はない!! 憎まなかった日はない!! 怒らなかった日はない!! 不条理な世界を!! 理不尽な世界をずっと見てきた僕の心の闇を!! 制圧してみろ、『リバースエンド』!!」

 

 それは、心の底からの叫び。ずっとしまい込んでいた、ファイム・ララウェイの心の傷。

 罪人だから、そんなことを考える資格はないと、そうして生きてきた青年の叫び。

 心の強さが力となる世界であるが故に。

 ――心が少し、無防備になった。

 閉じた扉が、開いてしまった。

 ただ――

 

「僕は絶対に、はやてさんを救い出す!!」

 

 今の彼は、彼自身に後悔も何もしていない。

 それだけが、真実だった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 世界の奥底であり、中心である場所。そこに、はやてはいた。

 膝を抱え、俯き、他者を拒絶する格好で。

 ――誰も訪れない場所。

 だってここは、八神はやての心そのもの。心に入り込むことは、誰にもできない。

 そのはずなのに。

 

 ――コツン。

 

 足音が、響き渡った。はやては顔を上げない。足音の主は、はやての側まで歩み寄ると、言葉を紡いだ。

 

「迎えにきましたよ、はやてさん」

 

 それは、酷く優しい声だった。心の底から身を案じてくれているのがわかるほどに。

 しかし……だからこそ、はやてはそれを拒絶する。

 

「もう、放っといて。わたしは、もう、疲れたんや」

 

 前に進むことに。

 生きていくことに。

 これほどまでにままならない世界で、戦うことに。

 

「疲れたんですか?」

 

 声の主は、優しい。はやては小さく頷いた。声の主は、確かに、と言葉を紡ぐ。

 

「はやてさんは少し、頑張り過ぎるところがありますから。疲れても仕方ありません。僕に休めと言う前に、はやてさんも休まなければ」

 

 はやては、首を左右に振る。

 

「ずっと、前に進もう、前に進もうってやってきた。せやけど、わたしの周りはみんな凄い人ばっかりで。わたしは、置いてかれてしまう。わたしは、それが怖いんや」

 

 前に進もうとしても、みなは自分より遥か先へと行ってしまう。

 置いて行かれてしまう。

 

「足が動かなかった時、みんなは優しくしてくれて、笑ってくれてた。せやけど、わたしは知ってる。わたしは、みんなの足を引っ張ってた」

 

 人と違う、ただそれだけ。

 けれど、あまりにも明確な差。

 

「みんなが優しいから、だからわたしは甘えてた。わたしは汚い人間や。みんなの優しさにつけこんで……」

 

 涙が零れた。

 みんなの優しさに甘えていただけの自分が嫌で。

 グズな自分が嫌で。

 置いて行かれる自分が嫌で。

 ……何より。

 そんなことを考えてしまう自分が、誰より嫌いだった。

 

「わたしは、最低の人間や。だから、もうええんよ」

 

 ――もう、立ち上がりたくない。

 はやては、言った。

 声の主は、ずっと黙ってはやての言葉を聞いてくれていた。

 優しいな、とはやては思う。――けれど。

 その優しさが……かえって辛い。

 いっそ、無理矢理にでも立たせてくれれば。

 それを理由に立ち上がれるのにと、はやては更なる自己嫌悪の想いを抱く。

 ――どこまで他人に依存する気だ。

 そんな風に、思ってしまう。

 

「本当に、もういいんですか?」

 

 声の主は怒るわけでもなく、罵るわけでもなく、蔑むわけでもなく、ただ単なる問いかけを発した。

 

「ここが、はやてさんの夢の果てなんですか?」

 

 その問いかけを発すると、声の主は黙ってしまった。はやては、自問する。

 夢。追いかけたもの。

 あまりにも遠く、今でも諦めずに追いかけているもの。

 その果てが――ここ?

 答えは、否。

 そう、否だ。けど、違う。

 

「違う……違うけど、わたしは……もう……」

「ここからは、空が見えません」

 

 声の主は初めて、はやての言葉を遮るように言葉を紡いだ。

 

「例え不条理で理不尽な世界でも、見上げれば憧れた空がある。振り返れば、例え真っ直ぐではなくとも、歩んできた道がある。前を見れば、追いかける夢がある。隣を見れば――」

 

 そこで声の主は一度言葉を切り、とても優しい声で言葉を紡いだ。

 

「――あなたを信じ、共に歩む友がいる」

 

 それが、あなたの歩んできた道ではありませんか。

 声の主は、そう言った。

 

「あなたは急ぎ足で歩み過ぎたんです。だから疲れてしまった。けれど、それの何が悪いのですか? 立ち止まることの、何が罪なのですか? 過去に依存することの、何が罪だというのですか? 未来も過去も等価です。未来に依存するのが是であれば、過去に依存するのも是であるはずです」

 

 声の主は、それに、と苦笑の混じった言葉を紡いだ。

 

「僕は、いつまで経ってもあなたたちには追いつけない。どれだけ努力しても、届きはしない。……けれど、それでいい。それでいいんです」

 

 声の主は、言う。

 

「あなたたちに追いつく必要なんてない。だってこれは、僕の道だから。躓いて、転んで、それでも進んできた道だから。あなただってそうです。あなたはあなたの思うように歩めばいい。それで行き詰まったなら、隣を歩く友を頼ればいい。例え道が違っても、それでも友達なんだから。……はやてさん。誰も、あなたを置いて行ったりはしていません」

 

 僕には見えますよ、とファイムは言った。

 

「あなたが歩んできた、真っ直ぐに進んできた道が」

 

 だから問います、と、声の主は言った。

 

「ここが、終着点ですか?」

 

 はやては、首を左右に振った。だが、今度は先程のように弱々しいものではなく。

 意志の込められた、力強いものだった。

 涙がボロボロと零れる。

 理由はわからない。ただ、涙が流れた。

 はやては、顔を上げる。

 ――そこにあったのは、優しい笑顔。

 

「辛いなら、僕も背負います。一緒に悩みます。立ち止まります。だから、はやてさん。この手を取ってください。みんなが、待ってます」

 

 差し出された手を、はやては握り締めた。

 だが、はやては気付く。

 ファイムの背に、夥しいまでの数の刃が突き立っていることに。

 はやての表情が凍りつき、言葉を紡ごうとする。だが、その唇をファイムは彼の人差し指で止めた。

 

「ここは、あなたの世界です。あなたが望んでくれたなら、こんなもの、すぐに消え去ります」

 

 それは、嘘。

 ここははやての世界であるが、しかし、全てが彼女の思い通りなわけではない。

 ファイムもそれは理解していたし、はやてにもわかっていた。

 しかし、それでも彼は――笑うから。

 笑って、くれるから。

 

「空を、見に行きましょう」

 

 ――優しい嘘を、はやては受け入れた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 ――――――――ッ!!

 

 突如闇の書が光に包まれ、大爆発を起こした。なのはたちは一瞬、視界を奪われ、そして目撃する。

 

「ファイムくん!! はやてちゃん!!」

 

 闇の書がいた場所に、目を閉じているはやてをいわゆる「お姫様抱っこ」で抱き上げるファイムの姿を。

 

「無事で――」

「まだです!!」

 

 ファイムが叫び、彼は器用にはやてを片手で支えながら右手を伸ばした。

 その先にあるのは、真っ黒な砂を内包した、小さな砂時計。

 ――『リバースエンド』。

 

「おおおっ!!」

 

 ファイムはそれを握り潰すように掴み取り、そして、願う。

 ――このロストロギアの、制圧を。

 

 

 ――パキィィィイン……!!

 

 

 澄んだ音が響き渡った。

 喝采が、上がる。

 

 決着……だった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 その後、『ヴォルフラム』の緊急停止システムを用い、地上本部に戻ったファイムたち。彼らを待っていたのは、勝者を讃える凱旋の声ではなかった。

 ――千を超える魔導師たちの、バリアジャケットを纏った姿での整列。

 先頭に立つのは、カグラ・ランバード。

『ヴォルフラム』よりはやてを抱き上げながら降りてきたファイムが最初に目にした光景がそれで、そして同時に、彼は理解した。

 

「すみません。はやてさんを、お願いします」

 

 目の前の光景が飲み込めないなのはたちに、ファイムは声をかける。シグナムが、はやてを抱き上げながら言葉を紡いだ。

 

「ララウェイ。お前は、一体何をするつもりだ?」

「責任を果たしてきます。……もしかしたら、伝える機会がなくなってしまうかもしれません。はやてさんに、伝言お願いします」

 

 ファイムは、優しい顔で、そう言った。

 

 

「あなたに出会えて良かった。ありがとう、はやてさん」

 

 

 そして、なのはたちの言葉を待たずして、ファイムは歩き出す。

 

 ――後もう少しだけ、動いて。

 

 祈るように歩を刻み、ファイムはカグラの眼前に立った。生者のような顔をするファイムと、苦悶の表情を浮かべるカグラ。二人の浮かべる表情は、あまりにも対照的だ。

 

「……ファイム。お前が言ってくれるなら。立ち上がる。立ち上がれる。俺たちは同じ気持ちだ。頼む」

 

 それは、懇願の言葉。

 しかしファイムは、それを拒否する。

 

「ダメですよ。巻き込めるわけ、ないじゃないですか。僕なんかのために」

 

 そう言って、ファイムは両手を差し出した。カグラは、馬鹿野郎、と呟く。

 

「どうしようもねぇ馬鹿野郎だよ、テメェは……ッ!!」

「わかっていますよ」

 

 それでも、ファイムは望んだのだ。

 こうなると、知っていて。

 

「大切な人を取り戻すには、これしかなかった」

 

 ただ、それだけだったから。

 カグラは、大馬鹿野郎が、と呟くと、ファイムに手錠をかけた。そして。

 

「ファイム・ララウェイ。ロストロギアの不法所持及び使用、独断専行、『ノア』撃墜の罪により、貴様の執務官資格を剥奪。同時に、局員資格を停止。更に、魔力の全面封印を行う」

 

 カグラは、血を吐くようにそう言った。

 ファイムは、はい、と頷く。

 笑顔だった。

 何もかもを、失ったのに。

 

 そして、カグラを追って歩き出した瞬間、その体が倒れる。

 ああ、とファイムは思った。

 

 ――ロストロギアでさえ、もう、支えきれないか。

 成程、ここが。

 僕の、終着点。

 

 

 

 

 ……声が、聞こえた気がした。

 

「ファイムくんっ!!」

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