その日も、何の問題もなく過ぎていくはずだった。
ただのロストロギア封印任務に『二人のエース・オブ・エース』の両方が召集されたのは疑問だったが、逆にそうだからこそ問題はないはずだった。
まあ、相手はロストロギア。油断は禁物。カグラ・ランバードは、自分に何度もそう言い聞かせる。
何故なら――
「カグラくん」
名を呼ばれる。振り返ると、そこには一人の少女がいた。黒髪の、どこか控えめな雰囲気を纏う少女。
互いに、まだ十代の前半。しかし、気持ちだけは本物だった。
トモエ・イルハート。
カグラの親友の妹であり、婚約さえ交わしているカグラにとっては誰よりも大切な人である。
「トモエ。準備は終わったのか?」
「うん。ばっちり」
軽いガッツポーズをトモエは見せる。トモエは空戦A+ランクを有する魔導師だ。カグラや彼女の兄であるホムラ・イルハートと比べると大きく見劣りするが、実力の程は確かな人物である。
「無理はすんなよ?」
いつもと同じ文句を、カグラは口にする。
トモエとカグラは互いに所属する部隊が同じだ。首都防衛隊。もっとも、カグラは教導官として出向しているだけで、正式な隊員ではないのだが。
何せカグラ・ランバードはかの戦技教導隊の第二部隊隊長を務める天才である。地上にいるには、相応の理由がなければ叶わない。
そんなカグラの言葉に、トモエはうん、と頷く。
「夢見が悪くて少し不安だったけど……カグラくんがいるから、大丈夫」
そこに込められていたのは、絶対的な信頼。カグラは照れながら、まあな、と頷く。
「何があろうと守るさ。必ず」
「うん」
トモエは笑顔で頷く。その頭をカグラが優しく撫でると、また後で、と嬉しそうな顔でトモエは去っていった。
その後ろ姿を見えなくなるまで見送り……。
「出て来いテメェ」
「おや、バレとったか?」
一瞬で表情を引き締めたカグラの言葉で廊下の角から姿を現したのは、ホムラ・イルハートだ。その手には、カメラがある。
「シャッター音丸聞こえなんだよテメェは」
「あら? 音は消したはずやけど」
「俺の耳をなめんじゃねぇよ」
ったく、と呆れた顔で言いながら、大体テメェは、とカグラは言葉を紡ぐ。
「覗き見してんじゃねぇよ。仕事はどうした?」
「その問いをそのまま返す」
「俺は終わってんだよ馬鹿か。で、お前は?」
「これから?」
――ガンッ。
ホムラの脳天に、手加減なしの一撃が叩き込まれた。ホムラは頭を抱えて痛がる。
「痛った――ッ!?」
「疑問符浮かべて誤魔化そうとすんじゃねぇよ馬鹿野郎。さっさと部隊の編成終わらせろタコ」
「うう、鬼や……鬼がおるでここに。あと、馬鹿じゃなくて阿呆と言って」
「阿呆」
「それでええ」
何事もなかったかのようにホムラは立ち上がる。この男との付き合いは長いが、未だにわからない部分が多い。そもそも『カンサイジン』とは何だ? 新たな種族か何かか?
「ま、とりあえずやな。その部隊編成についてちょいと隊長であるお前と話し合おう思てな」
「最初からそう言え」
「いやー、だってお前、トモエと話しとる時キャラ違うんやもん」
くっくっく、と本当に楽しそうにホムラは笑ったが、カグラの目がヤバくなってきたことに気付き、慌てて笑うのを堪える。
カグラはそんなホムラを見てはぁ、とため息を吐くと、それで、と問いかけた。
「話ってのは何だ? これ以上ふざけやがったら殺すぞテメェ」
「受けて立つ……と言いたいとこやけと、それはまたの機会やな。今回は真剣やねん」
「お前がマジな話を持ってくるのは珍しいな。明日は雨か?」
「……カグラ、わしかて怒ることはあるんやで?」
ホムラは冷たい目でカグラを見るが、カグラは特に悪びれた様子もなく、肩を竦めただけだった。
これが、二人の関係だ。
親友であり、戦友であり、好敵手である二人の。
ホムラは全く、と呟いてから資料を取り出し、カグラに渡した。カグラはそれを受け取ると同時に、内容に目を走らせる。
「隊員のリストか」
「せや。名前と所属、そんでランクが書かれとる」
「……地上の奴が多いな。ランクはまあ、俺とお前がいるから低くてもある意味納得できるが」
資料を見ながら、カグラは呟く。
ホムラはしかも、と言葉を紡いだ。
「わしやお前の教えたことあるとこばっかりや。……なーんか、裏ありそうちゃう?」
「今更だろ」
ホムラに資料を返しながら、カグラは言った。
「上の連中の権力闘争なんてのは昔っからだろ。俺やお前が巻き込まれんのも」
「ま、せやな」
「ただ……トモエを巻き込むんなら容赦しねぇ」
カグラの瞳に、鋭い光が宿る。ホムラは、微笑んだ。
「……わしな、トモエに甘いやろ?」
「つかシスコンだろ。お前が『恋人にしたい局員ランキング』最下位常連なのはそれが理由だもんな」
「やかましいわっ! 貴様も似たようなもんやろが!」
「婚約者いる奴が上位でどうすんだ馬鹿」
「ぬぬぬ……ごほん。まあええ。いや、良くないけどええことにしとこ」
「無茶苦茶だな。で?」
「おう。……ずっと、負い目があったんや。わしのせいで、トモエはこっちに留まらざるをえなくなったんやないか、って」
――ホムラとトモエの兄妹は転送事故により管理外世界からやってきたという経緯がある。通常ならすぐに記憶改ざんが行われるのであったが、多くの要因がそれを許さなかった。そして、その過程で発覚したホムラの異常なまでの魔力量と、本人の希望もあって管理局に入局した。
だが、トモエは?
ホムラしか肉親がいない、当時十にも満たない少女は?
選択肢などなかったのてはないかと、ホムラは思うのだ。
「せやから、なんや。照れくさいんやけど……お前には、ホンマに感謝しとる」
「感謝?」
「おう。わしにはどうしても、トモエは遠慮してまうからなぁ。お前がいてくれりゃ、あいつは大丈夫やと思えるんや」
ホムラは笑い、それに対して馬鹿が、とカグラは言った。
「救われてんのはこっちだよ。人と関わること自体が少なかった俺に付き合ってくれんのは、クロすけとエイミィ除きゃお前らだけだしな」
カグラは、歩き出す。
「一生かけてでも守ってみせるさ、親友」
「当然や。トモエを幸せにせんかったら、わしがお前を殺すからな?」
「上等」
二人は笑う。
――逃れ得ぬ終焉が、近付いているとも知らずに。
◇ ◇ ◇
夜。その少女は、震える体を必死に沈めていた。身体を強く抱き締め、がちがちと歯を鳴らす。
「…………ッ!!」
襲い来るのは、恐怖。少女は、自らが目にした夢に恐怖を覚えていた。
何故なら、彼女の見た夢は高い確率で現実となる。
――未来視。それが、少女の持つ力だった。
そして、だからこそ。
少女は、恐怖する。
「……このままじゃ、カグラくんとお兄ちゃんが……」
泣きそうな、いや、涙に濡れた声で、少女は言った。
「……二人が……死んじゃうよ……!!」
闇の中。
虚しく、その声は響き渡った。
◇ ◇ ◇
出発前。カグラは目の前で繰り広げられる相変わらずの光景に、呆れてため息を吐いていた。初見であるらしい他の隊員たち……今回、カグラの部下という位置付けにいる者たちは、言葉を失っている。
「あむっ、おむっ、むぐっ……ごくん、はぐっ、ん~……ぷはっ。あーん」
すでに二十人前は平らげながら、それでもまだ大量の食事を食い続けてるのは、ホムラ・イルハートだ。
魔導師の前衛組はその特性上、カロリー消費が激しい。故にカグラも任務から帰還した後は平然と十人前くらいは平らげる。
だが、出撃前にここまで食べる魔導師はホムラくらいしかいない。大体、食べ過ぎると――
「ホムラ、テメェ食い過ぎだ馬鹿。吐くぞ?」
「んぐっ、ぶはっ……阿呆。食うたら食うだけ魔力が精製されるんやで? 食わな損やろが」
「ねーよ」
カグラは呆れ返る。魔力量というものは個々人で決まっているものであり、スタミナと一緒で休息を取れば回復していくものだ。コンディションによって多少回復量や総量に差異は出るが、食事で魔力が増えることは有り得ない。
ホムラは食い続けながら、むー、と声を漏らす。
「んぐっ……嘘や、ない……はぐっ、むぐっ、……で?」
「食うか喋るかどっちかにしろよテメェは」
ったく、とカグラはため息を吐き、隣に視線を送る。カグラの隣では、トモエが苦笑していた。
「まあ、気持ちの問題なんだと思うよ?」
「どっちにせよ食い過ぎだっての。あいつの給料の使い道、七割食費だろ?」
どれだけ高いエンゲル係数だ。
内心でつっこみ、今尚食い続けるホムラをぼんやりと眺めながら、ポツリと、カグラは言った。
「……大丈夫だよ」
「えっ?」
「何を不安に思ってんのかは知らねぇけどな。何があろうとお前のことは絶対に守る」
言葉を聞き、トモエは微笑む。
「カグラくん、優しいよね」
「さてな」
照れ隠しに、顔を背けるカグラ。トモエは微笑んだ。
「……優しすぎるよ、ホントに」
その呟きは、誰にも届かなかった。
◇ ◇ ◇
――それは、誰一人として予測しない結末だった。
人という存在に巣くう、悪鬼羅刹。その犠牲に選ばれた者たちを救うため、少女は戦う。
全てを、懸けて。
…………。
……………………。
………………………………。
話が違う。それが、全員の感想だった。
ロストロギアの封印任務……確かに油断はできない任務だが、『二人のエース・オブ・エース』がいれば問題なく遂行されるはずの任務だった。しかし――
「撤退しろ!! 殿は俺とホムラが務める!! コイツはテメェらには荷が重過ぎる!!」
「はっ、何が危険度A級ロストロギアや。特S級のそれやろが。……こういう時、貧乏くじ引かされるからきっついなぁ」
『二人のエース・オブ・エース』の眼前に展開するのは、地獄だった。
巨大な魔物――そうとしか表現できない、絶対的なまでの圧力を放つ怪物と、その怪物に蹂躙され、かつての緑溢れる世界の面影さえなくなった一帯。
理不尽とは、正にこのことだ。
「……嵌められたようやな」
「薄々気付いてたことだろうが」
「ま、せやな」
二人は軽く言葉を交わし合う。
これはつまり、上層部の意向だろう。
正確な情報を与えず、満足な人員も揃えず、二人をここへ寄越した。
『死ね』と、言っているのだ。
これほどまでに、管理局のために尽くしてきた二人に対し――『死ね』と。
「ホムラ。相手のことは何一つわかりゃしねぇが……それならそれでいい。先手必勝、見敵必殺。全力でぶちのめすぞ」
「上等。わかり易くてええやないか」
だが、だからといって大人しく従う二人ではない。
たとえ敵がどれほど強大でも、この二人が揃ったならば。
打ち倒せぬ――道理はない。
「ヘルダスト!!」
「ライジングサン!!」
二人はそれぞれ自身のデバイスの名を呼ぶ。
そして相棒たちが応じると同時、カグラは二丁のライフルの照準を敵に合わせた。
「ぶち抜け!!」
《Rasing Cannon》
放たれるのは、一点突破の熱線。閃光の煌めきは、狙い違わず敵を穿つ。
そして、カグラはデバイスの形態を変更。ホムラを呼ぶ。
「ホムラッ!!」
「わかっとるわ!!」
《Inocent Buster A.C.S》
ホムラのデバイス『ライジングサン』の先端に魔力刃が精製され、魔力の密度が上がっていく。
カグラはソルジャーモードで手足に装着されたヘルダストを携え、ホムラの背後に回り込む。
そして。
「行くぞホムラ!」
《Human Cannon,Bullet H&R》
「ドライブ!!」
カグラの蹴りにより放たれる人間砲弾で更に加速を得たホムラが、敵に突撃。その障壁を、刃が刺し貫く。
「吹っ飛べや!!」
容赦など微塵もない、ゼロ距離射撃。
数多の敵を打ち破ってきたその一撃はしかし、届かなかった。
「多重障壁!?」
ホムラは思わず声を上げる。ホムラの砲撃を防ぐ障壁が、何重にも渡って展開されている。あまりにも分厚いそれは、こちらの突破を許さない。
「下がれホムラ!」
カグラが叫ぶが、遅い。
――ズンッ!!
放たれた閃光がホムラを飲み込んだ。カグラが声を張り上げる。
「ホムラッ!! 野郎ッ!!」
ヘルダストを構えるカグラ。その隣を、何かが駆け抜ける。
「トモエ!?」
他の隊員たちと共に後方へ下がっていたはずの少女が、飛来する。
「待て!」
カグラは叫んだ。ホムラが通用しなかった相手だ。トモエがどうにかできる相手ではない。
――だというのに。
「…………」
トモエを中心に、魔法陣がいくつも展開される。
それは、トモエという魔導師が発動できるはずがないほどの密度と純度を有していた。
……その、有り得ない現象を引き起こす代償は決して軽くはない。
しかし、トモエという少女は全てを承知でその魔法を行使する。
「……補足、転移」
凄まじい一撃を喰らってしまったホムラの位置を、トモエは確認。すぐさま後方へと転移させる。
――目を、開ける。
いつもなら茶色のかかった黒い瞳を有する彼女が、何故か金色に輝く瞳を有していた。
「ふっ」
短く息を吐き、トモエは自身が持つ意志持たぬデバイス『アレルヤ』を握り直す。ホムラのものとデザインを似せたそのデバイスを敵へと向けた瞬間、トモエ目掛けて無数の触手が飛来してきた。
「トモエ!!」
カグラが叫んだ。トモエは、届かないとは知りつつも、呟く。
――大丈夫。
そして、不可思議な現象が展開される。
『ギィィイイアアァアィァアアアイイイイッッッ!!』
暴走した、意志なきロストロギアが吠える。それは、虚しき怒りの叫び。
――当たらない。
ただの一発足りとも、トモエへの攻撃が当たらないのだ。
「……嘘だろ?」
カグラは呆然と呟いていた。あまりにも、鮮やか過ぎる。
避けるという行為は、予測から成り立つ。だからこそ、その行為は敵の一歩先を歩むことに他ならない。そうであるからこそ、『避ける』という現象が成り立つのだ。
しかし、今、目の前で繰り広げられている行為はそんなものではなかった。
一歩先どころか、二歩、三歩先をトモエは歩んでいる。
まるで、未来がわかっているかのように。
「イノセント……」
トモエが、敵に狙いを定める。
「バスターッ!!」
放たれた、兄と同じ銀色の閃光は、敵が何重にも纏う障壁を一枚、食い破った。
有り得ない威力。カグラやホムラと並ぶだけの力を、今のトモエは有している。
「……凄ぇ……」
カグラは呟く。純粋な賞賛の言葉を。
――ただ。
彼の目には、トモエの口元から滴る血が……映っていなかった。
◇ ◇ ◇
憤怒。それしかなかった。
鬱陶しい、鬱陶しい、鬱陶しい。
なんだ、これは。
世界を滅ぼすことこそ、自らの存在意義。
幾年幾歳、それだけを繰り返してきた。
力を求める者へ、暴虐の力を。
救いを求める者へ、死という名の安息を。
ただただ、繰り返してきた。
自らの名を、忘れてしまう程の月日を。
――許すわけにはいかない。
許せるはずがない。
我は、闇。
永久の闇。
我はただ、世界を黒く染め上げん。
しかし、宿主なくば力が足りない。
どうする?
どうする?
どうする?
……なんだ、いるではないか。
極上の光を放つ、贄が。
かつて、あの光に敗れた。
故に、あの光を貶める。
――汚せ。
――汚せ。
――汚せ。
我は闇。無限にして永遠の、混沌たる破壊者なり。
かつて夜天の名を宿した存在は、今や、最悪の存在へと堕ちてしまった。
その因果が断ち切られるのは、ここではない。
故に、惨劇が起こり得る。
――夜は、更なる闇を抱き、堕ちていく。
◇ ◇ ◇
……自分のレアスキルに気付いたのは、理解したからだった。
初めて〝夢〟を見た時は、何もわからなかった。
悪夢……そう、同僚で友人であった魔導師が凶弾に撃ち抜かれ、死ぬ夢だ。
普通、夢というのはすぐに思い出せなくなってしまうものだ。しかし、その夢の内容は中々忘れることはなく、そして、忘れられなくなった。
死。
夢で見た通りに、その同僚は死んだ。夢から覚めた、その日に。
それが幾度となく繰り返され、否が応でも理解する。
――私は、『未来を視て』いる。
制御できるものではなく、ただ、『視る』のだ。
死を。
他者の終わりを。
おそらく……自身の周囲にいる人間が死に瀕した際に視えるのだと、そう理解した。何故なら、一度たりとも知らない人間の死を見たことはなかったから。
怖かった。誰にも話せなかった。
そう……最愛の人にさえ。
だから、一人で探し続けた。
未来を変える術を。
そして辿り着いたのは、『運命操作』を為したという古代ベルカの『聖人』の生み出した術式。
逃れ得ぬ運命に逆らうための、命を懸ける禁忌の術式。
「…………」
口元を伝った血を拭う。やはり、無理がある。
自らの『死』を予見し、それを避ける。それ即ち、運命を変えること。
しかも、『死』という特別な運命をねじ曲げているのだ。命を使う術式と相まって、凄まじいまでの負荷がかかっている。
だが、これでいい。
何もしなければ、誰よりも大切な二人が死ぬことになる。
これは……挑戦だ。
今まで、何もしてこなかった。
運命に、ただただ黙して従ってきた。
そんな自分が初めて、運命に逆らう。
未来を、運命を捻じ伏せるための――挑戦。
「……させない」
トモエは呟いた。刻一刻と命は力となり、その瞳は『死』を予見する。
負荷は命を文字通り削り取っていき、初体験する膨大な魔力は体を圧迫する。
それでも。
「殺させない。殺させるもんか」
世界中の誰よりも、大好きな人たちのために。
彼女は、戦う。
自らの命を、賭け金として――
――ギョロリ。
濁った瞳が、トモエを捉えた。悪寒が走り、目に映るいくつもの『死』に恐怖を抱く。
だが、トモエはそんな自分を必死に奮い立たせる。
「来なさい! ロストロギア!」
◇ ◇ ◇
……最善を尽くした。そう、言っても良かった。
そう、最善。
誰か一人の犠牲で、他の全てが救われる。
そんな、結末。
そんなものが――『最善』だった。
「……カグラ、くん」
闇の書……それは、宿主を以て破壊をもたらす、史上最悪のロストロギア。
「私ね……運命に、勝ったよ?」
ならば、逆に。
誰かが闇の書を体内で抑え込めば。
一時的であってもそれができれば。
「だから、泣かないで?」
――殺すことができる。
宿主ごと、闇の書を破壊することができるのだ。
「カグラくんも、お兄ちゃんも、救えたんだから。だから」
「……馬鹿、野郎……ッ!!」
カグラは、血を吐くようにそう言った。
彼が抱き締めるトモエの体……その体には、いくつもの弾痕が刻まれていた。
殺傷設定でカグラが撃ち込んだ、傷跡だ。
「もっと……もっと別の方法が!! 手段がきっとあったんだ!! ふざけんな!! なんで、どうしてこんなことになってんだよ!!」
カグラは、心の底からの叫び声を上げる。闇の書との戦いの結末は、あまりにも単純だった。
宿主を欲した闇の書は、トモエを狙った。そしてそれをトモエは受け入れ、乗っ取られ、自我がなくなる前にカグラに頼んだのだ。
――撃って欲しい。
それで、終わるからと。
理不尽だった。不条理だった。あまりにも残酷な結末だった。
トモエは、弱々しく首を振る。
「いいの。私は、幸せだから。こんな風に、大好きな人に抱かれて、看取ってもらえて。私は、幸せ」
「…………ッ!!」
カグラの頬を、涙が伝う。
俺も、とカグラの口から言葉が漏れた。
「俺も、お前を、愛してる」
その言葉を紡ぐのが、精一杯だった。
トモエは、微笑む。
「嬉しい、な。カグラくん照れ屋で、そんなこと、言ってくれなかったから」
……ピキッ。
トモエの体が、再び闇を纏い始める。
命を燃やし、抑え込もうとも……闇の書を完全に抑え込むことはできない。
「カグラくん。約束、して欲しいの」
「……何をだ?」
「自分を、責めないで」
トモエは、微笑み。
カグラは――泣いていた。
「私はね、運命を変えたんだから。だから、いいの」
「いいわけ、あるか。お前は死ぬんだぞ? なのに、何で! どうして!!」
「あなたを守れたことが、私の誇りになる」
たった一つの。
カグラ・ランバードの隣に立つ資格になると、トモエは言った。
「そして、もう一つ。……もう、私で最後にして」
……ピシッ、パキッ。
「管理局は、正義じゃなきゃいけない。だから、もう、私みたいにくだらない権力争いで死ぬ人を、生み出さないで」
「……ああ。必ず。必ず、変えてみせる」
いつものこと、と諦めていた自分を呪いたくなる。
そのせいで、こんなことになったのだから。
トモエは、満足したように微笑んだ。
「それじゃ、最後に、二つだけお願い」
「…………ッ」
最後。その言葉が、あまりにも重く。
カグラは、黙っているしかなかった。
「カグラくんには、たくさん、たくさん思い出をもらったから。だから最後は笑顔がいい」
「……馬鹿野郎。変な顔になっても、笑うなよ」
泣き笑い。トモエは、うん、と頷く。
そして。
その時が、やってくる。
「私を、殺して」
カグラは、銃口をトモエの胸元へと押し付けた。
手が震え、銃身がカチカチと音を鳴らす。
「カグラくん。覚えておいて欲しいんだ」
……ピシッ、パキッ。
「運命は変えられる。悲しい未来は、打ち壊せる」
……パキン。
「泣いてくれてるの? もう、笑って、って言ったのに。うん、でも、そうだね」
――ジャキッ。
魔力が、灯る。
「そういう、優しいところが、大好き」
――カチン。
「バイバイ。ありがとう」
銃声が、轟いた。
「う……っ、くっ……!」
大切な人の血で自らを濡らした英雄が、吠える。
理不尽に。
不条理に。
悲しみに……屈してしまう。
「うあああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!」
◇ ◇ ◇
翌日。
カグラは、トモエの部屋で一通の手紙を見つけた。
カグラ宛ての手紙は、トモエからのものだった。
『えっと、この手紙がカグラくんのところにあるっていうことは、きっと私は戻れなかった、っていうことなんだと思います。
……嫌な予感、それもとびっきりのものだったから、私はこれを書くことにしました。
なんていうか、難しいね、手紙って。
いっぱい、いっぱい話したけど……そういえば、私がカグラくんに惹かれた理由とか、話したことなかったね。
えっと、照れくさいんだけど……私ね、カグラくんに救われたんだ。
言葉も通じない世界に来て、誰も頼れなくて、ほら、私あんまり人付き合いが得意じゃないから。お兄ちゃんみたいにすぐに溶け込めなかった。
それを、カグラくんが引っ張り上げてくれたんだ。
引きこもってた私の手を引いて、色んなことを教えてくれて。
惹かれて、いって。
うん、なんというか、好きになっていったんだね。
だから、カグラくんが好きだって言ってくれて、プロポーズまてしてくれたのは本当に嬉しかったよ。
……なんか、照れくさいね。
でもね、これだけは言えるよ。
カグラくん。あなたは、私にとって誰よりも格好良くて、強くて、頼りになるヒーローです。
私なんかを救い出してくれた、大好きな人です。
だから、これからも前に進み続けてください。
私も、一緒にいたかったけど。
きっと、それは叶わなかったから。
でも、カグラくんなら、一人でもやっていける。
あなたの優しさは、色んな人を照らしていく。
私は、ここまでだけど。
あなたはきっと、もっと高みへ行けるはずだから。
ありがとう。
本当に、ありがとうございました。
そして、さようなら。
あなたは、私が愛した人です。
誰より愛する、人でした。
……頑張れ、私の旦那様』
◇ ◇ ◇
トモエの死から、数年後。
カグラは、愛する人の墓前にいた。
それは、管理局がホムラ・イルハートという反逆の英雄を生み出した次の日。
親友とさえ決別し、管理局の闇へと挑むと――そう決めた日だった。
「あの馬鹿がやらかしやがった。どういうつもりかは知らねぇが、見過ごせることでもねぇ」
花を供えながら、カグラは言う。
「お前が残してくれた、例の……『オリヴェント式』とかいう術式もある。まあ、あの馬鹿にやられた分は、それでカバーする。約束も、まあ、時間かけてもなんとかするさ」
ただ、一つだけ。
あの少年だけが……管理局のために死ぬことを定められた少年だけが、約束と違えている。
「やらなきゃなんねぇことは山積みだ。だから、もうちょっとばかしそっちに行くのは遅れる」
だから、とカグラは言った。
「見守っててくれ。あの馬鹿についても、きっと何とかするからさ」
そして、カグラは黙祷する。
そのカグラの頬に、何かが触れた気がした。
「…………」
カグラは口元に笑みを浮かべ、その場を立ち去る。その時持ち上げた左手の指には、指輪が填められていた。
そして、カグラは聞く。
懐かしい、声を。
〝頑張れ、私のヒーロー〟