魔法少女リリカルなのは~優しい嘘~   作:アマネ・リィラ

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第二十八章〝共に堕ちて逝くために〟

 

 無意識のうちにため息が漏れた。ここ数日、まともに休む暇もない毎日のせいで疲れが溜まっている。

 そんなことを思いながら、『准将』の階級章を着けた女性――八神はやてはぼそりと呟く。

 

「……受け身ばっかりや。これやと、どうにもできひん」

 

 仕方ないのかもしれないが、どうしても受け身になってしまう現実が歯痒い。

 勝てるのか……そんな弱い気持ちがはやての心に沸き起こる。

 今回の戦いの被害は甚大だ。旅団の構成員そのうちの二割は負傷などで戦線離脱。その中にはファイムにソラ、ギンガといった主力メンバーも含まれている。

 どこかで攻勢に転じなければいずれ削り取られる――今回の結果は、それを暗に示していた。

 

「せやけど、どうしたらええか……」

 

 クラナガンは半壊。その復興もある。やることは山積みだ。

 ふう、とはやてがもう一度ため息を吐いた時。

 

「はやて!!」

 

 ドアを蹴破るかのような勢いで、フェイトが入ってきた。普段の彼女らしくないその行動にはやては驚き、目を丸くする。

 

「フェイトちゃん? どないしたんや、らしくあらへん――」

「大変だよはやて!! ファイムが――」

 

 ファイム。その単語を持身にした瞬間、はやての表情が変わる。フェイトは、叫ぶように言葉を紡いだ。

 

「ファイムが病院から抜け出して行方不明なの!!」

「――何やて!?」

 

 ガタン、という音を響かせながら、はやては立ち上がる。フェイトは頷いた。

 

「シグナムとヴィータが様子を見に行ったんだけど、病室にいなくて。昨日の夜のうちに抜け出したんだろうって」

「…………ッ、何でそんな……」

 

 はやては呟く。今回の戦いにおいて最も重傷だったのはおそらくファイムだ。あまり言いたくはないが、命を繋ぎ止めているのが不思議なくらいの重傷だった。その重傷故に意識を失って眠っていた彼が、失踪?

 嫌な予感しかしない。はやては拳を握り締め、唇を噛む。そんなはやての様子を見て、フェイトは頷いた。

 

「今、手の空いてるみんなで探してる。はやても」

「……せやけど、わたしは」

 

 はやては首を振る。自分は責任者だ。無責任に仕事を放り出すわけにはいかない。

 そう――指揮官とはそういう仕事だ。

 百のために一を切り捨てる。そうしなければならない。

 たとえそれが、誰よりも大切な人であっても。

 

「わたしは、ここの指揮官や。その責任を疎かにはできひん」

「……はやて」

「探したいよ。心配やよ。せやけど……許されへんのや。そんなことは」

 

 俯きながら、絞り出すようにはやては言った。フェイトは、はやて、と彼女の名を呼ぶ。瞬間。

 

 ――パシンッ!

 

 乾いた音が響き渡った。はやては呆然とし、叩かれた頬を左手で撫でる。フェイトは、握り締めすぎたせいで血を滴らせるはやての右手を優しく握った。

 

「本当の気持ちを隠しても後悔するだけだよ、はやて。きっとね、ファイムを見つけることができるのははやてだけだと思うんだ。だから、はやては行かなくちゃだめだよ」

 

 フェイトは、優しくはやての背中を押す。

 

「ここは任せて、はやて。……行ってらっしゃい」

「フェイトちゃん……うん、ありがとうな」

 

 帽子を置き、はやては部屋を出る。フェイトは、ふう、と息を吐いた。

 

「本当に、はやても意外と素直じゃないよね……。私の出会いはどこにあるのかなぁ……」

 

 苦笑し、フェイトは仕事に取り掛かった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 聖王教会。

 首都クラナガンにある総本山ともいうべき場所の一角で、彼は目を覚ました。

 ――ウィル・ガーデンズ。

 エリオ・モンディアルに敗北した彼は、目の前の光景に困惑する。

 

「ここはどこだ? 牢獄じゃねぇ……?」

 

 世間一般の牢獄とは、鉄格子があって然るべきだ。しかし、ない。

 それにかなり整然としている上に窓まであり、ベッドや本棚まで設置されている。間違いなく、罪人を閉じ込めるような場所ではない。

 何なのだろうか――そんな風にウィルが頭を悩ませていると。

 

「失礼します……あら、目を覚まされたのですね」

 

 不意に、金髪の美女とそれに付き従う紫髪のシスターが入ってきた。そのうち、金髪の美女はウィルに微笑みかけると上品に言葉を紡いでくる。

 

「初めまして。ここ、聖王教会で騎士をしておりますカリム・グラシアと申します。こちらは――」

「シャッハ・ヌエラです。シスターをしております」

 

 シャッハ、と名乗った女性が頭を下げる。その自己紹介の後、では、とカリムが言葉を紡いだ。

 

「あなたのお名前、お聞きしても?」

「……ウィル」

「では、ウィルさん。無事に目を覚まされて良かった。この子も、お返ししておきますね」

 

 カリムが言うと、黒い小さな物体がウィルのもとに飛来してきた。受け止めたウィルは、思わず声をあげる。

 

「サリヴァ!?」

「キュウ~」

 

 小型状態の飛竜――サリヴァルムが、嬉しそうにウィルにすり寄る。カリムが微笑を浮かべた。

 

「流石に封印処理は施しましたが、それ以外は特に問題ないはずです」

 

 その笑顔からは悪意が伺えない。ウィルは思わずカリムへと問いかけた。

 

「あんた、管理局の人間じゃないのか?」

「一応、管理局にも席を置かせて頂いておりますが……あくまで私たちは教会の人間です。それとも、管理局の方が良かったですか?」

 

 クスッ、と笑みを浮かべて言うカリム。ウィルは、首を左右に振った。

 管理局は……正直、冗談じゃない。

 だが、疑問が残る。あの赤髪の――エリオとかいう少年は管理局の人間のはずだ。それなのに、どうして自分は聖王教会にいるのか?

 それが顔に出ていたのだろう。カリムは微笑みながら、大きな理由はございません、と言葉を紡いだ。

 

「とある優しい指揮官の配慮で、あなたをここに招いただけです。何かわからないことがありましたら、何なりと申し出てください」

 

 微笑。カリムは、では、と言葉を紡ぐ。

 

「ご自愛ください」

 

 そうして、部屋を出ようとするカリム。ウィルは、何かを言おうとして。

 何も――言えなかった。

 

「……キュウ?」

 

 ……サリヴァが、小さな鳴き声を上げた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「……普通、男女の病室って別だよな?」

「普通はねー」

 

 リューイの呟きに、隣のベッドにいるスバルがうんうんと頷く。リューイは大きく息を吸い込んだ。

 

「なんでスバルさんと同室なんだコラアァァァッ!?」

「病室ではお静かに!!」

「すんません!!」

 

 全力で怒鳴りにきた看護師のお姉さんに、全力で謝るリューイ。

 事ある毎に脱走を企てる彼は、病院内で要注意人物の扱いを受けている。そのため看護師さんたちには頭が上がらないのだ。

 

「あははー、怒られたねリューイ」

「いや、てか……マジ、いくら何でもおかしくないですか?」

 

 リューイははぁ、とため息を吐く。この間の戦いの時、リューイは大人しく病院にいたのだが、その戦いが終わった直後にスバルが運び込まれてきた。

 外傷は腹部の銃創意外に大きなものはなかったのだが、魔力の過剰使用と疲労によってしばらく眠っていたのだ。

 そして、リューイはというと……。

 

「あの、そこの二人? 睨むのやめてくれません?」

「「…………」」

 

 ウェンディ・ナカジマ。

 ティアナ・ランスター。

 この二人組に看病(という名の見張り)をされ、気の休まる時がなかった。

 二人は何らかの約束事を決めたらしく、交替しながら看病してくれた。それだけなら凄まじくありがたいのだが、しかし。

 そう――しかしだ。

 この二人は、あろうことかリューイの看病の理由をこう言ったのだ。

 

 ――『スバルを襲わせさせないため』と。

 

 そのことを思い出したリューイは再びはぁ、とため息を吐く。

 

「いや、だから。襲いませんて」

「「…………」」

「いや、襲わないって!!」

「病院ではお静かに!!」

「すんません!!」

 

 謝罪(本日二回目)。

 ――閑話休題。

 落ち着いたリューイは、大体、と疲れたように言う。

 

「二人の間で俺はどんな印象なんですか?」

「女たらし」

「天然たらし」

「あはは……」

 

 ウェンディとティアナの容赦ない言葉と、それに苦笑するスバル。リューイは何だか泣きたくなってきた。

 

「泣いていい? 彼女なんていたことないのにこの仕打ちだよ? モテない男にそれは酷くない?」

「「どの口が言うか」」

「こっちの台詞だ!!」

「病院ではお静かに!!」

「すんません!!」

 

 謝罪(三回目。しつこい)。

 

「いい加減学びなよ、リューイ」

「いや、スバルさん。理不尽には反応しないと」

「理不尽なのはリューイッスよ」

「激しく同意ね」

「どこがだよ……」

 

 リューイはため息。本当に、日に日にこの二人がわからなくなっていく。

 以前ミリアムに相談したら『マスターは子供ですね』と鼻で笑われた。いつか絶対泣かす。

 心の中でそんな物騒な誓いをリューイが立てていると。

 

「……そういえば、ミリアムはどうッスか?」

 

 不意に、ウェンディが思い出したように言った。リューイがああ、と声を漏らす。

 

「特に問題はねーって。安静にしとかなきゃなんねぇみてぇだけどな。ファイムが庇ったんだと」

「……らしいわね」

「全くだよ。あの馬鹿」

 

 リューイはため息を吐く。通常、ユニゾンデバイスとユニゾンした魔導師は傷を分け合うことで耐久力を上げる。だというのにそれを無視して、ユニゾンデバイスを守るとは……ファイムらしいが、正気の沙汰ではない。

 だが、まあ。

 それでこそ、ファイム・ララウェイだ。むしろそうしなければ、彼ではない。

 ちなみに、そのファイムは……。

 

「更に、その馬鹿は行方不明と」

「どこに行ったんスかね~?」

「心配ね」

「捜しに行かなくていいのかな?」

 

 三者三葉の返答が返ってくる。リューイは、まあいいだろと言葉を紡いだ。

 

「ミリアムは捜しに行ってるし。第一、俺たちじゃ見つけらんねーだろうしな」

 

 くあっ、という気の抜けた声を漏らしつつ、リューイは欠伸をする。

 そんなリューイの言葉に、ウェンディがかもしれないッス、と頷いた。

 

「見つけるのは、きっと――」

 

 その先は、誰も口にしなかった。

 する必要が、なかった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 首都クラナガンにある、St.ヒルデ魔法学院。そこは緊急の避難所として使われていた。学校というものが緊急時の避難場所になるのは、いつの時代も変わらない。

 避難した家族と合流するため、掲示板に張られたいくつもの紙。それらを整理しているところに、声が響いた。

 

「なのはママ~!」

「ヴィヴィオ!」

 

 駆けてきたヴィヴィオを、なのはは抱き上げる。二人の目には、薄く涙さえ浮かんでいた。

 

「ごめんね、ごめんねヴィヴィオ。ずっと、ずっとここに来れなくて」

「ううん、ママも無事で良かった」

 

 ――二人に、血の繋がりはない。だが。

 どんな親子にも負けない絆が、ここにはある。

 

「なのは」

 

 親子の再会。それを見守る役目は、一人の青年に与えられる。なのはは、顔を上げた。

 そこにいるのは――ユーノ・スクライア。高町なのはをずっと支え続けてきた、世界の知識の管理人。

 

「ユーノくん……」

「なのは。こっちへ」

 

 ユーノが手招きする。なのははヴィヴィオをおろし、手を繋ぎながらユーノについていく。そうして案内されたのは、一つの扉。ユーノは、ごめんヴィヴィオ、とヴィヴィオに言葉を紡いだ。

 

「少しだけ、待っててくれるかな?」

「……うん、わかった」

 

 優しい笑顔。それに何かを感じたのだろう。ヴィヴィオは特に反論することなく頷いた。ユーノは、なのはを連れて部屋に入る。

 ――目の前に現れたのは、静かな広い部屋。

 無数の『何か』が詰まった袋が横たえられた場所。

 大きさは大小様々。なのはが、ハッと目を見開く。

 

「これって……」

「苦いね。苦い……敗戦だ。僕たちは、負けたんだ」

 

 ユーノは、絞り出すように言葉を紡いだ。その拳が、固く握り締められている。

 

「ヴィヴィオの友達も、僕たちの知り合いも、全員無事が確認できたよ。アインハルトや、リオ、コロナ、アイナさんはここに避難してもらってる。だけど」

 

 ユーノは、なのはを見る。その瞳には、やるせなさと、悔しさと、怒りが込められていた。

 

「それで納得なんて……できないよね?」

「ユーノくん……」

「納得できないから、僕たちはこの世界に来て管理局に入った。『エース・オブ・エース』は屈しちゃいけない。どんなことがあっても、不屈のエースであり続けなくちゃならない。だけど、なのはだって人間だ。か弱い女の子だ。弱音を吐きたい時ぐらい……あるはずだ」

 

 だから、とユーノは言った。

 だからこそ――

 

「ここなら、僕しかいない。僕が、支えるから。思い切り泣きなよ、なのは」

「ユーノくん……でも、私は、ダメ、だよ。私は……」

 

 今にも泣き出しそうな顔で、膝をつきながらなのはは言う。

 心が強いということは、褒め称えられるべきことだ。不屈の心。それは、誰もが憧れるものだろう。

 しかし――時として、それは枷になる。

 

「いいんだ、なのは。泣いてもいい。いや、泣かなくちゃいけない。みんなを守る『英雄』であるからこそ、みんなと同じ『人』でなくちゃいけない。キミは人を辞めちゃいけない」

 

 その言葉は。

 人を辞めてでも力を求めた少年を、示していた。

 高町なのはは、そうなってはならない。

 あんな風に、なってはならない。

 止められなかったから。

 もう二度と、あんな悲劇は生み出さない。

 

「ユーノくん、私、私っ……」

 

 なのはの瞳から、涙が零れ落ちる。ユーノはなのはを抱き締めた。

 

「私、守れ、なかった……み、みんな、頑張って、だけど、私、私は……っ!」

「…………」

 

 なのはの言葉に脈絡はない。本人の中でも、整理できていないのだろう。

 ――英雄の悲劇。

 英雄は人間として扱ってもらえない。始まりは肩を並べていたのに、いつしか誰もいなくなっていく。それを受け入れることができた者はまだいい。例えば、カグラ・ランバードのように一人でいることを受け入れた人物ならば。

 しかし、なのはにそれを受け入れろというのは酷な話だ。

 彼女は……誰よりも人間なのだから。

 だから、誰かが支えなければならない。

 英雄が自分自身を否定した時。それが『死』を迎える時なのだから。

 

「――――――――!」

 

 なのはは、泣く。

 彼女が泣くのは、笑うのは、いつだって誰かのためだった。

 孤独だった彼女は、そうして心配をかけないようにしてきた。

 ――しかし。

 ここで彼女が涙するのは、自分のため。

 自らのために泣くなのはを――ユーノは、初めて見た。

 

「大丈夫だよ、なのは」

 

 ユーノは、なのはの瞳を真っ直ぐに見つめる。

 

「僕が支える。守ろう、絶対に」

 

 ――前線は退いた。もう、戦うことはないと思っていた。

 だけど。

 ここまで来てしまったならば、覚悟を決めなければならない。

 ファイム・ララウェイの失踪。おそらく、彼は自分と同じ結論に至ったのだ。失われた楽園――それを、たった一人で。

 だから。

 ユーノ・スクライアは戦おう。

 大切な人を、守るために。

 

「…………」

 

 二人の唇が――重なる。

 決意の、証だった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「……本気で、見張りとかねぇんだな」

 

 サリヴァを頭の上に乗せながら、ウィルは呟いた。彼は今、聖王教会の敷地内を自由に歩いている。特に見張りの気配はない。魔力封印もされていないので、身体にも特におかしなところはない。あるとすればデバイスがないことぐらいか。

 

「つっても、壊されたしな……」

 

 思い出す。あの甘ったれの少年に負け、デバイスを壊された。

 完全な――敗北。

 

「……ちっ」

 

 舌打ちを零す。結局、負ければそれまでだ。

 生き恥――そんなものに自分はこだわらないと思っていたが。

 どうも、腹が立つ。

 

「よっしゃ、みんな。戻るよ~」

「えー!?」

「なんでさソラ~!?」

「もっと遊ぼうよ~!?」

 

 不意に声が聞こえてきた。そちらを見ると、子供たちに囲まれた少年が一人、ボールを持って喋っている姿が目に入る。

 ソラ、と子供たちに呼ばれる少年は、いやー、と苦笑した。

 

「俺も付き合ってやりたいんだけど、雨降るしな。仕事もあるし」

「雨なんて降ってねぇよ!」

「仕事いっつもサボってるくせに~!」

「なはは、きっついねぇ。けどま、雨は降るよ。――ほれ、雨の匂いだ」

 

 ――ポツッ。

 ソラの側にいた女の子の頬に、雨の滴が落ちる。次の瞬間。

 

「わあ~!」

「きゃあ~!」

「ほらほら、戻らねーと風邪引くぞー」

「汚ぇ! ソラの奴もう屋根の下にいやがる!」

「ずるいよ~!」

「いいから急げっての。お前さんらが風邪引いたら俺がカリムさんに怒られんだから」

 

 パンパンと手を叩いて子供たちを誘導するソラ。子供たちはまた遊んでね、という言葉を残し、屋内に引っ込んでいった。ソラはそれを見送ると、ベンチに座っていたウィルのほうへ歩いて来る。

 

「お、目ぇ覚ましたか」

 

 馴れ馴れしく声をかけてくるソラ。その顔を近くで見、ウィルは気付く。

 

「テメェ、旅団の――」

「お、サリヴァも元気か。ほれ、餌だぞー」

「キュウ♪」

 

 サリヴァが一切の躊躇もなくソラの下へ飛来し、ソラが差し出した餌を口にする。……一目でわかる。随分と懐いているようだ。

 

「えーと、ウィルだっけか? お前さんにも渡すもんがあるんだよ」

 

 ウィルの言葉を無視して一方的にそう言うと、座りながらソラは何かを取り出した。反射的に投げ渡されたそれを受け取ったウィルは、目を見開く。

 アルガンツァ――ウィルの、デバイスだ。

 

「シャーリーさんっていう優秀な人がいてなー。マリーさんは忙しくて手に余裕なかったみたいだし、助かったわホント。大事なもんだろ、ちゃんと持っとけ」

「……いいのかよ、俺はテメェらの敵だぞ?」

「いいんじゃない? うちの大将がいいって言ってんだから。俺はしがない雇われだ。私情を挟む気なんてないし、そもそも『私情』なんて高尚なもん、持ってた記憶もない」

 

 ソラの瞳が、変わった。

 虚無。虚空を見つめるその瞳。

 それは――『壊れた人間』の証。

 

「雇われ、って」

 

 ウィルは、自身が紡ぐ言葉が自分でも信じられなかった。

 目の前にいるのは、管理局の人間。それなのに自分は、管理局を肯定しようとしている。

 ソラの言葉が、許せなかった。

 

「テメェ、管理局の人間だろ。平和だの平穏だの、耳当たりのいいことばっかり口にする、平和の守護者だろ?」

「……まさか敵に説教される日が来るとは。俺も異常だねぇ」

 

 ソラは肩を竦め、膝の上に乗って丸くなっているサリヴァを撫でた。そうしてから、俺は、と言葉を紡いだ。

 

「給料もらって働いてるだけだよ、俺は。それ以上の理由なんてないし、必要ない。給料に見合うだけの仕事をする。それ以外にすることなんてない。犯罪者も、俺と俺の周囲に迷惑かけないんならどうでもいい。ああ、捕まえろって言われたら捕まえるけどな。それは仕事だ」

「テメェ、は……それでも」

「肩書きなら確かに『時空管理局本局戦技教導隊教導官』だけどな。重いんだよ。評価が不当に高過ぎる。俺はそんな器じゃない。もっとしょーもないがきんちょだ。『エース』でも『ストライカー』でもない。ただの欠陥商品だよ。適当な社会的な地位と給料をくれんなら、お前さんたちの味方してもいいくらいだ。……始まりは『憧れ』と『正義』だったさ。一応な。けど、そんなもん一瞬で消えちまった」

 

 ソラは、だからいいんだよ、と言葉を紡ぐ。

 

「お前さんがどうしようと興味はない。いや、サリヴァは可愛いから愛でるけどな」

「……じゃあここで、テメェ殺す気でデバイス起動してもいいのかよ」

「そいつは困るな。ここはさ、俺の生まれた――違うな、育った場所だ」

 

 苦笑を浮かべるソラ。どういうことだよ、とウィルが問いかける。ソラは、別に大したことじゃない、と背伸びをした。

 

「よくある話だ。育てる根性も余裕も気合もねぇくせに産むだけ産んで、ここに棄てたんだよ。ああ、廃棄とは少し違うか。どの道一緒だけどな。……ま、そういうわけでな。ここで俺は生きてきた。つっても管理局入ってからは寮暮らしで、ガキ共の相手くらいしか最近はしてねーけどな。聖王教会の教えとやらにも興味はねぇし」

「育った場所ぐらいは守りたいってか?」

「おう。『立派な人間』の真似事だ。上手いだろ?」

 

 挑発するつもりでウィルが言った言葉に、ソラは正気とは思えない返答を返してきた。そのままソラは、笑っていない目のままで言葉を紡ぐ。

 

「口では言える。けどな、怒れるかどうかは疑問だ。結局、受け入れちまうんじゃねぇかな、って思っちまう。ここがぶっ壊されて、奪われたとしても。『ああ、仕方がない』ってな。……けどあれだ。流石に、今ここで暴れられんのは困る。ガキ共の居場所を失くしちまうわけにはいかねーんでな」

 

 スッ、とソラの目が細まる。ウィルの背に、悪寒が走った。

 しかし、ウィルはそれに耐えて言葉を絞り出す。

 

「どうせ避難とかするんだろ。俺たちのせいでよ」

「……できる奴は、とっくに避難を終わらせてる。ここにいんのは、避難ができない奴らだ」

 

 眠り始めたサリヴァを撫でながら、ソラは言う。

 

「俺と同じなんだよ。捨てられた奴ら。言いたかないけど、普通じゃないんだ。親がいないってのは。……いわゆる『普通の人間』が逃げるのでも手間取ってんのに、『普通じゃない人間』が逃げる余地なんてどこにある? ねーよ、そんなもん。だから、ここで暴れんのは勘弁して欲しい」

「……それでも、暴れるって言ったらどうすんだよ?」

「こうする。……ごめんなー、サリヴァ。汚れるとあれだしな」

 

 ソラは立ち上がり、そして、雨の中に出る。

 土砂降りの雨でぬかるんだ地面の上に立ち、ウィルを見据える。すぐ近くだ。しかし、二人を隔てる何かがあるかのように、二人の周囲は違う。

 片や、濡れることもなく健在な少年。

 片や、びしょ濡れになる壊れた少年。

 ――ジワリ。

 打ちつけるような雨のせいだろう。両掌に巻かれたソラの包帯に血が滲む。しかし、本人は気にしていない。

 

「何を」

 

 ――土下座。

 汚れることも、濡れることも一切合切の躊躇も見せず、ソラはそれをやってのけた。

 

「俺の頭にどれ程の価値があるかはわからんし、価値なんてないかもしれない。でも、わたしにはこれしかできません。戦いが起こってしまえばわたしの負け。ならば、わたしはこうします。惨めでも、みっともなくとも、無様でも、無残でも」

 

 異常。あまりにも、異様。

 ――違う。

 ウィルは直感でそう思った。ソラの年齢はわからない。わからないが、自分とそう離れてもいないはずだ。なのに、こいつは。

 

「所詮、冗談だろ? 何やってんだよ」

「冗談かどうかはわかりません。私と貴方は違うのですから。理解など、できるはずがないのです。私はここを壊されたくはない。それだけです」

 

 ――歪んでいる。

 土砂降りの雨の中、こんな風に土下座をする奴が、果たしてどれだけいるか。いない。いるはずがない。

 誇り。プライド。おそらく、ソラの中にはその概念がないのだろう。いや、あるのかもしれないが、こんなに簡単に捨てることができるのであれば、それは『無い』のと同じである。

 だからこそ、ウィルは舌打ちをした。

 理解できないからこそ、見ていられないからこそ。

 

「やめろよ。いいよ。暴れやしねぇよ」

「信じても?」

「信じろよ。いいから立てよ」

 

 吐き捨てるようにウィルが言うと、ソラは立ち上がった。その服はずぶ濡れで、泥に汚れている。顔もだ。

 ウィルは、あんた、と言葉を紡ぐ。

 

「あんた、結構偉い人間なんじゃないのかよ」

「望んでないんだけどねー。ま、相応しくないと思うなら勝手に奪ってくだろうさ。勝手に押し付けた時みたいにな」

 

 ソラは吐き捨てる。その言葉は、暗に自身が上の立場にあると告げていた。

 だから、かもしれない。

 ウィルはそれを問いかけた。

 ――秘密を。

 管理局、最大の秘密を。

 

「なあ、あんた。『魔力』って……何だと思う?」

「生命力」

 

 ソラは即答した。そのまま彼は特に感情を乗せずに言葉を続ける。

 

「正確には『リンカーコアによって生命力が変換されたもの』だな。新陳代謝みたいなもので、普通なら特に問題ないが……フルドライブやらブラスターシステムやらを使うと限界を突破して魔力精製を行うため、結果的に寿命を縮める」

「知ってんのか?」

「今現在、病院抜け出して絶賛行方不明中の尊敬する先輩が同じこと聞いてきてな。調べた。ここ三日、無限書庫に不法侵入までしてな。いや、誰も彼も忙しそうにしてるおかげで楽だったわ。司書長も何故かいなかったし。……アルハザードがどうこう書いてあったから、眉唾もんかと思ってたけど。どうやら、そうでもないらしい」

 

 ソラは、静かな瞳で言う。ウィルは、そうだよ、と吐き捨てた。

 

「魔法は、命を食い荒らす。だから、俺たちは」

「魔法を――魔導を否定すると。成程ね」

「そうだ。管理局の、世界の嘘だこれは。知らない内に命を使って野垂れ死ぬなんて」

「ああ、だからお前らは質量兵器を肯定すんのか。戦闘機人も。んー、成程」

「そうだ。魔法を、管理局という偽善を否定するためだ」

 

 吐き捨てるようにウィルは言った。ソラは、ふう、と息を吐き。

 

 

「――馬鹿じゃねぇの?」

 

 

 思い切り、侮蔑の言葉を叩きつけた。ウィルが、なっ、と声を漏らす。ソラは言葉を続けた。

 

「質量兵器ってのは確かに引き金引くだけだ。残るのは後味の悪さぐらい。だがな、言っとくぞ。その代わり――凄まじい確率で相手を殺す」

「…………ッ!」

「それに対して魔法は? 殺さず制圧する力。いいね。殺さない力だ。どっちがいいかは、俺には答えが出てるぞ」

 

 ソラは言い切る。ウィルは、けど、と言葉を紡いだ。

 

「それであんたは納得できんのかよ?」

「できる。で、俺みたいなのに納得できるんだ。他の、誰かのために戦う魔導師連中も納得できるだろうよ。だって、自分が傷ついたら誰かを殺さなくて済むんだぜ?」

 

 都合が良過ぎる、実にいい、とソラは言った。そんなソラの言葉に、ウィルは首を横に振る。

 

「自己犠牲なんて、そんなもんにどんだけの価値があるんだよ」

「自己犠牲? 馬鹿。それは違うぞ」

 

 ソラは一片の躊躇もなく、言い切った。

 冷たい、瞳で。

 

「――それを覚悟と、呼ぶんだよ」

 

 そこに立つのは、壊れた人間。

 特に理由もなく、寄る辺もない身でありながら、命を削る魔導を是とする異端者。

 ソラは、ちなみに、と言葉を紡ぐ。

 

「これ知ってんのは現場でも片手で数えられるレベル以下だと思うぞ。とんでもない封印かけてあったし。司書長も知らねーんじゃないかね?」

 

 ――だから、公表すればある程度の混乱は生じるだろう。

 ソラはそう言った。その上で、しかし、と言葉を紡ぐ。

 

「結局一緒だよ。変わらない。今の管理局ならその答えに落ち着くさ。お前はどうなんだよ。己を懸けて誰かを守るのか。それとも、誰かを殺して誰かを守るのか」

 

 要はそういうことだとソラは言った。

 相手と自分。どちらを殺して誰かを守るのだと。

 

「ま、幸い時間はあるみたいだし。じっくり考えな。脳みそがあって、材料も与えられたんだしよ」

 

 ウィルは押し黙る。ソラ、というこの少年の論理に、ウィルは言い返せなかった。

 言い返すためには、あまりにも自分は考えるということをしてこなかった。

 考えることを――放棄し過ぎていたから。

 

「じゃあな。物事ってのは多方向から見てみないとわからんことが多い。独り善がりほど惨めなものはないぞ」

 

 ソラが立ち去る。

 ウィルは、黙って座ったままだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「…………」

 

 ――いない。

 八神はやては、焦っていた。

 シグナムやヴィータ、リィンやアギトにも手伝ってもらい、ファイムを探している。しかし、影さえ掴めない。

 

(首都内はエリアサーチで調べた。後は……郊外?)

 

 はやては、顔を上げる。彼女が立っているのは、森林と市街の境界だ。

 一歩踏み込めば、旅団設立のきっかけになった戦いのあった森林へと足を踏み入れることになる。それに対して某かの思いを抱くわけではないが……。

 

「……まさか、なぁ」

 

 呟く。こんなところに、いるはずがない。

 いるはずがないのに――

 

「…………」

 

 八神はやては、足を踏み入れた。枝を踏む音が響く。生い茂る森がざわめく。

 ――自然の世界。

 人が踏み入ることを拒絶する、その場所。そこを、はやては進む。

 一歩、一歩と。

 まるで、見えない糸に導かれるかのように。

 そうして、三十分ほど歩いた時。

 

「……雨?」

 

 冷たい何かが頬に触れ、はやては顔を上げる。

 ――雨が降り出す。

 まるで叩き付けるような、雨が。

 

「…………ッ」

 

 はやては走り出す。どこか、雨宿りできる場所――いや、違う。

 ――こんな雨の中、ファイムを放っておけない。

 まだ彼がいると決まったわけではないのに、いつの間にか、はやてはファイムがいると決めつけていた。

 そして。

 

「……これって」

 

 はやての目に、見覚えのあるものが飛び込んできた。

 ナイトメア。はやてが持つ杖――シュベルトクロイツと同型の、ファイムの武装。

 だが、美しい輝きを持っていたはずのそれはボロボロで、色もくすんでいる。

 

「……リンネ?」

 

 その杖の先端に、小さな宝石が括り付けられていた。リンネクロウズ・ナイトメア。ファイムのデバイス。同時に、彼をずっと支えてきた相棒であり家族。

 

「……アカン。停止しとる。せやけど、リンネがここにいるってことは……」

 

 その二つを手に取り、はやては進む。少し先に、崖を見つけた。

 まさか――ゾッとするような想像が頭を過ぎり、はやては崖下を覗き込んだ。

 ――現実とは、得てして残酷なものである。

 

「――ファイムくん!?」

 

 ファイムが――いた。

 崖下に倒れ、薄く、その体の下には血が流れ出ている。

 はやては即座に崖下に滑り降りると、ファイムに駆け寄った。その体は冷たく、開いた傷口からは血が滴っている。

 

「ファイムくん! しっかりして!」

「…………ッ」

 

 漏れるのは呻き声のみ。はやてはファイムを支えながら、視線を周囲に送る。

 ――山小屋。

 まるで救いの神のようにそこにある場所へ、はやては急いだ。

 肩を回し、背負った体は。

 どうしようもなく――冷たかった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 傷の応急処置は済ませた。しかし、体温の冷たさは魔法ではどうにもできない。

 ――歯痒い。

 

「…………ッ」

 

 苦しそうな呼吸。はやては、逡巡。

 ――温める方法。

 古来より、有効な手段として一つの方法が確かにあるのだが……

 

「……迷ってたらアカン」

 

 意を決し、はやてはファイムの服に手をかけた。ずぶ濡れの服。それを脱がすと、大小新旧様々な傷が目に入る。

 夏場であっても長袖のシャツを着、素肌を晒そうとしないファイム。その理由は、ここに尽きる。

 醜いとは思わない。むしろこれは、彼が歩んできた道の証。はやては綺麗だとさえ思う。しかし――そう思わない人間もいるのも確かだ。

 管理局とは軍隊である、と言ったのはカグラだったか。しかし、管理局は軍隊でありながら軍隊であることを秘匿する組織だ。あくまで表向き管理局は清廉潔白な正義の守護者でなければならない。

 なればこそ、最近の風潮は実に厳しい。

 辺境世界では表立った管理局を否定する動きが起こり始めているし、今回、備えとして他の世界へ避難してもらうという管理局の決定も、募ってきた不信が作用して難しくなっている。

 ままならない。本当に。

 ファイムは……彼は、そんなままらない世界を守るために傷ついて、ボロボロになっていった。

 

「…………」

 

 はやては自身も服を脱ぎ、ファイムを抱き締める。温めるのは人肌が一番とは、古くから言われていることだ。

 ファイムの呼吸は荒い。体は冷えているのに、傷は異様な熱を持っている。苦しいのだろう。辛いのだろう。

 ――そんなことにさえ、気付けなかった。

 誰よりも側にいるつもりだったのに、共に背負うと言ってくれたのに。

 辛い、という一言さえ彼は発したことがない。だけど、どこかで助けを求めていたはずだ。

 なのに――

 

「……ごめん、ごめんな、ファイムくん」

 

 ファイムの頬に、はやての涙が落ちる。

 弱音一つ吐かないことと、強いことは違う。

 それはただ――耐えているだけだ。

 張り裂けそうな心で、押し潰されてしまいそうな理性で。必死に、歯を食い縛って耐えているだけだ。

 頼り方を知らないから。

 迷惑をかけたくないから。

 嗚呼、とはやては思う。

 自分が彼に惹かれた理由。そうだ、こういうことなのだ。

 ――似ている。

 抱え込んで、押し潰されそうになって。だけど、迷惑をかけたくないから打ち明けられない。信じていても、話したところで見捨てられやないと友人や家族のことを信じていても、それでも臆病だから打ち明けられない。

 だから、惹かれた。

 そして、話すことができた。

 ならば――次は。

 

「やっぱり、わたし、甘えてたんやなぁ」

 

 苦笑する。

 優しさに、甘えていた。初めて弱音を吐けた相手だったから。受け入れてくれた人だったから。

 しかし。

 それも――終わり。

 次は、わたしが背負う番。

 

「一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に進んで、一緒に悩んで――一緒に、堕ちよう?」

 

 堕天となりし彼に、はやては、囁く。

 遠くない未来――別離が待っている。それは、覆しようのない運命だ。

 おそらく、彼はその時まで抱えていくつもりだろう。

 ――そんなことは、許さない。

 大切だから。大切に想うから。その、別離までの時間を共に過ごしたい。最後の瞬間まで、隣にいたい。

 そのために。

 八神はやては、ファイムに問う。

 

「ファイムくん。あなたは――どこまで堕ちていったの?」

 

 

 ……。

 …………。

 ……………………。

 

 

「うっ……?」

 

 ファイムの瞳が、薄く開く。はやては、ファイムくん、と優しく彼の名を呼んだ。

 

「はやて、さん……?」

「うん。目、覚めた?」

「ここは、どこですか?」

「山小屋、かな。まあ、詳しい説明の前に……勘忍してな、ファイムくん」

 

 はやては、ファイムの脇腹に手を伸ばす。そして、そのまま思いっ切り握り締めた。

 ――傷口を。

 

「…………ッ!?」

 

 ファイムは悲鳴にならない悲鳴を上げる。はやては笑っていた。

 

「我慢強いなぁ、ファイムくん。普通は悲鳴でも上げるもんやと思うんやけどなぁ」

「ッ、ちょっ、はやてさん? なんか怖い……というか近い!?」

「目もばっちり覚めたみたいやな。ほな、いくで」

 

 はやてはファイムの頭を両手で掴むと、真正面から見据えた。笑顔だが、額に青筋が浮かんでいる。

 そして。

 

 

「――何をしとるんやアホッ!!」

 

 

 鼓膜が破れるんじゃないかというぐらいの大音量で、ファイムは怒鳴られた。あまりの大声に、耳鳴りがする。

 

「どれだけ、どれだけ心配したと思ってるんや!! いきなりいなくなって……わたしが、どれだけ……ッ!!」

 

 はやての瞳から、涙が溢れる。ファイムはどうしていいかわからない。

 

「支えてもらってばっかりで!! 頼ってもらえんくて!! そんなに頼りないんか!? わたしっ、わたしは――」

「頼りなくなんか、ない」

 

 はやての言葉を遮り、ファイムは言った。そうして、静かに苦笑する。

 

「……急に、怖くなったんだ。僕は、また、負けてしまった」

 

 敬語をファイムは用いない。二人きりの時の、暗黙のルールであるが故に。

 

「こんな風に成り果てても、負けてしまった。このままだと僕は、僕の敗北に誰かを巻き込む。それが怖くなった。僕にできることをすればいい。僕が、僕として戦えばいい。ファイム・ララウェイの戦いをすればいい――そう決めていたのに、僕は何もできないのかもしれない。そう思うようになった」

 

 擦り減っていく寿命。強引にそれを引き伸ばし、人であることを否定までしてここに至った。

 ――しかし、通じない。

 この手はどこにも、届かなかった。

 

「何のためにこうなったのか、わからなくなって。だけど、どうにかしなくちゃいけないって気持ちもあって。どうにもならなくて。気付いたら――歩き出してた」

 

 弱いことと、気付いたこと。すぐにどうにかしなければならないこと。

 それが頭の中を巡って、気が付けば、動き出していた。

 

「……本当に、怖くなってきたんだ。考えたくない。僕のせいで――誰かが死ぬなんて」

 

 死は恐怖だ。近づいてくることがわかっている今は、毎日恐怖に怯えている。

 しかし――それよりも。

 自分が弱いことで誰かを――はやてを死に巻き込んでしまうことのほうが怖い。

 

「僕一人ならいいんだ。僕一人なら。だけど、誰かを死なせることだけは嫌だ」

 

 そうしないために、こうして戦っているはずだから。

 守るために、人であることを捨てたのだから。

 まあ、それも結局はその場しのぎだが。

 

「……僕の寿命については、話したよね、はやてさん」

「うん。少し、喧嘩した」

「あの時、検査しても異常は出なかった。だから、はやてさんは引き下がってくれたけど……あれには、はやてさんが予想してた通りに裏がある」

「裏?」

「うん。僕は――人であることを、捨てたよ」

 

 ファイムは、驚くほど平坦な声でそう言った。

 

「見た目は変わらないんだけど、存在そのものが変質してる。古代魔法を使って、契約したんだ。ユーノさんとアルフさんに協力してもらって。それなら寿命を延ばせると思ってね。企みは成功した。だけど、失敗した」

 

 はやては何も言わない。ファイムは、天井を見上げながら言葉を紡ぐ。

 

「壊れかけの体のまま、この世界に固定されたんだ。『壊れかけの状態が正常』として。上手くいかない。本当に、本当に少しだけ終わりが延びただけ。ままならないなぁ」

 

 覚悟はしていたけど、とファイムは呟いた。はやては、絶句している。

 それは、そうだろう。

 テンリュウが言っていた、気が狂うような痛み。それをファイムは抱えたままだというのだから。しかもそれは永劫治ることがなく、固定されてしまったなどと。

 

「その場しのぎなんだ、これは。僕はもう……永くない」

 

 ファイムは、静かにそう告げた。そう告げてから、はやてに自身がどういう存在であるかを語る。

 倒れないために、世界と契約するという手段を求めたこと。

『概念』となることで自分を世界に固定するものは肉体ではなくなったため、その分、寿命が延びたこと。

 そして。

 自身を固定するための要因として、『八神はやて』と『自分自身』を選んだこと。

 

「『ファイム・ララウェイが存在するからファイム・ララウェイは存在する』――酷い矛盾だ。世界が気付けば、排除される。だから、勝手だけどはやてさんに頼ったんだ」

 

 手を伸ばし、ファイムははやての手を握る。

 矛盾した論理。成り立たない道理。それがまかり通る時間は、きっと僅か。

 それが否定された時、きっと。

 八神はやてが――文字通り、『全て』になる。

 

「頼ってないなんてあり得ない。はやてさんが生きててくれれば、僕は存在できる。僕は、そういう存在になった」

 

 だから、誰よりも頼りにしているのだとファイムは言った。

 はやては、せやけど、と首を振る。

 

「もう、永くないって……」

「それも真実。元々、そういう運命だったんだ。少しだけでも延ばせたのは、僥倖だよ。運命は変えられるかもしれない。だけど、死の運命だけは変えられない」

 

 それを変えようと思えば、永遠に至るしかない。

 その代わり――文字通りの全てを失うが。

 

「だから、怖いんだ。ここまでして、こんな風になって。こんなところまで堕ちてきて。それでも、守れないかもしれない」

 

 そうして、気付いたら一人で歩き出していた。

 本当に、どうしようもない。

 何も――できやしないのに。

 はやてが、ポツリと呟いた。

 

「……ファイムくん。やっぱり、アホやな」

 

 はやての額が、ファイムの胸元に触れる。

 

「ファイムくんは、何度も何度もわたしを助けてくれたよ。わたしを守ってくれたよ。わたしだけやない。ファイムくんは多くの人を守ってきたんや。誇らなアカン。わたしは、わたしが好きになった人がファイムくんで、本当に良かったって思う。だって、ファイムくんならわたしを――わたしたちを守ってくれるって、信じられる。強さなんて関係ない。いつだってファイムくんは、足掻いて足掻いて戦ってきたやないか。戦ってきてくれたやないか」

 

 はやては、顔を上げ、微笑む。

 

「誰かのために。それだけをずっとずっと願ってきたあなただから、わたしは信じることができるんや。そして――だからこそ、支えたい。堕ちた、って言ったやんな? 引っ張り上げる、とか、そういうことができたらええんやけど、それができてもわたしはせぇへんよ。だって、それはあなたが歩いてきた結果やから。わたしも一緒に堕ちる。隣にいる。わたしは、どんなあなたでも誇りに思う。大好きな人やから。大切な人やから。だから、隣で一緒に歩いていきたい」

「はやてさん……」

「守れないかもしれへん? 違うやろ。守るんや。守れるはずや。ファイムくんは、わたしが惚れたファイム・ララウェイは、それができるはずなんや。頼むよ、ファイムくん。弱音はいくらでも吐いてくれたらええ。受け止める。いくらでも一緒に悩む。泣き続ける。だから、自暴自棄になって、一人で戦おうなんて思わんといて」

 

 はやては、ファイムの手を握り締める。

 まるで、ファイムを逃がさないとでもいうかのように。繋ぎ止めるかのように。

 

「わたしを守って、ファイムくん。わたしが、ファイムくんを繋ぎ止めるなら。ファイムくんが、わたしを守って」

 

 守り合う。二人で、共に。

 本当に、強い人だと、ファイムは思う。

 きっと、はやては理解している。ファイムがもう、残り少ない命でいることを。延ばせるのは、本当に僅かな時間だと。

 それでも、こんな風に言葉をかけてくれる。

 本当に――この人は。

 

「あなたを、愛すること。愛する相手に、あなたを選んだこと」

 

 ファイムは、微笑み。

 

「――僕は、誇りに思います」

 

 唇が重なる。

 戦いの時が――迫る。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「……思ったより、時間がかかったようだね」

「流石に、『聖人の末裔』相手だとどうもね~。まあ、終わらせたけどさ。キャハハ♪」

「それで、彼女は?」

「んー、固定されてる空間ごと持ってきたよ」

「成程。まあ、あれには触れられん。それが正解だ」

「空間そのものを固定、だっけ? 無茶苦茶だよね、理論の理の字もわかんないや。これがホントの魔法、だね」

「この時代の魔法は、命を代償とする『技術』と言ってもいい。概念的には『魔術』のそれだ。しかし、彼女のあれは違う。一つの『世界』を構築するだけじゃなく、あの刀を中心に空間を固定するなど……魔法と呼ぶ他に、表現方法が見当たらない」

「ま、どっちにせよこれが起動して、帰ってくれば……どれほどの力を持とうと、ただの奴隷に成り下がる」

「そうだ。たとえ『最強』であろうと、いや、『最強』であるからこそ、しがらみからは逃れられない。……さて、始めようか。世界に問おう。管理局は必要であるか否かを。そして示そう。魔導に――何かを守る力などないのだと」

 

 その日。首都クラナガンから伺える海上に、一つの巨大な建造物が出現した。

 古代神話の塔のような佇まいをしたそれは、圧倒的な巨大さと雄大さをもって、世界を圧倒する。

 

「さあ、歴史の始まりだ! 闘争の始まりだ! 正しきを主張するならば、力を見せ給え!」

 

 それは、封印されたもの。

 失われた、楽園。

 失楽園――シャングリラ。

 

「開戦だ」

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