Fate/Grand Order Emiya The Third 作:黒崎士道
プロローグ 父と母
「遠坂、話があるんだ」
そう言って士郎が凛を連れて来たのは、テームズ川に面した名も無い小さな公園だった。公園照らす赤い夕日は、どこか遠く冬木の街を思い出させる。
「―――なあ、遠坂」
凛の少し前をゆっくりと歩いていた士郎は不意に足を止め、夕日を反射する川面に視線を向けた。
「俺達が知り合ってさ、どれぐらい経つのかな」
「……もう二年になるかしらね」
彼らが出会い、気の遠くなるような戦いの末に奇跡のような勝利を手にしたあの聖杯戦争からすでに二年。その二年の間に凛も士郎も学園を卒業し、このロンドンへと渡ってきた。
凛は魔術師としての研鑽を積む為に、士郎は彼女の弟子として、また正義の味方としての実力を得る為に。
何一つ得るものが無かったあの戦いの中で手に入った物があるとすれば、衛宮士郎にとってはあの弓兵との剣戟であり―――遠坂凛にとっては士郎と知り合えた事なのだろう。
「まったく、二年も一緒に居るって言うのに実感が沸かないわね」
「そうだな」
苦笑するでもなく士郎は短く頷き、凛へと身体ごと向き直った。
「二年前さ、遠坂は俺を最高にハッピーにしてくれるって言ったよな」
「言ったけど――それがどうしたのよ?」
不安と決意を飲み下す凛の胸中になど気付かず、士郎は少し笑ったようだった。
「遠坂が俺を最高にハッピーにしてくれる。それは嬉しいけど、何か違うんだ」
そんな事を言って凛を見る士郎の顔は夕日の逆光で影になり、表情を読み取る事が出来ない。
「一体、何が違うのよ?」
胸中に湧き上がる不安を振り払おうと凛は見えない士郎の顔を見ようと必死に目を細め、さらに不安を募らせる。正義の味方を目指す衛宮士郎が、これから先あの赤い弓兵と同じ道を辿らないとどうして言えるだろう? あの赤い弓兵の傍にも遠坂凛はいたはずなのに。
「うん、違うって言うか足りないって言うか……ああ、なんだか余計な事ばっかり言ってるな」
苦笑して頬を掻き、士郎は振り仰ぐように夕焼けの空を見上げると吐息を一つ漏らして頷いた。そして、まるで神託を告げる神官のように重々しく口を開く。
「―――俺と結婚してくれないか、遠坂」
「…………え?」
一瞬何を言われたのか分からず、凛は間の抜けた声で訊き返す。凛には士郎が何を言っているのか良く分からなかった。いや、言われた事は分かっていたから頭がそれを理解出来なかったと言うべきか。
「結婚、って……私と?」
「ああ」
戸惑いに揺れる凛の声に士郎は静かに首肯する。凛はそれに笑顔で応えようとして、すぐ戸惑いに顔を俯かせた。
士郎に好かれているという自負なら凛には十分にある。素直に頷くかどうかは別として、愛されているかと問われれば間違いなく凛は士郎に愛されているのだろう。
二年間。士郎と付き合い、触れ合って凛も少し変わった事がある。
正義の味方の理想を追いかける姿を含めて遠坂凛は衛宮士郎の事が好きなのだと、この二年でようやく分かった。だから、きっと士郎と結婚するというのは幸せな事なのだろう。
けれど、それはあくまで『遠坂凛にとっての』幸せに過ぎない。
「でも、士郎―――正義の味方は?」
士郎の顔を見る事も出来ずに、夕日に照らされた地面を見詰めながら問い掛ける。
「士郎は、正義の味方になるんでしょう? それは……諦めるの?」
縋るような問い掛けの答えを、けれど凛はすでに知っている。あの火災で全てを失った士郎にとって、正義の味方の理想はすでに衛宮士郎という人格を構成する一部にさえなっている。それを諦めるなど出来るはずがない。
ならば、彼女と結婚する事は衛宮士郎にとって本当に幸せだろうか。
結婚してしまえば遠坂凛は『正義の味方』と言う形の無い理想を追い続ける士郎の足枷になってしまうのではないか。
魔術の師匠として、恋人として、理想の為に自分の命を犠牲にして戦おうという士郎を凛は今まで何度も助け、時には必死に止めてきた。もしも士郎の妻になったとしたら、凛は士郎が理想を追うこと自体を止めさせてしまうかもしれない。
士郎が理想を追う事を止めて、ただ平穏で幸せな生活を送って―――もしもそうなったら、凛は自分の選択を後悔せずにいられるだろうか? やはり士郎に理想を追いかけさせるべきだったと後悔して別れるような事になりはしないだろうか?
「遠坂」
続く言葉を失って項垂れる凛の左手をそっと士郎が持ち上げ、赤い宝石がはめ込まれた指輪が乗せられる。弾かれたように上げた凛の視線の先で、士郎が優しく微笑む。
「俺は正義の味方を諦めない。俺は正義の味方になって―――遠坂と一緒に、最高にハッピーになりたい」
「あ……」
それは一体どんな言葉だったのか。
凛の抱く戸惑いも恐れも、ただ一言で忘れさせてしまったそれは、きっと魔法というのも陳腐な言葉だった。
「だから、俺と結婚してくれ―――凛」
左手に指輪を握らせながら、再び士郎が言う。
「し、ろう……」
凛、と。
どれほど彼にその名で呼んでもらいたかったのだろう。
いつか士郎が自分をその名で呼ぶ時、あの弓兵と同じ顔で、同じ声で呼ばれるのではないかと一人怯えた事は何度あっただろう。
「駄目、かな?」
困ったように笑う士郎の顔は朝焼けに消えたあの弓兵にひどく良く似ていていて―――けれどそれは間違いなく衛宮士郎の笑顔だった。
「……駄目じゃ、ない」
凛は士郎の身体を抱きしめた。嬉しくて、幸せで、言葉にしてしまえばそんな簡単な事で言葉に詰まってしまうほど遠坂凛は弱かっただろうか?きっと自分は今にも泣き出しそうで、すぐにも笑い出しそうな奇妙な顔をしている。
そんな顔を見られないように、自分が目を放した隙に衛宮士郎がこのまま消えてしまわないように、凛は強く己の愛した青年の身体を抱きしめた。
「私、士郎と結婚する」
満面の笑みで凛は士郎に応える。
凛は士郎の身体に抱きついて、二人は声を上げて笑い合いながらロンドンの街を歩く。
ーーーーそして、14年後。
運命の歯車は、再び回り始める。