目覚まし時計が鳴るとすぐさま反応して身体を起こす。
寝起きは悪い方なのだが、今日はあっけなく起きることが出来た。
掛け布団を剥がし、部屋の寒さに身震いするもカーテンを開ければ朝日が身体を包んでくれる。
美樹さやかは快適とはいえないまでも、すっきりとした寝起きの朝を迎えていた。
眠気はない。
とても寝付けなかった昨晩からは考えられないほどに、頭は澄んでいた。
昨日、仮病で学校を休み、そして両親が出かけている間に訪れた佐倉杏子に呼び出され、佐倉杏子にも引けないだけの理由と事情があることを知った。
正直佐倉杏子のことを誤解していた自身がいて、理由を聞けばどうしてあのような考え方になったのかも少しは理解できた。
そのうえで私とは合わない…と美樹さやかは一晩考え、変わらない考えを確固たるものにした。
制服に着替え、リビングへと向かうと朝食の隣に書置きが置いてあるのに気がつく。
仕事の忙しい両親が慌てて書いたであろうそれには、美樹さやかを心配する文章が書かれていた。
抜けているようでやけに鋭い母親のことだから、昨日の仮病のことに気付いているのかもしれない。
それでも何も言わない優しさに感謝しつつ、これまた急いで作ったであろう朝食に手をつける。
正直料理は上手くない母親だが、どんなに仕事が忙しくても毎日朝食を作ってくれている。
頼りない父親とは違い、とても頼りになる、正に一家の大黒柱だ。
尊敬すらしている。
ふと…もし母親がこの身体のことを知ってしまったらどんな表情を浮かべるか想像してしまった。
第27話 微塵の思い
「さやかちゃ~ん!」
通学路を頭を垂らし歩いていると、聞きなれた声と二つの足音が後ろから聞こえた。
振り返る間もなく、想像通りの2人が美樹さやかの視界に入ってきた。
「おはよう、さやかちゃん!」
「おはようございます、さやかさん。」
「あぁ…、おはよう、まどか、仁美。」
「もう風邪は大丈夫ですの?」
「あっと、もう全然平気! 昨日はちょっとだけ風邪っぽいなぁ~、って思ったから念のために休んだだけだしね。」
「それは良かったです。」
志筑仁美は安堵の表情を浮かべる。
その柔らかな笑顔の奥で、心配したように美樹さやかを見つめる鹿目まどかの表情があった。
それを見てテレパシーで大丈夫だよ、と一言加えた。
相変わらず心配した表情を浮かべているが、ひとまずは美樹さやかの言葉を信じ笑顔を浮かべた。
「あれ、上条君じゃありませんか?」
「えっ? どれ?」
志筑仁美が指さす先を追うと、登校する多くの学生の中で一人松葉杖を突いて歩く上条恭介の姿がそこにはあった。
慣れない松葉づえを突いて、痛む足を必死に上げて歩く姿はどこか楽しげだ。
その様子も、身体が徐々に思い通りに動くことに喜びを感じていると理解できるため、美樹さやかにはほほえましい光景であった。
「上条君、今日から登校なんだ。良かったね、さやかちゃん。」
「うん…」
「…」
それだというのに、美樹さやかの表情は晴れない。
むしろ上条恭介の姿を見て、より暗い表情になってしまったように鹿目まどかには感じた。
またも心配気な表情を浮かべてしまった鹿目まどかを見て、美樹さやかは無理に元気なふりをして見せる。
それで親友の2人を誤魔化せたかどうかは、美樹さやかには分からなかった。
3人でゆっくりと歩き、遅刻ギリギリに教室にたどりついたときには上条恭介の席の周りはクラスメイトでごった返していた。
何やら男子生徒と談笑を繰り広げている上条恭介を眺めながら、2日ぶりの席へと座る。
上条恭介はこちらを見向きもしない。
ひとまず1時間目の授業の準備をして、机に突っ伏した。
授業が終わり、休み時間になっても上条恭介の周りにクラスメイトは絶えなかった。
たくさんの人と話すことすら久しぶりな上条恭介は、子供の様にその時間を楽しみ、そして更に求めるように口を紡いでいく。
「上条君大人気だね。さやかちゃんは話さなくていいの?」
「私は…退院するまで毎日話してたから、今日くらいみんなに譲るよ。」
「おっ? それは正妻の余裕ってやつか?」
「はぁ…そうまはもう少し大人な話が出来ないの?」
「…」
いつものメンバーで昼食をとり、いつものように楽しげな時間を過ごす。
しかし美樹さやかの頭は心あらず、といった様子だった。
話しをしていても、つい上条恭介たちが話している会話が気になってしまう。
つい聞き耳を立てることに注意が向き過ぎて、瀬津そうまに茶化されることが何度もあった。
そしてそんな注意力散漫な一日がようやく終わった。
いまだに上条恭介の周りには人が集まっていて、話しを聞く限りだとこれから街に繰り出して退院祝いを行うようだ。
今日一日心あらずといった美樹さやかはそれに参加することなく、ゆっくり休んでから魔女退治に行こうと考え一人先に帰路に着こうとする。
「さやかさん。ちょっとよろしいですか?」
「仁美? どうしたの?」
「この後お話したいことがあるのですが、お時間はありますか?」
「この後? 大丈夫だけど…私に用なの?」
「えぇ。これはできれば2人きりで話したいのです。」
「…分かった。それじゃあいつものカフェでいい?」
「構いません。ありがとうございます。」
(なんかいつもと雰囲気違う…魔女の口付けはもう大丈夫なはずだし、どうしたんだろ?)
ふわふわとした、不思議系の雰囲気を持つ志筑仁美の珍しい強気な姿勢に引きずられるように歩を進める。
鹿目まどかと志筑仁美と美樹さやか、3人でいつも他愛もない話しをしていたカフェに、初めて志筑仁美と美樹さやか2人で入る。
いつもならいないのは習い事の多い志筑仁美なのだが、今日に限ってはそれもないのだろう。
志筑仁美はコーヒーを、美樹さやかは紅茶とホットドックを注文し、空いているテーブル席に向かい合うようにして座った。
志筑仁美の表情を見る。
何かを決心したように固く、そして美樹さやかを見定めるように視線をそらさない。
逆に美樹さやかの方から視線をそらしてしまう始末だ。
「それで話って何?」
少しばかり続いた無言の空間に居心地が悪くなり、誘われた美樹さやかの方から会話を促す。
すると志筑仁美は一口コーヒーを飲み、そしてようやく口を開いた。
「恋の相談ですわ。」
重々しい開かれた唇が紡いだ言葉は、女子学生ならずとも場を盛り上げる話題となる恋愛話。
それだというのに、美樹さやかは茶化すこともなく、真剣な面持ちの志筑仁美を真っ直ぐに捉えるに留まった。
重苦しい空気がそれをさせない。
「私ね、前からさやかさんやまどかさんに秘密にしてきたことがあるんです。」
「えっ? …あっ、うん。」
胸がチクリと傷む。
決して隠し事が辛いのではない。
美樹さやか自身、志筑仁美に隠していることなど少なからず存在していたし、全てを打ち明ける事だけが友情を育む手段ではない、と考えているからだ。
この傷みは…謂わば免疫の役割だ。
「ずっと前から、私、上条恭介君のことをお慕いしていましたの。」
…
「えっ…? そ、そうなんだ…あはは…まさか仁美がね。な、な~んだ。恭介の奴、隅に置けないな~…」
「さやかさんは上条君とは幼馴染でしたね。」
「まぁ…その…腐れ縁、っていうか何というか…」
「本当にそれだけ?」
疑惑、断定をごちゃ混ぜにしたような視線が美樹さやかを刺す。
美樹さやかの両手がピクリと跳ねた。
「私決めたんですの。もう自分に嘘はつかない、って。さやかさん。あなたはどうですか? あなた自身の本当の気持ちと向き合えますか?」
「な…何の話をしてるのさ?」
「…あなたは私の大切なお友達ですわ。だから、抜け駆けも横取りするようなこともしたくないんですの。」
頭の中が整理できない。
美樹さやかは、外部からの情報をただ受け入れるだけの人形と化していた。
そこには志筑仁美の何かをかみ殺すような表情も含まれていた。
「上条君のことを見つめていた時間は、私よりさやかさんの方が上ですわ。だから、あなたには私の先を越す権利があるべきです。」
「仁美…」
「私、明日の放課後に上条君に告白します。丸一日だけお待ちしますわ。さやかさんは後悔なさらないよう決めてください。上条君に気持ちを伝えるかどうか…」
「あっ…私は…」
注文した飲み物を半分以上残し、志筑仁美は一礼して1人去っていく。
今日に限って店内は閑古鳥が鳴いている。
しんと静まった店内に美樹さやかと2つの飲み物とホットドッグが残っていた。
重く…重くのし掛かる。
土地を持て余したかのように、無駄に広いマンションのエントランスを抜ける。
コツコツと革靴の刻む足音のに付き添うのは白き奇獣。
美樹さやかは今夜も魔女退治に出向こうとしていた。
たった独りで。
志筑仁美から相談を受けた後、無意識に自宅へと向かい、鹿目まどかと瀬津そうまにメールを送っていた。
内容は今日の魔女退治の中止を告げるもの。
特に何を考えた訳でもない、思うがままの行動だった。
その時は確かにベッドから起き上がる力が沸き上がらなかった。
それなのに、不思議と魔女退治の時間になると身体は勝手に動きだす。
意志も意気込みも何も持たないのに、身体はロボットのように時間通り行動を始めてしまった。
それは…言うなれば巴マミから引き継いだ呪いのようなものだろう。
ロビーを抜け、4人程なら並んで通れそうな馬鹿でかいガラスの自動ドアを通り抜ける。
途端に夜の冷たい風が美樹さやかの肌を切り裂くが、その感覚すら昨晩よりも朧気なものに感じてしまう。
「月が綺麗だな。」
「えっ?」
一息吐いて、無理やり腕に力を入れ前に踏み出す。
そんな時だった。
まるで月のように凛とした、そしてどこか孤独感が漂う声が視界の外から聞こえてきた。
「えへっ、きちゃった。」
「うわっ!? まどか、その台詞凄く良いぞ! 是非次は俺の家に1人で来たとき、玄関先で上目遣い気味に、そして照れた表情で言ってくれ!」
「な、なんで瀬津君が元気になってるの!?」
「まどか…そうま…」
「あっ、まどかに喰われちまったから言い出せなかったけど、さっきの台詞は夏目大先生の名言で、意味は『I LOVE YOU』だからな。はい、ここテストに出ま~す。」
何やら顔を紅くして瀬津そうまに耳打ちする鹿目まどか。
恐らく、今の瀬津そうまの発言の真偽を確認しているのだろう。
相変わらずの生真面目さに、美樹さやかは思わず笑顔を零し、そして何かがこみ上げてきた。
「あんた達…どうしてそんなに優しいかなぁ…私にはそんな価値無いのに…」
「…何言ってんだ。俺らはもう立派な親友だろ? なぁ、心の友よ。」
「そうだよ、さやかちゃん。私はさやかちゃんのことが大好きだから…心配だからここにいるんだよ。」
瀬津そうまが美樹さやかの頭をポンポンと撫でれば、鹿目まどかは美樹さやかの手をギュッと握る。
暖かくて、嬉しくて…そして眩しい。
美樹さやかは自嘲気味に心の闇を打ち明ける。
「私ね、今日後悔しそうになっちゃった…あの時、仁美を助けなければ…って、ほんの一瞬だけ思っちゃった…正義の味方失格だよぅ…マミさんに顔向けできない…」
自然と顔は俯き、そしてタイルを雨が濡らした。
鹿目まどかの手を握る力が更に強くなる。
「仁美に恭介を取られちゃうよ…でもあたし、何もできないっ! だって私、もう死んでるんだもんっ! ゾンビだもんっ! …こんな身体で抱きしめてなんて言えないっ…! キスしてなんて言えないよっ…!」
溜まった澱みが口から漏れる。
一度漏れればそれを留める術を持ち合わせていない。
呼吸することも忘れ、嗚咽を堪えようとするも、それすらも漏れ出し、そして漸く感情が全面に姿を見せた。
吐き出して、吐き出して…それでも心の闇は晴れてくれない。
それでも美樹さやかは心に渦巻く感情を発散させる。
「さやかちゃん…」
「…」
「えっ? …うん。」
鹿目まどかの背中を押すのは瀬津そうま。
突然の行為に戸惑うが、瀬津そうまの表情を見て、鹿目まどかはすぐさま行動の意図に気付く。
そして鹿目まどかは美樹さやかの身体を力一杯抱き締めた。
瀬津そうまは背中を向け、夜空を見上げる。
少女の泣き声は2人の心の奥で、いつまでも響いていた。
「どうする? 今日は予定通り中止にしてもいいんじゃないか?」
「…ううん。もう大丈夫。」
目じりに溜まった雫を拭い、ジッと瀬津そうまの目を見つめる。
瞳には明らかに無理をしているような意思が見受けられたが、それを敢えて口にすることはない。
瀬津そうまは、そっか…、と一言呟いて、それ以上追及することはなかった。
「まどかは大丈夫なのか? 門限の時間とかあるだろ?」
「一応友達の所に行く、とは連絡入れてるから大丈夫…だと思う。…ママに怒られるかもしれないけど…それでも、今はさやかちゃんの方が大事だから。」
「…もう、ほんとこの子は泣かせてくれること言ってくれるじゃない!」
「ふわっ!? 止めてよ~、さやかちゃん!」
美樹さやかは鹿目まどかを後ろから抱き締め、そして勢いのまま頭をぐしゃぐしゃと撫でくりまわした。
当然、鹿目まどかの髪型は乱れ、美樹さやかがその行為に飽きた時には、髪の毛がもっこりと膨らんでいた。
少し涙目になりながら手で髪型を急ごしらえだが整える。
「それじゃあ…行こっか。」
「おう。」
「あっ!? 待ってよ~!」
そして少女は再び夜の世界へと足を踏み出した。
心から信頼する仲間とともに。
…溜まった澱みを抱えながら。