コンクリートの床が砂浜へと変わり、緩やかな傾斜を作る。
人が3人ほどしか並べないような通路の壁がその境界を突然消し、先の見えないほどのどす黒い空間が現れ、360度地平線を伺える空間に移り変わっていく。
地平線の先には影絵で作られたような真っ黒な蝶や、信号機、電車の線路などが宙を縦横無尽に配置されている。
天井も身長の高い瀬津そうまが手を伸ばせば届くほどの高さであったが、果てしなく広がる薄暗い青空に塗り変えられていった。
「変だよここ…道がどんどん変わっていくよ?」
「あぁもう…どうなってんのさ!?」
暁美ほむらの襲撃を受けなんとかその場から逃げることができた3人だが、息を吐く暇は未だ訪れない。
現実世界から虚構世界へ。
すでに3人から見える世界は廃墟のような改装フロアではなく、夢…それも悪夢と呼べるような異質な光景だった。
「ちっ、結界か…魔女がいたら厄介だな…2人とも! 俺から絶対離れるなよ!」
身体を震わす鹿目まどかと美樹さやかを背に、瀬津そうまは無機質に光る信号機や無造作に置かれた巨大な葉蘭のような物、そしてそれらの奥に見える少し煤けた白の毛玉に注意を向けた。
瀬津そうまの掛け声を合図に、白の毛玉が物陰からヒョコヒョコと表へと現れる。
1匹、また1匹と白の毛玉は意思を持って3人の周囲をうごめく。
その突如近付いてくる生物の存在を鹿目まどかと美樹さやかは視認し、恐怖を貼りつけたような表情を浮かべた。
両手を広げた程の大きさの白の毛玉に立派に整えられたカイゼル髭、その毛玉を支える棒のような2本の脚。
そんなお化け毛玉が数十匹と辺りを取り囲むように近付いてくる。
あまりの恐怖に2人は瀬津そうまの制服の裾をソッと掴んだ。
「大丈夫だ。俺が絶対2人を守り通す。」
そんな2人の不安を打ち消すように、声が降り注いだ。
鹿目まどかと美樹さやかを背にする瀬津そうまからの声だ。
1人表情を曇らすこともなく、ただ状況を注意深く見る瀬津そうま。
そこに様子見とばかりに、1匹の毛玉が3人に向かって勢いを付けて頭突きを仕掛けてきた。
瀬津そうまの正面から向かってくる毛玉。
決して速いとはいえないが、身体全体で突っ込んでくる威圧感に鹿目まどかと美樹さやかは小さく悲鳴を上げた。
瀬津そうまはそれを、腰を使った鋭い蹴りによって簡単に弾き飛ばす。
続けて瀬津そうまの右斜め後方…鹿目まどかに向かって別の毛玉が突撃してくる。
鹿目まどかが身体を呈し抱え上げる白の生物を守ろうとするも、その毛玉は瀬津そうまの左拳により地面を跳ねながら、取り囲む毛玉の群れの中に消えていった。
さらに続けて美樹さやかの首筋を狙うように、ハサミ状の影が伸びてくる。
それを瀬津そうまは美樹さやかの手を引くことでハサミの軌道上から外し、その勢いを利用して影を一蹴りで引きちぎった。
「瀬津君(そうまっ)!」
「さてと…めんどくさい事になってきましたね、っと。」
第4話 野に咲く金色の花
近づく毛玉を殴り、蹴り、薙ぎ払い…
毛玉の侵攻はすでに数分続いたが、鹿目まどかと美樹さやかにたどり着いた毛玉は1匹として現れなかった。
毛玉の文字通りの捨て身の特攻は瀬津そうまの両手両足に、ことごとく3人を中心に囲む白の波の中へと弾き返された。
瀬津そうまは息つく暇がなくとも、2人の女の子を傷一つ付ける隙を与えることなく守り通した。
その代償として滴る紅い雫。
張り巡らされたハサミの影に不意を突かれ、瀬津そうまの右手の甲は血をだらだらと流すほどの深い切り傷を負っていた。
それでも収まることのない毛玉の侵攻。
瀬津そうまは右手をかばうような暇もなく、両手両足全てを使い2人を守り続けていた。
「ちっ…こいつら手加減してやがる。舐めやがって…」
殴り飛ばしても蹴り飛ばしても次々現れる毛玉。
そんな数的不利の状況でも瀬津そうまが2人を守ることが出来たのは、もちろん瀬津そうまの中学生離れした身体能力に因るものも大きいが、それよりも大きな理由がある。
それは周りを取り囲む毛玉が同時に突撃してこないことだ。
せいぜい2匹…突撃してくる毛玉以外の毛玉は遠くから3人…特に動き続ける瀬津そうまを品定めするように周りを取り囲むだけだ。
この場において覆すことのできない上下関係。
上から見下ろすようなその驕りと、状況を好転させる力のない自身への苛立ちが冷静さを失わせていく。
それでも精密機械のように毛玉を撃ち落とし続ける動作が鈍ることはない。
「瀬津君! 手から血が…」
「大丈夫だ。それよりまどか、キュゥべえの様子はどう?」
「キュゥ…べえ?」
「今まどかが抱えている奴のことだ。まだくたばったりはしてないよな?」
「う、うんっ! すごく苦しそうだけど、ちゃんと息してるよ!」
「そっか、キュゥべえのことしっかり抱えておいてもらえるか? そいつが生きてればまだ逆転の芽はあるからな。」
一瞬…ほんの一瞬だが、瀬津そうまは砂浜の上に座り込んでいる鹿目まどかと美樹さやかに笑みを送る。
十分ほど上下左右前後からの攻撃をさばき、休む間もなく注意を払い続けている瀬津そうまが、一瞬だけだが2人に自信にあふれた笑みを浮かべた。
圧倒的な数の暴力を前に…
終わりの見えないサバイバルの中…
2人を安心させるためだけに笑顔を見せた。
一瞬の出来事…しかし鹿目まどかと美樹さやかを安心させるには十分な時間だった。
毛玉の侵略から守り続けてくれる瀬津そうまを信じ、白の生物…キュゥべえの様子を伺えるほどに落ち着きを手にした。
「お待たせ、そうま君。」
そんな絶望の中で一縷の光を信じ始めた2人に、天から声が降り注ぐ。
「誰っ!?」
「俺も今来たところだよ…とでも言えればいいんだけど、今はそんな雰囲気じゃないんでね。」
美樹さやかの声に応えるように鎖が3人を囲むように頭上から下ろされる。
それと同時に瀬津そうまは円の中に入る毛玉を全て円の外へと押し出す。
「そうね。それじゃあさっさと片付けちゃいましょうか。」
その声を合図に鎖から構造色の光が円の外に向かって四方八方に伸びていく。
光は縦横無尽に曲線を描き、毛玉を貫くように際限なく空間を蹂躙した。
光に貫かれた毛玉は忽然と姿を消し、数瞬もすれば周りを取り囲んでいた毛玉の大半は存在をなくしていた。
突然仲間が消えたことで慌てて逃げ出そうとする数十の毛玉。
「そっちも!」
頭上から聞こえる声…鹿目まどかと美樹さやかが釣られて顔を上げると、建物の中だというのに星空が広がっていたのだが、2人はその光景の一点を中心に目を奪われた。
金色のロールされた髪に白のパフスリーブ半袖シャツ、黄色のスカート、黒のブーツを身に付けた少女がそこには浮かんでいたのだが、2人が目を奪われていたのはそれでもない。
宙に浮く金色の少女…そしてその横にずらりと並ぶ百を超える銀で装飾されたマスケット銃。
銀の銃身が全て残り僅かの毛玉に向けられていて、後は引き金を下ろすばかり。
そして金色の少女が腕を毛玉に向けて突きだしたのを合図に全ての撃鉄は落とされ、紅の弾丸が盛大な音を出しながら毛玉に向けて発射された。
弾丸は毛玉に吸い込まれるように的確に的を捕え、弾丸は砂地へと突き抜け砂埃を上げる。
マスケット銃の衝撃による突風に3人の目は閉ざされることとなる。
音が鳴りやみ目を開くと、砂埃が晴れる頃には毛玉は完全に姿を消していて、そして景色も地平線が見える広大な空間ではなく、すぐ近くにコンクリートの壁が見える改装フロアへの通路へと戻っていた。
宙に浮いていた少女もくるりと宙返りをして地面にそっと着地した。
その際明らかに重力に逆らって落下速度が落ちたことに、2人は気付くこともなくただぼんやりとその一連の動作を眺めていた。
「す、すごい…」
もはや鹿目まどかの考えの範疇などとっくに超えてしまっているが、それでも少女の圧倒的な制圧力を前に感嘆の声を上げることしかできなかった。
「戻った…」
美樹さやかも今起きた現実を当たり前のように呟くことしかできなかった。
しかしようやく見慣れた風景が広がったことに笑みがこぼれ、同じく安どの表情を浮かべた鹿目まどかと手を取り合い喜びを分かち合う。
瀬津そうまはようやく一息ついて、自身の右手の甲に負った傷をぺろりと舐めた。
しかしまだ警戒を解いていない。
瀬津そうまが見上げる先、トラックほどの大きな荷物の上に立つ1人の少女の存在が無ければ、それもすぐに解けただろう。
「ほむらちゃん!?」
瀬津そうまが見上げているのに気付き、鹿目まどかと美樹さやか、そして金色の少女も同じ方向を見上げる。
そこには先ほど鹿目まどかの前に現れた姿のままで見下ろす暁美ほむらの姿があった。
視線は鹿目まどかにのみ注がれている。
「魔女は逃げたわ。仕留めたいのならすぐに追いかけなさい。今回はあなたに譲ってあげる。」
「私が用があるのは…」
暁美ほむらは少女の言葉を視線を含めた答えで返した。
その視線の先には鹿目まどか…そして鹿目まどかが抱えるキュゥべぇに注がれていた。
「飲み込みが悪いわね。見逃してあげるって言ってるの。」
しかしその要件を少女は飲みこまない。
優しく語りかけるような口調を、鋭く命令するような口調へと変えて暁美ほむらを言葉で突っぱねた。
「それに俺もほむりゃとは争いたくない。それはまどかもさやかも同じ考えなはずだ。」
今度は瀬津そうまが鹿目まどかと美樹さやかの2人を視線から守るように前に出て、暁美ほむらに言い放った。
一時の静寂、誰1人動くことのできない緊張感。
下手に動けばそれが刺激となり、いつ戦闘が始まってもおかしくないような殺伐とした雰囲気へと変わっていた。
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暖かな光がキュゥべえを包み込む。
すると体中の至る所にあった傷跡が見る見るうちに塞がっていく。
数分もしないうちに傷は跡形もなくなり、気持ち良さそうに目を閉じるキュゥべえの姿がそこにあった。
見ただけで分かるほど容態が良くなったことを喜ぶ少女達と少年。
その輪に暁美ほむらの姿はない。
金色の少女…巴マミの手から注がれる暖かな光により、傷を癒したキュゥべえが覚醒するのに時間はかからなかった。
赤くくりっとした丸い眼をパッチリ開け、辺りの状況を把握してから犬のように両手両足をつけて行儀よくしゃがむ。
機嫌がいいのか、体の割りに大きな尻尾を左右に振っている。
「ありがとうマミ! 助かったよ!」
「お礼はこの子たちに。私は少し手助けしただけだから。」
巴マミは謙遜しつつも、瀬津そうまの右手に先ほどと同じ光を当てる。
何の抵抗もなく光を受ける瀬津そうまの右手の甲に負った傷は、やはりすぐに塞がり血も綺麗に無くなっていた。
「どうもありがとう! 僕の名前はキュゥべえ!」
巴マミが治療をしている間に、キュゥべえは鹿目まどかと美樹さやかに体を向け、その赤い両目を二人に向けながら女性的で、且つボーイッシュとも言える声を紡いだ。
白い生物が言葉を話すことに美樹さやかは少しばかり動揺してしまうが、つい先ほどまでの出来事よりも衝撃的なことではない、と別段反応することもなく話を聞く。
「あなたが私を呼んだの?」
「そうだよ、鹿目まどか。それと美樹さやか。」
「なんで私たちの名前を?」
「僕、君たちにお願いがあってきたんだ。」
「お願い?」
鹿目まどかは頭を傾げる。
それもその筈、突然呼び出されて来てみれば全く見覚えのない生物から、いきなり頼みごとをされるなんてこと見当もつかないだろう。
それを理解しているのはキュゥべえ自身と…この場では他に巴マミと瀬津そうまがいた。
キュゥべえは一呼吸置いた後、首をおねだりするように傾げ笑顔を作りながら、不釣り合いなボーイッシュな声で願いを紡いだ。
…そしてそれが鹿目まどかと美樹さやか…またその周りの世界の運命を狂わせてしまう一言へとなってしまう。
「僕と契約して、魔法少女になってほしいんだ!」