魔法少女リリカルなのは~優しい嘘~   作:アマネ・リィラ

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第十七章〝あなたはわたしに微笑んで〟

 

 月明かりに照らされた彼女は美しく。

 理性を、放り投げそうになった。

 だが……それは許されない。

 彼女の側にいられても、彼女に触れることは許されない。

 終わりの決まった自分が、そんな身勝手なことは許されない。

 

「……いけません、はやてさん」

 

 声が震えていることは、自覚していた。そんなファイムの言葉を聞き、はやてはどうして、と呟く。

 ファイムは、頭を振った。

 

「僕では、あなたを守れない。守りきることはできない」

 

 確かに、誓った。

 守ると。彼女の選択次第では、管理局から逃げることさえ厭わぬと。

 だが、それは。

 あくまで命を使うという前提と、自らさえも死するという結末を覚悟してのことだ。

 だから。

 ファイム・ララウェイは、彼女に触れることは許されない。

 

「僕はあなたを許すと言った。望んでくれるのなら、側にいるとも言った。だけど、だからこそあなたを抱くことはできない」

 

 そこまでのことをしてしまえば、もう、戻れなくなる。

 ……背負えない。

 意志とは関係なく、ファイム・ララウェイという人間に、その資格がないのだ。

 

「僕は弱い。あなたを守ること、守り通すことが、できない」

 

 それは、あまりにも冷徹な結論だった。

 血が滴るほどに拳を握り締めてでも受け入れたくない結論。

 だが、ファイムは。

 自身が弱いという絶対的な事実を。

 そんな現実を受け入れまいと叫ぶ本能を黙らせる理性を、持っていた。

 持って、しまっていた。

 ――故に。

 

「僕は、はやてさん。あなたが好きだ」

 

 その言葉はあまりにも優しく。

 何よりも――悲しかった。

 

「あなたを愛してる。あなたのためなら、世界だって敵に回してもいい。僕を救ってくれたあなたを、誰よりも想ってる」

 

 初めてだった。誰かのために命を懸けようと思ったのは。

 救われた。助けられた。

 どうしようもなく、惹かれていった。

 でも、それでも。

 だからこそ――その選択はできない。

 

「あなたを守ることができない僕に、資格はない」

 

 ファイムは、俯いていた。

 はやてを、見れなかった。

 そんなファイムに、はやては。

 

「顔、上げて」

 

 ――パァン!!

 

 一片の容赦もない、全力の一撃だを叩き込んだ。はやては、泣きながら言葉を紡ぐ。

 

「なんでっ……どうしてっ、どうしてそんなことっ……!?」

 

 はやては嗚咽を漏らしながら、ファイムに詰め寄る。

 

「守れないとか、資格がないとかっ……! そういうことやない、そういうことやないやろ!?」

 

 はやては叫ぶ。ファイムは、僕は、と声を漏らした。

 

「僕は敗者だ。罪人で、命も残り少ない。あなたを愛する資格なんて」

「資格なんて誰にだってあらへん! あるのは気持ちだけや! 違うんか!?」

「……それでも」

「でももだってもない!……それとも、嘘なん?」

 

 はやては、一転、不安そうな表情を浮かべた。

 それは、あまりにも儚げで。

 ファイムの胸が、痛んだ。

 はやては、ファイムに問いかける。

 

「わたしは、嬉しかった。ファイムくんが好きやと言ってくれて。せやけど、あれは全部嘘?」

 

 嘘なわけがない。

 そんなことで、嘘など吐こうはずがない。

 

「嘘じゃない……嘘のはずがない! はやてさんへの想いは真実だ!」

 

 ファイムは、耐えきれなくなったように、想いを紡ぐ。

 

「一緒に! 共に! あなたの側に在りたい! あなたを守りたい! ずっとずっと! それが僕の気持ちだ!」

「それなら! 来て! わたしを――」

 

 ――ドサッ、という音と共に、はやてがベッドの上に倒れた。

 否、倒された。

 ファイムの……手によって。

 

「……そんな顔、したらアカン」

 

 はやては、優しく、自分を押し倒したファイムの頬を撫でた。

 

「わたしが、ファイムくんを守るから。だから、ファイムくんはわたしを守って」

 

 はやての言葉。

 それは、あまりにも。

 

「無理なんかやない。支え合うんや。ファイムくんとなら、きっとできる」

「……本当に、それでいいんですか?」

 

 ファイムは、尚、問いかける。

 自分などで、良いのかと。

 はやては、苦笑した。

 

「そんなこと、言わせるもんやないよ? 聞きたいことは、たくさんあるけど……今は」

 

 はやては、ファイムの頭に手を回す。

 

「こうすることが、幸せやから」

「……はやてさん」

 

 互いの吐息がかかるほどの距離で。

 ファイムは、言った。

 

「ありがとう」

 

 ……未だ、迷いはある。躊躇いもだ。

 しかし、ファイム・ララウェイは選択した。

 勢いであろうと、なんであろうと。

 彼女を――愛すると。

 故に、告げなければならない。

 自らの全てを。

 ただ、今は。

 

「――――」

 

 当たり前のように、唇が重なった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 語った真実は、大したものではない。

 両親などない、人造生命として生み出されたこと。

 人造生命としてはそれなりだったが、人造魔導師としては失敗だったこと。

 戦場で生きてきたこと。

 その過程で右の手足を失い、ジェイル・スカリエッティに戦闘機人の手足を付与されたこと。

 そこからの逃亡でカグラ・ランバードに出会い、管理局の道具となったこと。

 命を使う術式を、手にしたこと。

 ――そして。

 駆け抜けた12年は、ファイムの命を削り取ったこと。

 余命は、10年であること――……

 

「……これが、今の僕」

 

 ファイムは、微笑みさえ交えながら自らの人生を語った。

 なんと、簡潔な人生か。

 語ることに、一時間とかからないのだから。

 

「10年という時間は、魔法を使わなければの話。今のペースで魔法を……命を使い続ければ、2、3年」

 

 これが理由だと、ファイムは苦笑した。

 ファイム・ララウェイが、はやてを愛する資格を持たぬと謡った理由だと。

 

「そんな、そんなこと」

 

 ファイムと向き合う形で座るはやてが、首を左右に振る。ファイムは、いいんです、と言葉を紡いだ。

 

「これが僕の選んだ道。後悔はありますし、未練もある。過去を振り返ることも幾度となく」

「なんで、それなら、なんでそんなになるまで……」

「それでも、選んだからです」

 

 敢えて言わなかったが、最近までは自分の道に対して何も思うことはなかった。

 後悔も、未練も、考えたことすらない。

 はやてに出会い、そして、救われるまで。

 彼女に救われたから。

 人に……なれた。

 

「それに、その道を選んだからこそ、出会うことができた」

 

 多くの人に。

 大切な人に。

 この道を選ばなければ、きっと、はやてと道を交えることはなかったろう。

 

「ならば、意味はある。僕の道には、しっかりと」

 

 出会うために。

 そう、きっと。

 そのためだけに、ファイム・ララウェイは歩いてきた。

 

「……でも、それなら、わたしは」

 

 はやては、両手を握り締めながら、震える口調で呟いた。その手を、ファイムは優しく包み込む。

 

「僕の命など、考えずとも構いません。はやてさんは、はやてさんの道を選んでください」

「でも、わたしが選んでしまったら、ファイムくんは……」

「でももだってもないのでしょう?」

 

 ファイムは、微笑んだ。

 

「あなたが戦えと申すのならば、僕は戦いましょう。あなたが生きろと申すのならば、逃亡者となっつでも生き延びましょう」

 

 その台詞がある種卑怯者のそれであることを、ファイムは理解していた。

 自身の命の選択を、こんなにもか弱い女性に決めさせようというのだから。

 しかし、それで良いのだ、とファイムは思った。

 結局、今のファイム・ララウェイの『選択』は、何をおいてもはやてのためなものであるだろうから。

 

「……決められへん。決められへんよ、そんなこと」

「今すぐでなくても構いません。ただ、あなたはあなたの幸福をひたむきに願ってください」

 

 それが、何よりの願いだから。

 はやては、なら、とファイムに問いかけた。

 

「ファイムくんの幸せは、何なん?」

 

 その言葉に、ファイムは微笑み。

 そんなもの、決まっていますとそう言った。

 

「あなたに出会えたこと。それが、僕にとってこれ以上ない幸福です」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「それじゃあ、行ってくるね?」

「行ってらっしゃい」

 

 朝。日曜日に出かけようとするはやてを、ファイムは見送る。

 はやてが向かうのは、アリサ・バニングスのところだ。昨日のこと、これからのこと。決着を着けると、はやては言っていた。

 

「あはは、ちょっと……怖いなぁ。喧嘩、してしもたしね」

「あなたのご友人なら、大丈夫」

 

 敬語と、日常語の間。

 そんな、不安定な言葉をファイムは口にする。

 これが、今の二人の距離。

 だが、それでいい。

 ここから、紡いでいくのだから。

 

「僕が行っては邪魔になりますから」

「また、敬語」

 

 そっ、とはやては人差し指をファイムの口元に当てた。

 そんなはやてに、ファイムは苦笑を返す。

 

「それは、追々です」

「そうやね。……行ってきます」

 

 はやては、そう言ってファイムに背を向けた。ファイムはその背を見送り、そして、息を吐く。

 やはり、未だはやてには迷いがある。当然だ。今まで選択の余地を与えられなかった者が、突然、選択を迫られたのだから迷いはするだろう。

 それに……はやては優しい。

 あまりにも、優し過ぎる。

 だからきっと、難しい。

 彼女は自らの受難より、他人の苦痛を憂う人だから。

 

「ままならないね……。まあ、言っても仕方ないけれど」

 

 はやてのことは、はやてが決めるべきだ。

 それに。

 ファイムには、やるべきことがある。

 

「キーワードは、一つ」

 

 こちらへ来る際、少々無理を言ってユーノに貰った数百という枚数の資料を取り出し、ファイムは呟く。

 

「古代ベルカの『聖人』オリヴェント」

 

 王ではない、一人の人間。

 数多く存在する風聞の中でも、とりわけ知名度の低い人物。

『聖王』、『覇王』、『雷帝』、『黒王』など……数多存在する王や英雄に比べると、その知名度の低さは圧倒的だ。

 むしろ、実在さえ疑われるその人物を、ファイムは調べ続けてきた。

 何故なら。

 

「オリヴェント式……命を使う術式。その全てを、彼女が創った」

 

 ――理由など、その一言で十全足る。

 ファイムはずっと、自身の力の無さを嘆き続けてきた。

 カグラに授けられた、命を使う術式。その術式の名が『オリヴェント式』と呼ばれるのを知ったのは、四年前だ。

 当時はレジアス・ゲイズ中将が死した直後で、地上本部は混乱の極みにあった。そんな中、カグラ・ランバードはファイムに問いかけたのだ。

 

『表舞台に立つ気はあるか?』

 

 最初は意味がわからなかった。ただ、裏で生きることを止めることはできなかった。

 だが、それでもカグラは自分を導いてくれた。

 執務官。JS事件のほとんど直後に『それ』になることができたのも、きっと、彼のおかげ。

 無限書庫で働いていた自分を、『雷光の死神』と戦う誉れに招いたのも、カグラだ。

 彼はそうまでして、ファイムを表舞台に引き上げた。

 理由は知っている。

 意図も、何もかも。

 彼にとって、ファイム・ララウェイという存在は『切り札』だったのだから。

 

「古代ベルカの、戦乱末期の資料は……」

 

 しかし、ファイムはそれに応えなかった。

 管理局を変えるという彼の目的、それを叶える最後の手段であったというのに。

 それも……『選択』。

 世界はままならない。どうしようもなく、これほどまでに思い通りにならない。

 しかし、そんな世界でファイムは戦うことを決めたのだ。

 だから、理解がいる。

 四年前にカグラに告げられた『オリヴェント式』という魔法は、古代ベルカを始まりとする。

 更なる力を得るために。

 はやてが戦う道を選ばなければ、意味はない。

 ――だが。

 逃げるにしても、力はいる。

 

「『聖王』と『覇王』の一騎打ち……違う、きっともう少し前だ」

 

 ユーノが渡してくれたのは、古代ベルカ時代の片端からの膨大な情報だ。

『聖人』についての情報は少ない。故に『聖人』が生きたとされる時代の情報の全てが必要だった。

 これでもユーノなりにしぼってくれたのだろうが、四年かけても未だ実体が掴めない。

 カグラに問われ、表舞台に立つ道を示されたあの日から。

 ファイムはずっと、力を求めていた。

 リューイ・エンドブロムに叫んだように。

 力がない自らが嫌で。

 自分にできることをすると決めてからも、それでも力を求め続けた。

 ジュエルシードを使ったのもまた、それが理由。

 

「……論理は無茶苦茶。理由なんて、矛盾だらけ」

 

 ファイムは資料を漁る手を止め、苦笑した。

 自分という存在はこんなにも混沌としていたのだと、思い知った。

 かつての自分は――あんなにも簡単だったのに。

 銃を構え、引き金を引く。

 ただそれを繰り返すだけの、機械だったのに。

 変わったのだ。

 単純な機械から。

 矛盾を孕み、混沌とした、『人間』に。

 

「シグナムさんが言うように、これが強くなった、ってことなのか……」

 

 それとも、弱くなったのか。

 無意味な問答だ。答えがわかる時は、こない。

 

「……考えても仕方ないね」

 

 ファイムは呟き、資料に目を通していく。その中で、とあるものが目に付いた。

 

「……ロストロギアの情報? どうしてまた。ユーノさんらしくない」

 

 その資料は、とあるロストロギアについて記されているものだった。

 だが、ファイムが欲したのは術式と『聖人』の情報。ロストロギアの情報は必要ない。

 ファイムは、訝しげにそのロストロギアの資料を目に通す。

 

「……『聖人の領土』……?」

 

 彼が探す『聖人』の単語を見つけ、ユーノがこれを用意した理由を悟る。

 だが、そのことよりも。

 ファイムは、その内容に体を震わせた。

 

「『『聖王のゆりかご』によって封じられた、史上唯一の楽園。そこは、運命操作によって形作られた空間により』……運命操作?」

 

 聞き慣れない言葉だ。ファイムは、更に読み進めていく。

 

「『しかし、孤独なる『聖人』は王でなく、故に民はいない。いたのは『唯一人からなる無敵の軍勢』のみ。故にそこは人にあらざる者たちの領域であり、魔性の地。人智の及ばぬ魔界』……要領が掴めないな」

 

 ファイムは呟く。書かれていることは抽象的なことばかりで、唯一わかるのは史上最強の質量兵器『聖王のゆりかご』によって封印されたということぐらいだ。

 そもそも『聖人』は軍勢を率いる王でないことは、調べがついていたことでもある。

 ただ、ファイムはその名を――『聖人の領土』と呼ばれるロストロギアの名を、口にした。

 

「……『失楽園シャングリラ』」

 

 それは、まるで。

 不吉な調べのようだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 月村すずかの暮らす家は、相変わらずの豪邸だった。アリサの家にも行ったのだが、こっちにいると聞き、はやてはここに来た。

 はやてが訪れると、すぐさま月村家のメイドのファリンが出迎えてくれる。

 そして、はやてはアリサとすずかの二人がいる部屋の前に立つと、一度目を閉じた。

 

「…………」

 

 一度だけ、大きく深呼吸をする。

 そして、はやては扉を開ける。

 

「……思ったより早かったわね」

 

 扉の先では、アリサがワインをグラスに注いでいるところだった。

 グラスの数は、三つ。

 いつもなら微笑を浮かべているすずかも、真剣な表情を浮かべている。

 挨拶の一つでもすべきだったのかもしれないが、はやてはただ、無言で座した二人の下へと歩み寄った。

 それが、この場には相応しい。

 

「ふん、相変わらず迷ってるみたいだけど……マシな顔になったじゃない」

「お陰様で。……ああ、アリサちゃん」

「ん?」

 

 パシン、と。乾いた音が響く。

 はやての一発は、正確にアリサに叩き込まれた。はやては笑う。

 

「昨日のお返しや」

 

 アリサは呆気に取られたような表情を浮かべた後、すぐに笑顔になる。

 

「上等じゃない。座りなさいよ」

「うん。……ようやく、わたしにもわかってきたから」

 

 何が、とは二人とも聞かなかった。

 聞く必要など、ありはしない。

 

「色んなことがあって。自分を否定しそうになって。逃げるように、帰ってきて」

 

 はやては、静かに語り始める。

 

「でも、踏みとどまれた。アリサちゃんと、すすがちゃん。そして……ファイムくんのおかげで」

 

 あまりにも優しい彼に、救われた。

 はやては、自身の右手で顔を覆う。

 

「許す、って……そう言ってもらえるのがあんなに嬉しいなんて、思わへんかった。救われるんやね」

 

 たった一言で、とはやては言った。

 簡単な言葉だった。難しい言葉ではなかった。

 許す、という言葉と、側にいるという言葉。

 彼の約束に――救われた。

 アリサが、良かったじゃない、とワインを煽りながら笑った。

 

「あんたはさ、なんていうか……あたしたちの中で一番大人だったから」

「シグナムさんたちの主として、管理局のエリートとして……無理してるの、バレバレだよ?」

 

 アリサとすずかが、それぞれ言葉を紡ぐ。はやては苦笑した。

 アリサは、だから、と呟く。

 

「あんたが弱音を吐ける相手が見つかって、本当に良かったわ。いい人みたいだし?」

「ふふっ、アリサちゃん。そんな悔しがらなくても」

「ちょっ、すずか!?」

 

 アリサが焦る。すずかは、ふふっ、と笑った。

 

「アリサちゃんってば、自分がはやてちゃんの弱音を聞けないからって」

「ちょっ、黙りなさいすずか!?」

 

 アリサは必死にすずかを止めようとする。

 だが、すずかは笑ったままだ。

 

「アリサちゃん、素直じゃないよね」

「確かになぁ。それは前から思ってたとこや。俗に言うツンデレやしね」

「だ……っ、誰がツンデレよ!?」

「「そういうところ」」

「ぐっ……!」

 

 アリサは押し黙り、はやてとすずかは笑った。

 アリサはごほん、と照れ隠しのように咳払いをすると、はやて、と言葉を紡いだ。

 

「あたしたちは、あんたの今までを絶対に否定しない。あんたのしてきたことは無意味なんかじゃない」

「はやてちゃんの努力と気持ちは、間違ってない。胸を張って、誇っていいものだよ」

「……アリサちゃん……すずかちゃん……」

 

 知らず、はやての瞳から涙が零れた。アリサが苦笑する。

 

「あんたが泣くなんて、珍しいわね」

「我慢強いもんね」

 

 はやては嗚咽を漏らしながら、必死で涙を拭いていた。だが、溢れる涙は止まらない。

 アリサは、いいわよ、と言葉を紡いだ。

 

「泣きなさいよ。泣いて、泣いて、泣いてから、立ち上がればいい」

「たまには立ち止まらなくちゃ。じゃないと、疲れちゃうよ?」

 

 二人の優しさが、心に染みていく。

 

「前を見て、歩きなさい。あんたは一人じゃない」

「辛いなら、苦しいなら、いつだって私たちは支えるから」

 

 はやては、頷く。何度も何度も。

 一人じゃない。

 自らの道に、意味はあった。そう、想うことができる。

 ――ならば。

 選ばなければならない。

 八神はやての道を。

 初めて与えられた、選択を。

 全身全霊を以て。

 

「……ありがとう、な」

 

 答えは、一つ。

 ……それは、あまりにも悲しいもの。

 しかし、はやては決めた。

 彼女の意志で。

 たった一つの、その答えを。

 

 ――想いは、尊く。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 それは、邂逅。

 出会うべきではなかった、本来なら有り得ない『現象』だった。

 しかし、出会う。片側は意図し。

 片側は、知らずに。

 

 

 夕飯の買い物を終え、帰り道を歩いていたファイム。その帰り道、珍しいものを見た。

 

「すげ~!」

「もっとやって~!」

「わ~!」

 

 子供たちの無邪気な声。見ると、道端で仮面を被った男がジャグリングを披露しているようだった。たくさんの子供がそのマジシャンに群がっており、少し離れたところでは大人たちが見守っている。

 そのマジシャンが、ファイムのほうを見た。仮面から覗く瞳が、こちらを射抜く。

 ――違和感。

 それが、脳裏を過ぎった。

 

「さ、今日はここまで。ありがとうね」

 

 仮面のマジシャンが言い、子供たちが散っていく。もっと、という催促を、マジシャンは断っていた。

 そして、マジシャンはファイムに軽く頭を下げる。つられてファイムも頭を下げ、そして。

 

「これを外さないのは容赦してもらえるかな? あまり素顔は晒したくないものでね」

「気にしませんよ」

「寛容で助かるよ、青年」

 

 マジシャンは笑った。ファイムは、お上手なんですね、と言葉を紡ぐ。

 そんなファイムの賛辞に、マジシャンはははは、と笑った。

 

「褒められると悪い気はしないね。……腹の探り合いはここまでにしようか、青年」

「…………」

 

 空気が変わる。表面上は何の変化も見せず、ファイムは臨戦態勢に入る。

 そんなファイムの様子を見、マジシャンは笑った。

 

「そう身構えるな、青年。私にはキミと相対する力はない。そもそもキミはこの世界の住人ではないだろう?」

 

 マジシャンは笑いながらそんな言葉を紡ぐ。ファイムは、返答に窮した。

 確かに、ファイムはこの世界の住人ではない。しかし、それを知っているのは、この世界では僅かな人間のみ。また、それがわかるということは……。

 

「管理世界の者が管理外世界へ来ることは、原則的に禁止ですが」

「なに、ちょっとした物見遊山だ。特に何かをするつもりはない」

「信用しろと?」

「してもらわねば、私が捕まるだけだ」

 

 マジシャンは肩を竦める。どこまで本気か、わからない。

 まあ、どちらにせよファイムは余程でなければ手出しはしないし、できない。彼はここにいないはずの人間なのだから。

 

「なに、私はただの旅行者であり放浪者だ。まだ見ぬ世界……特に、管理局の関わらぬ世界は実に美しい」

「……管理局を、否定するのですか?」

「否定は人の権利だよ、青年。肯定もまた然り。それを認めぬというなら、成程、管理局とは暴君なる組織だ」

 

 いかなる意志をも認めてこそ自由であると、マジシャンは言った。

 

「無論、武器を取っての叛意ならば見過ごせないことだろうがね。ただ、思うだけ、考えるだけでは罪ではない」

「……敵があってこそ、華は輝く。道理ですね」

「ほう? もう少し堅物かと思っていたが。中々話せるではないか、青年」

「事実をただ事実として客観的に受け止めるのは、必要なことです」

 

 敵のない組織など、いずれ滅びるしかない。それは、古今東西で証明されてきた事実だ。

 そんなことを言いながら、ファイムは違和感を感じていた。

 今日初めて会った人間と、何を話しているのか。

 マジシャンはファイムのそんな内心は気にも止めず、言葉を続ける。

 

「青年、キミは管理局に対して何の疑問も抱かぬのかね?」

「……管理局に属する人間に対する問いではありません」

「そうでもないぞ、青年。属する人間にさえ叛意は芽生える。そうでなければ、クーデターなどという概念が成立しようはずがない。この世界にある『下剋上』もまた然りだ」

 

 マジシャンは笑っている。仮面で表情は伺えないが、笑っていることは容易に理解できた。

 

「青年、キミには死相が見える。そしてそれを受け入れている古都も見て取れるよ。キミを『そう』させたのは、管理局ではないのかね?」

 

 小道具を全てしまい終えたマジシャンは、そんな風に最後の問いを紡いだ。

 ファイムは、迷いなく答える。

 

「選んだのは僕です。結末の全てを予測した上で、僕は歩んできた」

 

 そこだけは、譲れぬ一線。

 選んだのは、選んできたのは、ファイム・ララウェイという人間なのだ。

 マジシャンは、成程、と笑う。

 

「面白いぞ、青年。実に面白い。キミは『そう』なのか」

 

 成程成程、と呟きつつ、マジシャンはファイムに背を向ける。

 

「――その道行きに幸多からんことを」

 

 そうして、マジシャンは去り。ファイムは疑問を抱いたまま、マジシャンとは逆方向に歩き出した。

 

 

 ――着信。マジシャンの男は、ポケットから通信機を取り出した。

 この世界に存在する『携帯電話』よりもコンパクトなそれは、通話機能のみに特化した次元間通信を行える装置だ。

 当然、『地球』には存在しないものである。

 

「……何かね?」

『お、宗主~。準備完了だよん♪ ロストロギアの反応を、管理局が感知。2、3日には動くだろうね~♪』

「ほう。それはそれは。彼らはどうだね?」

『絶好調♪ 特にギレンが張り切っててね~♪』

「ふむ、上々だ。私も戻るとしよう」

『ちゃーんと、例の部隊が動くように手を回したし? 万事抜かりなし♪』

「素晴らしい」

 

 とんとん拍子に進む会話。互いの言葉は、ただの確認だ。

 宗主と呼ばれる男は相手の力量に対して信頼を置いていたし、逆に、向こうは向こうで自身の力でそれが為せない事実がありえないと理解していた。

 故に、ここまでは茶番。

 大事なのは、この後だ。

 

「では、同志よ。『あれ』についてはどうだね?」

『んー……正直、芳しくないかな? 例のスパイさんがとってきてくれた古文書を解読してるんだけど、全然上手くいかなくてさー』

「ほう? それほどまでに難解かね?」

『基礎は古代ベルカ語で、何となくは掴めたんだけど……途中からわけわかんない言葉が出て来てるんだよね』

「ふむ……それは、古代ベルカ語ではないのだね?」

『全く違うね。おそらくだけど、かの『唯一人からなる無敵の軍勢』の生まれ故郷の言葉じゃないかな?』

 

 珍しく、真剣な声色だった。マジシャンの男はふむ、と吐息を漏らす。

 

「ならば、彼女に協力を仰いではどうかね?」

『キャハハ♪ どの口が言うんだか♪ 無理無理、できるわけないよん♪』

 

 打って変わって楽しそうな台詞を吐く相手。その口調には、どこか残虐さが込められている。

 

『殺されるよ? 彼女は、『その結末』に至らないための存在なんだから』

「わかってはいるがね。まあ、『剣聖』については手がある。彼女は結局、主には従うしかない。発動に至れば、後はどうとでもなる」

『キャハハ♪ やっぱり鬼だ♪』

「なに、必要とあらばな。……それで、同志よ。不可能かね?」

 

 相手の笑いが、途絶えた。

 そして、底冷えのするような声が響く。

 

『ボクを誰だと思ってるの? グリス・エリカラン。『アンリミテッド・デザイア』の継承者。一週間だ。それだけあれば必ず解読する』

「――期待している」

 

 それだけを言うと、マジシャンは通信を切った。

 そして彼は、空を仰ぎ見る。

 

「さて……ロストロギアを取り込んだ極めつけの『イレギュラー』である彼は、どうするのかな?」

 

 楽しそうに、男は笑う。

 

「『失楽園シャングリラ』……世の因果さえもねじ曲げる『運命』そのものを相手に、どう出る? 管理局?」

 

 狂おしく。禍々しく。

 抱き続けてきた夢は、もうすぐ叶う。

 成就の時は、近い。

 手を広げ、謡うように口にする。

 

「さあ、世界を救おうか」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 八神宅。

 夕飯はいらないとあらかじめ連絡があったため、ファイムは簡単に済ませると、引き続き資料漁りをしていた。

 もっとも、多くは不明のままだ。『聖人』と『唯一人からなる無敵の軍勢』……たった二人の勢力についての情報はあまりにも少ない。

 更に。

 

「『聖王』や『覇王』との共闘の記述があるかと思えば、逆もある。特に『聖王』には敗北を喫している」

 

 どこまで信じて良いのかわからないが、『ゆりかご』を用いた『聖王』の万を超える軍勢を相手に、たった二人で戦い抜いたという。

 結果として古代ベルカ最強と謳われる『聖王』に敗北するものの……その誉れには少しの恥もない。

 

「……掴めないな」

 

 この二人がどのような人物で、どのような経緯を以て歴史に名を刻んだのか。

 それが、わからない。

 

「……ふう」

 

 結局、『オリヴェント式』に対しての有益な情報は得られなかった。

 ファイムは、資料を片づけ始める。その途中て、気配を感じた。はやてが帰宅したらしい。

 ファイムは玄関まで行くと、その人を出迎える。

 

「おかえり――」

「ただいまっ!」

 

 言い切る前に、はやてに押し倒された。香るアルコール臭。……どうやら、酔っているらしい。

 

「はやてさん……酔ってますね?」

「酔ってへん。あと、敬語アカン」

「酔っている人はみんなそう言います」

 

 敬語に対する言葉をスルーし、ファイムはため息を吐く。

 

「水を持ってきます」

「嫌や!」

「嫌って……」

 

 上体を起こしながら、ファイムは苦笑。そのファイムに、はやては縋りつくように抱きついた。

 

「……だって、こうでもせぇへんと、言えへんもん」

 

 ファイムの胸に、温かいものが触れる。

 はやての……涙だ。

 

「わたしは弱いから、だから、こんな風にしないと、言えへん」

「…………」

 

 ファイムは無言で、はやての頭を撫でる。ただ、言葉を待つ。

 そしてはやては、意を決して言葉を紡いだ。

 

 

「わたしな……戦うことにしたよ」

 

 

 前に進むと。

 傷つき、心折られそうになりながら。

 はやては、そう言った。

 ファイムは、問う。

 

「それが、はやてさんの選んだ道なんですね?」

 

 その問いに、はやてはゆっくりと頷いた。

 

「……誰からも影響を受けずに決めるなんて、無理や。わたしがわたしであるのは、みんながいてくれるから。せやから、わたしだけの意志じゃないかもしれへん」

 

 弱音のようなその言葉と共に。

 それでも、とはやては言った。

 

「これはわたしが選んだこと。決めたこと。ここで立ち止まったら、きっとわたしは後悔してしまう。自分で自分を許せへんくなってしまう」

 

 だから、八神はやては選んだ。

 苦悩し、惑いながら。

 戦うことを。

 

「……ごめんな」

 

 だからこそ、はやては謝る。

 許されぬことと知りつつも。

 償えぬことと知りつつも。

 何故なら。

 八神はやてが戦うということは、即ち――……

 

 

「わたし、ファイムくんに死ねって言ってる」

 

 

 ファイム・ララウェイに、死を強制することに他ならない。

 戦う度に、彼は命を削っていくのだから。

 ――しかし。

 

「いいんです。あなたがそれを選んだならば」

 

 死など、すでに覚悟していること。

 だから、ファイムは頷く。

 そのファイムに、はやては言った。

 

「……生きて」

 

 震える手で、ファイムを抱き締めながら。

 はやては、願う。

 選んでおきながら。

 選んだからこそ。

 

「生きて、ください」

 

 かつて、ファイムにはやては『生きろ』と言った。

 そして、再び彼女は生きろと言う。

 

「一日でもいいから。一日でも長く、生きてください。定められた運命になんて、負けないでください」

 

 ファイムは、強く、強く、はやてを抱き締める。

 言葉は、いらなかった。

 ――約束。

 何よりも尊い、大切なものが結ばれる。

 ファイムは、震える声で言葉を紡ぐ。

 

 

「生きます。必ず」

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