部屋に入るとそのまま窓際のベッドに倒れ込んだ。
柔らかなスプリングが優しく身体を衝撃から守り、その上、冬が近いから、と早めに出された毛布が小さな鹿目まどかの身体を包み込む。
ベッドが冷たくぶるりと身体が震えた。
制服に皺が付くことも厭わないでベッドの上をうじうじともがくように動く。
頭だけは常に枕に押し付けていて、周りから鹿目まどかの表情を確認することは出来ない。
そもそも誰も部屋に居ないからこそこのような行動をしているのだが、それを分かっていながら顔を押し付けている。
頭をぐりぐりと、まるで土下座でもしているように頭を擦り付けていた。
「どうしよう~…」
枕によりくぐもった声が部屋に響く。
声の主は勿論鹿目まどかだ。
「私って甘いのかな…?」
ごろんと寝返り真っ白な天井を見上げる。
手を伸ばしても届かないことを再確認した。
美樹さやかや瀬津そうまから言われた言葉は頭を悩ませる種となっていた。
突き上げた手を握りゆっくりとベッドの上へと下ろす。
魔法少女になること…それは美樹さやかに否定され、瀬津そうまに否定され、そしてかつては巴マミにも否定された。
鹿目まどかには願いがない。
瀬津そうま曰わく、鹿目まどかの願いは一つの逃げ道を創ることでしかない、と。
鹿目まどかの生きてきた人生で産まれた劣等感を拭うものでしかない、と。
鹿目まどかの知らないうちに美樹さやかは傷付き、それでももがいて足掻き続けてまた傷付いた。
巴マミの場合は刻一刻と削られていく時で、それ以外生き残る術がなかった。
2人とも自分1人ではどうすることも出来なかった過去の報酬を背負って、魔法少女として人々を守る日々を続けていた。
瀬津そうまはだからこそ鹿目まどかに優しく説明したのだ。
鹿目まどかには覚悟が足りない、と。
その説明口調な瀬津そうまの言葉は鹿目まどかを納得させるだけの重みを纏っていた。
纏っていたのだが…
「…あれ?」
そこで鹿目まどかは単純な疑問が浮かぶ。
それならどうして瀬津そうまは対価を得ていないのに戦うのか…。
何故鹿目まどかには手の届かない世界に入ることになったのか…、を。
よくよく考えてみれば今まで考えもしなかった疑問が頭の中を急速に支配していく。
一般人である、鹿目まどかと同じ立場の瀬津そうまが戦う理由に自身の身の振り方を決める重要な何かがあるのではないか、と考えに耽ってしまった。
そのため突然の呼び掛けに鹿目まどかは飛び跳ねるように反応する事となる。
「まどかっ! 大変だよ!」
「うひゃっ!? ど、どうしたの!? キュゥべえ!?」
「さやかが大変なんだ! 早く来て!」
「…!? さやかちゃんに何があったの!?」
「どうやら佐倉杏子と接触したみたいだ。このままだとまた魔法少女同士で争うことになるかもしれない。」
キュゥべえは鹿目まどかに詰め寄られたからか、冷静な様子で話しを続ける。
だがそれは鹿目まどかを落ち着かせるだけ力が有るわけもなく、鹿目まどかの表情を歪ませ不安を駆り立てた。
「とにかく一緒に来て、まどか! 僕がそこまで連れて行くよ!」
「わ、分かった。連れてって、キュゥべえ。」
ベッドから立ち上がり制服姿のまま乱れたリボンを直すことなく家を出る。
後ろから鹿目知久に何か声を掛けられたが、それを気にしているだけの余裕が鹿目まどかにはなかった。
第25話 途切れる音
そこは交通量の多い道路をまたぐように造られた巨大な歩道橋だった。
2m間隔で端に建つ街灯の明かりに加え、下を走る車のヘッドライトで、広々とした歩道橋のデッキは夜でもなお明るい。
月明かりもまた闇を打ち消す一つの要因となっていた。
見滝原市と近隣の都市部をつなぐ主要道路であり、交通の便として優れていることからこの歩道橋の近辺には数多くのマンションがそびえ立っている。
駅から近いことも有り、平日休日、時間帯問わず歩道橋を多くの人が利用していた。
しかしそれが今日に限って都合よく人の姿が見当たらない。
時刻は21時を過ぎたところ。
中学生にしてみれば遅い時間だが、都市部に通勤している人たちにしてみれば帰宅途中であってもおかしくない時間だろう。
それだというのに歩道橋のデッキには学生服姿の美樹さやかと、魔法少女姿の佐倉杏子の2人しかいない。
ちょっとした人払いの結界でも張られているのでは、と美樹さやかは勘ぐってしまうのだが、それはそれで好都合なので敢えて口に出すことはしない。
「用件って何よ?」
「なにっ、先輩としてアドバイスの1つでもしてやろうかと思ってさ。まぁ単なる気紛れだよ。」
どこからともなく取り出したポッキーをくわえる。
「あんたの所為で折角のいい気分が台無しよ。」
「なんだい、折角良いこと教えてやる、って言ってるんだよ? タダで聞けるなら聞いといて損は無いだろ?」
「…何よ?」
ソウルジェムを握った腕を下ろす。
美樹さやかなりの意思表示を受け、佐倉杏子は嬉々として話を続けた。
「あんたってさ、他人の為に奇跡を使ったんだってね。キュゥべえから聞かせてもらったよ。」
「…何か文句あるの?」
「大有りだね。奇跡ってのは徹頭徹尾自分自身の為に使うもんさ。…まぁこれに関してはどう思ってようがいいけどさ。用は奇跡の叶え方を教えてあげよう、って話だ。」
「はぁっ? 奇跡を叶えられるのは1回だけでしょ?」
「そうだ。それが魔法少女に共通した不変のルールだよ。…でもさ、それは『自分自身の為に奇跡を叶えた』魔法少女のルールさ。」
「…? 言ってる意味が分からないんだけど。」
遠回しに話す佐倉杏子に確かな苛立ちを覚えるも、なんとか気持ちを抑えつけ結論を促す。
ポッキーを食べきった佐倉杏子は新たなポッキーを口にくわえた。
「惚れた男をモノにするなんて簡単だろ? 用はあんたの好きな奴をあんた無しじゃ生きられないようにするだけさ。手足を壊しちゃって、身動き1つ出来なくしちゃえばいいんだよ。それだけで…愛しの彼氏はあんたに頼らざる得なくなるんだ。」
クックックッ…と押し殺せていない笑い声が耳に届く。
湧き上がるマグマのような怒りが脳を支配していく。
自然と歯軋りしている美樹さやかの姿がそこにあった。
「…分かったわ。どうやってもあんたとは仲良く出来ないって事がねっ!」
「…本当に分からず屋だね。」
美樹さやかは右手を佐倉杏子に向け突き出す。
手のひらには澱んだソウルジェムが鈍い光を放っていた。
「…とりあえずさっき手に入ったグリーフシードで浄化しときな。手加減が必要な相手じゃない事くらい分かってるよな?」
「…」
反論したい気持ちを抑え、未だ汚れを知らないグリーフシードでソウルジェムを浄化、吸収する。
煮えたぎるマグマの底に微かに残る冷静な思考が、猪突猛進な美樹さやかの性格を落ち着かせていた。
(魔法少女は常に冷静に…)
こういった場面で、1つ呼吸を置けるようになったことに、もし瀬津そうまがこの場にいれば賞賛の声をあげていただろう。
ただ、その確かな成長の一歩を知るものはこの場にいない。
燦然と光り輝くソウルジェムが美樹さやかに勇気を与える。
澱みを吸収したグリーフシードを仕舞い、魔法少女同士の死闘が始まる…
「さやかちゃんっ!」
所で、第三者の声が歩道橋の上に響いたことで、魔法少女にフォルムチェンジするタイミングを逃してしまう。
聞き慣れた声と自身の名前に反応し、振り返るとそこには鹿目まどかの姿があった。
美樹さやかの顔がゆがむ。
「待ってっ、さやかちゃん!」
「下がってて、まどか。いまからこいつをぶん殴ってやらなきゃいけないんだから。」
「やめてよ…魔法少女同士で喧嘩なんて…そんなのマミさんは望んでないよ…」
「…マミさんは関係ないでしょ。」
「おいおい…仲間割れかい? そんな余裕がどこにあるんだか。」
「そういうあなたはどうしてこんなことをしているのかしら?」
「っ!?」
佐倉杏子は声と気配に反応して後ろに振り替える。
そこには音もなく佐倉杏子の背後へと忍び寄り、牽制の意味を込めて言葉を発した、3人目の魔法少女、暁美ほむらがいた。
明らかに怒気を含んだ視線を佐倉杏子に向けている。
少したじろぐも、すぐさまいつもの強気の姿勢に戻る。
「なに、ちょっと暇つぶしがてら相手にしてやってるだけだよ。…それに別にいいだろ、さやか程度の魔法少女がいなくたって、何の支障もなさそうなんだしさ。」
「…」
「ちょっと! 聞き捨てならないこと言わないでよ!」
「何か言いたいことがあるんならコイツで言えよ。その方が分かりやすいだろ?」
佐倉杏子が自身の長槍を美樹さやかに向け突きだす。
自身の実力は言葉ではなく力で示せ…
美樹さやかは一瞬にして佐倉杏子の言い分を理解し、そしてその余裕ぶる佐倉杏子の態度に奥歯が砕けんばかりに歯を食いしばる。
すでに美樹さやかの我慢は限界だった。
「上等じゃない。あんたに見せてやるわよ。私の力、って奴をね。」
「っ!? だめっ! さやかちゃん!」
「なっ!?」
今度こそ魔法少女同士の死闘を始めるため、ソウルジェムを佐倉杏子に向け突きだした。
その瞬間だった。
鹿目まどかが後方から飛び出したかと思うと、美樹さやかの手に握られていたソウルジェムを奪い取った。
それだけに留まらず、鹿目まどかはあろうことか美樹さやかのソウルジェムを歩道橋の上から勢いよく投げ捨てた。
ソウルジェムは偶然歩道橋の下を通ったトラックの荷台に落ち、そしてトラックは高速道路の先へと走り去っていく。
美樹さやかのソウルジェムを載せて。
「ちょっと、まどかっ! なにすんのよ!」
「ダメだよ! ちゃんと話しあわないと! そうすればきっと…えっ?」
ソウルジェムを投げ捨てた行為は鹿目まどかにとって良かれと思っての行為だった。
美樹さやかと佐倉杏子、どちらも見滝原を守る魔法少女なのに争いあうのはおかしいと。
2人で協力して魔女と戦えば、それだけで2人の危険も少なくなるだろうと。
そんな鹿目まどかの心配性な考えからだった。
しかし今回に限ってそれは完全に裏目に出る。
鹿目まどかの目の前で倒れこんでくる一つの影。
怒気を含んだ表情から、急に糸が切れたように動かなくなった親友の姿が胸の中にあった。
瞳は生気を無くしたかのようにどす黒く、口はだらしなく開かれている。
鹿目まどかが困惑の表情を浮かべても、美樹さやかは何一つ反応することは無い。
「おっ…おいっ! そいつ、一体どうしちまったんだい!?」
余りに唐突に倒れたため、佐倉杏子も長槍を霧散させ、慌てて美樹さやかに近づく。
仇敵である佐倉杏子が近付いても何一つ反応がない。
悪い予感を感じた佐倉杏子は、勢い良く握りしめるように、美樹さやかの首の動脈に手を当てる。
口に含んでいたポッキーがポロリと地面に落ちた。
「こいつ…死んでんじゃねーか…」
「えっ…?」
鹿目まどかの息がとまる。
佐倉杏子の額には焦りからか汗がにじんでいた。
ピクリとも動かない美樹さやか。
3人の様子を歩道橋の手すりから眺めるだけで表情一つ変えないキュゥべえ。
今宵魔法少女の真実に一歩近づく。
「ほむりゃの姿が突然消えた…そして次に現れたのは高速道路の上。そしてすぐにまた姿を消した…」
肌を劈く風が舞うビルの屋上。
少年は顎に手を当てて戦況を遠くから眺めていた。
「瞬間移動…なんて単純なものじゃないんだろうな。おかしな点はまだあるし…。」
少年は踵を返しビルの中へと歩を進める。
もう今夜この場に用はない。
誰もいなくなった屋上にドアのしまる音だけが響いた。