陸士108部隊の壊滅から、二週間近く。
八神はやてとファイム・ララウェイは、穏やかな日々を過ごしていた。
彼らは、何も知らない。
だが、その日。
根拠も何もない、ただの勘として。この穏やかな日々の終わりを……感じていた。
「はやてさん。確認させてもらってもいいですか?」
結局、ファイムははやてに対して敬語を使っていた。戦うことを決めたはやての側にいようと決めた以上、彼女に不必要に近づいてはならないと判断してのことだ。
はやてもそれを受け入れ、せめてこの戦いが終わるまでは、ファイムが敬語で話すことを受け入れている。
「ん、どないしたん?」
「決意は、変わらないのですね?」
それは、確認の問いかけだった。はやては、うん、と頷く。
戦うことを選んだ彼女には、今もまだ、迷いがある。
罪人としての自分。
償いの仕方。
その全てに整理はついておらず、『逃げたい』という気持ちは残っていると、彼女は語った。
しかし、それでも戦うことを決めたからと。
はやては……笑うのだ。
「今まで歩いてきた自分の道を否定しないために。わたしは、戦うよ」
「そう、ですか」
彼女が決めたのなら、是非もなく受け入れる。
ファイムはそう決めていたし、同時にそうなるだろうと考えていた。
だが……ままならないものである。
(辛いとわかっている道を進もうとするはやてさんを、止めたいと思ってる)
矛盾だらけだ、本当に。
ファイムは苦笑を零す。そのファイムの背中に、丸で今にも壊れそうなものに触れるようにそっと、はやてが手を伸ばした。
「はやてさん?」
「……わたしが決められた理由はな、ファイムくんがいるからや。ファイムくんが一緒にいてくれるなら、わたしは頑張れる。頑張ろうって、逃げたらアカンって、そう思ったんやで?」
優しい言葉だった。ファイムは静かに頷く。
いつまでかはわからない。
それでも、『生きる』と決めた。
この人の隣で。
ただ……それだけで、良かった。
◇ ◇ ◇
時空管理局本局。
そこで、一つの決定が下された。
「もう、収拾をつけるにはこれしかないわ」
珍しく疲れた顔で、理事会の議長であるミゼットは言った。彼女の言に対し、他の理事たちも言葉はない。
世間は今、混迷を極めていた。
例の……クライムという男が率いる組織の行動こそないものの、他の有象無象たちが行動を起こし、管理局は対応に追われており、また、管理局の評判も問題になっている。
前々から流れていたファイムの件や、今まで管理局が表に出せなかったこと……レジアス・ゲイズのジェイル・スカリエッティとの繋がりや、『最高評議会』の行い、英雄たちによって葬られた、『屍部隊』というものの実在。
内部告発を中心に、今までひた隠しにしてきた管理局の闇が次々と公開されているのだ。
静まり返った室内。そこに、吐き捨てるような声が響いた。
「今までのツケが回ってきただけだろ。悪は許さず、ってな」
声を発したのは、カグラ・ランバード。未だ万全とは呼べぬ身でありながら、その場にいた。
前線を退き、全ての肩書きを捨て、代わりに『陸士部隊統括官』……地上本部の戦闘部門、その最高位に就くことになった彼は理事でこそないが、今回の事件に深く関わる人間としてここに参列している。
「テメェらの尻拭いにあいつらを使うのは気に入らねぇ。けどま、そのために他の奴らまで危険に晒すのもおかしいからな。今は静観してやるよ」
「言葉を慎め」
理事の一人が声を上げる。ことあるごとにカグラの発言に噛みついてくる、無能な男だ。
カグラは、はっ、と吐き捨てる。
「クビにすんならすりゃあいいだろ。できんならよ」
「……本当に、いっそ憎らしい程に自分の立場を弁えているね、坊や」
「誰かさんたちのおかげでな。そうしなきゃ死ぬってんなら、そうなるしかねぇだろうよ」
カグラは吐き捨てる。ミゼットは、ふぅ、と息を吐いた。
「反対なんてしないだろうね、カグラ?」
「どうとも。あいつらがそれを選ぶんなら、いいんじゃねぇの?」
カグラは、笑みを浮かべる。
「ただ……どうなるかは知らねぇがな」
◇ ◇ ◇
互いに、無言だった。
ただ黙して、ソファーに並んで座っている。
「…………」
不意に、ファイムが立ち上がった。はやては何も言わず、黙している。
ファイムは目を閉じ、そのまま、右目を覆っていた眼帯を外した。
その瞬間。
――ダダダダダダダダダダッ!!
荒々しく、床を蹴る音が響き渡った。
二人がいる部屋のドアが弾かれるように開け放たれ、二十人近い武装した魔導師が雪崩れ込んでくる。その全員から剣呑な雰囲気が漂っており、立ち上がった状態のファイムとその背に庇われる形となったはやてを取り囲む形となって彼らは動きを止める。
そしてその人垣が割れ、一人の女性が進み出てきた。
――リンディ・ハラオウン。
『奇跡の女神』と異名をとる、管理局の女傑。
「……土足で上がり込んでくるのは、いくらなんでも無礼ではありませんか?」
ファイムが、静かに言葉を紡ぐ。
その瞳が開かれ、その場にいた者たちは全員が息を呑んだ。
金色に輝く右の瞳。自然に生まれたものではないそれは、戦うための命……戦闘機人の瞳。
更なる力を求めたファイムが望み、ようやく体に馴染んだ力だ。
怒りを称えるかのように爛々と輝く金色の瞳。その瞳を真っ直ぐに見つめ返しながら、リンディは言葉を紡いだ。
「それについては謝罪します。しかし、事は一刻を争う状況です」
言いながら、リンディは控えている魔導師に視線を送った。その指示を受け取った魔導師が二人、前に進み出ると、それぞれ小箱を取り出し、その蓋を開けた。
入っていたものは……それぞれ、違う。
片方は、執務官バッジと一等陸佐の階級章。そして、インテリジェントデバイス『リンネクロウズ』。
もう片方は、戦場で将官以上の者が被る指揮官帽。そして、『准将』の階級章だった。
「この際、ファイム・ララウェイ……あなたが何故ここにいるかについては問いません」
「問われる筋合いもありませんが」
ファイムの言葉に、自然と棘が宿る。
彼らが何を望んでここに来たのか、わかってしまったからだ。
だから、ファイムは言い捨てる。
「僕は自分の意志でここにいる。それが罪だというのなら、ご自由に」
「……聞いていた人物像と随分と隔たりがありますね」
リンディがため息を吐く。ファイムは、当然ですと頷いた。
「礼には礼を。無礼には無礼を以て。人に礼儀を通して欲しくば、相応の態度をとってください」
「道理ね。構いません。……時空管理局理事会より、二人に辞令が下りました」
一歩進み出ながら、リンディは言い放つ。
「八神はやて。あなたは特務部隊機動六課部隊長から解任、同時に一階級の昇進により准将に任命」
突然の言葉であるそれに、はやてとファイムは表情を驚愕に染める。しかしそれを無視し、リンディは更に続けた。
「ファイム・ララウェイ。剥奪していた執務官資格を特例により、返還。また、同時に二階級昇進により、一等陸佐に任命。特務部隊機動六課の部隊長補佐からは解任」
突然の、二人同時の昇進。そして、六課からの解任。
それが、意味することは。
「待ってください、リンディさん。六課は……みんなは、無事なんですか?」
「……六課は、壊滅、いや、敗北しました」
二人の目が見開く。リンディは、更に続けた。
「また、陸士108部隊も壊滅。管理局は、敗北したのよ」
ホムラ・イルハートが起こした戦いに引き続き。
管理局は、敗北を喫してしまった。
「特務部隊機動六課は解散。最早『奇跡の部隊』でさえ、この状況を覆すことはできないわ」
「……成程、理解しました。だからこその、『准将』ですか」
八神はやてに与えられた階級の意味を、ファイムは悟る。
六課の解散。地上の要たる陸士部隊、その一角の壊滅。そこから導き出される答えは――
「管理局法戦時特例第十三条……『旅団運用』」
「流石ね」
ファイムの言葉に、リンディは頷き、そして、二人に言う。
「あなたたちは今までの功績を考慮した結果、旅団を率いるに相応しいと判断されました」
ある意味で、それは栄転とも呼べる状況だった。
二人は階級を上げられただけでなく、戦時中でなければ成立しない『旅団』という規模の軍隊を率いることを命じられたのだから。
だが。
ファイムは、そんな理由では納得しない。
「建て前など、どうでもいい」
ファイムは、吐き捨てるように言った。
「察しろ、などと都合のいいことを押し通す気なら、その辞令を受ける気はありません」
ファイムが言い捨て、それを聞いたはやてが何かを言おうとしたが、ファイムがそれを押し止めた。
ここだけは。
この一線だけは、譲れない。
「僕は管理局のために死ねと言われて生きてきました。それは僕自身が選んだ道ですし、今更誰かを恨むことなどありません」
それは事実であり、受け入れるべきこと。
「二階級昇進? それは、『そういう意味』なのでしょう? レジアス・ゲイズ中将も、カグラ・ランバード一佐も直接言いましたよ? 『それ』を口にする覚悟さえなく、あなたはここにこられたのですか?」
糾弾の言葉だった。俄に、魔導師たちが殺気立つ。
それをリンディは手で制し、言葉を紡いだ。
「……あなたたちには、広告塔になってもらいます。あなたたちが戦うことは、管理局が失いかけている信頼を取り戻すための礎となります」
八神はやて。
ファイム・ララウェイ。
地上においてとてつもない知名度と影響力を有し、尚且つ、ファイムに至っては『管理局の闇』と一部では考えられてしまっている始末。
それが管理局の一員として戦えば、それは確かに風聞を覆す要因となる。
「そして……そのために、私は敢えてあなたに言います。ファイム・ララウェイ執務官。はやてさんはあくまで指揮官。しかしあなたには、最前線で戦ってもらうことになる」
ファイムは、冷たい目でリンディを見る。
リンディは、逡巡を捨て、言い切った。
「二階級昇進……いえ、二階級『特進』と受け取ってください。私たち管理局は、あなたに『死』を命じます。その命燃え尽きるまで、戦いなさい」
それは、死の宣告。
これを告げられるのは、三度目だ。
一人目は、それを当然と断じ、何の迷いもなく告げてきた。
二人目は、迷いながら、それでもそれしかないからと、血を吐くように告げてきた。
そして三人目は……その両方を内包し、しかし、凜とした口調で告げてきた。
結局、行き着く先はここなのだろう。
どれだけ望んでも。
周りが『それ』を許さない。
生きること。
死ぬこと。
嗚呼、とファイムは思った。
(僕にも、選択の権利はなかったのか)
今更だけど。
今更だから。
ファイムは、進むのだ。
抗いながら。
抗えないと知りながら。
それでも、まだ――……
「はやてさん」
選択の権利など、自分には必要ない。
どうせ、終わりが定まった人生だ。
「私、ファイム・ララウェイは、あなたに従います」
ファイムは跪く。はやてに頭を垂れ、言葉を紡いでいく。
「あなたが望むならば、永遠の地獄にさえ堕ちましょう。……御言葉を」
それは、茶番だった。
ファイムは、すでに知っている。知っているからこそ、確認するのだ。
戦うこと。
戦わないこと。
今ならまだ、引き返せると。
「シュベルトクロイツ」
はやては立ち上がると、彼女のデバイスを起動させた。バリアジャケットは纏わず、杖だけを構築している。
はやては周囲を見回すと、厚手のコートを持った魔導師からそれを借り、羽織る。
「わたしの分、貰いますね?」
言って、はやては指揮官帽に階級章を付けると、それを被った。そして、ファイムの前に立つ。
「わたしの覚悟と選択は、何も変わらへん」
言いながら、はやての声に迷いがあることにファイムは気付いていた。
しかし、それでいいのだ。
迷い続けてこその、人だから。
「わたしは戦うよ。戦うことを決めたから。怖いけど、それが選んだ道やから。ファイムくん。わたしと一緒に、戦ってくれる?」
「命令を、頂ければ」
ファイムは面を上げぬまま、はやてに言った。
「この命をあなたのために使うと決めました。あなたを戴くと、そう決めたその瞬間から。弱き非才の身にはありますが、全身全霊を以て」
はやては、ぐっ、と唇を引き結ぶ。
命令。
戦うこと。
それについても、決着は一度着いている。
二人の想いも。
信念も。
「戦いなさい、ファイム・ララウェイ」
はやては、その言葉と共に、シュベルトクロイツを差し出した。ファイムはそれを、両手で受け取る。
「生きて、生きて、生き抜いて。その命の限り、わたしと共に戦いなさい」
それは、運命を受け入れず、八神はやてという女性が辿り着いた答え。
希望を抱かなければ、未来は見えないのだから。
だから、彼女は。
迷いの果てに、その言葉を口にする。
「運命など変えなさい。希望を持って、生きて戦いなさい。それが、わたしの命令です」
ファイムは顔を上げ、ゆっくりと頷く。
「――承知」
ファイムは立ち上がりながら彼のデバイス『リンネクロウズ』を手に取ると、それを纏う。
そして、彼は。
微笑みながら、誓う。
約束として。
生きることを。
「I have a hope, my dear」
ファイムが、紡いだのは。
たった、一つの意志。
――希望を抱く。